雨の日は内職。障子を張り替えました

今年は全国的に梅雨が長いようです。
あっ、西日本は梅雨入りしていないんでしたっけ?
いずれにせよ山小屋は雨です。

雨の日は畑へ行ってもしょうがないので(土は締まるし、収穫物に泥はつくし、雑草を抜いても泥がつくし)内職です。

障子張りの思い出

昔の家は、屋根と柱と梁と壁と障子とふすまでできていました。
障子の張替は年末の大掃除の定番でした。

おじさんが子供のころ、大掃除の時は障子の張替を手伝うというか、大人がするのを見ていました。
古い障子紙を破る時だけ「手伝った」ような気がします。
当時の大人は、障子のサンに水をかけ、古い紙を剥がし、ご飯粒を煮て作ったノリで手際よく新しい障子紙を張っていきました。

大人になってからおじさんも、自宅の障子張替を2,3回行いましたが、子供の時の記憶を頼りに行ったものでした。

田舎暮らしと「手に職」と

山小屋は古民家の枠組みを移築していますが、柱と一緒に持ってきた建具も多く、障子やふすまのオリジナルのものが多数あります。

それらの多くは現役の建具として活用されています。
障子だけで3組、9枚あります。
毎年は無理でも隔年ごとに張替しようと思っています。

今日は雨。
内玄関として利用している障子3枚の張替をしました。
雨の日の内職です。

最近思うのは、田舎暮らしに必要なのは、自活力はもちろんのこと、「手に職」ということです。
DIYができれば田舎暮らしは10倍楽しくなるということです。

大工仕事、土木仕事、電気関係、塗装、木工、水利。
これらの仕事は、田舎では即、生活改善に直結します。
場合によっては死活問題に直結しかねません。

おじさんの不得意分野です。
おじさんの山小屋で不足している部分です。

おじさんの得意分野(というか興味あるのは)は畑と食品加工の分野です。
でも不得意とはいえ、山小屋の維持管理分野を無視するわけにはいきません。
手に職がないときは内職で補完です。

障子張替の実際

用意する道具です。
ノリは専用のものを用意します。
100円ショップに売っています。

古い紙を剥がすには、専用の液体も売っていますが成分が界面活性剤と水なので買う必要はありません。台所洗剤を薄めて使います。

必ず用意したいのが長めの尺です。
障子張替の肝は、紙の張り方と切り方なので、上手に切りためにもなるべき長い定規があると便利です。

古い紙を剥がします。
紙の上からサンに水を渡し少し置きます。
剥がす工程に手間をかけたくないので、たっぷり水を使い、一気に剥がれるようにします。

ノリをお湯で溶いてちょうどいい濃さにします。
濃すぎるとノリばかり使うことになりますし、次に剥がすときに剥がれずらくなります。
薄いと紙のくっつきが悪くなります。

刷毛でサンにノリを渡し、障子紙を乗っけてゆきます。
障子紙の端が障子の端からずれないように合わせます。

ノリが乾かないうちに、ひとりでに剥がれてこないようであれば大丈夫です。

障子紙の端を少し余らせるようにしてカットします。
ノリでぬれた部分をカットしようとするとうまく切れません。

最終的なカットはノリが乾いてから行います。
完成です。

障子と山小屋の内装

山小屋には障子が似合います。
本来は柱の間には白の土壁がありました。
今の山小屋の内装は板張りですので、白の壁紙を張っています。
障子と似合います。

古民家再生の観点よりは、壊れた古民家の再利用として作られた山小屋ですので、細部は「間に合わせ」です。

オリジナルの柱と梁はいいとして、無垢の柱や造り、板張りで「後付け」してあります。

無垢のままにするか、ニスを塗るか、色を付けるか、これから考えようと思っています。

年に一度、山小屋の煙突掃除をしました

おじさんの山小屋、信州の高度1300メートルは昼なお暗い?じゃなくて、夏でも寒い(ヨイヨイヨイ)の世界です。

現に6月も末の時点でストーブを焚いています。
まあ、無理に焚かなくてもいいのですが。
燃料が灯油だったらとっくに焚いてはいないでしょうが。

燃料代がタダだから薪を燃やしているのです?!
夜は肌寒いしね。

ストーブと煙突掃除の思い出

おじさんが育った50年以上前の北海道。
それも旭川。

国内最低気温の記録を保持し続けていた当時の旭川。
一般庶民の暖房は石炭だった。
石炭は道内にあった数多くの炭鉱で産出した。

道内の勤労世帯には、冬を迎えると通称「石炭手当」という寒冷地手当(臨時給与)が勤め先から支給された。
各家庭はその臨時収入で一冬分の石炭を購入して厳寒に備えた。

おじさんが育った家庭でも、晩秋になるとトラック1台分の石炭を購入していた。
家の前の道路に山積みされた石炭を、親父を手伝って家の室に運び入れたものだった。

冬の間は1か月に1回ほどの煙突掃除をした。
主に家の主の仕事で、天気の良い日曜などに、煙突を全部外し、竹の端についたブラシで煙突内部を掃除したものだった。
今思えば、ストーブから煙突まで含めた構造が、煙突掃除を予定した仕組みになっていました。

煙突掃除をすると格段にストーブの燃焼がよくなった。
大人たちはその状態を「吸い込みがよくなった」と言ったものだった。
50年前の冬の旭川の(そして北海道内の)記憶の一つは、石炭ストーブから出るススのにおいだった。

山小屋での煙突掃除

おじさんの山小屋での煙突掃除は3回目です。
つまり年1回です。
少ないのかもしれません。
現に最近のストーブの「吸い込み」は目に見えてよくありません。

これが山小屋のストーブです。
カラマツストーブといい、針葉樹も燃やせるという触れ込みのストーブです。
鉄板が厚いので高熱にも耐えることができます。

煙突も2重構造で、完全燃焼を促す仕組みになっています。

この煙突を外すのは大変です。
外側に突き出た部分も高いので屋根に上ったとしても簡単に外すことはできません。
分解した後、組み立てられなかったりしたら最悪です。

ということでおじさんの煙突掃除は、2階の室内と、中二階の屋根からの2か所で、煙突の屈曲部分のふたを開けブラッ
シングする方式です。

ススをストーブ内と中二階の屋根の上に落とす(屋根にはバケツかビニール袋を用意してススを受ける)のです。

煙突全体のごく一部しかブラッシングしませんが、垂直部分の煙突にはススが少ないという話もありますし、全体がおじさんの手におえるものではないので仕方ありません。

掃除前にストーブの灰を取ります。
草木灰です。
捨てるのはもったいないので、後で畑にまきます。

掃除後はやはりストーブの吸い込みがよくなりました。
梅雨寒の山小屋にはまだまだストーブの火が恋しいのです。

今年は小梅を1キロ漬けました

梅干しを漬ける季節です。
おじさんが山小屋に来てから3年目。
3回目の梅干しのシーズンです。

最初の年は近くの直売所に行って、材料の梅を注文しました。
完熟、中型の梅を注文しましたが、後日用意されたのは大型の青々とした立派な梅でした。
梅酒にしたらさぞよくできそうな梅でした。
値段もそこそこに立派でした。

出来上がった梅干しは、梅の果肉が立派に残る逸品でした。梅干し用には立派な梅は必要ないとその時痛感しました。

去年は中型の完熟梅が手に入り、イメージ通りのものができました。
梅の果肉にシソで彩られたエキスが染み渡った梅干しらしい梅干しでした。

今年の梅を漬ける

今年は、丸子のあさつゆという直売所で梅を買いました。
今が地元の梅の出盛りなのですが、やはり店に出品される梅は立派なものばかりでした。
青々とした大型のものが高値で売られていました。
その中で小粒ながら完熟したものがありました。
ゲット。

一晩水につけてアクを取ります。

翌日、ヘタを取ろうとするとほとんど取れて水に浮かんでいました。
青梅ならば1個ずつ爪楊枝でほじくらなければならない梅のヘタ取りですが、完熟梅ならばひとりでに取れてしまうのでした。

梅の水けを取ったら、分量の塩で漬けます。
1キロの梅に対sしては塩が200グラムです。

漬ける容器はカメにしました。
1キロ漬けには大きすぎるカメです。

皿をかませて重しを乗せ、ビニールでカバーして終了です。

水が上がらなければ重しを重くします。
食品貯蔵庫?の棚に置きます。

水が上がれば重しを取って、シソが出回る季節までそのままおきます。
シソを漬けこんだら、真夏に天日干しをして完成です。

2017年と2018年の梅干しです。
右が2017年ものです。

1週間ぶりの畑と夏野菜たち

1週間ほど自宅に帰ってました。
家族の誕生会、米寿祝に、20年来恒例の町内会のバーベキュー大会までありました。
山小屋へ戻り、畑を見たのは1週間ぶりでした。

雨で湿った土。雑草は旺盛

畑はたっぷり水を含んでいました。
梅雨前線による長雨のせいでしょう。

びっくりしたのは雑草の生育ぶり。
畑を離れるにあたり、けっこう雑草を抜いたり、刈ったりしたつもりでしたが。
土の中の種が一斉に発芽したごとく、雑草が畝を畝間を新たに覆っていました。

それでもレタスや長ネギは収穫間近の成長ぶりでした。

いんげんが花を咲かせていました。

トマトは1株から2本3本と茎を出していました。
ズッキーニは実がなり始め、取り遅れた実が肥大していました。

キューリの剪定をする

キューリの剪定をしました。
根から5節までは葉も花も取ります。
6節以上は、実を1本残してその先のツルをカットします。

要するに1本立てで育てるのがキューリです。
1節で1本の収穫ですから収量も限られます。

ほおっておいて限りなく結実しそうな勢いのゴーヤなどとは違い、箱入り娘の感じがします。
ナスと同様にキューリは長い間改良が重ねられ、人工的要素が濃い野菜なのかもしれません。

おじさんは去年からトマトの1株3本立て栽培に挑戦中。

いずれはキューリについても、おきて破りの放任栽培に挑戦したいもの。
来年はキューリも接ぎ木の苗にしようかしらん。

収穫は長ネギ、レタス、ズッキーニ

長ネギを1本抜いてみました。
太さは十分ですが、白身の部分が短かった。
土寄せして白身を増やすことにします。

レタスを1個収穫してみました。
ふんわりと巻いていました。
思えばよくここまで育ちました。
雨が多いと腐り、日照りが続くと溶けるのがレタスです。
レタスの収穫にはおじさん感激です。

ズッキーニが3本採れました。
おじさんの畑とズッキーニは相性がいいようです。

ジャガイモの勢いは止まっていません。
デストロイヤー種の花が咲き誇っています。
男爵の花はいつの間にか終了しています(あるいは咲かなかった?)。
7月には収穫できそうです。

1か月ぶりの畑。
夏野菜たちはそれぞれたくましく生きていました。
雑草も。

収穫した玉ねぎを軒先に吊るしました

今年の初収穫。
玉ねぎを収穫して1週間たちました。

収穫後は乾燥させるのが玉ねぎを長持ちさせるコツ。
とりあえず、2階のベランダに球が重ならないようにケースに並べておきました。

数個ずつ束ねて軒下に吊るしてみた

農家の物置の軒下に、玉ねぎやニンニクが吊るされているのを見ることがあります。
昔ながらの保存方法です。
おじさんも真似してみました。

吊るす場所は2階のベランダにします。
竿と紐を用意します。
竿をセッテイングする場所を決め、くぎを打ちます。

竿をセッテイングしたら、玉ねぎを束ねてゆきます。
数個ずつ束ね、ひもで結わえます。
ゆわえたひもの反対側は竿に通すためのわっかを作ります。

出来上がった組を竿にかけてゆきます。

おじさんの山小屋の2階のベランダ。
布団を干したり、煙突掃除の際など以外には、物置としてしかほとんど利用していません。

1階のベランダと階段でつながっていて、本来は使い勝手がいいはずなのですが、1階のベランダ奥に古い機織り機がブルーシートにくるまっておかれているので行き来がで着ないのです。

ということで、ベランダとしては若干風通しがよくないのですが、高原の夏の乾燥に期待して、2階のベランダに吊るすことにします。


大玉と中球を全部吊り下げることができました。
小玉は引き続きケースで保存することにします。

1階のベランダにも一部吊り下げてみました。
秋になると干し柿を吊るす場所です。

玉ねぎには秋までは持ってほしいと思っています。

半年間のお待たせ!玉ねぎを収穫しました

玉ねぎを収穫しました。

去年11月に苗を定植し、半年。
積雪の年を苗で越え、春を迎え、成長の時期を過ごし、予定通り6月中旬に収穫に至りました。

おじさんが山小屋に不在の、12月から3月までの間は全くのほったらかしでした。
苗の根元に燻炭ともみ殻を厚めに敷いておいただけです。
元肥もなしでした。

4月に苗が生きているのを確認。
追肥を施し、ひたすら成長を待ちました。

隣近所の畑からは生育がかなり遅れましたが、最近になって葉が急激に成長。
長ネギのような太い葉が立ったかと思うと、球が大きくなり、あっという間に葉が倒れました。
葉の倒れた時が収穫時期です。

待望の収穫時期が到来

収穫当日の玉ねぎ畑の様子です。
玉が地表に露出していますが根は張っています。

葉を握ってちょいと引っ張って根を引き抜きます。
そのまま畑に転がしておきます。

次の作業は根切りです。
玉ねぎが少しでも余分な水分などを吸収しないようにするためです。

次に葉を長さ15センチほどにカットします。

葉を全部カットすると、球から新しい芽が出ようとするのでそれを止めるためです。また、葉を全部残すと葉に養分が行ってしまうようで、長さ15センチくらいにカットするのがいいようです。

葉をカットしたら畑に転がして乾かします。
おじさんの畑にはスギナが出現し、あさつゆにきらきら輝いていました。
そこで、玉ねぎがあさつゆを吸収するのを防ぐため、スギナから離れた乾いた畝間に玉ねぎを並べました。

玉ねぎの収穫は畑が乾いたときに行うのが鉄則です。

計140個ほど収穫しました

数えると合計140個ほどの収穫でした。
万歳です。

昨年はピンポン玉ほどのものが数十個の収穫でした。
定植直後の雨で苗が一度流されたことと、冬期間日陰になりがちな場所に作付けしたことが原因でした。

今年は大玉、中玉が計80個、小玉以下が60個の収穫でした。

大家さんに大玉5個を持ってゆきました。
初物は届けることにしています。

畑に2,3日置いて乾かすのが本来ですが、天気予報が午後から雨のため、そのままコンテ内に収容。

山小屋に持って帰って、重ならないように苗箱に広げて軒下に収容しました。

しばらくしたら、ネットに入れるか、葉を縛るかして軒下に吊るして保存しようと思います。
保存期間は夏までが目標です。

やはり作物というものは無事できてなんぼです。
収穫してこその野菜作りです。
育ってくれた作物に感謝!です。

信州ソウルフード放浪記VOL.6 上田やまざきやのおやき!

信州名物の一つがおやきである。
米が取れなかった信州で主食の代わりとなったのが、ソバ、麦などを原料とする粉食。
信州そばが有名で、ブランドとして全国化しているが、地元で今も愛されるのがおやき。
野沢菜漬などの具材を甘辛く味付けし、皮で包んで焼いたもの。
本来は囲炉裏などの灰で焼いたものだった。

信州名物数々あれど・・・

おじさんのような山小屋一人暮らしの人間にご当地の名物は案外縁が遠い。
信州名物といえば、ソバ、おやきのほかに、馬肉、イナゴ、蜂の子、鯉、ザザムシなど数々あるが、おじさんはほとんど食べたことがない。

買ったことならある。
直売所の地元産コーナーで、鯉の甘露煮のパックを買った。だけど食べてはいない。
一人で食べる発想が出てこない。

これが、地元の家に招かれたとしたら喜んで食べるだろう。むしろ地元の名物を所望するくらいだろう。
なぜならその「場」がこれ以上ない「地元」のシチュエーションだから。

あるいは都会から家族、知人らが来たとして、「ノリ」でなら食べることがあるだろう。
さらに地元の居酒屋で飲むとしたら蜂の子か、ザザムシかをつまんでいたかもしれない。
事実10年近く前の会社出張時に長野駅前の居酒屋で肴としたのは馬刺しだった。うまかった。

でも一人の山小屋では、地元の名物とはいえ、食べつけないものを献立にする発想が出てこないのだ。
山小屋で一人晩酌をしながら、鯉の甘露煮やイナゴの佃煮をつまむことが今でも想像できない。

やまざきやのおやきと団子

上田に地元の客が通う和菓子屋がある。
やまざきやという。

団子、もち、どら焼き、かきもちに洋風のレーズンサンドまである。

ここの一押しがおやきだ。
地元の人が買ってゆくのを見ると、おやきを10個近くも買ってゆく。
もう一か所、地元御用達の今川焼屋である富士アイスにおける地元客の買い方も似ている。
そこでは今川焼を箱単位で買ってゆくのだ。

今回おじさんがやまざき屋やで買ったのは、クルミ、ゴマ、みたらしの団子各1個と、野沢菜、切り干しのおやき各1個、そしてどら焼き2個だった。

おやきはここ、やまざきやで食べて初めてうまいと思った。それまで、直売所や土産コーナーで、冷凍のおやきなどを見かけることがあり、名物としてのプッシュ感を感じることっはあっても買って食べようとは思わなかった。

おやきは具もさることながら手作り感満載の皮がうまい。
団子はクルミなどのタレがうまい。
わざわざ作る以上は興味とやる気を持って作っているのがわかる味がする。

地元の人が通う店に間違いはない。

昭和の初夏の食卓! わらびを採りました

山小屋も梅雨入りです。
といっても3日も続かないのが梅雨空です。
今日は午前中は肌寒い雨降りでしたが、午後からは太陽が出ました。
おじさんは、別荘地のスキー場跡地に行き、わらびを採取してみました。

さて、わらびとは?

おじさんの親世代までは、家庭で季節の山菜を食べるのが普通でした。
春のふき、うど、わらびから、秋のキノコなど。
専門的な山菜や野草などは当時でもなかなか食べませんでしたが、ふき、わらびなど有名どころは季節に必ず食卓に並んだものでした。

現在でも山菜の人気は高く、別荘地住民のみならず、近隣の住民が山菜を採りに道端に車を止めている風景をよく見ます。

わらびはシダ科の植物です。
シダ科の植物を食べるのは日本人だけ?ということですが、朝鮮料理の材料でもありますね。
日本人の影響で、野菜の少ないシベリアのロシア人が食べているという話もあります。

年寄りが好きそうな鄙びた味がします。
おじさんなども小さいころから食べていたせいか、味には慣れ親しんでいます。
たまーには酒のつまみに煮びたしでも食べたくなります。

初めてわらびを採ってみる

山小屋近くのスキー場跡地がわらびがよく採れる場所だということを聞きました。

簡単な見分け方と、採り方を教わりました。
大きくなると枝分かれしますが、手で折れる部分までは食べられるそうです。

ビニール袋を持って現場へ行きます。
スキー場跡地の斜面に立つと青空と遥か山並みが見えます。足元には斜面が広がります。

歩いてゆくと山ウドがありました。

ふきもところどころにあります。
つつじも咲いています。

ふもとの畑などは雑草が生い茂っていますが、標高1500メートル近くの別荘地では野草の育ち具合もまだかわいいものです。

わらびです。
わらびとは群生して生えているのか?となんとなく思っていましたが、実際はポツンと生えており、見つけるのが簡単ではありませんでした。
もちろん先客も何度か採取に入っている場所でもあります。

売っているような、わらびらしいわらびは一握りも採れたでしょうか。
あとは枝分かれした柔らかいものを合わせて両手いっぱいくらい採れました。

帰ってあく抜きします。

信州ソウルフード放浪記VOL.5 とんかつは信州の名物だ(上田寺下・味楽亭)

信州は肉がおいしい。
同年代の長野出身者にそう言ったら「そんなことはない!」と断言されたが、実際にそうなのだからしょうがない。

アルプス牛に信州豚、信州鶏がある。
いずれもうまい。
地元で買うと新鮮なのもいい。

おじさんの連れ合いなど、レバーは決して食べない人だったが、信州鶏のレバーだけは食べる。
おいしいのだそうだ。

今日はとんかつを食べるぞ

上田電鉄という私鉄が上田から別所温泉までつながっている。
途中の駅に寺下というところがある。
住宅地というより田んぼの中の駅である。

ほど近く、とんかつで地元に人気の味楽亭がある。
日頃、豆腐だ、大根だ、キャベツだ、お惣菜のコロッケだ、と粗食のおじさん。
オフの一日にとんかつを食べにゆっことにした。

味楽亭は今日も満員だった

地元客でいつも満員の味楽亭。
土曜日のこともあって訪れた13時半ころにもまだ入場待ちの人らがいた。

おじさんも記名して待つ。
待つのが嫌なら時間をずらして、と思っても信州の食堂は14時になれば昼休みなのが鉄則。
味楽亭も14時30分までが昼営業の時間だ。
自分の都合でいつ行っても店が開いているわけではないのだ。

やがて名前を呼ばれて大テーブルの相席へ案内される。
外で待っていても、店員がドアを開けて名前を呼んでくれるから安心だ。

ロースかつ定食をオーダー。
キャベツの盛がいい。
ごはんのお替りが自由だ。
肉の脂身が邪魔しない(脂の味がいい)ので最後までおいしく頂ける。

地元のファミリーの御用達なのもうなずける。
上田にはここのほかにも、力亭、仔豚屋などの有名店がありそれぞれにおいしい。
素材をケチらず、盛りのいい、地方の良さが満喫できる。

信州こそとんかつの、そして肉の名産地である。

またも新潮新書「日本農業への正しい絶望法」を読む

ブックオフで買ってあった本。
雨で山小屋に閉じこもっているときに読んだ。
テレビかスマホ、パソコンを見る機会が多い昨今、紙の文字は新鮮だった。
読書の輝きの再発見!

今どきの農業ブームへのアンチテーゼ

著者は1962年生まれの農学博士。
本の帯には「有機栽培だからおいしい」「農業は成長産業だ」「日本人の舌は厳しい」全部ウソです。の刺激的なキャッチコピーが並ぶ。
はて、最近流行の「日本スゴイ・農業版」のウソを暴く本か?
それも現代風なジャーナリステイックな文体で?

実は、正統派農業関係者である著者が、日本農業衰退を現場の豊富な実例によって分析した本だった。

著者の強みは、農業行政はもちろん、現場の農家と接点を持ち、また最近流行の有機農業、自然農業、「外向き発信型農業」などにも詳しいことだ。

*「外向き発信型農業」とは生産物そのものより消費者などへの発信を重視する農業スタイルのこと。

著者が薦める「技能集約型農業」

著者が日本農業の本当の特徴にして生き残る道として示すのが、技能集約型農業という概念だ。

篤農家、名人として営々と日本の畑に受け継がれてきた農業技能。
有機農業、無農薬などと標榜するわけではないが、本当の意味で品質のいい作物を作る人。

例えばほかに人が作った稲の葉っぱを見て触って、その田んぼの状況、農家の対応を言い当てることができる名人のことと、そういった人が作る作物のおいしさ。

これは、日本の農村が営々と築いてきた集落の秩序があってのことだと著者は分析する。
技能集約型農業により、環境や健康が保たれ、農村に雇用を生むと説く。

著者が憂う、農業をめぐる現状

現在は、集落の秩序そのものが衰退し、有意の農家が技能集約型農業を目指そうとも、周りの農家と行政、JAが目先の利益に走るため困難とのこと。

いまの流行は、有機農業、自然農業といったキャッチフレーズのみの「外向き農業」か、手順を単純化した「マニュアル農業」であり、農業者として最重要な生産物の品質向上より、マスコミ受け消費者受けが最優先のものになっていると著者は分析する。

また、農家も農地転用による目先の利益を優先し、意欲のある新規参入者に休耕地を貸すより、いつでも農地転用、売却のことを考えているのが現状と分析。
「農家は被害者でいい人」の常識を打破する。

また無秩序な農地転用などを抑制してきたJAが弱体化によりその機能を果たせなくなっていることを指摘。

消費者もマスコミ情報をうのみにし、自らの舌で農産物を選別していないこと、また舌そのものが退化し、作物を選別できない、とする。

おじさんが本書を読んで考えること

おじさんが20代のころ、短期だが農家に住み込んで働いたことがあった。
千葉の専業農家で3町歩の畑を持ち、スイカを主力作物としていた。
農薬を使わない農家で、有機農産物の産直グループに卸していたが、作業は20代のおじさんにもきつかった。

朝6時起床。
顔を洗って地下足袋をはいてから、作業終了後の日没まで地下足袋は履きっぱなし。
昼食1時間、夏には納屋で昼寝ができたが、午前と午後のお茶の時間以外はひたすら野良で作業が続いた。

スイカだけで1町歩ほども作っていたから、初夏には天気のいい朝に、スイカの苗を覆うトンネルのすそを引き上げ、夕方に戻す作業を中腰で行うだけで腰が曲がるほどだった。

本書で「最近の日本人に農作業を行う体力はない」と論じていたが、この作業を今の若い人はなかなかやらないだろう。

おじさんらの世代は「農家は大変だ。自分は農家はできない」と漠然と思っていたものだが、偽らざる実感だ。

日々の農作業に耐える体力、集落の縛りと秩序の中での生活はサラリーマン家庭で育ったものが馴染むものではない。
農家の生れついたものか、選ばれた人間がよくするものだ。

かつてはそれが一般常識だったように思う。

いまの農業ブームは、本来の技能(と体力)集約型農業が衰退する隙間に咲いた仇花で、マニュアル農業を前提としマスコミが持ち上げ、消費者が勘違いして持ち上げているものなのかもしれない。