ピンクテープの効用?玉ねぎ畑に鹿は来ず

一昨日玉ねぎを定植して、鹿よけに効くといわれるピンク色のテープを張った畑に行きました。

鹿は来ていませんでした。

苗は全部無事でした。テープの中には鹿の足跡はありませんでした。
まてよ、畝の周りにでも足跡があるのか?
と思ってみましたが足跡はありませんでした。

ピンクテープの範囲外の苗にも食害がなかったので、鹿は畑に来ていないものと思われます。

今のところ人間側の勝利です。

想像するにピンクのテープを遠望した鹿は、何事かと思いそのエリアを忌避したのではないでしょうか。

まだまだ油断はできませんが、ひとまず、「結界」があっさりと破られることはありませんでした。
ひと安心です。

その安心が、鹿がこの「結界」に慣れ、無視するようになるまでの命でないことを祈ります。
もしそうなると次の手段はネットを張るしかありませんが。

それよりも心配なのはこの畑の日照不足です。

個の畝、地中の体感温度は「冷たい」に近く、苗が果たして順調に育ってくれるかどうか心配になります。

一昨年、無自覚のまま、冬の間日照不足になる場所に玉ねぎを植えましたが、ピンポン玉程度の実にしかなりませんでした。

果たして今年、いや来年の首尾はいかに!

 

令和元年台風19号の爪痕 続々報

台風19号の被害です。
全国ニュースでも流れましたが、上田市内の千曲川沿いの現状です。

上田電鉄の鉄橋が崩落

上田電鉄は上田駅と別所温泉駅を結ぶ私鉄です。
札幌と定山渓温泉を結ぶ定山渓鉄道があったように(とっくに廃線)、弘前と大鰐温泉の間に弘南鉄道があるように、福島から飯坂温泉に向かうには飯坂電車に乗るように・・・。都市とその奥座敷と呼ばれる温泉街の間には私鉄路線が走っていることがよくあります。

上田とその奥座敷・別所温泉の間を結ぶのが上田電鉄。
1920年創業の歴史を誇る私鉄で、かつては青木村との間や、丸子町との間(丸子鉄道と合併後)の路線を持っていたが別所線以外を廃止して現在に至る。
別所温泉への観光客や、路線住民の足として活躍している。

台風19号の被害により、上田市街の千曲川の左岸堤防が削られ、鉄橋の橋げたが崩落した。

一部区間が不通で前線復旧の時期は未定。
体力のないローカル私鉄でもあり、ここはしっかり国の援助によって早急に復旧が待たれる。

これが首都圏、中京圏、関西圏での出来事だったら是が非でも早急な復興に向けて手当てがなされることだろう、と思うのはおじさんだけだろうか?

このショッキングで前途に決して希望をもたらさない風景が果たしてこの先いつまで上田市民の前に晒され続けるのだろう。
それともこれが今の地方の、いや日本の現実なのだと下級国民は心せよと天からのの戒めなのか?
それが下級国民のおじさんのひがみと妄想だったらよいのだが。

上田駅構内の上田電鉄改札口の様子。

鉄橋と平行する橋は運航可能なので代替バスよりを運航中。

上田駅の上田電鉄改札口は閉鎖されている。

しなの鉄道も途中折り返しの運転中

しなの鉄道は軽井沢と篠ノ井(長野市郊外)を結ぶ私鉄。
もともとは、高崎と新潟を結ぶJR信越本線(の一部)です。

北陸新幹線が軽井沢・長野間を通っているとはいえ、本線を私鉄に移管するとはJRも商売に徹しています。
あっ、民営だからしょうがないのか!?

しかも、しなの鉄道に移管した部分以外(高崎・横川間と篠ノ井・新潟間)をその後もJR信越線として継続経営し、横川・軽井沢間を廃線というのもよくわからない。

通勤客などで手堅い経営が望める長野県区間を私鉄に高値で売り、また、横川・軽井沢間の碓氷峠越えの厳しい路線経営から手を引きたかったから、としか思えない。
あっ、民営だからしょうがないのか!?

今回の台風19号で東御市内の千曲川にかかる海野宿橋がしなの鉄道線路上に崩落し、上田・田中間が不通となっている(上田・篠ノ井間と、軽井沢方面は開通している)。

上田駅構内のしなの鉄道改札口の様子。
軽井沢方面の案内板が表示されていないのを除き、上田鉄道の改札口よりはより平常に近い。

いつもと変わらないように見える上田駅前。

果たして本当の復興はいつか。

 

玉ねぎ定植 鹿よ来てみろ!

玉ねぎ定植の時期です。
信州のJAにも苗が店先にデイスプレーされています。
ひと苗11円。
まとめ買いするとお得です。
山小屋おじさんは200株買って1300円ほどでした。

今年の玉ネギの畑は・・・

去年玉ねぎを植えた畑は土石流にやられてしまいました。
日当たりがよい畑でした。

今年の定植予定地は山際の畑なので、今の時期は午後になると日が陰ります。
夏はともかく冬場の地温が低いことが心配されます。

また、その畑は鹿が跋扈する場所で、サツマイモ、カボチャをやられました。
実がなるはるか前にツルのではじめを完璧に食べられて全滅でした。

地温と食害。
野菜にとってハンディキャップが著しい立地となります。

日陰の畑、地温対策は?

おじさんが考えた地温対策は・・・。
マルチング、微生物の利用、もみ殻、です。

まず、面倒くさがらずにマルチを施して物理的に地温を保持します。

次いで、えひめA1を多めに潅水して地中の微生物に活躍してもらい化学的に地温を維持してもらいます。

最後にもみ殻を株の根元に施して、通気性を保持しつつ保温します。

おじさんが考えうる対策のこれが全部です!
結果は来年わかります。

苗定植の実際

苗定植の準備には2日間かけました。

まず、圃場をよく耕します。
雑草の根などが残ると物理的にも科学的にもいいことはありません。
腐った後は栄養になりますが、腐る過程で有害なガスなどが発生します。

次いで酸性土壌を嫌う玉ねぎのために石灰を散布して土壌を中和。
生育に必要な栄養として、牛糞と糠を散布します。

念のために草木灰も散布。
草木灰は植物の万能薬です。
おじさんはプラスアルファの効用を期待してここぞというときに使います。
頼むよ草木灰!

マルチングの前にえひめA1をたっぷり潅水します。

マルチをかけます。
15センチ間隔に穴が開いている玉ねぎ用のマルチです。

3畝にマルチングできました。

苗を取り出します。
苗もあらかじめ、えひめA1の希釈液につけておきます。
苗の葉先はカットします。

指で土に穴をあけ、苗を穴の中に置いてゆきます。

最後にもみ殻を根元に詰め込んで終了です。

おっと、鹿の対策とは・・・

圃場に畝を立てた翌日、畝に鹿の足跡がありました。
ぬかの香りにでも誘われたのか、早速のお出ましです。

苗の葉が奴さんたちの犠牲になることは火を見るよりも明らかです。
ここまでやって鹿のために全滅するのは嫌です。

紐でも張って畝を囲もうかと農協へ向かいました。
農協で相談すると、これがいいよとピンクのテープを勧められました。
新聞記事のコピーとともに店頭でフィーチャーしている商品です。
膝の高さと胸の高さに2段に張るといいそうです。
やってみました。

まず別の畑にまとめてある支柱を採ってきて畝の周りに立てます。

2段にピンクのテープを回しかけます。

おじさん初めての食害対策です。
果たしてその結果は?
野菜作りは手間がかかる仕事です。

 

今年もヤーコン茶?を作ってみる

去年に引き続き、ヤーコン茶づくりにトライしました。

ヤーコン収穫後に立派な葉と茎が残ります。
葉っぱを乾燥させて粉末にするとお茶になるそうです。

去年はネットで見た通りやってみました。
外用のストーブで薪を燃やしお湯を沸かして、葉っぱを茹でました。
茹でたはっぱをストーブ上のフライパンで乾かしつつ一気に炒って砕いて完成です。

お茶にすると苦くて、これはい炒りすぎて焦げたかな?と思いました。
自宅に持ってゆきましたが全く消費されぬまま退蔵されています。
効用は血液サラサラとのことです。

良薬は口に苦し。

今年のヤーコン茶作り

というわけで、ヤーコン茶づくりリベンジ!
焦げなしで!に挑戦です。

今回は工程を簡略化しました。
収穫後の葉を水で洗って一日天日干し。
夏と違い天日だけではカラカラに乾かないので、夕方になるとストーブのそばに置きます。

このままではカラカラにならないので、より直接的にストーブの火でカラカラにしました。

方法は室内ストーブにフライパンをかけフライパンにはザルを乗せておきます。
ザルの乾煎りです。
乾煎りしているザルにヤーコンの葉を広げておきます。

こんな乾燥方法が正式にあるのかどうかは知りませんが、
これが焦げずに結構乾きます。

カラカラに乾いたものを手もみして粉末にします。
ヤーコン茶の完成です。

葉脈や葉の付け根は乾ききらないので除けます。

翌朝、完成後のヤーコン茶を飲んでみました。
に、苦い。
苦いのは焦げのせいではなかったのか?
それとも苦みはヤーコン茶のオリジナルな味なのか!
これは本当にヤーコン茶なのか!?

朝一杯の野草茶は山小屋おじさんの健康習慣ですが、ヤーコン茶は一杯飲みきれませんでした。

良薬は口に苦し?

野草茶の奥深い世界?

南箕輪村の直売所にナスの葉の乾燥粉末が売っていました。何に使うのか。
興味を引きましたが買ってくるには至りませんでした。

帰ってからネットで調べてみましたが、ナスの葉の効用についてはヒットしませんでした。

農家のバイブル月刊「現代農業」のコラムにナスの黒焼きが歯磨きにいい、という話は載っていたような気がしますが・・・。

奥深い野草・野菜の世界です。

ちなみに今年は、ヤーコンのほか、スギナ、ヨモギ、バジル、赤シソ、藍の葉を乾燥粉末にしました。

スギナはお茶代わりに愛飲中。
藍はホットケーキに混ぜて食べました。

来年以降、この世界をもっと勉強したいと思っています。

今年も柿を干しました

家族に大好評の干し柿。
今年も干しました。

今年は渋柿が不作?

季節になると干し柿の原料となる渋柿を探します。

伊那へ行った際、杖突街道沿いの直売所や、南箕輪村の直売所で探しましたが、出品がありませんでした。
今年は渋柿が不作なのか?

いや、丸子の直売所・あさつゆでは渋柿の袋が山積みに売っていました。
立派な縦長のものが5つ入って400円ほど。

渋柿って決して安くはないのねって思いますが干し柿にするとおいしいので4袋購入。

1連5玉で吊るしますから、10個で2連。
2連でワンセット。
ワンセットずつハンガーに吊るします。

大きな柿のほうが干した後も食べ応えのある干し柿になります。

今年も柿を干しました

例年20から30個を一気に処理したため、大騒ぎの干し柿づくりとなりますが、今年は10個ずつ処理することにしました。
これだと午前中の小一時間の作業で済みます。
畑へ行く前の一仕事です。

まず皮をむきます。

剥いた実を軽く洗います。

完熟の実が入っていました。
干し柿にはできませんが、柿酢の材料としては最適ですので冷蔵してとっておきます。

紐で5個ずつ結わえてゆきます。

渋柿は干し柿にすることが前堤で売っていますので、ヘタをこうして残しておいてくれます。
結ぶのに便利です。

結わえたら一度熱湯にくぐらせます。
実の表面の消毒です。
35度の焼酎を噴霧してもいいそうです。

いずれにせよ実の表面が乾くまでに、かびないようにすることが干し柿づくりの肝だと思います。

昼間は天日で干します。

実が生のうちは、夜間や雨天時はストーブのそばに吊るします。

外側が乾いてきたら風通しの良い軒先に吊るします。

ときどきお日様に当てます。

今年も上等な干し柿ができることでしょう。

おじさんの予定では、畑のわきの柿の木の実で作るつもりでしたが、台風19号の水害で柿の木が流されてしまいました。残念です。

台風一過 杖突峠を越えて伊那へ

台風から2週間後のある日。
その日も雨でした。
山小屋おじさんは軽トラで伊那へ向かいました。

杖突峠は通行止め解除

いったん茅野へ降りて、杖突峠を越えて高遠経由で伊那へ向かいます。

なぜ伊那へ?なぜ今?

その答えの前に、杖突峠の現状です。
峠に至る坂道は通行に問題ありません。
峠の茶屋も営業していました。

峠からの展望(信州三景とうたわれているらしい)は折からの雨で霧にけぶっていましたが・・・。
峠の通行止めの原因は倒木とのこと。
それで復旧が早いわけだ。

杖突街道。直売所日和

峠を降りると杖突街道沿いに集落が点在します。
昔の信州はこうだったろうな、と思わせる古い民家と畑の風景です。
ここの景色と空気は大好きです。

街道沿いに直売所があります。
おばさんが一人店番しています。
寄ってみると店頭にはシナノスイートの袋と自ごぼう(キノコ)のパックが今日のメインにフィーチャーされていました。
「渋柿ある?」「ない!」。
おばさんとの会話は当意即妙、一転曇りもありません。
シナノスイートはおばさんが趣味で作っているリンゴ。
6個入って300円。
買わない理由がありません。
渋柿はこれからとのこと。
ここら辺、台風19号の被害はなし。
ハザードマップでは真っ赤な地域なんだけどね、とおばさん。
会話は弾みましたが肌寒いので早々にお暇。
おばさんは分厚いチョッキで防寒していましたっけ。

高遠でまったりパート1。信州ソウルフード・ローメンにトライ

杖突街道を折れ、権兵衛街道と呼ばれる国道361号線へ入るところが城下町・高遠です。
城址公園で開かれる高遠桜祭りで有名です。
今は伊那市と合併しています。

街の中心部、権瓶街道沿いの2,300メートルは城下町の町屋風に景観が維持されていてちょっと降りて歩いてみたくなります。

おじさんはここで車を止め(商店街の客用に無料の駐車場がある)、まずは昼食です。

一度は行ったことがある食堂・みすゞ。
今回は伊那が発祥のソウルフード、ローメンを試してみました。
ソース味のようでいて、にんにくを利かせた味噌味の汁に漬かった独特の麺を食べるローメン。
汁あり焼きそばといえばばわかりやすいか。
ホールのおばちゃんがきびきびと気持ちの良いみすゞ食堂。あと、田舎の食堂のいいところは、味噌汁がうまいのと、漬物が自家製だったりするところなんだよね。
ここがそうだからというわけではないけれど・・・。

というわけで、今日のおすすめ、ローメン定食。
900円でした。

高遠でまったりパート2。饅頭屋、不動産屋で油売る

食後は景観保存が見事な商店街を流してみます。

まずはお土産でも、と饅頭屋へ高遠饅頭をフィーチャーした饅頭屋さんへ。
ショーウインドウには高遠饅頭のほか、クルミ柚餅子などが並んでいます。
ここの若女将というか、お姐さんはとんでもなくおしゃべり好きでした。
いや、最初に声をかけた山小屋おじさんがおしゃべり開始の原因だったのですが・・・。
台風19号の被害状況(高遠はほぼ被害なし)から、景観維持には補助金が出ていること、町のお偉方の閉鎖性、高遠の町おこしが不発なことまで、お姐さんの話が止まることはありません。
Uターン組のこのお姐さん、地元高遠への思いはやまないも、若い日に広げた視野の広さからか、通りがかりの人を見かけると話が止まらない、ようだ。
その気持ちよくわかる。

次いで饅頭屋の向かいの不動産屋に邪魔してみる。
この不動産屋、「田舎暮らし希望者へ古民家紹介します」の張り紙がおじさんの目にジャストミートした。
饅頭屋の姐さんに聞けば「面白い主人がいる、寄っていけば?」とのことで迷惑を顧みずいい年して用もないのに寄ってみたのだ。

飛び込んだおじさんを歓迎し、お茶まで出してくれたこの不動産屋夫婦。
地元出身で開業40年。
移住者に地元の物件を紹介してきたとのこと。

今は、都会の相続人にとって、田舎の不動産は完全に負の遺産で、家屋敷、土地はもちろん、畑、山林付きでただでもいいから売りたい人が多いとのこと。

田舎暮らしを希望する人は、東京で情報を見るより現地の不動産屋へ飛び込んでみたほうがいかもしれない。

このご夫婦は移住者のその後の相談にも乗っている、というか乗らざるを得ないとのこと。
移住という事業が、移住する側にとってもされる側にとっても一大事ということがわかる。
頼りになるご夫婦だと思った。

ということで、伊那へ下り、せっかく伊那にに来たのだからと、天竜川の濁流と、日中友好をアピールした中華屋の看板と、を見てから・・。

帰途、南箕輪村の直売所で、紅玉(ジャム、チャツネ用)と大豆(味噌用)を買い、降る雨の中帰りました。

で、なぜ伊那へ行ったか?
特に理由はありません雨だと山小屋に引っ込まざるを得ず、うっとうしかったからかな?

 

 

 

台風19号の爪痕 続報

台風19号は長和町のにおける被害状況の続報です。

ちなみに姫木平別荘地内の被害は一か所、路肩が崩落しただけとのこと。
倒木も少なかったとのこと。
避難警報が出てコミュニティセンターが避難場所になったものの、避難者は1名だけだったとのことです。

大門川の下流の落合地区で国道152号線の崩落があったことと、長久保地区の五十鈴川の松尾神社周辺で鉄砲水による田畑の被害、農道の崩落などがあったことは既報の通りです。

今回、山小屋おじさんの畑の近くの、五十鈴川氾濫の様子を見てきましたので報告します。

松尾神社や被害にあった畑の上流部分です。
川が急流となっています。

地上にあった立木が流れに飲み込まれています。

畑がえぐられハウスの枠組みの土台が半分流失しています。

畑の上を濁流が流れた跡が残っています。

おじさんが借りている畑の動物除けの電線は破壊されています。

山小屋おじさんの畑の大家さんの話によると、台風通過の朝になって畑の被害を見てびっくりしたとのことです。
それまでに土石流の音はしなかったとのことでした。

長久保地区では、川の氾濫が60年ぶりとのことで、半世紀前にも氾濫があったようです。

人家の被害はなく大家さんに深刻な様子はありませんでした。
むしろ山小屋おじさんに代わりの畑を紹介してくれようとする勢いでした(謝絶しました)。

被害にあった畑は国が整備してくれるとのことです。
ひと安心です。

ヤーコン収穫、夏野菜の支柱を撤去。

令和元年台風19号の猛威を何とかやり過ごした畑でヤーコンを収穫することができました。

太い茎に成長したヤーコンは引っこ抜くのも一苦労。
根の張りはそうでもないのですが、茎、葉の地上部がでかい!
慌てて抜くと柔らかい芋(実の部分)が折れてしまいます。

地中に残った芋を掘り起こすときも要注意。
何せ「芋質」がサツマイモなどより柔らかく(粘りがなく軽い感じ)瑞々しいので、すぐぽきっと折れてしまうのです。

長雨と、もともと水田だった土質のせいで畑が湿っており、泥だらけのヤーコン収穫となりました。
10株ほどの木から、箕一つ分の芋の収穫。
ちょっと少な目かもしれませんが、初めて借りた畑です。
十分です。

芋についた泥は洗ったりせずこのまま持ち帰ります。
理想は、畑もしくは家のそばで、2,3日天日干しして、その後、乾いた泥をこすり落として、冷暗所に保存です。
が、明日は雨。
このまま持ち帰り、チャンスを待って天日干しし、かびの発生を防ぎたいものです。

ちなみに10月初旬に収穫し、泥付きのまま軒下に置いていた(乾燥させていたつもり)の落花生は見事かびていました!残念です、ヤーコンはこうしたくありません。

なお、ヤーコンの葉っぱもお茶の材料として持ち帰りました。
乾燥させると健康茶の材料となります。
天候と手間次第ですが。

台風を生き残ったもう一か所の畑から夏野菜を収穫しました。
ナス、ゴーヤ、ズッキーニ、ピーマン、唐辛子が採れました。
ナス、ピーマンはまだ木が生きています。
ほかの夏野菜はこれが最後の収穫です。

根っこを抜き、支柱を撤去しました。
この後はマルチを外し、耕耘して石灰、もみ殻を撒いてこの畑の今年の作業が終了です。
アスパラガスが越冬します。

令和元年 台風19号の爪痕

2週間ぶりに山小屋へ戻ってきた山小屋おじさん。
十二指腸潰瘍で4日間の入院やら、台風19号の来襲やらで東京の自宅に待機しておりました。
山小屋が気になっても台風の被害で中央道が不通。
中央本線も相模湖・大月間で不通になっていたのでした。

山小屋周辺はほぼ変化なし

山小舎は無事でした。

積み上げた薪は長雨で湿っていましたが、強風にあおられて倒壊するようなことにはなっていませんでした。ホッ。

しかしというかやっぱりというか、裏の沢が音を立てて流れていました。
普段は水がなく、大雨の後だけ流れる沢です。
山小屋の土台が削れるほどではありませんでしたが。

大門街道沿いの様子

大門街道を上田側へ下ります。
山小屋おじさんが畑へ通う道でもあります。

路面が雨でもないのに濡れています。
山の水が路上にあふれ出しているのでしょう。

山肌が崩れています。
山肌の崩れはこのほかに数か所ありました。

路肩が崩れかかっています。
後日、本格的な補修が必要な崩れ具合です。
街道と平行する大門川の水量も増し、猛々しい水音とともに白いしぶきをあげています。

路上にあふれる山の水。
側溝に流れるよう辛うじてコントロールされてはいますが。

大門川の堰堤が壊れています。
濁流の爪痕が生々しく感じられます。

大門街道が中山道と合流する落合地区では、道路が崩落していました。
道路の復旧まで何か月かかることでしょう。
ここら辺は集落の規模も大きく、崩壊した道路は、生活道路としてまた、白樺湖・茅野方面への幹線道路として重要です。当日、長和町に避難指示が出ていたのは、情報で知っていましたが、これほどとは・・・。

山を下るほど被害が大きくなっています。

平成18年にも大門川の護岸が崩落していますから、大雨の際の濁流のこわさ、濁流が合流してぶつかる時の破壊力の大きさを前にして人間の無力さを思い知らされます。

畑に土石流が来ていた!

畑へ行きました。
まず、大根とニンジンが植わっている畑。
着いてわが目を疑いました。

畑がごろ岩が転がる石原になっていました。
かつての面影はなくなっていました。
土石流が発生したのでしょう。

川が畑の横を流れてはいるものの、高度差が2,3メートルもあり水害は想像すらしませんでした。
だからこそ石垣を積んで段々畑になっていたのでしょう、何十年も前から。

大根、ニンジンどころか、柿の木や梅の木も跡形もありません。
収穫が終わっていた隣の田んぼも無情の石原となっています。
不思議とハウスが残っていました。

段々畑の段も崩れて、川砂に覆われた土地。
この後、大家さんはどうするつもりなのか・・・。
長久保の集落が無傷のようだったのは不幸中の幸いでした。

あと2か所の畑へ急ぎます。
農道が橋のところで崩れて行けません!
畑の横の中山道が片側通行になっています!

それでも何とか軽トラを畑につけ畑へ入りました。
残り2か所の畑は無事でした。

千曲川の堤防決壊、上田電鉄の鉄橋崩落、武石村への橋の崩落など令和元年の台風19号の県内の被害は甚大です。
この台風、全国の死者が80人あって、直撃した東京都の死亡人数が0人というのが象徴的な気がします。

東京では災害にそれなりの準備ができているというか、地方には手が回っていないというか・・・。

「過去に例のない」雨量の台風被害で幕を開けた令和の世。
これ以上は災害のない時代であることを祈って。

秋晴れの池之平リゾート

白樺湖という観光地がある。

このあたり、もともとは蓼科山のすそ野に広がる湿地で、昔のふもとの村人は夏の間ここら辺まで登って炭焼き小屋をしつらえて炭を焼いたらしい。

戦前に計画され、戦後に完成したのが、農業用水目的で作られた現白樺湖。
地元はのちの観光開発も視野に入れていたらしい。
より標高の高い蓼科に温泉があり、古くから別荘地が開発されていたこともある。

40年から20年前のスキーブームや別荘ブームの折には観光客であふれたであろう白樺湖。
今は廃墟のホテルや土産物屋が散見されるが、一貫して湖畔でリゾート開発してきたのが池之平ホテル。

今はスキー場、遊園地などを傘下に持ち、シーズンともなるとファミリーがわんさと訪れる。
10月初旬の秋晴れの週末。
絶好の行楽日和の池之平一帯をパチリ。

近隣唯一のコンビニの裏手にはテラスが広がっていた。

白樺湖とつながっている白鳥ボート専用の池。

遊園地もにぎわっていた。

皆さんんも白樺湖へようこそ。