大門そば打ち教室に参加

山小舎のある姫木から上田方面に下った最初の集落が大門地区です。
そこの農協施設で毎月2回、そば打ち教室が開かれています。

農協に掲げられた看板

バイト仲間の親子が去年参加していたのを聞き、今年から参加してみました。
せっかく信州にいるので、そば打ちを体験し、できれば家族にふるまうくらいをしてみたかったのです。
地元のおばさんに『大みそかの年越しそばは自分で打つよ』と聞いたことにも影響されたのかもしれません。

畑に行く道すがら、大門の農協前に軽トラを止め、5月と6月のそば打ち教室開催のスケジュールを確認しておきました。
張り紙には申し込み先の情報がなかったため、当日に直接農協に向かいました。

カレンダーの掲示

待っていると、先ず年配の男性がやってきました。
いかにもそばなど打ちそうな感じの人です。
参加の意思を告げると、会費の支払いを促され1000円を置きます。
それから、わけもわからぬまま、道具類とそば粉の準備を指示されます。
のし棒、打ち台、そば切包丁などなどを言われるとおりに倉庫から運びました。

三々五々、人が集まってきます。
紹介や、オリエンテーションがないまま、そば打ちの作業が始まります。
そば粉と小麦粉を混ぜ、水を少しずつ入れながら練ってゆきます。
そのころにベテランの女性講師を紹介され、彼女から訓練を受けることになりました。

一見のお客さん向けの講習ではなく、文字通り実践的な訓練でした。
私以外はある程度の経験を積んだ人ばかりで、自分で道具を出して打ち始めています。
講師の方は、彼等にたまにアドバイスするくらいです。
まったくの初心者は私一人です。

コネ方、空気の抜き方、丸め方の手順がありました。
ほぼ全行程を講師の女性が行い、私はその後に、言われるとおりにまねることしかできません。
そして棒でのす作業へと移行します。
タテヨコと伸ばし、正方形に形作って折り曲げます。
手順はとても覚えることはできません。

折りたたんだそばを切ります。
ここからは率先して切りました。
切ったそばは持ち帰ります。

手順がたくさんあって覚えるまで時間がかかりそうです。
コネ方、伸ばし方にセンスと経験が必要なほかに、力も必要です。
どっと疲れた2時間でした。

打ちあがったそばは持ち帰る

持ち帰ったそばは試食しました。
ゆであがった麺がぼつぼつと切れたことは想定通りでしたが、香りと歯ごたえは想定以上でした。
ほとんど講師の方が打ったそばとはいえ、思った以上に美味しかったのです。
ドロッとしたそば湯も楽しめました。

ゆであがったそば、見た目よりうまかった

ある程度慣れるまで、月2回の講習に通いたいと思いました。

上田トラムライゼで’66年チェコ映画「ひなぎく」を見る

「ひなぎく」  1966年 ヴェラ・ヒテイロヴァー監督  チェコスロバキア 上田トラムザイゼ(デジタル上映)

全く知らなかった映画。
チェコ映画そのものを見たことがなかった。

チェコといえば中欧の工業国。
自動車や戦車を自国で生産できた。
1964年の東京オリンピックでは体操の女子総合で、チャスラフスカ選手が優勝し、その成熟した美しさとともに『東京の恋人』ともいわれた。
チャスラフスカは4年後のメキシコオリンピックにも出場し、個人総合で再び優勝するのだが、この年’68年はプラハにソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が進駐し、自由化に進んでいたチェコのドプチェク政権を葬り去った。
チャスラフスカは国家的英雄としてドプチェク政権に参画しており、その後しばらくは日陰の生活を強いられることになる。

筆者には、’68年のテレビ画面に映るメキシコオリンピックの体操会場で、チャスラフスカが大歓声を受け、片やライバルのソ連選手(クチンスカヤという10代の美少女)が結えないブーイングを受けていた光景を見ていた。

ちらしより

「ひなぎく」は、チェコ自由化の波が生まれつつあった66年に製作された。
政治の自由化に伴う表現の自由への希求を背景に、それでもなお、社会主義国の桎梏、権力者の特権階級化、それに連なるプチブルジョアともいえる上級国民の存在、圧倒的多数の労働者階級の沈黙などなど、過去の負の遺産のが刻印された歴史の影が色濃い。

それを表現するのに、抽象化するのではなく、不条理劇とするのではなく、ファッションでガーリーな二人の少女の行動を通して描くのがこの映画である。

チラシ裏面

2人の主人公の人物像についての説明はない。
二人で住んで、働いているのかいないのか、どうやって生活しているのかわからない。
描かれるのは彼女らの、まったく自由で衝動的な行動だけだ。
金髪の彼女の方は常にひなぎくの花飾りを頭につけている。

金持ちの紳士に取り入り、高級なレストランで食事をする。
今でいうパパ活だろうか。
呼んでいないのにもう一人のほうが勝手にテーブルに座り、勝手にオーダーし、口の周りを汚しながら盛大に食べ飲み続ける。
帰りに駅まで紳士を見送りにゆき、同伴を期待する紳士を列車に残して飛び降りバイバイする。

別な日には、チャールストン風にボードビリアンが踊るキャバレーに乱入し、有閑階級のテーブルの酒をかってに飲みつつ、ボードビリアンのショウを妨害し、ボーイにつまみ出される。

ある日は、蝶の標本を収集する金持ちオタク風の青年の家で、金髪の方の彼女が、標本で隠しつつストリップ風のポーズで青年をおちょくる。

2人の部屋では、天井からぶら下がったソーセージを鋏で切り、食べ、ミルクをこぼしての宴会を繰り広げる。

チラシ裏面

そしてクライマックスシーンでダメを押す。
工場の上階にある貴賓室に侵入し、豪勢なパーテイのために準備されたのであろう、ごちそうや高級なウイスキーを、貪り食い、飲みこぼし、挙句の果てには踏みつけ、なぎ倒しての乱暴狼藉を繰り広げる。
主賓は最後まで出てこないが、共産党幹部のための豪勢な宴会が準備されていたのだろうと思われる。

画面はモノトーンでパートカラー。
モノトーンはセピア調だったり白黒だったり。
短いカットインのポップな流れは、60年代のリチャード・レスター(「ビートルズがやって来る・ヤア!ヤア!ヤア!」)風でもある。
何より二人の女の子の気分に、女性監督の”らしさ”が出ている。
その行動に理由も原因もないという、女性らしさが。

女の子そたちは、社会主義体制が硬直し、権力者や上流階級だけが享楽を独占している硬直化した社会構造の中で、勝手気ままに、それらを粉砕して回る。
いわゆる『反体制運動』よりも過激なアンチテーゼである。

ウーマンリブ的に、男性社会を揶揄した場面もある。
被害者意識むき出しだったり、説得的な抗議をするのではなく、まったくナンセンスで衝動的な行動によって。

ガーリーでポップな感覚の背後には、とてつもない社会的闇と硬直しきった歴史の存在が色濃く匂う。

チャスラフスカが、オリンピックというこれ以上ない表舞台で太陽のように咲き誇った存在だったとすれば、ヒテイロヴァー監督と、勇敢でかわいらしい主演の二人が作った「ひなぎく」は、ひそかに咲いた日陰の花のように自由で感覚的なものだったのだろう。
両者ともに68年に他国から侵入した戦車のによってその尊厳が踏みにじられたのであるが。

この日のトラムザイゼは入場者が7人。
金曜11時40分からの回にしては多めの観客だったのではないか。
この作品に関する潜在的関心の高さを感じた、といえば大げさだろうか。

館内に流れた、最新作「ヌーベルバーグ」予告編。
パリの1959年。
トリュフォー、シャブロル、ゴダールのそっくりさんがでてくる白黒画面。
ジーン・セバーグは、本物より背が高く、声が甲高いが、それ以外の再現度は眼を見張らせる。
「勝手にしやがれ」の撮影風景が再現される。
これはぜひ見たいと思った。

令和8年畑 苗に霜?の害

夏野菜の苗の定植が8割がた終わった5月中旬。
水やりに訪れた山小舎おじさんが茶色く枯れた苗の葉先を発見しました。

カボチャやハックルベリー、ズッキーニ、ヤーコンなど、緩斜面の上流に植えた苗がやられています。
霜の害か?

5月中旬まで霜注意報が出ていた東信地方。
標高1450メートルの山小舎では、鉢植えしたシソとバジルの葉がすっかりやられて茶色く枯れていました。
根っこは生きているのでまた芽が出てきているのですが、生育は”激遅”確定です。

標高800メートルほどの畑にも霜は降りたのか?
朝晩さぞ寒いだろうことは想像に難くないのですが。

葉先が枯れたズッキーニ
同じくヤーコン
カボチャもこの通り

畑を上流から順番に見てゆくと、キューリ、トマト、ナスなどの主力野菜は元気です。
どうしたのか?
下流の方は霜が降りなかった、としか思えません。

元気なナスとキューリ
トマト

いずれにせよ結果オーライ。
葉先が枯れた苗も新しい芽が出てきました。
新しい苗に植え替えなくてもいいでしょう。

トマトが乾燥で葉が黄色くなったものもありますが、自分の根っこで給水していってもらいましょう。

水が好きな、ナス、キューリ、ゴーヤなどにはタップリ潅水します。
うれしいことにジャガイモの芽が出てきました。

ジャガイモの芽

シシトウ、万願寺トウガラシ、セロリ、冬瓜などの苗を買って、追加で定植します。
畝はほぼ苗で埋まりました。

本棚整理で DIY!

居間の書棚には、長野県の歴史・神社仏閣関係の本、農業関係の本、田舎暮らし関係の雑誌や本、さらには管理費、税金などの請求領収証関係、リフォームの資料、別荘地内及び地域の便利帳、パソコン関係のパスワード類などのファイルが数冊。
県内道路地図や名所案内などの冊子類、更には年代順に並べたDVDも一部(1910年から30年代前半の)あってぎっしりです。

片付け前の居間の書棚

2階には子供向けの絵本や、児童文学、図鑑類、国内外の旅行記、などが本棚2基に詰まっています。

片付け前の2階の書棚

今回は、本・雑誌を整理します。
目的の一つは、数冊になった山小舎アルバムを居間の本棚に収容したいこと。
もう一つは、読まない本、いらない本を整理し身軽になること、です。
興味があって入手した本でも、これからの人生で読む量は限られているのです。

まず書棚からDVDを取り出します。
次に読まない書籍を段ボールに詰め込みます。

10冊ほどあった「現代農業」のバックナンバーを、3冊程度を残し段ボールへ。
ファイル類は、毎年の請求領収書やパソコン関係などを残し、本棚下段の扉の中へ。
この扉付き下段には、先代オーナーが集めた黒曜石や土器の破片などが保存されています。
棄てはしませんが、猫に小判のお宝です。

黒曜石
火打石。先代所蔵のお宝?

空いたスペースに山小舎アルバムを収納。
全体的に収容率50%ほどとすっきりしました。
ついでに本棚そのものも動かして、背後のスペースを掃除できました。

山小舎アルバムが書棚に収まった
書棚を動かして掃除もできた
整理後の居間の書棚
整理後の2階の書棚

2階の分も合わせて段ボール6箱分にもなった処分量。
今までなら処分する気にならなかったかもしれません。
これが終活というものなのでしょうか。

ブックオフに持ってゆく段ボール

茅野のブックオフで6500円ほどになりました。

出部屋の土台補強で DIY!

書庫と物置として利用している居間続きの出部屋があります。
戸外作業の際には、サッシを開けて道具類を出していますが、この部屋の土台が沈下して重いサッシが閉まりずらくなったり、外れそうになったりしています。

これまで、サッシの下に土台を支えるプラスチック製の支えを入れて補強していましたが、冬を越すと支えの地盤が凍ったり、解凍したりで緩み、支えが効かなくなります。
そこで現在は車用のジャッキ2基で持ち上げています。
元はといえば母屋側の本式の土台上にない出部屋なので、根本的な沈下の解決は困難です。

この日、出部屋沿いの薪置き場が空になったのを機に、出部屋の床下を覗いてみました。

薪台があった場所。出部屋の土台を設置する

出部屋の土台というのは、途中にコンクリート製の円柱が設置され、サッシ側に山型コンクリート製のものが2基あるだけの構造でした。
居間側は床の木材が居間の土台にかかっているだけです。
また床下には鉄製のブレーキングが2基転がっていました。

ブレーキングをはめ込む

ブレーキングを引っ張り出して出部屋の床下にはめ込み、支えと落ち葉の拭き込み防止にできそうです。
新たな薪の積み込みをする前にこの作業を行いましょう。

隙間がある

床下の土をならし、ブレーキングを縦にはめ込みます。
少し隙間があったので、隙間に板をトンカチで打ち込み、ブレーキングを固定します。
とりあえず、出部屋の側面土台は強化できました。

隙間に板をはめ込む

現状サッシは問題なく開閉できています。
今後、サッシ側の土台を山型コンクリートで補強しようと思います。

ブレーキングをはめ込み手前に薪置き場を設置

久しぶりに上田の街へ

今シーズン初めての上田の街です。
久しぶりに中心部を歩いてみました。

海野町商店街駐車場に軽トラを停め、アーケード街の富士アイスを目指します。
数人の先客がいました。
並んで注文と支払い、あんこ2個、クリーム1個にアイスを頼みます。
すぐにアイスが出て、ベンチに座りながらじまん(”じ”は志に濁点)焼きが出るのを待ちます。

市民に愛される富士アイス

この富士アイス、上田に来始めたころは店の前に路駐の車が並び、お客さんが列を作っていました。
箱単位で買ってゆくお馴染みさんが多い中で、1個注文の客には先に出してくれることもありました。
そのうちに、会計の後に順番札を渡されるようになりました。
焼き台では常に忙しそうにおばさんが働いています。
人気の少ないアーケード街でここだけには人だかりができています。
じまん焼き100円、アイス250円は値上がりしていますが、まだまだ手ごろな値段です。

アーケード街には真田氏に由来のあるお宮があります。
高市神社というそうで、高市総理おめでとう、の幟がかかっていました。
オバマ大統領誕生に勝手にフィーバーしていた福井県小浜市を思い出します。

商店街の高市神社

神社の背後のレトロな建物は、かつて森鴎外が泊まった建物とのことでした。

神社の背後の建物

引き続き中心街を歩いてみます。
コーヒーの木の実も、カレーのベンガルも営業しています。
ベンガルには本日売り切れの札がかかっていました。

喫茶店。・木の実。数年前はコーヒー180円だった
池何正太郎も好んだというカレー・ベンガル

横丁を曲がると相生食堂があったところ。
数年前までは親切なご高齢の夫婦が運営していました。
閉店後は貸店舗の札がかかっていましたが、今でもそのままとなっています。

閉店したままの相生食堂

ぐるっと回って上田映劇のある小路へ入ります。
木造の現存映画館として文化財的な価値さえ持つ映画館がひっそりとたたずんでいます。
NPO法人を運営母体として地元出身の若者が復活させました。
常設館としてほぼ毎日、営業上映しているところに価値があります。

上田映劇の雄姿

この日はロビーにだけ入らせてもらい、映画関係の古本を眺めさせてもらいました。

この日のモギリ当番の若い女性にヒアリング。
レトロスペクテイブや上田に由来のある作品上映の予定は?と聞くと、困った様子でしたが、気を取り直して『「ヌーベルバーグ」という作品を予定しています。50年代後半のヌーベルバーグ運動を素材にした新作です。』とスマホ画面を検索して見せてくれました。
世代が違っても、シルバーのお客にも対応しようとしてくれる、映画好きの若者の感性に触れたようでうれしく感じました。
支配人(上田高校から日大芸術学部卒)はいいスタッフに恵まれているなあ。

これが木造現存映画館だ!
入り口

短い時間でしたが上田の中心街は絶えることなく生命力が続いていました。
山小舎から近い貴重な街でもあります。

5年越しの手前味噌

仕込んだまま放っておいた味噌を開けてみました。

ゆでた大豆に米麹と塩を混ぜて甕に仕込んでおいた味噌です。
日付を見ると2021年3月とあります。
味噌を仕込んだことは当然覚えていましたが、これまでふたを開けようとは思いませんでした。

付近の集落では、昔はともかく『味噌は買った方が美味しいから』と、手前味噌を仕込むのは少ないそうです。
山小舎では2回目の味噌づくりでしたが、最初の味噌は美味しいとは言えませんでした。

甕の蓋を開け、重しを取ります。
真っ黒な味噌の表面が見えます。
ラップとその下の布巾を取り除きます。
黒い表層をはいで見ると味噌色の中味が見えました。
これは大丈夫かもしれません。

甕を開封。重しが見える
重しと、ラップ、布巾を取ったところ

ところどころ白カビの生えた表層部分をお玉でそぎ取ってゆきます。

味噌色の表層が全面に表れるまでそぎ取ります。
味見をすると、ちゃんと味噌の味がします。
これは使えそうです。

黒い部分をはいだ処

使えそうな部分をジップロックに移し、冷蔵庫に保管します。

袋に移して冷蔵

とりあえずみそ汁などで使おうと思います。
美味しければ今年冬にでも新たな仕込みをしようと思います。

5年間使用した甕は水洗いし、1日水に漬けておいたから天日に当てました。

使った甕を洗う

軽トラ流れ旅’26 阿智村の満蒙開拓記念館と大鹿村の山塩(後編)

阿智村で満蒙開拓記念館を訪問した後、もう一つの目的の大鹿村の山塩を求めて移動しました。

その前に昼食です。
ローカルテレビで紹介されたことをメモしておいた村内の『おにひら』という蕎麦屋さんを目指します。

阿智村は名古屋へ向かう国道沿いの村。
国道沿いにはポツンポツンと飲食店があり、道を分けると昼神温泉という県内有数の名湯があります。
国道を名古屋方面に行くと目指す『おにひら』がありました。

阿智村の人気そば店・おにひら

ちょうどよく並ぶ人もなく、混雑もしていません。
客慣れしたテキパキとした接客で、頼んだ蕎麦も比較的早く供されました。
二人前のザルは多めですが、ペロリといただけました。

そば二人前と穴子店を注文

朝早く出て、高速道路を使ったこともあり、時刻はまだ2時前です。
昼神温泉にも立ち寄ってみます。
静かな温泉街を行くと観光案内所がありました。
親切な案内の女性に立ち寄り湯の情報をもらい、一番風情がある温泉場があるという『ユルイの宿・恵山』へ。

昼神温泉観光案内所
ユルイの宿・恵山

相客が一人もいない温泉場で昼神温泉を味わいます。
よくある公営の食堂付きスーパー銭湯のような温泉施設とは違うお湯に満足。
その後の効きが全く違いました。
いいお湯は直ちに心身に作用し、気分爽快、疲労感を吹き飛ばしてくれます。

大鹿村へは飯田から松川まで高速を利用します。
飯田山本インターへ向かう途中に和菓子屋があったので寄ってみました。
阿智村の春木庵という店です。

「柏餅ありますか?」と入店すると元気なおかみさんが出てきました。
和菓子一般と洋菓子も置いてある店です。
どら焼きは置いていない、というおかみさんは話題が豊富でした。

旧東山道がこの場所を通っていた鎌倉時代から、この場所には岐阜地方への峠を望む”中世の駅”のあった話。
戦国時代には領主の武田信玄の死に際しての家臣の活躍を伝える史跡の話。
県南ののんびりした気風と名古屋文化圏の影響が強い話、などなど。
当地の歴史を中心に、おかみさんの話題は縦横無尽に広がりました。

柏餅のほかに、当店オリジナルの銘菓も所望しました。
帰ってから味わったその菓子は、こまやかというか手が込んでいて忘れがたい味覚でした。
再び訪れたい店です。

あまりおいしくて包み紙を取っておいた銘菓・勾玉と、これから食べる栗一つ。.春木庵特製.

和菓子屋を出て、高速道路を松川インターで降り、大鹿村へ向かう曲がりくねった山道へ入りました。
ダンプが頻繁に通り、場所によっては対面通行ができず、どちらかが道を譲りあわなければならない道でした。
その道を大鹿から松川へ通う路線バスも乗用車も走っています。
秘境・大鹿へ至るルートはこの道がメインなのです。

沿線の河川は、積まれた砂利がうずたかく、いたるところにプレハブの建設事務所が建って、ダンプが往来しています。
いつ果てるとも知れないリニア工事の現場がこの山道だったのです。

大鹿村に到着。
2度目の大鹿村は前回同様、ひっそりとたたずむ秘境の気配が漂っていました。
ここには地層の間に海水が流れ込み温泉として噴き出しています。
その塩分を濃縮した塩が作られています。

山塩館という直売所へ行くと、山塩が製造中止とのことでした。
旅館も経営する製造者が、山登りなどで忙しいため、とのことでした。
道の駅には別の種類の塩があるかもしれないとのことで行ってみました。

大鹿村塩の里
山塩は販売終了

道の駅では、山塩とは異なる製法で作られたものが売っているとのことでしたが、この日は売り切れでした。

山小舎で家族に人気の山塩は入手できませんでした。
今後の入手も困難です。

道の駅では『塩畑の塩』が売切れ
やむなくブルーベリージェラートを食す

目的の一つが未達成だったこの日の軽トラ旅でしたが、皆神温泉や和菓子屋のおかみさんなど得難い出会いと、南伊那の気風に触れた旅でした。

帰りは分杭峠越で。対向車は1台のみだった

軽トラ流れ旅’26 阿智村の満蒙開拓記念館と大鹿村の山塩(前編)

新しい軽トラで、高速道路を使って、南伊那の阿智村と大鹿村を訪ねました。

今回の軽トラ旅は、阿智村と大鹿村

阿智村へ行こうと思ったのは、この地に満蒙開拓平和祈念館があるからです。
昨年「黒川の女たち」という満州開拓団が引揚の折にソ連軍へ性接待をした歴史的事実を扱った映画を見ました。
その当事者の女性がその事実を公表したのがこの記念館でのシンポジウムだったからです。

昨年は、舞鶴の引揚記念館を訪れました。
昭和30年代まで、引揚者が上陸した桟橋が復元されていました。
記念館には、満州開拓団の状況と引揚、日本軍人の抑留等に関しての幾多の資料が展示されていました。
館内の雰囲気は、公共的でオープンなもので、日本と日本人の負の歴史ながら公に後世に残さなければならない使命が感じられました。

東京には九段に昭和記念館という施設があります。
映写ホールでは、戦前戦後のニュース映画がデジタル化されて繰り返し上映されており、戦時中や戦後の生活事情などに関する企画展も行われています。
神保町での映画鑑賞や古本漁りの帰路、靖国通りを散歩しながら昭和館によく寄ったものでした。
館内の雰囲気は舞鶴の記念館をさらにパブリックにしたものでしたが、時代性に逆行したコンセプトからか、入場者はほとんどいませんでした。

県内には、長野市松代に松代大本営平和祈念館があります。
松代に今も残る地下壕の存在を知らしめるための資料館です。
有志の団体が興した施設で、展示内容は精密にして正確。
主に県内の満蒙開拓団への関与から、地下壕の掘削の資料展示まで、系列的に戦時の時代の流れが学習できます。
適宜、案内してくれる係の方の真面目で知識深い様子にも好感が持てました。
長野県が満蒙開拓団への参加人数で突出していたことをこの施設で初めて知りました。

「黒川の女たち」は製作者の一途な思いと、当事者だった高齢女性の覚悟と正々堂々とした生きざまが印象的なドキュメントでしたが、観終わって思ったのは、県内の阿智村におある引揚記念館を見なければいけないということでした。

中央自動車道が伊那谷を走っており、岡谷から飯田までは高速道路を使えます。
エンジンが調子いい新軽トラを高速道路で阿智村までを目指しましょう。

和田トンネルを越えて岡谷インターから高速に乗りました。
分岐点で名古屋・東京方面へ入るべきところ、松本・長野方面へ分岐してしまい、次の塩尻インターで下車。
何やってんだ!

校則を乗り間違えた後、塩尻から辰野へ出てコンビニで休憩。ローカル紙のたつの新聞を買ってみる

岡谷へ戻るのもいいですが、塩尻から辰野方面へ下道でショートカット。
伊那北インターで高速へ、松川インターまで行きました。
阿智村までは下道で行くことにしました。

高速では我が軽トラは90キロ平均で爆走。
前を走る80キロのトラックなどを追い越しました。
パワステハンドルの”遊び”と、走行中の”ガタつき”がやや気になりますが、空いている地方高速道路では怖いものなしでした。

松川から阿智村までは途中の直売所で買い物休憩。
五平餅や手打ち生蕎麦などを買い求めました。

松川町の直売所へ寄ってみる
ゲットしたものの一部

途中、飯田の街を通過。
天竜川沿いの低地から伊那谷右手の山すそに広がる飯田の街を眺めて走りました。
長野県もここまで南に来ると、温暖でのんびりした気風が漂うようでした。

阿智村の風景

そしてただり着いた満蒙開拓平和祈念館。
三々五々の入館者がいました。
映像ホールでは、開拓団の入植から引揚までを20分でまとめた映像が上映されていました。
予算の面では、東京の昭和館、舞鶴の記念館に次ぐものを感じました。
高齢の当事者たち10名ほどの証言記録の展示もありました。

記念館の前景
記念碑

帰りに受付してくれた女性に話しかけてみました。
「黒川の女たち」は岐阜県黒川村出身者が当事者だったが、阿智村にこうした記念館ができたのは?
には『飯田に日中友好協会があって、引揚事業や残留孤児の問題にかかわっていた。その経緯から隣の阿智村に立地となった』との返事。

また、「黒川の女たち」にあったような当事者の証言を含むシンポジウムの予定は?
には『かつては行っていたが当事者たちは高齢で参加が不可能。今では当事者参加のシンポジウムは行っていない』とのことでした。

入場券
パンフレットより

満蒙開拓団という日本の歴史上の事実。母親が大正15年生まれというバリバリの戦中派に育てられた我が身には他人事と思えません。

記録を保管、公開するだけでなく、当事者の肉声という人間味が加味されたこの記念館。
貴重な施設でありました。

令和8年畑 夏野菜の苗定植開始

5月の連休後は、春の畑づくりのメインイベント・夏野菜の苗の定植が始まります。

もうあちこちに苗が出回っています。
農協、直売所、道の駅などでは、トマト、ナス、キューリなど全国的に定番の苗のほかに、信州特産のハックルベリー、食用ホウズキ、ルバーブ、ヤーコン、などのほか、落花生、夕顔、冬瓜、かぼちゃの甘龍、などなどの苗が並ぶんでいます。
地元の農家が育てた苗です。

トマト、ナスの苗
落花生
元気そうなキューリ

山小舎おじさんは、茅野農協のほか、依田窪農協、直売所あさつゆ、直売所菜ないろ畑、望月農協、赤坂直売所などで苗を物色します。
遠く塩尻の農協まで出かけることもあります。
なるべく安く、元気のよい、珍しい品種の苗を求めるためです。

この日は苗の定植です。
改めて見た動画サイトでは、苗を選ぶ基準として太く元気なものとし、また定植するときは地温が15度以上になった時に行うこと、掘った穴にタップリ潅水し、ふわっと苗を置き、その後1週間は毎日水やりする、とありました。

ズッキーニを定植
ナスの定植

うちの畑は2週間以上前にマルチしており、地温は大丈夫です。
またこれまでは、定植前に苗に水を吸わせておりましたが、事前の潅水は行わず、定植後もトマトはほとんど水やりなし、キューリ、ナスなどは定植時と畑仕事の際に潅水していました。
そのためか初期の成長が遅れ気味で、ホウズキなどは秋になってぐんぐん成長し、11月になってたくさん実をつけ完熟する前に霜が降りて収穫にいたらずの状況でした、根は人力で抜けないほど張っていましたが。

カボチャを定植

今年は一般的な定植方法を取り入れ、初期の活着と成長を促そうとしました。
トマトも含め、全部の苗の定植前の穴にたっぷり潅水し、そこへ苗を浅植えしました。
蒸散を防ぐため根元を枯れ草などで養生しました。
畑を訪れる頻度を上げ、そのたびに潅水するようにしようと思います(トマト以外)。

定植したナスの根元を養生
定植後は支柱を立てる
トマトの列

苗の選択は、とにかく茎が太く元気そうなものを選びました。
品種的には、例年通りの作物のほか、冬瓜を初めて選んでみました。
また、山小舎おばさんに好評だった落花生を8株ほど植えてみました。
ナスは長ナス、丸ナス、通常のナスを2~6本ずつと、昨年食べて美味かった白ナスを2本植えました。
干瓢づくりのための夕顔も定番です、ジャム用のハックルベリーも。
葉っぱで野草茶を作るヤーコンと、芋をスライスして乾燥させて利用する菊芋も植えました。

一昨年から植わっているルバーブが越冬してぐんぐん伸び、トウ立ちしています。
茎もジャムに使えそうです。

とう立ちしたルバーブ