真田温泉ふれあい真田館

上田市真田地区にある立ち寄り温泉施設、ふれあい真田館へ行ってきました。

真田氏の本拠地であった真田地区。
菅平、群馬長野原方面への入り口に位置する上田市の郊外です。

南向きの斜面に田畑が広がる純農村地帯でもあり、地区の直売所には地区で採れた季節の農産物が並びます。

7月に入ったばかりの雨の日、地区にある真田温泉ふれあい真田館へ立ち寄り、ひとっ風呂浴びてきました。

何年か前にも食事だけに寄ったことがある施設です。
とんかつ定食を給仕口で受け取った後、入浴客が休む大広間で食べたことを思い出します。
その時は関係者用の裏口から入場しました。

ふれあい真田館の正面入り口

今回は正面入り口から堂々の入場です。
入場料は大人500円。
これで温泉プールから、大浴場、大広間、食堂、売店などを利用できるのですからリーズナブルです。

エントランスではアニメキャラがお出迎え。六文銭の旗が見える

温泉は無色透明、かすかに漂う硫黄臭。
地元の人が三々五々集まっている浴室は土曜日の午後ながら空いています。
もちろん、ボデイソープとシャンプー付きです。
露天風呂もあります。

食堂のメニューも豊富だ

ゆっくり温泉に浸かった後は、大広間で休みます。
食堂は17時まで休みですが、給仕口わきにある給茶器から冷えた麦茶などが飲めます。
横になってひと眠り。

周りは地元のファミリーと、将棋をするお年寄りです。
たっぷりと休養できました。

館内には椅子が並んだロビー、農産物、菓子、飲料、雑貨などの売店もあり、ファミリー客などで終始にぎわっていました。

雨の中、駐車場から帰るとき周りのナンバープレートを見るとほとんど全部が地元の長野ナンバーでした。

上田市街からも近いので、いつでもフラッと寄りたくなる立寄り湯でした。

岩波写真文庫 長野県

1955年、昭和30年刊の岩波写真文庫・長野県を手に取りました。

岩波写真文庫はポケット版の写真ムックです。
長野県特集号で144刊を数え、それまでの各刊では、日本国内の都道府県や、山岳、河川、寺社仏閣のほか、文化事象(絵画、彫刻、建築、映画演劇など)、自然事象(動植物、天体、山林など)、産業関係(自動車、化学繊維など)、のほか外国の国土(アメリカ、ソブエトなど)や、外国人文化人(ミケランジェロ、ゴッホなど)までを特集しています。

昔の街並みや暮らしぶりなどの写真が好きな山小舎おじさんは、古本屋で写真文庫を見掛けると、つい手に取ります。
出身地の北海道をフィーチャーした号などが見つかった時は、買ってしまいます。
自分が生まれたころの懐かしい故郷の風景が載っているからです。

長野県の特集号では70年近く前の県内の風景が見られます。
自分で行ったことがある場所のかつての風景もありました。

長野県内はかつての東山道から始まって、中山道、北国街道などの主要街道が通っています。
砂利道時代の碓氷峠や、馬を曳いて往来していた甲州街道の写真にはカルチャーショックを受けます。
主要街道の往来が、自動車がメインになる前の懐かしくものどかな空気感に浸れます。

砂利道の碓氷峠
羊が群れていた美ヶ原
馬車がいた甲州街道

さすが岩波写真文庫と思わせる頁もあります。
長野県が縄文文化の中心地であること、歴史が古く有名な寺社仏閣が多々あることもしっかりカバーされています。

平出遺跡の竪穴住居が、この時代にすでに復元されていた
諏訪大社上社本宮の拝殿
善行寺門前町の参拝客。門前市は小屋掛けだった

産業分野の紹介では、かつての製糸業から発展した精密工業の興隆も押さえています。
時計など精密工業発展の基礎は、製糸業時代のハード(工場施設)とソフト(女工さんの存在)があったからこそです。
こういった県内の産業の紹介は、にわか県民?としてもうれしいものです。

諏訪地方の写真レンズ工場
諏訪湖の漁師も現役だった

今は現代風に変貌したり、あるいは地方の例として寂れ切った街が人で賑わっていた時代の風景もあります。

繁栄ぶりを見せる1955年当時の松本市内

そして何より貴重なのは、当時の山村の風景です。
牛馬が役畜として存在し、婦人が労働の主役として活躍し、子供らが手伝っていたかつての日本の農村。
昭和に生まれ育った日本人のDNAを直撃する原風景です。
いずれの写真も、二度とは戻らない日本の記憶としてとてつもなく貴重です。

農村の女性達。馬車を御し、子守をする。女性の働きなくして農村の繁栄はなかった
子供が牛を曳く。なんという幸福感溢れる景色!

何よりどの写真でも、機嫌よさそうに笑ってこっちを見ている当時の日本人の表情に感動します。

マンガでよむ『諏訪大明神絵詞』

山小舎では普段はテレビがつけっぱなしです。
ある日、ローカル放送のニュースで、「諏訪大明神絵詞」の研究をしている博物館学芸員のことをやっていました。

放送内容は、県内の博物館の女性の学芸員が専門の「諏訪大明神絵詞」をわかりやすくマンガにしてブログで発信していたところ、出版社から声がかかり本にした、とのことだった。

hほほnほんほんcほんcyほんちょ本著本

諏訪大社のおひざ元である諏訪地方。
諏訪大明神、お諏訪様、と呼ばれる存在は身近なものであると同時に、正体不明、謎の存在でもある。
諏訪大社の主宰神がタケミナカタの尊であることは知られているが、古事記のカミであるタケミナカタが本来の科野の神様なのか?
また、諏訪大社の古い古い歴史の中での信仰上の神秘的な流れ、武力勢力との迎合・反発という現実的な流れは一地方の歴史というにはあまりに大河ドラマ的ダイナミズムに満ち満ちており、深い闇にも閉ざされている。

諏訪大明神、お諏訪様、に関心は持っていても原典である「諏訪大明神絵詞」は難しすぎて訳が分からない。
そんな山小舎おじさんにとって、研究者によるマンガ読み下し本は格好の入門書になりそうだ。

テレビのニュースもそこそこに、おじさんは諏訪市にある本屋へ行きました。
郷土本コーナーへ意気揚々と向かうが何度探してもその本はありません。
レジのお姉さんに聞いてみました。

お姉さんもすぐにはわかりません。
ネットを叩いて検索してもらうと、どうやら当該本は書店には流通しておらず、諏訪大社本宮や神宮寺、地域の文化センターでのみ売られているとのことでした。

お姉さんに感謝し、その足で諏訪大社上社本宮へ向かいました。
拝殿近くにあるおみくじ売り場で巫女さんから購入できました。

目次

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」は五味夏希さんという女性研究者による本。
原著のエピソードを女性らしいやさしいマンガで読み下している。
本著で取り上げたエピソードは数編。
マンガからは著者の人柄や、原著に対するリスペクトが伝わってくる。

本著エピソードより

山小舎おじさんが「諏訪大明神絵詞」という存在を知ったのは、こちらも女性著者による「諏訪の神様が気になるの」(2020年信濃毎日新聞社刊)という本でのこと。
その本で繰り広げられていたのは、古事記や絵詞からの、国譲りなどの神話の世界や、諏訪大社を巡る大祝、神長官、ミシャクジといった神官の世界。
とても神秘的でおどろおどろしくもあり、また一方で血なまぐさくもあるものでした。

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」では本来の絵詞が持っているであろう、血なまぐさい権力争いの歴史は採録されてはいません。
一方で、ほのぼのしたエピソード、ありがたい仏様やお坊さんのエピソードが採録されています。

著者のやさしいマンガからほのぼの感が伝わってくるのですが、よく内容を読めば、厳しい信仰の世界や、カミの厳しさが読み取れるのかもしれません。

長野市立博物館春の企画展「皆神山をとりまく世界」

塩尻の平出博物館に行ったときに、長野市立博物館のチラシがあったのでもらってきた。
「皆神山をとりまく世界・パワースポットの源流を探る」企画展という大変興味を引くチラシだった。

企画展のちらし

今は長野市と合併した旧松代町。
上田側の真田地区から地蔵峠を越えて下りてゆくと、右手に低い独立峰の皆神山が見える。
道路の分岐点には「日本ピラミッド」という標識が立っている。

ピラミッド?
そう、オカルト方面でも有名な山。
昭和時代の松代群発地震の震源地?ともいわれた。

車道があり短時間で行ける皆神山山頂には、古くからの神社が建ち、近年のオカルト一派のものも含めた様々な記念碑も見られる。
パワースポットとして全国的に有名な場所となっているようだった。

長野市博物館での企画展。
とうとう博物館というアカデミズムもスピリチュアルの世界は無視できなくなったのか?と一人合点した山小舎おじさん。
はるばる長野市まで出かけました。

長野市博物館常設展示物

川中島合戦場にほど近い公園内にある長野市博物館。
善光寺平東方に広がる山塊をバックにした池のほとりに建っています。

三々五々散歩する市民。
絵画のようなこういった風景に接するたびに「地方っていいなあ」と思う山小舎おじさんです。

川中島古戦場公園

モダンな建物の博物館内へ入ります。
入場料300円は良心的。
今はマスクも強要されません。

博物館の入り口

常設展示室では写真撮影可能。

善光寺平のジオラマに迎えられた入場者は、松代地区に近い博物館ならではの地震観測コーナーを経て、石器時代から以降の歴史をレイアウトするコーナーへと導かれます。

善光寺平のジオラマ
石器時代の幕開け
竪穴住居の模型

県内の博物館へはよく行きますが、都市部の博物館をのぞき人気がないのが普通です。
が、さすが長野市、日曜ということもあり家族連れの気配がするところもうれしく感じられます。

竪穴住居や古墳を復元した模型を大掛かりに展示したり、古代の生物や石器人の模型をレイアウトしたり。
メリハリの利いたポイントを強調した構成が目を引きます。

善行寺周辺の仏像
川中島合戦コーナーの展示

長野ならではの善光寺と仏教文化のコーナー、川中島の合戦のコーナーもあります。
信州の都の博物館として、アピールすべきところをよくわきまえています。
展示された仏像にも迫力を感じます。

順を追って展示物を見てゆくと、信州という場所が石器時代、古墳時代から東日本の一つの中心地であり、その歴史の必然として、仏教の中心地たる善行寺や、諏訪大社の信仰が興て近世に至る流れがあることがわかります。

藁で作った道祖神
花火と大筒

企画展「皆神山をとりまく世界」

この日の企画展は、皆神山と川中島合戦に関するふたつ。
それぞれ一室にレイアウトされていました。
撮影禁止です。

企画店入り口。これより先は撮影禁止

皆神山に関する展示は、山を取り巻く地域の寺社の仏像など。
昔から皆神山は修験者の山。
オカルトの下地はあったようです。
展示物にオカルトの匂いは全くありませんでしたが。

松代は、戦国時代に上杉が信州攻略の前進基地としての松代城を築城した場所で、徳川になってからは明治まで真田氏が領主を務めた場所。
戦時中に大本営の移転場所が作られたり、特別な場所だったようです。

いろいろと勉強になった長野市博物館への旅でした。

塩尻市立 平出博物館

切通しの中ごろに博物館はあった。
縄文の世界が残っていた。

塩尻市郊外の平出博物館に行ってきた。
5000年の時を奏でる縄文遺跡の中にそれはあった。

博物館へのルートは塩尻市街地を抜け、住宅地から田畑の広がる低地を走ると、道は山すそへと至りやがて切通しを通る。
右手に岩をくりぬいたような奇景があったと思うと、緑滴る木立に博物館が建っている。

周りは縄文遺跡。
竪穴住居が復元され、古墳が発掘保存された公園になっている。

縄文時代から平安時代にかけての大集落跡があるという平出地区。
今では塩尻郊外の農村風景が広がっている。
土器や遺物が畑から出土したという。

係の人が一人しかいない博物館。
出土したという五重の塔に驚かされる。

館内を見てゆくと立派な銅鐸や鳥型の硯の出土品がさりげなく展示されている。
これって国宝に近い出土品なのではないか?状態もいい。

ゆっくり館内を見て外へ出る。
折からの雨模様。
係の人は雨だったら傘を貸しますよ、と言ってくれる。

竪穴住居の復元。
古墳の保存。
人気のない公園内を歩く。
保存状態の良さがうかがえる。

茅野の尖石遺跡もいいが、塩尻の平出遺跡も地元が力を入れて保存しているのがわかる。

手書きのマップをもらう。
今度はこのマップを片手に半日ゆっくり歩いてみたいと思った。

絢爛!県内ローカル新聞 「市民タイムス」

県内を歩いていてコンビニに入り、新聞ラックを見たとき、そこにあるのは全国紙だったり、スポーツ新聞だったり、あるいは県最大の信濃毎日新聞だったりします。
が、地域によっては見たこともないローカル新聞が売られています。

塩尻のコンビニで売られていたのは「市民タイムス」という新聞。
買ってみました。

「市民タイムス」令和5年5月14日。第一面

松本に本社がある市民タイムス社は、安曇野、塩尻に支社があります。
松本安曇野地域をカバーする新聞のようです。
月ぎめ2130円、1部売り100円です。

地域別のニュース欄。朝日地区のトップニュース。

トップ記事の早乙女姿の娘さんによる田植え姿の写真がインパクト大です。
安曇野市の神社の式年遷宮祭の記念行事とのことです。

神仏が息づき、神事が行われ続ける信州らしさを感じます。
年配の方は田植えのことを「お田植絵」と言ったりする土地柄です。

ほかのニュースでは、AC長野と松本山雅のサッカー信州ダービー対決をのぞき、ほとんど地域のローカルニュース。
全国で話題になっている事件が一切出ていないのが心地よいです。

子供向けのページもあります

「口差点」という読者投稿欄には94歳になる神奈川県在住のご婦人による、松本蟻ケ崎高校(女子高)時代の思い出がつづられていました。
当時女子学生のあこがれだった、旧制松本高校生。
その松本高校には、のちの小説家・辻邦生が在学しており、演劇祭でスターだった由。
辻に憧れた演劇女子高生だったご自身の思い出を記されています。

松本高校の青春については、北杜夫「ドクトルマンボウ青春記」に印象的に描かれていたことを思い出しつつ、このご婦人の投稿を興味深く読ませていただきました。

投稿欄「口差点」

地域の市民向けに発行されている「市民タイムス」。
これからも貴重なニュースを発信し続けてほしいものです。

この日の広告より

諏訪湖の浮城 高島城

桜の季節が終わった頃の雨の日、諏訪市にある高島城へ行ってきた。

秀吉の家臣が築城。
のちに関ケ原の戦いで戦功を得た地元諏訪氏がの居城となったお城。

かつては諏訪湖に面し、湖畔に浮くように建っていたという。
明治維新で廃城となり、天守閣なども壊されたが、昭和40年代に地元の募金によって天守閣が復元されたという。

高島城

お濠には名残の桜の花びらが残っていた。
門をくぐり城内へ。

普段は市民が三々五々集まる城址公園には人の姿はなく、八重桜と枝垂桜が花見シーズンのラストを飾っていた。

市内中心部に立派なお濠がめぐらされている
お濠に浮かぶ名残の桜
お濠を渡って城内へ、冠木門をくぐる
場内は公園になっている。八重桜が咲いている

天守閣へ登ってみる。
3階建ての閣内。1階と2階は高島氏の歴史、郷土史などを展示する博物館になっている。

3階が展望室。
この日は雨で諏訪湖方面は展望が効かず、もちろん富士山なども霧の彼方。
晴れた日の展望は絶景であったろう。

高島城天守閣
城内には諏訪市の遺物などが展示されている
3階の展望室から望む。諏訪湖方面は霧にむせぶ

1、2階の展示室には、甲州街道の錦絵のレプリカがあり、当時の凍った諏訪湖の湖面を歩く旅人の姿等が描かれていて興味を誘った。

歴史を感じるお濠。
諏訪湖方面をバックにそそり立つ天守。
落ち着いた城内公園。
諏訪の歴史と分化を味わえる場所だった。

お濠岸に見る天守閣
城内にある諏訪護国神社。もちろん御柱が立っている

諏訪市美術館「旅する視線」

諏訪湖畔の諏訪市美術館へ行ってきました。
「旅する視線展」が開かれているのをチラシで知ったからです。

ポスターの題材に「漁村」

片倉館が建つ敷地内に諏訪市美術館はあります。

片倉館は製糸業で.財を成した片倉財閥が戦前に建てた洋風建築で、本館と温泉施設を持ちます。
製糸工場の女工さんたちの厚生施設として建てられたという洋風の千人風呂は現在では地元、観光客に解放されており、750円で入浴できます。
どっしりした館内には食堂、休憩室などがあり一見の価値があります。

片倉館本館
片倉館千人風呂

これら施設と同じ敷地内に建つ諏訪市美術館は、和風の外観を持つ建物です。
歴史を感じる点では片倉館と対をなし、風景的にマッチもしています。

美術館全景
美術館入り口

美術館に入館します。初めての入館です。
1階の展示室には、地元出身の彫刻家のコレクションが並んでいます。
写真撮影OKとのことです。

1階の彫刻展示

2階が目指す「旅する視点」の展示でした。
「旅」をメインテーマとした絵画作品などが展示されていました。
地元出身の作家の作品が半分はあります。
チラシにあった「漁港」という作品も見ることができました。

「漁港」には1943年当時の風俗が画化の視点を通して描かれており、当時の日本に点在したであろう、辺境の漁村の空気感がよく出ていました。
写実的というか、わかりやすい点描の中に「時代」と旅の郷愁が保存されているようでした。

その他の作品も立派な作品ぞろいでしたが、芸術家の解釈、主観が前面に出ているものも多かった印象でした。
山小舎おじさんは「旅する視点」展に勝手に民俗的色彩を期待していました。
民俗学者の宮本常一が日本各地で撮った写真のような。
そういった写実的な作品もありましたが、当然ながら美術作品では作家の解釈、主観が入りますので、民俗学とは違いました。

片倉館構内の庭

芸術家の解釈、主観は別な意味で興味深いものがあります。
これからは各地の美術館を訪ねるのも楽しみになった山小舎おじさんでした。

諏訪湖畔に残る八重桜
この日の諏訪湖

2023高遠城址公園さくら祭

「天下第一の桜「といわれる高遠城址公園の桜を見てきました。

令和5年の4月。
信州も各地で桜の満開を伝えています。
今年は高遠へ行ってみようと軽トラに乗りました。

茅野から杖突街道を高遠まで走ります。
杖突峠を下ると、集落が街道沿いに点在する風景が見られます。

桜の季節の集落は夢のような風景でした。
人家の庭、川の堤防沿い、公民館などの建物沿いを春の色合いで満開の桜が彩っていました。

この日の杖突街道は観光バスを筆頭に乗用車が車列を作っていました。
高遠の街に入り、城址公園の臨時駐車場に着くまで車列は続きました。
全国ナンバーの車が集まっています。

駐車場へ向かう車列

駐車場に軽トラを置き、城址公園へ向かいます。
入場者が三々五々集まっています。
入場料を払い園内へ。

入場門は城跡に建つ「高遠閣」の脇にある

園内はソメイヨシノが満開で、花弁が散り始めています。
メインルートに沿って並び立つ提灯が花見らしさを誘います。
お祭りには欠かせない屋台も並んでいます。

テキヤの屋台が並ぶ
茶店も何軒かオープン

城址公園には2、3の櫓や城門などが復元されています。
郷土の出征兵士の霊を慰める忠魂碑もあります。

忠魂碑
城内のくぼ地の沼に桜の花びらが

このお城は武田氏の居城で、信玄亡き後、信濃を攻めた織田信長軍に最後まで抵抗して落城した場所です。
その後、城主は変わり、ご多分に漏れず明治維新後に取り壊され、現在に至っています。

西側には天竜川沿いの伊那の街の向こうに遥か中央アルプスが望めます。
こじんまりとした城内ですが、廃城後に桜を植え、桜で町おこしをしたのは正解だと思います。

雲で見えないが中央アルプス方面を望む

まだ昼間だからなのか、シートに座って花見をするグループはほとんど見られず、三々五々歩く観光客がほとんどでした。

珍しく1組が花見の真っ最中

昼になり、軽トラを高遠市街に回して蕎麦屋を探しました。
高遠は高遠蕎麦でも有名です。
しかし目指す蕎麦屋は観光客で並んでいました。
その向かいの蕎麦屋も同じ。

そこで別の食堂を探しました。
並ばずにソースカツ丼をいただきました。
これで1000円はお値打ちです。

目指す蕎麦屋は並んでいた・・・
別の食堂でソースカツ丼!

午後は伊那へ下り、かねてから気になっていた森本という地元の菓子店へ。
山小舎おばさんがお気に入りの草餅などを買いました。
いつもは直売所で手に入れる草餅を本店で買いました。
この日行われた入学式のお祝いの赤飯の注文が積み上げられている森本菓子店の店内でした。

伊那の森本菓子店
草餅、どら焼きなどをチョイス

帰り道ではいつもの直売所へ。
南箕輪村のあじーなです。
山小舎おばさんが最近凝っている手作りこんにゃくや、地元産の原料で作ったラー油などを買いました。

帰り道はいつもの「あじーな」へ
tててdてづてづkてづくてづくrてづくりてづくりkてづくりこてづくりこnてづくりこんてづくりこんnてづくりこんnyてづくりこんにゃてづくりこんにゃkてづくりこんにゃく手作りこんにゃく手作りこんにゃ手作りこんに手作りこん手作りこ手作り手作手

春本番を前にした高遠、伊那地方の旅でした。

茅野市八ヶ岳総合博物館

山小舎から茅野に下りて、街中に至る途中に、諏訪東京理科大学の校舎があるのだが、そこに隣接して茅野市の博物館がある。

春の一日、山小舎おじさんは、八ヶ岳総合博物館に2度目の訪問をしてみた。
山小舎暮らし数年を経てからの再訪は、前回の訪問より地域への理解が進み、興味を引く内容が増えている?と思ってのことだった。

入り口には御柱を曳く際の用具が展示されている。
去年は7年に一度の御柱祭の年。
茅野は古い歴史を持つ、諏訪大社上社へ納める御柱8本が、八ヶ岳から引き出されて通る途上にある町。

茅野八ヶ岳総合博物館入り口
下社御柱の引手

入館する。
大人310円。
入館券を買っていると女性の職員が出てきたので写真撮影の可否などを聞く。
入館者はほかに一人だった。

展示内容は、八ヶ岳の造山、地形、河川、温泉などをジオラマで展示するコーナーに始まり、生物関係、縄文遺跡関係、民俗学的な生活用具・地場産業、御柱祭、八ヶ岳山麓の農業用水堰を作った地域の歴史的偉人・坂本養川のコーナーなど。
それぞれが簡潔にまとまっている。

八ヶ岳の地学的ジオラマ
ニホンカモシカのはく製
縄文関係の展示
多数の機織り機が並ぶ民俗学展示コーナー

茅野と八ヶ岳といえば縄文遺跡の本場として、石器、土偶などが出土しているのだが、八ヶ岳総合博物館の縄文に関する展示は比較的あっさりしている。
茅野の博物館としてはもっと縄文にこだわっても、とは思ったが、尖石遺跡の近くには国宝の縄文のビーナスを展示する尖石考古館がある。
こちら茅野市の博物館は総合的な展示を、というわけだと納得。

山小舎に数年住んで、茅野へ下りること数知れず、の山小舎おじさんでも、坂本養川と農業用水堰のことは知らなかった。
御柱祭のことでも、下諏訪町にある諏訪大社下社の木落としの光景にはニュースなどでよく接してはいるが、肝心の上社の御柱祭の里曳き、木落し、川越しの風景を見たことはなかったので、この博物館のビデオで見ることができて貴重だった。

八ヶ岳山麓で農業用堰を作った坂本養川のコーナー
堰についてはビデオで再現されている
下社御柱祭の展示も
茅野市内の木落坂での木落のしの様子

博物館の周りは、芝生が広がり、広い駐車場が隣接している。
天気がいいと北八ヶ岳の山並みを望むことができる。
八ヶ岳総合博物館は、小学生から大人まで楽しめる知のワンダーランでだった。