年の瀬の信州  茅野

茅野駅周辺で、「年の瀬」を探しました。

茅野駅とつながっている商業ビル・ベルビアのホールには巨大なクリスマスツリーが立っています。
12月も中旬を迎え、ツリーの足元にデコレーション?が施されていました。

ベルビアのロビーの巨大なツリーとデコレーション
ベルビアの駅通路入り口。メリークリスマス!

最初はイエス生誕のベツレヘムの風景でも模したのかな?と思いましたが、そうではないようです。

今度はベルビアと反対側の茅野駅東口へ行ってみました。

駅の外へ出て、SLがおいてあるあたりを見ると、立木にイルミネーションが施されているのが見えました。
駅周辺の年末の「映え」スポットのようです。
昼間なのが残念です。

東口広場のイルミネーション

更にポスターにつられて市民会館へ行ってみると、ホールの片隅にクリスマスツリーのデコレーションがありました。
観る人もいなくがらんとしたホールが寂しかったですが。

会館内のレストランは食事やお茶をたしなむ地元マダムたちで賑わっていました。

駅の連絡通路でポスターを発見
市民会館のロビーに飾られたツリー
市民会館の通路には子供が作った三角帽子も

茅野にも静かに年末がやってきます。
メリークリスマス!

師走の茅野駅ホーム。はるか向こうに八ヶ岳

信州ソウルフード放浪記VOL.36 茅野市北山イリセンの生寒天

山小屋から白樺湖を横に見て茅野のまちへ下りる途中に、北山という地区があります。
北山地区は大門街道沿いに集落が並び、背後に田んぼが広がる茅野市の郊外です。

北山地区の湯川集落を大門街道から少し入ったところに寒天工場イリセンがあります。

有限会社イリセンの販売棟全景

何年か前、トコロテン状に突いた生寒天を食べていっぺんにファンになりました。
夏だったので、キューリやトマトをのっけて酢醤油をかけ冷やしラーメンのようにして食べたのですが、その美味しいこと。
それ以降、場所を聞いて工場を訪ねること数回になります。

工場では、まだ若い経営者が人懐っこく対応してくれます。
ホームページを立ち上げ、ネット販売を手掛けている今どきの経営者です。

直売コーナーには、テレビの「昼飯旅・あなたのご飯見せてください」に経営者が出演したときの写真が飾ってあり、南海キャンデイーズのしずちゃんが旅人で映っていました。
番組はヤラセなしなの?と聞くと、「ヤラセです」と答えてくれました。

直売所入り口

経営者によると「寒天の生産は全国で茅野地区のみ。冬場に全量を生産し、干して出荷していた。いまでは生寒天を随時作って売っているが主に冬場に生産するのは変わっていない。北山は水がよく冬は寒いので寒天の生産に向いている。」とのこと。
話し始めれば止まりません。

直売所内部

山小屋おばさんも生寒天のファンなので、来訪に合わせて2本買いました。
1本はトコロテン用に突いてもらいました。

棒寒天はサイコロ状に切って、果実のコンポートと合わせ、アイスクリームなり黒蜜なり、あんこなりを添えたデザートにします。
トコロテンはやはり酢醤油で食べるのが一番です。

生寒天(棒)220円
トコロテン状に突いてもらった生寒天

寒天工場は茅野駅の向こう側が「本場」で、寒天蔵が残っていたりします。
ここでも生寒天は売っています。
また、スーパーでも袋に入った生寒天が手に入ります。

しかしながらスーパーの生寒天は美味しくありません。
また、茅野駅近くの工場の生寒天は美味しいのですが場所が遠いのです。
山小舎の近くに美味しい寒天工場があるのはラッキーです。

田んぼの向こうに車山高原を望む北山地区
干しリンゴの生産も始めていた

山小屋大掃除

年末です。
山小舎の大掃除をしています。

今年は特に、台所周りになぜか関心があります。

まずは食器棚などの上に溢れる食品類の整理です。
ついでにトースターの内部を洗います。

レンジやトースターの上に積み重ねられた食料類を下ろす
トースター内部を初めて洗う
食器棚をずらし壁と床を拭く。ついでに食器棚内部を清掃、整理

取り出した食品類は種類別に整理し直します。
缶詰類、調味料、主食、非常食、開封済みのもの、などなど。
寒い季節なので、食料保存用の部屋(主食、野菜、瓶詰類、漬物などの貯蔵部屋)を大いに利用します。

分類し直した食品を収納
食料貯蔵室もおおいに利用

鍋釜、調理器具などが収まっている、流し台の下や引き出しなどもこの際きれいにします。
引き出しそのものも洗ったり拭いてから、新しく新聞紙などを敷き、調理器具などを収め直します。
使わない鍋釜や調理器具を廃棄します。

流し台下の収納も一度取り出す
調理器具収納引き出し自体を洗う
食器収納ケースも洗う
必要な調理器具を再収納

ついでに台所の上の部分をきれいにします。
上の部分とは、冷蔵庫や食器棚の天板、鴨居の上などです。

家族が来訪する際に室内で炭火焼きをすることが恒例となっている山小舎は、特に台所付近が油の煙で汚れています。
汚れがきつい部分は、重曹をつけたたわしでこすり、雑巾で拭き上げます。
埃が多いと先に科学雑巾で拭きます。

長市場部の棚も洗う
鴨居の上を、科学雑巾と重曹で拭く
冷蔵庫と食器棚の天板を拭く

先代オーナー時代の備品が豊富な山小舎では、大掃除の旅に廃棄物が出ます。
燃やせるものは燃やし、プラスチック類、金属類は分別して捨てます。

この後は、流し、レンジ回りなどを洗って、台所の掃除は終了です。

使う道具は科学雑巾、たわし、布雑巾。
材料は重曹、EM菌溶液です。

なお、重曹は油汚れはよく落ちますが、洗い残しが白くなることがあるので、よくふき取ることが肝心です。
EM菌は少しの間匂いが残ることがありますが、トイレや残飯などに効果絶大です。

「豹は走った」と西村潔

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集「ニュープリント大作戦」で「豹は走った」が上映された。

当日のラピュタ阿佐ヶ谷の上映案内より

「豹は走った」 1970年  西村潔監督  東宝

東宝ニューアクションと呼ばれた作品群のエース監督だった西村潔監督のデヴュー第3作。
主演は加山雄三と田宮二郎、ヒロインに加賀まりこを起用した、1970年の作品。
前年に「死ぬにはまだ早い」で監督デヴューしたばかりの西村がメガホンを取り、脚本には長野洋と石松愛弘。

「若大将」を卒業し、今後を模索中の加山と、大映で育った田宮、松竹育ちの加賀というキャステイングが異色ならば、脚本の石松も大映育ちで、東宝には珍しい混合チームによる作品。
折から、大映が倒産し、日活もロマンポルノ路線に移行直前の、いわば映画界の斜陽化が待ったなしの時代。
阪急資本をバックとし、保有する劇場群の上りが堅調とはいえ、ヒット作に乏しかった映画会社東宝の試行錯誤がうかがえる企画。

ラピュタ阿佐ヶ谷のホールに貼られたポスター

形式上刑事職を辞職して某国大統領の護衛を命じられる加山(:シェパード)。
必要なら事前に発砲することも許される秘密任務だ。
片や正体不明の殺し屋・田宮(:ジャガー)が大統領を狙う。
二人が死力を尽くしてやり合う。
バンバン発砲し合う「乾いた」銃撃シーンが、洋画のアクション映画のよう。

動機や理由の説明描写を省いて、純粋なアクションに徹した西村演出が新感覚。
これぞ東宝ニューアクション。
加山が武器を選ぶ時の警察署内の武器庫に並んだ特殊な拳銃たちと、それを専門的に説明する武器係のオタクっぽさも映画的に、いい。

大統領暗殺のためにジャガーを雇ったのは総合商社の会長(中村伸郎)。
大統領が死んだら現地の革命勢力と結託し、万が一生き残っても現勢力と「ソデノシタ」関係を継続、と「金がすべて」の資本主義の権化・日本商社が黒幕だった、という意外性。
小津作品のエリート紳士が定番だった中村が演じる商社マンは、いつもの飄々とした演技で「商社の怖さ」を表現する。
大手商社に象徴される営利活動はその極限に於いて、道徳性なり信義性とは無関係に、人命ですら尊重されずに、社会にの裏の機能を駆使して行われるものだ、という怖さ。

この作品が日本映画らしさを越えて「ハードボイルド」なのは、クールな脚本だけではなく、加山をそれらしく(秘密任務の刑事役は適役)演出し、スピーデイーなカッテイングでまとめた西村監督の手腕によるもの。

田宮二郎は、大映時代の「悪名シリーズ」モートルの貞、や「犬シリーズ」の勢いと調子のいいチンピラ役、があまりにはまり役だったこともあり、出てくるだけで大映カラー(背後に永田雅一と勝新太郎と大阪新世界の匂い)が立ち込めてしまうが、それも田宮のカラー。

加賀まりこはデヴュー当時の「妖精系不思議ちゃん」キャラから脱皮し、商社の裏活動にタッチする大人の秘書役をこなし、存在感をみせていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

ほかの西村潔監督作品について

「白昼の襲撃」(1970年)

西村監督の第2作目。
主演の黒沢敏男のチンピラぶりがよかった。

相手役の高橋紀子は東宝青春スター候補の一人だったが、この作品では盛り場で黒沢にナンパされ、転落の道に落ちる「軽い」が最後まで黒沢を信じ、ついてゆくヒロインを演じる。
アメリカ映画のフィルムノワールのヒロインのように、汚れながらも懸命に、自滅する主人公についてゆく姿が泣かせた。
彼らが絡むやくざの代貸し役で岸田森が怪演。
テンポよくクールな西村演出がますます冴える。

「ヘアピンサーカス」(1972年)

首都高を突っ走るスポーツカーの主観映像がタイトルバック。
映画はその後も、まるで16ミリカメラで撮ったドキュメンタリーのような映像でひたすらカーアクションを追求する。
CGではなく、全部が実写。

主役は現役カーレーサーの見崎清志という人。
ヒロインの江夏夕子くらいが名の知れた俳優の、若い走り屋たちのクールでドライな青春物語。

ドラマ性に乏しく、まったく東宝映画らしくないこの作品の制作動機は、五木寛之原作だからなのか。
ジャズを取り入れたところも西村監督らしい。  

「薔薇の標的」(1972年)

もみあげを長くした加山雄三がスナイパーを演じる。
トビー門口をガンアクション監修に起用、ガンとガンアクションへの西村監督のこだわりがうかがえる。
ほかはあまり記憶にない。

「黄金のパートナー」(1979年)

2本立ての添え物として作られた作品。

西村監督は極めてリラックスして撮っている。
監督のリラックスは役者にも伝わり、三浦友和、藤竜也の主演二人のリラックスぶりはすごい。

揺れる手持ちカメラの前で、雑談のようにセリフを交わす主演二人。
三浦友和ってこんなに自然な演技ができるのか、と見直したほど。

警察官役の藤竜也が白バイで、ヨットに暮らす三浦友和のところへやってきて軽いノリで延々とだべる場面が続く。
そのうちに「映画はこんな風に自由に作っていいものなんだ」と、見ている観客は心地よくなる。

途中でサスペンスが少々混じるが、「冒険者たち」のように、男二人にヒロイン(紺野美沙子)を交えた海洋ロマン。
西村監督の得意分野が、車、ジャズ、ガンのほかにダイビングだということがわかる。
この作品を見て西村監督が強烈に印象付けられた。

年の瀬の信州  丸子

上田市丸子地区の直売所・あさつゆに、しめ縄の特設売り場ができていました。

直売所あさつゆの特設会場外観

あさつゆの本体とは別棟のビニールハウス(春には野菜の苗売り場になります)に紅白幕の飾りつけ。
田舎に於いてはこの紅白幕というシロモノ、おめでたい時やハレの場に出現するもので、地元にとってはお祭り感を演出する際に欠かせないもの。

紅白幕は、都市部でもかつては花見の席などに張り巡らされていましたね。
日本人に特別感を抱かせる伝統的なツールなのでしょう。

たまたまあさつゆに立ち寄った山小舎おじさんも、当然のように吸い寄せられるほどの磁力と特別感を、紅白幕は醸し出しておりました。

特設会場の入り口にも工夫が

会場に入ってみると、予想通りというか予想以上の品ぞろえ。
街のホームセンターや年の市などでは太刀打ちできないほどの季節感が、広めのビニールハウス内に炸裂しておりました。

レジのおばさんに断って会場内を撮影。壮観だ

レジのおばさんに聞けば「農家さんが冬は暇だから作ったものです。年配の人のみならず、移住し新規就農して3年目くらいの人も出してます」とのこと。

自宅用にしめ飾りを購入

嬉しい話です。
決してまだまだ「過疎」とはいえない町場の丸子地区。
上田と合併したとはいえ、県立高校(かつての丸子実業、現在の丸子修学館)もある地域の中心です。

「丸子にも移住者がいて就農しているのか」。
高齢化して空き家は多いだろうけど。

季節感を大切にしたいと、自宅の分と山小屋の分のしめ飾りを買った山小舎おじさんでした。

茅野駅とつながった商業ビル・ベルビアのホールにはクリスマスツリーが出現

信州ソウルフード放浪記VOL.35 真田「駅前食堂」のポッポ屋定食

上田市真田地区にある「駅前食堂」へ行ってきました。

真田地区(旧真田町)は、菅平方面への街道沿いにあり、名前の通り真田一族の発祥の地です。
上田城に拠点を移す前の真田氏の居城がここにありました。
上田の町を見下ろし、その昔、真田氏が沼田城へと進軍した、群馬へと通ずる街道沿いの要衝でもあります。

かつては上田駅から上田電鉄という私鉄が、別所温泉、丸子、真田の各方向に延びており、真田町にも駅がありました。
現在の国道144号線、荒井交差点付近が旧真田町の中心部だったようで、現在は幸村夢工房という観光物産施設が付近にあります。
このあたりに真田駅があって、「駅前食堂」という名の食堂が今も残っています。

真田地区の駅前食堂

平日のお昼時に「駅前食堂」に寄ってみました。
食堂前の駐車スペースがすでにいっぱいです。

玄関を開けると、活気ある食堂の光景が目に飛び込んできます。
ホール係のおかみさんが直ちにカウンター席を指示して水を置いてくれます。
失礼ながら、信州の食堂には似つかわしくないほどの客あしらいの速さです。

地元の人も軽トラで駆け付ける「駅前食堂」。地酒「亀齢」の看板が掛かっている

改めて店内を見回すと、テーブル席が人数にして20人分くらいあり、奥には座敷が15人分くらい。
席の半分くらいがすでに埋っており、客数は20人くらいが食事中です。
作業服や背広姿の客、地元風の客がほとんどです。
これまた失礼ながら、想像していた「寂れた食堂」の光景とは比べ物にならないくらいの活気にあふれています。
それも今では貴重な「昭和の食堂」の雰囲気溢れる活気です。

メニュー表の一番上に載っているポッポ屋定食を頼みます。
ラーメンにもつ煮とライスが付いたセットのようです。

ラーメンは昔ながらのあっさり系、もつ煮も凝った味ではありません。
見かけよりも量が多く、満腹になります。
ラーメンは伝統的なしょうゆ味とはいいながら、家庭で作る生ラーメンとは一味違う食堂の味がします。
もつ煮も、もつが柔らかくこれまたプロが煮込んだ味がします。

ポッポ屋定食。真田線にちなんだネーミングか

夜は飲みもできるようで、一升瓶の焼酎がボトルキープされていました。
カウンターから垣間見えるキッチンは広めで、若めのお兄さんが忙しそうに働いていました。
ホール係の二人のおばさんもクルクルと動き回っています。

次から次へと来店する客の注文を聞いていると、カツ関係やカレー、ラーメン大盛、ポッポ屋定食などが多く聞こえます。

熱々のメニューがたっぷりの量で出てくる食堂は、働く人、地元の人にとって貴重な場所です。
店内の活気とともに長く残ってほしいものです。

信州ソウルフード放浪記VOL.34 伊那市「門」のソースカツ丼

伊那市、駒ケ根市はソースカツ丼が美味しいので有名です。
分厚く、柔らかい豚のカツが甘いソースをまとい、キャベツが敷かれたどんぶり飯の上に乗っかって出されるのが一般的です。
どんぶりの蓋は、カツのボリュームを押さえきれず、浮いています。

伊那市には、ソースカツ丼の有名店が何店かあります。
肉屋さんが経営する「たけだ」、駅近くの「田村食堂」などには山小舎おじさんも行きました。
山小舎おばさんをはじめ、うちの一家は「たけだ」のソースカツ丼が好きです。

今回は、伊那市の駅前商店街の地下にある「門」という店でソースカツ丼をいただきました。

伊那市の駅近く、飯田線と並行してアーケード街があります。
近年の地方都市の例にもれず、歩く人の姿とてごく少ない商店街で、シャッターの下りた店も少なくありません。
山小舎おじさんが伊那市を訪れるようになってからでも、スーパーや土産物屋などがシャッターを下ろしたままの姿を見せている「シャッター街」です。

伊那市駅前の商店街

うっかりすると通り過ぎてしまうほどさりげなく「門」の入り口があります。
階段で降りてゆくと入り口があります。

表通りの人気のなさが嘘のように、昼時の店内は満席に近い活況でした。
カウンターに案内されます。

細長い店内にはテーブル席が並び、反対側には3席ほどのカウンター席。
カウンター内にはママさんらしき高齢の女性が陣取っています。

夜には食事付きのバーになるのでしょう。
ボトルキープが並んでいます。

食事メニューは洋食から中華、麺類、丼物までそろっています。
ランチ客から、地元の集まり、仕事帰りに一杯のサラリーマン客までをフォローできる態勢です。

「門」の入り口
入り口に掲げられたメニュー

客層は昼休みの食事に来た勤め人が多く、コーヒーで一休み中の人、打ち合わせ中のビジネスマンなどもいます。
入ってくるなり「焼酎お湯割り」とひとこと、どっかりテーブル席に座る高齢の男性の姿も。
店の雰囲気、客層ともに地元感にあふれています。
店のスタッフの心づかいが感じられ、よそ者にとっても居心地がいいです。

山小屋おじさんは「ソースカツ丼・ロース」を頼みました。
サーブしてくれたホール係の婦人に「写真をとってもいいですか」と聞くと、了解してくれた後「蓋にカツを2、3枚取り分けると、ご飯が食べやすくなりますよ」と言ってくれました。
旅のよそ者感丸出しの客へのありがたいアドバイスです。

ソースカツ丼ロース。1400円

期待通りに厚くて柔らかいカツ。
ご飯の量は多すぎず少なすぎず。
味噌汁のダシも効いています。

そしてソースカツ丼のポイントの一つでもあるタレが美味しかったのです。
例えば、伊那市内の有名店「たけだ」のソースカツ丼は自家製のタレが、フルーテイで美味しく飽きが来ないので何度でも食べたくなります。
甘いだけのタレだと飽きてしまいます。
「門」のタレは「たけだ」ほどではありませんが、飽きの来ない味でした。

「門」に入る前に気になっていたことがありました。
表通りの向いには、伊那市に来ると寄る酒屋があります。
希少な酒が入荷すると大きな看板に「秘酒」などと大書して掲げる酒屋で、看板につられて寄ってみると、なるほど空気に触れないで絞ったという真澄の限定品などがあったりします。
地元伊那地方の銘柄では、辰野町小野地区の「夜明け前」がおすすめとのことでした。

この酒屋が閉まっていたので気になって、「門」のカウンター内のママさんに聞いてみました。
ママさんの年季の入った顔に比べると気さくな返答が返ってきて「店主がケガして閉めた」とのことでした。
ホール係の婦人も加わってきて、このネタで話が盛り上がりそうな勢いでしたが、仕事の邪魔をしてはいけないと思い会計を済ませて外へ出ました。

伊那での新しい居場所ができたような「門」でのひと時でした。

伊那に来たらこれを見ないと!商店街の一角に掲げられた金言
伊那へ行く途中の杖突峠で野生の猿に遭遇。ガードレール下にいる

薪を積み替え

冬を前に薪の積み替えをしました。
外に積んであって乾いた薪をベランダに持ってきたのです。

雪が積もってからは手許に近く薪がないと不便なのです。
また、雪が降ってからでは外の薪の積み替えは困難なのです。
今が積み替えの追い込みの時期なのです。

去年の秋に積んだ薪があります。
これをベランダに持ってくることにします。

去年の秋に積み込んだ薪台

この薪台とベランダが離れており、また一度に大量の薪を運んで効率よくやりたいので、軽トラを使います。
薪台に軽トラの荷台をつけて、荷台に薪を放り込みます。

軽トラの荷台を着ける
薪を荷台に放り込む

ベランダになるべく近く、軽トラをバックで着けてあとは手作業で運びます。

ベランダに軽トラの荷台を着けて手作業で運ぶ

ベランダを薪で一杯にしてもワンシーズンで使い切ります。
12月中旬から翌3月中旬までは山小舎にいないにしてはよく消費します。

女優パトリシア・ニール その3 演技派時代

パトリシア・ニールは舞台女優としてその女優生涯を終えた(2010年84歳で没)。

21歳の時、ワーナーブラザースと契約してハリウッドデヴューもヒット作がなく、また当時のハリウッドが望む女優像に沿ってはパトリシアの特質を生かせず、評論家には受けても、大衆とハリウッドプロデューサー達に爆発的人気がなかった。
契約から4年後、パトリシアはワーナーとの契約を解除された。

それでもパトリシアにハリウッドでの需要はあった。
エイジェントが20世紀フォックスでの3本の出演契約を取った。

「地球の静止する日」(1951年)、「ステキなパパの作り方」(1951年 フォックスから他社への貸出出演)、「国務省の密使」(1952年)がフォックス時代の作品となる。
同時にホームグラウンドであるブロードウエイでの舞台出演も続けていた。

パトリシア・ニールの自伝「真実」によると、1951年には愛人ゲーリー・クーパーとの間で妊娠し、堕胎する結果となった。

クーパーとの恋愛は公然の事実化し「さすがに面と向かって批判されることはなかったものの、パーテイでそれとなく無視されるぐらいでは済まなくなった」(自伝「真実」より)

また、ハリウッドを襲った「赤狩り」では、クーパーもマッカーシー上院議員の聴聞会に召喚された。
クーパー主演の「真昼の決闘」(1951年)の脚本家カール・フォアマンの反米的姿勢を糾弾するために、クーパーから「友好的な」証言を得るのが聴聞会の目的だった。
自伝では、パトリシアは事前にクーパーに対し、フォアマンを擁護するように懇願したという。
クーパーはパトリシアとの約束を守り、ためにその後、ヘッダ・ホッパーら反動ゴシップ家から筆誅を加えられた。

「地球の静止する日」 1951年  ロバート・ワイズ監督  20世紀フォックス  DVD

パトリシア・ニールはこの作品について、自伝でいう「少しも気乗りがしなかったけれど、せっかくフォックス入りしたのに仕事がないというのでは格好がつかない。監督はロバート・ワイズ、これまでも私には親切な人だった。彼はこの映画に自信を持っていて、私の出演を希望したのだった。承知してよかったと、私は今思っている。」と。

「しかし白状すれば、撮影中、まじめくさった顔をしているのが難しい時もあった。くすくす笑い出しそうになるのをわたしが唇をかんでこらえていると、マイケル(・レニー:宇宙人役)も同じように我慢していて、やがて、いかにもイギリス人らしい慎み深い口調で、あなたはそういう風に演じたいというわけですか、と言ったものだった。」とも。

知り合いだったヒュー・マーロー(愛人役)や、新しく友達になったマイケル・レニー(UFOから降り立った宇宙人役)らとフレンドリーな撮影期間を楽しんでいたパトリシアの様子が生き生きと伝わってくる。

作品はロバート・ワイズ初期の意欲作。
突如ワシントンに降り立ったUFOから宇宙人とロボットが降り立ち、地球人に警告する「地球人同士の争いには不干渉だが、核をもてあそぶことには、宇宙に影響するので強く反対する」と。
地球人はこの警告に対し、「政治」は対処できず、「英知」の象徴である科学者は世界規模で集まったものの、「政治」に干渉され、結局、警告を残したまま宇宙人は去る。

映画の一場面。ロボットに円盤内部に連れ込まれる

SFに仮託した「政治」の狭量ぶりが描かれる。
群集は着陸したUFOの間近に集まり、見物し、宇宙人に親しみさえ感じる。
が、いったん軍隊との間に暴力的接触があると途端に手のひらを返し、むやみに宇宙人を恐怖の対象として排除する。
ポピュリズムと群集心理の恐怖だ。

DVDパッケージ。写真はラスト近く円盤からロボット、宇宙人とともに出てくる場面

映画のタッチは、スリラーを強調したものではなく、当時のアメリカ社会のおおらかなのんびりムードを基調にしたもので、ロバート・ワイズ監督の個性が現れている。
何よりパトリシア・ニールが、彼女のそれまでの映画出演の堅苦しさが嘘のように、生き生きと動いている。

髪の毛の色はワーナー時代後期に染めたブルネットで短髪のまま。
戦争未亡人で10歳ほどの息子を持つ活発な婦人役がよく似合う。
宇宙人の、正論で高邁な考えに同調し、世俗的な反応の愛人と訣別して行動する役柄でもある。

パトリシア・ニールにはハリウッド映画の「架空のお姫様」役より、子供の世話をしたりオフィスでテキパキと働く、行動的で現実的な女性の方がずっと似合う。

この後の「ステキなパパの作り方」(1951年 ダグラス・サーク監督)はウイキペデイアのフィルモグラフィーにも載っていない作品。
少し前にシネマヴェーラで見ることができた。

自伝には「フォックスからの他社出演で、ユニバーサルの軽いコメデイーに出演した。どうということもない映画だったが、ヴァン・ヘフリンと仕事をするのは楽しかった。私は彼が大好きだった。」とある。

「地球の静止する日」に続くコブ付き未亡人役のパトリシアは、この作品でも男の児2人の面倒を見ながらクルクルよく動きしゃべる母親役を気持ちよさそうに演じており、その芸達者ぶりは見ている方も楽しくなる。

以前に本ブログでも書いたが、一人の子供の役名が「ゲーリー」。
ハリウッド得意の楽屋落ちというか、脚本家の遊びというか、自虐ネタである。
渦中の愛人の名前を、たびたび大声で叫ばなければならない彼女の心中やいかに。
「プロ」だから平気なのか。

撮影中、セットにゲーリー・クーパーがたびたびパトリシアを訪ねてきたという。

このころ、セルズニックとジェニファー・ジョーンズ主宰の大パーテイに二人別々に招待された。
ゲーリーとパトリシアが連れ立って入ってゆくと、女達はさっと目をそらしたという。

二人はやがてすれ違い、別れることになるのだった。

「ハッド」 1963年  マーテイン・リット監督  パラマウント  DVD

ゲーリー・クーパーと別れたパトリシア・ニールは、イギリス人の児童文学者、ロアルド・ダールと結婚した。
最後まで「愛したことのない」(自伝「真実」より)人との結婚だった。

映画界とも離れたパトリシアはブロードウエイの舞台に復帰した。
「自分でも誇りに思える仕事がしたかった。家庭が欲しかった。自尊心も欲しかった。」(自伝「真実」より)。

結婚し、長女が生まれ、映画にも「群衆の中の一つの顔」(1956年 エリア・カザン監督)で本格復帰した。
「ハリウッドに見切りをつけ、ハリウッドは私に見切りをつけていると思っていた」(自伝「真実」より)矢先のこと。
ニューヨークアクターズスタジオ時代からの盟友カザンからのオファーだった。
二人目の子供(次女)がおなかにいるときの撮影だったが、「また映画の仕事ができたことは満足だった」(自伝「真実」より)。
「群衆の中の一つの顔」は彼女の代表作の一つになる。

「群衆の中の一つの顔」より。「ガッジ」とはエリア・カザンの愛称

「ハッド」もまた、アクターズスタジオ時代の仲間、マーテイン・リットからのオファーで始まった。
パトリシアには次女、長男が生まれ、不幸にも長女を風疹で.亡くし、長男もまた自動車事故で頭に重傷を負い手術を繰り返している頃だった。

「ハッド」について、パトリシアは、「マーティーと仕事ができるのがうれしかった。監督の要求には何でも応えればいいのだと思ったのは、エリア・カザンと組んで以来のことだった」と自伝で述べている。

最初のラッシュを見たリット監督がパトリシアに「君が鍋を扱っているのを見た瞬間にだね、これはいい、君は台所の勝手がわかっている女だと思ったね」と言ったという。

このエピソードを読んで、戦前生まれの日本女優の茶碗を洗うシーンを思い出した。
「須崎パラダイス赤信号」(1956年)の新珠三千代(1930年生まれ)は、流れ着いた飲み屋に住みこもうと、店の洗い場で茶碗を洗い始めるシーンでその手ばやさを見せた。
「いかなる星のもとに」(1962年)の山本富士子(1931年生まれ)は、出かける前にさっさとお茶漬けを食べた後、一連の動作のように茶碗を洗って片づけていた。
二人とも普段から茶碗洗いなど台所仕事に慣れており、また当時の日本女性には当たり前の動作であることがうかがえた。
パトリシア・ニールも、国は違うとはいえほぼ同年代に生まれ育った女性だった。

「ハッド」の一場面

牧場主(メルビン・ダグラス)と、不肖の次男ハッド(ポール・ニューマン)、死んだ長男の息子ロン(ブランドン・デ・ワイルド)、住み込みの家政婦アルマ(パトリシア・ニール)が暮らす西部の田舎町。
口蹄疫が広まり、牧場経営が音を立てて崩れてゆく。

親からは疎まれているハッドだが、甥っ子のロンはハッドに憧れている。
仕事ができ、女に手が早く、親に愛情を持つハッドは、要領がいいというか現代的考えの持ち主。
口蹄疫が発表される前に州外に牛を売れとか、牧場をやめて油田を掘れとか、未亡人との情事に夫が出てくるとロンのせいにして切り抜けるとか、そのたびに昔気質の親にがっかりされる。
21世紀の企業なら当然の倫理志向でもある「新自由主義」的な考えの持ち主のハッド。
一方で、父親からの愛情を求めてすねている。

住民たちの楽しみといえば、バーにたむろし、こっそり他人の女房を寝取ることを除けば、年に何回かやってくるロデオを見たり、住民参加のツイスト大会や豚を捕まえる競争に参加するくらいしかない田舎町。
開拓時代と異なるのは、鉄道が走り、モータリゼーションが普及し、テレビが映り、インデイアン(先住民と呼ばねばなるまい)がいなくなったくらい。

ハッドと正直一本やりの旧世代との断絶。
34歳独身で田舎町に暮らすハッドの、投げやりな性的放縦と年頃のロンにも忍び寄る性的な疼き。
男三人の所帯を切り回す離婚を経験した中年女のアルマが、男たちにとって全女性を代表するかのような存在であること。

やがて解体する家族。
親父は死に、ロンは出てゆき、アルマもまた。
それらを映画は淡々と描写してゆく。

「ハッド」のパトリシア・ニール

薄手のブラウスで下着をすかせながら、あるいは夜のベランダで裸足になりながら。
台所で鍋を扱い、料理をサーブし、朝寝坊のロンのシーツを剥ぎ取りながら、実年齢36歳になったパトリシア・ニールが田舎の男所帯の家政婦を演じる。

牧場の閉鎖とともに夜の長距離バスで町から去ってゆくアルマ。
過去ある女、名もなき女、ながら居場所と尊厳を求めてさ迷うが、実はプライドを秘めた女を見事に演じる。
パトリシア・ニールは、映画で人間の尊厳を表現できる人なのだ。

ポール・ニューマンの「ハスラー」(1961年)という映画があった。
ニューマンが場末のバーで一人の女に声をかける。
女を演じるのはかつてのお姫様役で、この時実齢29歳のパイパー・ローリー。
ニューマンに声をかけられたときの、無理に苦笑いを作るかのような表情。
小児まひで世をすねながら、酒がないと寝られない若くはない女を演じて、忘れられない印象を残す。
パイパーは、お姫様役からのイメチェンのためにアクターズスタジオで演技の勉強をし直して、この役に挑んだという。
彼女の演技への精進は「キャリー」(1976年)での狂信的な母親役での怪(快)演につながってゆく。

「ハッド」のパトリシア・ニールは、ブロードウエイとアクターズスタジオ仕込みの演技力ばかりではなく、実生活の重みがもたらす人間性の深さをにじませながら、アルマという役を演じた。
アルマには、単に人生に疲れ男への期待も失せた中年女の姿だけではなく、それでもなお湧き上がる母性と性的匂いと母性の偉大さ、が立ち込めていた。
インテリでもあるパトリシアの演技は「中年女の汚れ役」とはこういう風に演じるのだよ、と具体的に示してくているかのようだった。

パトリシア・ニールはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞。

その後、第5子の妊娠中に脳卒中を発症。
奇蹟的に回復し、4女も無事誕生。
50歳台になって亡きクーパーの妻、娘と和解。
30年連れ添ったロアルド・ダークと離婚。
の生涯を送ることになる。

菊芋収穫

12月になって菊芋を収穫しました。

掘りたての菊芋

今年は新規植え付けはなし、自然のままにほおっておいた菊芋畑。
取り残しの芋からぐんぐん目が出て、林のようになっていました。
ヤーコンや里芋が伸びない中、夏の猛暑もものとしない菊芋の生命力にはあきれるばかりでした。

花が咲き、茎が枯れ始めても放っておきました。
菊芋は食味がパッとせず、加工方法もイマイチぴんと来ないのです。
栄養があって、直売所でもよく売られてはいるのですが。

収穫前に茎を切っておきました。
草刈り機でなぎ倒していったのですが、菊芋の茎は硬く、強力でした。

茎を切ってしばらくたった菊芋畑

いよいよ12月になって畑じまいが待ったなしになり、渋々ながら菊芋を掘ってみました。
プラスチック製の買い物かごに2箱採れました。

収穫した菊芋の土を落とした後

小さな芋は放っておき、大きなものだけでもこの量です。

貰ってくれるあてはありませんが、土を落とし、陰干しして東京に持って帰る予定です。
東京でいろんな人に菊芋を知ってもらい、利用してもらってファンが現れればうれしいことです。

掘った後の菊芋畑