奥蓼科温泉郷 渋御殿湯

八ケ岳周辺には数本の車道が走っています。
蓼科から、美ケ原高原までを周遊するビーナスライン。
麦草峠で八ヶ岳を横断するメルヘン街道などです。

麓でメルヘン街道と別れ、湯みち街道と呼ばれる道路で八ヶ岳の山懐を目指す、その行き止まりにあるのが渋御殿湯です。

湯道街道沿いには、明治温泉、信玄の隠し湯と呼ばれる渋辰野館の二つの温泉旅館があります。
そして最深部にあるのが渋御殿湯です。
ここからは八ヶ岳の麦草峠近くの白駒の池などへ通じるハイキングコースなどがあり、登山客、ハイカーなどに人気で、休日には一日一往復の路線バスも運行しています。

軽トラで茅野側に下り、奥蓼科方面への道案内に沿って走ります。
田園風景と集落を過ぎると、別荘が散見される風景となります。
さらに登ってゆくと山林の風景となり、観光名所の御射鹿池が現れます。
東山魁夷の絵で有名になった場所です。

その先を谷底に向かって下った場所に明治温泉があります。
冬期間は休館しますが、開湯130年といわれる古い温泉です。
源泉は24度だそうで加熱しています。

次に現れるのは、信玄の隠し湯と呼ばれる渋辰野館です。
日帰り入浴料は1400円と高いのですが、加熱した湯船につかると何ともいえずお湯が体と心にしみます。
低温の源泉の浴槽もあります。

辰渋野館を過ぎると途端に路面が荒れてきます。
行き止まりに現れるのは、昭和の山奥の温泉そのものの風景です。
古いモルタル造り(と思われる)の旅館が川に沿って長く伸び、人気(ひとけ)のない景色の中にかすかな硫黄臭が漂います。
空気はもちろん、山の精気に支配され澄み切っています。
良い温泉場の条件が整っています。

奥蓼科温泉郷の最深部、渋御殿湯の風景
休日のみ運行の路線バス停留所

一段と肌寒くなり小雨さえ降ってきた中を、渋御殿湯と呼ばれる館内へ入ります。
70代後半と思しき主が出てきて日帰り入浴料金1100円を告げます。
宿帳を差し出し『名前だけでいいですから』と一言。
記名して、人気(ひとけ)のない館内を浴室へと歩を進めます。
廊下の暗さも昭和の山奥の温泉風情です。
ワクワクします。

渋御殿湯エントランス
浴場への廊下

薄暗い脱所にはコインロッカーなど当然ありません。
浴室はオール木造でつるつる滑ります。室は伝統的な木造。
湿気を吸って重くなっている木製の蓋を外して湯につかります。
蓋がしてあるのは渋辰野館と同様です。
源泉が適温に温められ循環しています。
湯温に温められ、硫黄を含んだ湯気に肺臓を癒され、静けさに心を静められます。

浴槽にふたが乗っている。誰もいなかったので撮影させていただきました

ふと見ると浴室の端っこに真四角の浴槽があります。
源泉です。
26度という温度は浸かるのに勇気がいります。
ゆっくりと浸かっていると目が覚めてくるような?気がしてきました。源泉の成分が効いたのでしょうか?

再度沸かし湯に入って人心地着きますが、体の内部はすでに十分温まっているような気がしました。

源泉の浴槽

主の笑顔に送られて旅館を退出。
かつては登山客でにぎわい、宿泊客で混雑したときもあったのでしょう。
八ヶ岳の麓の古ーい温泉旅館でした。

奥蓼科温泉郷の3つの湯に入りましたが、浴室と浴槽のあつらえの年季の入り方では、渋辰野館とここ渋御殿湯が双璧でしょうか。
ただこの2館とも経営が高齢化しているようです。
その点、明治温泉のスタッフの現役風と一部若いスタッフに未来を感じました。

玄関の断り書きの数々

すぐ隣には東急リゾートが開発し、ゴルフ場や別荘マンションがある蓼科別荘地があるのに、一本入れば寂れた温泉場が残っている。
ここ奥蓼科温泉郷は、別荘族にも、ましてやインバウンドにもノーマークの穴場です。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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