令和2年も11月下旬となりました。
1週間ほど山小屋を離れておりました。戻った翌朝、山小舎の周辺は霧に包まれていました。
折から地元のテレビ局の天気予報が寒さの襲来を伝えていました。さらに翌日、天気予報通りに雪がうっすらと積もっていました。
60代、第二の人生、田舎・時々都会暮らし
令和2年も11月下旬となりました。
1週間ほど山小屋を離れておりました。戻った翌朝、山小舎の周辺は霧に包まれていました。
折から地元のテレビ局の天気予報が寒さの襲来を伝えていました。さらに翌日、天気予報通りに雪がうっすらと積もっていました。
山小舎から畑への道、大門街道沿いの紅葉です。
大門街道が中山道に合流したあたり、長和町長久保地区にある、お寺の境内のイチョウです。
長久保宿の本陣近くの植木も見事に燃えていました。
長和町のあぜ道沿いの柿の木です。
上田市丸子地区のショッピングセンターの歩道です。
霧ケ峰から上諏訪に下りる道沿いの山の景色。
辰野町の郊外を走っていると見事な紅葉がありました。
山小舎の前のささやかな紅葉です。
須坂市の田中本家という豪商の庭です。
八ヶ岳連峰の麓にロープウエイがあります。
茅野からビーナスラインで蓼科温泉、別荘地帯を越えたところ。
標高1770メートルの山麓駅から、2200メートルの山頂駅まで、100人乗りのロープウエイが10分間隔で運行しています。
11月初旬、山小舎にやってきた家族とともに、このロープウエイに乗ってみました。
山小舎からはビーナスラインで一本の行程です。
白樺湖から、スズラン峠を越えてゆきます。
思ったより広い駐車場は、午前11時ころ、県外ナンバーの車で満車に近い状況です。
山麓駅の建物には、食堂、みやげ物店、パン屋などが入っており、コケモモを使ったロールケーキやパンなど、地元らしいものも売られています。
ロープウエイに乗り効用を迎えた様肌に沿って登ってゆきます。
左前方には見慣れた蓼科山が迫ってきます。
目指すは北八ヶ岳連峰のピークの一つの、北横岳の近くにある山頂駅です。
山頂駅からは坪庭と呼ばれるハイマツの一帯を周遊するコースが整備されています。
間近に仰ぎ見ることができる北横岳までの山行きも比較的手軽にできるようです。
山頂駅の展望台からは、八ヶ岳の遥か西側に広がる、北アルプス、中央アルプス、南アルプスの山並みと、名だたる山頂が望めます。
日頃仰ぎ見る八ヶ岳の山頂近くに手軽に登れるなんて思いもよらぬことでした。山頂の空気は来てみなければ味わえないおいしさでした。
山小舎の背後には国有林の山がそびえています。
9月の末日、裏山を登ってきました。
登山口?から林道を越えてトレイルへ
別荘地の道路から登山口を伝って裏山ハイキングの開始です。
この道、ほとんど通る人はありません。
獣道のような登山道を登ってゆくと林道に出ます。
林道を横断して、さらに踏み固められた道をもぼってゆくと、斜面を削った道に出ます。
その道をたどって山を巻いてゆくと尾根に出ます。
大門峠から続く尾根です。
尾根は、防火帯のように草木が削られ、砂利が敷かれた道が続いています。
長門牧場から霧ケ峰方面につづく尾根伝いの道で、分水嶺トレイルと呼ばれ、毎年初夏にトレイルランが行われる道です。
山小舎からここまでの所要時間は小1時間でしょうか。
ちなみに、山小舎前任者の「仙人さん」は、健脚にものを言わせて『白樺湖までの所要時間:25分』と書き残されていましたが。
山小舎おじさんではとても無理。
白樺湖まで下る時間を含めると優に倍以上の所要時間がかかりましょう。
分水嶺から白樺湖を望む
遮ることのない景色を分水嶺から楽しみます。
目を北に向ければ蓼科山、東の眼下には白樺湖が浮かびます。
あたりは一面の薄の原っぱです。
折角なので、尾根から白樺湖畔へ下りることにします。
大門峠から続くビーナスラインに出ます。
車山高原を経て、霧ヶ峰、美しが原へ続く観光ルートです。
更に下ってゆくと白樺湖畔の大門街道に出ます。
平日のこともあり、ハイカー、登山者などの歩行者には一人も出合いません。
白樺湖畔をゆっくり
白樺湖畔の西側でゆっくりします。
土産物屋が2軒ほどと、食堂が1,2軒、宿屋が2.3軒営業している湖の西岸です。
夏の間はともかく、紅葉にはまだ早い9月末の平日は人気も少ない白樺湖畔です。
一休みした後、やってきたルートをたどって山小屋まで戻りました。
気持ちのいい初秋のハイキングでした。
付録・裏山ルートで見たもの
植物とキノコ
動物の足跡
令和2年の信州の夏。
梅雨の後、長期間の夏日が続きました。
空を見上げると、鮮やかで強烈な青空と、それを彩る見事な雲の世界が広がっていました。
あまりに鮮烈な夏空と夏雲に、ついついカメラを向けてしまいました。
まずは地元・長和町で見上げた空と雲です。
出先から見上げた夏空にも鮮やかな雲が広がっていました。
今年くらい空を見上げた年はなかったでしょう。
夏空は鮮烈で強烈でした。
そこには見事な雲の造形がありました。
山小舎にも9月がやってきました。
例年ならとっくに秋風が吹きすさぶ頃です。
コロナ元年の今年は、つい先日まで、まだまだ夏の紫外線が、標高1300メートルの別荘地に降り注いでいました。
8月いっぱい、山小舎を一歩出ると、光のまぶしさと、熱量に体が焦げ付く思いでした。
洗濯物もカラカラに乾き、庭の草木は葉がへたり、地面は堅く乾いていました。畑のある標高800メートルほどの麓の集落は気温34度の日々。
畑作業に行くにはある意味、覚悟がいりました。
9月1日、山小舎の朝は霧に包まれていました。
忘れていた高原の夏の風景です。
霧にけぶり、積んである薪が湿った風景を見て、これからの秋と冬の到来を感じざるを得ません。
寒さにこらえる長い季節こそ、山小舎らしい風景です。
9月になったとたんに鮮やかに四季が移ろっていました。
麓の畑にも恵みの雨になることを祈ります。
薪割の話です。
連日の夏日は薪割の季節。
来年の冬の燃料となるべく、薪の乾燥には絶好の気候です。
畑帰り、バイト帰りの夕方、ちょくちょく薪割をしています。
今日は、薪割にすべき玉(長さ40から45センチ程度に切った丸太)が少なくなってきたので、貯木スペースから玉を運び上げました。
貯木スペースには、玉に切る前の丸太や玉に切った材木が転がっています。
軽トラで貯木スペースへと下りました。
そこにあったのは、春先に伐採したミズナラ。
既に玉に切って転がっています。
それを運び上げることにしました。
伐採し、玉に切り、長雨に打たれ、紫外線にさらされた原木です。
広葉樹らしくずっしり重く、水分をたっぷり含んでいます。
薪にすると商品価値が出る木材です。
ひさしぶりにミズナラを割ってみました。
ここのところ、カラマツなど針葉樹ばかりを割っています。
斧でパカーンと割れることはまずない針葉樹です。
松脂が詰まったような材質で、節が絡まっている印象です。
ところがミズナラはその重さにもかかわらず、斧を振り下ろすと手ごたえがあるのです。
材質が繊維質っぽいというか、素直な木材というか・・・。
久しぶりにパカーンと割れる手ごたえを感じました。
そうだよ、これが薪割でしょ・・・。
斧の刃先が食い込む感じ、繊維に沿ってまっすぐ割れる感じ・・・。
広葉樹と日本人の親和性を感じる、といったら大げさでしょうか?
太古の時代からこの日本列島に於いて、人類との共存の歴史を担ってきた広葉樹。
戦後になって商業目的から植林された針葉樹とはその歴史が違います。
針葉樹を切ったり割ったりしていて、その木材との親和性を感じることは少ないのです。
「自分は何のために植えられて、育ち、切られて、何の役に立とうとしているの?」と針葉樹の丸太が語っているような気がします。
広葉樹の場合は、夏は昆虫を養い、人間の日陰となり、冬は落葉が土の養分となり、倒木は炭や薪の材料として利用されることを、木自身が自覚しているような気がするのです。
そして、植林しなくても種や株から再生してくるのが広葉樹です。
薪割を通しての木との語らい。
これは広葉樹をに於いてのみ可能なことではないでしょうか。
日本列島の大先輩、広葉樹から木と人間との関係を教えられた夏の一日でした。
8月になって梅雨の空けた甲信地方。
標高1300メートルの山小舎ではお盆を過ぎると秋風が吹く。
北海道と同じだ。
8月になってやっと夏の光が差した高原の朝。
強い日差しを縫って一陣の涼しい風が吹いた。
あれ?夏になったのではなかったっけ?
間2日置いた畑へ。
夏の畑は猛暑。
汗だくになって日差しと闘う。
あれ?妙に涼しい風が吹いたぞ。
いつもの山間部の自然の涼風というよりは秋を感じさせる風。
よしてほしいが、梅雨が上がったらもう秋なのか?
今日の天気予報は午後から雷雨の可能性ありと。
畑から山小屋へ戻る道すがら、空気は肌寒く、路面は濡れている。
予報通り降ったのか。
山小舎と畑に吹いたあの涼しい風は、季節を問わず雨の前に吹く一過性の冷たい風に過ぎなかったのか?
それとも前途に予断を許さぬ昨今の時代を象徴するかのような「梅雨の後の(夏が到来しないままの)秋風の第一弾」だったのか?
今年の梅雨は梅雨前線が日本列島に張り付いて動かなく、必然的に連日の降雨とその結果としての水害に見舞われています。
山と川に刻まれた箱庭のような日本列島においては、必要以上の降雨は災害に直結します。
連日のニュースでは前線の停滞と、連日の大雨と、水害の警告は流していますが、なぜ梅雨前線がいつまでも停滞しているのかについてはほとんど触れません。
「記憶にないほどの雨量が予測されます!」「身を守る行動をとってください!」とは言いますが。
まるでコロナの感染者数はトップニュースとして連日大々的に発表し、感染防止を呼び掛け、医療崩壊を懸念するのに、コロナそのものの相対的位置づけについてはほとんど言及しようとしないテレビニュースのようです。
山小舎も7月に入って雨の日が多いのです。
普段は水無川の水路にも2,3週間連続で水が流れています。
薪の乾燥台も雨に濡れっぱなしです。薪割作業が進みません。
地面が乾く暇はなく、傾斜地は雨水の流れが地面を掘ってゆきます。
山小舎のある別荘地自体は、地盤が固い山の斜面にあるので、砂利道や水路が掘れる程度で被害は少ないのですが、雨水が集まるふもとの河川は常に濁流が流れている状態です。
別荘地管理事務所の作業バイトも休みのことが多く、何より高原の夏らしい気候が少ないのが残念です。
毎年6月下旬には現れるオオミズアオという大きな蛾の姿を今年は見ていません。
去年は木にたくさんとまっていたカブトムシが全くいません。
庭のスグリの実は色づきましたが味が甘くありません。
今年は何か変です。
連休の1日、おじさんの孫一家が山小舎にやってきました。
近くでブルーベリー狩りをしたり、山小舎おじさんの畑でキューリ、ナスを収穫。
雨の長門牧場で綿羊に餌をやり、上田まで下りて上田城を歩いたりしました。
久しぶりに山小舎に活気が溢れました。
5月中旬の山小舎の周辺です。
山小舎の先代オーナーが作った前庭の花壇が芽吹いてきました。
石で囲った花壇には、ハマナス、ルピシア、スグリなどが植わっており、毎年芽が出てきて夏には咲きそろいます。
別の花壇に植えたブルーベリーとブラックベリーです。
雪囲いをしたままです。
一昨年の秋に苗を買ってきて植えましたが、3年目の春を迎えて背丈が植えたときのまんまです。
伸び始めたころの秋に鹿に枝ごと食べられて元の丈に戻ってしまいました。
今年からは専用の肥料を細こすとともに、通年、鹿よけの囲いをすることにします。
周辺の木々も新芽が吹いてきています。
ナラ、白樺などの林です。
木々の葉が出そろうと、山小舎のテレビの地上波5チャンネルのうち、一つのチャンネルが木々の葉に電波を妨害されて映らなくなります。
その季節ももうすぐです。
山小舎の裏側は国有林と接しています。
カラマツの山林も春を迎えています。
このカラマツ林を通して朝日が昇ってきます。
先日、別荘管理事務所の作業バイトで側溝の落ち葉拾いをしていたところ、カエルを発見しました。
昼間は蜂が飛んでおり、夜には蛾が出てきました。
いよいよ春本番近しの山小舎です。
勝手に別荘地のペット状態に居ついている鹿たち。
今年も人間に慣れきって傍若無人です。