底冷えの上田に「真田」を探す

予報通りに雪が降った12月中旬の日。
山小舎仕舞いを前にして、別荘地管理事務所と畑の大家さん宅にちょっとしたお歳暮を配りました。
ついでに上田の街に出て今シーズンの名残りを惜しみました。

上田市内から見る里山も真っ白

中華モリタで腹ごしらえ

昼前に上田に着きました。
山小屋周辺では真っ白だった路面も、雨でぬれた程度の上田市内でした。

先に昼食を摂ることにしました。
地元で働く人がランチで選ぶ店、というブログに載っていた、駅前の中華モリタに行ってみました。

雪は少ないとはいえ、底冷えのする上田市内。
これが信州の冬の寒さでしょうか。

目指す食堂のあるあたりは、とんかつ力亭、馬肉うどんの中村屋などが並ぶなじみのエリア。
目指す店はすぐ見つかりました。

まだ温まりきらない店内には先客が一人。
滞在中にあと2組が入ってきました。

駅前、天神の中華モリタ

チャーハンとラーメンのセットを注文。
チャーハンは期待通りというか、予想通りの、町中華の味。
ラーメンはやや物足りなかったかな?

チャーハンラーメンセット880円

地方の食堂は、都会のラーメン屋ように「味にヒステリー」を競うようなことは全くありません。
手作りの味と、量と、皿数が売り物です。
おいしいみそ汁と手作りの漬物が定食についているだけで満足するほどです。

が、ラーメンのような、「力づくのダシ」で食う料理は、手作りがアピールできる種類のものではありません。
しっかりダシを取るなどして、味にメリハリをつけてもらいたいものです。

現に、辰野町のタイガー食堂など、地鶏のダシで抜群にうまいラーメンを出す店はあります。

ラーメンへのダメ出しが続いたところで、上田駅へ行って、観光案内所と特産物販売店をパトロールして最新の情報収集。

台風で千曲川にかかる鉄橋の一部が落下して1年たつ、上田電鉄別所線の復旧工事がやっと進み、来年3月の全線開通を目指し、鉄橋の土台部分を工事中との明るいニュースにも接する。

博物館で「真田の鎧」を探す

上田訪問の目的の一つ、上田城内の市立博物館へ向かう。

本館の正面

底冷えする城内には人影も少ないが、そこは有名な観光地、博物館には三々五々観光客の姿も。

目指すは「真田の鎧」。
というのは、真田氏の本拠地・上田市真田地区にある「真田歴史館」という資料館に展示されていたのが、NHKドラマで使用されたという、レプリカの鎧一式。
では、ホンモノは残っているのか?どこの博物館にあるのか?と思ったから。

別館の正面

ありました。
市立博物館の別館2階が真田関係の専用コーナー。
その中央に幸村の父親で、ともに上田合戦で戦い徳川軍を撃退し、関ケ原の後、ともに高野山に蟄居の時を過ごした、真田昌幸の本物の鎧兜が。

他にも当時交わされた、秀吉など有力者との書状なども。

江戸時代になってからの幸村らの錦絵は、葦に隠れて家康の本陣をうかがう幸村や、騎馬上で一騎打ちする幸村と家康など、史実とはかけ離れた設定ながら当時からの真田人気を物語る貴重なものでした。

さすが真田氏の本拠、上田城を擁する上田市の博物館。
さりげなくも貴重な資料が保存展示されています。
真田ファンは一見の、いや二見三見の価値があります。

上田城のお掘を外側から見る

池波正太郎真田太平記館へ

真田本流の鎧兜の本物に接することができた勢いで、市内中心部にある「池波正太郎真田太平記館」へも行ってきました。

市内中心部に建つ真田太平記館

週刊朝日での連載、NHK大河ドラマ化、の小説「真田太平記」の作者、池波正太郎を記念しての資料館。
小説家池波を通しての真田史に触れることができる場所だった。

映像シアターも併設されている

真田氏の歴史という視点を通しての上田めぐり。
帰りの路面凍結を心配しつつ、夕暮れまでに山小舎に帰りつくように帰途につきました。
上田よまた来年!

予報通りの雪

天気予報通りに雪が降りました。
12月中旬を迎えた山小舎。
朝夕の寒さもひとしおです。

朝起きたら屋根に雪が積もっていました。
今シーズン初めての本格的な降雪です。

山小舎の二階から裏の国有林を見る
ベランダ越しの寒々しい風景

写真を撮りに外に出ると、玄関先が除雪が必要なほど積もっていました。
サラサラの雪質です。
今のうちに除雪しておかないと、残った雪が凍ってしまいます。

玄関の階段が雪で埋もれている
軽トラのフロントガラスに分厚く雪が積もっている

こんな天気ですが、畑の大家さんに畑じまいの御挨拶を持ってゆくために外出しました。
別荘地内の道路は新雪状態です。
1年前に新品のスタッドレスタイヤに交換したばかりの軽トラですが、ここは慎重に走ります。
ここまで雪があると、カーブでは軽くハンドルを取られます。

別荘地内の道路はまるっきりの新雪状態

国道に出ると道路にわだちができていますが、路面凍結状態ではありませんでした。
時速30キロ程度で慎重に走りました。
周りの里山の木々が真っ白になっていました。

国道へ出る。カーブは特に慎重に走る
雪道での急発進、急停車、急ハンドルは禁物だ!

麓の集落に出ると、道路は積雪状態から、溶けて濡れた状態になっていました。

畑仕舞い

令和2年の畑の仕事納めをしました。
今年は12月中旬まで山小舎に居ます。
朝夕はストーブをガンガン焚かないと寒くていられません。

12月の畑とその周りの風景

ガッテン農法を試そうと思い、農法に則った畝立てをしています。
12列の畝が完成しました。ススキや糠、落ち葉、燻炭などを用意しなければいけないガッテン式畝立ては想像通りに大変ではありました。
粘土層が出るまで幅50センチで掘ってゆきます。
石が出てこなく、掘りやすい状態でも、1列につきスコップで4往復程します。

この穴掘りと、すでに掘ってある穴に、ススキなどの資材を入れて土をかぶせる作業を1列ずつワンセットやるので1日精いっぱいでした。

時間にすれば2時間ほどの作業ですがヘトヘトでした。
日差しがよければ、ヤッケを脱ぎ、もう1枚脱いで、袖まくりでやりましたが。日差しがないとヤッケも脱げない寒さです。

深さ30センチほどの粘土層まで掘り、砕く
ススキなどの資材を投入する
埋め戻して畝にする

延べ2週間にも及ぶ作業でした。
山小舎おじさんにもまだ情熱が残っているのだなあと、実感せざるを得ないことでした。

12列のガッテン式畝が完成

5枚借りている畑のうちの1枚のみですが、12列の畝ができました。
余ったススキを畝にかけて養生しました。

ススキで畝と畔を養生する

最後にガッテン農法の神髄であるネジネジを畑の隅に埋めました。

磁石で方角を図り穴を掘る
マニュアル通りにねじった藁とススキの茎を方角に合わせて配置
埋める

果たして来年の畑はどうなっているでしょう。
どう転んでも悪くはならないだろうと思われる今日この頃です。

畑仕舞いしてフェンスを閉める。来年までさようなら

ガッテン農法 ネジネジの教えを乞いに

ガッテン農法シリーズです。
最近の山小舎おじさんの畑関係の活動は、ガッテン式の畝立てと、ネジネジづくりが主な内容になっています。

ネジネジを作って、畑の隅っこや、山小舎の玄関、軽トラの運転席に置いています。

ところがある日、ネジネジ関係の動画を観ていて、これまでの作り方が間違っているのでは?との疑問が沸き起こりました。
ねじり方の向きが逆だったのでは?という疑問です。

そこで、ネジネジ実習会の講師を務めた、富士見町在住のN氏にメールで確認しましたが理解に至りません。

気になりっぱなしのネジネジ問題を解決したくて、富士見町のN氏を訪ねて再度、教えを乞うことにしました。

当日の天気は快晴。
富士見町までのルートは八ヶ岳を望むロケーション。

茅野、原村、富士見町と過ぎるにつれ、角度を変える八ヶ岳の姿。
その圧倒的な存在感は、地域にパワーをもたらす源泉が八ヶ岳にあることを余すことなく伝えている。

茅野から見る八ヶ岳連峰

携帯のナビ通りに軽トラを走らせると、N氏の農園にたどり着いた。
八ヶ岳山麓まで見渡す限りの高原の畑の中に点々とする集落。

その集落の中に住み、定住7年目というN氏。
奥さんともどもガッテン農法を実践し、収穫物は直売所などに出荷しているとのこと。
農閑期の現在は、八ヶ岳連峰の権現岳、編笠山にも登り、山頂にネジネジを置いてきたとのこと。

富士見町のN氏農園から見る八ヶ岳連峰

玉ねぎの世話で忙しいN氏に詫びながら、農園のビニールハウスで、山小舎おじさんの疑問に教えを乞う。

改めて疑問への解答をいただくとともに、イラストで分かりやすく書かれたマニュアルをコピーさせてもらう。

N氏の農園のビニールハウスで教えを乞う
デモ用にN氏が作成してある本式ネジネジ
コピーをいただいたマニュアルの1枚

まずは疑問点を解決できた山小舎おじさん。
正しいネジネジを作り直して、農作業や生活を助けてもらいたい、と思った次第。

ゆくゆくはガッテン農法先輩のN氏のように、ますます活動的な田舎暮らしを送りたいと思いました。

シナノゴールド

長野はリンゴの季節が最終コーナーを回ったところ。
11月に主力品種のフジが出てきてラインアップが勢ぞろいした。

最近は夏リンゴといって8月下旬から小型で硬くすっぱい品種が出てくる。

9月になって、紅玉をはじめ、秋映、陽光、シナノスイート、シナノリップ、王林など早生系の品種が出てくる。
同時期にラインアップされるのが、シナノゴールドという品種。

外見は黄色味がかった色味で、熟してくるとほんのり赤味がさす。
実はパリッとしてジューシー。
酸味と甘みが程よく、香り高い。

山小舎おじさんは、リンゴ狩りに行ってこれを食べ、孫ともども、すっかりファンになってしまった。

それからは、直売所に行くたび買い集めて、時折自宅に送っている。
だんだんと、処理しきれないほど集まってしまったのでジャムにしてみた。

最近人気のシナノゴールド

スーパーで値引き品が目に止まり、買っておいたやつをジャムにした。
値引き品は3個で280円ほど。
これは安いと思った。
これまでの最安値はさる場所の無人販売所での3個、200円だったから。

3個で税込み300円は安いほう

実が硬めなので、煮崩れるのに時間がかかったが、特有の香りは失われていない。
リンゴジャムといえば赤味がトレードマークだが、たまには黄色のジャムもいい。

皮付きでジャムにする
大人締めの食味の品種なので、砂糖は白砂糖に少しザラメをブレンドした
やや時間がかかったが煮えてきた
小瓶に3つできた
残ったジャムをパンに乗せて試食

自宅へ良いお土産ができた。

かりんのシロップ漬け

かりんのシーズンでもある。
直売所ではよく見かける。
4,5個入って200から300円と安い。

種類は日本種の本かりんと西洋種のマルメロがある。
地元長和町はマルメロで町おこしをしており、道の駅の名前も「マルメロの駅」という。

かりんの木が庭先にある家も多く、収穫した実を分けてもらえることもある。
加工法ははちみつ漬けが一般的か。
はちみつに溶け出したかりんの成分は咳止めとして重宝する。

ということで、山小舎に集まったかりんを加工することにした。
直売所で買ったり、スーパーの値引き品で買ったり、庭で収穫したのをもらったりして集まった。

はちみつ漬けが簡単で間違いないが、はちみつが高いので、シロップ漬けにすることにした。
ネット検索すると、氷砂糖で漬け込むとはちみつ漬けと同様のシロップができるようだ。

今回のシロップ漬けに抜擢したかりん達

容器を探し、消毒と乾燥。
かりんは色づきの良いものを選別して洗っておく。

かりんを切る前に短時間、熱湯で煮る。
煮ることは消毒にもなる。

いかに濃度の濃い砂糖漬けにするとはいえ、雑菌の繁殖は避けなければならない。

山小舎でもこれまでに様々な食品加工に挑戦したが、生の柿を洗わずに発酵させる柿酢は、3回挑戦してうまくいったのが1回だけ。
あとは青カビが浮いたり、酢でないものに発酵したりの失敗だった。

漬物も同様。
たくあんは2年連続失敗で、今年はあきらめ。
毎年うまくいくのは梅干しと干し柿くらい。

切干大根や、ドライフルーツ類も、ほったらかしではうまくいかない。
乾燥がすすまない時はカビが出る前に、ストーブを使ってでも乾燥を促進させなければならない。

仮にも食品加工。
容器や材料の準備、消毒など、手間がかかるのだ。
その心は、発酵を司る菌への関心の度合いなのかもしれない。

熱湯でかりんを煮て消毒

ということでかりん漬けに話を戻す。

容器は熱湯消毒し乾燥させる。
かりんも熱湯で煮る。

あとはかりんをスライスして種も含めて、氷砂糖と交互に容器に詰めてゆく。
容器は密封せず、冷暗所に貯蔵。
ときどき振って砂糖を溶かしてゆく。

まず縦にカットする
短冊に切ったかりんと氷砂糖

年明けに山小舎を点検に来た時には、かりんシロップがうまくいってるかどうかがわかるだろう。

消毒し乾かした容器に交互に詰めて保存

12月の山小舎

令和2年も師走になりました。

山小舎周辺では先月末から雪が降り始めました。

寒い日はストーブをガンガン焚いてやっと部屋が温まります。

朝と、外出から帰った後は灯油ストーブの力を借ります。

そういった気温の朝は、屋根や積んだ薪の上が白くなっています。
日が当たるまで雪は残ります。

薪割フィールドは白くなっていたある朝
雑木林の地面もうっすら積雪

日が当たっている間はいいのですが、日が陰ると野外での活動はしんどくなります。
動いている間はまだしも、止まって行う作業は日中の晴れの日に限られます。
最も冬の間は晴天が続き、雨や雪の日が少ないですが。

冬らしい晴天に恵まれたある朝

来年の3月いっぱいはこういった気候が続きます。

標高700メートルの畑にも雪が降った

ガッテン農法 ネジネジ実習会

山小舎おじさんが実践しようとしているガッテン農法。

とりあえず農法通りの畝づくりを実践中だが、ガッテン農法と切っても切れないのが「ネジネジ」。
稲わらをねじり、ススキの茎に巻き付けたりして作る、「ネジネジ」を土壌改良などに役立てようとする試み。
ガッテン農法をまとめた三浦伸章さんが2年ほど前に到達した「境地」だそう。

11月に茅野で行われたガッテン農法の講習会でも、ネジネジに関しては、三浦さんによるデモンストレーションと、参加者による簡単な実習があった。

「ネジネジ」を乗せると重いバケツの軽くなり、土中に埋めると土壌が団粒化し、雑草も抜きやすくなる、という触れ込み・・・。

体験すると、気のせいかもしれないが、石が詰まったバケツも軽くなるような感じだし、今後の畑作業を考えると、神頼みであっても、野菜の品質、収穫量の向上と、作業の省力化は推進したいのが、山小舎おじさんとしての本音。

そういうわけで、12月初旬に行われたネジネジ実習会にも参加。
この度の講師は三浦さんではなくて、富士見町在住の農園主のNさん。
自身の農園主宰7年目で、ガッテン農法、ネジネジの実践者だ。

開催時間ギリギリに慌てて会場の茅野市の民家へ行くと、講師のNさんと民家の主が楽しそうに稲わらを梳いており、良い意味で拍子抜け。
蓼科山に見守られるあたりのゆったりとした雰囲気そのままの、リラックスした実習会となった。

会場の民家の縁側にはかりんが干されていました

稲わらをねじって丸める簡易スタイルのネジネジ作りから、ススキにねじった稲わらを巻き、畑に埋めるための本式のネジネジ作りまでを実習。
他の参加者は、一人を除き全員女性。
こういった感性の鋭さ、柔軟さは女性の方が・・・と思わざるを得ない。

講師のNさんによるネジネジ実習会
Nさんのデモンストレーションを見守る参加者

1回の実習でネジネジ作りが身に着いたとはとても思えないし、ましてはその原理など想像もつかないが、結果に貢献してくれればそれで充分。
費用がほとんどかからないのもいい。
来年の畑に期待し、ネジネジを試してみようとする山小舎おじさんでした。

会場を貸していただいた家主の玄関先には本が

浅間山、山麓に行ってみた

令和2年、12月になったある日、急に思い立って浅間山を見に行ってきた。

ひとつ山越しゃ、見える景色が一変する信州。
地域地域で仰ぐ山々も変わってくる。

茅野から見えるのが八ヶ岳連峰、松本からは北アルプスが地元を見守る山、というか地域のシンボル的な存在だとすれば、上田、佐久地方にとっては浅間連峰が、同様な存在なのではないか。

佐久地方から遠望する浅間山の秀峰

ということで、空気も澄み、仰ぐお山の姿も鮮烈なこの頃、佐久地方の母なる山、浅間山に近づきたくて軽トラを走らせた。

地図を見ると、小諸から山麓までのルートがある。

あたりは上信越高原国立公園エリアだ

10月に孫たちとリンゴ狩りをした小諸のリンゴ園の脇を通り、浅間山麓へと登ってゆく。

峠への道を登ってゆく

シーズンオフ、曇天、行きどまりのルート(冬季間、群馬へ抜ける道、湯ノ丸港高原へ抜ける林道は閉鎖)。
通行量はほとんどない。

浅間山登山口への分岐点を過ぎる

浅間山の山頂も雲がかかっている。

雲がかかった浅間山山頂

けっこうな傾斜のルートを登りきると、群馬との県境の車坂峠に到着。
下山してきた登山者もいるにはいたが、肌寒い気温と霧。
単独行の高齢登山者一人のほか、あたりに人影はない。
浅間山一帯が完全なシーズンオフであることを物語っている。

登山者への警告
峠から見た浅間山山頂

湯の丸高原への林道が閉鎖されているので、元来た道を引き返す。
とりあえず浅間山に近づけたドライブだった。

中山道シリーズ第五弾 芦田宿と茂田井間宿

今回、中山道二十六次・芦田宿と、その江戸よりにある茂田井間宿を訪ねた。

芦田宿

白樺湖から、県道40号線を使い、雨境峠を越えて下ってゆくと立科町の中心部に着く。
旧甲州街道との交差点を左折すると、中山道芦田宿だ。

長和宿と望月宿の間にあり、諏訪に向かって笠取峠のふもとに位置する宿場だ。

旧甲州街道・芦田宿

全国的に有名な場所でもなく、山小舎おじさんもあまり来たことがない。
通過するには旧中山道ではなく、新道を使うことが多いので通過することもほぼない。

本陣跡の門構え
現役で営業中の旅館

現役の旅館や、現役の醤油屋、本陣跡などを表面から見て歩き、町の中心部と思しきエリアに建つ「ふるさと交流館」に入ってみた。

ふるさと交流館に入ってみた

最初はいぶかしげに対応してくれた女性職員。
館内にはリモートワーク風にパソコンに向かう利用者、井戸端会議風に情報交換する利用者が三々五々。
平時のこともあり、全員女性だ。

来館の意図を伝えると、職員さんは地域紹介のパンフをくれたり、現役旅館のマッチをくれたり、付近の直売所の情報交換に応じてくれたりした。
部外者には戸惑ったものの、相手の意図を理解するとフレンドリーに対応してくれた職員さんに感謝。
館内に展示されている、東山道、東海道、地元の名士などの資料を見せてもらう。

この芦田宿には、立科町の役場がある。
昔からの街の中心地なのだが、車の流れ、商圏は完全に中山道の新道沿線に移っている。

町の中心部とバス停

ひっそりと時を刻む芦田宿の現在。
真新しい白壁の古民家が軒を連ねる歴史遺産的なエリアでもなければ、古民家が一掃され、宿場の香りが残っていない町に変貌していることもない。
無理なく自然な感じが好ましかった。

茂田井間宿

芦田宿から望月宿(江戸方面)へ歩いてすぐの場所に茂田井間宿がある。
間宿というのは、幕府が定めた正式な宿場ではなく、その中間にあり、宿場で賄いきれない客などをさばくための場所だという。
したがって本陣などはなく、殿様はあくまで正式な宿場の本陣に泊り、家来が泊まるのだという。

旧中山道。茂田井間宿には古い町並みが残っている

ここには造り酒屋が2軒残っており、その白壁が目を引く。
酒屋の一つ大澤酒造が民族資料館を併設しているので入ってみる。

大澤酒造の門構え、敷地内に資料館がある

声をかけると50代くらいの当主が出てきて、二階にある資料館の電気をつけてくれる。
びっくりしたのが鎧兜の展示。
かつての当主が殿様より賜ったものという。
宿場の住民で会っても名主を務めるような存在ならば、名字帯刀を許されたのだ。
名のある街道筋で歴史を刻んだ旧家の重みを感じることができる空間だった。

資料館の中央には鎧兜があたりを睥睨する
名主としての歴史を感じさせる展示物

入場料代わりに酒蔵の新酒を1本購入。

大澤酒造大吉野新酒を購入

通りがかりに見えた諏訪神社。
柱を組んだような本堂脇の外観が珍しくて寄ってみる。
かつての名工が刻んだ彫刻を保護するために柱で囲んでいるようだった。

集落にある諏訪神社
左の骨組みの中に名工の彫刻が保存されている

軽トラを駐車したのはかつての集落の中心地。
村立の学校から後に公民館として使われたという木造の愛すべき建物の前の広い駐車場。
バスが展開するというその場所は、今ではJAも閉店し、ひたすら無聊の時を刻んでいるようだった。

村立学校だった建物
柿の実越しに遠望する浅間連峰