春ゼミの季節

山小舎の周辺。
姫木別荘地では春ゼミが盛んに鳴いています。

例年、6月ころになると一斉に鳴き始める春ゼミ。
最初に聞いた時は「夏でもないのにセミが鳴くはずはない。これはカエルの声か?」と思ったものでした。

とにかく一斉に鳴くので晴れた昼間はにぎやかです。

山の初夏の風物詩。
「そろそろ夏か?」と思っていると、いつの間にか声がしなくなります。

雨の日や肌寒い日は全く鳴かずに、晴れる日には予期したように鳴き始めるところも、自然の摂理でしょうか。

地表に落ちるなどして姿を見せ始めると、春ゼミの季節も終わりに近づきます。

この写真は、山小舎の土台にくっついていた春ゼミです。
もうすぐ鳴き声もなくなるでしょう。
来年の春ゼミの季節までお別れです。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル! ジュデイ・ガーランドの時代

MGMアメリカ映画黄金時代シリーズです。
今回はMGMミュージカルのスター、ジュデイ・ガーランドの作品を選んで見ました。

1939年に「オズの魔法使い」で17歳のジュデイがスターになってから、1950年にMGMとの契約を解除されるまで。
ジュデイ20歳代の作品群です。

「若草のころ」 1944年 ヴィンセント・ミネリ監督  MGM

時まさに第二次世界大戦真っ盛り。
ヨーロッパ、太平洋共に戦線をアメリカ軍が仕切り、枢軸国を追いつめんとしている時期。
アメリカ軍の攻勢がはっきりしていた時期とはいえ、戦時体制は軍事最優先。
一般国民はもちろんハリウッドも慰問や戦時国債のキャンペーンなどで撮影所を挙げて協力していた時代。

その時代に作られた「若草の頃」は、戦争に協力せざるを得ない国民感情を刺激しないような作風。
地道で伝統的な古き良きアメリカを静かに賛美した保守的な作品でした。

1903年の春から冬へのセントルイスの一家庭を舞台に、弁護士の父、しっかりした母(メリー・アスター)、長兄、四姉妹(次女がジュデイ・ガーランド、四女にマーガレット・オブライエン)の暮らしを追うホームドラマ。

製作はアーサー・フリード。
当時のMGMプロデューサーのトップで、ミュージカルの制作に腕を振るった。
別の顔ではセクハラとロリコンで有名なユダヤ人。

監督はのちにジュデイ・ガーランドと結婚し、ライザ・ミネリの父親となるヴィンセント・ミネリ。

マーガレット・オブライエン(左)とジュデイ・ガーランド

女系家族の中で浮いている父親。
メイドとの連携よろしく、美しく料理の得意な母親。
ボーイフレンドの気を引くことに夢中な長女と次女。
家族のマスコットとして可愛がられる三女と四女。

古き良き、おてんばのお嬢さんキャラを演じるジュデイ。
少しやせて娘らしさはあるが、本来の元気さ、パンチが出ていない。
戦時中の保守的ドラマにあっては、ジュデイ本来の破天荒な動きと、パンチの効いた歌声は時期尚早だったのか。

なお、三女、四女を巡る描写に、アーサー・フリードのロリコン趣味が濃厚に現れており、戦時中に製作された保守的なホームドラマにあっても製作者の公私混同は貫かれていたようだった。

「雲流るるままに」 1946年 リチャード・ウオーフ監督  MGM

さあ、戦争は終わった。
アメリカは戦勝国だ。

とはいえ戦後直後の1946年。
MGMが選んだ題材は、アメリカ人音楽家の第一人者、ジェローム・カーンの自伝だった。

保守的で堅実な題材である。
製作はアーサー・フリード。

作曲家カーンはそれまでイギリス人作曲家が幅を利かせていた舞台音楽の世界で、アメリカ人として初めて第一線で活躍した人。
ロバート・ウオーカーが演じる。

主人公の生涯の恩人に、作曲家のヴァン・ヘフリンとその幼い娘。
「シェーン」につながるヘフリンの頼りがいのあるざっくばらんな善人キャラがいい。
主人公と仲良くなるおしゃまな幼女の執拗な描写に制作者フリードの好みが反映している。

主人公らの活躍と変遷のドラマに舞台のシーンが挟まる。
舞台のシーンに、ジューン・アリスン、ジュデイ・ガーランド、アンジェラ・ランズベリー、フランク・シナトラのミュージカルスターが登場する。

ジュデイの登場シーンはヴィンセント・ミネリが演出したらしい。
皿洗いのバイトをしながらスターを目指す娘、というバックステージものを演じるジュデイは溌溂としている。
楽屋で出番を待つときの緊張ぶりを演じてもいたが、ジュデイの繊細な実像とオーバーラップするようで印象的だった。

1927年、舞台「ショウボート」の大成功で主人公は大作曲家となり、ハリウッドにも招かれる。
一方成長したヴァン・ヘフリンの娘(ルシル・プレマー)は舞台女優を目指して家出をし、主人公らを心配させる。

成功した人物の苦労譚はハリウッドの得意な素材。
今回も無難にまとめている。

テレビのなかった当時、作曲家にとっても舞台で評価されることが、キャリアの出発点だったことがわかる。
舞台製作者の権限、ブロードウエイで売れたときの栄光、別枠として出てきた映画という存在。
1920年代のアメリカのショウビジネス界を背景に、作曲家カーンの半生を描いた作品だった。

「ハーヴェイ・ガールズ」 1946年 ジョージ・シドニー監督 MGM

サンタフェ鉄道が走るニューメキシコ。
西部の町にレストランを開こうと、ウエイトレスの一団(ハーヴェイガールズ)とともにやってきた経営者ハーヴェイ。
偶然同じ列車に乗り合わせたのは、新聞広告の花嫁募集に応じてやってきたジュデイ・ガーランド。

西部の町にはカジノと売春宿とキャバレーを兼ねた酒場がすでにあり、ボスと情婦(アンジェラ・ランズベリー)が支配している。
かたや堅気のハーヴェイレストラン。

「ハーヴェイガールズ」主題歌のオリジナルレコードジャケット

ボス一派からの嫌がらせにおびえるハーヴェイガールズ。
単身酒場の乗り込み、ボスに啖呵を切るのは、結婚相手に夢破れたその足で、ハーヴェイガールズに応募したジュデイ・ガーランド。
若く、生き生きとした動きを見せるジュデイだが、不自然に痩せた姿を見せるのはちょっと不本意。

ガールズの面々(その一人にシド・チャリシー)は、飛び切りの美人ぞろい。
スターを目指しハリウッドにやってきた娘たちから、プロデューサー(この作品もアーサー・フリード)が腕によりをかけてセレクトした風がうかがえる。

「ガス燈」の不貞腐れメイド役でデヴューし、「緑園の天使」ではエリザベス・テーラーの姉を演じた、アンジェラ・ランズベリーは酒場の歌姫役。
可愛げのない貫禄たっぷりの押し出しも、このとき弱冠21歳。
酒場の舞台では下着のようなドレスで歌い踊る。
主人公、ジュデイ・ガーランドと向き合えば、身長、体の厚みともに圧倒的な体格の差を見せる。
この存在感が息の長い女優生活を生み、「ジェシカおばさんの事件簿」につながったのか。

サンタフェ鉄道のSLを走らせる大オープンセットはさすが世界一の映画会社MGMの仕事。

町のボス相手に拳銃片手に単身乗り込み、乱闘シーンもこなす若き日のジュデイ・ガーランドも、そのコミカルな演技は愛嬌があるのだが、体の線の細さが弱弱しさを感じさせる。
どうしたジュデイ!本領発揮はまだか。

「サマーストック」 1950年 チャールズ・ウオルター監督  MGM

ジュデイ・ガーランド最後のMGM出演作。
舞台裏では何があったのか知らないが、結婚し、子供を産み、体つきもしっかりしたジュデイが溌溂と歌い踊る。待ち望んでいたジュデイらしさが存分に楽しめる。

3代続いた農場の跡取り娘がジュデイ。
経営不振で農夫は出てゆき、演劇狂いの妹も出て行ったきり、メイドと二人健気に農場を守る。
そこへ妹が売れない劇団(主宰者ジーン・ケリー)を連れてくる。
納屋でミュージカルの稽古をし、興行を打つという。

農場を守りたいジュデイ、保守的な町の人々、浮世離れした劇団。
三者が入り乱れ、決して交わらないままドタバタが続く。

町のダンス大会は伝統的なフォークダンス。
見守りながらも決して交わろうとしない劇団員たち。
決して劇団員をダンスの輪に呼び込もうとはしない町の人たち。
日本でも田舎の閉鎖性云々が話題になるが、それどころではないアメリカの西洋の地域間、階層間の断絶もさりげなく描かれる。

やむに已まれぬ事情から劇団の面倒を見るジュデイだが、ひょんなことから自分のダンサーとしての才能に気づき、ジーン・ケリーとも打ち解けはじめ・・・。

興行直前にニューヨークへ出奔した妹の代わりに主役で舞台に立つことになるジュデイ。
圧倒的な歌と踊りがこれでもかと炸裂する。

MGM最後の出演作でジュデイの才能を存分に味わえたことを良しとするべきか。
もったいないと思うべきか。

小型ながらタンクのような体でファイトむき出し、演技がうまく愛嬌もある。
何よりパワフル。

この先、肝っ玉母さんのようなキャラもできたろうし、可愛い奥さん役も似合ったろう。
売れない芸人の奥さんとして苦労する役も案外にあったかもしれない。

この後、ワーナーで名作「スタア誕生」を残しジュデイ・ガーランドは永遠にスクリーンから姿を消した。

ジュデイの原点。グラムシスターズ時代(左)

定植後の夏野菜たち

時には猛暑、時には豪雨。定
植した夏野菜の苗はその後どうなっているでしょうか。

ことしは4列、40本近くも植えたトマト。
苗の定植後はほとんど灌水していません。
斜め植えをして、根元に雑草を敷いて乾燥を防いでいます。
今のところ順調な生育です。

斜め植えしたトマトの苗
トマトだけで4列

キューリの苗。
黄色の葉っぱが気になります。
水不足と戦いつつ根を張っている途中なのでしょうか。
この後ネットを張って成長に備えます。

キューリの苗にネット用の支柱を準備

ズッキーニは今年も順調。
既に花が咲いています。
一番早い収穫を期待します。

花が咲き始めたズッキーニ

カボチャは苗を買って植えました。
初期の潅水を心がけて育て中です。

カボチャの苗も順調

山小舎で芽出しをし、定植したばかりのトウモロコシの苗は活着したようです。

為を芽出しし植えたトウモロコシの苗

低温障害と虫食いと病気を心配したレタスとキャベツが順調に育っています。
初期の潅水が功を奏したのでしょうか。
無事収穫、出荷までこぎつけたいものです。

レタス
キャベツ

一度植えてからはほったらかし、自然採種でどんどん増えるパクチーはすでにトウが立っています。

自然発芽のパクチーたち

ジャガイモも今年は無事発芽しました。

ジャガイモの列

6月2日の雨

令和5年6月2日は全国的に大雨だったようです。

山小舎周辺も土砂降りでした。

いつもなら雨の日は、管理事務所のバイトもなく、畑仕事もなく。
したがって外出の日なのです。
行きたかった地元の食堂へ行ったり、買い物を行う日です。

今回もその予定でした。
1日の夜から屋根を叩く雨。ここまでは予定通り。

翌朝も山小舎周辺は冷たい雨が降っていて、朝からガンガンストーブを焚きました。
ストーブで肌寒さだけでなく、湿気と雨の中に閉じ込められたかのような閉塞感を追い出します。

ストーブを焚きながら、買い物に諏訪方面へ行くか、それとも長野市博物館の特別展示「皆神山を取り巻く世界」を見に行こうか、と考えました。
テレビから伝わるのは全国の雨のニュースと「命を守る行動をとってください」のアナウンサーの声ばかり。

こういったいつものテレビの「煽り」は、オーバーなことだと思いますが、万が一道路が寸断されていて軽トラごと巻き込まれてしまったら家族に迷惑をかける、とも思いました。
結局1日中室内で過ごしました。
室内にいればいたで、疲れは取れるし、DVDは見れるし、ブログは書けるし、やらなければならないことがはかどります。

翌朝、雨が上がった山小舎。
裏の水無川の本流のほとばしりを見て、昨日までの雨量の多さを改めて思う山小舎おじさんでした。

裏の川が大暴れ

映画の街 調布市役所の色紙展示

帰宅の際、用があって調布市役所へ行きました。

所用が済んでロビーを移動していると、壁に色紙がたくさん張られているのが目に入りました。
「映画のまち調布の撮影支援実績」の展示でした。
ドラマや映画撮影時に調布市がロケ撮影などに協力した際に、俳優からもらった色紙を展示しているのでした。

調布市役所の一角で色紙の展示があった

見てみると、調布市国領町出身の高田純次をはじめ、神木隆之介、石田ゆり子、有村架純など今が旬のタレントたちの色紙が展示されています。

調布といえば地元スターの高田純次

市内には角川大映、日活の撮影所があり、映画やドラマの撮影が行われています。
ついでに市内のロケもよくあるようです。.
また、CMやドラマの電車のシーンでは、京王線の電車や駅が利用されているのをよく目にします。
調布市全体が撮影に協力していることがわかります。

池田エライザ、林家正蔵

また市立図書館には狭いながらも映画図書だけをそろえた一室があり、山小舎おじさんも時々利用させてもらっています。

石田ゆり子、神木隆之介

市役所の壁で、映画支援の実績が謳われていることを発見し、ほほえましさを感じた山小舎おじさんでした。

塩尻市立 平出博物館

切通しの中ごろに博物館はあった。
縄文の世界が残っていた。

塩尻市郊外の平出博物館に行ってきた。
5000年の時を奏でる縄文遺跡の中にそれはあった。

博物館へのルートは塩尻市街地を抜け、住宅地から田畑の広がる低地を走ると、道は山すそへと至りやがて切通しを通る。
右手に岩をくりぬいたような奇景があったと思うと、緑滴る木立に博物館が建っている。

周りは縄文遺跡。
竪穴住居が復元され、古墳が発掘保存された公園になっている。

縄文時代から平安時代にかけての大集落跡があるという平出地区。
今では塩尻郊外の農村風景が広がっている。
土器や遺物が畑から出土したという。

係の人が一人しかいない博物館。
出土したという五重の塔に驚かされる。

館内を見てゆくと立派な銅鐸や鳥型の硯の出土品がさりげなく展示されている。
これって国宝に近い出土品なのではないか?状態もいい。

ゆっくり館内を見て外へ出る。
折からの雨模様。
係の人は雨だったら傘を貸しますよ、と言ってくれる。

竪穴住居の復元。
古墳の保存。
人気のない公園内を歩く。
保存状態の良さがうかがえる。

茅野の尖石遺跡もいいが、塩尻の平出遺跡も地元が力を入れて保存しているのがわかる。

手書きのマップをもらう。
今度はこのマップを片手に半日ゆっくり歩いてみたいと思った。

DVD名画劇場 大都映画とハヤブサヒデト

大都映画という映画製作会社が戦前にあった。

集英社選書に「幻のB級!大都映画が行く」があって一読。
そこには、戦時体制で映画会社が3社に統合されるまで、松竹、東宝、日活、新興キネマと並んで邦画メジャー5社の一つに数えられた大都映画の発祥と解散までの貴重な経緯がつづられていた。

集英社選書 本庄慧一郎著 「幻のB級! 大都映画が行く」

作家、脚本家の著者はテレビ、広告業界でCM製作を手掛ける傍ら、「大都映画撮影所物語」という劇を執筆、好評を得た。
戦前のメジャー映画会社でありながら、現在では知られることの少ない大都映画に、親族が勤めていた縁を持つ著者が、その歴史を掘り起こし新書にまとめたのが本著である。

建築業界の風雲児としてのちに大都映画を創業した河合徳三郎の生涯から、大都映画のカラーである徹底した大衆路線と、戦前の企業統制により大都映画が解散するまで、仰天エピソードの数々がつづられる。

一代で名を成し、全身に入れ墨があり、関係者に慕われたという河合徳三郎。
映画会社の経営者としては、やくざ上がりの大映・永田雅一社長や、女優を妾にしたと公言して憚らなかった新東宝・大蔵貢社長、さらには京都に発祥し、やくざと切っても切れなかったマキノ映画から東映京都へとつながる人脈、に近いものがあろう。
東大新卒の城戸四郎を社長に据えた松竹や、実業家にして文化人の小林一三を元祖とする東宝とは毛色が異なる。

大都映画のモットーが「楽しく、安く、速く」であり、徹底した娯楽路線の作品を、粗製乱造と揶揄されるスピードで量産し、低価格で公開したのも、この「毛色」と深く関係していよう。

また、大都映画の本拠である巣鴨撮影所は、低賃金、過酷な労働環境ながら家族的雰囲気で、河合社長のもと一団結していたという。

大山デブ子、杉狂児、山本礼三郎、伴淳三郎、水島道太郎などのスターを生み、千葉泰樹、佐伯幸三などの監督を生んだ。

戦時統制により映画会社が統合された際、東宝、松竹と並ぶ第三社となるべく、大都は日活、新興キネマと合併し、大映映画が誕生した。
大映誕生の裏には永田雅一の「寝技」があったといわれるが、いずれにせよこの時点で大都映画は消滅した。

通算で1200本以上を製作した大都映画だが、現存するのはごくわずか。
ほとんどが戦災でネガごと灰塵に帰しているのは残念なことである。

最も、戦前の作品が現存しないのは大都に限ったことではない。
背景には、映画プリントを消耗品と考え、興行上映でボロボロになるまで使い切った後は、プリントを簡単に廃棄し、またネガを大切に管理していたとはいえない当時の日本映画界の慣習がある。
戦前の作品が海外(アメリカの日系映画館や、欧州のフィルム博物館など)で発見されることが多いのは、ことためもある。

大都映画のスター、ハヤブサヒデト

「怪傑ハヤブサ」  1948年  ハヤブサ・ヒデト監督

最初に断っておかなければならないのは、この作品が大都映画ではないことだ。
大都映画は戦前に消滅したのだから、1948年のこの作品が大都ではないことは自明だ。
ではなぜこの作品を見たのか。大都のスターだったハヤブサヒデトが出ているからだ。

1948年版「怪傑ハヤブサ」。中央の女優がヒロイン長谷川ひとみ

オートバイが疾走する。
燃える納屋に突っ込み、囚われのヒロインを曳きずり出す。
オートバイとその疾走は「月光仮面」に援用されているといわれる。
「少年ジェット」という番組もあり、オートバイで疾走する主人公の脇には並走するシェパード犬がいた。

ハヤブサというネーミング。
戦時中はビルマに展開した中島飛行機製の名機隼を擁した加藤隼戦闘隊があった。
山小舎おじさん幼いころのテレビ番組には「海底人8823(はやぶさ)」というのがあった。
最近では日本中が応援した気象探査衛星が愛称はやぶさだった。

オートバイとはやぶさ。
この二つのアイコンに彩られた主人公がハヤブサヒデトである。

ハヤブサの全盛期は大都時代の1930年代といわれる。
「怪傑ハヤブサ」は、戦後に、自らの演出で再現されたハヤブサアクションである。

そのアクションは、サーカスで鍛えた空中綱渡り・滑走と、オートバイ、格闘である。
モーターボートで疾走し、海に飛び込んでもいる。

実写で行われるそれらアクションは、どちらかというとジャン=ポール・ベルモンドの体を張った動きを連想させる。
アナログだからこそハラハラするアクションである。

ヒロインは長谷川ひとみという女優で美しい。
派手なパーマはともかく、当時の若い日本女性ならではのふるまいが好ましい。

DVD版は上映時間49分。
オリジナルは89分だそうで、約40分分がブツブツに切れておりストーリーがよくわからなくなっている。

が、いずれにせよ伝説のハヤブサヒデトを見られる貴重な記録である。

いちごジャム

旬のいちごでジャムを作りました。

高遠で蕎麦を食べた帰り、いつもの南箕輪村の直売所に寄りました。
アスパラ、山菜など旬の野菜類に交じっていちごがたくさん出ていました。
生食用の大ぶりのいちごに交じって、加工用の小粒のいちごが大きめのケースで売られていました。

ひとケース560円が半額。
ふたケースがワンセットになっていました。
これで560円は安いと思い、買いました。

南箕輪村の直売所・ファーマーズあじーなで購入しました

翌日ジャムに加工しました。
生を試食してみると香りが立ち、酸っぱさと甘さが強烈ないちごです。
暖かくなってきた今が旬なのでしょう。

いちごを洗ってへたを取ります。
砂糖をまぶしてしばらく置きます。
白砂糖にザラメを少し混ぜてみました。

いちごから水分が出るまでの間に、瓶を煮沸しておきます。

十分に水分が出たら火にかけます。
どんどんアクが出るので取り除きます。

結構な時間、煮ても形が崩れません。
ほどほどで火を止め、瓶に詰めてさらに煮沸。
蓋を締めます。

あともうひと瓶。合計4瓶のジャム完成です

1年以上持つジャムの完成です。
報告すると娘一家から早速の注文が入りました。

芽出し

ことしは、ハニーバンタム(とうもろこし)、インゲン、ビーツの種まきをしました。
山小舎でポットに種を蒔いたのです。

うまく芽が出たのがハニーバンタムトとビーツ。
インゲンはほとんど出ませんでした。

芽が出たビーツを大きめのポットに植え替えました。
もう少し大きい苗に育てたら畑に定植します。

ラックに種を蒔き発芽したビーツ
ポットに植え替えます
植え替え後のビーツ
ポットで育つ現在のビーツ

ハニーバンタムは発芽したものは順調に育っていますが、発芽率はあまりよくはありませんでした。
もうそろそろ定植しても大丈夫です。

ラックで発芽したハニーバンタム。このまま定植します

信州ソウルフード放浪記VOL.30 高遠蕎麦・華留運

念願の高遠蕎麦を食べてきました。

5月下旬の平日。
城下町高遠の街並み。

華留運というそば店があります。
街の観光案内所にもこの店のパンフレットが置いてあります。
休日などは客が並びます。

店内には3組ほどの先客。
いずれも観光客風の女性です。

本日の蕎麦として3種類ほどのメニューがかかっています。
山の写真が飾ってあり、店主が山好きなことがわかります。
店名の由来も山のケルンから来ているのでしょう。

注文します。
十割蕎麦もいいのですが食べずらいと困るので、二八蕎麦を頼みました。
ついでにわらびの煮びたしを一皿追加しました。

出てきました。
特にこだわりのない盛り付けです。
蕎麦の量は一見少ないのですが、手打ちなので食べ応えがありました。
歯ごたえがある蕎麦ですがボソボソするようなことはありませんでした。
わらびは十分な量で、山小舎おじさん的には1年分のわらびを摂取できました。

二八のざる
わらびの煮びたし300円

出された蕎麦湯をダシで割って飲み干して、満足。
また来ましょう。

商店街の無料駐車場まで歩きます。
郵便局の前のポストが高遠城址公園桜まつりをモチーフにしたのか、桜にカラーリングされていてほほえましかったです。

高遠郵便局前

造り酒屋の前には湧水が引かれています。
ペットボトルに汲ませていただきました。

酒屋の前には湧水が
巨釜が展示されている

初夏の陽気を思わせる高遠の街でした。

伊那に下りると中央アルプスが目前に見える