DVD名画劇場 ハリウッドカップルズ③ マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル

「ザッツ・エンターテインメント」というMGM映画の過去の名場面を集めたアンソロジィーがヒットしたのが1974年。
MGM映画50周年を記念しての作品で、当時の「キネマ旬報」(なぜか分厚い号だった)でも表紙を飾る話題でもあった。

山小舎おじさんなどの世代にとっては、同作品中の「雨に唄えば」や「世紀の女王」でのジーン・ケリーの踊りやエスター・ウイリアムズと美女スイマー達のプールを使ったレヴュー場面の、しつこい踊りだったり大掛かりなセットは初見参で大いに目を見張ったものだった。
何より場面場面が持つ、ぜいたくさ、明るさ、世界の不変を信じ込んだような楽天性が楽しかった。
同作に登場する作品のオリジナルを見ようとすればテレビ放送を待つしかなかった時代でもあった。

私は実は「ザッツ・エンターテインメント」を見てはいない。
見てはいなくても、テレビなどで紹介された名場面や「キネマ旬報」掲載のグラビアを見るだけで、今でも記憶に残るほどで、また未知の映画の世界が広がるようだった。

「ザッツ・エンターテインメント」はフレッド・アステア、ミッキー・ルーニーらをプレゼンターとして起用し、歴史上の数々のMGM作品を紹介したのだが、その中で誰が歌ったのか、MGMのスターたちを順に紹介する曲があった。
ラジオで聞いたのだろう、その一節が今でも耳に残っている。
『ローデイ・マクドォール、マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル・・・』という一節で、軽快なメロデイに乗って名前が紹介されていた。

歌に登場するロデイ・マクドウオールは「名犬ラッシー・家路」の子役だった人。
エリザベス・テイラー扮する令嬢に譲られたラッシーを心配する少年を演じていた。
彼は長じてからも役者を続けたが次第に役が付かなくなり、「クレオパトラ」撮影に当たり子役時代から親しかったエリザベス・テイラーが呼んでくれたという(エリザベス・テーラーの当時の権力や恐るべし)。

そしてマーナ・ロイとウイリアム・パウエルは、「影なき男」シリーズで名コンビの夫婦を演じて当たり役としたハリウッドカップルだった。
「ザッツ・エンターテインメント」できっちり紹介されているあたり、このコンビがMGMのドル箱だったことがわかる。

ここで、例によって1998年キネマ旬報社刊「ハリウッド・カップルズ」の一項「スクリーンのなかで暮らす夢の夫婦 マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル」を紐解いてみる。

同書によると、マーナとパウエルの共演作は14本あるという。
このうち「影なき男」シリーズは6本。
シリーズのヒットにより『パウエルはMGMと長期契約を結び、マーナはヴァンプ女優のイメージを拭い去り、ハリウッドきっての〈完全なる妻〉といわれるようになっていく。』(「ハリウッド・カップルズ」P128より)

1998年キネマ旬報社刊「ハリウッドカップルズ」
同著、マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエルの項

またマーナ・ロイについては我が淀長さんが、芳賀書店刊の「シネアルバム71 ハリウッド黄金期の女優たち」で、『だけどはじめはエキゾチックな裸が売り物の女優だったんだからね。そういうわけで、おもしろい人ですね。いいよね、マーナ・ロイっていう女優。ほんとにいい女優さんです。天下一品の奥様女優。いかにもアメリカ的なね。』(同書P108)と評している。

マーナ・ロイ
中国娘を演じる若き日のマーナ

マーナ・ロイにとって(ウイリアム・パウエルにとっても)映画史上の評価は定まっている、そのきっかけとなったのが「影なき男」だった。

「影なき男」 1934年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

「影なき男」封切り時の日本版ポスター

記念すべきシリーズ第一作。

監督のヴァンダイクは当時のMGMのエース監督の一人。
原作は戦前から50年代にかけて、ハリウッドに集まって映画の原作や脚本を書いていた小説家たち(スコット・フィッツジェラルド、グレアム・グリーン、レイモンド・チャンドラーら)の一人ダシール・ハメット。

主役のウイリアム・パウエルはブロードウエイからハリウッド入りした芸達者。
20年代後半に演じた私立探偵役に定評があり、MGMのボス、ルイス・B・メイヤーは、本作での起用には賛成だった、がマーナ・ロイをパウエルの妻役に起用するのに反対だったという。

それまでの中国人役やヴァンプ役ばかりの彼女のキャリアからして、無理もなかったが、監督のヴァンダイクが強固にマーナの起用を主張し、三週間以内に撮影を終了するという条件でメイヤーのOKが出たという。
彼女は監督の起用に応え、名(迷)探偵ニックの妻ノラを好演、夫婦役の二人の息もぴったりで作品をヒットさせるとともに、自身の新たなキャラクターを開拓した。

名コンビ、ニックとノラ

この作品、ストーリーを引っ張る主役はあくまでニック探偵で、妻のノラはシルクのナイトガウンや大胆な柄のサマードレス、大きく背中の空いたイブニングドレスに身を包んで彩を添えながら、事件となるやニック探偵に付きまとい、首を突っ込みたがりつつ、ちょっと夫の邪魔をしながら結局は力になる程度の存在・・・

が当初の設定だったのだろう。
が、この作品が描き出したものは、謎解きだけではなく、探偵夫婦の生き生きとした愛情や、ちょっとした互いへのからかいなど、ほほえましくもくすぐったい関係が大きなウエイトを占めていた。
ニックの突っ込みにふくれっ面で返したり、夫の指示を無視して事件に首を突っ込みたがる妻をかわいらしく演じるノラの存在が重要だった。
ノラを演じたマーナ・ロイの魅力が作品を膨らませ、魅力を高めた。

ニックは退屈のあまり部屋で空気銃を撃つ。心配するノラ

常にアルコールをたしなみながら、妻をからかい、愛し、うっちゃりながら軽やかに身をこなす芸達者なウイリアム・パウエルは、詐欺師のようにも大道芸人のように見え、つまりは古典的芸人の顔とふるまいが身に着いた役者ぶりで、調子よく事件を解決してゆく。
事件の周りの人物は、作品の性格上マイルドに味付けされてはいるが、浮気妻やマザコン息子、牛乳メガネの精神科医など怪しい人物ばかり。
唯一まともな若い女を「ターザンシリーズ」のジェーン役のモーリン・オサリバンが演じている。

ニックが最愛のウイスキーをかける真似。夫婦の戯れのワンシーン

原題は「The Thin Man」。
直訳すると「薄い男」「軽い男」だが・・・。
日本映画で流行っている「シン(ゴジラななど)」とはなにか関係あるのだろうか?

「夕陽特急」  1936年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

シリーズ第二弾。
話も前作の「影なき男」から続いている。

「夕陽特急」オリジナルポスター

休暇先のニューヨーク(第一作の舞台)からサンセットエキスプレスでサンフランシスコに帰ってきた、ニックとノラ、愛犬アスタ(テリア種)も一緒。

地元に帰ったとたん人気者のニックは歓迎を受ける。
かつて事件を解決しニックが監獄に送ることになったっ元犯人は、逆恨みするどころか親し気に寄ってくる。
怪しい人たちや庶民により人気があるのがニック。
内心は感心しないと思いながらも悠然と構える妻ノラが控えているのがこの夫婦らしいところ。

怪しげな中華レストランにて、オーナーをおちょくるニック

留守中に愛犬アスタの連れ合いに子犬が産まれており、よその犬が夜這いに通っていたなどのエピソード。
自宅に帰ってくるなり、知らない人達が自宅でパーテイしているところに出くして台所に対比するニックとノラ。

事件の舞台になる怪しげな中華レストラン・ライチの怪しげなオーナーと蓮っ葉な歌姫のショー。
若き日のジェームス・スチュアートはすでにスターで、クレジットは主役二人に次ぐ三番目、重要なわき役を務める

愛犬アスタが先頭になって事件解決!

あらゆるユーモアと欲望渦巻く世の中を、常にアルコールを求めながらすいすいと泳いでゆくニック探偵。
妻ノラとの仲は常によく、ふいに顔が近づけばニックがノラにキス、好奇心旺盛なノラが事件解決の邪魔になれば叫ぶ妻を閉じ込め鍵をかけるニック(いつの間にか出てきて事件解決に協力しているのがノラのノラたる所以)。

1936年という戦前の微妙な時期にこういったある意味ノー天気な作品を作る所はアメリカの「大国」たるゆえんか。アメリカ風の雰囲気に疑いを持たずに自信たっぷりに描いている。

監督のヴァンダイクは、探偵映画でもスリラーでもなく、健全でちょっと色っぽくかわいい夫婦の機微の描写に重点を置いていてそれがこのシリーズの成功の要因。
良くも悪くも古き良きアメリカの時代がここにある。
主演二人にとっては代表作ともいえる適役ぶり。

DVD版の解説より

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 村山新治監督と「夜の青春」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI東映現代劇の潮流」特集も佳境に入ってきた。
いよいよ梅宮辰夫の「夜の青春シリーズ」の登場だ。

それもシリーズ初期の名匠関川英夫監督による「ひも」「ダニ」「かも」などの有名作品ではなく、シリーズ第6作の「夜の牝犬」、第7作「赤い夜光虫」、第8作(最終作)「夜の手配師」が上映された。
監督は村山新治である。

村山新治は前回紹介したように記録映画出身で、戦前の大泉映画に入社したのち、東映大泉で監督昇進し「警視庁物語」シリーズ(1957年~)で名を上げた監督。
60年代に入ってからは、ギャングもの、文芸もののほか、夜の青春シリーズなども手掛けた。

村山新治監督が所属する東映大泉撮影所では1960年代に入り、梅宮辰夫や緑魔子などを主演にした風俗映画路線にかじを切り、「二匹の牝犬」(1963年 渡辺祐介監督)や「ひも」(1965年 関川英雄監督)などの作品が生まれヒットした。

「二匹の牝犬」は新東宝出身の渡辺監督が持ち前の斬新な感覚で都会の底辺に生きる若い姉妹を描いた力作で、演技力のある小川真由美と新人緑魔子の共演もあり注目された。

「ひも」は青春スター候補だった梅宮辰夫を本来のスケコマシキャラに目覚めさせ、のちの「夜の歌謡シリーズ」、「不良番長シリーズ」、「帝王シリーズ」へのきっかけとなる記念すべき第一作だった。
「ひも」のほか「ダニ」(1965年)、「かも」(1965年)を撮った関川英雄は、戦前にPCLに黒澤明と同期入社の人で、東宝争議の後レッド・パージで退社するが、独立プロで「きけわだつみの声」(1950年)、「ひろしま」(1953年)などを製作し気を吐いた筋金入りの名匠だった。

渡辺祐介や関川英雄といった気鋭の監督や名匠が手掛け、内容の良さからヒットしたシリーズものを、そのあとで引き受けたのが村山新治監督だった。

1978年戦後日本映画研究会刊「日本映画戦後黄金時代8東映の監督」より村山新治の紹介ページ
同上

「夜の牝犬」  1966年  村山新治監督  東映

タイトルバックは上野駅の実写風景。
線路が駅構内で行き止まりになっている、いわゆるターミナル型の上野駅と、行きかう人々の混雑ぶりが時代を感じさせる。

ラピュタのロビーに掲示されていたオリジナルポスター

界隈のゲイバーの売れっ子・シゲル(梅宮辰夫)。
シゲルはビジネスおかまで、料亭の女将(角梨枝子)の若いツバメだ。
かつて上野でコマして夜の世界に引きずり込み、今は別のバーのマダムになっている(緑魔子)とは、体だけの腐れ縁が継続中。

ある日上野駅で女衒のばあさん(浦辺粂子)に騙されそうになっていた青森出身の少女(大原麗子)を横取りしたシゲルは、少女があまりの天然ぶりで買い手がつかないためやむなく部屋に住まわせる。

プレスシートの解説文

この作品の本当の主役こそが田舎少女を演じる大原麗子。
ノーメイク(のようなメイク)で青森弁をしゃべる「不思議少女」。

肝心な時には放心したような表情で自分の世界に閉じこもり、何を考えているのかわからない。
金のみに生きる夜の住人の世界に紛れ込んだアンチテーゼにして、彼らが失った真心や清純さの象徴でもある「不思議ちゃん」だ。

「不思議ちゃん」大原は梅宮にコマされた後も彼の身の回りの世話に明け暮れる。
そして娘心のひたむきさなどには一切関心のない梅宮が、最後に「真心」を裏切った報いを受けることになる。

ジャズ界の雄といわれた山羊正生作曲のバロック風の旋律が、「不思議ちゃん」の無心な動きを純化するように流れる。

「飢餓海峡」(1964年 内田吐夢監督)のカメラマン仲沢半次郎の撮影は、街頭ロケを多用し、都会の雑踏を泳ぐようにさ迷う若い出演者たちを捉える。

「赤線地帯」(1958年 溝口健二監督)のシナリオライター成沢昌成の脚本は、モノローグを多用して、ビジネストークとは真反対な夜の住人の本音をあぶりだす。

ラピュタの特集パンフより。おかまメイクの梅宮と料亭女将役の角梨枝子。

梅宮がツバメとなり、養子に潜り込もうと狙いを定めた料亭女将役の熟女美人が目を引いた。
誰かと思って調べたら松竹出身の角梨枝子という女優さん。
文芸春秋刊の「キネマの美女」にでも紹介されていた正統派美人女優でした。

ほかにも浦辺粂子、沢村貞子、北条きく子など、個性派、実力派がわき役に揃うこの作品。
1960年代の邦画の配役は、すでに5社協定など有名無実、フリーとなった俳優・女優も多く、多彩な芸達者たちの元気な姿が見られる。
東映に定着していた緑魔子は、表の主役梅宮辰夫とともに多彩なゲストスターを迎え撃つ、いわば「夜の青春シリーズのホステス役」に落ち着いていた。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」より。料亭女将役:角梨枝子の若き姿

「赤い夜光虫」  1966年  村山新治監督  東映

大坂の盛り場を歩く梅宮辰夫を追うカメラがとあるバーへ入ってゆく。
レズビアンバーのけだるい雰囲気の中をさ迷い舐めるタイトルバック。
夜の青春シリーズ第7作「赤い夜光虫」のしゃれた導入場面だ。

オリジナルポスター

脚本:成沢昌成、撮影:仲沢半次郎、音楽:八木正生は前作同様のスタッフ。
低予算の添え物作品ながら腕利きのメンバーがそろった。
脚本の成沢は溝口健二に弟子入りし、女の世界をみっちり仕込まれ、関西にも詳しい。
撮影の仲沢は「警視庁物語シリーズ」で村山新治監督と組んでいたベテラン。

配役は梅宮辰夫と緑魔子のホストコンビを狂言回しに、前作「夜の牝犬」で印象的だった大原麗子を起用。
新人大谷隼人、クレジットに(東宝)と書かれた田崎潤の名もある。
そして本作に宝塚風にして成沢脚本味の「花」を添えるのは、東映ニューフェイス上がりの北原しげみと新井茂子。

プレスシート
プレスシートの解説文

今回の舞台は大阪のレズバー。
梅宮も緑魔子も関西弁のセリフ回しという新趣向。

ホステス役の北原しげみと新井茂子は短髪、男装の宝塚ルックで登場。
シャツの下にはさらしを撒いて胸を押さえている。

二人ともビジネスレズの設定で、それぞれパパ活(相手は田崎潤)したり、ヒモ(新人大谷隼人)がいたりするのは、人物描写の裏と表を押さえた成沢脚本の定石。

パパ活の現場の旅館で浴衣姿となり、しっぽり、さっぱりとした大人の女性の魅力をみせる北原しげみ。
場末の職人の住居の2階にヒモと間借りし、普段はヒモと怠惰に同衾する新井茂子の、下町娘のような庶民的で肉感的なふるまいも成沢脚本の味か。

虚と実、嘘とまことが入り混じった夜の世界で、真正レズとして「裏表がない」役柄を演じるのは、かつて父親から犯され男性を拒否するバーのママの緑魔子。

屋敷に住まい、忌まわしい過去に心を閉ざす役だが、病的な心理の演技は緑魔子には似合わない。
屋敷のアトリエでルパシカを着て絵筆を握る場面があったが、緑魔子では緊迫感がない。
人情ではなく、異常な精神状態を描くのは成沢脚本は向いていないのだろう、作品の本筋ではないし。
緑魔子としても夜の青春シリーズの卒業の頃なのかもしれない。

前作で思いのほか印象的だった大原麗子が引き続き抜擢され、地に近い金持ちのドラ娘を演じている。
明るく物おじしないで、レズバーに出没し、男を漁る。
その正体は田崎潤から放任されたドラ娘だが、本心は親から親身に構ってほしい娘ごころの持ち主というもの。

大原の若さ、明るさ、奔放さ、下品さ、不良性感度は東映によく似合う。
彼女の登場は東映のヌーベルバーグだったのかもしれない、と一瞬だが感じさせた

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

梅宮と緑魔子がすっかりシリーズのホストと化し、梅宮に至ってはコメデイアンめいてきており、シリーズの終焉間近を感じさせる。
大原麗子や谷隼人の重用は、来るべき「不老番長シリーズ」の到来を予告しているかのようだ。
夜の青春シリーズは次回作を最終作とする。

なお、ラピュタ阿佐ヶ谷で本作上映時に私的に伊藤俊也監督が来館しており、終映後5分ほど挨拶を行った。

・本特集36本中、9本ほど伊藤氏が助監督(「懲役十八年仮出獄」1967年降旗康男監督にみファースト助監督)でつ  いたこと。
・本作(「赤い夜光虫」)ではセカンド助監であったこと。
・「荒野の渡世人」(1968年 佐藤純也監督)では予告編を撮ったこと。
・当時の東映大泉撮影所は低予算作品が多かったが、伊藤氏にとっての青春時代だったことなどを話していた。

1937年生まれの伊藤監督は、茅野市の蓼科高原映画祭で審査委員長を務めるなど旺盛な活動意欲を示す。
階段の上り下りなど若干不自由そうだが杖を使わず、またラピュタのスタッフにも愛されているようだった。

「夜の手配師」  1968年  村山新治監督  東映

シリーズ前作から2年たっての第8弾。
夜の青春シリーズの最終作。

2年たったからなのか、梅宮辰夫とコンビを組んでいた緑魔子は去り、シリーズ第6作と7作で勢いを見せた大原麗子の姿もない。
脚本は下飯坂菊馬に代わり、撮影の仲沢半次郎、音楽の八木正生は変わらず。
助監督は山口和彦。

オリジナルポスター

いろんな意味でシリーズ最終作を予感させる作品。
まず、夜の住人梅宮のキャラに新味がなく、相変わらずの口八丁手八丁のいい加減なキャラ。

見た目は派手だが、貧乏暮らしも相変わらず。
愛人は生活感のにじみ出たホステス(白木マリ)で、彼女と組んで店で見せ金を切ってはほかのホステスを誘惑するという、見せ金詐欺の稼業。

梅宮の生きがいが貯金300万を目指して、柄にもなく純愛をささげる飲み屋の看板娘(城野ゆき)と結婚して店を持つこと。

その梅宮に銀座のマダム(稲垣美穂子)が絡む。
日活で数々出演し、当時30歳の稲垣美穂子の貫禄ある美貌が冴える。

マダムは昔の仕打ちが忘れられず、仕打ちを受けた白木マリを潰すためには手段を選ばない。
梅宮は金のためなら白木を裏切ろうとなにしようと、マダムのためにこそこそと動き回ってはホステスに声をかける。

梅宮に声をかけられるホステス達に真理明美と真理アンヌ。
二人とも演技が下手で魅力に乏しい。
真理アンヌが「殺しの烙印」に出演し強い印象を残したのが1967年、「夜の手配師」の前年のことだったが。

プレスシート

下飯坂の脚本は無理のないストーリーテリング。
伏線はきっちり回収され、意味不明のキャラクターも出てこない。

当時の全共闘のデモがテレビに出て来たり、デモ帰りの学生たちを居酒屋に出させるなど世相をとリ入れることも忘れない。
無学の梅宮が学生たちに反発するなど、当時の世相に梅宮のみじめさを逆照射させてもいる。
看板娘の彼女が無邪気に学生デモに憧れるなど、梅宮と彼女の行き違いの伏線を張ったりもしている。

何とか金を作り、店を手に入れた梅宮の前に、心変わりした彼女と新しい男(南原宏治)と現れる。
南原はかつての梅宮のアニキで、親分の女に手を出した梅宮をリンチし、追放した因縁の相手。
ルンペンのような姿で梅宮の前に現れ、彼女のいる飲み屋に居つくようになったダニのような男だった。

このダニに彼女と買ったばかりの店を奪われた梅宮。
梅宮は彼女にだけは手出しせず、柄にもなくお姫様を扱うように純愛をささげていたにもかかわらず。

銀座マダムにいい顔をし、パトロンの無理難題に右往左往してきたものすべて純愛をささげた彼女との夢をかなえるため。
自業自得とはいえ、身から出た錆にどんでん返しを食らう夜の手配師人生のおそまつな一幕。

プレスシート解説文

綱渡りのいい加減な夜の男を一生懸命演ずる梅宮がだんだんコミカルに見えてくる。
梅宮のダメ男加減が、まるで寅さんのような愛すべき男に見えてくるのであれば、夜の青春シリーズも終わりだ。

映画のエピローグ。
よりを戻した梅宮と白木がお馴染みの金見せ詐欺稼業に舞い戻る。
銀座ではなく、新宿の場末のキャバレーで御世辞にも美しくないホステスたちを前にして。

寅さんが新年の青空の元、地方の神社の境内でタンカ売をする「男はつらいよ」お馴染みのエピローグシーンを思い出させる。

寅さんがいくらだめな男でも、頭上にはおてんとうさまがいたのとは対照的に、夜のダメ男・梅宮には濁った空気の場末のホステスたちの下卑た嬌声が付きまとっているのが根本的に違うのだが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフレットより

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 渡辺祐介監督の大泉時代

ラピュタ阿佐ヶ谷で行われている東映大泉の現代劇特集では、渡辺祐介、村山新治両監督作品をはじめとしたプログラムピクチャーの数々に接することができた。
特に渡辺祐介監督は緑魔子デヴュー作「二匹の牝犬」をはじめとして5本の作品を見ることができた。
いずれの作品も渡辺監督のカラーがあふれる、意欲的なものだった。

手許に「日本映画戦後黄金時代 第13巻 新東宝の監督」というグラフ誌?がある。
戦後日本映画研究会というところが1978年に編集したもので、スチール写真で構成された冊子である。
この号でデヴュー当時の渡辺監督が紹介されている。

「意欲的な新人」と題して、渡辺監督の簡単な経歴を紹介し、新東宝時代の作品スチールとともに載っている。
紹介文には、『60年「少女妻・恐るべき十六才」(新東宝)でデヴュー、清新な演出が話題を呼んだ。翌年、東映に移り、緑魔子主演の悪女もので注目される。その後、松竹でドリフターズの全員集合シリーズを一手に引き受け、喜劇的才能を発揮した』とある。

「日本映画戦後黄金時代13新東宝の監督」より。新東宝時代の渡辺監督

また、同誌巻末の「解説」には、シナリオライターで日本映画に詳しい桂千穂による「まさにプロフェッショナル渡辺祐介」という小タイトルでの記事がある。
ここで桂千穂は、渡辺が助監督時代に、軽妙でナンセンスな喜劇の脚本に才能を発揮していたこと、監督昇進後はデヴュー作の好評を受け、新東宝解散までに喜劇作品を立て続けに撮ったこと、特に「ピンクの超特急」(1961年)は渡辺監督の初期の代表作だ、と述べている。

「日本映画戦後黄金時代13新東宝の監督」より、桂千穂による解説

この度のラピュタでの特集では、東映に移った後の渡辺作品、「恐喝」(1963年)、「暗黒街仁義」(1965年)、「あばずれ「(1966年)を見ることができたので以下に紹介してみたい。
(「二匹の牝犬」「牝」については本ブログにて紹介済み)

「恐喝」  1963年  渡辺祐介監督  東映

1963年の高倉健が精一杯若いギャングを演じる。
60年代後半以降のストイックな任侠道に呪縛される前の高倉健は、軟派なほど自由闊達で女にちょっかいを出し、金に目がないギャングが似合う。
ギャングといっても、貧乏からの脱出手段としてその道に進んだだけの、しがない地元やくざの下っ端だ。

幼馴染の安井昌二は夜学を出て社会福祉協議会に務め、地元の貧民街のために自転車で駆けずり回っている。

地元のマドンナ(三田佳子)は工場主・加藤嘉の娘。
22歳の三田は汗にまみれながら働く零細工場の娘を若さで好演。
かつて不良の高倉に犯されたが、いまは安井の婚約者という設定。

やくざ業界に馴染めない高倉が、一丁こましたろうと手形サルベージのシノギをごまかして、利益誘導したのがばれ、組に追われ地元に逃げてくる。

真面目だが貧困の安井とマドンナは、やくざな高倉に反発する。
マドンナは実はまだ高倉に惹かれてもいる。
高倉は貧困から脱出する才覚もない地元民に歯がゆい思いをし、罵倒する。
が、貧困そのものの地元が彼の心の故郷でもある。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

1963年の渡辺祐介監督はデヴュー3年目。
東映に移り、大泉撮影所製作の添え物用モノクロ作品で、貧困の絶望感とそれでも地道に生きることの大切さを描いた。
若き高倉健と三田佳子を使って。

下町の貧民街の丁寧な描写。
街の零細な工場からの内職に頼り、生活保護でかつかつに生きる人々。
そんな貧困が嫌で、どんな手段を使っても一旗揚げようと、やくざな道に飛び込んだ高倉。
一方は、地道に人々を助けようと献身する安井。

高倉と安井の幼馴染の心の根底は一緒。
素直になれない高倉がヤバイ金を、倒産しそうな加藤喜の工場のために安井に託すが、安井からは叩き返される。
地元の人々は追いつめられた高倉から目を背ける。
組に追いつめられる高倉。
『ズバッ、ドスッ』という刀の効果音をあえて使わない、無音のままでの斬りあいシーンは、ライテイングを押さえた暗黒の中で描かれる。
痛そうで、冷たくて、見放されたやくざの末路の渡辺演出だ。

作品のプレスシート

喜劇の才能で知られる渡辺監督の若き日の力作。
背景には階級闘争があり、持たざる者への眼差しがあり、アウトローへの突き放した視線があった。

「暗黒街仁義」  1965年  渡辺祐介監督  東映

渡辺監督の数少ない本編(2本立てのメイン)で、鶴田浩二主演のカラー作品。
共演に丹波哲郎、天知茂の新東宝勢、アイ・ジョージ、南田洋子、内田良平の外様組、渡辺監督子飼いの緑魔子も出演。
キャステイングに監督の意向が大いに反映されているところが異色といえば異色。
脚本は笠原和夫と共同。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

客を呼ばなければいけない本編作品とはいえ、ゴルフ焼けした鶴田がアメリカ帰りの「ビジネス」を連呼するようなお笑いにしか見えないやくざを気持ちよさそうに演じるだけの前半はいただけない。

ゴルフ場開発の利権に群がるアメリカと日本のやくざ。
アメリカやくざの代理人として15年ぶりに帰ってきた鶴田やくざが、かつての兄弟分(丹波)や恋人(南田)との間で揺れ動き、あげくアメリカに裏切られ、力づくの決着を迎える。

作品のプレスシート

鶴田はしきりと「ビジネス」を連発し、クールでドライな取引の世界を強調するが、一方で15年前にどっぷりつかっていた日本やくざの義理人情の湿った世界に片足を突っ込んでいて、脱しきれない。

日本やくざの丹波の行動もたいがいだ。
手段を選ばず利権に突っ込み、鶴田の女を奪った挙句、鶴田には義理を強要する丹波。
この辺は「博奕打ち・総長賭博」(1968年)から「仁義なき戦い」(1973年)に至るまで、義理人情の世界の嘘くささを糾弾してゆく笠原和夫脚本のテイストか。

全く鶴田に似つかわしくないアメリカかぶれの日本やくざの所作と古めかし兄弟分、恋人とのじめじめした関係性。まったく渡辺監督らしくない展開。
丹波も南田も天知も、ついでにアイ・ジョージも全く活きていない。

これは、鶴田の鶴田による鶴田のための映画だったのか。
最後にボロボロになって死んでゆくシーンも鶴田の希望通り、というほかに言うべき言葉はないのかもしれない。

「あばずれ」 1966年  渡辺祐介監督  東映

併映用のモノクロ作品。
主演はデヴュー作以来渡辺とは信頼関係で結ばれている緑魔子。
助監督に降籏康雄。
共同脚本、神波史男。
併映用の小品ながら、自由に自分の世界を描き切った渡辺監督の佳編。

オリジナルポスター

川口のベッドハウスに暮らす親子。
妻に逃げられたニコヨン暮らしの父と、肥満児の弟の面倒を見て暮らす工場勤めのユキ(緑魔子)を巡る、寓話のような、でも現実味も帯びた少女の成長譚。

壁もなく二段ベッドが並び、小上がりのような座敷があるだけのベッドハウス。
秋田の後生掛温泉にあった自炊棟を思い出す空間。
トイレ、炊事場は共有、風呂は銭湯。
ユキはベッドハウスのアイドルのように愛想よくクルクル動く。

ある日、洗濯を終えて荒川の土手で寝転んでいると弟が駆け寄ってきて、親父に女ができて腹には子がいると告げる。
甲斐性なしの親父のふるまいに絶望したユキはハウスを飛び出す。
御爺ちゃん(大坂志郎)に聞いていたサーカスの一員になろうと埼玉県内を探し回り、ある一座に潜り込む。

一座の座長(志村喬)とおかみさん(浪速千恵子)。
どうせ続きっこないと、体よく追い出されるが、食らいつくユキ。

ユキを食い物にせんと近づくブランコのスター・哲次(待田京介)のいやらしさ。
一方、ユキにはつらく当たるが、実は相思相愛でブランコの手ほどきをしてくれる三郎(山本豊三)がいる。
厳しいがやりがいがあり、家族のような温かさがあるサーカスでの生活がユキを育てる。

とはいえ、名もなきゴミのような庶民であるユキや三郎に現実は無慈悲だった。
哲次に犯され、せっかく三郎と磨き上げた空中ブランコを披露することもなくサーカスを去るユキ。

三郎もユキを犯した哲次に切りつけ日陰の道に。
三郎を探し回るユキ。
日陰者としてユキを避ける三郎だったが心は嘘をつけない。
愛を再確認して結ばれる二人。
そこへやくざ仲間の追手がやってきて三郎に切りつける。

ベッドハウスを家出してからのユキの世界は、目まぐるしくも痛々しいが、悲惨さばかりが印象に残らない。
そこはかとなく醸し出されるユーモアと人間味は、渡辺監督と緑魔子の持ち味。

また、虚構か現実か、ワンダーランドをさ迷うかのようなユキを俯瞰で眺める温かみのある目線は渡辺監督のもの。
監督に応えるかのように、精一杯ユキに取り組む緑魔子の真面目さと初々しさもいい。

若き緑魔子のレオタード姿が頻繁に登場する。
スタイルがいい。

魔子のレオタードのストッキングを破っての暴行未遂の末、入浴中の魔子を襲い暴行を完遂させる哲次こと待田京介の禍々しさ。
魔子と相思相愛ながら運命に翻弄され不幸に沈む三郎こと山本豊三の哀しさ。
団長こと志村喬と奥さんこと浪速千恵子の現実を経験しきった人間のもつ温かみとやさしさ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

どんな素材でもそれなりにこなす渡辺監督が、子飼いの緑魔子を主演に迎えて、社会の底辺でけなげに生きる若者像をリリカルに描いた佳編。

少女の旅立ちというテーマでは日活に「非行少女」(1963年 浦山桐郎監督)、東宝に「あこがれ」(1966年 恩地日出夫監督)といった作品があった。
他社作品に比べると「あばずれ」は、俗っぽくて色っぽい東映らしい作品だが、少女に対する視線はあくまでもやさしかった。

ユキこと緑魔子は「道」(1954年 フェデリコ・フェリーニ監督)のジェルソミーナの日本版なのかもしれない。
ジェルソミーナは捨てられて修道院で死んだが、我らが緑魔子は生き残ってベッドハウスに帰った後、おじいちゃんの焼き芋屋をついで元気に働くのだ。

緑魔子と並び渡辺組女優陣の一方の雄、若水ヤエ子はサーカスを宣伝するチンドン屋として一場面だけ登場。
ピエロのメイクでチラシを配る初心者のユキに盛んにダメ出しをする姿が可笑しい。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」61ページより

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 緑魔子の「おんな番外地」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷で上映中の「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集で、緑魔子が1965年から66年にかけて主演した「おんな番外地」シリーズ全3作品中の2作品が上映されたので駆け付けた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

上映されたのは、シリーズ1作目の「おんな番外地・鎖の牝犬」(1965年 村山新治監督)と、2作目の「続おんな番外地」(1966年 小西通雄監督)の2本。
緑魔子が「二匹の牝犬」(1964年 渡辺祐介監督)でデヴューしてからわずか2年間の間に、東映で出演作を連発していた頃の、デヴュー以来十数本目の出演作である。

緑魔子は、モノクロの併映作品でのはあるが主役での起用が続いた。
出演作品のポスターやプレスシートには、今では死語の「魔子ムード」なる言葉が踊っている。
「おんな番外地」シリーズでは、キャストクレジットに単独トップで登場、堂々の一枚看板である。

「おんな番外地」シリーズの監督は村山新治と小西通雄。

村山は1922年、長野県の屋代町出身。
芸術映画社というところで記録映画に携わり、1950年に東映大泉撮影所の前身の大泉映画に入社。
東映発足後は今井正などの助監督に付き、1957「警視庁物語 上野発五時三十五分発」で劇映画監督デヴュー。
以降「警視庁物語」シリーズなどで記録映画的手法により一つの世界を作り上げた。

小西は1930年岡山生まれ。
1954年東映入社、大泉撮影所に配属、1期上に深作欣二。
1962年「東京丸の内」で監督昇進。
「警視庁物語」や「おんな番外地」などのシリーズものを手掛ける。
その後はテレビに活動の主軸を移す。

村山と小西は東映大泉の監督として、主に併映用の現代劇を撮り続けた。
当時の東映は、京都撮影所で製作される時代劇をメインとし、モノクロの現代劇との2本立てで番組を編成。
時代劇スターの人気などにより、邦画会社中トップの観客動員を誇っていた。
一時は第二東映という別系統での作品配給も行ったほどで、そのために製作本数も倍増し、製作現場は多忙を極めた。

そのことは必ずしも粗製乱造の結果とならず、むしろ製作現場に活力を生み、数々のプログラムピクチャーの傑作を生みだしたともいえる。
量産体制は新人監督のデヴューを促し、とくに大泉撮影所製作の現代劇では、小予算の個性的作品が相次いだ。
その担い手が「警視庁物語」の村山新治であり、小林恒夫、飯塚増一、島津昇一、深作欣二、佐藤純也らである。
他社から移籍してきた関川秀雄、家城巳代治、瀬川昌治、石井輝男、渡辺祐介らの活躍もこの時期ならではのことだった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI特集」では、東映の量産時代の副産物ともいえる、個性あふれる現代劇の世界に触れることができた。

「おんな番外地・鎖の牝犬」  1965年  村山新治監督  東映

緑魔子のアップの写真に「魔子ムード」のキャッチコピーが踊るオリジナルポスター。

「二匹の牝犬」でデヴューし、梅宮辰夫の「夜の青春」シリーズなどの出演が続いていた緑魔子が、モノクロの併映用作品ながら堂々の一枚看板で主役を張る「おんな番外地」シリーズの第一作だ。

「魔子ムード」のキャッチコピーが踊るオリジナルポスター

舞台は女子刑務所。
だました男(梅宮辰夫)を刺し殺し8年の刑で入獄する主人公(緑魔子)。

囚人に理解がある部長(荒木道子)と無表情でサデステックな担当刑務官(中北千枝子)が待ち受ける刑務所。
雑居胞仲間には、ベテランスリの若水ヤエ子を中心に、刑務所が養老院代わりの浦部灸子、売春あっせんで捕まった清川玉枝、顔にあざがあり小児まひが残る終身犯の原知佐子、売春犯の春川ますみ、らが揃う。

それぞれ癖が強烈で、つまりは「芝居がうまい」女囚役の中に入ると、若い緑魔子は育ちのいいお嬢様にみえる(実際そうなのだろう)のが、おかしいやら楽しいやら。

女囚役でも地でやっているようにみえる、浦部、清川、若水もいいが、舞台出身で新東宝スターレットから東宝に移り「黒い画集・あるサラリーマンの証言」(1960年 堀川弘道監督)で小林桂樹を翻弄する若きOLを演じた原知佐子の演技が見もの。
顔にあざがあり、小児まひの後遺症で足が不自由、だました男を家族全員で殺害し終身刑となったレズの女囚を演じる。
不幸に心を閉ざし、最後は自殺してゆく女の暗さと一途さを、原が表現する。

緑魔子は同情的に原と絡む。
終身刑に至る話を聞き、原のともだちになる。
原を排除しようとする囚人たちに同調せず、自分の判断で原を守る。
物語の狂言回しとして、また普遍的価値観の体現者としての緑魔子の存在が示される。

原はこの作品の後、「かも」(1966年)では梅宮辰夫に貢ぐ若くないトルコ嬢役で、また「続おんな番外地」では前作とは別のキャラクターで東映作品に連続出演する。

作品のプレスシートには、「平山妙子の手記」が紹介されている。実在の人物の体験が原案であることがわかる

女囚物の映画に期待するのはエロだが、記録映画出身で「警視庁物語」で名を上げた村山監督にエロは不向き。
唯一のそれらしいシーンは緑魔子が服を脱いで男の刑務所長を挑発する場面だが、緑魔子のハダカはなし。
女囚同士のむせかえるようなオンナの匂いが画面からあふれ出るような場面もない。

むしろ刑務所内の集団生活の淡々とした点描や、コンプレックスを女囚への暴力に転嫁する刑務官の心理描写だったり、人道的な部長だったりが印象に残る。
人生経験豊富で女囚たちを導く部長役の荒木道子が、官僚的口調ではなく、日常会話のような調子で女囚に話しかける演出もいい。

村山監督の演出はわかりやすくすっきりしているが、不良性感度が物足りなくシリーズ2作目以降の降板となったものと思われる。

エロよりは、世の中の不幸と不運が煮詰まったような刑務所の人物像を描き、世の中の不条理を問い詰めようとしたこの作品。
緑魔子はいわば狂言回し的に刑務所という地獄めぐりを案内する。
まだ若く、無味無臭な彼女は、人間臭さの極限のような囚人達そのものを演じるより、状況を虚無的に見る立場の役がふさわしい。

映画のプレスシートによると、実在の女囚の手記が原案だという。

このポスたーにも「火のような魔子ムード」の文字が
ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「続おんな番外地」 1966年 小西通雄監督  東映

シリーズ第二作の内容は一作目の続き。
持ち前の正義感から、刑務所にとっては反抗的でもあった主人公(緑魔子)は改心し、模範囚として出所する。
「ここへはもう帰ってこないでね」と送り出す人情部長の荒木道子。

刑務所のあっせんで、更生寮に荷をほどき、入獄中に資格を取った美容師の職を探す主人公。
頼りになる保護司役は高橋とよ。

松竹小津組の名物わき役の高橋も、60年代中盤になるとこうして東映に出演していることから、五社協定なるものが少なくともわき役クラスにとっては有名無実化していたのがわかる。
看守役で出ていた中北千枝子も、もとはといえば東宝の女優だ。

オリジナルポスター。「魔子ムードが怪しいエロテイシズムを放つ」のキャッチコピーが

主人公は入獄中のともだちとの約束を果たすべく、その恋人の住所へ赴く、がそれが再びの地獄の始まりだった。
ともだちの恋人(今井健二)はすっかりダニのような男に成り下がっており、現れた主人公にターゲットを絞りどこまでも追いかける。
就職先の美容院に現れ主人公の前科をばらし、職場に居れなくする。
ならばとパトロンを見つけ独立した店までもかぎつけ、パトロンに主人公から手を引かせることまでする。

東映にはこういったダニのような役に向く男優には事欠かないが、高倉健、丘さとみと同期入社の今井健二までもが、二枚目優男の面影を残しながら、この作品でダニ役にイメージチェンジしている。
わざとらしい悪人笑いが痛々しくもあるが、今井健二の悪役人生がここら辺から始まったのか。

「侠骨一代」(1967年 マキノ雅弘監督)で、高倉健の軍隊時代からの相棒役に扮し、兄弟(きょーでぇー)と高倉を呼びながら死んでいった今井の演技を思い出す。

「続おんな番外地」のプレスシートより。「人気最高潮の緑魔子」の表現が

シャバではダニに絡まれ、世間の無理解に翻弄される主人公だが、ムショ仲間と再会したシーンには人情味があふれる。
新宿で職探しの最中に女スリの若水ヤエ子にばったり。
そのまま売春あっせん業の大年増・清川玉枝のおでん屋に連れてゆかれ、最長老・浦部灸子、ストリッパー・春川ますみらと再会する。
ベテラン女優たちが醸し出す猥雑な人間味が画面に溢れる。
ここら辺の描写はは小西監督の持ち味か?

清川に旦那(パトロン)を紹介される主人公。
持つべきものは心の通った友だ。

おでん屋のシーンではヨッパライ演技で盛り上がるベテランたちの端っこで、素で笑って楽しんでいるような緑魔子の表情がある。
緑魔子の人柄を表しているような一場面だった。

女囚物につきもののエロは、公募で集めたという素人を使っての獄中の集団入浴シーンで唐突に描かれる。
会社の要請だったのだろう、1966年の映画としては画期的で直截的なエロ描写だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

若く魅力的な主人公が、出所後も世間の無理解と不条理に遇うというストーリー。
緑魔子は精一杯真面目に生きようとする健気な女性を演じる。
当時の社会では若い独身女性はそれだけで社会的弱者でもあった。

映画は社会的弱者が出合う社会の悪意と不条理を描きたかったのか。
どこにでも現れる今井健二の無理に作った悪人面は不条理そのものだったし、弱者である緑魔子はそれに対抗しようがなかった。

女囚が悪に力で対抗するのは梶芽衣子の「女囚701号さそり」(1972年 伊藤俊也監督)の登場を待たなければならなかった。
奇しくもというべきか必然なのか、「さそり」が生まれたのも東映大泉撮影所であった。

1951年頃の「映画の友」とパトリシア・ニール

手許に雑誌「映画の友」の1951年3月号と1952年10月号があります。
それぞれ表紙がキャサリン・ヘプバーン、エヴァ・ガードナーです。
雑誌の傷み具合にも年季が入っており、後者の号は裏表紙が取れています。

「映画の友」1951年3月号
「映画の友」1952年10月号

パトリシア・ニールは50年代にかけて活躍した女優です。
自伝「真実」を読み、また「摩天楼」(1948年)、「地球の静止する日」(1951年)、「ハッド」(1963年)などの出演作品を見てきました。
美人で魅力的なうえに演技力もある女優さんでした。

彼女は日本との関係も深く、朝鮮戦争の米軍慰問などで来日の折、「映画の友」編集者の淀川長治氏らと面談し、また氏がハリウッドに出張の折にはスタジオで再会してランチを共にするなどしています。

「映画の友」1951年5月号では表紙を飾ってもおり、日本での人気を物語っています。

「映画の友」1951年3月号のパトリシア・ニール

新作紹介のグラビアで、パトリシア・ニールの映画3作目の「命ある限り」(1949年 ヴィンセント・シャーマン監督)が紹介されています。
個別の新作グラビアには「1ダースなら安くなる」(1950年 ウオルター・ラング監督 マーナ・ロイ出演)やケイリー・グラント主演の「気まぐれ天使」、グリア・ガースン主演の「塵の中の花」(1941年 マービン・ルロイ監督)らが紹介されていますが、それらの作品を押さえてのトップ掲載です。

パトリシア・ニール映画デヴュー第三作。ワーナー映画「命ある限り」
「命ある限り」。ビルマ戦線の野戦病院が舞台。共演ロナルド・レーガン

また、同誌34頁には、洋画評論家界の重鎮・双葉十三郎氏の「アメリカ映画散歩(3)」という連載記事が掲載されており、パトリシア・ニールのことが紹介されています。
記事の中で氏は「摩天楼」を見てパットに夢中になったと書いています。

双葉氏は『ロングスカートでの立ち姿、身のこなしは、キャサリン・ヘプバーンの初期と同様の美しさで、歩く姿はWalkではなくSailである』とパトリシアを激賞しています。
氏の盟友の野口久光氏も同感のようで、ワーナーブラザースはもうベテイ・デイビスなどいらんねとおっしゃった、と野口氏が語ったことを書いています。

双葉十三郎の連載「アメリカ映画漫歩」。トップがゲーリー・クーパー。パットとの縁を感じる
「アメリカ映画漫歩」のパットに関する記述の一部

さらに、48ページから51ページには「四大監督を語る座談会」という記事があります。
ワイラーの「西部の男」、フォードの「わが谷は緑成りき」、ルビッチの「小間使」、キング・ヴィドアの「摩天楼」の四大監督作品を語る座談会です。
出席は南部圭之介、植草甚一、双葉十三郎、上野一郎、野口久光という伝説の大御所映画評論家たち。
司会は我らが淀長さんです。

記事では1ページ以上に渡って「摩天楼」が語られています。

座談会では原作者(アイン・ランド=女性)が右翼的思想の持ち主であることにも触れ、『だから個人(の自由)を守るところから国家が生まれるという風な思想が匂っている』という意見がでたものの、『(個人の最大限の自由の尊重という)ああいう人間の在り方を見極めようとする精神を貫くところがいい』と、作品のポリシーをたたえています。

『シンボリックな劇なんですね』と、極端に走る登場人物の描き方への理解も示しています。
『あの光と影の巧みさはどう!』とヴィドア監督のテクニックへの賛美も。

予備知識なしで今見るとトンデモ映画に見える本作ですが、シンボリックな映画として見ればわかりやすいかも、と映画ファンにとっても勉強になる意見が続出しています。
結論的にはこの作品、右翼的、新自由主義的な力の勝利を謳うものなのですが。

本号には座談会とは別にパトリシア・ニールの紹介記事も掲載されていた

パトリシア・ニールについては、双葉、野口の両氏の賛美発言のほかに南部氏が『パトリシアは令嬢の味を見事に出しちゃった』とほめていました。

いずれにせよ「摩天楼」を、シンボリックな登場人物を斬新なテクニックで処理した作品、と作品の骨格を喝破しているところに、わがレジェンド評論家陣の知的レベルの高さを知ることができる座談会です。

「映画の友」1952年10月号のパトリシア・ニール

カラー口絵は「静かなる男」のジョン・ウエインとモーリン・オハラ。
ついでエスター・ウイリアムス。
そのあとになんと!シェリー・ウインタースのカラーグラビアが載っている!という本号です。

モノクログラビアのトップが「東京のパトリシア・ニールさん」。
朝鮮戦争慰問の際に東京に立ち寄ったパトリシアの特写記事です。
歓迎の花束と「映画の友」誌をもって駆け付けた淀長さんと小森のあばちゃまの姿も写っています。

淀長さんと小森のおばちゃまに迎えられるパトリシア
パトリシア・ニールを囲む若き日の淀川長春と小森和子

グラビア欄で紹介の新作は「陽の当たる場所」(ジョージ・ステーブンス監督)、「肉体の悪魔」(クロード・オータン=ララ監督)、「ミラノの奇跡」(ヴィットリオ・デ=シーカ監督)など。
今に残る名作群が新作紹介されています。

パトリシア・ニールの来朝記事は116ページから、淀長さんの担当です。
1952年8月に朝鮮慰問から東京の第一ホテルに戻ったパトリシアと面談した淀長さんと小森のおばちゃま。
淀長さんにとっては三度目?のパトリシア。
1949年に東京で?、1951年に20世紀フォックススタジオの食堂でに続く面談です。

ハリウッドでの面談はパトリシアからの招待でしたが、今回(1952年)の面談も、朝鮮から戻ったパトリシアが淀長さんあてのに手紙を送って実現したもの。
パトリシアの飾らぬ人柄と淀長さんとの縁を感じることができます。

淀長さんがハリウッドで会った時のお礼を言うと、パトリシアが『少し太りましたね』と返し、フォックスのごちそうのせいです、と淀長さんが返せば手を振って笑ったというパトリシア。
おばちゃまからの問いには『以前から日本が好きで一度来たかったんです。日本のお座敷に靴を脱いで上がると、いかにも疲れが取れて楽々としています』と日本を礼賛。

うん?彼女が初来日だとすると淀長さんの本の、1949年に日本で面談というのは記憶違い?
また1951年にハリウッドで「再開」を喜び合ったという記載は?

わたしにはよくわかりません。

来日時、すでにワーナーブラザースを解雇され、20世紀フォックスに移り3本契約をこなしていた頃のパトリシア。
ゲーリー・クーパーの恋に破れ、堕胎し、ハリウッドに見切りをつけていたころです。

そういったことをおくびにも出さず淀長さんと談笑しているパトリシア・ニールのサービス精神と芸人根性に素直に脱帽です。
また、1951年ころの日本の映画評論界における彼女の人気ぶりに驚きました。
玄人受けする、人柄のいい女優さんなんですね。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 渡辺祐介と緑魔子

ラピュタ阿佐ヶ谷で、渡辺祐介監督、緑魔子主演の2作品を見た。

手許に国書刊行会発行の映画雑誌「映画論叢27号」(2011年発行)がある。
ラピュタのロビーで展示発売していたものだ。
緑魔子のインタヴュー記事が載っていた。

「渡辺祐介監督だけを見て、体当たりでぶつかっていきました」と題するインタヴューは、1944年生まれの緑が実年齢67歳のころのもの。
芸能界に入った頃のことから、東映での映画デヴューに至るまでの時期を中心に語られている。

貴重なオフショット。渡辺監督の人柄、女優陣との信頼関係がうかがえるようだ

(以下、抜粋・要約)
・東宝ニューフェイスとして芸能界入り。
当初はテレビ部に所属し、芸術座、NHK演劇研究所などで研修。

・ある日新宿でスカウトされ、撮った写真が、渡辺祐介監督の目に留まり「二匹の牝犬」の妹役としてカメラテストを受けた。
芸名の緑魔子は渡辺監督の命名。

・「二匹の牝犬」出演に当たっては、渡辺監督が「全部僕の言うままに動いて」との言葉通りに動いた。
監督さんの方だけ見て、体当たりでぶつかっていった。
監督が「君が持っている力が100だとしたら120出たよ」と言ってくれた。

・(共演の)小川真由美はすごい美人でやはり「違うなあ」と思った。
やさしくてお姉さんみたいな感じ。今でも「お姉さん」と勝手に思っている。

・契約は(東映との)専属で1年契約。
本数契約。「二匹の牝犬」のギャラは5万円。

・「二匹の牝犬」はヒットして何週も続映したのに(私自身は)東映ではあまり大事にされなかった。

・「非行少女ヨーコ」で共演した梅宮辰夫はヤクザっぽくて怖かったけど、共演の女性にコナをかけるような人ではなかった。

・渡辺監督以外で心に残っているのは関川秀雄監督。
居酒屋でロケの出待ちをしているときに、関川監督が熱燗を頼んでくれて「あったまるから少しならいいよ、飲みなさい」と言ってくれた。
優しい人でした。

勝手な引用が長くなったが、渡辺祐介監督との信頼関係、他の役者たちとのほんわかした交流、当時の大泉撮影所での撮影風景が再現されたかのようなインタビューとなっている。
何より緑魔子本人の飾らない人の好さ、子供のような感性がよく出ている。

作品がヒットしても東映では大事にされなかったとか、梅宮辰夫に迫られなかったとか、映画撮影所の世界に染まり切らない緑魔子の人間性が感じられる。

「二匹の牝犬」 1964年  渡辺祐介監督  東映

1960年代の東映大泉撮影所。

当時の監督陣は佐伯清、小林恒夫、村山新治、石井輝男、関川秀雄、瀬川昌治、渡辺祐介、家城巳代治など群雄割拠の実力派メンバーがそろっていた。
東映発足当時に、今井正や関川秀雄を起用して「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」を企画しヒットさせた大泉撮影所が集めそうな、右から左までを網羅した顔ぶれ。
天下の東宝、松竹のレッドパージ組の関川秀雄、家城巳代治の両巨匠組から、倒産した新東宝からの横滑り組の石井輝男、瀬川昌治、渡辺祐介まで、一筋御縄ではゆかない面々である。

東映に助監督で採用された、佐藤純也、深作欣二、降旗康男などが監督に昇進し、大泉撮影所の主力となるのは60年代中盤以降のこと。
佐藤、深作らの手堅く斬新な作風に、家城巳代治や関川秀雄ら他社出身の実力派監督が与えた影響はいかばかりだったろうか。

「二匹の牝犬」は新東宝で3本ほど撮り、1961年に東映に移籍した渡辺祐介が監督したオリジナル作品。

渡辺は東映在籍中の1962年から1967年の間に十数本の現代劇を撮っている。
主には京都撮影所で製作される時代劇の併映用のモノクロ作品が多かったが、その中では1964年の「二匹の牝犬」「悪女」「牝」の3本が特筆される。
前2作は主役に小川真由美を起用、また全3作に新人緑魔子を抜擢、現代における女性性の根本に迫る作品となった。

東映を離れてからの渡辺監督は、東宝や松竹でドリフターズものを十数本撮った後、松竹、東映でのピンクがかったコメデイをコンスタントに発表。
1970年代に入って「必殺仕掛人」シリーズや「刑事物語」シリーズも手掛けている。

何でも屋の職人監督然とした経歴だが、これだけ途切れなく監督のオファーが続いたのは、商品映画の作家としての腕が確かだったことと、製作サイド(およびキャスト)とのトラブルがなく、業界的に信用されていたからだった。
渡辺監督の人間性が浮かび上がる経歴である。

出身母体の新東宝が倒産する前の大蔵貢体制時代に監督昇進し、移籍した東映では、映画量産時代を背景に、併映用作品ばかりとはいえコンスタントに映画を撮れたことも幸運だった。
60年代中盤の大泉撮影所では、題名さえどぎついものにして居れば内容を自由に撮れたともいう(ヒットしなかった場合などの結果責任は撮影所長から厳しく追及されるのは自明だが)。


1958年の売春防止法施行日の赤線街から話がスタートする「二匹の牝犬」。
1927年生まれの渡辺監督にとっては赤線の存在はあるいは身近なものだったはず、法律の施行に伴い、店を出てゆかざるを得ない女たちのやるせなさが漂うプロローグが印象に残る。

オリジナルポスター。重要なわき役の若水ヤエ子の名前が載っていないのは如何。

撮影所長の岡田茂から、「ノースターで女を描いてみろ」といわれ、文学座の小川真由美と新人緑魔子をキャステイングした渡辺監督。
小川のキャステイングはテレビ番組の悪女役で好評だったから、また新人・緑については眼が気に入ったからだった。
劇団の資金難から文学座の俳優が多数出演したが(北村和夫、宮口精二、岸田森など)、むしろ印象に残るのは渡辺監督御贔屓だという若水ヤエ子に加え、東映所属の宮園順子らトルコ嬢役の女優たち。

千葉の漁村出身で赤線廃止のときに店に流れ着き、女将の言うままにトルコ嬢として売れっ子になり、収入を株で運用する主人公(小川)と株屋の担当社員(杉浦直樹)がメインキャスト。

主人公の夢は貯めた200万円を元手に美容院を経営すること。
その主人公のアパートに千葉から家出してきた腹違いの妹(緑)が闖入する。
調子がいいだけの株屋(杉浦)が無節操な欲望のままに姉妹に絡む・・・。

主人公の棲む世界は、トルコ風呂とみすぼらしいアパートを結ぶ線上にある。
トルコ嬢の控室には下着姿の女たちがタバコを吸い、ラーメンをすすり、花札をしている。
売れっ子の主人公はヒョウ柄の派手な水着姿で客を選別するなどやりたい放題。
トルコ嬢たちはぎすぎすした感じはなく、ワイワイ賑やか。
年増の若水ヤエ子を立て乍ら、時には社員旅行で箱根まで行ったりする、「昭和の距離感」。

主人公の棲むアパートは、風呂はなくトイレ、洗濯場は共用?だが、主人公は隣近所に愛想がよい。
主人公が育った昔ながらのコミュニテイをおもわせる。

渡辺監督の女性陣に対する視線は優しい。
一見、非人間的に金に執着しているように見える主人公は周りに愛想がいい古いタイプの人間として描いている。
だからこそ株屋(杉浦)のいい加減さと裏切りが許せない。

トルコ嬢たちの人間味あふれる描写にも監督の温かい目が注がれている。
ところが緑魔子にだけは監督の突き放した視線が注がれる。
突き放したうえで、その新人類的なキャラに興味津々に注がれる視線が。

緑魔子がフレッシュだ。
20歳の締まった体。
開き直った時の座った眼。
一度聴いたら忘れられない甘ったるい声。
すっかり参ってしまう株屋(杉浦)の気持ちもわかる。

緑魔子の出現は、のちの桃井かおり、秋吉久美子らの路線の原典となった。
この3人の中では緑魔子が一番いい。
緑魔子は年をとったら北林谷栄になりうる素質がある、あとの二人には無理だ。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲示された作品のプレスシートより。劇場向けの宣伝文句が並ぶ
同上。タイトルデザインなどが列挙されている

地方出身の姉妹が東京で再開し、傷つけあうという「二匹の牝犬」の物語の骨格は、同じく東映の「天使の欲望」(1979年 関本郁夫監督)を思い出させる。
「天使の欲望」の姉役・結城しのぶは清楚な美人がはまり役の女優だったが、本作では悪女役を体当たりで熱演。
美形の悪女で低い声、というところが小川真由美に似ているといえば似ている。

調子がいいだけの株屋を演じた杉浦直樹は、とぼけた表情が18番で相変わらずの演技だったが、最後主人公にとどめを刺されて目を見開いて這ってゆく断末魔の姿には妙に迫力があった。

小川真由美は適役で存在感はさすがだが、すごんだり、捨て台詞を吐く演技はすでに見慣れた感じで新鮮味がなく、むしろ株屋(杉浦)を刺した後の、影を生かしたライテイングに浮かぶ表情がハッとするほど記憶に残った。
けれんみたっぷりの演出に劇的な演技で応えて活きる女優さんなのかもしれない。

オリジナルポスター。この版には若水ヤエ子は載っている

作品を通して、東映らしいヤクザでマッチョな男優の姿がなく、どこか新東宝的な「安易で雑多で庶民的」なムードも漂い、何より若い二人の女優たちが懸命に演技する姿は「悪女」というより女性というものの人間性を感じさせた。
渡辺監督が描きたかったのは、底辺に生きる人間性たっぷりでエネルギッシュな女性像だったのだろう。
同時に新人類的・ドライな女性の出現も予告しつつ。

オリジナル脚本はたっぷりとエピソードを盛った力作だが、人間性の追求はひとまず置いてサスペンスに徹してみても見ごたえのある娯楽作になったのではないか、と想像する。
作り物めいた構図の中で小川真由美がとてつもなく「活きる」のではないか、と思うからだ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「牝」 1964年  渡辺祐介監督  東映

渡辺祐介×緑魔子の第3作。
3本は同じ年に立て続けに撮られている。

「二匹の牝犬」「悪女」と起用できた小川真由美は撮影所を去って舞台に戻った。
ここで、人気(というかセンセーショナリズム)が出てきた緑魔子で1本。
題名さえどぎつければ題材は自由。

馬場当の原作を渡辺が脚色(クレジットタイトルより。ほかの資料では両者の共同脚本となっている例もある)。
音楽は木下恵介の弟の木下忠司。
助監督、降旗康男。

緑魔子の相手役に菅佐原栄一。
脇に久保菜穂子、ジェリー藤尾、佐々木功。
そしてなんといっても中村伸郎。

松竹にも出演しているが、新東宝的というか新鮮さのかけらもない菅佐原栄一はマイナー感たっぷりだ。
本物の新東宝出身の久保菜穂子は、池内淳子、大空真弓、三ツ矢歌子とともに新東宝脱出後に大成した女優で、この時すでに貫禄が出てきた久保は説得感十分の謎めきよろめき人妻を演じる。

ジェリーは新東宝最末期の「地平線がギラギラツ」(1961年)からの「引き」なのだろうか、東宝「若大将シリーズ」で青大将の天敵のバンドリーダー役(ビートルズのパロデイ)も強烈だったが、本作ではヒロイン(緑)のことをオタクと呼ぶなど、若者の虚無感、人間関係の希薄さを演じて芸達者ぶりを見せている。
佐々木功は大島渚「太陽の墓場」での気弱なチンピラ役からの援用か。

そして中村伸郎。
年代的に前後するが、東宝「豹は走った」(1970年)の黒幕役(表面上は日本商社の重役)も適役だったが、その前に東映の併映作品でまさかの体当たり演技をこれでもか、と見せていたとは!
あるいは「牝」での現代通俗劇への適応ぶりがのちの悪役開眼へとつながっていたのか。
中村伸郎恐るべし。


主役抜擢の緑魔子は本来の真面目さ、素直さを発揮して一生懸命に演じている。
体を通してのエロはほとんどなし。
表情と存在感で若者の虚無感、不毛感を演じる。
そこからエロがにじみだす。
若いので退廃ではなくエロだ。
退廃は久保菜穂子が全盛期の色気をもって醸し出す。

緑と菅佐原の代償行為的不倫関係の不毛。
緑と中村のファザコン的な父娘関係のもどかしさ。
中村と久保のなし崩し的不倫の不健康さ。
緑とジェリーらの若者の暇つぶし的交流と希薄な関係性。

これらの人間関係が混然となって映画は進む。
際どくまた観念的なセリフの背景に木下忠司の明るい音楽が流れる。
久保や緑を相手にキスシーンを繰り返す初老・中村伸郎の鬼気迫る表情!

迷走し、錯綜するストーリーの挙句、ドラマの核心は父娘のタブーを越えた愛、であることがわかる。
が、本当にそれがこの作品のテーマだったのか。

ラストシーン。
父娘の葬式の帰りに何事もなかったように元妻の肩を抱く菅佐原としなだれかかる久保。
二人は離婚したのではなかったか。
虚妄の二人を包む退廃と諦めと官能。
その逆説的現実味と不条理と深い絶望感。

父娘の愛が「純粋」だったからこそ、対比的に描かれる菅佐原と久保の夫婦の、ぬめぬめしてふてぶてしい開き直りがリアルだ。

1年の間に緑魔子を素材にして3本連作した渡辺監督。

大島渚は松竹で1960年の1年間、「青春残酷物語」と「太陽の墓場」をヒットさせ、会社から「さあもう1本」とせっつかれて「日本の夜と霧」というヒットしない題材に「逃げた」のだった。
「この作品を撮らないと前に進めない」と言って。

1964年の渡辺祐介は「二匹の牝犬」「悪女」「牝」の3本を、「逃げず」に撮った。
大松竹の若きエース監督に祭り上げられた大島とはかなり立場が違い、モノクロの併映作品を作る立場ではあったにせよ、スマッシュヒットを放ち続けた渡辺祐介。
何より緑魔子という存在を世に出した功績は大きい。

さすがに3本目の「牝」では観念劇に「逃げた」気配がするとはいうものの、この年の渡辺祐介や恐るべし、と思うのは筆者だけだろうか。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 丘さとみと「裸の太陽」

ラピュタ阿佐ヶ谷で表題の特集上映がスタートした。

東映東京撮影所(大泉撮影所)で製作された現代劇の特集第三弾。

緑魔子が映画デヴューした「牝犬シリーズ」。
若き日の高倉健のギャング物。
梅宮辰夫が大原麗子などを相手役にした「夜の青春シリーズ」。
渥美清と佐久間良子の「急行列車シリーズ」。
などを中心としたラインナップ。

オープニングは家城巳代治監督の「裸の太陽」。
一も二もなくラピュタに駆け付けた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙
この特集でのイベント。豪華なゲスト

丘さとみ 初の現代劇

丘さとみは東映の女優。
京都撮影所の時代劇で映画デヴューし、「東映城のお姫様」といわれた。

手許の「丘さとみ・東映城のお姫様」(さとみ倶楽部編 ワイズ出版社刊 1998年)の本人インタビューから以下抜粋・要約する(一部脱線あり)。

「丘さとみ・東映城のお姫様」ワイズ出版

宝塚生まれ。
1952年、デイズニープロ主催の「和製シンデレラコンテスト」で優勝。
RKO日本支社で秘書をやっていた時に東映にスカウトされ、1955年東映入社。
第二期ニューフェースに交じって養成を受ける。
同期に高倉健、今井健二。

第二期ニューフェースの同期2人と

「御存じ怪傑黒頭巾 第二話 新選組追撃」(1955年 内出好吉監督)でデヴュー。
以降、大川恵子、桜町弘子とともに「花の東映三人娘」として売り出され、千恵蔵、右太衛門両御大をはじめ、中村錦之助、大友柳太郎、大川橋蔵、東千代之介ら京都撮影所の時代劇スターの相手役を務めた。
この当時は、スターの相手役のほか、仕出し(東映所属の俳優によるエキスストラ)も務めて休みがなかったという。

映画デヴューのころ

1958年の「裸の太陽」が初めての東京撮影所での出演作。
キネマ旬報ベストテン5位、べルリン映画祭青年向映画賞を獲得。
ブルーリボン主演女優賞では1票差で2位だった。

ベルリン映画祭には東和映画の川喜多長政、東映の専務と参加。
英語での舞台挨拶、パーテイ出演のほか、「眼下の敵」のクルト・ユルゲンスと一緒にラジオ出演もした。

家城巳代治作品には「素晴らしき娘たち」(1959年)にも出演、紡績工場で働く青春像の一人を演じる。

(以下脱線)
1962年には松竹を退社した大島渚が東映に招かれ「天草四郎時貞」を撮った際、大川橋蔵とともに出演する。
が、大島がこだわるプロレタリア群像の抵抗劇としての天草の乱では大川と丘のスター性、明るさが生かされることはなかった。
作品中、丘の顔がアップはおろかまともに映されることはなく、暗いライテイングのもとで横顔が捉えられるのがせいぜいだった。

全身が明快に映るのが佐藤慶ら大島の盟友たちばかりで、彼等のオーラのない地味な悪党面ばかりが印象に残り、せっかくのスター達が影で塗りつぶされる中、演説的なセリフばかりが飛び交う劇となった。
いわば架空の世界である時代劇に於いて、この華のない絵は致命的で、映画的盛り上がりというものがまるでない作品だった。

大島としては「日本の夜と霧」(1960年)が興行的に失敗作だったことへのこだわりがあったのだろうが、同じ路線で再度失敗したことになる。
松竹時代には社員監督として、職業俳優を使って4本撮っており、「青春残酷物語」「太陽の墓場」(ともに1960年)ではスター俳優を使って映画的盛り上がりを見せた大島には、スターを使いこなす力も、映画的盛り上がりを見せる力もあるのだから、ここで己の主義主張にこだわったのはもったいなかった。

丘さとみにとっても(大川橋蔵にとっても)大島作品に出演したことは、キャリアにおいてもほとんど意味がない出来事だった。

(脱線終了)
丘さとみは「大菩薩峠三部作」(1957年~1959年)、「宮本武蔵五部作」(1961年~1964年)で内田吐夢作品に出演。
「宮本武蔵第一部」では出演場面に監督のOKが出ず、ワンカットに3日間かかったこともあった。
その間、武蔵役の中村錦之助は、画面に映らなかったが何も言わず傍らで付き合ってくれたという。

1965年映画界を引退し、二世と結婚して渡米、3児をもうけるが1975年に離婚し子供を連れて帰国。
その後は舞台、テレビなどで活躍した。

文芸春秋社刊「キネマの美女」より

「裸の太陽」 1953年  家城巳代治監督  東映

『釜焚き、釜焚け、釜焚こう!・・・』。
力強いコーラスをバックに蒸気機関車の力走シーンで幕を開ける「裸の太陽」。

オリジナルポスター

主人公の青年は田舎の機関区の運転助手(釜焚き)だ。
機関区の寮に住み、同じ町の紡績工場で働くガールフレンドがいる。
主人公が乗る機関車が紡績工場の近くを走る時、汽笛を鳴らし、それを合図に彼女があぜ道を走ってきて手を振るのが約束だ。
職場も公認のカップルは、結婚資金を貯めて、1万7千円になった。
彼女の妹が必死に頼んでも貸せない大事な貯金だ。

主人公の同僚には暗くひねた性格の幼馴染がいる。
誰かの財布から金がなくなったとしたら真っ先に疑いがかかる存在だ。
主人公は心情的には幼馴染の味方だ。
ある日彼の必死の頼みを一度は断ったものの、貯金を下ろして1万7千円を貸してしまう。

このため、公休日に海でデートする軍資金もなくなって彼女は当然怒る。
海水着も買えないではないか。
彼女のへそくりで何とか特価品の海水着を買い、ラーメンを食べるのがやっと。
でも若いころって最後の所持金で彼女とラーメンを食べてしまっても、平気だし、旨いんだよなこれが。

丘さとみと江原真二郎の宣伝用写真。丘ひとみの劇中の水着は紺色?だった

そうやって公休日の海水浴デートを楽しみに待てば、幼馴染の無断欠勤で仕事に出ざるを得ない主人公。
現代の若者なら何を差し置いても彼女に連絡し、言い訳にこれ務めるであろうシチュエーションも、当時の若者は連絡は後回し、出勤が決まると不承不承ながら仕事に向かう。

現場は急こう配。
機関車は砂を線路に撒きながら進む。
砂が詰まって列車がピンチ。
阿吽の呼吸で運転士に釜焚きを任せ、機関車の先端にはい出て手で砂を撒く主人公。

勾配を上り終え、機関車を停車させて主人公のもとに駆け寄る運転士。
煤で真っ黒の顔が安どする。
「殉職」と紙一重の任務をやり遂げる主人公の責任感と成長。

職場では職員が指示命令に敬礼で応えている。
昔の国鉄はそうだった。
どんな小さな駅でも列車が通過するときは駅長さんがホームに出て敬礼して列車を見送っていた記憶がある。

主人公は職場の若手で「杉の木会」という集まりを主宰している。
が、仲間と付和雷同して場に馴染まないヤツをいじめるのは性に合わない。
むしゃくしゃしたときは、シャツをまくってそこら辺を叩きながら「釜焚きロック」をがなって、オルグが来ているような職場会をめちゃくちゃにすることもある。
理路整然とした弁はなく、時には手も出るが、極めて人間的でまっすぐな主人公なのだ。

貧しく、無学だが、まっすぐで正直な青年たちの物語。
結婚資金をためればなくなる、デートの約束をすれば仕事が入る、欲しいものも買えない、うまくゆかず気分がむしゃくしゃする。
でも若くてエネルギッシュで明るい。

主人公には江原真二郎、彼女に丘さとみ、その妹に中原ひとみ、主人公の幼馴染に仲代達矢、幼馴染の片思い役に岩崎加根子。

江原と丘のカップル役は息もぴったり。
「姉妹」(1955年)「こぶしの花の咲くころ」(1956年)のコンチ役で家城組の座付き女優的存在になりつつあった中原ひとみと、若い仲代達矢がちょっとむづかしい役で脇を締める。
「警察日記」(1955年)では杉村春子の人買いおばさんに買われ、風呂敷一つで故郷を離れる少女役だった岩崎加根子は人妻役で登場。

宣伝用写真より。ちなみに劇中、中原ひとみと仲代達矢の接点はない

「雲流るる果てに」(1953年)「姉妹」で社会の底辺というか基盤の部分で、時代の犠牲になったり貧しかったりしながらも、人間性を失わず真面目に明るく生きる若者を描いてきた家城監督の、またしてもの会心作。
江原真二郎はもちろん、現代劇初出演の丘さとみの魅力を画面いっぱいに引き出している。

二人のキスシーンはデートの後の公園のブランコで。
将来のことを語り、主人公が「機関士を目指す」といい、彼女が「それだけ?」と言った後のこと。
口当たりのいい「夢」は語らないが、目の前の目標には全力で取り組むであろう主人公と、それを含めての彼を受け入れる彼女。
若い二人の将来を祝福するかのようなみずみずしいシーンだった。

宣伝用写真。カップルの雰囲気が出ている

「丘さとみ・東映城のお姫様」で丘は家城監督について。

「家城先生に、『丘さんまた及び腰ですよ』って。もうしょっちゅう及び腰って。
時代劇って相手に物言う時、必ずこういう形にかがむじゃない。(中略)恥かかさないように小さい声で注意してくださるの。ものすごく優しいの、家城先生。今までの東映で付き合った監督とは違った。
私らごとき新米が言う意見に対しても、監督が真剣にジーッと聞いてくださるの。『うん、あ、そう、いいよ、丘さん。そう思うんだったら、いいよ、やってごらん』って。こんなこと今まで言われたことなかった」(P124)と絶賛。
家城監督の人柄と演出方法が目に浮かぶようなエピソードを披露。

また、岩崎加根子については、
「『素晴らしき娘たち』でも一緒だった加根子ちゃんとはなぜか仲がよくって、ウマがあってね。
別に個人的付き合いもしていないんだけど、時々パーテイなんかがあると二人でくっついてんの」(P123)と、若い共演者との出会いを語る。

郡山での一か月に及ぶロケについても「旅館、楽しかった。」(p124)とのこと。

丘さとみにとって、いいスタッフと仲間に恵まれ、京都撮影所では得られない経験をした「裸の太陽」だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

耳に残る『釜焚き、釜焚け、釜焚こう!・・・』の音楽は芥川也寸志。
メリハリのあるみずみずしい脚本は新藤兼人。
悠然としてドラマチックな撮影は宮島義勇。
家城巳代治が東映大泉に集めた最高のスタッフによる仕事だった。

オリジナルポスター

クールビューティー小山明子特集より 「彼女だけが知っている」「死者との結婚」

シネマヴェーラ渋谷で「クールビューテイー小山明子」という特集上映があった。
松竹の新人女優時代から、大島渚との結婚・独立を経て、1960年代の他社出演作品まで、小山明子出演の14作品が上映された。

シネマヴェーラ渋谷にて

小山明子自伝「女として、女優として」

小山明子自伝「女として、妻として」表紙

手許に「女として、女優として」という小山明子の自伝がある。
映画デヴューから大島渚との出会い、結婚、独立までの半生をつづっている。
その中から印象的なエピソードを拾ってみる。

・「家庭よみうり」という雑誌の表紙に載ったことから、松竹大船撮影所長にスカウトされ、1955年、横浜のドレスメーカー女学院に在籍のまま松竹入社したのが女優人生のスタート。
当初は、父子家庭の父親は芸能界入りに大反対で、また本人も乗り気ではなかったという。

新人女優時代の小山明子

・松竹入社2作目の「新婚白書」(堀内真直監督)出演時に、作品の助監督だった大島渚に出会い、翌年から付き合い始める。
付き合い始めて3年目、大島に旅行に誘われ断ったことから大げんかになり、その際に大島が殴ったことから一旦は別れる。

・1959年、大島が「愛と希望の街」でデヴューすると告げたはがきを読んだ小山が大島を呼び出す。
小山は大島に会うなり、まっすぐ目を見て「私はあなたのお嫁さんになることにしたわ」と告げたという。

・1960年結婚。
結婚式は大島の第4作「日本の夜と霧」が上映打ち切りとなった後に行われた。
新郎の大島までを含めた来客が上映打ち切りに抗議し、松竹弾劾の演説を行う結婚式だった。
怒号が飛び交い、招待客の松竹首脳は途中退席した。
まもなく大島は松竹を退社した。

・退社して何の用事もない大島を訪ねて新婚アパートには来る日も来る日も友人たちが押し掛けてきた。
昼間でも「まずビール」。
毎晩酒を飲みながら楽しそうな(小山による表現)議論が延々と続いた。
小山には松竹との契約が残っていたが仕事は来なかった。
小山も松竹をやめ、活路をテレビやラジオに求めた。

大島渚と結婚

・助監督の給料が1万4千円くらいの時代、小山の映画出演料は4作目で50万円になっていた。
当時は生放送だったテレビ出演でくたくたになってアパートに帰ってくる小山を迎えるのは、大島とその仲間たちの「あー腹減った。ご飯!」の声だった。

新婚アパートにて、お銚子の準備をする小山明子

・子供が生まれた。
京都から大島の母・清子に来てもらい、小山は預金通帳と財布を渡して育児と家事一切をお願いした。
義母はそれを張り合いにしてくれた。
小山の死んだ実母の名前は清子、継母の名も清子、という縁があった。
小山は仕事に邁進した。
20年以上、大島家の家事育児一切は義母が切り盛りした。

・1961年、大島は田村孟、渡辺文雄らと独立プロ創造社を設立。
第1回作品「飼育」を撮る。
1ヶ月の長野県南相木村でのロケの後、ツケの酒代を支払いに現地の酒屋を訪れた小山は「お酒は120本飲まれました」と主人に言われる。
てっきりお銚子の数だと思った小山は、一升瓶の数だと聞かされてひっくり返りそうになる。

・1968年の創造者作品「絞首刑」の時、テレビ番組の打上パーテイーに出席して「絞首刑」のアフレコに遅れた小山に大島が激怒。
口答えした小山のパーテイー用のドレスを、皆が見ている前でびりびりに引き裂いてしまった。
この時ばかりは離婚を決意した小山だった。

自伝「女として、女優として」を読むと、やんちゃ小僧のような大島渚と、女優業で稼ぎながら大島らの世話に追われ、いざとなると気も強い小山明子の若く、ハチャメチャなエピソードばかりが印象に残る。
大島家の柱は渚だが、それを支えたのは小山明子だったことがわかる。

また、5年間ほどとはいえ、邦画メジャー・松竹の主演女優だった小山の実績はダテではなく、テレビや他社出演など、女優で一生食っていけたことがわかる。
「松竹映画の主演女優」のステータスは相当なものだったのだ。

文芸春秋社刊「キネマの美女」より

高橋治と松竹ヌーベルバーグ

シネマヴェーラの「クールビューテイー小山明子」特集で、高橋治監督の「彼女だけが知っている」と「死者との結婚」が上映された。

高橋は、1953年に助監督として松竹に入社。
同期に篠田正浩、1期下に大島渚、山田洋次、2期下に吉田喜重、田村孟がいた。

入社年に「東京物語」の助監督を務める。
1960年「彼女だけが知っている」で監督デヴュー。
6本の監督作品を残し、1965年松竹を退社、文筆活動に入る。
文筆時代の代表作は「絢爛たる影絵・小津安二郎」、直木賞受賞作「秘伝」など。

高橋の監督デヴュー当時は、大島、篠田、吉田、田村孟などが次々と若くして監督デヴューし、彼等の斬新で挑発的な作風が松竹ヌーベルバーグとしてもてはやされた。

折から時代は1960年の安保闘争を迎えていた。
また、戦後世代の若者文化の光と影が時代を彩っていた。

大島らは松竹映画の中にそれまでにはなかった、若者の痛切な青春像や、旧世代と新世代の階級対立を持ち込んだ。
世の中に反抗し自滅する若者を描いた「青春残酷物語」、ドヤ街の現実に埋もれそうになりながらもギラギラする人間性を追求した「太陽の墓場」はヒットしたが、新左翼が旧左翼を糾弾する内容の「日本の夜と霧」は記録的な不入りとなり、松竹ヌーベルバーグは終焉した。

状況を逆手にとって時代の寵児として自己をプロデユースし得る大島、スター監督候補としてそつなく話題作に挑む篠田、独特の感性で自分の世界を追求する吉田ら、松竹ヌーベルバーグの本流ともてはやされた連中はしぶとく映画界に残った。
彼ら3人に共通しているのはいずれも松竹のスター女優と結婚していることだった。

高橋は気が付くと映画界を去っていた。
スター女優を妻としなかったこともその理由の一つかもしれない?が、高橋の才能と興味が文筆活動により向けられていたのはその後の履歴が示している。

「クールビューテイー小山明子」特集では、高橋の松竹時代の貴重な作品に接することができた。
初々しくも、多彩な才能が映画にも発揮されていることを確認した。

「彼女だけが知っている」 1960年  高橋治監督  松竹

63分の中編。
当時の新人監督のデヴュー作用の規格だ。
大島渚のデヴュー作「愛と希望の街」(1959年)も60分ほどの中編だった。

「愛と希望の街」が、何より大島の主張が濃い作品だったのに比して、高橋治のデヴュー作は映画としての完成度が高かった。

強姦殺人事件に立ち向かう刑事ものストーリー仕立ての作品で、刑事の心理描写、捜査のち密さ、スリリングな場面展開がよく描かれている。
夜の場面の暗さを強調した撮影もいい。
笠智衆、三井弘次、水戸光子らベテランの名わき役たちの起用も新人監督のデヴュー作としては恵まれている。
高橋のデヴュー作がスタッフ、キャストに「祝福されて」生まれたものであることがよくわかる。

シネマヴェーラロビーに掲示された当時のポスター

共同脚本と助監督が田村孟。
本来は、場面数を少なくし、不条理な設定上の主人公を出口なしの状況に追いつめるように描くことが多い田村の脚本だが、本作は、場面展開が早く、具体的な描写が多く、またラストに救いがあり、いわば映画的サービス精神に満ちている。
高橋のデヴュー作が商業的にも成功するように最大限に配慮した田村脚本であることがわかる。

主演の渡辺文雄は、松竹ヌーベルバーグの表現者のひとり。
大島作品、高橋作品での主演が多い。
田村孟の監督作品「悪人志願」(1960年)でも主演を務めた。
ヌーベルバーグ作品での渡辺の役柄は、声高に主義主張を叫ぶのではなく、主役の傍らにいて、時々鋭い客観的で分析的セリフを吐く、ということが多い。
作者の代弁者の役柄といったところかもしれない。

本作での渡辺は、強姦事件の被害者となった小山の恋人役。
刑事という立場場もあり、被害者小山の心理を理解するよりも、社会利益のため捜査に協力するよう小山に働きかける、いわば一般社会の代弁者として正論を吐く。
結果的には小山は捜査に協力し事件は解決するのだが、小山の感情は解決してはいないというのがこの作品のテーマの一つ。

小山と渡辺が2人きりで「対決」する場面が2つある。
ビルの屋上と小山の部屋。
そこで、二人の感情と主張のすれ違いが描かれる。
刑事の娘であるという立場、一人の女性として傷を負った立場、それぞれを「克服」し、捜査協力する決心をした小山だが、公の代弁者に終始し小山の芯の理解者たり得ないに渡辺に対し「同情されたまま一生終わりたくないの」「あなたと同等の立場でいたいのよ」と思いのたけを叫ぶ。

このセリフを書いた田村と高橋。
昨今やっと尊重されてきたハラスメント被害者の心理状況の核心を表すともいうべきもので、1960年当時にはっきりとこの部分が表現されていることは貴重だと思う。
この作品は強姦事件を背景にしているが、よしんば被害者が差別上のものだったり、階級上のものだったりしても、その心理状況はあてはまるだろう。

渡辺と小山の間に、学生の討論のような調子でセリフが交わされ、作品の隠されたテーマである、立場の違う人間を隔てる壁の存在があらわになる。

ラストで背を向けて一人去ってゆく小山に渡辺が走って追いつく(そこでエンド)のは、観客に向けたサービスで田村脚本の本意ではないのだろうが、この方が映画的で好きだ。
若い二人には相互理解が可能な未来が待っていてもいいではないか。

小山明子の演技は、それまでの役では多かったであろう愛嬌のあるお嬢さん役から脱皮しようという、意欲を感じるものとなっている。

シネマヴェーラの特集パンフより

「死者との結婚」 1960年  高橋治監督  松竹

高橋治の監督第二作。
田村孟との共同脚本は前作同様。
前作が刑事ドラマの体裁をとっているのと同じく、ウイリアム・アイリッシュの犯罪小説を原作としたドラマ。
ただし犯罪ドラマは体裁で、作者が描きたいのは人間疎外であり、尊厳の追求であり、個人の自立である。

シネマヴェーラロビーのポスター

いい加減な恋人に捨てられ自暴自棄になった女(小山明子)が、あてどない旅で乗船した船で、フィアンセの実家に挨拶に行く途中の女(カップルの片割れの男も乗船している)と知り合う。
船は沈没し、女を残しカップルは死ぬ。
死んだ女に入れ替わった小山が、死んだ男のフィアンセとして実家に迎え入れられる。

巻頭から主人公を取り巻く不条理な世界観が炸裂する。
何者かわからない存在の小山が、さらに不可解なほどダメな競輪選手崩れの男に捨てられさ迷う。
まるで「悪人志願」で、理由不明で鉱山現場で働く、渡辺文雄扮するおしの主人公の女版のようでもある。

紛れ込んだ「義実家」。
気持ち悪いほど疑いを知らず、善意の乖離を尽くす「義実家」の人々。
主人公は無表情なまま戸惑うが、もともと悪意はなく、このまま平穏な暮らしが続けばよいと思う。
フィアンセの弟(渡辺文雄)は女が別人であると気づく。

渡辺は女に敵愾心を持つが、従順で状況を受け入れ周りに重宝がられる女を愛し始める。
まったく疑いを知らない(義母は途中で気づくが、気づいたうえで女を受け入れる)人々は「別の世界」に暮らしているかのよう。
「現実」を見ないようにしているうちに、「別の世界」を受け入れるしかなくなる女に、「現実」を知ったうえで女を受け入れようとし始める義弟。

そこへ別れた競輪選手崩れの男が現れ、いわば強烈な「現実」の出現に「別の世界」は一挙に破滅に向かう。
ここからの犯罪シーンは、前作「彼女だけが知っている」ほどのスリルがなく、やや手際が悪い印象。

「現実」が表に出て、それでも受け入れようとする義弟に、「現実」に目覚めた女は醒めた目を向ける。
去ってゆく小山に対し、前作と違って渡辺は追いかけない。

同情され、偽の自分として一生生きることを敢然と拒否し、自分本来の(それがいばらの道とは知りつつも)人生を生きることを決意する名もなき女の背中を突き放して捉えて映画は終わる。
敢然と歩く小山の後姿はりりしくもあり、厳しくもある。

シネマヴェーラの特集パンフより

前作「彼女だけが知っている」ほどの映画的広がりがなく、渡辺と小山の討論会的なセリフのやり取りなどに田村孟の脚本色が強い作品になっている。
一方で、ジャズっぽい音楽や、犯罪映画の表現の取り入れなど高橋監督のサービス精神というか、手法の多彩さも見られる。
このまま松竹にいれば将来的に「砂の器」をドライにしたような大作を作ったのではないかと思わせる高橋監督である。

小山明子は不条理の中で戸惑い、気持ちを抑えて状況に耐え、また新たな状況に立ち向かう女性を演じた。
そのクールさは、のちの「続・兵隊やくざ」(1965年)の似合いすぎる黒づくめの従軍看護婦役、や「少年」(1969年)、「儀式」(1971年)の近寄りがたい冷たさ、に結実したのではないか。

淡島千景と「やっさもっさ」

神保町シアターの「女優魂 忘れられないこの1本」という特集で、淡島千景の「やっさもっさ」が上映された。

神保町シアターの特集パンフレット表紙

原作者の獅子文六自らが「敗戦小説」と名付けた三部作、「てんやわんや」「自由学校」に次ぐ第三弾が「やっさもっさ」。
三部作全作を松竹の渋谷実が映画化している。
淡島千景は「てんやわんや」と本作「やっさもっさ」では主役を務めるなど、三部作全作に出演している。

淡島千景の評伝にしてインタヴュー集「淡島千景女優というプリズム」表紙

獅子文六は戦前にフランスに渡って演劇研究に携わり、帰国後は小説も発表。
戦中、戦後と新聞小説などで活躍。
特に戦後は、戦後社会の混乱やその後の経済成長期の世相や人物像を、ユーモアを交え、風刺的に描いて人気を博した。
上記の「敗戦小説」三部作のほかにも、高度成長期に株でのし上がってゆく、地方出身のエネルギッシュな主人公を描いた「大番」など映画化された原作が多い。

「敗戦小説」について作者の獅子文六は、「戦後の世の中で、腹が立ってしょうがなかったし、書きたいもやもやがたくさんあった」と、その執筆動機を語っている。

「てんやわんや」は戦後出現したアプレガールが、敗戦に意気消沈した男たちに代わって逞しく、華やかに、毒々しく生きる姿を描いた(揶揄した)もので、「自由学校」は戦後の解放された気風を背景に、お互い勝手気ままに生きる夫婦の姿を戦後闇市風景をバックに描いた(揶揄した)もの。
本作「やっさもっさ」は占領軍の置き土産たる混血児の養育院を舞台に、やり手の女性理事長とたくましく生きるパンパンを対比、併せて戦争で腑抜けになった男の姿を描くもの。

三部作を監督した渋谷実は、松竹で小津安二郎、木下恵介と並び三巨匠と呼ばれた存在だった。

渋谷実は現在ではあまりその名を聞かない。
理由は、映画賞を受賞するような作品を撮らなかったこともあろうが、大向こう受けする題材、表現を好まず、喜劇を装った何気ない描写の中に愛すべき人間性を謳う、という作風が後世にアピールしていないように思われるのだ(筆者は渋谷作品は「本日休診」「もず」「モンローのような女」の3本しか見ていなかったので断定的なことはいえないが)。

淡島千景は渋谷監督について「最初に渋谷先生に使っていただいたことがわたしの幸運の初めだと思います。宝塚の後に、私の芸能の道をつけてくださったのは渋谷先生だと思います。」(「淡島千景 女優というプリズム」P99)と感謝の言葉を述べており、この言葉が渋谷実の映画監督としての存在感、影響力、力量を正確に表しているのだと思われる。

渋谷はまた、松竹をレッドパージされた家城巳代治監督の師匠でもあり、のちに数々の名作を撮ることになる家城は生涯渋谷を師と仰ぎ、また渋谷も折に触れ松竹退社後の家城にアドバイスを贈ったという。

「淡島千景 女優というプリズム」より

「やっさもっさ」  1953年  渋谷実監督  松竹

黒白スタンダード。
淡島千景が若い。

26歳で宝塚から松竹入りした淡島は、気が付くと年増のやとな芸者だったり(「夫婦善哉」1955年 豊田四郎)、得体のしれない男どもの間を駆けまわる年齢不詳のご婦人だったり(「貸間あり」1959年 川島雄三)を演じており、要するにおばさんっぽい役が多かった。

時には「麦秋」(1951年 小津安二郎)のように主人公(原節子)の親友役のようなお嬢さん役もあったが、印象的には「駅前シリーズ」で森繁やのり平のアドリブをやり過ごし、受け止める、頼りになる「お姉さんというにはしっかりした年齢の女性」という役が多かった。

文芸春秋社1999年刊「キネマの美女」より
「キネマの美女」淡島千景の評。的を得ている

主役級では淡島千景、わき役では浪速千恵子。
たくさん出演作があって、どれ、という当たり役が浮かばないが(淡島千景には「夫婦善哉」があるが)、出演すれば場面が締まるし、何よりも安心してみていられる女優さん、がこの二人。
親しみがわきすぎて、日本映画にいるのが当たり前の顔、でもある。

「てんやわんや」(1950年)では渋谷監督のもと、セパレートの水着姿で颯爽とデヴューした淡島千景。
本作「やっさもっさ」では、エリザベスサンダースホームをモデルにした混血児のホームの理事長を演じ、パリッとしたスーツ姿で登場する。
後半には、敗戦後の日本をなめた不良外人とダンスしながらよろめいたり、肩もあらわなドレス姿で酔っ払ったりもする。

「淡島千景 女優というプリズム」より

戦後の風潮を背景に「自由で自立した」アプレガールの後日談、との設定の役柄でもあるらしい。
占領時代を背景に、詐欺師の不良外人のほかに、朝鮮戦争に苦しむ米兵、米兵を金づるとしながら混血児のわが子に向ける複雑な感情のパンパンらを相手に、忙しそうに活躍し、時々はよろめく「その後のアプレガール」を実年齢20代の淡島千景が演じる。
混血児ホームという、敗戦の現実がむき出しになった現場を舞台にはしているが、「その後のアプレガール」は都会的で颯爽としており、今時の「上場会社のスマートなOL」風にも見える。

バズーカお時という物騒な仇名のパンパン(倉田マユミ)がいい。
父親の黒人米兵からさらにふんだくろうと、施設に放りこんだわが子に会わせろとホームに怒鳴り込み、ガラスをたたき割る。
いざ、子供に会うと親の愛情に目覚め、米兵が死んだあとは、自分の故郷に連れ帰り、周りのいじめには体を張って我が子を守り抜こうとする気の強さ、逞しさ。
アプレガールの逞しさより、共感を得やすく、なにより根性が入っている。

戦後、外地から帰って腑抜けのようになっている夫(小沢栄)に幻滅する淡島だが、夫はこっそりと英語能力を生かしてパンパンたちのラブレターを代筆してやり、その金で一杯飲んだりしている。
最後は改めて人生出直そうと決心して淡島を抱きとめる。

淡島の先輩で産児制限協会会長の高橋豊子は、今でいうサバサバ・はきはき女。
威勢よく主義を主張し、演説のようにしゃべりまくる。
小津映画では割烹の女将として画面を横切り、一言しゃべるだけのおばさんが、こんな演技もできる人だったとは。しまいには、酔いつぶれた淡島を抱き上げ、おぶって布団まで運んでしまう。
根源的な女性の逞しさが、彼女を通して描かれる。

若き日の山岡久乃はホームのスタッフ役。
その他大勢の役ではなく、ホームのシーンでは出ずっぱりで、外人によろめいた淡島にはきつい諫言をいつもの早口でまくし立てる。

新たに混血児を預けに来る老婆役の北林谷栄(実年齢42歳だが、70歳には見える)は抑えた演技でオーバーアクションなし。
高橋豊子に熱演させ、北林にはほとんどしゃべらせないとは、渋谷実監督ただものではない。

最初は威勢がよく、いわば無意識に「いいとこどり」しようと生きてきた「その後のアプレガール」も、数々の現実、本来の意味での逞しい女達の姿を見て、最初は現実逃避しようとしたものの、やがて覚醒し地道な再生への決心をする、というのが本作品の骨格。

戦後のアプレガールの限界、パンパンとGIが蠢く日本の現状、をリアリズムではなく、被虐でもなく描いた作品。
結果としてしっかり風刺は効いているし、押さえたブラック気味のユーモアが根底に流れている。
パンパンとその息子、腑抜けの日本男児に前向きな希望を感じさせるエンデイングもよかった。

渋谷作品、肩ひじ張って見に行くと肩透かしされるが、淡々として味がある。
「てんやわんや」と「自由学校」も見なくてはなるまい。

神保町シアター特集パンフより

film gris特集より④ ドミトリク、ウルマー、ベリー、エンドフィールド、ワイルダー

シネマヴェーラ渋谷で上映されたfilm gris特集。
1947年から51年に撮られたアメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルムノワールたちの特集。
挙げられた作家は、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ヒューストン、サイ・エンドフィールド、ジョン・ベリー、ジュールス・ダッシン他。

本ブログでは、film gris特集の上映作品から、これまで3回に分けてポロンスキー、ロッセン、ベリー、ロージー、ダッシンの作品について述べてきた。
第4回目の今回は、3回目までに掲載できなかった5作品について述べてみたい。

「十字砲火」 1947年  エドワード・ドミトリク監督  RKO

1947年に始まった米国議会下院の非米活動調査委員のハリウッドに対する公聴会、いわゆるハリウッド赤狩り。
公聴会に証人として喚問されたハリウッド映画人のうち「自身が共産党員であったか」などの質問に対する証言を拒否するなどして、議会侮辱罪で刑事告訴され有罪収監された10人がいた。
彼等はのちにハリウッドテンと呼ばれた。

ハリウッドテンの一人が、若き映画監督のエドワード・ドミトリクだった。
彼は収監中に転向宣言をし、共産党員の仲間の名前を証言した。
結果、彼はハリウッドのブラックリストから名前を除かれ、仕事に復帰できた。

当時、ハリウッドのブラックリストに載った人間が仕事に復帰しようとするには、こうするよりほかに手段はなかった。
映画監督のエリア・カザン、ロバート・ロッセン、脚本家のバット・シュルバーグらが同様に「転向」し、仕事をつづけた。

本作「十字砲火」はドミトリクがブラックリストに載る前に撮った作品。
ユダヤ人差別を批判する作品として知られている。

「十字砲火」の一場面

軍人仲間がバーで飲んでいる間に、一人の軍人と意気投合しホテルの部屋で飲み直していた羽振りの良い男が何者かに殺される。
羽振りの良い男はユダヤ人だった。
退役軍人で現役兵にも影響力のある男(ロバート・ライアン)と、事件を調査する軍曹(ロバート・ミッチャム)、酒場の女、そして警察が登場する。
果たして真相はいかに。

飲み疲れた頭のようによどんだ空気のバーの止まり木と、暗く締め切った警察の尋問室などを舞台に、デスカッション劇のように映画が進む。
回想シーンの舞台は連れ出し飲み屋と女の部屋だ。

登場人物達は真相を知ってか知らずか、胸に一物あるのかないのか。
思い思いに勝手な推測を述べ、自己を弁護し、見ている我々を混乱させる。

回想シーン。
その日ユダヤ人の部屋に招かれた軍人は、酔ったまま部屋を抜け出し女のいる店へ。
出た来た女は、軍人と店を出て自分の部屋へ連れ込むが、そこに別の男が現れる。
別の客であろうその男は「女の夫だ」と名乗るなど、訳が分からなくなる。
見ている我々の頭も酔いで霞んだよう。

連れ出し飲み屋の女に扮するのがグロリア・グレアム。
ニューヨークの演劇出身。
フランク・キャプラの「素晴らしきかな人生」(47年)でデヴューし、主人公の幼馴染で活発で派手目の女友達役(のちに主人公の幻想シーンでは、すさんだ故郷であばずれの商売女に落ちている)として映画デヴュー。
ニコラス・レイの「女の秘密」(49年)ではスター女優の足元をすくおうとする若い付き人を、「孤独な場所で」(50年)では苦悩する良人をあざ笑うかのような冷たい妻を演じた。

一癖もふた癖もあるその美貌は、スクリーン上の悪女役で生かされただけでなく、実生活でも夫だったニコラス・レイを苦しめ、離婚したのちになんとレイの連れ子(グレアムにとって義理の息子)と結婚し2児を生むなど、奔放なを極めた。
単なる悪女役というより、すさんで捨て鉢な演技をすると光る女優で、家庭的なキャラとは対極にあったがそれが魅力だった。

さて、映画は迷宮に迷い込んだまま、悪夢として終わるのかと思いきや、ユダヤ人蔑視の退役兵が犯人だとわかって終える。
混迷のドラマに無理やり結末をつけたようなエンデイングだが、どうやらユダヤ人差別批判の主題のため犯罪劇をくっつけたというのが、この映画の構成だったよう。
だが、取ってつけたような差別批判に納得性が乏しく、むしろ一人のサイコパスの犯罪劇として完結していれば、悪夢のような展開のノワール劇として成立したのにと思わせる。

なお、作品中でロバート・ライアン扮する人物に対し「サイコパス」という表現が使われており、この時代からすでに異常性格の一種として認識されていたことがわかる。

一方で、人種差別者をサイコパスにしたことがこの映画の主題をあいまいにしたのではないか。

悪女の代名詞グロリア・グラハムの若き姿を拝めたのは価値があった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「野望の果て」  エドガー・G・ウルマー監督  1948年  イーグルライオンプロ

エドガー・G・ウルマー監督もオーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人の一人。
戦前のドイツ時代から映画人のキャリアをスタートさせており、ジンネマン、ワイルダー、シオドマクらによる戦前のベルリンの日常を描いた「日曜日の人々」(1930年)にも参加している。
渡米後はイデッシュ後の映画製作にかかわり、またハリウッドでは数々のB級ホラー作品を監督するが「恐怖の周り道」(1945年)がカルト映画として今に残る。

本作「野望の果て」は、ウルマーが独立プロでB級作品を連発していたキャリア中盤の作品。
「恐怖のまわり道」以外見る機会が少ないウルマー作品に接する貴重な機会でもあった。

「野望の果て」はB級ながら、正統派の大河ドラマのような構えの作品。
ノースターながら、ザカリー・スコット(ルノワールの「南部の人」に主演)や相手役の清純派ダイアナ・リンらが堂々たる演技を見せる。

全編を通しての夢の追想のような幻想感は、同じくヨーロッパ脱出ユダヤ人組のマックス・オフュルス監督の名作「忘れじの面影」(1948年)を、また少ない予算を駆使したであろう豪邸のパーテイシーンでは、オフュルスの「快楽」(1952年)、「たそがれの女心」(1953年)の夢のような舞踏会シーンを、一瞬思い出させる。

シネマヴェーラの特集パンフより

ユダヤ人として生まれ、金持ちの娘(ダイアナ・リン)を救ったことから一家の援助を受け進学する主人公(ザカリー・スコット)。
次第にパワーゲームに目覚め、世話になった一家と娘を裏切りながら、株の世界でのしてゆく。
富豪となった後の孤独感は、虚業の世界で富のみを追求し、他人を裏切り続けた代償。
富を得ることにのみによっては、被差別民のルサンチマンの昇華にはならない。

富豪となった主人公の前に、裏切って捨てた娘とうり二つの若い女性(ダイアナ・リン二役)が現れ、改心した主人公が、その人生で隠し続けた真心を吐露する、が時すでに遅し。
虚業に人生をささげた嘘の男が滅亡してドラマが終わる。

自らもユダヤ人であるウルマー監督の自省の念も入っているのか?
普遍的な人生訓なのか?
きれいごとでは決して済まない人生の流れの中で、唯一変わらぬ清い心と姿を表現したダイアナ・リンが忘れられない。

「テンション」  1949年  ジョン・ベリー監督  MGM

真面目一筋の夫(リチャード・ベースハート)を翻弄し、わがまま一杯の欲望妻(オードリー・トッター)が成金の浮気相手と海でバカンス。
そこへ乗り込む夫を成金は妻の前で殴って撃退。
夫は別の人物に成りすまして成金に復讐しようとするが、直後に成金は不審死。
浮気相手が死ぬとしれッと夫のもとに帰る妻。
事件の真相を暴く刑事は、妻を誘惑してまで違法ぎりぎりの捜査を行う。

シネマヴェーラの特集パンフより

犯罪映画とはいえ、夫、妻、刑事と極端な人物ばかりが登場するノワール劇。

成金の男の海辺の別荘で水着で寝そべるオードリー・トッターの浮気妻ぶりが色っぽい。
根っからの悪女度では「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)のラナ・ターナーには負けるが、「魅力があるうちに高く買ってくれる男に自分を売って何が悪いのよ」とでも言わんばかりの、そこら辺にいそうな欲望妻感が出ていて適役。

この妻を上回る破壊度なのが刑事役の男優。
ジャック・パランスのように癖のある風貌で手際よく捜査を進める。
手練手管の汚れた刑事だが、疑惑の対象を浮気妻と定め、誘惑して関係を持ちながら追いつめてゆく。
この刑事の前では、浮気妻も哀れな子羊だ。

浮気妻に扮するオードリー・トッターが登場するカットでは必ずポワーンとしたお色気BGMがかかる。
ハリウッド流手法でアメリカ製のテレビドラマなどでもよくつかわれた古い演出方法だ。
これがオードリー・トッターにぴったりはまる。

一方、夫が変装しているときに出会う女性(シド・チャリシー)は、純情で真面目に描かれる。
シド・チャリシーはリタ・ヘイワースに似ているグラマーだが。

貞淑であるべき妻を欲望にまみれた存在に描く、という手法はノワールそのもの。
「貞淑な妻」に象徴される「健全な社会」の裏側を暴くという意味での社会批判を陰のテーマとした作品ともいえる。

A級作品ではないが、MGM系列の穴埋め番組としては上出来。
「その男を逃すな」同様、ジョン・ベリー監督の手堅い手腕が見られる。

「群狼の街」  1950年  サイ・エンドフィールド監督  

赤狩りでハリウッドを脱出したエンドフィールド監督作品。

無名キャスト、ロケの多用、遊びのないリアリズム、アメリカ社会のポピュリズム批判、弱者への視点、などまさにfilm grisの要件を満たした作品。

シネマヴェーラの特集パンフより

失業した主人公。
妻は心配し家庭は困窮する。
不景気の時代でも調子よく詐欺や強盗で世を渡る者はいる。
誘われてそんな男の運転手となる主人公。
金には困らなくなるが、いったん入った悪の道から抜けることはできない。

事件を騒ぎ立てる煽情的なジャーナリズムが描かれる。
「群衆」(1941年)、「市民ケーン」(1941年)、「地獄の英雄」(1951年)と映画で告発され続けれるアメリカ社会の宿痾である。

ラストはジャーナリズムによってあおられた群衆の暴動で監獄が破られ、囚人たちは主人公を含めてリンチを受け押しつぶされる。

日本の左翼独立プロの作品のように、無名の俳優を使って、ドキュメンタルに淡々と撮られた作品。
余計なエピソードなどはないので、ストレートに社会批判のテーマが迫ってくる。

「地獄の英雄」  1951年  ビリー・ワイルダー監督  パラマウント

「深夜の告白」(1944年)をヒットさせ、「失われた週末」(1945年)でアカデミー賞を受賞したビリー・ワイルダーはパラマウントでは好きなようにふるまえたという。

「サンセット踊り」(1950年)はワイルダーらしく悪意に満ちたハリウッド内幕もので、スニークプレヴューでは観客の嘲笑を浴び、試写を見たMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーを激怒させたものの、批評では絶賛を浴びた。

この「サンセット大通り」は、犯罪映画の体裁を取りながら、過去の栄光にすがる往年の大女優の妄執ぶりを正面から描いた作品で、彼女の夫だった往年の大監督で今は執事として彼女の下着を洗っている、という役をエリッヒ・フォン・シュトロハイムに演じさせ、「蝋人形のような」と劇中でナレーションされる老俳優役にバスター・キートンなどを実名で登場させる。

シュトロハイムはオーストリアハンガリー帝国出身のユダヤ人であり、人種的にもハリウッドでのキャリア的にもワイルダーの大先輩なのに。

大女優役のグロリア・スワンソンはこの時すでに実業界で成功しており、往年の大女優の妄執を演じるにしても、うらぶれた感じよりも、実像から滲み出す美貌と余裕が感じられたものの、役名の「ノーマ・デズモンド」にもワイルダーの細かな悪意が感じられた。

「ノーマ」はMGMのラストタイクーン、アービング・サルバーグの妻、ノーマ・シアラーからとったと思われ、「デズモンド」は、1920年代に愛人だった清純派女優に殺された?スキャンダルの主人公、ウイリアム・デズモンド・テイラー監督からとってはいないか?
だとするとワイルダーの「ハリウッド帝国」に対する寒々しい悪意と嘲笑がにじみ出たネーミングにならないか。

「ノーマ」については、1920年代にスワンソン、メリー・ピックフォードと並び称されたノーマ・タルマッジからの援用なのかもしれない。
ノーマ・タルマッジは夫のジョージ・スケンクがユナイテッドアーチスツの社長だったのでチャップリンとのつながりがある。
さらにノーマの妹ナタリーはバスター・キートンと結婚している。
「サンセット大通り」でのワイルダーのチャップリンとキートンへのこだわり(揶揄)からして、「ノーマ」の出典は、タルマッジなのかもしれない。
いずれにせよワイルダーの「ハリウッド帝国(村)」に対する皮肉・嘲笑が込められたネーミングである。

また、サイレント時代に実際に大監督といわれ栄華を極めたシュトロハイムが自己そのもののパロデイ役を演じるなど、人をバカにしたといおうか、弱い者いじめめいた内輪ネタにもほどがある配役。

しかもシュトロハイムは未完に終わった「クイーンケリー」(1929年)で、製作・主演にあたったスワンソンと揉め、彼女に大損害を与えた過去がある、との因縁まであるのだから何をかいわんや。

もっとも映画とは本来「見世物」であり、題材はアクション、犯罪、スリラー、エロ・グロ、ゴシップなどが受ける。
「サンセット大通り」は、ハリウッドのゴシップである「内輪ネタ」を題材に選び、グロ寸前の味付けを施した際どい企画で観客受けと批評家受けを狙う、という意味ではワイルダーの作戦勝ちでもあるのだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

ワイルダーの毒にまみれた「サンセット大通り」の次作が「地獄の英雄」。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーが監督し、ロシア系ユダヤ移民の両親のもとニューヨークの貧民街で生まれ育ったたカーク・ダグラス(1989年に邦訳が出版された自伝が「くず屋の息子」)が主演するドラマである。

この作品ではワイルダーの切り札「ハリウッドの内輪ネタ」は影を潜め、その毒はアメリカ社会のポピュリズムと煽情的なジャーナリズムに向けられる。
原作ものの映画化が多く、原作の力を借りて才能の枯渇を補っていたワイルダーには珍しく、オリジナルとはいえないまでも、実話からヒントをもらっただけの企画であることもポイント。

ニューヨークの売れっ子新聞記者だったダグラスが、アル中と上司の妻を寝取る癖により解雇され、ニューメキシコへと流れつく。
持ち前のはったりで地元新聞の記者職にありつくが退屈でしょうがない。

ある時にガラガラヘビ退治の取材に赴く途中で、インデアンの墓場で聖なる山といわれる場所で落盤があり、山の麓で土産物屋を営むインデアンが生き埋めとなっている現場に出くわす。
さあ、ダグラスの腕の見せ所だ。

あることないことでっち上げ、救出作業を遅らせて現場を仕切り、煽情的な記事と写真を送稿するダグラス。
現場には物見高い群衆であふれ、出店や遊園地まででき始める。
全国の新聞社が集まってくる。
現場を独占支配するダグラスの狙いは特ダネを全国紙に売りつけてのニューヨーク復帰だ。

毒々しくも空しいジャーナリズムの「売れてナンボ」の世界をカーク・ダグラスの、非情で狡猾な演技を通して描く。
「どこを切ってもカーク・ダグラス」にしか見えない、エネルギッシュにして暑苦しい演技ではあったが。

返す刀で、ニューメキシコの田舎町の汚職しか考えていない保安官や、流れ着いてインデアンの夫と結婚したものの土産物屋暮らしが嫌でしょうがないダンサー崩れの妻(ジャン・スターリング)のけだるさを描きこむのがワイルダーのスキのなさ。

夫が埋まっているのをいいことに、田舎を脱出しようとダグラスに迫る妻に、ダグラスの平手打ちが飛ぶ。
とりあえず男女はくっつけようとするハリウッド流演出へのワイルダーなりの、これも「批判的精神」か。

夫の両親の敬虔な信仰心の描写は「失われた週末」で示されたインデアン的なもの(アル中の主人公に唯一、飲み代5ドルを恵んでくれた、飲み屋の娼婦の部屋の入り口にトーテムポールがあった)へのワイルダーなりの関心とつながっているのか。

ワイルダー作品としてはあそびが少なく、ストレートな「批判的精神」に貫かれた「まじめ」な作品。
ワイルダーの主張がそのまま出ているように見える。
だからこそこの作品が「清廉潔白なるアメリカのジャーナリズムへのいわれなき攻撃」だとして批評家に酷評され、観客にも無視されたのだろう。

パラマウントに損失をもたらしたというこの作品は、現在ではワイルダーを語るうえで重要な作品だと捉えられている。