令和8年「合宿」無事終了

一昨年から復活した学友たちとの交流。
学友たちが日帰りで来訪した一昨年、一泊していった昨年を経て、3回目の今年は7名が来泊するという一大行事となりました。

8月下旬にまず内3人が前泊で来訪。
当日に軽井沢でゴルフをし、夕方に山小舎に来るとのことで、鍋用の食材を持参するとのことでした。

この3人のうち2人は山小舎初来訪。
今年の3月に東京での「送別会」で何十年ぶりかで会った2人でした。
当日は、暗くなってからの到着で心配しましたが無事山小舎に来訪。
持参の食材ですき焼きをし、楽しく飲み食いしました。

その日の夜からは雨。
翌日も雨です。

3人をスズランの湯に送り出し、午後からの宴会の準備をします。
この日はいつもの炭火焼きのほかに、地元の食材、季節の食材をアレンジしたオードブルを個別の大皿に用意しようと計画しました。
10種類近くのメニューを、火を通したり、カットして乗せたりしてあつらえるので、前泊組に手伝いをお願いしました。

合宿当日のメニュー

メニューを提示し、食材を用意して、帰ってきた3人に簡単に説明。
すぐに理解した3人は、アイデアフルな意匠を加えて食材をアレンジし、オードブル一皿をあつらえてくれました。
特に生ハムのメロン巻の出来上がりは最高でした。
さすがもともと頭脳優秀なうえに、実社会の経験豊かな人材たちです。
一通りの説明だけで、期待以上の結果をもたらすということが、現実社会では如何に奇蹟的なことか。
皆さんにもご案内の通りだと思います。

ついでに彼らに塩おにぎりを結んでもらいます。

オードブルの準備開始
チーズやパテをクラッカーに塗ってゆく
カットしたメロンに生ハムを乗せる

この日は断続的な雨で、屋外でのBBQはやめて、室内にテーブルを二つ並べ、グリルを軒下に置いて炭をおこし、焼き物は焼いた後で室内に運ぶ、というスタイルにしました。
寒さや暗さを気にせず、食器・グラスは室内と同様に使える、というメリットもあります。

表で炭火を起こす

後発の4人も到着。
旅装を解いた後、宴会開始。
先ずはオードブルを前に、地元産のスパークリングワインで乾杯です。

オードブルも片付くころ、宴もたけなわですが、そろそろ炭火焼きに移らなければなりません。
炭火焼きの食材は、鶏ももの串打ちや、信州豚肩ロースブロックの切り分けなど、前泊3人組がすでに仕込み済みです。
山小舎おじさんが、焼き作業のエンジンがかからず、飲み食いを続けていると、後発組の働き手が立ち上がってグリルの前に立ってくれました。

その後も暗くなった玄関前で丁寧に焼き続けてくれました。
焼きものにも焼き手の性格が表れます。
新鮮な体験です。

クラフトビール、地酒、ワインなどのボトルが空いてゆき、『もうお腹いっぱい』といいながら、鶏や豚が出るとまた違った味に舌鼓。

大学時代の昔話や、各々の半生(中には細君に先立たれた後、男手一つで娘を育て上げ、その間周りの人々に助けられたという素晴らしい逸話も)、から時事問題の皇室典範改正の話題まで。
話題は縦横無尽に、時空を駆け巡ります。

全員が65歳以上という現実にかんがみ、1時には全員就寝という聞き分けの良さで、大宴会はお開きとなりました。

翌朝、後発組は次の目的地へ移動してゆきました。
バンガローにあと2泊するとのことです。
しばらく山小舎でまったりした後、前泊組も三々五々、帰途に着きました。

皆さん『よく眠れた』とか『雨の山小舎もいい』と言ってくれました。
事故もなく、良く食べ飲んだ『合宿』でした。
食材はきっちりと割り勘にしてくれました(家族以外の来客でも案外こういうことは多くない)。

ちなみに、今回の様子をラインで見た東京の家族が、『合宿みたいだね』と表現していました。

『合宿』終了後の洗濯と布団干し
飲みほした、ワイン、地酒、ウイスキーの空き瓶

帰京した参加者からメールが届きました。
『来年の集まりも8月最終週に行いたい』とのことでした。
もちろん異存はありません。
来年も山小舎と自身の健康を維持し続けるという目標ができました。

残った焼きのもで翌日の食事(鶏モモ串)
残った焼き物(アルプス牛のロースト)
皆さんにいただいた、高価なお土産の一部

第4回!彩レデイース来小舎

彩レデイースが山小舎にやって来る季節になりました。
4年目です。
今年は2人です。

最初の年は4人参加(山小舎おばさんを入れて5人)でした。
諏訪の鰻屋で待ち合わせし、諏訪湖一周から片倉館で温泉、諏訪大社本宮を参拝して山小舎へのコースでした。
2年目からは3人のゲストでした。

毎週、調布柴崎のみんなの居場所・彩でランチを作ってくれるメンバーです。
近所のマンションから通ってくれます。
ランチの会のほかにも、鏝絵(だったかな)の教室を開いたり、銀座へ食事に行ったり、山梨まで信玄餅の工場へ行ったり、韓国仕込みの手作りキムチを持ってきてくれたり、と多士済々の方々です。

山小舎へ来てからもわらび採りをしたりしました。
毎年、山小舎で一泊する前には県内での昼食と温泉が楽しみなようです。
同行する山小舎おじさんの食費を旅の会費から出してくれたり、山小舎浄化槽工事費をカンパしてくれたりもしました。

そんな彩レデイースの来訪を前に、山小舎ではごちそうを用意して待ちました。
今年の目玉はオードブルです。
メインの炭火焼きとそばを出す前に、大皿にオードブルメニューを各自分用意しようと思ったのです。

当日のメニュー
串に仕込んだ鶏もも

オードブルのメニューは、地元産のパテ、畑で採れたキューリの醤油麹添え、おなじくピーマンの焼きびたし、鶏肉のトウガラシ麹焼き、ビーツのピクルス、焼きトウモロコシ、焼きシイタケ、茹でアスパラなどです。

オードブルを盛りつけ中

温泉上がりで腹ペコなお二人は、例年のも増して、食べる食べる。
その間に講習会で打ったそばをゆでて出します。
醤油麹に漬けたシソで巻いたおにぎりも用意しています。

おにぎり
宴スタート

そばを食べている間に、仕込んでおいた鶏もも串などの焼き物を炭火に乗せます。
こうして夜の宴は過ぎてゆきます。

鶏レバー
レデイースは洗い物を片付けてくれる

翌朝は霧でした。
山小舎おばさんの企画立案で、この日の朝食を車山肩のコロボックルヒュッテで摂ることにして8時半ころ出発。
霧のビーナスラインを走って現地へ。
ヒュッテに向かうとすでに10人以上の客が9時の開店を待っていました。

霧の車山高原

霧もさることながら、風と低温で寒いこと!
レデイースからウインドブレーカーを借りてその場を凌ぎます。
名物のボルシチとパンの朝食を注文。
サイフォンのコーヒーが美味かった。

食後はまだ早いニッコウキスゲの姿を遊歩道沿いに求めながら車山高原を散歩しました。
満足感たっぷりのレデイースツアー。
来年も待ってまっせ。

ニッコウキスゲを求めて

奥多摩経由で山小舎へ、軽トラ帰行

東京での家族行事(娘夫婦の誕生会)に出た後、山小舎へとんぼ返りしました。
この旅、娘一家のキャンプに使う薪を4締め積んでの軽トラドライブでした。

山小舎から運んだ薪

行きは薪を積んで朝早く山小舎を出発。
お昼は大月から4キロ富士山側に入った、道の駅都留で。
道の駅都留の物資の豊富さが忘れられなかったのです。

11時を過ぎ、まだ客の少ない食堂でチョイスしたのは、湧水ポークのハンバーグをメインにしたランチプレート。
食券販売機もなく、すべてアナログの対面販売で行われる食堂は、活気に満ち、おいしさに期待が募ります。
野菜たっぷりで、地元の食材をこれでもかと盛り込んだプレートを爆食、満足ここに極まれり。

道の駅都留の食堂で。野菜がうまかった!

2泊過ごした自宅を後にして山小舎への帰途に着きます。
20号線沿いのメインルートはよく通っているので別のルートをチョイスします。
奥多摩経由の「北帰行」ならぬ「軽トラ帰行」です。

自宅から青梅街道を目指します。
日曜の朝乍ら通学するジャージ姿の高校生であふれる三多摩地区の住宅地を延々と抜けます。

青梅街道に出て国道16号線と交差する瑞穂町の交差点を抜けて、青梅地区に入ります。
工場や運送会社などが点在する圏央道沿いのエリアを抜け、青梅街道で奥多摩を目指します。
ここまで2時間以上かかりました。

古い街道の風情が残る奥多摩の道をたどります。
東京都下の街道風情です。

やがて奥多摩湖が見えてきます。
東京の水がめといわれるダム湖ですが今年の水位は低いようです。

この日の奥多摩湖

ダム湖の周囲を巡るように、更に奥までの道が続いています。
短いトンネルが続きます。
路線バスが走っています。
奥多摩駅から山梨県の丹波山村まで走る西東京バスです。

奥多摩駅から丹波山村へのバス路線

道の駅たばやまで小休止です。
直売所や食堂を物色します。
鹿肉バーガーのキッチンカーが出ています。
ここでマップを入手し、郷土資料館を見つけたので寄ってみます。

道の駅たばやま
鹿肉バーガーのキッチンチカー
直売所でのお買い物。鮎めしはと饅頭はうまかった

オオカミのはく製が出迎える郷土資料館。
丹波山村はオオカミというか山犬信仰の村でもあるのです。
武田信玄時代からの金山開発、その後の街道整備。
明治以降になってからは東京とつながり発展したが、過疎化の時代になって塩山からのバス路線も廃止となって現代に至った話。
受付の女性を除き、人っ子一人いない館内には、山村がたどった長い歴史と、それを後世に残そうとする地元の意志の確かさを感じました。

丹波山村郷土資料館
オオカミのはく製
猟に使われていた火縄銃

丹波山村で昼食をと思い、マップをもとに2軒ほど食堂を探しましたが、2軒とも休業とのこと。
国道沿いの古民家食堂で日替わり定食にありつきました。
道の駅以外では閑散として観光客の姿も少ない丹波山村でした。

街道沿いの食堂
日替わり定食。汁の味付けが独特

丹波山から山梨方面に、国道411号線(大菩薩ライン)を進むと、大菩薩山塊を迂回する柳沢峠を越えます。
左に大菩薩山塊を見ながら長いくだりを走ると塩山の町に出ます。
甲府はもうすぐです。

現在、山梨側のバスの路線は、塩山から大菩薩登山口まで営業している余です。
丹波山村から大菩薩登山口までは峠越の道を20キロ以上でしょうか。
とても「路線バスの旅」で使えるルートではありません。

柳沢峠の茶店で小休止

調布飛行場掩体壕

3月下旬、ママチャリで自宅付近をぶらつきました。

東八道路の野川公園付近からの帰路、いつもと違うコースを選択。
アメリカンスクールの脇を通り、近藤勇の生誕地の横を抜け、調布飛行場へ向かう道に出ました。

飛行場を遠望

散り始めた桜並木が続く道。
右に飛行場が見え始めたところに掩体壕がありました。

保存されている掩体壕

陸軍調布飛行場は太平洋戦争を前にして旧調布町の広大な農地、住宅を収用して作られた基地です。
2本の滑走をを持ち、海軍の木更津航空隊とともに、帝都防衛の要の基地として運用されました。
展開した陸軍航空隊の主な機材は飛燕。
ドイツの戦闘機の設計図を援用した液冷エンジンを持ち、戦争末期の陸軍の主力戦闘機でした。

掩体壕前の案内板

飛燕はおもにB29の東京空襲に対する迎撃に出動しました。
B29は下町に対する夜間の無差別爆撃のほかに、東京西部の中島飛行機工場などの軍需工場に対する昼間の高高度爆撃も繰り返しており、それに対する迎撃を、調布飛行場から出撃する飛燕が行っていたのです。

掩体壕は当時の爆撃から戦闘機を守るために作られたコンクリート製の防空壕で、現在でも調布飛行場付近に2基残っています。
今見ると雑な作りの手狭なもので、やっと1機の戦闘機が収納できたかな、というものです。
戦争末期の資材不足になかで急場の手作り感がうかがえます。

掩体壕前の案内板

飛行場へと続く桜並木の入り口付近には、陸軍時代の門扉が残されています。
かつて、軍都とも呼ばれた調布の姿がここに残っています。

入口の残る門扉

現在の調布飛行場は、陸軍時代の何分の一かのスペースに滑走をを残し、伊豆七島への小型機の就航のほか、民間のパイロットの飛行基地ともなっています。
ほかのスペースには、老人施設、サッカースタジアム、子供用野球コート・サッカー場コート、東京外語大学キャンバスなどが建ち並んでいます。

現在の飛行場ターミナル
島嶼部へ向かう小型飛行機が待機する
出発ロビー

自宅から自転車で来れる場所に飛行場があり、伊豆七島まで行けるのですから夢は旅路を駆け巡ります。

3月の彩ステーション

山小舎おばさんが、調布市柴崎の商店街の空事務所で主宰してから7年目の彩ステーション。
『みんなの居場所』をモットーに日々活動しています。

この日のトークイベント風景

定例の活動内容は、健康マージャン、十筋体操、ピアノでハモろう会、ギターで歌おう会、談論風発の会、ランチの会など近所の主にご老人たちを対象にしたものから、月一回の子ども食堂、お結びカフェ、寺子屋の会など。

不定期で落語、アクロバットなどの公演。
認知症などを対象とした専門家の集まりや、介護学生の実習場所、施設の子供たちの作品展覧会などなどしての活動も。

集まってくるのは近所のご老人から、専門家、学生、子供たちとママさんなど。
催し物をリードするのは、アクロバットのプロや、ピアノの先生、落語の真打、有志の方々など。
裏方にはベテランの主婦らがキッチンで大車輪。
子ども食堂は小学校PTAのパパとママが主催。

ときどきは日本人の夫と暮らす外国人女性(グアテマラ、パラグアイ、イランなど)が出身国の話題と料理で夕べの会を開いたり、仲間を集めてパーテイしたり。

コロナで中断する前には『カフェ彩』として持ち込み自由、ワンプレーと500円のアルコールOKのカフェ(18時から21時)が開かれたこともありました。

中には、ドイツに住むピアニストやアメリカに住む織物の専門家なども。
この日はグアテマラ織りの専門家が講演会を開くというので聞きに行きました。

トークイベント開催のちらし。3月は落語も開かれる

この方は上野原小学校と神代中学卒のバリバリの地元出身。
海外放浪の末、中米グアテマラに魅せられ通うことしばし。
織りのもなどを日本に紹介したり、即売したり、講演したりしています。

小林愛子さんの自己紹介パンフ

集まった近所のご高齢を前に、グアテマラで出会った織物のすばらしさ、その文化的、技術的意味などを解説していました。
話題は世界情勢を地理的にも時間的にも縦横無尽に飛び回り、特に今のアメリカの国際的政治情勢の危うさを肌身実感として訴えていました。

小林愛子さん
グアテマラ織りのバック

こういった突拍子もない活動に出会えるのが彩ステーションに凄いところです。

ママチャリ迷走記2026 三多摩の桜を満喫

3月下旬の東京三多摩地区。
桜が満開になりました。
ママチャリで出発します。

神代植物公園北側のバス通りを通ります。
かつてこの通りは、バスの屋根に触れそうなくらいに桜の枝が垂れ下がっていました。

深大寺五差路付近のお花見
神代植物公園北側の桜並木

三鷹の深大寺地区の畑の間を通り、天文台通りに出て北上、東八道路に出ます。

三鷹市深大寺の農家の桜古木

東八道路に分断された野川公園は人々が三々五々散歩しています。
ここから、桜の名所である小金井の上水路沿いの土手と小金井公園を目指します。

野川公園
小金井の御寺の境内も満開
中学のグラウンド

小金井の、玉川上水付近に来ると、どんどん公園を目指している人々がいます。

玉川上水土手に建つ小金井桜の碑
玉川上水上から見る桜並木

小金井公園では桜祭りという催しが行われていました。
桜も見事ですが、屋台の列と人の熱気、そして伝統のお花見の光景に圧倒されます。

伝統の花見風景。この熱気を見よ

令和8年の東京のお花見も無事行われました。

自宅の庭のフェンス修復で DIY!

隣家との間の庭のフェンスにはツタを絡ませています。
伸びたツタを剪定していると、木製のフェンスが傷んで腐っているのを発見しました。
既に設置から20年以上経過したフェンスです。
取り換えが必要です。

ツタが生い茂った庭

先ずはフェンスに這わせているツタを根元から切ってゆきます。
現れたフェンスを取り除きます。
ボロボロの腐った木材です。
LLサイズのゴミ袋タップリ3袋の木材ゴミとなってフェンスが撤去されました。

ツタをカットし木製フェンスを撤去する

ホームセンターに行って新しい木製フェンスを探します。
今度は高さが60センチのものにします。
木製フェンスを抱える、幅4センチほどの四角柱の垂木を選びます。
垂木は長さにカットして、紙やすりで表面を削ってから防腐塗装をします。

垂木にやすりをかける
防腐塗装をする
乾かす

塗装が乾いたら組み立てます。
垂木を、もともと庭に設置されている金具のフェンスに拘束具で固定します。
そして木製フェンスを取り付けてゆきます。
垂木と木製フェンスは針金でも固定します。

垂木とフェンスを組み立てて固定する

20何年ぶりに隣家との間のフェンスが新しくなりました。

自宅の網戸修復で DIY!

自宅の二階ベランダの網戸がベロンと剥がれています。
夏前に修繕します。

破れた網戸

まずはホームセンターで資材と道具を購入します。
資材としては、網と端を押さえるゴム。
道具としては、ゴムを押さえるローラーと専用のカッターです。
専用の道具があると初めての作業でもうまくゆきます。

剥がれた網戸をゴムごと外します。
埃とともに外れてゆきます。
古いゴムは劣化しているので廃棄します。

網をあてがい、仮止めして長さで切ります。
テンションを取りながら、新しいゴムをあてがい、専用のローラーでゴムを押し込んでゆきます。
この時にたわみや、ゆがみができなければ張替え作業は成功です。

網を仮り止めする
ゴムで止めてゆく。専用のローラーが仕事をしてくれる
ゴムで押さえる際にはゆがみやたわみが出ないようにする

網の余計な部分をカッターで切り離します。
専用のカッターがあればうまくできます。

網の余分な部分をカッターでカット

網戸の張替えができました。

出来上がり

自宅の庭木剪定でDIY!

自宅に庭木を剪定しました。

ほったらかしのままだった庭。
モクレンやナンジャモンジャの木、梅の切り株などが雑然と植わっています。
冬枯れの今が剪定の時期です。

家人より伐採の指示があったモクレンとナンジャモンジャを切ります。
のこぎりで切るのは大変です。
木に刃がはさまります。
その上、切り株が長く残ってしまいます。
表の立木は幹が太すぎて剪定すらできません。

のこぎりで伐採した後のモクレンの切り株
玄関前の立木

バッテリー式ハンデイソーを買うことにしました。
近くの販売店で、本体とバッテリーを購入します。
バッテリーを充電し、チェーンソーオイルを充填して試運転します。
のこぎりとは比べものにならない性能が期待できます。

ハンデイソー本体
バッテリーと充電器
オイルの忘れずに用意する

まずは伐採したモクレンの切り株を地上すれすれの位置でカットします。
昔切った梅の切り株や、夏に伸びすぎる庭木を切ってゆきます。
手切りとは比べ物にならない仕事の早さです。

モクレンの切り株もこの通り
古い梅の切り株も根元からバッサリ
ついでにほかの場所も手入れする

ハンデイそーは、無理な使い方をすると、エンストしたり、チェーンが緩んだり外れたりします。
エンジン式チェーンソーと同じ原理の機械ですので慌てないで対応します。

1日置いて、玄関わきの太い庭木の選定です。
毎年、電線にかかりそうなくらい伸びた枝を枝切ばさみで剪定している木です。
ハンデイソーで幹ごとバッサリと対処できそうです。
脚立を持ってきて、隣家に声掛けし車を移動してもらいます。

玄関前の立木には脚立を用意

太い幹2か所をカットします。
体に当たるとダメージがありそうな太くて重い幹です。
切った後の処理も手間がかかります。
山小舎のようにそこらへんに放っておくわけにもいきません。

太い幹ごとバッサリ
散らばった葉っぱやおがくずを掃除
剪定後の立木

木が死なない程度に選定したつもりですが果たしてこの夏はどうなっているでしょう。

ママチャリ迷走記2026 鍋谷横丁から妙法寺まで

さて東京でママチャリで迷走している山小舎おじさん。
この日は路線バスで通った鍋谷横丁が忘れられずママチャリで再訪しました。

青梅街道沿いに展開する昭和っぽい商店街の鍋谷横丁。
環状7号線と青梅街道が交差する高円寺陸橋から、新宿方面に行ったところにあります。

調布の自宅を出発した山小屋おじさんは春の風に吹かれつつ、五日市街道に出てひたすらママチャリで東上しました。
吉祥寺から中野行きのバスルートの踏襲です。

環状8号線で五日市街道に出る
善福寺川を越えて五日市街道を東上する

やがて五日市街道は青梅街道に合流(交差か?)します。
あたりはすっかり賑やかな街です。

青梅街道に出る
青梅街道を走り環状7号線を越える

レトロなアーケードが見えてきました。
地下鉄駅を中心とした商店街が鍋谷横丁です。

飲食店が軒を連ねる一角があります。
下町にあるような昭和な飲食店が並んでいます。
昼間からやっている焼きトン屋、街に溶け込んでいるエスニックの人々。
混とんとした東京の近未来図です。

鍋谷横丁の一角
昼間から煙が立ち上る
エスニック濃度は濃い
お寺の仏舎利もエスニック!

交差点を渡ると鍋谷横丁の古くからの路面店が残っています。
町の歴史の案内板を見ると、横丁が江戸時代からあり、妙法寺というお寺の参道だったことがわかります。
長野の善光寺のおひざ元に、飲み屋街と赤線が広がっていたように、伊勢神宮の参道が”精進落とし”の場であったように、鍋谷横丁が”聖と賤”が交差する場であったことがうかがえます。

この際、妙法寺まで参道をたどってみましょう。
帰る方向でもあるし。

妙法寺参道方面

鍋谷横丁から環7方面へ向かいます。
参道は整備されているわけではなく、街に溶け込んでいるため正確なルートはわかりません。

神田川にぶち当たったので川沿いに西へ向かいます。
そのうち立正佼成会の大聖堂が見えてきました。

途中にそびえる立正佼成会大聖堂の威容

環状7号線に出たので妙法寺の場所を確認すると北方向に戻るとあります。
戻ってみると『和田帝釈天通り』というアーケードがありました。
東京にはいろいろなところがあるものです。
通りに入ってみるとささやかですが味のあるお寺がありました。
この商店街が妙法寺参道だったようです。

和田彫り帝釈天は参道沿いにある

妙法寺はすぐです。
閑散とした商店街を過ぎると、静寂に包まれた仏閣がありました。
広大な敷地を持つ妙法寺です。
人気の少ない境内で御参りします。
いい雰囲気のお寺なのに人気が少ないのは、単に観光地化されていないからだと思われます。

妙法寺に到着
山門をくぐり本堂にお参り
広い境内の妙法寺

45年前にインドの旧カルカッタを訪れたときに、持参した「地球の歩き方」の情報に、カルカッタで活動する『日本山妙法寺』の記載がありました。
行ってみると、インドのほかの公共機関と同様に、お寺は囲いと施錠で人払いされており、中に入ることはできませんでした。
日本人僧侶などの姿も見えませんでした。
『日本山妙法寺』が環7沿いの日蓮宗妙法寺の支所なのか、あるいは何か関係があるのかはわかりません。

帰り道は遠いのですがのんびりと自転車を漕いで春のママチャリ旅を終えました。