新潮新書「キレイゴトぬきの農業論」を読む

山小屋には雨の日もあります。
おじさんはいつか読もうと積んであった本の一つを紐解いてみました。

新潮新書の「キレイゴトぬきの農業論」という本です。
2013年9月の発刊。
著者は久松達央という人で、1970年の生まれです。

おじさんこの本を古本で100円で買いました。
買った場所は、茅野のブックオフだったでしょうか。

一気に読みました。
日頃おじさんが思っていたことを言語化してくれた本でした。
また、おじさんのような、旧世代の情緒的田舎暮らし派に足りないところをズバリ指摘してくれる本でもありました。

1.著者はどんな人?

著者は、慶応大学を出た後、一般企業に就職し、5年後に脱サラして茨城県土浦市で就農。
現在は3ヘクタールの農地を6人のスタッフで切り回し、消費者に直接販売する方法で活動中の自称「日本一話のうまい農家」。

2.著者の農業の対するアプローチとは?

(以下抜粋)
野菜のおいしさの三要素を、旬、品種、鮮度と規定し多品目の野菜を、露地栽培し、直送することで、商品たる野菜を差別化している。

畑から玄関までが有機農業。
いかにいい形で消費者に届けるかをコントロールできてこその有機農業。

農業界はマーケット志向より、仲間内での評価を優先しているが、いいものかどうかはお客さんが決めるのだ。

農業技術は食べる人との関係の中で初めて意味を持つ。

自分の農園の売りは、ほかの農家、特に大手が手を付けない面倒な部分を引き受けているからです。

自分の農園は発信力とネットワーク力を持っている。

提示の仕方によって同じものでも価値を変えられる。

(感想)
農業志向の旧世代のこだわりが「無農薬」、「有機」であったとしたら、現世代の著者のこだわりは「路地栽培」(旬)、「鮮度」(顧客志向)に変化(進化?)しているのか!おじさん感激!

「自分の農園の売りは、ほかの農家、特に大手が手を付けない面倒な部分を引き受けているからです。」

この言葉は新しい視点。
というか、農業を生きた産業、やりがいのある産業にしたい人にとって大きなヒントとなる金言。
漠然とした思いを具体的な言葉にしてくれた著者に感謝。

今はやりの、というか何十年も前から実業界(会社世界)で言われてきた、社会化、見える化、顧客志向の考え方を農業に取り入れたわけだけど、その通りだと思う。

3.著者による農業についての提言

農業は自由な仕事。ゴールにどうアプローチするかに制限がない。

賛成。

地元パワースポット探訪記VOL.7 国宝大法寺三重塔で癒される

古代・東山道という街道があった。

「令和」の出典という万葉集に、「信濃路は今の墾り道刈株に足踏しむな履はけ我が夫」の歌がある。
律令時代の良民の義務として、防人になるべく九州へ向かう夫を、東山道で見送った妻が詠んだもの。

万葉集に詠われた東山道は、江戸時代に五街道が整備されるまでの間、畿内から東国へ向かう主要街道の一つだった。

東山道が信濃路に至り、現松本盆地から峠を越えて現上田盆地へ降りる道沿いに、現青木村がある。
青木村に、奈良時代に創立され、東山道の浦野駅(当時の宿場)にちなんだ大法寺があり、境内に三重塔がひっそりとたたずむ。
三重塔は国宝に指定されている。

三重塔の由来と癒し

西暦1300年ころの造営と伝えられる三重塔。
鎌倉時代から南北朝時代に移る時代である。

地方にありながら、くずれのない正規の手法で建てられた、と現代において評価される塔。
当時の中央の工匠によって造営された正統的な造りの塔とのこと。

「見返りの塔」の別名があらわす通りの完璧なフォルムと、周囲の風景との調和が見るものを圧倒する。

古より東山道を行き来する旅人を見送りまた迎えたのであろう、当時の一大スポットにして名勝地である。

大法寺の本堂もまた古く存在感がある。

境内にたたずむお地蔵さん。

三重塔への沿道には羅漢が立っている。

観音堂の建物もまた大掛かりだ。

境内の一番奥、山を背景に立つ三重塔。
今は訪れる人も少ないだけに一層の気高さを備える。

静かに訪れる人を癒すパワースポットである。

サツマイモを定植しました

サツマイモの苗を定植しました。

去年は5月21日に定植しました。
マルチをかぶせて畝を作り苗を植えたのですが、苗が灼熱の太陽に熱せられたマルチに触れたので、ほぼ全滅したものでした。

その後、植え替え、マルチなしの畝でもう1畝作付けし、何とか収穫できたのでした。

今年はマルチなし、元肥なし、どろどろ畝で挑戦!

今年はなるべく作業軽減の観点から、サツマイモの定植はマルチなしとしました。
この作物に多肥は厳禁とのことですので元肥も施しません。畑の耕耘時に牛糞、ぬか、石灰、もみ殻を薄く蒔いただけです。

サツマイモの苗は、新聞紙にくるんでおけばしばらくは持つほど丈夫なのですが、何せ折からの日照りです。
乾燥対策として畝にできるだけ水をまき、どろどろにしてから定植することにしました。

定植の手順

まず畝を切り、へこみを作って水を撒いてゆきます。
畝をどろどろにしたいのですが、水の便が悪い畑故、ポリタンク1個分の水を使っての作業です。

どろどろに苗を差し込んでゆきます。

苗に土をかけてゆきます。

乾燥対策のため、もみ殻をかぶせて終了です。

25本の苗で2列の作付けとなりました。
畝間はたっぷりとりました。
なぜかというと、サツマイモは伸びたツルを畝に潜らせると新しく根を張り、イモを実らせるというのです。
そのための用地確保としての広い畝間です。

捕らぬ狸の皮算用とはいえ、挑戦してみましょう。
戦時中の食糧難時代に人々を救済したサツマイモの実力を見させてもらいましょう。
これから、戦時中と同じような食糧難の時代にならぬとも限りませんから。

春の畑で「芽出し」について考える

山小屋も信州の山里も春真っ盛りです。
春どころか、真夏のような気温の日もあります。
畑も日照りのなか、苗たちは元気です。

夏野菜の苗たちの様子

トマトは斜め植え。支柱がなくても元気です。

自根苗のナスも葉っぱがピンとしています。

日差しに耐えるズッキーニです。

自根のキューリも葉の色がいいです。

アスパラガスの芽です(手前の長い茎)。
収穫は来年からです。

夏野菜の畑の畔の除草を大家さんがやってくれました。
感謝。

畑に沢蟹がいました。元水田だった畑です。

山小屋での種まきのこと

おじさんは今年、4月初旬に第一弾の種まきをしました。
トウモロコシ、枝豆、藍などをポットに蒔いて山小屋で管理しました。
今年は4月10日に積雪があり、ゴールデンウイーク前半には霜が降りました。
ポットに水やりする際の水温も氷水のようでなかなかポット内の地温は上がりませんでした。

夜間は室内に入れるなどしましたが、順調に芽が出たのは、藍と茎ブロッコリーくらいでした。

結論。
標高1300メートルの場所では温室栽培以外での4月初旬からの芽出しは困難だということ。

聞けば地元では、ポットでの芽出しは主流ではなく、地温の上昇を待って畑に直播するとのこと。
一般的な栽培マニュアルではポットでの芽出しが当然のようになっている、トウモロコシや枝豆、白菜などもここでは直播するとのことです。

郷に入っては郷に従えとはよく言ったものです。
地元からの情報を遮断しては有効な地元ライフは送れないことを改めて痛感します。

「夏野菜の定植は蓼科山の雪が消えてから」という地元の言い伝えも参考にしたものです。

芽出しについての教訓

ということで、今年おじさんは教訓を得ました。

教訓その1
雪や霜に強い作物は、冬越ししたり4月上旬に定植、種まきしても大丈夫だということ。
玉ねぎ、にんにく、キャベツ、レタス、ブロッコリー、長ネギなど。

教訓その2
ポットに種まきするときも気温が高くならないとだめな作物は、地温上昇を待って畑に直播するという選択もあること。
トウモロコシ、豆類、カボチャなどがそうです。

教訓その3
夏野菜の定植は完全に霜の心配がなくなってから。
早くても連休後に。

また、小さいポットで芽出しした後、大きめのポットに移植して苗を大きくするという方法もあります。
移植した茎ブロッコリーの苗です。

薪づくり講習会に参加しました

NPO法人、八ヶ岳森林文化の会という組織が茅野市にある。茅野市市民の森という広大な雑木林の山をフィールドとして森林文化の普及に携わっている会である。
年に何回か、チェーンソーの使い方とか、市民の森の間伐材を使っての薪づくり講習会を催している。
茅野市報で知ったおじさんは、薪づくり講習会に参加した。

真夏日に集まった20人ほどの参加者

会場の茅野市市民の森までは、おじさんの山小屋から40分ほど。
上田方面にも茅野・諏訪方面にも近いのが山小屋の立地のいいところ。

大門峠からビーナスラインを下り、市民森方面へ折れる。
道は上り坂となり、獣除けのゲートをくぐる。
そこからはダートの長いのぼり。
軽トラがガクガクと揺れる。

山頂の広場に到着。
おじさんの予想に反して駐車スペースに並ぶ数十台の車。ひょっとして地元の顔見知りのメンバーが数人、アットホームに集う会か?との予想に反する、参加者の勢い込んだ雰囲気。
慌てて受付をすます。

ゆっくりチェーンソーの使い方の講習からでも始まるのかな?と思った予想に反して、いきなりの作業開始。
軽トラを使って林道に分け入り、倒れている間伐材をカットし、広場の運ぶ作業だ。

参加者は、地元人より移住者が多数?

おじさんの軽トラには、横浜のサラリーマンという56歳の御仁が分乗。
2人で林道に放置された間伐材を玉切りし、もう1台に分乗した2人が二台に運ぶ。
4人のチームでのこの作業を午前中に2セット行った。

暑さの中で汗が滴る。

昼休みになり弁当を開く。
おじさん自作の弁当だ。

食べながらチームのほかの参加者と話す。
その人は55歳で、今年から原村の別荘地に移住したとのこと。
週2回、甲府まで会社に通っていると。
譲り受けた別荘にはチャーンソーなど備品がそろっているが使ったことがないので参加したとのこと。

今回の講習会は、初心者向けではなく、チェーンソーを使えるものがどんどんカットし、使えない人は、カットした玉を計測したり、蒔割り機を使ったり、薪を運んだりの作業となった。
そのため、研修を受けるというよりはとにかく作業というものになった。
おじさんも含め、初心者にはちょっと残念。

参加者のなかには、チェーンソーの利用歴が長く、自分なりのこだわりを持っているだろう人もいたが、うんちくを傾ける間もなく動きづつける現場だった。

おじさんのチェーンソーに故障が発覚

午後からは広場で玉切りと蒔き割の作業。
おじさんもチェーンソーの刃を研いで参加した。

が、わがチェーンソーは歯の切れが偏っているのか、切れが悪く、左に曲がってしまう。

会の代表のK氏に見てもらうと、刃が石を噛んでなまっていることと、チェーンのテンションを取るためのブレードの移動のねじが動かずチェーンが不安定になっているとの指摘を受けた。

残念。
マシンは修理に出すこととし、会のマシンで切りまくる。
やはりマシンは切れてなんぼ。
達成感も疲れも違う。

午後3時、持ち帰り用の薪の山ができ、作業終了。
おじさんも薪と玉を軽トラ1台分もらって帰りました。
軽トラは重量にあえぎながら峠を登って下り、山小屋へ着きました。
快い、というよりは若干重い疲労を感じるおじさんでした。

5月とあやめと水田と

5月です。五月晴れです。

信州は田植え真っただ中です。
農家の庭先や田んぼのわきにはあやめが咲いています。

あっ、あやめでよかったですよね?
それとも菖蒲?カキツバタ?

田植えが終わった水田たち


おじさんの畑の隣の田んぼです。


田んぼと山と。ほっとする風景です。


結構小さな苗を機械植えしています。
今はインスタ映えしませんが、じきに田んぼ一面が青々となります。


山間に広がる田んぼ。信州らしい風景です。

いずれがあやめかカキツバタ。それとも菖蒲?


田んぼのわきのあやめと菖蒲。
信州では、田んぼにあやめはつきものなのか?


田んぼだけではない。
畑のわきの菖蒲たち。


たっぷりと咲くあやめの群れ。


夕方近くの山間のあぜ道に咲く、少々寂しいあやめの群生。
これも風情があっていい。

一番いい季節の到来です。

ご近所立寄り湯めぐりVOL.3 「秘湯を守る会」沓掛温泉へ

日本秘湯を守る会の立て看板が迎える、沓掛温泉街の入口。

おじさんの山小屋から1時間ちょっと。
旧東山道沿道の青木村のはずれにある温泉街。
温泉街とはいっても1軒だけあった商店も閉店し、ほかに食堂らしき店が1軒。

旅館が2,3軒と共同浴場が1軒ある。

源泉かけ流しの共同浴場・小倉乃湯

共同浴場は小倉乃湯という。
平安時代の信濃国国司(当時の県知事?)が湯治して眼病を直したという歴史ある温泉。
背後の山が京の都の小倉山に似ていることから、小倉乃湯と名付けられた由。

2種類の源泉がかけ流し、とのことだった。
入浴料200円は、県内の立寄り湯の標準金額。

温めの湯に長時間つかる、足腰の疲れが出る

軽く硫黄臭のする浴室。

2つの浴槽がある。
何気なく片一方の浴槽に入ると、体温よりちょっと高めの温度。
外は夏の暑さだからよいものの、冬は寒いだろうと思わせるほど。
これもよかろうとたっぷり時間をかけてつかる。

試しに隣の浴槽にも入ってみるとこれがちょうどよい温度。これが2種類の源泉ということか。
高温の温泉に感じる、「湯あたり」がほとんどない。
とはいえ、つかっているうちに、肩や腰に痛みが出てきた。これは温泉が効いているということなのか?

帰りの道中、眠気と闘いながら山小屋へ帰りました。

 

ジャガイモの芽かき、土寄せでヘトヘトになりました

おじさん、今年は何を思ったかジャガイモを20キロも植えてしまいました。
そのほかに息子に勧められたデストロイヤーという品種のジャガイモを1キロ植えました。
それだけの広い畑を借りられたからなのですが、いざやってみるとこれが大変です。

植えて1か月のジャガイモ、生育は順調

4月22日に種芋を植えたジャガイモ。
やがて芽が出て、5月20日には、芽かきと土寄せが必要なほど成長していました。

ジャガイモは一つの種芋から、数本から十数本の芽が出ます。
1つの芽から1個のジャガイモができるとして、出てきた芽をそのままにしておくと、小玉の芋ばかりになってしまいかねません。
ピンポン玉くらいの芋ばかりでは困ります。
それはそれで味はいいし、使い道はあるんですけど。

で、たくさん出ている芽を欠いて調整します。
株数を1から2にするのです。
芽の本数ではなく、株の数というところがミソです。
パッと見ただけでは判断が難しいのです。
シカでしょうか、葉をかじられた株が結構ありました。

おじさんは、込み合った芽を間引きするような気持ちでやりました。
また、無理に芽を抜こうとすると、種芋までが引っこ抜けかねませんから注意します。
ちなみに抜いた芽はうまく扱うと成長してイモを付けるそうですが今回はそこまでできません。

土寄せは「腰」との兼ね合い

芽かきの後は土寄せの作業を行いました。
ジャガイモは日に当たると青くなり、その成分は毒だとのことで、新しくできるイモが日に当たらないように、事前に土を盛っておかなければなりません。
イモの数が多くなるとともに、それをカバーする土の量が必要となるわけです。

で、鍬で畝間の土を株元に盛る作業をしました。
やってみて、腰の限界との兼ね合い、せめぎあいの作業であると痛感しました。

1列か2列の畝でしたらまだしも、20キロも植えたジャガイモの株は、20列ほどもの畝を形作っています。
1列がせいぜい10メートル弱の畝とはいえ、20列です!

全体の4分の1ほどやって、腰の痛みで小休止。
今日は全部やらなくてもいいか?と思いながら、腰をだましだまし、もう4分の1。
腰だけでなく体全体が疲れてきます。
無理はできない年ごろだと自分に言い聞かせます。

が、残り少なくなると欲が出てけ局全部やりました。
腰に次いで右ひざも痛くなってきました。

来年は20キロ植えるかどうか?迷っているところです。

作業中、畑の隅をキジかヤマドリのメスが歩いてゆきました。
遠くで首をもたげているのがそうです。

キジ(ヤマドリ)の訪問に、ヘトヘトだったおじさんは、「ひとりではないんだ!」と勇気づけられました。

夏野菜の苗の様子

前日に定植した夏野菜の苗の様子を見てきました。
風があり、日差しが強い中、みな頑張っています。

風があっても揺れすぎて苗が弱らないように、支柱への結び目を結びなおしました。
葉がマルチに触れると焼けてしまうので、苗の根元にイネ科の雑草を畔で刈って敷くなどしました。

さらに、風に吹かれて弱っている幼苗には、地元の畑で行われる防風措置を施しました。
その防風措置とは、肥料袋などを再利用した囲いです。
肥料袋の底を破り、筒形にして、支柱で筒の四隅を支え、苗を囲むのです。

地元の畑でよく見られ、最初は、長芋かごぼうでも作っているのだろうかと思いましたが、風の強い地方で苗の定着を助ける方法だったのです。

もちろん苗の根元には、えひめAI液の希釈を潅水しておきました。
幼い苗たちですが必ずや自力で生き延びてくれるでしょう。手助けは惜しみません。

スイカの苗も1本植えてみました。

 

信州ソウルフード放浪記VOL.4 茅野駅で立ちそば

信州といえばそばです。
おじさんのお気に入りは茅野駅西口の立ち食いソバ、白樺亭です。

茅野駅と隣の商業ビル・ベルビアへ

茅野駅はJR中央線の主要駅として、「8時ちょうど」に新宿を出発する特急あずさも停車します。
新宿を8時発だと茅野到着は10時ころでしょうか?

普通列車では、上りは甲府行きが多く、下りでは松本行きの便が多く、地元の人が利用しています。

土日は観光客、登山客の利用も多く、にぎわっています。
茅野の街中で歩く人を見かけることはほとんどなくとも、駅には人が集まっています。

西口には通りを挟んでベルビアという商業ビルが建っています。
3時間無料の地下駐車場を有するビルです。
ちなみに岡谷には5時間無料の駐車場が町の中心部にありますが、いずれにしても買い物客を国道のロードサイドから町の中心部に呼び戻そうという地元商店街の意地を感じます。

閑話休題。
このビルの二階の一角・バラック通りには、蓼科の別荘を長年利用していた映画監督の小津安二郎を記念するコーナーがあります。

小津との縁により毎年茅野で開かれる蓼科高原映画祭のポスターなども展示されています。

小津が利用した別荘の室内の再現です。地元の清酒ダイヤ菊が好みだったとのこと。
すっきりとした飲みやすい酒です。

さりげない展示コーナーで訪れる人もめったにいませんが、茅野の文化レベルの高さを示すものではないでしょうか。

立ちそば白樺亭

ベルビアから連絡通路を通って茅野駅西口へ行きます。

駅構内に入ると左手に立ち食いソバの白樺亭があります。
おじさんは昼頃に茅野の街へ行くと、ここでそばを食べることがよくあります。

自販機で食券を買います。

メニューです。

通常バージョン(ゆでそば使用)のかき揚げそばが400円です。

かき揚げ自体はそれほどでもないのですが、やはりそばが違います。
コシがあるというか、歯ごたえがあるというか、立ち食いソバとしては出色のレベル。
信州ならではです。

これで店の前に打ち水でも打ってあったら・・・、って駅構内の立ちそば屋では無理な話ですが。
観光客に交じって地元の高校生などもよく食べています。
地元に愛される場所です。

駅の改札口とは別の一角には、観光案内所があります。

茅野を舞台とするアニメの「聖地」の紹介コーナーもあります。

茅野市も時代をキャッチアップして頑張っています。

地元パワースポット訪問記VOL.6 不動の滝へ行ってみた

おじさんの行動範囲である大門街道(国道152号線)沿いに、不動の滝への案内板がある。

町指定の景勝地であるらしい。
地元の人に聞くと「6メートルばかしの滝があるだけだ」とのことで興味は後退していた。
が最近別荘地の高齢者作業バイト仲間の一人が、「不動の滝への道沿いの側溝にはヤマベがうようよいる。地元の人は海の魚は食べるが、川の魚は食わないんだな」というのを聞き、がぜん行ってみたくなった。

大門街道から不動の滝への道

大門街道沿いの案内看板。

見ると集落の中を細い生活道路が続いてゆく。
車の出入りもほとんどなく、観光地の持つ輝きなど全く感じられない。
普通、わざわざ行ってみようとは思わない。

果たして車は交差できる道なのか?
入って行って地元の人に怪しまれないのか?

おじさんの長野ナンバーの軽トラで入ってゆくと、やがて集落は早々に消え、田んぼや畑が広がる。
なるほど側溝があるが、田植えの季節のせいか、水がごうごうと流れており、魚影が見えるどころではない。

林道を登ってゆくと獣除けのゲートがある。
ここまでですれ違ったのは農作業の軽トラ1台のみ。

不動の滝は厳粛な空間だった

ゲートをくぐると畑はなくなり、ひたすら林道が続く。
やがて不動の滝一口の看板が見える。

林道から滝の入口へ入ってゆく。
町の案内板が立つ車だまりとなっている。

そこから見える堰堤も大規模で、流れ落ちる水には滝の趣があるが、不動の滝はここからさらに600メートル先とのこと。

ダートの坂道を車で少し上ると車両通行止めの看板。
ここから450メートルを歩かなければならない。

坂道を登ってゆく。
階段は必要ないがそれなりに急な角度の坂道。
周りは全く人影などなく山の真っただ中にいるのだが、道の周りだけは辛うじて人の気配が残る。
それなりに人出はあるのだろう。

やがて左手に巨石の壁がそそり立つ景観となり、行く手に不動の滝が現れる。
大きな滝ではないが、巨石の壁の間から水が流れ落ちるシチュエーション。
滝の流れの背後の苔むした青が俗世間との距離を感じさせる。

遠く左手に見える祠はかつて修行者が篭った名残とのこと。
独特の静謐を感じる空間。
まったくの自然が持つ怖さや排他性ではなく、人間が支配する空間ながら神聖な感じ。

これだから信州は行ってみなければわからない。
不動の滝は立派なパワースポットではないか。