DVD名画劇場 デートリッヒ×スタンバーグ「嘆きの天使」「モロッコ」「上海特急」

今回はマレーネ・デートリッヒの初期の3作品を見た。
女優デートリッヒを世界的に有名にした作品群で、監督はいずれの作品もジョセフ・フォン・スタンバーグ。
この時期、デートリッヒの個人史も激動していた。

まずはスタンバーグ監督の紹介。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、両親とともに渡米後、さまざまな職を経たのち、1本の自主映画を製作。
その後、米映画最初のギャング物といわれる「暗黒街」(1927年)がヒットし、一躍スター監督となった。
ドイツで製作された「嘆きの天使」(1930年)の監督として招かれ、主役にデートリッヒを発掘。
パラマウントに招かれデートリッヒとともに渡米。
以降1935年までデートリッヒとのコンビで映画史に残る作品群を発表した。

全盛期のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督

「嘆きの天使」制作時、デートリッヒはすでに20代後半。
キャバレー歌手などを経て、舞台を中心に活動し、映画にも数本出ていた。
映画出演を機に監督助手と結婚し、一女の母親でもあった。

若きマレーネ・デートリッヒ

「嘆きの天使」 1930年  ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督  ドイツ

主人公の堅物教師がキャバレーの歌姫に魅入られて結婚。
ドサ周りの挙句落ちぶれて死ぬまでの物語。

歌姫役がなかなか決まらなかった。

スタンバーグはたまたまベルリンの舞台でデートリッヒを見て、歌姫ローラローラの配役を決めたという。
役を持ち掛けたスタンバーグに対するデートリッヒの反応は、私は写真写りがよくないんですよ、という冷ややかなものだったという。

ウーファ撮影所の当時最先端の技術を誇るスタッフ、ドイツ一の演技力を誇るエミール・ヤニングス(主人公の堅物教師役)、新進気鋭のスタンバーグ監督がそろったなかの最後のピース、退廃の歌姫・ローラローラの配役、が埋まった。

撮影が始まると、デートリッヒは妻、母として家事、育児をこなしながら撮影所に通った。

作品中、主人公の堅物教師と結婚して数年後、ドサ周り中のローラローラが普段着姿で家事をする場面がある。
普段着姿のがっしりした体形のデートリッヒはまさに堅実なドイツの主婦以外の何物でもなく見えた。

ただ、ひとたびローラローラの衣装に身を包んだデートリッヒは、煽情的なポーズをいとわず、退廃的な歌詞を、まだ若く高い声に乗せて歌った。
それは舞台を眺める堅物教師や、ギムナジウムの悪ガキどもに限らず、スクリーンの前の全世界の観客の目をくぎ付けにした。
今に至る伝説の女優マレーネ・デートリッヒ誕生の瞬間だった。

それにしても、場末の町の片隅の安キャバレーの舞台づくりよ!
当時のドイツ片田舎の場末の匂いと喧騒と退廃が今によみがえるよう。

その舞台では歌うローラローラの周りを女が取り囲み、客の指名を待つかのように、ビールを回し飲みしている。
当時のドイツの庶民の享楽を十分に想像させる舞台設定だ。

ローラローラはストッキングとガーターもあらわに椅子にそっくり返り、あるいはホットパンツのような格好で歩き回って客を煽情する。

堅物教師がいなくなった後の舞台シーンでは、椅子の背もたれをまたぐように足を開いて歌う。
このポーズは「キャバレー」(1972年)のライザ・ミネリにまで引き継がれている、場末の歌姫の〈決め〉のポーズでもある。

決して確信的な悪女ではなく、堅気の人間とは生まれた世界が異なり、金しか信じられるものがない芸人をデートリッヒは演じ切る。

ローラ・ローラの背後に女が並ぶキャバレーの舞台場面
DVDパッケージ裏面

安キャバレーの舞台、楽屋のセットは猥雑さにあふれ、そこに至る夜の下町のセットは、表現主義時代からのドイツ映画の伝統にを感じさせるように重厚で、陰影に満ちている。
これが戦前のウーファ撮影所のスタッフの技量であろうか。

「嘆きの天使」が後世に残したものはデートリッヒの誕生のほかに、ドイツの映画製作所の水準の高さがあった。

「モロッコ」 1930年  ジョセフ・フォン・スタンバーク監督  パラマウント

パラマウントは、「嘆きの天使」のアメリカ公開を1931年1月まで延期させ、その間にデートリッヒ、スタンバークによるハリウッド第一作「モロッコ」を撮影し、公開させた。
「嘆きの天使」の悪女ぶりを、「モロッコ」により弱めさせ、デートリッヒのイメージをアメリカ中産階級向けにアレンジするためという。

デートリッヒ個人は、夫と娘を残しての渡米を悩むが、むしろ夫が渡米を進めての決断だったという。

デートリッヒはスクリーン上のイメージと異なり、渡米後もたびたびベルリンへ帰ったりまた帰ろうとした。
娘をアメリカに連れて一緒に暮らし、夫や実母、実姉をアメリカに連れてゆこうとした。

「モロッコ」はパラマウントが、MGMのグレタ・ガルボに対抗してデートリッヒを売り出そうとしての第一作。
相手役に当代一の色男、ゲーリー・クーパーを持ってきたわけでもある。

このクーパー、田舎の消防団一の男前、といった感じで、ヨーロッパの歴史を背負うデートリッヒには文化的に対抗のしようもないが、これがアメリカ映画、文句を言ってもしょうがない。

スタンバーグのタッチなのか脚本のせいなのか、エキゾチックな舞台設定を生かし切ることなく、現地の欧米人たちの恋愛関係のドロドロにのみを粘っこく描いて映画が進む。

そういった中で、流れ者の歌姫、デートリッヒのステージシーンは一服の清涼。
この作品ではタキシードの男装姿を披露。
歌姫が男装で歌う、という、ひとつの〈定番〉の先鞭をつける。

男装のデートリッヒ
クーパーとデートリッヒ

ラストでハイヒールを脱いだデートリッヒが、クーパーらの外人部隊の後を追うが、フランスではこのシーンに失笑が起こったという。
熱い砂漠をはだしで歩けるか!ということだろうが、デートリッヒは単独ではなく、部隊について歩く女たち、いわゆる後衛部隊に合流していき、女たちが連れている山羊の手綱を持って歩き始めたのだった。

この後衛部隊、軍隊にはつきもので、日本軍にも民間の業者が女とともに同行し、駐屯地で慰安所などを開業した。
軍隊は何といっても当該国随一の官僚組織であり企業なので予算は潤沢、倒産の心配もなく、確実な取引先だったのだから各業者がぶら下がり群がるのは当然だった。

この時代にもそういったものがあったということだろう。

ロバに荷を積み、山羊を引っ張りながらよたよたついてゆく女たちの姿が哀れだが、何とも言えぬリアルな異国情緒を誘う場面でもある。

伝説のラストシーン
DVDパッケージ裏面

「モロッコ」撮影後、デートリッヒは家族の待つベルリンへ帰宅。
娘を連れてハリウッドへ戻る。
夫はドイツに残った。

「上海特急」 1932年 ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督 パラマウント

ハリウッドで娘と暮らしながらデートリッヒが撮った作品。

ハリウッド第3作。
舞台を混乱の中国に移してのエキゾチック路線。
デートリッヒの役柄も植民地を流れる訳あり玄人女。
謎めいて冷ややかな外見だが、内心は愛する男に純情を貫く役柄。
今回はステージシーンはなし。

戦前の中国。
北京から上海への特急列車の一等室が舞台。
植民地に巣食う列強の出身者の乗客の中に、デートリッヒ扮する流れ者の白人女とさらに謎めいた中国女(アンナ・メイ・ウオン)が加わる。
彼らが革命軍が策動する中国内戦に巻き込まれ、デートリッヒはかつて愛した英国人医師と偶然再会し・・・。

ステージシーンがない分、贅を凝らしたファッションでスタンバーグはデートリッヒを映す。
巻頭のアイ・ヴェールをかけた艶姿。
恋人との再会ではその軍帽を取って斜めにかぶって見せる。

ファッションを見せるだけではなく、スリリングなシーンでは大股で歩き、愛人を助けようと行動する。
肩幅の広い姿で、大股に動く場面では、「嘆きの天使」での普段着で家事を行う場面同様、ドイツ女性としてのデートリッヒの素に近いものが見える?

この作品の後、デートリッヒは夫に手紙を書き、娘とともにベルリンに一時帰国する旨連絡する。
夫は帰国するのは危険だと返事する。

デートリッヒが、愛するドイツ、ベルリンへ帰ることができたのは(公には)1960年になってからだったという。

DVDパッケージ裏面

モモとネクタリンを加工

夏は信州の農産物、特に果物が集中して出荷される季節。
6月下旬のアンズに始まって、プラム、プルーン、ブルーベリー、モモ、ネクタリン、ワッサー(モモとネクタリンの掛け合わせ)など。
秋にかけては、イチジク、ナシ、ブドウが出てリンゴが収穫される頃になるとシーズンの終了です。

どれも産地特有のおいしさがあります。
盛りの安い時に仕入れて、ジャムなどに加工するのが毎年の楽しみです。

最近では山小舎特製のジャム類の評判も良く、この前泊って行った来客にお土産で持たせたプラムのジャムが美味しかったとの反応もありました。

モモのコンポートづくり

実は長野県は全国有数のモモの産地でもあります。
長野市周辺の川中島が有名な産地ですが、各地の直売所などへ行くと、地元産のモモが売られています。

今回は上田市丸子地区の直売所で5個400円で売られていたモモをゲット。
コンポートにしてみました。

半分に切り、種を取って皮をむきます。
よく熟れています。

水に砂糖を溶かし、白ワインとレモンを少々。
砂糖が溶けたころに切ったモモを加えて30分ほど煮ます。

熱いうちに煮沸した瓶に詰め、蓋を軽く締めてから再び煮沸して蓋をきつく締めます。

余ったシロップは寒天に溶かすとフルーツ寒天ができます。
夏の特産品が一つ完成です。

ネクタリンのジャム

モモやネクタリンなどは、地元のスーパー、直売所などでは箱で売られています。
出盛りの時期を狙って買います。
完熟していて、値段も安い品物が手に入ります。
今回は長和町の道の駅で、ひと箱900円ほどで売られていたネクタリンを手に入れました。

生食でも十分おいしそうなネクタリンを煮てしまいます。

皮をむいて、実をカットし砂糖と一緒に煮ます。
思いのほか実が煮崩れしませんが、とろみがついたころで切り上げます。

季節の果物のジャムは風味がよく、短い夏の贈り物として1年間楽しみます。

布団干し

夏の来客が使った布団を干します。

シーツ、布団カバー、タオルケット、枕カバーは洗って干しておきました。
外で乾ききらないときはストーブを焚いて乾かしました。
御盆に北海道に帰ったりしていたので、布団干しは帰って来てからとなりました。

山小舎の夏は北海道同様、お盆までです。
8月下旬になると秋風が吹いてきます。
日中は暑くても日暮れとともに、外気が寒いくらいになります。

今日は天気予報も晴れです。
軽トラの荷台も利用して干します。
二階で使った布団は二階で干します。

秋晴れの空。
薪も乾燥の稼ぎ時です。

DVD名画劇場 エリッヒ・フォン・シュトロハイムとは何者?

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、エリッヒ・フォン・シュトロハイムは渡米後、ハリウッドで5本のサイレント映画を監督した。

自称、貴族の出でオーストリアの士官学校出身。
実際の経歴は帽子職人の家に生まれ、商業学校卒業後に帽子職人となり、陸軍入隊後除隊し渡米というもの。

渡米後はハリウッドで端役、監督助手などを経て、ユニバーサルのタイクーン、カール・レムルに自ら売り込み、「アルプス颪」(1919年)で監督デビューした。

以降4本の作品を監督するが、予算と時間を超過することが当たり前で、完成作品は数時間の長尺となり、カットを要求する会社側といちいち衝突した。
それでも作品がヒットし、製作費を回収することができたので、1925年までは映画を監督することができた。

自作を演出するシュトロハイム

その後はハリウッドはおろか、シュトロハイムを監督で起用する場所は世界中になく、個性派俳優として活躍した。

「大いなる幻影」(1937年)で、シュトロハイムを俳優として起用したフランス映画の名匠ジャン・ルノアールは、シュトロハイムについて、「この巨人に対する私の傾倒ときたら絶対的なものだった」「私が映画をやるようになったのも、元はといえばシュトロハイムが”作家”として作った映画に夢中になったということがひとつあったほどなのだ」(「ジャン・ルノワール自伝」みすず書房P205)と述べ、シュトロハイムの監督としての作家性を評価している。

「愚なる妻」 1922年 エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 ユニバーサル

DVD版では本編の前にシュトロハイムの撮影シーンと、豪華なモンテカルロのカジノの大セットが映しだされる。
ナレーションが被って、この作品がいかに豪華なセットを作り、ヨーロッパ製の車を輸入して使ったか、を観るものに伝える。
金のかかるシュトロハイム作品の逆手を取って、プロデユーサーがその贅沢な撮影ぶりを宣伝材料にしたということが今に伝わる。

本編が始まる。
数階建ての威容を誇るモンテカルロカジノの建物のセット。
騎馬兵の一団が駆け抜け、当時の高級車両が走り回る。
エキストラは数百人の規模であろう。

公使夫人に迫るシュトロハイム

主演はシュトロハイムその人。
白を基調にしたヨーロッパ高級将校の軍服に身を固め、軍帽を斜めにかぶって、片眼鏡をはめた姿が決まる。

インチキ、偽善、詐欺師、好色、吝嗇、クズ、人でなし、小人物・・・。
これら全部に最大級の形容詞を被せたような人物をシュトロハイムが演じる。

シュトロハイムはこの主人公を気持ちよさそうに演じており、自己陶酔をさえ感じさせる。
登場人物と実物のキャラが被っているようにさえ見える。

高級将校の衣装姿のシュトロハイム。絶好調だ!

主人公は、偽札を作らせて暮らしを立てている素性卑しい偽高級将校。
女とみれば卑しい笑いを浮かべて近づく。

12歳から20年仕えているメイドにも手を付けており、「いつ結婚してくださるの?」と迫られるたびに作り笑いでごまかしている。

モナコ大公に信任状を持ってきたアメリカ公使夫人に目をつけ、だまして金を引こうと近づき、手練手管を弄する。夫人は軍服姿も決まっている主人公にメロメロとなる。

主人公は夫人にカジノで大勝ちさせ、だまして金を引く。

並行して、だまし続けているメイドからは、20年間でためた2000フランをだまし取る。

すべてがばれて夜逃げの際に、偽札職人の娘を思い出し、寝室に忍び込んで親父に殺される。
マンホールに捨てられる際のシュトロハイムの死に顔には卑しい笑顔が浮かんだままだった。

DVDパッケージ裏面。卑しい笑顔でメイドをだますシュトロハイム。メイド役の女優は「グリード」にも出演

圧倒的にシュトロハイムの演技に目がいく。
ナルシステイックな軍服姿と大見えを切った表情が目を引くが、よく見ると小柄で、歩く後ろ姿に品がない。

それは卑しいキャラを意識した演技なのか、それとも地が出たものなのか。
このあたりの浅薄さ、作り物めいたところが、後年のシュトロハイム演じる様々な、インチキめいた怪しいキャラクターの源流となっているのだろう。

シュトロハイムはこの作品で、インチキ将校にコロリと騙されれる公使夫人やメイドの姿を通して、悪意に対する善意の弱さ、愚かさを描いたのかもしれない。
悪意の象徴としてのインチキ将校の、滑稽さ、弱さ、愚かさ、もまた、監督シュトロハイム自身により、徹底して表現されていたが。

「グリード」 1924年 エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 MGM

ユニバーサルを放逐され、(物好きな)MGMに拾われたシュトロハイムのハリウッド4作目の作品。

シュトロハイムは出ていない。
それゆえだろうか、「愚なる妻」に漂うブラックユーモア感はなく、ひたすら冷酷で突き放したトーンの作品となっている。

幸福な新婚時代の主人公と妻

少々要領は悪いがおおらかで性格の良い主人公。
金鉱堀の仕事から、母の元を離れてモグリの歯医者の弟子となる。
のちにサンフランシスコで開業していた時に運命の女と出会う。
友人の女だったがひとめぼれ、友人から彼女を譲ってもらい婚約する。

結婚式を行うが、窓の外を葬列が通る。
強烈にブラックな伏線となる。
こういった笑えないブラックユーモアはシュトロハイム作品に時折みられる。

結婚の前後に女が宝くじに当たる。
5000ドル。

女は結婚を境にゴールドに魅せられ、夫を支配する恐妻となる。
最初はおおらかだった主人公も、次第に我慢できなくなる。
折から歯医者の無免許が当局にばれて廃業となり、経済的にどん底に落ちる。
女を譲ってくれた親友も急に性格が悪くなり、サンフランシスコから姿を消す。

最後は灼熱の死の谷に逃げ込んだ主人公。
妻とは離婚し、また自ら決着をつけている。
主人公を追うかつての親友・・・。

ゴールド、宝くじといったわかりやすい富の象徴は「愚なる妻」の偽札、カジノ同様、シュトロハイムの執着する小道具だ。
その小道具に操られて簡単にキャラクターが変わる妻や友人はシュトロハイムが冷徹、皮肉に見つめる人間像か。
してみると最後までおっとりした、善意のキャラクターを通した主人公は、善意や人知の象徴なのか。
最後は死の谷で、死んだ友人と手錠でつながれ死を待つ身となった主人公。
善意や人知は欲望の道連れとなって滅びる運命だということか。

妖精のようだった女が、ゴールドに狂い、口をゆがめる光景と、おおらかな主人公が打ちのめされてゆく光景。
悪い意味で忘れられない映画である。

ジャン・ルノアールは自伝に曰く。
「「グリード」こそは、まさにわが映画作家としての活動を導いてくれる旗印とも思っていたくらいだ。ところが我が偶像は現実に自分の目の前にいた。それも自分の映画(「大いなる幻影」)を演じる俳優として。だが、いかなる真実に満ちた信託を下してもらえるかと期待に胸を膨らませしていた私が見出したのは、なんと子供だましの常とう手段にどっぷり漬かった人物だったのだ。もちろん私にも、こうした陳腐な行き方も、シュトロハイムの手にかかると、まさに天才のひらめきを放つ効果を上げることはよく心得ていた。」(自伝 P205,206)

シュトロハイムの詐欺師性とインチキさと、だからこそそれらが効果的に発揮された時の天才ぶりを表した、ルノアールによる至言だと思う。

キャメラを前にポーズをとるシュトロハイム
フィルムを抱えるシュトロハイム

孫と過ごす夏

山小舎に3家族がやってきた後、娘と孫二人が残りました。

天候に恵まれた山小舎の夏を孫たちと過ごしました。

長和町を上田方面へ下ると、立岩という地区をとおります。
ここは和紙が名産だった場所で、立岩和紙の里という施設があります。
和紙の生産を行っていたという建物を増築して、修学旅行の小中学生の体験施設や、食堂、売店を含む施設となっています。

ここでは個人やファミリーでも和紙作りの体験ができます。
孫たちもうちわづくりを体験してきました。

うちわの骨組みに楮を溶かした液をかけ、それに絵を描きます。
何日かして乾けば出来上がりです。
この施設の前を通ると、よく修学生が作ったうちわが干してあります。

立岩和紙の里でうちわづくりを体験

また別の日は、茅野の隣の原村にある八ヶ岳自然文化園に行きました。
山小舎からは1時間かからずに行けます。

ここは幼児から小中学生をもつファミリー向けの施設です。
子供が乗りたがる大きな三輪車に乗ることができたり、建物の中にはプラネタリウムや昆虫館があります。

この日は、地元の縄文サークルが主催するワークショップが開かれていました。
出し物は、土器づくり、火おこし、木細工、絹糸でミサンガ編み、などです。

小学2年生の孫は、木細工、ミサンガ、土器(土鈴)をやっていましたが、単なる遊園地やハイキングより楽しそうでした。
下の孫は三輪車に夢中でした。

八ヶ岳自然文化園でのワークショップ

畑へも行って、トウモロコシなどを収穫。

畑でトマトなどを収穫

トウモロコシは娘が炊き込みご飯にしてくれました。

トウモロコシ炊き込みご飯

信州ソウルフード放浪記VOL.22 名物4種盛

先日の2家族来屋の折、ちょっとした悪戯メニューでお客さんを歓迎しました。

信州名物の4種盛合わせです。

内容は、イナゴ、カイコ、鯉、鮒。
それぞれ佃煮や甘露煮で調理されています。

どれも諏訪地方、上田地方の地元スーパーや直売所などで手に入る、現在も地域で食べられている食材です。

プレートに盛つけそれぞれに名札を付けました。

お客さんはそれぞれ、新潟、福島、徳島のご出身。
思ったより信州名物に対するガードは低く、むしろ「子供のころにイナゴを食用に採らされた」とか「イナゴは食べたことがある」などと食材に対する親和性の高さに驚かされました。
皆さん30歳台の若さにあって、です。

結局は、つまみ代わりに全種類箸をつけてもらえました。
山小舎への信州への好奇心と、フレンドシップに感謝です。

次回は、ハチの子、ザザムシなども用意して歓迎しましょうか。

大人7人、子供7人 大集合!

・・・が集合しました。

娘一家の社宅友達2家族が山小舎にやってきました。

彼らは、娘一家とは第一子誕生以来の付き合いで、社宅を出た後も、キャンプや引っ越し先の自宅などで集まっていたようです。
今年の夏も集まろう、という話になった時、山小舎ではどうか?となって、こちらに打診してきました。
もちろんOKを出しました。

八王子からひと家族、愛知県からひと家族がやってきました。
山小舎で前泊していた娘一家と山小舎おじさんを合わせて、大人7人、子供7人が大集合です。
こんなに大勢の人が山小舎にやってくるのも、家族以外の人が山小舎に泊まるのも初めてです。

グリルを出してバーベキューの準備をして待ちました。
子供たちには鉄板で焼きそばと、トウモロコシ、フランクフルトを外のグリルで焼きます。
大人用には信州豚、信州牛などを、居間でゆっくり炭火網焼きをする予定でした。

が、スタートが4時くらいと早かったのと、外があまりに気持ち良いので、大人用の炭火焼きも外のグリルでやりました。
やってきた2家族からは、ビールや日本酒、冷蔵焼鳥、果物などたくさんのお土産をいただきました。
飲み物は各自持参で、食材は割り勘がルールとのことです。

子供たちは幼馴染ということもあり、集合した瞬間から大爆発。
3人いる小学校2年生組を中心に、外から中から、1階から2階から、駆け回っての大騒ぎ。
焼きそばを頬張るのもものかわ、夜の花火、風呂、就寝までフル回転していました。

準備と段取りでフル回転したのは山小舎おじさん。
自分の子供の年齢の現役世代と飲んで話せるなんて、久しぶりのことで、アルコールが入るとボルテージはアップ。御前様寸前まで貴重な山小舎の夜を楽しませていただきました。

正直、準備が大変でしたが、年一回程度のお楽しみとしては大歓迎です。

来客準備おおわらわ 続き

来客準備の続きです。

外回りの草刈りをします。
今年二回目の草苅です。
玄関前の石段の雑草は手で抜きます。
とりあえず目につく場所だけの草を刈ります。
山小舎の裏側などは後回しです。

草刈り機を出して除草です

駐車場兼、作業場所を広くします。
薪は積込み、残った玉は端っこへ移動。
このスペースに2台縦列で止められるようにします。

作業台はバーベキュー台として山小舎の正面に移動です。

普段は丸太や薪が積まれている場所を空けて2台の駐車スペースにします
バーベキューグリルとテーブルを出しておきます

山小舎の内部については、床の拭き掃除をし、モノを片付けます。
風呂場、トイレ、台所も拭いておきます。
来客当日には、和室に布団も敷いておく予定です。

来客準備おおわらわ

8月上旬に娘一家が、友達家族らと一緒に山小舎にやってきます。
大人6人、子供7人の大部隊の来襲です。

山小舎おじさんは老骨に鞭打って準備します。

障子を張り替えました。

ついで、来客たちの寝室になる和室を整備します。
椅子や装飾品の物置にもなっていた和室から余計なものを移動撤去します。

10畳の和室のうち、たんすなどで使えない2畳分を除く8畳をフルに使えるようにしました。
天井や部屋の隅にはクモが巣を張っているので、はたきをかけます。
掃除機をかけた後、重曹水に浸した雑巾を固く絞り拭き掃除です。
天候の良い日には日中窓を開けて換気します。

和室の収納品を撤去し、掃除

大人数が宿泊するので布団を準備します。
マットレスは時々干してはいるものの、カバーはおそらく20年来洗ってないと思われるので、カバーを外して洗って干します。

マットレスカバーを洗濯

中味も干しておきます。
これでマットレス由来の埃臭さはなくいなります。

マットレスの中味も干干す

乾いたカバーを装着する際、カバーが破れてしまったものがあります。
経年劣化でカバーの布地が薄くなっていたのでした。
新しいマットレスカバーを買わなければなりません。

山小舎には布団だけは十分にあります。
二階の布団袋に入れたままだった、敷布団、掛布団を取り出して干します。
本来は年に一度、虫干ししなければならなかったので、いい機会です。

玄関のアプローチに敷かれたコンパネ。
クレオソートを塗装して防腐処理してはあったのですが、ここにきて塗装が薄くなっていました。
重ね塗りしておきます。
こうすれば、玄関の保全となるだけでなく、家の周りの〈手入れ感〉も出てきます。

玄関のアプローチに塗装を重ね塗り

駐車場兼作業場には丸太を切った、玉を山にしてあります。
来客時には計3台ほど車両が来ます。
ここに2台が縦列で止められたら?と思いました。

あと3日ほどで出来るだけ薪割りして、奥の作業テーブルはバーベキュー台として表に出せば、2台止められるかな?と思います。

残った玉を薪に割り、奥の作業台を移動すれば2台止まれるか?

DVD名画劇場 郵便配達は3度!ベルを鳴らす

ジェームス・ケイン原作の犯罪小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は4回映画化されている。
このうちDVDで鑑賞可能な3作品を見比べてみた。

題して、郵便配達は3度ベルを鳴らす!

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 1942年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督 イタリア

制作当時のイタリアを舞台に原作を大胆にアレンジしたヴィスコンテイのデビュー作。

主人公の流れ者が町の郊外のドライブインに流れ着く。
ドライブインのキッチンを覗くと、マスターの若い妻が調理台に足を開いて腰掛け、その足をばたばたさせている。

続いてヴィスコンテイは、画面半分に主人公の姿を映し、残り半分の画面で、調理台に座った若妻の足だけを捉える。
一瞬にして男女が惹かれ合うどうしょうもなさを、これ以上なく上手にワンカットで表したシーン。

主人公の二人

流れ者と若い妻は同じ〈人種〉。
片や、ずっと働き詰めで「まともな会話を人としたことがなかった」と流れ者が回想すれば、若い妻は「身寄りがなくて、いろんな人が通り過ぎて行った」。

若い妻は、年寄りの夫に拾われ、場末のドライブインで働く現在の境遇が、いわば〈最後にたどりついたまともな生活〉だとわかっている。

二人は簡単に結びつき、駆け落ちしかけるが、女は戻る。

男は再び一人で流れようとするが、一文無し。
汽車で無賃乗車が見つかった時に、一人の男が助けてくれる。

この男のエピソードは原作にはないものだろう。
大道香具師をしながら旅を続ける男。
吟遊詩人であり、フーテンであり、ヒッピーであるこの人物は、主人公の救いの神であり、内在する良心の化身でもあった。

二人はしばらく旅を続けるが、旅先でドライブイン夫妻と再会し、主人公は再び悪夢の世界へと舞い戻ってゆく。
悪夢に気が付いた主人公の懇願の声に決して振り向かず、救いの神は去ってゆく。

男女がドライブインの経営者である夫を交通事故を装って殺してからは、男が罪の意識におののくのに対し、女はひとたび舵を切った悪夢の世界に開き直るように迷いがなくなる。
悪夢の現実に開き直る女から逃げようとする男が町に出て若い女をひっかける。

ダンサーをしているというその女は、自室に男を連れ込むと迷うことなく服を脱ぎ始める。
貧しい普通の娘である。
イタリアのこの当時の世相の一つなのだろう。

社会の困窮を表した場面だが、ここも原作にはなく、イタリア版オリジナルのエピソードと思われ、ひたすら哀しい。

エプロンをかけ、安っぽいワンピースをひらひらさせるクララ・カラマーイが素晴らしい。
のちにベテラン俳優として活躍する、マッシモ・ジロッテイは、いつも汗じみたランニングシャツによれよれのズボン姿。
同類としてのみじめさと、当時のイタリア社会の庶民の貧しい暮らしが凝縮された、二人の衣装。

底辺の人間同士が犯罪を通してやっと確認できた自己のアイデンティティー。
時すでに遅く、吟遊詩人と、若いダンサーからの〈救い〉は主人公に届かなかった。

DVDパッケージ裏面

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1946年 ティ・ガーネット監督

DVDでは見ていなく、何年か前に渋谷シネマヴェーラのフィルムノワール特集で観た。

ほぼ原作通りと思われる映画化で、男女の結びつきから発生する犯罪が露見するまでが描かれる。

この映画のイメージを端的に表すポスター

何といってもドライブインの若妻を演じるラナ・ターナーの存在感が圧倒的で、場末のドライブインのキッチンへ、パリっとした白いショートパンツ姿で登場するシーンが映画のハイライト。

〈白〉はファムファタルとしてのラナ・ターナーの象徴となり、のちに「白いドレスの女」でキャスリーン・ターナーに引き継がれた。
この映画でラナ・ターナーは生活感がなく、いつも仕立ての良い衣装に身を包む。

白はラナ・ターナーの色(登場シーンより)

作品は、当時ハリウッドで流行っていた、犯罪映画(運命の女=ファムファタルが男を破滅させるもの)の一環として作成され、のちにフィルムノワールと呼ばれるジャンルを踏襲した作品に仕上がっている。

流れ者役のジョン・ガーフィールドは舞台出身のユダヤ人俳優で、のちに赤狩りの犠牲者となり心臓発作で死んだ。
その先入観があるせいか、彼が演じた流れ者には、単なる粗暴な流れ者としてばかりではなく、社会の犠牲者としての痛々しさを感じた。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1981年 ボブ・ラフェルソン監督 パラマウント

真新しく、生活感のない上着に身を包んだジャック・ニコルソンが場末のドライブインで、魅力的な若妻ジェシカ・ラングに迫る。
若妻は正体不明の流れ者を最初は激しく拒絶する。
ラナ・ターナーに敬意を表してか白を基調とした新品の衣装に身を包むジェシカ・ラング。

全編にわたり好演を見せるジェシカ・ラングだが、彼女の正体というか背景が描かれないのが物足りなかった。
ニコルソンも常にこぎれいな衣装に身を包み、社会の底辺を歩いてきたという設定ながら、金持ちの親元から家出してさ迷っている〈遅れてきた反抗中年〉のように見えてしょうがない。

主人公二人の背景描写に代わって、この作品が注力するのはドライブインの親父の出自。
ギリシャ移民の親父はギリシャ語を妻に教えようとし、移民仲間をパーテイーに呼ぶ。

ギリシャ移民がアメリカ社会の底辺である、という意味なのか?
それとも、この時代には必須となっていたマイノリテイーに対する過剰な配慮の結果なのか?
それとも、マイノリテイーの味方であることに自己満足したい作り手の〈意識の高さ〉のなせる業か?

主人公の女についてはその背景の描きが不足していたこと、男については配役そのものが(ニコルソンに〈色〉が付きすぎていたことも含め)不満の映画だった。
ジェシカ・ラングはおそらくキャリア中出色の演技だったと思う。

まとめ

主演女優については、総合第一位がクララ・カラマーイ。敢闘賞がジェシカ・ラング。別格で存在そのものがファムファタルで賞がラナ・ターナー。

主演男優は、マッシモ・ジロッテイとジョー・ガーフィールドがそれぞれ敢闘賞。ジャック・ニコルソンは選外。

作品そのものについては、ヴィスコンテイ版、ガーネット版、ラフェルソン版の順番、でしょうか。