1951,2年の「映画の友」とパトリシア・ニール

手許に雑誌「映画の友」の1951年3月号と1952年10月号があります。
それぞれ表紙がキャサリン・ヘプバーン、エヴァ・ガードナーです。
雑誌の傷み具合にも年季が入っており、後者の号は裏表紙が取れています。

「映画の友」1951年3月号
「映画の友」1952年10月号

パトリシア・ニールは50年代にかけて活躍した女優です。
自伝「真実」を読み、また「摩天楼」(1948年)、「地球の静止する日」(1951年)、「ハッド」(1963年)などの出演作品を見てきました。

彼女は日本との関係も深く、朝鮮戦争の米軍慰問などで来日の折、「映画の友」編集者の淀川長治氏らと面談し、また氏がハリウッドに出張の折にはスタジオで再会してランチを共にするなどしています。
「映画の友」1951年5月号では表紙を飾ってもおり、日本での人気を物語っています。

「映画の友」1951年3月号のパトリシア・ニール

新作紹介のグラビアで、パトリシア・ニールの映画3作目の「命ある限り」(1949年 ヴィンセント・シャーマン監督)が掲載されています。
個別の新作グラビアでは「1ダースなら安くなる」(1950年 ウオルター・ラング監督 マーナ・ロイ出演)やケイリー・グラント主演の「気まぐれ天使」、グリア・ガースン主演の「塵の中の花」(1941年 マービン・ルロイ監督)を押さえてのトップ掲載です。

パトリシア・ニール第三作。ワーナー映画「命ある限り」
「命ある限り」。ビルマ戦線の野戦病院が舞台。共演ロナルド・レーガン

同紙34頁には、洋画評論家界の重鎮・双葉十三郎氏の「アメリカ映画散歩(3)」が掲載。
パトリシア・ニールのことが紹介されています。
その中で氏は「摩天楼」を見てパットに夢中になったと書いています。

『ロングスカートでの立ち姿、身のこなしは、キャサリン・ヘプバーンの初期と同様の美しさで、歩く姿はWalkではなくSailである』と激賞しています。
盟友の野口久光氏も同感で、ワーナーブラザースはもうベテイ・デイビスなどいらんねとおっしゃった、とも書いています。

双葉十三郎の連載「アメリカ映画漫歩」。トップがゲーリー・クーパー。パットとの縁を感じる
「アメリカ映画漫歩」のパットに関する記述の一部

また、48ページから51ページには「四大監督を語る座談会」という記事があります。
ワイラーの「西部の男」、フォードの「わが谷は緑成りき」、ルビッチの「小間使」、キング・ヴィドアの「摩天楼」の四大監督作品を語る座談会です。
出席は南部圭之介、植草甚一、双葉十三郎、上野一郎、野口久光という伝説の大御所映画評論家たち。
司会は我らが淀長さんです。

記事では1ページ以上に渡って「摩天楼」が語られています。

座談会では原作者が右翼的思想の持ち主であることにも触れ、『だから個人(の自由)を守るところから国家が生まれるという風な思想が匂っている』という意見がでたものの、『(個人の最大限の自由の尊重という)ああいう人間の在り方を見極めようとする精神を貫くところがいい』と、作品のポリシーをたたえています。

『シンボリックな劇なんですね』と、極端に走る登場人物の描き方への理解も示しています。
『あの光と影の巧みさはどう!』とヴィドア監督のテクニックへの賛美も。

予備知識なしで今見るとトンデモ映画に見える本作ですが、シンボリックな映画として見ればわかりやすいかも、ですね。
結論は右翼的、新自由的な力の勝利を謳う作品ではあるのですが。

本号には座談会とは別にパトリシア・ニールの紹介記事も掲載されていた

パトリシア・ニールについては、双葉、野口の両氏の賛美発言のほかに南部氏が『パトリシアは令嬢の味を見事に出しちゃった』とほめていました。

いずれにせよ「摩天楼」を、シンボリックな登場人物を斬新なテクニックで処理した作品、と作品の骨格を喝破しているところに、わがレジェンド評論家陣の知的レベルの高さを知る座談会です。

「映画の友」1952年10月号のパトリシア・ニール

カラー口絵は「静かなる男」のジョン・ウエインとモーリン・オハラ。
ついでエスター・ウイリアムスと、なんと!シェリー・ウインタースのカラーグラビアが載っている本号です。

モノクログラビアのトップが「東京のパトリシア・ニールさん」。
朝鮮戦争慰問の際に東京に立ち寄ったパトリシアの特写記事です。
歓迎の花束と「映画の友」誌をもって駆け付けた淀長さんと小森のあばちゃまの姿も写っています。

mももnものものkものくものくrものくろモノクロモノクモノモ
パトリシア・ニールを囲む若き日の淀川長春と小森和子

グラビア欄で紹介の新作は「陽の当たる場所」(ジョージ・ステーブンス監督)、「肉体の悪魔」(クロード・オータン=ララ監督)、「ミラノの奇跡」(ヴィットリオ・デ=シーカ監督)など。
今に残る名作群が新作紹介されています。

パトリシア・ニールの来朝記事は116ページから、淀長さんの担当です。
1952年8月に朝鮮慰問から東京の第一ホテルに戻ったパトリシアと面談した淀長さんと小森のおばちゃま。
淀長さんにとっては三度目のパトリシア。
1949年に東京で、1951年に20世紀フォックススタジオの食堂でに続く面談です。

ハリウッドでの面談はパトリシアからの招待。
今回も朝鮮から戻ったパトリシアが淀長さんあての手紙に寄って実現したもの。
パトリシアの飾らぬ人柄と淀長さんとの縁を感じることができます。

淀長さんからハリウッドであった時のお礼には『少し太りましたね』と返し、フォックスのごちそうのせいですと淀長さんが返せば手を振って笑うパトリシア。
おばちゃまからの問いには『以前から日本が好きで一度来たかったんです。日本のお座敷に靴を脱いで上がると、いかにも疲れが取れて楽々としています』と日本を礼賛。

うん?彼女が初来日だとすると淀長さんの本の、1949年に日本で面談というのは記憶違い?
また1951年にハリウッドで「再開」を喜び合ったという記載は?
わたしにはよくわかりません。

来日時、すでにワーナーブラザースを解雇され、20世紀フォックスに移り3本契約をこなしていた頃のパトリシア。ゲーリー・クーパーの恋に破れ、堕胎し、ハリウッドに見切りをつけていたころです。
そういったことをおくびにも出さず淀長さんと談笑しているパトリシア・ニールのサービス精神と芸人根性に素直に脱帽です。
また、1951年ころの日本の映画評論界における彼女の人気ぶりに驚きました。
玄人受けする女優さんなんですね。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 渡辺祐介と緑魔子

ラピュタ阿佐ヶ谷で、渡辺祐介監督、緑魔子主演の2作品を見た。

手許に国書刊行会発行の映画雑誌「映画論叢27号」(2011年発行)がある。
ラピュタのロビーで展示発売していたものだ。
緑魔子のインタヴュー記事が載っていた。

「渡辺祐介監督だけを見て、体当たりでぶつかっていきました」と題するインタヴューは、1944年生まれの緑が実年齢67歳のころのもの。
芸能界に入った頃のことから、東映での映画デヴューに至るまでの時期を中心に語られている。

貴重なオフショット。渡辺監督の人柄、女優陣との信頼関係がうかがえるようだ

(以下、抜粋・要約)
・東宝ニューフェイスとして芸能界入り。
当初はテレビ部に所属し、芸術座、NHK演劇研究所などで研修。

・ある日新宿でスカウトされ、撮った写真が、渡辺祐介監督の目に留まり「二匹の牝犬」の妹役としてカメラテストを受けた。
芸名の緑魔子は渡辺監督の命名。

・「二匹の牝犬」出演に当たっては、渡辺監督が「全部僕の言うままに動いて」との言葉通りに動いた。
監督さんの方だけ見て、体当たりでぶつかっていった。
監督が「君が持っている力が100だとしたら120出たよ」と言ってくれた。

・(共演の)小川真由美はすごい美人でやはり「違うなあ」と思った。
やさしくてお姉さんみたいな感じ。今でも「お姉さん」と勝手に思っている。

・契約は(東映との)専属で1年契約。
本数契約。「二匹の牝犬」のギャラは5万円。

・「二匹の牝犬」はヒットして何週も続映したのに(私自身は)東映ではあまり大事にされなかった。

・「非行少女ヨーコ」で共演した梅宮辰夫はヤクザっぽくて怖かったけど、共演の女性にコナをかけるような人ではなかった。

・渡辺監督以外で心に残っているのは関川英雄監督。
居酒屋でロケの出待ちをしているときに、関川監督が熱燗を頼んでくれて「あったまるから少しならいいよ、飲みなさい」と言ってくれた。
優しい人でした。

勝手な引用が長くなったが、渡辺祐介監督との信頼関係、他の役者たちとのほんわかした交流、当時の大泉撮影所での撮影風景が再現されたかのようなインタビューとなっている。
何より緑魔子本人の飾らない人の好さ、子供のような感性がよく出ている。

作品がヒットしても東映では大事にされなかったとか、梅宮辰夫に迫られなかったとか、映画撮影所の世界に染まり切らない緑魔子の人間性が感じられる。

「二匹の牝犬」 1964年  渡辺祐介監督  東映

1960年代の東映大泉撮影所。

当時の監督陣は佐伯清、小林恒夫、村山新治、石井輝夫、関川秀雄、瀬川昌治、渡辺祐介、家城巳代治など群雄割拠の実力派メンバーがそろっていた。
東映発足当時に、今井正や関川秀雄を起用して「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」を企画しヒットさせた大泉撮影所が集めそうな、右から左までを網羅した顔ぶれ。
天下の東宝、松竹のレッドパージ組の関川秀雄、家城巳代治の両巨匠組から、倒産した新東宝からの横滑り組の石井輝夫、瀬川昌治、渡辺祐介まで、一筋御縄ではゆかない面々である。

東映に助監督で採用された、佐藤純也、深作欣二、降旗康男などが監督に昇進し、大泉撮影所の主力となるのは60年代中盤以降のこと。
佐藤、深作らの手堅く斬新な作風に、家城巳代治や関川秀雄ら他社出身の実力派監督が与えた影響はいかばかりだったろうか。

「二匹の牝犬」は新東宝で3本ほど撮り、1961年に東映に移籍した渡辺祐介が監督したオリジナル作品。

渡辺は東映在籍中の1962年から1967年の間に十数本の現代劇を撮っている。
主には京都撮影所で製作される時代劇の併映用のモノクロ作品が多かったが、その中では1964年の「二匹の牝犬」「悪女」「牝」の3本が特筆される。
前2作は主役に小川真由美を起用、また全3作に新人緑魔子を抜擢、現代における女性性の根本に迫る作品となった。

東映を離れてからの渡辺監督は、東宝や松竹でドリフターズものを十数本撮った後、松竹、東映でのピンクがかったコメデイをコンスタントに発表。
1970年代に入って「必殺仕掛人」シリーズや「刑事物語」シリーズも手掛けている。

何でも屋の職人監督然とした経歴だが、これだけ途切れなく監督のオファーが続いたのは、商品映画の作家としての腕が確かだったことと、製作サイド(およびキャスト)とのトラブルがなく、業界的に信用されていたからだったからだ。
渡辺監督の人間性が浮かび上がる経歴である。

出身母体の新東宝が倒産する前に、大蔵貢体制時代に監督昇進し、移籍した東映では、映画量産時代を背景に、併映用作品ばかりとはいえコンスタントに映画を撮れたことも幸運だった。
60年代中盤の大泉撮影所では、題名さえどぎついものにして居れば内容を自由に撮れたともいう(ヒットしなかった場合などの結果責任は撮影所長から厳しく追及されるのは自明だが)。


1958年の売春防止法施行日の赤線街から話がスタートする「二匹の牝犬」。
1927年生まれの渡辺監督にとっては赤線の存在はあるいは身近なものだったはず、法律の施行に伴い、店を出てゆかざるを得ない女たちのやるせなさが漂うプロローグが印象に残る。

オリジナルポスター。重要なわき役の若水ヤエ子の名前が載っていないのは如何。

撮影所長の岡田茂から、「ノースターで女を描いてみろ」といわれ、文学座の小川真由美と新人緑魔子をキャステイングした渡辺監督。
小川のキャステイングはテレビ番組の悪女役で好評だったから、また新人・緑については眼が気に入ったからだった。
劇団の資金難から文学座の俳優が多数出演したが(北村和夫、宮口精二、岸田森など)、むしろ印象に残るのは渡辺監督御贔屓だという若水ヤエ子に加え、東映所属の宮園順子らトルコ嬢役の女優たち。

千葉の漁村出身で赤線廃止のときに店に流れ着き、女将の言うままにトルコ嬢として売れっ子になり、収入を株で運用する主人公(小川)と株屋の担当社員(杉浦直樹)がメインキャスト。

主人公の夢は貯めた200万円を元手に美容院を経営すること。
その主人公のアパートに千葉から家出してきた腹違いの妹(緑)が闖入する。
調子がいいだけの株屋(杉浦)が無節操な欲望のままに姉妹に絡む・・・。

主人公の棲む世界は、トルコ風呂とみすぼらしいアパートを結ぶ線上にある。
トルコ嬢の控室には下着姿の女たちがタバコを吸い、ラーメンをすすり、花札をしている。
売れっ子の主人公はヒョウ柄の派手な水着姿で客を選別するなどやりたい放題。
トルコ嬢たちはぎすぎすした感じはなく、ワイワイ賑やか。
年増の若水ヤエ子を立て乍ら、時には社員旅行で箱根まで行ったりする、「昭和の距離感」。

主人公の棲むアパートは、風呂はなくトイレ、洗濯場は共用?だが、主人公は隣近所に愛想がよい。
主人公が育った昔ながらのコミュニテイをおもわせる。

渡辺監督の女性陣に対する視線は優しい。
一見、非人間的に金に執着しているように見える主人公は周りに愛想がいい古いタイプの人間として描いている。
だからこそ株屋(杉浦)のいい加減さと裏切りが許せない。

トルコ嬢たちの人間味あふれる描写にも監督の温かい目が注がれている。
ところが緑魔子にだけは監督の突き放した視線が注がれる。
突き放したうえで、その新人類的なキャラに興味津々に注がれる視線が。

緑魔子がフレッシュだ。
20歳の締まった体。
開き直った時の座った眼。
一度聴いたら忘れられない甘ったるい声。
すっかり参ってしまう株屋(杉浦)の気持ちもわかる。

緑魔子の出現は、のちの桃井かおり、秋吉久美子らの路線の原典となった。
この3人の中では緑魔子が一番いい。
緑魔子は年をとったら北林谷栄になりうる素質がある、あとの二人には無理だ。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲示された作品のプレスシートより。劇場向けの宣伝文句が並ぶ
同上。タイトルデザインなどが列挙されている

地方出身の姉妹が東京で再開し、傷つけあうという「二匹の牝犬」の物語の骨格は、同じく東映の「天使の欲望」(1979年 関本郁夫監督)を思い出させる。
「天使の欲望」の姉役・結城しのぶは清楚な美人がはまり役の女優だったが、本作では悪女役を体当たりで熱演。
美形の悪女で低い声、というところが小川真由美に似ているといえば似ている。

調子がいいだけの株屋を演じた杉浦直樹は、とぼけた表情が18番で相変わらずの演技だったが、最後主人公にとどめを刺されて目を見開いて這ってゆく断末魔の姿には妙に迫力があった。

小川真由美は適役で存在感はさすがだが、すごんだり、捨て台詞を吐く演技はすでに見慣れた感じで新鮮味がなく、むしろ株屋(杉浦)を刺した後の、影を生かしたライテイングに浮かぶ表情がハッとするほど記憶に残った。
けれんみたっぷりの演出に劇的な演技で応えて活きる女優さんなのかもしれない。

オリジナルポスター。この版には若水ヤエ子は載っている

作品を通して、東映らしいヤクザでマッチョな男優の姿がなく、どこか新東宝的な「安易で雑多で庶民的」なムードも漂い、何より若い二人の女優たちが懸命に演技する姿は「悪女」というより女性というものの人間性を感じさせた。
渡辺監督が描きたかったのは、底辺に生きる人間性たっぷりでエネルギッシュな女性像だったのだろう。
同時に新人類的・ドライな女性の出現も予告しつつ。

オリジナル脚本はたっぷりとエピソードを盛った力作だが、人間性の追求はひとまず置いてサスペンスに徹してみても見ごたえのある娯楽作になったのではないか、と想像する。
作り物めいた構図の中で小川真由美がとてつもなく「生きる」のではないか、と思うからだ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「牝」 1964年  渡辺祐介監督  東映

渡辺祐介×緑魔子の第3作。
3本は同じ年に立て続けに撮られている。

「二匹の牝犬」「悪女」と起用できた小川真由美は撮影所を去って舞台に戻った。
ここで、人気(というかセンセーショナリズム)が出てきた緑魔子で1本。
題名さえどぎつければ題材は自由。

馬場当の原作を渡辺が脚色(クレジットタイトルより。ほかの資料では両者の共同脚本となっている例もある)。
音楽は木下恵介の弟の木下忠司。
助監督、降旗康男。

緑魔子の相手役に菅佐原栄一。
脇に久保菜穂子、ジェリー藤尾、佐々木功。
そしてなんといっても中村伸郎。

松竹にも出演しているが、新東宝的というか新鮮さのかけらもない菅佐原栄一はマイナー感たっぷりだ。
本物の新東宝出身の久保菜穂子は、池内淳子、大空真弓、三ツ矢歌子とともに新東宝脱出後に大成した女優で、この時すでに貫禄が出てきた久保は説得感十分の謎めきよろめき人妻を演じる。

ジェリーは新東宝最末期の「地平線がギラギラツ」(1961年)からの「引き」なのだろうか、東宝「若大将シリーズ」で青大将の天敵のバンドリーダー役(ビートルズのパロデイ)も強烈だったが、本作ではヒロイン(緑)のことをオタクと呼ぶなど、若者の虚無感、人間関係の希薄さを演じて芸達者ぶりを見せている。
佐々木功は大島渚「太陽の墓場」での気弱なチンピラ役からの援用か。

そして中村伸郎。
年代的に前後するが、東宝「豹は走った」(1970年)の黒幕役(表面上は日本商社の重役)も適役だったが、その前に東映の併映作品でまさかの体当たり演技をこれでもか、と見せていたとは!
あるいは「牝」での現代通俗劇への適応ぶりがのちの悪役開眼へとつながっていたのか。
中村伸郎恐るべし。


主役抜擢の緑魔子は本来の真面目さ、素直さを発揮して一生懸命に演じている。
体を通してのエロはほとんどなし。
表情と存在感で若者の虚無感、不毛感を演じる。
そこからエロがにじみだす。
若いので退廃ではなくエロだ。
退廃は久保菜穂子が全盛期の色気をもって醸し出す。

緑と菅佐原の代償行為的不倫関係の不毛。
緑と中村のファザコン的な父娘関係のもどかしさ。
中村と久保のなし崩し的不倫の不健康さ。
緑とジェリーらの若者の暇つぶし的交流と希薄な関係性。

これらの人間関係が混然となって映画は進む。
際どくまた観念的なセリフの背景に木下忠司の明るい音楽が流れる。
久保や緑を相手にキスシーンを繰り返す初老・中村伸郎の鬼気迫る表情!

迷走し、錯綜するストーリーの挙句、ドラマの核心は父娘のタブーを越えた愛、であることがわかる。
が、本当にそれがこの作品のテーマだったのか。

ラストシーン。
父娘の葬式の帰りに何事もなかったように元妻の肩を抱く菅佐原としなだれかかる久保。
二人は離婚したのではなかったか。
虚妄の二人を包む退廃と諦めと官能。
その逆説的現実味と不条理と深い絶望感。

父娘の愛が「純粋」だったからこそ、対比的に描かれる菅佐原と久保の夫婦の、ぬめぬめしてふてぶてしい開き直りがリアルだ。

1年の間に緑魔子を素材にして3本連作した渡辺監督。

大島渚は松竹で1960年の1年間、「青春残酷物語」と「太陽の墓場」をヒットさせ、会社から「さあもう1本」とせっつかれて「日本の夜と霧」というヒットしない題材に「逃げた」のだった。
「この作品を撮らないと前に進めない」と言って。

1964年の渡辺祐介は「二匹の牝犬」「悪女」「牝」の3本を、「逃げず」に撮った。
大松竹の若きエース監督に祭り上げられた大島とはかなり立場が違い、モノクロの併映作品を作る立場ではあったにせよ、スマッシュヒットを放ち続けた渡辺祐介。
何より緑魔子という存在を世に出した功績は大きい。

さすがに3本目の「牝」では観念劇に「逃げた」気配がするとはいうものの、この年の渡辺祐介や恐るべし、と思うのは筆者だけだろうか。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 丘さとみと「裸の太陽」

ラピュタ阿佐ヶ谷で表題の特集上映がスタートした。

東映東京撮影所(大泉撮影所)で製作された現代劇の特集第三弾。

緑魔子が映画デヴューした「牝犬シリーズ」。
若き日の高倉健のギャング物。
梅宮辰夫が大原麗子などを相手役にした「夜の青春シリーズ」。
渥美清と佐久間良子の「急行列車シリーズ」。
などを中心としたラインナップ。

オープニングは家城巳代治監督の「裸の太陽」。
一も二もなくラピュタに駆け付けた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙
この特集でのイベント。豪華なゲスト

丘さとみ 初の現代劇

丘さとみは東映の女優。
京都撮影所の時代劇で映画デヴューし、「東映城のお姫様」といわれた。

手許の「丘さとみ・東映城のお姫様」(さとみ倶楽部編 ワイズ出版社刊 1998年)の本人インタビューから以下抜粋・要約する(一部脱線あり)。

「丘さとみ・東映城のお姫様」ワイズ出版

宝塚生まれ。
1952年、デイズニープロ主催の「和製シンデレラコンテスト」で優勝。
RKO日本支社で秘書をやっていた時に東映にスカウトされ、1955年東映入社。
第二期ニューフェースに交じって養成を受ける。
同期に高倉健、今井健二。

第二期ニューフェースの同期2人と

「御存じ怪傑黒頭巾 第二話 新選組追撃」(1955年 内出好吉監督)でデヴュー。
以降、大川恵子、桜町弘子とともに「花の東映三人娘」として売り出され、千恵蔵、右太衛門両御大をはじめ、中村錦之助、大友柳太郎、大川橋蔵、東千代之介ら京都撮影所の時代劇スターの相手役を務めた。
この当時は、スターの相手役のほか、仕出し(東映所属の俳優によるエキスストラ)も務めて休みがなかったという。

映画デヴューのころ

1958年の「裸の太陽」が初めての東京撮影所での出演作。
キネマ旬報ベストテン5位、べルリン映画祭青年向映画賞を獲得。
ブルーリボン主演女優賞では1票差で2位だった。

ベルリン映画祭には東和映画の川喜多長政、東映の専務と参加。
英語での舞台挨拶、パーテイ出演のほか、「眼下の敵」のクルト・ユルゲンスと一緒にラジオ出演もした。

家城巳代治作品には「素晴らしき娘たち」(1959年)にも出演、紡績工場で働く青春像の一人を演じる。

(以下脱線)
1962年には松竹を退社した大島渚が東映に招かれ「天草四郎時貞」を撮った際、大川橋蔵とともに出演する。
が、大島がこだわるプロレタリア群像の抵抗劇としての天草の乱では大川と丘のスター性、明るさが生かされることはなかった。
作品中、丘の顔がアップはおろかまともに映されることはなく、暗いライテイングのもとで横顔が捉えられるのがせいぜいだった。

全身が明快に映るのが佐藤慶ら大島の盟友たちばかりで、彼等のオーラのない地味な悪党面ばかりが印象に残り、せっかくのスター達が影で塗りつぶされる中、演説的なセリフばかりが飛び交う劇となった。
いわば架空の世界である時代劇に於いて、この華のない絵は致命的で、映画的盛り上がりというものがまるでない作品だった。

大島としては「日本の夜と霧」(1960年)が興行的に失敗作だったことへのこだわりがあったのだろうが、同じ路線で再度失敗したことになる。
松竹時代には社員監督として、職業俳優を使って4本撮っており、「青春残酷物語」「太陽の墓場」(ともに1960年)ではスター俳優を使って映画的盛り上がりを見せた大島には、スターを使いこなす力も、映画的盛り上がりを見せる力もあるのだから、ここで己の主義主張にこだわったのはもったいなかった。

丘さとみにとっても(大川橋蔵にとっても)大島作品に出演したことは、キャリアにおいてもほとんど意味がない出来事だった。

(脱線終了)
丘さとみは「大菩薩峠三部作」(1957年~1959年)、「宮本武蔵五部作」(1961年~1964年)で内田吐夢作品に出演。
「宮本武蔵第一部」では出演場面に監督のOKが出ず、ワンカットに3日間かかったこともあった。
その間、武蔵役の中村錦之助は、画面に映らなかったが何も言わず傍らで付き合ってくれたという。

1965年映画界を引退し、二世と結婚して渡米、3児をもうけるが1975年に離婚し子供を連れて帰国。
その後は舞台、テレビなどで活躍した。

文芸春秋社刊「キネマの美女」より

「裸の太陽」 1953年  家城巳代治監督  東映

『釜焚き、釜焚け、釜焚こう!・・・』。
力強いコーラスをバックに蒸気機関車の力走シーンで幕を開ける「裸の太陽」。

オリジナルポスター

主人公の青年は田舎の機関区の運転助手(釜焚き)だ。
機関区の寮に住み、同じ町の紡績工場で働くガールフレンドがいる。
主人公が乗る機関車が紡績工場の近くを走る時、汽笛を鳴らし、それを合図に彼女があぜ道を走ってきて手を振るのが約束だ。
職場も公認のカップルは、結婚資金を貯めて、1万7千円になった。
彼女の妹が必死に頼んでも貸せない大事な貯金だ。

主人公の同僚には暗くひねた性格の幼馴染がいる。
誰かの財布から金がなくなったとしたら真っ先に疑いがかかる存在だ。
主人公は心情的には幼馴染の味方だ。
ある日彼の必死の頼みを一度は断ったものの、貯金を下ろして1万7千円を貸してしまう。

このため、公休日に海でデートする軍資金もなくなって彼女は当然怒る。
海水着も買えないではないか。
彼女のへそくりで何とか特価品の海水着を買い、ラーメンを食べるのがやっと。
でも若いころって最後の所持金で彼女とラーメンを食べてしまっても、平気だし、旨いんだよなこれが。

丘さとみと江原真二郎の宣伝用写真。丘ひとみの劇中の水着は紺色?だった

そうやって公休日の海水浴デートを楽しみに待てば、幼馴染の無断欠勤で仕事に出ざるを得ない主人公。
現代の若者なら何を差し置いても彼女に連絡し、言い訳にこれ務めるであろうシチュエーションも、当時の若者は連絡は後回し、出勤が決まると不承不承ながら仕事に向かう。

現場は急こう配。
機関車は砂を線路に撒きながら進む。
砂が詰まって列車がピンチ。
阿吽の呼吸で運転士に釜焚きを任せ、機関車の先端にはい出て手で砂を撒く主人公。

勾配を上り終え、機関車を停車させて主人公のもとに駆け寄る運転士。
煤で真っ黒の顔が安どする。
「殉職」と紙一重の任務をやり遂げる主人公の責任感と成長。

職場では職員が指示命令に敬礼で応えている。
昔の国鉄はそうだった。
どんな小さな駅でも列車が通過するときは駅長さんがホームに出て敬礼して列車を見送っていた記憶がある。

主人公は職場の若手で「杉の木会」という集まりを主宰している。
が、仲間と付和雷同して場に馴染まないヤツをいじめるのは性に合わない。
むしゃくしゃしたときは、シャツをまくってそこら辺を叩きながら「釜焚きロック」をがなって、オルグが来ているような職場会をめちゃくちゃにすることもある。
理路整然とした弁はなく、時には手も出るが、極めて人間的でまっすぐな主人公なのだ。

貧しく、無学だが、まっすぐで正直な青年たちの物語。
結婚資金をためればなくなる、デートの約束をすれば仕事が入る、欲しいものも買えない、うまくゆかず気分がむしゃくしゃする。
でも若くてエネルギッシュで明るい。

主人公には江原真二郎、彼女に丘さとみ、その妹に中原ひとみ、主人公の幼馴染に仲代達矢、幼馴染の片思い役に岩崎加根子。

江原と丘のカップル役は息もぴったり。
「姉妹」(1955年)「こぶしの花の咲くころ」(1956年)のコンチ役で家城組の座付き女優的存在になりつつあった中原ひとみと、若い仲代達矢がちょっとむづかしい役で脇を締める。
「警察日記」(1955年)では杉村春子の人買いおばさんに買われ、風呂敷一つで故郷を離れる少女役だった岩崎加根子は人妻役で登場。

宣伝用写真より。ちなみに劇中、中原ひとみと仲代達矢の接点はない

「雲流るる果てに」(1953年)「姉妹」で社会の底辺というか基盤の部分で、時代の犠牲になったり貧しかったりしながらも、人間性を失わず真面目に明るく生きる若者を描いてきた家城監督の、またしてもの会心作。
江原真二郎はもちろん、現代劇初出演の丘さとみの魅力を画面いっぱいに引き出している。

二人のキスシーンはデートの後の公園のブランコで。
将来のことを語り、主人公が「機関士を目指す」といい、彼女が「それだけ?」と言った後のこと。
口当たりのいい「夢」は語らないが、目の前の目標には全力で取り組むであろう主人公と、それを含めての彼を受け入れる彼女。
若い二人の将来を祝福するかのようなみずみずしいシーンだった。

宣伝用写真。カップルの雰囲気が出ている

「丘さとみ・東映城のお姫様」で丘は家城監督について。

「家城先生に、『丘さんまた及び腰ですよ』って。もうしょっちゅう及び腰って。
時代劇って相手に物言う時、必ずこういう形にかがむじゃない。(中略)恥かかさないように小さい声で注意してくださるの。ものすごく優しいの、家城先生。今までの東映で付き合った監督とは違った。
私らごとき新米が言う意見に対しても、監督が真剣にジーッと聞いてくださるの。『うん、あ、そう、いいよ、丘さん。そう思うんだったら、いいよ、やってごらん』って。こんなこと今まで言われたことなかった」(P124)と絶賛。
家城監督の人柄と演出方法が目に浮かぶようなエピソードを披露。

また、岩崎加根子については、
「『素晴らしき娘たち』でも一緒だった加根子ちゃんとはなぜか仲がよくって、ウマがあってね。
別に個人的付き合いもしていないんだけど、時々パーテイなんかがあると二人でくっついてんの」(P123)と、若い共演者との出会いを語る。

郡山での一か月に及ぶロケについても「旅館、楽しかった。」(p124)とのこと。

丘さとみにとって、いいスタッフと仲間に恵まれ、京都撮影所では得られない経験をした「裸の太陽」だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

耳に残る『釜焚き、釜焚け、釜焚こう!・・・』の音楽は芥川也寸志。
メリハリのあるみずみずしい脚本は新藤兼人。
悠然としてドラマチックな撮影は宮島義勇。
家城巳代治が東映大泉に集めた最高のスタッフによる仕事だった。

オリジナルポスター

クールビューティー小山明子特集より 「彼女だけが知っている」「死者との結婚」

シネマヴェーラ渋谷で「クールビューテイー小山明子」という特集上映があった。
松竹の新人女優時代から、大島渚との結婚・独立を経て、1960年代の他社出演作品まで、小山明子出演の14作品が上映された。

シネマヴェーラ渋谷にて

小山明子自伝「女として、女優として」

小山明子自伝「女として、妻として」表紙

手許に「女として、女優として」という小山明子の自伝がある。
映画デヴューから大島渚との出会い、結婚、独立までの半生をつづっている。
その中から印象的なエピソードを拾ってみる。

・「家庭よみうり」という雑誌の表紙に載ったことから、松竹大船撮影所長にスカウトされ、1955年、横浜のドレスメーカー女学院に在籍のまま松竹入社したのが女優人生のスタート。
当初は、父子家庭の父親は芸能界入りに大反対で、また本人も乗り気ではなかったという。

新人女優時代の小山明子

・松竹入社2作目の「新婚白書」(堀内真直監督)出演時に、作品の助監督だった大島渚に出会い、翌年から付き合い始める。
付き合い始めて3年目、大島に旅行に誘われ断ったことから大げんかになり、その際に大島が殴ったことから一旦は別れる。

・1959年、大島が「愛と希望の街」でデヴューすると告げたはがきを読んだ小山が大島を呼び出す。
小山は大島に会うなり、まっすぐ目を見て「私はあなたのお嫁さんになることにしたわ」と告げたという。

・1960年結婚。
結婚式は大島の第4作「日本の夜と霧」が上映打ち切りとなった後に行われた。
新郎の大島までを含めた来客が上映打ち切りに抗議し、松竹弾劾の演説を行う結婚式だった。
怒号が飛び交い、招待客の松竹首脳は途中退席した。
まもなく大島は松竹を退社した。

・退社して何の用事もない大島を訪ねて新婚アパートには来る日も来る日も友人たちが押し掛けてきた。
昼間でも「まずビール」。
毎晩酒を飲みながら楽しそうな(小山による表現)議論が延々と続いた。
小山には松竹との契約が残っていたが仕事は来なかった。
小山も松竹をやめ、活路をテレビやラジオに求めた。

大島渚と結婚

・助監督の給料が1万4千円くらいの時代、小山の映画出演料は4作目で50万円になっていた。
当時は生放送だったテレビ出演でくたくたになってアパートに帰ってくる小山を迎えるのは、大島とその仲間たちの「あー腹減った。ご飯!」の声だった。

新婚アパートにて、お銚子の準備をする小山明子

・子供が生まれた。
京都から大島の母・清子に来てもらい、小山は預金通帳と財布を渡して育児と家事一切をお願いした。
義母はそれを張り合いにしてくれた。
小山の死んだ実母の名前は清子、継母の名も清子、という縁があった。
小山は仕事に邁進した。
20年以上、大島家の家事育児一切は義母が切り盛りした。

・1961年、大島は田村孟、渡辺文雄らと独立プロ創造社を設立。
第1回作品「飼育」を撮る。
1ヶ月の長野県南相木村でのロケの後、ツケの酒代を支払いに現地の酒屋を訪れた小山は「お酒は120本飲まれました」と主人に言われる。
てっきりお銚子の数だと思った小山は、一升瓶の数だと聞かされてひっくり返りそうになる。

・1968年の創造者作品「絞首刑」の時、テレビ番組の打上パーテイーに出席して「絞首刑」のアフレコに遅れた小山に大島が激怒。
口答えした小山のパーテイー用のドレスを、皆が見ている前でびりびりに引き裂いてしまった。
この時ばかりは離婚を決意した小山だった。

自伝「女として、女優として」を読むと、やんちゃ小僧のような大島渚と、女優業で稼ぎながら大島らの世話に追われ、いざとなると気も強い小山明子の若く、ハチャメチャなエピソードばかりが印象に残る。
大島家の柱は渚だが、それを支えたのは小山明子だったことがわかる。

また、5年間ほどとはいえ、邦画メジャー・松竹の主演女優だった小山の実績はダテではなく、テレビや他社出演など、女優で一生食っていけたことがわかる。
「松竹映画の主演女優」のステータスは相当なものだったのだ。

文芸春秋社刊「キネマの美女」より

高橋治と松竹ヌーベルバーグ

シネマヴェーラの「クールビューテイー小山明子」特集で、高橋治監督の「彼女だけが知っている」と「死者との結婚」が上映された。

高橋は、1953年に助監督として松竹に入社。
同期に篠田正浩、1期下に大島渚、山田洋次、2期下に吉田喜重、田村孟がいた。

入社年に「東京物語」の助監督を務める。
1960年「彼女だけが知っている」で監督デヴュー。
6本の監督作品を残し、1965年松竹を退社、文筆活動に入る。
文筆時代の代表作は「絢爛たる影絵・小津安二郎」、直木賞受賞作「秘伝」など。

高橋の監督デヴュー当時は、大島、篠田、吉田、田村孟などが次々と若くして監督デヴューし、彼等の斬新で挑発的な作風が松竹ヌーベルバーグとしてもてはやされた。

折から時代は1960年の安保闘争を迎えていた。
また、戦後世代の若者文化の光と影が時代を彩っていた。

大島らは松竹映画の中にそれまでにはなかった、若者の痛切な青春像や、旧世代と新世代の階級対立を持ち込んだ。
世の中に反抗し自滅する若者を描いた「青春残酷物語」、ドヤ街の現実に埋もれそうになりながらもギラギラする人間性を追求した「太陽の墓場」はヒットしたが、新左翼が旧左翼を糾弾する内容の「日本の夜と霧」は記録的な不入りとなり、松竹ヌーベルバーグは終焉した。

状況を逆手にとって時代の寵児として自己をプロデユースし得る大島、スター監督候補としてそつなく話題作に挑む篠田、独特の感性で自分の世界を追求する吉田ら、松竹ヌーベルバーグの本流ともてはやされた連中はしぶとく映画界に残った。
彼ら3人に共通しているのはいずれも松竹のスター女優と結婚していることだった。

高橋は気が付くと映画界を去っていた。
スター女優を妻としなかったこともその理由の一つかもしれない?が、高橋の才能と興味が文筆活動により向けられていたのはその後の履歴が示している。

「クールビューテイー小山明子」特集では、高橋の松竹時代の貴重な作品に接することができた。
初々しくも、多彩な才能が映画にも発揮されていることを確認した。

「彼女だけが知っている」 1960年  高橋治監督  松竹

63分の中編。
当時の新人監督のデヴュー作用の規格だ。
大島渚のデヴュー作「愛と希望の街」(1959年)も60分ほどの中編だった。

「愛と希望の街」が、何より大島の主張が濃い作品だったのに比して、高橋治のデヴュー作は映画としての完成度が高かった。

強姦殺人事件に立ち向かう刑事ものストーリー仕立ての作品で、刑事の心理描写、捜査のち密さ、スリリングな場面展開がよく描かれている。
夜の場面の暗さを強調した撮影もいい。
笠智衆、三井弘次、水戸光子らベテランの名わき役たちの起用も新人監督のデヴュー作としては恵まれている。
高橋のデヴュー作がスタッフ、キャストに「祝福されて」生まれたものであることがよくわかる。

シネマヴェーラロビーに掲示された当時のポスター

共同脚本と助監督が田村孟。
本来は、場面数を少なくし、不条理な設定上の主人公を出口なしの状況に追いつめるように描くことが多い田村の脚本だが、本作は、場面展開が早く、具体的な描写が多く、またラストに救いがあり、いわば映画的サービス精神に満ちている。
高橋のデヴュー作が商業的にも成功するように最大限に配慮した田村脚本であることがわかる。

主演の渡辺文雄は、松竹ヌーベルバーグの表現者のひとり。
大島作品、高橋作品での主演が多い。
田村孟の監督作品「悪人志願」(1960年)でも主演を務めた。
ヌーベルバーグ作品での渡辺の役柄は、声高に主義主張を叫ぶのではなく、主役の傍らにいて、時々鋭い客観的で分析的セリフを吐く、ということが多い。
作者の代弁者の役柄といったところかもしれない。

本作での渡辺は、強姦事件の被害者となった小山の恋人役。
刑事という立場場もあり、被害者小山の心理を理解するよりも、社会利益のため捜査に協力するよう小山に働きかける、いわば一般社会の代弁者として正論を吐く。
結果的には小山は捜査に協力し事件は解決するのだが、小山の感情は解決してはいないというのがこの作品のテーマの一つ。

小山と渡辺が2人きりで「対決」する場面が2つある。
ビルの屋上と小山の部屋。
そこで、二人の感情と主張のすれ違いが描かれる。
刑事の娘であるという立場、一人の女性として傷を負った立場、それぞれを「克服」し、捜査協力する決心をした小山だが、公の代弁者に終始し小山の芯の理解者たり得ないに渡辺に対し「同情されたまま一生終わりたくないの」「あなたと同等の立場でいたいのよ」と思いのたけを叫ぶ。

このセリフを書いた田村と高橋。
昨今やっと尊重されてきたハラスメント被害者の心理状況の核心を表すともいうべきもので、1960年当時にはっきりとこの部分が表現されていることは貴重だと思う。
この作品は強姦事件を背景にしているが、よしんば被害者が差別上のものだったり、階級上のものだったりしても、その心理状況はあてはまるだろう。

渡辺と小山の間に、学生の討論のような調子でセリフが交わされ、作品の隠されたテーマである、立場の違う人間を隔てる壁の存在があらわになる。

ラストで背を向けて一人去ってゆく小山に渡辺が走って追いつく(そこでエンド)のは、観客に向けたサービスで田村脚本の本意ではないのだろうが、この方が映画的で好きだ。
若い二人には相互理解が可能な未来が待っていてもいいではないか。

小山明子の演技は、それまでの役では多かったであろう愛嬌のあるお嬢さん役から脱皮しようという、意欲を感じるものとなっている。

シネマヴェーラの特集パンフより

「死者との結婚」 1960年  高橋治監督  松竹

高橋治の監督第二作。
田村孟との共同脚本は前作同様。
前作が刑事ドラマの体裁をとっているのと同じく、ウイリアム・アイリッシュの犯罪小説を原作としたドラマ。
ただし犯罪ドラマは体裁で、作者が描きたいのは人間疎外であり、尊厳の追求であり、個人の自立である。

シネマヴェーラロビーのポスター

いい加減な恋人に捨てられ自暴自棄になった女(小山明子)が、あてどない旅で乗船した船で、フィアンセの実家に挨拶に行く途中の女(カップルの片割れの男も乗船している)と知り合う。
船は沈没し、女を残しカップルは死ぬ。
死んだ女に入れ替わった小山が、死んだ男のフィアンセとして実家に迎え入れられる。

巻頭から主人公を取り巻く不条理な世界観が炸裂する。
何者かわからない存在の小山が、さらに不可解なほどダメな競輪選手崩れの男に捨てられさ迷う。
まるで「悪人志願」で、理由不明で鉱山現場で働く、渡辺文雄扮するおしの主人公の女版のようでもある。

紛れ込んだ「義実家」。
気持ち悪いほど疑いを知らず、善意の乖離を尽くす「義実家」の人々。
主人公は無表情なまま戸惑うが、もともと悪意はなく、このまま平穏な暮らしが続けばよいと思う。
フィアンセの弟(渡辺文雄)は女が別人であると気づく。

渡辺は女に敵愾心を持つが、従順で状況を受け入れ周りに重宝がられる女を愛し始める。
まったく疑いを知らない(義母は途中で気づくが、気づいたうえで女を受け入れる)人々は「別の世界」に暮らしているかのよう。
「現実」を見ないようにしているうちに、「別の世界」を受け入れるしかなくなる女に、「現実」を知ったうえで女を受け入れようとし始める義弟。

そこへ別れた競輪選手崩れの男が現れ、いわば強烈な「現実」の出現に「別の世界」は一挙に破滅に向かう。
ここからの犯罪シーンは、前作「彼女だけが知っている」ほどのスリルがなく、やや手際が悪い印象。

「現実」が表に出て、それでも受け入れようとする義弟に、「現実」に目覚めた女は醒めた目を向ける。
去ってゆく小山に対し、前作と違って渡辺は追いかけない。

同情され、偽の自分として一生生きることを敢然と拒否し、自分本来の(それがいばらの道とは知りつつも)人生を生きることを決意する名もなき女の背中を突き放して捉えて映画は終わる。
敢然と歩く小山の後姿はりりしくもあり、厳しくもある。

シネマヴェーラの特集パンフより

前作「彼女だけが知っている」ほどの映画的広がりがなく、渡辺と小山の討論会的なセリフのやり取りなどに田村孟の脚本色が強い作品になっている。
一方で、ジャズっぽい音楽や、犯罪映画の表現の取り入れなど高橋監督のサービス精神というか、手法の多彩さも見られる。
このまま松竹にいれば将来的に「砂の器」をドライにしたような大作を作ったのではないかと思わせる高橋監督である。

小山明子は不条理の中で戸惑い、気持ちを抑えて状況に耐え、また新たな状況に立ち向かう女性を演じた。
そのクールさは、のちの「続・兵隊やくざ」(1965年)の似合いすぎる黒づくめの従軍看護婦役、や「少年」(1969年)、「儀式」(1971年)の近寄りがたい冷たさ、に結実したのではないか。

淡島千景と「やっさもっさ」

神保町シアターの「女優魂 忘れられないこの1本」という特集で、淡島千景の「やっさもっさ」が上映された。

神保町シアターの特集パンフレット表紙

原作者の獅子文六自らが「敗戦小説」と名付けた三部作、「てんやわんや」「自由学校」に次ぐ第三弾が「やっさもっさ」。
三部作全作を松竹の渋谷実が映画化している。
淡島千景は「てんやわんや」と本作「やっさもっさ」では主役を務めるなど、三部作全作に出演している。

淡島千景の評伝にしてインタヴュー集「淡島千景女優というプリズム」表紙

獅子文六は戦前にフランスに渡って演劇研究に携わり、帰国後は小説も発表。
戦中、戦後と新聞小説などで活躍。
特に戦後は、戦後社会の混乱やその後の経済成長期の世相や人物像を、ユーモアを交え、風刺的に描いて人気を博した。
上記の「敗戦小説」三部作のほかにも、高度成長期に株でのし上がってゆく、地方出身のエネルギッシュな主人公を描いた「大番」など映画化された原作が多い。

「敗戦小説」について作者の獅子文六は、「戦後の世の中で、腹が立ってしょうがなかったし、書きたいもやもやがたくさんあった」と、その執筆動機を語っている。

「てんやわんや」は戦後出現したアプレガールが、敗戦に意気消沈した男たちに代わって逞しく、華やかに、毒々しく生きる姿を描いた(揶揄した)もので、「自由学校」は戦後の解放された気風を背景に、お互い勝手気ままに生きる夫婦の姿を戦後闇市風景をバックに描いた(揶揄した)もの。
本作「やっさもっさ」は占領軍の置き土産たる混血児の養育院を舞台に、やり手の女性理事長とたくましく生きるパンパンを対比、併せて戦争で腑抜けになった男の姿を描くもの。

三部作を監督した渋谷実は、松竹で小津安二郎、木下恵介と並び三巨匠と呼ばれた存在だった。

渋谷実は現在ではあまりその名を聞かない。
理由は、映画賞を受賞するような作品を撮らなかったこともあろうが、大向こう受けする題材、表現を好まず、喜劇を装った何気ない描写の中に愛すべき人間性を謳う、という作風が後世にアピールしていないように思われるのだ(筆者は渋谷作品は「本日休診」「もず」「モンローのような女」の3本しか見ていなかったので断定的なことはいえないが)。

淡島千景は渋谷監督について「最初に渋谷先生に使っていただいたことがわたしの幸運の初めだと思います。宝塚の後に、私の芸能の道をつけてくださったのは渋谷先生だと思います。」(「淡島千景 女優というプリズム」P99)と感謝の言葉を述べており、この言葉が渋谷実の映画監督としての存在感、影響力、力量を正確に表しているのだと思われる。

渋谷はまた、松竹をレッドパージされた家城巳代治監督の師匠でもあり、のちに数々の名作を撮ることになる家城は生涯渋谷を師と仰ぎ、また渋谷も折に触れ松竹退社後の家城にアドバイスを贈ったという。

「淡島千景 女優というプリズム」より

「やっさもっさ」  1953年  渋谷実監督  松竹

黒白スタンダード。
淡島千景が若い。

26歳で宝塚から松竹入りした淡島は、気が付くと年増のやとな芸者だったり(「夫婦善哉」1955年 豊田四郎)、得体のしれない男どもの間を駆けまわる年齢不詳のご婦人だったり(「貸間あり」1959年 川島雄三)を演じており、要するにおばさんっぽい役が多かった。

時には「麦秋」(1951年 小津安二郎)のように主人公(原節子)の親友役のようなお嬢さん役もあったが、印象的には「駅前シリーズ」で森繁やのり平のアドリブをやり過ごし、受け止める、頼りになる「お姉さんというにはしっかりした年齢の女性」という役が多かった。

文芸春秋社1999年刊「キネマの美女」より
「キネマの美女」淡島千景の評。的を得ている

主役級では淡島千景、わき役では浪速千恵子。
たくさん出演作があって、どれ、という当たり役が浮かばないが(淡島千景には「夫婦善哉」があるが)、出演すれば場面が締まるし、何よりも安心してみていられる女優さん、がこの二人。
親しみがわきすぎて、日本映画にいるのが当たり前の顔、でもある。

「てんやわんや」(1950年)では渋谷監督のもと、セパレートの水着姿で颯爽とデヴューした淡島千景。
本作「やっさもっさ」では、エリザベスサンダースホームをモデルにした混血児のホームの理事長を演じ、パリッとしたスーツ姿で登場する。
後半には、敗戦後の日本をなめた不良外人とダンスしながらよろめいたり、肩もあらわなドレス姿で酔っ払ったりもする。

「淡島千景 女優というプリズム」より

戦後の風潮を背景に「自由で自立した」アプレガールの後日談、との設定の役柄でもあるらしい。
占領時代を背景に、詐欺師の不良外人のほかに、朝鮮戦争に苦しむ米兵、米兵を金づるとしながら混血児のわが子に向ける複雑な感情のパンパンらを相手に、忙しそうに活躍し、時々はよろめく「その後のアプレガール」を実年齢20代の淡島千景が演じる。
混血児ホームという、敗戦の現実がむき出しになった現場を舞台にはしているが、「その後のアプレガール」は都会的で颯爽としており、今時の「上場会社のスマートなOL」風にも見える。

バズーカお時という物騒な仇名のパンパン(倉田マユミ)がいい。
父親の黒人米兵からさらにふんだくろうと、施設に放りこんだわが子に会わせろとホームに怒鳴り込み、ガラスをたたき割る。
いざ、子供に会うと親の愛情に目覚め、米兵が死んだあとは、自分の故郷に連れ帰り、周りのいじめには体を張って我が子を守り抜こうとする気の強さ、逞しさ。
アプレガールの逞しさより、共感を得やすく、なにより根性が入っている。

戦後、外地から帰って腑抜けのようになっている夫(小沢栄)に幻滅する淡島だが、夫はこっそりと英語能力を生かしてパンパンたちのラブレターを代筆してやり、その金で一杯飲んだりしている。
最後は改めて人生出直そうと決心して淡島を抱きとめる。

淡島の先輩で産児制限協会会長の高橋豊子は、今でいうサバサバ・はきはき女。
威勢よく主義を主張し、演説のようにしゃべりまくる。
小津映画では割烹の女将として画面を横切り、一言しゃべるだけのおばさんが、こんな演技もできる人だったとは。しまいには、酔いつぶれた淡島を抱き上げ、おぶって布団まで運んでしまう。
根源的な女性の逞しさが、彼女を通して描かれる。

若き日の山岡久乃はホームのスタッフ役。
その他大勢の役ではなく、ホームのシーンでは出ずっぱりで、外人によろめいた淡島にはきつい諫言をいつもの早口でまくし立てる。

新たに混血児を預けに来る老婆役の北林谷栄(実年齢42歳だが、70歳には見える)は抑えた演技でオーバーアクションなし。
高橋豊子に熱演させ、北林にはほとんどしゃべらせないとは、渋谷実監督ただものではない。

最初は威勢がよく、いわば無意識に「いいとこどり」しようと生きてきた「その後のアプレガール」も、数々の現実、本来の意味での逞しい女達の姿を見て、最初は現実逃避しようとしたものの、やがて覚醒し地道な再生への決心をする、というのが本作品の骨格。

戦後のアプレガールの限界、パンパンとGIが蠢く日本の現状、をリアリズムではなく、被虐でもなく描いた作品。
結果としてしっかり風刺は効いているし、押さえたブラック気味のユーモアが根底に流れている。
パンパンとその息子、腑抜けの日本男児に前向きな希望を感じさせるエンデイングもよかった。

渋谷作品、肩ひじ張って見に行くと肩透かしされるが、淡々として味がある。
「てんやわんや」と「自由学校」も見なくてはなるまい。

神保町シアター特集パンフより

film gris特集より④ ドミトリク、ウルマー、ベリー、エンドフィールド、ワイルダー

シネマヴェーラ渋谷で上映されたfilm gris特集。
1947年から51年に撮られたアメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルムノワールたちの特集。
挙げられた作家は、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ヒューストン、サイ・エンドフィールド、ジョン・ベリー、ジュールス・ダッシン他。

本ブログでは、film gris特集の上映作品から、これまで3回に分けてポロンスキー、ロッセン、ベリー、ロージー、ダッシンの作品について述べてきた。
第4回目の今回は、3回目までに掲載できなかった5作品について述べてみたい。

「十字砲火」 1947年  エドワード・ドミトリク監督  RKO

1947年に始まった米国議会下院の非米活動調査委員のハリウッドに対する公聴会、いわゆるハリウッド赤狩り。
公聴会に証人として喚問されたハリウッド映画人のうち「自身が共産党員であったか」などの質問に対する証言を拒否するなどして、議会侮辱罪で刑事告訴され有罪収監された10人がいた。
彼等はのちにハリウッドテンと呼ばれた。

ハリウッドテンの一人が、若き映画監督のエドワード・ドミトリクだった。
彼は収監中に転向宣言をし、共産党員の仲間の名前を証言した。
結果、彼はハリウッドのブラックリストから名前を除かれ、仕事に復帰できた。

当時、ハリウッドのブラックリストに載った人間が仕事に復帰しようとするには、こうするよりほかに手段はなかった。
映画監督のエリア・カザン、ロバート・ロッセン、脚本家のバット・シュルバーグらが同様に「転向」し、仕事をつづけた。

本作「十字砲火」はドミトリクがブラックリストに載る前に撮った作品。
ユダヤ人差別を批判する作品として知られている。

「十字砲火」の一場面

軍人仲間がバーで飲んでいる間に、一人の軍人と意気投合しホテルの部屋で飲み直していた羽振りの良い男が何者かに殺される。
羽振りの良い男はユダヤ人だった。
退役軍人で現役兵にも影響力のある男(ロバート・ライアン)と、事件を調査する軍曹(ロバート・ミッチャム)、酒場の女、そして警察が登場する。
果たして真相はいかに。

飲み疲れた頭のようによどんだ空気のバーの止まり木と、暗く締め切った警察の尋問室などを舞台に、デスカッション劇のように映画が進む。
回想シーンの舞台は連れ出し飲み屋と女の部屋だ。

登場人物達は真相を知ってか知らずか、胸に一物あるのかないのか。
思い思いに勝手な推測を述べ、自己を弁護し、見ている我々を混乱させる。

回想シーン。
その日ユダヤ人の部屋に招かれた軍人は、酔ったまま部屋を抜け出し女のいる店へ。
出た来た女は、軍人と店を出て自分の部屋へ連れ込むが、そこに別の男が現れる。
別の客であろうその男は「女の夫だ」と名乗るなど、訳が分からなくなる。
見ている我々の頭も酔いで霞んだよう。

連れ出し飲み屋の女に扮するのがグロリア・グレアム。
ニューヨークの演劇出身。
フランク・キャプラの「素晴らしきかな人生」(47年)でデヴューし、主人公の幼馴染で活発で派手目の女友達役(のちに主人公の幻想シーンでは、すさんだ故郷であばずれの商売女に落ちている)として映画デヴュー。
ニコラス・レイの「女の秘密」(49年)ではスター女優の足元をすくおうとする若い付き人を、「孤独な場所で」(50年)では苦悩する良人をあざ笑うかのような冷たい妻を演じた。

一癖もふた癖もあるその美貌は、スクリーン上の悪女役で生かされただけでなく、実生活でも夫だったニコラス・レイを苦しめ、離婚したのちになんとレイの連れ子(グレアムにとって義理の息子)と結婚し2児を生むなど、奔放なを極めた。
単なる悪女役というより、すさんで捨て鉢な演技をすると光る女優で、家庭的なキャラとは対極にあったがそれが魅力だった。

さて、映画は迷宮に迷い込んだまま、悪夢として終わるのかと思いきや、ユダヤ人蔑視の退役兵が犯人だとわかって終える。
混迷のドラマに無理やり結末をつけたようなエンデイングだが、どうやらユダヤ人差別批判の主題のため犯罪劇をくっつけたというのが、この映画の構成だったよう。
だが、取ってつけたような差別批判に納得性が乏しく、むしろ一人のサイコパスの犯罪劇として完結していれば、悪夢のような展開のノワール劇として成立したのにと思わせる。

なお、作品中でロバート・ライアン扮する人物に対し「サイコパス」という表現が使われており、この時代からすでに異常性格の一種として認識されていたことがわかる。

一方で、人種差別者をサイコパスにしたことがこの映画の主題をあいまいにしたのではないか。

悪女の代名詞グロリア・グラハムの若き姿を拝めたのは価値があった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「野望の果て」  エドガー・G・ウルマー監督  1948年  イーグルライオンプロ

エドガー・G・ウルマー監督もオーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人の一人。
戦前のドイツ時代から映画人のキャリアをスタートさせており、ジンネマン、ワイルダー、シオドマクらによる戦前のベルリンの日常を描いた「日曜日の人々」(1930年)にも参加している。
渡米後はイデッシュ後の映画製作にかかわり、またハリウッドでは数々のB級ホラー作品を監督するが「恐怖の周り道」(1945年)がカルト映画として今に残る。

本作「野望の果て」は、ウルマーが独立プロでB級作品を連発していたキャリア中盤の作品。
「恐怖のまわり道」以外見る機会が少ないウルマー作品に接する貴重な機会でもあった。

「野望の果て」はB級ながら、正統派の大河ドラマのような構えの作品。
ノースターながら、ザカリー・スコット(ルノワールの「南部の人」に主演)や相手役の清純派ダイアナ・リンらが堂々たる演技を見せる。

全編を通しての夢の追想のような幻想感は、同じくヨーロッパ脱出ユダヤ人組のマックス・オフュルス監督の名作「忘れじの面影」(1948年)を、また少ない予算を駆使したであろう豪邸のパーテイシーンでは、オフュルスの「快楽」(1952年)、「たそがれの女心」(1953年)の夢のような舞踏会シーンを、一瞬思い出させる。

シネマヴェーラの特集パンフより

ユダヤ人として生まれ、金持ちの娘(ダイアナ・リン)を救ったことから一家の援助を受け進学する主人公(ザカリー・スコット)。
次第にパワーゲームに目覚め、世話になった一家と娘を裏切りながら、株の世界でのしてゆく。
富豪となった後の孤独感は、虚業の世界で富のみを追求し、他人を裏切り続けた代償。
富を得ることにのみによっては、被差別民のルサンチマンの昇華にはならない。

富豪となった主人公の前に、裏切って捨てた娘とうり二つの若い女性(ダイアナ・リン二役)が現れ、改心した主人公が、その人生で隠し続けた真心を吐露する、が時すでに遅し。
虚業に人生をささげた嘘の男が滅亡してドラマが終わる。

自らもユダヤ人であるウルマー監督の自省の念も入っているのか?
普遍的な人生訓なのか?
きれいごとでは決して済まない人生の流れの中で、唯一変わらぬ清い心と姿を表現したダイアナ・リンが忘れられない。

「テンション」  1949年  ジョン・ベリー監督  MGM

真面目一筋の夫(リチャード・ベースハート)を翻弄し、わがまま一杯の欲望妻(オードリー・トッター)が成金の浮気相手と海でバカンス。
そこへ乗り込む夫を成金は妻の前で殴って撃退。
夫は別の人物に成りすまして成金に復讐しようとするが、直後に成金は不審死。
浮気相手が死ぬとしれッと夫のもとに帰る妻。
事件の真相を暴く刑事は、妻を誘惑してまで違法ぎりぎりの捜査を行う。

シネマヴェーラの特集パンフより

犯罪映画とはいえ、夫、妻、刑事と極端な人物ばかりが登場するノワール劇。

成金の男の海辺の別荘で水着で寝そべるオードリー・トッターの浮気妻ぶりが色っぽい。
根っからの悪女度では「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)のラナ・ターナーには負けるが、「魅力があるうちに高く買ってくれる男に自分を売って何が悪いのよ」とでも言わんばかりの、そこら辺にいそうな欲望妻感が出ていて適役。

この妻を上回る破壊度なのが刑事役の男優。
ジャック・パランスのように癖のある風貌で手際よく捜査を進める。
手練手管の汚れた刑事だが、疑惑の対象を浮気妻と定め、誘惑して関係を持ちながら追いつめてゆく。
この刑事の前では、浮気妻も哀れな子羊だ。

浮気妻に扮するオードリー・トッターが登場するカットでは必ずポワーンとしたお色気BGMがかかる。
ハリウッド流手法でアメリカ製のテレビドラマなどでもよくつかわれた古い演出方法だ。
これがオードリー・トッターにぴったりはまる。

一方、夫が変装しているときに出会う女性(シド・チャリシー)は、純情で真面目に描かれる。
シド・チャリシーはリタ・ヘイワースに似ているグラマーだが。

貞淑であるべき妻を欲望にまみれた存在に描く、という手法はノワールそのもの。
「貞淑な妻」に象徴される「健全な社会」の裏側を暴くという意味での社会批判を陰のテーマとした作品ともいえる。

A級作品ではないが、MGM系列の穴埋め番組としては上出来。
「その男を逃すな」同様、ジョン・ベリー監督の手堅い手腕が見られる。

「群狼の街」  1950年  サイ・エンドフィールド監督  

赤狩りでハリウッドを脱出したエンドフィールド監督作品。

無名キャスト、ロケの多用、遊びのないリアリズム、アメリカ社会のポピュリズム批判、弱者への視点、などまさにfilm grisの要件を満たした作品。

シネマヴェーラの特集パンフより

失業した主人公。
妻は心配し家庭は困窮する。
不景気の時代でも調子よく詐欺や強盗で世を渡る者はいる。
誘われてそんな男の運転手となる主人公。
金には困らなくなるが、いったん入った悪の道から抜けることはできない。

事件を騒ぎ立てる煽情的なジャーナリズムが描かれる。
「群衆」(1941年)、「市民ケーン」(1941年)、「地獄の英雄」(1951年)と映画で告発され続けれるアメリカ社会の宿痾である。

ラストはジャーナリズムによってあおられた群衆の暴動で監獄が破られ、囚人たちは主人公を含めてリンチを受け押しつぶされる。

日本の左翼独立プロの作品のように、無名の俳優を使って、ドキュメンタルに淡々と撮られた作品。
余計なエピソードなどはないので、ストレートに社会批判のテーマが迫ってくる。

「地獄の英雄」  1951年  ビリー・ワイルダー監督  パラマウント

「深夜の告白」(1944年)をヒットさせ、「失われた週末」(1945年)でアカデミー賞を受賞したビリー・ワイルダーはパラマウントでは好きなようにふるまえたという。

「サンセット踊り」(1950年)はワイルダーらしく悪意に満ちたハリウッド内幕もので、スニークプレヴューでは観客の嘲笑を浴び、試写を見たMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーを激怒させたものの、批評では絶賛を浴びた。

この「サンセット大通り」は、犯罪映画の体裁を取りながら、過去の栄光にすがる往年の大女優の妄執ぶりを正面から描いた作品で、彼女の夫だった往年の大監督で今は執事として彼女の下着を洗っている、という役をエリッヒ・フォン・シュトロハイムに演じさせ、「蝋人形のような」と劇中でナレーションされる老俳優役にバスター・キートンなどを実名で登場させる。

シュトロハイムはオーストリアハンガリー帝国出身のユダヤ人であり、人種的にもハリウッドでのキャリア的にもワイルダーの大先輩なのに。

大女優役のグロリア・スワンソンはこの時すでに実業界で成功しており、往年の大女優の妄執を演じるにしても、うらぶれた感じよりも、実像から滲み出す美貌と余裕が感じられたものの、役名の「ノーマ・デズモンド」にもワイルダーの細かな悪意が感じられた。

「ノーマ」はMGMのラストタイクーン、アービング・サルバーグの妻、ノーマ・シアラーからとったと思われ、「デズモンド」は、1920年代に愛人だった清純派女優に殺された?スキャンダルの主人公、ウイリアム・デズモンド・テイラー監督からとってはいないか?
だとするとワイルダーの「ハリウッド帝国」に対する寒々しい悪意と嘲笑がにじみ出たネーミングにならないか。

「ノーマ」については、1920年代にスワンソン、メリー・ピックフォードと並び称されたノーマ・タルマッジからの援用なのかもしれない。
ノーマ・タルマッジは夫のジョージ・スケンクがユナイテッドアーチスツの社長だったのでチャップリンとのつながりがある。
さらにノーマの妹ナタリーはバスター・キートンと結婚している。
「サンセット大通り」でのワイルダーのチャップリンとキートンへのこだわり(揶揄)からして、「ノーマ」の出典は、タルマッジなのかもしれない。
いずれにせよワイルダーの「ハリウッド帝国(村)」に対する皮肉・嘲笑が込められたネーミングである。

また、サイレント時代に実際に大監督といわれ栄華を極めたシュトロハイムが自己そのもののパロデイ役を演じるなど、人をバカにしたといおうか、弱い者いじめめいた内輪ネタにもほどがある配役。

しかもシュトロハイムは未完に終わった「クイーンケリー」(1929年)で、製作・主演にあたったスワンソンと揉め、彼女に大損害を与えた過去がある、との因縁まであるのだから何をかいわんや。

もっとも映画とは本来「見世物」であり、題材はアクション、犯罪、スリラー、エロ・グロ、ゴシップなどが受ける。
「サンセット大通り」は、ハリウッドのゴシップである「内輪ネタ」を題材に選び、グロ寸前の味付けを施した際どい企画で観客受けと批評家受けを狙う、という意味ではワイルダーの作戦勝ちでもあるのだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

ワイルダーの毒にまみれた「サンセット大通り」の次作が「地獄の英雄」。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーが監督し、ロシア系ユダヤ移民の両親のもとニューヨークの貧民街で生まれ育ったたカーク・ダグラス(1989年に邦訳が出版された自伝が「くず屋の息子」)が主演するドラマである。

この作品ではワイルダーの切り札「ハリウッドの内輪ネタ」は影を潜め、その毒はアメリカ社会のポピュリズムと煽情的なジャーナリズムに向けられる。
原作ものの映画化が多く、原作の力を借りて才能の枯渇を補っていたワイルダーには珍しく、オリジナルとはいえないまでも、実話からヒントをもらっただけの企画であることもポイント。

ニューヨークの売れっ子新聞記者だったダグラスが、アル中と上司の妻を寝取る癖により解雇され、ニューメキシコへと流れつく。
持ち前のはったりで地元新聞の記者職にありつくが退屈でしょうがない。

ある時にガラガラヘビ退治の取材に赴く途中で、インデアンの墓場で聖なる山といわれる場所で落盤があり、山の麓で土産物屋を営むインデアンが生き埋めとなっている現場に出くわす。
さあ、ダグラスの腕の見せ所だ。

あることないことでっち上げ、救出作業を遅らせて現場を仕切り、煽情的な記事と写真を送稿するダグラス。
現場には物見高い群衆であふれ、出店や遊園地まででき始める。
全国の新聞社が集まってくる。
現場を独占支配するダグラスの狙いは特ダネを全国紙に売りつけてのニューヨーク復帰だ。

毒々しくも空しいジャーナリズムの「売れてナンボ」の世界をカーク・ダグラスの、非情で狡猾な演技を通して描く。
「どこを切ってもカーク・ダグラス」にしか見えない、エネルギッシュにして暑苦しい演技ではあったが。

返す刀で、ニューメキシコの田舎町の汚職しか考えていない保安官や、流れ着いてインデアンの夫と結婚したものの土産物屋暮らしが嫌でしょうがないダンサー崩れの妻(ジャン・スターリング)のけだるさを描きこむのがワイルダーのスキのなさ。

夫が埋まっているのをいいことに、田舎を脱出しようとダグラスに迫る妻に、ダグラスの平手打ちが飛ぶ。
とりあえず男女はくっつけようとするハリウッド流演出へのワイルダーなりの、これも「批判的精神」か。

夫の両親の敬虔な信仰心の描写は「失われた週末」で示されたインデアン的なもの(アル中の主人公に唯一、飲み代5ドルを恵んでくれた、飲み屋の娼婦に部屋の入り口にトーテムポールがあった)へのワイルダーなりの関心とつながっているのか。

ワイルダー作品としてはあそびが少なく、ストレートな「批判的精神」に貫かれた「まじめ」な作品。
ワイルダーの主張がそのまま出ているように見える。
だからこそこの作品が「清廉潔白なるアメリカのジャーナリズムへのいわれなき攻撃」だとして批評家に酷評され、観客にも無視されたのだろう。

パラマウントに損失をもたらしたというこの作品は、現在ではワイルダーを語るうえで重要な作品だと捉えられている。

film gris特集より③ ハリウッド時代のジュールス・ダッシン

ジュールス・ダッシンも赤狩りのブラックリストに挙げられた映画監督。
1951年にアメリカを離れ、以降ヨーロッパで映画を撮り続けた。

ロシア系ユダヤ人移民としてアメリカで生まれたダッシンは、イデッシュ語演劇の俳優などを経て1940年にハリウッド入り。
1944年から1950年までアメリカ国内で映画を撮り、なかでも「裸の町」(1948年)はセミドキュメンタリータッチの犯罪映画の原点ともいわれる作品だった。

ヨーロッパに渡って4年後の1954年、フランスで「男の争い」を撮りカンヌ映画祭で話題になる。
同年、ギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会い、以降メリナ主演で「宿命」(57年)、「掟」(58年)を撮る。
1960年にはメリナ主演、ダッシン助演で「日曜はダメよ」を撮り、アカデミー主演女優賞などを受賞した。

1971年刊のメリナ・メルクーリ自伝「ギリシャわが愛」表紙

手許にダッシンのヨーロッパ時代の盟友にして妻であるメリナ・メルクーリの自伝がある。
「ギリシャわが愛」と題した自伝で、彼女の少女時代から、演劇を志し、数々の恋人、友人らと出会った青年期。
映画に進出し、ダッシンに出会い行動を共にする壮年期に至るまで、を彼女らしい自由な感性のままにつづったもの。

「世界で私のもっとも愛するギリシャ」の書き出しで始まるこの自伝には、戦中戦後のギリシャ国内の混乱と1966年に起こった軍事クーデターという時代の流れと、祖国を愛するがゆえに歯に着せぬ言動を続けるメリナの姿があふれ出る。
彼女は軍事政権から国籍はく奪されながらも、ダッシンとともにアメリカで舞台に、自由を訴え続ける(自伝の出版後、軍事政権が崩壊し、メリナは祖国に帰還する)。

自伝より、ダッシンについての章

自伝には、1954年のカンヌ映画祭でのダッシンとの出会いの様子が。
また、当時のアメリカ国内の反共ヒステリーの様子が活写されている。

ダッシンについて
「ハリウッドのブラックリストにのった人物と知っていたから、いかにも被害者面をし、悲痛な雰囲気を漂わせた男とばかり思っていた(中略)五年間というもの全く干されてきたこの男は、陽気で、楽天的で、弾むような精神の持ち主だった。」(自伝P136)

赤狩りについて
「1947年、ハリウッドが共産主義者の巣窟として攻撃され、非米活動調査委員会はハリウッド映画にはアカの宣伝が含まれていると決めつけた。この知らせにヨーロッパの人々は腹を抱えて笑ったものだった。けれどもその笑いは長くは続かなかった。アメリカ映画は屈服し、崩壊したのである。」(自伝P137)

何という生き生きとした情景描写であり、また歯に衣着せぬハリウッドに対する評価であろうか。
まさに自由人メリナ・メルクーリの面目躍如の一節であり、興味深い。

「日曜はダメよ」で共演したメリナとダッシン

上映中のシネマヴェーラ渋谷のfilm gris特集では、ハリウッド追放前(メリナとの邂逅前)の貴重なダッシン作品が上映された。

シネマヴェーラの特集パンフより

「真昼の暴動」 1947年  ジュールス・ダッシン監督  ユニバーサル

原題は「Brute Force」。
囚人の脱獄ドラマであるから、囚人の野獣性を表す命名かと思いきや、「野獣」は、実は刑務所の看守長に象徴される権力側の本質であった、というもの。

反体制志向とヒューマニズムに貫かれた作品ながら、虐げられる側の怒りを強烈にフィーチャーした作品でもある。
主演のバート・ランカスターをはじめ、囚人役たちの演技からは、その不屈さ、強さ、やさしさが立ち上っており、ゆるぎない精神性が表れている。

シネマヴェーラの特集パンフより

看守長役のヒューム・クローニンは、無表情で小柄、職務に忠実な役人風。
だが実像は己の欲望にのみ忠実なサデイスト。
何やらナチス系の悪役をほうふつとさせる存在。
看守長を取り巻く、刑務所長や役人などが、そろいもそろって優柔不断だったり、己の栄達のみを考え、悪を助長する小役人キャラであることも、ナチス台頭時のイギリス他列強首脳の優柔不断な対応を思わせる。

権力側がそのように悪質で強力な場合、虐げられる側はえてして弱く、善良に表現されることが多いが、どっこいこの作品では、囚人側もランカスターに象徴されるように、不屈で逞しくゆるぎなく描かれているので、全編緊迫感に満ち、決闘アクションもののようにスリリングに映画が進む。

緊迫感が高まるに任せ、ラストまで突っ走るこの作品は、ランカスターの怒りが看守長を叩き潰すまでを「痛さ」を伴った痛恨の画面を通して描き切る。
が、観客にカタルシスをもたらすアクションの爆発はすぐに終わる。
囚人たちの爆発は確かに第一の敵である看守長を叩き潰しはした、が、同時にランカスターもやられ、鎮圧される。

これだけの暴動があっても鎮圧後は何事もなかったかのように刑務所(体制)は続く場面で映画は終わる。
体制とは、権力とは、決して俗人的なだけのものではなく、虐げられる者たちの反発だけでは決して揺るがないものだというように。

ダッシン初期のヒット作で、その映画的サービス精神、馬力、緊張感が全面に満ちた傑作。
ランカスターにとっては「不屈の男らしさ」という後々までの俳優としてのキャラを確立した作品。

囚人の一人の回想シーンに出てくるのが、ロバート・シオドマク監督の「幻の女」(1944年)、「容疑者」(1945年)、「ハリーおじさんの悪夢」(1945年)に出ていたエラ・レインズ。
シオドマクのノワール調の映画では、訳アリの悪女っぽい役柄で印象的な女優さんだった。
この作品では、妻のために不正経理を行った真面目な囚人の若妻役で一場面だけ登場する。

「裸の町」 1948年  ジュールス・ダッシン監督  ユニバーサル

裸の町とはニューヨークそのもののこと。
活気にあふれ、猥雑で腹黒く、勝ち組負け組に分かれるが、時代の先端を行き魅力的な街のこと。

「真昼の暴動」に続いてジュールス・ダッシンを監督に起用した製作者のマーク・ヘリンジャーのナレーションで始まるこの作品。
「今までの映画とは違います。スタジオではなくニューヨークで全編ロケして作りました」との口上が述べられ、セミドキュメンタリーと銘打ったこの作品が始まる。

街の雑踏、地下鉄駅、夜のとばり、夜間も稼働する工場、早朝の新聞社など、ニューヨークの実写が続く。
続いて、窓越しの遠景ショットで、ある夜のある部屋での殺人事件が窓越しに映し出される。
あっという間にドキュメンタリーからドラマに移行していたことに気づかされる。

ドラマが語られる間も、ロケ撮影を多用し、街の住民たちを巻き込んでのゲリラ的撮影が行われる。
当時としては画期的な手法である。
今見ると、街頭ロケのやり方などはおとなしく、むしろドラマ部分の劇的興奮の方が印象的に感じるが。

シネマヴェーラの特集パンフより

戦争当時はヨーロッパで従軍していた新人刑事(ドン・テイラー)と海千山千のベテラン刑事(バリー・フィッツジェラルド)のコンビが絶妙。
わき役の刑事たちの生活感もすごい。

新人刑事の家庭では不在気味の旦那に不安を募らせる新妻の様子も描かれる。
人物描写もセミドキュメンタリータッチなのだが、ここら辺にこの作品の価値がある。

徹底した足で稼ぐ捜査。
ベテラン刑事の的確な指示と、四の五の言わずに足を動かす新人刑事。

カメラも俳優と一緒に街へ飛び出してゆく。
犯人を追いかけるシーンのロケでは通行人が走る俳優を避け、また振り返る様子が捉えられる(隠し撮りではあるが、路上のおそらく車中から撮られていたり、建物の階上からの俯瞰ショットで撮られている)。

「仁義なき戦い」シリーズの、街頭の通行人を巻き込んだかのようなゲリラ撮影のカットを思い出す(こちらは俳優のアクションを通行人がいる路上で、手持ちの隠しカメラによって撮影しており、驚き避ける通行人の姿が生々しくとらえられる。後日制作者は警察に呼ばれさんざんに絞られたという)。

犯人を追いつめる終盤では、地下鉄の高架下をパトカーが追いかけるカットが鉄橋の真上から撮られる。
「フレンチコネクション」(1971年 ウイリアム・フリードキン監督)の1シーン、ジーン・ハックマンが地下鉄に乗った犯人を、信号無視で鉄橋の下を追走したスリリングな名場面の、これが原典だ。

街角で遊ぶ女の子、ハドソン川にかわるがわる飛び込む少年たち。
街角には女性が颯爽と歩き、今ではクラシックカーと呼ばれるアメ車が走り回る、馬車も現役で働いている。
ニューヨークの実景が活写され、単なるつなぎカット以上の効果を挙げている。

主役をニューヨークとし、その懐で右往左往する人間を描いた作品。
どこを切ってもニューヨークが顔を出す中で、ドラマ部分がスリリングで、サービス精神満点。
正義が貫かれ、馬力があり、すっきりした結末を迎えるドラマ作りはダッシンらしくていい。

1948年当時のニューヨークの風景からは富と余裕が感じられる。

「街の野獣」  1950年  ジュールス・ダッシン監督   20世紀FOX

ハリウッドの赤狩り騒動でブラックリストに載ったダッシンが、イギリスで撮った作品。
ロンドンを舞台にしたノワール作品だが、配役はハリウッドのA級ランク(予算はB級だろうが)。
監督としてのダッシンの評価がすでに定まっていることがうかがえる。

ロンドンの貧民街で詐欺を生業にしているチンピラ(リチャード・ウイドマーク)が追っ手から逃げ回るシーンで始まる。
チンピラには正業時代に結婚を誓った女(ジーン・ティアニー)がいる。
サッカーくじの借金取りである追っ手から逃げ回ったチンピラは女の部屋に逃げ込み、5ポンドを借りて借金を払う。
女は男との結婚を夢見ながらキャバレーで働いている。

ジーン・ティアニーは、「タバコロード」(1941年)、「ローラ殺人事件」(1944年)をはじめ「哀愁の湖」(1945年)、「幽霊と未亡人」(1947年)に出演したA級スターだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

チンピラはひょんなことからかつての強豪プロレスラー(スタニスラフ・ズビスコ)に気に入られ、ロンドンのプロレス興行権に手を出す。
プロレス興行はボクシング以上にプロモーター(≒やくざ)の利権(≒シノギ)。
素人やチンピラが手を出せるものではないが、強豪に気に入られている(プロモーターは強豪の息子でもある)というただそれだけで、リンチと抹殺を保留され、調子に乗るチンピラ。

強豪レスラー役のズビスコはプロレス史上のレジェントで、プロレスが真剣勝負だった時代にグレコローマンスタイルで一世を風靡し、1925年には当時当たり前となりつつあった「筋書」のあるプロレスのタイトルマッチで掟破りの勝利をするなど、リアルなセメントレスラーとしてファンの人気を集めていた。
「街の野獣」出演当時は引退していたが、映画での役柄通り、ショーマンスタイルのプロレスを嫌悪する伝説のレスラーだった。

前作「裸の町」では、殺人の下手人がプロレスラーという設定で、トレーニングのシーンもあり、ダッシンのプロレスに対する興味のほどがうかがえたが、本作では重要なわき役として伝説のプロレスラー(ズビスコ)を起用。
トレーニングシーン、けいこ場でのセメントマッチのシーンに長時間の尺を取っている。

プロレス興行からも締め出され、当然の落とし前として惨殺され川に捨てられるチンピラを、若いウイドマークがシャープな動きで熱演。
可哀そうなだけのジーン・ティアニーには、秘かに彼女を思い続けていたアパートの真面目な若者と結ばれるエンデイングが用意される。

ロンドンの下町の光と影。
乞食たちを束ねるくず拾いの親玉。
バッタ品専門の故買業者の女。
嫌がる女を情婦に囲い続ける太ったキャバレー経営者。
チンピラを誘惑して情夫から逃げようと計るやり手女。

そろいもそろって癖のありすぎるキャラクターが蠢き回る。
悲惨なはずの彼等からは、同時にユーモラスな人間味も感じられるのは監督ダッシンの持ち味か。
「真昼の暴動」のルサンチマンの暴発や、「裸の町」のような徹底したリアリズムは影を潜め、スターシステムにのっとったノワール風ギャング映画の色合いが濃い。

製作はサム・スピーゲル(作品クレジットはS・P・イーグル名)。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、のちに「アフリカの女王」(1951年)、「戦場にかける橋」(1957年)、「アラビアのロレンス」(1962年)を製作したひと。
50年前後にはオーソン・ウエルズ(「ストレンジャー」(46年))やジョセフ・ロージー(「不審者」(51年))などメジャーでの起用が忌避されていた監督を起用していた。
またエリア・カザン監督バッド・シュルバーク脚本で「波止場」(1954年)を製作した。

本作での2大スターのキャステイングや、20世紀FOXの配給(=出資)を勝ち取ったのは製作者スピーゲル(イーグル)の功績であろうがこの映画、実情は、ブラックリストの監督を起用し、イギリスの貸しスタジオでハリウッドスターをプロデユーサーの腕力で招集して撮影された、いわば独立プロ作品、ということなのだろう。
ハリウッドで最後にダッシンに手を差し伸べたのが、スピーゲル(イーグル)ということになる。

本作でハリウッド(イギリスでの撮影だが)での活動を終えたブラックリスト上のダッシンにはこの後、仕事のオファーはもちろんなく、またハリウッド関係者は、映画祭などでも彼と一緒に写真に写ることを避けたという。

ヨーロッパに脱出したダッシンが、「男の争い」でカムバックし、また盟友にして妻となるギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会うまでにはこの後4年の時が必要だった。

film gris特集より② ジョセフ・ロージー初期作

ジョセフ・ロージーは舞台演出家出身のアメリカ人映画監督。
ユダヤ人ではない。
左翼系演劇時代にはドイツから亡命中のベルナルド・ブレヒトとも協働したという。

制作者ドーリ・シャリーの引きでハリウッドに渡り、「緑色の髪の少年」で映画デヴュー。

シャリーはMGMを皮切りに、セルズニックプロ、RKO、ふたたびMGMと渡り歩いたプロデユーサーで、「少年の町」(1938年)、「らせん階段」(1946年)、「十字砲火」(1947年)、「二世部隊」(1951年)、「日本人の勲章」(1955年)などを手掛けた。
中でも、当時(今でも)マイナーな存在の日系人とその差別問題をさりげなく取り上げた「二世部隊」「日本人の勲章」はユニークなテーマ性を持っており、シャリーの特性を表している。
進歩的映画人に寛容なシャリーが、左翼のジョセフ・ロージーにデヴュー作を撮らせることになる。

ジョセフ・ロージー

ロージーは、ハリウッドで5本ほど監督(「緑色の髪の少年」(48年)、「暴力の街」(50年)、「M」(50年)、「不審者」(51年)、「大いなる夜」(51年))するが、1951年非米活動調査委員会の影響によりブラックリストに載り、アメリカを脱出。
以降イギリスを本拠にヨーロッパで活動し、最後までハリウッドには戻らなかった。
代表作に「エヴァの匂い」(1962年)、「できごと」(1967年)、「恋」(1970年)など。

ビスコンテイやベルイマンと同じく舞台演出家としても高名なロージー作品には、ジュリー・クリステイー(「恋」)やアラン・ドロン(「暗殺者のメロデイ」(72年)、「パリの灯は遠く」(76年))、ジェーン・フォンダ(「人形の家」(73年))などのスターが出演することでも知られた。

シネマヴェーラ渋谷のilm gris特集では、ロージーの貴重なハリウッド時代の作品が取り上げられた。

「緑色の髪の少年」 1948年  ジョセフ・ロージー監督  RKO

戦争孤児で親戚のおじさんと暮らす少年の髪の毛が緑色に変わった。
少年は仲間にいじめられて家出する。
緑色の髪は戦争の悲惨さに対し人々に注意を向けさせるための象徴だと気づいた少年は町に戻り、人々に説くが、人々は受け入れない。

戦後すぐに起こった核実験や反共の嵐。
時代に流されて疑問を感じない人々。
これらへの警鐘をテーマとした反戦寓話。
緑色の髪の毛を表現する意味もあり、カラーで撮られた。

おじさん役のパット・オブライエンと少年

ナイーブなテーマと平板な造りに初々しさを感じるジョセフ・ロージーのデヴュー作。

少年のおじさん役のパット・オブライエンが味のある演技を見せる。
髪の色が変わった少年を精神医学的に分析する博士にロバート・ライアンだが、性格上特色のない役でロバート・ライアンを使うのはもったいない感じもした。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

映画的興奮と過度なテクニックの使用を避け、淡々とした描写に徹するロージーの持ち味がデヴュー作で早くも発揮されているのが興味を引く。

シネマヴェーラの特集パンフより

「不審者」 1951年 ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

ロージーの長編4作目。
力のこもった一編に仕上がっている。

サイコパス気味の警官(ヴァン・ヘフリン)が、夜を一人で過ごす人妻(イヴリン・キース)にほれ込み、パトロールがてらの訪問を繰り返す。
偶然二人が同郷だったことなどから打ち解け、警官の手練手管もあって二人は恋人関係に。

警官はパトロール中の事故を装い、人妻の亭主を射殺。
裁判で無罪を勝ち取り、人妻と結婚する。

ここら辺から二人の力関係が変わってゆき、予定外の妊娠から完全犯罪がばれるのを防ぐために、砂漠の廃墟に逃げ込んむ頃には、開き直って堂々とする女と、嘘にうそを重ねようとあたふたとする男と、二人の心理的状況が逆転する。

「不審者」の一場面。砂漠の廃墟で出産を待つイヴリン・キースとヴァン・ヘフリン

全体を通して芸達者なヴァン・ヘフリンの一人芝居ともいうべき演技力に支えられている。
好人物役が多いヘフリンだが、サイコパス気味の役も上手に演じ、悪徳警官の小悪党ぶりから、自滅に向かうあたふたぶりまで大車輪の演技を見せる。

監督であるロージーの関心は、サイコパスによる犯罪映画にあるわけではないので、途中からヘフリンの異常ぶりは薄められ、「ひょっとして人妻に横恋慕しただけの小心な小悪党」だったのか、と思わせる。
むしろ土壇場での「開き直った強い女心」の潔さ、あるいは「不正は正直な正義の前には所詮無力」であることを描きたかったのか。

夜のシーンが多く、光と影を塩梅した撮影が秀逸で、一見サイコサスペンス調の映画でありながら、平凡な人物の奥底に潜む異常性と小心さとその破滅を描いた作品。
力がこもるのは演じる役者であり、作る側は淡々としてクールに人間性を描くというのがロージーらしい。

シネマヴェーラの特集パンフより

「大いなる夜」 1951年  ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

この作品を最後にハリウッドのブラックリストに載ったロージーがアメリカを離れることになる、上映時間73分の中編。

都会の下町のバー。
17歳の主人公が尊敬する父がマスター。
父は離婚している。

主人公の17歳の誕生日。
父はバースデーケーキを作ってくれた。
その夜に新聞記者をやっている街のボスがバーにやってきて、父をステッキで殴り倒す。
黙って耐える父。
主人公は耐えきれず、ボスへの復讐を誓って夜の街をさ迷う。
バーの引き出しにあった拳銃をもって。

夜の歓楽街で見知らぬ大人と仲良くなったり、女性と初めてのキスをしたり、ボスに詰め寄って拳銃が暴発したり。悪夢で始まった少年の一夜は、迷宮のような大人の世界に翻弄される。

突然降りかかった不条理な悪夢は、当時の反共の世相の恐怖感を反映したものか。

権力の象徴としてのボスの存在。
少年が交わる大人の世界の猥雑さ、権力者へのスリより、手のひら返しは、世間一般の頼りなさ、ご都合主義を表しているのか。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

主人公の少年のナイーブさ、頼りなさ、解決能力のなさは、現実的なロージーの世界観を反映しているのか。
ショッキングな設定ながら、地味に淡々とした描写に終始するところがロージーらしい。
彼が求めるのは映画的テクニックによる興奮ではなく、役者の演技を通しての熱量なのだろうから。

シネマヴェーラの特集パンフより

film gris特集より① 赤狩りとジョン・ガーフィルド

ジョン・ガーフィルドは1940年代に活躍した映画俳優。
ロシア系ユダヤ人としてニューヨークに生まれ、幼くして母を失い、一家離散のまま貧民街で育った。
10代の時、のちのアクターズスタジオとなるシアターグループに参加し演劇への道に入る。

舞台で人気が出た後、ワーナーブラザースにスカウトされ、1938年に映画デビュー。
ヒット作がなくこの間の代表作は、デビュー作の「四人の姉妹」(1938年)を除けば、MGMにレンタル出演となった「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)などにとどまる。

1946年、独立して自身のプロダクション、ロバーツプロ(ガーフィールドのマネージャーであるボブ・ロバーツをプロデユーサーとする)を立ち上げ、独立プロのエンタープライズと提携。
すでにハリウッド入りしていた共産党系映画人たち、エイブラハム・ポロンスキー、ロバート・ロッセンらと組んで作った「ボデイアンドソウル」(1947年)や次回作の「悪の力」(1948年)が生涯の代表作となる。

1951年の「その男を逃すな」が遺作となり39歳で没。
心臓発作が死因といわれるが、1951年の非米活動調査委員会(通称:ハリウッド赤狩り)に証人喚問されたことなどによる心労が遠因だった。

1951年、非米活動調査委員会にて証言するガーフィールド

シネマヴェーラ渋谷で2023年末から新年にかけて上映された「film gris」特集は、1947年から51年にかけて製作された「アメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルム・ノワール作品」を集めてのもので、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ベリー、サイ・エンドフィールド、ジュールス・ダッシンなどの監督作品がピックアップされた。
いずれの作家も、赤狩りの証人喚問を受けたり、ブラックリストに載って干されたり、海外へ脱出するなど、非米活動調査委員会による迫害を受けた人物である。

この特集で、ジョン・ガーフィールドの出演作品も4本ほど上映されており、当該作品の監督、脚本は多くが喚問を受け、ブラックリストに載り、のちに亡命するなどした映画人たちである。

ガーフィールド自身は、非米活動委員会における証人喚問において、自身の共産党入党の事実や共産党に対するシンパシーを全面否定し、また仲間の活動歴について全く知らないと証言はしたものの、当時別居状態ではあった妻が共産党員であるなど、演劇時代からハリウッド時代に至るまで、共産党員やそのシンパとの深いつながりがあったのは事実だった。

赤狩り時代に、証人喚問され、またブラックリストに載った映画人が実名で仕事をし続けるためには、共産党員もしくはシンパの仲間を告発するしかなかった(エドワード・ドミトリく、エリア・カザン、ロバート・ロッセンらのちの有名監督が仲間を告発し「転向」した)。

ジョン・ガーフィールドは仲間を売らずに、永遠に自らの実名(芸名)を映画史に残すことができた。
自らの死によって。

シネマヴェーラ渋谷でのfilm gris特集ポスター

「ボデイアンドソウル」 1947年  ロバート・ロッセン監督  ユナイト

エンタープライズプロ製作(ユナイト配給)によるボクシング映画のレジェンドにして金字塔。

本作の監督はロシア系ユダヤ人としてニューヨークに生まれ演劇人として活躍。
演出した舞台を映画監督のマービン・ル・ロイに認められてハリウッドにスカウトされた、ロバート・ロッセン。

原案・脚本は同じくロシア系ユダヤ人として薬剤師の親の元、ニューヨークに生まれ、小説家志望ながら弁護士の資格も持つ共産党員のエイブラハム・ポロンスキー。
彼は戦時中に書いた小説を読んだパラマウントからスカウトされハリウッドにいた。

ハリウッドで寄寓を得た才能ある左翼のユダヤ人たちが、結果としての転向(ロッセン)、追放(ポロンスキー)、自死(ガーフィールド)を迎えるまでのつかの間に産んだ貴重な傑作「ボデイアンドソウル」。
それは、チャップリンにとっての「独裁者」、オーソン・ウエルズにとっての「市民ケーン」のように、稀有な才能が千載一遇のチャンスに遭遇し、奇蹟によって生みだし、そして歴史上に残った映画だった。

開巻からエンドまで、緊張感と映画的興奮に満ち、作り手と演じ手の高揚が伝わってくるかのような映像が続く。

都会の貧民街で菓子屋を営むユダヤ移民の家庭に生まれ育ち、ボクシングしか知らない主人公チャーリー(ガーフィールド)が、金のためにプロで売り出し、やがて世界戦を組まれるまでになるが、待ち受けていたのはボクシング界を仕切る賭けと八百長の世界だった。

それまでは差別や貧困に苦しみながらも力で状況を切り開いてきた主人公。
勤勉を旨とし、力を信奉する息子に忸怩たる思いの母親(「緑園の天使」の母親役で忘れられぬ印象を残し、赤狩りでハリウッドを去ったアン・リヴェアが扮する)。
菓子屋のレジから「ボクシングの道具代に」となけなしの10ドルを主人公に渡してくれた父親は、暴走車が店に突っ込んで下敷きになって死んでゆく。

学生チャンピオンになり、民主党議員のパーテイに呼ばれ、壇上に現れたミス民主党の女性ペグ(リリー・パルマー)の部屋に押し掛けるチャーリー。
画学生のペグはバイトでモデルをしており、たまたま民主党議員のパーテイーにミス役で雇われていたのだった。
ペグが話す英語の発音に注目するチャーリー。
ペグも移民だとわかる(リーリー・パルマー自身がドイツ人)。
移民の子孫の若者同士に芽生えるシンパシー。

親しくなったペグがチャーリーに実家を訪ね、夕食を共にしている時に民生調査員がやってくる。
母親がチャーリーの奨学資金にと申し込んだ融資に対する役所の調査だった。
「ユダヤ系白人ですね・・・」に始まる調査員の身元調査。
チャーリーの両親が東欧・ロシア系のユダヤ人であることがわかる。
ボクシングで身を立てる決心をしているチャーリーは夕食の最中にやってきたこの調査員を追い出す。

別の場面。
チャーリーの実家の台所。
たまたま寄った近所の住人(聖書由来のバリバリのユダヤ人ネーム)がブドウを食べながら「エデンのようだね」と喜ぶ。
何気ない近所の移民同士の交流。
会話に加わり、ブドウを口にしたチャーリーだが、旧態依然とした同胞の傷をなめ合うような慣れあいにブドウをたたきつけて苛立ちをあらわにする。

映画の各所にちらちら現れるチャーリーらのユダヤ人としての苦い思い出。
ただし、ポロンスキー脚本のユダヤ人に関する描写には、差別に対する被虐趣味や懐古趣味にとどまらない。
主人公に決然とした態度を取らせることにより、尊厳と現状打破とを志向する姿勢がある。

この姿勢は映画の最後まで貫かれ、チャーリーは八百長を仕組んだプロモーターに抗して掟破りの真剣勝負に出る。圧倒的興奮の中、チャーリーに駆け寄るペグ。
抱き止めたチャーリーは、にらみを利かせる八百長プロモーターの前で「最高の気分だ」と叫ぶ。

ボクシングシーンの撮影風景

「ロッキー」で劣勢の強敵を打ち破り「エイドリアン!」と叫ぶスタローンの名場面の原典でもあろう名シーン。
そういえば「ボデイアンドソウル」のヒロイン・ペグは最後まで主人公を信じて陰ながら支えるという点では、「ロッキー」のエイドリアンの原典ともいうべきヒロイン像ではないのか。

筆者が見た版では「最高の気分」のチャーリーが、悪徳プロモーターの意味深な祝福を受けながら、ペグと抱き合うところで終わる。
監督のロッセンは、掟を破ったチャーリーがプロモーターに殺されるカットで終わらせたかったが、ポロンスキーが脚本の改訂を許さなかったという。

八百長を操りながら、自らの利益のみを追求するプロモーターを執拗に描写するなど、ポロンスキーの脚本は世の悪=権力をリアルに表現するが、自らの力を信じて突き進む主人公や、一筋に主人公を信じるヒロインを通して、世の中への希望のような感性も大切にしている。

映画的興奮の中に「現実」と「希望」を描き切った本作は映画史上の傑作だった。

エイブラハム・ポロンスキー

監督のロッセンは、この作品の後「オールザキングスメン」(1949年)を演出し、アカデミー賞の候補となるが、同時にハリウッド赤狩りの餌食となり、結局、党員を密告して転向。
のちに名作「ハスラー」(1961年)でハリウッドにカムバックするが、作品を覆うのは苦渋に満ちたムードだった。
彼も赤狩りによる犠牲者だった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「悪の力」 1948年  エイブラハム・ポロンスキー監督  MGM

「ボデイアンドソウル」はヒットした。
エンタープライズプロは、ガーフィールドの主演で次作を企画。
「ボデイアンドソウル」の脚本家ポロンスキーを監督、脚本に迎えて制作したのが「悪の力」だった。

そこには、ポロンスキーのテーマともいえる、個人と権力の対決、権力の怖さ・悪辣さ、悪に染まらない個人の心情のピュアさ、が、あえて映画的興奮を排した画面でよりシンプルに描かれている。

「悪の力」の一場面

この作品のガーフィールドの役柄は移民ユダヤ人家庭から成り上がった弁護士で、ナンバーくじを非合法に扱う組合の顧問を務めているというもの。
いわば悪徳弁護士の役だ。

ガーフィールドの兄は弁護士の夢をあきらめて弟を援助し、今では貧民街の個人業者として非合法ナンバーくじに関わっている。
じり貧の兄を救おうと、自らのネットワークを逆手にとって巨大な非合法くじの組合を出し抜こうとしたガーフィールドだが、悪の世界では1枚も2枚も上手の相手に逆襲され、兄を殺されたうえに、自身も社会的に抹殺される。
川岸に無残に捨てられた兄の死体を残し、すべてを失った主人公が悪の世界を白日の下に晒して戦おうと歩きだすのがラストシーン。

「ボデイアンドソウル」と異なり、主人公は知力と計略を武器に悪=権力と戦う。
といっても貧民出身の主人公は、すでに悪の世界の使い走りの身でもある。
最後に残ったわずかな正義感と、家族への恩返しの気持ちから、兄を救済しつつ悪の世界を裏切ろうとする。

最初は弟の申し出に兄が猛反発する。
そこには貧しいながらも己の才覚で底辺を生き抜いたプライド(おそらく民族的プライドも)がある。

主人公は兄を説得し、悪の組織の足元をすくおうと知力を尽くすが、一筋縄ではいかない。
悪知恵の世界も奥が深く、図式は単純ではない。
ここら辺のポロンスキー脚本のち密さはすごい。

主人公を巡る女性達。
しっかり者の母親。
兄の事務所で出会う無垢な女性(ビクトリア・ピアソン)。
彼女らは最後まで主人公を信じ、陰乍ら応援する。
「ボデイアンドソウル」の母親とペグと同じ図式で、ポロンスキーの母性や女性に対する心情には、純粋なものへのあこがれがある。

本作はエンタープライズプロ作品でありながら、つながりのあるユナイトに脚本段階で配給を断られ、MGMに持ち込まれて実現した。
作品はヒットせず、エンタープライズプロ倒壊の一因となる。
万が一ヒットしたとしても、ガーフィールドをはじめ、ポロンスキー、ロッセンら主要メンバーはこの後の赤狩りとブラックリストによって活動を制限されたのが歴史上の事実であり、いずれにせよ同プロの命運はここまでだったろう。

テーマの人間性、作劇の巧みさ、人物像の描写など、稀有な才能の持ち主、エイブラハム・ポロンスキーをたっぷり堪能できる作品は、「ボデイアンドソウル」と「悪の力」の2本のみを残し、赤狩りの嵐とともに歴史から過ぎ去った。

ブラックリストに載ったポロンスキーはハリウッドを離れ、仕事の場をニューヨークのテレビに移した。
映画監督への復帰は、実に「夕陽に向かって走れ」(1969年)まで待たなければならなかった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「その男を逃がすな」 1951年  ジョン・ベリー監督  ユナイト     

ジョン・ガーフィールドの遺作。
39歳だった。

彼の持ち味だった下層階級出身の小悪党役。
今回は粗暴で無知なチンピラ強盗に扮し、逃亡中に成り行きである家庭に立てこもることに。

逃亡中にプールで出会った若い女(シェリー・ウインタース)の家庭に潜り込む。
父親が新聞社の職工、娘(ウインタース)はパン屋のウエイトレスという、堅実だが中流以下の家庭。

「異物」としての侵入者(ガーフィールド)を迎えて、恐怖というよりは戸惑いを隠せない家族たち。
だんだん侵入者のガーフィールドが「迷惑者」「被差別者」に見えてくる。

このあたりの映画的建付けは、家庭への侵入者をひたすら恐怖の対象とした「必死の逃亡者」やサイコパスな侵入者の恐怖を描く「恐怖の岬」などと異なる。
余分な恐怖感を排した分、侵入者と一般家庭との、下層階級者同士ではあるが、根本的な「違和感」「ズレ」を際立てている。

ガーフィールドと女(ウインタース)の関係も微妙で、女はガーフィールドに、ときに同情的でときに救済的な態度を示す。
表面上は粗暴な犯罪者でありながら、実態は社会的弱者でもあるガーフィールドは、彼女の心情が理解できず破滅してゆく。
「無知や粗暴さの故だけではなく、民族差別や貧困を故とする社会的弱者」は所詮救われないのだ、というのがこの作品のテーマであろうか。

シネマヴェーラの特集パンフより

左翼でもあった監督のジョン・ベリーは、非米活動調査委員会の召喚を待たずにヨーロッパに渡り、ハリウッドの戻ったのは60年代後半になってからの経歴を持つ。
製作は「ボデイアンドソウル」「悪の力」のビル・ロバーツ。

重要なヒロイン役を演じるのはシェリー・ウインタース。
薄幸な女性だったり(「陽の当たる場所」(1951年))、豪快な鉄火女だったり(「フレンチー」(1950年))、母親役だったり(「アンネの日記」(1959年))と広い役柄を誇る。
本作「その男を逃がすな」では、彼女の若いころの当たり役「薄幸だが母性的な女性」を存在感をもって演じており、作品に深みをもたらせていた。

「豹は走った」と西村潔

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集「ニュープリント大作戦」で「豹は走った」が上映された。

当日のラピュタ阿佐ヶ谷の上映案内より

「豹は走った」 1970年  西村潔監督  東宝

東宝ニューアクションと呼ばれた作品群のエース監督だった西村潔監督のデヴュー第3作。
主演は加山雄三と田宮二郎、ヒロインに加賀まりこを起用した、1970年の作品。
前年に「死ぬにはまだ早い」で監督デヴューしたばかりの西村がメガホンを取り、脚本には長野洋と石松愛弘。

「若大将」を卒業し、今後を模索中の加山と、大映で育った田宮、松竹育ちの加賀というキャステイングが異色ならば、脚本の石松も大映育ちで、東宝には珍しい混合チームによる作品。
折から、大映が倒産し、日活もロマンポルノ路線に移行直前の、いわば映画界の斜陽化が待ったなしの時代。
阪急資本をバックとし、保有する劇場群の上りが堅調とはいえ、ヒット作に乏しかった映画会社東宝の試行錯誤がうかがえる企画。

ラピュタ阿佐ヶ谷のホールに貼られたポスター

形式上刑事職を辞職して某国大統領の護衛を命じられる加山(:シェパード)。
必要なら事前に発砲することも許される秘密任務だ。
片や正体不明の殺し屋・田宮(:ジャガー)が大統領を狙う。
二人が死力を尽くしてやり合う。
バンバン発砲し合う「乾いた」銃撃シーンが、洋画のアクション映画のよう。

動機や理由の説明描写を省いて、純粋なアクションに徹した西村演出が新感覚。
これぞ東宝ニューアクション。
加山が武器を選ぶ時の警察署内の武器庫に並んだ特殊な拳銃たちと、それを専門的に説明する武器係のオタクっぽさも映画的に、いい。

大統領暗殺のためにジャガーを雇ったのは総合商社の会長(中村伸郎)。
大統領が死んだら現地の革命勢力と結託し、万が一生き残っても現勢力と「ソデノシタ」関係を継続、と「金がすべて」の資本主義の権化・日本商社が黒幕だった、という意外性。
小津作品のエリート紳士が定番だった中村が演じる商社マンは、いつもの飄々とした演技で「商社の怖さ」を表現する。
大手商社に象徴される営利活動はその極限に於いて、道徳性なり信義性とは無関係に、人命ですら尊重されずに、社会にの裏の機能を駆使して行われるものだ、という怖さ。

この作品が日本映画らしさを越えて「ハードボイルド」なのは、クールな脚本だけではなく、加山をそれらしく(秘密任務の刑事役は適役)演出し、スピーデイーなカッテイングでまとめた西村監督の手腕によるもの。

田宮二郎は、大映時代の「悪名シリーズ」モートルの貞、や「犬シリーズ」の勢いと調子のいいチンピラ役、があまりにはまり役だったこともあり、出てくるだけで大映カラー(背後に永田雅一と勝新太郎と大阪新世界の匂い)が立ち込めてしまうが、それも田宮のカラー。

加賀まりこはデヴュー当時の「妖精系不思議ちゃん」キャラから脱皮し、商社の裏活動にタッチする大人の秘書役をこなし、存在感をみせていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

ほかの西村潔監督作品について

「白昼の襲撃」(1970年)

西村監督の第2作目。
主演の黒沢敏男のチンピラぶりがよかった。

相手役の高橋紀子は東宝青春スター候補の一人だったが、この作品では盛り場で黒沢にナンパされ、転落の道に落ちる「軽い」が最後まで黒沢を信じ、ついてゆくヒロインを演じる。
アメリカ映画のフィルムノワールのヒロインのように、汚れながらも懸命に、自滅する主人公についてゆく姿が泣かせた。
彼らが絡むやくざの代貸し役で岸田森が怪演。
テンポよくクールな西村演出がますます冴える。

「ヘアピンサーカス」(1972年)

首都高を突っ走るスポーツカーの主観映像がタイトルバック。
映画はその後も、まるで16ミリカメラで撮ったドキュメンタリーのような映像でひたすらカーアクションを追求する。
CGではなく、全部が実写。

主役は現役カーレーサーの見崎清志という人。
ヒロインの江夏夕子くらいが名の知れた俳優の、若い走り屋たちのクールでドライな青春物語。

ドラマ性に乏しく、まったく東宝映画らしくないこの作品の制作動機は、五木寛之原作だからなのか。
ジャズを取り入れたところも西村監督らしい。  

「薔薇の標的」(1972年)

もみあげを長くした加山雄三がスナイパーを演じる。
トビー門口をガンアクション監修に起用、ガンとガンアクションへの西村監督のこだわりがうかがえる。
ほかはあまり記憶にない。

「黄金のパートナー」(1979年)

2本立ての添え物として作られた作品。

西村監督は極めてリラックスして撮っている。
監督のリラックスは役者にも伝わり、三浦友和、藤竜也の主演二人のリラックスぶりはすごい。

揺れる手持ちカメラの前で、雑談のようにセリフを交わす主演二人。
三浦友和ってこんなに自然な演技ができるのか、と見直したほど。

警察官役の藤竜也が白バイで、ヨットに暮らす三浦友和のところへやってきて軽いノリで延々とだべる場面が続く。
そのうちに「映画はこんな風に自由に作っていいものなんだ」と、見ている観客は心地よくなる。

途中でサスペンスが少々混じるが、「冒険者たち」のように、男二人にヒロイン(紺野美沙子)を交えた海洋ロマン。
西村監督の得意分野が、車、ジャズ、ガンのほかにダイビングだということがわかる。
この作品を見て西村監督が強烈に印象付けられた。