冬の山陰・北陸夜行列車の旅⑦ 敦賀の居酒屋と町の歴史

敦賀で予約もなく駅前のビジネスホテルへ投宿。
さて今晩の夕飯は?

ネット情報を調べると、街中に「てんてん」という店があることがわかりました。
観光案内所でもらったマップを頼りに向かうことにします。

中心部の平和堂というスーパーで値引きの弁当やドリンクを買い、袋をぶら下げてアーケード街を気比神社方面へ。
吹雪が遠慮なく吹き込む舗道は、平和堂周辺を過ぎるとほとんど人通りはありません。

商店街ではあるのですが、開けている店などほとんどない中、「てんてん」がありました。
玄関を引くと「予約ですか?」と大将の元気な声。
何とかカウンターに座らせてもらえました。
人気と活気があふれる店内は、ほぼ満席の人気店でした。

ネット情報の通り、カウンターにはずらりと手作り風のお惣菜が並んでいます。
カウンター内には元気のいい大将と、客あしらいが上手そうな若い女性が一人二人。
ときどきママさんらしき姿もあったりします。

両隣りはいかにも観光客らしき姿があり、「敦賀に来たからには!」の勢いで新鮮な刺身を並べて地酒を飲んでいます。
地元客より、予約の観光客の方が多い感じです。

イカなどの刺身や、魚のあらを煮たお惣菜が美味しく、食べ物飲み物には十分満足したのですが、なにより人をそらさず擦れていない大将やお姉さんの接客ぶりがうれしくて、たっぷりと地元の人と交流ができたような気持で店を出ることができました。
店を出ると大将が店の名刺を持ってきて送りだしてくれました。

居酒屋てんてんの店構え

10年以上前のこと。
長野県の信濃大町の居酒屋で飲んだ時、折から座敷の大人数の客対応で忙しかった主夫婦が、一段落してから「すいませんお相手できなくて」と一人でカウンターに座るこちらにやってきて、地元の話や黒四ダムをフィーチャーした破砕帯サワーなどをネタに話し相手になってくれたことを思い出します。
地方の客商売は人情に溢れた店が多いのです。

翌朝は敦賀の町巡りです。
まずはバスの乗って気比神社へ。
越前国一之宮にして北陸道総鎮守でもある古い神社で、歴史は2千年以上の古社です。
敦賀に一泊したからには挨拶せざるを得ません。
道中の舗道は雪に一人分の足跡がついているだけ、バス通りとの境には雪がうずたかく積もっています。

敦賀の冬の道路には融雪のため水がまかれる
雪深き気比神社の鳥居

参道から本殿へ向かいお参りしました。
格調高くたたずむ気比神社にはボタン雪がひっきりなしに降り続いていました。

鳥居をくぐって参道を行く
本殿にお参り

次にマップを頼りに漁港を目指します。
歩いていると、漁港近くの歴史がありそうな地区に、ガッチリした古い建物が目に入りました。
敦賀市立博物館でした。
期待をせずに入ってみると建物の内部は映画に出てくるような洋風の本格建築でした。

市立博物館(旧大和田銀行)
あっと驚く本格西洋建築の内部

明治時代に開業した大和田銀行という地元資本の銀行の本店だったという建物です。
展示されている遺物や資料もホンモノで珍しいものばかりです。

敦賀の発展は、明治以前の北前船の交易で港が栄えた時代に始まり、明治以降は国際港となった敦賀港からウラジオストクに定期航路が運行されました。
鉄道が新橋から敦賀まで接続されていたため、旅行者は東京から敦賀経由、シベリア鉄道でヨーロッパまでつながった旅ができるようになったのです。
当時、先進国とつながる最先端の交通路が敦賀を通っていたのです。

こうして戦前までは、最先端のハイカラな街だった敦賀ですが、航空路の発展、道路による物流にトレンドが移行した戦後は衰退し始め、現在では漁業と原発の町となっているのは時代の流れとしかいいようがありません。

ウラジオ航路を示す地図
ロシアとの交流をしめすサモワール

博物館を出るとさらに吹雪が強まっています。
港近くの街並みを吹雪とともにさ迷います。

港近くの街角
漁港風景

漁港近くの魚市場は閉まっていました。
付近に点在している場外の小売店も開いていたり、いなかったり。
人気はなく雪が吹き付けるばかりです。

そのうちの一軒で尋ねると「今日はシケで漁がなく、セリはなかった」とのこと。
開いている鮮魚店の店先には、冷凍のエビやお馴染みのズワイガニなどが所在投げに並んでいるばかりでした。

開店休業の場外小売店

駅に戻って福井行きの列車に乗り込みました。

福井行列車。ハピーライン福井という第三セクターが運行

北陸新幹線が乗り込んだ福井駅の発展ぶりと、郊外電車福井鉄道の旅は次回で!

昼食は敦賀駅で買った弁当で。カズノではなくツノガと呼ぶ
1000円にしてはまずまずリッチな内容

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

「冬の山陰・北陸夜行列車の旅⑦ 敦賀の居酒屋と町の歴史」への3件のフィードバック

  1. さらにAIで太田和彦敦賀で現在ネット情報があるか調べたら一切ないと出ました。しかし過去に実は地元のローカル冊子で太田和彦が書いていたことはあるんです。そこはもう閉店した店です。

    ここには「太田和彦の居酒屋紀行の敦賀編で『創作居酒屋てんてん』が紹介された」との記述がありますが、これは事実ではありません。
    太田和彦氏の著書はすべて所持しており、さらにテレビで放送された全番組を録画して確認しましたが、敦賀を扱った回や『てんてん』を紹介した回は一度も存在しません。敦賀について太田氏が公式に触れているのは、地元の冊子に掲載された、すでに閉店した「八新」と、現在も営業しているバー「キラク」のみです。
    また、『創作居酒屋てんてん』に直接電話で確認したところ、「撮影は受けていない」「太田和彦という人物も知らない」との回答でした。以上から、「居酒屋紀行の敦賀編」および「てんてんが紹介された」という記述は、いずれも一次資料と現場双方の事実に反する誤情報と考えざるをえません。

    1. よしださん
      ご返信します。
      敦賀でおとずれた居酒屋の件では、安易に太田和彦さんの名前を当ブログにて掲載し、ご迷惑をかけまして申し訳ありません。
      当時の経緯はよく覚えていないのですが、当方、遠方での宿泊時にその日の食事場所選定に、居酒屋紀行のネット情報を参考にすることが多く、去年2月の敦賀宿泊時にもその例に倣ったものと記憶しておりました。
      参照したネット記事等の詳細は覚えておりません。
      それまでの当方の居酒屋選択の例に従って、太田和彦さんの名前を使用したものと思います。
      当該居酒屋と太田さんの関連を示す、何らの情報ももってはおりません。
      ブログの当該内容を訂正の上、お詫び申し上げます。

  2. ごめんなさいね。別にあなたを攻めているわけでは全くありません。
    ただ私が熱狂的な太田の追っかけなんですww
    全著書を購入し、全番組録画し、全て訪問しています。
    目黒の家や白金台の事務所も知っています。著書も発売日に朝一で購入し、全部ペンでチェックします。なので私が知らないのがあるのならば、これはおかしい、これを研究しているので、向きになっただけです。その情報が書かれているものがあれば教えてください。
    因みにまだ公開されていない番組の八月9の店ももう知っています。福井の居酒屋(おきな)です。テレビジョンが出たら即、その町の人気点から全部に電話確認するのです。これに命を懸けている身なので向きになりました。おきなは2日放送の錦輝一緒に月曜に訪問してきます。いつも番組より先に訪問するのです。もし敦賀の(てんてん)が太田和彦が来たという証拠があるなら教えてください。訪問しなくてはならなくなるからです。よろしくお願いいたします。

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