DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その3

引き続き手許のDVDで、デュヴィヴィエ作品の歴史を追ってみようと思う。

1930年代にその頂点を迎えたデュヴィヴェ。
戦前の1938年にはハリウッドに呼ばれてMGM作品「グレートワルツ」を撮っている。
その後、フランスに戻って「幻の馬車」(39年)、「わが父わが子」(40年)を戦争開始前に撮ってから、今度は自らアメリカに亡命して「リデイアと四人の恋人」(40年)、「運命の饗宴」(42年)、「肉体と幻想」(43年)、「逃亡者」(44年)の4本をハリウッドで撮った。

デュヴィヴィエシリーズの第3弾はこの時期の作品から「グレーとワルツ」「幻の馬車」「逃亡者」を選んだ。

「グレート・ワルツ」 1938年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   MGM

19世紀中ごろのウイーンで作曲家としてデヴューしたヨハン・シュトラウスの半生を、妻ボルデイと歌姫カーラとの関係を中心に、「ウイーンの森の物語」「美しき青木ドナウ」などの名曲とともに描く。

MGMの招きに応じてハリウッドに渡ったデュヴィヴィエは、渡米の理由を『ハリウッドの法則にしたがい、その映画製作の能力を利用して、フランスでは行いえないテストをするため』と語ったという。

1920年代にはジャック・フェデーがハリウッドに渡り、作品を発表しており、また大戦中にはルネ・クレール、ジャン・ルノワールの両巨頭も亡命するなどしてハリウッドで撮ることになる時代だった。

「フレート・ワルツ」は、ウイーンで銀行に務めていたヨハン・シュトラウス(フェルナン・グラヴェ)が、音楽のことが頭を離れずクビになる場面から始まる。
幼馴染でパン屋の娘のボルデイ(ルイーゼ・ライナー!)が親公認の許嫁。
やがてヨハンが音楽家として売り出すきっかけとなったオペラ歌手カーラ(ミリッツァ・コリウス)が現れてヨハンの心をとらえる。
妻となり献身的に夫を支えるボルデイ。
ヨハンはワルツの名曲を次々に作曲し人気を得るのだが・・・。

ボルデイ役にオーストリア出身のルイーゼ・ライナーを配役。
カーラ役で見事なソプラノを披露するミリッツア・コリウスは、ウイーンから招かれたオペラ歌手だという。

しかしこここはハリウッドのそれも総本山MGMスタジオ。
映画全体を覆う雰囲気は紛れもなくアメリカ風。

ヨハンが仲間を集めて即席のオーケストラを組織し張り切ってオーバーアクション気味に指揮を執る、その元気な姿は、グレン・ミラーが楽団で「チャタヌガチューチュー」を演奏するときと同じスイング感が味わえる。

歌姫カーラの、こぼれるような笑顔で愛嬌たっぷりに歌い歩くその姿は、ウイーンのオペラ歌手というよりは、ジンジャー・ロジャースが親しみやすい笑顔とともに歌い踊るその姿を思い出させる。

そこにはドイツ、オーストリア映画の高邁にして素朴かつ瑞々しい芸術の謳歌はなく、わかりやすく大衆的だが卑近な喜びにカスタマイズされている。
このタッチはMGMによる〈押し付け〉はもちろんあるだろうが、フランス人監督のデュヴィヴィエが〈敢えて迎合〉した面もあるのではないか、と思う。

アメリカへ来た以上、純粋なヨーロッパ映画の再現は不可能だし、といって完全なアメリカ映画を作るのもフランス人の自分(デュヴィヴィエ)にとっては無理なこと。
ここは、ヨーロッパテイストでアメリカ人受けもする映画を作るしかない。
と、プロデユーサー的センスを持つデュヴィヴィエが考えたのではないか。

まるで西部の酒場のバンドマスターのように、元気に満ちて攻撃的でさえあるヨハン・シュトラウス。
愛嬌と親しみがありすぎるオペラの歌姫。
これらはアメリカナイズされたキャラであり、デュヴィヴィエのアメリカ映画に対する妥協を見る。

一方、ひたすらヨハンに愛情を尽くし、ヨハンの心がカーラに向いても泣きながら許す妻ボルデイの悲しみはヨーロッパ人デュヴィヴィエの感性に近い。

ラストのシークエンス。
ドナウ川の船着き場で妻への愛に気づき、そこまで一緒に来た歌姫と別れ、一晩を船着き場で過ごすヨハン。
朝になって川で洗濯するために賑やかにやって来た乙女たちが川面に降り立つ。
この見事な場面は紛れもなくデュヴィヴィエのスタイル。
アメリカに迎合もせず、ヨーロッパを押し付けもしない、フランス人が撮ったアメリカ映画の名場面の一つなのではないか。

ルイーゼ・ライナーは「巨星ジーグフェルド」「大地」に次ぐMGM出演。
前作とは打って変わって若々しい娘役に徹している。
セリフがたどたどしく聞こえるのは役作りによるだけではなく、ドイツ語訛りが激しかったせいのようだ。
ヨハンの妻という忘れられないキャラを作り上げた彼女の演技力を特記したい。

「幻の馬車」  1939年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

「グレート・ワルツ」をMGMで撮ったデュヴィヴィエが本国へ帰って作った作品。
このあともう一本をフランスで撮ったデュヴィヴィエはアメリカに亡命することになる。

本作の原作は女性初のノーベル文学賞を受賞したスエーデンの作家ラゲルレフの幻想小説「死者の御者」。
1921年には同国のヴィクトル・シェーストレムが「霊魂の不滅」と題して映画化している。
本作は舞台をフランスのブルゴーニュ地方に移してのリメイクである。

除夜の鐘が鳴る時に死んだ者はその後一年間、死者の馬車の御者となるという伝説をモチーフに、迷える浮浪者と救世軍での貧者救済に己をささげる女性とのかかわりをとおして、霊魂の不滅とその救済を描く。
デユヴィヴィエ映画の系統にあっては〈宗教もの〉と〈幻想もの〉両方の要素を持つ。

雪が舞う街角に群れる浮浪者たち。
救世軍の女性士官が湯気の立つスープを給食する。
悪態をつきながら空腹に耐えかねて施しを受ける浮浪者。
自らの活動に崇高な喜びを感じながら活動する女性達。

「ああ無情」のパリか、産業革命まえのロンドンの貧民街を描写するかのように、ブルゴーニュの救いのない貧困を容赦なく再現するデュヴィヴィエのカメラ。
そこには「望郷」のエキゾチシズムも、「舞踏会の手帖」のロマンチシズムも、「旅路の果て」の高踏的ペシミズムさえも、そのかけらもない。

一方で映画は、死期を迎える者にだけ聞こえる幻の馬車の音、それにおびえる老人、幻の馬車と御者が死者の魂を幽体離脱よろしく肉体から救い出す様子を、二重写しの撮影で描写する。
リアルから幻想への映画的飛躍である。

悪に染まった浮浪者たちが幻の馬車に恐れおののくのに対し、救世軍で貧者救済に己をささげる女性士官エデイット(ミシュリーヌ・フランセ)は神を信じるがゆえに、リアルと幻想の垣根を容易に超え得る。

救世軍に敵意さえ覚え、妻子を顧みない元職人ダヴィッド(ピエール・フレネー)はエデイットから寄せられる愛にも背を向けひたすら無頼を貫く。

ルイ・ジューベ(左)とピエール・フレネー

大みそかには必ず救世軍を再訪するとダヴィッドに約束させたエデイットは、彼の来訪を待ちながら結核で死んでゆく。
ダヴィッドもまた自らの悪行の報いで幻の馬車の迎えを受ける。
御者は元職人のダヴィッドを悪の道に導いたジョルジュ(ルイ・ジューヴェ)だ。
霊体となったでダヴィッドは、ジョルジュに案内されて死にゆくエデイットを見、また一家心中しようとする妻子を見て改心する。
ジョルジュはダヴィッドの霊魂を体に戻して妻子のもとへ向かわせる。
その様子を眺めてほほ笑むエデイットの霊魂。

リアルな現実を背景にしたゴシックロマン風の出だし。
悪の道に入ってはいるが実はきれいな魂の持ち主と、それを救わんとする聖女のキリスト教寓話的な物語。
魂の救いのチャンスは幻の馬車とその御者によって行われるという神秘。
それぞれの物語がデュヴィヴィエ熟練のタッチによって語られる。
根底には宗教的で人間性への信頼に基づくデュヴィヴィエの精神がある。

浮浪者を演じるピエール・フレネー、ルイ・ジューヴェは憎たらしく、おどろおどろしい悪に染まった人間像を再現。
救世軍の士官服に身を包んだミシュリーヌ・フランセの総てを許し慈しむかのような表情も素晴らしい。
浮浪者の破れた服を繕ったり、酒場で酔っ払いに顔に酒をかけられたりの汚れ役に挑んでいた。

エデイットを演じるミシュリーヌ・フランセ(右)

「逃亡者」  1944年   ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   ユニバーサル

大戦中アメリカに亡命したデュヴィヴィエはハリウッドで4本の映画を撮っている。
「逃亡者」はハリウッドで最後の作品。

この作品のためにジャン・ギャバンをフランスから呼び寄せた。
アフリカを舞台に祖国のために戦う無名のフランス人たちの物語。
祖国への愛、何者でもないただの人間の行為そのものへの尊敬、許しの心、などをテーマにしている。

大戦中ならではの愛国心に訴える映画である点は、例えば「カサブランカ」と同じ趣旨ではあるが、前科のある人間でもその後の行いによって評価されるべきだ、といういわば人間主義的なところ、またキリスト教的な許す心を強調しているところなどがデュヴィヴィエの味付けで、明快に正義と不正義を描き分けるハリウッド流との違いがここにある。

1940年、ドイツ軍侵攻中のフランスで死刑執行寸前に爆撃で壊れた刑務所から逃亡した男(ジャン・ギャバン)が、逃亡中に偶然乗り合わせたトラックが攻撃に遭って死亡した軍曹から身分証と軍服を奪い別人に成りすます。
アフリカ行きの船に紛れ込み、フランス領赤道アフリカで前金につられて自由フランス軍に入隊した男。
ジャングルに送られ飛行場建設の任務に就く。
仲間たちとの友情と祖国愛に目覚め、上官と戦友たちの信頼を得た男は昇進し、勲章を得るまでになる。
そこに死んだ軍曹の婚約者や軍曹を良く知る戦友が現れる。
男は婚約者に対し、自分は偽物だと告白するが、同時に名前を得たことで、アフリカで初めて人に相手にされ役に立つことができた、と答える。
軍法会議では上官が弁護を務め、二等兵への降格と勲章はく奪だけの罰となる。
最後まで本名を白状しなかった男は最前線で死んでゆく。
名前が記していない墓前にアフリカで苦楽を共にした戦友がぬかずく。

死んだ軍曹から身分証を奪う主人公

主人公は匿名のフランス人男性、無信心で無頼そのものだったが人と信頼関係で結ばれることを知り、愛国心にも目覚める。
恋人はフランスという国そのもの。
舞台は過酷そのもののブラックアフリカ。

前科者がエキゾチックな北アフリカに逃亡し、女の尻を追いかける、といったセンチメンタリズム(「望郷」のこと)はここにはなく、ぎりぎりで切羽詰まった状況に時代性が強く反映されている。

アフリカで自由フランス軍に参加し愛国心に目覚める主人公

逃亡したばかりのころは、男がカフェでペタン首相の降伏宣言を聞いても無関心だったのが、アフリカで戦友たちと苦労する中で、フランス臨時政府のロンドン放送からの国家を聞いて陶然となり、また叙勲に際しては儀礼を尽くすようになる。

名前を聞きつけてアフリカまで追いかけてくる死んだ軍曹の婚約者は、謝罪もせず、かえってアフリカで自分に目覚めたという男の告白を聞き、最初は怒るがやがて告発をあきらめる。
男を許すというより、婚約者の死を受け入れ、男と婚約者の死は別物だという事実を許容するのだ。

この作品、デヴィヴィエ作品鑑賞の手引「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」(1968年 フィルムライブラリー助成協議会編)によると、『デュヴィヴィエ作品としてはひどく精彩を欠いた』とある。

フランス人全男性を代表して大戦下における愛国心と連合国への忠節を表すべきジャン・ギャバンが、例のもっさりした風采で気勢が上がらないきらいはあったが、デュヴィヴィエ作品として精彩を欠いたとは思えない。
むしろ舞台設定は純化し、デュヴィヴィエの精神として欠かせない部分はきっちり描かれている、シンプルだがテーマ性の強い作品なのではないか。

令和6年畑  一番草その2

畑の一番草の続きです。

鹿よけのネットがぐちゃぐちゃに倒された段々畑。
ネットを直す前に管理機で耕し、ジャガイモなどを植えました。
別の畑で夏野菜を植え付ける間は、段々畑にまで手が回りません。
畑周辺、法面、農道などが草ぼうぼうです。

倒れたネットと伸び放題の雑草

段々畑の一番草を刈りました。

倒れたネットをひっかけないように気を付けて草刈り機を使います。
法面の草を刈る時には足の踏ん張りと草刈り機の刃の角度が肝心です。
石やネットの支柱に触れると刃がバックドラフトします。

畑の角にはウドやわらびなども伸びています。
構わず刈り倒します。

法面を刈った後の畑
畑から法面、農道方面を見る

菊芋が一面に芽を出しています。
一度植え付けると後は勝手に増えるのが菊芋です。

手前に自然発生の菊芋の芽が広がる

まだまだ空いている段々畑には、大豆、ヤーコン、小豆などを蒔いてみる予定です。

レディース来襲!

今年も彩レディースがやってきました。

去年やってきた際には〈彩ガールズ〉とさせていただきましたが、平均年齢80歳に近い方々を仮にも〈ガールズ〉と表現するのは失礼なので今年から〈レディース〉とさせていただきます。

レディースは、山小舎おばさんが東京調布で主宰している、彩ステーションのサポーターとして、毎週の食事の準備を手伝ってくれたり、物心両面で活動を支えてくれる地域の有志です。
普段忙しい山小舎おばさんの気分転換にと、銀座の食べ歩きや、箱根の小旅行に連れ出してくれる方々でもあります。

来場の前日までに改めて布団干し

今年は総勢4名が一泊で山小舎にやってきました。
今年の主目的は山菜採りとのことです。
山小舎おばさんの運転で、中央道相模湖付近の事故渋滞にもめげずやってきました。

Aコープでは牛肉が半額だった。自宅へのお土産分も含めて買い出し

第一日目は富士見町のにしむらという蕎麦屋でランチ。
山小舎に着いた後、山小舎おじさん手製のぼた餅でウエルカム。
一休みの後、旧姫木スキー場跡に出かけて、わらび採取。
ほどほどに採った後、一行は道の駅ながとにあるやすらぎの湯へ。
その間、山小舎おじさんは夕食の準備。Aコープに出かけて、あつらえておいた食材の仕込み。
また、布団をとっておきます。
掃除、布団干しは前日までに済ませました。

あんこともち米を炊き、手製のおはぎを作ってレデイースを待つ
目的のわらび採り。ほどほどに採取

夕食はいつもの室内炭火焼き。
アルプス牛、信州豚等の炭火焼きに一同舌鼓。
サイドデイッシュには自家製ぬか漬け、レタスサラダ、ウドの酢味噌和えなど。
ご飯は炊きあがった後、おひつに入れておきました。
デザートには一行の手土産のショートケーキ。
存分に召し上がったレディースたちでした。

翌朝は5時過ぎの早朝から起床されて賑やかな御一行。
7時半ごろに朝食。
メニューは山小舎特製のベーコン野菜スープに目玉焼き、信州ハム、昨日のご飯で握ったお結びなど。

山小屋を出発。
おじさんも軽トラで同行です。

Aコープでお土産を購入。
原村へ寄って、割き織体験の工房へ。
ここで横糸の張方から織り方までを習いながら小さめのコースターを自作。
ついで国道20号線沿いの道の駅蔦木宿のレタス祭で地元野菜をゲット。
ランチは小淵沢のカフェにて。

ものすごいスケジュールでしたが、レディースは疲れなかったのでしょうか?

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その2

ジュリアン・デュヴィヴィエを集中的に見るシリーズの第二弾です。

1930年代の中盤、デユヴィヴィエはその代表作を続けて発表します。
お気に入りのジャン・ギャバンを主役に据えての三部作や、脚本家シャルル・スパークと組んでのオリジナル作品などがこの時期の代表作です。

手許のDVDから、「望郷」(36年)、「舞踏家の手帖」(37年)、「旅路の果て」(38年)を鑑賞します。

精悍な表情のデユヴィヴィエ(右)

「望郷」  1936年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

1939年キネマ旬報ベストテン第1位。
デユヴィヴィエとジャン・ギャバンの代表作とされ、パリの美女を演じたミレーユ・ダルクのイメージを決定づけた作品で、ハリウッドで2度リメークされた。
『いつ、どこで、何度上映されても、大入り間違いなし』といわれるくらい日本でも人気だった作品。

「望郷」公開時の日本版ポスター

パリで銀行強盗を起こし、アルジェリアのカスバに逃げ込んだペペルモコという男がいる。
カスバに隠れて2年、情婦のジプシー女イネスと暮らしながら、男前と気前の良さからカスバの顔役となっている。カスバに自由に出入りし、ペペに付きまといながら捕まえるチャンスを狙っている刑事スリマンがいる。
ある時パリの女ギャツビーがペペの前に現れた。
宝石に包まれ、パリの香りをまとったギャツビーに一瞬で惹かれるペペ。
ギャツビーにとってもワルの気配を身にまとったペペは魅力的で、二人は恋に落ちる。
その結末は・・・。

『・・・ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く・・・』。
1955年に発売された「カスバの女」という日本の曲が流行った。
「望郷」にインスパイアされたであろう無国籍歌謡で、そのやるせなく、捨て鉢なムードが印象的だった「カスバの女」は発売後もしばらくテレビなどで流れていた。

ミレーユ・バラン

さて、映画「望郷」を、プロデューサーのアキム兄弟と監督のデユヴィヴィエの視点から読み込んでみる。

エジプト出身の映画プロデユーサー、アキム兄弟の初ヒット作である「望郷」。
アラブという異邦を舞台にしたエキゾチックなドラマを、というコンセプトが作品のスタートであろう。
監督には当代一流で、決して観客を(そしてプロデユーサーを)裏切らない(であろう)ジュリアン・デュヴィヴィエを起用し、現場の一切を任せる。

アキム兄弟のその後のプロデユース作品を見ると、ジャック・ベッケル(「肉体の冠」51年)、マルセル・カルネ(「嘆きのテレーズ」52年)、ルネ・クレマン(「太陽がいっぱい」60年)、ミケランジャロ・アントニオーニ(「太陽はひとりぼっち」62年)、ジョセフ・ロージー(「エヴァの匂い」62年)、そしてルイス・ブニュエル(「昼顔」67年)など、芸術派監督の代表作が並んでいる。

起用された監督はそうそうたるメンバーなのだが、よく見ると主役に旬のスターが起用されていたり、有名な原作の映画化であったり、映画音楽がヒットしたりしていて、アキム兄弟の商売の確かさがうかがえる。
また、監督との契約条項に「作品の最終編集権はプロデユーサーにある」とするのがアキム兄弟流だった。

「望郷」にもアキム流の映画製作のやり方が濃厚に現れている。
カスバを舞台にしたエキゾチックでペシミステックなメロドラマという作品の骨格。
アキムが最終編集権を握っていることも、作品の通俗性に帰結しているのだろう。

では、デュヴィヴィエはアキム流のメロドラマをどう料理しているのか。

『メトロの香りがするぜ…』

先ず舞台のカスバを前面に押し出した。
パリジャンのペペが不本意にも流れ着き、同化している迷路のような街は、屋上のテラスを通っても行き来でき、情報は瞬時に伝わる魔宮だ。
情婦のジプシー女、トルコ帽を被った正体不明の刑事などは異国情緒たっぷりだ。

カスバの顔役としてふるまうペペだが本心はパリが恋しくてたまらない。
フランス男の、それもワルにふるまう粋筋のどうしょうもない性。
それがギャツビーという着飾ったパリジェンヌを見た瞬間に制御が外れる。
ギャツビーとてパトロンの愛人としてアルジェを訪れただけ、堅気の女ではない。

ペペと現地人の刑事スリマン

粋で寛大にふるまう伊達男のペペの、実は脆弱な存在が哀しい。
彼は一歩カスバの外に出ると逮捕されるのだ。

ペペの懐に入り込むように付きまとい探りを入れるスリマン刑事の不気味さ。
このキャラはヤクザに同化する刑事のようでもあり、コロンボ警部の馴れ馴れしさのようでもあり。
そういった刑事キャラの元祖なのかもしれない。

ペペの情婦イネスのひたすらペペを思う土臭い土着性。
これらのキャラをわかりやすく色分するデユヴィヴィエの腕の確かさ。
デユヴィヴィエにとっては登場人物をはっきり描けばいいのだからやりやすかったのではないか。
演技を要求するのはペペ、イネス、スリマンらで、ギャツビー役のモデル出身のミレーユ・バランにはパリのあでやかさの象徴であり、細かな演技の要求はない。

ペペとジプシー女の情婦イネス

ペペとギャツビーの二人だけのシーン。
アップで二人をこれでもかととらえ、名セリフを繰り返す。
デユヴィヴィエがこの作品のために用意した最大の「売り物」だ。

ペペと巴里女のはかない恋

映画は後半になって急速に馬力を増す。
ペペがいよいよギャツビーに狂い、いてもたってもいられなくなり、それに乗じてスリマン刑事がペペをカスバの外におびき出す策略を練り、イネスがペペを思って止めに入る。
ここら辺の場面転換、入り混じった登場人物の整理、デユヴィヴィエの独壇場だ。

登場人物はよく描き分けれているが、裏の意味というか含蓄はない。
ラストが比較的あっさりしていることも含めて、プロデユーサーアキム兄弟の「最終編集権」のせいなのだろうか。

マルセイユ行きの船を見送るペペ

ペペにジャン・ギャバン、ギャツビーにミレーユ・ダルク、イネスにリーヌ・ノロ、スリマン刑事にリカ・グリドゥ。

「舞踏会の手帖」  1937年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

デユヴィヴィエ全盛期の代表作。
130分の長尺映画を7話のオムニバスで構成。

各挿話にはフランスワーズ・ロゼエ、ルイ・ジューヴェ、アンリ・ボール、フェルナンデルなど当時の名優らが出演しているが、なんといってもオムニバス方式による最初の作品(デユヴィヴィエの発案)というところに歴史的価値がある(註)。

 註)オムニバス方式には本作の5年ほど前のアメリカ映画「百万円貰ったら」という作品があったとのことだが、〈オムニバス映画〉の本格的な始まりは本作からとのこと(「ジュリアン・デュヴィヴィエをしのぶ」1968年フィルムライブラリー助成協議会編 P36より)

さて本作全7話の統一ヒロインはマリー・ベル。
「外人部隊」(1934年 ジャック・フェデー監督)のヒロイン二役を務めた実力派美人女優だ。
絢爛たる衣装に身を包めば画面映えし、シックなドレスとふるまいで品格を漂わせ、場末の酒場の歌姫に扮すればこれ以上ない薄幸美人ぶりを演ずることができる女優さんだ。
本作ではお城の王女様然とした彼女の気品と、帽子にもこだわったファッションが当時37歳のフランス演劇史上の美人女優の存在感を際立たせる。

マリー・ベル

霧に閉ざされた湖畔のお城に20年前に嫁入りし、夫を亡くしたばかりの若き未亡人クリステイーヌ(マリー・ベル)。
夫婦思い出の品を燃やしていたが、自らの舞踏会の手帖を燃やし忘れる。
16歳で純白のドレスに身を包み舞踏会にデヴューしたころのダンス相手の名前を記した手帖だった。

クリステイーネは湖畔のお城に住む

クリステイーヌが16歳の時を回想する舞踏会の幻想的なシーンが素晴らしい。
純白のドレスに身を包んだ淑女が並び、紳士たちが手を取ってダンスが始まる。
スローモーションで揺れるドレス。
主人公クリスティーヌの原点にして忘れられない思い出だ。

映画のおけるダンスシーンといえば、マックス・オフュルス監督の諸作品(「輪舞」「快楽」「たそがれの女心」)が忘れられない。
豪華絢爛たるお屋敷でのダンスシーンでは、次々と馬車で集まってくる招待客と、くるくると踊る何十何百というカップルがこれでもかと描かれる。
カメラは映画の主役二人を窓越しに延々と追いかけ、窓越しに室内に入って主役二人の周りを延々と回り始める(カップルにクルクル回らせて、まるでカメラがカップルの周りをまわっているように見せる撮影技法)。
延々と続く移動撮影による、目くるめくような夢のような舞踏会シーンが続く。

オーストリア生まれのオフュルスといい、フランス生まれのデユヴィヴィエといい、欧州生まれの芸術家にとっての舞踏会というものの大切さ、憧れを感じることができる。

さて、夫に死別したクリステイーヌ。
お城の奥様とはいえ、満ち足りた結婚生活ではなかった。
偶然再見した手帖に記された名前を順に追ってみることにした。
16歳で社交界にデヴューした当時の自分に再会するためとも、その当時の自分に愛を告白した男たちに再会するためとも理由はいくらでもあった。

手帖の最初の名前はジョルジュ。
訪ねると母親が出てきた。
ジョルジュは20年前クリステイーヌの婚約を知り拳銃自殺していた。
母親は息子の死を認めることができず、部屋のトランプもそのまま、カレンダーも20年前のままで息子の帰りを待っているのだった。
現実を記憶はしつつ、息子の死についてはかたくなに認めることができない母親をフランソワーズ・ロゼエがほぼ独演で演じる。
戸惑うクリステーヌことマリー・ベルの表情は時として「外人部隊」の薄幸の歌姫のように頼りなかった。

第1話。フランソワーズ・ロゼエ(左)と

手帖の次の名前は弁護士志望の19歳の学生だった男。
今では弁護士資格をはく奪され、夜の帝王と呼ばれる存在になっていた。
トップレスダンサー(酔客の指名が可能)が踊るナイトクラブのオーナーにして、詐欺的強盗団を操る悪徳元弁護士をルイ・ジューベが演じて、ぎょろ目をむく。
訪ねてきたクリステイーヌに売春の相手を紹介しようと早とちりするジューヴェは、やがて彼女を思い出し、20年前のヴェルレーヌの死を愛する青年に戻って自身の思い出を美化したのち、警察に連行されてゆく。
ポマードで固めた黒髪でにらみを利かせるジューヴェの悪役演技が見もの。

第2話の暗黒街の連中。右端ルイ・ジューヴェ

デュヴィヴィエ一家の座付き俳優で、太っちょ中年アリ・ボールが神父を演じるのが第3話。
20年前に16歳のクリステイーヌに恋敗れて、さらに義理の息子を失ったショックで信仰の道へ入る元新進の音楽家という設定にリアリテイはないが、ここは、アリ・ボールの独演と見守るマリー・ベルの黒のつば広帽子の下の美貌を愛でよう。

仏印のサイゴンからの引揚者、今では港町の闇堕胎医にまで落ちぶれた元医学生の第6話は暗く、切迫感に満ちていた。
片眼を失い、神経症の発作に見舞われる元医学生の姿にはかつてのエリートの面影はない。
訪ねたクリステイーヌの前で内縁の妻とDV騒ぎ。
食事を用意してもワインのボトルを持つ手が震える。
斜めのカメラでこの挿話を捕らえるデユヴィヴィエの、サスペンスに満ちた演出が冷徹。

第6話。闇の堕胎医に落ちぶれたかつてのダンスパートナー(ピエール・ブランシャール)

ある時は流れるようなドレス姿、ある時は帽子を目深にかぶって相手を見つめ、ある時はスキーヤー姿でアルプスの山小舎を訪ねるマリー・ベルの過去巡り、否、現実という地獄・極楽めぐり。

巡った先はペシミズムに彩られた悲劇的世界もあれば、微苦笑を誘うような現実世界もあった。
いずれにせよ自由になったクリステイーヌが憧れる世界ではない。
その胸に去来する16歳の時の舞踏会の夢のような幻影。

第7話でフェルナンデル(左)と。

ラストでクリステイーヌが現実の舞踏会へ誘うのは、湖の対岸に住む手帖に記された唯一の行方不明者・ジェラールの息子だった。

その青年を演ずるのはデュヴィヴィエ出世作「にんじん」(1932年)の主演少年ロベール・リナンで、かれはのちに占領下のフランスでレジスタンスに加わり、つかまって処刑されたという。

ジャックを舞踏会に送り出すクリステイーヌ

マリー・ベルが嫁いだ湖畔のお城の幻想的な風景は、デユヴィヴィエ後年の「わが青春のマリアンヌ」(1955年)を思い出させる北方的なムードが漂よう。
また、第1話の霊魂が復活するかのような神秘性、第2話のギャング映画のようなノワール性、第5話の庶民的な喜劇、第6話のヒリヒリとしたサスペンスは、いずれも多才なデユヴィヴィエが得意とする分野だ。

第1話と7話に出てくる小道具としてのトランプにも注目。
第1話でのそれはフランソワーズ・ロゼエが出てくる挿話のこともあり、「外人部隊」へのオマージュなのかもしれない。

第2話と第5話では、いずれの主人公(クリステイーヌが訪ねる相手)にも義理の息子がいる設定になっている。
片や死別し、片や実家に戻っては金をせびる不肖の息子と、それぞれ幸福な設定ではない。

エピローグに登場するジャックはクリステイーヌの養子となり、第2話、5話に続く三度目の〈義理の息子〉となる。
果たしてその結末はハッピーエンドを迎えることができるのだろうか。

「旅路の果て」  1938年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   フランス

デュヴィヴィエ最盛期の末尾を飾る作品。
「地の果てを行く」「我等の仲間」「望郷」「舞踏会の手帖」などの代表作を30年代に発表したデュヴィヴィエは、1938年にハリウッドに招かれ、MGMで「グレート・ワルツ」を撮り、帰国後フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受けた。

「旅路の果て」は叙勲後初の作品であり、また、こののちデュヴィヴィエは「幻の馬車」「わが父我が子」の2作品を撮った後、アメリカに亡命することになる。
デュヴィヴィエがフランスで帰国後の第一作を撮るのは1946年の「パニック」だった。

座っているのがマルニ(ヴィクトル・フランサン)。なお(48)は(38)の誤り

「旅路の果て」はデュヴィヴィエ映画の総決算にして集大成でもある。
これまでの作品では、文芸作品や推理小説、宗教ものなどの原作を素材に、エキゾチシズムやロマンチシズム、ノワールなど野味付けに趣向を凝らして観客にアピールしてきたデュヴィヴィエが、〈素材〉から離れ、〈装飾〉をかなぐり捨て、〈自分の作りたいものを、作りたいように〉作った、おそらく初めての作品なのではないか。

芳紀花盛りの美人女優も出てこなく、出てくるのは老人ばかり、それも筋金入りの頑固で自意識に凝り固まった老人たち。
活気ある世間とはかけ離れた加齢臭漂う老人ホームと、隣の貧乏くさい田舎カフェが舞台。
主題は老いてなお、自我と妄執から離れられない人間そのものの業だ。

マルニと田舎カフェの女給ジャネット(マドレーヌ・オズレ)

主役は3人の老人。
ホームの主役よろしく、集団生活を取り仕切ったつもりになっているカプリサード(ミシェル・シモン)は終生代役で終わった才能のない役者。
主役さえ病気になれば自分も舞台で輝けた、との思いだけが生きる支え。
息子は死に、肉親からの連絡はなく(ここでデユヴィヴィエ作品のモチーフの一つである〈息子との死別〉が出てくる)、毎年付近でキャンプを張るボーイスカウトから歓迎されることだけが励みとなっている。

才能はあるが売れなかった元主役俳優のマルニ(ヴィクトル・フランサン)は見るからに謹厳実直。
自らの才能をひけらかさないこと岩のごとし。
妻が浮気し、死んだことが生涯の心の傷となっている。

そこに現れたサンクレール(ルイ・ジューヴェ)。
昨日まで現役の主役だったがお払い箱になりホームに騒々しくやって来る。
ざわつく元女優の老女たち。
サンクレールはとんでもないドンファンで、入所中の老女シャベール夫人(ガブリエル・ドルジア)の死んだ息子(ここでも息子が死んでいる)の婚外父であり、またマルニの妻を寝取った後自殺に導いてもいる。

カプリサード(ミシェル・シモン)

自らの老いを認めず、女とみれば粉をかけ、金銭に執着し、過去の傷に拘泥し、と、人に嫌われる個性ばかりを思いっきり発揮しまくる3人の老人。
見返りは肉親からの拒絶だったりするがその現実はきれいにスルーする。
彼等の姿は単に老醜の醜さを表すだけにとどまらず、人生そのもの人間そのものの無残を表しているといえよう。

こういった人生の醜さについてはビリー・ワイルダーが作るアメリカ映画では、落ちぶれた元スターを実名で登場させるなどしてセンセーションをあおる手法をとるなどするが、そこは大人のフランス映画、露悪的な手法は取らない。
あくまでも劇中の出来事として、演出と演技で本質を突き詰め、より厳しく現実に迫る。

ジャネットにもちょっかいを出すサンクレール(ルイ・ジューヴェ)

事件らしい事件も起きずに進む映画を、ヒリヒリとした緊張感と、無残な現実描写で描き切ったデュヴィヴィエの手腕と、主演3人を中心とした演劇人の個性に引きずり回された110分だった。

薪づくりスタート

今年も薪づくりがスタートです。

山小舎の近くでいつもの業者が伐採をしていました。
軽トラで現場を通りかかると、休んでいた業者が跳ね起きて「シラカバ(の丸太)もっていっていい?」と聞いてきたので「置いて行って」と答えておきました。

数日して山小舎に丸太が一山ありました。

今年初めての丸太の到着です。
シラカバではなく、ミズナラ系の枝、カラマツの丸太でした。

早速チェーンソーを試運転します。
チェーンソーは問題なく動き、刃も思ったより切れたので一安心。

暇を見つけて玉切りしています。
今後は玉は集めて軽トラで作業スペースに運び、少しずつ割ってゆく予定です。

令和6年畑 一番草

5月中旬。
夏野菜の準備、植え付けに追われて放っておいた畑の雑草が冗談じゃなく丈を伸ばしていました。
ヒメジオンかハルジオンか花が咲き乱れています。

雑草が生い茂る畑の全景

折から草刈り機の調子が悪く、エンジンはかかり、刃は回っても、いざ草を刈ろうとすると刃の回転が止まってしまうので、JAの農機センターへ修理に出しており、ますます除草が遅れていました。

軽トラの駐車スペースもこの通り

農機センターから電話があり、「エンジン本体、刃とエンジンをつなぐギアともに問題なく、負荷をかけても回る。大丈夫だろうと思う。」とのことで受け取りにゆきました。
無料でみてくれました。

夏野菜の植付も一段落した畑で待望の草苅です。

先ず刃を取替ます。
月に1回ほど雑草を刈るだけでも1年間使うと刃は摩耗します。
新品の刃は切れが違います。
草刈り機は刃を止めるねじが通常と逆回りなのを思い出しながら、専用のスパナを使って取り替えます。

草刈り機の刃を取替る
古い刃を外す
新しい刃を取り付ける

草刈り機用にガソリンを2サイクルエンジンのオイルで所定の割合で混ぜてから、草刈り機のタンクに充填します。去年のガソリンは軽トラで使い切るようにし、草刈り機用に調合する燃料には新しいガソリンを使います。

畑のフェンス際には、去年使ったマルチが積んであります。
ちょっとでも引っかかると草刈り機の刃が止まります。
使い古しのネットなども積んであるので、これもひっかけないように気を付けながら刈ります。

伸びすぎた頭の毛を刈るようにバンバン雑草を刈ってゆく

石や、木の切り株、金属ポールなどに刃が当たると、回転が止まったり、手に衝撃があり、刃やエンジンに悪いので気を付けます。
雑草全般や細い枝などは気にせずバンバン刈ってゆきます。

とりあえず周りを刈り終わった畑の全景
軽トラの駐車スペースもこの通り。軽トラの下の部分は車を移動してから刈る

とりあえずすっきりしました。

畑の面積はまだこの3倍くらいあります。
また本来は畑の周りのほか、法面も刈らなければいけません。

雑草が生い茂る季節となりました。

ジャガイモの芽が出てきました

「風立ちぬ」、富士見高原療養所

「風立ちぬ」といえば山小舎おじさんの世代は堀辰雄の小説(読んではいないが…)。
それから松田聖子の歌(大瀧詠一作曲)。
百恵・友和コンビによる映画化もあった。

旧富士見高原療養所

堀辰雄の小説は長野県富士見村にあった療養所を舞台に、婚約者との死別を描いたものであった。

松田聖子の歌の歌詞には、『高原のテラスで手紙・・・。一人で生きてゆけそうね・・・。さよならさよなら・・・』などとあり、高原の結核療養所で暮らす彼女が婚約者に別れ(死別)を示唆する内容ともとれることから、堀辰雄の同名小説をモチーフにした歌なのかもしれない。

また、山口百恵、三浦友和のコンビで同名の映画があった。
これは堀辰雄の原作の映画化だった。

堀辰雄「風立ちぬ」の舞台となった富士見高原療養所は、今は富士見高原病院となって、長野県富士見町のほぼ同じ場所で続いている。
病院には旧療養所時代の資料を展示した資料室があるので行ってきた。

町の中心部に立つ現富士見高原病院

富士見町の中心部に高原病院の新館が建っている。
入院病棟がある旧館の端の二部屋が資料室になっている。
新館の受付で資料室の見学を申し込み、3階へ上がって担当のお姉さんに案内してもらい入室する。
ちなみにマスクが必要だったので急遽自販機で購入した。

資料室には他の見学者はいなかったが、陳列する資料を見てゆくと病院の歴史を彩る様々な人材の体験と記憶の残像が、ぬぐいきれずに残っていることを実感するのだった。

高原病院旧館

療養所の始まりは一人の気鋭の医学博士の理想からだった。
スイスでサナトリウムを見ていた、長野出身で詩歌を愛する初代院長は理想の療養所を国内に作り上げた。

療養所の沿革を残す石碑が立っている

日光を取り入れるバルコニー付きの病室、栄養豊富な給食、ベールを被ったシスターのような看護婦の制服。
入院費用は庶民にはとても手の出ないものだったという。

入院患者には堀辰雄のほか、竹久夢二、横溝正史など有名人がいた。
入院原簿が展示されており、竹久の欄には死亡とある。

療養所資料館の看板が旧館の外壁にあった(ここから入室はできない)

結核療養所というと、町のはずれに木造の入院棟が建ち、木枠の窓が寂しく連なっているイメージがある。
昭和も中期までの印象であろうか。
そのころは地方でも中核都市の郊外には結核療養所があったように思う。

結核が死の病ではなくなって以降、療養所は病院などに転用されていった。
多くの大衆向け療養所の存在に比して、富士見療養所は著名人の患者が集まるモデル療養所だったようだ。

新館の受付で申し込んでから3階の資料館に入る。内部は撮影できない

旧療養所の面影はすでにないが、病院新館の前庭には高原の森をイメージするかのような木々が残り、往時の療養所周辺の風景を思わせるのだった。

現病院の前庭には高原の風景が・・・

令和6年畑 夏野菜定植

5月半ば夏野菜の苗を定植しました。

トマト20本、ナス10本、キューリ8本、ピーマン・唐辛子計8本、ズッキーニ4本、セロリ4本、かぼちゃ8本、夕顔2本、ゴーヤ2本、食用ほおずき7本、ヤーコン6本、ハックルベリー5本、モロヘイヤ1本、ルバーブ3本などです。
レタス類の苗も買ってみました。

苗の購入先は、立科町の直売所、道の駅、佐久市望月の農協、直売所、塩尻市の農協などです。

手前ナスの畝、向こうはハックルベリー

山小舎での保管中は夜の冷気を避けるため、玄関か室内に置き、暗くなるように覆いをしました。

カボチャ(左)、トマト(右)

晴れた日は日中外に出し、トマト以外はポットを水に漬けて保水。
植える直前にはえひめAIの希釈液に漬けました。

レタス、サンチュなども

トマトは斜め植え、ナス、ピーマンなどは支柱を立て縛っておきます。
植えた直後の潅水を行います。

バジル

畝は2列が残りました。
1列はトウモロコシ用にとっておきます。

土台直しでDIY!

4月に半年ぶりの山小舎開きをしたとき、かさ上げした出部屋の土台が壊れているのに気が付きました。

そもそもは、土台が沈下し、サッシが閉まりずらくなった出部屋を去年、簡易土台を追加してかさ上げしていたのですが、今年になって土台を支えるコンクリート版が2枚とも割れていたのを発見したのです。

冬に凍ったせいなのか?凍った土壌に持ち上げられルなどしたせいなのか?はわかりません。
とにかく再び出部屋のサッシが閉まりずらくなりました。

簡易土台を受けるコンクリート版が割れた

新たに簡易土台を追加しようかとも考えましたが、現状の二基を直すことにしました。

まずはジャッキで部屋を持ち上げます。
ついで簡易土台を取り出し、割れたコンクリート版を撤去します。

ジャッキアップし簡易土台をのける

コンクリート版が置かれていたところを軽く掘ります。
底に砂利を敷いて均します。
新しいコンクリート版を乗せます。

軽く掘って砂利を敷く
新しいコンクリート版を置く

その上に簡易土台を乗せるのですが、ちょっと高めにジャッキアップしておくようにします。
時間がたつにつれ簡易土台が沈み込むためです。
時間がたった後で再調整が必要かもしれません。

再び簡易土台を設置する

今回の修繕も間に合わせ的なもので、土台が沈下せずに冬を越せるかどうか、また長年もつかどうかわかりません。

こういった修理、手直しも山小舎暮らしにのたのしみです。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その1

「望郷」、ぺぺルモコ、カスバ、ジャン・ギャバン。
1930年代に製作された「望郷」は、日本にとって、あるいは世界にとって、わすれられない名画であった。

「望郷」を監督したのがジュリアン・デュヴィヴィエ。
「地の果てを行く」(35年)、「我等の仲間」(36年)、「舞踏会の手帖」(37年)、「旅路の果て」(39年)など、ペシミズムに彩られた人生の機微を描いた1930年代の名作群を作り、また戦後に「わが青春のマリアンヌ」(55年)で忘れられない幻想的ロマンチシズムを描いたフランスの名匠である。

1930年代はフランス映画界に、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジャン・ルノワール、マルセル・カルネなど名匠が現れ、その代表作を発表した、フランス映画の黄金時代だった。
それらの映画作家の中で、世界的にも人気があり、芸術性と大衆受けを兼ね備えた名作を連発したのがデユヴィヴィエだった。

のちに映画史家によって「詩的レアリズム」と呼ばれたこの時代の作風は、『ペシミステックな暗さの美学化であり、滅びゆく人間の運命が、あいまいな文学的抒情性、高尚な哲学性の衣をまとって、深遠な人生観として賛美されて』いる(集英社新書「フランス映画史の誘惑」87Pより引用)と定義される。

「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」表紙

手許に「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」という冊子がある。
1968年フィルム・ライブラリー助成協議会(現フィルムアーカイブ)の発行。
67年に亡くなったデユヴィヴィエ監督を偲んで、東京国立近代美術館で行われた連続上映会のプログラムである。

「同」目次。そうそうたるメンバーの執筆陣

巻頭に「ジュリアン・ヂュヴィヴィエ」と題する映画評論家飯島正の文があるので、下記に太字にて要旨を紹介したい。

デユヴィヴィエは1896年に北フランスのリール生まれ。
舞台俳優、監督を経て映画界へ。
1919年よりサイレント映画約20本を監督する。
1930年「資本家ゴルダー」がトーキー第1作。
1932年の「にんじん」の映画化がデユヴィヴィエの名を世に広めた。

「にんじん」は当時珍しかった文学作品の映画化で、その企画・発想は、デユヴィヴィエのプロデユーサー的素質によるものであり、その自然描写と心理描写が一体化した雰囲気づくりのうまさは、デユヴィヴィエの映画監督としての技術の確かさによるものだった。

デユヴィヴィエの特質として、純粋に芸術を志向するのではなく、大衆受けを意識した作品作りにあり、シムノンなど、一般受けする探偵小説を原作とするとその親和性が高い。

「望郷」は世界的な人気を誇るが、異国的ロマンチシズム、情緒的センチメンタリズムを大衆受けの要素として意識的に取り込んだデヴィヴィエのプロデユーサー的才能の表れだ。

「旅路の果て」のオムニバス構成はデユヴィヴィエの創意によるもので、その後の映画で流行した。

また、デユヴィヴィエはフランスとベルギーに渡るフランドル地方の出身であり、その北方的な資質が「わが青春のマリアンヌ」での幽玄たるドイツロマンチシズムの再現に結びついた。

岡田真吉著「フランス映画の歩み」より、デユヴィヴィエからのアンケート回答

また、ここにフランス映画研究者岡田真吉の「フランス映画のあゆみ」(1964年 七曜社刊)という映画本があり、岡田氏がデヴィヴィウエ本人に送った興味深いアンケートの回答が掲載されているので転載してみたい。

アンケートは1933年に岡田氏がフランスの映画監督らに送り、ジャン・ルノワール、ジャン・エプスタンら6人から回答をもらったものである。

アンケート3問のうち「トーキーの芸術的可能性」という問いについてデユヴィヴィエは、
『偉大な可能性を開く大きな進歩であると考える。しかし私は音響的要素に、映像以上の重要性を与えること、殊に映画中の台辞の地位を誇張することは怠りであると信じている。』と回答した。

セリフの重要性を最大に考えることは誤りだと信じるデユヴィヴィエの信念はサイレント時代に映画修業をした経歴がもたらすものなのか、あるいは、セリフは音楽やセットや照明、撮影などと同列の映画手法の一つであり、それら手法が総合的に合致して効果を表すのが映画である、セリフのみが重要性を持つのではない、との信念からだろうか。
いずれにせよ、デユヴィヴィエの映画製作に関する根本姿勢の一つを表す発言ではある。

ジュリアン・デュヴィヴィ

飯島正による紹介、岡田真吉によるアンケートを読むにつれてもデユヴィヴィエという映画作家の全体像はつかみきれない。
大衆性、サービス精神に満ちた映画作家であることは間違いない。
多様なジャンルを題材とし、いずれの作品でも己の作家性よりも大衆受けを計算し、手練手管の技巧をもって実現することができる。
が、「作家」としての「こだわり」や「純粋性」(偏狭さといってもいい)は、残された作品の印象からは見えてこない。

日本では評価が高いデユヴィヴィエだが、フランス本国では(今では)それほどでもないとのことである。
なぜ日本では大衆的にも、高尚な批評家的にも受けて、フランスではそうではないのか。
デュヴィヴィエの作家性、手法の特徴、時代とのかかわり、プロデユーサー的特質、などとはその作品においてどう発揮されているのか。

まずは、デユヴィヴィエの初期作というべき「モンパルナスの夜」(33年)と「ゴルゴダの丘」(35年)からDVDで見てみよう。

「モンパルナスの夜」  1933年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

デュヴィヴィエのトーキー第6作。
この作品が作られた1933年には、オーストリアでシューベルトの伝記映画「未完成交響楽」が名曲に彩られた牧歌的人間賛歌を謳っていた。
折から第二次大戦勃発まで5年の時代だった。

一方、フランスでは悠々とジョルジュ・シムノン原作の犯罪映画「モンパルナスの夜」が、デユヴィヴィエによって作られていた。

主役のメグレ警部に扮するのはアリ・ボール。
中年の太っちょ体形。
捜査の腕はいいが、迅速な動きなどは望むべきもないように見える。

フランス映画では、中年の太っちょがヒーロー、という伝統でもあるのか、アリ・ボールは「モリナール船長」(1938年 ロバート・シオドマーク監督)でも、初老の太っちょを演じていたし、近年の俳優では「追想」(1975年 ロベール・アンリコ監督)の逆襲のヒーロー、フィリップ・ノワレの中年体形が思い出される。

センセーショナルな斜めの書体によるクレジットタイトルと、タイトルバックのシャンソン歌手ダミアの錆びの効いた歌声で始まる「モンパルナスの夜」。
ノワール風活劇の体裁を取ってはいるが、フランス映画好みの酸いも甘いもかみ分けた大人の世界が、すでに濃厚に匂うオープニング。
フレンチノワールの元祖(ということはフィルムノワールといわれるジャンルの草分け)ともいわれるデュヴィヴィエの堂々たるノワールジャンル第1作の幕開けだ。

場面転換は斜めに上下する画面ワイプが使われる。
クレジットタイトルの斜め文字といい、この作品の一つのコンセプトは「斜め」なのかもしれない。
『さあこれから映画ならではの、背徳的な世界に案内するよ』と、デユヴィヴィエのしたり顔が場面の背後に透けて見えるようだ。

アリ・ボール(右)とワレリー・インキジノフ

「プロデユーサー」デユヴィヴィエの本領発揮という面では、犯人役の容貌魁偉な異邦人ラデイックにワレリー・インキジノフをキャステイングした点にとどめを刺す。
自身が中央アジア出身で、東洋人のような風貌(設定はチェコ出身の医学生)のインキジノフの異様な存在感にまずは驚かされる。
誰だ!この役者は?

フランス人から見れば、人外の地から出現し、パリの巷で享楽に現を抜かす有閑階級にルサンチマンを漲らした、何をするかわからない異邦人ラデイックという存在は、得体のしれぬ物の怪に見えるのであろう。
当時のフランス人観客の排外性、差別性を刺激するかの如く、東洋人の外見を持つワレリー・インキジノフの犯人役へのキャステイングはこの作品の見世物として重要である。

見世物とは、文字通り目を引くもの、存在するだけで注目されるものである。
見世物は映画発祥の昔から、映画における「売り物」の重要な一項目である。
その「売り物」の重要性を熟知しているのがデユヴィヴィエ一流の経験と知恵である。

ワレリー・インキジノフ(右)の怪演。アリ・ボール(中央)と

インキジノフ扮する異邦人が、完全犯罪を企む殺人者としてメグレ警部と対峙するのだが、作品はその過程で共犯の有閑階級の遊び人たちの堕落を批判もしており、単にラデイックの犯罪を憎み、異邦人を排除するだけではない。
ここら辺の作品の重層性もデユヴィヴィエは抜かりなく描く。

完全犯罪者ラデイックに犯人に仕立て上げられた青年

独自のパリ中心の世界観を貫くフランス映画でありつつ、暗く退廃的なムードが支配する作品。
その暗さはノワール劇だからというだけではなく、大戦前の時代性を反映してはいないか。

クレジットタイトル、斜めワイプのほかにも、猥雑なカフェ内部の長い移動撮影、雑音とたばこの煙にまみれた刑事詰所の同じく長い移動撮影、などデユヴィヴィエの意欲的な技法が冴える。

何よりフランス的なあいまいさ、いい加減さ、ずるさ、が俳優の動きに現れている。
きびきびとしたゲルマン系の動きとの違いがこれでもかとにじみ出る。
フランス映画はあくまでフランス映画なのだ。

太っちょの中年男にヒーロー性を見出し、異邦人を普通に差別し、猥雑な場末の巷に安住するのが好きなフランス映画の世界なのだ。

「ゴルゴダの丘」 1935年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

何と堂々とした作品なのか。
題材は新約聖書の福音書。

ガリラヤで弟子らとともに予言や癒しを行っていたイエスが、ユダヤの祭礼である過ぎ越しの日にエルサレムにやって来る。
エルサレムの民にもセンセーショナルな人気のイエスに、自らの地位が脅かされるのを過度に懸念するユダヤ教の祭司たち。
折からエルサレムを統治していたローマ軍のピラトにイエスの排除を訴えるが、ピラトはユダヤのことはユダヤ自身で処置せよと取り合わない。
祭司たちは、イエスの弟子のユダを買収しイエスを捕らえる。
ローマ皇帝への訴えを示唆してピラトに迫る祭司たち。
とうとうピラトはイエスの磔を命じる。

イエス役のロネール・ル・ヴィガン

エルサレムの城門、城壁や円柱を再現した大セット。
一部にスクリーンプロセスを用いたほかは実写による撮影が圧巻。
巨大な城壁をバックにした何百人ものエルサレムの民らを引きの画面でとらえるシーンが延々と続く。
古代エルサレムの歴史的光景を物量で再現する歴史スペクタクルはこの作品の「売り物」の一つである。
スペクタクル志向はハリウッドの「イントレランス」(16年)、「ベン・ハー」(25年)と共通する。

エルサレム城内のユダヤ議会には祭司たちが右往左往し、街には羊を連れた民があふれるように続く。
土と埃と住民たちの汗のにおいが伝わってくるような画面作り。
単に福音書を再現しただけの作品ではない、歴史的な地誌的な事実へのドキュメンタルな姿勢がみられる。
宗教的な神秘性や荘厳さの強調は全くない。
この点はハリウッドの諸作品と異なっており、デユヴィヴィエの作家性が感じられる。

ピラト役のジャン・ギャバン

イエスとその弟子たちの関係やその集団的性格は、キリスト教の本質にも関係あろうが、レギオン(軍隊)とも呼ばれるその集団性が描かれる。
イエスがユダを「裏切る者」と呼び、鋭いまなざしを向ける。
すべてを許容するわけでもなく、集団に厳格な規律を求める集団の軍隊的な性格が表れている。
既存の組織にとっては、現代の反体制新興宗教のように脅威以外の何物でもないだろう。

作品のテーマは、卓越した天才が世の中に理解されることの困難だったり、教祖と弟子の信頼関係のあやふやさだったり、既存の権力構造の反動的強固さだったり、扇動に簡単に騙される群衆のポピュリズムだったり、なのだろう。
そのテーマを画面に表す手法としてデユヴィヴィエの方法はわかりやすい。

例えばイエスを裁判にかける場面では、城内の舞台のようなところで被告のイエスと裁判長のピラトが立つ。
検察官よろしくユダヤ祭司たちが舞台のそでで騒ぐ、傍聴人の民らは舞台下の観客席のポジションにいる。
裁判の偏向性、群集のポピュリズム、被告の恥辱などが、位置的にもわかりやすいよう表現されている。

ギャバンと妻役のエドウージュ・フィエール

ここで「ジャン・ギャバンと呼ばれた男」(鈴木明著 1983年大和書房刊)という映画本を紐解く。
「ゴルゴダの丘」の前作「白き処女地」(1937年)でカナダに移住した素朴で逞しいフランス青年を演じスターの仲間入りしたギャバンは、デユヴィヴィエのお気に入りでピラト役をオファーされてたのだという。

ギャバンのピラトはローマ風の権力者の髪形と服装が思ったよりも似合い、すっかり役にはまっていた。
悪人ではないがあやふやな態度を撮り続ける支配者に役が適役だった。
ギャバンはこの作品の後、「地の果てをゆく」(35年)、「我等の仲間」(36年)、「望郷」(36年)でデュヴィヴィエ映画のヒーローを務めることになる。

ガリラヤの支配者のヘロデ王役で、デユヴィヴィエ組のアリ・ボールも出演。
思いっきり俗っぽくも、一癖もふた癖もありそうな王の怪物性をそのまま顔面に滲み出しての演技を披露していた。

イエス役はロネール・ル・ヴィガン。
宗教画のイエス像を再現したような風貌。
ユダヤ祭司たち、エルサレムの民らを、パレスチナ風の風貌の役者をキャステイングしていたのに比して、白人そのものの俳優をイエスに起用したデユヴィヴィエ。
この端正なイエス像は映画の「売り物」の一つで、「プロデューサー」デュヴィヴィエにとっては妥協できなかったのだろう(あるいは妥協してのことだったのか)。

コスチュームプレイではないし、スター映画でもない。
無声映画時代に2本の宗教素材を撮っているというデユヴィヴィエ本来のテーマの一つを真摯に撮った作品である。