「文書に見る安土桃山時代」神長官守矢資料館企画展

茅野駅のベルビアという商業ビルの掲示板で、この企画展を知りました。

諏訪大社の神職を務める家系の守矢家に付属する資料館です。
近くにミシャクジ神を祀る本山もあります。
ミシャクジとは、古来の諏訪信仰とは、諏訪の神様とは。
その答えを司る、最も核心的な場所でもあります。

神長官守矢家門
資料館全景

ふだんは守矢家に伝わる古文書や、諏訪大神のお祭りである御頭祭の昔日の模様を再現した展示を行っている資料館ですが、この企画展では、武田家を駆逐し、諏訪地方を支配した織田とその後の豊臣の時代における、諏訪地方と大社の神職らの動向を古文書を通じて読み解こうとするものです。

展示物・守屋家について
展示物・御頭際供物

この時代、初めて地域の部外者の直接的な支配を受け、神長官やらも逃走したりします。
神職らは単なる聖職者ではなく、実効支配者として実力(武力)を備えた権力者として外部の侵入者に敵対するものだったのです。
一方で、明治までは綿々と口伝された呪文により、カミを下ろす霊能者でもあったのです。

企画展全景

織田により、住居、神社までも放火された神長官でしたが、豊臣に支配が変わってからは、文書により、神社の復興と自らの復権を訴えてもいたようです。
まさに一筋ならではいかないところが、歴史なのでしょうし、諏訪大社を巡る時代の流れなのでしょう。

企画展・信長侵攻に際しての禁制を通知する公文

資料館を見た後は、ミシャクジ神をお参りします。
前宮の本殿も質実剛健な気風を感じますが、守屋家に付属?するミシャクジ神本殿も、これ以上ない野趣と寒風に耐えきった素朴さを感じさせます。

ミシャクジ神本殿
清酒と鹿の角が供えられる

県内ローカル新聞の華麗な世界 たつの新聞と大糸タイムス

軽トラで遠出した時に、コンビニの新聞スタンドでローカル新聞を見つけるようにしています。
たつの新聞は、上伊那地方の辰野町に新聞社があるローカル紙です。
伊那からの帰り、辰野町から峠を越えて茅野へ出る途中に、たつの新聞の編集室があって気になっていました。

軽トラで阿智村へ行った時の道すがら、高速道路の方向を間違えて塩尻で降りて下道を走った時に、辰野町・小野地区のコンビニで見かけて入手しました。

この日のトップ記事は、高齢者向け講座と「たまねき祭」の記事。

たつの新聞一面

16面ある紙面は辰野町のニュースのほか、諏訪市、岡谷市、蓑輪町のそれぞれのニュースのほか、テレビ欄だけで4面、読者欄が2面あります。

バラエテイに飛んだ紙面ですが、この日はたまたまなのかパンチがあるニュースが少なく、焦点がぼやけた紙面のような気がします。

富士アイスの広告
岡谷スカラ座は地域有数のシネコンです

白馬へ行ったときに安曇野市内のコンビニで見かけた大糸タイムス5月17日号。
8面とコンパクトな紙面で1部100円。

大糸タイムス一面

トップは大町の西山神社の宮司さんが伊勢神宮で研修し、指導神職となったとの記事。
ほかにも空手の小中生大会で入賞したリ、ガードレールみがきに励む地元住民やら、小谷村で白馬三山の麓で進む田植えの様子、白馬で開催された地元ワインのマルシェなどの記事が明るく元気のある写真とともに紹介されています。

伝統の地元記事から、華々しい白馬地区の観光記事まで彩り豊かです。

軽トラ流れ旅’26 白馬、大町、穂高の旅

すっかり新しい軽トラの走行性能と居住性にはまった山小舎おじさん。
高速道路を使えるので行動範囲がすっかり広がりました。

今度の休みはどこへ?
新緑に北アルプスの雪景色が残り、観光客が少ないという白馬へ行くことにしました。

岡谷インターから長野道で安曇野インターまで。
1000円ほどの高速料金でした。

下りてから穂高神社へお参りします。
山小舎出発が6時半、穂高神社には8時過ぎに着きました。
朝の境内は静謐そのもの、ただし社務所は開いていないので、今年のお札は帰りに寄った時にいただくことにして、先へ急ぎます。

朝8時の穂高神社

穂高から白馬へ向かう国道147号線。
ほぼ直線の道は、元の車が続きます。
雪の北アルプスと水が入った田植え前の田圃の風景が美しくてパチリ。

田植えが済んだばかりの安曇野の風景

松川村を通過して大町市に入ります。
白馬へ向かう車列が続きます。
仁科三湖と呼ばれる湖が現れました。

最初に姿を見せた木崎湖畔に寄ってみます。
湖畔にはカヌーや釣舩などの施設がありますが、観光向けに大規模な開発はありません。
静かな山間の湖です。

静けさに包まれた木崎湖

白馬村に入ったところにある、道の駅・白馬に寄ります。
地酒、ワイン、ワサビ製品などがあり、観光客で賑わっていました。
おいしそうなおやきがあったので、野沢菜と切干の2個を購入。
レジで、あったかいおやきですね、というと『近くに工場があって作ってます』とのこと。
後で食べると、特に切干のおやきが絶妙。
こんなおいしい具のおやきを初めて食べました。

JR大糸線・白馬駅
駅前から北アルプスを望む

そのまま白馬村中心部へ。
駅前にはチラホラとインバウンド客の姿が。
道には、逗留しているとみられる白人のジョギング姿が見られました。
地元のAコープには外人向けの英語パンフレットがズラリ揃ています。
県内では、松本城、善光寺に続く外人の多さでしょうか。

スノーピークランドという場所に寄ってみると、ベンチとデッキに憩う日本人裕福層と白人カップルの姿が、残雪の北アルプスをバックに三々五々見られました。
その優雅で金持ち風のたたずまいは、県内ではほかに見られない雰囲気を醸しだしています。
これが北海道ニセコに次いでの海外人気を誇る白馬の一つの側面なのです。

「スノーピーク」のキャンプサイト
「スノーピーク」のデッキで憩う人々

白馬はまた、トライアスロンなどの近代スポーツの聖地でもあります。
長野オリンピックでジャンプ団体が優勝した記念すべきシャンツエの下には、階段を上り下りして、ロードバイクで車道を走る女の子がいました。

オリンピックのジャンプ会場

折角白馬に来たのだからと、早めのランチは蕎麦でもカツ丼でもなくてハンバーガーをチョイス。
コーヒーと合わせて1700円のランチでした。

ハンバーガー

白馬を満喫?したあとは、信濃大町へ戻ります。
目指すは大町温泉郷と、大町山岳博物館です。
まず寄ったのは、大町温泉郷。
観光案内所で係の妙齢の女性に聞くと『立寄り湯なら薬師温泉がありますよ』とのことでした。

大町温泉郷

薬師の湯は立寄り湯専門の施設。
温泉博物館もあり、当地の温泉の歴史なども展示しています。
黒部ダムの工事によって温泉が噴出したのが始まりとのことです。

源泉だという岩風呂に入るとほかの客はゼロ。
熱い湯からぬるい湯まで浴槽が3つありました。
ぬるい湯で十分に満足。
温泉の成分が身に沁みました。

薬師の湯の入り口

温泉を出て、大町市の市街地近くの山岳博物館へ。
ここは北アルプス(後ろ立山連峰)の、明治以前の峠越のルートの歴史から明治以後のスポーツ登山の発展までが展示されています。
中央構造帯生成の地学の話や、このあたりの動植物の展示、特にライチョウ飼育の経緯などが予算をかけて展示されています。
付属の動物園には生きたライチョウが飼育されていました。

大町山岳博物館
サルのはく製が虚空に吼える
ライチョウが小松菜をつつく

大町から安曇野市の穂高まで南下、穂高神社で新しいお札と足腰のお守りをもらって、安曇野インターから岡谷インターまで高速に乗って帰りました。

今までは列車で訪れただけの白馬に軽トラで行くことができ、行動範囲が広がりました。

久しぶりに上田の街へ

今シーズン初めての上田の街です。
久しぶりに中心部を歩いてみました。

海野町商店街駐車場に軽トラを停め、アーケード街の富士アイスを目指します。
数人の先客がいました。
並んで注文と支払い、あんこ2個、クリーム1個にアイスを頼みます。
すぐにアイスが出て、ベンチに座りながらじまん(”じ”は志に濁点)焼きが出るのを待ちます。

市民に愛される富士アイス

この富士アイス、上田に来始めたころは店の前に路駐の車が並び、お客さんが列を作っていました。
箱単位で買ってゆくお馴染みさんが多い中で、1個注文の客には先に出してくれることもありました。
そのうちに、会計の後に順番札を渡されるようになりました。
焼き台では常に忙しそうにおばさんが働いています。
人気の少ないアーケード街でここだけには人だかりができています。
じまん焼き100円、アイス250円は値上がりしていますが、まだまだ手ごろな値段です。

アーケード街には真田氏に由来のあるお宮があります。
高市神社というそうで、高市総理おめでとう、の幟がかかっていました。
オバマ大統領誕生に勝手にフィーバーしていた福井県小浜市を思い出します。

商店街の高市神社

神社の背後のレトロな建物は、かつて森鴎外が泊まった建物とのことでした。

神社の背後の建物

引き続き中心街を歩いてみます。
コーヒーの木の実も、カレーのベンガルも営業しています。
ベンガルには本日売り切れの札がかかっていました。

喫茶店。・木の実。数年前はコーヒー180円だった
池何正太郎も好んだというカレー・ベンガル

横丁を曲がると相生食堂があったところ。
数年前までは親切なご高齢の夫婦が運営していました。
閉店後は貸店舗の札がかかっていましたが、今でもそのままとなっています。

閉店したままの相生食堂

ぐるっと回って上田映劇のある小路へ入ります。
木造の現存映画館として文化財的な価値さえ持つ映画館がひっそりとたたずんでいます。
NPO法人を運営母体として地元出身の若者が復活させました。
常設館としてほぼ毎日、営業上映しているところに価値があります。

上田映劇の雄姿

この日はロビーにだけ入らせてもらい、映画関係の古本を眺めさせてもらいました。

この日のモギリ当番の若い女性にヒアリング。
レトロスペクテイブや上田に由来のある作品上映の予定は?と聞くと、困った様子でしたが、気を取り直して『「ヌーベルバーグ」という作品を予定しています。50年代後半のヌーベルバーグ運動を素材にした新作です。』とスマホ画面を検索して見せてくれました。
世代が違っても、シルバーのお客にも対応しようとしてくれる、映画好きの若者の感性に触れたようでうれしく感じました。
支配人(上田高校から日大芸術学部卒)はいいスタッフに恵まれているなあ。

これが木造現存映画館だ!
入り口

短い時間でしたが上田の中心街は絶えることなく生命力が続いていました。
山小舎から近い貴重な街でもあります。

軽トラ流れ旅’26 阿智村の満蒙開拓記念館と大鹿村の山塩(後編)

阿智村で満蒙開拓記念館を訪問した後、もう一つの目的の大鹿村の山塩を求めて移動しました。

その前に昼食です。
ローカルテレビで紹介されたことをメモしておいた村内の『おにひら』という蕎麦屋さんを目指します。

阿智村は名古屋へ向かう国道沿いの村。
国道沿いにはポツンポツンと飲食店があり、道を分けると昼神温泉という県内有数の名湯があります。
国道を名古屋方面に行くと目指す『おにひら』がありました。

阿智村の人気そば店・おにひら

ちょうどよく並ぶ人もなく、混雑もしていません。
客慣れしたテキパキとした接客で、頼んだ蕎麦も比較的早く供されました。
二人前のザルは多めですが、ペロリといただけました。

そば二人前と穴子店を注文

朝早く出て、高速道路を使ったこともあり、時刻はまだ2時前です。
昼神温泉にも立ち寄ってみます。
静かな温泉街を行くと観光案内所がありました。
親切な案内の女性に立ち寄り湯の情報をもらい、一番風情がある温泉場があるという『ユルイの宿・恵山』へ。

昼神温泉観光案内所
ユルイの宿・恵山

相客が一人もいない温泉場で昼神温泉を味わいます。
よくある公営の食堂付きスーパー銭湯のような温泉施設とは違うお湯に満足。
その後の効きが全く違いました。
いいお湯は直ちに心身に作用し、気分爽快、疲労感を吹き飛ばしてくれます。

大鹿村へは飯田から松川まで高速を利用します。
飯田山本インターへ向かう途中に和菓子屋があったので寄ってみました。
阿智村の春木庵という店です。

「柏餅ありますか?」と入店すると元気なおかみさんが出てきました。
和菓子一般と洋菓子も置いてある店です。
どら焼きは置いていない、というおかみさんは話題が豊富でした。

旧東山道がこの場所を通っていた鎌倉時代から、この場所には岐阜地方への峠を望む”中世の駅”のあった話。
戦国時代には領主の武田信玄の死に際しての家臣の活躍を伝える史跡の話。
県南ののんびりした気風と名古屋文化圏の影響が強い話、などなど。
当地の歴史を中心に、おかみさんの話題は縦横無尽に広がりました。

柏餅のほかに、当店オリジナルの銘菓も所望しました。
帰ってから味わったその菓子は、こまやかというか手が込んでいて忘れがたい味覚でした。
再び訪れたい店です。

あまりおいしくて包み紙を取っておいた銘菓・勾玉と、これから食べる栗一つ。.春木庵特製.

和菓子屋を出て、高速道路を松川インターで降り、大鹿村へ向かう曲がりくねった山道へ入りました。
ダンプが頻繁に通り、場所によっては対面通行ができず、どちらかが道を譲りあわなければならない道でした。
その道を大鹿から松川へ通う路線バスも乗用車も走っています。
秘境・大鹿へ至るルートはこの道がメインなのです。

沿線の河川は、積まれた砂利がうずたかく、いたるところにプレハブの建設事務所が建って、ダンプが往来しています。
いつ果てるとも知れないリニア工事の現場がこの山道だったのです。

大鹿村に到着。
2度目の大鹿村は前回同様、ひっそりとたたずむ秘境の気配が漂っていました。
ここには地層の間に海水が流れ込み温泉として噴き出しています。
その塩分を濃縮した塩が作られています。

山塩館という直売所へ行くと、山塩が製造中止とのことでした。
旅館も経営する製造者が、山登りなどで忙しいため、とのことでした。
道の駅には別の種類の塩があるかもしれないとのことで行ってみました。

大鹿村塩の里
山塩は販売終了

道の駅では、山塩とは異なる製法で作られたものが売っているとのことでしたが、この日は売り切れでした。

山小舎で家族に人気の山塩は入手できませんでした。
今後の入手も困難です。

道の駅では『塩畑の塩』が売切れ
やむなくブルーベリージェラートを食す

目的の一つが未達成だったこの日の軽トラ旅でしたが、皆神温泉や和菓子屋のおかみさんなど得難い出会いと、南伊那の気風に触れた旅でした。

帰りは分杭峠越で。対向車は1台のみだった

軽トラ流れ旅’26 阿智村の満蒙開拓記念館と大鹿村の山塩(前編)

新しい軽トラで、高速道路を使って、南伊那の阿智村と大鹿村を訪ねました。

今回の軽トラ旅は、阿智村と大鹿村

阿智村へ行こうと思ったのは、この地に満蒙開拓平和祈念館があるからです。
昨年「黒川の女たち」という満州開拓団が引揚の折にソ連軍へ性接待をした歴史的事実を扱った映画を見ました。
その当事者の女性がその事実を公表したのがこの記念館でのシンポジウムだったからです。

昨年は、舞鶴の引揚記念館を訪れました。
昭和30年代まで、引揚者が上陸した桟橋が復元されていました。
記念館には、満州開拓団の状況と引揚、日本軍人の抑留等に関しての幾多の資料が展示されていました。
館内の雰囲気は、公共的でオープンなもので、日本と日本人の負の歴史ながら公に後世に残さなければならない使命が感じられました。

東京には九段に昭和記念館という施設があります。
映写ホールでは、戦前戦後のニュース映画がデジタル化されて繰り返し上映されており、戦時中や戦後の生活事情などに関する企画展も行われています。
神保町での映画鑑賞や古本漁りの帰路、靖国通りを散歩しながら昭和館によく寄ったものでした。
館内の雰囲気は舞鶴の記念館をさらにパブリックにしたものでしたが、時代性に逆行したコンセプトからか、入場者はほとんどいませんでした。

県内には、長野市松代に松代大本営平和祈念館があります。
松代に今も残る地下壕の存在を知らしめるための資料館です。
有志の団体が興した施設で、展示内容は精密にして正確。
主に県内の満蒙開拓団への関与から、地下壕の掘削の資料展示まで、系列的に戦時の時代の流れが学習できます。
適宜、案内してくれる係の方の真面目で知識深い様子にも好感が持てました。
長野県が満蒙開拓団への参加人数で突出していたことをこの施設で初めて知りました。

「黒川の女たち」は製作者の一途な思いと、当事者だった高齢女性の覚悟と正々堂々とした生きざまが印象的なドキュメントでしたが、観終わって思ったのは、県内の阿智村におある引揚記念館を見なければいけないということでした。

中央自動車道が伊那谷を走っており、岡谷から飯田までは高速道路を使えます。
エンジンが調子いい新軽トラを高速道路で阿智村までを目指しましょう。

和田トンネルを越えて岡谷インターから高速に乗りました。
分岐点で名古屋・東京方面へ入るべきところ、松本・長野方面へ分岐してしまい、次の塩尻インターで下車。
何やってんだ!

校則を乗り間違えた後、塩尻から辰野へ出てコンビニで休憩。ローカル紙のたつの新聞を買ってみる

岡谷へ戻るのもいいですが、塩尻から辰野方面へ下道でショートカット。
伊那北インターで高速へ、松川インターまで行きました。
阿智村までは下道で行くことにしました。

高速では我が軽トラは90キロ平均で爆走。
前を走る80キロのトラックなどを追い越しました。
パワステハンドルの”遊び”と、走行中の”ガタつき”がやや気になりますが、空いている地方高速道路では怖いものなしでした。

松川から阿智村までは途中の直売所で買い物休憩。
五平餅や手打ち生蕎麦などを買い求めました。

松川町の直売所へ寄ってみる
ゲットしたものの一部

途中、飯田の街を通過。
天竜川沿いの低地から伊那谷右手の山すそに広がる飯田の街を眺めて走りました。
長野県もここまで南に来ると、温暖でのんびりした気風が漂うようでした。

阿智村の風景

そしてただり着いた満蒙開拓平和祈念館。
三々五々の入館者がいました。
映像ホールでは、開拓団の入植から引揚までを20分でまとめた映像が上映されていました。
予算の面では、東京の昭和館、舞鶴の記念館に次ぐものを感じました。
高齢の当事者たち10名ほどの証言記録の展示もありました。

記念館の前景
記念碑

帰りに受付してくれた女性に話しかけてみました。
「黒川の女たち」は岐阜県黒川村出身者が当事者だったが、阿智村にこうした記念館ができたのは?
には『飯田に日中友好協会があって、引揚事業や残留孤児の問題にかかわっていた。その経緯から隣の阿智村に立地となった』との返事。

また、「黒川の女たち」にあったような当事者の証言を含むシンポジウムの予定は?
には『かつては行っていたが当事者たちは高齢で参加が不可能。今では当事者参加のシンポジウムは行っていない』とのことでした。

入場券
パンフレットより

満蒙開拓団という日本の歴史上の事実。母親が大正15年生まれというバリバリの戦中派に育てられた我が身には他人事と思えません。

記録を保管、公開するだけでなく、当事者の肉声という人間味が加味されたこの記念館。
貴重な施設でありました。

安全祈願! 生島足島神社 諏訪大社上社前宮

山小舎開きの後の恒例は、地域の産土神というか守り神への挨拶と安全祈願です。
産土神、守り神とするには遠方すぎるかもしれません。
上田にある生島足島神社と茅野にある諏訪大社前宮の2社では遠く離れていて地域が違います。

その2社を家内安全の守り神としてお札を祀っているのが山小舎です。
この2社については親近感があるのです。

先ずは上田市塩田地区にある生島足島社へ。
創健年が古すぎてわからない古社です。
地域の人々の初詣、お宮参り、七五三参りなどの場所として親しまれており、7年に一度の御柱祭も開かれます。
鳥居の横に立つ『日本中央』と記された大きな柱が気持ちよく、境内に広がる神池とそれを取り巻く鮮やかな朱色の太鼓橋だったり門柱に古来からの神話と信仰が息づいているような場所です。

何年か前の9月ころ参拝したところ、神楽殿で小学生くらいの巫女さんたちが奉納の舞を舞っており、思わず見入ったものでした。
若い世代にも信仰が受け継がれていることに感銘を受けたものです。

”日本中央”の堂々とした碑が横に建つ大鳥居
種色も鮮やかな柵に導かれた参道

前置きが長くなりました。
本殿にお参りの後、社務所で家内安全のお札をいただきます。
古いお札を返して同じものをいただきました。
生島足島社への初詣でした。

桜が終った神池
太鼓橋越に本殿を望む

別の日に諏訪大社へ。
初詣に行くのは茅野市にある上社前宮です。
諏訪大社四社で最古の歴史を誇る古社中の古社で、全国の諏訪信仰の中心に位置します。
毎年四月に行われる御頭祭では、本宮から神様を迎え、前宮の神殿に鹿の頭を並べて祀ります。
古事記に記された歴史の遥か昔からの神様であるミシャクジを祀ってきた土着の信仰に由来するお祭りといわれ、毎年四月に行われます。

大鳥居を潜ると古い門扉が迎える
狛犬を従えた鳥居を潜る
御頭際が行われる神殿

御頭際が終った前宮は平日ながら三々五々の人出。
諏訪大社四社は全国的な観光スポットです。

鳥居を潜って、御棟祭では鹿の頭(現在でははく製の)を並べる神殿を左に見て、畑と民家の庭に囲まれた参道を上ってゆくと、質素極まりない本殿に着きます。
御柱四本に囲まれ、清流が流れる、自然あふれるお宮です。

本殿へ向かう参道脇には交流センターがあり食事もできる
本殿
本殿脇には清流と御柱

順番にお参りを済ませ、振り向くと眼下に茅野の街々とその背後の八ヶ岳連峰が広がります。
社務所で古いお札を返して新しいものをいただきます。

真新しいお札をいただく

二つの神社で山小舎開きの挨拶と安全祈願を終えました。

令和8年山小舎開きと信州の桜

令和8年4月中旬に、無事山小舎開きの運びとなりました。

スケジュールの立て込んでいる山小舎おばさんですが、物資を運びがてら一泊で山小舎まで自家用車を走らせてくれました(行きはわたくしが運転しました)。

山小舎とその周辺は3月の時よりもさらに春の気配が濃厚でした。
が、東京から来たものにとっては朝晩の寒さが身に染みて、薪ストーブのほかに灯油ストーブが必要でした。

東京へ戻る山小舎おばさんを送ってから、去年暮れに導入した軽トラで、野辺山、小海、佐久のあたりを一周しました。
桜が満開でした。

富士見町のとある集落では、南アルプスをバックに桜と鯉のぼりが華を競っていました。

富士見町内より南アルプスを望む
富士見町内。アルプスに向かって泳ぐ鯉

富士見までくると、八ヶ岳周回ルートを通って野辺山に出たくなります。
清里の別荘地帯には調布市の少年自然の家があるので、様子見がてら寄ってみます。

美し森にある調布市の施設

再び長野県に入り南牧村の野辺山高原に出ます。
直売所にはソフトクリームを食べる観光客がチラホラ。
野菜コーナーでは、山菜のほかはほとんど出品はありませんでした。

南牧村より八ヶ岳を望む

野辺山から海ノ口を経て小海へ、佐久甲州街道と呼ばれる国道を北上します。
沿道の集落は千曲川に沿った古くからの土地です、小海線も走っています。

新しい軽トラの走行は快調です。
沿道には桜が咲いています。
スーパーナナーズによってお惣菜と食材を調達します。

小海町内のお寺にて
小海町の桜

小海駅から千曲川を渡った直売所付属の食堂で昼食です。
この日のランチは完売とのことで豆腐で作ったつくね定食にします。

手作りランチは体に負担がなくて美味

小海線の八千穂駅に寄ってみます。
駅前はきれいに整地されており、カフェとパン屋があります。
このパン屋はローカルニュースで紹介されたことがあり、寄ってみます。

八千穂駅にて

桜の風景を撮影したくて、佐久市の臼田地区にある稲荷山公園に寄ってみます。
ロケットを模した展望台がある公園です。
公園では中学生たちが野外学習かなにかでしょうか集団で遊び回っていました。
通路では一組の家族がお惣菜を食べながら花見をしていました。

臼田の稲荷山公園、ユキヤナギの背後にそびえるロケット
稲荷山公園から国道方面を望む

信州の桜とともに、10年目の山小舎暮らしが始まりました。

五輪久保のハブキフジ

摘み取りバイトをした立科町五輪久保のリンゴ農家で、フジのB品の箱売りがあったので行ってきました。
例年、12月になるとハブキと呼ばれるB品がコンテナ売りされるのです。

B品は、形がいびつだったり、小玉だったり、色づきが悪かったり・まだらだったり、軸の取れかたが悪かったりしたりんごです。
味は変わらないようです。

農家の玄関先につくと、りんごを入れたコンテナが積まれており、箱を入れ替える台が用意されていました。
予約しておいた二箱を受けとり、代金1万円なりを支払います。
領収証を発行してくれるのは、農家の個人事業主としての正しい出納処理でしょう。

コンテナ二箱分を購入
自前のコンテナに入れ替える

15日の打ち上げには参加できないからと、手製の干芋をほんの数枚お土産に渡すと、奥さんが五輪久保特製のりんごジュースを「2本しかないけど」と言って渡してくれました。
摘み取りが終ると、毎年、バイトの人とともに打ち上げを行っています。
かつては住み込みで青森からの出稼ぎを使っていた時の名残でしょうか。

干芋のお返しにもらったジュース

五輪久保からの帰りに一部のフジを自宅に送りました。
持って行ったもみ殻を詰めた段ボールが二箱でしたが、全体の量の半分にもなりません。
翌日、彩ステーションにもひと箱送りました。
東京でも大好評のようでした。

東京への宅配便。もみ殻を使う

松代大本営平和祈念館

長野市松代には戦時中に掘った大本営と天皇御座所があります。
松代の皆神山などの地下を掘り進め、地下壕を作ったのです(天皇御座所は地上にあります)。

今では戦争遺産として保存されており、一部の地下壕は一般公開されています。

なお、長野県は現在の佐久市望月地区に、陸軍士官学校の校舎が昭和20年6月に移転してもいます。

祈念館の玄関

旧大本営地下壕を抱える松代に、平和祈念館ができたということを新聞で知り、行ってみました。

真田家(幸村の実兄を初代当主として幕末まで続いた)を町の名士と仰ぐ松代は、古い町並みが残る町です。
その一角に目指す祈念館がありました。
古民家をすっかりリノベーションしたという建物です。

土曜日ということもあり、受付には数人の比較的高齢の方々の姿が見えます。
運営するNPO法人のメンバーなのでしょうか。

祈念館のパンフ

2階の展示スペースに上ると、当時の世界情勢や、日本の満州移民、戦時下の長野県内などの解説から始まって、大本営地下壕の全体像や労働者の実情、採掘方法までが細かく展示されていました。

時代背景から、県内の戦時体制まで、各々の解説文が通り一遍のものではなく、NPOメンバーが自力で取りまとめ、執筆していることがよくわかるもので、全文読みごたえがあります。

当時の長野県には、退役軍人をメンバーとする在郷軍人会のような組織があり、戦争遂行や満州移民の際に、国に先行して活躍したこと。
満州への移民数と少年義勇軍?の人数が県としては全国一だったこと。
米軍の本土上陸を想定した訓練に長野県が協力したこと、その際の武器は竹やりやスコップだったこと。
などが展示されています。
戦後に県内で発見された、訓練の計画書や貧弱なスコップの実物などもあります。

祈念館のパンフより

ついてきてくれたNPOメンバーさんが、長野県からの満州移民が全国一だった背景を説明してくれました。
当時は県の主力産業だった製糸産業が世界恐慌によって壊滅したこと。
在郷軍人会からの圧力があったこと。
農家の耕地面積が狭く、次男三男は地元にいてもしょうがなかったこと、などです。
映画「黒川の女たち」でもそのことは語られていました。

祈念館のパンフより

メンバーさんはご自身も相当知識が豊かで、当時の県内の背景、雰囲気なども伝わるように解説してくれました。

大本営地下壕の掘削については、労働者の多くが朝鮮人だったが当時の名簿は焼却されて正確なことはわかっていないこと。
大成建設だったかについてはアメリカの国文書館だったかに名簿が残っており、そのコピーが展示されていました。
いずれにせよタコ部屋並みの労働環境だったようです。
もちろん日本人労働者もいました。

松代の観光パンフより
祈念館でピンバッチを100円で購入

NPO法人の真面目な尽力が感じられる祈念館でした。
松代大本営に関する疑問がかなり解消できる資料と知識が詰まった施設でした。

祈念館を出て「ニュー街道一」へ向かいました。
地元で人気の食堂です。
ここ2回ばかりは満員で入れませんでしたが、この日はカウンターが空いていました。
念願のカツカレーをいただきました。

JA松代選果場
長芋一袋1500円

この日の目的はもう一つ。
松代が名産地の長芋です。
選果場はすでに買い物客で賑わっていました。
B品の袋詰めとごぼうなどを買いました。
6月のアンズに続いて、11月の松代は長芋が「買い」です。

この日の北アルプス