白菜漬け

この季節、県内各地の直売所の野菜コーナーには大玉の白菜が盛りと並んでいます。
大玉200円から300円と、値段は高くはありません。

山小舎の一人暮らしで白菜はほぼ使わないのですが、山小舎おばさんに送ろうか?と思い一玉買ってきました。

買った後は日陰の涼しい場所に転がしておいたのですが、送るには重く、かさばる白菜。
思い切って漬けることにしました。

築北村の直売所で買った白菜、250円。を取り出す

ネットを検索して塩漬けの仕方をチェックします。
四つ割りにして半日干した後、分量の塩で漬け込むとのことです。
さっそくやってみました。

包丁で芯に切れ目を入れてから手で四つ割りにします。
四つ割りにしたものを干します。

包丁で切れ目を入れ、手で四つ割りにします
半日ほど日に干す。甘味が出て保存性がよくなるとのこと

塩の分量は白菜の重さの4%とのこと。
めんどくさいので目分量にします。

最初は大きめのたるに漬けて、ある程度漬かってから、樽を変えて、コンブやトウガラシを入れて本漬けするとのネット情報ですが、これもめんどくさいので最初から本漬けするにします。

たるの底に塩をふり、四つ割りにした白菜を2ピースセットで押し込みます。
一段ごとに塩をふります。

漬樽の底に塩をふる
白菜一段目を付けこみ、塩をふる

二段目に塩をふった後、外葉を被せてその上にも塩をふり中蓋を乗せます。
重めの漬物石を乗せてしばらく置きます。

白菜二段目をつけ込み、外葉を被せた後、残りの塩をふる
蓋を被せ
漬物石を乗せる

二日目に様子を見るとカサが減っています。
天地返しをすることにします。

漬物石をどかし、二段目の白菜を取り出します。
一段目の白菜からは水が出て漬かり始めています。
天地返しをしてトウガラシを乗せておきます。

二日目の白菜の様子
一段目と二段目を入れ替え、トウガラシを乗せて本漬け開始

今年の白菜漬けはうまくいきそうです。

薪割り追い込み

冬に備えて薪割りの追い込みです。

秋になって持ち込まれた丸太が2トントラック2台分ありました。
何度かに分けてチェーンソーで玉切りしました。

玉切が終わった貯木場所

切った「玉」は軽トラに積んで、作業場に運び、薪割りです。

今回もらった丸太は、カラマツでもシラカバでもミズナラでもなく、あまり扱ったことのない木でした。
広葉樹なのでしょうか、生木は重いのですが、スパッと割れるのです。
ということで薪割り機は借りずに斧で手割りすることにしました。

「玉」を運んで山にします。
大きな口径の「玉」は立てて並べておきます。

切り口を見せて並んでいる「玉」にそのまま斧を振り下ろします。
これでたいがいの「玉」は割れてゆきます。
いちいち、台の上に備え付けてから割るよりよほど早く薪割りがで進みます。

「玉」を運んで山にする。手前の「玉」からこのまま割ってゆく

太くはない「玉」も、縦に並べておいて片っ端から斧を振り下ろします。
節があったりして割れないものは、くさびを使って割ります。

細めの枝木は、このままストーブの燃料にします。
生木なので火付きは悪く、温度も上がらないのですが、火持ちがよく、部屋が暖まった後の燃料に重宝します。

割った薪は、パレットで組んだ乾燥台に積んでゆきます。
下の方には重い薪を、上の方には軽い薪を積むようにします。

早ければ、来年の夏以降の燃料になります。

割った薪は奥の乾燥台に積んでゆく

軽トラ流れ旅 須坂動物園でカピバラ温泉

テレビのローカルニュースで須坂動物園のカピバラ温泉のことを見た。
孫たちがリンゴ狩りに来た時に誘ってみたが乗ってこなかったので、自分だけでも見に行こうと思っていた。

須坂へは菅平を越えてゆく。
雪の心配がなくなったある平日、軽トラを出発させた。

上田市の真田地区から上ってゆくと菅平高原に至る。
スポーツの合宿シーズンも過ぎ、スキーシーズンにはまだ早い菅平は、人気がなくひっそりとしていた。
ゲレンデにのみ雪が残りブルドーザーがその雪を広げている。

菅平のスキー場はシーズンの準備

菅平から峠道を下ると須坂市。
心配した道路の凍結などはなかった。

須坂に下りてからは、動物園のある臥竜公園を目指す。

動物園の臨時駐車場は市内の百々川河川敷にあった。
沿道のイチョウ見事な紅葉が青空に映える。
川の向こうには雪を頂いた北アルプスが聳えている。
まったく、環境が良すぎて別世界のような須坂の風景に心癒される。

須坂市では北アルプスの出迎え
イチョウの紅葉が盛り

動物園の入り口で「カピバラやってますよね?」と確認して入園。
南口から入園するとそこには遊園地が広がっている。

菅平方面の山々をバックに三々五々、広い空間に遊具が点在する遊園地。
家族連れが思い思いに遊んでいる。
環境がよすぎるというか、のんびりしているというか、人が少ないというか、この安心感がたまらない。

須坂市動物園内の遊園地

臥竜公園の里山のすそ野を、巻くように長く伸びる動物園の通路を歩いてカピバラ舎へ急ぐ。
舎の前には人だかり。

人だかりに交じって舎を覗くと、狭い浴槽に一匹ずつカピバラが入っている。
飼育係のお兄さんが舎の中でマイクで何かしゃべっているが、声が小さすぎて聞こえない。
お兄さんのアピール度の低さというか、押しの弱さというか、しゃしゃり出る意欲のなさに「信州」を感じる。

舎の内部と外では1台ずつのカメラが回っている。
ニュースの取材か、動物園側の記録か。

カピバラ舎前の人だかり
入湯中のカピバラ

観客は平日なので子供は少なく、若いカップルが多い。
おじさんの単身はほぼいない。
観光客ではなく地元の人ばかりか。

カピバラって大きな動物なんだなあ。
山羊や羊より太いもんなあ。
カピバラのほかにはオオワシとフラミンゴ、ツキノワグマぐらいが「スター」の須坂動物園。

動物園を出て臥竜公園を散策する。

ジャージを着た小学生たちが体育の授業か池の周りを走っている。
ゴールでタイムを計る先生の声を聴くと11分ほどで一周している。

りんごの無人販売をしていた園芸店を思い出し、そこまで歩く。
リンゴ2袋を買う。

地元客の真似をして、茶店によっておでんを食べる。
一串100円。
店のおばさんの「ごゆっくり」の声に甘えて、池を見ながら心行くまで過ごしてみる。
時間が止まったようだ。

臥竜公園は須坂市民の憩いの場
公園内の茶店で一服

昼食はこれもローカルテレビで見たことがある洋食店へ。
何とか店にたどりつき、人気のないショッピングセンターに隣接した入り口を入り二階へ。

入るまでわからなかったが、地元のサラリーマンや夫婦連れなどで満席の店だった。
しかも途切れず来客がある。

須坂の人気洋食店かねきへ
かねきのメニュー

名物らしいオムライスを食べる人が多いようだったが、フライ盛り合わせを注文。
須坂の人気店の味を満喫する。

地元の人で賑わう店。
地元テイストを味わうにはちょうどいい場だった。

注文したフライセット

帰りは隣町の松代へ寄り、松代温泉松代荘で温泉。

須坂での地元テイスト感の満喫で癒され、体と心が安心・脱力したのか、入湯後は不覚にも大広間で寝入ってしまった山小舎おじさんの旅でした。

ここは効く!松代温泉

りんごのコンポート

りんごの季節になりました。
今は11月、フジが出始めました。
これでりんごの全品種が出そろいました。

8月に早生の新物が出始めて以降、11月にフジが出るまでの間、紅玉、秋映、シナノスイート、シナノゴールド、名月といった品種が続きました。

各地の直売所に寄った際には、この季節、どうしてもりんごを買ってしまいます。
須坂の臥竜公園に行ったときには、公園内の園芸屋の無人販売で、フジ、シナノゴールドの大玉が3個入り一袋が300円で売っていました。
りんごの産地信州でも激安の値段です、生食用としては。

須坂の臥竜公園で買ったりんご。一袋300円

例年、ジャムとチャツネの材料として活用するりんご。

今年はコンポートにしてみようと思いました。
コンポートなら、寒天の添え物として、アップルパイの材料として喜ばれると思ったからです。
また、ジャムなどより手間がかからずできそうな気がしました。

りんごを4つに割って芯をとります。
皮をむいて、3つから4つに割ります。
それを砂糖で煮てゆきます。

焦げないよう、鍋に少し水を入れてストーブにかけます。
りんごが透明になるまで煮ますが、結構時間がかかりました。
同時に保存瓶を煮沸消毒しておきます。

砂糖はザラメと白砂糖を半々で
少し水を足してストーブで、リンゴが透明になるまで煮る

コンポートというからには、シロップを別に用意する予定でしたが、煮汁を込みで瓶に詰めるとちょうど良い分量になりました。

りんご大玉6個でちょうど良い分量だった

フジの大玉6個で、大中各1本のコンポートができました。
東京の皆さんに喜んでもらえるでしょうか。

畑の冬じまい ステップ2

畑の冬じまい作業2日目です。
この日の作業は支柱の撤去を終えることと、マルチはがしにかかることです。

まずは、外し残った支柱を撤去します。
支柱は長さ別にまとめておいて来シーズン使います。

外し終わった支柱をまとめる

支柱を外し終わった畑は、1年間の活動を終えてひっそりしています。
畝の雑草も枯れておとなしくなっています。

支柱を外し終わった畑

マルチがかかったままの畝の整理に入ります。
まずは枯れながら立っている野菜の根っこを引き抜きます。
トマトもナスも良く根を張っています。
この根っこが暑い夏の日でも土中から水分を吸収し結実に導いていたのです。

トマトの根
ナスの根もよく張っていました

ざっと根を抜き終わったらマルチはがしにかかります。
マルチの端っこを鍬で掘起し、巻いてゆくようにマルチを剥がしてゆきます。

例年は、鍬で起こした後、手で剥がしていたのですが、うまくやらないとマルチのビニールが切れ切れになってしまうのが悩みの種でした。
今年は最初から最後まで鍬を使い、雑草や土ごとビニールを巻き取ってゆくことにしました。
巻き取った後は、雑草と土とビニールがこんがらがった「ロール」からビニールだけを引き抜いてゆけばよいのです。
この方法だと時間短縮とビニールの取り残しがなくなりました。

鍬を使って雑草ごと巻き取ったマルチビニール
マルチを剥がした後のホカホカした土

畑には生き残っている作物がありました。
ステイックセニョールでしょうか、緑が屹立しています。
夏の酷暑をやり過ごし、快適な季節になって育ったのでしょう。
結実して人間の役に立つことはかないませんでしたが、生き残ったのはあっぱれです。
この後も育てばいいのですが、残念ながら、雪の季節を生き抜くことはできないでしょう。

生き残っているステイックセニョール

こぼれ種の自然発芽が毎年見られる畑です。
ハーブ類(パクチー、しそ、バジルなど)、ミニトマトなど、自然発芽を来年も期待しています。

晩秋になってから育ちの良かった食用ほおずきの畑にも行ってきました。
実は黄色く鈴なりになっています。
試しに一つ取ってみると霜にあった実はぐちゃっと潰れました。
残念ながらほおずきも終了です。

食用ほおずきは残念ながら立ち枯れ
実は寒さで痛んでいました

次回の畑作業は、残りのマルチの撤去、畑の周りの背の高い雑草の除草、菊芋の収穫になります。

DVD名画劇場 ハリウッドカップルズ② ヴェロニカ・レイクとアラン・ラッド

さあ、ハリウッドきっての美男美女カップルの登場です。
1940年代のパラマウント謹製フィルムノワール3本の主演で映画史上にその名を残した、ヴェロニカ・レイクとアラン・ラッドのお二人です。

ヴェロニカ・レイクとアラン・ラッド

「拳銃貸します」 1942年 フランク・タトル監督 パラマウント

記念すべき二人の初共演作。
クレジットはヴェロニカがトップでラッドは四番目。
既にトップスターだったヴェロニカを主演に据え、からむラッドは準主演の扱いだった。

ヴェロニカ扮する金髪美人は、キャバレーで手品や歌を披露するショーガール。
キャバレーのオーナーの愛人?のポジション。
歌うシーンもあります、吹替でしょうが。

ラッドは孤独な殺し屋に扮する。
殺しの依頼主に裏切られたラッドが復讐を誓い、ひょんなことからそれに絡んだヴェロニカとの逃避行を繰り広げる。

巻頭の殺しのシーンの、しけたアパートの階段の汚さ、みじめさ。
殺しの依頼主の部屋に続く階段にうずくまる、足に補助器具をつけた少女。
野良猫や不具の少女にだけは優しい孤独な殺し屋、ラッド。
第二次大戦という世相を背景にした、不安感が色濃い舞台設定はノワールそのもの。
殺し屋ラッドの性格付け描写も、定型的とはいえ、いい。

ヴェロニカは自慢の金髪とハスキーボイスを振りまきながら、未亡人のマジシャンという謎の美女を演じる。
最初はオーナーの愛人かと思わせて、実は正義を愛する骨のある愛国女性と分かる設定。
悪のボスの背後には、敵国日本へ情報を流すスパイがいたというオチが時代を物語る。

なお、日本を「ジャップ」と呼ばず「ジャパニーズ」と呼んでいたのはなぜ?
スパイまで行う卑劣な敵国日本の呼称は、アメリカ国内では新聞までが「JAP」だったはずだが。

ヴェロニカとラッドが逃避行の途中で夜のガス会社に忍び込んだ時の、工場の光と影の表現の美しさ。
ヴェロニカの、決して妖艶だけでもなく、性悪一直線でもなく、時々除く素の表情の「普通っぽ」い魅力。
フィルムノワールでのファムファタルとしては、ジョーン・ベネットやラナ・ターナーのように、「いかにも」という風ではないところがヴェロニカ・レイク。

彼女の魅力は、「奥様は魔女」のようなコミカルなツンデレ演技でより発揮されるように思う。
がノワールでのヒロインぶりもいい。
キャラクター的には悪女ではなく、「ヒロイン」になってしまうが。

「拳銃貸します」より

「青い戦慄」 1946年 ジョージ・マーシャル監督  パラマウント

「拳銃貸します」と「青い戦慄」の間に、「ガラスの鍵」(42年)という作品で共演しているヴェロニカとラッド。

「ガラスの鍵」ではラッドが捕まって、巨漢にさんざん殴られるシーンがあり、そのやられぶりに持ち前の身軽さを発揮したラッドと、自慢の金髪を隠すようなハット?をつけて登場するヴェロニカが印象的だった。

「青い戦慄」ではラッドがトップクレジット、ヴェロニカが2番目。
ラッドはすでにトップスターになっていた。

脚本はレイモンド・チャンドラー。
当時チャンドラーはパラマウント専属のシナリオライターとして、売れなかった小説家時代を思えば隔世の感の待遇で、高給をもらってはアルコール摂取の合間にマイペース?で仕事をしていたようだ。
「青い戦慄」の脚本も完成が遅れ、撮影開始後もラストが決まっていなかったという。

第二次大戦の復員兵3人が事件に巻き込まれる。
ラッドは南太平洋の激戦地クエゼリンでB24爆撃機に乗っていたとの設定。
仲間は、弁護士だった者が一人、もう一人は頭を負傷してストレスに耐えられない設定。
この3人の固い結束は最後まで揺らぐことはなく、窮地に陥ったラッドを助ける。

ラッドが再会した妻は、出征中に一人息子を自分の酒酔い運転で死なせており、その後は酒と男に溺れている。
戦場で地獄を見た戦友たちの心と体の「傷つき」とそれがお互いにわかるからこその結束力と、残された妻たちの「孤独」と「裏切り」。
時代を感じさせる痛々しい設定。

妻はラッドとの気持ちの通じ合わない再会ののち、何者かに殺され、ラッドに容疑がかかる。

妻の浮気相手のキャバレーの経営者の妻がヴェロニカ・レイク。
自由に行動しているヴェロニカは、雨の中さまようラッドを拾い、その後も偶然何度の再開し、警察の捜査からラッドを守る。
フィルムノワールに「必須」のシチュエーションである、主人公カップルのせつない「逃避行」が始まる。

ヴェロニカのキャラクターはチャンドラーらしい、謎めいた、思わせぶりなセリフを吐き、主人公に迫る。
タフで女性にもてるが醒めているチャンドラー印のヒーローは、迫るヒロインを信じず、相手にしない。
筋は込み入り訳が分からなくなる。

時代背景、スターの艶姿、思わせぶりなセリフとふるまいを楽しむ作品。
それを演じるコンビとしてヴェロニカとラッドは申し分ない。

(おまけ) 「サリヴァンの旅」 1941年  プレストン・スタージェス監督  パラマウント

ヴェロニカ・レイクつながりで彼女の出世作といわれる「サリヴァンの旅」を見た。
監督は喜劇の名手といわれたスタージェス。

ハリウッドが舞台。
主人公は売れっ子監督(ジョエル・マクリー)。
社会派作品を撮りたいという監督は実体験をしようと無賃旅行に出る。
シャワー、キッチンに秘書、医者まで備えたトレーラーがついてゆくのがオカシイ。

ある朝、カフェでハリウッドに夢破れた少女(ヴェロニカ・レイク)に会う。
コーヒーとドーナツを奢るが所持金が足りない。
マスターは「これじゃ儲からない」と言いながら負けてくれる。

ボロ姿のマクリーをハリウッドの監督と信じないヴェロニカとの珍道中が始まる。
もちろんトレーラーで関係者は逐一フォローする。

帽子で金髪を隠し、ズボンをはいたヴェロニカはマクリーとともに浮浪者に身をやつし、貨物列車にただ乗りし、救護所で寝泊まりする。

マクリーの正体がわかり、ハリウッドのプールと執事付き豪邸に招待されても、ヴェロニカは「ぼろ姿で旅するマクリーの方が好き」とカワイイことを言う。

スタージェスの演出は、陰や暗さがなく真っ正直。
ハリウッドの製作者たちが自分たちの幼少期の苦労話をするシーンにしても悪意がない。
ユダヤ人のタイクーンたちは移民時代の貧民街暮らしや、くず拾いなど底辺の仕事からのし上がってきており、皮肉っぽく描こうとしたらいかようにもできるのだが。

また、コーヒーとドーナツをサービスしてくれたカフェのマスターの存在や、マクリーを殴って金をくすねた浮浪者が列車にひかれて死ぬというシチュエーションは、人の善意や勧善懲悪といったわかりやすい価値観に基づいており、スタージェスのひねくれていない人間性がうかがえる。

ヴェロニカはボロをまとい、列車に飛び乗り、救護施設でシャワーで洗われるなど体を張っての演技。

監督が「喜劇も大衆を喜ばせるという意味では大切なのだ」、と気づいて映画は終わる。
確かにその通りなのだが、わかりやすすぎるテーマだ。

登場人物のキャラといい、テーマといい、単純でひねりがない。
これはスタージェス監督の素なのか、敢えてのことなのか。

冒頭で、放浪者や大道芸人香具師などへの共感のコメントが映し出される。
作品中で登場する彼らのことは決して差別を目的としたものではない、というエクスキューズなのだが、なるほどこの映画、登場人物のキャラもテーマも、どこからも突っ込みようのない円満な、「毒」のないもの、言い換えれば作者の思い入れに乏しい作品に仕上がっているということになる。

若いヴェロニカ・レイクの存在感は見ごたえたっぷりだった。
やはりヴェロニカは軽喜劇で「生きる」女優さんだと思った。。

換気扇を掃除

山小屋の台所の換気扇。
山小舎おばさんの来訪時には、いつも彼女から指摘される汚さです。

何せ来客のある時には室内で炭火焼きをして歓迎するのが山小舎のお約束。
焼き網から立ち上る煙は、風通しスカスカの山小舎では瞬時に消えてなくなりますが、台所の換気扇も同時にフル回転しており、そこには油汚れがこびりついているのです。

1年を通して活躍した換気扇

山小屋おばさんの指摘が頭に残っていた山小舎おじさん。
ある日自主的に換気扇の汚れを落とすことを思いつきました。

ネットで掃除の仕方を調べると、お湯にといた重曹で落とせるとのこと。
さっそく実行しまてみました。

まずは換気扇のプロペラ部分を外します。
プロペラの裏側部分に黒くネトネトした油汚れがついています。
プロペラを外した後の外枠も全体に汚れています。

プロペラの裏側は御覧の通り
外枠部分も汚れている

プロペラがすっぽり入る大きさの洗面器に重曹を入れ、ストーブで沸かしたお湯を注ぎます。
泡を立乍ら重曹が溶けてゆきます。
プロペラを重曹液に浸すには薬缶2杯分のお湯が必要でした。

アルカリ素材の重曹を使います
重曹をお湯に溶くと気泡が出てきます
重曹液にプロペラを漬けてしばらく置きます

この間に換気扇外枠の汚れを取ります。
新たに重曹液を作り、スポンジを浸して油汚れ部分を拭きます。
よく落ちます。

別のボールで重曹を溶きます

外枠部分は、重曹で拭いた後、キッチンタオルで汚れをぬぐい、乾いた雑巾で拭いて仕上げます。

漬けておいたプロペラはすっかりキレイになっています。
汚れだけでなく、ヌルヌルも取れて、ツルツルになっているので、うれしいやら驚くやら。

プロペラはきれいになりました
スポンジで拭いた外枠もご覧の通り

年末の大掃除の一仕事ができました。

軽トラ流れ旅 大岡ひじり学園収穫祭

11月中旬。
信州では多くの場所で紅葉も終わり、初雪の便りが聞かれたころ。
大岡にある山村留学の施設で収穫祭があった。
ひょんなことからその情報を知った山小舎おじさんは軽トラで駆け付けた。

大岡ひじり学園という山村留学施設。
大岡は今は長野市の一部だが、市の中心部からは1時間ほどもかかろうか、というほどの山間部。
長野市中心部から国道19号線で西へ向かい、信州新町という地区から山間部を南下したエリアである。

たまたま見た「長野市民新聞」の記事で、大岡ひじり学園の山村留学生が、大岡地区の在来品種のそばを栽培し、来る収穫祭でふるまう、とのニュースに接し、興味を持った。

長野市民新聞11月14日号に載った大岡ひじり学園関係の記事

山小屋から学園までは2時間の行程。
通ったことのない山道を通らなければならない。
折から山小舎周辺は真っ白な雪景色。
行く先の峠道もどんな状況かわからない。
一回は訪問をあきらめたが、当日朝の山小舎周辺は晴れで気温も高めで雪が溶け始めている。
思い切って長靴で出発した。

8時半に出発し、長野へ向かう時のいつもの道を千曲川に沿って北上する。
千曲市の稲荷山地区を過ぎたあたりで西方へ山越えの道に入る。
大岡地区へのショートカットの道。
通るのは初めて。
雪が残っている。
交通量もなく、人気に乏しいが雰囲気のある山村の道をマイペースで走る。

千曲市から大岡に抜ける山間部の集落風景
リンゴ園にも雪が積もっていた

やがて眼前にアルプスの眺望が現れる。
雪を頂き、中腹に雲のたなびきを従えたアルプスのパノラマが広がる。
北アルプスを望むには長野市の山間部か、安曇野エリアまで来なければならない。
ここまで来たのだ。

やがて学園への案内板が道路沿いに現れる。
ひじり学園のひじりとは大岡地区に隣接する麻績村にあるリゾート地・聖高原から来ているのだろう。
山村留学施設のほか、立派な住宅付きのクラインガルテンなども整備した大岡地区は、過疎対策に力を入れていることがわかる。

大岡近くの分岐点
北アルプスの眺望

雪が残る学園前の道にはすでに路駐で車が集まっている。
11時開場を前に太鼓の音が聞こえる。

ひじり学園に到着

開場を前に留学生の父兄会長さんが来場者に挨拶をしているところだった。
留学生が抽選権を配っている。

収穫祭開演前の風景

施設の建物前のスペースにはバザー会場のテントがあり、地元農家出品の野菜のほか、焼きそば、焼き鳥、コーヒーなどが出店している。

留学生施設前の出店

人の流れについて行って施設の中に入ってみると、雑貨や食品などが市価の半額程度で売られており、地元の人たちが段ボールに入れて買いあさっている。
山小舎おじさんも慌てて50円で買い物バックを買い、カレールーや食用油、氷砂糖、鯖缶などを1200円ほど買いあさった。
これも集客の手段なのか、安い!

施設入り口には留学生がなめした小鹿の革があった

施設内は、留学生、府警、関係者、地元民で盛況。
バザーのほかに、1年間の活動報告、これまでの二十数年間の山村留学の記録などが展示されている。
四半世紀も続いているのは、地元の協力体制のたまものなのだろう。
施設内部にはその間の歴史と普段の生活の匂いが染みついており、ここが教育施設だと物語っている。

留学生の活動報告の展示

在来種のそばが食べられるのかな、と思っていたが初日に父兄にふるまわれて終了とのこと。
それではと、大広間のラーメン食堂へ行き、しょうゆラーメンを注文する。
200円。

周りの紅白の幕が張られた大広間は部屋といい飾りつけといい、日本の(田舎の)伝統形式そのもの。
温泉施設の大広間を思い出す。
地元民との交流や発表会はここで行われるのだろう。

食堂で食べられるラーメン

やがて舞台では留学生の踊りの発表が行われた。
6人の中学生女子による踊りは若々しくてかわいい。
大広間に詰めかけた父兄らはラーメンを注文しつつ、子弟の発表にカメラを向けていた。

食堂(大広間)の全景
中学生による踊りの発表

帰りの時間を気にし始めた山小舎おじさんは外へ出て、出店で大根、ヤーコンなどの野菜を購入。
溶け始めた雪の中帰途に就く。

帰りも初めてのルートで麻績村へ南下。
ひなびた山村と山の景色が続く山間のルートだった。
日陰の路上には雪が残っていたが危なくはなかった。

麻績村からさらに山越えで青木村へ、そこから鹿教湯温泉へ抜けて帰った。
いつもの旅と違い、若々しいエネルギーに触れる旅でした。
結局、長靴のまま帰ってきた晩秋の旅でした。

畑の冬じまい ステップ1

今年も畑の冬じまいです。
今日は玉ねぎの様子見と夏野菜の資材の撤去です。

11月頭に植えた玉ねぎの苗は無事活着していました。
先端は枯れていますが、苗全体が枯れたものはなく、活着成功です。
この後は本格的な寒さと雪を耐え、来春に向けて頑張ってほしいものです。

先端を枯らしながらも根を活着させた玉ねぎ

今年の猛暑に耐え抜いた夏野菜は、たとえばズッキーニは茎が凍って溶けています。
キューリのツルは枯れてなくなっています。
さしもの猛威を振るったトマトの茎も、夏の旺盛さが嘘のように枯れてしぼんでいます。
ナスも小さな実をつけたまま枯れています。
万願寺トウガラシの大きな実があったので収穫しようと思いましたが、実は霜で腐っていました。

実をつけたまま立ち枯れているトマト

キューリやゴーヤ、夕顔のネットを外し、支柱を撤去します。

ゴーヤは支柱を残したまま跡形もない
支柱を外してまとめておく

ナスやトマトの支柱も外します。
トマトは茎を縛った麻ひもを切り外しながらの作業です。
ついでトマトの組支柱を分解します。

空が曇りはじめ、みぞれが降ってきたのでこの日は作業中止。

トマトの組支柱を撤去していた時、みぞれが降ってきた

後日、残りの支柱を撤去し、マルチを外します。
雑草はこのままでいいでしょう。
枯れ草と残滓を燃やすかどうかは撤去してから考えます。

おっと、菊芋の収穫が丸々残っていました!

ロバート・アルトマン傑作選より「雨にぬれた舗道」

長野相生座での「アルトマン傑作選」に駆け付けた。
アルトマンといえば70年代アメリカ映画のアイコンの一人。
「マッシュ」(70年)と「ロンググッドバイ」(73年)しか見ていない筆者だが、作品とともにアルトマンの名前に印象は深い。
当時は次々と新作が発表され話題になっていた監督だった。

この度の傑作選は、コピアボアフィルムの配給。
セレクトは「雨にぬれた舗道」(69年)、「イメージズ」(72年)、「ロンググッドバイ」の3本。
アルトマン初期の、今では上映機会がほとんどない作品たち。
配給のコピアボフィルムは、相生座の支配人によると「旧作の再輸入を積極的に行っている会社」とのこと。

相生座の上映案内板より

「雨の中の舗道」 1969年  ロバート・アルトマン監督 パラマウント

レアな作品を見た。
懐かしくもマイナー感漂う、70年代のアメリカ映画の匂いがした。

70年代前後、ベトナム戦争の疲弊感もあり、時代に敏感な当時の新進作家たちが、アメリカに代表される現代社会を批判的に描くようになった。
それまでのハリウッド映画では企画にも上らなかった社会の現実や人間の孤独、女性や障碍者、少数民族などの立場に立った作品が発表された。
「イージーライダー」を先頭に「泳ぐ人」、「愛はひとり」、「ジョンとメリー」、「ナタリーの朝」などが次々と発表された。
描かれたのは排除されるヒッピー、ひとかどの社会人の孤独、都会の女性の孤独、若者同士の虚無なつながり、底辺の若者の自立、だった。

ロバート・アルトマンはテレビでデビューし、「雨にぬれた舗道」は長編劇映画の3作目。
テーマは女性の心理、それも経済的にも身分的にも何不自由ない、まだ若い女性の精神的、性的な葛藤。
アルトマンは、この作品の後「マッシュ」で大ヒットを飛ばし、人気作家となる。
その後、女性心理を描いた「イメージズ」(封切り時は日本未配給)、「三人の女」(77年)という作品を撮っており、こういったテーマに重大な関心があることがわかる。

主演はサンデイ・デニス。
舞台出身の実力派だが、筆者には「愛のふれあい」(1969年。小さな恋のメロデイ」のワリス・フセイン監督作品ということで注目した)、「おかしな夫婦」(1970年。愛川欽也の吹替で忘れられない?ジャック・レモンとの共演)でリアルタイムに接しており、コメデイもできる愛らしい女優との好印象を今に至るまでもっていた。

サンデイ・デニスというこの女優さん、愛らしいコメデイエンヌというよりは、例えば「結婚式のメンバー」(52年 フレッド・ジンネマン監督)で実年齢26歳で12歳の少女を演じ、舞台演劇そのままにしゃべりまくって観客を置き去り?にしたジュリー・ハリスが、商業映画「エデンの東」(55年 エリア・カザン監督)では全観客を味方につけるヒロインに化けたように、いかようにもヒロイン像を演じ分けられる、舞台出身の実力派女優なのだった。

サンデイ・デニス

映画は、サンデイ扮する主人公が雨の日、マンションの窓から、公園のベンチで濡れそぼる若者を見掛けたときに始まる。
マンションに連れ込み世話をし始め、食べさせ、泊まらせる主人公。
身は固く、自分に言い寄る初老の医師のことは生理的に拒否している主人公は、初老の金持ち階級とのパーテイくらいしかやることがなく、心底退屈しており、モノを言わない若者相手に嬉しそうに独白状態でしゃべり続ける。

若者は低層階級の長男で、姉との待ち合わせのために公園のベンチに座っていただけだということがわかる。
自問自答のような独白が続いた後、いよいよ若者に迫ろうとする主人公だが若者には全くその気はない。
やがて残酷な幕切れを迎える。

「雨にぬれた舗道」よりサンデイと若者

ほぼサンデイ・デニスの独演(連れ込んだ若者そのものが彼女の幻影だったという解釈も成り立つ。映画はそうは描いていないが)による女性の内面の世界が描かれる。
性的な葛藤がテーマの一つだが、アルトマンは即物的な描写はしない。
映画のシチュエーションが、独身女性が名前も知らない若い男を連れ込んで、飼い続けるというとてつもなくインモラルなものにもかかわらず。

サンデイがさんざん独りよがりの挙句、若者に葛藤をぶつけた瞬間に、彼が言葉を発するシーンがある。
後半の場面の急転であるが、アルトマンは映画的な盛り上げを否定し、あっさりとした撮り方をする。
ショッキングではあるが観客の期待には応えていない。

サンデイの演技力と存在感が辛うじて画面を支えてはいるが、アルトマンの狭量な世界観が映画のふくらみを狭めていた。

70年代前後は価値観の転換期。
「女性の孤独」「性的な葛藤」を描くブームの中で企画が通り、パラマウントが配給することになった作品だが、意あって言葉足らず、公開後はほぼお蔵入りの扱いとなったのもしょうがない。

アルトマンを研究するについては貴重な作品だが、筆者にとっては見るつもりだった「イメージズ」の見る気をうせさせた作品。
同じようなテーマで、手法がより複雑奇怪に進化している作品を見るのはしんどいから。

アルトマン傑作のチラシより