「ちくま未来新聞」

千曲市屋代の駅でこの新聞を入手した。
駅の無人スタンドに観光パンフとともに無料で刺さっていた。

6月1日号表紙

てっきり店の広告の間に地域情報が挟まっただけの無料ペーパーかと思って開いてみた。
ところが12面からなる、周辺情報満載の明るさに満ちたミニコミ新聞だった。

千曲市内の郵便局、金融機関、JA、駅などが主な設置先の月刊新聞で、年間3000円で全国に配送サービスも行っている。
何より紙面がにぎやかで明るいのがいい。
編集者はまだ若く、地域情報の発信に意欲的なのだろう。

1面のニュースは、千曲市と(株)アクテイオの連携による防災訓練実施の記事だ。
千曲とアクテイオは防災時に向けて協定しているとのこと。
レンタル自動車の大手である同社を巻き込んでいるのがいい。
県内有数の産業地帯である千曲市の面目躍如だ。

同じく1面には市内の高校2校と、長野市の松代高校の計3校が合併して新たな高校が誕生するという地元の一大ニュースについて。
千曲といえども地方の過疎化が現れたニュースだ。

第一面

2面の市内小学校の新任校長先生の紹介記事が地元密着で嬉しい。
ケーブルネット千曲というローカル有線テレビの番組予定も小学校の運動会の模様で埋まっている。

2面の新任校長の紹介

8面、9面へ飛ぶと、市内の上山田温泉の二次元キャラ「温泉むすめ」が誕生し、その声優が決まったという明るいニュース。
初夏の千曲の風物詩・あんずの季節を前に小学生や屋代南高生の摘果体験のニュースなども続く。
忘れてはならないのが、漫談家で千曲の頭領と呼ばれる御仁の出し物の案内。
行きはしないが心惹かれる出し物の広告だ。

上山田温泉キャラと千曲の頭領

10、11面にゆくと定期コラムらしき特色溢れる記事が並ぶ。
「Z世代が行くちくま散歩」は若い世代らしい軽くておしゃれなグルメ情報。
「北国街道・歴史こぼれ話」はローカル紙定番の地域歴史コラム。
ありがちな専門性に特化したものではなく住民が日々接している千曲川を挟んだ奇岩・岩鼻を題材にした親しみやすさがいい。
千曲市と包括連携締結先の信州プロレスの記事もある。

コラムの数々

12面は千曲市民が誇るプロスポーツにしてローカルニュースのお約束でもある、ブレイブウオリアーズとパルセイロレデイースが堂々の全面を占める。
プロバスケットのウオリアーズは成績もよかったようだ。
パルセイロ©レデイースは最下位だったとのこと。

ちくま未来新聞、毎月が楽しみだ。

県立歴史館「長野県民の戦後再出発」展

千曲市にある県立歴史館で「長野県民の戦後再出発」展があり、展示の一環として「おらうちの嫁」という映画が上映されているというので見てきました。

「おらうちの嫁」  1959年  荒井栄郎監督  長野県連合青年団製作 16ミリ・モノクロ・34分(デジタル上映)

この映画の上映を知ったのは、6月5日付の信濃毎日新聞の文化欄に載った記事から。
昭和30年代の長野県の風景だったり人物だったりを見たくて、歴史館に駆け付けました。

映画は館内の小会議室のようなところでエンドレスに上映されており、入室時には3人ほどがいました。
企画展そのものの入場者が、その時にはほぼ0人でしたから、映画そのものを見に来た人が多かったことがうかがえます。

出演者はのちに商業映画などで見る俳優も含まれており、プロのスタッフ、キャストによる劇映画として作れられ邸ます。
ロケ地は飯山、たばこ農家の親夫婦、嫁を迎えた長男、それに長女と次男がメインキャストです。
俳優たちの演技を、時にはクローズアップを用いて演出・撮影されています。

6月5日の信濃毎日新聞より

農家に嫁いだ嫁が出産までの間、古い習慣との軋轢に対し、夫婦間の平等な愛情で乗り越えてゆくのが映画の骨子です。
モチーフは県連合青年団によるものでしょうが、それを脚本家の大内田圭弥が劇映画に落とし込んでいます。
プロの俳優たちの演技は、いってみればパターン化されたものではありますが、そのレベルは商業映画同様に低くありません。

時間の制限もあることから、今では貴重な30年代の空気感に記録を最優先した、いわゆる記録映画的な匂いはありません。

身重となった妻を労う夫が、他者にその様子を見られまいとする様子とか、当時は里帰り出産が当たり前だったが妻の願いで嫁ぎ先で出産することになり、夫が親の意向に反して受け入れることなどが脚本のツボとなっています。

このあたり、松竹映画「この広い空のどこかに」(1954年 小林正樹監督)を思い出します。
町の酒屋に嫁いだ久我美子の戸惑いとそれを見守る夫の佐田啓二が主人公で、最初は量り売りの醤油樽の栓を上手く開け閉めできない久我を佐田が指導するシーンが印象的でした。
夕食後、6畳一間の夫婦の部屋で不安にくれる久我と、それを慰める佐田のシーンも。

映画のワンシーン

「この広い空のどこかに」と本作に共通するのは、戦後になって夫婦として出発した二人が、古い家庭(農家や商家など)に嫁ぎ、古いやり方に戸惑いつつも二人の愛情を前途の希望として前を向く、というもの。
二つの作品とも、旧体制である儀実家が、決して無理解ではなく、いじめたりするわけではないという点が共通している。
生活の困難や壁は己の中にあり、その解決は夫婦の愛情によってなされる、という点でも共通している。

小会議室では1955年制作の岩波映画で、県南の遠山郷に伝わる霜月祭というお祭りの記録映画も同時上映されていました。
南アルプスに連なる山々に囲まれた村からの道を何キロも歩いて通学する小学生の姿で始まる、記録映画らしい記録映画で、貴重な「民俗学的」な映像が楽しめました。

小会議室内には収集した記録フィルムの実物も展示されていました。
「おらうちの嫁」の16ミリフィルムそのものや、このほかの35ミリネガやプリントの一部が展示され、デジタル化による保存の必要性を訴えてもいます。
全国には、地方の団体などが版権を持つフィルムがたくさんあるのでしょうから、それらを掘起し、保存することは大事なことです。
この点でもあいまいにせず、現状をオーオプンにして、きちんと対処しているのがは、長野県らしいことだと感心しました。

「おらうちの嫁」原版フィルム
収蔵品の16ミリフィルム
「長野県民の戦後再出発」展より、戦闘機疾風のタイヤ

歴史館常設展示

歴史館には常設展示コーナーもあります。
先史時代の展示コーナーには巨大なナウマンゾウの模型があり、それが動くのです。
また石器時代のコーナーには実物大の竪穴住居が再現されています。
さらに時代が進んで鎌倉時代になると善光寺に花開いた仏教文化の栄華が映像でレイアウトされています。

金がかかっています。
そしてこの展示、どこかで見たような?
そうです、長野市川中島にある長野市立博物館の展示に似ているのです。

常設展より、ナウマンゾウ
防人と馬

歴史館の展示内容が、長野や松本の博物館とダブっているのは当たり前ですが、ダブった部分の展示が似通った気がするのです。

東山道と古代信濃国

先史時代から石器時代、古墳時代、律令時代、武家時代、江戸時代、明治時代と時を追って県内の歴史を俯瞰した展示内容。
また、その時々に花開いた仏教文化や街道・河川による物資・文化の流通、生糸による近代産業の勃興までをかくコーナーで解説しています。
丁寧に詳しく、郷土への誇りと愛着が根底に窺える、見ごたえのある施設です。

カイコを飼う様子
近代製糸工場の女工

軽トラ流れ旅’26 姥捨棚田とスイッチバック

長野県は東信から北信にかけての千曲川沿いに人家と町が広がっています。
日本一の長流・千曲川は、小海、佐久といった東信地方の水田地帯を潤し、上田、千曲、長野といった人口集中の産業地帯を抜け、中野、飯山から新潟県に入ります。
千曲川流域全体が長野県の動脈となっています。

特に上田から千曲、長野と続くあたりは、千曲川と並行して走る国道18号線沿いに町が途切れず、商業、工業、物流の中心地となっています。

千曲市は、温泉のある戸倉、高校などがある屋代、長野市と接する更埴などの地区から成り立っており、かつての北国街道筋に面した歴史を持っています。
旧国鉄の信越線(現在のしなの鉄道)の沿線でもあります。

千曲市の屋代地区から国道18号線を横切り、千曲川を渡ると稲荷山地区があります。
古の日には生糸で栄え、蔵が立ち並ぶ街でもあったようです。
稲荷山を過ぎると18号線バイパスが走る農村地帯となります。
バイパスを折れて登ってゆくと昔話で有名な姥捨地区があります。

姥捨地区から望む善光寺平(長野市)
名勝「田毎の月」の看板

「楢山節考」のモチーフである姥捨伝説の舞台となった地名が残っているのです。
松本から長野まで山地を越えてやって来るJR篠ノ井線が、スイッチバックで急坂を上る駅が姥捨駅です。

篠ノ井線に乗って松本から来ると、長野市が広がる善光寺平を遠望する姥捨駅で停車した列車が、一度戻って再び上り直すスイッチバックを体験することができます。
駅はいわゆる無人駅のようですが、管理をするおばさんがおり、付近の集落からの通学生徒などが乗降客のようです。

駅構内のスイッチバック用の線路

姥捨駅から下ったところに姥捨棚田と呼ばれる千枚田があります。
浮世絵で「田毎の月」として描かれた場所です。
条件が整えば千枚ごとの田の水面に月が映ったこともあったのでしょうか、それとも浮世絵師の遊び心でしょうか。

「田毎の月」を題材にした浮世絵

駐車場に軽トラを止め棚田の間を歩きます。
田圃ごとに番号が付けられ、管理する法人や個人の名前が書かれた札が立っています。
本当に小さな田圃は耕作されていませんでしたが、それでもこれだけの棚田が残っているのは保存活動のたまものだろうと思います。
棚田のほかの土地も農地が多く、姥捨地区全体の景観保存がなされていることがわかりました。
県内にはこのほかにも上田市郊外などに、観光地化された棚田が残っています。

姥捨の棚田
姥捨の棚田

千曲市中心部から姥捨に至る途中の集落には佐野川温泉・竹林の湯という日帰り入浴施設がありました。
初めての温泉場でしたが、入浴料が400円と安く、シャンプー類は置いてなかったものの泉質は十分よく、効きました。
地元の人しか立寄らない穴場の温泉でした。

竹林の湯エントランス
温泉土産は山小舎ではく草履

坂城町 鉄の展示館とふるさと歴史館

坂城町へ行ってきました。
坂城は千曲川沿いにあり、上田市と千曲市の間に位置します。
かつては北国街道の宿場でもありました。
坂城の前身である坂木宿は、中山道と追分宿(軽井沢宿の西)で別れた北国街道が、小諸宿、上田宿をへて善光寺、越後方面へと北上する途上にあり、当時の有力武将の本拠地でもありました。

坂城町は、長野市へ行く道すがらに、またびんぐし温泉への立寄りに、よく通ります。
この日は、坂城にある鉄の展示館を見たくて訪れました。

鉄の展示館全景

鉄の展示館は、この地に生まれた人間国宝の刀鍛冶を記念して、集まった日本刀を展示するための建物です。
展示室の一つは地元が生んだ名匠の肖像や作品などを展示して功績をたたえています。

坂木が生んだ人間国宝の刀匠
刀匠の部屋を再現

残る二つの展示室はこの展示館に集まった名刀を展示しています。
中には俳優・高倉健から寄贈されたものもあります。
坂城が鉄鋼の産地だったわけではなく、村の代々の鍛冶屋に生まれたのちの名匠の影響から、各地から数々の名刀が集まったためのようでした。

展示品
郷土の英雄・御嶽海

鉄の展示館の近くには、坂木宿ふるさと歴史館があります。
坂木宿の本陣だった建物を博物館にリユースした施設です。
明治天皇が巡幸した際に休んだところでもあります。
門構え、庭園などに風格があります。

ふるさと歴史館
上り口の部屋に展示された五月人形

室内には坂木宿と領主の村上氏の歴史が展示されています。
村上氏のことはほとんど知りませんでした。
群雄割拠していた信濃の豪族の一つで、武田、上杉、織田、豊臣という全国クラスの勢力の影に隠れ、翻弄され、敵対したり庇護されたりの末、歴史に消えていった勢力です。
瀬戸内海で海賊といわれた村上水軍とも関係があったようです。

展示品・関ヶ原屏風絵

館内に残された古文書の数々。
文書の最後にサインのように記される花王のデザインが鮮烈で、当時の文化の洗練された様子と、戦国時代の武将の殺気ある覚悟のようなものがうかがえました。

展示品・村上氏書状

歴史館を出て、北国街道沿いの商店街を歩きます。
かつての国鉄信越線(現・第三セクターしなの鉄道)坂城駅近くは、町の中心部です。
そこには、上田から善光寺に至る千曲川沿いの人の息づきが残っています。
忘れられ気味ではありますが。

坂城の街、北国街道沿い
看板が立つ横丁も

小諸、上田、坂城から善光寺へ延びる北国街道の旅も面白そうです。

「文書に見る安土桃山時代」神長官守矢資料館企画展

茅野駅のベルビアという商業ビルの掲示板で、この企画展を知りました。

諏訪大社の神職を務める家系の守矢家に付属する資料館です。
近くにミシャクジ神を祀る本山もあります。
ミシャクジとは、古来の諏訪信仰とは、諏訪の神様とは。
その答えを司る、最も核心的な場所でもあります。

神長官守矢家門
資料館全景

ふだんは守矢家に伝わる古文書や、諏訪大神のお祭りである御頭祭の昔日の模様を再現した展示を行っている資料館ですが、この企画展では、武田家を駆逐し、諏訪地方を支配した織田とその後の豊臣の時代における、諏訪地方と大社の神職らの動向を古文書を通じて読み解こうとするものです。

展示物・守屋家について
展示物・御頭際供物

この時代、初めて地域の部外者の直接的な支配を受け、神長官やらも逃走したりします。
神職らは単なる聖職者ではなく、実効支配者として実力(武力)を備えた権力者として外部の侵入者に敵対するものだったのです。
一方で、明治までは綿々と口伝された呪文により、カミを下ろす霊能者でもあったのです。

企画展全景

織田により、住居、神社までも放火された神長官でしたが、豊臣に支配が変わってからは、文書により、神社の復興と自らの復権を訴えてもいたようです。
まさに一筋ならではいかないところが、歴史なのでしょうし、諏訪大社を巡る時代の流れなのでしょう。

企画展・信長侵攻に際しての禁制を通知する公文

資料館を見た後は、ミシャクジ神をお参りします。
前宮の本殿も質実剛健な気風を感じますが、守屋家に付属?するミシャクジ神本殿も、これ以上ない野趣と寒風に耐えきった素朴さを感じさせます。

ミシャクジ神本殿
清酒と鹿の角が供えられる

県内ローカル新聞の華麗な世界 たつの新聞と大糸タイムス

軽トラで遠出した時に、コンビニの新聞スタンドでローカル新聞を見つけるようにしています。
たつの新聞は、上伊那地方の辰野町に新聞社があるローカル紙です。
伊那からの帰り、辰野町から峠を越えて茅野へ出る途中に、たつの新聞の編集室があって気になっていました。

軽トラで阿智村へ行った時の道すがら、高速道路の方向を間違えて塩尻で降りて下道を走った時に、辰野町・小野地区のコンビニで見かけて入手しました。

この日のトップ記事は、高齢者向け講座と「たまねき祭」の記事。

たつの新聞一面

16面ある紙面は辰野町のニュースのほか、諏訪市、岡谷市、蓑輪町のそれぞれのニュースのほか、テレビ欄だけで4面、読者欄が2面あります。

バラエテイに飛んだ紙面ですが、この日はたまたまなのかパンチがあるニュースが少なく、焦点がぼやけた紙面のような気がします。

富士アイスの広告
岡谷スカラ座は地域有数のシネコンです

白馬へ行ったときに安曇野市内のコンビニで見かけた大糸タイムス5月17日号。
8面とコンパクトな紙面で1部100円。

大糸タイムス一面

トップは大町の西山神社の宮司さんが伊勢神宮で研修し、指導神職となったとの記事。
ほかにも空手の小中生大会で入賞したリ、ガードレールみがきに励む地元住民やら、小谷村で白馬三山の麓で進む田植えの様子、白馬で開催された地元ワインのマルシェなどの記事が明るく元気のある写真とともに紹介されています。

伝統の地元記事から、華々しい白馬地区の観光記事まで彩り豊かです。

軽トラ流れ旅’26 白馬、大町、穂高の旅

すっかり新しい軽トラの走行性能と居住性にはまった山小舎おじさん。
高速道路を使えるので行動範囲がすっかり広がりました。

今度の休みはどこへ?
新緑に北アルプスの雪景色が残り、観光客が少ないという白馬へ行くことにしました。

岡谷インターから長野道で安曇野インターまで。
1000円ほどの高速料金でした。

下りてから穂高神社へお参りします。
山小舎出発が6時半、穂高神社には8時過ぎに着きました。
朝の境内は静謐そのもの、ただし社務所は開いていないので、今年のお札は帰りに寄った時にいただくことにして、先へ急ぎます。

朝8時の穂高神社

穂高から白馬へ向かう国道147号線。
ほぼ直線の道は、元の車が続きます。
雪の北アルプスと水が入った田植え前の田圃の風景が美しくてパチリ。

田植えが済んだばかりの安曇野の風景

松川村を通過して大町市に入ります。
白馬へ向かう車列が続きます。
仁科三湖と呼ばれる湖が現れました。

最初に姿を見せた木崎湖畔に寄ってみます。
湖畔にはカヌーや釣舩などの施設がありますが、観光向けに大規模な開発はありません。
静かな山間の湖です。

静けさに包まれた木崎湖

白馬村に入ったところにある、道の駅・白馬に寄ります。
地酒、ワイン、ワサビ製品などがあり、観光客で賑わっていました。
おいしそうなおやきがあったので、野沢菜と切干の2個を購入。
レジで、あったかいおやきですね、というと『近くに工場があって作ってます』とのこと。
後で食べると、特に切干のおやきが絶妙。
こんなおいしい具のおやきを初めて食べました。

JR大糸線・白馬駅
駅前から北アルプスを望む

そのまま白馬村中心部へ。
駅前にはチラホラとインバウンド客の姿が。
道には、逗留しているとみられる白人のジョギング姿が見られました。
地元のAコープには外人向けの英語パンフレットがズラリ揃ています。
県内では、松本城、善光寺に続く外人の多さでしょうか。

スノーピークランドという場所に寄ってみると、ベンチとデッキに憩う日本人裕福層と白人カップルの姿が、残雪の北アルプスをバックに三々五々見られました。
その優雅で金持ち風のたたずまいは、県内ではほかに見られない雰囲気を醸しだしています。
これが北海道ニセコに次いでの海外人気を誇る白馬の一つの側面なのです。

「スノーピーク」のキャンプサイト
「スノーピーク」のデッキで憩う人々

白馬はまた、トライアスロンなどの近代スポーツの聖地でもあります。
長野オリンピックでジャンプ団体が優勝した記念すべきシャンツエの下には、階段を上り下りして、ロードバイクで車道を走る女の子がいました。

オリンピックのジャンプ会場

折角白馬に来たのだからと、早めのランチは蕎麦でもカツ丼でもなくてハンバーガーをチョイス。
コーヒーと合わせて1700円のランチでした。

ハンバーガー

白馬を満喫?したあとは、信濃大町へ戻ります。
目指すは大町温泉郷と、大町山岳博物館です。
まず寄ったのは、大町温泉郷。
観光案内所で係の妙齢の女性に聞くと『立寄り湯なら薬師温泉がありますよ』とのことでした。

大町温泉郷

薬師の湯は立寄り湯専門の施設。
温泉博物館もあり、当地の温泉の歴史なども展示しています。
黒部ダムの工事によって温泉が噴出したのが始まりとのことです。

源泉だという岩風呂に入るとほかの客はゼロ。
熱い湯からぬるい湯まで浴槽が3つありました。
ぬるい湯で十分に満足。
温泉の成分が身に沁みました。

薬師の湯の入り口

温泉を出て、大町市の市街地近くの山岳博物館へ。
ここは北アルプス(後ろ立山連峰)の、明治以前の峠越のルートの歴史から明治以後のスポーツ登山の発展までが展示されています。
中央構造帯生成の地学の話や、このあたりの動植物の展示、特にライチョウ飼育の経緯などが予算をかけて展示されています。
付属の動物園には生きたライチョウが飼育されていました。

大町山岳博物館
サルのはく製が虚空に吼える
ライチョウが小松菜をつつく

大町から安曇野市の穂高まで南下、穂高神社で新しいお札と足腰のお守りをもらって、安曇野インターから岡谷インターまで高速に乗って帰りました。

今までは列車で訪れただけの白馬に軽トラで行くことができ、行動範囲が広がりました。

久しぶりに上田の街へ

今シーズン初めての上田の街です。
久しぶりに中心部を歩いてみました。

海野町商店街駐車場に軽トラを停め、アーケード街の富士アイスを目指します。
数人の先客がいました。
並んで注文と支払い、あんこ2個、クリーム1個にアイスを頼みます。
すぐにアイスが出て、ベンチに座りながらじまん(”じ”は志に濁点)焼きが出るのを待ちます。

市民に愛される富士アイス

この富士アイス、上田に来始めたころは店の前に路駐の車が並び、お客さんが列を作っていました。
箱単位で買ってゆくお馴染みさんが多い中で、1個注文の客には先に出してくれることもありました。
そのうちに、会計の後に順番札を渡されるようになりました。
焼き台では常に忙しそうにおばさんが働いています。
人気の少ないアーケード街でここだけには人だかりができています。
じまん焼き100円、アイス250円は値上がりしていますが、まだまだ手ごろな値段です。

アーケード街には真田氏に由来のあるお宮があります。
高市神社というそうで、高市総理おめでとう、の幟がかかっていました。
オバマ大統領誕生に勝手にフィーバーしていた福井県小浜市を思い出します。

商店街の高市神社

神社の背後のレトロな建物は、かつて森鴎外が泊まった建物とのことでした。

神社の背後の建物

引き続き中心街を歩いてみます。
コーヒーの木の実も、カレーのベンガルも営業しています。
ベンガルには本日売り切れの札がかかっていました。

喫茶店。・木の実。数年前はコーヒー180円だった
池何正太郎も好んだというカレー・ベンガル

横丁を曲がると相生食堂があったところ。
数年前までは親切なご高齢の夫婦が運営していました。
閉店後は貸店舗の札がかかっていましたが、今でもそのままとなっています。

閉店したままの相生食堂

ぐるっと回って上田映劇のある小路へ入ります。
木造の現存映画館として文化財的な価値さえ持つ映画館がひっそりとたたずんでいます。
NPO法人を運営母体として地元出身の若者が復活させました。
常設館としてほぼ毎日、営業上映しているところに価値があります。

上田映劇の雄姿

この日はロビーにだけ入らせてもらい、映画関係の古本を眺めさせてもらいました。

この日のモギリ当番の若い女性にヒアリング。
レトロスペクテイブや上田に由来のある作品上映の予定は?と聞くと、困った様子でしたが、気を取り直して『「ヌーベルバーグ」という作品を予定しています。50年代後半のヌーベルバーグ運動を素材にした新作です。』とスマホ画面を検索して見せてくれました。
世代が違っても、シルバーのお客にも対応しようとしてくれる、映画好きの若者の感性に触れたようでうれしく感じました。
支配人(上田高校から日大芸術学部卒)はいいスタッフに恵まれているなあ。

これが木造現存映画館だ!
入り口

短い時間でしたが上田の中心街は絶えることなく生命力が続いていました。
山小舎から近い貴重な街でもあります。

軽トラ流れ旅’26 阿智村の満蒙開拓記念館と大鹿村の山塩(後編)

阿智村で満蒙開拓記念館を訪問した後、もう一つの目的の大鹿村の山塩を求めて移動しました。

その前に昼食です。
ローカルテレビで紹介されたことをメモしておいた村内の『おにひら』という蕎麦屋さんを目指します。

阿智村は名古屋へ向かう国道沿いの村。
国道沿いにはポツンポツンと飲食店があり、道を分けると昼神温泉という県内有数の名湯があります。
国道を名古屋方面に行くと目指す『おにひら』がありました。

阿智村の人気そば店・おにひら

ちょうどよく並ぶ人もなく、混雑もしていません。
客慣れしたテキパキとした接客で、頼んだ蕎麦も比較的早く供されました。
二人前のザルは多めですが、ペロリといただけました。

そば二人前と穴子店を注文

朝早く出て、高速道路を使ったこともあり、時刻はまだ2時前です。
昼神温泉にも立ち寄ってみます。
静かな温泉街を行くと観光案内所がありました。
親切な案内の女性に立ち寄り湯の情報をもらい、一番風情がある温泉場があるという『ユルイの宿・恵山』へ。

昼神温泉観光案内所
ユルイの宿・恵山

相客が一人もいない温泉場で昼神温泉を味わいます。
よくある公営の食堂付きスーパー銭湯のような温泉施設とは違うお湯に満足。
その後の効きが全く違いました。
いいお湯は直ちに心身に作用し、気分爽快、疲労感を吹き飛ばしてくれます。

大鹿村へは飯田から松川まで高速を利用します。
飯田山本インターへ向かう途中に和菓子屋があったので寄ってみました。
阿智村の春木庵という店です。

「柏餅ありますか?」と入店すると元気なおかみさんが出てきました。
和菓子一般と洋菓子も置いてある店です。
どら焼きは置いていない、というおかみさんは話題が豊富でした。

旧東山道がこの場所を通っていた鎌倉時代から、この場所には岐阜地方への峠を望む”中世の駅”のあった話。
戦国時代には領主の武田信玄の死に際しての家臣の活躍を伝える史跡の話。
県南ののんびりした気風と名古屋文化圏の影響が強い話、などなど。
当地の歴史を中心に、おかみさんの話題は縦横無尽に広がりました。

柏餅のほかに、当店オリジナルの銘菓も所望しました。
帰ってから味わったその菓子は、こまやかというか手が込んでいて忘れがたい味覚でした。
再び訪れたい店です。

あまりおいしくて包み紙を取っておいた銘菓・勾玉と、これから食べる栗一つ。.春木庵特製.

和菓子屋を出て、高速道路を松川インターで降り、大鹿村へ向かう曲がりくねった山道へ入りました。
ダンプが頻繁に通り、場所によっては対面通行ができず、どちらかが道を譲りあわなければならない道でした。
その道を大鹿から松川へ通う路線バスも乗用車も走っています。
秘境・大鹿へ至るルートはこの道がメインなのです。

沿線の河川は、積まれた砂利がうずたかく、いたるところにプレハブの建設事務所が建って、ダンプが往来しています。
いつ果てるとも知れないリニア工事の現場がこの山道だったのです。

大鹿村に到着。
2度目の大鹿村は前回同様、ひっそりとたたずむ秘境の気配が漂っていました。
ここには地層の間に海水が流れ込み温泉として噴き出しています。
その塩分を濃縮した塩が作られています。

山塩館という直売所へ行くと、山塩が製造中止とのことでした。
旅館も経営する製造者が、山登りなどで忙しいため、とのことでした。
道の駅には別の種類の塩があるかもしれないとのことで行ってみました。

大鹿村塩の里
山塩は販売終了

道の駅では、山塩とは異なる製法で作られたものが売っているとのことでしたが、この日は売り切れでした。

山小舎で家族に人気の山塩は入手できませんでした。
今後の入手も困難です。

道の駅では『塩畑の塩』が売切れ
やむなくブルーベリージェラートを食す

目的の一つが未達成だったこの日の軽トラ旅でしたが、皆神温泉や和菓子屋のおかみさんなど得難い出会いと、南伊那の気風に触れた旅でした。

帰りは分杭峠越で。対向車は1台のみだった

軽トラ流れ旅’26 阿智村の満蒙開拓記念館と大鹿村の山塩(前編)

新しい軽トラで、高速道路を使って、南伊那の阿智村と大鹿村を訪ねました。

今回の軽トラ旅は、阿智村と大鹿村

阿智村へ行こうと思ったのは、この地に満蒙開拓平和祈念館があるからです。
昨年「黒川の女たち」という満州開拓団が引揚の折にソ連軍へ性接待をした歴史的事実を扱った映画を見ました。
その当事者の女性がその事実を公表したのがこの記念館でのシンポジウムだったからです。

昨年は、舞鶴の引揚記念館を訪れました。
昭和30年代まで、引揚者が上陸した桟橋が復元されていました。
記念館には、満州開拓団の状況と引揚、日本軍人の抑留等に関しての幾多の資料が展示されていました。
館内の雰囲気は、公共的でオープンなもので、日本と日本人の負の歴史ながら公に後世に残さなければならない使命が感じられました。

東京には九段に昭和記念館という施設があります。
映写ホールでは、戦前戦後のニュース映画がデジタル化されて繰り返し上映されており、戦時中や戦後の生活事情などに関する企画展も行われています。
神保町での映画鑑賞や古本漁りの帰路、靖国通りを散歩しながら昭和館によく寄ったものでした。
館内の雰囲気は舞鶴の記念館をさらにパブリックにしたものでしたが、時代性に逆行したコンセプトからか、入場者はほとんどいませんでした。

県内には、長野市松代に松代大本営平和祈念館があります。
松代に今も残る地下壕の存在を知らしめるための資料館です。
有志の団体が興した施設で、展示内容は精密にして正確。
主に県内の満蒙開拓団への関与から、地下壕の掘削の資料展示まで、系列的に戦時の時代の流れが学習できます。
適宜、案内してくれる係の方の真面目で知識深い様子にも好感が持てました。
長野県が満蒙開拓団への参加人数で突出していたことをこの施設で初めて知りました。

「黒川の女たち」は製作者の一途な思いと、当事者だった高齢女性の覚悟と正々堂々とした生きざまが印象的なドキュメントでしたが、観終わって思ったのは、県内の阿智村におある引揚記念館を見なければいけないということでした。

中央自動車道が伊那谷を走っており、岡谷から飯田までは高速道路を使えます。
エンジンが調子いい新軽トラを高速道路で阿智村までを目指しましょう。

和田トンネルを越えて岡谷インターから高速に乗りました。
分岐点で名古屋・東京方面へ入るべきところ、松本・長野方面へ分岐してしまい、次の塩尻インターで下車。
何やってんだ!

校則を乗り間違えた後、塩尻から辰野へ出てコンビニで休憩。ローカル紙のたつの新聞を買ってみる

岡谷へ戻るのもいいですが、塩尻から辰野方面へ下道でショートカット。
伊那北インターで高速へ、松川インターまで行きました。
阿智村までは下道で行くことにしました。

高速では我が軽トラは90キロ平均で爆走。
前を走る80キロのトラックなどを追い越しました。
パワステハンドルの”遊び”と、走行中の”ガタつき”がやや気になりますが、空いている地方高速道路では怖いものなしでした。

松川から阿智村までは途中の直売所で買い物休憩。
五平餅や手打ち生蕎麦などを買い求めました。

松川町の直売所へ寄ってみる
ゲットしたものの一部

途中、飯田の街を通過。
天竜川沿いの低地から伊那谷右手の山すそに広がる飯田の街を眺めて走りました。
長野県もここまで南に来ると、温暖でのんびりした気風が漂うようでした。

阿智村の風景

そしてただり着いた満蒙開拓平和祈念館。
三々五々の入館者がいました。
映像ホールでは、開拓団の入植から引揚までを20分でまとめた映像が上映されていました。
予算の面では、東京の昭和館、舞鶴の記念館に次ぐものを感じました。
高齢の当事者たち10名ほどの証言記録の展示もありました。

記念館の前景
記念碑

帰りに受付してくれた女性に話しかけてみました。
「黒川の女たち」は岐阜県黒川村出身者が当事者だったが、阿智村にこうした記念館ができたのは?
には『飯田に日中友好協会があって、引揚事業や残留孤児の問題にかかわっていた。その経緯から隣の阿智村に立地となった』との返事。

また、「黒川の女たち」にあったような当事者の証言を含むシンポジウムの予定は?
には『かつては行っていたが当事者たちは高齢で参加が不可能。今では当事者参加のシンポジウムは行っていない』とのことでした。

入場券
パンフレットより

満蒙開拓団という日本の歴史上の事実。母親が大正15年生まれというバリバリの戦中派に育てられた我が身には他人事と思えません。

記録を保管、公開するだけでなく、当事者の肉声という人間味が加味されたこの記念館。
貴重な施設でありました。