葡萄ジャムと干芋

今年は葡萄が豊作で味もよく、値段も安かったので、産地の小布施まで行って買い込みました。
小布施へ行くのは、自宅や親せきなどへの贈答品の手配のためですが、現地で葡萄を眺めていると『自宅用』というひと箱が置いてあるのが目に入りました。

種なし巨峰自宅用ひと箱1200円

種なし巨峰のB品で、段ボールのひと箱に4房ほど入って1200円です。
たちまち葡萄ジャムの加工が頭をよぎりました。

レジで叔母さんから『早めに食べてください』といわれたので、『ジャムにします』というと、『もったいない』といわれました。
地元では、粒がバラバラになったものや、ツルが枯れ切ったものを加工用に回すのでしょう。

葡萄の加工は種のある品種だと手間ばかりかかるので、こういった種なしのB品は一般家庭では加工のチャンスなのです。

いつもの手順で煮てゆきます。
ときどき潰しながら煮るのが独特の行程でしょうか。

旬の素材による風味のあるジャムができました。

小瓶×4のジャムができた

いつの間にかサツマイモが出回ってきました。
スーパーにはいつでもあるのですが、直売所に出回るのは新物の収穫後です。

ゴロっとしたものを買っておきます。
一つ150円からせいぜい300円です。
しばらく常温でほおっておきます。

各地の直売所で買い集めたサツマイモ。全部で1000円ちょっと

サツマイモを洗って蒸かします。
蒸かす時間は十分に取ります。
串がスーッと入るまで熱を通します。

蒸かし器で蒸かす

熱いので、軍手を水に濡らし、芋をつかんで皮をむきます。
むいた芋を包丁でカットしてゆきます。
厚さは5ミリから1センチ未満でしょうか。
黄色く滑らかな断面だと、美味しい干芋になります。
残念ながらそうでなければ、硬めの干芋になります。
蒸し方というよりは、もともとの芋の材質のような気がします。

蒸かしあがった芋を皮をむいて切ってゆく

ザルに並べて天日干しします。
雨の時には室内へ。
夜はストーブの傍らに置きます。
自宅で毎年待ち焦がれている干芋になります。

ザルに並べる
天日干し

薪割り 追い込み

秋も深まってきて、薪割りの追い込みです。

小屋近くのヤードに残った玉の山
斜面に残った玉

原木の丸太は玉切りしてあるので、あとは薪割りして乾燥台に乗せる仕事です。
空いた時間を見つけて手割します。
そこで問題が生じるのは、なかなか斧や楔とハンマーだけでは割れない玉があることです。

節があるもの、二股に分かれているものなどがそうです。
斧で手割するときには、どうしても割れにくいものは後回しにします。
加齢により手割の力が弱ってきたせいもあります。
段々、そういった割れにくい玉が溜まってきます。

この日はチェーンソーを出動させ、節のあるもの硬いものに切れ目を入れてゆきました。
エンジンの力を借りて割ってゆくのです。

固い部分にチェーンソーで切れ目を入れる

こうして徐々に薪割りをこなしてゆきます。

切れ目にくさびを入れるなどして割ってゆく

乾燥台の確保も問題です。二年目に入った薪を小屋の軒下に移して、空いた場所に積み込みます。

丈の短い薪は、台所下の乾燥台に運びます。
ここは、案外日当たりの良い場所です。

ヤードの乾燥台に積み込む
縦の短い薪はコンテナに入れて・・・
台所下の乾燥台に運んで積む

上田映劇で「美しく、黙りなさい」を見る

「美しく、黙りなさい」  1976年  デルフィーヌ・セイリグ監督  フランス

上田映劇での予告編で存在を知った。

デルフィーヌ・セイリグは、迷宮のような「去年マリエンバートで」(61年 アラン・レネ監督)の謎の美女。
「ロバと王女」(70年 ジャック・ドミー監督)ではカトリーヌドヌーブ扮する王女の継母となる妖精役を楽しそうに演じ、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年 ルイス・ブニュエル監督)では食事を求めてさ迷う有閑マダム役を悠然と演じたフランス女優だ。

「えつ?セイリグ唯一の監督作品?女優へインタビューしたドキュメンタリー?」。
これは何としても見なければ。

この日の上田映劇

手持ちのビデオカメラで撮ったモノクロの荒い画質。
ジル・クレイバークが、ジェーン・フォンダが、ルイース・フレッチャーが、たばこをふかしながら、真顔で、質問を一度飲みこんだあと覚悟を決めたように、話し始める。

50年後のジェンダー論者のようにとうとうとしゃべる人。
不貞腐れるように思い出したくないエピソードを吐き出す人。
ガールフレンドと二人でインタビューに応じる人もいる。
質問を外れて延々と自らの女優人生を述べる人(事実は小説より奇なり、を地で行く半生)も。

セイリグからの質問は二つ。
「もしあなたが男性だったとしてもこの職業を選びましたか」と「ほかの女優と友好的な場面を演じたことはありますか」。

ジル・クレイバークは最初の質問に静かに答える。
「ノー」。

ノーと答えた後「男だったら旅に出ていた」、「船乗りになっていた」と答える人もいた。

ゴダールやベルトルッチといった映画作家の問題作に主演していた当時の若手女優の回答が面白い。
「(ゴダールの「中国女」に出演して)あんな中国女がいるわけない」とアンヌ・ヴィアゼムスキー。

マリア・シュナイダーは「あの作品(「ラストタンゴインパリ」)はブランドとベルトルッチの映画だった。彼等は仲良かった」と自らの疎外感を吐露し、「今度は歳の近い俳優と共演したい。ニコルソンはまだしも(「さすらいの二人」のこと)、ブランドは歳が離れすぎている」と前髪に隠れるようにぼそぼそと話す。

2人の主演女優による、なんともとてつもない作品批評が飛び出た!
いいぞ。
ゴダールマニアや、ベルトルッチ信奉者に聞かせてやりたい。
なお、マリア・シュナイダーは「ラストタンゴインパリ」での、ベルトルッチによるセクハラに近い撮影を告発する自伝を発表した。

ジェーン・フォンダは語る。
初めての映画出演では、ハリウッドのメイクによって自分とは思えない顔になったこと。
役柄はボーイフレンドの周りを短いスカートで飛び跳ねるチアリーダーだったこと。
戦前戦時中に渡る女同士の友情を描く「ジュリア」(77年 フレッド・ジンネマン監督)では、バネッサ・レッドグレープの演技に感動し(観客の我々も同感)たが、監督はレッドグレープとの女同士の肉体的接触(握手など)の回数が増えないように苦慮していたこと。

ルイース・フレッチャーは「カッコーの巣の上で」の看護婦役でしか知らなかったが、セイリグの質問に高ぶることもなく、落ち着いて答えており、演技だけではなく人間としての資質の高さを感じた。

エレン・バーステインも70年代の演技派女優として一時代を画したが、セイリグの質問に高揚し、自らの体験を披露する姿が見られた。
「アリスの恋」以来の久しぶりの姿だった。

マリー・デュボア、ジェニー・アガター、シャーリー・マクレーン。
あなた方は、セイリグの質問に真摯に応える真面目な求道者であると同時に、全世界の映画ファンにとってかけがえのないスター女優という宝物である。
その存在と、50年後のジェンダー論者を二重写しにしてドキュメンタリーに止めおいたデルフィーヌ・セイリグという存在は何だったんだ?

なんとホールには、片桐はいりからの花輪があった!映画館万歳

DVD名画劇場 反逆児エルビス!50年代のプレスリー映画

「やさしく愛して」  1956年   ロバート・D・ウエッブ監督    20世紀フォックス

エルビス・プレスリーは、1934年ミシシッピー州テュペロという町のイーストサイド(『白人のクズのたまり場』と呼ばれた貧民街)に生まれた。

エルビスが生まれ育ったミシシッピー州は、南北戦争では南軍の勢力下にあり、北軍の攻撃によって何度も焦土と化した歴史を持つ。
その後、主要産業の綿花栽培が30年代になって害虫により衰退し、世界恐慌の影響をもろに受け、ルーズベルトのニューデイール政策による恩恵を受ける最初の州となった。

定職を持たぬエルビスの父親は、小作人家庭の出身で、妻(エルビスの母)との間に9人の子を設けた。
エルビスの母も小作人家庭の出身で、曾祖母がチェロキーインデイアン、祖母がユダヤ系移民という家系だった。

キリスト教根本主義の牙城だったミシシッピー州の教会に両親とともに通いながら音楽に親しんでいったエルビスは、小学校に上がるとギターをプレゼントされ、級友たちの前で演奏して人気を博していた。
このころ家族ともどもテネシー州メンフィスへ引っ越す。

54年にメンフィスで見いだされたエルビスは、ラジオで流された曲にリクエストが殺到し、発売したレコードも大ヒット。
黒人音楽に影響されたロックという音楽を歌い踊る白人歌手として若者に圧倒的な人気を誇った。

本作「やさしく愛して」は、エルビスが世に出てから2年後に出演した西部劇。
まだまだ全米では海のものとも山のものともつかぬ田舎で人気の歌手のエルビスは、モノクロ作品の重要なわき役としてキャスティングされている。

舞台は南北戦争が終結した南軍の支配地だった田舎。
前線で終戦を知った南軍の小隊が北軍の給料を運ぶ列車を強盗する。
彼等は奪った金を山分けして小隊を解散し、各々故郷へ戻る。
この部分の語りだけで約30分。
プレスリーは出てこない。
入れたDVDを間違えたかなと思い、取り出すが間違えてはいない。

南軍の小隊長だった主人公が故郷に戻る。
末の弟が馬で畑を耕している。
プレスリーがいた。

敗残の南軍兵士の無聊。
勢いを増し旧南軍に詰め寄る北軍の無慈悲。
故郷に残した老いた母と、主人公が出征前に結婚を約束した恋人の今の姿。
などが情感たっぷりに描かれる。
死んだと思った兄の代わりに末弟(プレスリー)が、兄の恋人と結婚していたのだった。

プレスリーと妻役のデブラ・バシェット

追跡する北軍の疾走感。
小隊仲間の裏切りというジレンマ。
仲の良かった兄弟が一人の女性を巡って対立する骨肉の悲劇。

エルビスは「ラブミーテンダー」を夕暮れのテラスで家族に情感たっぷりに歌い、芝居では俊敏な動きと激烈な感情の噴出を見せる。
その演技は、家のためにおとなしく働く末弟の健気な姿であり、去勢されていない若い野生動物のようでもあり、慕っていた兄に裏切られたといきり立つ狂犬のようでもある。

監督の演出スタイルは、南北戦争の背景の庶民の悲劇の情感表現であり、精悍な西部劇のスピード豊かな疾走感の再現であり、新人俳優への眼差し豊かな売り出しでもある。
どの部分もそこそこに成功している作品である。

55年に歌手エルビスのマネージャーとなっていた、音楽業界のメジャー、RCAレコードのトム・パーカーのプロデュースは、テレビを使ってエルビスを全米に売り出すことだった。
有名音楽番組で高視聴率を稼いだエルビスは全米の人気者となり、ハリウッドに進出。
パラマウントと7本の出演契約を結んだ後の映画出演第一作が本作「やさしく愛して」だった。
56年11月に公開された本作は、3週間で製作費を回収するヒットとなった。



「監獄ロック」   1957年   リチャード・ソープ監督    MGM

エルビスの自伝的要素を色濃く盛り込んだドラマ。
モノクロで撮られているのは、エルビスが全米に人気スターとしての信用がまだなかったからだろう。

重機のオペレーターで、給料日のクラブ通いが楽しみのエルビスが喧嘩で刑務所入り。
要領が悪く刑務所内では冷や飯組。
夢は出所後のクラブ経営のエルビスは、なけなしのポケットマネーで手に入れたギターを手に、飛び入りで歌ったところを、偶然見ていた業界関係者の女性ペギーに声をかけられる。
ショービジネスの世界に翻弄されながらも、ペギーのマネージングでレコードがヒット、人気歌手になる。
ペギーと設立したレコード会社を手放し、ハリウッドスターに蔵替えしたエルビスは美女たちとウハウハ。
さて仕事ではたもとを分かったペギーとの関係は?

常に与太ったようなしぐさと、貧乏ゆすりにダルそうな口ぶり。
気に入らないと瞬間湯沸かし器で、無礼な客にギターをたたきつけ、ペギーの実家のパーテイでは中流家庭の教養にひがんで飛び出す。

映画での若き日のエルビスは、実際の姿をモチーフとしてはいるが、育ちの悪さとステージ上の激しい動き(映画では下半身の動きをセーブしているが)だけが持ち味ではなかったようだ。
母親のしつけの元、目上の人には「イエスサー」、女性に対しては「イエスマム」と答えるなどの言葉使いが身についた礼儀正しさは、終生エルビスという人間の評価にもつながったという。

敏腕女性マネージャー・ペギー(ジュデイ・タイラー)がいい。
モデルはマリオン・カイスカー。
1953年に、エルビスがおずおずと自分の歌の録音に訪れたサンレコードの共同経営者だった。

ペギー役のジュデイ・タイラーと

マリオンは録音に来たエルビスの歌を聞いて、この青年こそが『二グロのように歌える(白人の)男がいたら一儲けできる』(サンレコードの経営者サム・フィリップスの口癖)人物だということが分かった。

54年、最大の理解者であるマリオンがサンレコードをやめ、空軍に入隊した。
映画ではマリオン役のジュデイ・タイラーの出番が、エルビスの売り出しとともに急に少なくなったが、こういった史実的背景があったようだ。

単なる成功物語ではなく、売れない歌手のみじめさ、ショービジネスの裏側が描かれている。
若きエルビスの自分自身を彷彿とさせる、貧乏ゆすり、みじめったらしいひがみの表情、それでいて愛嬌のある親しみのキャラ。
その姿は『反逆児』というよりは、大人の価値観には相いれなかったが、田舎の貧しいが可愛げのあるあんちゃんが、おなじく田舎の若者・少女たちを熱気に巻き込んだ時代の寵児、そのものであった。

監督は長くハリウッドで便利屋的に、ジェリー・ルイスの底抜けシリーズなどを作ったリチャード・ソープが起用された。
ソープの起用はMGMのA級作品として本作が企画・製作されたことを示す。



「G・I・ブルース」  1960年   ノーマン・タウログ監督   パラマウント

1958年テキサスの訓練基地に入隊したエルビスは、西ドイツに赴任、60年まで軍務についた。
本作は退役後に作られた第一作。

50年代のロックな田舎青年としての存在から、模範的な米国の若者として方針転換(本来の役どころに目覚めた)したエルビスが繰り広げる軍隊コメデイ。
全体的には、コメデイだが、随所に敗戦国ドイツ(イタリアも)の現実や、駐留GIの名もない庶民性を表すエピソードやセリフが出てくるところは、戦後15年しかたっていない時代性が感じられる。

駐独米軍の戦車兵エルビスの楽しみは地元のクラブでの演奏とシャンなメッチェン(とのイチャイチャ)と賭け事。
駐留先のクラブで歌うエルビスは、さりげなく『美人のドイツ娘』の表現に『ハン』というドイツ人の蔑称を使ったりする。
これは当時のアメリカ人がドイツ人を称する普通のスラングなのだろうが、映画であえて出すのは、敗戦国ドイツのみじめさ、占領政策の現実の表現なのか。

エルビス(が演じるGI)が自分の出自を、父親はタクシーの運転手、祖母はチェロキーインデイアン、とガールフレンドに告白する場面もある。
事実、エルビスの母の曽祖母がチェロキーインデアンだったというのは既述の通り。
ここら辺は、楽屋落ちというか露悪的な趣味を持つハリウッド流のシナリオ作法でもあるが、あるいはGIといってもアメリカでは庶民中の庶民、敗戦国の庶民とは同じ穴のムジナという意味もあるのか。

歌姫リリー(ジュリエット・ブラウズ)は踊りが素晴らしい。
気骨あるドイツ女を演じる。
エルビスがいつもどおり「ハニー」、「イエスマム」と呼ぶとそれを嫌う。
GIによる女性に対するアメリカ流の礼儀がドイツ女性には嫌味に感じられるものなのか。
この女優はネットでも情報が出てこないので詳細不明。
美人ではないが芸達者、ぴったりのキャステイングだった。

ケルンとデュッセルドルフ間の船旅とライン川沿いの観光地でデートシーンもあり、ドイツの観光地紹介という使命を持つのも、後の「万歳」シリーズなど、若大将時代のプレスリー映画そのもの。

全編英語で繰り広げられるのもハリウッド流。
クラブでリリーが無礼な太客にビールをぶっかけた後、ボーイが太客を取りなす場面と、後半のライン川の観光地での人形劇のセリフだけがドイツ語だった。

エルビスの歌のシーンは激しい脚の動きはなく、挑発的な気配はない。
観光地で人形劇に飛び入りし、人形相手に歌って子供たちに大うけするシーンなどに、お人よしのアメリカ人そのもののエルビスの持ち味が出ている。
女にもてるセクシーさというより、人柄の良さで万人に親しまれるエルビスの個性が生きている。

軍務を終え、全米の大人世代からの承認を受けたエルビスが、『反逆児』の時代を終え、『若大将』として映画スターの道を歩み始める第一作。

実生活でも、マネージャーのトムパーカーの戦略は、61年以降の7年間、エルビスの活動を映画出演と、映画で歌われたもののレコード化に限定するというものだった。

「エルヴィス・プレスリー世界を変えた男」   文春新書

本文中の、映画内容以外のプレスリーのエピソードは、平成11年文春新書 東理夫著 「エルヴィ・スプレスリー世界を変えた男」から要約引用しています。

軽トラ流れ旅’26 はるばる来たぜ!飛騨高山

軽トラ流れ旅は県外を目指します。
群馬県下仁田に続いては、岐阜県飛騨高山に行ってきました。

岐阜県への峠越えルートの最重要路は、安房峠を越える道です。
松本から上高地を目指すグネグネ道を進み、最新式の安房トンネルをくぐると岐阜県です。
なだらかな道を下ると、飛騨地方の中心地・高山に至ります。

上高地を目指す道

覚悟はしていたのですが、上高地ルートの険しさよ。
川沿いのやっと片側1車線の曲がりくねった道は、短いトンネルやら隧道ばかり。
シーズンともなると全国ナンバーの自家用車やバスが列をなします。

運転に疲れながらも進むと、上高地への分岐点を過ぎたころには交通量も減ってきます。
車両の速度は上がりますが。

上高地分岐点を過ぎて安房峠へ向かう

県境の安房トンネルはこれまで通ったどのトンネルより走りやすいのでした。
まず広い。
両側の舗道も広々としています。
照明も明るく閉そく感がありません。
この日は交通量も少なく自分のペースで走れました。
有料ですが。

トンネルを出て一休み。
ここは岐阜県です。
空気感がまったりするというか、緑が滴るというか。
長野の秘境感、最果て感はなくなります。

高山方面に下ったところにある土産店に寄ってみます。
地酒や、名産の赤かぶ漬けなどが目につきやすいようにレイアウトされており、思わずいくつかの名物をセレクト。お土産はここで買い終えた、とばかり後は高山を目指します。

高山市内にはいると、そこはお祭りのような非日常の光景が広がっていました。
白人、東洋人のインバウンドが闊歩し、昭和のアーケード街が現存し、それ以前の宿場町のような街並みが残る光景が展開しています。
色彩があふれるような景色です。

高山駅

駅前に行くと、真新しい駅舎と広い道路。
10年以上も前の出張で訪れた、狭い道を挟んで駅に面したレンタカー屋、の風景はもう消えてました。
観光案内所でマップをもらい街歩きにレッツゴーです。

駅前から続くアーケード街
朝市が開かれるあたり

目に入るのはインバウンドの家族連れ、カップル。
とにかく街中を漂っています。
まずは目に入った飛騨国分寺の立派な三重塔にご挨拶。
ここにもインバウンドはいました。

飛騨国分寺境内

アーケード街はシャッターを下ろした店店の間に、観光客向けのラーメン屋、飛騨牛を握った寿司屋、コロッケ屋などの食べ物屋が、一時のケンを競っています。
和菓子屋さんは季節の栗きんとんなどを売り出しています。

昼時なのでまずは飛騨牛の握り屋に並び2貫ほどを口に入れます。
値段相応の美味です。

和菓子屋の秋の店先
飛騨牛握り

歩きながら飛騨牛コロッケも食べます。

射的屋で遊ぶインバウンド

タテヨコと市街地をブラブラして小一時間。
はずれにあるラーメン屋に入ってみました。
飛騨牛串焼きとのセットを注文。
夫婦が一生懸命にやっている店で美味しく食べられました。

これが高山ラーメンだ

近くのTシャツ屋で気に入ったデザインがあったので購入。
店主に聞くと『一時観光客が減ったのだけど、最近また増えた』とのこと。

お土産
住宅地の小路

2時間もあれば繁華街を一周して、ゆっくり食べられて、近くの名所にも寄れました。
熱い中、海外のインバウンドの姿だけはげっぷがするほど眺められた飛騨高山の旅でした。

帰りに安房峠の手前で平湯温泉に立ち寄りました。
結構な温泉でした。

岐阜県最深部の平湯温泉

第29回 小津安二郎記念 蓼科高原映画祭

今年は9月26日と27日に開催されました。
会場はいつもの市民会館と新星劇場です。

上映プログラムは、いつもの小津作品と、弁士付きサイレント作品を1本ずつ。
今年選ばれた「秋刀魚の味」は佐田啓二生誕100年の記念作品とも銘打っていました。

他に、小津に関する海外作品「THE OZU DIARIES」や、地元八ケ岳を題材にしたドキュメンタリー「小屋番 八ヶ岳に生きる」など。
また、諏訪圏フィルムコミッション20周年を祝って、当地ロケ作品がセレクトされています。

恒例の短編映画コンクールは、例年通り伊藤俊也監督を審査委員長として開催され、グランプリ作品が上映されました。

注目のゲストですが、今までは岡田茉莉子、岩下志麻、司葉子など、小津監督と直接ご縁のあった女優さんが招待され、出演作品上映の後、トークショーが行われましたが、さすがに出演した女優さんの招待は今後もうないでしょう。
最近では佐田啓二の娘の中井貴恵を中心に、伊藤俊也、招待作品の監督などがゲストとなっています。

こういった内容の蓼科高原映画祭ですが、当日は、私は北海道に月遅れの墓参りを兼ねた旅行に行っており参加できませんでした。

過去の映画祭での思い出としては。
新星劇場前にレッドカーペットが敷かれ、樽酒や寒天菓子のおもてなしが用意され、この日だけは昔日の茅野での映画文化を彷彿とさせる盛り上がりが見られたこと。
女性弁士になるサイレント映画の面白さ。
司葉子、岡田茉莉子のトークショーで感じた小津安二郎への敬意、などでしょうか。

来年は見るぞう。

八ケ岳総合博物館の機織り

山小屋から茅野市側に下りたところに八ケ岳総合博物館があります。
公立諏訪東京理科大学の隣です。

茅野には、国内最大級の縄文遺跡があります。
この博物館から少し離れたところにある尖石遺跡です。
八ヶ岳自体が、縄文時代から、茅野をはじめとした諏訪地方を、いや東日本全体を見守ってきたご神体のような存在だったのかもしれません。
有史以降には諏訪大社という信仰の中心地もありました。

八ケ岳の麓に位置するこの博物館には、訪れるたびに新しい発見があるような気がします。

玄関わきに飾られている御柱祭の祭具
5000年前の木の化石

中央構造線、糸魚川・静岡構造線などが表す日本列島の起源と深くかかわる八ヶ岳を中心とした土地の構造。
縄文遺跡。
諏訪信仰を表す御柱祭。
寒天や切れ味の良いのこぎりなど地域の特産品の歴史的背景、などがコンパクトに展示された館内。

この日、最も印象的だったのは機織り機がホールに備えられ、若い女性の学芸員さん?がデモンストレーションよろしく、縦糸を張り、横糸を通して機を織っている風景でした。

最初に展示されているのは八ケ岳周辺の地質
御柱に関する展示も欠かせない
八ヶ岳の自然をジオラマ風に

よく見ると『機織り体験。300円』などと張り紙があり、体験者を呼び掛けている風でした。

無数の機織り機が並ぶ

地方の博物館といえば、旧家の蔵に死蔵されていた機織り機などが無数に集められたままとなっていたり、地域の特産物の歴史には専門的に詳しい学芸員さんが、たまにしか来ない訪問者相手にその知識を持て余していたりする印象があります。
が、今日の八ケ岳総合博物館は、若い学芸員が自ら収蔵物の活用に取り組むという、絶えて久しい現役感があふれ出ている場面に遭遇したのです。

やはり博物館には定期的に来てみるものです。

軽トラ半日旅 小諸へ

9月のある日、思い立って小諸へ半日旅をしました。

古い城下町で、北国街道宿場町としての歴史もある小諸。
ご多分に漏れぬ地方衰退の時期の後、最近では街中に若い移住者が店を開くのがブームになっているとか。
軽井沢から御代田町へと西進してきた移住先のブームが、小諸にまで至ってきたのかもしれません。

秋晴れの空の下の小諸の街
北国街道沿いの旧長野銀行だった建物。行員がコロナにり患した際に窓ガラスに投石されたとのこと

山小屋からは上田方面へ下って、中山道沿いに笠取峠を越え、千曲川方面へと平地を走れば小諸に至ります。
軽トラを駅の駐車場に止めてまずは駅前の観光案内所へ。
案内所の女性と雑談し、ランチにお勧めの店を聞きます。
『埼玉から移住した夫婦がやっているおにぎり屋さんが人気です』というので街中に店を訪ねました。

駐車場にフェンスには小諸馬子唄が
旧JR信越線、現しなの鉄道の小諸駅。JR小海の発着駅でもある

すでに店の前には親子が一組並んでいます。
一緒に並ぶのも何なので、昼前の小諸の中心街を一回り。

かつて入ったことのある食堂のサンプルケースや、駅前の純喫茶などを見て歩きます。
おにぎり店に戻ると列がさらに増えていたのであきらめて他を探します。

案内所ですすめられたおにぎり屋さん
ベテラン夫婦が切り盛りする食堂。甘めの味付けのソースかつ重セットを食べたことがある
駅近くには今でも純喫茶が多い
中にはこういった個性的な店も

北国街道沿いのラーメン屋がかねてから気になっていたので入店。
魚介系のダシが効いたラーメンをすすります。
地元の人がひっきりなしにやってくる店でした。

駅に隣接した小諸城址は、懐古園と呼ばれた公園となっており、桜や紅葉の時期には名所としてにぎわいます。
数年前に見た園内の紅葉は見事でした。

園内の動物園には入ったことがなかったので久しぶりに寄ってみます。
懐古園の入場料で動物園にも入場できます。

懐古園内の小諸動物園へ

キツネなどの小動物、インコなどの家禽類のほかライオンもいます。
ペンギンも。

のんびりと動物を見る孫を連れた祖父母がいます。
閑散とした場内のアットホームな雰囲気は、猛獣がツキノワグマしかいなく、寒い季節のカピバラの温泉浴が売り物の須坂動物園と双璧でしょうか。
若い女性の飼育員がテキパキしていた須坂動物園の方が活気があるような気もします。

ペンギンが歓迎してくれた
カマキリも秋の日差しに日光浴

紅葉の時期を前にして人気のない懐古園を散策して駅に戻り、秋晴れの小諸の半日旅を終えました。
地元を知る人と歩けばもっと面白かっただろうと思いました。

場内では時折、草笛同好会の演奏もあるらしい
小諸城の城壁が歴史を詠う

猫のいる修那羅山

山小屋の北方に位置する筑北村に修那羅山という場所があり、山頂に神社が建って立います。
普段は無人の神社ですが、山小舎おじさんは毎年のように訪れ、木のお札をもらって、軽トラにぶら下げています。お守りのつもりです。

先日は、小布施方面に出かけ、帰りに筑北村を通ったついでに神社によって新しいお札をもらってきました。

この日は村の中心部方向から、車道で神社を目指します。
大鳥居前の駐車場まで車道が続いていました。

修那羅山の大鳥居

夕方前とはいえ、人気がなく、深山のような気配に満ちた参道を歩くことしばし。
階段を上った先に本殿というか本堂というか、神仏習合的な存在の修那羅山が見えてきます。

参道を行く
階段の先に境内が見える

境内は凛とした、また威厳に満ちた雰囲気だけではなく、ほっとするようなアットホームな雰囲気が漂っています。毎度のことですが、修那羅山のこの家庭的な雰囲気が大好きです。

本殿に着いた

ふと見ると無人の境内に猫が一匹こちらを見ています。
前にも出会った猫でしょうか。
落ち着いた雰囲気で、かといってたまに来るであろう参拝者に関心がないわけではない風を醸し出しています。

前回は不用意に近づいて避けられたので、ほどほどに近づきパチリ。
テキはびくともしません。

無盡男社務所に猫がいた

本殿にお参りして備え付けのノートに記帳します。
お賽銭を納めて新しいお札をもらいます。

芳名帳に記帳して木札をいただく
新しい木札。古い木札は納める

木の札を作り、参拝者に提供し、記帳用のノートを用意する。
こういったところの気遣いの温かさがこの神社の、いつまでも続いてほしいところです。

本殿の背後の山の中には、羅漢の石像が多数並んでいます。

ほっこりした気持ちで修那羅山を後にしました。

遅ればせながら、煙突掃除

薪ストーブ持ちの家は毎年の煙突掃除が必須です。
山小屋では、夏前に行うところが、今年はのびのびとなっていました。

石炭ストーブを炊いていた、60年ほど前の北海道では、冬の時期は毎月のように煙突掃除をしていました(家の主が)。
それは、雪かき、屋根の雪下ろしと並び、冬の間の仕事でした。
また、北海道の雪下ろしは、雪が屋根に凍り付いているので、それをスコップでたたき割って滑り落とすというものでした。
氷の塊が落ちてゆくので、屋根の下にベランダなどに当たらないように、ベニヤなどを窓ガラスの前に立てておくという。事前の作業も必要でした。

山小屋では、降雪があまりないことと、もともとが雪下ろしを考慮した作りの家ではないこともあり、屋根の雪下ろしはしたことがありません(しなければならないとしても、もう無理でしょうが)。
玄関前の雪かきだけはしなければなりませんが。

山小屋のストーブは、暑い鉄板で作られ1000度の熱にも耐えられるスグレモノです。
山小舎の前のオーナーの置き土産です。
煙突は二重構造の太いものです。
薪ストーブとしてハイスペックなのですが、生乾きの薪を燃やすことも多く、また煙突が横方向に伸びている個所もあるため、年一回程度のすす払いは必要です。

寒い時期には必須の薪ストーブ(カラマツストーブ)
カラマツストーブのチラシ
説明書より

丸太を持ってきてくれる業者は『うちでは煙突掃除はしません。煙突がまっすぐ立っていることもありますが、煙突内のススとタールは、乾いた薪を煙突が真っ赤になるくらい燃やして、焼き払ってしまいます』と、ご自宅の薪ストーブの状況を話してくれました。
うちとは事情が違います。

さて、さっさと済ませてしまいましょう。
まずは2階に上がり、煙突の横向き部分の端っこを塞いでいる蓋を取って、柄を長くしたブラシを通します。
その前に屋根に出て、直立した煙突の底のふたも開けておきます。
この時、どさっつと水気を含んだススが落ちてきます。
煙突の底の蓋の下にバケツを置きます。

2階からブラシで掃除

ブラシが通り、屋根の上と、ストーブの中へススを落とします。
1年分のススが落ちました。

屋根に落ちたスス

バケツにたまったススと、ストーブの中に落ちたススを捨てます。
屋根に飛び散ったススをホースで洗い流します。
煙突2か所の蓋を閉めます。

やっつけ仕事の煙突掃除を終えました。