今年も玉切り!

山小舎の暖房用燃料は木材です。
毎年、原料の丸太をもらって、切って、割っています。

別荘地内の伐採業者が、いらない丸太を持ってきてくれます。
別荘地内に多い、カラマツ、シラカバなどは廃棄物扱いなので、費用をかけて廃棄するよりはと、持ってきてくれます。

今年も第一弾が届きました。
20から30本くらいの丸太が敷地に転がっています。
手ごろな細さのものは、裏の河川の土留め用などに使うために取っておきます。
太いものは切って、割って薪として使います。

空き時間を見つけて、丸太を玉切りします。
今年は野外にミニ物置を組み立てたので(これも山小舎に埋もれていたモノの一つ)、チェーンソーの燃料、オイルの補給や刃の目立てが便利になりました。

外に設置したミニ物置。チェーンソー、刈払機関連のものを入れている

燃料を満タンにして20から30分の稼働。
おじさんの体力、集中力の限度的にも、1回の作業に2クールの稼働がいいところです。
チェーンソーは疲れた時にやるものではありません。

丸太の山は暇を見て玉切りしている

カラマツの山に向かって玉切り開始です。
使う前にやすりで刃を研いでいることもあり、切れ味はまずまずです。

玉切りのコツは、刃の動きに逆らわずに機械を保持することです。
自分の視点中心に刃をコントロールしようとすると、断面と刃がうまくフィットしません。
丸太と自分が対する角度が真正面ではなかったりすると、どうしても刃が丸太と直角に接することができなく、刃の側面と木の断面がこすれて、刃にストレスがかかったり止まったりすることが多いのです。

まっすぐうまく切れました・・・

今回は2クールの作業。
丸太の玉切りにはそれなりの時間がかかります。

刃に対する注意、丸太の重さに対する注意、丸太の山から滑らないようにする注意・・・。
チェーンソーワークは心身ともに消耗します。

いつも活躍してくれるチェーンソーには、メンテナンスも欠かせないところですが、実際は使った後の手入れも何もしていない山小舎おじさん。
これからはせめて、機械にくっついた木くずの取り除きやフィルターの掃除などは行いたいものです。

チェーンソーの本は用意してあるのですが・・・
ここにある内容を実行したいものです

この頃(6月下旬)の畑

6月下旬になりました。
初出荷も終わり夏の最盛期を迎える前の畑と作物です。

雑草の穂先が鹿に食べられています。
草刈りをしていて発見しました。

畑にあさりに来たけど、食べるものがなかった鹿がやむなく雑草に手を出しているものと思われます。
いい傾向です。
できれば、このまま畑を餌場とするのをあきらめて山へ戻ってほしいものです。

穂先を鹿に食べられた跡がある雑草(ハルジオン?)

トウモロコシの成長が急ピッチです。
これはハニーバンタムなどの柔らかい品種ではなく、甲州トウモロコシという自家採種もできる実の硬い品種です。
穂が出たら二回目の追肥(米ぬか)をしようと思います。
実が採れたら軒先で干して保存したいです。

葉が夏の色になってきた甲州トウモロコシ

かぼちゃです。
山小舎で芽出しして定植した株もあります。
今年も芽出しの成功率が低く、また苗の状態も良くなかったのですが、定植後は順調に育ち始めています。

かぼちゃの畝の活況

パクチーの花が咲いています。
こぼれ種から発芽し、さっさと自力で育った株です。
旺盛な繁殖力を見るにつけ、パクチーはほおっておいても大丈夫だと感じます。

写真はありませんが、エゴマがこぼれ種から発芽していました。
今年もエゴマがの葉っぱが収穫できそうです。

パクチーの花が咲いた。種をコリアンダーの原料として採種したい

そのほかの夏野菜たちです。

トマトは肥料なしのガッテン農法でも旺盛に発育中
ピーマンに実がなった。丈はまだ低め
肥料なしだと樹や葉は肥大化しないが、つやと勢いが出てきたナス

おまけ

山小舎の花壇にキセワタの苗を定植しました。
キセワタはシソ科の多年草です。
ミツバチが好むというので、奥さんが種を手に入れ、山小舎おじさんに託していたものです。

長いことかかりましたが発芽しました。
定植場所は巣箱の近くを考えたのですが、鹿が待ち受けているのでひとまず山小舎の前に。
ここにも油断するとバンビさんたちが現れますが・・・。

キセワタの種の袋
無事発芽した苗を花壇に植える

初出荷!

野菜を初出荷しました。

出荷したのは、キューリ、ズッキーニ、玉ねぎです。
キューリ2袋、ズッキーニ4袋、玉ねぎ4袋です。
キューリが3本、ズッキーニは1から2本、玉ねぎは大3個もしくは小8個入りで、各150円です。

急に出荷が決まったのは、出荷先の調布市柴崎の彩ステーションでガレージセールがあったからです。
彩ステーションは山小舎おじさんの奥さんがやっている活動の場です。

野菜の初出荷に合わせて、チラシを作って入れました。
野菜の名前と値段を書いたPOPも段ボールで作って入れました。
納品書も。

今回の便に入れたチラシ

ガレージセールは、彩ステーションのサポーターさんたち手製のテイクアウト総菜などを売り物に、地域の人や関係者などが集まったそうです。
当日朝、配送された山小舎おじさんの野菜も完売となったそうです。

野菜は彩ステーションでは定評があるのか、よく売れます。
ステーションで待つファンのためにも野菜作りに頑張ってゆきたいと思う山小舎おじさんです。

「日本映画を創った男・城戸四郎伝」

映画好きの山小舎おじさん。
その中でも最近興味あるジャンルは、映画興行史です。

城戸四郎の伝記を読む機会がありました。
大正11年、松竹に入社以降、松竹映画一筋に生き、昭和52年に死ぬまで同社の映画部門のトップに居続けた人物の伝記です。

著者は小林久三。
昭和9年生まれで、昭和36年に松竹に助監督として入社、その後脚本部を経て制作者になっている人で、有名になったのはミステリー小説で賞をもらってから。
本作「城戸四郎伝」はキネマ旬報に連載したものをまとめたものだそうです。

日本の映画産業は、松竹の白井信太郎、東宝の小林一三を中心に興きてきた。
京都太秦撮影所に至るマキノ一家という系統もある。
マキノに出入りするヤクザ一家のつかいっぱしり端を発し、大映社長に上り詰めた永田雅一がいる。
日活の堀久作もいる。
これらは、あるものは必然的に、あるものは偶然に映画というダイナミズムもしくは金の生る木に吸い寄せられた人物で、それぞれの会社・組織のオーナーもしくはそれに近い存在だった。

いずれの方々も、例えばサラリーマンなど務まりようもない個性の持ち主であり、一般常識とはかけ離れた行動力と発想力で周囲を巻き込んでゆく強烈な存在だったことが容易に想像できる個性の持ち主たちだった。

本の目次

城戸四郎はどんな存在か?
松竹映画の企画決定権を生涯にわたって持ち続けたという意味において、本来の意味でのプロデユーサーとしては、社内で唯一の人物だった。
その意味では、大映社長の永田雅一や、初期東映のマキノ光男の印象と重なる。

永田は、自分が社長時代の大映作品では、その巻頭で堂々と「製作 永田雅一」をクレジットさせ、自社製品にマーキングしていたが、その作品群の中からベネチア映画祭グランプリの「羅生門」が生まれた。

マキノは戦後間もない新生東映の東京撮影所長として、「右も左もあるかい!ワイらは大日本映画党や」と、東宝をレッドパージされていた今井正を東映に招き、「ひめゆりの塔」を製作、大ヒットを飛ばした。

その点、エリートの城戸は、泥臭さはなく、万事スマートである。
常識的、良識的なというよりは安全パイを外さない城戸のイメージはそのまま松竹のそれと重なる。

仕事のやり方も、例えば「女優を妾にする」(新東宝社長:大倉貢)のではなく、頭を使って撮影所の仕組みを変えてゆく方法に寄っていたようだ。

当初は俳優の力が強く、彼らのわがままに左右され、予算を浪費していた撮影所を、最初は脚本部門の育成に注力することにより、次には演出部門に力を持たせることにより、改善していったのが城戸だった。

これはディレクターシステムと呼ばれるもので、松竹の伝統となった。
ただしいずれのシステムであってもトップには城戸が君臨していることを前提としたものだったのだが。

松竹映画ただ一人のプロデューサー・城戸のポリシーは、一言でいえばヒューマニズムだった。
それは松竹映画にあって大船調と呼ばれた。

著者・小林は、松竹映画の一大功労者として評価ゆるぎない巨人を、大船撮影所の大部屋俳優だったり、後輩の制作者だったりの目を通して描く。
そこには、力のないもの、運のないもの、自分の好みに合わないもの、自分に逆らうものには冷徹で残酷でさえある城戸の姿が現れる。

昭和30年代後半。
松竹も例にもれず、否、他社に率先して、斜陽の道を転がり落ちる映画産業の時代。
城戸もトップとして対応を希求していたものの、企画は空回りする。

若手監督抜擢のいわゆるヌーベルバーグ、武智鉄二の「白日夢」「紅閨夢」「黒い雪」と、城戸らしくない企画が続いた。
しかしながら、ヒットした武智映画の「エロ」についてはスルーするが、ヌーベルバーグの「政治性」にははっきりと拒絶を示す城戸がいた。
大島渚の「日本の夜と霧」の上映打ち切りの決定者は城戸四郎だった、というのが著者の見立てである。

「日本の夜と霧」打ち切りの真相を著した部分

森崎東という監督がいた。
「喜劇・女は度胸」でデビュー。
「男はつらいよ」の脚本にも参加し、「フーテンの寅」では監督。
山田洋次作品とは一味違う、陰影、泥臭さを持つ作品で、松竹離脱後も作品を発表し続けた。

個性的な作風のこの監督を自由契約にした(松竹をクビにした)のも城戸だった。
城戸は当時の制作本部長に対し、自分の目の前で森崎への解雇の電話連絡を行うように命じたという。

森崎東解雇を著した部分

映画プロデユーサーとしての冷徹さはともかく、また小津、木下らをフィーチャーしていた黄金時代はよいとして、60年代に入ってから、時代性や新しい才能についていけなくなったあたりが城戸の映画人としての限界だったのだろう。

さて、城戸自身、脚本執筆や、企業としての撮影所経営には興味があっても、映画というダイナミズムには果たして興味があったのか?
あったとしても、そのダイナミズムに太刀打ちできない自分にどう折り合いをつければいいのか、最後まで分からなかったのではなかろうか?という疑問がわく。

1974年に封切られた、松竹映画の金字塔「砂の器」の企画に最後までゴーサインを出さ(せ)なかったのも城戸なのだった。

映画というものの成り立ちの難しさ、不思議さをその興行史の側面からも感じる山小舎おじさんでした。

玉ねぎを収穫

葉が倒れてきたので玉ねぎを収穫しました。

今年の収穫量はコンテナに3分の1ほど。
残念ながら去年より収量は減りました。

原因はわかりませんが、活着率が悪かったのがすべてだと思います。
その理由は・・・。
わかりません。

葉をつかんで引き抜いた状態の玉ねぎたち
葉を切って、ひげ根を落としてコンテナに詰めます

活着した苗は2分の1ほどの確率で肥大化したので、来年はまず活着率の向上に心がけたいと・・・。
そのためにはガッテン農法で学んだ、苗の植付け方法を実行してみよう・・・。

とはいっても収穫を迎えるのはとてもうれしいことです。
生き残り、成長した玉ねぎに感謝して収穫です。

収穫したあと、玉ねぎは乾かさなければなりません。
畑に置いて日に当てた後、山小舎に持ち帰り、晴れた日は日に当て、夜などは、かごに入れてベランダに置いておきます。
最終期にはネットに入れて軒下に吊り下げておきます。

ある日の夕食。
シチューを作ることになりました。
玉ねぎの出番です。

小さな玉ねぎを集めて、ウインナーやベーコンなどとともに鍋に放り込みます。
後はストーブに任せて、だしの効いたシチューの出来上がりを待ちましょう。

シチューの材料には小玉の玉ねぎを使いました
ガスで沸かした後、ストーブの火力で煮込みます

野鳥の巣箱を作る

山小舎周辺には野鳥がいます。
名も知らぬたくさんの野鳥たちです。

キツツキ(アカゲラ?)もいます。
今の季節ではウグイスでしょうか。
よく鳴き声が聞こえます。

山小舎のベランダの柱にはもともと巣箱がかかっていました。
おじさんが住み始める前からあったものなのでかなり古くなっており、去年、解体して燃やしてしまいましたが、巣箱の中には親鳥が集めた枯れ草などで、巣が作られていました。
敏感な野鳥は、人の視線を感じるとベランダの巣箱から慌てて離れていったりしていましたが、しっかり子育てもしていたようです。

ということで新しく巣箱を作ってかけておこうと思いながら春が過ぎ、夏を迎える季節になってしまいました。
電動丸鋸を買ったこともあり、ある日、思い切って作ってみました。

材料は軒下にあったコンパネ。
作業台に引っ張り上げ、パーツのサイズを決め、鉛筆で線を引いてゆきます。
サイズは大体(だいたい)です。
巣箱の正面の幅と側面の長さに合わせて電動丸鋸でコンパネを切ってゆきます。

コンパネに線を引く
電動丸鋸出動!

電動丸鋸でカットするとまっすぐに裁断できるので、ほぼ正確なサイズにパーツを作成できます。
パーツを組み合わせて、釘を打って組み立てます。

難しいのは出入り口の穴です。
幅の狭いノミで丸い線に沿って穴をあけてゆき、丸く打ち抜きました。
打ち抜いた後で、断面を削って微調整します。

パーツを組み立てる
出入り口を開ける。やむなくのみを使用・・。
箱ができた

やや大きめですが巣箱ができました。

今年の繁殖シーズンには間に合わなかったのかもしれません。
来春あたりからでも、山小舎の周りを飛び交っている野鳥たちに使ってもらえれば幸いです。

屋根をつけてできあがり!
新緑をバックに山小舎の柱にたたずむ巣箱

山小舎リフォーム 光を取り込め!

山小舎は夏は涼しく、冬は底冷えがします。
1階部分は1年を通じて、薄暗く、1日中照明がかかせません。

6月のある日、山小舎を訪れた奥さんが、2階の窓から差し込む朝日を見て、これを1階に取り込めないものかと思ったのでした。
奥さんは1階の天井の一部をぶち抜き、光を1階に取り入れたい、と言いました。

それを聞いた山小舎おじさんはあることを思い出しました。
それは、別荘管理事務所の草苅バイト仲間の、ある人が山小舎に来て言ったことです。
その人は古民家が好きであちこち見て歩いたそうです。
山小舎を見たその人は、「自分なら1階の天井をぶち抜くなあ」と言ったのでした。

ああ、そう思う人もいるのか、大胆な発想だなあ、カフェでもするならいいけど、普通の民家だから・・・とその時は聞き流した山小舎おじさんでしたが、まったく同じことを奥さんが言ったのにはびっくり。
そういうことならやってみようか?と思ったのです。

東側に、風呂、トイレ、和室があり、居間に面した窓はありません。
南側には台所、西には玄関、北にベランダとサッシがついている山小舎。

土地の斜面を考慮するとやむを得ない配置ですが、ただでさえ採光には配慮の乏しい古民家がより一層薄暗くなっています。
さらには冬の防寒を考えると、空間を区切ることはあっても、開放することは考えませんでした。

今回のリフォームの発案は、その点では画期的な発想です。
特に6月から8月のベストシーズンにおいては。
それ以外の季節には、採光よりは防寒を考えなければなりませんが。

ということで、奥さんともども出入りの大工さんに天井リフォームの依頼をした山小舎おじさん。
ついでに、腐りが入ってきたベランダ支えの補強、屋根のトタンの補修、も依頼して工事が始まりました。

天井をぶち抜くのは、階段上部に当たる部分。
梁の間一つ分の天井板と、畳を取り除きます。
空いた部分の周りには、落下防止の手すりを付けます。

天井の一部分の天板と畳を除きます
同時に階段横のスペースを片付けます

ベランダ柱の補強も含めて、丸2日の作業でした。

採光もよくなりましたが、開放感が段違いで、山小舎の居住状況が改善されました。
併せて階段横のスペースの利用方法を収納部屋から、居間の一部として拡張する方法へと変えました。

居間が広がり、山小舎=古民家の広さが、いまさらながらに味わえています。
だだっ広く、十分に利用できなかった2階も、実質2分割されたことによって、効率的な利用が進む可能性があります。

2階に手すりを付けます
家具を配置しなおします
ベランダを支える柱2本に補強を入れます

柱と梁の構造さえいじらなければ、空間の区切りが自由自在ともいえる日本家屋の面白さに気づきつつある山小舎おじさんたちです。

6月中旬の畑

ジャガイモに2回目の土寄せをしました。
アンデスのほか、男爵イモにも花が咲き始めました。


インゲンが順調に育っています。


直播した小豆も発芽してきました。


鹿に穂先を食べられた菊芋が回復しています。


キューリが元気です。
初収穫しました。


ズッキーニです。収穫間近です。


トマトは茎が太くなり、旺盛に脇芽を伸ばし始めています。
定石どおりに脇芽はかいています。


夕顔が例年通り、どう猛としかいようのない生命力を発揮し始めました。
このまま自由に伸ばしてあげます。


トウモロコシも不揃いながら例年になく元気です。


去年植えたパクチーのこぼれ種が発芽し、花が咲いています。
種をコリアンダーとして収穫しましょうか。


家族が山小舎に来るのでレタスの一番大きいものを収穫してみました。
元肥、追肥、石灰なしでの栽培です。
どんな味に育ったのか?と食べてみたところ、葉が厚く食べ応えのある食感でした。


サツマイモの苗が無事活着しました。
このままいくと秋には芋堀りができそうです。


玉ねぎはそろそろ収穫です。

ベランダをDIY! その3 まだまだやるでぇ

ベランダの補修を継続しています。

防腐塗装を引き続き行なおうと、塗装予定の柱を見ました。
柱には穴が開いています。
もともとは母屋の柱として使っていた150年前の材木です。
傷みとか、腐りではなく、梁などとの組み合わせのためにあけた穴をそのままに、ベランダの柱に流用しています。

古民家の建付けは、柱と梁の組み合わせでできています。
釘などは使わず、例えば地震があっても、組み合わせた柱と梁が揺れを吸収することができるような造りにしてあります。
山小舎のベランダの柱は、そういった柱材を再利用しています。

ベランダ上部を支える柱。溝が貫通したものを再利用している

とはいっても見た目が危なっかしいので、塗装の前にできるだけ穴を補修することにします。

廃材をカットして穴に詰めることにします。
ここで電動丸のこが登場。

柱の穴のサイズに合わせてカットします。
電動丸のこのおかげで、カットが短時間でできます。
実は電動丸のこを使うのが生まれて初めてだった山小舎おじさん。
案ずるより産むがやすし、のココロでぶっつけ本番に臨みました。

何とか、サイズよりはちょい大きめに木材をカット。
カット材をトンカチで柱の穴に埋め込んでゆきます。
素人細工ながらモザイクのようにはまり込みました。
はみ出した部分は鉋で削り、サンダーでもかけましょうか。

ホームセンターで買ってきた電動丸のこを使ってみる
廃材を拾ってきて柱の穴に合わせてカットする
カットした廃材を柱の穴に埋め込む

別の日、2段梯子をかけてベランダ上部を塗装しました。

梯子を使っての塗装作業。
梯子を固定するのが最重要となります。

ふわふわした腐葉土が土台なので、まずは梯子がぐらぐらしないように土台を固めること、次に重心が上にかかっても梯子が倒れないように固定することを考えます。
本来は紐を使って固定するようですが、梯子を柱にもたれかけることで倒れるのを防ぎます。

2段梯子をかけてベランダ上部を塗装

梯子に上り、ケミソール塗料を塗ってゆきます。
雨ざらしのまま20年たったの木材にたちまち染み込んでゆくケミソール。
塗料は染み込んで色も残らず、したがって防水効果は未だし?と、2度3度と重ね塗りをします。

まだまだ時間がかかりますが、楽しみでもあるベランダ補修作業です。

6月を迎えた山小舎。快晴の朝
庭にはルピシアの花が咲き始めた
ハマナスも咲いた

ベランダをDIY! その2

ベランダの防腐防水塗装を続けています。

痛みの激しいところ、雨に当たる場所、塗りやすいところから塗り始めています。

ベランダは4本の柱が支えています。
このうち2本は露出していますが、2本は雨除けと目隠しを兼ねた板に隠れています。
目隠しの板は土に接した部分から腐り始めています。
まずは、この目隠しを撤去しました。

ベランダの軒下を覆う目隠し。板が傷んでいます
ベランダへあがるステップも耐用年数経過済みです

目隠しは、板、鉄柵、ドアサッシが土に埋められる形で設置されていました。
それらを掘り起こして取り去ります。
板は土に埋まった部分から腐っており再利用不可の状態でした。
鉄柵、ドアサッシも再利用はしたくありません。

軒下の覆いの再設置は別途考えることにします。
軒下はオープンにしておくと秋から冬場にかけて落ち葉の吹き溜まりになってしまいますので、目隠しの意味も兼ねて手当ては必要になります。
ブロックか何かで土台を作り、その上に合板か何かをサイズに切って塞ぐようにしましょうか。
いずれにせよ塗装の後の作業になります。

目隠しを撤去しました

さて、防腐塗装です。
先回使ったキシラテコールという塗料は高価なうえ、乾ききった木材には染み込むばかりで不効率なので、雨のかかる部分には、より安価で防水効果の強いコールタール系の塗料を使うことにしました。
玄関先に使ったのはクレオソートでした。
今回は同様の効果で、匂いがきつくないというケミソートという塗料にしました。
思い切って一斗缶(14リットルほど)を買いましたが、5000円台で買えました。

柱を中心に、ベランダの柵、梁などを塗ってゆきます。
畑に出かける前、バイト仕事の後などに時間を見つけてはちょくちょく塗ります。

特に腐食の進んだ部分などには重ね塗りします。
重ね塗りすると焦げ茶色に色がついてきます。
一度塗ったくらいでは、乾ききった木材にしみ込んでしまって、色がつかないのです。
色がつかないということは防水防腐効果が薄いものと思われます。

ベランダの塗りやすいところから塗ってゆきます
手が届くところはだいたい塗り終わりました

手が届かない場所は脚立を使います。
この脚立、不安定に見えるようで、家族に塗装風景の写真を送った際に、「大丈夫か?」との返信がありました。
脚立自体は強度充分なのですが、地面が場所によってはフカフカなので、脚立の足の片方が沈み込んでゆくことがあって不安定なのが欠点ではあります。

足元が不安定だと、塗装作業が進まないだけではなく、塗料をぶちまけて体にかかったりしかねません。
また、脚立ごと倒れて怪我しても周りに迷惑なので気をつけながらやっています。

鉄製の脚立を使って塗ります