「文書に見る安土桃山時代」神長官守矢資料館企画展

茅野駅のベルビアという商業ビルの掲示板で、この企画展を知りました。

諏訪大社の神職を務める家系の守矢家に付属する資料館です。
近くにミシャクジ神を祀る本山もあります。
ミシャクジとは、古来の諏訪信仰とは、諏訪の神様とは。
その答えを司る、最も核心的な場所でもあります。

神長官守矢家門
資料館全景

ふだんは守矢家に伝わる古文書や、諏訪大神のお祭りである御頭祭の昔日の模様を再現した展示を行っている資料館ですが、この企画展では、武田家を駆逐し、諏訪地方を支配した織田とその後の豊臣の時代における、諏訪地方と大社の神職らの動向を古文書を通じて読み解こうとするものです。

展示物・守屋家について
展示物・御頭際供物

この時代、初めて地域の部外者の直接的な支配を受け、神長官やらも逃走したりします。
神職らは単なる聖職者ではなく、実効支配者として実力(武力)を備えた権力者として外部の侵入者に敵対するものだったのです。
一方で、明治までは綿々と口伝された呪文により、カミを下ろす霊能者でもあったのです。

企画展全景

織田により、住居、神社までも放火された神長官でしたが、豊臣に支配が変わってからは、文書により、神社の復興と自らの復権を訴えてもいたようです。
まさに一筋ならではいかないところが、歴史なのでしょうし、諏訪大社を巡る時代の流れなのでしょう。

企画展・信長侵攻に際しての禁制を通知する公文

資料館を見た後は、ミシャクジ神をお参りします。
前宮の本殿も質実剛健な気風を感じますが、守屋家に付属?するミシャクジ神本殿も、これ以上ない野趣と寒風に耐えきった素朴さを感じさせます。

ミシャクジ神本殿
清酒と鹿の角が供えられる

出部屋の本とDVDを整理整頓で DIY!

引き続き山小舎の備品・家具等の整理整頓を続けます。

先日、その土台補強を行った”出部屋”があります。
居間からはガラス戸でカムフラージュされていることもあり、物置、書庫、クローゼットとして利用しています。
またサッシを開けると外とつながっていることもあり、大工道具、電動工具、塗料類の貯蔵に使われています。
また、映画等書籍の保管、DVDの保管場所として、さらに漬物たる、漬物石、天体望遠鏡までが収納されています。

この間、集めた映画DVDが段ボールに詰まったまま置かれており、また、収集した古い映画雑誌などが紙袋に詰まったまま、足の踏み場もないほどに置かれています。

整理前の出部屋・メインの書棚と奥に天体望遠鏡
ほんとDVDn御詰まった袋。上に冬物衣料
大工道具類
漬物道具類

備品と書籍を整理し、廃棄、移動してスペースを作った上に新しいラックを導入。
本とDVDをなるべくラックに収納し、利用の勉を作り出そうと思いました。

先ずは収納物の移動です。
この時期不要の冬物衣料を2階のハンガーに移動します。
貰ったまま隅っこに立っていた天体望遠鏡も2階に持って行って広々とした場所にスタンドアップさせます。

冬物衣料を2階へ
望遠鏡も2階で蘇る

漬物道具類を出部屋の隅に移動します。
大具道具類はとりあえずそのままです。
古新聞の束も薪ストーブに必要なのでそのままとしましょう。

次いで、今回の主目的である本とDVDの整理です。

メインの本棚の横に2階から空いたラックを2基持ってきて積み重ねます。
これで映画本は全部この書棚に収納できそうです。
映画史関係、監督関係、スター関係、邦画関係などに分類して収納します。

整理後の書棚

大版の雑誌類は下段に収納します。
グラフ雑誌やパンフレット類、キネマ旬報、スクリーン、映画の友などの古いバックナンバーは貴重な資料です。
何とか全部が収まりましたが、もうこれ以上はやみくもに収集はできません。

整理後の雑誌類
整理後の書棚。パンフ類

次いでDVDの整理です。
その前に移動ラックに収納されている本を選別します。
小説、自伝、民俗学、戦記など忘れられないものが並んでいます。
どうしても取っておきたいものを選別し、それ以外は処分に回します。

本の整理で空いた移動ラックにDVDを収納します。
1910年代からアメリカ映画の年代別整理です。
30年代からはDVDの本数が爆増して40年代、50年代と続きます。
60年代からは急減して70年代以降へと続きます。
フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、日本と国別にまとめます。
フランス映画はともかく、イギリス映画の分量が多いのに気が付きます。

整理後のDVD。10年代からのアメリカ映画

DVDの本数はラックには収まらず、段ボールに収納したままとりあえず整理します。
このほかに10枚組のDVDボックスが数箱あります。
いつの間にか集めてしまいました。
映画愛好者として、ショップで少しでも興味があるタイトルを見ると買ってしまいます。
これ以上あっても人生で全部は見切れないだろうことはわかっていますが。

整理が終わった出部屋
整理が終わった出部屋

ということで荒れ放題だった出部屋の手入れがまずは終わりました。

県内ローカル新聞の華麗な世界 たつの新聞と大糸タイムス

軽トラで遠出した時に、コンビニの新聞スタンドでローカル新聞を見つけるようにしています。
たつの新聞は、上伊那地方の辰野町に新聞社があるローカル紙です。
伊那からの帰り、辰野町から峠を越えて茅野へ出る途中に、たつの新聞の編集室があって気になっていました。

軽トラで阿智村へ行った時の道すがら、高速道路の方向を間違えて塩尻で降りて下道を走った時に、辰野町・小野地区のコンビニで見かけて入手しました。

この日のトップ記事は、高齢者向け講座と「たまねき祭」の記事。

たつの新聞一面

16面ある紙面は辰野町のニュースのほか、諏訪市、岡谷市、蓑輪町のそれぞれのニュースのほか、テレビ欄だけで4面、読者欄が2面あります。

バラエテイに飛んだ紙面ですが、この日はたまたまなのかパンチがあるニュースが少なく、焦点がぼやけた紙面のような気がします。

富士アイスの広告
岡谷スカラ座は地域有数のシネコンです

白馬へ行ったときに安曇野市内のコンビニで見かけた大糸タイムス5月17日号。
8面とコンパクトな紙面で1部100円。

大糸タイムス一面

トップは大町の西山神社の宮司さんが伊勢神宮で研修し、指導神職となったとの記事。
ほかにも空手の小中生大会で入賞したリ、ガードレールみがきに励む地元住民やら、小谷村で白馬三山の麓で進む田植えの様子、白馬で開催された地元ワインのマルシェなどの記事が明るく元気のある写真とともに紹介されています。

伝統の地元記事から、華々しい白馬地区の観光記事まで彩り豊かです。

チェーンソー始動!

夏に向けて、丸太の玉切りと薪割りの季節です、が。
今年は丸太の供給がありません。

例年、別荘地内の伐採業務を請け負っていた業者が撤退し、代わりの業者は別荘地内の伐採の入札をしないとのことです。
例年は黙っていても雑木がトラックで運ばれてきていましたが、今年はそんなことはなさそうです。

まだ薪の在庫はありますが今後が心配です。
そんなところにご近所のおばさんが『うちの薪を取りに来てくれない?』と言ってくれました。
一段上の通りでかつてはペンションをやっていた方です。
去年、旦那さんが83歳で亡くなったので、いろいろ整理しているようです。

もらってきた原木と枝

軽トラで行ってみると、敷地の境に置いてあるミズナラの細めの丸太でした。
1メートル半ほどの長さですが、切りたての広葉樹は重いものです。
何度か往復して積み込みました。
ほかにもかまど用の焚付などがあるようですが、この日はここまで。

早速玉切りする

持ってきたミズナラを玉切りします。

チェーンソーの始動です。
新しい燃料を作ります。
古い燃料は捨てて、新しいガソリンで混合燃料を作ります。
余談ですが、今年になってオイルなどが爆上がりしているようです。

混合燃料を作る
エンジンオイルとガソリンを混ぜる

ミズナラをあっという間に玉切りし、鉞で割ってみます。
広葉樹は割りやすいというか、パカンと割れて気持ちがいいものです。

チェーンソーにオイルと混合燃料を装填
あっという間に玉切り終了

割れてもずっしりと重いミズナラを乾燥台に積んでゆきます。
2年くらい干さないと、ストーブには使えません。
乾燥不足の薪は火付きが悪いうえに、薪からは水分がジュクジュクと発生し、水分を含んだススが煙突に付着してしまいます。

木くずが長靴にはいり、靴下に付着するのはチェーンソーワークのお約束

夏の太陽と風で存分に乾かしましょう。

軽トラ流れ旅’26 白馬、大町、穂高の旅

すっかり新しい軽トラの走行性能と居住性にはまった山小舎おじさん。
高速道路を使えるので行動範囲がすっかり広がりました。

今度の休みはどこへ?
新緑に北アルプスの雪景色が残り、観光客が少ないという白馬へ行くことにしました。

岡谷インターから長野道で安曇野インターまで。
1000円ほどの高速料金でした。

下りてから穂高神社へお参りします。
山小舎出発が6時半、穂高神社には8時過ぎに着きました。
朝の境内は静謐そのもの、ただし社務所は開いていないので、今年のお札は帰りに寄った時にいただくことにして、先へ急ぎます。

朝8時の穂高神社

穂高から白馬へ向かう国道147号線。
ほぼ直線の道は、元の車が続きます。
雪の北アルプスと水が入った田植え前の田圃の風景が美しくてパチリ。

田植えが済んだばかりの安曇野の風景

松川村を通過して大町市に入ります。
白馬へ向かう車列が続きます。
仁科三湖と呼ばれる湖が現れました。

最初に姿を見せた木崎湖畔に寄ってみます。
湖畔にはカヌーや釣舩などの施設がありますが、観光向けに大規模な開発はありません。
静かな山間の湖です。

静けさに包まれた木崎湖

白馬村に入ったところにある、道の駅・白馬に寄ります。
地酒、ワイン、ワサビ製品などがあり、観光客で賑わっていました。
おいしそうなおやきがあったので、野沢菜と切干の2個を購入。
レジで、あったかいおやきですね、というと『近くに工場があって作ってます』とのこと。
後で食べると、特に切干のおやきが絶妙。
こんなおいしい具のおやきを初めて食べました。

JR大糸線・白馬駅
駅前から北アルプスを望む

そのまま白馬村中心部へ。
駅前にはチラホラとインバウンド客の姿が。
道には、逗留しているとみられる白人のジョギング姿が見られました。
地元のAコープには外人向けの英語パンフレットがズラリ揃ています。
県内では、松本城、善光寺に続く外人の多さでしょうか。

スノーピークランドという場所に寄ってみると、ベンチとデッキに憩う日本人裕福層と白人カップルの姿が、残雪の北アルプスをバックに三々五々見られました。
その優雅で金持ち風のたたずまいは、県内ではほかに見られない雰囲気を醸しだしています。
これが北海道ニセコに次いでの海外人気を誇る白馬の一つの側面なのです。

「スノーピーク」のキャンプサイト
「スノーピーク」のデッキで憩う人々

白馬はまた、トライアスロンなどの近代スポーツの聖地でもあります。
長野オリンピックでジャンプ団体が優勝した記念すべきシャンツエの下には、階段を上り下りして、ロードバイクで車道を走る女の子がいました。

オリンピックのジャンプ会場

折角白馬に来たのだからと、早めのランチは蕎麦でもカツ丼でもなくてハンバーガーをチョイス。
コーヒーと合わせて1700円のランチでした。

ハンバーガー

白馬を満喫?したあとは、信濃大町へ戻ります。
目指すは大町温泉郷と、大町山岳博物館です。
まず寄ったのは、大町温泉郷。
観光案内所で係の妙齢の女性に聞くと『立寄り湯なら薬師温泉がありますよ』とのことでした。

大町温泉郷

薬師の湯は立寄り湯専門の施設。
温泉博物館もあり、当地の温泉の歴史なども展示しています。
黒部ダムの工事によって温泉が噴出したのが始まりとのことです。

源泉だという岩風呂に入るとほかの客はゼロ。
熱い湯からぬるい湯まで浴槽が3つありました。
ぬるい湯で十分に満足。
温泉の成分が身に沁みました。

薬師の湯の入り口

温泉を出て、大町市の市街地近くの山岳博物館へ。
ここは北アルプス(後ろ立山連峰)の、明治以前の峠越のルートの歴史から明治以後のスポーツ登山の発展までが展示されています。
中央構造帯生成の地学の話や、このあたりの動植物の展示、特にライチョウ飼育の経緯などが予算をかけて展示されています。
付属の動物園には生きたライチョウが飼育されていました。

大町山岳博物館
サルのはく製が虚空に吼える
ライチョウが小松菜をつつく

大町から安曇野市の穂高まで南下、穂高神社で新しいお札と足腰のお守りをもらって、安曇野インターから岡谷インターまで高速に乗って帰りました。

今までは列車で訪れただけの白馬に軽トラで行くことができ、行動範囲が広がりました。

春の山小舎飯!

山小舎開きから1か月。山小舎周辺もすっかり春めいてきました。おじさん一人暮らしの山小舎では、楽しみといえば食事。特に夕食です。この間の夕食の数々をご紹介しましょう。

先ずは、昨年冬仕込んだトウガラシ麹に付けた鶏むね肉のグリルです。

サラダはスーパーのお惣菜を塩もみキューリで増量しました

ぬか床を買ってきて、キューリとナスを漬けます。
野菜は畑に苗を植えたばかりなので、スーパーや直売所で買ってきました。

メインは鳥軟骨のグリル

東京から持ってきた(山小舎おばさんの知り合いからのもらい物)北海道産の松前漬けは大好きなサイドメニューです。

豚汁は根菜類の宝庫。松前漬けはカズノコがごろり

直売所で地元産の漬物を物色するのも楽しみ。
長谷村の道の駅で買ったウリの粕漬は美味しかったです。

ウリの粕漬など、つまみ類が並ぶ

魚もよく食べます。
イワシを3枚に開いてのソテーなどは大好きです。
この日はカスベ(エイ)の味噌煮。
故郷・北海道の思い出の味です。

カスベの味噌煮

トン汁とともにカレーは山小舎の定番料理。
最近は固形ルーより、エスニック風のペーストを使います。
この日はタイ風レッドカレー。
具にはナス、ピーマンなどの夏野菜をたっぷり使います。

タイ風レッドカレー

定番の炒め物。この日はレバーと豚のカシラと玉ねぎ、もやしで。

カシラ肉のモヤシ炒め

大門そば打ち教室に参加

山小舎のある姫木から上田方面に下った最初の集落が大門地区です。
そこの農協施設で毎月2回、そば打ち教室が開かれています。

農協に掲げられた看板

バイト仲間の親子が去年参加していたのを聞き、今年から参加してみました。
せっかく信州にいるので、そば打ちを体験し、できれば家族にふるまうくらいをしてみたかったのです。
地元のおばさんに『大みそかの年越しそばは自分で打つよ』と聞いたことにも影響されたのかもしれません。

畑に行く道すがら、大門の農協前に軽トラを止め、5月と6月のそば打ち教室開催のスケジュールを確認しておきました。
張り紙には申し込み先の情報がなかったため、当日に直接農協に向かいました。

カレンダーの掲示

待っていると、先ず年配の男性がやってきました。
いかにもそばなど打ちそうな感じの人です。
参加の意思を告げると、会費の支払いを促され1000円を置きます。
それから、わけもわからぬまま、道具類とそば粉の準備を指示されます。
のし棒、打ち台、そば切包丁などなどを言われるとおりに倉庫から運びました。

三々五々、人が集まってきます。
紹介や、オリエンテーションがないまま、そば打ちの作業が始まります。
そば粉と小麦粉を混ぜ、水を少しずつ入れながら練ってゆきます。
そのころにベテランの女性講師を紹介され、彼女から訓練を受けることになりました。

一見のお客さん向けの講習ではなく、文字通り実践的な訓練でした。
私以外はある程度の経験を積んだ人ばかりで、自分で道具を出して打ち始めています。
講師の方は、彼等にたまにアドバイスするくらいです。
まったくの初心者は私一人です。

コネ方、空気の抜き方、丸め方の手順がありました。
ほぼ全行程を講師の女性が行い、私はその後に、言われるとおりにまねることしかできません。
そして棒でのす作業へと移行します。
タテヨコと伸ばし、正方形に形作って折り曲げます。
手順はとても覚えることはできません。

折りたたんだそばを切ります。
ここからは率先して切りました。
切ったそばは持ち帰ります。

手順がたくさんあって覚えるまで時間がかかりそうです。
コネ方、伸ばし方にセンスと経験が必要なほかに、力も必要です。
どっと疲れた2時間でした。

打ちあがったそばは持ち帰る

持ち帰ったそばは試食しました。
ゆであがった麺がぼつぼつと切れたことは想定通りでしたが、香りと歯ごたえは想定以上でした。
ほとんど講師の方が打ったそばとはいえ、思った以上に美味しかったのです。
ドロッとしたそば湯も楽しめました。

ゆであがったそば、見た目よりうまかった

ある程度慣れるまで、月2回の講習に通いたいと思いました。

上田トラムライゼで’66年チェコ映画「ひなぎく」を見る

「ひなぎく」  1966年 ヴェラ・ヒテイロヴァー監督  チェコスロバキア 上田トラムザイゼ(デジタル上映)

全く知らなかった映画。
チェコ映画そのものを見たことがなかった。

チェコといえば中欧の工業国。
自動車や戦車を自国で生産できた。
1964年の東京オリンピックでは体操の女子総合で、ベラ・チャスラフスカ選手が優勝し、その成熟した美しさとともに『東京の恋人』ともいわれた。
チャスラフスカは4年後のメキシコオリンピックにも出場し、個人総合で再び優勝するのだが、この年’68年はプラハにソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が進駐し、自由化に進んでいたチェコのドプチェク政権を葬り去った。
チャスラフスカは国家的英雄としてドプチェク政権に参画しており、その後しばらくは日陰の生活を強いられることになる。

筆者には、’68年のテレビ画面に映るメキシコオリンピックの体操会場で、チャスラフスカが(『ベラ、ラララ』の)大歓声を受け、片やライバルのソ連選手(クチンスカヤという10代の美少女)が結えないブーイングを受けていた光景を見ていたことを思い出す。

ちらしより

「ひなぎく」は、チェコ自由化の波が生まれつつあった66年に製作された。
政治の自由化に伴う表現の自由への希求を背景に、それでもなお、社会主義国の桎梏、権力者の特権階級化、それに連なるプチブルジョアともいえる上級国民の存在、圧倒的多数の労働者階級の沈黙などなど、過去の負の遺産が刻印された歴史が色濃くその影を落としている。

それを表現するのに、抽象化するのではなく、不条理劇とするのではなく、ファッションでガーリーな二人の少女の行動を通して描くのがこの映画である。

チラシ裏面

2人の主人公の人物像についての説明はない。
二人で住んで、働いているのかいないのか、どうやって生活しているのかわからない。
描かれるのは彼女らの、まったく自由で衝動的な行動だけだ。
金髪の彼女の方は常にひなぎくの花飾りを頭につけている。

金持ちの紳士に取り入り、高級なレストランで食事をする。
今でいうパパ活だろうか。
呼んでいないのにもう一人のほうが勝手にテーブルに座り、勝手にオーダーし、口の周りを汚しながら盛大に食べ飲み続ける。
帰りに駅まで紳士を見送りにゆき、同伴を期待する紳士を列車に残して飛び降りバイバイする。

別な日には、チャールストン風にボードビリアンが踊るキャバレーに乱入し、有閑階級のテーブルの酒をかってに飲みつつ、ボードビリアンのショウを妨害し、ボーイにつまみ出される。

ある日は、蝶の標本を収集する金持ちオタク風の青年の家で、金髪の方の彼女が、標本で隠しつつストリップ風のポーズで青年をおちょくる。

2人の部屋では、天井からぶら下がったソーセージを鋏で切り、食べ、ミルクをこぼしての宴会を繰り広げる。

チラシ裏面

そしてクライマックスシーンでダメを押す。
工場の上階にある貴賓室に侵入し、豪勢なパーテイのために準備されたのであろう、ごちそうや高級なウイスキーを、貪り食い、飲みこぼし、挙句の果てには踏みつけ、なぎ倒しての乱暴狼藉を繰り広げる。
主賓は最後まで出てこないが、共産党幹部のための豪勢な宴会が準備されていたのだろうと思われる。

画面はモノトーンでパートカラー。
モノトーンはセピア調だったり白黒だったり。
短いカットインのポップな流れは、60年代のリチャード・レスター(「ビートルズがやって来る・ヤア!ヤア!ヤア!」)風でもある。
何より二人の女の子の気分に、女性監督の”らしさ”が出ている。
その行動に理由も原因もないという、女性らしさが。

女の子そたちは、社会主義体制が硬直し、権力者や上流階級だけが享楽を独占している硬直化した社会構造の中で、勝手気ままに、それらを粉砕して回る。
いわゆる『反体制運動』よりも過激なアンチテーゼである。

ウーマンリブ的に、男性社会を揶揄した場面もある。
被害者意識むき出しだったり、説得的な抗議をするのではなく、まったくナンセンスで衝動的な行動によって。

ガーリーでポップな感覚の背後には、とてつもない社会的闇と硬直しきった歴史の存在が色濃く匂う。

チャスラフスカが、オリンピックというこれ以上ない表舞台で太陽のように咲き誇った存在だったとすれば、ヒテイロヴァー監督と、勇敢でかわいらしい主演の二人が作った「ひなぎく」は、ひそかに咲いた日陰の花のように自由で感覚的なものだった。
両者ともに68年に他国から侵入した戦車のによってその尊厳が踏みにじられたのではあるが。

この日のトラムザイゼは入場者が7人。
金曜11時40分からの回にしては多めの観客だったのではないか。
この作品に関する潜在的関心の高さを感じた、といえば大げさだろうか。

館内に流れた、最新作「ヌーベルバーグ」予告編。
パリの1959年。
トリュフォー、シャブロル、ゴダールのそっくりさんがでてくる白黒画面。
ジーン・セバーグは、本物より背が高く、声が甲高いが、それ以外の再現度は眼を見張らせる。
「勝手にしやがれ」の撮影風景が再現される。
これはぜひ見たいと思った。

令和8年畑 苗に霜?の害

夏野菜の苗の定植が8割がた終わった5月中旬。
水やりに訪れた山小舎おじさんが茶色く枯れた苗の葉先を発見しました。

カボチャやハックルベリー、ズッキーニ、ヤーコンなど、緩斜面の上流に植えた苗がやられています。
霜の害か?

5月中旬まで霜注意報が出ていた東信地方。
標高1450メートルの山小舎では、鉢植えしたシソとバジルの葉がすっかりやられて茶色く枯れていました。
根っこは生きているのでまた芽が出てきているのですが、生育は”激遅”確定です。

標高800メートルほどの畑にも霜は降りたのか?
朝晩さぞ寒いだろうことは想像に難くないのですが。

葉先が枯れたズッキーニ
同じくヤーコン
カボチャもこの通り

畑を上流から順番に見てゆくと、キューリ、トマト、ナスなどの主力野菜は元気です。
どうしたのか?
下流の方は霜が降りなかった、としか思えません。

元気なナスとキューリ
トマト

いずれにせよ結果オーライ。
葉先が枯れた苗も新しい芽が出てきました。
新しい苗に植え替えなくてもいいでしょう。

トマトが乾燥で葉が黄色くなったものもありますが、自分の根っこで給水していってもらいましょう。

水が好きな、ナス、キューリ、ゴーヤなどにはタップリ潅水します。
うれしいことにジャガイモの芽が出てきました。

ジャガイモの芽

シシトウ、万願寺トウガラシ、セロリ、冬瓜などの苗を買って、追加で定植します。
畝はほぼ苗で埋まりました。

本棚整理で DIY!

居間の書棚には、長野県の歴史・神社仏閣関係の本、農業関係の本、田舎暮らし関係の雑誌や本、さらには管理費、税金などの請求領収証関係、リフォームの資料、別荘地内及び地域の便利帳、パソコン関係のパスワード類などのファイルが数冊。
県内道路地図や名所案内などの冊子類、更には年代順に並べたDVDも一部(1910年から30年代前半の)あってぎっしりです。

片付け前の居間の書棚

2階には子供向けの絵本や、児童文学、図鑑類、国内外の旅行記、などが本棚2基に詰まっています。

片付け前の2階の書棚

今回は、本・雑誌を整理します。
目的の一つは、数冊になった山小舎アルバムを居間の本棚に収容したいこと。
もう一つは、読まない本、いらない本を整理し身軽になること、です。
興味があって入手した本でも、これからの人生で読む量は限られているのです。

まず書棚からDVDを取り出します。
次に読まない書籍を段ボールに詰め込みます。

10冊ほどあった「現代農業」のバックナンバーを、3冊程度を残し段ボールへ。
ファイル類は、毎年の請求領収書やパソコン関係などを残し、本棚下段の扉の中へ。
この扉付き下段には、先代オーナーが集めた黒曜石や土器の破片などが保存されています。
棄てはしませんが、猫に小判のお宝です。

黒曜石
火打石。先代所蔵のお宝?

空いたスペースに山小舎アルバムを収納。
全体的に収容率50%ほどとすっきりしました。
ついでに本棚そのものも動かして、背後のスペースを掃除できました。

山小舎アルバムが書棚に収まった
書棚を動かして掃除もできた
整理後の居間の書棚
整理後の2階の書棚

2階の分も合わせて段ボール6箱分にもなった処分量。
今までなら処分する気にならなかったかもしれません。
これが終活というものなのでしょうか。

ブックオフに持ってゆく段ボール

茅野のブックオフで6500円ほどになりました。