薪割り機導入!

山小舎周辺には昨年以来の玉が残されています。

玉とは丸太を、チェーンソーで40から50センチほどに輪切りしたものをいいます。
この玉を斧やくさびで割って薪にして積み上げ、乾かして燃料にするのです。

去年のうちに丸太を切って玉にしておいたのですが、直径の太い玉を薪割りするのは大変なため作業が進んでおらず、斜面に大口径の玉が転がるままの状態が続いていたのです。
このままでは新規の丸太を受け入れるスペースに事欠くこともあり、転がっている沢山の玉を早急に処理する必要に迫られました。

今まで通り、斧やくさびで割っていたらいつまたっても終わりそうにないので、薪割り機を、別荘管理事務所から借りることにしました。

エンジン式で斧の形をした刃が作動し、玉を割ってゆく機械です。
初めて使います。
簡単な作動方法を教わり、二人係りで軽トラに積込み、積み下ろしました。

エンジン式薪割り機

ある程度の直径の玉はこの薪割り機で割ることができます。
多少の節などもエンジンの力で突破してゆきます。
力が及ばないときはエンストしますので、そのようなときには刃の持ってゆく場所を変えるなどして少しづつ削ってゆくなどします。

玉をセッテイング
刃で玉を割る

今まで時間がかかり、また指から腕、肩、腰に衝撃がかかり、腱鞘炎を引き起こしていた薪割りそのものが劇的に機械化されました。

とはいえ、薪割りは薪割りです。
繊維と水気とカロリーの詰まった重量級のエネルギーの塊である木材を扱うことには変わりはありません。
重い玉を機械にセッテイングし、刃の位置を考え、割った後の薪を積み上げる場所を考え、乾燥場所まで運ぶ行為には変わりがありません。
割るという、薪割り全体の中の一つの作業だけが機械化されただけのことです。

たちまち薪の山ができる

例年通り薪の有難さ、重さ、作業の大変さを改めて痛感しつつ、機械導入の薪割りをしています。

初収穫

6月下旬の畑です。

気候の不順から?夏野菜の苗の生長が遅く、定植後1ヶ月を過ぎても、ナス、ピーマンなどは丈が伸びていません。
丈が伸びないまま花をつけ始めています。
このままでは、ナス、ピーマンの収穫がおぼつきません。

一方、例年通りの成長ぶりを見せているのは、トウモロコシ、こぼれ種から発芽したハーブ類です。

一番元気なトウモロコシ
こぼれ種から発芽したパクチーは早、花が咲きました
こぼれ種のミントも元気です

そうこうしている間に、キヌサヤに実がついていました。
芽出し、定植後はゆっくり育っていたのですが、6月下旬に収穫期を迎えることができました。

収穫したのがやや遅れましたが、茹でで食べてみると甘くておいしかったです。
バイト仲間にもおすそ分けしました。

キヌサヤの初収穫
茹でて食べると甘かったがとても食べきれません

キヌサヤの隣の畝のインゲンは、丈が伸びずにいましたが実をつけ始めました。
とりあえず収穫。
苗の丈が伸びていないので、今後の収量が心配です。

インゲンの初収穫

去年11月に定植した玉ねぎの葉が倒れていました。
収穫期です。

引き抜いてマルチの上に並べます。
玉の大きさでは近年一番の出来です。

写真を送信するとさっそく家族から「ほしい」の反応がありました。
肥料は定植時の油粕だけで、追肥もなしのガッテン農法産です。

玉ねぎを収穫
大中小に選別し乾燥させます

この時期の畑の様子です。

キューリも初収穫、トマトも実が成ってきました。

全体に作物自体の丈が順調に伸びているのはトウモロコシくらいで、キューリ、トマトも一見順調ながら旺盛感が例年に比べてイマイチの感がします。

梅雨明けを迎え、猛暑の季節となりました。
今後の成長は気温頼みです。

キューリの着果です
トマトの着果が始まりました
ズッキーニ。いつもの勢いを感じません・・・..

梅雨前の畑仕事

イマイチ天候不順の令和4年の春。
初夏の日差しが照り付けるかと思えば、春先のような低温と篠突く雨。
日照りが続くと思えば、霧雨に覆われる。

それでも畑は夏を迎える準備。
雑草は例年通りの旺盛な生命力を発揮しています。

6月初旬になって今年初めての草刈りをしました。
刈払機を取り出し、試運転をして、刃を新しいものに取り換えるももどかしく、畑に持ち込みました。

畔に我が物顔に繁茂する、クローバーやタンポポ、イネ科・キク科の雑草、ギシギシなどを思う存分に刈り倒します。

雑草に刈払機の刃がうなる!

ネットで囲んだ圃場の外側を刈り周り、ついで、中に入って刈ってゆきます。

ネットに刃がかかるとこんがらがってしまい、エンジンを止めて絡まったものを刃から外さなければならなくなります。
刃をネットや紐、ビニールなどに近づけないように注意しながら刈ります。

段々畑の法面もテリトリーです。
法面に沿って刃を動かしながら刈ります。

畝間や畝の株間には、スギナが大繁殖しています。
こぼれ種から発芽したの赤しそやエゴマの株もありますが、これらは刈らないようにします。

一番草を梅雨前に刈り終えることができました。
次の草苅は夏前頃でしょうか。

草原が刈り倒されてゆく

トマトの苗の生育は、乾燥気味の天候に合うのか順調です。
大きくなる前に枝を支える支柱を組んでおきます。

トマトの畝に支柱を組む

一番最初に定植したキヌサヤの株に花が咲き始めました。
収穫間近でしょうか。

スギナだらけのキヌサヤ畑。花が咲き始めた

土台調整で DIY!

山小舎には母屋に増設された出部屋があります。
古民家の柱と梁で組み立てられた母屋は、しっかりした土台の上に立っています。
一方、出部屋と玄関、外物置、ベランダは母屋の土台の外に増設されています。
出部屋と玄関の土台はホームセンターで売っているような簡易な土台の上に立っています。

ベランダは風雨にさらされている柱を防水防腐処理をするとともに、必要に応じて補強しています。
玄関と出部屋では、リフォーム時に密閉性の強いサッシを入れたのですが、土台の地盤沈下が起こりました。
心配していた通りでした。

玄関のサッシが閉まりづらくなった時には、木製の角材を多数使ってサッシを支え直すようにしました。
この度、出部屋のサッシも閉まりづらくなったので、既存の土台の高さの調整を行おうと思いました。

最近では、出部屋のサッシはぴったりと閉まらず、鍵がかかりづらくなっていました。
サッシの重みで土台が下がり、閉めてもサッシの下側に隙間ができる状態になっていたのです。

出部屋とサッシ

バイト仲間にDIY上等の先輩がいるので、その先輩の山小舎来訪の折に相談してみました。
出部屋の土台(サッシの合わせ目を支える場所)に板を挟んで、土台の高さを上げてみようということになりました。

ジャッキがあったので、当該する土台の近くに設置します。
ジャッキを回す棒がないので軽トラの備品から調達します。

山小舎おじさんは自分の軽トラにジャッキと棒が設置されていることも、取り出し方も知りませんでした。
先輩は軽トラのシートを開けて、ジャッキと棒を取り出しました。

ジャッキを軒下に備え付けてアップしてみます。
サッシを閉めてみて、ちょうど良い高さになるように板を差し込みます。

隙間に差し込む板の厚さは、6ミリとか7ミリ。
それらの厚さの板とノギスを、自分の別荘に取りに帰ってくれた先輩でした。

とりあえずジャッキ1基を使って土台を上げてみる

結局、先輩におんぶに抱っこ。
ジャッキを2台使い、厚さ7ミリの板を差し込んで土台の調整を終えました。

おかげさまで、地盤沈下は改善され、サッシの戸締りについては問題ないくらいにはなりましたが、それでもサッシの下の方が開き気味なのは変わりませんでした。
出部屋の土台そのものの弱さに起因しているとしか思えません。

土台調整にはジャッキの力とミリ単位の隙間調整が必要

後日、自分でもう1基土台を作ってサッシを支える高さを再調整してみることにしました。
1基の土台で不十分なら、2基で支えてみようというものです。

先輩からは、プラスチック製で高さが調整できる簡易土台がホームセンターに売っているという情報を後日いただきました。
何から何までお世話になり感謝しております。

善光寺御開帳

7年に一度の善行寺御開帳に行ってきました。

軽トラで山小舎を出発。
上田市真田地区経由、地蔵坂峠を越え、長野市松代地区を抜けて長野市街地へ入りました。

権堂商店街にほど近い駐車場に軽トラを止め、まずは昼飯。
権堂商店街のミニシアター相生座の入り口に近い、蕎麦処とがくしに行きました。

相生座に行くたびに、なんで入り口に蕎麦屋があるのだろう?映画館付属の立食い蕎麦なのだろうか?などと思っていました。
ローカルテレビで紹介されたところによると、界隈で有名な女主が経営する、蕎麦にこだわった店とのことでした。

相生座入り口にあるそば処とがくし

カウンターのみの店内には主の知人らしき年配の女性客が一人いました。

ざるそば大盛を注文しました。
手際よく出てきたのがこの1枚。

大盛にしては少なめ?に見えた分量ですが、食べ応えがありました。
そばといいツユといい洗練された味です。
県内随一の都会、その中心部で歴史を刻んだ店の味です。

食べ終えるころ、観光客らしき中年男女の4人連れが入店しました。
主は知人らしき先客に暖簾の片付けを頼んでいました。

ひとまず腹を満たした山小舎おじさんは、店を出て善光寺へ向かうことにしました。

ざるそば大盛

権堂通り商店街のアーケードは善行寺参道と直交しています。
表参道へ出ると善行寺御開帳を参拝する観光客の姿が目立ちます。

長野市内には御開帳のポスターが

7年に一度行われる善光寺御開帳は、普段は秘仏の本尊を公開し、その手を回向柱とひもでつなげています。
参拝客が回向柱に触れると、本尊のご利益を頂けるというありがたいもの。
全国から参拝客が詰め掛けます。

この日、すでに参拝客の姿は、善行寺から歩いて10分ほどの権堂通あたりまで伸びています。

参道を善光寺に向けて進みます。
仁王門のあたりではあたりの雰囲気が、のんびりしたものから、観光地のそれに変わっています。
日常から非日常への場面転換です。

仁王門
仁王門と山門の間にある門前市

門前の店先にかかると、人数はさらに増えます。
善光寺参道のこのあたりはいつ行っても混んではいますが、御開帳ともなるとさらに賑やかな感じがします。
コロナ明けも近いのでしょうか?

門前市を過ぎると山門

山門を過ぎると善行寺の境内です。
回向柱が見え、参拝客が並んでいます。

法衣に身を包んだ体格のいい御坊さんたちの姿も見えます。

山小舎おじさんも回向柱へと向かう列に並びました。
20メートルほどの列は5分ほどで回向柱へと到着しました。
自身と家族の健康を願って柱へタッチします。

本堂の前には本尊とひもで結ばれた回向柱が立つ
参拝客は回向柱に触れて祈祷

警備員のハンドマイクに追われるように柱を離れ、本堂への階段を上りました。
さらにお参りの列が続いていたのですがこれはパス。
賽銭だけを投げて、本堂からの階段を下りました。

本堂から山門方面を望む

長野といえば善行寺。
民間信仰の長い歴史を感じる場所が長野にはあるのでした。

家族へのお土産は善行寺のだるま

信州ソウルフード放浪記VOL.18 松本どんぐり

松本駅近くの洋食店どんぐりへ行ってきました。
塩尻へ行ったときに、松本まで足を延ばして寄りました。
1954年創業という老舗です。

6月に入った松本の町。
駅前を通ると、研修旅行なのでしょうか、中学生のグループがいます。
男女合わせて4人から5人のグループで駅前から市内に散ってゆきます。

松本へ日帰りの研修旅行、しかも12時過ぎに駅前にいるということは・・・、10時に地元の駅を出発したとして、松本まで列車で2時間くらいの距離の町から来たのか?
大糸線沿線の白馬あたりから?もしくは木曽方面から?もしくは伊那谷方面?

この日の松本駅

考えながらどんぐりの店を探していると、女子中学生のグループが「おなか一杯」といいながら出てきた店がありました。
めざす洋食店どんぐりでした。
よく見ると、そのグループも駅前にいたような地方からの研修旅行の中学生のようでした。

洋食店どんぐり

よくある、老舗洋食店風の店構え。
ドアを開けて店内へ。
おばさん風のウエイトレスに案内されて4人掛けのテーブルに着きます。

客層は勤め人のランチ風が多い中に、昼ビールを頼む観光客風がチラホラ。
地方の店にありがちな、地元限定の入りづらい雰囲気は全くありません。
きわめて都会的で事務的なサービスを受けられそうです。

どんぐりのランチメニュー

ハンバーグ、カツを中心にしたワンプレート料理がランチのメイン。
1,000円弱から1,300円の価格帯です。
山小舎おじさんは、ハンバーグにエビフライが2本ついたランチを頼みました。
1,200円ほどでした。

ミックスグリル、ハンバーグとエビフライ

すぐに水が運ばれ、フォークとナイフなどの入ったケースが運ばれてきます。
ややあってサラダとスープが運ばれ、メインの皿とごはんの皿が運ばれました。

ごはんの盛がよいのは地方の食堂のいいところです。
サービスは都会的で、食事の内容は地方色豊か、とは双方のいいとこどりではないですか。
サラダのボリュームもいい感じ。

許可を得て撮影。
ハンバーグはファミレスや個人食堂にありがちな冷凍もの、とは一線を画すジューシーなもの。
ソースの味も甘みがちながらまあまあ。
老舗洋食店としてのレベルを維持しているからこその集客ぶりを納得。

2本のエビフライもカリッとしており、タルタルソースが添えられているのもうれしかった。
見れば、とんかつソースのボトルも配膳されています。
エビフライの味変への配慮なのでしょうか?細かな心遣いです。

付け合わせの、コーンとポテトフライ。
いちいちボリューミーです。
その下にスパゲテイナポリタンが一定量加わってワンプレートをなしています。

余談ですが、信州で食べるナポリタン・・・。
信州に限らないのかもしれませんが、直売所やスーパーで売っているお惣菜としてのナポリタンのケチャップ濃度の濃いこと!
食道では、付け合わせのナポリタンを頬張ると、それまでの食事がすべてケチャップ味に書き換えられるほどです。
軽快に進んでいた食事が、最後のケチャップ味の濃度の前にスローダウンすることもあります。

最近では山小舎おじさん、スーパーなどでナポリタンのお惣菜パックを買ってくるとそのままでは食べません。
倍くらいの量のパスタを新規に茹で、フライパンに玉ねぎとキノコなどと炒めておいて、パックのナポリタンと新規の茹でパスタを投入し炒め和えてから食べます。
つまりワンパックのナポリタンを、3倍増のナポリタンに作り替えてから食べるのです。
新たな調味料は必要ありません、バターを溶かすくらいです。
味付けがちょうどよくなった上に、食費も節約できます!

どんぐりでの付け合わせのナポリタンも2倍増くらいにして食べたい味付けでした。
これが信州のソウルナポリタンなのか!

おなか一杯になって店を後にしました。

どんぐりを出ると松本の飲食店街

鹿教湯温泉文殊堂御開帳

上田市丸子地区の三才山トンネルふもとに近く、鹿教湯温泉があります。
環境庁指定の国民保養地で、歓楽的要素はない温泉地です。

立ち寄りの、文殊の湯が源泉近くにあり、300円で入浴できるため、寄ることが多い温泉です。

鹿教湯温泉、文殊の湯脇の渓谷

文殊の湯の脇を流れる渓谷には、屋根付きの五台橋という風流な木造の橋が架かっており、紅葉の季節などには温泉地特有の澄んだ空気感とともに、一服の風景画のような風情を醸し出します。

渓谷にかかる五台橋

この五台橋を渡り、崖に穿っている石段を上ると文殊堂があります。

奈良時代に行基により創設されたと伝えられ、現在のお堂は宝永6年(1709年)の竣工。
奈良時代の仏像を本尊とする霊験あらたかなお堂と伝えられます。

26年ぶりの御開帳と聞き、行ってきました。
文殊堂まで登るのは、これで2回目でしょうか。

鹿教湯温泉の無料駐車場に軽トラを止め、入浴道具を持参のうえ、文殊の湯の脇をとおって、五台橋を渡ります。
石段を上ると回向柱が目に入ります。

本堂のご本尊とひもで結ばれた回向柱に触れるだけでご本尊の霊験に触れることができるといわれます。

回向柱が立つ文殊堂
お堂の奥にご本尊が見える
回向柱に触れる
境内には石の像が並ぶ

参拝客は他に誰もいません。
温泉地特有の峻烈な空気があたりを支配しています。
この感じが霊験といわれるものの感触なのでしょうか。

お参りも早々に、一巡します。
境内のはずれには薬師堂があり、ご利益により病の癒えた人々の感謝の羅漢んが立てられています。

薬師堂
薬師堂わきの羅漢?

境内から下って、文殊の湯に入湯しました。
ぬるめの湯ですが芯から効きます。
いつ来てもいい温泉です。

文殊堂付近の石畳

土留め補強でDIY!

裏の小川と山小舎の間を流れる小川の岸に設置した、土留めを補強しました。

2年前から始めた小川の護岸作業。
杭を打ち込み、カラマツの丸太を渡した土留めを3基作ってありました。

シーズン初めに山小舎の周りを点検したときに、丸太を固定する針金が細くて緩んでいることと、丸太を支える杭が弱いことに気が付きました。

手が空いた時に補強作業をしました。

補強用の杭については、去年のうちにホームセンターで2本購入し、防腐対策として焼きを入れ、ケミソート塗料を塗っておいたものが軒下にあります。
これは将来設置予定の4基目の新規土留め用に、と用意していたものですが、既存の3基の補強に転用することにします。

用意してあった防腐加工済みの杭2本を使用

丸太の縛りについては、弱い部分に太めの針金を重ねて使って、丸太と杭を縛り付け直すことにします。

太い針金で丸太と杭を縛りなおす

杭は、地盤が石原だったり、脆弱だったりするので、思うようなポイントに、思うような深さまで打ち込めるわけではありません。
それでも頑張って、ハンマーで打ち込みます。

新規の杭2本を打ち込んで補強
新しく打ち込んだ杭を丸太に縛り付ける

土留めは3年目を迎えて壊れることもなく頑張ってくれています。
この間、台風や大雨があり、小川の流れが増水しましたが、岸が多少削れても土留めがそれ以上の崩れを防いでくれています。

この先は、特に細い丸太を使った杭の部分が腐ったり、折れたりして土留めが壊れることが心配です。
土留めの内側に土嚢を積んで、土留め自体を新しい岸に作り替えることを考えます。

その際、ホームセンターで売っている土嚢袋の耐用年数が短いので、袋が破れても原型をとどめやすい素材(泥?砂利?石?)を選択したいと考えています。

また、4基目の土留めが必要かどうか検討します。

既存の土留め3基の補強が終了

ジーン・セバーグと「勝手にしやがれ」

先日、塩尻東座で観た「勝手にしやがれ」。

改めて、俳優が輝いているし、作り手が自由に作っているし、古びていないし・・・〈ヌーベルバーグ〉という60年当初の〈フランス文化の新人台頭の現象〉の枠内にとらわれない画期的な映画だと思いました。

中でもヒロイン、ジーン・セバーグの魅力。
彼女の代表作であり、彼女と、監督:ゴダールと、相手役:ベルモンドとの化学反応が、この作品で歴史的輝きを発していたことを痛感しました。

有名なシャンゼリゼでの再会シーン

手元にあるセバーグの伝記、「ジーン・セバーグ」ギャリー・マッギー著、石崎一樹訳、2011年水声社刊。
彼女の女優生活の転機となった「勝手にしやがれ」出演時の前後で一章が割かれています。
そこには貴重な証言が記録されています。
映画の女神に祝福された奇跡的な1本であるこの作品を主演女優の観点から追ってみましょう。

伝記の目次

ゴダールが「勝手にしやがれ」が映画にできるかどうかを彼女に賭けている(P101)

ゴダールはプレミンジャー作品(「聖女ジャンヌダルク」「悲しみよこんにちわ」)のセバーグを気に入っており、自分の長編第一作への起用のために会いたがった。
ゴダールは自分の短編「シャルロットとジュール」をセバーグに見せた。
主演予定のベルモンドも彼女に会って出演を要請した。
セバーグは好意的に反応した。(伝記P101要旨)

セバーグはコロンビア映画の専属女優だった。
ゴダールはコロンビア映画にセバーグの出演を求め、出演権を12,000ドルで購入するか、興行収入の半分を渡すかの条件を提示した。
当時のセバーグの夫であったフランス人弁護士・フランソワ・モレイユがコロンビア映画と交渉し、セバーグの出演権を12,000ドルで買取った。(P103)

ゴダールとセバーグ

コロンビア映画の首脳陣はもちろん、セバーグ自身もゴダールの存在は認知していなかった当初。
ゴダールが(ベルモンドも)ジーン・セバーグの出演を映画の生命線と考えていたことがわかります。

「勝手にしやがれ」撮影中も脚本の決定稿は存在しなかった(P104)

撮影の初日は1959年8月17日。
ジーンにはまだ不安が残っていた。
その日の撮影が終わらないうちに帰りかけたほどだ。
「(前略)意見の相違をお互いに認め、握手をし私はその場を離れようとした。でも彼が私を追いかけてきたから仲直りしたってわけ」(P103)

「ジャン=リュックは毎朝、学生が持っているようなノートをちぎった束をポケット一杯に詰めて現場に来るのよ。そこに書かれているのは前の晩に彼が考えたことなの。
彼は恐れていたわ。
自分が作っている映画が、長編とい呼ばれている尺にはならないっじゃないかって」(P104)

「即興の演技ばかりだったわ。
ベルモンドも私も、私たちが思った以上のいい演技ができた、と思うことが何度もあった。
(でも)そこはゴダールよ。きっちりコントロールしていたわね。」(P104)

ハリウッドの制作環境とのあまりの違い、ゴダールの〈即興演出〉への戸惑い、反発。
一方でそのやり方を楽しんでいるセバーグ。
その輝きが完成作品の端々から窺えます。
セバーグにとって奇跡的に幸運な出会いがこの作品だったのではないでしょうか。

つまり、プロのアメリカ人女優なんだ(P105)

カメラマン、ラウル・クタールはジーン・セバーグに初めて間近で会ったとき、「いったいどうやって彼女を撮影すればいいんだ」と思った。
肌の状態が良くなかったのだ。
しかしひとたびメイクした彼女は豹変した。画面に映える。
照明が足りない時でもジーンのカメら映りは抜群だった」
クタールは語る「彼女の仕事ぶりはまじめだったよ。まわりにも協力的だった。つまり、プロのアメリカ人女優なんだ」(P105)

「撮影の時以外、部屋(セーヌ左岸にあるホテル・ド・スエード12号室)にはほとんどだれもいなかったわ。
照明を調節しに時々入ってくる技師と、セリフを思えようと必死になっている女の子(セバーグ自身)。
それだけね」(P106)

9万ドルという予算はあまりにも少なすぎた。
彼女の衣装はフランスのデイスカウントスーパー、プリズニックで調達された。
シャンゼリゼでの撮影時、カメラマンのクタールが歩行者から見えないようにするために、郵便配達用の箱をゴダールは自分で押して運んだ。
最後のシーンはゴダール自身が車椅子で押されながらの移動撮影となった。(P106)

撮影はくだけた雰囲気の中で行われた。
気分が乗らない日には、ジーンはそういった。
同じくゴダールも気分が乗らなければその日の撮影は休みになった。(P106)

映画のラストシーンで、パトリシア(セバーグの役名)が恋人を売った後、彼の財布を盗むことにしないかとゴダールがもちかける、とジーンは反対した。
彼女にしてみれば、自分が演じる役の女はそこまで徹底的にやらなくてもすでに充分みすぼらしかったのだ。
議論の末、パトリシアは財布を盗まないことに決まった。(P103)

画面をよく見ると、セバーグのメイクが濃いことに気が付きます。
シーンによってはつけまつげとアイシャドウがばっちり目立ってもいました。

同時にメイキングフィルムのように自然な彼女の笑顔が映るシーンも。

撮影は照明を気にしない移動撮影(レールを敷いた撮影所方式ではなく、車椅子にカメラマンが乗っかる方式)や、ベルモンドとセバーグが意味のないやり取りを延々と行う場面では、二人の間をカメラがさ迷うようにパンします。

技法的束縛から解放されたスタッフが発揮した技量と、自由な精神下で発揮された旬の俳優たちの演技が幸運な出会いを果たしています。
とはいってもベースにはプロの女優としてのセバーグの、セルフプロデースの技量、演技の技量があります。

ゴダールが心配した、尺の足りなさは、作家役でインタビューを受ける、映画監督ジャン=ピエール・メルビルの長時間のアップや、主人公や刑事たちの動きを俯瞰でとらえたつなぎうのカットの使用などで何とか埋めています。
ジャズ音楽の使用も良い感じです。

20歳のセバーグと26歳のベルモンド

60年代の新しい映画の女神(フランソワ・トリュフォー談)ジーン・セバーグの起用に成功し、相手役に将来のフランス人間国宝・ベルモンドを擁した、プロデユーサーとしてのゴダールの時代性。
結果として自由な撮影空間が生んだ、撮影技術と即興演技の化学反応。

かくして「勝手にしやがれ」は映画史にとってのターニングポイントとなり、ジーン・セバーグは「ヨーロッパ最高の女優」(トリュフォー談)となったのでした。

軽トラ流れ旅 和田トンネルを抜けて塩尻東座へ

大正11年に芝居小屋として発足したという映画館、塩尻東座で「勝手にしやがれ」(1960年 ジャン=リュック・ゴダール監督)を上映するというので出かけました。
10時上映というので、余裕をもって8時に山小舎を出ました。

山小舎から塩尻へ行くには、和田峠を越えて諏訪地方へ下り、さらに国道20号線で塩尻峠を越えなければなりません。
直線距離的には上田へ行くのと同程度ですが、峠を二つ越えなければならなく心理的な距離感があります。
上田地方の端っこの山小舎と、塩尻・松本地域とでは、間に諏訪地方を挟んだ遠方のイメージなのです。

この日は雨模様。
6月を目前にして、セーターを着てちょうど良い肌寒さです。

別荘地から和田峠方面へ向かいます。
ところどころ霧が路面に立ち込めています。

和田峠への山中

中山道最大の難所といわれる和田峠には現在、新和田トンネルが開通し物流に貢献しています。
有料だったトンネル通過料金が無料になりました。

峠道を上る
新和田トンネル

トンネルをくぐり諏訪地方に出ても天候は変わりません。
山々から霧が立ち上っています。

下諏訪の町をかすめ、岡谷に入り国道20号線に出ます。

下諏訪への下り

岡谷からは、諏訪湖を背景にして国道20号線を塩尻峠へ向かいます。
勾配、カーブ的にはきつくはない峠道ですが、県内有数の大動脈路線として交通量は常に多く、また車両はスピードを出す傾向にあります。
ゆったりした運転ぶりが特徴の長野県のドライバーですが、都会のようにひたすら飛ばしたがるポイントも各所にあり、国道20号線塩尻峠付近もその一つです。

国道20号線塩尻峠

国道20号線で塩尻峠を越え、塩尻の街が遠望されてくると20号線の終点の交差点に至ります。
右折するとそこからは19号線、松本方面です。
塩尻市街は左前方なので直進するか左折するかです。

国道20号線終点

ここまでの所要時間は約1時間。
10時まで時間があるので、先に塩尻農協の直売所へ。
狙いはサツマイモの苗です。

サツマイモの苗は、山小舎に近い茅野や上田の直売所では売り切れだったり予約制だったりして入手できていません。
苗の種類と量が多く、また収穫期には多種多様な野菜が出そろう塩尻の直売所は山小舎おじさんのお気に入りで、塩尻に来た時には寄るようにしています。

塩尻農協直売所。テントの下には苗が出そろう

期待通りにサツマイモの苗を購入。
ついでに丸ナスなどの珍しい品種の苗を2,3仕入れました。

紅あずまの苗50本を購入

寄り道のせいか東座到着は結構ぎりぎりの時間でした。

映画館の裏には結構な広さの駐車場があります。
続々と車両が集まってくるので驚きます。

シニア料金1,200円で入場。
モギリには支配人で映画コラムニストの合木こずえさんがいました。

合木さんは先代支配人の娘で、女優を目指し上京、その後、映画配給関係の仕事に就き東京で暮らした。
塩尻に戻ってからは、自分で企画した番組を東座で上映し始め、紆余曲折をへて現在に至る。

現在のラインナップはいわゆるミニシアター作品が主流。
そこに支配人のセンスを感じる。
現在の観客に現在進行形の作品を提供できる、というセンスを。

一方東座は昭和40年代の映画斜陽時代に、ダンスホールと喫茶店だった2階をピンク映画専門館としてリニューアルし現在に至っている。

広々とした東座専用駐車場に軽トラを止める。この後も続々車両がやってきた

ピンク映画のポスターや「大蔵映画」の看板文字。
かつての街中ではよく見られたものだが、現在こういった景色が残っている場所は東座を含めて国内に何か所あるのだろう。
飯田橋の駅前、ギンレイホールの隣にあったピンク専門館はいつの間にか閉館した。
上野の専門館もなくなったと聞く。

何年か前、偶然通りかかり、東座を〈発見〉した山小舎おじさん。
軽トラを止め、ひたすらこの景観を記憶とスマホ画面に留めたものだった。

「ひまわり」のデジタル版を上映中と知り、改めて鑑賞に再訪してから、館内に入るのはこの日で2度目。
4,5人かな?と思っていた観客数はみるみる増え、平日の10時上映ながら20人を優に超える集客。
長野の映画館で身近に人の気配を感じながらの鑑賞は初めての経験となった。

思わぬシーンが映るたびに声を出してリアクションするお客が一人おり、まるで昭和の時代の映画館客のようでひたすら懐かしかった。
1960年のパリの〈ヌーベルバーグ〉と2022年の信州塩尻の〈観客〉との接点を確認するかのような人間らしい反応だった。

〈ザ・映画館〉東座の雄姿
劇場入り口。左が1号館、右が2号館へ
今どき貴重なピンク映画のポスターが
「大蔵映画」「新東宝映画」の文字も真新しい。新東宝魂ここに健在!

「勝手にしやがれ」は画期的な作品だった。
時代と旬な俳優の奇跡のような出会いがそこにはあった。
この映画については日付を改めて述べてみたい。

東座発行の上映予定作品ラインアップ