薪割り機始動!

今年も管理事務所からエンジン式薪割り機を借りてきました。
いよいよ薪割りの開始です。

エンジン式薪割り機を借りてくる

これまで、丸太を玉切りし、巨大な玉は二つに割ってきました。
薪割りの準備のためです。

薪割りは3年ほど前から機械で行っています。

並べておいた玉を割って軽トラに積み込む

今年は何と管理事務所の職員が薪割り機を軽トラに積んで運んでくれました!

道の端に、割りやすいように並べておいた玉を後は機械にかけるだけです。
薪割り機の稼働は平日のみにします。
また早朝、夕方の稼働は避け、昼休みも取ります。
近所迷惑となるためです。
別荘地の規約にもその旨が明記されています。

1年ぶりの薪割り機。
いつも通りバンバン割ってくれます。
玉に節があろうと、硬かろうと関係ないのが助かります。

軽トラを薪割り機に横付けし、割ったそばから荷台に放り投げ、一杯になったら乾燥台に運んで積み上げてしまいます。
1日で、3から5セットの作業を行いました。

荷台がいっぱいになったら乾燥台へ運ぶ
軽トラの荷台から乾燥台へ積み込む
3パレット分がいっぱいになる

1週間の予定で借りましたが、3日で終わりませんでした。
借りる期間を延長し、全量割ってしまうことにします。

りんごの季節到来 紅玉の砂糖煮

10月に入り信州には本格的なりんごの季節がやってきました。

山小舎近辺の立科町の直売所では各種のリンゴが花盛りです。
ということで出盛りの紅玉を早速買ってきました。

真っ赤に色づいた紅玉

紅玉は昔からある品種で、酸っぱみと香りが強く、ジャムなどの加工に向いた品種です。
ただ、早生品種のため実が柔らかく、ボケるのが早い欠点もあります。
今回は、アップルパイなどに利用できるように砂糖で煮ることにしました。
コンポートではなく、実をシッカリと煮崩れないように煮て、保存袋で冷凍しようと思いました。

四つ割りにして芯を取る

先ず、紅玉を四つ割りにして芯を取ります。
皮をつけたままさらに二つ割りします。
このサイズで煮ることにします。
薄くスライスすると煮崩れると思ったからです。
また、皮つきの方が色味が出ていいのではないかと思いました。

四つ割りをさらに二分の一にカット

鍋に入れ、砂糖をかけます。
白砂糖にキビ砂糖を混ぜて使います。

砂糖をまぶしてしばらく置く

水気が出たら火にかけます。
水は加えません。
このまま実が透き通るまで火にかけます。

じっくり煮て水気を飛ばす

心配していた煮崩れは起こりませんでした。
水気が抜けて、透明に照りが出た紅玉の砂糖煮ができました。
ジップロックに入れて空気を抜き冷凍します。

ビニールパックに詰めて冷凍保存

まだ紅玉が残っているので、チャツネやジャムに加工しようと思います。

軽トラ流れ旅 秋の高山村~渋温泉

秋は旅の季節です。
もうすぐ日中が短くなります。
寒くなる前に旅をしなければ。
行ったことがない場所は県内にもたくさんあります。

9月中旬に家族と一泊した高山村の七味温泉。
そこの立寄り湯にもう一度行ってみたい。

帰りは奥山田温泉を越えて渋温泉まで峠越えをしよう。
長距離の旅だが8時に出れば明るいうちに帰ってこれる。
温泉にも二か所入れる。

高山村までは、真田から菅平を越えて須坂に下り、中野を通って行こう。
天気は小雨模様だが、高山村の秋の恵みと温泉が待っている。

須坂におりてからは携帯のナビが頼り。
つい先日、家族で通ったルートを行きます。
高山村のJA選果所に寄ってみます。
紅玉リンゴと地元産のシードルを買いました。

高山村のJA選果場

その先の高山村歴史民俗資料館は寄りたかった場所です。
人気のない館内には受付にシルバー?らしきおじさんが一人。100円で入館すると館内の照明をオンにしてくれました。

高山村歴史俗資料館のメインの展示物は、湯倉という場所で発掘された7000年前の縄文時代の人骨です。

高山村歴史民俗資料館

20~30歳台の女性の人骨が保存状態よく発掘されており、発掘時の状態で展示されています。
これは希少価値がある展示物なのではないでしょうか。

縄文時代の人骨

信州は諏訪地方の縄文遺跡、土偶のほか、各地の巨大な前方後円墳の存在が知られている場所です。
縄文人が北信の地で生活していても何の不思議もありません。
保存状態の良さは不思議そのものですが。

人骨発見時のニュース

資料館を出て一本道を奥へと進みます。
山田温泉の街に到着して一休み。
足湯もあるショップで地元のグッズを物色します。
地元産のワイン、味噌のほか美味しそうなネクタリンを買いました。

高山温泉郷・山田温泉のスパ・ワインセンター
山田温泉の立寄り湯

更に松川渓谷に沿って進みます。
つい先日に泊まった七味温泉に来ました。
今日は無人の立寄り湯に入ります。
相変わらずいい湯です。
昼前の入湯でしたが、疲れるどころかかえって目が覚め、体がしゃっきりしました。
温泉が効いたのです。

七味温泉紅葉館の野天風呂
野天風呂入り口
誰もいないので浴槽をパチリ

元気が出て、七味温泉から初めてのコースを奥山田温泉方面に進みます。

これからという時に通行止めの立て看板。
シルバーのおじさんが近いづいてきます。
「自転車のロードレースがあるから、1時まで通行止め。渋温泉に行くのだったら戻った方が早いよ。ここで待ってもいいけど」とのことでした。

奥山田温泉方面の道をサイクリストたちが下ってきた

近くには店も何もありません。
温泉効果で空腹を感じていた山小舎おじさんは、戻ることにしました。
高山村中心部まで下り、小布施、中野、山之内町を通って渋温泉に行くことにします。
途中で食べる場所はあるでしょう。

北信はりんごの季節

渋温泉までの道中はおおむね順調でしたが、中野市内の中心部の郊外型レストランが集中している一角は渋滞の上、どこの店も並んでいるほどの混雑でした。
日曜日の昼時なのでしょうがないのですが。

やがて山ノ内町に入り、川に沿って走ると湯田中温泉を過ぎた先が渋温泉でした。
急に古い温泉街の風情が漂いました。

渋温泉の風景
自噴の源泉

有料駐車場に軽トラを止め、管理しているおじさんにヒアリングします。
立ち寄り湯の場所と、渋温泉名物の木造4階建ての温泉宿の場所を聞きました。
地図を出して丁寧に説明してくれるおじさん。
「宿泊していない人が入れる外湯は1か所だけ。入浴券は買ってもらってから、近くの店の人に鍵を開けてもらってください。」、「木造4階建ての旅館は金具屋さんですね。」とテキパキしています。

有料駐車場入り口

ここで外湯の入浴券を買い、地図をもらってレッツゴー。
まずは金具屋さんを目指します。
メイン道路から1本入った路地は風情があります。

温泉街の一角に木造4階建ての立派な旅館がありました。
昔ながらの玄関は、2時過ぎの時間のこともあり、閉まっています。
戸を引いて従業員に声をかけパンフレットをもらいました。

温泉街
木造4階建ての金具屋旅館

次いで外湯へ入ります。
向かいの食料品店のおばさんに声をかけて入り口を開けてもらいました。
外からは鍵がないと入れないスタイルのようです。

立寄り湯・大湯

外湯には熱いお湯があふれていました。
つかっただけで目が覚めそうなお湯です。

渋温泉の温泉街は日曜日とはいえ、ひっそりとしています。
浴衣を着た外人カップルを見掛けたくらいです。
15時の当着時間を迎えるころになると、だんだん賑わってくるのかもしれません。
親切に答えてくれた駐車場のおじさんに挨拶して帰路に着きました。

渋温泉街点描
路地の風景
射的場
巨大な獅子頭

青いミニトマトのピクルス

9月のある日、直売所で青ミニトマトがあったので買ってみました。
信州では青いトマトを売っています。
漬物などにするようです。
ミニトマトの青いのは珍しかったので、ピクルスにしようと思いました。

真田の直売所で買った青ミニトマト

ピクルスづくりはキューリに次いで2回目です。
ビーツの甘酢漬けというのも作りましたっけ。
果物のジャムやコンポートはよくやるのですが、野菜の加工はあまりやりません。
キューリのピクルスが美味しかったので、野菜についてもピクルスという加工、保存方法があることに気づきました。

ミニトマトを水洗いします。

その間にピクルス液を作ります。
酢、水、砂糖、塩のほか黒コショウ粒、とうがらし、ローリエ、白ワインを入れて加熱します。
にんにくは忘れました。

ピクルス液にミニトマトを入れてさらに過熱します。
トマトの消毒を兼ねています。

煮沸した保存瓶に入れて抜気するのはいつも通りです。

試食したところ、甘みを抑えたドライな味のピクルスに仕上がっていました。

煙突掃除

年一回の煙突同時をしました。

秋晴れの一日。日向では暑いくらいです。

山小舎の薪ストーブは、先代オーナーが導入したカラマツストーブといい、カラマツ、マツ、スギなどの針葉樹を含め、どんな樹種でも燃やせるストーブです。

カタログによると、針葉樹を燃やすと1000~1400度という炉内温度となりますが、特殊鋼版を使用し、独特な溶接技術で作られているため、どんな高温にも耐えられることになっています。
通常鋳物の耐熱温度は800度程度のため、針葉樹は薪として燃やせないのです。

カラマツストーブ取扱説明書より

また、針葉樹は樹脂を多く含むため、燃やすと高温を発するばかりではなく、ヤニを多く発生させます。
ヤニは煙となって消え去るばかりではなく、煙突内にススとなってこびりつきます。
カラマツストーブは、完全燃焼のため、ススと灰の発生がごく少なく済むとのことです。

カラマツストーブ取扱説明書より
カラマツストーブ取扱説明書より

とはいえ、年一度程度の煙突掃除はストーブライフを送るものとしてマストの作業となります。
カタログによると、屋外の煙突立ち上がりの曲がり部分と横引き部分が煙突掃除のポイントとのこと。
自力ではその部分しか掃除できないので、今年もその2か所を掃除します。

2階に上がり、煙突の横引き部分の蓋を開け、ブラシを入れて動かします。

2階の煙突部分
ふたを開けて、ブラシで横引き部分を掃除

次いで屋根に乗り、立ち上がりの曲がり部分の垂直の蓋を外します。
ここからは毎年、ドサッとすすが落ちます。

屋根に乗って、立ち上がりの曲がり部分の蓋を取る

蓋を水洗いし、屋根に落ちたススをホースで洗い流します。
ついでストーブ内部に落ちたススを灰ごとバケツに救い取ります。

蓋を水洗い
ストーブ内に落ちたススも除去

蓋を2か所閉めて煙突掃除の完了です。

蓼科山登山 大河原峠コース

今年も蓼科山に登りました。
今年は大河原峠コースに初挑戦です。
来年あたり孫たちと登る時のコースの下見を兼ねました。

山小舎を出発後、蓼科山を望む

秋晴れの平日、8時に軽トラで山小舎を出発し、蓼科山7合目登山口を過ぎて林道を進み、8時45分に大河峠駐車場に到着。
すでに8割方満車です。

大河原峠駐車場
大河原峠より佐久方面を望む。霧がたなびく

案内板で登山道を確認し出発です。
今日の予定は山小舎のある将軍平までです。
山頂まで行くと帰りの体力の自信がなかったこともあります。

ゴロゴロとした石畳の登山道を進みます。

登山開始

大河原峠コースの登山道はあまり歩きやすくはありません。
結構斜度がある割には、敷石が動いたりします。
健脚の人には関係ないでしょうが、足腰が弱ってきた年代には応えます。

登山道は雨の際には水が流れる場所に設置されているのか、土のままにしておくと道が流失してしまうので、掘れた地形の底に石を配置して作られています。

歩きずらい登山道が続く

やがて傾斜が緩やかな尾根道となります。
白く立ち枯れた木々が現れてびっくりします。
道東の野付半島のトドワラのような風景です。
一か所だけではなく何か所も同様な風景が続きます。
やがて「トドワラ」の背後に蓼科山の山頂が見えてきました。

立枯れた風景が現れる
蓼科山山頂が見える

歩き疲れてきたころ下り坂となり、人の声が聞こえてきて将軍平に着きます。
三々五々登山客が休んでいます。
7合目登山口から登ってくる人が圧倒的に多い印象です。

湿地には木道が設置されている
将軍平に到着。本日はここまで

山小舎に入って休みます。
この日の山小舎の管理人は女性でした。
雨水を使ったホットコーヒーを注文。
値段は去年の650円?から700円に上がっていました。

いつもの山小舎で休む

山小舎は11月初旬の連休まで営業とのこと。
小学校の遠足があるか?と管理人にきくと、よくあるとの返事。
最初に登った時に佐久穂の小学校一行と一緒になったことを思い出しました。

雨水コーヒー
蓼科神社のお守りを購入

一休みしたら下山開始。

これからが大変でした。
下りが急になると足腰がこわばって動かないのです。
これまでは多少膝などがカクカクしても、歩き続けられていたのですが、足が出ないというか筋肉が体を支えられないというか。
これはまずいなあと思いながら滑らないように休みながら、そろりそろりと足を出しながら下りました。

後で姫木管理事務所の登山が趣味の人に聞くと「足が動かなくなるのは水の不足。カロリーも」とのこと。
年齢による衰えばかりではなく、水分と栄養の不足があったようです。
確かにペットボトル半分ほどの給水と、昼食など食事がないままの登山でした。

肝心の大河原峠コースですが、聞いていたよりは急なところもあり、歩きやすくはなかったことと、景色、雰囲気はどこにでもある登山道という印象でした。
神社の境内然とした雰囲気が漂う7合目コースの特色はなく、特に大河原峠コースを選択する意味はないな、と思いました。

来年、孫たちと登るとして、水と食料を適度に摂りつつ、7合目登山口コースを使うことにしたいと思います。

DVD名画劇場 傍役女優の華麗な世界 ステラ・スティーブンス

映画は主役だけではない。
バイプレーヤーに魅力的な役者がいるかどうかで作品の評価が決まることもある。

デヴュー当時のステラ・ステイーブンス

バイプレーヤーといっても、このシリーズで取り上げる女優は完全な傍役ばかりではなく、主人公の相手役だったり敵役の重要なポジションを担ったりする。
むしろそのケースの方が多いかもしれない。
アメリカ映画のタイトル上であれば、主演に続く『CO STARRING』のトップくらいにクレジットされる立場の女優さんだろうか。

例えば「陽のあたる場所(1951年)」のシェリー・ウインタースだったり、「ハイ・シエラ」(1940年)のアイダ・ルピノ、「復讐は俺に任せろ」(1953年)のグロリア・グレアムなどを想定している。

また、かつてトップクレジットで紹介されるスターだった、ドナ・リード(「地上より永遠に」1953年)やパトリシア・ニール(「ティファニーで朝食を」1961年)やパイパー・ローリー(「ハスラー」1961年)なども加えたいがどうだろう?

これら女優たちと忘れられないその演技をDVDで見てみよう。
トップバッターはステラ・ステイーブンスだ。

ステラ・ステイーブンス

「ガール!ガール!ガール!」  1962年  ノーマン・タウログ監督  パラマウント

エルヴィス・プレスリー11本目の映画。
「ブルー・ハワイ」のヒットを受けて再びのハワイロケ。

ステラ・ステイーブンスはプレスリーを争う2人のガールズのうちの一人、ナイトクラブの歌手でプレスリーとは過去の腐れ縁があるらしい女性、を演じる。

1938年生まれのステラは実年齢が24歳になるころ。
映画デヴュー作の「ひとこと言って」(1960年)でゴールデングローブ新人賞を受賞している。
一方で、16歳で結婚、出産、離婚の経歴をの持ち主でもあった。
24歳にして倦怠感に満ちた色っぽいプロ女性の役柄がオファーされたのもうなずける。

プレスリーを巡るもう一人の女性には新人のローレル・グッドウイン。
可愛く整った顔立ちの若手女優で、独立心旺盛な現代女性の役柄。

ハワイで漁師兼釣り船の船頭をやっているプレスリーは、自慢だった父が死に、遺産の漁船は人手に渡っているという逆境の中、船に住み込みながら腕のいい海の男として地域に根付いている。
メキシコ移民?で銀婚式を迎えたボスを敬愛し、中国人の青年を助手にして彼の実家とも交流がある。

プレスリーの役どころは、映画観客の多数を占める庶民階級の若者と同じように社会の逆境の中でもがく存在ではあるものの、付き合う人種の幅の広さだったり、金持ち(メキシコ移民のボスに代わって乗り込んできた吝嗇な白人実業家)に対するわかりやすい反発だったり、当時の白人マジョリティとは明確に異なる特色を持つ。
これらの設定が、映画のヒーロー像の正義感からくるものなのか、それとももっと深い意味があるのかはわからないが。

一方、それとは別に女性にもてまくるのはプレスリー映画のお約束。
釣り船の中年夫婦客の夫人にモーションをかけられるシーンから始まって、クラブでたまたま知り合った正体不明のお嬢様(ローレル・グッドウイン)とたちまちくっつき、腐れ縁の歌手(ステラ・ステイーブンス)とは互いの気持ちがありながらも意地を張りあう。

東宝の若大将シリーズをちょっと大人向けにしたような設定。
ちょっと気になる女の子に誘われた若大将が本命の彼女にすねられるのが若大将シリーズのお約束。
プレスリー映画はもうちょっと人間本能に肯定的で、ドロドロしておりながら、反面、根強いアメリカの社会的価値観(旧式な道徳感)から抜けきれない感があるが。
もう一つ、乗り込んできた白人ボスは、プレスリーの金持ちのライバルにでありながら恋人にちょっかいを出すなど、まるっきり青大将(田中邦衛)同様だったことを記しておきたい。

プレスリーが実家代わりに恋人を連れて訪れる中国人一家の描写の尺が長く、主人公の目を通してマイナー人種の中国人一家に対する信頼と親しみが描かれる。

その中国人宅で繰り広げられるエンデイングの大団円の演出がまたすごい。
幼い二人の中国娘が狂言回しよろしく踊り歌う中、キモノ姿の東洋人が中国風の音楽で踊り、そこへタヒチアンダンスの踊り手が登場、最後は水着姿のアメリカンガールがツイストとアメリカンミュージックで場の雰囲気を塗り替えた後、全員がツイストで盛り上がってエンディングを迎えるのだ。

人種と文化の相違を越えた融合を謳ったエンデイング(だからハワイを舞台にした)なのか、はたまたレビュー映画の『味変』としてハワイの東洋趣味、ポリネシアンテイストをハリウッド流にごった煮しただけなのか。

プレスリー扮する主人公が中国人一家に向ける親しみに象徴される異文化へのリスペクトが根底にあるのか、それともハリウッド流アメリカ中心の世界観の揺るがなさを再確認しただけなのか、それともそれらが並立した世界をハワイを舞台に描いたものなのか、判然としないまま映画は終わるのであった。

ステラ・ステイーブンスは主にナイトクラブで歌う場面に登場。
物分かりよくプレスリーと別れ、若い恋人たちを祝福する大人の女性を演じていた。

「底抜け大学教授」  1963年  ジェリー・ルイス監督  パラマウント

名物コメデイアンの主演映画には「極楽」(アボット、コステロ)、「凸凹」(ローレル、ハーデイ)、「腰抜け」(ボブ・ホープ)などのシリーズがある。
「底抜け」はジェリー・ルイスの主演シリーズだ。

「底抜け大学教授」は、中学か高校時代に日曜昼間のテレビ洋画劇場で流れていた。
ステラ・ステイーブンスの美貌が今でも記憶に残る。

ジェリー・ルイスは化学の大学教授。
実験が失敗し、学生たちがススだらけで脱出した後の教室で、地面にめり込んだドアの下にうずまった姿で登場する。
しゃべり方、口の動き、よろけたような歩きにもボードビリアンとしての年季が入っている。

ダサく、ひ弱な体を鍛えようと、ジムに入門する。
トレーナーに片手で押され、トランポリンに倒れメガネが吹っ飛ぶが、跳ね返りながらメガネを空中でキャッチしかけ直すギャグは運動神経十分。
口だけでなく体を張っている。

ステラ・ステイーブンスは役名もステラという金髪、ぴちぴちな女子大生。
ほかの女優陣ともども、カラーを意識した原色の衣装に身を包み、それが似合っている。
ルイス扮する大学教授の妄想シーンでは、スリットの入ったドレス、テニスウエア、水着などのコスプレ早変わりを見せ、若い盛りの美しさをフィルムに留める。

冴えないが知性があり誠実な男と、オスに匂いを発散させる危険な男を「ジキル博士とハイド氏」よろしく、ジェリー・ルイスが演じ分ける。
もともとが「底抜け」の大学教授に好意らしきものを抱いていたステラは、「底抜け」教授の変身した姿によろめくが、かえって「底抜け」教授の魅力に気づく。

自ら開発したクスリを飲んで、性的魅力を発散するオスに変身し、ギャラリーを虜にする色男は時間が過ぎるとクスリの効果が切れ、「底抜け」教授の口調に戻り、慌てて姿を消す。
変身を巡るドタバタは「ジキル博士とハイド氏」のパロディでもあり、また変身の経験を「底抜け」教授なりに反省して本来の自分の大切さに気付くエンデイングはジュリー・ルイス流の温かさか。

ステラ・ステイーブンスは、教室では金髪をくリボンで結んだロリータスタイルで、また夜の学生会館でのパーテイでは、たばこをふかしながら体育系学生を従える姉御肌ぶりを見せる。
ロリータスタイルより、目の前の男性を見抜き、品定めするしっかりした女性役の方が彼女には似合う。

人間は自分らしく生きた方がいい、自分らしさこそが魅力、人間の才能は(異性としての魅力よりも)知性にある、というセリフを「底抜け」教授とステラに語らせて映画は終わる。
弱いが才能を持ち、人間らしい男の子と、彼を理解し慕う女の子の物語。そのテーマに「ジキル博士とハイド氏」の構造を取り入れコメデイとして仕上げた作品。

一見ミーハーでありながら知性を才能とみなす賢さを持ち、出しゃばりすぎず、いったん決めたパートナーを最後まで支えそうな女性をステラ・ステイーブンスが演じた。

ステラのキャラクターは、ジュリー・ルイスの理想像でもあるのだろう。
ジェリー・ルイスはステラ・ステイーブンスの本当の魅力を見抜いてステラ役にキャステイングしたのではないか。

「砂漠の流れ者」  1970年  サム・ペキンパー監督  ワーナーブラザース

(ストーリー)

文字どおり砂漠を流れている中年男がいる。
偶然会った二人組に命の次に大事な水を奪われた。
砂漠をさ迷い4日目に偶然泉を発見して命を拾う。
男の名はケーブル・ホーク。
自分の名前のスペルも知らない。
金には細かく、臆病。
素朴な信仰心と愛国心だけは身についている。

主演のジェイソン・ロバースと

町が嫌いで泉のほとりに住み着き、二人組への復讐心だけは忘れないホークのもとへ、牧師と名乗る若いのがやってきた。
牧師は泉に住み着き、ホークの家づくりをいやいやながら手伝ったりする。
この牧師はとんでもないスケベで、町へでては嘆いている若妻に近づき、手を出したりする。

この牧師が口を出したことから、ホークは泉の湧く、街道筋のこの土地を登記しようと町へ出る。
駅馬車の運営会社はホークをあしらうが、銀行家がホークを気に入り100ドルをその場で渡す。

100ドルを握ったホークは先日見掛けて気になっていた娼婦のヒルデイを買う。
風呂に入れてくれたヒルデイのもてなしにすっかりいい気持になるホークだが、泉に置いてきた牧師が気になり、金も払わず立ち去る。
ヒルデイは「金を払え」と怒ってドアをけ破り、水鉢や洗面器を投げつける。

その後、改めて町に出たホークは、新しい洗面器をプレゼントしてヒルデイと仲直りする。

「砂漠の流れ者」のステラ・ステイーブンス

駅馬車の休憩所としてすっかり繁盛している泉にヒルデイがやって来る。
風紀を重んじる町の女性たちに追い出されたという。
ヒルデイの夢はサンフランシスコに出て金持ちと結婚すること。
ほんの一晩、ホークのもとによるつもりがそのまま3週間いることになる。

ホークとヒルデイの天国の日々

まるでパラダイスのような砂漠の二人だけの生活。
二人の夢のような生活の背景にカントリー風の素朴な「バタフライモーニング」が流れる。
そこへ牧師が逃げ込んでくる。
手を出した若妻の亭主に追われているのだ。

3人の晩餐。
牧師から食事代を取ろうとするホークに、「私とはただじゃない」と諭すヒルデイ。
ホークはすかさず「俺からもな」と答える。
ハッとするヒルデイは「明日出てゆく」とポツリ。
ヒルデイは涙ながらにこれまでのホークのやさしさに感謝し、男二人に『今日は外で寝て』という。

一人になったホーク。
ある日駅馬車から例の二人組が降り立つ。
泉の繁盛ぶりをそれとなくアピールし、復讐のために誘い込むホーク。
後日やってきた二人はホークの罠に落ち、復讐される。
結局、一人は死に、残った一人はホークに命じられて駅馬車の休憩所の管理をすることになる。
折から自動車が現れる時代となり、駅馬車と休憩所は時代遅れとなってゆくのだった。

休憩所を任せて去ろうとするホークのもとに、着飾ったヒルデイが運転手付きの自動車でやって来る。
ホークは扱いなれない自動車にひかれて死んでゆく。

(感想ほか)

ホークを演じるジェイソン・ロバースはともかく、この作品のステラ・ステイーブンスの魅力を見てみよう。

ホークを客として迎えるキャバレー二階の商売部屋。
ホークにコルセットのひもをほどいてと迫り、ベッドに横たわってストッキングの脚を振り上げる。
キュートな笑顔と媚態。
二人の時間が商売による限定的なものではなく、たっぷりと時間を使った恋人同士のもののよう。
こんな娼婦だったら全世界の男たちは何を差し置いてもそのもとへはせ参じるだろう、と思わせるステラ・ステイーブンスの魅力。

町を追われて砂漠のホークのもとへやってきた後のヒルデイは、まずは身支度してさっさと寝室にホークを迎えた翌日には、エプロンに金髪をリボンで束ねてパンをこねるなど、良妻賢母ぶりを見せ、温かく迎えたホークに報いる。

「底抜け大学教授」の時から7年。
30歳を超えたステラ・ステイーブンスは、さすがにぴちぴちではないものの、無駄肉がない体にまだまだキュートな笑顔を見せ、実は繊細な女心を体いっぱいで表現する。
彼女の実人生の積み重ねもあるのだろう、女ごころの表現にはリアリテイもある。

キャバレーの二階の商売部屋でホークを迎える場面では、全男性の理想の女性像を演じるが、ヒルデイがサム・ペキンパーの理想の女性像として演出されていることがわかる。

別れを決めた夜、外に寝ているホークの手を引き小屋へと連れ戻す、白いレース姿のヒルデイは、夜半の夢うつつに現れた女神のごとく、全世界の男の夢の化身だった。
この場面のペキンパー演出にブラボー。

白いネグリジェ姿のヒルデイ

ペキンパーは、回想シーンや凝った伏線などを用いずに時間経過を追ってこの作品を撮った。
「ワイルドバンチ」や「ゲッタウエイ」のようにスローモーションを用いてもいない。
むしろコメデイとしての山場のシーンではコマ落としをもちいているのだ(ヒルデイが樽で水浴しているときに時間より早く駅馬車が到着し、ヒルデイが裸で小屋に駆け込むシーンなど)。
力の抜けたペキンパーは作品をここでは楽しめる。

(DVD特典映像より)

DVDには付属特典として、ステラ・ステイーブンスインタビューが収録されていた。
彼女が50代のころではないか。
メイクしたステラはまだまだ魅力的で、自分のキャリアの出発から「砂漠の流れ者」についてまでを縦横に語っていた。

「砂漠の流れ者」やサム・ペキンパーについてはこう回想している。

・この作品については「コメデイ」だと聞いていたが私は、コメデイの総則を施したラブストーリーだと思う。
・ヒルデイを演じてその心境を理解するのがこんな五位だった。ペキンパーに『ヒルデイっはどんな人?』と聞いたら通りの真ん中で『ヒルデイはお前だ!』と怒鳴り返されたことがある。
・劇中の歌は自分でアカペラで録音したものに、ジェリー・ゴールドスミスが伴奏を録音したもの。
・ヒルデイがサンフウランシスコに出てゆく夜の分かれのセリフのシーンでは自然に涙が出た。
・ヒルデイが車に乗って着飾って泉に帰ってくるシーンが大好き。豪華な衣装も。
・ペキンパーは自分の子供を動物園に連れてゆくようなタイプではない。仕事にしか興味がなく、成功のためには手段を選ばない。
・ペキンパーは自分の憎しみ、寂しさを隠すためにサングラスをかけ、アルコールを飲んだ。小柄な体格で、喧嘩が強いとは思えなかった。
・45歳の時(1972年)、ペキンパーから映画の話があり、『ヒルデイのその後をやるんだったら出る』と答えた。ステイーブ・マックイーンが『あなたじゃだめだ』と言ったのでその話はなくなった。
(「ゲッタウエイ」のことだと思われる)

尊厳と貫禄を漂わせ、己のキャリアにゆるぎなさを感じさせながらも、今もなおスリムでキュートでかつ繊細な表情を崩さないインタビュー中のステラは『脚本と監督を自分がやって映画を作りたい。「底抜け大学教授」のジェリー・ルイスのように』と話していた。
酸いも甘いも味わいつくした大人の魅力がそこにあった。

(「ケーブルホークの男たち 遥かなるサム・ペキンパー」より)

ここに「ケーブルホークの男たち 遥かなるサム・ペキンパー」という本がある。
「砂漠の流れ者」の原題を表題としたこの本は、ペキンパーの同士でもある作者による同作のメーキング本である。この中からステラ・ステイーブンスについての部分を拾い読みしてみた。

『ステラ・ステイーブンスは最高の演技を残したし、それはジェイソン・ロバースにも言える。(中略)サムが最高傑作をものにしたことも間違いない』(同著P145)

『ステラは、ペキンパーが今まで最高の演技を引き出してくれたと語った。彼のメソッドはあまり好ましいとは思えなかったが、毎晩ラッシュを見るたびにそれがうまくいっているので、思い通りにやらせることにしたのだという。この作品のために彼に賭けたのだし、そのお返しとしてサムも私に賭けてくれたと思う、とも彼女は語った。』

などと著者は語っている。

(「女優グラフィテイ」より)

小藤田千栄子、川本三郎の両映画評論家を中心にごひいき女優を1978年の時点で選んだ女優賛歌。
ステラ・ステイーブンスについては川本三郎が『星影のステラ』として242から243ページにわたって評論している。

『のっけからいってしまえばこの十年間に知りえた最高のヒロイン。』(P242)と「砂漠の流れ者」のヒロインを演じたステラを絶賛。
『この映画がペキンパーの傑作足りえたのは、ひとえにステラ・ステイーブンスのためといってもオーバーではないだろう』とも。

目次
「女優グラフィテイ」より

しその実塩漬け

直売所に寄ったら穂ジソが売っていたので2束買って帰いました。
シソの実の塩漬けを作ろうと思いました。

買ったばかりの穂ジソ

ネットで作り方を再確認。
その日はシソの実のあく抜きをしました。

先ずシソの軸から実をそぎ落とします。
花が残っている状態の実はまで熟していなく、そぎ落としずらいものでした。
軸が柔らかいので実をそぎ落とすときに軸が折れてしまったり、葉っぱの一部が混じってしまいます。
実が熟しすぎても硬くてダメなので、収穫の加減が大事のようですが、もう少し熟した状態のものでもよかった気がします。

葉っぱや軸が混じった状態で水に漬けて一晩おきました。

実をそぎ取ってあく抜き

ザルに上げて、実以外のものを取り去ります。
キッチンペーパーにあけるなどして水気をとります。

一晩あく抜きした実の水気をとる

ここで塩を混ぜるのですが、分量は実の重量の10%とのこと。
実を量ってみるとほぼ70グラムほど。
ということで7グラムほどの塩を混ぜます。

10%の塩を混ぜる

保存袋に入れて出来上がりです。
塩に殺菌作用があるとはいえ、材料、保存容器などは全く消毒していませんので、保存袋の空気を出来るだけ抜き、冷蔵保存します。

保存袋に入れて冷蔵庫へ

ご飯に乗せたり、おにぎりに混ぜるなどしてシソの香りと歯ごたえを楽しみます。

高山村 七味温泉

9月半ばのこと、山小舎おばさんの提案で家族で高山村の七味温泉にある紅葉館に一泊旅行しました。

高山村観光ガイドマップより。右の方に七味温泉

高山村は須坂市から松川沿いに東に山間を分け入った松川渓谷にあります。
須坂インターで上信越自動車道を下り、須坂市内を抜けて行きます。

途中に子安温泉、山田温泉などのいで湯の里を抜けて走ります。
路幅が狭い場所はありますが、路面は良好です。
かなり上ったところに七味温泉がありました。

静けさに包まれた山間の旅館です。
既に県外ナンバーの車が2.3台停まっていました。

紅葉館の外観

着いて早速のお湯。
熱めのお湯が旅の疲れを癒してくれます。
露天風呂ともつながっています。
何より湯客が少ないのがいいです。

聞けば客室10室のところ、スタッフ不足で5室で営業している由。
スタッフの一人は長野市から1時間半かけて通ってくるとのことでした。

窓には渓谷の緑があふれる

夕食は別室に案内されますが、他の客とは同室ではありませんのでゆったりと食べられます。
別料金でクラフトビール、ワイン、地酒も頼めます。
何より地産地消の素材を生かしたメニューがうれしいのです。
この日の夕食は、イワナの刺身、アルプス牛の冷しゃぶ、マツタケが乘った蓮饅頭など多彩なものでした。
料理を運んでくるおかみさんとのトークも楽しいものでした。

夕食。まず、お造り、オードブルが運ばれる。ドリンクは梅酒
夕食のメニュー。至れり尽くせり!

翌日は戸外の露天源泉にも入ってみました。
適温で快適なお湯でした。

朝食。子持ちワカサギの甘露煮など。ヨーグルトにかかっている地元産のはちみつが美味すぎた

帰りは高山村のJA選果場に寄ってみました。
ブドウの出盛りで、早生のリンゴとともに選果場はより取り見取りの花盛りで活気にあふれていました。

令和6年畑 9月の草刈り

8月中は放っぽりぱなしだった畑に秋がやってきました。

雑草がバシバシと生えっぱなしで、ネットは崩壊したまま、残っている作物は果たして生きているのか?
草刈り機をもって畑へ向かいました。

ほぼ半分しか使っていない圃場の草刈りをします。
耕作放棄地そのままの姿です。
夏にざっと刈った後の刈残しが半分枯れながら土の上に横たわっていて、その横たわりを起こしながら刈ってゆきます。
時間と体力が掛かります。

草刈り前の圃場の状態
太く硬い雑草が生い茂る
雑草を草刈り機で倒してゆく

圃場の端の部分、法面などもできるだけ刈ります。
こうすると遠目にも「手入れした感」が出るのです。

夏の間放っておき、十分に幹が太くなった雑草は硬く、重いので、草刈り機で刈ってゆくに従い腰が疲れてきます。4枚の圃場のうち1枚をこなすのに燃料タンク満タン分、1時間半ほどかかります。
先が長いので今日はここまでとします。

雑草を倒した後の圃場

心配したヤーコン、サツマイモ、長芋などは無事育っていました。

ヤーコン
サツマイモ
長芋
自然発芽したエゴマ

まったく手入れしていない菊芋は盛況です。

菊芋