「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 村山新治監督と「夜の青春」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI東映現代劇の潮流」特集も佳境に入ってきた。
いよいよ梅宮辰夫の「夜の青春シリーズ」の登場だ。

それもシリーズ初期の名匠関川英夫監督による「ひも」「ダニ」「かも」などの有名作品ではなく、シリーズ第6作の「夜の牝犬」、第7作「赤い夜光虫」、第8作(最終作)「夜の手配師」が上映された。
監督は村山新治である。

村山新治は前回紹介したように記録映画出身で、戦前の大泉映画に入社したのち、東映大泉で監督昇進し「警視庁物語」シリーズ(1957年~)で名を上げた監督。
60年代に入ってからは、ギャングもの、文芸もののほか、夜の青春シリーズなども手掛けた。

村山新治監督が所属する東映大泉撮影所では1960年代に入り、梅宮辰夫や緑魔子などを主演にした風俗映画路線にかじを切り、「二匹の牝犬」(1963年 渡辺祐介監督)や「ひも」(1965年 関川英雄監督)などの作品が生まれヒットした。

「二匹の牝犬」は新東宝出身の渡辺監督が持ち前の斬新な感覚で都会の底辺に生きる若い姉妹を描いた力作で、演技力のある小川真由美と新人緑魔子の共演もあり注目された。

「ひも」は青春スター候補だった梅宮辰夫を本来のスケコマシキャラに目覚めさせ、のちの「夜の歌謡シリーズ」、「不良番長シリーズ」、「帝王シリーズ」へのきっかけとなる記念すべき第一作だった。
「ひも」のほか「ダニ」(1965年)、「かも」(1965年)を撮った関川英雄は、戦前にPCLに黒澤明と同期入社の人で、東宝争議の後レッド・パージで退社するが、独立プロで「きけわだつみの声」(1950年)、「ひろしま」(1953年)などを製作し気を吐いた筋金入りの名匠だった。

渡辺祐介や関川英雄といった気鋭の監督や名匠が手掛け、内容の良さからヒットしたシリーズものを、そのあとで引き受けたのが村山新治監督だった。

1978年戦後日本映画研究会刊「日本映画戦後黄金時代8東映の監督」より村山新治の紹介ページ
同上

「夜の牝犬」  1966年  村山新治監督  東映

タイトルバックは上野駅の実写風景。
線路が駅構内で行き止まりになっている、いわゆるターミナル型の上野駅と、行きかう人々の混雑ぶりが時代を感じさせる。

ラピュタのロビーに掲示されていたオリジナルポスター

界隈のゲイバーの売れっ子・シゲル(梅宮辰夫)。
シゲルはビジネスおかまで、料亭の女将(角梨枝子)の若いツバメだ。
かつて上野でコマして夜の世界に引きずり込み、今は別のバーのマダムになっている(緑魔子)とは、体だけの腐れ縁が継続中。

ある日上野駅で女衒のばあさん(浦辺粂子)に騙されそうになっていた青森出身の少女(大原麗子)を横取りしたシゲルは、少女があまりの天然ぶりで買い手がつかないためやむなく部屋に住まわせる。

プレスシートの解説文

この作品の本当の主役こそが田舎少女を演じる大原麗子。
ノーメイク(のようなメイク)で青森弁をしゃべる「不思議少女」。

肝心な時には放心したような表情で自分の世界に閉じこもり、何を考えているのかわからない。
金のみに生きる夜の住人の世界に紛れ込んだアンチテーゼにして、彼らが失った真心や清純さの象徴でもある「不思議ちゃん」だ。

「不思議ちゃん」大原は梅宮にコマされた後も彼の身の回りの世話に明け暮れる。
そして娘心のひたむきさなどには一切関心のない梅宮が、最後に「真心」を裏切った報いを受けることになる。

ジャズ界の雄といわれた山羊正生作曲のバロック風の旋律が、「不思議ちゃん」の無心な動きを純化するように流れる。

「飢餓海峡」(1964年 内田吐夢監督)のカメラマン仲沢半次郎の撮影は、街頭ロケを多用し、都会の雑踏を泳ぐようにさ迷う若い出演者たちを捉える。

「赤線地帯」(1958年 溝口健二監督)のシナリオライター成沢昌成の脚本は、モノローグを多用して、ビジネストークとは真反対な夜の住人の本音をあぶりだす。

ラピュタの特集パンフより。おかまメイクの梅宮と料亭女将役の角梨枝子。

梅宮がツバメとなり、養子に潜り込もうと狙いを定めた料亭女将役の熟女美人が目を引いた。
誰かと思って調べたら松竹出身の角梨枝子という女優さん。
文芸春秋刊の「キネマの美女」にでも紹介されていた正統派美人女優でした。

ほかにも浦辺粂子、沢村貞子、北条きく子など、個性派、実力派がわき役に揃うこの作品。
1960年代の邦画の配役は、すでに5社協定など有名無実、フリーとなった俳優・女優も多く、多彩な芸達者たちの元気な姿が見られる。
東映に定着していた緑魔子は、表の主役梅宮辰夫とともに多彩なゲストスターを迎え撃つ、いわば「夜の青春シリーズのホステス役」に落ち着いていた。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」より。料亭女将役:角梨枝子の若き姿

「赤い夜光虫」  1966年  村山新治監督  東映

大坂の盛り場を歩く梅宮辰夫を追うカメラがとあるバーへ入ってゆく。
レズビアンバーのけだるい雰囲気の中をさ迷い舐めるタイトルバック。
夜の青春シリーズ第7作「赤い夜光虫」のしゃれた導入場面だ。

オリジナルポスター

脚本:成沢昌成、撮影:仲沢半次郎、音楽:八木正生は前作同様のスタッフ。
低予算の添え物作品ながら腕利きのメンバーがそろった。
脚本の成沢は溝口健二に弟子入りし、女の世界をみっちり仕込まれ、関西にも詳しい。
撮影の仲沢は「警視庁物語シリーズ」で村山新治監督と組んでいたベテラン。

配役は梅宮辰夫と緑魔子のホストコンビを狂言回しに、前作「夜の牝犬」で印象的だった大原麗子を起用。
新人大谷隼人、クレジットに(東宝)と書かれた田崎潤の名もある。
そして本作に宝塚風にして成沢脚本味の「花」を添えるのは、東映ニューフェイス上がりの北原しげみと新井茂子。

プレスシート
プレスシートの解説文

今回の舞台は大阪のレズバー。
梅宮も緑魔子も関西弁のセリフ回しという新趣向。

ホステス役の北原しげみと新井茂子は短髪、男装の宝塚ルックで登場。
シャツの下にはさらしを撒いて胸を押さえている。

二人ともビジネスレズの設定で、それぞれパパ活(相手は田崎潤)したり、ヒモ(新人大谷隼人)がいたりするのは、人物描写の裏と表を押さえた成沢脚本の定石。

パパ活の現場の旅館で浴衣姿となり、しっぽり、さっぱりとした大人の女性の魅力をみせる北原しげみ。
場末の職人の住居の2階にヒモと間借りし、普段はヒモと怠惰に同衾する新井茂子の、下町娘のような庶民的で肉感的なふるまいも成沢脚本の味か。

虚と実、嘘とまことが入り混じった夜の世界で、真正レズとして「裏表がない」役柄を演じるのは、かつて父親から犯され男性を拒否するバーのママの緑魔子。

屋敷に住まい、忌まわしい過去に心を閉ざす役だが、病的な心理の演技は緑魔子には似合わない。
屋敷のアトリエでルパシカを着て絵筆を握る場面があったが、緑魔子では緊迫感がない。
人情ではなく、異常な精神状態を描くのは成沢脚本は向いていないのだろう、作品の本筋ではないし。
緑魔子としても夜の青春シリーズの卒業の頃なのかもしれない。

前作で思いのほか印象的だった大原麗子が引き続き抜擢され、地に近い金持ちのドラ娘を演じている。
明るく物おじしないで、レズバーに出没し、男を漁る。
その正体は田崎潤から放任されたドラ娘だが、本心は親から親身に構ってほしい娘ごころの持ち主というもの。

大原の若さ、明るさ、奔放さ、下品さ、不良性感度は東映によく似合う。
彼女の登場は東映のヌーベルバーグだったのかもしれない、と一瞬だが感じさせた

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

梅宮と緑魔子がすっかりシリーズのホストと化し、梅宮に至ってはコメデイアンめいてきており、シリーズの終焉間近を感じさせる。
大原麗子や谷隼人の重用は、来るべき「不老番長シリーズ」の到来を予告しているかのようだ。
夜の青春シリーズは次回作を最終作とする。

なお、ラピュタ阿佐ヶ谷で本作上映時に私的に伊藤俊也監督が来館しており、終映後5分ほど挨拶を行った。

・本特集36本中、9本ほど伊藤氏が助監督(「懲役十八年仮出獄」1967年降旗康男監督にみファースト助監督)でつ  いたこと。
・本作(「赤い夜光虫」)ではセカンド助監であったこと。
・「荒野の渡世人」(1968年 佐藤純也監督)では予告編を撮ったこと。
・当時の東映大泉撮影所は低予算作品が多かったが、伊藤氏にとっての青春時代だったことなどを話していた。

1937年生まれの伊藤監督は、茅野市の蓼科高原映画祭で審査委員長を務めるなど旺盛な活動意欲を示す。
階段の上り下りなど若干不自由そうだが杖を使わず、またラピュタのスタッフにも愛されているようだった。

「夜の手配師」  1968年  村山新治監督  東映

シリーズ前作から2年たっての第8弾。
夜の青春シリーズの最終作。

2年たったからなのか、梅宮辰夫とコンビを組んでいた緑魔子は去り、シリーズ第6作と7作で勢いを見せた大原麗子の姿もない。
脚本は下飯坂菊馬に代わり、撮影の仲沢半次郎、音楽の八木正生は変わらず。
助監督は山口和彦。

オリジナルポスター

いろんな意味でシリーズ最終作を予感させる作品。
まず、夜の住人梅宮のキャラに新味がなく、相変わらずの口八丁手八丁のいい加減なキャラ。

見た目は派手だが、貧乏暮らしも相変わらず。
愛人は生活感のにじみ出たホステス(白木マリ)で、彼女と組んで店で見せ金を切ってはほかのホステスを誘惑するという、見せ金詐欺の稼業。

梅宮の生きがいが貯金300万を目指して、柄にもなく純愛をささげる飲み屋の看板娘(城野ゆき)と結婚して店を持つこと。

その梅宮に銀座のマダム(稲垣美穂子)が絡む。
日活で数々出演し、当時30歳の稲垣美穂子の貫禄ある美貌が冴える。

マダムは昔の仕打ちが忘れられず、仕打ちを受けた白木マリを潰すためには手段を選ばない。
梅宮は金のためなら白木を裏切ろうとなにしようと、マダムのためにこそこそと動き回ってはホステスに声をかける。

梅宮に声をかけられるホステス達に真理明美と真理アンヌ。
二人とも演技が下手で魅力に乏しい。
真理アンヌが「殺しの烙印」に出演し強い印象を残したのが1967年、「夜の手配師」の前年のことだったが。

プレスシート

下飯坂の脚本は無理のないストーリーテリング。
伏線はきっちり回収され、意味不明のキャラクターも出てこない。

当時の全共闘のデモがテレビに出て来たり、デモ帰りの学生たちを居酒屋に出させるなど世相をとリ入れることも忘れない。
無学の梅宮が学生たちに反発するなど、当時の世相に梅宮のみじめさを逆照射させてもいる。
看板娘の彼女が無邪気に学生デモに憧れるなど、梅宮と彼女の行き違いの伏線を張ったりもしている。

何とか金を作り、店を手に入れた梅宮の前に、心変わりした彼女と新しい男(南原宏治)と現れる。
南原はかつての梅宮のアニキで、親分の女に手を出した梅宮をリンチし、追放した因縁の相手。
ルンペンのような姿で梅宮の前に現れ、彼女のいる飲み屋に居つくようになったダニのような男だった。

このダニに彼女と買ったばかりの店を奪われた梅宮。
梅宮は彼女にだけは手出しせず、柄にもなくお姫様を扱うように純愛をささげていたにもかかわらず。

銀座マダムにいい顔をし、パトロンの無理難題に右往左往してきたものすべて純愛をささげた彼女との夢をかなえるため。
自業自得とはいえ、身から出た錆にどんでん返しを食らう夜の手配師人生のおそまつな一幕。

プレスシート解説文

綱渡りのいい加減な夜の男を一生懸命演ずる梅宮がだんだんコミカルに見えてくる。
梅宮のダメ男加減が、まるで寅さんのような愛すべき男に見えてくるのであれば、夜の青春シリーズも終わりだ。

映画のエピローグ。
よりを戻した梅宮と白木がお馴染みの金見せ詐欺稼業に舞い戻る。
銀座ではなく、新宿の場末のキャバレーで御世辞にも美しくないホステスたちを前にして。

寅さんが新年の青空の元、地方の神社の境内でタンカ売をする「男はつらいよ」お馴染みのエピローグシーンを思い出させる。

寅さんがいくらだめな男でも、頭上にはおてんとうさまがいたのとは対照的に、夜のダメ男・梅宮には濁った空気の場末のホステスたちの下卑た嬌声が付きまとっているのが根本的に違うのだが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフレットより

調布市ミニバスに乗ってみた

桜の満開直前の花冷えの一日。
調布駅近辺に用事があったのですがあいにくの雨。
歩いてゆくことにしました。
家から国分寺崖線の坂を下り歩いてゆきました。
少々歩くと疲れたのでバスに乗ることにしました。

調布市ミニバスというコミュニテイバスが1時間に2本ほど運行しています。
上野原循環というルートで運航されているミニバスに乗ると、調布駅北口まで行くことができます。

調布市ミニバスの雄姿

柏野小学校前という停留所から乗車しました。
運賃は230円。
つつじヶ丘駅と深大寺を結ぶ路線バスや、三鷹駅行きの路線バスが210円ですからなぜか割高です。

柏野小学校停留所でミニバスを待つ
柏野小学校近辺は国分寺崖線に向けて谷戸の地形を形成し、農地が広がっている
地元の少年野球チームの募集の垂れ幕

雨の平日、午前11時ころの車内は、座席がほぼ埋まっていました。
11席ほどのバスで、ほとんどの席が優先席となっている席構成。
客層は高年齢のご婦人が多いものの、若めの人も混じっています。

コミュニテイバスは、既存の路線バスの減少化に対処するため、自治体がバス会社と提携して運行しているのでしょうが、今では地方ばかりではなく都市部でも普通になっています。

各自治体ではコミュニテイバスに愛称をつけています。
知っているだけでも、杉並区の「すぎ丸」、府中市の「Cyuバス」、小平市の「Cocoバス」、国分寺市の「Bunバス」などがあります。

調布市の場合は愛称をもうけず、割と直球の名称となっています。
理由はわかりません。

調布駅北口に着いたミニバス

調布のシンボルの鬼太郎のラッピングに彩られた調布市ミニバス。
快適な運行を楽しみつつ、雨の調布駅前まで運んでくれました。

仙川駅前の桜咲く

京王線仙川駅前の広場に桜の木が数本あります。
4月初旬に通りかかったら7分咲でした。

仙川駅前の桜が7部咲き

仙川は調布市の一部ですがなぜか市外局番が03。
世田谷区に接しているからでしょうか、調布っぽくなく世田谷のはずれとでもいった雰囲気があります。
個人商店が並ぶ商店街も残っています。

仙川駅から南に延びる商店街

付近の国道20号線沿いにはキューピーマヨネーズの研究所があります。
かつてはキュピーの工場だった場所で、調布市内の小学生は社会科見学に訪れ、お土産にマヨネーズのミニボトルをもらって帰ってきていました。
また20号線の反対側には栄太郎飴の工場もありました。

音楽教育で有名な桐朋学園の小学校から大学までのキャンパスが、商店街を抜けた先にあります。
20号線の反対側には白百合女子大学が建っています。
白百合の学生バイトを当て込んでいたのかどうかはわかりませんが、ウエイトレスのユニフォームが印象的だったアンナミラーズという喫茶チェーン店が20号線沿いのビル2階にありましたっけ。

駅前の八百屋の奥の扉を開くとなぜかキャバクラがあったのも仙川でした。
キャバクラも八百屋も今はありませんが。

昔から商店街の賑わいが印象的だった仙川。

桜の満開時期にイベントでも開くのでしょうか、桜の木の下にテントが準備されていました。

駅前広場で桜の根元のベンチに憩う人たち
イベントの木材が桜の根元に準備されていた

満開を待つだけの仙川駅前です。

野川のソメイヨシノ開花

国分寺に端を発し、世田谷で多摩川に合流する一級河川の野川。
国分寺崖線と呼ばれる、ハケの地形に沿って国分寺、小金井、三鷹、調布の町を流れています。
川に沿って遊歩道が整備されており、遊歩道に沿って桜などの桜などの樹木が植えられています。

調布市内の野川

3月の最終日曜日、調布市内の野川沿いのソメイヨシノが開花しました。

開花したソメイヨシノ

気温が20度を大きく超えたこの日。
遊歩道や河川敷には、多くの散歩の人の姿があります。

河川敷には菜の花が満開です。
遊歩道に沿って上流に向かうことにします。

調布市内の武蔵野市場と呼ばれる一帯まで来ました。
市場の一角には直売所もあります。

付近の河川敷は昔から市内の花見の場所として人気です、すでにシートがびっしり並んでいました。

武蔵野市場内の地元野菜直売所
河川敷は花見客で一杯

家族連れなどは河川敷にシートを敷いたり、テントを張ったりしています。
川遊びをする小学生の姿もあります。

テントで屋根を張ってのの一団
川に入って遊ぶ子供たち

三鷹に入ると遊歩道を歩く人の姿が少なくなります。
水車を廻し、古民家を保存する場所もあります。

三鷹市大沢地区の水車
シラサギが餌を捕っていた

今年も桜の季節が到来しました。
今週中にも満開になることでしょう。

ハケの道のモクレン

国分寺から世田谷まで、国分寺崖線という断層が走っています。
多摩川の河岸断層で、崖線の下を野川が流れています。

国分寺崖線の途中には、武蔵野公園、野川公園といった緑地が多く見られます。
山小舎おじさんが小金井や国分寺方面に自転車で行くときには国分寺崖線に沿った道をとおります。
崖線に沿った道はハケの道とも呼ばれます。

3月中旬の晴れた日。
いつものように自転車で武蔵野公園を過ぎ、西武多摩川線のガード下を抜けて国分寺崖線に沿ったハケの道に出ると、ある住宅の庭にモクレンが咲いていました。

ハケの道に咲くモクレン

梅が咲き、早咲きの桜が咲き、そろそろモクレンやボケが咲くころになりました。

ハケの道に沿って古い木立が残っています。
春の花も咲き始めました。

古い木立が残るハケの道
途中にある解説の看板

ハケの道に沿って野川が流れています。
川の両岸は散歩コースです。
池では釣り人が糸を垂れています。
河川敷のグラウンドでは若い人がサッカーなどをしています。

ハケの道から野川方面を見る
野川の水を引き込んだ池では釣りをする人も

急角度のハケの上は住宅地で、坂の途中にも住宅が建っています。
急角度のハケを上る階段状の坂道が作られています。
中にはムジナ坂などという歴史を感じさせる名前の坂もあります。

崖線の上と下を結ぶ坂の一つ「ムジナ坂」

ハケの道には2,3軒の農家も残っており、冬にはキウイを軒先で無人販売しています。
収穫したばかりの硬い実を一袋200円から300円で売ってくれます。
熟れるまで時間がかかりますが季節の楽しみです。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 渡辺祐介監督の大泉時代

ラピュタ阿佐ヶ谷で行われている東映大泉の現代劇特集では、渡辺祐介、村山新治両監督作品をはじめとしたプログラムピクチャーの数々に接することができた。
特に渡辺祐介監督は緑魔子デヴュー作「二匹の牝犬」をはじめとして5本の作品を見ることができた。
いずれの作品も渡辺監督のカラーがあふれる、意欲的なものだった。

手許に「日本映画戦後黄金時代 第13巻 新東宝の監督」というグラフ誌?がある。
戦後日本映画研究会というところが1978年に編集したもので、スチール写真で構成された冊子である。
この号でデヴュー当時の渡辺監督が紹介されている。

「意欲的な新人」と題して、渡辺監督の簡単な経歴を紹介し、新東宝時代の作品スチールとともに載っている。
紹介文には、『60年「少女妻・恐るべき十六才」(新東宝)でデヴュー、清新な演出が話題を呼んだ。翌年、東映に移り、緑魔子主演の悪女もので注目される。その後、松竹でドリフターズの全員集合シリーズを一手に引き受け、喜劇的才能を発揮した』とある。

「日本映画戦後黄金時代13新東宝の監督」より。新東宝時代の渡辺監督

また、同誌巻末の「解説」には、シナリオライターで日本映画に詳しい桂千穂による「まさにプロフェッショナル渡辺祐介」という小タイトルでの記事がある。
ここで桂千穂は、渡辺が助監督時代に、軽妙でナンセンスな喜劇の脚本に才能を発揮していたこと、監督昇進後はデヴュー作の好評を受け、新東宝解散までに喜劇作品を立て続けに撮ったこと、特に「ピンクの超特急」(1961年)は渡辺監督の初期の代表作だ、と述べている。

「日本映画戦後黄金時代13新東宝の監督」より、桂千穂による解説

この度のラピュタでの特集では、東映に移った後の渡辺作品、「恐喝」(1963年)、「暗黒街仁義」(1965年)、「あばずれ「(1966年)を見ることができたので以下に紹介してみたい。
(「二匹の牝犬」「牝」については本ブログにて紹介済み)

「恐喝」  1963年  渡辺祐介監督  東映

1963年の高倉健が精一杯若いギャングを演じる。
60年代後半以降のストイックな任侠道に呪縛される前の高倉健は、軟派なほど自由闊達で女にちょっかいを出し、金に目がないギャングが似合う。
ギャングといっても、貧乏からの脱出手段としてその道に進んだだけの、しがない地元やくざの下っ端だ。

幼馴染の安井昌二は夜学を出て社会福祉協議会に務め、地元の貧民街のために自転車で駆けずり回っている。

地元のマドンナ(三田佳子)は工場主・加藤嘉の娘。
22歳の三田は汗にまみれながら働く零細工場の娘を若さで好演。
かつて不良の高倉に犯されたが、いまは安井の婚約者という設定。

やくざ業界に馴染めない高倉が、一丁こましたろうと手形サルベージのシノギをごまかして、利益誘導したのがばれ、組に追われ地元に逃げてくる。

真面目だが貧困の安井とマドンナは、やくざな高倉に反発する。
マドンナは実はまだ高倉に惹かれてもいる。
高倉は貧困から脱出する才覚もない地元民に歯がゆい思いをし、罵倒する。
が、貧困そのものの地元が彼の心の故郷でもある。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

1963年の渡辺祐介監督はデヴュー3年目。
東映に移り、大泉撮影所製作の添え物用モノクロ作品で、貧困の絶望感とそれでも地道に生きることの大切さを描いた。
若き高倉健と三田佳子を使って。

下町の貧民街の丁寧な描写。
街の零細な工場からの内職に頼り、生活保護でかつかつに生きる人々。
そんな貧困が嫌で、どんな手段を使っても一旗揚げようと、やくざな道に飛び込んだ高倉。
一方は、地道に人々を助けようと献身する安井。

高倉と安井の幼馴染の心の根底は一緒。
素直になれない高倉がヤバイ金を、倒産しそうな加藤喜の工場のために安井に託すが、安井からは叩き返される。
地元の人々は追いつめられた高倉から目を背ける。
組に追いつめられる高倉。
『ズバッ、ドスッ』という刀の効果音をあえて使わない、無音のままでの斬りあいシーンは、ライテイングを押さえた暗黒の中で描かれる。
痛そうで、冷たくて、見放されたやくざの末路の渡辺演出だ。

作品のプレスシート

喜劇の才能で知られる渡辺監督の若き日の力作。
背景には階級闘争があり、持たざる者への眼差しがあり、アウトローへの突き放した視線があった。

「暗黒街仁義」  1965年  渡辺祐介監督  東映

渡辺監督の数少ない本編(2本立てのメイン)で、鶴田浩二主演のカラー作品。
共演に丹波哲郎、天知茂の新東宝勢、アイ・ジョージ、南田洋子、内田良平の外様組、渡辺監督子飼いの緑魔子も出演。
キャステイングに監督の意向が大いに反映されているところが異色といえば異色。
脚本は笠原和夫と共同。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

客を呼ばなければいけない本編作品とはいえ、ゴルフ焼けした鶴田がアメリカ帰りの「ビジネス」を連呼するようなお笑いにしか見えないやくざを気持ちよさそうに演じるだけの前半はいただけない。

ゴルフ場開発の利権に群がるアメリカと日本のやくざ。
アメリカやくざの代理人として15年ぶりに帰ってきた鶴田やくざが、かつての兄弟分(丹波)や恋人(南田)との間で揺れ動き、あげくアメリカに裏切られ、力づくの決着を迎える。

作品のプレスシート

鶴田はしきりと「ビジネス」を連発し、クールでドライな取引の世界を強調するが、一方で15年前にどっぷりつかっていた日本やくざの義理人情の湿った世界に片足を突っ込んでいて、脱しきれない。

日本やくざの丹波の行動もたいがいだ。
手段を選ばず利権に突っ込み、鶴田の女を奪った挙句、鶴田には義理を強要する丹波。
この辺は「博奕打ち・総長賭博」(1968年)から「仁義なき戦い」(1973年)に至るまで、義理人情の世界の嘘くささを糾弾してゆく笠原和夫脚本のテイストか。

全く鶴田に似つかわしくないアメリカかぶれの日本やくざの所作と古めかし兄弟分、恋人とのじめじめした関係性。まったく渡辺監督らしくない展開。
丹波も南田も天知も、ついでにアイ・ジョージも全く活きていない。

これは、鶴田の鶴田による鶴田のための映画だったのか。
最後にボロボロになって死んでゆくシーンも鶴田の希望通り、というほかに言うべき言葉はないのかもしれない。

「あばずれ」 1966年  渡辺祐介監督  東映

併映用のモノクロ作品。
主演はデヴュー作以来渡辺とは信頼関係で結ばれている緑魔子。
助監督に降籏康雄。
共同脚本、神波史男。
併映用の小品ながら、自由に自分の世界を描き切った渡辺監督の佳編。

オリジナルポスター

川口のベッドハウスに暮らす親子。
妻に逃げられたニコヨン暮らしの父と、肥満児の弟の面倒を見て暮らす工場勤めのユキ(緑魔子)を巡る、寓話のような、でも現実味も帯びた少女の成長譚。

壁もなく二段ベッドが並び、小上がりのような座敷があるだけのベッドハウス。
秋田の後生掛温泉にあった自炊棟を思い出す空間。
トイレ、炊事場は共有、風呂は銭湯。
ユキはベッドハウスのアイドルのように愛想よくクルクル動く。

ある日、洗濯を終えて荒川の土手で寝転んでいると弟が駆け寄ってきて、親父に女ができて腹には子がいると告げる。
甲斐性なしの親父のふるまいに絶望したユキはハウスを飛び出す。
御爺ちゃん(大坂志郎)に聞いていたサーカスの一員になろうと埼玉県内を探し回り、ある一座に潜り込む。

一座の座長(志村喬)とおかみさん(浪速千恵子)。
どうせ続きっこないと、体よく追い出されるが、食らいつくユキ。

ユキを食い物にせんと近づくブランコのスター・哲次(待田京介)のいやらしさ。
一方、ユキにはつらく当たるが、実は相思相愛でブランコの手ほどきをしてくれる三郎(山本豊三)がいる。
厳しいがやりがいがあり、家族のような温かさがあるサーカスでの生活がユキを育てる。

とはいえ、名もなきゴミのような庶民であるユキや三郎に現実は無慈悲だった。
哲次に犯され、せっかく三郎と磨き上げた空中ブランコを披露することもなくサーカスを去るユキ。

三郎もユキを犯した哲次に切りつけ日陰の道に。
三郎を探し回るユキ。
日陰者としてユキを避ける三郎だったが心は嘘をつけない。
愛を再確認して結ばれる二人。
そこへやくざ仲間の追手がやってきて三郎に切りつける。

ベッドハウスを家出してからのユキの世界は、目まぐるしくも痛々しいが、悲惨さばかりが印象に残らない。
そこはかとなく醸し出されるユーモアと人間味は、渡辺監督と緑魔子の持ち味。

また、虚構か現実か、ワンダーランドをさ迷うかのようなユキを俯瞰で眺める温かみのある目線は渡辺監督のもの。
監督に応えるかのように、精一杯ユキに取り組む緑魔子の真面目さと初々しさもいい。

若き緑魔子のレオタード姿が頻繁に登場する。
スタイルがいい。

魔子のレオタードのストッキングを破っての暴行未遂の末、入浴中の魔子を襲い暴行を完遂させる哲次こと待田京介の禍々しさ。
魔子と相思相愛ながら運命に翻弄され不幸に沈む三郎こと山本豊三の哀しさ。
団長こと志村喬と奥さんこと浪速千恵子の現実を経験しきった人間のもつ温かみとやさしさ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

どんな素材でもそれなりにこなす渡辺監督が、子飼いの緑魔子を主演に迎えて、社会の底辺でけなげに生きる若者像をリリカルに描いた佳編。

少女の旅立ちというテーマでは日活に「非行少女」(1963年 浦山桐郎監督)、東宝に「あこがれ」(1966年 恩地日出夫監督)といった作品があった。
他社作品に比べると「あばずれ」は、俗っぽくて色っぽい東映らしい作品だが、少女に対する視線はあくまでもやさしかった。

ユキこと緑魔子は「道」(1954年 フェデリコ・フェリーニ監督)のジェルソミーナの日本版なのかもしれない。
ジェルソミーナは捨てられて修道院で死んだが、我らが緑魔子は生き残ってベッドハウスに帰った後、おじいちゃんの焼き芋屋をついで元気に働くのだ。

緑魔子と並び渡辺組女優陣の一方の雄、若水ヤエ子はサーカスを宣伝するチンドン屋として一場面だけ登場。
ピエロのメイクでチラシを配る初心者のユキに盛んにダメ出しをする姿が可笑しい。

1999年文芸春秋社刊「キネマの美女」61ページより

玉川温泉へ家族旅行

令和6年3月中旬、家族で秋田県の玉川温泉へ行きました。

玉川温泉は秋田と岩手の県境に沿って続く八幡平温泉郷にあります。
強酸性の湯で、一説にはガンも治るとされている療養系の温泉です。

山小屋おじさんは3度目の訪問です。
最初は仙台在住時代で、20年近く前になります。
会社が終わった金曜日の夜にレンタカーで仙台を出て、酒田から日本海側を北上、秋田市内のコンビニ駐車場で車中泊!
早朝出発し、白神山地、不老不死温泉を回り、弘前、酸ヶ湯、キリストの墓を見て秋田県鹿角市の道の駅でこれまた車中泊。

旅の3日目に眠い目をこすって玉川温泉に着きました。
駐車場開門を待って路駐車両がずらりと路肩に並んでおり、中にはインスタントラーメンを自炊する群馬ナンバーの車もいました。
開門を待って入場し、立ち寄り湯を浴びると眠気が吹っ飛び、前向きな気持ちになれたことが記憶に残っています。

この時の玉川温泉は、一帯に硫黄の匂いが立ち込め、屋外では源泉が木製の樋を轟々と流れており、ところどころに岩盤浴用の小屋が建っていました。
中には家族に見守られて毛布にくるまって地べたに横たわり温熱欲をする病人らしき姿もありました。

2度目の訪問は10年ほど前の家族旅行で。
盛岡まで新幹線に乗り、8人乗りのワゴン車を借り、小岩井牧場、田沢湖経由玉川温泉で立寄り湯しました。
湯から出てきた家族の顔が旅の疲れが吹き飛んだ晴れ晴れとしたものだったのが印象的でした。

源泉は轟々と流れていましたが、地面は舗装されており、地面に横たわって温熱欲をする人の姿もなくなっていました。
この日は後生掛温泉に泊まりました。

今回は2泊の予定です。
冬期間は玉川温泉自体は休業中で、近くの新玉川温泉に泊まることになります。
新玉川温泉は、冬期間も営業し、湯治施設はなく、岩盤浴施設が屋内にあるホテルです。
療養型、長期滞在型の玉川温泉旅館を、観光用に一般化した施設になります。

8時40分発のこまちで東京駅から盛岡経由、田沢湖駅まで行きます。
ここから12時30分発の羽後交通路線バスで新玉川温泉に向かいます。
1470円、ほぼ満席でした。

田沢湖町の集落をバスは抜けてゆきます。
玉川ダムのあたりで国道が冬期間一般車両通行止めになります。
国道を管理する車両が先導する後に着いてバスが行きます。
両側には雪の壁が残っています。
約1時間後にホテルに着きました。
路線バスはこれが最終便です。

東京・田沢湖駅間の新幹線こまちの切符
雪の田沢湖駅に到着
田沢湖の神様竜が迎えてくれる田沢湖駅ホーム
駅前の停留場から冨居交通路線バス・新玉川温泉行を待つ
路線バスの車中より。雪の壁が見えてきた
新玉川温泉ホテルに到着
玄関前にはかまくらも

ホテルでは路線バスのほか、2台ほどのツアーバスが到着し、チェックインで混雑しました。
ウエルカムドリンクをいただきながら、岩盤浴や夕食時間の予約などを行います。

部屋で一休みし、さっそく久しぶりの玉川温泉を味わいます。
浴室に入る時の木の匂いが本物っぽくて最高です。
浴槽は木製です。
ぬる湯、熱湯のほか、箱湯、かけ湯、歩行湯、露天湯などもあり飲用もできます。
源泉の味は酸っぱすぎて、水で割らなければ飲めません。
浴室には時計が掛かっており、長湯しないように気を付けて入ることができます。

浴室、岩盤浴室をイメージできるパンフレット

夕食はバイキング。
天ぷらや、タラ鍋の出来立てを供するコーナーのほか、セルフ豚しゃぶ、稲庭うどん、きりたんぽ鍋、しょっつる汁、いぶりがっこなどの地元料理が好きなだけ食べられます。
ご飯はあきたこまちです。
ドリンクコーナーでは別料金(チェックアウト時に精算)で生ビールや地酒を注文できます。

食堂の様子
2日目朝の朝食
デトックスウオーターは山小舎おばさんに好評
朝食には岩泉ヨーグルトも

翌日も一日温泉三昧。
岩盤浴もしました。
温泉効果なのか、体が軽くなり、山小舎おばさんなどは体が柔軟になりました。
その日の夕食はさらにおいしくいただけました。

3日目は10時チェックアウト。
再度入湯し、11時10分の路線バスで田沢湖駅に着きました。
駅前の土産物屋で蕎麦の昼食、これもおいしかった。

ホテル前の雪上車仕様の車両
路線バスの乗って帰る
田沢湖駅前のそば

大満足の玉川温泉の旅でした。

「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集より 緑魔子の「おんな番外地」シリーズ

ラピュタ阿佐ヶ谷で上映中の「OIZUMI東映現代劇の潮流2024」特集で、緑魔子が1965年から66年にかけて主演した「おんな番外地」シリーズ全3作品中の2作品が上映されたので駆け付けた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

上映されたのは、シリーズ1作目の「おんな番外地・鎖の牝犬」(1965年 村山新治監督)と、2作目の「続おんな番外地」(1966年 小西通雄監督)の2本。
緑魔子が「二匹の牝犬」(1964年 渡辺祐介監督)でデヴューしてからわずか2年間の間に、東映で出演作を連発していた頃の、デヴュー以来十数本目の出演作である。

緑魔子は、モノクロの併映作品でのはあるが主役での起用が続いた。
出演作品のポスターやプレスシートには、今では死語の「魔子ムード」なる言葉が踊っている。
「おんな番外地」シリーズでは、キャストクレジットに単独トップで登場、堂々の一枚看板である。

「おんな番外地」シリーズの監督は村山新治と小西通雄。

村山は1922年、長野県の屋代町出身。
芸術映画社というところで記録映画に携わり、1950年に東映大泉撮影所の前身の大泉映画に入社。
東映発足後は今井正などの助監督に付き、1957「警視庁物語 上野発五時三十五分発」で劇映画監督デヴュー。
以降「警視庁物語」シリーズなどで記録映画的手法により一つの世界を作り上げた。

小西は1930年岡山生まれ。
1954年東映入社、大泉撮影所に配属、1期上に深作欣二。
1962年「東京丸の内」で監督昇進。
「警視庁物語」や「おんな番外地」などのシリーズものを手掛ける。
その後はテレビに活動の主軸を移す。

村山と小西は東映大泉の監督として、主に併映用の現代劇を撮り続けた。
当時の東映は、京都撮影所で製作される時代劇をメインとし、モノクロの現代劇との2本立てで番組を編成。
時代劇スターの人気などにより、邦画会社中トップの観客動員を誇っていた。
一時は第二東映という別系統での作品配給も行ったほどで、そのために製作本数も倍増し、製作現場は多忙を極めた。

そのことは必ずしも粗製乱造の結果とならず、むしろ製作現場に活力を生み、数々のプログラムピクチャーの傑作を生みだしたともいえる。
量産体制は新人監督のデヴューを促し、とくに大泉撮影所製作の現代劇では、小予算の個性的作品が相次いだ。
その担い手が「警視庁物語」の村山新治であり、小林恒夫、飯塚増一、島津昇一、深作欣二、佐藤純也らである。
他社から移籍してきた関川秀雄、家城巳代治、瀬川昌治、石井輝男、渡辺祐介らの活躍もこの時期ならではのことだった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の「OIZUMI特集」では、東映の量産時代の副産物ともいえる、個性あふれる現代劇の世界に触れることができた。

「おんな番外地・鎖の牝犬」  1965年  村山新治監督  東映

緑魔子のアップの写真に「魔子ムード」のキャッチコピーが踊るオリジナルポスター。

「二匹の牝犬」でデヴューし、梅宮辰夫の「夜の青春」シリーズなどの出演が続いていた緑魔子が、モノクロの併映用作品ながら堂々の一枚看板で主役を張る「おんな番外地」シリーズの第一作だ。

「魔子ムード」のキャッチコピーが踊るオリジナルポスター

舞台は女子刑務所。
だました男(梅宮辰夫)を刺し殺し8年の刑で入獄する主人公(緑魔子)。

囚人に理解がある部長(荒木道子)と無表情でサデステックな担当刑務官(中北千枝子)が待ち受ける刑務所。
雑居胞仲間には、ベテランスリの若水ヤエ子を中心に、刑務所が養老院代わりの浦部灸子、売春あっせんで捕まった清川玉枝、顔にあざがあり小児まひが残る終身犯の原知佐子、売春犯の春川ますみ、らが揃う。

それぞれ癖が強烈で、つまりは「芝居がうまい」女囚役の中に入ると、若い緑魔子は育ちのいいお嬢様にみえる(実際そうなのだろう)のが、おかしいやら楽しいやら。

女囚役でも地でやっているようにみえる、浦部、清川、若水もいいが、舞台出身で新東宝スターレットから東宝に移り「黒い画集・あるサラリーマンの証言」(1960年 堀川弘道監督)で小林桂樹を翻弄する若きOLを演じた原知佐子の演技が見もの。
顔にあざがあり、小児まひの後遺症で足が不自由、だました男を家族全員で殺害し終身刑となったレズの女囚を演じる。
不幸に心を閉ざし、最後は自殺してゆく女の暗さと一途さを、原が表現する。

緑魔子は同情的に原と絡む。
終身刑に至る話を聞き、原のともだちになる。
原を排除しようとする囚人たちに同調せず、自分の判断で原を守る。
物語の狂言回しとして、また普遍的価値観の体現者としての緑魔子の存在が示される。

原はこの作品の後、「かも」(1966年)では梅宮辰夫に貢ぐ若くないトルコ嬢役で、また「続おんな番外地」では前作とは別のキャラクターで東映作品に連続出演する。

作品のプレスシートには、「平山妙子の手記」が紹介されている。実在の人物の体験が原案であることがわかる

女囚物の映画に期待するのはエロだが、記録映画出身で「警視庁物語」で名を上げた村山監督にエロは不向き。
唯一のそれらしいシーンは緑魔子が服を脱いで男の刑務所長を挑発する場面だが、緑魔子のハダカはなし。
女囚同士のむせかえるようなオンナの匂いが画面からあふれ出るような場面もない。

むしろ刑務所内の集団生活の淡々とした点描や、コンプレックスを女囚への暴力に転嫁する刑務官の心理描写だったり、人道的な部長だったりが印象に残る。
人生経験豊富で女囚たちを導く部長役の荒木道子が、官僚的口調ではなく、日常会話のような調子で女囚に話しかける演出もいい。

村山監督の演出はわかりやすくすっきりしているが、不良性感度が物足りなくシリーズ2作目以降の降板となったものと思われる。

エロよりは、世の中の不幸と不運が煮詰まったような刑務所の人物像を描き、世の中の不条理を問い詰めようとしたこの作品。
緑魔子はいわば狂言回し的に刑務所という地獄めぐりを案内する。
まだ若く、無味無臭な彼女は、人間臭さの極限のような囚人達そのものを演じるより、状況を虚無的に見る立場の役がふさわしい。

映画のプレスシートによると、実在の女囚の手記が原案だという。

このポスたーにも「火のような魔子ムード」の文字が
ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

「続おんな番外地」 1966年 小西通雄監督  東映

シリーズ第二作の内容は一作目の続き。
持ち前の正義感から、刑務所にとっては反抗的でもあった主人公(緑魔子)は改心し、模範囚として出所する。
「ここへはもう帰ってこないでね」と送り出す人情部長の荒木道子。

刑務所のあっせんで、更生寮に荷をほどき、入獄中に資格を取った美容師の職を探す主人公。
頼りになる保護司役は高橋とよ。

松竹小津組の名物わき役の高橋も、60年代中盤になるとこうして東映に出演していることから、五社協定なるものが少なくともわき役クラスにとっては有名無実化していたのがわかる。
看守役で出ていた中北千枝子も、もとはといえば東宝の女優だ。

オリジナルポスター。「魔子ムードが怪しいエロテイシズムを放つ」のキャッチコピーが

主人公は入獄中のともだちとの約束を果たすべく、その恋人の住所へ赴く、がそれが再びの地獄の始まりだった。
ともだちの恋人(今井健二)はすっかりダニのような男に成り下がっており、現れた主人公にターゲットを絞りどこまでも追いかける。
就職先の美容院に現れ主人公の前科をばらし、職場に居れなくする。
ならばとパトロンを見つけ独立した店までもかぎつけ、パトロンに主人公から手を引かせることまでする。

東映にはこういったダニのような役に向く男優には事欠かないが、高倉健、丘さとみと同期入社の今井健二までもが、二枚目優男の面影を残しながら、この作品でダニ役にイメージチェンジしている。
わざとらしい悪人笑いが痛々しくもあるが、今井健二の悪役人生がここら辺から始まったのか。

「侠骨一代」(1967年 マキノ雅弘監督)で、高倉健の軍隊時代からの相棒役に扮し、兄弟(きょーでぇー)と高倉を呼びながら死んでいった今井の演技を思い出す。

「続おんな番外地」のプレスシートより。「人気最高潮の緑魔子」の表現が

シャバではダニに絡まれ、世間の無理解に翻弄される主人公だが、ムショ仲間と再会したシーンには人情味があふれる。
新宿で職探しの最中に女スリの若水ヤエ子にばったり。
そのまま売春あっせん業の大年増・清川玉枝のおでん屋に連れてゆかれ、最長老・浦部灸子、ストリッパー・春川ますみらと再会する。
ベテラン女優たちが醸し出す猥雑な人間味が画面に溢れる。
ここら辺の描写はは小西監督の持ち味か?

清川に旦那(パトロン)を紹介される主人公。
持つべきものは心の通った友だ。

おでん屋のシーンではヨッパライ演技で盛り上がるベテランたちの端っこで、素で笑って楽しんでいるような緑魔子の表情がある。
緑魔子の人柄を表しているような一場面だった。

女囚物につきもののエロは、公募で集めたという素人を使っての獄中の集団入浴シーンで唐突に描かれる。
会社の要請だったのだろう、1966年の映画としては画期的で直截的なエロ描写だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

若く魅力的な主人公が、出所後も世間の無理解と不条理に遇うというストーリー。
緑魔子は精一杯真面目に生きようとする健気な女性を演じる。
当時の社会では若い独身女性はそれだけで社会的弱者でもあった。

映画は社会的弱者が出合う社会の悪意と不条理を描きたかったのか。
どこにでも現れる今井健二の無理に作った悪人面は不条理そのものだったし、弱者である緑魔子はそれに対抗しようがなかった。

女囚が悪に力で対抗するのは梶芽衣子の「女囚701号さそり」(1972年 伊藤俊也監督)の登場を待たなければならなかった。
奇しくもというべきか必然なのか、「さそり」が生まれたのも東映大泉撮影所であった。

小金井笠森稲荷神社の山桜

小金井市の連雀通りに面して笠森稲荷神社があります。
最寄り駅は西武多摩川線の新小金井駅になるでしょうか。
JR中央線の東小金井駅からも近いといえば近いかもしれません。

連雀通り側からみる笠森稲荷

国際基督教大学の広大なキャンパスの北側の住宅地が連雀通りに面するあたり、赤い鳥居が並んでいるのが見えます。
自転車で散歩していて思わず立ち寄ってしまいました。

赤い鳥居が続く

笠森稲荷神社というお宮です。
赤い鳥居が建ち並ぶトンネルをくぐるとかわいらしい本殿があります。

境内の山桜が満開だというニュースが本殿前に掲示されていました。
狐の人形が奉納されています。
近所から愛されているお宮であることがうかがえます。

ご神木と本殿
賑やかに飾り付けられた本殿
ユニークな「お知らせ」の掲示

幹の太い桜の木が満開の花をつけていました。
これが山桜の木なのでしょう。
桜の花が春の晴天に映えています。

山桜が咲いていた
境内には忠魂碑も

小金井には八重垣稲荷神社というユニークなお宮もあります。
農工大通りに面していて、思わず立ち寄りたくなる雰囲気を持っている神社です。
宮司さんが掲示した案内板に沿って参拝すれば幸福な気持ちになれます。

小金井の稲荷神社、畏るべしです。

多摩川から見える富士山

3月も上旬から中旬にかかるころの休日。
自転車で多摩川サイクリングロードを散歩しました。

調布市内の多摩川の土手から雲をまとった富士山の姿が見えました。

多摩川の土手から雲を従えた富士山が見えました
人出が多い調布市内の多摩川土手

小春日和の多摩川では入り江で釣りをする人、河川敷のグラウンドではソフトボールやサッカーに興じる人が集まっています。
少年野球の試合も行われていました。

多摩川本流から引き込んだ入り江で釣りをする人たち
河川敷での少年野球の試合

調布市内を過ぎ、府中に入ります。

少し前まではスポーツバイクの集団が高速で走り回り、事故も散見されたサイクリングロードですが、近年は落ち着いてきたようです。
集団の走りが少なくなり、個人や少数のグループが歩行者やママチャリをケアしながら走っている姿が大半となりました。
ママチャリ側も前方後方を注意しながら端っこを走るようにしています。

府中市内に入って。多摩川の青い流れ
サイクリングロード上に描かれた「標識」

府中の是政橋付近には、是政の渡し船があったところです。
是政村と対岸の大丸村を結ぶ渡し船があったそうです。

ここを過ぎると府中郷土の森のバーべキュー場が河川敷に現れます。
絶好のバーベキュー日和、テントが並びコンロから煙が上がっています。
春本番も近い風景です。

是政渡しの碑
府中郷土の森近くのバーべキュー場

本日のママチャリツアーon多摩川サイクリングロードはここまで。
郷土の森で下道に下り、府中市内を通って帰りました。