土台かさ上げで DIY!

令和5年のDIYはじめは、去年からの懸案の出部屋の土台かさ上げです。

山小舎の土台は、居間などに当たる古民家部分はコンクリートを厚く打ったしっかりしたものです。
一方、出部屋、玄関、外物置は新たにあつらえた造作であり、土台も古民家部分の土台とは別物です。

出部屋の土台は、ホームセンターで売っているコンクリート製のポットを地下に数個置いただけのものです。
リフォームの時、その出部屋と玄関に重いサッシを入れました。
また、出部屋は本と、工具などの置き場所にしています。

部屋自体が重くなってきて土台がたわんできたのか、去年あたりから出部屋のサッシのし閉まりが悪くなってきて、鍵を閉めるのが大変になってきました。

去年、管理事務所のバイト仲間に手伝ってもらい、出部屋のポット式土台のかさ上げをし、サッシの閉まりが改善されましたが、あと2か所ほど土台の追加が必要だと思いました。

冬を迎え、サッシの閉まり具合とともに、雨戸の鍵が再びかかりづらくなりました。
新年度を迎え、出部屋の土台の調整(かさ上げ)が急務となっていました。

バイト仲間に教えてもらった器具をホームセンターで2基買ってきました。
コンクリート製の下敷きも買ってきました。

ジャッキで土台をアップし、ホームセンターで買った器具を差し入れ、かさ上げしました。
もう1基の器具も同様に差し入れました。
今回は独力でやってみました。

軒下にジャッキを差し入れジャッキアップ
かさ上げ用の器具を差し入れ高さを合わせる
ジャッキを抜く。2基のかさ上げする

サッシの鍵の閉まりはスムーズになりました。
雨戸の鍵もかかるようになりました。

山小舎のDIYでした。

玉ねぎの苗活着

山小舎開きを行った後、畑へ行きました。

気になっているのは玉ねぎの苗。
昨年11月に200本ほどの苗を定植したものです。

すっかり雪が溶けて、雑草が芽を出す前の畑に、鹿よけのフェンスを開けて入ります。

マルチを敷いた畝では無事に玉ねぎの苗が活着していました。

8割から9割程度の苗が脱落せずに生き残っています。
よく頑張った!
冬前からほとんど苗の丈は伸びていない気もしますが、まだ寒い3月はこれでいいのです。

暖かくなる4月からが成長の時期となります。

よく成長して6月には大玉の玉ねぎが収穫できることを願います。

茅野市八ヶ岳総合博物館

山小舎から茅野に下りて、街中に至る途中に、諏訪東京理科大学の校舎があるのだが、そこに隣接して茅野市の博物館がある。

春の一日、山小舎おじさんは、八ヶ岳総合博物館に2度目の訪問をしてみた。
山小舎暮らし数年を経てからの再訪は、前回の訪問より地域への理解が進み、興味を引く内容が増えている?と思ってのことだった。

入り口には御柱を曳く際の用具が展示されている。
去年は7年に一度の御柱祭の年。
茅野は古い歴史を持つ、諏訪大社上社へ納める御柱8本が、八ヶ岳から引き出されて通る途上にある町。

茅野八ヶ岳総合博物館入り口
下社御柱の引手

入館する。
大人310円。
入館券を買っていると女性の職員が出てきたので写真撮影の可否などを聞く。
入館者はほかに一人だった。

展示内容は、八ヶ岳の造山、地形、河川、温泉などをジオラマで展示するコーナーに始まり、生物関係、縄文遺跡関係、民俗学的な生活用具・地場産業、御柱祭、八ヶ岳山麓の農業用水堰を作った地域の歴史的偉人・坂本養川のコーナーなど。
それぞれが簡潔にまとまっている。

八ヶ岳の地学的ジオラマ
ニホンカモシカのはく製
縄文関係の展示
多数の機織り機が並ぶ民俗学展示コーナー

茅野と八ヶ岳といえば縄文遺跡の本場として、石器、土偶などが出土しているのだが、八ヶ岳総合博物館の縄文に関する展示は比較的あっさりしている。
茅野の博物館としてはもっと縄文にこだわっても、とは思ったが、尖石遺跡の近くには国宝の縄文のビーナスを展示する尖石考古館がある。
こちら茅野市の博物館は総合的な展示を、というわけだと納得。

山小舎に数年住んで、茅野へ下りること数知れず、の山小舎おじさんでも、坂本養川と農業用水堰のことは知らなかった。
御柱祭のことでも、下諏訪町にある諏訪大社下社の木落としの光景にはニュースなどでよく接してはいるが、肝心の上社の御柱祭の里曳き、木落し、川越しの風景を見たことはなかったので、この博物館のビデオで見ることができて貴重だった。

八ヶ岳山麓で農業用堰を作った坂本養川のコーナー
堰についてはビデオで再現されている
下社御柱祭の展示も
茅野市内の木落坂での木落のしの様子

博物館の周りは、芝生が広がり、広い駐車場が隣接している。
天気がいいと北八ヶ岳の山並みを望むことができる。
八ヶ岳総合博物館は、小学生から大人まで楽しめる知のワンダーランでだった。

信州ソウルフード放浪記VOL.25 上田・刀屋の蕎麦

上田にいつも人が並んでいる蕎麦屋がある。
刀屋といってたいていの観光ガイドには載っている。

小説家で「真田太閤記」を書いた池波正太郎が、上田にひいきの飲食店が何か所かあったそうで、刀屋もそのうちの1軒だったとのことだ。

山小舎おじさん、久しぶりに刀屋へ行ってみた。
前に5人連れの家族が並んでいた。
ややあって案内された。

前回来た数年前に、てんぷら付きのざる蕎麦普通盛を頼んで、腹いっぱいだった記憶があった。
改めて注文を取りに来た女性に聞くと「小盛が東京でいうザル1盛分、中もりが2盛分」とのこと。
もり蕎麦中盛を頼む。

一口すすって記憶がよみがえった。
太く、硬い蕎麦だ。
うどんのようなフォルムでもある。
よくかみしめると蕎麦の香りがする。
中盛で腹いっぱいになる。

愛想はないが、かみしめると味があり、腹いっぱいにしてくれる。
まるで信州人のキャラのような蕎麦ではないか!

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ターザンとジェーンのエデンの園

ターザン映画は1918年にアメリカで映画化(大正8年「ターザン」の題名で日本公開)されたのが最初だという。
MGMによる、ジョニー・ワイズミュラー主演での映画化(1932年「類猿人ターザン」)は、作品の数では9作品目の映画化になる。
ワイズミュラーは6代目のターザン役者とのこと。

先に「類猿人ターザン」を見てその面白さに驚いた山小舎おじさん。

ワイズミュラー主演のターザン10作品が入ったDVDボックスがあったので買ってみた。
ワイズミュラーとモーリン・オサリバンのコンビによるターザン物を見てますますターザンものが面白くなった。

「類人猿ターザンの復讐」(原題:ターザン アンド ヒズ メイト) 1934年 セドリック・ギボンズ監督 MGM

MGMターザンシリーズの第2作。
前作で行方不明の父を追ってイギリスからアフリカへやってきたジェーン(モーリン・オサリバン)は、自然児ターザンの出現に恐れおののいたものの、その魅力に心動かされる。
父の死を確認したこともあり、ジェーンはターザンとともにアフリカに残る道を選ぶ。

ワイズミュラーとオサリバンのコンビ2作目の「ターザンの復讐」ではアフリカでターザンと暮らすジェーンの、ジャングルへの適応ぶりとターザンへの愛情が描かれる。

日本公開当時の「類猿人ターザンの復讐」広告

この作品でのジェーンの格好は、セパレーツの上下で、下半身は紐で前後とつなげているだけ。
ターザンのスタイルとの共通性があり、ジャングル生活に適応したジェーンの姿を現す。
だが当時の社会情勢や映画の自主規制状況を考えると、これはかなり思い切ったスタイル。

「ターザンの猛襲」プレスシートより

ジェーンは、前作で彼女に思いを残しながらイギリスに帰っていたハリーと、その友人で象牙で一攫千金を狙う山師のような男のキャラバンを迎え、再会を喜ぶ。
キャラバンにはハリーが用意したドレスや化粧品があり、ジェーンはドレス姿を披露。
ドレスや化粧はジェーンの若い女ごころをくすぐりはするが、ターザンとの絆を切るまでには至らない。

ジェーンが「エデンの園」と呼ぶ河畔。
朝のターザンとの水泳シーンでは、ジェーンが着ていたドレスが木に引っかかり、裸のまま水中を泳ぎ回る。
水中シーンはシリーズで毎回出てくるが、この作品の場面が一番長く、美しい。
ジャングルに適応し、ターザンと暮らす喜びがあふれる。
当時の映画では思い切った表現。

「ターザンの復讐」よりターザンとジェーン

ジェーンを演じるイギリス人女優、モーリン・オサリバンは1911年生まれ。
本作品撮影時は22、3歳でまさに若さがキラキラしている頃。
前作でのおてんば娘ぶりから、愛する人と暮らす若い娘への変貌を溌溂と演じている。

DVDボックスより

山師の策略で、ターザンが死んだと思ったジェーンは一度はイギリスへの帰還を覚悟するが、こういったジェーンと文明社会との切っても切れない関係性はシリーズ中で繰り返されることになる。

シリーズ中最長と思われる上映時間104分は、大半がジェーンの魅力に捧げられたものだった。

「ターザンの逆襲」(原題:ターザン エスケイプス) 1936年 リチャード・ソープ監督 MGM 

本作から監督は娯楽映画の職人として長く活躍したリチャード・ソープに交代。
さあ、ターザンは何から逃げるのか?

「ターザンの逆襲」より

イントロはいつものようにアフリカの奥地へ着いた蒸気船から降り立つ白人一行のシーン。
やってきたのはジェーンの従姉姉弟。
おじが残した遺産を餌にイギリスへジェーンを連れ帰そうとする。

一方、ジャングルでの新婚生活も板についてきたジェーンは、偶然チンパンジーのチータが持ち帰った女性の下着を見てターザンの浮気?を疑ったりの若妻ぶりを発揮。

二人の新居は、ハンドメイドではあるものの、像の力で昇降するエレベーターがあり、チータがハンドルを回す扇風機が備わっている立派なツリーハウス。
ターザンが作ったらしい。
食事はテーブルで摂り、ターザンがサーブする。

これら、文明生活をコピーした新居を、ユーモアととるべきか、ジェーンと文明生活のつながりの強さとみるべきか、当時のアメリカ映画の価値観の発露とみるべきか。

イギリスにいったん帰ることを決めたジェーンにすねるターザン。
説得し励ますジェーン。
ジャングルの王者ではあるが、文明社会との接触場面では、直情径行の「問題児」ぶりを隠さないターザンと、文明的でしっかり者のジェーンという、カップルの色がこの作品あたりから確立する。

一度は、いとこ一行と同行してターザンのもとを去るジェーン。
荒れるターザン。
ターザンものらしくない心理劇的展開が重たく、そぐわない。

すべての問題が解決し、ジェーンはイギリスに帰らなくてもよくなる。

従姉は「あなたは(素晴らしい男性と、理想的な環境という2つを得て)すべての女性がかなえられるわけではないポジションにいるのだ」とジェーンに言うラストシーン。
ジャングルに残るジェーンに対する最大級の賛辞でドラマが終結する。

ジェーンのコスチュームは、この作品以降、ショートパンツの上におとなしいワンピースを着たスタイルに変更。
ジェーンが自然の中で肌を露出して色気や美しさを発揮するシーンはなくなる。

「ターザンの猛襲」(原題: ターザン ファインズ ア サン)  1939年 リチャード・ソープ監督  MGM

MGMターザンシリーズ第1作から7年。

おてんば娘だったジェーンも落ち着いた若妻に。
そして本作で母親となる。

「ターザンの猛襲」本国宣伝

南アフリカへ鉱山経営に向かう飛行機が、ターザンが住む絶壁に衝突して不時着。
富豪夫婦は死に、赤ん坊が残される。
チータが飛行機から赤ん坊を回収し、ターザンに渡す。
この作品あたりからチータの活躍が目立ち、チータ単独の場面も増えてくる。

ボーイと名付けられすくすく育った赤ん坊。
ターザンとジェーンはボーイの親を自任。
ボーイの遊び相手はチータと仔象。

また、ターザンはほぼ英語を解している。
発する言葉は、相変わらず単語をつなげたものだが。

「ターザンの猛襲」ボーイとターザン

遭難した夫婦の死亡を確認するためのキャラバンがやってくる。
莫大な遺産が絡む。
遺産の独り占めを狙ってキャラバンの中の悪人が策動。
直感で悪人を見破るターザン。

ジェーンは、文明人の余韻を残すため、悪人の言葉に騙される。
というか、文明人のジェーンは直観ではなく、相手の発する言葉の論理性如何で物事を判断するため、結果的にターザンの行いに抵抗し、悪人を助けることにもなってしまう。
ただし、結末はターザンの活躍により悪人が滅び、ジェーンはターザンに謝り、二人の仲は一層深まるのだが。

DVDパッケージより

この作品から、キャラバンの一員として、おどけ者ながら直観的にターザンを理解し、最後に悪人に対抗(しようと)する芸達者なキャラが加わる。

「ターザンの黄金」(原題:ターザンズ シークレット トレジャー) 1941年  リチャード・ソープ監督 MGM

ターザンシリーズの主題は、素朴な自然主義。
ターザンに象徴される、平和を愛し、自活能力に優れ、自然を愛する直観力、を賛美している。
もっとも、ジェーンに象徴される常識的な文明性へのリスペクトも忘れてはいない。

本作ではその主題にもう一歩深く踏み込む。

「ターザンの黄金」本国宣伝

ボーイが家族で泳ぐ川の底で金の塊を見つける。
ターザンは黄金には興味がないが、山にも同じものがあるという。
ジェーンはボーイに文明社会での金の価値を教える。

部族の調査にやってきた学術調査のキャラバンがターザンのもとへやってくる。
歓待するジェーン。
新居には吹き出す温泉で蒸し焼きや茹で料理ができるグリルや、湧水を引いてかける冷蔵庫まで新設されている。.

しっかり者のジェーンを先頭にターザン一家

ジェーンはしっかり者のママとしてボーイを教育。
キャラバンが持っている望遠鏡や映写機に積極的にボーイを触れさせる。

ボーイが金塊を見せたことで学術キャラバンは内部分裂。
悪人派が良識派を駆逐し、ターザンを銃で排除して、ジェーンとボーイを人質に金塊奪取へ向かう。
前回から登場の、おどけキャラ(バリー・フィッツジェラルド)がここで活躍し、ターザンの逆転劇をアシストする。

すっかり落ち付いたヤングママぶりを発揮するジェーン役のマーガレット・オブライエンは20代最後の出演。
ポーレット・ゴダードとジェーン・フォンダを合わせたような美人女優に成長している。
ターザンとの会話は、出会った頃の思い出話をするまでに言語が進化。
一方、いったんは悪人の「言葉」に騙され、結果としてターザンを窮地に陥らせるパターンを本作でも踏襲している。

DVDパッケージより

ラストシーン。
「君達のような人が増えれば世界は平和になる」と、ターザンを助けた、おどけ者(バリー・フィッツジェラルド)に言わせて、ターザンの文明に毒されない素朴な生き方が賛美される。
金第一主義の弊害を明確に否定して、映画はその主題を深化させる。

では、そのあとはどうなのか。
去ってゆく白人を見送る「理想的」なターザン一家が、まるで〈絶滅を待つ、エデンの園の希少生物〉のように、はかなく寂しげに映ったのは気のせいか。

そう見えたのは、〈素朴な自然性〉以上の価値観を、この映画も当時の社会も持ち得ず、そういった中で〈金第一主義〉だけを否定する状況にいわば〈放置〉されたターザン一家が不安定に見えたからではなかったか。

「ターザン紐育へ行く」(原題:ターザンズ ニューヨーク アドベンチャー)1942年 リチャード・ソープ監督 MGM

ワイズミュラーとオサリバンのコンビの最終作。
ターザンは少々おっさん臭くなり、30歳を迎えたジェーンは堂々たる中堅美人女優。
オサリバンは、映画監督のジョン・ファローと結婚し、1945年には、のちにミア・ファローとなる娘を出産することになる。

DVDパッケージより

エデンの園で泳ぐターザン一家の姿がトップシーン。
新居にはチータがハンドルを回す「食器洗い機」が新設されている。
ジェーンは幸せそうだ。

やがてライオンの捕獲を目的とした一行が双発機で不時着する。
ボーイが現場に向かう。
白人3人のうち一人を操縦士と見破るボーイ。
自然児としての直観力がボーイにも備わっており、ターザン二世として成長していることがわかる。
一方、一行のうちの悪人はボーイが仔象を手なずける様子を見て、サーカスで大儲けできると悪だくみを考える。

凶暴なジャコニ族の来襲と救援に駆け付けるターザンとジェーン。
ツタがジャコニ族によって切られて落下する二人。
さらに火をかけられる。
チャンスとばかりにボーイを連れて離陸する白人たち。

チータに助けられたターザンたちは、ボーイを追って海岸の街へとたどり着く。
ジャングルでの格好のまま裸足で港町の往来を歩く二人は好奇の的。
白人の高官に掛け合って、黄金と交換にニューヨークまでの航空券を入手。
中国人のテーラーでそれぞれの洋服をあつらえる。

ニューヨークの空港、タクシー、ホテルでの騒動の描写は、大人し目。
ドタバタは主にチータが引き受け、よく訓練されたチンパンジー芸をたっぷり披露。
ターザンも服の上からシャワーを浴びて叫ぶなどするが、ギャグっぽい描写はされていない。

「ターザン紐育へ行く」より

洋装もよく似合うジェーンは、当初は法律に従うようにターザンを説得し、ボーイを戻すために裁判にまで訴える。
が、実の親ではないことが判明し、ボーイの親権を証明できない。
その瞬間、裁判所でターザンの怒りが爆発。
拘束された部屋の窓を破って脱出。
警官とビルの屋上から、吊り橋の上まで大捕物を展開。
サーカステントでは悪人を相手に空中ブランコで立ち回る。

この展開、反権力・アナーキーなものではなく、無声映画の喜劇で警官をからかう喜劇役者のふるまいに近い。
むろん喜劇風演出はされておらず、ターザンの直情径行を強調し、ターザンだから許される、という風で観客も全面的にターザンを応援したくなる。
公務執行妨害と裁判所侮辱罪については、情状酌量され執行猶予となる結末が用意され、文明との妥協の場面も用意されている。

ジェーンは法律に頼り、ターザンを自重させたことを反省。
「これからもついてゆく」とターザンに謝罪。
一家はアフリカに戻り、エデンの園で泳ぐ一家の姿がラストシーン。

母親役で、ますます落ち着きの出ているジェーン。
自らの色気発揮は少ないが、だからこそコスチュームから覗く形の良い足が、大人の色気に変わっていて貴重だったことを申し添えたい。

まとめ

・原作のターザンは類猿人と呼ばれ、いわば人外魔境に暮らすジャングルの王だったの(だろう)が、そういった伝奇性、猟奇性は第2作目までで、それ以降は、ジェーンの存在感が増し、ターザンは家庭人、常識人としての一面が強調されている。

・映画のベースには素朴な自然賛歌があり、平和を乱す拝金主義、武器などの文明はターザンによって否定、排除される。
ジェーンは文明人として一義的にはそれらを排除しないが、最終的にはターザンの価値観に従う。

・このシリーズは女優モーリン・オサリバンの成長物語でもある。
イギリスからハリウッドに渡り、シリーズ第1作から体当たりでターザンのヒロインを熱演。
ジャングルに定着した当初を描く第2作では思い切ったコスチュームを披露、はつらつとした魅力を全開にする。
シリーズ後半では母親としての落ち着きも見せ、洋装でのニューヨークのシーンなどでも芸達者ぶりを見せた。

・アフリカロケの部族や動物の珍しいシーン。
スタジオでの動物を使ったシーン(特に多数の像を使ったアクションシーン、猛獣とと格闘シーンンなど)。
大勢の黒人を使っての部族の襲撃シーン、キャラバン隊の再現シーン。
などに工夫が見られ、アフリカもの猛獣物の原典となった。
人が川でおぼれた瞬間にワニが出動してゆくカットなどはこの後の映画で繰り返されることになるお馴染みのものだ。

モーリン・オサリバン

令和5年 山小舎開き

3月下旬に山小舎開きをしました。
今日から山小舎暮らし6シーズン目のスタートです。

山小舎おばさんに送られて山小舎入り

2月までは、雪が玄関へのアプローチを覆っていた山小舎周辺でしたが、雪の影はほぼどこにもない状況。
暖冬だったのでしょうか。

玄関にはすでに雪がありません

心配だった上下水道管の凍結もこの気温では全く心配ないようです。
水道管の温熱サーモスタットも切って大丈夫でしょう。

山小舎前の道路もこの通り

それでも夕方近くなると急激に気温が下がります。
薪ストーブは焚きっぱなしです。

後日晴天に恵まれた山小舎。シーツ類の洗濯外干しは何ヶ月ぶりでしょうか

去年あたりから山小舎暮らしにマンネリの影が出てきたというか、加齢で疲れやすくなったというか、感激が少なくなってきたシーズンを自覚しています。

それだけいろいろなことに対して深堀りができそうな予感もします。

体力と気力、体幹、バランスが弱くなっていることも事実。

健康と事故に気を漬け乍ら、ポイントごとに充実した山小舎暮らしをしていこうと思います。

今年はさらにゲストが増えそうな気もします。

彩ステーションの落語会

山小舎おばさんが管理している、調布柴崎の彩ステーション。
今年もみんなの居場所として、健康体操、栄養講座、歌う会、健康マージャン、子供食堂、バザーなどを開催している。

これら催し物は、山小舎おばさんが主催するのではなく、管理栄養士などの専門家や、子ども食堂では小学校のPTA会が主催するなどして行っている。
彩ステーションの役割は場所提供だ。

催し物がない日でも、近所の人や放課後の小学生たちが立寄ったり、東京都や調布市の行政担当者が見学に来たり、大学院生が卒論のフィールドワークに来たり、日本人と結婚して市内に暮らしている外国人が遊びに来たりしている。

この日は落語をやるというので顔を出してみた。
普段、ステーションの協力者として活動している方の持ち込み企画で、真打の金原亭馬玉という落語家が来るとのこと。

当日は落語の後、打ち上げをするとのことでその準備もあり、山小舎おじさんはステーションへ。
炭起こしなどをしつつ、落語会の方ものぞいてみる。

テーブルに座布団を敷いて即席の高座。
観客は満員の35人。
投げ銭方式で、結局3万円集まったとのこと。

馬玉さんは、調布に住んだことのある落語家さんとのこと。
座ったとたんに客をつかむ技は見事。
1時間ほどの公演時間だったが、やろうと思えばいくらでも時間をつなげられるとのこと。
集まった皆さんは笑いっぱなしでした。

その後は、打ち上げの炭火焼き大会。
不肖、山小舎おじさんの送り出し会も兼ねての宴会となりました。
今年も山小舎で野菜作りを頑張ろう。

神代中学の桜

近所の神代中学の校庭に沿って桜並木があります。
東京に桜開花宣言が出た後、神代中学の校庭付近を通ってみました。

山小舎おじさんの子供たちがこの中学に通っていた頃は、桜の満開は入学式が終わった頃で、グランドに花びらが散っていたのを覚えています。
現在は、温暖化の影響なのか、入学式を待たずに咲き始めています。

桜の季節とはいえ、三寒四温。
ポカポカ陽気の間には肌寒い曇り空が混じる季節です。

三鷹を流れる仙川の河川敷が菜の花真っ盛りです。

近所の庭のミモザが咲き乱れています。

シネマヴェーラでサッシャ・ギトリ特集

シネマヴェーラ3月の特集はサッシャ・ギトリ。
生涯30本ほどの映画を監督するが、リアルタイムでの日本輸入は2本ほどしかなかった。
ただ輸入されたうちの1本である「とらんぷ譚」(1936年)は30年代のフランス映画を語る際によく登場する作品であった。
今回はギトリの特集から2本を見た。

シネマヴェーラのパンフより

「あなたの目になりたい」 1943年  サッシャ・ギトリ監督主演  フランス

ギトリ映画初体験。

若々しいファッションに身をつつんだマドモアゼル2人が展覧会の会場へ入ってゆく。

ぴちぴちして魅力的なマドモアゼル(ジュヌビエーブ・ギトリ)。
そこに出てくるのが初老で恰幅のいい彫刻家(ギトリ)。
その姿、若い娘には釣り合わない。

初老のエロ爺の若い女への執着?
もしくは若い娘によるパトロン狙いのパパ活?

恋の都フランスだからその主題もありなのだが、当時60歳に近いギトリが主人公を演じる姿に驚く。

監督で演技者としても定評のあるギトリゆえに許されるのか。
同じく監督主演を務め、気に入った(多くは愛人の)女優を相手役に抜擢した、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、チャーリー・チャップリン、そしてウッデイ・アレンの〈マイナス面〉を思い出す。

シュトロハイムには徹底した己を含めた現実への視線があった。
チャップリンには体を使った常人ならぬ表現があった。
それらは、仮に己の映画を公私混同の場としていたとしても一見の価値のあるものだった。
が、果たしてギトリ映画にそれはあるのか。

セリフ回しは滑らかだが、動かなくなった太めの体躯と隠せない年齢はすでに主演者のそれではなかった。

シネマヴェーラ特集パンフより

それでも映画の前半。
恋に落ちた娘を邪険にする彫刻家の姿に、人間の情の不可思議さ、深さを表現していいるのか?さすがフランス映画!と感心させる。

それが早とちりだったと判明するのが、彫刻家が失明を予期し、娘に結婚をあきらめさせる親心だとわかって迎えるハッピーエンド。
これではハリウッドメロドラマと同じではないか。

「とらんぷ譚」 1936年  サッシャ・ギトリ監督主演  フランス

1936年の作品。
主演は同じくギトリ本人だが、まだ50代前半で、また全編にわたっての出演ではなく、少年時代や青年時代の主人公をそれぞれ子役や若い役者が演じるので無理なく見られる。

特集パンフより

主人公のナレーションによる回想シーンがほとんどを占める。
この回想シーンの処理がテンポがあっていい。
短くカットがつながれ、演技もパントマイム的で無駄がない。
さりげないギャグにはペーソスや人生の苦さが加えられ、ギトリのセンスの良さを感じる。

当時の結婚相手ジャクリーヌ・ドゥリュバックが魅力的に撮られており、とっかえひっかえのファッションやコケテイッシュな笑い顔に「あなたの目になりたい」のジュヌビエーブ・ギトリを思わせる。
ギトリの好みはいくつになっても、こういった若い魅力的な女性なのだろう。
チャップリンも10代の少女が好きだったように。

右:サッシャ・ギトリー、左:伯爵夫人役の老女優

快調な作品なのだが、回想シーンでモナコ時代の話の時の主人公のナレーションで「ここにはあらゆる人種が集まる(中略)雰囲気がいいのは日本人がいないせいだろう」みたいなセリフがあった。
背景が白くてスーパーの日本語が判然とはしなかったものの。

1936年当時は戦前で、枢軸国は悪の対象。
ドイツには面と向かって言えないので、影響の少ない日本を悪者にしたのか?
あるいは人種差別か?

戦後にはすぐ壊れるおもちゃを裏返すとMADE IN  JAPANの文字が現れ、それをラストシーンとしたイギリス映画(「落ちた偶像」1948年)などもあり、直接的間接的に日本(日本人)を揶揄した外国映画が各時代に見られた。

自分の作品のギャグのために外国(人)を茶化すようなことは好きではないのでここで一気に醒めてしまった。

コメデイアンがその毒として事象を茶化すことはあるが、その選択には本人の立ち位置が表れる。
ロシア生まれで、フランスでは己の才能1本で演劇映画でのし上がってきたギトリの〈毒〉のこれは一つなのであろう、時代背景もあったろう、がしかし・・・。

そういうわけで、この日以降ほかのギトリ作品を見る気力をなくした山小舎おじさんでした。

ウッデイ・アレン作品のように、自虐ネタやオチョクリをしゃべりまくる主人公が、若く魅力的な女優を横に、苦いギャグを連発する映画が好きな人はどうぞ。

3月の東京

春を探して家の近くを散歩しました。

家の庭にいつの間にか沈丁花が咲いています。

家の横の遊歩道沿いにはボケの花が開花しつつあります。

梅が散っています。

畑は植え付けの準備完了です。また、菜の花が真っ盛りです。

歩道沿いの花壇には、水仙などが満開です。

木蓮が咲き誇るグランドでは少年サッカーの試合が行われていました。

冬から春にかけて、かんきつ類が実るのも関東ならでは。
夏ミカンやキンカンが鮮やかな黄色の実をつけています。