野焼き

11月の下旬になりました。
標高1400メートルの山小舎おじさんの棲家周辺では、初雪が降りました。
山小舎では朝夕、薪ストーブのほかに灯油ストーブも焚いて暖をとっています。

例年では、灯油ストーブは補助の暖房で、家族が来るときや、1月、2月の山小舎来訪時にしか使っていませんでした。
灯油を購入するときも18リットル入りの1タンクずつ買っていました。
今年は石油高騰にもかかわらず、18リットルタンクを一度に2個買ってしまうくらい寒さがこたえる冬の初めです。

畑の冬じまい作業へ向かいます。
山小舎付近は雪で真白な日も、標高700メートルほどの畑はポカポカでした。
畑へ向かう道すがら、標高が下がるにつれ、凍った道路が溶け、乾いてゆきます。

この日は午前中に野焼きをしました。
前日に消防署には届けてあります。

燃やすのは野菜の残滓のほかに、枯れた雑草、切っておいた樹木の枝などです。
切ったり刈ったりしておいたそれらは、晴れた日が続いているので、よく乾いています。

いったん火をつけたら消えるのに半日ほどかかった年もありましたが、今年の野焼きは材料がよく乾燥していたせいか2時間ほどで燃え尽きました。

トウモロコシの茎などもよく燃えました。トマトなどの残滓は全部燃やすようにしましたが、トウモロコシの茎の一部やよく乾いた雑草などは、養生のため?に畔に敷いておくようにしました。

今までは極力余計なものは畑から除き、石灰を蒔いて耕耘して冬じまいとしましたが、ガッテン農法が今年うまくいったので、そのやり方でやってみようと思います。
畔や畝は枯れ草などで養生しておくやり方です。

燃やしている間に、空いている場所にガッテン農法による畝立てをしました。
今年は2本ほど作り、全部で13本。
「上」の畑がほとんどガッテン農法による畝となります。
不作や病害虫の葉性などの問題がなければ、毎年同じ畝を使い続けようと思います。

玉ねぎは活着しました。
これまでで一番良い育ちぶりです。

人参を掘って今年の収穫じまいです。
成長しないままの人参ばかりでした。
過去にこの畑で豊作だったこともあり、何が原因だったのか?

午前中は天気が良い日であればポカポカして、畝立て作業の時などは長そで1枚で丁度いいくらいです。

畑から美しが丘高原方面を望む

玉上げ

丸太を薪にするためチェーンソーでサイズにカットすることを玉切りといいます。

玉切りした丸太を割って薪にします。

山小舎では、丸太の山を玉切りした後、薪割り場所に運んで薪割りをします。

木の葉が緑だったころに山と積まれたシラカバの丸太をせっせと玉切りしています。
玉となった丸太を今日は軽トラに積んで薪割り場所に運びました。
この作業を、「玉切り」に合わせて「玉上げ」と呼ぶことにします。

かつてはシラカバの丸太が天を衝いていました
11月下旬になって玉切りがここまで進みました

本日は主にシラカバを玉上げすることにします。

軽トラの荷台に玉を放り込んでゆきます。
大きなサイズの玉は立たせて乗せます。
こうするとたくさん積めるのと、下ろしやすいからです。

サイズ(口径や丈)が小さいものは放り投げて雑然と積み込みます。

荷台に一山積んでも軽トラは馬力があるので大丈夫。

玉を荷台に積んでゆきます
このくらい積んでも大丈夫です

薪割り場所(といってもすぐ隣)に軽トラの荷台をつけます。
大きな玉から立たせて下ろしてゆきます。

こうすると場所を取らずに済みますし、薪割りの作業がしやすくなります。

細かなものは空いている場所などに放り投げて、玉上げの終了です。

薪割り場所に玉を下ろしてゆきます
一山積んで今日の玉上げは終了です

軽トラ流れ旅 善光寺街道

11月下旬の雪の予報の日、善光寺街道(国道403号)を走ってみた。
善光寺街道(西街道)は善光寺(長野)と松本を結ぶ街道。
現在では、国道403号線、JR篠ノ井線、高速長野道が旧道をトレースするように走って長野と松本を結んでいる。

稲荷山商店街

スタートは千曲市の稲荷山とした。
善光寺街道最大の宿場であり、かつての商都であった稲荷山のまちを歩いてみたかった。

千曲市稲荷山地区の善光寺街道に面した商店街

街中の無料駐車場に軽トラを止め、商都の面影を残す蔵のまちエリアを歩いてみる。
善光寺街道から1本裏手にある。
かつて生糸と繊維業で栄えたという県内有数の商都の面影に接することができる。

稲荷山に残る蔵
蔵と土塀が形作る小路

表通りに戻ってみる。
通りの商店街は全国各地の商店街の現状例にもれず、さびれている。
おやきの看板を掲げる店が開いていた。

おやきと稲荷ずしを買いながら話を聞く。
元はお茶屋さんだったという商家を借り、営業しているNPO法人とのこと。

お茶屋さん時代の調度、備品をそのまま残してあるのが興味をそそるとともに、改めて稲荷山の昔日の興隆に思いをはせた。

お茶屋の旧商家を再利用したおやき屋さん
店の内部。小上がり
店の内部。お茶を入れるカメなどが残っている
おやき3個とお稲荷さん3個で480円だった。

おやき屋さんに稲荷山の見どころを聞く。
龍洞院というお寺がいいと言ってくれたので、寄ってみることにした。

おやき屋さんの話によると、龍洞院の住職は永平寺の偉いさんだった人で、奥さんが正田美智子さん(現上皇后)のお知り合い?とのことだった(マスク越しの会話でよく聞こえなかったが・・・)。

龍洞院は山すその気持ちのいい場所に立つお寺で、境内はよく整備されていた。
紅葉は終わりかけていたが、最盛期にはさぞきれいなことだと思った。

龍洞院のお堂
鐘突き堂
お寺のそばには篠ノ井線が走る

聖高原と博物館

善光寺街道を西へ向かい、峠を越えて聖高原を目指す。
稲荷山宿と峠の間に宿場っぽい町並みが残っている。

稲荷山から峠への途中にある桑原宿

山道に入り、姨捨のあたりを越える。

姨捨から千曲川方面を望む

雪がちらつき、やがて山林は雪景色に変わる。
地温はまだ高く、路面が溶けているので助かる。
オールシーズンスタッドレスを履いている我が愛車とはいえ、峠の雪道はなるべくならば避けたい。

峠道を上るにつれ雪景色に

善光寺街道中の難所といわれた猿ケ馬場峠を越えると、聖湖が現れた。
猿ケ馬場峠は、かつて芭蕉や正岡子規も越えた記録がある。

峠を越え聖湖に到着。冬景色だった

このあたりからが聖高原のリゾートエリアなのだろう、聖博物館の看板が見えたので寄ってみる。

聖博物館による

伊勢神宮の荘園だったという麻績地区の神社仏閣や、聖山を中心とした山岳信仰、麻績宿の歴史などが主なテーマの博物館。
小規模ながら力のこもった展示ぶりに大いに興味がそそられる。

善光寺街道に関する展示内容その1
その2

このあたりには東洋のマタハリといわれた川島芳子の日本人養父の別荘があり、長野県で女学校を出た芳子も滞在したという。
伊勢神宮との関係といい、川島芳子といい、のっぴきならぬ気配漂う聖高原の歴史背景である。

底冷えの館内をはい出て、受付のおばさんに挨拶。
聞けば、今年は積雪が早く、11月に雪かきをしたのは初めてとのこと。
雪道を気を付けながら国道に戻り、先を急ぐ。

麻績村には「川島芳子」の養父の別荘があった
珍しい和装姿の芳子の写真もあった(右側)

麻績宿、切通し、青柳宿

聖高原から善光寺街道を下るにつれ道が乾き、日差しがポカポカしてくる。
里は晩秋とはいえまだまだ小春日和だ。

麻績宿の名残を探す。
篠ノ井線にあっては聖高原駅周辺が中心部の麻績村。
善光寺街道の旧道沿いが宿場のあったエリアだった。

麻績宿の現在

麻績村を抜け、国道403号線を走り、青柳宿を目指す。
青柳駅方面の標識を左折する。
車1台がやっとの幅の旧道が続く。
旧道には青柳宿までの間に2か所、切通しがある。

旧道にある大切通し

住民らが掘ったという切通し。
壁にはノミの跡が残っていて、岩の上には道祖神らが見守っている。

切通しの側面に残るノミ跡
切通しの上に残る道祖神

切通しの地形は不思議な魅力を持つ。
その向こうには知らない世界が待ってでもいるかのような。

切通しを抜けると青柳宿。
旧道ということもあるのか、まったく道幅を広げていない。
バスがぎりぎり通れるか?くらいの狭い道幅の宿場町。
古民家がずらりと並んでいるわけではないが、道の狭さに歴史が詰まってでもいるかのような世界だった。

青柳宿

国道に出て道の駅さかきたへ寄って昼食。

道の駅さかきた(築北村)
釜揚げうどんセット。1000円。

築北村にまで来た。
このまま403号線を行けば安曇野市を抜けて松本へと続く。
一方、築北村は山を挟んで青木村へも接している。
青木村は我が山小舎がある長和町とともに小県郡を構成している隣村でもある。
帰還はもうすぐだ。

中山道シリーズ第七弾 笠取峠の松並木

中山道六十九次中、二十六次・芦田宿と二十七次・長久保宿の間に笠取峠があります。
笠取峠には江戸時代に植樹・整備されたという松並木が残っています。

広重・木曽街道六十九次より望月宿。描かれているのは笠取峠松並木

現在の国道142号線は、ほぼ旧中山道をトレースし、高崎から軽井沢へと碓氷峠を越え、佐久平を貫通して諏訪へと峠を越えてゆく幹線道路です。
関東から諏訪、松本方面へつなぐ物流ルートとしてトラックなどの交通がひっきりなしに行きかっています。
山小舎おじさんも、別荘地の周りの人たちも、佐久、軽井沢方面への行くときによく利用する道です。

国道142号線のルート上で、佐久平から諏訪方面へと越えるときの最初の峠が笠取峠です。
峠は、現・北佐久郡立科町と小県郡長和町の境に位置しています。

この日は、長和町から立科町に向かって国道142号線を走りました。
笠取峠を越えたあたりに右手に斜めに折れる旧道があります。
そこが、旧中山道の景勝地として、安藤広重の浮世絵にも絵が画れた松並木への入り口です。

国道142号線から松並木へ折れる分岐点

斜めに折れた道に入ってゆきます。
いわゆる松並木の景色を残したところもありますが、現在では松がところどころ残っている並木跡、といった風情です。

今に残る松並木

旧道は国道142号線を越えて続いています。
国道を逆落としに突っ込んでくるトラックたちに気を付けながら渡ると、常夜灯が建つ公園のような場所になっています。
峠の茶屋があった場所だそうです。
現在では、駐車場とトイレを備えた広場として整備されています。
地元の人々により中山道の歴史が大事に保存されている様子がわかります。

峠の茶屋跡

街道を芦田宿方面(軽井沢宿方面)へと下ってゆく眼前には佐久平が広がり、遠く浅間連峰が望まれます。
今よ変わらなかったであろう昔日の景色を想像できるかのような一瞬です。

松並木より佐久平方面を望む

山の初雪

山小舎周辺に初雪が積もりました。

11月下旬。
例年に比べ、いつまでも変に暖かかった今年の11月。
勤労感謝の日のあたりから季節が進み、初冬らしい寒さがやってきました。

山小舎もスリーシーズンの採光用に開けた天井を防ぎ、朝晩は和室の襖を締めて暖房効率を上げようとしていたある朝、屋根の上が白くなっていました。

毎年のことながら雪が降り始める頃に本格的な寒さがやってきます。
また、雪が降ったり溶けたりする初冬の頃が体感的には一番寒く感じるものです。
明け方頃、布団越しに寒さを感じて目が覚めることもあります。

木々の葉はすっかりなくなっています。
これからは外の作業にも気を付けなければなりません。
寒さと滑りやすくなることです。

外や玄関先に置いてある野菜の凍結にも用心しましょう。
外の水道管はすでに落として(水抜きして)あります。

鹿の足跡。雪の日でも寒さに強い鹿です。

今日は標高1400メートルの山小舎周辺に雪が積もりましたが、標高が下がる長和町の中心部では雪どころか、道が乾いた状態だと思います。
長和町の天気予報は晴れです。
それほど山の天気は寒いのです。

信州ソウルフード放浪記VOL.11 新そば

道の駅・信州新町に出店している「そば信」という店で今年の新そばを食べました。

11月中旬のある日、長野の相生座に、ベルモンド傑作選「リオの男」を観に行きました。

その帰り、ほんの出来心からいつものコースを避けて帰ろうと思い立ちました。
いつもは千曲川沿いのコースを上田に向けて南下して帰るのですが、この日は長野から西方へ向かう、大町街道と呼ばれる山越えの道を進み、国道19号線で松本をかすめて帰るルートを選択しました。

国道19号線は犀川沿いに進む山間の国道で、位置的には東の千曲川流域と西の糸魚川構造線の間を南下します。
信州新町、生坂村、安曇野市といったあたりを進みます。

長野市を離れて割とすぐに、ダムが現れこの先の厳しそうな山越えルートを予感させます。
ダムとダム湖の風景を右に左に見つつ、国道19号線を進むと道の駅が現れました。
道の駅・信州新町です。
地場産品には興味津々の山小舎おじさんは一も二もなく寄ってみます。

平日の雨天の割には混雑した駐車場に軽トラを止め、建物に入ります。
道の駅は直売所と食堂の二部構成になっています。
来客で混んでいます。
直売所を一渡りします。
リンゴ、長芋など季節の産品のほか、「しょうゆ豆」という大豆製品、地酒、地味噌などが並んでいます。
地ワインというものもありました。

食堂の方ものぞいてみます。
食券販売機の前に列ができています。
よく見るとそばの専門店のようです。
お客さんはここのそば目当てに来ているような感じもします。
長野で昼食を摂ってきたおじさんですが、この食堂の様子を見て、そばを試したくなりました。

ざるそば1枚を頼みます。
新そばというには季節を逸しつつありますが、そばには疎い山小舎おじさんにとって細かいことは関係ありません。

そば信のメニュー

二度目の昼食ながらあっという間に平らげました。
そばの香りとかはよくわからないのですが、噛み応えと食べ応えがありました。
東北で手打ちそばを食べたときに、通常の量のそばながら、満腹になったことを思い出しました。

周りを見ると皆さん、アクリル板越しに音を立てずに食べているように見えました。
山小舎おじさんはいつも通りに盛大にすすって食べました。
その方がよりおいしく感じました。

ざるそば530円

食堂にはおやきのコーナーもあり、ここにも人が並んでいました。
試しに2個ほど買ってみました。
これがうまくてびっくり。

おやきの皮というと、パン生地のようにふわっとしたタイプが多く、モッチリしたものは少ない印象です。
ここのおやきの皮はモッチリした生地を焼いて香ばしくしたようなタイプでした。
灰の中で焼いたというオリジナルのおやきの皮におそらく近いのでは?と思いました。
具も野菜がゴロゴロ入っていて味付けもはっきりしていて満点の味でした。

信州新町は「かあさんの歌」発祥の地だった

道の駅・信州新町のそばとおやき。
次回は家族を案内して来たいと思える味でした。

なお、国道19号線の信州新町・安曇野間の山間ルートは、険しい山越えもなく、集落を結ぶ昔ながらのひなびた道筋で気に入りました。

ビリー・ワイルダーと映画「異国の出来事」

渋谷シネマヴェーラの「神話的女優」特集で、ワイルダーの日本未公開作「異国の出来事」を観ることができた。1948年の作品で、マレーネ・デートリッヒとジーン・アーサーの競演。
終戦後のベルリンにロケして、瓦礫の山となった当時の風景を写し取っている。

ワイルダーの監督作品としては7本目。
「深夜の告白」「失われた週末」の後、「サンセット大通り」以前の作品である。

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ系で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロまでしたワイルダーが、アメリカに亡命したのは1934年。
ドイツ時代に脚本家としてデビューしていたワイルダーは渡米後、ハリウッドに脚本を売り込み、チャールズ・ブランケットと共同で「ニノチカ」(1939年 エルンスト・ルビッチ監督)などの脚本作品を発表。
1942年の「少佐と少女」で本格的監督デビューしている。

シネマヴェーラ「神話的女優特集」

1948年「異国の出来事」発表当時のワイルダー周辺の状況は、「失われた週末」がアカデミー作品賞を受賞しており、ハリウッド主流の監督として売り出し中であったこと。
また何より重要なのは、亡命を余儀なくされたとはいえ、故国ドイツ(旧オーストリア=ハンガリー帝国を含む)が戦争に敗れ、若き日を過ごしたベルリンが瓦礫と化したことであったはずだ。

自身は戦勝国の売り出し中の映画監督として安全な地位にはあるものの、自らのアイデンティティをなす場所や価値観の崩壊する時代を迎えたときに、たとえそれが反語的な意味であっても、個人的な感情、感慨は抑えきれないものがあるだろう。

シネマヴェーラのチラシより

ということで、何よりワイルダー自身の興味と郷愁と慚愧の念(ワイルダーがアメリカ亡命後、一度ウイーンに戻って母親をアメリカに連れてゆこうとするが母は断りその後行方不明となっている)を乗せて、アメリカの輸送機が戦後のベルリンに降り立ってゆくファーストシンから映画が始まる。

輸送機の乗っているのは、占領軍の軍紀を調査に来たアメリカ議員団。
唯一の女性議員がアイオワ州選出のジーン・アーサー。

山小舎おじさん的には「シェーン」(1953年)のお母さん役で忘れられない女優だが、全盛期は1930年代。
「異国の出来事」の時はすでに40歳台だが、いかにも親しみやすい顔つきと、ひっつめのヘアースタイルと動きやすいスーツに身を固めた、快活で単純なアメリカ女性像の典型を演じて全く違和感がない。

「平原児」(1936年)のジーン・アーサー
「シェーン」(1953年)のジーン・アーサー

ジーン・アーサーが単純明快なアメリカ民主主義の象徴を演じるならば、待ち受けるアメリカ進駐軍の大尉を演じるのがジョン・ランドというヤニさがった男優。

クラーク・ゲーブルを思わせるちょび髭と女性に関してはマメすぎる態度。
戦闘行為以外にはやる気たっぷりで、占領先ではいかにして現地女性を誑し込むかを最優先に考える典型的アメリカ軍人の役で、キャバレーの歌姫で過去にナチス高官との関係が疑われるドイツ女性(デートリッヒが演じる)を瓦礫の一室に囲って毎夜通ってもいる。
彼は議員団の案内役を務める。

堅物の女性議員が、アメリカ兵と元ナチスの愛人との関係をかぎつけ、その相手がジョン・ランド扮する大尉とは気づかないまま、大尉本人とともに調査を行うことから巻き起こるドタバタ劇。

デートリッヒとアーサーの邂逅は、瓦礫の中のキャバレーで行われる。
堂々とした登場ぶり、歌とふるまいで場をさらうデートリッヒのステージシーンが映画全体で2回見られる。
デートリッヒがアーサーに面と向かい、その田舎臭い(アメリカ臭い)髪型とファッションを独特の表現で揶揄するときの貫禄。

単純明快なジーン・アーサーは、ドイツ女性との関係を隠そうとして色仕掛けを仕掛ける大尉の手練手管にころりと参り、キャバレーで泥酔してアイオワ州の歌を歌う。
瓦礫のベルリンでは全く場違いなアメリカの田舎の歌にシラケる米軍ロシア軍混合の酔客たち。
さすがに困惑するアーサー。
挙句は酔客の兵隊たちに胴上げされたアーサーは、そのまま天井の梁にぶら下がってバタバタする。

ある意味「米国の良心」を具現したかのような女優にこういった演出を行う、ワイルダーの底意地の悪さが全開する場面だ。

映画は、女性議員とスケベ大尉の占領地の恋を感傷的に扱ったフィナーレを迎える。
ナチス協力者でアメリカ兵ともうまくやっていたデートリッヒもナチ協力者として捕まって終わる。
当時のアメリカ映画の価値観に沿った結論となる。

では、「異国の出来事」が単によくできたコメデイか?というとそれだけではない。
全体を通してのトーンは暗さ、である。
背景が瓦礫のベルリンとそこに暮らす困窮した人々、ということもある、が、ワイルダーが描くベルリンは、ネオレアリスモの監督たち(ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカなど)が描くローマとは全く異なり、敗戦国の悲哀を全世界に訴えるといった視点は全くない。
闇市でごった返すドイツ国民に対するワイルダーの視線は冷ややかで諧謔的でさえある。

作品にあるのは、アメリカ軍のいい加減なスケベぶりであり、アメリカ民主主義の単純明快な押し付けぶりであり、デートリッヒの役柄に託された、敗れたとはいえ毅然と生きるドイツ人の矜持であった。

マレーネ・デートリッヒ

ベトナム戦争の後では、「マッシュ」(1970年 ロバート・アルトマン監督)や「キャッチ22」(1970年 マイク・ニコルズ監督)などで徹底的におちょくられまくることになったアメリカの軍隊を、「正義」の第二次世界大戦直後の1948年の時点で、コメディーの体裁をとってのこととはいえ、相当程度にここまで風刺を効かせて描いた作品があったろうか?

定型的アメリカ女性の髪形やファッションを、敵役のセリフに託してとはいえここまではっきりと揶揄したことはあったのか?

反面、デートリッヒのベルリンのキャバレーでのステージを演出するときのリスペクトぶりはどうだ?
まるで、敗れたりとはいえ故国に殉じて戦った同志を誇らしくも労わるかのような視線に満ち満ちているではないか。

そこにあったのは、自分自身の問題として、ワイルダーが素通りできなかった祖国への複雑な思いだ。

「異国の出来事」はワイルダーにとっては、「この作品を撮らなければ前に進めない」ものだったのだ。

その個人的なテーマ性から、ヒットもせず、日本に輸入もされなかったのかもしれないが。

シラカバを割る

山小舎の暖房は薪です。
雪が降るまではオールシーズンにわたって丸太を切り、薪割りして積み上げて干しておきます。

丸太の主なものはカラマツです。
その次にシラカバ。
どれも資源としては価値のないものです。
たまにミズナラなどの広葉樹の丸太も入手できます。
薪として売られているのは、これらの広葉樹です。

今年の秋にシラカバの丸太がどっさり来ました。
久しぶりにシラカバと格闘の日々です。

集まったシラカバの丸太を手当たり次第に玉切りする

木材によって、切りやすさ、割りやすさが違います。
丸太を玉切りするときに、切りやすい順にカラマツ、シラカバ、ミズナラとなります。
材質の密度に関係あるのでしょうか。

割りやすいのは、ミズナラ、シラカバ、カラマツの順になります。
これは木材の繊維がまっすぐかどうかによります。

玉切りしたシラカバを台に乗せて薪割りの準備

玉切りしたシラカバを割ります。
シラカバは巨木が少ないので、四つ割りか二つ割りにします。

玉の直径と丈の長さにもよりますが、鉞で一刀両断は困難な場合が多いので、くさびを使って割ります。
くさびを打ち込むと大体素直に割れてゆきます。
断面もきれいです。
最後まで繊維がもつれて、割りずらいカラマツとは違います。

たいていのものはくさび一つで割れる
大きなものはくさびを二つ使う
細いものは鉞で割れる
シラカバの薪は断面がきれい

よほど節が多かったり、直径が大きく丈が長い玉は、チェーンソーで切り込みを入れてから割ってゆきます。

シラカバは、広葉樹などに比べて早く乾きます。
早く乾くということは重さが減り扱いやすいということです。

火持ちは広葉樹に比べてよくありませんが、量があればカバーできます。
また皮に油分が含まれており、皮だけを集めておくと焚付として使えるのも重宝します。

景色としては風情がありますが、資源として価値がなく、数十年で腐って倒れるシラカバは実は山の嫌われ者です。が、山小舎おじさんにとっては十分価値のある資源です。

積んでおいて来シーズンの燃料に使用

長野相生座と「カトマンズの男」

権堂通商店街

長野市の中心部、善光寺表参道と交差して一筋のアーケード街がある。
権堂通商店街といい、その昔は善行寺参りの精進落としの場として、遊女を置くような店があった場所らしい。

今では洋品、雑貨、食堂などが並ぶ商店街で、1本裏にはいると風情を感じるバー、料亭なども見える。
中心部からそれるにつれ、アーケードの覆いがなくなり、居酒屋などが並ぶ飲み屋街へと姿を変える。

ここ権堂通商店街の一角に相生座がある。

当日朝の権堂通り商店街

相生座

明治25年に芝居小屋として開設し、国内最古級の歴史を誇る相生座。

県内には、上田映劇、伊那旭座、塩尻東座、茅野新星劇場などのが歴史を誇る映画館が現存する。
映画館らしい外観はもちろん、大スクリーンを擁し天井が高く2階席がある場内、現役のフィルム映写機もあったりする。

その中で、歴史、上映作品の質量で県内トップの映画館が相生座である。
長野市は遠いのだが、山小舎おじさんも相生座の、小津4K特集やルイス・ブニュエル特集には駆け付けた。

相生座前景。3スクリーンを持つ

支配人は女性で、時には入場者にほうじ茶をふるまうなどアットホームに対応してくれ、山小舎おじさんとの雑談にもよく応じてくれる。
支配人の心配りはホールの展示や、枕の貸し出しなどにもうかがえる。
何より上映作品のセレクトに映画への愛と営業への熱意がにじみ出ている。

商店街から映画館へのアプローチに掲示されるポスター

上映作品はいわゆるミニシアター系の新作が中心だが、時には地元テレビ局製作のドキュメンタリーを上映したり、関係者の舞台挨拶もよく行われる。

何よりオールドファンにうれしいのは、過去の名作特集。
最近では、小津、ブニュエルのほか、デジタル版の「天井桟敷の人々」が特別料金で上映されたりした。
こういった点にも、県内最高レベルの映画館の自負がうかがえる。

映画館前のポスターには独特のワクワク感がある

ベルモンド傑作選「カトマンズの男」

相生座でこの秋に上映されたのがベルモンド傑作選。
ジャン=ポール・ベルモンドの主要作品をデジタルで上映するもの。
この日は名コンビ、フィリップ・ド・ブロカ監督の1965年作品「カトマンズの男」。

10時の上映時間に合わせて、7時に山小舎を出発したおじさん。
交通量の多い朝方の道をかき分け、9時半過ぎに相生座に到着しました。

入場者受付で忙しそうな支配人の暇を見て雑談。
作品の輸入元のキングレコードの英断で実現した企画だが、版権先との交渉が大変で値段も高かった。
ベルモンドはフランスでは国宝級の人物ですからね。とのこと。

日本ではヌーベルバーグの主演者の一人として映画史に残っていますが、娯楽アクションスターの位置づけだったベルモンドは単独では回顧上映は組みづらかったことでしょう。
ベルモンド88歳での逝去をきっかけにしたとはいえ、企画してくれたキングレコードと、上映してくれた相生座には感謝です。

当日10人ほど駆け付けた観客。
年代的にも中高年。
リアルタイムではベルモンドもすっかり落ち着いていたころの世代となります(山小舎おじさん的には「ラ・スクムーン」(1972年 ジョゼ・ジョバンニ監督)、「薔薇のスタビスキー」(1974年 アラン・レネ監督)がリアルタイムのベルモンド)。
リオやカトマンズを駆け回る「男」シリーズはテレビ洋画劇場で見るイメージでしたね。

で、この「カトマンズの男」。
邦題ではカトマンズとは銘打ちながらも、ほとんどが香港を舞台とするアジア冒険活劇物で、カトマンズは王宮やボダナートと思われる巨大仏舎利でロケされており、インドから到着する空港は、マチャプチャレがバックに見えるポカラ空港である。

ロビーにはアメリカ公開時のポスターも展示

が、そんなことはどうでもいいほど画面に活力と魅力を漲らせるのが若いベルモンドのアクション。
スタントマンを使わないといわれるだけあって、ほとんど全部のシーンに体を張って、香港ではクレーンに追り上げられ、竹で組んだ足場を走り回り、市場の野菜や卵に飛び込む。

上映開始を待つ場内

ヒマラヤでは、気球から吊り下げられたロープをよじ登り、山脈の崖をよじ登り、雪山を転げ落ちる。

南国ランカウイ島では、ヒロイン(ウルスラ・アンドレス当時29歳)とのつかの間のロマンスに興じ、像に乗って悪漢を撃退したりする。

とにかくサービス精神旺盛で、アクション満載。
観たままを楽しめばいい造りながら思ったよりはるかに大作。
全編に近い場面がアジアの現地ロケであるところもいい。
ド・ブロカとベルモンドの若さと明るさを感じる。

相手役のアンドレスが、世界を放浪しながら社会学をフィールドワークしているという女子大生役で、かわいらしく演出されているのも貴重。

大富豪の2世として何不自由なく暮らしているものの、いったん命の危機に瀕すると途端に生き生きと冒険に邁進するというヒーローを演じるベルモンド。
彼が当時、フランス映画界においていかに大事に育てられているか!がわかる。

育ちよく、影のない、若いヒーローの冒険。
これこそがフランス映画の希望と未来だった!
「カトマンズの男」はそういった時代の快作だった。

これは「リオの男」も観ざるを得まい。

相生座の歴史の展示
近日上映のレトロスぺクテイブは、ジャン・コクトーとジム・ジャーウイッシュ

11月の山小舎周辺

11月は山の景色が一変する季節です。

ミズナラの落葉が始まります。
11月初旬には落葉の真っ盛りとなり、中旬には落葉が終わって山の木々は丸裸となります。

落ち葉が玄関わきや、軒下に吹き寄せられて山となります。

11月初旬、紅葉真っ盛りで落葉の始まった山小舎周辺 その1
11月初旬の山小舎周辺 その2

初霜が下ります。
もちろん室内は暖房ガンガンです。

日中になると日の光で霜が解け、洗濯物も乾きます。
日が陰ってくるとぐんぐん寒さが下りてきます。

野菜のくずや、木々の緑などは冬を前にした鹿に食べ尽くされます。

11月中旬、落葉が終わったミズナラとシラカバの林
霜が降りた朝

いつの間にか紅葉も終わりかけています。

外の水道の通水を落としておかなければなりません。
母屋の水道は通しておきますが、水道管に巻いたの電熱線のサーモスタットは入れておきます。

これからは山小舎を離れる時には母屋の水道も落とさなければなりません。

裏の国有林。カラマツも裸の状態に