上田映劇で新作「ヌーヴェルヴァーグ」を見る



「ヌーヴェルヴァーグ」    2025年   リチャード・リンクレイター監督   フランス

山小舎おじさん今年初の新作映画鑑賞。
劇映画となると何年振りか。
新作ってこんなに面白かったのか?
それともたまたま、年代的な感性に合致したのか?

上田映劇のウインドウ。「ヌーヴェルヴァーグ」の同期間に「勝手にしやがれ」が上映される

監督が、50年代末のパリのカイエ・デュ・シネマに巣食う若い映画評論家たちが映画監督としてデヴューしてゆくヌーヴェルヴァーグという時代に興味とあこがれを持ち、素直に映画化している。
監督の素直さ、素人っぽさは、全世界の隅々に生息する映画ファンと共通しているのがこの映画の凄い所であり、愛すべきところだ。

クロード・シャブロルが「美しきセルジュ」でデヴューし、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」がカンヌ映画祭で評判をとった頃。
黒メガネでタバコを離さないゴダールは、カイエの編集室でタイプを叩いていた。
気になるトリュフォーのカンヌデヴューを確かめにカンヌに車を飛ばす。
旅費は編集室の引き出しにある金庫から失敬した。

「映画の友」1960年4月号掲載の広告

シャブロルとトリュフォーのデヴュー作のおかげで、シャブロル監修、トリュフォー原案の条件でゴダールの長編デヴュー作にプロデューサーが付いた。
生涯一度のチャンス。
素材は新聞記事になった自動車盗難の話。
主演には短編で使ったボクサー上がりの青年(ジャン=ポール・ベルモンド)。
相手役のアメリカ娘には、「聖ジョーン」でデヴューし、トリュフォーが『新しい映画の女神降臨』と絶賛し、カイエの表紙を飾ったジーン・セバーグを、無鉄砲にも希望した。

ベルモンドにはジムのオーナーみたいなおばさんが、『映画に出るなら商業映画に』と苦言を呈するが、べルモンドは『どうなるかわからないが、ゴダールは信用していい』と思っており、縁もゆかりもないセバーグに出演を勧めに行く。

セバーグはハリウッドでの「悲しみよこんにちは」出演の後、結婚したフランス人弁護士とともにパリにいた。

すぐ離婚し、セバーグの自伝(水星社「ジーン・セバーグ」)では精彩なく描かれている、元夫フランソワ・モレイユだが、映画では登場場面も多く、いらだつセバーグを慰めたり、契約中のハリウッドのコロムビア映画との交渉ごとに手腕を発揮するなど頼もしく描かれている。

「映画の友」1958年12月号掲載の記事より。左が実物のフランソワ・モレイユ

「勝手にしやがれ」の撮影開始前にゴダールがスタッフを選定する。
以後コンビを組むことになる撮影のラウール・クタールのキャラがいい。
実際のクタールについては知らないが、インドシナに従軍して映画撮影を覚えたというこの人物は、長身と長い顔をしており、顔合わせではゴダールと撮影の専門的な会話を交わして意気投合する。

現場では『覗くか?』とゴダールに聞き(ゴダールは『いや』と答える)、『回せ』の掛け声には『もう回っている』と答える。
ロケでのゲリラ撮影では、嬉々として車いすに座り(押すのはゴダール)、カモフラージュしたリヤカーにカメラを抱えて潜り込む(リヤカーを押すのはゴダール)。
クタールにとっては、無手勝流のヌーヴェルヴァーグの現場など、インドシナの戦場に比べて何のことはないんだろう。

一方で記録係やメイク係の女性にとってゴダールの現場は全くの素人騒ぎだった。
小道具の位置のズレや、俳優の目線の違いには『これではつながらない』と当たり前の指摘をしても、『このままでいい』と答えるゴダールに絶望する記録係。
メイク係は主演女優セバーグのとりなしで何とかスタッフに残る。
終盤のロケで『もう少しで終わる』とせいせいする彼女。

セバーグは出番のない日も現場に出かけてくるが、ゴダールは決まった脚本は作らず、毎日現場でなにやら書いている姿に苛立つ。
セリフはゴダールの口から出演者にカメラの背後から告げられる。
しまいには、セリフの癖をマネしてゴダールをからかう。

ハリウッド女優として、演技とアドリブで対処し、それなりに現場を楽しんでいるように見えるセバーグだが、あまりの無軌道ぶりにしばしばゴダールと衝突する。
『あなたの映画なんて知らないわ』。
クランクアップの現場で各スタッフはお互いにハグするが、セバーグとゴダールは握手だけだった。

「勝手にしやがれ」のワンシーン。このセバーグのドレスは「ヌーヴェルヴァーグ」で再現される

様々な映画人のそっくりさんが登場する。
ロベルト・ロッセリーニがカイエ編集室を訪れたとき、ヌーヴェルヴァーグ系の映画人が集合する。
ジャック・ドミー、アニエス・ヴァルダ、アランレネもいる、名前が表示されないと誰かはわからないが。
ロッセリーニはホテルに送っていったゴダールとの別れ際に金を無心する。

撮影の終盤、パトリシア(セバーグの役名)の部屋でベルモンドと戯れるシーン。
ベルモンドの独白シーンの撮影では、セバーグがカメラの横に陣取りベルモンドにアドバスする。
この時の女優ゾーイ・ドウイッチはセバーグが蘇ったかと思ったくらいにそっくりだった。
それ以外の場面では、実際のセバーグより背が高く、顔が骨ばっているゾーイは、シャロン・ストーンにしか見えなかったが。

セバーグとベルモンドの同志的友情が、撮影期間を通して高まってゆく様も見てとれる。
セバーグが40歳で不慮の死を遂げたとき、葬儀に参列したのもベルモンドだった。

ゴダールが見学に訪れる、ロベール・ブレッソンの「スリ」の撮影現場。
ブレッソンのそっくりさんの目玉と背広の模様もよかったが、メイクされている主演俳優が、実際とそっくりで驚いた。

「ヌーヴェルヴァーグ」チラシ表紙

どのシーンも興味津々。
どこかで見聞きしたシーンやエピソードが再現されている。
知らなかったエピソードも。
それも映画ファンの視点で。

画面から初々しさが消えないのは、出演者がゾーイ・ドウイッチ以外は職業俳優ではないからか。
それとも監督がファンの視点で、ヌーヴェルヴァーグの時代を再現することにワクワクしているからだろうか。

「ヌーヴェルヴァーグ」チラシ裏面

ゴダールを演じるギョーム・マルベックという人。
独特の愛嬌があり、動きもいい。
実際のゴダールは、自意識過剰で頭でっかちのクセありすぎの人物だったのだろうが。
そこで私からの質問が一つ。
ゴダールは映画を見るときも黒メガネをかけていたのだろうか?この作品でのように。

ゴダールについて、本人の難解な言葉や、研究書のわかりずらい文字を見るより、まず最初にこの映画を見たらどうだろう。
ヌーヴェルヴァーグの時代に、血の通った偏屈な監督がいて、すったもんだの挙句、時代に残る映画が生まれたという事実が、温かい目で語られているのを見て、これ以上ない入門となるだろう。

この日の上田映劇はまるでゴダール祭り
ベルモンドとセバーグが案内してくれるような、上田映劇の館内

  

DVD名画劇場 アメリカ時代のフリッツ・ラング① ヒロイン、シルビア・シドニー

フリッツ・ラングは1890年オーストリア=ハンガリー帝国時代のウイーンに生まれた。
1907年にウイーン美術学校に入学、続いて科学技術学校に学んだ。

ちなみに同郷のヒトラーは同じ1907年にウイーン美術学校の入学に失敗している。
ヒトラーに比べて、才能的にも家庭的にも恵まれていたラングは、第一次大戦に出征、負傷したのち入院中に書いたシナリオが認められ、映画界入りした。

映画監督となったラングは、「ドクトル・マブセ」(22年)、「ニーベルンゲン」(24年)、「メトロポリス」(27年)など、サイレント時代の歴史に残るドイツ映画の作品群を発表。
第一次大戦後にあって、「カリガリ博士」(19年)など、表現主義と呼ばれる芸術運動により復興したドイツ映画界の次世代を、FWムルナウとともに担った。

フリッツ・ラング

ゲルマン神話の映画化である「ニーベルンゲン」は、2年間の準備期間と7か月の製作日数をかけて製作された。
ウーファ社とデグラ社という国内の映画会社大手の共同制作による、第一次大戦後のインフレーションにもかかわらずドイツ映画界が総力を挙げて作り出した大作で、ドイツ人の魂の故郷ともいえる物語の映画化は、ドイツ社会に影響を与え、その表現様式がのちにナチス党の祭典様式に取り入れられた。(キネマ旬報社「世界の映画作家34 ドイツ・北欧・ポーランド映画史」p45~47より引用)

「ニーベルンゲン」
「ニーベルンゲン」

「メトロポリス」は、ウーファ社が700万マルクを投じたドイツ映画始まって以来の大作となった。
21世紀の大都市メトロポリスを舞台に、独占資本家と労働者の対立と和解を描く。
ラングは偏執狂的な情熱で、摩天楼、地下工場、人造人間など、近未来都市のセットを造出した。
この作品が発案された背景には、当時成立したドイツ独占資本とアメリカ資本の流入による資本主義社会の究極化への予感があったといわれる。(同上p53~55より引用)

「メトロポリス」
「メトロポリス」

「怪人マブゼ博士」(33年)をナチス政権により公開禁止処分にされたラングは、1934年宣伝相ゲッペルスに呼ばれる。
ゲッペルスは「M」(31年)、「怪人マブゼ博士」と反ナチ的背景を持つ作品を作ったラングを要注意人物視していたが、同時に「ニーベルンゲン」を作った才能を買ってもいた。
ゲッペルスはラングに、将来に統合されるドイツ映画界の中心人物として、ナチス政権下で働くように求める。
返事を保留したラングはその日のうちにパリへ去る、映画界入りしたときから、二人三脚で創作に務めてきた脚本家の妻テア・フォン・ハルボウには何も告げずに。(妻はこの時にはナチス党員だった)。(フィルムアート社「ドイツ映画の偉大な時代」p369~371より引用)

フランスからアメリカに渡ったラングは、MGMにいたデヴィッド・セルズニック(「風と共に去りぬ」のプロデューサー)との個人契約でMGMに迎え入れられたが、処遇が決まらず、セルズニックが独立してMGMを去った後には、契約更新を断られた。

結局、渡米第1作「激怒」のヒットで、50年代後半までハリウッドで映画監督として活動することができた。
50年代末には西ドイツに戻り、自作のリメイク「怪人マブゼ博士」(60年)を撮る。
65年にはゴダールに乞われて「軽蔑」に自身の役?で出演し、教養豊かな老監督ぶりを演じた。

今回は、ラングが渡米直後に撮ったアメリカ映画、第1作と第3作を見る(第2作目の「暗黒街の弾痕」は当ブログにて紹介済み)。

「激怒」    1936年   フリッツ・ラング監督    MGM

結婚衣装のディスプレーの前にたたずむ結婚間近の二人(スペンサー・トレーシーとシルビア・シドニー)。
シルビア一筋のスペンサーと幸福そうなシルビア。

フリッツ・ラングの渡米初期作(「暗黒街の弾痕」と「真人間」)ならば、人の道に背いた(ことのある)恋人たちの、道ならぬ(波乱に満ちた)恋路のプロローグとして設定されたこのシチュエーション。
本作では、主人公は工場勤務から独立し、兄弟らとガソリンスタンドを立ち上げた善良な庶民という設定。

が、しかしいかに善良とはいえ、主人公が、身に覚えのない犯罪の容疑者として、あわや民衆のリンチの危機に瀕する不条理に迷い込むことになるのは、ラング映画の主人公の宿命だった。

フリッツ・ラングのハリウッド第1作は、こうして故なく犯罪に巻き込まれる青年を主人公として始まる。
主人公の無垢で一途な婚約者を演じるのがシルビア・シドニー。
本作から3作品連続してラングは彼女をヒロインに据えることとなる。

田舎の無知で、善良とはいえず、むしろリンチを好む歴史的伝統を隠しようもないアメリカの住民が、無実のスペンサーを誘拐犯人として追い込む。
うわさ、好奇心、無責任、扇動を、楽しむかのように増幅させてゆく住民たちを、畳み込むように描くラング。
まるで、歴史浅く、単純で好戦的なアメリカの国民性を戯画化するかのような演出だ。

犯罪(容疑)者を追い込むリンチの恐怖は、ドイツ時代の「M」に比して恐怖度が少ない。
暗さを強調し、得体のしれぬ恐怖感に満ち満ちた「M」に比べて、本作のリンチ(未遂)シーンはアクションを強調したスリリングなものとなっており、恐怖の原因は扇動された群衆に限定されている。
ドイツ時代のナチスの権力の狭隘さを暗示的に描いた{M」の恐怖のほうが、不気味なのだ。

「激怒」

更に、本作の群集心理の背景には、自らの選挙対策を最優先し、リンチを放置する州知事の存在や、野次馬的に煽り立てるマスコミの蠢動がある。
こういったアメリカ社会の宿痾を忘れずに描くのも外国出身のラングの真骨頂。

「地獄の英雄」(51年)で、人命の危機を特ダネとして集まったマスコミと物見遊山の人々をこれでもかと描いたのは、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人監督という点で、ラングの後輩にあたるビリー・ワイルダーだった。

本作の狙いは、扇動された群衆の怖さを描くことだけではない。
群衆による刑務所の放火から生き残ったスペンサーの復讐心理を描くことにむしろ主眼が置かれる。

復讐鬼として世間に存在を隠しながら、弟たちとリンチを扇動した住民を告訴し、裁判で罪を断じようとするスペンサー。
ここら辺、裁判長や保安官を公正で職務に忠実な人物として描いたのは、ドイツ育ちのラングらしい。
果たして、裁判においても、アメリカ社会では必ずしも正義が執行、貫徹されるとは限らないのだが。

最後の最後では、『激怒(FURY)』したはずのスペンサーが、婚約者シルビアとの人間的つながりに目覚め、リンチ扇動者を許すという大団円のハピーエンドとなる。

ラングのハリウッド第1作が成功したのも、このハピーエンドのためなのだろう。
ラングが好むであろう、理路整然とした理屈(と理屈が通らない不条理)の世界はどうなったのか。

『1936年当時、MGMとの契約更新を断られていたラングに「激怒」の監督の依頼をしたのは、この企画をMGMに持ち込んだ、ジョセフ・L・マンキーヴィツ(パラマウントのベルリン支部でドイツ映画に字幕を付ける仕事をしていたことがあった。のちに「三人の妻への手紙」(49年)、「イヴの総て」(50年)でアカデミー監督賞を受賞)だった。

本作の撮影中、ラングは自己流(ドイツ流?)の撮影方法を貫こうとし、現場で軋轢が生じた。
撮影後、ラングは作品のいかなる改編も拒み、MGMを解雇された。
作品はマンキーヴィツにより編集されヒットした。

いずれにせよ作品の成功はドイツの監督にもハリウッド・アクションが撮れるという証明となり、様々な結果を招いた』。(以上、文芸春秋社刊「ハリウッド帝国の興亡・夢工場の1940年代」p72~75より引用)



「真人間」   1938年   フリッツ・ラング監督    パラマウント

フリッツ・ラング渡米第3作。
3作全部のヒロインにシルビア・シドニーを起用、本作はその最終作となった。

シルビアの相手役の主人公はジョージ・ラフト。
前身はギャングだったというハリウッドスターである。
製作者としてパラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーがクレジットされているが、実際の製作は監督のラングが兼ねている。

リアルなギャングだったラフトが本作では前科者を演じる。
ただし、『更生しようとする前科者が、やむにやまれず犯罪に再度手を染め破滅する』という、犯罪映画にありがちなパターンを、この作品は少しひねって作られている。

従業員250名のデパートが舞台。
社長(ハリー・ケリー)は善人は善人でも、とことん筋の通った人物。
従業員中数十人の前科者を雇用している。
社長が単なる社会貢献から善行を行っているだけの人物ではないことは最後にわかる。

デパートで昔のワル仲間の誘いをはねつけつつ仕事に励んでるラフトには、店員仲間のシルビア・シドニーという両思いのガールフレンドがいる。
2人はエスカレーターで上下にすれ違う時に手を握り合うほどの中だが、恋人という程ではない。

「真人間」

ラフトは自分の前科が広まっていないカルフォルニアで新しい人生を始めようと、社長の紹介状を胸に長距離バスに乗りこむ。
愛するシルビアに見送られて・・・。
シルビアが離れてゆくバスのラフトに向かって叫ぶ、『今夜プロポーズされたならOKしようと思っていた』。
ラフトはトランクを窓から投げ捨て、バスから飛び降りる。
このスピーデイで洒落た展開は、アメリカ映画的な明るさそのもので、犯罪映画っぽくなくていい。

2人は真夜中に、”インフォメーション”と呼ばれる何でも相談所で結婚証明書を取得し、シルビアのアパートにしけこむ。
ユダヤ人の大家夫妻は、最初はラフトを追い出そうとするが、二人が結婚したと知って歓迎する。

アメリカ特有の、街角の結婚届所の存在と、名もなき恋人たちが逃避行の際に行う、届出所の証人の前での結婚。
この、”日陰者の恋人たちの結婚”はラングの前作「暗黒街の弾痕」でも描かれていた。

シルビア・シドニーは『前科を持ち、前途に不安があるが、自分を愛してくれる青年についてゆき、一途な、幸福そうな表情をする』役柄が似合う。
薄幸そうなのではない、客観的には幸福が望めない状況でも、自分が愛する相手と一緒になった女ごころのうれしさを演じられるのだ。

実はシルビアも保釈中の身。
それを隠して結婚したが、やがてラフトが事実を知り、やけになってワル仲間の誘いに乗りデパートの強盗のグループに戻る。
それを知ったシルビアは身を捨てる覚悟で社長に相談する・・・。

夜中にデパートを襲ったラフトのグループの前に社長とシルビアが立ちはだかる。
社長は翌日8時の出社を条件に今回のことは不問に処すとして立ち去る。

一方、シルビアは黒板を背にギャングどもの前で仁王立ち。
如何に今回の犯罪が収支的にも割に合わないかを数字を書いて示してゆき、ギャングどもは犯罪の割の合わなさを理解し、ラフトはシルビアの元に戻る。
「激怒」「暗黒街の弾痕」ではひたすら恋人の後をついてゆくだけの存在だったシルビアが、一人の人間として自立した役を演じる、これは記念すべき作品なのではないか。
そのハイライトが黒板に数字で説いてゆくシルビアのこのシーンなのではないか。

前2作のペシミズムから翻り、ハピーエンドを意識したという結末は、フランク・キャプラ(「スミス都へ行く」(39年)、「群衆」(41年)、「素晴らしき哉、人生」(46年))的”アメリカの善意”の物語を思わせるほど。

フリッツ・ラングらしさは、ヒロインのシルビア・シドニーの憂いに満ちた瞳の奥に潜む影と、それが示唆する現実の恐怖にあるはず?だったが、そのシルビアが凛々しくも黒板にチョークで現実のそろばん勘定を証明するほどに(キャプラ的”アメリカの善意”に)”自立”したのである。

これは暗黒犯罪映画、心理的スリラーを旨とするであろうラングの世界からシルビアが、役者として別の世界にスケールアップしたということなのだろうか。
それともシルビアの当時の愛人BPシュルバーグが重役を務めるパラマウント映画の都会的社風に、ラングが妥協しての産物なのだろうか。

前述の、フィルムアート社刊「ドイツ映画の偉大な時代」から引用した通り、ラングのドイツ脱出は、ゲッペルスからの断われない誘いを受けたその日に、フランスに出国したことになっているが、それは本人の自己申告上のものであり、実際は本人がかなりナチスに自己保身を売り込んでいた(がその保証がなく脱出した)のが事実であるとの考証もある。(ウイキペデイアより)

女優シルビア・シドニーの実像のしたたかさとともに、名匠フリッツ・ラングと現実世界の関係もいろいろあったようだ。

シルビア・シドニー

上田映劇で、ロベール・ブレッソン傑作選

NPO法人上田映劇が経営する、大正年間より現存する木造映画館・上田映劇。
支配人は上田高校から日大芸術学部大学院を出てUターン。
営業停止していた上田映劇を再興して今に至る。
昨年には信濃毎日新聞の表彰を受けた当地の文化人でもある。
何より映画館1館(姉妹館トラムライゼと併せて2館)の常時上映を継続しているのが凄い。

上田映劇の玄関
現存木造シアター、上田映劇の雄姿

ミニシアターとして分類される上田映劇では、シネコンでは上映されない新作のほか、再輸入された旧作洋画が主な上映作品。
この再輸入洋画には、ベルモンド傑作選、ルノワール作品、ブニュエル作品、「黄金の七人」、ミムジー・ファーマーの70年代の代表作、などなどがある。
キングレコードなどが、旧作をデジタル素材で再輸入・配給したもので、映画ファンの琴線に触れるプログラムだ。

次回上映のポスター

今回は、ユーロスペースなど二つの業者の配給により、ロベール・ブレッソン傑作選として5作品が公開された。
上田映劇でも上映され、そのうち2作品に接することができた。

ロベールブレッソン傑作選のチラシ
チラシより

「スリ」    1959年     ロベール・ブレッソン監督    フランス

「抵抗」(56年)とともにブレッソンの名を日本にも広めたのが本作。
生涯にわたるブレッソンのスタイルは、本作でも確立、踏襲されている。

現代のパリ。
インテリだが、不景気と自身の社会性のなさから無職の青年がいる。
実家には病弱の母親が一人。
いよいよ生活に困った青年は、調子が良いくらいに社会適応性のある友人にバイト先の紹介を頼む。
ところが青年は、友人の紹介するバイトではなく、スリの世界に入り込み、重大はピンチもないまま、器用なその手先を使ってスリで稼ぎ始める。
一方で、寝たきりの母親はアパートの隣室の娘の介護を受けつつ死んでゆく。
母の死に痛痒を感じないわけではない青年だが、母の面倒を見てくれた娘に愛着を感じる。
やがて警察に捕まり、投獄された青年は、面会に来た娘に愛を告白する・・・。

ブレッソンのスタイルは、後年の説明を極力省いたものと少し異なり、巻頭に「この映画は刑事ものではない(中略)自らの弱さによってスリという自らにふさわしくない冒険に駆り立てられた若者の悪夢である(攻略)」という字幕が入る程度に説明的だ

「刑事ものではない」、と断りは入るが、画面に映る50年代のパリの街頭風景は時代を映し出しているし、刑事らしくない刑事(素人俳優)の登場も、ねらってはいないのだろうが緊張感を画面にもたらす。
劇映画としてスリリングな作品でもあり、何より紛れもない50年代のフランス映画のテイストを感じさせる。

一方で、素人俳優の主人公は、象徴的なセリフと具体的な動作に徹したふるまいで、『行間の芝居』や『伏線』『心理的芝居』からは隔絶した存在である。
泣きの芝居も、怒鳴りも叫びも、アクションシーンもない。
ヘンリー・フォンダとモンゴメリー・クリフトを合わせたような風貌で、どっちつかずの戦後世代のモラトリアム的行動を淡々と行うだけだ。
その具体的な振る舞いが、青年の奥底にある虚無感成り、閉塞感を浮き上がらせる。

母親を介護する謎の女を演ずるマリカ・グリーン(のちに職業女優に転ずる)は、主人公以上にその人物についての背景説明はなく、クールな美貌を無表情に見せるだけで、セリフも更に少ない。
美貌のタイプがブレッソン映画のヒロイン(「白夜」(69年)、「湖のランスロ」(74年)の素人女優にも、「バルタザールどこへ行く」(66年)のアンヌ・ヴィアゼムスキー、「やさしい女」(69年)のドミニク・サンダ;どちらものちに職業女優、にも似ている)に共通しているところが興味深い。

感情表出を排し、動作にのみ専念した演出は、スリの手口の物理的な描写に象徴的にみられる。
スリという動作の非日常性を強調するためでもなく、またスリルを盛り上げるものでもないその機械的で、記録的な描写がブレッソン映画のスタイルなのだろう。

ちらしより

『この世には法律を超越してもいい人間がいる』と内心思っており、刑事にもそう主張する主人公。
西欧思想のエリート主義なのか、あるいはキリスト教思想を源流としたものなのか。
筆者から見ると単なる優柔不断で中途半端なモラトリアム思想にしか見えないが、そういった主人公の精神を人間性として取り上げるのもブレッソンのテーマなのだろう。

もう一つのテーマがキリスト教上の神の救い。
ラストで刑務所で面会する主人公と娘がお互いの愛情に気づき、荘厳なテーマ曲が二人を包む。
出口の見えない虚無に陥っていた主人公に射す一筋の光。
『神の救い』はブレッソン終生のテーマであったようだ。

「少女ムシェット」   1967年   ロベール・ブレッソン監督   フランス・ゴーモン社

製作はゴーモン社のアナトール・ドーマン。
「二十四時間の情事」(59年 アラン・レネ)、「男性・女性」(66年 ジャン=リュック・ゴダール)、「愛のコリーダ」(76年 大島渚)の製作者だ。
ブレッソンとは「バルタザールどこへ行く」(66年)に次いでの仕事となる。

59年制作の「スリ」と比べると、ブレッソン映画の変わらないところと変わったところがあるのに気付く。

変わらないところは、素人俳優の起用(過剰な芝居の排除)、最小限の音楽、ロケの多用(本作はオールロケ?)、突き放した社会描写、キリスト教的背景など。

一方で、本作で見せたバリエーション的変化は、ブレッソン好みの神秘的なヒロインが不在なこと、高踏的・精神的な存在の不在(地方の寒村が舞台なので)といったところか。

本作の主人公ムシェットは村のつまはじき。
ぼろを着て学校には通っているが学友には相手にされていない。
悪ガキには性的嘲笑の対象にされる。
学友に対しては泥だんごをぶつけてうっぷんを晴らす。
頼みの母親は寝たきりで、家事と生まれたばかりの弟の世話は、ムシェットにかかっている。

健気な少女の奮闘物語という設定とは正反対に、ひねくれているムシェットは、学校では教師に逆らって目を付けられ、家では.朝のカフェオレの準備を、牛乳をこぼしながら雑に行い、弟のおむつ替えでは手を抜く。
家族を含めて誰にも一人前に扱ってもらえないムシェットは生活全般が投げやりだ。

村は現代フランスの農村なのだが、走っているトラックは古く、ひょっとして戦前なのかと思わせる。
休日に賑わう遊園地の遊具を見ると、60年代後半の時代設定のようだが。

村で唯一の社交場のカフェに集まり、店員の若い女性に言い寄る村の顔役。
ムシェットの父と兄は、密造酒をカフェに卸して日銭を稼ぎ、帰ってきてはそのままの姿でベッドにもぐりこむ。
ムシェットにとっては夢も希望もない、無知であさましい村の現実だ。

チラシより

或る夜に家出したムシェットは、森の番小屋で一夜を過ごし、癲癇持ちの密猟者に襲われる。
ショックを受けるムシェットだが、人に聞かれると密猟者のことを「私の恋人」と答える。
初めてまともに相手をしてくれた人物だったのだ。

母親が死に、村のおばさんたちはムシェットに同情の言葉をかけ、朝食を出したり、いらなくなったドレスを恵んだりする。
ムシェットが、コーヒーカップを落としたり、しおらしい反応をしないと、「ふしだらな娘」「神に反した行い」だと手のひらを反す。

とっくに他人に期待することなどなくなっていたムシェットは、一人になってドレスを広げる。
ムシェットがドレスを体に当てて坂を何度も転がる。
そのまま池に落ちる。
讃美歌のようなテーマ曲が流れる。
巻頭に続いて2回目のBGMだった。

原作があるとはいえ、貧しく夢のない背景描写が徹底している。
主人公はとても映画の主人公になるような美少女ではないし、周りの大人も誰一人彼女を導く人物ではない。
かといって作為的に悪意のある人物などもおらず、ひたすら現実的で救いのない描写が続く。

映画はムシェットに同情的な描き方はしない。
それどころか、これでもかとムシェットのダメなところ嫌なところを描く。
それでも神の救いはムシェットにあった。
彼女が死んでから。

DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その3)

70年代の出演作品2本を紹介する。

「ラムの大通り」   1970年   ロベール・アンリコ監督    ゴーモン社(フランス)

スペインとメキシコに長期ロケし、オープンセットで1920年代のカリブ海沿岸の町を再現。
丘にはクラシックカーや馬車と仕出しを、海には当時の密輸船を浮かべての贅沢な撮影を実現した。

監督は、短編「ふくろうの河」(61年)で注目を浴びたのち、「冒険者たち」(66年)、「若草の萌えるころ」(67年)、「オー」(68年)で清新な感覚を見せたロベール・アンリコ。
その持ち味の、”社会の表街道からは外れているが、一本気の好人物が己の信じる道を突き進(んで挫折する)”という監督永遠のテーマをここでも追及している。

「冒険者たち」で印象的だった、青く広い海への憧憬が本作でも再び詠われる。
旧型の輸送船(煙突が立っているスタイルの)へのオタク的拘りも感じられる。
宮崎アニメがヒコーキに拘るように。
この作品では、実写版でありながら帆船まで出てくる徹底ぶりだ。

DVD表面

映画の舞台は20年代の禁酒法時代のカリブ海の密輸ルート、”ラムの大通り”と呼ばれた、メキシコ、ジャマイカ、キューバ、ハイチで囲まれた海域。
そこにはボロ船と度胸一つで大金を夢見て、ラム酒の密輸に命を懸けるを男たちがいた。

変わり者だが、酒と喧嘩に強く、船を操る腕もいいのが主人公のコルドー(リノ・ヴァンチュラ)。
アメリカの沿岸警備隊に船を撃沈され、メキシコの海岸に流れ着いて無一文になった後、自ら射的(実弾の)の的になって賞金を稼ぐという賭を10回もやって大金を稼ぐと、再びボロ船を買ってジャマイカのキングストンに凱旋する。
いわば密輸界の男の中の男だ。

生きて帰ったコルドーにラム酒の荷主たちは好条件で仕事を依頼する。
一方、偶然飛び込んだ映画館で、リンダ・グリュー(ブリジット・バルドー)というスターが主演するアフリカ冒険もののサイレント映画を見たコルドーは、リンダと空想の中で運命の出会いを果たす。
雑誌や新聞のスクラップを船の自室に貼り巡らし、ラム酒の荷積みを中断して、映画の続きを見にハイチのポルトーフランスに船を出す。

2人は浜辺で出会う

こうして、命知らずで武骨な男と、サイレント映画の夢のスターとの、冒険時代の夢に溢れた海を舞台にしたロマンチックな夢物語が始まる。

先ず、サイレント映画を模したモノクロ画面に現れるバルドーのスタイルの良さに驚かされる。
撮影時で36歳にもなろうかというバルドーが、アフリカの白人女王風のヒョウ柄の衣装からのぞかせるお腹と足のシェイプアップぶり!

バルドーの20年代の映画スターぶりもいい。
美男美女が揃い、フラッパーガールとタキシードが揃って踊るパーテイの華やかさ。
その中でもひときわスリムでチャーミングなバルドー。
次々とミニ丈の20年代のファッションに身を包み、まつげをパタパタさせながら、チャールストンを踊り、最後には歌まで歌う。
スタイルと身のこなしがいいから、どのファッションも魅力的この上ない。
アンリコ監督のヒロインの選択は「冒険者たち」のジョアナ・シムカスの例をみるまでもなく、素晴らしい。

DVD裏面より

コルドーはリンダと付き合うようになる。
スターという虚像でいながら、実物のリンダは漢気のあるコルドーに惚れ得るだけの人間味を持ち主でもあった。
リンダは更に、密輸船に乗船し、沿岸警備隊との交戦では、顔を煤けさせながら救急箱をもって仲間を助けて回り、最後には舵まで握って、駆け付けた英国貴族の帆船の艇長に敬意を評されるのだった。

急に表れた帆船と英国貴族の存在は必然性が薄いものの、リンダが貴族から求婚されて応じたり、その後にやっぱりコルドーの船に来て浮気したり、そのことで貴族とコルドーが決闘することになったり、とドタバタが続く。

リンダはやってきた一団にさらわれて映画界に復帰。
禁酒法が開けた1933年に保釈されたコルドーは映画館でリンダの看板を見かけて入場し、画面に没入。
自分が劇中ででリンダを抱きかかえているような夢を見つつ、いつまでも座席を離れないのだった。

作品への出演契約にサインをする前にシナリオを読んだバルドーは、
『台詞にはユーモワがあふれ、物語は禁酒法時代の漫画のようで、私の役はチャーミングでいたずらっ娘らしいところがちりばめられた、魅力的なものだった。それに私は歌を歌うことになっていたのである。』と、この作品との出会いを記している。(「自伝」p610)。
彼女と作品との幸福な出会いが目に浮かぶようだ。

またバルドーは共演したリノ・ヴァンチュラについて、
『どこかジャン・ギャバンを思わせるところがあり、なかなか親しくなれなかった』としながらも、
『料理とトランプ遊びを通じて、私はリノ・ヴァンチュラというとっつきは悪いが根は傷つきやすく、愛すべき熊を手なずけることができた。』と記している(「自伝」p614)。
この二人も劇中の二人同様に幸福な出会いだったようだ。

DVD裏面より

小生はこの映画を封切り時に見ている。
函館のロマン座という洋画二番館だった。
当時高校1年だったか。
リンダを思うコルドーの純情に同化しつつ見ていたのだろう。
バルドーの美しさと華やかさ、そして武骨な海の男を受け入れるやさしさを今でも忘れない。
映画ファンを今に至るまで続けている原動力の一つがこの作品だった。

「華麗なる対決」  1971年   クリスチャン=ジャック監督     フランス=イタリア=スペイン合作

ブリジット・バルドーことBBと、クラウデイア・カルデイナーレことCCの初共演。
両スターの顔合わせ映画として、「お約束」に徹した作品。
BB、CCの両レジェンドを愛する映画ファンにとっては十分に楽しめた。

DVD表面。昔のベニヤに絵の具で描いた看板のテイスト

BBはこれが「シャラコ」(68年 エドワード・ドミトリク監督)に次ぐ2本目の西部劇。
(20世紀初頭の中南米を舞台にしたメキシコロケ作品「ビバマリア」:65年 ルイ・マル監督、というアクションコメデイはあったが)。

CCは、60年代前半にはハリウッドに居を移しており、66年に「プロフェッショナル」(リチャード・ブルックス監督)、68年に「ウエスタン」(セルジオ・レオーネ監督:伊米合作のマカルニウエスタン)という西部劇に出ている。
根性が入った顔つきに、乗馬がうまく、アクションシーンが似合い、ついでにドレス姿ではこぼれるバストを強調できるCCは西部劇向きだ。

DVD裏面より

BBはどう見てもアクションが得意そうには見えない。
この作品でも、ひらひらのドレスから、黒ずくめの女ガンマンスタイルまで、ヨーロッパ製ウエスタンらしいファッションを披露。
野性味とバストだけで勝負するCCに比べて高いファッション性を見せている。

DVD裏面より

美人の妹4人を率いて西部を荒らしまわり、フランス人が開拓してフランス語が公用語の町へやってきたBB。
召使は黒人男性だ。
対するCCは弟4人を率いて列車強盗で荒稼ぎする町の女盗賊。
その義侠心と美貌で町の人気者だ。
召使は老インデイアン。
この2つのグループが町の郊外の牧場を巡って対立する。
石油が出ると噂されている牧場だからだ。

BBは、CC相手にガンアクションや荒馬乗りを見せる。
トリック撮影やスタントマン込みの演技とはいえ、レジャンドが取り組むアクション演技に、見ている映画ファンは喜び、ハラハラする。
もちろん姉妹5人で川で水浴びするお色気シーンもある。

姉御肌でスピーデイな動きが身上のCCは、女ガンマンスタイルに身を固めてのパキパキした動きがたまらない。
走っている列車に馬で追いつき、列車に乗り込んで屋根を走る。
もちろんスタント込みの撮影だが、CCが扮するルイーズの動きに見える。

DVD裏面より。タイマンが終った両者

牧場に集まった両グループは両姉御のタイマンで勝負を決着することになる。
果てしない取っ組み合いが始まる・・・。

前半には、フランスのベテラン女優ミシュリーヌ・プレールが、網タイツ姿で歌いながら娼館の階段を下りてくるという場面もある。
彼女の出演場面はここだけだが、まだまだ見事な網タイツ姿を見せる。
1922年生まれの彼女は、「肉体の悪魔」(46年 クロード・オータン=ララ監督)でジェラール・フィリップを誘惑する人妻を演じ、本作と同年に製作された「ロバと王女」(70年 ジャック・ドミー監督)で、ジャック・ペラン扮する王子の母親の王妃を演じたばかりだった。

ミシュリーヌ・プレエール。40年代のポートレート

「俺たちに明日はない」(67年)、「お前と俺」(70年)が印象的なマイケル・J・ポラードは、町のドジドジな保安監兼判事兼公証人を演じる。
アクターズスタジオ仕込みだという独特のセリフ回しと間は健在だったが、この作品ではコミカルな部分を強調しており、一定の存在感は見せた。

バルドー自伝の表紙

「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」では、映画最大の山場となるCCとの取っ組み合いの場面について、
『このシーンの撮影は一週間続いた。(中略)二度か三度、私の唇は割けた。かわいそうにクラウデイアは目の周りにあざができそうだった。この情け容赦ない戦いで、私たちの間にあった溝は埋まった』(「自伝」p632)
と記している。

また共演したカルデイナーレについては、『慎み深いが精力的な女性』、『いくつもの試練を静かにそして威厳をもって乗り越えることができる人』(いずれも「自伝」p632)と最大限の敬意を表している。

ヨーロッパの2大女優の共演を、適度な汚れ役を与えつつ、それぞれに花を持たせ、最後は大団円で締めくくった作品。
それが映画の中だけではなく、リアルなBBとCCに間にあっても同様だったのがうれしい。

ブリジットバルドーは、「華麗なる対決」の後2本の映画に出演して映画界を引退した。
「自伝」は、動物たちのための新しい生活に入ることを静かに宣言して終わっている。

映画界でやることはやり尽くしたのであろうバルドーが、ライフワークたる動物愛護に人生をささげるという彼女らしい潔さがここにある。

DVD裏面

DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その2)


「軽蔑」   1963年    ジャン=リュック・ゴダール監督     フランス=イタリア合作

DVDにセットされていたオリジナルポスター?

「戦士の休息」が終わり、休業していたバルドーだが1年もすると休暇に飽きてきた。

イタリアのプロデューサー、カルロ・ポンテイがジャン=リュック・ゴダールを指名し、アルベルト・モラビアの「軽蔑」を原作にした企画を立ち上げた。
ゴダールはバルドーのヒロイン起用に執着した。
原作が好きだったバルドーは『もとの調子からずれたた脚本と演出によって、原作がすっかり変形されてしまうことだろうということもわかっていた』(「自伝」p386)が、出演を引き受けた。

撮影中ゴダールは、「君の歩き方はアンナ・カリーナに似ていない。」と言って、本番を20回も繰り返させた。
「アンナ・カリーナを迎えに行ったらいいでしょう。私はほっといてちょうだい。」とバルドーがそれに応えた。

浴槽のシーンでも帽子をかぶり続けたミシェル・ピコリと、これまたいつでも帽子をいじくり続けたゴダールを見たバルドーは、
『ヌーヴェルヴァーグとは帽子をかぶることだったのである。』(「自伝」p390)と評した。

(ヌーベルバーグの旗手ゴダールと、古典的作品のスター・バルドーは)『とんでもない取り合わせだった』(「自伝」p386)

こうして映画「軽蔑」の撮影は開始された。

「軽蔑」のセットで、ゴダールと握手するバルドー

映画の舞台はローマのチネチッタ撮影所。
ハリウッドのプロデューサー(ジャック・パランス)が、名匠フリッツ・ラング(本人)を使い、映画を撮っている。
思うようなラッシュが上がってこないプロデユーサーは、フランスから作家(ミシェル・ピコリ)を呼んで脚本を書き変えようとする。
作家は妻(ブリジット・バルドー)を連れてローマにやって来る。

閑話休題。
「映画の友」編集長だった淀川長治氏が1952年にハリウッドを訪れたときに、RKOスタジオでフリッツ・ラングに会っている。
ハリウッドでは映画監督の才能を評価するのではなく、ヒット中の作品があった場合のみ、彼をもてはやす。
ドイツ時代の栄光を知るものとてなく、忘れられた存在となりかけていたラングは、ドイツ時代の作品を熱心に語る淀川を大いに喜んだという。

ハリウッドでフリッツ・ラングと面談する淀長さん。ラングは50年代にハリウッドを離れて西ドイツに渡る

映画批評家出身のゴダールはこの作品で、ラングを大いなるリスペクトをもって遇している。
英語はもちろん、母国ドイツ語やフランス語でギリシャ古典を論じる教養とマナーに溢れた監督像は、戦前のベルリン・ウーファ撮影所で第一級の監督として君臨していたラングの実像でもあるのだろう。

ゴダールらしい映画遊びもたっぷりみられる。
劇中で「リオブラボー」、「ニコラス・レイ」、「デイーン・マーチン」などの名前が発せられるし、ローマの映画館で上映されているのが、ロッセリーニの「イタリア旅行」だったりする。

DVDの付録より

パランス扮するプロデユーサーは、ラッシュが気に食わないと、運ばれてきたコーヒーセットをぶちまけ、お盆をハンマー投げのように投げ飛ばす。
試写室のスクリーンの下の壁には『劇映画に未来はない リュミエール』なるコトバが書かれていて字幕で翻訳もされる。
ハリウッド式映画作りに対するカリカチュアがゴダール流に表現されている。

フランスが生んだ映画の父・リュミエールの至言を背景に、ハリウッドのタイクーンは乱暴狼藉を繰り広げるわけだが、タイクーンはまた、二言目には「女の裸を出せ」と脚本家に注文を付けながら、その美人妻に暇さえあればコナをかける。

フランスまで来て(実際のロケはローマとカプリ島だが)こんな役を振り当てられたジャック・パランスこそ災難だが、バルドーは『自分が映画の中でどんな役割を果たしているのか皆目見当がつかない様子だった』(「自伝」p390)と、このハリウッドスターを評している。
パランスにとっては最後まで踏んだり蹴ったりの撮影だった。

フルサイズの長回しで延々セリフを交わす画面作りは、脚本の世界観をカメラのラウル・クタールがフィルムに落とし込んだもの。
バルドー夫婦の新居の赤を基調にした配色と、カプリ島の別荘に移ってからの青を基調にした配色もいい。

『ゴダールの指示を忠実に実行するだけで、私自身の奥深い部分は全く出さなかった』(「自伝」p391)
バルドーは、そういいながらも、セリフと動き(フレームから出たり入ったり)の多い長回しによくついて行ってる。

『左翼かぶれの薄汚いインテリという種族にはイライラする』(「自伝」p386)といいながらも、ゴダールとの仕事を引受たからには、表面的にせよ体を張って応えるバルドーの漢気がうかがえる。

(赤)の場面。赤いバスタオルをまとったバルドーと帽子をかぶりっぱなしのピコリ

音楽はジョルジュ・ドルリュー。
『愛の不可解』ともいうべき映画の主題にうまくマッチしたテーマ曲が、落としどころのない主人公夫妻のグダグダのやり取りの言外の倦怠感を伝えていた。

ジャック・パランスの秘書フランチェスカを演じるジョルジア・モルは、魅力と存在感あるイタリア女優で、ハリウッドプロデューサーの秘書というプロフェッショナルな女性を、その裏側をも匂わせながら、上手く演じて居る。

DVD表面
DVD裏面



「セシルの歓び」  1966年  セルジュ・ブールギニョン監督  フランス

監督は「シベールの日曜日」のブールギニョン。
かの作品は少女と青年が主人公。
青年の少女に対する愛が、反社会的な性癖によるものか、青年は戦争が原因であったものの、通常の社会には相いれない存在だった。
二人が会って遊園地で遊ぶ場面の青年の嬉しそうな笑顔は、自分の世界に没入しきった人のそれだった。
また、さらに怖いのがうれしそうに笑う少女の存在で、常軌を逸しているのが青年だけなのか、二人ともそうなのか、わからないことだった。

ブールギニョンの長編第二作目の本作は、大人同士の不思議な関係を描く。

モデルの仕事でロンドンに2週間やってきたフランス人のセシル(ブリジット・バルドー)が主人公。
ロンドン在住の自称地質学者でオタクっぽい青年ヴァンサンがセシルにぎこちなく接近する。

パリには包容力のある大人のパートナーがいて、ロンドンのセシルに毎晩電話をかけてくるが、セシルはどう見ても釣り合いの取れないヴァンサンのアプローチを受け入れる。

この映画、つり合いは取れないが真面目な男が、違う世界の美しい婦人を手に入れ、お互いが幸せになる、という「チップス先生さようなら」のような、恋愛シンデレラストーリーではない。
「シベールの日曜日」のブールギニョン作品なのである。

ヴァンサンを受け入れたセシルは二人でロンドンを出奔する、撮影で着ていたウエデイングドレス姿で。
車はエンストし、スコットランドの古城にたどりつく。
古城には鳥の声を録音して分類する学者のような老人がいて二人を受け入れる。
二人は夢のようなひと時を過ごすが・・・。

やがてヴァンサンはセシルを縛り、嫌いな牛乳を飲ませたりするようになる。
単なるオタク地質学者ではないヴァンサンの本質が露呈されてくるが、セシルの好みとは相いれない。
風呂もない古城の生活とも重なり、セシルの不満は爆発する・・・。

DVDに特典されていたオリジナルポスター?

ヴァンサンは「シベールの日曜日」のハーデイ・クリューガー扮する青年の別バージョンだろう。

セシルはいったんは毛色の変わったヴァンサンに惹かれるがやがて熱が冷める。
彼女はパートナーとの倦怠感はあるものの、非日常に没入はしないのだ。

女優バルドーの持ち味は、その保守性と、常識性と、育ちの良さにある。
異常な性癖の持ち主や、ヒネクレタ性格の役は似合わないし、シビルの役作りでもそうなっていない。

DVD表面

ヴァンサンはセシルを誘って香港行きのJAL便チケットを買い、飛び立つ。
寝坊したセシルは空港に駆け付けるが飛び立った後。

バルドーの存在感はオタク青年と融合するものではなく、ヴァンサンが体現した非日常性は、バルドーの個性に影響を与えることはできなかった。
バルドーに見つめられ、おどおどするオタク青年の眼差しがすべてを物語っていた。

DVD裏面

「ブリジット・バルドー自伝」にはこの作品についてほとんど記載がない。

(「追悼その3」へ続く)

DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その1)



バルドーとロジェ・ヴァデイム

去年(2025年)ブリジット・バルドーが亡くなった。
同時代の名女優、クラウデイア・カルデイナーレが亡くなったのも去年だった。

26歳の時、パリの名画座でバルドーの出世作「素直な悪女」を見たことがある。
洗濯物の背後にヌードで横たわり、これでもかと黒人たちとチャチャチャを踊りまくる22歳のバルドーは、ピカピカとした光を放っていた。
スターというものは、何年たってもフィルムを通して輝いていることを知った。
古今東西の名作が真新しいプリントで上映され続けているパリという街での貴重な体験だった。

ブリジット・バルドー

「素直な悪女」でスターダムに躍り出たバルドーだったが、本人はスターの生活に興味はなく、男と快い生活と動物のみに生きがいを感じていたようだ。
プチブルジョアの家庭に生まれ、幼少期よりバレエを習うお嬢様だったが、15歳の時に雑誌の表紙に出始めた。
それが縁で、映画のスクリーンテストを受け、監督マレク・アレグレの助手だったロジェ・ヴァデイムと恋に落ちた。
バルドー記念すべき愛の旅立ちの第一章である。

バルドーとヴァデイム

両親の目を盗んでの交際期間を経てヴァデイムと結婚。
アレグレの助手を経てシナリオライターとなったヴァデイムは、戦争を経験した戦後世代で、パリの若者文化の渦中で過ごし、俳優のクリスチャン・マルカンや無名時代のマーロン・ブランドなどとも交友があった。
その時代の先端的をゆく世俗性と、異国情緒たっぷりの男性性が箱入り娘のバルドーをメロメロにさせたのだった。

生まれたままで15年たっただけの愛すべきバルドーは、奔放のようでいて貞淑、一途な寂しがり屋な素質が全開。
良くも悪くも他人のための社会性など一切持たずに、本能のままにふるまい、それを受け入れてくれる信頼のおける人間で身の回りを固めた。
長年の付き合いのメイクアップアーテイストや女性プロデユーサー、ゲイの秘書、それに犬かロバを加えた信頼のおけるメンバーを自らチーム・バルドーと呼んだ。

「素直な悪女」の後は、夢のような金銭条件で契約を迫るハリウッドをかわしながら、ミシャル・ボワロン、ヴァデイムなど若手の作品に出演。
一方で、クロード・オータン=ララ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾなどのベテラン監督の作品に出演するようになる。
名匠の作品にあってもバルドーは自己流を貫いた。

バルドー自伝表紙

1996年、バルドーは自伝を出版した。
「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」(1997年 早川書房邦訳刊)である。

ヴァデイムとの出会いや、「素直な悪女」撮影のころを中心に読んでみた。
どこを切ってもバルドー印。
女の子っぽさ、繊細さ、育ちの良さ、わがまま、耐性のなさ、社会性のなさ、がどのページからもその新鮮な切り口を露呈している。

図々しさもあり、特に男に惚れる瞬間の早さと、その後の一途な依存性は天下一品のバルドーの世界。
ヴァデイムに飽きた後(彼は終生の理解者であり庇護者だったが)、「素直な悪女」で共演したジャ=ンルイ・トランテイニャンにぞっこんの2年間を過ごし、ある日一瞬で歌手のジルベール・ベコーに乗り換えるのが彼女20台前半の男性遍歴として人生のサイドストーリーを飾るのである。

自伝カバーの宣伝文より

57年の「月夜の宝石」(ヴァデイム監督)で長期スペインロケに出かけたときの、バルドーとそのチームのエピソードを自伝より引いてみたい。

経緯はこうである。
『マドリードから汽車で20時間もかかる海岸沿いの村に一行が到着した。
ブーゲンビリアが咲き乱れ、オレンジの花の匂いのする寝室ふたつのバンガローに、ジャニーヌ(バルドーの照明代役)と泊まるバルドーは幸福そのものだった。
ジャニーヌはスペイン人のハンサムなこれまた代役(バルドーの相手役:ステイーブン・ボイトの)に一目ぼれし、むさぼるように見つめ合う。
その晩、男はジャニーヌのベッドにに忍んで来る。
ロケ隊が引き上げるときに二人は(スペインに残るため)さよならを言いに来たのだった。』

『二人は幸せそうで、心ここにあらずという風情だった(中略)愉快な話である。その日からジャニーヌとは会っていない』(自伝P188)。

夢のような南国の漁村でのロケ合宿。
恋人たちは自然に惹かれ都会生活に関係なくほどけて行った・・・。

バルドーとは楽園で幸福を味わうために生まれてきた女神なのであろう。
それは彼女が愛し、信頼するチーム全員にも同じようにいえることだったようだ。

自伝奥付



「恋するレオタード」  1954年  マレク・アレグレ監督  フランス(コロムビア映画配給)

バルドー20歳、ヴァデイムと結婚して2年たっていた。
10本目の映画出演作、といっても主演はまだなし、の時期だった。

マレク・アレグレはフランスの中堅監督。
ブリジットが15歳の時に、彼女の両親を説得してカメラテストしたことがあった。
この時のアレグレの助手は当時17歳のロジェ・ヴァデイムだった。
ブリジットはテストに落ち、また予定されていたこの作品は無期延期となった。

アレグレは「素直な悪女」の1本前にブリジットの主演で「裸でごめんなさい」(56年)という作品を撮っている。
1956年は、ブリジットとヴァデイムはすでに結婚しており、ブリジットの主演で監督デヴュー作を準備していた年になる。

マレク・アレグレ監督を中心にバルドーとヴァデイム

本作「恋するレオタード」は、ジャン・マレーがウイーンの音楽教室のカリスマ校長に扮し颯爽と登場。
40年代のフランス映画界にあって、詩人ジャン・コクトーによる「美女と野獣」(46年)の王子様役で登場し、その後も名女優たちと共演した、あのジャン・マレーである。
登場場面が、神々しく引き締まろうというものだ。

なるほど、美形ぶりと颯爽とした振る舞いはジャン・マレーそのものだが、本作は音楽学校の女学生たちが主役の、ほろ苦い成長ドラマである。
マレーは、彼女たちのあこがれの的の大人の男性役。
離れて住むプリマドンナの夫人との愛に悩みつつ、身の回りの若い女学生にちょっかいを出す俗っぽいオヤジでもあった。

マレー校長に憧れる女学生に、金髪の悩める美形、イザベル・ピア。
彼女と校長を競い合い、校長宅に押し掛ける女学生にブリジット・バルドー。
レオタードから伸びた長いまっすぐな脚が若々しいブリジットと、北方系の金髪美少女の影を演じるイザベルが対照的なキャラとなる。

DVD表面

学院の生徒たちの描写が生き生きしている。
生徒同士のカップルが生まれ、校長を巡る女の子同士の噂話が駆け巡る。
校長の個人レッスンを巡る抜け駆けなどもありそうだ。
このあたりの生き生きしたエピソードの積み重ねはアレグレ監督の職人技か。

学友を出し抜いて校長と個人レッスンの上、弄ばれて初恋を信じてしまうイザベルとブリジットの夢が破れる結末は、校長の心が夫人のもとにあるからといういつものストーリー。

DVD裏面

冬のウイーンの街角。
コートの襟を寄せ、アパートへ急ぐる女優の姿。
フランス映画らしい何気ないカットにアレグレ監督の感性が漂う。

助手のヴァデイムと練ったというシナリオには、様々なエピソードがちりばめられ、若い学生たちの輝きと挫折とが工夫して表現されている。
少女漫画のような筋回しと、エピソードの数々に見られる通俗性が、後のヴァデイム映画の通底しているところが面白いが

日本非公開。
原題名「未来のスターたち」。

バルドーのフィルモグラフィ。本作は「未来のスターたち」とある



「素直な悪女」   1956年   ロジェ・ヴァデイム監督    フランス

カラーのシネマスコープ画面が南仏の漁村風景を映し出す。
カラフルな洗濯物が翻るその背後には裸のバルドーが寝そべっている。

サントロペの漁村に造船所を大規模に経営しようと、実業家のエリック(クルト・ユルゲンス)がやって来る。
洗濯物の背後で立ち上がってエリックに応えるジュリエット(ブリジット・バルドー)。

ジュリエットは孤児院からサントロペの里親に引き取られている18歳。
村の書店の店番をする以外はブラブラしている。
前開きのスカートで自転車を漕ぎ、港の青年たちにはやし立てられる。
それが大人には気に食わないがジュリエットは平気だ。

日本封切り時のポスター(左半面)
同(右半面)

村の造船所にはアントワーヌ(クリスチャン・マルカン)とミシェル(ジャン=ルイ・トランテイニャン)と末弟の三兄弟がいて、アントワーヌはジュリエットにかまい続けている。
魅力満開だが誰にでもオープンというわけではないジュリエットは、漁村から脱出できるのならアントワーヌについても行こうとするが、遊びで捨てられることは嫌がる。
自分の裸を見て興味津々のエリックの金と贅沢にも興味はある。

クルト・ユルゲンスと

バルドーが世界に向けて自分を売り出したこの作品。
当時の夫ロジェ・ヴァデイムの監督デヴュー作にして世界的大ヒット作となった。
主人公・ジュリエットは、三兄弟全員を愛人にした少女が、そのうちの一人を殺害したという事件をモチーフにしたヴァデイムのオリジナル脚本が生んだヒロインだった。
そのヒロイン像は、妻バルドーの嘘偽りのない人間そのものだった。
また映画で描かれるエピソードは、ヴァデイムがバルドーと知り合ってからの実体験に基づく事柄ばかりだった。

15歳でヴァデイムと知り合い、恋に落ちたバルドーは、交際が許されるまでの間、また結婚が許されるまでの間、ロミオとジュリエットのような気持で過ごしており、ヴァデイムは処女作のヒロインにその名を付けた。
サントロペを舞台にしたのも、ブリジットの両親がこの地に別荘を持っていたからだった。

ジュリエットが大人の不興を買い、孤児院に戻されようとして、自分に一途に愛をささげるミシェルと結婚して急場をしのぐ。
教会での式が終わったとたん、披露宴を待たずに寝室にしけこんだ挙句、ジュリエットがごちそうを一皿とワインだけをもって、「お休み」と寝室にリターンするエピソードは、バルドーとヴァデイムの結婚当日の様子と同じだ。

ジャン=ルイ・トランテイニャンと

ジュリエットはミシェルの愛を受け入れて幸福な生活を望むのだが、一方でその幸福を実現するのが怖いとつぶやく。
ヴァデイムはこの作品で、バルドーに『自分の魂をさらけ出すこと』(ヴァデイム著「我が妻バルドー、ドヌーブ、フォンダ」p132より)を求めた。
そのつぶやきはバルドーの魂のつぶやきそのものだった。

映画のラストシーン。
偶然にもアントワーヌとデキてしまい、ミシェルの心も千々乱れるなか、黒人のボンゴにのってチャチャチャを踊りまくるジュリエット。
己の煩悩を鎮めようとするが如く、否、人並みの幸福を希求することの怖さを忘れようとするが如く、スカートの間から細く長い脚をむき出しにして激しく踊るジュリエット。
ヴァデイムがかつてのバルドーに見た姿だったという。

チャチャチャを踊るジュリエット

この作品、様々な男女にまつわるエピソードは、芸能新聞のように通俗性に溢れているところがヴァデイムらしいが、ジュリエットというキャラクターの本質性と、演じるバルドーの資質との不可分性は、まさに映画史におけるのエポックメーキングであった。
だからこそ世界中の観客はそれを目撃しに映画館に押し掛けたのだった。

DVD表面

バルドー本人は自伝に曰く『撮影があれほど楽しかったことはない。私は演じてなどはいなかった。ありのままの私を見せればいいだけだったのだ。』(「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」p126より)

DVD裏面



「戦士の休息」    1962年   ロジェ・ヴァデイム監督     フランス

60年代に入ったバルドーは、この作品で映画界を引退しようと考えていた。

チームバルドーの働きでここまで女優として生活してきたバルドーだったが、パパラッチや記者、野次馬たちに脅かされるスターとしての生活に疲れ切っていた。
彼女はバルドーチームのマネージャーやメイク係、代役のために、映画を介してやっと生きているのだった。
チームのメンバーたちはそれぞれ夫や家族と各々の生活を楽しんでいるのに。

また、アルジェリア独立を巡って、バルドーの父親が反独立組織から脅迫を受け、彼女も巻き込まれて警察の護衛を受けてもいた。
さらに彼女の生活の中心となったのは、生涯のテーマともなる動物愛護への関心だった。

牛のと殺方法を巡って、特殊ピストルによると殺をと、内務大臣と面会して提案したりした。
彼女自身はヴィーガンとして、例えば撮影所の食堂でステーキを注文した人にヒステリックな反応をするようなこともあった。

私生活では、「真実」(60年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)で共演したサミー・フレーと生活を共にしていた。
心はフレーに締められていた。

「戦士の休息」より

「戦士の休息」は、莫大な遺産を相続した若い女(バルドー)が、旅先で自殺未遂をしていたボヘミアン(ロベール・オッセン)を拾って、腐れ縁のような関係に巻き込まれてゆくというストーリー。
気ままに生きてきたボヘミアンは当然定職も社会的地位もなく、ついでに人間としての誠意も夢も希望もない。
女の金で酒を飲み、戯言を喋り散らし、抱き寄せるだけだ。
小説を書くというが出だしの1ページだけだった。
フィレンツエで、ボヘミアンが女を捨てて娼婦に走ったことから現実に覚醒する女だった・・・が・・・。

育ちのいい常識的な女性が、遺産相続という人生の転機で、本来巡り合うはずのないボヘミアン的な男の「自由人の魅力」に惹かれてさ迷う現代の迷宮巡りの物語。

DVD表面

遺産となる屋敷の暖炉の火にバルドーのネグリジェを投げ込み、抱き寄せるボヘミアン。
パリの女の部屋で、ガウン一つでベッドのボヘミアンに倒れ込むバルドー。
掃除する彼女に「裸で掃除しろよ」と命じ、従うバルドー。
ヴァデイムはバルドーの堂々たる体と色気だけを描いているが、撮り方によってはアブノーマルな趣向が色濃く出たであろう場面の数々が本作の見どころか。

女が自分に固執し始めたことに気づいたボヘミアンが、本能的に女から逃げようとつぶやく「愛なんてくだらない」。
それでも愛し続ける女に最後に応える「君を愛してるみたいだ。でも怖いんだ」。

結局、女の愛にほだされて、所在なきボヘミアンの心も女のもとに定まれり、の結論。
ということは、男の変態性に刺激されて女の異常性が目覚める話でも、ボヘミアンが自由と引き換えに崩壊する生活と精神を描くものでもなかったようだ。

『「戦士の休息」はあまり好きになれなかった。ルノー(ロベール・オッセン)の美しい目にうっとりして、愚かな行動に走る若い娘は私の柄に合わなかったのである。(中略)カップルの取り合わせが悪く、脚本にもメリハリがなくて、全体的に生き生きした躍動感がなく、パンチにも欠け、人を陶然とさせるところがなかった。まるでフリーズドライの映画だった。』(「ブリジットバルドー自伝」p381より)

主体性がないようで、自我が確立しており、無軌道な快楽主義とは一線を画す男気の持ち主、バルドーらしい言葉である。

DVD裏面

60年代に入ったバルドーは、かつての『野性味ある育ちのいいお嬢様』から、『落ち着いた若奥様風』へと変貌を遂げていた。

上田トラムライゼで’66年チェコ映画「ひなぎく」を見る

「ひなぎく」  1966年 ヴェラ・ヒテイロヴァー監督  チェコスロバキア 上田トラムザイゼ(デジタル上映)

全く知らなかった映画。
チェコ映画そのものを見たことがなかった。

チェコといえば中欧の工業国。
自動車や戦車を自国で生産できた。
1964年の東京オリンピックでは体操の女子総合で、ベラ・チャスラフスカ選手が優勝し、その成熟した美しさとともに『東京の恋人』ともいわれた。
チャスラフスカは4年後のメキシコオリンピックにも出場し、個人総合で再び優勝するのだが、この年’68年はプラハにソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が進駐し、自由化に進んでいたチェコのドプチェク政権を葬り去った。
チャスラフスカは国家的英雄としてドプチェク政権に参画しており、その後しばらくは日陰の生活を強いられることになる。

筆者には、’68年のテレビ画面に映るメキシコオリンピックの体操会場で、チャスラフスカが(『ベラ、ラララ』の)大歓声を受け、片やライバルのソ連選手(クチンスカヤという10代の美少女)が結えないブーイングを受けていた光景を見ていたことを思い出す。

ちらしより

「ひなぎく」は、チェコ自由化の波が生まれつつあった66年に製作された。
政治の自由化に伴う表現の自由への希求を背景に、それでもなお、社会主義国の桎梏、権力者の特権階級化、それに連なるプチブルジョアともいえる上級国民の存在、圧倒的多数の労働者階級の沈黙などなど、過去の負の遺産が刻印された歴史が色濃くその影を落としている。

それを表現するのに、抽象化するのではなく、不条理劇とするのではなく、ファッションでガーリーな二人の少女の行動を通して描くのがこの映画である。

チラシ裏面

2人の主人公の人物像についての説明はない。
二人で住んで、働いているのかいないのか、どうやって生活しているのかわからない。
描かれるのは彼女らの、まったく自由で衝動的な行動だけだ。
金髪の彼女の方は常にひなぎくの花飾りを頭につけている。

金持ちの紳士に取り入り、高級なレストランで食事をする。
今でいうパパ活だろうか。
呼んでいないのにもう一人のほうが勝手にテーブルに座り、勝手にオーダーし、口の周りを汚しながら盛大に食べ飲み続ける。
帰りに駅まで紳士を見送りにゆき、同伴を期待する紳士を列車に残して飛び降りバイバイする。

別な日には、チャールストン風にボードビリアンが踊るキャバレーに乱入し、有閑階級のテーブルの酒をかってに飲みつつ、ボードビリアンのショウを妨害し、ボーイにつまみ出される。

ある日は、蝶の標本を収集する金持ちオタク風の青年の家で、金髪の方の彼女が、標本で隠しつつストリップ風のポーズで青年をおちょくる。

2人の部屋では、天井からぶら下がったソーセージを鋏で切り、食べ、ミルクをこぼしての宴会を繰り広げる。

チラシ裏面

そしてクライマックスシーンでダメを押す。
工場の上階にある貴賓室に侵入し、豪勢なパーテイのために準備されたのであろう、ごちそうや高級なウイスキーを、貪り食い、飲みこぼし、挙句の果てには踏みつけ、なぎ倒しての乱暴狼藉を繰り広げる。
主賓は最後まで出てこないが、共産党幹部のための豪勢な宴会が準備されていたのだろうと思われる。

画面はモノトーンでパートカラー。
モノトーンはセピア調だったり白黒だったり。
短いカットインのポップな流れは、60年代のリチャード・レスター(「ビートルズがやって来る・ヤア!ヤア!ヤア!」)風でもある。
何より二人の女の子の気分に、女性監督の”らしさ”が出ている。
その行動に理由も原因もないという、女性らしさが。

女の子そたちは、社会主義体制が硬直し、権力者や上流階級だけが享楽を独占している硬直化した社会構造の中で、勝手気ままに、それらを粉砕して回る。
いわゆる『反体制運動』よりも過激なアンチテーゼである。

ウーマンリブ的に、男性社会を揶揄した場面もある。
被害者意識むき出しだったり、説得的な抗議をするのではなく、まったくナンセンスで衝動的な行動によって。

ガーリーでポップな感覚の背後には、とてつもない社会的闇と硬直しきった歴史の存在が色濃く匂う。

チャスラフスカが、オリンピックというこれ以上ない表舞台で太陽のように咲き誇った存在だったとすれば、ヒテイロヴァー監督と、勇敢でかわいらしい主演の二人が作った「ひなぎく」は、ひそかに咲いた日陰の花のように自由で感覚的なものだった。
両者ともに68年に他国から侵入した戦車のによってその尊厳が踏みにじられたのではあるが。

この日のトラムザイゼは入場者が7人。
金曜11時40分からの回にしては多めの観客だったのではないか。
この作品に関する潜在的関心の高さを感じた、といえば大げさだろうか。

館内に流れた、最新作「ヌーベルバーグ」予告編。
パリの1959年。
トリュフォー、シャブロル、ゴダールのそっくりさんがでてくる白黒画面。
ジーン・セバーグは、本物より背が高く、声が甲高いが、それ以外の再現度は眼を見張らせる。
「勝手にしやがれ」の撮影風景が再現される。
これはぜひ見たいと思った。

渋谷シネマヴェーラの『マックス・オフュルス特集』より「歴史は女で作られる」



「歴史は女で作られる」  1956年  マックス・オフュルス監督  仏・西独合作 シネマヴェーラ・デジタル上映


マックス・オフュルス

映画監督マックス・オフュルスは、1902年ドイツ生まれのユダヤ人。

同じく戦前のドイツ帝国もしくはオーストリア=ハンガリー帝国(あるいは周辺国)出身のユダヤ人映画監督には、大御所のフリッツ・ラングのほか、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、マイケル・カーテイス、アナトール・リトヴァク、ロバート・シオドマーク、ビリー・ワイルダー、ダグラス・サーク、フレッド・ジンネマン、オットー・プレミンジャーらがおり、いずれもハリウッドで一家を成した名監督である。
戦前のドイツやオーストリアなどでキャリアをスタートさせ、戦時中にアメリカに亡命した経歴も共通している。
彼らの成功の背景にはその豊かな才能はもちろん、不屈の執念と自己演出力があった。

「魅せられて」(49年)演出中のオフュルス(右)

オフュルスは、戦前のドイツやフランスで数々の作品を監督したあと、ハリウッドに移り、「忘れじの面影」(48年)で成功した。
その後ヨーロッパに戻り、フランスを根拠として「輪舞」(50年)、「快楽」(52年)、「たそがれの女心」(53年)を発表、オフュルス映画の頂点を示した。
「歴史は女で作られる」は初のカラー作品にして遺作でもある。

今回のシネマヴェーラのオフュルス特集には敬意を表したい。
戦前の作品から遺作までを網羅しており、こうした機会は日本ではおそらく初めてである。
未輸入だったり、日本での版権がとうに消失した作品でも、著作権が切れた70年以上前の作品については積極的に取りあげ映画ファンに鑑賞の機会を設けているシネマヴェーラの功績は大きい。
古典映画のデジタル素材に自前で字幕を付けるラボを設置しているシネマヴェーラの、面目躍如だ。

シネマヴェーラの特集パンフより

未見だった「歴史は女で作られる」を見ることのできたこの機会に合わせ、オフュルス映画の代表作を振り返ってみたい。

アメリカ、フランス時代のオフュルス

「忘れじの面影」。ルイ・ジュールダンと

オフュルスのハリウッド時代の代表作「忘れじの面影」は忘れられない映画の一つである。

少女時代から人生を閉じるまでを演じるジョーン・フォンテイーンの懸命な演技と魅力が作品の基調をなしている。この主人公が甲斐性のない初恋の相手に一途な愛をささげて一生を暮らす。
最後まで気持ちが交わらない二人の関係性が”非予定調和”でもあり不条理でもあるが、映画はこの関係性に解釈を加えずに進む。

報われない愛をささげ続ける主人公と、だらしない女たらしのピアニストで、その場その場で気まぐれにふるまうだけの男(ルイ・ジュールダン)の、たまさかの邂逅と別れに、却って真実の男女の関係、あるいは人生そのものが映し出される。
そういった”不幸な結末”を最初から漂わせる人間関係を、オフュルスはメロドラマを基調としつつ最大限の映画的効果を駆使して演出する。
雪の街角での二人の再会シーンの静寂の中のときめく心。
閉園間近な遊園地でのデートし、遊具に二人で乗り『世界旅行』(背景の書割を係員が人力で取り替えるだけの仕掛け)を何度も繰り返すシーンの幸福感。
観客である自分が経験したわけでもないのに既視感に溢れてたまらなく懐かしく感じる場面が続く。

オフュルス演出の真骨頂である『縦の構図』に基づき画面に置いた階段を主人公たちが登り、降りる。
停車場に駆け付ける主人公の感情を映すように、切々と走る彼女を延々とカメラが追う移動撮影。
こういったシーンを目にしたときの観客の高揚感。
”映画的記憶”に満ち満ちた観客体験としかいいようがない。

オーストリア出身のユダヤ人シュテファン・ツヴァイクの原作を、同じくドイツ出身のユダヤ人オフュルスが演出。
主人公が一生をかけて恋する、だらしないだけに見えるピアニストの描き方にも、オーストリアの歴史・文化に象徴される旧文化の没落とデカダンが象徴されているようにも見え、いずれにせよオフルスが監督に選ばれたことの必然を感じざるを得ない。

「忘れじの面影」。遊園地の場面

1950年、オフュルスがハリウッドを去りフランスに戻ってからの「快楽」。

3話からなるオムニバスの第1話は、老いてなお舞踏会での恍惚が忘れられない老境の主人公。
仮面をかぶって老境が侵入するその舞踏会が描かれる。

オフュルスのカメラは、馬車で屋敷に詰めかける貴婦人たちを追って門前の賑わいをひとなめした後、窓を越えて貴婦人たちが舞うホールのただなかにワンショットで侵入し、絢爛豪華な渦の中に、踊り手たちの歓喜に共感するようにさ迷い続ける。
ヨーロッパの旧文化の芳醇だった残滓に酔い続けるが如く。

第2話はモーパッサン原作の「テリエ館」。
カメラは、旅行に来た娼婦たちが歌いながら田園風景の中ではしゃぐ姿をテーマ音楽と相乗効果を上げるように延々と緑の中を移動し続ける。
娼婦役のダニエル・ダリューも、農夫役のジャン・ギャバンも風景の一つの如く自然で等身大に描かれている。
娼館の女主人マドレーヌ・ルノーが、田園風景の中で楽しそうに歌う場面が忘れられない。

演技派マドレーヌ・ルノーの「快楽」第2話での演技も忘れられない

戦前のドイツ映画、オーストリア映画には、音楽映画というジャンルがあり、「会議は踊る」(31年 エリック・シャレル監督)などの名作があった。
皇太子とヒロインが馬車に乗り、田舎の別宅に向かう場面がある。
馬車は彼らを乗せて丘を越え橋を渡る、川では洗濯する娘らが手を振って馬車を見送る。
テーマ音楽が流れるなか、延々とワンショットで道行く馬車を捉える。

同じく「会議は踊る」での、大掛かりな宮殿のセットでの舞踏会。
数十名の貴族の衣装をまとった俳優たちによる舞踏会の、その豪華さ、あでやかさ、また、儚さ。
とうに失われた、戦前の貴族の世界が感傷に彩られ華々しく再現される。

オフュルスの特にフランスに戻ってからの作品、「快楽」の第1話と「たそがれの女心」には、「会議は踊る」に代表される戦前のオーストリア映画の記憶がくっきりと刻印されている。
オーストリアの歴史とドイツ・オーストリア映画への憧憬と、それを再現することへの執念がオフュルス映画からは感じられる。

「歴史は女で作られる」

以上のようなオフュルス体験を経て見たのが今回の特集で見た「歴史は女で作られる」。

シネマヴェーラの特集パンフ表紙

マリア・モンテスという19世紀に実在した踊り子にして高級娼婦の一代を題材にしたこの作品は、サーカスの客寄せとして晩年(まだ若いが)を迎えた主人公がサーカスでの”見世物”となっている場面から始まる。

上級民の末席に連なる出身で、美貌を武器に、音楽家や皇帝の愛人として表部隊を渡り歩いてきたマリアにとって、残酷極まりないその人生の最終章から映画は始まる。
オフュルスにとって、残酷極まりない人生の真実は、「快楽」第1話、第3話などを見てもわかる通り彼の作品のテーマでもあるのだが、「歴史は女で作られる」はその色彩が濃く、全編に隠しようもなくにじみ出ている

マルチーヌ・キャロル

ヒロイン役のマルチーヌ・キャロルは「浮気なカロリーヌ」(51年 ジャン・ドヴェーヴェル監督)、「女優ナナ」(55年 クリスチャン・ジャック監督)などでセックスシンボルとして売り出された女優。
「歴史は女で作られる」では、少女時代から晩年のサーカス時代までほぼ同じメイクで登場する。

少女時代をそのまま演じさせることは、オフュルス作品では「忘れじの面影」でのジョーン・フォンテイーンの場合と同じだが、スカートを翻しながら階段を走って登る少女の動きを懸命に再現しようとしたフォンテイーンに比べ、大人と同じメイクのまま少女服に身を包んで登場したマルチーヌ・キャロルと、それを隠すことなく捉えるカメラ。
これはオフュルスの、この作品での”残酷”な演出の一つなのか?

もっともジョーン・フォンテイーンが自らのプロダクションを立ち上げての第一作「忘れじの面影」では彼女が自らをメロドラマのヒロインとして演技したのは必然で、オフュルスの”残酷な真実味”は抑えられていたのだが、他のオフュルス作品においては、女優たちは抑えた演技を求められており、”残酷な人生の真実味”が否応なく表面に現れてくる。
それは「快楽」第二話のダニエル・ダリュー、第三話のシモーヌ・シモン、「輪舞」のシモーヌ・シニョレの扱いに顕著である。

オフュルスが押さえた演技を求めている点では「歴史は女で作られる」のマルチーヌ・キャロルでも同様だが、一方で、彼女の体と顔からあふれだす成熟した色気と気概が、カラー画面と相まって作品のテーマに一方でマッチしている。

ダニエル・ダリューは「快楽」、「たそがれの女心」に出演した

豪華で金のかかった映画で、サーカステントにせよ、各挿話のセットにせよ、出演者の時代的衣装にせよ、見ごたえがあるのだ、十分に効果が上がっているとは思われないのはどうしてか。

カラーによって映画の”底が”見えてしまったのか?
作品の根底にある残酷な暗さに豪華なセットや衣装が引きずられてしまったからか?
歴史ロマンの映画化が時代的にズレてきたからか?

サーカステントのセットの奥深さの表現と斬新なカメラワークはさすがだったが。

シネマヴェーラの特集パンフより

この作品については、興業収入が製作費を回収するに至らず、製作者によって再編集されたとのこと。
オフュルスにとって、また彼のファンにとっては不本意な事態であろう、が、たとえ再編集されたとはいえその素材はオフュルスがその演出によって撮影されたものであり、本質的なところは変わりようがないのも事実である。

その意味ではこの作品は、「会議は踊る」などの戦前のドイツ・オーストリア映画への単純なオマージュでもなく、また女優のプロダクションに呼ばれて作ったノスタルジックなメロドラマ(「忘れじの面影」)でもなく(そういった仕事でも見事な職人芸を披露するのではあるが)、”暗く残酷な人生の真実の追求”が狙いであり、オフュルスの本質が現れた作品だと思われる。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち④ 岡田茉莉子

岡田茉莉子

岡田茉莉子、1933年東京生まれ。
サイレント時代の美男スター岡田時彦と宝塚の男役スターの間に生まれる。
時彦の死後、母子家庭で育つ。
戦時中は新潟に疎開し女学校を卒業。
母方の叔父が東宝の文芸部におり、その紹介で51年、東宝にニューフェース扱いで入社する。

岡田茉莉子にも自伝がある。
「女優 岡田茉莉子」(2009年 文芸春秋社刊)。
出版社といい、ページ数といい一流だ。
聞き書きや新聞連載の再録ではなく、本人の書き下ろしだ。

自伝「女優 岡田茉莉子」文庫版表紙

本ブログ・ラピュタ阿佐ヶ谷の『松竹女性映画珠玉選より①高千穂ひづる』、『同②有馬稲子』で紹介した、高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦」や有馬稲子の「バラと痛恨の日々」「のど元過ぎれば」と、この「女優 岡田茉莉子」を読み比べると、ほぼ同年の3人の女優さんの個性の違いが浮き上がる。

東宝の新人女優らと。左から有馬稲子、杉良子、青山京子

高千穂さんは、両親が揃った円満なご家庭の出身。
宝塚からの映画入りと女優の王道を歩んできたくらいだから、凡人の数倍の自己顕示欲とスター性があるのだが、あとの二人に比べると自我の強さ、自己顕示欲の強さがかすんでしまう。
自伝には、宝塚時代、映画時代で知り合った俳優・女優がまんべんなく紹介されており、高千穂さんの常識的で人格円満な性格がうかがえる。
様々な監督、スタッフ、俳優らへの辛口のエピソードもあるが、あくまで常識的な範囲である。

有馬稲子は、少女漫画の主人公のような波乱万丈の生い立ちと、実父との良好ではない関係からも見える通り、出発点から凡人とは異なる星のもとに生まれている。
宝塚も映画女優もそれが目的ではなくて、彼女の人生で強烈に希求し続ける”何か”に到達するための手段である。
惹かれる相手は超一流の文化人か、才気あふれる映画監督。
場合によっては不倫も辞さない。
彼女の自伝から読みとれるキーワードは、『母親』『不倫相手(市川崑監督)』『岸恵子』そして舞台公演で全国を回った『はなれ瞽女おりん』ということになろうか。

一方、岡田茉莉子の自伝で頻発される名前は『岡田時彦』『小津安二郎』『吉田喜重』。
高千穂、有馬と比べると一番表舞台向きではない性格なのだが、内面では自己顕示欲がめらめらと燃えている。
大スターであった父・時彦の名が間断なく自伝に出てくるし、映画界に入れば、文豪谷崎潤一郎から芸名をもらう。
巨匠小津安二郎がサイレント時代に父時彦と数本の映画で組んでいたことから、巨匠には現場で”お嬢さん”と呼ばれる。
岡田茉莉子こそ、全盛期の日本映画界に必然として舞い降りた、生まれるべくして生まれたスターだったとしかいいようがない。


東宝に入ってからは会社の売り出しで人気が出るが、現代的なアプレ娘や芸者の役ばかりに不満が募る。
松竹に移って、渋谷実、中村登、などの名匠に登用され、最終的には小津組の”一番バッター”として可愛がられ、映画女優としての頂点を迎える。
その頃に出会ったのが結婚相手となる吉田喜重監督。
出演100本記念作品として、岡田自らのプロデユースで製作された「秋津温泉」(62年 吉田喜重監督)以降の映画人生は、吉田との二人三脚というか文化人・吉田の国際的な活動を追うようにして進められる。

デヴュー作「舞姫」(51年)。成瀬巳喜男監督、高峰三枝子と

吉田との独立プロ・現代映画社での諸作品、とくに「エロス+虐殺」(70年 吉田喜重監督)以降の、フランスなど海外でのグローバルな展開、夫・吉田のオペラ演出などについての記述が自伝の後半を占める。
間隙を埋めるのは、映画衰退後の自身の活動としての舞台公演の模様。
岡田はその後も舞台女優として、商業演劇のトップに立ち続けていたのだ。

自伝中には、映画で共演した高峰秀子、森雅之らの演技について、”役を演じるのではなくて高峰さんご自身を演じて居る”と分析している。
撮影現場で実感した真実であり、岡田茉莉子の慧眼でもある。

松竹ヌーベルバーグと称された3人の若手監督、大島渚が小山明子と結婚し、篠田正浩は岩下志麻をめとった。
吉田喜重が岡田茉莉子を射止めたのだが、結婚後、夫君の独立プロを共同経営者として支えたのは岡田であった。
小山は内助の功として、岩下はトップ女優としての道を進み、それぞれ添い遂げるなかで。

「山鳩」(57年 丸山誠治監督)

筆者にとっての”岡田茉莉子体験”は、松竹時代の「集金旅行」(57年 中村登監督)、「モダン道中 その恋待ったなし」(58年 野村芳太郎監督)での洋装の似合う、日本人離れしたモデルのような美人。
「秋日和」(60年 小津安二郎監督)で、おじさま方相手にやりこめる気の強い寿司屋の娘。
そして「秋津温泉」での、時代と心中したような、象徴としての昭和の女性像。
東宝時代の「浮雲」(55年 成瀬巳喜男監督)で、森雅之に横恋慕した挙句、扉をピシャッと締める伊香保の田舎芸者の元気の良さにもびっくりしたが。

「浮雲」(55年)。森雅之と

ある年の『小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』のゲストに登壇した岡田茉莉子本人のトークを、茅野の新星劇場で見たことがある。
既に高齢となり動作や口調にぎこちなさが現れていたが、前年(だったか)の同映画祭のゲスト司葉子のトークが亡くなった原節子とのエピソードに終始していたのに対し(司葉子なりの時流に配慮したファンサービスだったのだが)、老いた中にも毅然とした態度の岡田茉莉子が印象的だった。

「秋日和」でのチャキチャキとした演技のことも、小津監督や周りのオジさん俳優たちとの現場でのやり取りも含めて、分析的に話していた印象がある。
高齢になっても華やかさを失わない司葉子に比して、底光りするオーラを有しながらも、”華やさ”はすでに超越したかのような其のたたずまいであった。
映画全盛期の現場が作り上げた映画女優の”生きたキャリア”と、吉田喜重とともに歩んだ文化的な経験の数々がそこにはあった。

思い出深い「秋津温泉」。オリジナルポスター



「悪女の季節」  1958年  渋谷実監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

松竹の大御所監督の一人、渋谷実初のカラー作品。
菊島隆三のオリジナル脚本。
山田五十鈴、東野英二郎、伊藤竜之介、杉浦直樹(松竹入社第1回)、九条映子(のちの寺山修司夫人)らの出演。
軽井沢・浅間山ロケ。

オリジナルポスター

巨匠初のカラー作品で名優・山田五十)と今を時めく美人女優・岡田茉莉子の共演となれば番線番組であっても尺はタップリ使えるのか。
100分余りの上映時間は長かった。

前半の山田五十鈴の腹に一物ある後妻(籍は入っていない?)が実業家の因業ジジイ(東野英次郎)を殺害しようと、間男(伊藤雄之助)と共謀してあれこれする時間がまず長い。
熟女とはいえ、まだまだ入浴シーンも悩ましい五十鈴姐さんの色気があって退屈はしなかったものの。
ジジイ宅のばあや(三好英子)の存在がたまらなくオカシく、絶妙のアクセントだったりしたが。

後半は五十鈴姐さんの娘で、今風に言えば不思議ちゃん的なキャラの岡田茉莉子が中心となる。
この時期の岡田さんは、「集金旅行」、「モダン道中 その恋待ったなし」など、登場するだけでフィルム越しに強烈なビームを発射するほどの美人女優で、カラフルなファッションが似合う人だった。

プレスシート

岡田茉莉子は珍しく、ベッドで生足を大胆に披露。
松竹入社第一作の杉浦直樹とのキスシーンやダンスシーンもある。
何より、自らの悩まし気な仕草をパロデイ化するような演技を見せたりして芸の幅広さを披露する。
この人って、中村登監督作品でのはかなげなヒロインや、小津作品でのちゃきちゃき・ハキハキの現代っ子ばかりではなかったんだ。

岡田と杉浦がメインとなる後半では、軽井沢の山道(車道は細い砂利道だった)でオートバイの集団が事故死したカップルをハレルヤで葬送していたり、砂利道を次々と自転車が走り抜けたりと不可解な場面が続く。
オートバイ集団の若者(岡田と杉浦もその仲間らしいが)は、山小舎に着くと雨の中をカップルで踊り狂ったりする。
巨匠渋谷監督の目に移った若者像なのか批判的パロデイなのか。

一癖もふた癖もある母親とその娘が、因業ジジイと財産を巡って騙し合うが、双方ともに思うようにはならない。
ラストは浅間山の噴火口にまで、気球に括り付けられた宝石箱を巡って全員が火口に転げ落ちてゆく。
最後まで生き残ったのはジジイ宅の婆やだけだった。
メデタシ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

自伝でこの作品について岡田茉莉子は、『そうした嘘の演技を二人(山田五十鈴と)で楽しみながら演じることができたのも、渋谷さんの演出力のおかげなのだろう』(文庫版自伝 P159)と述べている

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち③ 嵯峨三智子

嵯峨三智子

1935年、女優山田五十鈴の一人娘として誕生。
山田の離婚後、父親に引き取られるが死別し、父方の祖父母に育てられる。

52年、東映に入社し時代劇のお姫様役として売り出す。
56年、松竹移籍、妖艶な色気と演技力で本領を発揮し人気を得た。

嵯峨三智子

私生活では岡田真澄との婚約と婚約破棄、金銭トラブルや薬物中毒、芸能界復帰と失踪などを何度も繰り返した。
ガス自殺した松竹時代劇のホープ・森美樹との実らぬロマンスなどもあった。

92年、滞在先のバンコクでクモ膜下出血のため死亡、57歳だった。

市川雷蔵と

代表作は「こつまなんきん」のほか、「裸体」(62年 成沢昌成監督)、「恋や恋なすな恋」(62年 内田吐夢監督)。
松竹移籍後の主演諸作のほか、大映の名物シリーズ「悪名」、「眠狂四郎」、「若親分」、「兵隊やくざ」などにもゲスト出演している。

実母・山田五十鈴と



「こつまなんきん」 1962年 酒井辰雄監督 松竹京都 ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立映画アーカイブ所蔵作品)

嵯峨三智子が時代劇のお姫様役から脱皮し、「裸体」で生々しい汚れ役に挑んだ時期(製作年度は「こつまなんきん」が先)の作品。
若さに加え、持って生まれたと美貌と色気が画面から横溢している。

同時期には、内田吐夢監督が歌舞伎とアニメを劇中に取り入れた意欲作「恋や恋なすな恋」でもキツネの化身の姫を演じ、ただならぬ妖艶さで、作品の伝奇性に貢献していたことが思い出される。

オリジナルポスター

本作は今東光原作の『河内もの』の映画化。
大映の「悪名」シリーズや日活の「河内ぞろ・どけち虫」(64年 舛田利雄監督)、「河内カルメン」(66年 鈴木清順監督)などの系列に属する。

大坂南部の河内に生まれた名もない娘が器量だけを武器に、男社会を生き抜こうとするが、所詮は無学の女。
最後は男に利用され、捨てられる。
が、この主人公の凄いところは、『失敗したかて、うちはこれで生きるしかおまへんのや』と、己の器量でのみ勝負し続けてゆくところ。
例えそれがインチキ教祖を演じたり、街角の易者に身をやつしたり、場末の演芸場で漫才をやることであっても。

前記の「裸体」の主人公が、千葉の漁村を舞台に周辺の男を渡り歩いて世の中に伍してゆく雑草のような女だったとしたら、本作の主人公は、より『社会的』であり、頭と芸を使って社会と伍してゆこうとするより高度な存在である。
その分「裸体」でのなまなましい生命力の表現は見られないが。

本作でのインチキ教祖に扮した際のすさまじいまでの、妖艶、凄絶は、嵯峨三智子の美の頂点として邦画史上に刻印された。
安井昌司ならずとも、薄物一枚で滝行する嵯峨にふるいつきたくもなろうものだ。
教祖時代のシークエンスの酒井監督のおどろおどろしい演出も浮世離れしていて、いい。

ただしこの作品、絡む男が、株屋(曽我廼家明蝶:好演)、実業家(河津清三郎)と、後になるにつれて、卑近な現実めいた展開となり、嵯峨の魅力表現も薄まってくるのが残念。
スケベジジイたちと嵯峨の俗っぽさの限りを尽くした絡みには何とも味があるのだが、この作品では教祖姿の嵯峨がよすぎてほかのエピソードがかすむ。

結局、俗っぽい強欲ジジイたちは嵯峨の毒気に当てられて自滅してゆき、かつて嵯峨をもてあそんだアチャコと寛美のほのぼの親子は改心して辛うじて命をつないだり、つつましい幸せを手に入れる。

嵯峨はひたすら己の修羅の道を行く。
あとにジジイたちの死骸を累々と残しながら。

プレスシート

東映時代劇のお姫様女優から脱皮し、松竹で現代劇と出会った60年代前半の嵯峨の稀有な存在感を堪能できる作品。大女優山田五十鈴の一人娘ながら母親とは別の人生を歩むという数奇さと、天性の美貌と妖艶さが醸し出す破滅的な美がシンクロして日本映画史上、おそらく唯一無二の妖しさを漂わせた嵯峨三智子の全盛期がカラー画面一杯に繰り広げられることの眼福。

66年の日活「新遊侠伝」(斎藤武市監督)では、小林旭と高橋英樹を子分に従えた姐さんを貫禄たっぷりに演じて居たが、整形のし過ぎからか、唇が腫れてしまってかつての整った美しさが失われていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより