淡島千景と「やっさもっさ」

神保町シアターの「女優魂 忘れられないこの1本」という特集で、淡島千景の「やっさもっさ」が上映された。

神保町シアターの特集パンフレット表紙

原作者の獅子文六自らが「敗戦小説」と名付けた三部作、「てんやわんや」「自由学校」に次ぐ第三弾が「やっさもっさ」。
三部作全作を松竹の渋谷実が映画化している。
淡島千景は「てんやわんや」と本作「やっさもっさ」では主役を務めるなど、三部作全作に出演している。

淡島千景の評伝にしてインタヴュー集「淡島千景女優というプリズム」表紙

獅子文六は戦前にフランスに渡って演劇研究に携わり、帰国後は小説も発表。
戦中、戦後と新聞小説などで活躍。
特に戦後は、戦後社会の混乱やその後の経済成長期の世相や人物像を、ユーモアを交え、風刺的に描いて人気を博した。
上記の「敗戦小説」三部作のほかにも、高度成長期に株でのし上がってゆく、地方出身のエネルギッシュな主人公を描いた「大番」など映画化された原作が多い。

「敗戦小説」について作者の獅子文六は、「戦後の世の中で、腹が立ってしょうがなかったし、書きたいもやもやがたくさんあった」と、その執筆動機を語っている。

「てんやわんや」は戦後出現したアプレガールが、敗戦に意気消沈した男たちに代わって逞しく、華やかに、毒々しく生きる姿を描いた(揶揄した)もので、「自由学校」は戦後の解放された気風を背景に、お互い勝手気ままに生きる夫婦の姿を戦後闇市風景をバックに描いた(揶揄した)もの。
本作「やっさもっさ」は占領軍の置き土産たる混血児の養育院を舞台に、やり手の女性理事長とたくましく生きるパンパンを対比、併せて戦争で腑抜けになった男の姿を描くもの。

三部作を監督した渋谷実は、松竹で小津安二郎、木下恵介と並び三巨匠と呼ばれた存在だった。

渋谷実は現在ではあまりその名を聞かない。
理由は、映画賞を受賞するような作品を撮らなかったこともあろうが、大向こう受けする題材、表現を好まず、喜劇を装った何気ない描写の中に愛すべき人間性を謳う、という作風が後世にアピールしていないように思われるのだ(筆者は渋谷作品は「本日休診」「もず」「モンローのような女」の3本しか見ていなかったので断定的なことはいえないが)。

淡島千景は渋谷監督について「最初に渋谷先生に使っていただいたことがわたしの幸運の初めだと思います。宝塚の後に、私の芸能の道をつけてくださったのは渋谷先生だと思います。」(「淡島千景 女優というプリズム」P99)と感謝の言葉を述べており、この言葉が渋谷実の映画監督としての存在感、影響力、力量を正確に表しているのだと思われる。

渋谷はまた、松竹をレッドパージされた家城巳代治監督の師匠でもあり、のちに数々の名作を撮ることになる家城は生涯渋谷を師と仰ぎ、また渋谷も折に触れ松竹退社後の家城にアドバイスを贈ったという。

「淡島千景 女優というプリズム」より

「やっさもっさ」  1953年  渋谷実監督  松竹

黒白スタンダード。
淡島千景が若い。

26歳で宝塚から松竹入りした淡島は、気が付くと年増のやとな芸者だったり(「夫婦善哉」1955年 豊田四郎)、得体のしれない男どもの間を駆けまわる年齢不詳のご婦人だったり(「貸間あり」1959年 川島雄三)を演じており、要するにおばさんっぽい役が多かった。

時には「麦秋」(1951年 小津安二郎)のように主人公(原節子)の親友役のようなお嬢さん役もあったが、印象的には「駅前シリーズ」で森繁やのり平のアドリブをやり過ごし、受け止める、頼りになる「お姉さんというにはしっかりした年齢の女性」という役が多かった。

文芸春秋社1999年刊「キネマの美女」より
「キネマの美女」淡島千景の評。的を得ている

主役級では淡島千景、わき役では浪速千恵子。
たくさん出演作があって、どれ、という当たり役が浮かばないが(淡島千景には「夫婦善哉」があるが)、出演すれば場面が締まるし、何よりも安心してみていられる女優さん、がこの二人。
親しみがわきすぎて、日本映画にいるのが当たり前の顔、でもある。

「てんやわんや」(1950年)では渋谷監督のもと、セパレートの水着姿で颯爽とデヴューした淡島千景。
本作「やっさもっさ」では、エリザベスサンダースホームをモデルにした混血児のホームの理事長を演じ、パリッとしたスーツ姿で登場する。
後半には、敗戦後の日本をなめた不良外人とダンスしながらよろめいたり、肩もあらわなドレス姿で酔っ払ったりもする。

「淡島千景 女優というプリズム」より

戦後の風潮を背景に「自由で自立した」アプレガールの後日談、との設定の役柄でもあるらしい。
占領時代を背景に、詐欺師の不良外人のほかに、朝鮮戦争に苦しむ米兵、米兵を金づるとしながら混血児のわが子に向ける複雑な感情のパンパンらを相手に、忙しそうに活躍し、時々はよろめく「その後のアプレガール」を実年齢20代の淡島千景が演じる。
混血児ホームという、敗戦の現実がむき出しになった現場を舞台にはしているが、「その後のアプレガール」は都会的で颯爽としており、今時の「上場会社のスマートなOL」風にも見える。

バズーカお時という物騒な仇名のパンパン(倉田マユミ)がいい。
父親の黒人米兵からさらにふんだくろうと、施設に放りこんだわが子に会わせろとホームに怒鳴り込み、ガラスをたたき割る。
いざ、子供に会うと親の愛情に目覚め、米兵が死んだあとは、自分の故郷に連れ帰り、周りのいじめには体を張って我が子を守り抜こうとする気の強さ、逞しさ。
アプレガールの逞しさより、共感を得やすく、なにより根性が入っている。

戦後、外地から帰って腑抜けのようになっている夫(小沢栄)に幻滅する淡島だが、夫はこっそりと英語能力を生かしてパンパンたちのラブレターを代筆してやり、その金で一杯飲んだりしている。
最後は改めて人生出直そうと決心して淡島を抱きとめる。

淡島の先輩で産児制限協会会長の高橋豊子は、今でいうサバサバ・はきはき女。
威勢よく主義を主張し、演説のようにしゃべりまくる。
小津映画では割烹の女将として画面を横切り、一言しゃべるだけのおばさんが、こんな演技もできる人だったとは。しまいには、酔いつぶれた淡島を抱き上げ、おぶって布団まで運んでしまう。
根源的な女性の逞しさが、彼女を通して描かれる。

若き日の山岡久乃はホームのスタッフ役。
その他大勢の役ではなく、ホームのシーンでは出ずっぱりで、外人によろめいた淡島にはきつい諫言をいつもの早口でまくし立てる。

新たに混血児を預けに来る老婆役の北林谷栄(実年齢42歳だが、70歳には見える)は抑えた演技でオーバーアクションなし。
高橋豊子に熱演させ、北林にはほとんどしゃべらせないとは、渋谷実監督ただものではない。

最初は威勢がよく、いわば無意識に「いいとこどり」しようと生きてきた「その後のアプレガール」も、数々の現実、本来の意味での逞しい女達の姿を見て、最初は現実逃避しようとしたものの、やがて覚醒し地道な再生への決心をする、というのが本作品の骨格。

戦後のアプレガールの限界、パンパンとGIが蠢く日本の現状、をリアリズムではなく、被虐でもなく描いた作品。
結果としてしっかり風刺は効いているし、押さえたブラック気味のユーモアが根底に流れている。
パンパンとその息子、腑抜けの日本男児に前向きな希望を感じさせるエンデイングもよかった。

渋谷作品、肩ひじ張って見に行くと肩透かしされるが、淡々として味がある。
「てんやわんや」と「自由学校」も見なくてはなるまい。

神保町シアター特集パンフより

film gris特集より④ ドミトリク、ウルマー、ベリー、エンドフィールド、ワイルダー

シネマヴェーラ渋谷で上映されたfilm gris特集。
1947年から51年に撮られたアメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルムノワールたちの特集。
挙げられた作家は、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ヒューストン、サイ・エンドフィールド、ジョン・ベリー、ジュールス・ダッシン他。

本ブログでは、film gris特集の上映作品から、これまで3回に分けてポロンスキー、ロッセン、ベリー、ロージー、ダッシンの作品について述べてきた。
第4回目の今回は、3回目までに掲載できなかった5作品について述べてみたい。

「十字砲火」 1947年  エドワード・ドミトリク監督  RKO

1947年に始まった米国議会下院の非米活動調査委員のハリウッドに対する公聴会、いわゆるハリウッド赤狩り。
公聴会に証人として喚問されたハリウッド映画人のうち「自身が共産党員であったか」などの質問に対する証言を拒否するなどして、議会侮辱罪で刑事告訴され有罪収監された10人がいた。
彼等はのちにハリウッドテンと呼ばれた。

ハリウッドテンの一人が、若き映画監督のエドワード・ドミトリクだった。
彼は収監中に転向宣言をし、共産党員の仲間の名前を証言した。
結果、彼はハリウッドのブラックリストから名前を除かれ、仕事に復帰できた。

当時、ハリウッドのブラックリストに載った人間が仕事に復帰しようとするには、こうするよりほかに手段はなかった。
映画監督のエリア・カザン、ロバート・ロッセン、脚本家のバット・シュルバーグらが同様に「転向」し、仕事をつづけた。

本作「十字砲火」はドミトリクがブラックリストに載る前に撮った作品。
ユダヤ人差別を批判する作品として知られている。

「十字砲火」の一場面

軍人仲間がバーで飲んでいる間に、一人の軍人と意気投合しホテルの部屋で飲み直していた羽振りの良い男が何者かに殺される。
羽振りの良い男はユダヤ人だった。
退役軍人で現役兵にも影響力のある男(ロバート・ライアン)と、事件を調査する軍曹(ロバート・ミッチャム)、酒場の女、そして警察が登場する。
果たして真相はいかに。

飲み疲れた頭のようによどんだ空気のバーの止まり木と、暗く締め切った警察の尋問室などを舞台に、デスカッション劇のように映画が進む。
回想シーンの舞台は連れ出し飲み屋と女の部屋だ。

登場人物達は真相を知ってか知らずか、胸に一物あるのかないのか。
思い思いに勝手な推測を述べ、自己を弁護し、見ている我々を混乱させる。

回想シーン。
その日ユダヤ人の部屋に招かれた軍人は、酔ったまま部屋を抜け出し女のいる店へ。
出た来た女は、軍人と店を出て自分の部屋へ連れ込むが、そこに別の男が現れる。
別の客であろうその男は「女の夫だ」と名乗るなど、訳が分からなくなる。
見ている我々の頭も酔いで霞んだよう。

連れ出し飲み屋の女に扮するのがグロリア・グレアム。
ニューヨークの演劇出身。
フランク・キャプラの「素晴らしきかな人生」(47年)でデヴューし、主人公の幼馴染で活発で派手目の女友達役(のちに主人公の幻想シーンでは、すさんだ故郷であばずれの商売女に落ちている)として映画デヴュー。
ニコラス・レイの「女の秘密」(49年)ではスター女優の足元をすくおうとする若い付き人を、「孤独な場所で」(50年)では苦悩する良人をあざ笑うかのような冷たい妻を演じた。

一癖もふた癖もあるその美貌は、スクリーン上の悪女役で生かされただけでなく、実生活でも夫だったニコラス・レイを苦しめ、離婚したのちになんとレイの連れ子(グレアムにとって義理の息子)と結婚し2児を生むなど、奔放なを極めた。
単なる悪女役というより、すさんで捨て鉢な演技をすると光る女優で、家庭的なキャラとは対極にあったがそれが魅力だった。

さて、映画は迷宮に迷い込んだまま、悪夢として終わるのかと思いきや、ユダヤ人蔑視の退役兵が犯人だとわかって終える。
混迷のドラマに無理やり結末をつけたようなエンデイングだが、どうやらユダヤ人差別批判の主題のため犯罪劇をくっつけたというのが、この映画の構成だったよう。
だが、取ってつけたような差別批判に納得性が乏しく、むしろ一人のサイコパスの犯罪劇として完結していれば、悪夢のような展開のノワール劇として成立したのにと思わせる。

なお、作品中でロバート・ライアン扮する人物に対し「サイコパス」という表現が使われており、この時代からすでに異常性格の一種として認識されていたことがわかる。

一方で、人種差別者をサイコパスにしたことがこの映画の主題をあいまいにしたのではないか。

悪女の代名詞グロリア・グラハムの若き姿を拝めたのは価値があった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「野望の果て」  エドガー・G・ウルマー監督  1948年  イーグルライオンプロ

エドガー・G・ウルマー監督もオーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人の一人。
戦前のドイツ時代から映画人のキャリアをスタートさせており、ジンネマン、ワイルダー、シオドマクらによる戦前のベルリンの日常を描いた「日曜日の人々」(1930年)にも参加している。
渡米後はイデッシュ後の映画製作にかかわり、またハリウッドでは数々のB級ホラー作品を監督するが「恐怖の周り道」(1945年)がカルト映画として今に残る。

本作「野望の果て」は、ウルマーが独立プロでB級作品を連発していたキャリア中盤の作品。
「恐怖のまわり道」以外見る機会が少ないウルマー作品に接する貴重な機会でもあった。

「野望の果て」はB級ながら、正統派の大河ドラマのような構えの作品。
ノースターながら、ザカリー・スコット(ルノワールの「南部の人」に主演)や相手役の清純派ダイアナ・リンらが堂々たる演技を見せる。

全編を通しての夢の追想のような幻想感は、同じくヨーロッパ脱出ユダヤ人組のマックス・オフュルス監督の名作「忘れじの面影」(1948年)を、また少ない予算を駆使したであろう豪邸のパーテイシーンでは、オフュルスの「快楽」(1952年)、「たそがれの女心」(1953年)の夢のような舞踏会シーンを、一瞬思い出させる。

シネマヴェーラの特集パンフより

ユダヤ人として生まれ、金持ちの娘(ダイアナ・リン)を救ったことから一家の援助を受け進学する主人公(ザカリー・スコット)。
次第にパワーゲームに目覚め、世話になった一家と娘を裏切りながら、株の世界でのしてゆく。
富豪となった後の孤独感は、虚業の世界で富のみを追求し、他人を裏切り続けた代償。
富を得ることにのみによっては、被差別民のルサンチマンの昇華にはならない。

富豪となった主人公の前に、裏切って捨てた娘とうり二つの若い女性(ダイアナ・リン二役)が現れ、改心した主人公が、その人生で隠し続けた真心を吐露する、が時すでに遅し。
虚業に人生をささげた嘘の男が滅亡してドラマが終わる。

自らもユダヤ人であるウルマー監督の自省の念も入っているのか?
普遍的な人生訓なのか?
きれいごとでは決して済まない人生の流れの中で、唯一変わらぬ清い心と姿を表現したダイアナ・リンが忘れられない。

「テンション」  1949年  ジョン・ベリー監督  MGM

真面目一筋の夫(リチャード・ベースハート)を翻弄し、わがまま一杯の欲望妻(オードリー・トッター)が成金の浮気相手と海でバカンス。
そこへ乗り込む夫を成金は妻の前で殴って撃退。
夫は別の人物に成りすまして成金に復讐しようとするが、直後に成金は不審死。
浮気相手が死ぬとしれッと夫のもとに帰る妻。
事件の真相を暴く刑事は、妻を誘惑してまで違法ぎりぎりの捜査を行う。

シネマヴェーラの特集パンフより

犯罪映画とはいえ、夫、妻、刑事と極端な人物ばかりが登場するノワール劇。

成金の男の海辺の別荘で水着で寝そべるオードリー・トッターの浮気妻ぶりが色っぽい。
根っからの悪女度では「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)のラナ・ターナーには負けるが、「魅力があるうちに高く買ってくれる男に自分を売って何が悪いのよ」とでも言わんばかりの、そこら辺にいそうな欲望妻感が出ていて適役。

この妻を上回る破壊度なのが刑事役の男優。
ジャック・パランスのように癖のある風貌で手際よく捜査を進める。
手練手管の汚れた刑事だが、疑惑の対象を浮気妻と定め、誘惑して関係を持ちながら追いつめてゆく。
この刑事の前では、浮気妻も哀れな子羊だ。

浮気妻に扮するオードリー・トッターが登場するカットでは必ずポワーンとしたお色気BGMがかかる。
ハリウッド流手法でアメリカ製のテレビドラマなどでもよくつかわれた古い演出方法だ。
これがオードリー・トッターにぴったりはまる。

一方、夫が変装しているときに出会う女性(シド・チャリシー)は、純情で真面目に描かれる。
シド・チャリシーはリタ・ヘイワースに似ているグラマーだが。

貞淑であるべき妻を欲望にまみれた存在に描く、という手法はノワールそのもの。
「貞淑な妻」に象徴される「健全な社会」の裏側を暴くという意味での社会批判を陰のテーマとした作品ともいえる。

A級作品ではないが、MGM系列の穴埋め番組としては上出来。
「その男を逃すな」同様、ジョン・ベリー監督の手堅い手腕が見られる。

「群狼の街」  1950年  サイ・エンドフィールド監督  

赤狩りでハリウッドを脱出したエンドフィールド監督作品。

無名キャスト、ロケの多用、遊びのないリアリズム、アメリカ社会のポピュリズム批判、弱者への視点、などまさにfilm grisの要件を満たした作品。

シネマヴェーラの特集パンフより

失業した主人公。
妻は心配し家庭は困窮する。
不景気の時代でも調子よく詐欺や強盗で世を渡る者はいる。
誘われてそんな男の運転手となる主人公。
金には困らなくなるが、いったん入った悪の道から抜けることはできない。

事件を騒ぎ立てる煽情的なジャーナリズムが描かれる。
「群衆」(1941年)、「市民ケーン」(1941年)、「地獄の英雄」(1951年)と映画で告発され続けれるアメリカ社会の宿痾である。

ラストはジャーナリズムによってあおられた群衆の暴動で監獄が破られ、囚人たちは主人公を含めてリンチを受け押しつぶされる。

日本の左翼独立プロの作品のように、無名の俳優を使って、ドキュメンタルに淡々と撮られた作品。
余計なエピソードなどはないので、ストレートに社会批判のテーマが迫ってくる。

「地獄の英雄」  1951年  ビリー・ワイルダー監督  パラマウント

「深夜の告白」(1944年)をヒットさせ、「失われた週末」(1945年)でアカデミー賞を受賞したビリー・ワイルダーはパラマウントでは好きなようにふるまえたという。

「サンセット踊り」(1950年)はワイルダーらしく悪意に満ちたハリウッド内幕もので、スニークプレヴューでは観客の嘲笑を浴び、試写を見たMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーを激怒させたものの、批評では絶賛を浴びた。

この「サンセット大通り」は、犯罪映画の体裁を取りながら、過去の栄光にすがる往年の大女優の妄執ぶりを正面から描いた作品で、彼女の夫だった往年の大監督で今は執事として彼女の下着を洗っている、という役をエリッヒ・フォン・シュトロハイムに演じさせ、「蝋人形のような」と劇中でナレーションされる老俳優役にバスター・キートンなどを実名で登場させる。

シュトロハイムはオーストリアハンガリー帝国出身のユダヤ人であり、人種的にもハリウッドでのキャリア的にもワイルダーの大先輩なのに。

大女優役のグロリア・スワンソンはこの時すでに実業界で成功しており、往年の大女優の妄執を演じるにしても、うらぶれた感じよりも、実像から滲み出す美貌と余裕が感じられたものの、役名の「ノーマ・デズモンド」にもワイルダーの細かな悪意が感じられた。

「ノーマ」はMGMのラストタイクーン、アービング・サルバーグの妻、ノーマ・シアラーからとったと思われ、「デズモンド」は、1920年代に愛人だった清純派女優に殺された?スキャンダルの主人公、ウイリアム・デズモンド・テイラー監督からとってはいないか?
だとするとワイルダーの「ハリウッド帝国」に対する寒々しい悪意と嘲笑がにじみ出たネーミングにならないか。

「ノーマ」については、1920年代にスワンソン、メリー・ピックフォードと並び称されたノーマ・タルマッジからの援用なのかもしれない。
ノーマ・タルマッジは夫のジョージ・スケンクがユナイテッドアーチスツの社長だったのでチャップリンとのつながりがある。
さらにノーマの妹ナタリーはバスター・キートンと結婚している。
「サンセット大通り」でのワイルダーのチャップリンとキートンへのこだわり(揶揄)からして、「ノーマ」の出典は、タルマッジなのかもしれない。
いずれにせよワイルダーの「ハリウッド帝国(村)」に対する皮肉・嘲笑が込められたネーミングである。

また、サイレント時代に実際に大監督といわれ栄華を極めたシュトロハイムが自己そのもののパロデイ役を演じるなど、人をバカにしたといおうか、弱い者いじめめいた内輪ネタにもほどがある配役。

しかもシュトロハイムは未完に終わった「クイーンケリー」(1929年)で、製作・主演にあたったスワンソンと揉め、彼女に大損害を与えた過去がある、との因縁まであるのだから何をかいわんや。

もっとも映画とは本来「見世物」であり、題材はアクション、犯罪、スリラー、エロ・グロ、ゴシップなどが受ける。
「サンセット大通り」は、ハリウッドのゴシップである「内輪ネタ」を題材に選び、グロ寸前の味付けを施した際どい企画で観客受けと批評家受けを狙う、という意味ではワイルダーの作戦勝ちでもあるのだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

ワイルダーの毒にまみれた「サンセット大通り」の次作が「地獄の英雄」。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーが監督し、ロシア系ユダヤ移民の両親のもとニューヨークの貧民街で生まれ育ったたカーク・ダグラス(1989年に邦訳が出版された自伝が「くず屋の息子」)が主演するドラマである。

この作品ではワイルダーの切り札「ハリウッドの内輪ネタ」は影を潜め、その毒はアメリカ社会のポピュリズムと煽情的なジャーナリズムに向けられる。
原作ものの映画化が多く、原作の力を借りて才能の枯渇を補っていたワイルダーには珍しく、オリジナルとはいえないまでも、実話からヒントをもらっただけの企画であることもポイント。

ニューヨークの売れっ子新聞記者だったダグラスが、アル中と上司の妻を寝取る癖により解雇され、ニューメキシコへと流れつく。
持ち前のはったりで地元新聞の記者職にありつくが退屈でしょうがない。

ある時にガラガラヘビ退治の取材に赴く途中で、インデアンの墓場で聖なる山といわれる場所で落盤があり、山の麓で土産物屋を営むインデアンが生き埋めとなっている現場に出くわす。
さあ、ダグラスの腕の見せ所だ。

あることないことでっち上げ、救出作業を遅らせて現場を仕切り、煽情的な記事と写真を送稿するダグラス。
現場には物見高い群衆であふれ、出店や遊園地まででき始める。
全国の新聞社が集まってくる。
現場を独占支配するダグラスの狙いは特ダネを全国紙に売りつけてのニューヨーク復帰だ。

毒々しくも空しいジャーナリズムの「売れてナンボ」の世界をカーク・ダグラスの、非情で狡猾な演技を通して描く。
「どこを切ってもカーク・ダグラス」にしか見えない、エネルギッシュにして暑苦しい演技ではあったが。

返す刀で、ニューメキシコの田舎町の汚職しか考えていない保安官や、流れ着いてインデアンの夫と結婚したものの土産物屋暮らしが嫌でしょうがないダンサー崩れの妻(ジャン・スターリング)のけだるさを描きこむのがワイルダーのスキのなさ。

夫が埋まっているのをいいことに、田舎を脱出しようとダグラスに迫る妻に、ダグラスの平手打ちが飛ぶ。
とりあえず男女はくっつけようとするハリウッド流演出へのワイルダーなりの、これも「批判的精神」か。

夫の両親の敬虔な信仰心の描写は「失われた週末」で示されたインデアン的なもの(アル中の主人公に唯一、飲み代5ドルを恵んでくれた、飲み屋の娼婦の部屋の入り口にトーテムポールがあった)へのワイルダーなりの関心とつながっているのか。

ワイルダー作品としてはあそびが少なく、ストレートな「批判的精神」に貫かれた「まじめ」な作品。
ワイルダーの主張がそのまま出ているように見える。
だからこそこの作品が「清廉潔白なるアメリカのジャーナリズムへのいわれなき攻撃」だとして批評家に酷評され、観客にも無視されたのだろう。

パラマウントに損失をもたらしたというこの作品は、現在ではワイルダーを語るうえで重要な作品だと捉えられている。

film gris特集より③ ハリウッド時代のジュールス・ダッシン

ジュールス・ダッシンも赤狩りのブラックリストに挙げられた映画監督。
1951年にアメリカを離れ、以降ヨーロッパで映画を撮り続けた。

ロシア系ユダヤ人移民としてアメリカで生まれたダッシンは、イデッシュ語演劇の俳優などを経て1940年にハリウッド入り。
1944年から1950年までアメリカ国内で映画を撮り、なかでも「裸の町」(1948年)はセミドキュメンタリータッチの犯罪映画の原点ともいわれる作品だった。

ヨーロッパに渡って4年後の1954年、フランスで「男の争い」を撮りカンヌ映画祭で話題になる。
同年、ギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会い、以降メリナ主演で「宿命」(57年)、「掟」(58年)を撮る。
1960年にはメリナ主演、ダッシン助演で「日曜はダメよ」を撮り、アカデミー主演女優賞などを受賞した。

1971年刊のメリナ・メルクーリ自伝「ギリシャわが愛」表紙

手許にダッシンのヨーロッパ時代の盟友にして妻であるメリナ・メルクーリの自伝がある。
「ギリシャわが愛」と題した自伝で、彼女の少女時代から、演劇を志し、数々の恋人、友人らと出会った青年期。
映画に進出し、ダッシンに出会い行動を共にする壮年期に至るまで、を彼女らしい自由な感性のままにつづったもの。

「世界で私のもっとも愛するギリシャ」の書き出しで始まるこの自伝には、戦中戦後のギリシャ国内の混乱と1966年に起こった軍事クーデターという時代の流れと、祖国を愛するがゆえに歯に着せぬ言動を続けるメリナの姿があふれ出る。
彼女は軍事政権から国籍はく奪されながらも、ダッシンとともにアメリカで舞台に、自由を訴え続ける(自伝の出版後、軍事政権が崩壊し、メリナは祖国に帰還する)。

自伝より、ダッシンについての章

自伝には、1954年のカンヌ映画祭でのダッシンとの出会いの様子が。
また、当時のアメリカ国内の反共ヒステリーの様子が活写されている。

ダッシンについて
「ハリウッドのブラックリストにのった人物と知っていたから、いかにも被害者面をし、悲痛な雰囲気を漂わせた男とばかり思っていた(中略)五年間というもの全く干されてきたこの男は、陽気で、楽天的で、弾むような精神の持ち主だった。」(自伝P136)

赤狩りについて
「1947年、ハリウッドが共産主義者の巣窟として攻撃され、非米活動調査委員会はハリウッド映画にはアカの宣伝が含まれていると決めつけた。この知らせにヨーロッパの人々は腹を抱えて笑ったものだった。けれどもその笑いは長くは続かなかった。アメリカ映画は屈服し、崩壊したのである。」(自伝P137)

何という生き生きとした情景描写であり、また歯に衣着せぬハリウッドに対する評価であろうか。
まさに自由人メリナ・メルクーリの面目躍如の一節であり、興味深い。

「日曜はダメよ」で共演したメリナとダッシン

上映中のシネマヴェーラ渋谷のfilm gris特集では、ハリウッド追放前(メリナとの邂逅前)の貴重なダッシン作品が上映された。

シネマヴェーラの特集パンフより

「真昼の暴動」 1947年  ジュールス・ダッシン監督  ユニバーサル

原題は「Brute Force」。
囚人の脱獄ドラマであるから、囚人の野獣性を表す命名かと思いきや、「野獣」は、実は刑務所の看守長に象徴される権力側の本質であった、というもの。

反体制志向とヒューマニズムに貫かれた作品ながら、虐げられる側の怒りを強烈にフィーチャーした作品でもある。
主演のバート・ランカスターをはじめ、囚人役たちの演技からは、その不屈さ、強さ、やさしさが立ち上っており、ゆるぎない精神性が表れている。

シネマヴェーラの特集パンフより

看守長役のヒューム・クローニンは、無表情で小柄、職務に忠実な役人風。
だが実像は己の欲望にのみ忠実なサデイスト。
何やらナチス系の悪役をほうふつとさせる存在。
看守長を取り巻く、刑務所長や役人などが、そろいもそろって優柔不断だったり、己の栄達のみを考え、悪を助長する小役人キャラであることも、ナチス台頭時のイギリス他列強首脳の優柔不断な対応を思わせる。

権力側がそのように悪質で強力な場合、虐げられる側はえてして弱く、善良に表現されることが多いが、どっこいこの作品では、囚人側もランカスターに象徴されるように、不屈で逞しくゆるぎなく描かれているので、全編緊迫感に満ち、決闘アクションもののようにスリリングに映画が進む。

緊迫感が高まるに任せ、ラストまで突っ走るこの作品は、ランカスターの怒りが看守長を叩き潰すまでを「痛さ」を伴った痛恨の画面を通して描き切る。
が、観客にカタルシスをもたらすアクションの爆発はすぐに終わる。
囚人たちの爆発は確かに第一の敵である看守長を叩き潰しはした、が、同時にランカスターもやられ、鎮圧される。

これだけの暴動があっても鎮圧後は何事もなかったかのように刑務所(体制)は続く場面で映画は終わる。
体制とは、権力とは、決して俗人的なだけのものではなく、虐げられる者たちの反発だけでは決して揺るがないものだというように。

ダッシン初期のヒット作で、その映画的サービス精神、馬力、緊張感が全面に満ちた傑作。
ランカスターにとっては「不屈の男らしさ」という後々までの俳優としてのキャラを確立した作品。

囚人の一人の回想シーンに出てくるのが、ロバート・シオドマク監督の「幻の女」(1944年)、「容疑者」(1945年)、「ハリーおじさんの悪夢」(1945年)に出ていたエラ・レインズ。
シオドマクのノワール調の映画では、訳アリの悪女っぽい役柄で印象的な女優さんだった。
この作品では、妻のために不正経理を行った真面目な囚人の若妻役で一場面だけ登場する。

「裸の町」 1948年  ジュールス・ダッシン監督  ユニバーサル

裸の町とはニューヨークそのもののこと。
活気にあふれ、猥雑で腹黒く、勝ち組負け組に分かれるが、時代の先端を行き魅力的な街のこと。

「真昼の暴動」に続いてジュールス・ダッシンを監督に起用した製作者のマーク・ヘリンジャーのナレーションで始まるこの作品。
「今までの映画とは違います。スタジオではなくニューヨークで全編ロケして作りました」との口上が述べられ、セミドキュメンタリーと銘打ったこの作品が始まる。

街の雑踏、地下鉄駅、夜のとばり、夜間も稼働する工場、早朝の新聞社など、ニューヨークの実写が続く。
続いて、窓越しの遠景ショットで、ある夜のある部屋での殺人事件が窓越しに映し出される。
あっという間にドキュメンタリーからドラマに移行していたことに気づかされる。

ドラマが語られる間も、ロケ撮影を多用し、街の住民たちを巻き込んでのゲリラ的撮影が行われる。
当時としては画期的な手法である。
今見ると、街頭ロケのやり方などはおとなしく、むしろドラマ部分の劇的興奮の方が印象的に感じるが。

シネマヴェーラの特集パンフより

戦争当時はヨーロッパで従軍していた新人刑事(ドン・テイラー)と海千山千のベテラン刑事(バリー・フィッツジェラルド)のコンビが絶妙。
わき役の刑事たちの生活感もすごい。

新人刑事の家庭では不在気味の旦那に不安を募らせる新妻の様子も描かれる。
人物描写もセミドキュメンタリータッチなのだが、ここら辺にこの作品の価値がある。

徹底した足で稼ぐ捜査。
ベテラン刑事の的確な指示と、四の五の言わずに足を動かす新人刑事。

カメラも俳優と一緒に街へ飛び出してゆく。
犯人を追いかけるシーンのロケでは通行人が走る俳優を避け、また振り返る様子が捉えられる(隠し撮りではあるが、路上のおそらく車中から撮られていたり、建物の階上からの俯瞰ショットで撮られている)。

「仁義なき戦い」シリーズの、街頭の通行人を巻き込んだかのようなゲリラ撮影のカットを思い出す(こちらは俳優のアクションを通行人がいる路上で、手持ちの隠しカメラによって撮影しており、驚き避ける通行人の姿が生々しくとらえられる。後日制作者は警察に呼ばれさんざんに絞られたという)。

犯人を追いつめる終盤では、地下鉄の高架下をパトカーが追いかけるカットが鉄橋の真上から撮られる。
「フレンチコネクション」(1971年 ウイリアム・フリードキン監督)の1シーン、ジーン・ハックマンが地下鉄に乗った犯人を、信号無視で鉄橋の下を追走したスリリングな名場面の、これが原典だ。

街角で遊ぶ女の子、ハドソン川にかわるがわる飛び込む少年たち。
街角には女性が颯爽と歩き、今ではクラシックカーと呼ばれるアメ車が走り回る、馬車も現役で働いている。
ニューヨークの実景が活写され、単なるつなぎカット以上の効果を挙げている。

主役をニューヨークとし、その懐で右往左往する人間を描いた作品。
どこを切ってもニューヨークが顔を出す中で、ドラマ部分がスリリングで、サービス精神満点。
正義が貫かれ、馬力があり、すっきりした結末を迎えるドラマ作りはダッシンらしくていい。

1948年当時のニューヨークの風景からは富と余裕が感じられる。

「街の野獣」  1950年  ジュールス・ダッシン監督   20世紀FOX

ハリウッドの赤狩り騒動でブラックリストに載ったダッシンが、イギリスで撮った作品。
ロンドンを舞台にしたノワール作品だが、配役はハリウッドのA級ランク(予算はB級だろうが)。
監督としてのダッシンの評価がすでに定まっていることがうかがえる。

ロンドンの貧民街で詐欺を生業にしているチンピラ(リチャード・ウイドマーク)が追っ手から逃げ回るシーンで始まる。
チンピラには正業時代に結婚を誓った女(ジーン・ティアニー)がいる。
サッカーくじの借金取りである追っ手から逃げ回ったチンピラは女の部屋に逃げ込み、5ポンドを借りて借金を払う。
女は男との結婚を夢見ながらキャバレーで働いている。

ジーン・ティアニーは、「タバコロード」(1941年)、「ローラ殺人事件」(1944年)をはじめ「哀愁の湖」(1945年)、「幽霊と未亡人」(1947年)に出演したA級スターだ。

シネマヴェーラの特集パンフより

チンピラはひょんなことからかつての強豪プロレスラー(スタニスラフ・ズビスコ)に気に入られ、ロンドンのプロレス興行権に手を出す。
プロレス興行はボクシング以上にプロモーター(≒やくざ)の利権(≒シノギ)。
素人やチンピラが手を出せるものではないが、強豪に気に入られている(プロモーターは強豪の息子でもある)というただそれだけで、リンチと抹殺を保留され、調子に乗るチンピラ。

強豪レスラー役のズビスコはプロレス史上のレジェントで、プロレスが真剣勝負だった時代にグレコローマンスタイルで一世を風靡し、1925年には当時当たり前となりつつあった「筋書」のあるプロレスのタイトルマッチで掟破りの勝利をするなど、リアルなセメントレスラーとしてファンの人気を集めていた。
「街の野獣」出演当時は引退していたが、映画での役柄通り、ショーマンスタイルのプロレスを嫌悪する伝説のレスラーだった。

前作「裸の町」では、殺人の下手人がプロレスラーという設定で、トレーニングのシーンもあり、ダッシンのプロレスに対する興味のほどがうかがえたが、本作では重要なわき役として伝説のプロレスラー(ズビスコ)を起用。
トレーニングシーン、けいこ場でのセメントマッチのシーンに長時間の尺を取っている。

プロレス興行からも締め出され、当然の落とし前として惨殺され川に捨てられるチンピラを、若いウイドマークがシャープな動きで熱演。
可哀そうなだけのジーン・ティアニーには、秘かに彼女を思い続けていたアパートの真面目な若者と結ばれるエンデイングが用意される。

ロンドンの下町の光と影。
乞食たちを束ねるくず拾いの親玉。
バッタ品専門の故買業者の女。
嫌がる女を情婦に囲い続ける太ったキャバレー経営者。
チンピラを誘惑して情夫から逃げようと計るやり手女。

そろいもそろって癖のありすぎるキャラクターが蠢き回る。
悲惨なはずの彼等からは、同時にユーモラスな人間味も感じられるのは監督ダッシンの持ち味か。
「真昼の暴動」のルサンチマンの暴発や、「裸の町」のような徹底したリアリズムは影を潜め、スターシステムにのっとったノワール風ギャング映画の色合いが濃い。

製作はサム・スピーゲル(作品クレジットはS・P・イーグル名)。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、のちに「アフリカの女王」(1951年)、「戦場にかける橋」(1957年)、「アラビアのロレンス」(1962年)を製作したひと。
50年前後にはオーソン・ウエルズ(「ストレンジャー」(46年))やジョセフ・ロージー(「不審者」(51年))などメジャーでの起用が忌避されていた監督を起用していた。
またエリア・カザン監督バッド・シュルバーク脚本で「波止場」(1954年)を製作した。

本作での2大スターのキャステイングや、20世紀FOXの配給(=出資)を勝ち取ったのは製作者スピーゲル(イーグル)の功績であろうがこの映画、実情は、ブラックリストの監督を起用し、イギリスの貸しスタジオでハリウッドスターをプロデユーサーの腕力で招集して撮影された、いわば独立プロ作品、ということなのだろう。
ハリウッドで最後にダッシンに手を差し伸べたのが、スピーゲル(イーグル)ということになる。

本作でハリウッド(イギリスでの撮影だが)での活動を終えたブラックリスト上のダッシンにはこの後、仕事のオファーはもちろんなく、またハリウッド関係者は、映画祭などでも彼と一緒に写真に写ることを避けたという。

ヨーロッパに脱出したダッシンが、「男の争い」でカムバックし、また盟友にして妻となるギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会うまでにはこの後4年の時が必要だった。

film gris特集より② ジョセフ・ロージー初期作

ジョセフ・ロージーは舞台演出家出身のアメリカ人映画監督。
ユダヤ人ではない。
左翼系演劇時代にはドイツから亡命中のベルナルド・ブレヒトとも協働したという。

制作者ドーリ・シャリーの引きでハリウッドに渡り、「緑色の髪の少年」で映画デヴュー。

シャリーはMGMを皮切りに、セルズニックプロ、RKO、ふたたびMGMと渡り歩いたプロデユーサーで、「少年の町」(1938年)、「らせん階段」(1946年)、「十字砲火」(1947年)、「二世部隊」(1951年)、「日本人の勲章」(1955年)などを手掛けた。
中でも、当時(今でも)マイナーな存在の日系人とその差別問題をさりげなく取り上げた「二世部隊」「日本人の勲章」はユニークなテーマ性を持っており、シャリーの特性を表している。
進歩的映画人に寛容なシャリーが、左翼のジョセフ・ロージーにデヴュー作を撮らせることになる。

ジョセフ・ロージー

ロージーは、ハリウッドで5本ほど監督(「緑色の髪の少年」(48年)、「暴力の街」(50年)、「M」(50年)、「不審者」(51年)、「大いなる夜」(51年))するが、1951年非米活動調査委員会の影響によりブラックリストに載り、アメリカを脱出。
以降イギリスを本拠にヨーロッパで活動し、最後までハリウッドには戻らなかった。
代表作に「エヴァの匂い」(1962年)、「できごと」(1967年)、「恋」(1970年)など。

ビスコンテイやベルイマンと同じく舞台演出家としても高名なロージー作品には、ジュリー・クリステイー(「恋」)やアラン・ドロン(「暗殺者のメロデイ」(72年)、「パリの灯は遠く」(76年))、ジェーン・フォンダ(「人形の家」(73年))などのスターが出演することでも知られた。

シネマヴェーラ渋谷のilm gris特集では、ロージーの貴重なハリウッド時代の作品が取り上げられた。

「緑色の髪の少年」 1948年  ジョセフ・ロージー監督  RKO

戦争孤児で親戚のおじさんと暮らす少年の髪の毛が緑色に変わった。
少年は仲間にいじめられて家出する。
緑色の髪は戦争の悲惨さに対し人々に注意を向けさせるための象徴だと気づいた少年は町に戻り、人々に説くが、人々は受け入れない。

戦後すぐに起こった核実験や反共の嵐。
時代に流されて疑問を感じない人々。
これらへの警鐘をテーマとした反戦寓話。
緑色の髪の毛を表現する意味もあり、カラーで撮られた。

おじさん役のパット・オブライエンと少年

ナイーブなテーマと平板な造りに初々しさを感じるジョセフ・ロージーのデヴュー作。

少年のおじさん役のパット・オブライエンが味のある演技を見せる。
髪の色が変わった少年を精神医学的に分析する博士にロバート・ライアンだが、性格上特色のない役でロバート・ライアンを使うのはもったいない感じもした。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

映画的興奮と過度なテクニックの使用を避け、淡々とした描写に徹するロージーの持ち味がデヴュー作で早くも発揮されているのが興味を引く。

シネマヴェーラの特集パンフより

「不審者」 1951年 ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

ロージーの長編4作目。
力のこもった一編に仕上がっている。

サイコパス気味の警官(ヴァン・ヘフリン)が、夜を一人で過ごす人妻(イヴリン・キース)にほれ込み、パトロールがてらの訪問を繰り返す。
偶然二人が同郷だったことなどから打ち解け、警官の手練手管もあって二人は恋人関係に。

警官はパトロール中の事故を装い、人妻の亭主を射殺。
裁判で無罪を勝ち取り、人妻と結婚する。

ここら辺から二人の力関係が変わってゆき、予定外の妊娠から完全犯罪がばれるのを防ぐために、砂漠の廃墟に逃げ込んむ頃には、開き直って堂々とする女と、嘘にうそを重ねようとあたふたとする男と、二人の心理的状況が逆転する。

「不審者」の一場面。砂漠の廃墟で出産を待つイヴリン・キースとヴァン・ヘフリン

全体を通して芸達者なヴァン・ヘフリンの一人芝居ともいうべき演技力に支えられている。
好人物役が多いヘフリンだが、サイコパス気味の役も上手に演じ、悪徳警官の小悪党ぶりから、自滅に向かうあたふたぶりまで大車輪の演技を見せる。

監督であるロージーの関心は、サイコパスによる犯罪映画にあるわけではないので、途中からヘフリンの異常ぶりは薄められ、「ひょっとして人妻に横恋慕しただけの小心な小悪党」だったのか、と思わせる。
むしろ土壇場での「開き直った強い女心」の潔さ、あるいは「不正は正直な正義の前には所詮無力」であることを描きたかったのか。

夜のシーンが多く、光と影を塩梅した撮影が秀逸で、一見サイコサスペンス調の映画でありながら、平凡な人物の奥底に潜む異常性と小心さとその破滅を描いた作品。
力がこもるのは演じる役者であり、作る側は淡々としてクールに人間性を描くというのがロージーらしい。

シネマヴェーラの特集パンフより

「大いなる夜」 1951年  ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

この作品を最後にハリウッドのブラックリストに載ったロージーがアメリカを離れることになる、上映時間73分の中編。

都会の下町のバー。
17歳の主人公が尊敬する父がマスター。
父は離婚している。

主人公の17歳の誕生日。
父はバースデーケーキを作ってくれた。
その夜に新聞記者をやっている街のボスがバーにやってきて、父をステッキで殴り倒す。
黙って耐える父。
主人公は耐えきれず、ボスへの復讐を誓って夜の街をさ迷う。
バーの引き出しにあった拳銃をもって。

夜の歓楽街で見知らぬ大人と仲良くなったり、女性と初めてのキスをしたり、ボスに詰め寄って拳銃が暴発したり。悪夢で始まった少年の一夜は、迷宮のような大人の世界に翻弄される。

突然降りかかった不条理な悪夢は、当時の反共の世相の恐怖感を反映したものか。

権力の象徴としてのボスの存在。
少年が交わる大人の世界の猥雑さ、権力者へのスリより、手のひら返しは、世間一般の頼りなさ、ご都合主義を表しているのか。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

主人公の少年のナイーブさ、頼りなさ、解決能力のなさは、現実的なロージーの世界観を反映しているのか。
ショッキングな設定ながら、地味に淡々とした描写に終始するところがロージーらしい。
彼が求めるのは映画的テクニックによる興奮ではなく、役者の演技を通しての熱量なのだろうから。

シネマヴェーラの特集パンフより

film gris特集より① 赤狩りとジョン・ガーフィルド

ジョン・ガーフィルドは1940年代に活躍した映画俳優。
ロシア系ユダヤ人としてニューヨークに生まれ、幼くして母を失い、一家離散のまま貧民街で育った。
10代の時、のちのアクターズスタジオとなるシアターグループに参加し演劇への道に入る。

舞台で人気が出た後、ワーナーブラザースにスカウトされ、1938年に映画デビュー。
ヒット作がなくこの間の代表作は、デビュー作の「四人の姉妹」(1938年)を除けば、MGMにレンタル出演となった「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)などにとどまる。

1946年、独立して自身のプロダクション、ロバーツプロ(ガーフィールドのマネージャーであるボブ・ロバーツをプロデユーサーとする)を立ち上げ、独立プロのエンタープライズと提携。
すでにハリウッド入りしていた共産党系映画人たち、エイブラハム・ポロンスキー、ロバート・ロッセンらと組んで作った「ボデイアンドソウル」(1947年)や次回作の「悪の力」(1948年)が生涯の代表作となる。

1951年の「その男を逃すな」が遺作となり39歳で没。
心臓発作が死因といわれるが、1951年の非米活動調査委員会(通称:ハリウッド赤狩り)に証人喚問されたことなどによる心労が遠因だった。

1951年、非米活動調査委員会にて証言するガーフィールド

シネマヴェーラ渋谷で2023年末から新年にかけて上映された「film gris」特集は、1947年から51年にかけて製作された「アメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルム・ノワール作品」を集めてのもので、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ベリー、サイ・エンドフィールド、ジュールス・ダッシンなどの監督作品がピックアップされた。
いずれの作家も、赤狩りの証人喚問を受けたり、ブラックリストに載って干されたり、海外へ脱出するなど、非米活動調査委員会による迫害を受けた人物である。

この特集で、ジョン・ガーフィールドの出演作品も4本ほど上映されており、当該作品の監督、脚本は多くが喚問を受け、ブラックリストに載り、のちに亡命するなどした映画人たちである。

ガーフィールド自身は、非米活動委員会における証人喚問において、自身の共産党入党の事実や共産党に対するシンパシーを全面否定し、また仲間の活動歴について全く知らないと証言はしたものの、当時別居状態ではあった妻が共産党員であるなど、演劇時代からハリウッド時代に至るまで、共産党員やそのシンパとの深いつながりがあったのは事実だった。

赤狩り時代に、証人喚問され、またブラックリストに載った映画人が実名で仕事をし続けるためには、共産党員もしくはシンパの仲間を告発するしかなかった(エドワード・ドミトリく、エリア・カザン、ロバート・ロッセンらのちの有名監督が仲間を告発し「転向」した)。

ジョン・ガーフィールドは仲間を売らずに、永遠に自らの実名(芸名)を映画史に残すことができた。
自らの死によって。

シネマヴェーラ渋谷でのfilm gris特集ポスター

「ボデイアンドソウル」 1947年  ロバート・ロッセン監督  ユナイト

エンタープライズプロ製作(ユナイト配給)によるボクシング映画のレジェンドにして金字塔。

本作の監督はロシア系ユダヤ人としてニューヨークに生まれ演劇人として活躍。
演出した舞台を映画監督のマービン・ル・ロイに認められてハリウッドにスカウトされた、ロバート・ロッセン。

原案・脚本は同じくロシア系ユダヤ人として薬剤師の親の元、ニューヨークに生まれ、小説家志望ながら弁護士の資格も持つ共産党員のエイブラハム・ポロンスキー。
彼は戦時中に書いた小説を読んだパラマウントからスカウトされハリウッドにいた。

ハリウッドで寄寓を得た才能ある左翼のユダヤ人たちが、結果としての転向(ロッセン)、追放(ポロンスキー)、自死(ガーフィールド)を迎えるまでのつかの間に産んだ貴重な傑作「ボデイアンドソウル」。
それは、チャップリンにとっての「独裁者」、オーソン・ウエルズにとっての「市民ケーン」のように、稀有な才能が千載一遇のチャンスに遭遇し、奇蹟によって生みだし、そして歴史上に残った映画だった。

開巻からエンドまで、緊張感と映画的興奮に満ち、作り手と演じ手の高揚が伝わってくるかのような映像が続く。

都会の貧民街で菓子屋を営むユダヤ移民の家庭に生まれ育ち、ボクシングしか知らない主人公チャーリー(ガーフィールド)が、金のためにプロで売り出し、やがて世界戦を組まれるまでになるが、待ち受けていたのはボクシング界を仕切る賭けと八百長の世界だった。

それまでは差別や貧困に苦しみながらも力で状況を切り開いてきた主人公。
勤勉を旨とし、力を信奉する息子に忸怩たる思いの母親(「緑園の天使」の母親役で忘れられぬ印象を残し、赤狩りでハリウッドを去ったアン・リヴェアが扮する)。
菓子屋のレジから「ボクシングの道具代に」となけなしの10ドルを主人公に渡してくれた父親は、暴走車が店に突っ込んで下敷きになって死んでゆく。

学生チャンピオンになり、民主党議員のパーテイに呼ばれ、壇上に現れたミス民主党の女性ペグ(リリー・パルマー)の部屋に押し掛けるチャーリー。
画学生のペグはバイトでモデルをしており、たまたま民主党議員のパーテイーにミス役で雇われていたのだった。
ペグが話す英語の発音に注目するチャーリー。
ペグも移民だとわかる(リーリー・パルマー自身がドイツ人)。
移民の子孫の若者同士に芽生えるシンパシー。

親しくなったペグがチャーリーに実家を訪ね、夕食を共にしている時に民生調査員がやってくる。
母親がチャーリーの奨学資金にと申し込んだ融資に対する役所の調査だった。
「ユダヤ系白人ですね・・・」に始まる調査員の身元調査。
チャーリーの両親が東欧・ロシア系のユダヤ人であることがわかる。
ボクシングで身を立てる決心をしているチャーリーは夕食の最中にやってきたこの調査員を追い出す。

別の場面。
チャーリーの実家の台所。
たまたま寄った近所の住人(聖書由来のバリバリのユダヤ人ネーム)がブドウを食べながら「エデンのようだね」と喜ぶ。
何気ない近所の移民同士の交流。
会話に加わり、ブドウを口にしたチャーリーだが、旧態依然とした同胞の傷をなめ合うような慣れあいにブドウをたたきつけて苛立ちをあらわにする。

映画の各所にちらちら現れるチャーリーらのユダヤ人としての苦い思い出。
ただし、ポロンスキー脚本のユダヤ人に関する描写には、差別に対する被虐趣味や懐古趣味にとどまらない。
主人公に決然とした態度を取らせることにより、尊厳と現状打破とを志向する姿勢がある。

この姿勢は映画の最後まで貫かれ、チャーリーは八百長を仕組んだプロモーターに抗して掟破りの真剣勝負に出る。圧倒的興奮の中、チャーリーに駆け寄るペグ。
抱き止めたチャーリーは、にらみを利かせる八百長プロモーターの前で「最高の気分だ」と叫ぶ。

ボクシングシーンの撮影風景

「ロッキー」で劣勢の強敵を打ち破り「エイドリアン!」と叫ぶスタローンの名場面の原典でもあろう名シーン。
そういえば「ボデイアンドソウル」のヒロイン・ペグは最後まで主人公を信じて陰ながら支えるという点では、「ロッキー」のエイドリアンの原典ともいうべきヒロイン像ではないのか。

筆者が見た版では「最高の気分」のチャーリーが、悪徳プロモーターの意味深な祝福を受けながら、ペグと抱き合うところで終わる。
監督のロッセンは、掟を破ったチャーリーがプロモーターに殺されるカットで終わらせたかったが、ポロンスキーが脚本の改訂を許さなかったという。

八百長を操りながら、自らの利益のみを追求するプロモーターを執拗に描写するなど、ポロンスキーの脚本は世の悪=権力をリアルに表現するが、自らの力を信じて突き進む主人公や、一筋に主人公を信じるヒロインを通して、世の中への希望のような感性も大切にしている。

映画的興奮の中に「現実」と「希望」を描き切った本作は映画史上の傑作だった。

エイブラハム・ポロンスキー

監督のロッセンは、この作品の後「オールザキングスメン」(1949年)を演出し、アカデミー賞の候補となるが、同時にハリウッド赤狩りの餌食となり、結局、党員を密告して転向。
のちに名作「ハスラー」(1961年)でハリウッドにカムバックするが、作品を覆うのは苦渋に満ちたムードだった。
彼も赤狩りによる犠牲者だった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「悪の力」 1948年  エイブラハム・ポロンスキー監督  MGM

「ボデイアンドソウル」はヒットした。
エンタープライズプロは、ガーフィールドの主演で次作を企画。
「ボデイアンドソウル」の脚本家ポロンスキーを監督、脚本に迎えて制作したのが「悪の力」だった。

そこには、ポロンスキーのテーマともいえる、個人と権力の対決、権力の怖さ・悪辣さ、悪に染まらない個人の心情のピュアさ、が、あえて映画的興奮を排した画面でよりシンプルに描かれている。

「悪の力」の一場面

この作品のガーフィールドの役柄は移民ユダヤ人家庭から成り上がった弁護士で、ナンバーくじを非合法に扱う組合の顧問を務めているというもの。
いわば悪徳弁護士の役だ。

ガーフィールドの兄は弁護士の夢をあきらめて弟を援助し、今では貧民街の個人業者として非合法ナンバーくじに関わっている。
じり貧の兄を救おうと、自らのネットワークを逆手にとって巨大な非合法くじの組合を出し抜こうとしたガーフィールドだが、悪の世界では1枚も2枚も上手の相手に逆襲され、兄を殺されたうえに、自身も社会的に抹殺される。
川岸に無残に捨てられた兄の死体を残し、すべてを失った主人公が悪の世界を白日の下に晒して戦おうと歩きだすのがラストシーン。

「ボデイアンドソウル」と異なり、主人公は知力と計略を武器に悪=権力と戦う。
といっても貧民出身の主人公は、すでに悪の世界の使い走りの身でもある。
最後に残ったわずかな正義感と、家族への恩返しの気持ちから、兄を救済しつつ悪の世界を裏切ろうとする。

最初は弟の申し出に兄が猛反発する。
そこには貧しいながらも己の才覚で底辺を生き抜いたプライド(おそらく民族的プライドも)がある。

主人公は兄を説得し、悪の組織の足元をすくおうと知力を尽くすが、一筋縄ではいかない。
悪知恵の世界も奥が深く、図式は単純ではない。
ここら辺のポロンスキー脚本のち密さはすごい。

主人公を巡る女性達。
しっかり者の母親。
兄の事務所で出会う無垢な女性(ビクトリア・ピアソン)。
彼女らは最後まで主人公を信じ、陰乍ら応援する。
「ボデイアンドソウル」の母親とペグと同じ図式で、ポロンスキーの母性や女性に対する心情には、純粋なものへのあこがれがある。

本作はエンタープライズプロ作品でありながら、つながりのあるユナイトに脚本段階で配給を断られ、MGMに持ち込まれて実現した。
作品はヒットせず、エンタープライズプロ倒壊の一因となる。
万が一ヒットしたとしても、ガーフィールドをはじめ、ポロンスキー、ロッセンら主要メンバーはこの後の赤狩りとブラックリストによって活動を制限されたのが歴史上の事実であり、いずれにせよ同プロの命運はここまでだったろう。

テーマの人間性、作劇の巧みさ、人物像の描写など、稀有な才能の持ち主、エイブラハム・ポロンスキーをたっぷり堪能できる作品は、「ボデイアンドソウル」と「悪の力」の2本のみを残し、赤狩りの嵐とともに歴史から過ぎ去った。

ブラックリストに載ったポロンスキーはハリウッドを離れ、仕事の場をニューヨークのテレビに移した。
映画監督への復帰は、実に「夕陽に向かって走れ」(1969年)まで待たなければならなかった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「その男を逃がすな」 1951年  ジョン・ベリー監督  ユナイト     

ジョン・ガーフィールドの遺作。
39歳だった。

彼の持ち味だった下層階級出身の小悪党役。
今回は粗暴で無知なチンピラ強盗に扮し、逃亡中に成り行きである家庭に立てこもることに。

逃亡中にプールで出会った若い女(シェリー・ウインタース)の家庭に潜り込む。
父親が新聞社の職工、娘(ウインタース)はパン屋のウエイトレスという、堅実だが中流以下の家庭。

「異物」としての侵入者(ガーフィールド)を迎えて、恐怖というよりは戸惑いを隠せない家族たち。
だんだん侵入者のガーフィールドが「迷惑者」「被差別者」に見えてくる。

このあたりの映画的建付けは、家庭への侵入者をひたすら恐怖の対象とした「必死の逃亡者」やサイコパスな侵入者の恐怖を描く「恐怖の岬」などと異なる。
余分な恐怖感を排した分、侵入者と一般家庭との、下層階級者同士ではあるが、根本的な「違和感」「ズレ」を際立てている。

ガーフィールドと女(ウインタース)の関係も微妙で、女はガーフィールドに、ときに同情的でときに救済的な態度を示す。
表面上は粗暴な犯罪者でありながら、実態は社会的弱者でもあるガーフィールドは、彼女の心情が理解できず破滅してゆく。
「無知や粗暴さの故だけではなく、民族差別や貧困を故とする社会的弱者」は所詮救われないのだ、というのがこの作品のテーマであろうか。

シネマヴェーラの特集パンフより

左翼でもあった監督のジョン・ベリーは、非米活動調査委員会の召喚を待たずにヨーロッパに渡り、ハリウッドの戻ったのは60年代後半になってからの経歴を持つ。
製作は「ボデイアンドソウル」「悪の力」のビル・ロバーツ。

重要なヒロイン役を演じるのはシェリー・ウインタース。
薄幸な女性だったり(「陽の当たる場所」(1951年))、豪快な鉄火女だったり(「フレンチー」(1950年))、母親役だったり(「アンネの日記」(1959年))と広い役柄を誇る。
本作「その男を逃がすな」では、彼女の若いころの当たり役「薄幸だが母性的な女性」を存在感をもって演じており、作品に深みをもたらせていた。

「豹は走った」と西村潔

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集「ニュープリント大作戦」で「豹は走った」が上映された。

当日のラピュタ阿佐ヶ谷の上映案内より

「豹は走った」 1970年  西村潔監督  東宝

東宝ニューアクションと呼ばれた作品群のエース監督だった西村潔監督のデヴュー第3作。
主演は加山雄三と田宮二郎、ヒロインに加賀まりこを起用した、1970年の作品。
前年に「死ぬにはまだ早い」で監督デヴューしたばかりの西村がメガホンを取り、脚本には長野洋と石松愛弘。

「若大将」を卒業し、今後を模索中の加山と、大映で育った田宮、松竹育ちの加賀というキャステイングが異色ならば、脚本の石松も大映育ちで、東宝には珍しい混合チームによる作品。
折から、大映が倒産し、日活もロマンポルノ路線に移行直前の、いわば映画界の斜陽化が待ったなしの時代。
阪急資本をバックとし、保有する劇場群の上りが堅調とはいえ、ヒット作に乏しかった映画会社東宝の試行錯誤がうかがえる企画。

ラピュタ阿佐ヶ谷のホールに貼られたポスター

形式上刑事職を辞職して某国大統領の護衛を命じられる加山(:シェパード)。
必要なら事前に発砲することも許される秘密任務だ。
片や正体不明の殺し屋・田宮(:ジャガー)が大統領を狙う。
二人が死力を尽くしてやり合う。
バンバン発砲し合う「乾いた」銃撃シーンが、洋画のアクション映画のよう。

動機や理由の説明描写を省いて、純粋なアクションに徹した西村演出が新感覚。
これぞ東宝ニューアクション。
加山が武器を選ぶ時の警察署内の武器庫に並んだ特殊な拳銃たちと、それを専門的に説明する武器係のオタクっぽさも映画的に、いい。

大統領暗殺のためにジャガーを雇ったのは総合商社の会長(中村伸郎)。
大統領が死んだら現地の革命勢力と結託し、万が一生き残っても現勢力と「ソデノシタ」関係を継続、と「金がすべて」の資本主義の権化・日本商社が黒幕だった、という意外性。
小津作品のエリート紳士が定番だった中村が演じる商社マンは、いつもの飄々とした演技で「商社の怖さ」を表現する。
大手商社に象徴される営利活動はその極限に於いて、道徳性なり信義性とは無関係に、人命ですら尊重されずに、社会にの裏の機能を駆使して行われるものだ、という怖さ。

この作品が日本映画らしさを越えて「ハードボイルド」なのは、クールな脚本だけではなく、加山をそれらしく(秘密任務の刑事役は適役)演出し、スピーデイーなカッテイングでまとめた西村監督の手腕によるもの。

田宮二郎は、大映時代の「悪名シリーズ」モートルの貞、や「犬シリーズ」の勢いと調子のいいチンピラ役、があまりにはまり役だったこともあり、出てくるだけで大映カラー(背後に永田雅一と勝新太郎と大阪新世界の匂い)が立ち込めてしまうが、それも田宮のカラー。

加賀まりこはデヴュー当時の「妖精系不思議ちゃん」キャラから脱皮し、商社の裏活動にタッチする大人の秘書役をこなし、存在感をみせていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

ほかの西村潔監督作品について

「白昼の襲撃」(1970年)

西村監督の第2作目。
主演の黒沢敏男のチンピラぶりがよかった。

相手役の高橋紀子は東宝青春スター候補の一人だったが、この作品では盛り場で黒沢にナンパされ、転落の道に落ちる「軽い」が最後まで黒沢を信じ、ついてゆくヒロインを演じる。
アメリカ映画のフィルムノワールのヒロインのように、汚れながらも懸命に、自滅する主人公についてゆく姿が泣かせた。
彼らが絡むやくざの代貸し役で岸田森が怪演。
テンポよくクールな西村演出がますます冴える。

「ヘアピンサーカス」(1972年)

首都高を突っ走るスポーツカーの主観映像がタイトルバック。
映画はその後も、まるで16ミリカメラで撮ったドキュメンタリーのような映像でひたすらカーアクションを追求する。
CGではなく、全部が実写。

主役は現役カーレーサーの見崎清志という人。
ヒロインの江夏夕子くらいが名の知れた俳優の、若い走り屋たちのクールでドライな青春物語。

ドラマ性に乏しく、まったく東宝映画らしくないこの作品の制作動機は、五木寛之原作だからなのか。
ジャズを取り入れたところも西村監督らしい。  

「薔薇の標的」(1972年)

もみあげを長くした加山雄三がスナイパーを演じる。
トビー門口をガンアクション監修に起用、ガンとガンアクションへの西村監督のこだわりがうかがえる。
ほかはあまり記憶にない。

「黄金のパートナー」(1979年)

2本立ての添え物として作られた作品。

西村監督は極めてリラックスして撮っている。
監督のリラックスは役者にも伝わり、三浦友和、藤竜也の主演二人のリラックスぶりはすごい。

揺れる手持ちカメラの前で、雑談のようにセリフを交わす主演二人。
三浦友和ってこんなに自然な演技ができるのか、と見直したほど。

警察官役の藤竜也が白バイで、ヨットに暮らす三浦友和のところへやってきて軽いノリで延々とだべる場面が続く。
そのうちに「映画はこんな風に自由に作っていいものなんだ」と、見ている観客は心地よくなる。

途中でサスペンスが少々混じるが、「冒険者たち」のように、男二人にヒロイン(紺野美沙子)を交えた海洋ロマン。
西村監督の得意分野が、車、ジャズ、ガンのほかにダイビングだということがわかる。
この作品を見て西村監督が強烈に印象付けられた。

女優パトリシア・ニール その3 演技派時代

パトリシア・ニールは舞台女優としてその女優生涯を終えた(2010年84歳で没)。

21歳の時、ワーナーブラザースと契約してハリウッドデヴューもヒット作がなく、また当時のハリウッドが望む女優像に沿ってはパトリシアの特質を生かせず、評論家には受けても、大衆とハリウッドプロデューサー達に爆発的人気がなかった。
契約から4年後、パトリシアはワーナーとの契約を解除された。

それでもパトリシアにハリウッドでの需要はあった。
エイジェントが20世紀フォックスでの3本の出演契約を取った。

「地球の静止する日」(1951年)、「ステキなパパの作り方」(1951年 フォックスから他社への貸出出演)、「国務省の密使」(1952年)がフォックス時代の作品となる。
同時にホームグラウンドであるブロードウエイでの舞台出演も続けていた。

パトリシア・ニールの自伝「真実」によると、1951年には愛人ゲーリー・クーパーとの間で妊娠し、堕胎する結果となった。

クーパーとの恋愛は公然の事実化し「さすがに面と向かって批判されることはなかったものの、パーテイでそれとなく無視されるぐらいでは済まなくなった」(自伝「真実」より)

また、ハリウッドを襲った「赤狩り」では、クーパーもマッカーシー上院議員の聴聞会に召喚された。
クーパー主演の「真昼の決闘」(1951年)の脚本家カール・フォアマンの反米的姿勢を糾弾するために、クーパーから「友好的な」証言を得るのが聴聞会の目的だった。
自伝では、パトリシアは事前にクーパーに対し、フォアマンを擁護するように懇願したという。
クーパーはパトリシアとの約束を守り、ためにその後、ヘッダ・ホッパーら反動ゴシップ家から筆誅を加えられた。

「地球の静止する日」 1951年  ロバート・ワイズ監督  20世紀フォックス  DVD

パトリシア・ニールはこの作品について、自伝でいう「少しも気乗りがしなかったけれど、せっかくフォックス入りしたのに仕事がないというのでは格好がつかない。監督はロバート・ワイズ、これまでも私には親切な人だった。彼はこの映画に自信を持っていて、私の出演を希望したのだった。承知してよかったと、私は今思っている。」と。

「しかし白状すれば、撮影中、まじめくさった顔をしているのが難しい時もあった。くすくす笑い出しそうになるのをわたしが唇をかんでこらえていると、マイケル(・レニー:宇宙人役)も同じように我慢していて、やがて、いかにもイギリス人らしい慎み深い口調で、あなたはそういう風に演じたいというわけですか、と言ったものだった。」とも。

知り合いだったヒュー・マーロー(愛人役)や、新しく友達になったマイケル・レニー(UFOから降り立った宇宙人役)らとフレンドリーな撮影期間を楽しんでいたパトリシアの様子が生き生きと伝わってくる。

作品はロバート・ワイズ初期の意欲作。
突如ワシントンに降り立ったUFOから宇宙人とロボットが降り立ち、地球人に警告する「地球人同士の争いには不干渉だが、核をもてあそぶことには、宇宙に影響するので強く反対する」と。
地球人はこの警告に対し、「政治」は対処できず、「英知」の象徴である科学者は世界規模で集まったものの、「政治」に干渉され、結局、警告を残したまま宇宙人は去る。

映画の一場面。ロボットに円盤内部に連れ込まれる

SFに仮託した「政治」の狭量ぶりが描かれる。
群集は着陸したUFOの間近に集まり、見物し、宇宙人に親しみさえ感じる。
が、いったん軍隊との間に暴力的接触があると途端に手のひらを返し、むやみに宇宙人を恐怖の対象として排除する。
ポピュリズムと群集心理の恐怖だ。

DVDパッケージ。写真はラスト近く円盤からロボット、宇宙人とともに出てくる場面

映画のタッチは、スリラーを強調したものではなく、当時のアメリカ社会のおおらかなのんびりムードを基調にしたもので、ロバート・ワイズ監督の個性が表れている。
何よりパトリシア・ニールが、彼女のそれまでの映画出演の堅苦しさが嘘のように、生き生きと動いている。

髪の毛の色はワーナー時代後期に染めたブルネットで短髪のまま。
戦争未亡人で10歳ほどの息子を持つ活発な婦人役がよく似合う。
宇宙人の、正論で高邁な考えに同調し、世俗的な反応の愛人と訣別して行動する役柄でもある。

パトリシア・ニールにはハリウッド映画の「架空のお姫様」役より、子供の世話をしたりオフィスでテキパキと働く、行動的で現実的な女性の方がずっと似合う。

この後の「ステキなパパの作り方」(1951年 ダグラス・サーク監督)はウイキペデイアのフィルモグラフィーにも載っていない作品。
少し前にシネマヴェーラで見ることができた。

自伝には「フォックスからの他社出演で、ユニバーサルの軽いコメデイーに出演した。どうということもない映画だったが、ヴァン・ヘフリンと仕事をするのは楽しかった。私は彼が大好きだった。」とある。

「地球の静止する日」に続くコブ付き未亡人役のパトリシアは、この作品でも男の児2人の面倒を見ながらクルクルよく動きしゃべる母親役を気持ちよさそうに演じており、その芸達者ぶりは見ている方も楽しくなる。

以前に本ブログでも書いたが、一人の子供の役名が「ゲーリー」。
ハリウッド得意の楽屋落ちというか、脚本家の遊びというか、自虐ネタである。
渦中の愛人の名前を、たびたび大声で叫ばなければならない彼女の心中やいかに。
「プロ」だから平気なのか。

撮影中、セットにゲーリー・クーパーがたびたびパトリシアを訪ねてきたという。

このころ、セルズニックとジェニファー・ジョーンズ主宰の大パーテイに二人別々に招待された。
ゲーリーとパトリシアが連れ立って入ってゆくと、女達はさっと目をそらしたという。

二人はやがてすれ違い、別れることになるのだった。

「ハッド」 1963年  マーテイン・リット監督  パラマウント  DVD

ゲーリー・クーパーと別れたパトリシア・ニールは、イギリス人の児童文学者、ロアルド・ダールと結婚した。
最後まで「愛したことのない」(自伝「真実」より)人との結婚だった。

映画界とも離れたパトリシアはブロードウエイの舞台に復帰した。
「自分でも誇りに思える仕事がしたかった。家庭が欲しかった。自尊心も欲しかった。」(自伝「真実」より)。

結婚し、長女が生まれ、映画にも「群衆の中の一つの顔」(1956年 エリア・カザン監督)で本格復帰した。
「ハリウッドに見切りをつけ、ハリウッドは私に見切りをつけていると思っていた」(自伝「真実」より)矢先のこと。
ニューヨークアクターズスタジオ時代からの盟友カザンからのオファーだった。
二人目の子供(次女)がおなかにいるときの撮影だったが、「また映画の仕事ができたことは満足だった」(自伝「真実」より)。
「群衆の中の一つの顔」は彼女の代表作の一つになる。

「群衆の中の一つの顔」より。「ガッジ」とはエリア・カザンの愛称

「ハッド」もまた、アクターズスタジオ時代の仲間、マーテイン・リットからのオファーで始まった。
パトリシアには次女、長男が生まれ、不幸にも長女を風疹で.亡くし、長男もまた自動車事故で頭に重傷を負い手術を繰り返している頃だった。

「ハッド」について、パトリシアは、「マーティーと仕事ができるのがうれしかった。監督の要求には何でも応えればいいのだと思ったのは、エリア・カザンと組んで以来のことだった」と自伝で述べている。

最初のラッシュを見たリット監督がパトリシアに「君が鍋を扱っているのを見た瞬間にだね、これはいい、君は台所の勝手がわかっている女だと思ったね」と言ったという。

このエピソードを読んで、戦前生まれの日本女優の茶碗を洗うシーンを思い出した。
「須崎パラダイス赤信号」(1956年)の新珠三千代(1930年生まれ)は、流れ着いた飲み屋に住みこもうと、店の洗い場で茶碗を洗い始めるシーンでその手ばやさを見せた。
「いかなる星のもとに」(1962年)の山本富士子(1931年生まれ)は、出かける前にさっさとお茶漬けを食べた後、一連の動作のように茶碗を洗って片づけていた。
二人とも普段から茶碗洗いなど台所仕事に慣れており、また当時の日本女性には当たり前の動作であることをうかがわせる仕草だった。
パトリシア・ニールも、国は違うとはいえほぼ同年代に生まれ育った女性だった。

「ハッド」の一場面

牧場主(メルビン・ダグラス)と、不肖の次男ハッド(ポール・ニューマン)、死んだ長男の息子ロン(ブランドン・デ・ワイルド)、住み込みの家政婦アルマ(パトリシア・ニール)が暮らす西部の田舎町。
口蹄疫が広まり、牧場経営が音を立てて崩れてゆく。

親からは疎まれているハッドだが、甥っ子のロンはハッドに憧れている。
仕事ができ、女に手が早く、親に愛情を持つハッドは、要領がいいというか現代的考えの持ち主。
口蹄疫が発表される前に州外に牛を売れとか、牧場をやめて油田を掘れとか、未亡人との情事に夫が出てくるとロンのせいにして切り抜けるとか、そのたびに昔気質の親にがっかりされる。
21世紀の企業なら当然の倫理志向でもある「新自由主義」的な考えの持ち主のハッド。
一方で、父親からの愛情を求めてすねている。

住民たちの楽しみといえば、バーにたむろし、こっそり他人の女房を寝取ることを除けば、年に何回かやってくるロデオを見たり、住民参加のツイスト大会や豚を捕まえる競争に参加するくらいしかない田舎町。
開拓時代と異なるのは、鉄道が走り、モータリゼーションが普及し、テレビが映り、インデイアン(先住民と呼ばねばなるまい)がいなくなったくらい。

ハッドと正直一本やりの旧世代との断絶。
34歳独身で田舎町に暮らすハッドの、投げやりな性的放縦と年頃のロンにも忍び寄る性的な疼き。
男三人の所帯を切り回す離婚を経験した中年女のアルマが、男たちにとって全女性を代表するかのような存在であること。

やがて解体する家族。
親父は死に、ロンは出てゆき、アルマもまた。
それらを映画は淡々と描写してゆく。

「ハッド」のパトリシア・ニール

薄手のブラウスで下着をすかせながら、あるいは夜のベランダで裸足になりながら。
台所で鍋を扱い、料理をサーブし、朝寝坊のロンのシーツを剥ぎ取りながら、実年齢36歳になったパトリシア・ニールが田舎の男所帯の家政婦を演じる。

牧場の閉鎖とともに夜の長距離バスで町から去ってゆくアルマ。
過去ある女、名もなき女、ながら居場所と尊厳を求めてさ迷うが、実はプライドを秘めた女を見事に演じる。
パトリシア・ニールは、映画で人間の尊厳を表現できる人なのだ。

ポール・ニューマンの「ハスラー」(1961年)という映画があった。
ニューマンが場末のバーで一人の女に声をかける。
女を演じるのはかつてのお姫様役で、この時実齢29歳のパイパー・ローリー。
ニューマンに声をかけられたときの、無理に苦笑いを作るかのような表情。
小児まひで世をすねながら、酒がないと寝られない若くはない女を演じて、忘れられない印象を残す。
パイパーは、お姫様役からのイメチェンのためにアクターズスタジオで演技の勉強をし直して、この役に挑んだという。
彼女の演技への精進は「キャリー」(1976年)での狂信的な母親役での怪(快)演につながってゆく。

「ハッド」のパトリシア・ニールは、ブロードウエイとアクターズスタジオ仕込みの演技力ばかりではなく、実生活の重みがもたらす人間性の深さをにじませながら、アルマという役を演じた。
アルマには、単に人生に疲れ男への期待も失せた中年女の姿だけではなく、それでもなお湧き上がる性的匂いと母性の偉大さ、が立ち込めていた。
インテリでもあるパトリシアの演技は「中年女の汚れ役」とはこういう風に演じるのだよ、と具体的に示してくているかのようだった。

パトリシア・ニールはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞。

その後、第5子の妊娠中に脳卒中を発症。
奇蹟的に回復し、4女も無事誕生。
50歳台になって亡きクーパーの妻、娘と和解。
30年連れ添ったロアルド・ダークと離婚。
の生涯を送ることになる。

女優パトリシア・ニール その2 ワーナー時代

1926年生まれのアメリカ人女優パトリシア・ニールは、ブロードウエイで新人賞、トニー賞などを受賞し、ハリウッドからスカウトされた。

自伝「真実」によると、サミュエル・ゴールドウインやデヴィッド・O・セルズニックなどに食事に呼ばれたとあるが(セルズニックには食事の後にベッドに連れ込まれそうになった、とも)、契約したのはワーナーブラザーズ。
契約料は週給1250ドル(最高で3750ドルにアップ)、舞台出演の際はニューヨークへ戻ってよいとの内容の7年契約だった。

この7年契約は満期を迎えることなく解約となったが、1947年から51年途中までのワーナー専属時代、パトリシア・ニールは8本ほどの映画に出演している。

8本の内訳をみると、ロナルド・レーガンとの共演が2本、ゲーリー・クーパーとが2本。
ジョン・ガーフィールド、ジョン・ウエイン、リチャード・トッドとが各1本。
監督ではキング・ヴィドア(「摩天楼」)、マイケル・カーティス(「破局」)の作品に起用されている。
パトリシア・ニールがA級作品に起用されていることがわかる。

ワーナー時代には後世に残るような作品は少ない(「摩天楼」くらいか)。
というか大ヒット作品はなかったし、大衆に訴えるような作品はなかった。

世界の古典映画をデータ素材で仕入れ、新しくスーパーインポーズをいれて公開している、シネマヴェーラ渋谷の特集で、「摩天楼」と「破局」の上映があった。
DVDで見た「太平洋機動作戦」と併せて、パトリシア・ニールのワーナー時代を振り返りたい。

「摩天楼」「破局」が上映中の渋谷シネマヴェーラ

「摩天楼」 1949年 キング・ヴィドア監督  ワーナーブラザーズ   シネマヴェーラ渋谷

ハリウッドに身を投じ、ワーナーと専属契約を結んだパトリシア、2本目の作品。

自伝「真実」によると、1本目の「恋の乱戦」の時の映画撮影現場が好意的に述べられている。

スタジオのセットが夢の国のようで、共演のロナルド・レーガンは陽気でフレンドリーだったこと。
映画俳優としてのプロ意識にたけた俳優たちに感銘を受けたこと、など。

「摩天楼」ゲーリー・クーパーと

第二作目の「摩天楼」は、1940年代のアメリカのベストセラー小説の映画化で、ワーナーの大監督、キング・ヴィドアに声をかけられてヒロイン役に挑んだという。
自伝では、ヴィドア、クーパーとの顔合わせやスクリーンテストのことが、昨日のことのように生き生きと語られている。
パトリシアが生涯で唯一愛した男クーパーとの邂逅だ。

二人は撮影中に急接近した。
自伝には、毎日撮影後にクーパーの部屋に電話して翌日のスケジュールなどを確認するパトリシアとそれに喜んで答える48歳のクーパーの描写がある。
二人のスタンドインがいたものの、パトリシアとクーパーはリハーサルやセッテイングの最中も二人で身じろぎもせずにその場にとどまっていて、スタンドインに仕事をさせなかったことも。

撮影終了の打ち上げパーテイーの夜、二人は結ばれる。
長い恋愛の始まりだった。

「摩天楼」パトリシア・ニール

「摩天楼」のスクリーン上の世界よりも、自伝に語られているパトリシアとクーパーの出会いと恋愛の方が数倍もフレッシュで輝いている。

170センチを超える長身とすらっとしたスタイル、流れるような金髪のパトリシアは、ロングドレスや乗馬服に身を包みカメラ映りがいい。
バリバリのハリウッド式メイクにもなじんでいる。
「(40年代ハリウッドの)映画俳優とはこういうものだ」と自覚し、場に溶け込もうとするパトリシアの素直で積極的な姿勢がうかがえる。
低い嗄れ声のセリフ回しは今となってはわざとらしいが、パトリシアのハリウッドへの順応の一環でもある。

「摩天楼」は己の信念を曲げない建築家の主人公が、石切り場の工夫に身をやつしながらも這い上がり、認められるというストーリー。
ヒロインとの間の性的葛藤の味付けをしながら(パトリシアがクーパーを鞭打つシーンもある!)。

パトリシア・ニールは演技力もさることながら、輝くような若さに加え、セックスアピールがあり、まさにハリウッド女優の誕生!の瞬間を見るようである。
が、彼女の本質を生かした配役でないこともまた窺える。

それよりもその長身とややしゃくれた顔は、ディズニーの「101匹わんちゃん」の悪漢の女ボスを思い出してしょうがなかった。
あれは確実にパトリシア・ニールを盗んだ(カリカチュアした)アニメキャラだ。
アニメキャラとなるくらいの影響力をパトリシアは若くして持っていたのだ。

シネマヴェーラの特集チラシより

「破局」 1950年  マイケル・カーテイス監督  ワーナーブラザーズ  シネマヴェーラ渋谷

パトリシア・ニールのワーナー5本目の作品。
監督に「カサブランカ」のカーテイス、主演に舞台出身の実力者で映画でも人気のあったジョン・ガーフィールドを起用したA級作品。
原作はヘミングウエイの「持つと持たぬと」。

ヘミングウエイの原作は44年に「脱出」として映画化されているが、「脱出」はウイリム・フォークナーのオリジナル脚本とハワード・ホークスの演出による冒険活劇ともいうべき作品とのことで、この「破局」のほうが原作に忠実だという。

ガーフィールドとパトリシア・ニール

腕が確かで真面目なことから信頼を得ている船頭(ガーフィールド)が、日銭に不自由する健気な妻とかわいい子供のため、キューバとの間の密輸に手を染める。

長年の相棒は黒人の船乗りで主人公とは絶妙のコンビ。
金のためにギャングの強盗の手助けを請け負うが、相棒を殺され、自力でギャングと対決する主人公。
その戦いは、孤独で陰惨で残酷。
主人公は自力で窮地を脱する、全幅の信頼を置く相棒と己の腕1本を失って。

やむを得ないとはいえ、人の道に背いた行いを、犠牲を払いつつ自力で落とし前をつける姿が、身を切るような描写で描かれる。

まじめで妻一筋の男の苦悩をガーフィールドが演じる。
ユダヤ人でストリートキッズ上がり、演劇で出世した後もハリウッド赤狩りのターゲットとなったガーフィールドが死ぬ直前に出演した作品。
主人公に絡む身持ちの悪い女にパトリシアが扮する。
柄の悪い役もちゃんとこなす演技が見られる。

「破局」の撮影シーン。

第二次大戦は終わったが、朝鮮戦争を目前にして、国内では反共ヒステリーが吹き荒れたアメリカ。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、マイケル・カーテイス監督のタッチもひたすら暗い。
救いは「持たざる者」ガーフィールド一家の健気な妻(フィリス・サックスター)への視線のやさしさ。
そして主人公の危機脱出の後、父親が殺されたことを知らぬ黒人の少年(主人公の相棒の息子)が港に一人取り残されるラストシーン。

最後まで女(パトリシア)の誘惑になびかず、家で待つ妻に操を立てる主人公もいい。
女と敵はなぎ倒してゆくのがアメリカ映画の「タフな男」というお約束の中、真に勇気ある男の姿を描いたのは、ユダヤ人カーテイスの真骨頂か。

マイケル・カーテイスにとって「破局」は「カサブランカ」に次ぐ「アメリカンヒーローもの」なのかもしれない。
「カサブランカ」のボギーがかっこよい表のヒーローだとすれば、「破局」のガーフィールドは、持たざる者の陰のヒーローとしての。
自らまいた種とはいえ、窮地に陥った時は自ら実力をもって解決に当たり、愛するものを決して裏切らず、の陰のヒーロー方が真の勇者なのかもしれない。

パトリシアの「自伝」ではこの作品について、「ガーフィールドはいつも強烈な動物の雄のエネルギーを放射していた。女には抜け目なく手が早かった。彼は私の手を取ると俺の気持ちわかるだろ、といった。彼の気持ちはよく分かったが、彼を相手にそんなつもりはなかった。私はゲーリーの女だった。」と述べている。

「わたしはゲーリーの女だった」。

決まった!

シネマヴェーラの特集チラシより

「太平洋機動作戦」 1951年  ジョージ・ワグナー監督  ワーナーブラザーズ  DVD

パトリシア・ニールのワーナー7本目の映画、この後の「草原のウインチェスター」を最後にワーナーブラザーズを離れることになる。

ジョン・ウエイン主演の第二次大戦を舞台とする潜水艦もの。
共演にワード・ボンド、ジャック・ペニックを配してのバリバリ男性路線。
パトリシアはわけあってウエインと別れたが、まだ愛し合っている看護婦を演じる。

「自伝」でパトリシアはいう。
「ジョン・ウエインは大衆には大変な人気者だったが、私にはまったく訴えてくるものがなかった。彼が相手では私の魅力も発揮できなかったと思っている」。

また、「私はこの撮影所(ワーナー)にとって金食い虫になりつつあった。映画評論家たちは思いやりがあったが、興行的に大成功を収めたことはなかった。私は新しいガルボになってはいなかった。」とも。

すでに7作目にしてパトリシアが自覚している状況が影のようにこの作品を覆っている。
髪をブラウンに染め、看護婦のコスチュームに身を包むパトリシアだが、背の高さとスタイルの良さが生かされておらず、長身を持て余した猫背の女性に見えてしまう。
ジョン・ウエインとの共演も水と油。

作品そのものも、アメリカ海軍の潜水艦乗りに敬意を表するのはわかるのだが、たとえば急速潜行中に艦長らがタバコを吸ったり、日本海軍駆逐艦の爆雷攻撃中に艦内の食堂でまったりコーヒーを飲んだり、と、どうなの?という表現が横行している。
だいたい潜水艦内の描写に緊張感がない。

ドイツや日本の潜水艦ものに比べ、悲壮感がないのは半分は事実だろうが、艦内の食堂がロードサイドのダイナーのように居住性良く描かれるのは違和感がある。
日本軍が登場するシーンの背景に中国風の音楽が流れるに至っては、がっかり。

ジョン・ウエインを見に来た観客は満足するのだろうが、史実に忠実な戦争映画も数多いハリウッドにあって、この作品は旧態依然というか、大衆におもねた作品に見える。
パトリシア・ニールを生かしきれなかった典型的な作品だと思う。

この時期、実生活でのパトリシアはクーパーとの間の子を妊娠したことに気づいていた。

女優パトリシア・ニール その1 「真実」

パトリシア・ニールというアメリカ人女優がいる。
1926年生まれ、南部のテネシー州出身。
年代的には戦中派(日本でいう昭和元年生まれ)。

地元の大学を中退して舞台女優を目指す。
1946年にブロードウエイデヴュー後、新人賞、トニー賞を受賞。
1947年にワーナーブラザーズと7年契約を結びハリウッド入りした。

ハリウッド入りしたパトリシア・ニールは第二のグレタ・ガルボとして売り出されたが、ヒット作に恵まれず、むしろ「摩天楼」(1949年)で共演したゲーリー・クーパーとの恋愛ゴシップを最大の話題としてハリウッドを去った。

パトリシア・ニールが再び映画で脚光を浴びるのは、「群衆の中の一つの顔」(57年 エリア・カザン監督)、「ティファニーで朝食を」(61年 ブレイク・エドワーズ監督)、「ハッド」(62年 マーテイン・リット監督)などに出演してからのことになる。

この度、渋谷のシネマヴェーラの特集で「摩天楼」と「破局」(50年)が上映された。
いずれもパトリシア・ニールがワーナーブラザーズと専属契約を結んだ期間中の作品である。
また、筆者の手元には今までに集めたパトリシアの出演作のDVD(「太平洋機動作戦」「地球の静止する日」そして「ハッド」)がある。

ここは「早すぎた演技派女優」パトリシア・ニールを集中して見ようではないか。
まずは買ったまま積読していた彼女の自伝「真実」を紐解いてみよう。

「パトリシア・ニール自伝 真実」 1990年 新潮社刊

仮にもハリウッド女優と呼ばれたスターがこんな赤裸々で正直で自省的な伝記を書くものなのか。
というのが読んでいる間の感想。

キャサリン・ヘプバーンの自伝「Me」も、かなりざっくばらんで、あけすけだったが、映画界入りから引退まで「勝ち組」で通した、ワスプ出身の医者の娘ケイト(キャサリンの愛称)と違い、南部出身で何の後ろ盾もないパット(パトリシアの愛称)が、決して順風満帆とはいえなかった半生を、ここまでさらけ出すには勇気がいったことだろう。

クーパーとの恋に破れ、作品のヒットもなく、契約半ばにしてワーナーを去り、その後しばらく映画界を離れていたパトリシア。
夢である結婚をし、待望の出産、舞台活動再開、映画界カムバック、子供を亡くし、妊娠中に脳溢血、奇跡の回復と離婚、クーパー亡き後の妻・娘との和解、修道院・・。
劇的な人生の変遷なくして到達しえない境地がこの自伝にはある。

自伝はまた、ブロードウエイ時代、ハリウッド時代の活躍と栄光にも触れてはいるが、パトリシアの人生の目的の一つでもあった「家族を生む」ために、愛してはいないロアルド・ダールと結婚し、5人の子供を産み育てる間の記述がボリューム、内容共に圧倒的だ。

そこには、女優を目指す目立ちたがりでわがままな、一人の南部出身の女性の叫びとともに、一般的な女性の幸せを願い自らの人生でそれを実現させようともがく「戦中派世代」の伝統的なアメリカ人女性の偽らざる姿がある。

ゲーリー・クーパーとパトリシア・ニール

脳溢血で倒れ、回復する中でゲーリー・クーパーの娘マリアと文通をし、会う。
マリアからクーパーとの間に子供ができたのは本当か?と聞かれ、本当だと答えると「すごく楽しかったでしょうね、あなたが私の新しいお母さんになっていたら」とマリアが言う。
パトリシアとクーパーの哀しい愛が成就した瞬間だった。

人生で唯一愛した男、ゲーリー・クーパーとの愛を、紆余曲折がありながらも全うできたパトリシアは、やはり選ばれた人間なのだろう。

この自伝の根底を貫いているのは、自分が自分らしくありたいとの一念。
そしてたどりついたのが、個人の執念や願望を越えたところに「神のみ心」とでもいった普遍的な愛の世界が広がっているだろうことへの素朴な信仰心とでもいうべき境地。
彼女は多くを求めず、しかし自分の信ずるところは徹底してこだわり、結果すべてを得た、のかもしれない。

なお、映画時代についての記述が少ないとはいえ、ウィキぺデアのフィルモグラフィーには載っていない映画作品(「ステキなパパの作り方」1951年 ダグラス・サーク監督)についての記述もあり、パトリシア自身の活動の記録という意味でもこの自伝は貴重である。

自伝「真実」裏表紙

「映画の友」 1951年5月号

筆者が神保町の古本屋で見つけて購入。
パトリシア・ニールが日本の映画雑誌の表紙になっているのが珍しかったので。

「映画の友」1951年5月号

51年といえばパトリシアが鳴り物入りでワーナーと専属契約を結んでいた頃。
デヴュー2作目の「摩天楼」は日本での評判が良かった。
またパトリシア自身が朝鮮戦争兵士の慰問の際に日本に立ち寄ったこともあり、売り出し中の新進女優として注目されていたことがうかがえる。

雑誌の本文中にパトリシアに関する記事はないが、読者や編集室に送られてきた(ファンレターの返信に同封された?)サイン入りブロマイドの紹介コーナーに、パトリシアのものが載っている。
表紙ともども今では貴重なものだと思う。

当時のパトリシア・ニールのサイン入りブロマイド

「マイベスト37」 淀川長治著 1991年 テレビ朝日

テレビ朝日の「日曜洋画劇場」放送25周年記念出版。
淀長さん映画人生80年の書き下ろし。
なんとその37人の中にパトリシア・ニールが含まれている。

淀川長春「マイベスト37」より

淀長さんとパトリシアの最初の出会いは、49年の日本でのインタヴュー。
第一ホテルに逗留中のパトリシアに「映画の友」編集人の淀長さんが取材に行ったもの。
「高飛車な生意気なところが爪の垢ほどもなかった」というのが、この時の淀長さんのパトリシアに対する印象だった。

あけて1951年、わが淀長さんは「映画の友」特派員としてハリウッドを訪問。
なんと淀長さんのハリウッド来訪を知ったパトリシアから、20世紀フォックスのスタジオに呼び出しがあって淀長さんはびっくり仰天。

宣伝部長に案内された淀長さんが、フォックスの食堂で待つと、現れたパトリシアは厚手のぱさぱさしたスカートにサンダル履き。
スパニッシュオムレツとミルクを注文した。

同じものを注文した淀長さんが、いつもの習慣でミルクに砂糖を入れると、「あんたケーキでも作るの!」とパトリシアが叫んだ。

タイロン・パワーと共演の「外交特使」を撮影中だったパトリシアは、三つ隣のテーブルにパワーがいるにもかかわらず「(パワーは)大根よ」といったので淀長さんが慌てて、そんなことここで言ったら首になりますよ、と言ったら。
パトリシアは声をたてて笑いながら「そうなったら舞台に戻るわ」とウインク。

淀長さんが思い切ってクーパーとのことを聞くと、パトリシアは顔を赤くして椅子からずり落ちそうな格好をしたが、「ノー」とは言わなかったと。
淀長さんさすがのナイスクエスチョン。

「群衆の中の一つの顔」より

なんと幸福な淀長さんと若き日のパトリシアの会話だろう。
淀長さん一流のだれにでも可愛がられるオープンな性格もさることながら、二人の波長が合うというのか。
二人ともこれ以上ないイノセントというべきなのか。

ざっくばらんでチャーミングなパトリシア・ニールの人となりが会話に表れていて、貴重な記録というほかはない。

ロバート・アルトマン傑作選より「雨にぬれた舗道」

長野相生座での「アルトマン傑作選」に駆け付けた。
アルトマンといえば70年代アメリカ映画のアイコンの一人。
「マッシュ」(70年)と「ロンググッドバイ」(73年)しか見ていない筆者だが、作品とともにアルトマンの名前に印象は深い。
当時は次々と新作が発表され話題になっていた監督だった。

この度の傑作選は、コピアボアフィルムの配給。
セレクトは「雨にぬれた舗道」(69年)、「イメージズ」(72年)、「ロンググッドバイ」の3本。
アルトマン初期の、今では上映機会がほとんどない作品たち。
配給のコピアボフィルムは、相生座の支配人によると「旧作の再輸入を積極的に行っている会社」とのこと。

相生座の上映案内板より

「雨の中の舗道」 1969年  ロバート・アルトマン監督 パラマウント

レアな作品を見た。
懐かしくもマイナー感漂う、70年代のアメリカ映画の匂いがした。

70年代前後、ベトナム戦争の疲弊感もあり、時代に敏感な当時の新進作家たちが、アメリカに代表される現代社会を批判的に描くようになった。
それまでのハリウッド映画では企画にも上らなかった社会の現実や人間の孤独、女性や障碍者、少数民族などの立場に立った作品が発表された。
「イージーライダー」を先頭に「泳ぐ人」、「愛はひとり」、「ジョンとメリー」、「ナタリーの朝」などが次々と発表された。
描かれたのは排除されるヒッピー、ひとかどの社会人の孤独、都会の女性の孤独、若者同士の虚無なつながり、底辺の若者の自立、だった。

ロバート・アルトマンはテレビでデビューし、「雨にぬれた舗道」は長編劇映画の3作目。
テーマは女性の心理、それも経済的にも身分的にも何不自由ない、まだ若い女性の精神的、性的な葛藤。
アルトマンは、この作品の後「マッシュ」で大ヒットを飛ばし、人気作家となる。
その後、女性心理を描いた「イメージズ」(封切り時は日本未配給)、「三人の女」(77年)という作品を撮っており、こういったテーマに重大な関心があることがわかる。

主演はサンデイ・デニス。
舞台出身の実力派だが、筆者には「愛のふれあい」(1969年。小さな恋のメロデイ」のワリス・フセイン監督作品ということで注目した)、「おかしな夫婦」(1970年。愛川欽也の吹替で忘れられない?ジャック・レモンとの共演)でリアルタイムに接しており、コメデイもできる愛らしい女優との好印象を今に至るまでもっていた。

サンデイ・デニスというこの女優さん、愛らしいコメデイエンヌというよりは、例えば「結婚式のメンバー」(52年 フレッド・ジンネマン監督)で実年齢26歳で12歳の少女を演じ、舞台演劇そのままにしゃべりまくって観客を置き去り?にしたジュリー・ハリスが、商業映画「エデンの東」(55年 エリア・カザン監督)では全観客を味方につけるヒロインに化けたように、いかようにもヒロイン像を演じ分けられる、舞台出身の実力派女優なのだった。

サンデイ・デニス

映画は、サンデイ扮する主人公が雨の日、マンションの窓から、公園のベンチで濡れそぼる若者を見掛けたときに始まる。
マンションに連れ込み世話をし始め、食べさせ、泊まらせる主人公。
身は固く、自分に言い寄る初老の医師のことは生理的に拒否している主人公は、初老の金持ち階級とのパーテイくらいしかやることがなく、心底退屈しており、モノを言わない若者相手に嬉しそうに独白状態でしゃべり続ける。

若者は低層階級の長男で、姉との待ち合わせのために公園のベンチに座っていただけだということがわかる。
自問自答のような独白が続いた後、いよいよ若者に迫ろうとする主人公だが若者には全くその気はない。
やがて残酷な幕切れを迎える。

「雨にぬれた舗道」よりサンデイと若者

ほぼサンデイ・デニスの独演(連れ込んだ若者そのものが彼女の幻影だったという解釈も成り立つ。映画はそうは描いていないが)による女性の内面の世界が描かれる。
性的な葛藤がテーマの一つだが、アルトマンは即物的な描写はしない。
映画のシチュエーションが、独身女性が名前も知らない若い男を連れ込んで、飼い続けるというとてつもなくインモラルなものにもかかわらず。

サンデイがさんざん独りよがりの挙句、若者に葛藤をぶつけた瞬間に、彼が言葉を発するシーンがある。
後半の場面の急転であるが、アルトマンは映画的な盛り上げを否定し、あっさりとした撮り方をする。
ショッキングではあるが観客の期待には応えていない。

サンデイの演技力と存在感が辛うじて画面を支えてはいるが、アルトマンの狭量な世界観が映画のふくらみを狭めていた。

70年代前後は価値観の転換期。
「女性の孤独」「性的な葛藤」を描くブームの中で企画が通り、パラマウントが配給することになった作品だが、意あって言葉足らず、公開後はほぼお蔵入りの扱いとなったのもしょうがない。

アルトマンを研究するについては貴重な作品だが、筆者にとっては見るつもりだった「イメージズ」の見る気をうせさせた作品。
同じようなテーマで、手法がより複雑奇怪に進化している作品を見るのはしんどいから。

アルトマン傑作のチラシより