草苅りバイト開始

山小舎がある姫木別荘地は、姫木の森有限会社という管理会社が運営?しています。
会社には専従の社員が10名ほどいて、別荘地共有部分の保守管理を主に行っています。
会社の収入は別荘オーナーからの管理料のほか、土地の所有者である町の財産区からの地代収入の応分など、約9000万円だそうです。
個別の別荘オーナーからの敷地内の除草、整備、除雪、備品撤去などの依頼があった場合の対応もしています。

姫木の盛有限会社社屋

毎年4月中旬から10月くらいまでは、バイトを採用して側溝の整備、除草などを行います。
バイトで集まるのは主に別荘オーナーで、70代、60代のメンバーが主力となっています。
山小舎おじさんんも、ここに来た2年目から参加し8年目になります。

軽トラに道具を積んで出発準備

熊手を使っての落ち葉集めはともかく、草刈り機は山小舎に来てから初めて使った山小舎おじさんにとって、しかも60過ぎてからの、外での1日仕事は体力的に大変でした。

しかしながら、多様な人生経験を積んだ先輩バイトの方々との交流は、一人暮らしの山小舎おじさんにとっては貴重な時間となりました。
同じ地域に暮らす仲間としての情報交換の場としても重要でした。
大工仕事、薪づくりなどに技能を発揮する仲間もいます。
1か月に1度程度のゴルフを楽しみにする愛好者もいます。
普段はしゃべる相手もなく、また体を動かすこともあるとはいえ偏っていたことが多い山小舎おじさんにとっては、心身ともにリフレッシュできる場でもありました。

草刈り機、ブロワーなどの仕事道具

今年も仕事は始まっています。
山小舎開きが4月中旬と遅れ、そのため畑に、山小舎にと忙しかったので、5月中のバイトは2回、6月に入っても週1回ほどの出勤率ですが、今年の仕事をスタートさせました。

休憩時間の草刈り機とヘルメット

8年目ともなると体が仕事を覚えています。
体はしんどいのですが、思ったより動けました。

何より、全身を使って汗をかく仕事はいいものです。汗を出し切ってからだが軽くなる時(夕方近く)が最高です。バイト仲間が皆元気なこともうれしいことです。

草を刈った後

令和7年6月7日の「信濃毎日新聞」

外出の際に両替のため、コンビニで新聞を買うことがあり、手元に6月7日付の信濃毎日新聞があります。

信濃毎日新聞は県内最大の新聞です。
たいていの家では同紙を取っており、直売所やスーパーに置いてある包装用の古新聞は必ずといってよいほどこの新聞です。

内容は充実しており、全国ニュースは朝日、読売などの全国紙にそん色なく、むしろページ数が少なく、内容は広告ばかりが目立つ全国紙と比べると、ページをめくっていて一時代前の新聞のような満足感さえ感じられます。

SBC信越放送の午後のワイドショー「ずくだせテレビ」のコメンテーターに、信濃毎日新聞社のデスク級の社員が文化人枠として、毎日出ているのも県民にとっては当然のお約束です。
「ずくだせ」というのは信州地方の方言で、元気出せとか意気地出せという意味(だそう)です。

さて6月7日付の同紙。
一面は「須坂市ふるさと納税除外へ」。
須坂が返礼品のシャインマスカットを市内産のものに加えて、山形県産のものを送っていた事件です。
総務省によるふるさと納税制度の対象から須坂市が除外されるとのこと。
岡山県吉備中央町と同時の除外となり、除外された市町村は全部で5例目だそうです。

中信地方のローカル版のページには、「人々の思い受け上松出発」として、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の御用木が木曽の上松町を出発したニュースが載っています。
ローカルテレビニュースでも、木曽山中での伐採から、山おろし、安置までたびたび伝えられていました。
樹齢300年の御神木が3本伐採され、切りそろえられた後、トラックで伊勢神宮に向け出発したとのだそうです。
内宮用に2本、外宮用に1本が使われるといいます。
木曽の木材が江戸時代に幕府の御用材とされていたそうですが、伊勢神宮でも使われていたのですね。

見開き1面には、「祝・辰野町新町発足70周年」として、カラーの広告ページがあります。
上半分は、町長挨拶、式典式次第、ほたる祭りなどの関連行事案内が、下半分は協賛企業の広告が載っています。
協賛企業には地元小野地区の銘酒「夜明け前」の小野酒造の名もあります。

ほかにも下伊那地方を通るリニア関連のニュースや、毎年6月に上田市丸子で開催される女子ゴルフの国内メジャー大会の広告、様々な興味深いローカルニュースが載っています。

「リニアのゆくえ」と題する追跡記事
今年も上田市丸子で女子ゴルフ大会が。テレビでも中継される

駒かなローカルの話題に、同新聞の取材網の充実と郷土愛が感じられます。

県内企業の商品開発の記事
田舎と言えば空き家と古民家。古民家再生の広告
諏訪市の街中に今年も手作りの提灯が下げられるようだ

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その3 ルキノ・ヴィスコンティ

ルキノ・ヴィスコンテイの経歴(ネオレアリスモの時代まで)

「ルキーノ・ヴィスコンテイ」(2006年 エスクァイヤ マガジン ジャパン刊 P52~62の「人物評伝 滅びゆく貴族とブルジョアの崩壊」映画評論家 田中千世子)より要旨抜粋する。

表紙
奥付

ヴィスコンティは1906年ミラノ生まれ。
父はミラノ公国の流れを汲む貴族、母は新興財閥の生まれ。
両親の自由精神を尊重した教育を受けて育つ。

目次

子供時代から、ミラノのスカラ座でのオペラ鑑賞や文学に傾倒。
1930年代にはパリに遊学して映画を含めた芸術に目覚める。

1939年にはイタリアに戻り、ローマのチネチッタ撮影所を根城に、雑誌「チネマトグラフィ」の同人として活動。
この間、自然文学者ジョヴァンニ・ヴェルガの短編「グラミーニャの恋人」を脚色するが映画化の許可は下りず。
監督処女作のジェームス・ケイン原作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、ルノワールからのシノプシスをヒントにしてのもので、1942年にクランクインされ、43年に公開された。

大戦中の44年にはパルチザンをミラノの自宅屋敷に匿ったことから、ヴィスコンティ自身も逮捕され処刑寸前の目に遭う。

戦後しばらくは演劇活動を行っていたヴィスコンティの映画第二作は1947年に撮影開始した「揺れる大地」。
念願のシチリアを舞台にしたヴェルガの長編「マラヴォリア家の人々」を原作とした。

ルキノ・ヴィスコンテイ

「揺れる大地」  1948年  ルキノ・ヴィスコンテイ監督  イタリア

戦後間もないシチリア島のアチトレツァという漁村に7か月間ロケし、俳優は全員現地の素人を起用、イタリア国内でさえ字幕を付けて上映されたというシチリア方言によるセリフのこの作品は、イタリア共産党の依頼によって、当初は、シチリアの労働者(漁夫、抗夫、農夫が主人公)についてのドキュメンタリー3部作の第一弾として企画された。

ドキュメンタリーは劇映画となり、3部作は、漁夫一家を描いたこの1作だけが完成した。

北イタリア出身のヴィスコンティにとって、シチリアという素材は『写実的小説家ジョヴァンニ・ヴェルガの「マラヴィオチア家の人々」に書かれたような、シチリアの漁師たちの原初的で巨大な世界は想像を絶するほどのものとして、また荒々しい叙事詩として立ち現れるのだった』のであり、『ヴェルガのシチリアはユリシーズの島のように見える』のだった。(『』はどちらも「ルキーノ・ヴィスコンテイ」 P60より)

こうしてヴィスコンティの政治的信条の、マルキシズム的価値観を制作動機としつつ、一方でその美的審美眼の実現を追求した作品が出来上がった。

長男のウントーニ(左)

映画の出だしは、帆が付いた大型手漕ぎボートによる沿岸漁業と、はかりを持って浜に現れる仲買人による前近代的なセリの模様。
夜明けに海から帰ってきた漁夫たちが、洗面器で顔を洗っただけで夜までの休息に入る様子。
あるいは夜明けと同時に起きだし、家の掃除をして帰ってくる男たちを待つ女たちの様子を捉える。
良質のドキュメンタリーのような出だしだ。

そのうち映画は、登場人物の個々の描写を始める。
海軍帰りの長男・ウントーニは漁から帰ると休む間もなく恋人の元へ行く。
恋人はウントーニへの好意があるのかどうか、あいまいな態度をとるがウントーニは夢中だ。
彼が独立したときに海の近くの岩場で体を許すが、没落してからは居留守を使って彼の前に現れない。

次男は、戦争で広い世界を見知ってきたリーダーシップあるウントーニを尊敬し、漁でまじめに働くが、没落して失業状態が続くと「成功して、母とウントーニに援助したい」と、アメリカたばこで気を引く正体不明の男に誘われて島を出る。

母親代わりに家を切り回す、宗教画のマリアのような長女・マーラにも好意を寄せる気が優しい職工がいる。
真面目な恋人たちは、一家の成功と没落に翻弄されて、プロポーズに至ることができない。
いよいよ一家が家を差し押さえられて村を離れるときに、お互い好意を持ちながらも静かに別れる。

マーラを演じる素人女優を見ていると「木靴の木」(1978年 エルマンノ・オルミ監督)のエピソードを思い出す。村の素朴なカップルが新婚旅行で修道院に泊まった時に、初老の尼さんから生まれたばかりの赤ん坊を授けられた場面だ。
赤ん坊を受け取りつつ戸惑う寡黙な新婦の美形の表情をマーラは思い出させた。

主人公一家の長女、次女と三男

夢見がちな次女・ルシアは、持ち前のグラマーな肉体に村の警察署長が目を付け、盛んにちょっかいをかけてくる。
一家が困窮した後、ルシアは所長からの高価なプレゼントを受け入れ、愛人となり村中に噂される。

ヴィスコンティは映画の中盤からは、ドキュメンタリー的手法を離れ、時には前近代的な搾取構造と闘う個人を、時には貧困に苦しむ家族のみじめさを、時には己の若さを持て余すかのように道ならぬ恋に悩む乙女を、劇映画そのものとして描く。
前作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1943年)に存分に発揮されていた、人間の根源に迫る容赦のなさ、しつこさというヴィスコンテイの体質を思い出させる。

素人俳優は画面の中をゆっくり横切り、荒々しい海に黒いマントを着てたたずむ。
ショットの構図も決まっている。
まるでギリシャ演劇のようでな俳優の動きであり、凝った撮影である。
ヴィスコンティがこの作品で、素朴なドキュメンタリーではなく、己の美意識の追求を目指していることがわかる。

映画の主人公は、前近代的な命がけの帆掛け船漁で日々を凌ぐ裸足の漁村民たちではない。
己の美意識を前面に出し、零細漁民をギリシャ悲劇の登場人物のようにとらまえるヴィスコンティその人こそがこの映画の主人公なのである。

映画のラストでウントーニはつぶやく。
「仲間を信じて団結しなければ、俺たちは前に進めない。」と。
これは映画の表面上のテーマである。
そこには隠しようもなく、もう一つの制作動機(シチリアに対するヴィスコンティのあこがれ)と美意識が表れていたが。

再び網元の漁船に雇われてオールをこぐウントーニに「厳しい海が船乗りたちの死に場所なのだ」のナレーションがかぶさって映画は終わる。

「ベリッシマ」  1951年  ルキノ・ヴィスコンテイ監督  イタリア

アンナ・マニヤーニのあっぱれ大車輪の演技。
イタリアの母は強し、マニヤーニの演技はさらに凄し。

ヴィットリオ・デ・シーカと組んで「自転車泥棒」「靴みがき」の脚本を書いたチェザーレ・ザヴァッテイーニの原案をおそらく忠実に尊重しての脚本は、フランチェスコ・ロージ、ヴィスコンテイほか。

アンナ・マニヤーニといえば、「無防備都市」で恋人を連れ去られたナチスのトラックに追いすがり銃殺されて路上に突っ伏す占領時代のイタリア女性の強烈さを連想する。
そうでなくても、どろどろの恋愛劇で叫ぶように感情をぶちまける中年女性の姿が思い浮かぶ。

1951年のアンナ・マニヤーニ

この作品のマニヤーニは、ローマの安アパートに暮し、看護婦で糖尿病の治療薬を注射して稼いでいる。
可愛い一人娘を立派な人にすべくなりふり構わない。
チネチッタ撮影所で行われた美少女オーデイションに出場させ、演技のレッスンにつけ、バレエ教室に通わせ、チネチッタに巣食う詐欺師のような男に5万リラを渡してオーデイションを有利に運ぼうとする。
娘のためには夫や義実家との関係も二の次、オーデイション用のドレスを発注し、洋服屋に「ドレス代は注射じゃダメ?」と恥も外聞もない。

娘のオーデイション騒動の各エピソードは、ハリウッドのスクリューボールコメデイも裸足で逃げ出すほどの破壊力。
何よりマニヤーニのド外れた行動力がすごいし、一人芝居のセリフもマシンガン。
加えて各エピソードに登場する端役(演技レッスン講師の元女優、写真館の夫婦、美容室の少年美容師、バレエ教室の先生など)がさらにズレズレに浮世離れして、これまた強烈。
イタリア映画の喜劇のアナーキズムが爆発している。

娘のマリアとマニヤーニ

マニヤーニの取りつかれたようなアグレッシブさは、通常だと深層心理的には自己投影だったりするのだが、イタリアの肝っ玉母さんの場合はそうではないのだ。

チネチッタの詐欺師がわいろに渡した5万リラでスクーターを買う。
それがわかってもマニヤーニは激高しない。
挙句、河原で口説き始める詐欺師を歯牙にもかけず受け流す。
身持ちも堅いのだ。

この河原のシーン、イタリア男のいい加減さも気違い沙汰だが、それを分かったうえで受け流し、肝心な体と心は許さないイタリアの母の凄さには声も出ない。

子役コンテストのセレクトも終盤。
愛する娘が最終審査のテストフィルム試写の場で監督らに大笑いされる。
こっそり試写を見ていたマニヤーニは試写室に怒鳴り込み「なぜ娘が笑われたのか」と問う。

娘の将来とともに己のプライドを賭けていたマニヤーニは、尊厳が尊重されないであろう、チネチッタに象徴される浮き草家業に娘の将来と己のプライドを賭けていたことの不条理に目覚める。

巨額の契約にはサインせず、チネチッタのスタッフを追い返す。
これまで不義理していた夫との愛を確かめるように抱き合い、「一生懸命に注射の仕事をする」と、涙とともに目を輝かせる。
隣では愛する娘が寝入っている。

このアンチハリウッド的ハピーエンドはしかし、庶民的にはこの上ないハピーエンデイングである。
ヴィスコンティのマルキシズム的価値観とも合致する明確な正義感。
マニヤーニの演技を通して、正攻法の母の強さ、温かさ、正しさが伝わってくる。

ヴィスコンティが貧しい庶民を主人とし、社会的正義を前面に打ち出しての、おそらく最後の作品。
一人芝居のようにしゃべりまくり、自分で落ちを作るマニヤーニにも、すごいという言葉しか出てこない。

「われら女性」  1953年  ルキノ・ヴィスコンテイらが監督  イタリア

「自転車泥棒」「靴みがき」の脚本家チェザーレ・ザヴァッテイーノの原案によるオムニバス映画。
新人女優2人を主人公にした一編と、大女優たち、アリダ・ヴァリ、イングリッド・バーグマン、イザ・ミランダ、アンナ・マニヤーニによる4編からなる。
監督はアルフレード・グリアーニ、ジャンニ・フランチョーニ、ロベルト・ロッセリーニ、ルイジ・ザンパ、ルキノ・ヴィスコンテイがそれぞれ担当している。

(左上から時計回りに)バーグマン、アリダ・ヴァリ、マニヤーニ、イザ・ミランダ

新人女優編

チネチッタ撮影所の新人女優コンテストに集う若い美女たちの物語。

アンナは母親の反対を押し切ってコンテストに向かう。
詰めかける応募者の群れ、マイクが軽口をたたきながら応募者たちをさばく。
並んだ応募者たちに「合格」か「不合格」を担当のおじさんが告げてゆく書類審査。
ここでは、不合格と言われて黙って引き下がらないのがイタリア流お嬢さんたち。
文句を言うお嬢さんを軽くいなすおじさんもイタリア流。
軽いというか、こなれているというか、雑然としているというか.「ベリッシマ」でも散々使われたチネチッタ撮影所の、堅気世界とはかけ離れた、乱雑ないい加減さ。

書類審査の後は、合格者に自由に食事をさせる。
その様子で、カメラテストに進むものを選出するらしい。
ここでも、人を人として扱わない映画界の非人情ぶりというか、堅気の世界からズレ切った特殊な世界が描かれる。

アンアとともに清純派の素人っぽいお嬢さんが合格して映画出演を果たす。
その前途には必ずしも輝かしい未来が待ってはいないことを暗示してこの挿話は終わる。

アリダ・ヴァリ編

新人女優たちが右往左往していた第一編と異なり、映画らしくピシッと締まった第二編。
なんといってもアリダ・ヴァリの現役感、オーラが漲っている。

ヴァリは売れっ子国際女優として多忙を極める。
専任のエステイシャン、アンナに体を任せながらも、取材に答え、セリフ覚えにと休まる暇もない。
心は虚ろで、今晩のダンスパーテイも全く気乗りしない。
気まぐれにアンナの婚約パーテイの話を聞き、「行く」と言ってみたが、結局仕事と金がらみでダンスパーテイへ。
しかし、業界人たちのいつもの金がらみの自慢話は全く耳に入らない。
ダンスパーテイを途中で抜け出し、アンナの婚約パーテイにお忍びで参加する。

仲間内の庶民的なパーテイでみんなに親切にされるが、内心はここでも退屈だったアリダ・ヴァリ。
群がる人々に「人々は映画に幻想を抱いている」と内心でつぶやく。
表面上は愛想よく振舞い、アンナの婚約者とダンスする。
外に汽車の汽笛が聞こえた。
バルコニーに出て夜汽車を眺める。

子供時代のあこがれだった汽車の旅の記憶に浸り、機関士だという婚約者の話に盛り上がる。
女優はノスタルジーに浸り、婚約者は自分への関心だと思う。
何となく見つめ合う両者。
その刹那、女優は我に返ってパーテイを中座して、現実に戻ってゆく。

映画女優は虚構の世界に心底退屈している。
自分と映画界が全く人に羨まれるほどのものではないことも痛感している。
そのことがアリダ・ヴァリ自身のナレーションで繰り返し語られる。
だからといって、金としがらみのためにそこから離れられないことも、彼女の行動が示している。

婚約パーテイで一般の人から歓迎されながら、彼女は差し出されるサインに応じようともしない。
表面上は愛想よくふるまいながら。
その理由は、彼女が高慢だからではなく、心底価値のないと自覚している世界の自分のサインなど、との思いがあるからなのだろうか。

イングリッド・バーグマン編

バーグマンの当時の夫、ロベルト・ロッセリーニ監督の一編。
別荘に移り住み、先代の住民と(その鶏と)繰り広げるすったもんだをスケッチしている。

パンツスタイルでいかにも子育てママ風のバーグマンが、カメラに向かってしゃべり、庭でバラの手入れをし、鶏を追いかけて捕まえる。

ハリウッド時代の大時代的な芝居ではなく、身も心も軽々としたバーグマンの動きは、テレビのリポーターのようで、彼女の一面が楽しめる。

イザ・ミランダ編

マックス・オフュルス監督の「輪舞」(1950年)、そしてアメリカ映画の「旅情」(1955年 デヴィド・リーン監督)の美人女優イザ・ミランダが彼女自身を演じる。
肖像画のコレクションに囲まれた自室で目覚め、体操とメークアップ、衣装合わせをすますと撮影所で仕事。
仕事のためには大好きな子供を持つこともあきらめた人生だった、と自身によるナレーションは語る。

ある日、仕事を終えた彼女は一人スポーツカーを走らせる。
前方で不発弾が発生し、子供が怪我する。
病院へ車を走らせるイザ・ミランダ。
手当てを終えた子供をそのアパートまで送る届ける。

アパートでは幼い子供が3人、母親を待っている。
末娘のあどけなさにメロメロになったイザ・ミランダは、昼食を食べさせ、結局母親が返ってくるまでそこにいる。

帰ってきた母親と子供たちの愛情ある絆を見て、彼女はそこを離れ「治ったら電話頂戴ね」と言いながら自室に帰る。
そこは資産的価値あるものには溢れているが、彼女が本当に欲しいもののない空虚な空間だった。

「旅情」では魅力あふれるマダムとして、アメリカ人旅行者のキャサリン・ヘプバーンに「イタリア男は面白いわよ」と余裕たっぷりにアヴァンチュールを解いていたイザ・ミランダの本心に迫るドラマであるのだろう。

アンナ・マニヤーナ編

マニヤーナがヴィスコンテイに実体験を話したことからスタートした企画だという。
いかにもマニヤーニらしいエピソードが繰り広げられる。

アンア・マニヤーニ、ここにあり

舞台(ローマ市内の小劇場の色っぽいレヴューが行われる)の出演のためタクシーに乗ったマニヤーニ。
小型犬を連れて乗り、降りようとするが犬の料金1リラの請求されて激高。
警官に訴えるが、逆に犬の鑑札のなさを指摘されて罰金14,5リラを徴収される。

警察署に車をつけさせ、結局所長にまで訴える。
小型犬の定義や膝の定義まで確認させ、犬の料金不要との裁定を勝ち取るが、舞台には30分の遅刻。
慌てて衣装とメイクを終え、その間舞台を終えた踊り子に「挨拶がない」と注文を付け、「機嫌が悪いのよ」と言いつつ花売り娘役の独唱で観客を引き付けるのだった。

タクシー運転手の理解不足が原因のトラブルでもあり、マニヤーニにしては感情の爆発をやや抑えた演技。
ヴィスコンテイ的にも「ベリッシマ」までの庶民階級の悲哀を題材にした系統の作品でもあり、軽い作品。

楽屋でメイクするマニヤーニを鏡を使って二つの方向から捉える「ベリッシマ」でよく見られた撮影技法がここでも見られた。

春の山小舎リフレッシュ! 食器棚の手入れ

春の大掃除は続きます。
この日は、山小舎入居以来手つかずだった食器棚に手を入れました。

先代オーナー時代には大学のゼミ合宿も行われたという山小舎。
たくさんの食器が備えられていました。

学食にあるような金属のプレート皿が20枚とか、ラーメン丼が20杯とかが用意されていました。
山小舎おじさんの入居時に、山小舎おばさんと大掃除をし、食器もかなり処分しました。
が、いまでも食器棚2基分に皿やどんぶりなどがぎっしり詰まっています。

整理前の食器棚
こちらも整理前の棚

ほぼ10年ぶりに、食器棚の食器類を出して棚をきれいにし、併せて棚の外側、背後の壁や床を拭き、また使わない食器を処分することにしました。

とりあえず中の食器を出す
食器棚から出された食器類

まず食器を全部出し、基本的に同じもの5枚を残してそれ以上の枚数を処分します。
かなりの処分量が出ました。

捨てる食器を段ボールへ

空いた棚の内部を重曹水で拭き掃除して乾かします。
レースの下敷きを洗濯機で洗って干します。
蕎麦用のザルなどもこの際天日乾燥です。

空いた棚を拭いて乾かし新しい紙を敷く
蕎麦ざるを干す
食器棚に敷いてあったレースを洗って干す

軽くなった食器棚を移動し、床と壁、そして棚本体の外側を拭きます。
棚の外側もススなどで汚れています。

食器棚の後ろ、下を拭く。食器棚の背後・側面も

食器棚をもとの位置に戻し、きれいになった下敷きを敷き、適量となった食器を戻します。

スリム化した食器をセット

何となく食器棚周辺の空気も新しくなったような気がします。

令和7年畑 畝間の除草

9月の畑は日照りでした。

草刈り機の刃をヒモに替えていたので、畑の畝間の除草をしました。

畝間の凸凹や、マルチ近くの柔らかい雑草に、ヒモの草刈り機は対応できます。
土ぼこりを上げて雑草が刈り取られてゆきます。

草刈り機で畝間を除草
ズッキーニの畝間

畑の作物の生育を見ます。
乾燥に弱いはずのキャベツが順調に育っています。

キャベツ

芽出しさせた苗を植えたインゲンや、直播の枝豆も思った以上の成育です。

インゲン
枝豆

乾燥に強いトマトも元気です。

トマト

ナスやキューリ、ゴーヤ、ズッキーニなどに水やりをします。
芽が出たばかりのビーツ、しそ、バジルにも。

カボチャ

順調な生育のものはこのまま、乾燥に弱いものは水やりを行って、育ってほしいものです。

6月の山小舎

6月になりました。
朝晩はまだまだ肌寒い山小舎周辺です。
雨の日などは日中でもストーブをガンガン焚こともありますが。

それでも6月です。
穏やかな日中は初夏の様子です。

晴れた日は春ゼミの合唱がにぎやかです。

地上に落ちた春ゼミ

樹々の緑も厚くなり、山小舎の地上波アンテナでは5チャンネルの受信ができなくなりました。

玄関の石垣に棲むトカゲは天気がいい日には外に出て日光浴をしています。
人間が出てゆくと慌てて石垣内の巣に戻ります。

洗濯日和

日中の時間が1年で最も長いこの月。
標高1400メートルの山小舎では紫外線の強さも絶大です。

軽トラ流れ旅2025 北相木村・群馬県境を行く

北相木村へ行ってきました。
長野県南東部、群馬との県境に位置する山村です。

軽トラで八ヶ岳の東山麓に出ました。
小海町から北相木村にむかう道に入りました。

その前に腹ごしらえ。
小海町の駅近くの直売所の食堂で限定10食の手打ち蕎麦です。
千曲川とその向こうのJR小海線を眺めながらのランチです。

食堂の人に北相木からぶどう峠、十石峠方面の道路事情を聞きました。
数年前の台風による通行止めはなくなったものの、道が険しいとのこと。
通行できるのなら大丈夫でしょう?

小海町の直売所「プチマルシェこうみ」
限定10食の手打ち蕎麦
千曲川と小海線方面を見つつ

そこから群馬方面は初めての道です。
国道沿いの町とは一味違った落ち着いた集落が続きます。
何より空が高いです。

小海町から北相木村をめざす
群馬県へ向かうみち
村営バスの停留所

道路沿いに縄文遺跡の栃原岩陰遺跡がありました。
洞窟を利用した縄文時代の住居跡で、様々な骨などが出土したとのことです。
簡単な柵が建てられているだけの洞窟ですが、おそらく大変貴重な遺跡なのでしょう。

栃原岩陰遺跡
遺跡があった洞窟

さらに群馬方面へ進みます。
直売所、役場、考古博物館などがありましたが、日曜日のこともあり?いずれも休館でした。
ここから県境のぶどう峠までは集落もない山道です。

道沿いの滝

ぶどう峠までの道はほとんど対向車もいない山道でした。
道路状況は悪くないのですがひたすら曲がって登る道が続きます。
いつまでたっても、どこへにも出ない?山道ドライブです。

ぶどう峠からは群馬県

そのうちなんとなく山里に下りてきました。
群馬県上野村でした。

上野村と言えば日航機の墜落現場・御巣鷹山がある所。
道路沿いに「御巣鷹山慰霊碑方面」の案内が出てきました。
そっちの方向へ行ってみましたが、トンネルが続きダムが出てきて、目的地は遥か先なことがわかりましたのでUターン。
上野村の集落に戻り十石峠へと向かいました。

群馬県上野村の上野ダム
上野ダムより御巣鷹山方面を望む

十石峠は長野県との境、ぶどう峠の北側に位置します。
またまた深い山塊を走ります。
ほとんど通行量のない山道をひたすら走ります。
結局、ぶどう峠から群馬県内を通り、寄り道しつつ十石峠で長野県に戻るまで3時間ほどかかりました。

十石峠を通って長野県へ

軽トラ旅にとってはきつい山旅でした。

山小舎周りの草苅り

草刈り機も今年の始動は済んでいます。
畑の草刈りで使いました。

山小舎周りの雑草が目立ってきたので、草刈り機を使おうと思いました。
畑と違い、凹凸に飛んだ地形で、雑草も柔らかいので、草刈り機の刃をヒモに取り替えようと思いました。

草刈り機のヘッドの刃を取り外し、ヒモ用のアダプターに付け替えます。
部品を駆使して何とか稼働するように付け替えました。

草刈り機のヘッドをヒモ用に替える

ヒモの場合は、刃と違って格段にきめ細かく刈ってゆけます。

ただ、ヒモは刃と違って、細かな石などを吹き飛ばすので、窓ガラスの近く、特に左後方のガラスには注意します。ベランダ近くを刈る時には出力を下げます。
そうじゃない場所では出力を上げて、硬めの草も刈れるようにします。

窓際は注意して刈る

切れた草があたりに飛び散りますが、放っておきます。
晴れれば乾くし、雨が降れば流れ去ります。
玄関先だけは箒で掃いておきます。

細かな段差などにも対応した草刈りができる

石段の角だったりもヒモが届くところの草は刈ってくれるのがいいです。
山小舎周辺が格段にきれいになりました。

「手入れした感」の山小舎周辺

チェーンソー始動!

今年もチェーンソーが始動しました。

物置の燃料・オイル置き場を開けて準備

一冬休んでいたチェーンソー。
去年も伐採や玉切りで大車輪の活躍でした。

雪が降ってからも稼働していたチェーンソーです。
数か月ぶりに取り出してみると、木くずが付着して、使い終わったままのような状態でした。
仕事仕舞いの際に、燃料は燃やし尽くしてしまったはずですが、分解掃除はしていなかったのです。
寒くてそれどころではなかったようです。

今年買ったガソリンで混合燃料を作ります。
オイルを入れて燃料を充填。
始動をかけます・・・。
が、なかなかかかりません。

ガソリンとエンジンオイルを準備
混合燃料を作る

燃料をポンプで送り込み、チョークを開けてもダメです。
しばらく休ませることにしました。

数分後に始動をかけてみると手ごたえが。
やっとかかりました。
しばらくは煙が出たり、アクセルをふかすとエンストしたりしましたが、大丈夫です。

オイルと燃料を充填

今年はいつもの伐採業者が休業中とのことで丸太がやってきていません。
今後の供給に不安が残りますが、ひとまず手許の玉や枝の処理があります。
去年、玉に切った後、庭に上げておいたものが一山あります。
これを処理します。

チェーンを新しいものに取り替える

カラマツやシラカバなどの玉を割ります。

斧ではすんなりいかないのがわかっているので、チェーンソーで切れ目を入れます。
切れ目にくさびを打ち込んでハンマーで叩きます。
これで割れるものもあれば、ひびが入るだけのもののあります。
ひびさえ入ればそこに斧を打ち込んで割れます。

チェーーソーで切れ目を入れくさびを打ち込む
ハンマーでくさびを打ち込む
斧も使って割る

割れたものを乾燥台に積み込んで玉処理の終了です。
早くて1年後、2年後くらいから薪として使えます。

乾燥台に積み込む

DVD名画劇場 詩人ジャン・コクトー

ジャン・コクトー

1889年フランス生まれ。
20歳の時に詩集を自費出版する。
ニジンスキーらバレエ関連人脈との出会い、モジリアーニらモンパルナスの画家との交流、シュルレアリストらと対立などの20年代を過ごす。
以降、映画、舞台、小説、脚本、評論などの活動を行う。

コクトーが映画に関わった契機の一つとして、30年代のトーキー初期に演劇界から、マルセル・パニョルとサッシャ・ギトリという二人が映画製作に乗り出した歴史があった。
コクトー自身は32年に「詩人の血」の脚本・監督で映画デヴューしている。
コクトーにとって、トーキー技術を獲得し日の出の勢いの映画は、芸術表現としても商業活動としても時代の先端を行くもので、その出会いは必然だったのだろう。

1943年にはジャン・ドラノワ監督の「悲恋」の原作・脚本で、44年にはロベール・ブレッソン監督の「ブローニュの森の貴婦人たち」の台詞で映画とかかわった。
そして46年には自らの初の商業映画監督作として「美女と野獣」を発表する。

ジャン・コクトー

コクトーは「美女と野獣」の製作に当たり、当時の人気スターで、彼が愛するジャン・マレーのために構想を練り、「画家フェルメールの光の使い方」で撮ることをカメラマンのアンリ・アルカンに要求し、美女と野獣の豪華な衣装と神秘的な古城の舞台装置を画家でファッションデザイナーのクリスチャン・ベラール、衣装担当のピエール・カルダンに委嘱した。
終戦直後の時代の観客を美しい別世界へ誘うことを制作動機として。

「美女と野獣」はフランス国内で大ヒットするとともに、46年度のルイ・デリュック賞を受賞し、コクトーの代表作となっただけでなく、次作以降の「双頭の鷲」(48年)、「恐るべき親たち」(48年)、「オルフェ」(50年)などとともにコクトー映画というジャンルを作り出した。

「美女と野獣」は、1948年1月、戦後初めてのフランス映画として日本で公開され、荒廃した当時の観客に大きな影響をもたらした。

コクトーの映画製作上のバックボーンは、20年代のアバンギャルド時代に培われた感性だったといわれる。

コクトーは俳優のジャン・マレーと終生の愛情で結ばれており、映画製作においてもマレーを主人公としたのだった。

「美女と野獣」  1946年  ジャン・コクトー監督  フランス

デイズニーアニメとしても再映画化され、一般名詞化さえしている名作のこれが映像化の原典。
もともとの出典はギリシャ神話をモチーフにした童話とのこと。

コクトー自ら出演するタイトルバック。
黒板に自ら主演者名・タイトルを板書し、『さあ童話の始まりです。開けゴマ…』と自筆のプロローグで物語は始まる。

「美女と野獣」オリジナルポスター

主人公は破産した船主一家の末娘・ベル。
二人のわがままな姉たちに仕え、エプロン姿で床などを拭いている。
シンデレラのような設定だ。
ただしシンデレラと違うのは、ベルには言い寄る男(ジャン・マレー)がいること。
いきなり画面に現れ、ベルにキスを迫る男。
カメラは男を避けるベルと、その豊かな胸元をさりげなくとらえる。

男(ジャン・マレー)の突然の求婚を避けるベル

ベル役に抜擢されたジョゼット・デエはこのとき実年齢32歳。
子役時代から舞台踊り子になり、18歳で舞台の大御所の愛人だったというから根っからのフランス女にして女優。
玄人そのものの経歴なのだが、くせのない美人顔もさることながら、身のこなしのあでやかさ、大事な場面での成熟した色気で、コクトーの起用に応える。

古城で野獣の供応を受ける着飾ったベル

「おとぎ話」に徹したこの作品は、ベルの実家の親兄弟の大げさな衣装や大げさな演技、また俗物性豊かで類型的な人物描写にその寓話性が強調される。

ただしこの映画の真骨頂は、ベルの父親が野獣の暮らす古城へ迷い込んでからの場面に訪れる。
壁やテーブルから腕が生え、燭台を支え、顔が暖炉の一部になっている。
これは古城の召使たちを表現したものらしい。

行く先々で自然に開く扉。
呪文を唱えると客を古城に案内する白馬。
「おとぎ話」らしい映画的表現だ。

古城で一晩過ごしたベルの父親が、ベルとの約束を思い出し、庭のばらを一輪もいだ瞬間、古城の主の野獣が現れ、見るものを驚かす。
野獣は理不尽にも、父親の身代わりをよこすか、それとも彼自身の死を迫るという唐突な展開!
「おとぎ話」的急転回である。
話を聞いたベルは父親の代わりに古城へ向かう、野獣がよこした白馬に乗って。

ベルが白馬に乗って古城に向かう場面。
黒いマントに身を包んだベルが白馬に横すわりに乗り込む。
白馬が歩み始めると敷地の柵が自然と開く。
黒いマントを馬上に垂らして横すわりで行くヨーロッパ婦人のシルエットは、ベルイマンの「処女の泉」を思い出させる。
霧にけぶったヨーロッパの森の静寂、幻想的な神秘性、その中で決然と己を運命にゆだねる娘の凛々しさ。
BGMはこの場面の勇敢さをたたえるかのように勇ましい。

コクトーの幻想的な場面創出はほかにもある。
たとえば古城の廊下をベルが歩くシーンでは、風を受けた長いレースカーテンがはためく長い廊下を、ドレス姿で舞うように歩を進めるベルをスローモーション。
古城の一室を抜けると、ベルの黒い地味なドレスが白い華やかなものに変ってゆくシーンもある。

ちょっとしたリアクションでベルが魅せる、手の動き、体のねじりがもたらす女性の「しな」。
バレエにもパントマイムにも似たその動きがもたらす何ともいえぬアクセント。

息も絶え絶えの野獣に手のひらで掬った水を飲ませるベル

ジャン・マレー(2役目)が扮する野獣のマスク越しの目の演技がいい。
野獣のマスクが、素の表情による演技を抑制し、野獣の目が持つただならぬ繊細さが際立つ。

ベルの驚いた眼差しが野獣を傷つけ、彼女の愛に満ちた眼差しが野獣を救う。
コクトーが崇拝するジャン・マレーに捧げた芸術家の魂だ。

ジョゼット・デエは、ラストで人間の王子(ジャン・マレー3役目)に戻った野獣を見つめる。
その目は、それまでに誰にも見せなかった、色っぽい流し目で、まさに恋を駆け引きする女の目だった。
これがコクトーの意図したものだとすると、開巻直ぐのマレーに迫られる胸元豊かなカットとの整合がつく。
ベルはただの孝行娘というだけではなく、恋を楽しむ健康的で肉感的な女性そのものだったのだ。
「おとぎ話」のヒロインを逸脱しかねない人間性をコクトーは描いたのか。

野獣は単なる高圧的な暴君ではなく、唐突で自己中心的だが、とてつもなく繊細で傷つきやすく、美的感覚に優れた存在だった。
コクトーが自身に、そしてジャン・マレーに重ねる理想像がそこにはある。

戦前のフランス映画というと、相手役を正面から見つめ、朗々と名セリフを吐く主人公のイメージがある。
対して、コクトーの主人公(野獣)は伏し目がちに愛をささやくイメージである。
そして愛をささやかれた美女は、最後にその流し目で主人公の愛に応えるのだ。

子供っぽく、繊細で純粋で明るさもある作品。

いわゆるフランス映画の黄金時代、クレール、フェデー、デュビビエらの流れとは別系統に、こういった芸術家の意匠あふれる作品が生まれるのがフランス映画の奥深さだ。

終戦直後の1946年に待っていたかのようにこういった作品を作るコクトーには敬意しかない。

「双頭の鷲」  1947年  ジャン・コクトー監督   フランス

コクトーの商業映画第2弾。
脚本もコクトー。

「双頭の鷲」オリジナルポスター

19世紀のヨーロッパの王国。
10年前に国王が暗殺され、王妃(エドウィジュ・フィエール)が後を継いでいる。
王妃は国民に慕われているが、反政府のアナキストや、それらを陰で操る警視総監一派が暗躍している。

王妃は国王の死以降、公の場ではベールをかぶったままで過ごし、舞踏会などにも顔を出さないことが多い。
心許すのは黒人の召使だけ。
その王妃が新任の朗読係と王宮の別宅へやってくる場面から映画は始まる。

王妃が欠席する盛り上がらない舞踏会、敵なのか味方なのかわからない新任の朗読係。
自室で死んだ国王と夕餉の食卓を囲む王妃の部屋に、けがをした若者・スタニスラフ(ジャン・マレー)がなだれ込む。
彼は反体制派のアナキスト詩人で、王妃の暗殺を企てていた。
そして何より死んだ国王に瓜二つだった。

王妃の自室に現れた傷だらけの暗殺者

馬で野山を駆け回り、射撃の腕も確かな王妃だが、スタニスラフを見た瞬間、反撃せず思わずその傷をナフキンで拭う。
突然現れた賊に、「武闘派」の王妃として毅然とふるまいながら、内心の動揺は隠せない。
やがて王妃はスタニスラフに国王の残した服を着せ、新しい朗読係としてそばに置き始める。
スタニスラフの存在は周囲に知れ始める。
スタニスラフは陰でクーデターを企む警視総監が放った刺客だった。
警視総監の戦略ミスは、王妃とアナキストの若き詩人が出合った瞬間に恋に落ちたことだった。

王妃とアナキスト詩人の恋、とはまるで学生演劇のようなシチュエーション。
それを臆面もなく、脚色・演出するのがコクトー。
期待通りの演技を見せるのがジャン・マレー。
このコンビは最高だ。
マレーの登場シーンにはコクトーの思い入れとこだわりが炸裂している。

ヒロインはフランス演劇界の重鎮。
若き日の舞台「椿姫」からベテランになっての本作など、品性ある熟年美人の貫禄を見せる。
演劇での実績、品性ある真の強さ。
「美女と野獣」のジョゼット・デエとの共通性を感じる。
コクトーの女優の好みなのだろうか。

「フロウ氏の犯罪」(1936年)出演時の若きエドウイジュ・フィエール

スタニスラフと出会って王妃は過去を振り返る。
国王が死んでからは孤独と暗殺の恐怖の、死を覚悟した10年間だったと。
そして彼女は自覚する。
愛するスタニスラフと出会ってからは、死を賭けてでも己の信ずる道を行くことを。

エドウイジュ・フィエールとジャン・マレー

「二人(王妃とスタニスラフ)の共通の敵は警察」、「二人は追いつめられた(ただの)男と女」、「二人は対等な関係」、と二人は確かめ合う。
二人は「双頭の鷲」として天国に行っても対等に愛し合おうと誓う。

ベールを脱いだ王妃は、警視総監との対決を決意し、軍服に身を固めて近衛軍とともに都へ進軍する覚悟を決める。スタニスラフとの愛も隠さない。
軍事力で進軍を阻まれたり、あるいはスタニスラフとの関係が国民に受け入れられ無かったら、死ぬまでだ。
不義密通で死罪を言い渡され毅然と引かれてゆく心中ものの吹っ切れた潔さに通ずる。
そこまでいかなくても、夫に死に別れた普通の夫人がいい意味で別な人生を歩み始める、という真理にもつながる。

二人はしかし現生での栄達には至らず、スタニスラフの服毒と王妃の道連れへと結末する。
愛する二人は永遠の愛を得る。

『政治は愛の前に無力だ』ラストのモノローグがこの作品を物語っている。

「オルフェ」  1950年  ジャン・コクトー監督  フランス

「美女と野獣」から4年を経て、すっかり商業映画らしい出だし。
町はずれのカフェに集う若き詩人たち。
カメラがパンしてゆくとジャン・マレーがいる。
コクトー満を持してのジャン・マレー登場シーン、ではない。
ジャン・マレーは、大向こうを張る主役でも、ピカピカの王子様役でもなく、狂言回しのような醒めた現代人の役だ。

「オルフェ」オリジナルポスター

ギリシャ神話「オルフェウス」を現代に翻訳したコクトーの脚本。
死の世界と地上の世界を行き来して物語は進む。

先のカフェに、若い売れっ子詩人を連れて、黒ずくめの女王(マリア・カザレス)が現れる。
オートバイの二人組が現れて詩人をひき殺す。
黒い車に死体を乗せて、ついでに居合わせたこれも詩人のオルフェ(ジャン・マレー)を呼び込んで、車は走り去る。
着いた建物で、女王とオートバイの二人組は鏡をすり抜けてどこかへ去る。
おいてゆかれたオルフェは困惑し、自宅に帰ってからも妻のユリデイス(マリー・デア)の心配も上の空、自分が見てきた世界が忘れられない。

マリア・カザレス

オルフェを自宅に送り届けた、死の国の運転手ウルトビース(フランソワ・ペリエ)がユリデイスを慰める。
コーヒーで接待しようとしてお湯を吹きこぼしてしまうユリデイスの仕草に、ウルトビースの好意を受け止める人妻の心情が表れる。

一方でオルフェは死の国の女王が忘れられない。
ガレージにこもってカーラジオから流れる死の国からの信号の受信に没頭し、懐妊したユリデイスのことも、彼女の友人の助言も無視する。
女王もオルフェを愛しており死の国への到着を待つ。
女王はオルフェを誘い出そうと、ユリデイスを死の国に連れてくることにする。

自転車で出かけて、例のオートバイ二人組に跳ね飛ばされて死んだユリデイスを追って、オルフェはウルトビースに頼み込み死の国へ向かう。
手袋をはめ、鏡を通り抜けて死の国へ入る。
ウルトビースはオルフェに「死の国で会いたいのは、ユリデイスか女王か」と問われ、逡巡した挙句、「両方だ」と答えるが、見抜かれている。

死の国では査問会が開かれている。
女王、ウルトビースら死の国の使者たちが使命を果たしているか、違反を犯していないか。
女王とウルトビースは地上での越権行為の疑いをもたれている。
越権行為とは、女王がオルフェを愛して呼び寄せようとしたり、またウルトビースがユリデイスに対する好意を原因としてオルフェを死の国に案内したことだった。
査問会はオルフェに対し、ユリデイスの姿を決して見ないことを条件に地上への復活を認める。

さて自宅に帰ってきた二人だったが、ついてきたウルトビースの手助け無くては一瞬も暮らせない。
決してユリデイスを見てはいけないのだから。
オルフェの心には女王への愛着が占めている。
果たして二人の運命は・・・、そして愛に悩む死の国の女王はどうなるのか・・・。

日本版ポスター

「美女と野獣」「双頭の鷲」の豪華絢爛なコスチュームプレイは、マリア・カザレスの衣装の豪華さはあるものの、舞台は50年当時の現代。
もっとも、コクトーが本当の舞台としたのは「死の国」であり、「死の国」と現代を結ぶ「鏡」に象徴される境目である。

死の国の女王であっても現代の詩人を愛し、死の国の運転手であっても心優しい人妻に好意を持つ。
女王は、査問会の厳罰を受ける覚悟で、愛する詩人の現世的幸せを実現させる。
これは、自然な人間性を賛美するコクトーらしさであり、また人間の尊厳に対するコクトーの己の存在をかけたリスペクトである。

鏡を通り抜けたり、フィルムの逆回しによる生き返りを表現したり、幻想シーンの演出はこれまでのコクトー作品のように思いきっている。

この作品ではまたコクトーの余裕を感じることができる。
例えばオルフェが警察署へ向かう何気ない場面で路上で遊ぶ少女をフレームに一瞬出入りさせたり、ユリデイスの友人に長い黒髪を何気なく振り上げさせる「しな」をつけたり、死の国へ向かう途中の冥界に「鏡売りの男」を登場させたり、コクトーらしい「遊び」の演出があったことである。

マリア・カザレスの黒いマントを引きずる場面の物々しさ、オルフェの死を願う場面でのカザレスの目(瞼に絵で描いた目を貼り付けている)、ユリデイスを死の国に連れてきたときに黒いドレスから白に変る場面(「美女と野獣」でベルが古城の部屋に入る時にドレスが変わる場面と同様)。
カザレスの起用はコクトーにとって、強く、毅然として尊厳に満ちた女性像の到達地点なのだろう。

ユリデイス役のマリー・デア。
シュトロハイムと共演した40年代のサスペンス作品では、おとり捜査に協力する女子大生役で出演し、活発な演技を見せたことがった。
題名は忘れてしまったが、軟弱な変態役のシュトロハイムともども印象に残った。
活発な女子大生役だったマリーさんが、貞淑で理性的な若妻役に成長して元気な姿を見せていたのもうれしかった。