又々・諏訪の神様が気になるの 守屋山

諏訪大社上社の奥宮にしてご神体、依り代ともいわれる守屋山に上ってきました。

この絵地図を参考に登ってきました

雨上りの翌日。
茅野へ下りて杖突街道を上がります。
杖突峠の展望台を過ぎ、伊那市に入ってすぐ、守屋山への登山口があります。

この日、登山口の駐車場にダンプが集まって道路工事の準備をしていました。
軽トラで乗り付けた山小舎おじさんがおろおろしていると、あとから来た電設会社の車が山道を上り始めました。
登山道の途中のキャンプ場までは車道があることを聞いていた山小舎おじさんは、電設会社の車の後をついてゆくことにしました。

杖突峠を伊那側に越えたあたりに登山口があります
奥に駐車場には登山客の車が止まっています。平日ながら人気の山であることがわかります

雨水に掘られた後も生々しい砂利道を時速10キロくらいで登ってゆくと、メガソーラーというのでしょうか、斜面一面にソーラーパネルが張り巡らされ、送電施設が併設された場所で、電設会社の車は止まりました。
登山道は続いています。

登山道を軽トラで登ってゆくと・・・・
途中にメガソーラー基地がありました

山すその気配も濃厚になった頃、キャンプ場に着きました。
車が通行できる林道はここまで。

軽トラを止めてキャンプ場経由、登山道へ入ってゆきます。
駐車場から歩いてきたという中高年の男女3人組が小休止していました。

キャンプ場から徒歩でスタートです
手作り感あふれるキャンプ場を象徴する看板です

ここから約1時間。
雨に濡れた粘土質の道を上ってゆきました。

いつも思うのですが長野県の山道(登山道、車道を問はず)は、少々の斜度であれば直線的に上ってゆく傾向があるのです。
蓼科山もそうでした。
山を巻いてゆっくり上るよりは、脚力を頼みに駆け上ることを信条としているのかもしれません。
さすが山に囲まれた歴史を持つ信州の土地柄です。

湿っている道は、粘土の地面より木の根に注意します。
湿った木の根を踏ん張るとツルっと滑ってしまうのです。

登山ルートは急な場所もありますが、案内板が整備され間違えようはありません

肌寒い気温でしたが汗だくになります。
久しぶりの山歩きは全身運動で非常に体に良いのですが、体内が一巡してスッキリするまではひたすら汗と熱気が放出されてゆきます。
呼吸も荒くなります。
山頂の奥宮への参拝を楽しみに上ります。

東峰の山頂が見えてきました

守屋山東峰は標高1631メートル。
360度のパノラマで、八ヶ岳から諏訪湖、南アルプスまでが一望できます。
山頂は今までの湿気と肌寒さが嘘のように晴れ渡っていました。

山頂から南側の高遠方面を望みます
東南方面、八ヶ岳を望みます
諏訪湖上空の雲が晴れ渡りました

奥宮は西峰方面へ少し下がったところにありました。
守屋神社とあります。
氏子総代として守屋姓の名前が記されています。

かつて雨乞いのために山頂からけり落されていたという祠と、現在の石の祠は違うもののようです。
付近にはやはりというか、諏訪のご神体である「石」の一団が配置されていました。

山頂には平日にもかかわらず、登山客が入れ替わり現れていました。
いくつものルートがある守屋山は地元のハイカーにとって親しみやすい山のようでした。

登山道は特色もないのですが、頂上に立った時のすがすがしさと、信州中部の山々を一望できる眺めは素晴らしいものがありました。
諏訪大社の奥宮としてこれ以上のない立地だと思いました。

山を下り、伊那方面へ下りました。
いつもの杖突街道ルートではなく、千代田湖畔を通るルートを走ってみました。

守屋山の東方向、金沢峠のふもとにある千代田湖という人知れぬ湖
湖畔の旅館は休業中だった

伊那市へ下りてから車を置いて久しぶりに街中を歩いてみました。
いつも思うのですが、伊那市はどこかとぼけたような、明るさのある、味のある街だなと思いました。

歩く場所は毎回同じようなところになってしまいます。
街角には、1年や2年では変わらないような歴史のしぶとさがにじみ出ていますが、それでも昨今の「緊急事態」にダメージを被った感も少し見えたような気がします。
変わらずに頑張ってほしいのですが。

天竜川を渡り伊那市中心部に入ると・・・
旅のお客に対する「ローメン」からのお出迎え
ローメンの碑が建っている
脱力系ギャグでも旅人たちをウエルカム
居酒屋の張り紙にもご時世柄か・・・
改めて飯田線と伊那の街の親和性を感じる景色
そういえば町の景色もアバンギャルドな気が・・・
上田映劇、塩尻東座と並ぶ県内3大シアター(おじさん談)伊那旭座は健在
旭座2はささらに渋い

南箕輪村を通って帰ります。
南箕輪村ではいつも直売所によります。
ブドウ、リンゴの季節です。
今年はマツタケが豊作で値段も安いとのことでたくさん出ていました。
自宅のお土産にたくさん仕入れました。

第三次・護岸工事で DIY!

山小舎の裏の土手に、3つ目の護岸用の丸太積みをしました。

そもそも山小舎の立地は斜面です。
斜面にある程度の盛り土をして家を建てています。

さらに山小舎の場合、斜面下に小川が流れています。
普段の水流はないのですが、大雨の後は1週間ほども水が流れつづけ、マックス時には轟々と音を立てて流れます。

水が引いた後行ってみると、川底には石がごろごろと転がっており、川岸が削れていたりもしています。
川岸の盛り土には、山小舎の前オーナーが設置したであろう、苔むした丸太が転がっています。
前オーナーも盛り土の護岸を意識していたのです。

不肖山小舎おじさんも先達に習い護岸工事のための土留めを設置してきました。
今までに2基の土留めを作りました。

この8月の大雨でも急流が発生し、川底には大きめの石が新たにゴロゴロしていました。
幸い2基の土留めは倒れたりしてはいませんが、補強のための石などが水流により散らばっていました。

そこで、2基の土留めのメンテナンスをすると同時に、3基目の土留めを設置することにしました。
なお、新たな土留めの工事は今期の活動予定にも入れていましたが、丸太が重かったりで腰も重い状況でした。
丸太運びは息子が来小屋した際にヘルプを頼もうと、思っったりしていました。

意を決して現場へ行ってみます。
散乱した石を土留めの足元や裏側に積みなおします。

水流は土留めの足元を洗っており、このままだと次回の水流で土留めの杭が揺るぎかねません。
特に1基目の土留めは、石だらけの河原に杭を立てているため、杭が深く打てていなかったり、また杭そのものがホームセンターにあるちゃんとしたものではなく、そこら辺の細めの丸太を使っているため強度に不安があるのです。

一度バラバラになった石を土留めの足元に集めなおします

ついでに丸太と杭を針金で縛って補強するなどしました。

3基目の土留めを、既存の二つの土留めの間に打つことにしました。

杭はホームセンターで購入し、焼いた後コールタールを塗ってあります。
杭を打つのは、河原ではなく土手ですので基本的にハンマーでたたくと入ってゆきます。
強度を確かめながら杭を3本打ちます。

新たな土留めを設置する場所に杭を打ちます

杭に渡す丸太を長さに合わせて切ります。
土留めに使う丸太はカラマツ材です。
まっすぐで広葉樹より軽くて「安い」のです。

今回は短めの3本を用意します。
おじさんの自力でも運べました。

このカラマツは燃料用に丸太を持ってきてくれる業者さんに「細めのやつも一緒にお願いします」と言っておいて入手しました。
燃料用には中途半端な直径の丸太ですが土留め用にはちょうどよいのです。

土留め用の丸太を選別しておきます。サイズに合わせて切り、でこぼこもなるべくカットしておきます

丸太を運び、杭に合わせて積んでゆきます。
2段目3段目は杭に針金で結びます。

1本目の丸太を運びます
2本目の丸太を運びます
3段目を積んで針金で固定します。背後の苔むした丸太は前オーナーが置いたものです。

この土留め、これで完成ではありません。
大雨や急流が来たとき、土留めだけが残って土手が崩れたり、土手が泥となって土留めの間から流れ去ってはどうしょうもありません。
土留めが土手の最終ラインとならなければいけないのです。

そこで次の作業として、現在の土手と土留めの間を、土嚢や石などで埋めなければなりません。
護岸工事はまだまだ続きます。

現状の護岸。補強と、4基目の設置。土嚢の設置が次の目標です

小豆の脱穀、選別

収穫した小豆を脱穀しました。

小豆の収穫自体初めての経験です。
鞘に入った豆は手で一つ一つ外して脱穀できます。
とはいえ、ある程度の量の鞘をいちいち手で脱穀することはできません。

豆の鞘を棒でたたいて脱穀する風景を思い出しました。
伝統的農家は回し棒という、鞘にぶつける部分がくるりと回って、スナップが効いた打撃を与えることができる農機具で脱穀するようですが、素人の山小舎おじさんは棒なら何でもいいでしょう、とホーキの柄を使うことにしました。

畑でハザ掛した小豆を持ってきました
鞘だけを切り外しました。本職は行わない作業です

収穫後干してあった小豆の樹から鞘だけを切り取ります。
農家では樹そのものをシートに積んで、回し棒をでぶったたいているようですが、切り取るひと手間を加えてみました。

鞘が乾いていると棒の打撃で鞘が開き、豆が飛び出してきます。
なるほどこれは効率的だ。

シートの上で周り棒ならぬホーキの柄で鞘ごとたたきます
豆が飛び出してきます

豆の姿を見た山小舎おじさん。
早くも豆の収穫が終わったような気になりましたが、小豆を処理する作業はこれからが本番でした。

シートの上には空の鞘と豆だけが残っている、はずなのですが・・・。
そこには大量のゴミ(枯草、枯れ枝、砕けた鞘など)と規格外(かびていたり、壊れていたり、黒くなっている)豆が混じっていたのです。

脱穀の後は選別という作業を行わなければなりません。
伝統的農家では、送風によるごみの選別の後、豆の大きさに合わせたフルイを通して選別しているようです。
山小舎にはそんな道具はもちろんありません。

シートの上のものをザルに集めました。豆のほかにゴミが相当あります

ゴミ取りと選別は手で行います。
時間がなければできない仕事ですので当然後回しの仕事になります。

100円ショップで選別に手ごろなザルを探してみたりしましたが、ぴったりのが見つかりません。
最終的には、農協で専用のフルイを買うしかないのかもしれません。

時間を見つけて、秋の日差しに当たりながらの選別です。
ごみと食べられない豆を捨てます。
大きさにはこだわらず食べられる豆は食べてみようと思います。

秋の陽だまり、ときどきハチやトンボが来て様子を見てゆきます。
選別するおじさんの手にトンボが止まろうとしました。
うれしかったのですが、忙しいのでトンボを追い払ってしまいました。

陽だまりでの選別作業その1
かなり選別できました。。

暑さ寒さも(令和3年の)彼岸まで

令和3年も無事、秋のお彼岸を迎えることができました。
いつ何が起こるかわからないこの時代。
既に「起こっている」じゃないか、といわれればその通りなのですが・・・。

9月の収穫と畑

9月の畑の収穫です。
8月以降、大雨があったり、低温があったり。
ここ最近は30度に近い夏日もあったりします。

畑ではキューリ、ズッキーニが終わりました。
トマトもミニトマト以外は着菓もなくなり、青い実も赤くなる時には傷んでしまうことが多くなっています。

ナス、ピーマンは案外しぶとく、樹自体が元気に生き残っているうえに、ぼちぼちと実もつけています。

この日の収穫。1週間ぶりの収穫です。右上はハックルベリー

ハーブ類も植えていますが放任状態です。
それでも何の気なしに東京に送った、花が咲いたペパーミントや、バジル、エゴマなどに反響があります。
都会の人に新鮮なハーブがアピールするのであれば今後とも栽培を続けようと思います。

穂ジソも収穫してみました。案外東京では人気です

これから収穫期を迎える作物も無事育っています。里芋、ヤーコンは背丈が低いのが気になりますが収穫量と味が肝心です。
菊芋はきれいな花が咲きました。

今年の里芋。夏の間にもっと猛々しく茂ってほしかったが。
今年のヤーコンは丈が低い。問題は収穫量だ
菊芋の鮮やかな花に癒される

カマキリが二匹

野菜の収穫ケースで虫が羽ばたいているので見たらカマキリでした。
ケースをどけてみると2匹います。
交尾の時期なのでしょうか。
とすれば最終的にオスはメスに食べられて子孫のための栄養となるのでしょうか。

かごの底でカマキリが羽ばたく・・
かごをどけてみると2匹いた・・・.
逆さになった・・・

畑の氏神様

畑の最寄りの神社は松尾神社といいます。
畑と大家さんが所属する長久保地区の氏神様です。

ときどき畑の無事と豊作を願ってお参りしています。
この日は夏の収穫が一段落したことのお礼にお参りしました。

すると今まで見過ごしていた岩が見えました。
これって諏訪の神様の依り代にあたる岩なのか。

境内には信州の神社では定番の御柱もたっています。
里山を背に立地している神社です。

諏訪の神様のご神体は、山と岩と木、といわれています。
松尾神社にはその3つが備わっているのです。
松尾神社も諏訪の神様を祀る神社であることがわかります。

畑の氏神、松尾神社
今までは見過ごしていたが立派な岩が鎮座する
御柱も屹立。背後には里山がそびえる

今後とも末永く平和なお彼岸を迎えることができますように。

又・諏訪の神様が気になるの 「諏訪の神・封印された縄文の血祭り」

諏訪の神様が気になって目についた本を読んだり、ついでに関連する場所をさ迷っている山小舎おじさんです。
「諏訪の神・封印された縄文の血祭り」という本が目についたので読んでみました。

この本を手に取ったのは、おじさんのような諏訪の神初心者でミーハー者にとって読みやすいものに思えたからです。
諏訪の神様の世界の始原は、その開闢を特定できないほど古く、文献など記録のない世界。
古事記などの文献に記録されてから以降の諏訪の神様は、果たしてオリジナルの姿を現したものなのか?それともその時代の体制にとって都合のいい姿を現したものなのか?その検証にも決定打となる傍証が乏しいのが実情。

諏訪の神様がカテゴライズされる神道の世界すらが、神仏習合→廃仏毀釈→国家神道と変遷しまくってきています、時代時代における諏訪の神様の位置づけも同様です。

学術的であればあるほど、著者が公平で客観的であればあるほど、その本が著す諏訪の神様の姿は混とんとしており、おじさんのようなミーハーな読者には、かゆいところに手が届かない、のココロ!となってしまいます。

河出書房新社刊の「諏訪の神様」は著者の想像と推察によるものとはいえ、諏訪の神様の歴史以前の姿を具体的に表し、また歴史以後のその姿については古文書に記録された背景にまで踏み込んで独自の解釈を施しつつ、その真の姿に迫ろうとしています。

本書の結論はこうだと思います。

①もともとの諏訪の神はミシャグジと呼ばれるものであり、当時信州から越後にかけての住民にとって、大地溝帯の形成にかかわる大地震を鎮めるべく生贄を供えて祈る対象だった。

②諏訪地方に蘇我馬子に追われた物部守屋一行(冤罪により逆賊とされた)が逃れ、住民に祟り神として畏怖され、タケミナカタの尊としてミシャグジ神と同じ場所で祀られるようになった。
「諏訪大明神絵詞」によるタケミナカタの尊の諏訪入り(地元のモリヤ神を破って諏訪入りした)は鎌倉時代の創作で、タケミナカタの尊とモリヤ神は同一(どちらも物部守屋だから)。

③ミシャグジ神は山、木、石を依り代(神社の本殿にあたる)とした。
諏訪大社本宮でいえば、ご神体(依り代)は境内の硯石であり、背景の守屋山になる。
そこに向かって左90度に座す拝殿とタケミナカタの尊を祭る神居は後になって祀られたことを表す。
御柱を引きずってから立てるのは生贄を供えたことの名残。

④諏訪大社下社2社の設立理由は、ミシャグジ神及び逆賊のタケミナカタの尊を祀る下社を監視、けん制するため。

どうでしょう。
①から④はおじさんの勝手な要約ですが、諏訪の神様のミーハーファンが疑問に思っていたことが明快に解説されています。
全部が著者の独自の理論ではなく、すでにオーソライズされているおなじみの内容もありますが、①のミシャグジ神の根源に切り込んだ部分は著者のオリジナルだと思います。

本宮のご神体といわれる守屋山の山頂

読後の感想は、この本が古文書に基づいたアカデミックな種類のものと、例えば小説家が自分の好みに基づいて自由に発想した時代考証ものとの中間に位置する読み物なのかなあ、です。
著者独自の世界観が展開される本とはいえ、そうだからこそのすっきり感!があります。
誰かが断言してくれるからこそ、一般の読者にとってそこの部分の歴史認識に一定の基準が築けるのです。
仮の基準とはいえ、その後の興味や理解には役立ちます。

縄文時代から続く石棒。ミシャグジ神の依り代の一つか

八切止夫という忘れられた作家がいます。
歴史大衆小説家という後年の評価でしょうが、独自の歴史観から一部に信奉者がいます。
「野史辞典」という著作は古書店で高額で売られています。

古代から中世に至る日本庶民の歴史を、八切史観と呼ばれる、アカデミックな歴史観とは180度異なる解釈で描いています。
例えば、大化の改新とは百済・唐連合軍の進駐によるクーデターで、以来、日本の権力は百済・唐由来の藤原氏が担い、原住民系の純日本人は被差別部落に閉じ込められた、というのが八切史観の根底にあったりします(山小舎おじさんの理解)。
これって、アカデミズムや権力側があえてか無意識にか、残してこなかった歴史観ですが、独断的なその表現といい、権力に忖度しない庶民目線の視界といい、おじさんのような全き庶民からすると誠に心地いいのです。

一時期は八切止夫のファンであった山小舎おじさんからすると、本書の著者・戸板学さんの姿勢にも心地よさを感じてしまうのです。

巨峰で作るぶどうジャム

山小舎では季節の果物でジャムやコンポートを作っています。
毎年ブドウの季節にはジャムを作りますが、ブドウのジャムづくりで難しいのは種の扱いです。

ジャムに向くブドウは、ベリーAなど種有の品種なのですが、その種の扱いに困るのです。
ある年は種ごと煮込んでからザルなどで種を漉そうとしました。
ザルでは皮や実が詰まってしまい種だけを取り出すことができなかったので、しょうがなくお玉で種だけを掬ったことでした。
いずれにしても種有ブドウでジャムを作ることは大変なのだ、という記憶だけが残りました。

今年の秋の一日、八ヶ岳周辺のドライブに出かけ、野辺山の直売所で種なしの巨峰が格安で売られているのを見ました。
ばらばらの実だけをパックしたものが1パック200円で売られています。
ジャムづくりのチャンスだ!と5パック仕入れました。

種なし巨峰4パックと種有を1パックゲット。種有は事前に種を取り除きました!

例年は、イチゴに始まってアンズ、プラム、桃、ワッサー、ネクタリン、プルーン、洋ナシ、ブドウ、リンゴと続く信州の果物ラインナップ。
今年はアンズ、プラムくらいしか加工に手を出していませんでした。
いいところで加工向きのブドウに巡り合いました!

まずは材料を水洗いします。
同時に瓶と蓋を洗ってから煮沸します。
煮沸にはストーブが便利です。
瓶を入れた鍋に薬缶からお湯を張ってストーブの乗っけておきます。

ブドウの実を砂糖を入れて煮るのですが、このまま煮ても皮が残ったジャムになりそれはそれでいい感じなのですが、せっかくミキサーがあるので皮ごと実を攪拌します。

何回かに分けてミキサーにかけます。粒のまま煮てもいいと思います

スムージーになったブドウに砂糖を加えて煮てゆきます。
今回は白砂糖にザラメを加えてみました。
コクが出るのでは?と思ったからです。
砂糖の割合は果実の3分の1から半分程度。
少なすぎなければお好みでいいと思います。

今回は砂糖を2種類、あとでレモン汁も加えました

ジャムは煮てゆくとトロッとなる瞬間があり、そこまで煮るのがジャムづくりといわれます。
一方でかつて「暮らしの手帳」の記事で読んだのは、ジャムはトロトロ煮込むのではなく、さっさと煮て材料の香りを残す、というもの。
どちらの方法を選ぶかはこれもお好みです。

ブドウからは結構アクが出ます

いつものように、煮沸した瓶と蓋を布巾にあげて蒸気を飛ばし、熱々のジャムを詰めてゆきます。
今回は割とさらっと煮てみました。
冷めるととろみも出ますし。

詰めるときにも一工夫。
瓶の中になるべく空気を残さないでおくのは保存性を高めるポイントなのですが、ジャムを詰めすぎると後々蓋がくっついて開けずらくなるのです。

瓶の空気は5ミリ程度残し、瓶の口の周りに着いたジャムはペーパーで拭きとっておいてから蓋をします。
軽く蓋をした瓶を再び熱湯で減圧してから蓋を締めます。

軽く蓋をしてから再び煮沸と減圧します

中瓶と小瓶が1本ずつできました。
材料のブドウ代が小売価格とはいえ1000円かかっているのですからなるほど(ブドウ)ジャムの売値は高いはずです。

9月の八ヶ岳一周

令和3年9月中旬になりました。
毎月恒例の家族来小屋の一行を中央道諏訪南インターまで送りがてら、八ヶ岳山麓を一周してみました。

山小舎を下りインターへ向かいます。
途中の茅野、原村方面から望む八ヶ岳がこれ以上ないほどの景色です。
いつ見てもありがたい山の姿です。

原村から望む八ヶ岳

家族を送ってから、八ヶ岳エコーライン、八ヶ岳高原道路を通って、清里方面へ抜けます。
八ヶ岳の中腹を巻いて走る、標高1300メートルほどのルートです。
休日ということもあり、交通量がありました。

清里方面に来ると寄ってしまうのが、学校寮エリアにある調布市八ヶ岳少年自然の家。
子供たちが小学校のころには、毎年の冬に何度もスキーに来て泊った場所です。
この日は閉館中の様子でした。
早く、市内の学校の研修場所だったり、市民のスキー旅行の宿泊場所として活用再開となってほしいものです。

清里の学校寮エリアにある調布市自然の家
自然の家から望む八ヶ岳

清里から野辺山方面へ下りて国道へ出ます。

鉄道標高最高地点のあたりには何軒かの直売所があります。
今はブドウの季節。
バラの種なし巨峰が1パック200円で売っていたので、ジャム用に5パック購入しました。

この辺りは南牧村になります。
村の中心部にはSL公園がありました。
かつて小海線を走ったというSLが展示されていました。
保存状態が良いのは屋根付きの場所に置かれていることと、普段の手入れのせいなのでしょう。

野辺山の直売所から望む八ヶ岳
加工用巨峰が全部で1000円
南牧村のSL公園から望む八ヶ岳
コスモスの背後には高原のキャベツ畑が広がる八ヶ岳山麓風景

野辺山から八ヶ岳の東側を北上し、小海町へ進みます。
ここら辺、八ヶ岳の姿は望めず、千曲川上流の谷の地形に沿ってのルートです。

さらに北上し佐久市のエリアへ。
周辺の人口も増え、通行量も頻繁です。

佐久市の野沢地区にあるピンコロ地蔵にお参りしました。
立派なお寺の山門脇に立つピンコロ地蔵。
参道両脇には屋台がいつでも出店できるような状態ですが、この日は1店も出店していませんでした。
年末年始には屋台が出るのでしょうか。
門前のたい焼き屋さんで記念のたい焼きを買って帰りました。

ピンコロ地蔵ヘ向かう参道風景
ピンコロ地蔵もマスク姿
門前のたい焼き屋さん
皮が美味しいたい焼き1匹160円

佐久から八ヶ岳の北側を白樺湖に向かって峠を越えて山小舎への帰路につきます。
雨境峠から望む蓼科山は頂上に雲をいただいていました。
平地では暑いくらいの一日。
秋の日の気持ちのいい軽トラドライブでした。

八ヶ岳連峰北端の蓼科山

玄関内を DIY!

山小舎の玄関は来客の入り口ではありますが、同時に靴・スリッパなどの置き場所として、さらには納屋として、また野菜の貯蔵庫としても使われているのが現状です。

刈払機、鉞、大ハンマーさらにはガソリン携行タンクの置き場所として使われています。
収穫した野菜はかごに入れたまま、新聞紙で覆って一義的にここに置かれています。
位置的に便利なのと気温が室内と室外の中間で野菜にちょうどいいこともありますが、ちょうどいい納屋がないのが原因です。

そういった使い方をしている玄関ですが、仮にも民家の入り口として見たときに、その埃臭さと、たたきの泥汚れが気になっていました。
ホーキでささっとやるだけでは払いきれない泥埃です。
また、ガソリンタンクや刈払機の下には、段ボールが敷いてあるとはいえ、燃料漏れのシミもあります・・・。

この玄関、たたきの部分も板で葺かれています。
さすがにそれでは土足に対応できないとのことで、ベニヤが板のたたきの上に敷かれ固定されています。
たたき代わりのベニヤは汚れ放題で、またベニヤとたたきの境目には泥埃が溜まってしまっています。

そこで秋晴れの日に思い切ってDIYすることにしました!

先ず、敷いてあるベニヤを取り外します。
数か所ねじでとめてあるベニヤを力ずくで剥ぎ取ります。
ついで玄関内に置いてあるものすべてを戸外に出して虫干し。
玄関内をホーキで掃きます。
元のたたきの板の溝に入り込んだ泥埃は掃除機で吸い取ります。
そのあとで何度も雑巾で水拭きします。

晴天時に玄関を開け放ってここまでやっただけでかなりすっきりします。

ベニヤを撤去して拭き掃除をした玄関その1
おなじくその2

新しいベニヤをサイズに合わせてカットします。
今回は玄関内すべての部分をベニヤで覆うこととし、大小3枚のベニヤをカットします。

カットしたベニヤにケミソートで塗装します。
ケミソートを塗る理由は防水・防腐性を高めるのと塗料のにおいで誇り臭さを抑えるためです。

たたき用のベニヤをカットする
カットしたベニヤに防水防腐塗装する

塗装の用意をしたついでに、玄関外の踏み板を日光に当てて乾かし、ケミソートを重ね塗りしました。

ベニヤ3枚を玄関内にはめ込みます。
中央の1枚だけを釘で固定し、残りは敷くだけにしました。
その方が今後の掃除がしやすくなると思ったからです。

これを機に、刈払機の置き場はベランダの奥としました。

玄関内がすっきりときれいになりました。

山小舎のような木造家屋は、手入れを行うとともに、使いやすいようにアレンジしてゆくことが大事だと思いました。

新しいベニヤをセッテイングした玄関

ハックルベリー、ほおずき、小豆を収穫

畑も秋に入りました。
夏野菜の盛りは終わりました。

キューリの樹は枯れ、トマトは収穫が遅れると実が傷むようになりました。
ズッキーニも終わっています。
トウモロコシ、かぼちゃは全量収穫しました。
ナスとピーマンはしばらく続きそうです。

代わって秋の作物の収穫が始まりました。

ガーデンハックルベリーの実が旺盛になっています。
ガッテン農法で立てた畝に植えたからでしょうか。
去年とは別の作物のような生育ぶりです。
実の重さで枝がたわむほどの鈴なりです。

彩ステーションへの出荷に合わせて初収穫してみました。
実をつける小枝が枯れ始めていないので、ちょっと早目かもしれません。
まだまだ収穫できます。

たわわに実るガーデンハックルベリーの実

食用ほおずきも初収穫しました。
東京方面ではファンもいる作物です。
去年暮れには山小舎おじさん帰宅の折に直々に「来年も作ってください」とのリクエストを受けて驚きました。
今年は樹の生育がいつもほど旺盛ではないのですが、初収穫としてはまあまあの量でしょうか。

食用ほおずきが実ってきた
初収穫!

気になっていた小豆を収穫しました。
鞘が枯れ始めているのは知っていたのですが、いつ収穫すればよいのかわからず、そのままになっていました。

調べると、鞘が枯れ始めたら収穫してよいそうなので根っこごと引き抜きました。
支柱で簡単なハザを組み立て、稲のように樹ごとハザにかけました。
頃合いを見て収納し、鞘から豆を取り出すことにします。

一部の樹は持ち帰って、翌日鞘をとりました。
鞘がかびてしまっているものは中の豆もダメになっているようです。
小粒ながら食べられそうな実もあります。
こちらも実を外して保存しようと思います。

収穫を前に小豆畑に簡易なハザを立てる
ああzあずあずkあずきあずきwあずきをあずきをnあずきをぬあずきをぬいあずきをぬいtあずきをぬいて小豆を抜いて小豆を抜い小豆を抜小豆を小豆小
家に持って帰った小豆の鞘を外す。この中に豆が入っている

外壁塗装で DIY!

畑の繁忙期も過ぎ、別荘地管理事務所のバイトもしばらく休んで、ひたすら命の洗濯にいそしんでいる山小舎おじさん。
夏の疲れをいやしつつ、山小舎周りを散見すると、そこにはDIY関係の懸案事項が山積しています。

この日は外壁塗装に取り掛かることにしました。
山小舎の外壁は築後20年ほどは手入れされていません。
特に雨のかかる場所は防腐の意味からも塗装による手入れが急務でした。

ベランダの雨ざらしの個所は、コールタール系の塗料を重ね塗りしました。
その後、外壁に取り掛かろうと、まず台所側の外壁を塗ることにしました。

そこは秋になると薪を軒下に積む場所にもなるので、その前に塗ってしまおうと薪をどけておきました。
そしてたわしで壁をこすって汚れを落としました。
煤のような、泥のような汚れが取れ、木の肌が現れました。
良く乾燥させた後に塗装しようと思っているうちに夏が過ぎ、秋になっていました。

なお、壁の上部などたわしが届かない場所は、高圧洗浄しようと、自宅からケルヒャーを持ってこさせました。
しかしながらケルヒャー、水圧でホースが外れやすく、さらにジェット噴射のノズルが用意できていなかったため、山小舎の実用的には使用却下となりました。

洗浄した部分と残った部分がくっきりと対比をなす外壁。左にどけてあるのは薪積に使うラック。

夏が過ぎ、秋風が吹きわたっています。
天気の良い日を狙っていよいよ塗装です。
使用する塗料は、ケミソールというコールタール性の塗料。
ベランダと同様に、雨にさらされる場所の塗装にはこれを使おうと思います。

脚立を用意します。
脚立を使っての塗装も一苦労です。
上った先で、塗料缶と刷毛を使いながらの作業が思ったより大変なのです。
脚立の脚をしっかり安定させることも安全上重要です。

ケミソールはサラサラの塗料なので、乾いた壁板にどんどんしみてゆきます。
被膜を作って防水するタイプの塗料ではなく、材質にしみ込んで防水、防腐するというタイプの塗料です。
一度塗っただけで色がつくような塗料ではありません。

ケミソートを一斗缶から手持ちの缶へ移し入れ、刷毛を用意する

何とか洗浄した部分のほとんどを塗装できました。
まだまだ染み込み具合が足りないので、毎年、重ね塗りしていこうと思います。

次回は残った部分の洗浄と塗装です。

半分塗り終わった外壁。塗り残した部分を見ると当初明るい色で塗装されていたことがわかる
翌日重ね塗りしました。まだ乾いていないので色が濃く乗っていますが、この後しみ込みます。