県内ローカル新聞の華麗な世界 みのわ新聞

ちょっと古いが6月19日付の「みのわ新聞」が手許にあります。

上伊那地区の箕輪町にある、みのわ新聞社の発行です。
1部100円。

カバーするのは上伊那地方の辰野町、箕輪町、南箕輪村、伊那市あたりなのでしょうか。
「岡谷市ニュース」というコーナーがあり、岡谷市方面と関係が深いことがうかがえます。

一面は箕輪町水辺公園のホタルのニュース。
同じ地域の辰野町もホタルで町おこしをしています。
一面には、現役世代の女性が3人で紙マルチを使った田植えを行ったというニュースもあります。
専業農家や業者以外の人が、エコなコメ作りを行うなんてタイムリーな記事です。

箕輪町内ニュースB面の「箕輪町図書館・新着本を紹介」コラムもイケてます。
図書館職員のおすすめ本として「それいけ!平安部」という若者向けの本が紹介されてます。
時代にマッチした本のセレクトがいいです。

辰野町A面ニュースには、子ども食堂の記事が。
自然と食材が豊かな辰野町でも子ども食堂が、2021年より行われているのですね。
150食が10分ではけるそうです。
中学生以下は無料、高校生100円、大人300円です。

一面からめくった二面にはハッチョウトンボの記事が。
全長2センチという日本最小のトンボが伊那市の湿地帯「トンボの楽園」で羽化を始めたということです。
現地では「新山トンボの楽園を育てる会」の会員80名が保護観察の活動を続けているとのこと。
7月5日には観察会の開催されるとのことです。

一見してページ数も少なく、内容的にも薄い印象があるみのわ新聞ですが、よく読むと時代にマッチしたニュースをもれなく集めていることに気が付きます。
岡谷から辰野、伊那まで上伊那地域が文化的にも人の交流的にも、つながっていることがわかります。

お寺の御開帳の広告
地元の酒屋さんの広告もいいですね

箕輪に寄ったらみのわ新聞ですね。

2025 山小舎来客第二弾!

6月最終週の金土日。
山小舎に今年の来客第二弾がありました。

お客さんは山小舎おばさんの職場の同僚の夫婦。
山小舎おじさんも数度会ったことがあります。
一緒に飲んだこともあります。

奥さん同士が同僚なのですが、知り合ったのは20年近くも前。
今はケアマネージャー同士として仕事で協働しています。
山小舎へは犬を連れてくるとのことです。

メニューは金曜日夜は炭火焼き。
土曜日は牛筋煮込みと豚バラ角煮、信州サーモン。
サイドデイッシュにはレタスサラダ、ぬか漬け、こんにゃく煮、などを用意しました。
ドリンクはクラフトビール、シードル、地酒。

第一夜は恒例の炭火焼き

いつものように、信州鶏、信州豚、アルプス牛の滋味に感激しての第一夜を終え、翌土曜日は、原村から蓼科湖周辺に出かけました。
八ヶ岳自然文化園近くのレストランでランチ。
地物の野菜を使ったランチは、食べ疲れ、飲み疲れた体には慈雨のようでした。

同僚の奥さんが趣味の織物関係のワークショップは、施設が休館だったりでしたが、直売所などに立ち寄るたびにたっぷり時間をかけて買い物などするので、十分楽しんでいました。

蓼科湖畔の草藁で山羊と遊ぶ
蓼科湖畔の木道を散策

蓼科湖では湖の周遊散策路、約1キロを楽しみ、近くの小斎の湯へ。
ここで、犬の面倒を交代で見ながら入湯。
一日を過ごして山小舎へ戻りました。

その日は信州サーモン、アルプス牛スジ煮込みに一同声もなく没入。
山小舎ツアーの二晩目を終えました。

(山小舎に来た人が)「皆さんまた来たいというのがわかる」と言いながら、同僚の奥さんは帰ってゆきました。

来客の後は高地の紫外線を活用しての、洗濯物、布団干し
ついでにスリッパも洗って干す

令和7年畑 初収穫

畑に収穫の季節がやってきました。

6月最終週の金曜日にやって来る来客用の野菜を収穫に畑に行きました。
初収穫となる、キューリ、ズッキーニ、レタス、青シソを採ってお客に出すためです。
そのほかにピーマンと万願寺トウガラシも採れました。

収穫したキューリとズッキーニ
レタス、青シソ、ピーマン類も収穫

気候が暑くなり、少し前の雨も野菜には良かったのでしょう。
例年にも増して成育が早い気がします。

高遠の直売所で買った、野菜の根の張りを促進するという「タマリー」なる液体の潅水が効いたのかもしれません。

トマトが順調
ハックルベリー
カボチャ
インゲン

キューリはサラダとぬか漬けに、レタスはサラダに、ズッキーニとピーマン類は炭火焼きで、青シソは信州サーモンのツマとして使いました。
来客には喜んでもらえました。

6月の雨の日

雨の日の山小舎周辺です。

6月は梅雨の時期ですが、夏のような晴天があったり、寒々しい日があったりしました。
長雨が続く梅雨らしい日は少なかったような気がします。

今日は雨です。管理事務所の草苅バイトは休み、畑にも、外での作業もできません。

畑にはこの時期の雨が必要だからどんどん降ってもらっていいのです。

ストーブを炊いて室内を乾かします。少しの遠出を含む外出を企てるのもこんな日です。

大雨が2、3日続くと山小舎の裏の、国有林との境の枯れ川が流れ始めます。
山が雨を保水しきれなくなったようです。

裏の川が流れ始める

立科町の直売所で加工用さくらんぼ、そして春日の「ボスケソチーズラボ」

立科町の直売所「菜ないろ畑」は、野菜苗の時期をはじめ、近くに寄った時に必ず寄る直売所です。
山小舎からは笠取峠を越える中山道ルート、もしくは雨境峠を越えるルートのどちらかを使って佐久地方に出て、菜ないろ畑→道の駅女神の里→JA望月→赤坂直売所を巡るのが、山小舎おじさんの楽しみです。

佐久地方は浅間山を右端にした山々が望めます。
八ヶ岳を望む、茅野、原村、富士見とは異なった雰囲気の地域です。

最近はこの基本コースに、望月地区での木村菓子店、春日温泉などを加えたりしてバリエーションをつけています。そうしたところに、姫木管理事務所の職員さんから「春日にチーズ工房がある」と聞きました。
早速行ってきました。

今回のコースは雨境峠を越えるルートで。
峠を立科町へと下り、まず「菜ないろ畑」によってみます。
ここでは、季節によって、ヤーコン、ビーツ、青いトマト、冬瓜、育ちすぎたズッキーニ、などなど珍しいものが手に入ります。
この日は加工用サクランボを売っていました。

「このままシロップ煮にしておくと孫たちが喜ぶかも」と買ってみました。
レジのおばさんは「種を取ってジャムにするといい」と言ってました。

その後は望月経由、春日地区へ向かいました。
春日地区は望月から蓼科山方面に入ってゆくのですが、実質的に行き止まりの地形ということもあり、行ったことがなかったのでした。
最近、自宅の知り合いの方の疎開の場所だったこともあり、行くようになりました。
温泉が集客している地域でもあります。

チーズ工房に注意して道を進み、温泉の間近まで行くと左手に静かにそれらしき建物がたたずんでいました。
「ボスケソチーズラボ」という店です。

ボスケソチーズラボの建物

静かな場所で、来客もありませんでしたが移住した人が始めたチーズ工房とのことです。
今週末の山小舎おばさんと、同行者夫婦へのおもてなし用にチーズを求めたくて訪れました。
チーズのことはわからないので、とりあえず「白カビチーズ」と、「温泉水で洗ったチーズ」を買い求めました。
果たしてお客さんたちのお気に入りとなるかどうか?

店内。許しを得て撮影
ショーケース
メニュー

ついでに春日温泉の国民宿舎へ行きましたが日帰り入浴は休業中。
付近の「かすがの森」という温泉施設も同様でした、残念。

「かすがの森」も日帰り入浴できず

帰ってから加工用サクランボをシロップ漬けに加工しました。
実が熟していたので、出来上がりの硬さ具合がどうなるか?
ジャムの方がよかったかな?

サクランボを洗い
よく水気をとってから
シロップを煮たてて、瓶に詰めたサクランボに注入
シロップ漬けが出来上がり

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その6 ブラゼッテイ、カメリーニ

ネオレアリスモとは、イタリア映画史の核と言っていい概念と運動であり、イタリア降伏後の戦後時代に作られた作品群を称する。

「無防備都市」、「戦火のかなた」、「自転車泥棒」、「靴みがき」、「揺れる大地」など、ネオレアリスモの代表作を撮ったのは、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィトリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンテイらと脚本家のチェザーレ・ザヴァッテイーニらであり、そこに共通するのは、戦争や封建制のために苦悩する民衆の貧しさを直接的に描いたことだった。.

スタジオでスターが演じる夢の世界を描く映画から、街頭ロケで普通の人々の日常を見せる映画への変貌を果たしたのがネオレアリスムであり、世界の映画作りに影響を与え、のちにフランスの「ヌーベルバーグ」として結実した。

ネオレアリスモを担ったイタリア人映画作家には、上記3名のほか、戦前に国家機関として設立されたチネチッタ撮影所付属の映画実験センターで学んだ、ピエトロ・ジェルミ、ジュゼッペ・デ・サンテイス、ルイジ・ザンパや、同じく映画批評誌「チネマ」同人出身のアルベルト・ラトアーダ、カルロ・リッツアーニらがいる。

また、サイレント時代から活躍し、戦争初期には「ファシスト政権の御用監督」とまで言われた、アレッサンドロ・ブラゼッテイやマリオ・カメリーニらベテランが、戦争後半から戦後にかけては民衆の貧しさをテーマにした作品を撮っており、ネオレアリスモの先駆をなしたといわれている。

(以上は、集英社新書2023年刊 古賀太著「永遠の映画大国イタリア名画120年史」第三章ネオレアリズモの登場より要旨抜粋しました)

「雲の中の散歩」  1942年   アレッサンドロ・ブラゼッテイ監督  イタリア

監督はサイレント時代からのキャリアを誇るアレッサンドロ・ブラゼッテイ。
脚本には戦後にデ・シーカと組んでネオレアリスモの重要な牽引者となった、チェザーレ・ザヴァッテイーニ。

戦時中は「ファシスト政権の御用監督」とまで言われたブラゼッテイだが、本作は、ヴィスコンテイの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)、デ・シーカの「子供たちは見ている」(42年)とともにネオレアリスモの先駆を成す作品といわれている。

映画は庶民の朝のシーンで始まる。
目覚時計で目を覚まし、子供のために牛乳を温め、ぶつくさ言う妻を後にして家を出るサラリーマン・パウロ。
倦怠感に満ちたシーンだが、何やら楽し気なBGMが流れる。
演じる俳優も当時の映画スターらしい風貌だ。
演技的にも、音楽的にも、流れ的にも映画の作りはサイレント時代からの伝統にのっとっている。
決して実験的でも、独創的でも、センセーションを売り物にする映画でもないことがわかる。
その点では、旧来のスタイルの映画に、現実的なテーマを盛り込んだ作品であろうことがわかる。

満員の電車で営業に向かうパオロ。
車内で同僚のサラリーマンと無駄口をたたくうちに、どこか寂しそうな若い女に席を譲ることになる。

アドリアナ・ベネッテイ(左)とジーノ・チェルヴィ

若い女はマリアといい、パオロが偶然電車を降りた後で乗ったバスでも同席となる。
バスが運転手の妻の出産で、遅れたり、祝宴が始まったり、スピードを出しすぎて道を外れたりするうちにパオロはどんどん仕事に遅れ、押し黙っているマリアが気になり、手助けをし、口をきいてゆく。

彼女は不倫の末妊娠し、やむなく田舎の実家へ向かっていることを告白する。
伝統ある家長の父親から受け入れられないだろうことも。

そこで何くれと親切にしてくれたパオロに助けを求める、「父に会う時だけ夫の役を果たしてくれ」と。
「なんで関係のない家族持ちの俺がそこまでしなきゃいけないのか。仕事(菓子のセールス)の途中だし」、
パオロは当然そう言うが、マリアの姿を見ると放っておけなくなり、会うだけならと家に同行する。

田舎の実家では、マリアが大歓迎を受け、結婚と妊娠を知ってからは、神父や署長まで呼んでの大宴会となる。
パウロは抜けられなくなり、マリアの実家で一晩を過ごすが・・・。

マリアと父親

50年代にイタリアで、90年代にハリウッドで、さらにインド映画にまでリメークされたこのストーリーは、映画ならではのハートウオーミングドラマの典型というか原点。
「そんなことあるかいな?」と思わせながらも、「そうあってほしい」方向に話が進んでゆく。
二人の周りで起こる奇妙でファンタステイックなエピソードと連動して進む夢の時間は、パウロの夢であると同時に観客の夢でもある。

ネオレアリスモ主流作品の深刻さはないが、未婚女性の不倫による妊娠と家族、社会との軋轢を描いており、その点で42年のデ・シーカ作品「子供たちは見ている」の、大人の世界に蔓延する姦通やブルジョアの無為な生活など『社会の現実』を描いた観点同様に、ネオレアリスモの精神を先取りしている。

主人公のパオロにジーノ・チェルヴィ、マリアにアドリアーナ・ベネッテイ。
マリア役のベネッテイはデ・シーカの「金曜日のテレーザ」(41年)でデヴューした新鋭女優。
その薄幸な美人ぶりは「ローマ11時」(52年)のカルラ・デル・ボッジョや、「街は自衛する」(51年)のコゼッタ・グレコを思い出させる。

監督のブラゼッテイは戦後、歴史大作「ファビオラ」(49年)、艶笑ドラマ「懐かしの日々」(52年)を発表。
さらにショーの記録映画として『夜もの』映画、あるいは『モンド』映画の先駆けとなった「ヨーロッパの夜」(60年)を、あのグアルテイエロ・ヤコッペッテイと組んで発表した。
イタリア映画史を横断する『巨匠』のキャリアではないか。

「不幸な街角」  1948年  マリオ・カメリーニ監督  イタリア

アンア・マニヤーニが存分にその「一人芝居」で大暴れする。

役柄は戦後直後の貧しい家庭の主婦。
幼い一人息子がいて、2年前にアフリカ戦線から復員してきた夫パウロ(マッシモ・ジロッテイ)は失業中。
失業を戦争のせいにして、決して悪辣に社会を渡っていけない夫と、子供のためにコロッケ一つ買えない家計に不満を募らせる妻リンダ(マニヤーニ)。

製作は「にがい米」でシルバーナ・マンガーノを「発見」した、デイノ・デ・ラウレンテイス。
30年代から活躍のベテラン、マリオ・カメリーニを監督に起用、音楽はのちにフェリーニ作品や「ゴッドファーザー」で有名なニーノ・ロータ。
当時の新進映画作曲家ロータの楽し気なBGMに乗って、映画は戦後の貧困な社会を背景とした、ひと時の庶民の夢をつづってゆく。

まだ若く、幼子の母親役が似合うマニヤーニのマシンガントークが、いつものように炸裂する。
漫才でいえば「ノリ突込み」を一人でこなすから、相手役のジロッテイはそばに立っているだけの役割。
見るものはマニヤーニの芝居にあっけにとられる。

稼ぐ手段が見つからず、家ではリンダのマシンガントークに追いつめられたパウロは、高級車の盗難をそそのかされる。
何とか盗難に成功し、モグリの売却業者のもとに急ぐが、夫の浮気を妄信したリンダが息子を連れて車に乗り込んでくる。
楽しそうなリンダと苦虫をかみつぶしたパオロのドライブが始まる。

この場面、浮気を誤解してまくし立てるマニヤーニと、彼女を援護する、いつの間にか集まった群集と偶然にしてはタイミング良すぎる警官が二人を取り囲む。
彼等をバックに一段とオクターブを上げるマニヤーニの、十八番ともいえる誇らしげな姿。
コメデイ映画定番のシチュエーションだが、マニヤーニにかかると見ているこちらのテンションも、わかっていながら爆上がりだ。
イタリア映画らしい、芸達者なエキストラ陣とおせっかい警官の表情も最高!

そうしてモグリの悪徳転売業者のもとにたどりつくが、彼は孫の洗礼にかかりっきり。
教会で洗礼の後は親戚一同(と神父、署長)でお約束の大宴会が繰り広げられる。
早く車を売らないと、と焦るパオロ。
いつの間にか家族に同化し、大笑いしながら盛大に飲んで食うリンダの食欲とコミュニケーション欲?も誰にも止められない。

コメデイ定番の展開の後、なんと!悪徳業者は孫の澄んだ目を見て良心に目覚める!
「初めて泣くのを見た」と乱舞して、悪徳業者を連れ神父ともども教会の懺悔室?になだれ込む親戚及び関係者一同。
かくて悪徳業者は善人となり、車の転売はおじゃんになるのであった。

その後も、政治集会の群れに車の行く手を阻まれたり、無銭飲食でオートバイに追いかけられたり。
「悪」には全く素人のパウロはリンダと息子を乗せて、ヒヤヒヤドキドキの家族ドライブを繰り広げる。

2人の子供を演じる子役がいい。
ドライブの先々で、七面鳥やウサギと出会い、最後は海を見てはしゃぎながら砂浜で遊ぶ幼子。
現実の貧困からの「救い」の映画的表現がやさしい。

ハピーエンドで終わる物語は後味もよい。
貧しい家庭が一日の夢のようなドライブを楽しんだ。
そもそもがパウロが慣れない悪事に手を染めたからだったが、二転三転、犯罪にならずに済んだ。
これは、救いのない現実に苦しむ当時の観客にとっても救いのある、映画的な夢であったろう。

マニヤーニの芝居のいいところは、その熱演がコメデイを狙ったものではなく、結果としてコメデイになっているが、あくまでも本人にとっては真剣なものであること。

この作品でも、マニヤーニは大まじめに周りをかき乱す女性像を演じながら、車は夫が盗んだものだと察したときにきっぱりと夫に自首を勧め、あまつさえ自分が夫の代わりに警察に自首するのである。
まさに大真面目に、正しく生きているのだ、その『勝手な』行動で周りをかき乱しながらも。

マリオ・カメリーニは1895年ローマ生まれ。
イタリアの僻地出身でも、左翼思想の洗礼を受けたわけでもない、生粋の戦前派映画人といえる存在。
23年に監督デヴューの後、30年代のイタリア映画界をアレッサンドロ・ブラゼッテイとともに支えた。
50年代まで第一線で活躍した。

信州ソウルフード放浪記VOL,44  高遠そば 華留運

本ブログでも一度紹介したことがある蕎麦屋です。
高遠経由で伊那に行った際に寄ってみました。

信州のそば処は、戸隠、佐久小海など様々ありますが、高遠もその一つです。
諏訪から杖突峠を越え、伊那谷に至る途中にある高遠は、今は伊那市の一部ですが、歴史ある城下町で景観保存地区が残っています。

そば店の華留運(けるん)は観光客が並ぶ店です。
2度目の訪問は並ばずに入店できました。

人が並ぶ人気店です
メニューより

ほぼ満席の店内は県外からの客が多い印象です。
「本日の蕎麦」という書き出しが貼ってあります。
「二八 細切り』を注文します。

前回来た時にサイドメニューのわらびを頼んだら、皿に一山出てきてたっぷり楽しめたので、味をしめて、今回はなめこおろしを頼みます。
これまたたっぷりのなめこが大根おろしとともに出てきました。

「本日の蕎麦」
まずはなめこおろしを注文

二八蕎麦は満足する味でした。
愛想はないが(信州の県民性として、商売する方々が愛想を振りまくとは限らないのです)、勘所を心得ているホールのおばさん二人もテキパキしています。

ダシは焼き味噌を添えたおろし汁とクルミ汁

山小舎おばさんにも一度勧めてみたい蕎麦屋です。

令和7年畑 休耕地の除草

カンカン照りのある日、夏野菜の世話が一段落したので、気になっていた休耕地の除草をしました。

休耕地の現状

2、3年前はジャガイモなどを植えていた畑が4枚あります。
鹿やイノシシの活動地域にあり、ジャガイモの味と場所を学習したイノシシに必ず全量掘り返された畑です。

一時はネットを張り巡らせましたが、冬期間の強風被害や、何よりネットを食い破って侵入し、中で採り残しの枯れた作物を食い荒らしてから、支柱ごとネットをブチ倒して脱出してゆく鹿にボロボロにされた挙句、撤去した経緯があります。

現在は、毎年自然発生する菊芋が生い茂る畑が1枚と、あとは少々を使っているばかりです。

ネットの中はヤーコン
露地に蒔いた大豆が発芽している

季節になると4枚の休耕地に雑草が容赦なく生い茂ります。
法面も同様です。
また農道の半分程度も、地域の手前、刈らなければいけません。
放っておくわけにはいかないのです。

法面と農道の現状

草刈り機のヘッドを、『ヒモ』から『刃』に替えます。
強い雑草に『ヒモ』をつけた20CCの家庭用エンジンの草刈り機では太刀打ちできません。

この日は休耕地1枚をやっつけました。
細かいことは気にせず、刈りやすい所からドンドン刈ってゆきます。
夏になると草の間から飛び出す、キリギリスやカマキリはまだいないようです。
カエルの姿も見ませんでした。

草刈り開始
エンジンがうなる
ザックリ刈り終える

1枚を刈り終わって、エンジンの調子が弱ってきたので本日の作業は終了。
刈った草の間に白い葉っぱを見せて倒れているヨモギを少々回収して帰りました。

拾ってきたヨモギ。葉っぱだけを使う

ヨモギは葉っぱだけを洗ってから乾かし、野草茶の材料にする予定です。

信州ソウルフード放浪記VOL,43  上田のそば くろつぼ

上田市内の北国街道沿いにくろつぼという蕎麦屋があります。

旧北国街道に面したくろつぼの玄関

土日などは予約しないと入れない人気店です。
上田に行ったついでに寄ってみました。

夜の営業もしている

雨の平日だったこともあり、並ばずに入店できました。
カウンターに案内されました。
店内には数組の先客がいました。

十割蕎麦が売りのようなので注文します。
サイドメニューを見ると、季節の山菜である根曲がりだけがあったので、その『焼き』を頼みました。

根曲がりだけの焼き、絶品

古民家をリフォームした店内は、今風ですが、トイレに通じる廊下などに建築当時の匂いを感じることができます。

割と早く根曲がりだけが出てきました。
皮ごと焼いています。
塩をつけて食べるとこれが美味。
北信地方の春の味覚といわれているだけのことはあります。

十割蕎麦

根曲がりだけを食べ終えると十割蕎麦が出てきました。
食べ応えはあります。
十割でもボソボソしない打ち方はさすが人気店です。

濃い蕎麦ゆでフィニッシュしました。

DVD名画劇場 イタリアンネオレアリスモの作家たち その5 ピエトロ・ジェルミ

ピエトロ・ジェルミとは

1914年イタリア本土の歴史ある港町ジェノヴァ生まれ。商船学校に入るが、のちにローマに出て、チネチッタ付属の映画実験センターの演技科から監督科に移って卒業。

ピエトロ・ジェルミ

当時のベテラン監督アレッサンドロ・ブラゼッテイの助監督を務めた後、「証人」(45年)で監督デヴュー。
「無法者の掟」(49年)、「越境者」’(50年)、「街は自衛する」(51年)など、ネオレアリスモの手法を受け継いでイタリアの貧しい人々の生活を描く。

1950年代中盤になると、「鉄道員」(56年)、「わらの男」(57年)、「刑事」(59年ん)といった、小市民の生活の哀歌を描く作品を、自らの主演で発表。
これらの作品は日本でもヒットし、現在でもジェルミの代表作と呼ばれる。

「刑事」。ピエトロ・ジェルミとクラウデイア・カルデイナーレ

1960年代に入ると、男と女の愛の機微をコメデイーで描いた「イタリア式離婚協奏曲」(61年)、「誘惑されて捨てられて」(63年)、「蜜がいっぱい」(65年)などを発表。
イタリア市民や社会にひそむ古風な習慣や生活哲学を痛烈にかつ愛を込めて批判する。

「誘惑されて捨てられて」のステファニア・サンドレッリ

ジェルミの作品の根底に流れているのは、市民に対する限りない愛情の眼差しであり、その意味で彼はヴィットリオ・デ・シーカの流れをくむ作家である。

(以上は、1983年芳賀書店刊「イタリア映画の監督たち」P36「ピエトロ・ジェルミ作品アルバム+監督論」高沢瑛一より要旨抜粋しました。)

「無法者の掟」  1949年  ピエトロ・ジェルミ監督  イタリア

ジェルミ3本目の作品。
舞台は灼熱、荒涼としたシチリア島内陸部の寒村。
その地方を武力で支配するマフィアと新任の裁判官の対立を描く。
マフィアを最初に取り上げた映画とのこと。
脚本にはフェデリコ・フェリーニが参加しいている。

左から裁判官(マッシモ・ジロッテイ)、男爵、男爵夫人

26歳の裁判官グイド(マッシモ・ジロッテイ)が赴任してくる。
前任者は引継ぎもせず逃げるように任地を去った。
グイドを迎える村の雰囲気は殺伐としている、バスの運転手はグイドの荷物を下ろそうともしない。
愛想がいいのは少年のパウリーノくらい。

裁判所に着任して書類を調べる。
告訴から数年ほおっておかれた案件もある。
弁護士、書記官、警察署長らが裁判官と仕事を共にするはずだが、味方は所長だけ。
地元の有力者・男爵はマフィアを使って権力を維持しており、味方のはずの弁護士は男爵の屋敷に入り浸っている。村人たちはマフィアに逆らわず、不利なことも黙って受け入れる。
その表情には過酷な自然に耐えるかのように忍従と諦念が深く刻み込まれている。

グイドがマフィアのアジトに向かう。
ボスが、勇壮な幹部たちを連れて現れる。
『我々が執行すること自体が村の掟であり、正義である』と言わんばかりに。
貫禄たっぷりなボスを演じるのがフランスの俳優シャルル・バネル。
「外人部隊(1934年 ジャック・フェデー監督)」のフランソワーズ・ロゼエの宿六役であり、「恐怖の報酬」(1953年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督)ではイヴ・モンタンの相棒役を演じた味のある役者だ。

ボスは『自分たちは名誉ある男たちだ』と自任。
伝統のマッチョで残忍な価値観を自分たちだけではなく、支配地域の住民たちにも強要し、そのためには暴力を発動する。
その割には、中央の法律を意識して、殺人などを隠そうと画策するのがオカシイ気がするが。
映画では、ボスを中心とするマフィアたちを勇壮に描き、その登場シーンなどでは高らかなマーチをBGMで謳う。

勇壮なマーチをBGMにマフィアが村を行く

男らしいマフィアではあるが中には卑劣な輩もいる。
村に住む情婦のもとにやってきたその男は、年頃になった16歳の娘に目を付け、なんと結婚を希望する。
母親は『自分を捨てて娘に乗り換えるのね』と分かりながら、生き残るために結婚を了承する。
しかし娘の恋人はパウリーノだった。
二人は駆け落ち同然に契りを結ぶが、のちにパウリーノはそのマフィアに殺される。

マフィアの一団に粛清される仲間の男

マフィアは自分たちのシノギである『男爵が所有する鉱山の利権』のおこぼれにも敏感で、まるっきりヤクザのような存在なのだが、幹部を演じる俳優たちを見る限り『地域の逞しくて、仕事のできる男たちは、マフィアになる』といわんばかりに描かれている。
そうした貧しい地方だシチリアは、ということなのだろう。

ストーリーは展開が早く、エピソードが盛りだくさんで登場人物が多い。
映画は、手際が良くないこともあって、わかりやすくない。
グイドと男爵夫人のロマンスも唐突な感じがする。
パウリーノ少年と16歳の娘のエピソードは素朴でいいが。

法律を盾にする裁判官とマフィアの対立という、アメリカ映画「アンタッチャブル」のような構成。
ただし、裁判官の描き方は『マッチョではない青二才』の雰囲気を残し、また決して法律の全能感を謳いあげるわけではない。

マフィアの登場シーンなどでBGMに流れる勇壮なマーチは、のちのマカロニウエスタンを思わせる。
マフィアを描きつつ、これを一方的に断罪していないのはイタリア映画だからか。
そこには、シチリアの風土が持つ貧しさ、後進性、伝統が強烈に匂う。

ラストは辞任して男爵夫人と村を去るばかりのグイドが、パウリーノの死を知って教会の鐘を鳴らし、集まった村人の前で演説する。
それを聞いたボスが、(この件での)グイドの正義を認め、仲間の下手人を粛正する。
マフィアがシチリアの寒村で一定程度の秩序維持を果たしている現実を描いて映画は終わる。

「街は自衛する」  1951年  ピエトロ・ジェルミ監督  イタリア

骨格は犯罪映画。
犯行描写のスリルとサスペンス、警察の捜査の冷徹さ、犯人を取り巻く人間の非情と悪辣。
これだけ見ると徹頭徹尾の犯罪映画に見えるし、ジェルミのサスペンス演出はうまい。
が、背景にあるのは隠しようがないイタリア社会の貧困。
戦後直後は混乱と貧困をストレートに描いてきたネオレアリスモだったが、戦後数年を経て、犯罪の背景としての貧困を描くようになった、ということなのだろう。

ストーリーは4人のグループによるサッカー場の売上金強奪。
4人は知人ではなく、互いのファーストネームしか知らない。それぞれの犯人の背景と結末が描かれてゆく。

ルイージは妻子を持つ中年男。
台所からベッドまでが一部屋につめこまれたアパートでは妻がミシン仕事をしている。
強盗後、気に病んでノイローゼとなったルイージは、旅費だけ仲間にもらって妻子とともに田舎を目指して電車に乗る。
ねだる幼子に人形を買い与える妻。
妻はもらった金で質入れしていた結婚指輪を買い戻してもいた。
しみじみ嬉しそうな夫婦と人形で遊ぶ娘。
しかし車掌からキップを買おうとして高額紙幣を出したことから騒ぎとなり、ルイージは一人列車を飛び降り、挙句ピストル自殺する。
貧困が救われずに自滅してゆく。
これが現実。

田舎へと逃避行をすべく駅へ向かうルイージ一家(左:コゼッタ・グレコ)

ルイージの妻を演じる巨乳の美人女優はコゼッタ・グレコという人。
貧しい役には不似合いだが、どこか薄幸な匂いもする。
ストレートな貧困の描写が、真実味を持った時代の演技だった。
アメリカのギャング映画の逃避行(フィルムノワールといわれる映画の中で『Love on the Run』と分類される)では、恋人二人が自動車でハイウエイをぶっ飛ばすが、イタリア映画では妻子を伴い、郊外電車に乗ってしみじみ行われるのだなあ、と改めてその湿っぽさ、重たさに感じ入った。

Love on the Run映画の代表作「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)。2004年刊「FILM NOIR」P96,97より

実行犯には加わらなかったが、人気サッカー選手を足のケガで引退したパオロは、選手時代の贅沢な情婦(ジーナ・ロロブリジータ)が忘れられずに犯行に参加。
金を得た後、どろどろの格好で情婦の贅沢なマンションへ向かうが、情婦に風呂場へ案内された後で通報され捕まる。
警察でルイージの死体を見せられグループの名前を白状する。

ジーナ・ロロブリジータはこのエピソードだけの出演。
まだ強烈なセクシー路線には移行していないが、若々しい中に濃厚なメークを施しての「悪女」ぶりを発揮していた。
縁を切った女による冷え冷えとした仕打ち。
これも現実。

パオロは金をもってかつての情婦のもとに向かうが(右:ジーナ・ロロブリジータ)

実行犯には絵の先生と呼ばれる貧しい画家のグイドもいた。
ジャン=ルイ・バローのような風貌のグイドは、レストランに行って金持ちの客たちに『肖像画はいかがですか』と営業して回るのが仕事。
ある日、美人の客のスケッチを描いたことから美人から電話番号を渡され『うちに来て油絵を描いてちょうだい』と言われる。
美人との関係はそれだけだったが、グイドを追う警察に美人が聴取される。
日本式キモノを羽織って余裕たっぷりに警察の事情聴取を受ける美人役はタマラ・リーズという女優。
ほほ骨が高く、凹凸豊かなゴージャスな美人だ。

グイドは、船で密航しようと、船頭のところへ行く。
スパゲッテイを動物のように食い、家族ともどもいぎたなく笑う船頭はどう見てもまともな人間ではない。
費用600万リラという法外な料金を請求する。
一度断るが、切羽詰まって港にやってきたグイドに『600万なんて言ってねえよな、800万って言ったよな』とおちょくった挙句、仲間と一緒にグイドを絞め殺す。
悪辣さにみじんも救いのない船頭一家の描写には、地獄のような非人間性が描かれる。
これも裏街道の現実。

「無法者の掟」と比べて、散漫な印象はなく、カチッとまとまった作品。
映画監督として『上手になっている』ジェルミの姿が確認できる。

様々な現実的結末を犯罪者は迎えてゆく中で、グループ唯一の10代であるアルベルトがいる。
分け前にも固執せず、グイドに『連れてって』と懇願するも放っておかれる。
諦めて実家へ帰るとそこには警察が。
窓から脱出して壁に貼りつくが、母親の説得で戻り、連行されてゆく。
人間的な結末である。
母親はアンナ・マニヤーニのような猛烈なイタリア母ではなく、聖母のように良識的であった。

ここで、ラストシーンについて考えた。
『壁に貼りつくアルベルトに、イタリアの母親が叫び、自分も窓から飛び出そうとする。慌てて息子が壁から部屋に戻ってくる。』ではどうだったか?
コメデイになっちゃうか。