季節の山小舎飯シリーズです。
夏の山小舎食卓には、畑で採れた野菜が並び始めます。





と


60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
季節の山小舎飯シリーズです。
夏の山小舎食卓には、畑で採れた野菜が並び始めます。





と


盛夏真っ盛りです。
標高1400メートルの山小舎でも、夏の直射日光の威力は殺人級です!
6月に塩漬けし、赤しそが出回ってから塩もみしてアクを抜いた赤しそを埋酢に入れておいた梅漬けです。
土用干しの行程を経て、梅干しに仕上げます。
土用干しは、梅の実を取り出して真夏の直射日光のもとに3日ほど晒す作業です。
ただでさえ保存性の高い梅漬けを、さらに日干しにより殺菌し、半永久の保存性とするのです。


梅と、梅酢に分け、シソはシソで軽く絞っておきます。
それらをザルに乗せて日に当てます。
塩の結晶ができるほどカラカラに干すのが理想です。


梅酢はガラス瓶に入れたまま日に当てます。

土用干しの終わった梅の実を、改めて梅酢につけ込んで終了です。
もう食べられますが来年まで待ちます。
梅酢が蒸発しても、ここまでくると梅は大丈夫です。
畑で収穫した夕顔の実が転がっています。
このままでも料理にして食べられるのですが干瓢にしてみます。
干瓢は、ちらしずしや巻きずしの具になります。

適当な長さに輪切りにします。
皮をむきます。


包丁で実を剥いてゆきます。
ピラーで剥いたこともありましたが、干した後の出来上がりがあまりに薄く、透き通っていました。
包丁で厚みを持って剥くのがよさそうです。

途中で皮が途切れても気にしないで剥いてゆきます。
種のある実の真ん中まで来たら剥くのをやめます。

物干しざおに剥いた皮をぶら下げて乾燥です。
切れた皮はザルで干します。
出来上がりが楽しみです。


7月の畑は収穫が順調です。
東京の山小舎おばさんの元への出荷も始まりました。

今年の畑の特色は、収穫物が多彩化したことでしょうか。


畑は乾燥が進んでおり、乾燥に強いトマトなどが順調です。

反面、水を欲しがるキューリやナスなどの収量が少ないようです。
ズッキーニも受粉がうまくいったときには実を結びます。



今回の流れ旅は県外の旅です。
天然の要害、山々に囲まれた長野県は、他県との県境には峻険、深々とした山々が存在しています。
然しながら、山小舎から直線距離で測ると、山梨県へはもちろん、群馬県へも案外近いのです。
姫木で親しくしている友人は、自宅がある埼玉大宮地区への行き来に、下仁田経由のルートを使っているようでした(その方はなるべく高速道路を使わない派です)。
山小舎から佐久方面に下り、野沢地区を抜けて富岡街道と呼ばれる道を上ってゆきます。
思ったより緩やかな登りです、交通量もあまりありません。
前方に妙義山?の凸凹した山容が見え隠れします。
やがて群馬県に入ったのか、沿道に”こんにゃく”の文字が目立ってきます。
山奥の人里といった雰囲気がします。

やがて下仁田の町に到着しました。
まずは上信電鉄下仁田駅へ行きます。


高崎から下仁田までの私鉄ローカル線です。
忘れられたような昭和の鉄道です。
JRならとっくに廃線にしているかもしれません。
戦前まで続いた生糸の興隆を、高崎から東京方面に繋げる物流手段だったようです。



駅舎は有人で、整備されています。
停車していた車両も現役感があります。
駅前に出ると、昭和感丸出しながら現役の電気店、旅館などがそこそこ軒を連ねています。
味があります。思ったより寂れてはいません。
ここに来なければ味わえない、群馬県ローカルの歴史と匂いが染みついた景色です。


駅の近くのAコープに寄ってみます。
地元の物産を物色し、昼食用にから揚げ弁当ときんぴらサラダを購入します。
Aコープは町内唯一のスーパーに当たるのでしょうか、昼間から賑わっていました。
旅人にとってのマスト、道の駅を探します。
国道を富岡方面へ進むと道の駅下仁田があります。
県外の観光客やトラックドライバーが集まる場所です。

観光案内所でマップをもらい、立ち寄り温泉の情報を聞きます。
そのあとは構内の直売所へ。
こんにゃくで町おこしをしている下仁田らしく、いろいろな派生商品があります。
野草茶コーナーまでありました。
並んでいる商品には勢いが感じられます。
この地区で意欲的に活動している人々がいることも。

食堂コーナーでソフトクリームを食べていると、三々五々集まってきた家族連れやドライバーたちで満席になってきました。
メニューの充実感を見ても、今時の道の駅が地域の外食産業の中核を担っている様子がわかります。
私もこの道の駅で昼食を摂ることにして、外のテーブルに弁当を広げました。

町の中心部に戻って、歴史館という博物館に寄ってみます。
歴史館の中心的な展示は生糸についてです。
カイコを飼って、繭を富岡の製糸工場へ出荷するのが明治以降の下仁田の一大産業だったのです。
富岡の製糸場と合わせて、下仁田の風穴が世界遺産になっています。
風穴にはカイコの卵を低温保管し、適宜出荷する保管場所があったのです。

下仁田から信州佐久に至る街道も、中山道の脇街道としてかつては関所などもあり、信州との交易なども盛んだったとのことです。
今の下仁田の町の大きさ、鉄道の存在などを見ても、街道がもたらした歴史の重さを感じます。
下仁田の旅の仕上げは立寄り温泉です。
観光案内所で推薦の、清流荘を探します。
道幅狭い山道に清流荘はありました。
受付で声をかけますが返事はありません。
無為な時間が流れています。

無人の露天風呂へ入ります。
取材に来たことがあったのでしょうか、テレビプロデユーサーの推薦の言葉が飾ってあります。
その言葉に従い、低温の源泉につかりますが、冷たすぎて効いたのかどうかわかりませんでした。
鶯の声が間近に聞こえる野趣豊かな露天風呂でした。



カンカン照りの暑さが残る中、富岡街道を取って返して下仁田の旅を終えました。
「ヌーヴェルヴァーグ」 2025年 リチャード・リンクレイター監督 フランス
山小舎おじさん今年初の新作映画鑑賞。
劇映画となると何年振りか。
新作ってこんなに面白かったのか?
それともたまたま、年代的な感性に合致したのか?

監督が、50年代末のパリのカイエ・デュ・シネマに巣食う若い映画評論家たちが映画監督としてデヴューしてゆくヌーヴェルヴァーグという時代に興味とあこがれを持ち、素直に映画化している。
監督の素直さ、素人っぽさは、全世界の隅々に生息する映画ファンと共通しているのがこの映画の凄い所であり、愛すべきところだ。
クロード・シャブロルが「美しきセルジュ」でデヴューし、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」がカンヌ映画祭で評判をとった頃。
黒メガネでタバコを離さないゴダールは、カイエの編集室でタイプを叩いていた。
気になるトリュフォーのカンヌデヴューを確かめにカンヌに車を飛ばす。
旅費は編集室の引き出しにある金庫から失敬した。

シャブロルとトリュフォーのデヴュー作のおかげで、シャブロル監修、トリュフォー原案の条件でゴダールの長編デヴュー作にプロデューサーが付いた。
生涯一度のチャンス。
素材は新聞記事になった自動車盗難の話。
主演には短編で使ったボクサー上がりの青年(ジャン=ポール・ベルモンド)。
相手役のアメリカ娘には、「聖ジョーン」でデヴューし、トリュフォーが『新しい映画の女神降臨』と絶賛し、カイエの表紙を飾ったジーン・セバーグを、無鉄砲にも希望した。
ベルモンドにはジムのオーナーみたいなおばさんが、『映画に出るなら商業映画に』と苦言を呈するが、べルモンドは『どうなるかわからないが、ゴダールは信用していい』と思っており、縁もゆかりもないセバーグに出演を勧めに行く。
セバーグはハリウッドでの「悲しみよこんにちは」出演の後、結婚したフランス人弁護士とともにパリにいた。
すぐ離婚し、セバーグの自伝(水星社「ジーン・セバーグ」)では精彩なく描かれている、元夫フランソワ・モレイユだが、映画では登場場面も多く、いらだつセバーグを慰めたり、契約中のハリウッドのコロムビア映画との交渉ごとに手腕を発揮するなど頼もしく描かれている。

「勝手にしやがれ」の撮影開始前にゴダールがスタッフを選定する。
以後コンビを組むことになる撮影のラウール・クタールのキャラがいい。
実際のクタールについては知らないが、インドシナに従軍して映画撮影を覚えたというこの人物は、長身と長い顔をしており、顔合わせではゴダールと撮影の専門的な会話を交わして意気投合する。
現場では『覗くか?』とゴダールに聞き(ゴダールは『いや』と答える)、『回せ』の掛け声には『もう回っている』と答える。
ロケでのゲリラ撮影では、嬉々として車いすに座り(押すのはゴダール)、カモフラージュしたリヤカーにカメラを抱えて潜り込む(リヤカーを押すのはゴダール)。
クタールにとっては、無手勝流のヌーヴェルヴァーグの現場など、インドシナの戦場に比べて何のことはないんだろう。
一方で記録係やメイク係の女性にとってゴダールの現場は全くの素人騒ぎだった。
小道具の位置のズレや、俳優の目線の違いには『これではつながらない』と当たり前の指摘をしても、『このままでいい』と答えるゴダールに絶望する記録係。
メイク係は主演女優セバーグのとりなしで何とかスタッフに残る。
終盤のロケで『もう少しで終わる』とせいせいする彼女。
セバーグは出番のない日も現場に出かけてくるが、ゴダールは決まった脚本は作らず、毎日現場でなにやら書いている姿に苛立つ。
セリフはゴダールの口から出演者にカメラの背後から告げられる。
しまいには、セリフの癖をマネしてゴダールをからかう。
ハリウッド女優として、演技とアドリブで対処し、それなりに現場を楽しんでいるように見えるセバーグだが、あまりの無軌道ぶりにしばしばゴダールと衝突する。
『あなたの映画なんて知らないわ』。
クランクアップの現場で各スタッフはお互いにハグするが、セバーグとゴダールは握手だけだった。

様々な映画人のそっくりさんが登場する。
ロベルト・ロッセリーニがカイエ編集室を訪れたとき、ヌーヴェルヴァーグ系の映画人が集合する。
ジャック・ドミー、アニエス・ヴァルダ、アランレネもいる、名前が表示されないと誰かはわからないが。
ロッセリーニはホテルに送っていったゴダールとの別れ際に金を無心する。
撮影の終盤、パトリシア(セバーグの役名)の部屋でベルモンドと戯れるシーン。
ベルモンドの独白シーンの撮影では、セバーグがカメラの横に陣取りベルモンドにアドバスする。
この時の女優ゾーイ・ドウイッチはセバーグが蘇ったかと思ったくらいにそっくりだった。
それ以外の場面では、実際のセバーグより背が高く、顔が骨ばっているゾーイは、シャロン・ストーンにしか見えなかったが。
セバーグとベルモンドの同志的友情が、撮影期間を通して高まってゆく様も見てとれる。
セバーグが40歳で不慮の死を遂げたとき、葬儀に参列したのもベルモンドだった。
ゴダールが見学に訪れる、ロベール・ブレッソンの「スリ」の撮影現場。
ブレッソンのそっくりさんの目玉と背広の模様もよかったが、メイクされている主演俳優が、実際とそっくりで驚いた。

どのシーンも興味津々。
どこかで見聞きしたシーンやエピソードが再現されている。
知らなかったエピソードも。
それも映画ファンの視点で。
画面から初々しさが消えないのは、出演者がゾーイ・ドウイッチ以外は職業俳優ではないからか。
それとも監督がファンの視点で、ヌーヴェルヴァーグの時代を再現することにワクワクしているからだろうか。

ゴダールを演じるギョーム・マルベックという人。
独特の愛嬌があり、動きもいい。
実際のゴダールは、自意識過剰で頭でっかちのクセありすぎの人物だったのだろうが。
そこで私からの質問が一つ。
ゴダールは映画を見るときも黒メガネをかけていたのだろうか?この作品でのように。
ゴダールについて、本人の難解な言葉や、研究書のわかりずらい文字を見るより、まず最初にこの映画を見たらどうだろう。
ヌーヴェルヴァーグの時代に、血の通った偏屈な監督がいて、すったもんだの挙句、時代に残る映画が生まれたという事実が、温かい目で語られているのを見て、これ以上ない入門となるだろう。


8月にやって来る孫たちの今年の一大イベントが蓼科山登山になりました。
そこで、孫たちを迎えるジイジとして、この日は予行演習を行いました。
蓼科山は八ヶ岳連峰の北端に位置し、標高2520メートル、日本百名山に数えられる人気の山です。
現在は、標高2000メートル近くの7合目登山口まで車道が通じており、全国からのハイカーのほか、県内の小学生の登山遠足にも利用されています。
2年ぶりの蓼科山となる齢70の山小舎おじさんに、入念な準備は不可欠です。
登山靴は防水加工のトレッキングシューズです。
高機能靴下を履きます。
さらに足首、膝、腰、上半身に紐を巻いて固めます。
ヒモトレというやつです。
2年ぶりの蓼科山、頂上へは2回しか行ってません。
しかも2年前に行った9合目の将軍平往復では、帰りに足が動かなくなって、我ながら大変でした。


土曜日の10時前に7合目登山口の駐車場に着きます。
予想通り駐車場は満車で、路肩に延々と県外ナンバーの車が停まっています。
少し離れた路肩に軽トラを停めます。

鳥居を潜って登山スタートです。
同じころスタートする登山客も三々五々いますが、早や下山してくる人もいます。
最初は丸太で階段が組まれていた登山道は、岩がゴロゴロするガレ道?となります。
過去に歩いた時の、雨水で掘れた道よりは歩きやすくなりましたが。



急な斜度の砂利(というか岩)道が続き、休憩場所らしいところや景色のいい場所がほとんどありません。
大きなケルンが積まれていたり、沿道にコケが見られたり、馬返しという場所の名残がわずかに登山客の目に変化をもたらしてくれます。
頂上にある蓼科神社の参道であるところの、信州らしい自然にあふれた山道なのです。



何度も小休止し、砂利に滑りながら登り続けます。
あわよくば山頂まで、の考えはとうになくなり、ひたすら9合目・将軍平の山小屋の姿を求めて喘ぎながら登ります。


健康な人なら頂上まで2時間とのことですが、その2時間を過ぎました。
とっくに余裕がなくなった視界の先に、空の青さが見えてきて、休憩する登山客で賑わう将軍平に着きました。

写真を撮るためにこの先の絶壁?が見える場所まで行きます。
脚がガクガクしており頂上までは無理です。
写真を撮って山小屋へ引き返します。

この日の装備品は、ヤッケとペットボトル1本、カレーパンです。
昼飯前に下山するつもりでしたが、すっかりバテています。
カレーパンを食べましたが、しばし休息と給水が必要です。
山小屋に入ってコーヒーとアイスクリームを補給することにしました。

ここのコーヒーは注文の都度、豆を挽いてくれます。
水は雨水です。
繁忙期なので3人のスタッフが忙しそうです。
30分ほども休んだでしょうか、アイスクリームが体にしみます。
足に疲れはたまっていますが下山しなければなりません。

前回のように、動かなくなった足をごまかしながら、引きずるように歩くほどのピンチはなく、下山時には、ほぼほぼ筋肉が活動停止の状態だったものの、軽トラまで到着しました。
出発から4時間を過ぎていました。
本番では頂上まで登るつもりで準備し、ストックももってゆこうと思います。
この日はたくさんの中高年の登山者がいましたが、ほぼ全員がストックを使っていました。