地蔵温泉 十福の湯

上田市真田地区と長野市松代地区を隔てる地蔵峠の真田側に立ち寄り湯地蔵温泉・十福の湯があります。

地蔵峠を松代側に下ると、右手に皆神山の独立峰が姿を現す、あの道沿いです。

ある日いつもの真田温泉に立ち寄ろうとした山小舎おじさんでしたが、あいにくその日は真田温泉の休館日。
それではと向かったのがその先にある地藏温泉でした。

駐車場から立寄り湯施設方面を望む

地藏温泉は旅館が建っているような温泉街ではなく、立ち寄り湯施設が一つと付近に別荘が10軒ばかり建つだけのです。

施設全景

駐車場に軽トラを止め、建物に至る坂道を登ってゆきます。
山の中の1軒宿に向かうような風情です。

入館料は750円。
県内最大級の料金設定に不安を覚えます。

よくあるような公共施設ではなく、民間運営の施設のようです。
スタッフに若い人がいて、ロビーにはカフェ、ジェラード売り場、リクラゼーション、食堂、売店、ベーカリーなどの施設が所狭しと並んでいます。
それぞれバリバリの業者運営っぽい構えです。

十福の湯玄関

祖の本気度に期待して風呂場へ。
浴場の広さはほどほど。
露天風呂は・・・。

こんなに広い露天風呂は見たことがありません!
ワイドビューに広がる青空と山の緑が目に飛び込んできます。

お湯もちょうど良い塩梅です。
塩素臭はありません。
お湯と景色と空気の三位一体で存分に癒される、まさに絶好空間です。

すっかり露天風呂が気に入りました。
湯上りのお約束は大広間での休憩タイム。
給水機で美味しい水を飲みながら、座敷に横になって休みます。

地藏温泉・十福の湯。
いいところを見つけました。

原村郷土館

茅野市と富士見町の間に原村があります。セロリの出荷で有名な村で、八ヶ岳山麓に位置し、近年は別荘地としても脚光を浴びています。

原村郷土館という場所に行ってみました。

入り口に藁の道祖神?が待つ郷土館

伝統的な農家を移築したという建物がありました。
馬屋、土間、座敷からなった古民家です。
馬は農耕用で、カイコも飼っていたとのことです。

原村郷土館入り口
厩が室内にある
土間と台所

入り口に立って覗いていると中のおばさんらが、どうぞおあがりくださいと声をかけてくれました。

折角だから、と土間に入り座敷を眺めると、おばさん二人が機織り機の前に座っていました。
愛想のいいおばさん方のトークにつられて座敷に上がり、機織りの様子を眺めつつお話を伺いました。

機を織るおばさんたち

おばさん方は原村の住民。
シルバー人材センターからの派遣で、郷土館の案内と機織りのワークショップを行っているとのこと。
盛んに「原村はいいところですよ」と言いつつ、自分たちの幼いころ、若いころの話と併せて、在郷農家の暮らしぶりを語ってくれました。

古民家ではカイコの換気のため、欄間の部分が開くようになっていたとのこと。
囲炉裏だけの暖房、冷たくなるであろう土間と併せて、冬の室内の寒さが偲ばれる古民家です。

盛んに話しながら、おばさんは10センチ角ほどの織物をたちまち仕上げてしまいます。
予約なしでも来訪者の機織り体験ができるとのこと、縦糸は事前にセッテイングし、横糸も酔いうしてくれるとのことです。

お盆には孫を連れて再訪したいというと、ぜひお待ちしていますとのことでした。

30分もせずに完成した織物

松代温泉 松代荘

長野市松代地区にある松代温泉。
実は山小舎おじさんお気に入りの温泉で、長野や松代を訪れた際には寄ることが多い温泉です。

松代地区の田んぼの中に沸く松代温泉。
源泉は近くの立寄り湯、一陽館のようです。

一陽館は、休憩所(閉鎖中)を持った旅館風の一軒ですが、今は浴室のみの営業。
その浴室も脱衣所はなく、浴槽の脇の脱衣かごで着替え、露天風呂へ行くには一度外へ出なければならない(男湯から)という時代がかった造り。
でも人気があり、源泉かけ流しの湯には他県ナンバーの車両が詰め掛けます。

一陽館から道路一本隔てた場所に松代荘があります。
宿泊施設やレストラン、日帰り入浴者用には休憩用の大広間を備えた一大施設になっています。
今回の松代行きでは、この松代荘に行ってみました。

松代荘入り口

入り口で入浴料600円のチケットを買って入館。
フロントではホテルマンが出迎えてくれます。

泉質は一陽館のそれと同じく、赤茶色に酸化したぬるめの湯です。
効き目も一陽館と同程度のような気がします。
雰囲気は十分にあります。

パンフレットより

入湯後は大広間でゆったり。
ファミリーやカップル客に交じって横になって休みます。

石鹸、シャンプー付きで一陽館より100円高いだけなら、設備が整い浴槽も大きな松代荘もいいな、と思いました。

松代荘レストランメニュー

真田温泉ふれあい真田館

上田市真田地区にある立ち寄り温泉施設、ふれあい真田館へ行ってきました。

真田氏の本拠地であった真田地区。
菅平、群馬長野原方面への入り口に位置する上田市の郊外です。

南向きの斜面に田畑が広がる純農村地帯でもあり、地区の直売所には地区で採れた季節の農産物が並びます。

7月に入ったばかりの雨の日、地区にある真田温泉ふれあい真田館へ立ち寄り、ひとっ風呂浴びてきました。

何年か前にも食事だけに寄ったことがある施設です。
とんかつ定食を給仕口で受け取った後、入浴客が休む大広間で食べたことを思い出します。
その時は関係者用の裏口から入場しました。

ふれあい真田館の正面入り口

今回は正面入り口から堂々の入場です。
入場料は大人500円。
これで温泉プールから、大浴場、大広間、食堂、売店などを利用できるのですからリーズナブルです。

エントランスではアニメキャラがお出迎え。六文銭の旗が見える

温泉は無色透明、かすかに漂う硫黄臭。
地元の人が三々五々集まっている浴室は土曜日の午後ながら空いています。
もちろん、ボデイソープとシャンプー付きです。
露天風呂もあります。

食堂のメニューも豊富だ

ゆっくり温泉に浸かった後は、大広間で休みます。
食堂は17時まで休みですが、給仕口わきにある給茶器から冷えた麦茶などが飲めます。
横になってひと眠り。

周りは地元のファミリーと、将棋をするお年寄りです。
たっぷりと休養できました。

館内には椅子が並んだロビー、農産物、菓子、飲料、雑貨などの売店もあり、ファミリー客などで終始にぎわっていました。

雨の中、駐車場から帰るとき周りのナンバープレートを見るとほとんど全部が地元の長野ナンバーでした。

上田市街からも近いので、いつでもフラッと寄りたくなる立寄り湯でした。

岩波写真文庫 長野県

1955年、昭和30年刊の岩波写真文庫・長野県を手に取りました。

岩波写真文庫はポケット版の写真ムックです。
長野県特集号で144刊を数え、それまでの各刊では、日本国内の都道府県や、山岳、河川、寺社仏閣のほか、文化事象(絵画、彫刻、建築、映画演劇など)、自然事象(動植物、天体、山林など)、産業関係(自動車、化学繊維など)、のほか外国の国土(アメリカ、ソブエトなど)や、外国人文化人(ミケランジェロ、ゴッホなど)までを特集しています。

昔の街並みや暮らしぶりなどの写真が好きな山小舎おじさんは、古本屋で写真文庫を見掛けると、つい手に取ります。
出身地の北海道をフィーチャーした号などが見つかった時は、買ってしまいます。
自分が生まれたころの懐かしい故郷の風景が載っているからです。

長野県の特集号では70年近く前の県内の風景が見られます。
自分で行ったことがある場所のかつての風景もありました。

長野県内はかつての東山道から始まって、中山道、北国街道などの主要街道が通っています。
砂利道時代の碓氷峠や、馬を曳いて往来していた甲州街道の写真にはカルチャーショックを受けます。
主要街道の往来が、自動車がメインになる前の懐かしくものどかな空気感に浸れます。

砂利道の碓氷峠
羊が群れていた美ヶ原
馬車がいた甲州街道

さすが岩波写真文庫と思わせる頁もあります。
長野県が縄文文化の中心地であること、歴史が古く有名な寺社仏閣が多々あることもしっかりカバーされています。

平出遺跡の竪穴住居が、この時代にすでに復元されていた
諏訪大社上社本宮の拝殿
善行寺門前町の参拝客。門前市は小屋掛けだった

産業分野の紹介では、かつての製糸業から発展した精密工業の興隆も押さえています。
時計など精密工業発展の基礎は、製糸業時代のハード(工場施設)とソフト(女工さんの存在)があったからこそです。
こういった県内の産業の紹介は、にわか県民?としてもうれしいものです。

諏訪地方の写真レンズ工場
諏訪湖の漁師も現役だった

今は現代風に変貌したり、あるいは地方の例として寂れ切った街が人で賑わっていた時代の風景もあります。

繁栄ぶりを見せる1955年当時の松本市内

そして何より貴重なのは、当時の山村の風景です。
牛馬が役畜として存在し、婦人が労働の主役として活躍し、子供らが手伝っていたかつての日本の農村。
昭和に生まれ育った日本人のDNAを直撃する原風景です。
いずれの写真も、二度とは戻らない日本の記憶としてとてつもなく貴重です。

農村の女性達。馬車を御し、子守をする。女性の働きなくして農村の繁栄はなかった
子供が牛を曳く。なんという幸福感溢れる景色!

何よりどの写真でも、機嫌よさそうに笑ってこっちを見ている当時の日本人の表情に感動します。

マンガでよむ『諏訪大明神絵詞』

山小舎では普段はテレビがつけっぱなしです。
ある日、ローカル放送のニュースで、「諏訪大明神絵詞」の研究をしている博物館学芸員のことをやっていました。

放送内容は、県内の博物館の女性の学芸員が専門の「諏訪大明神絵詞」をわかりやすくマンガにしてブログで発信していたところ、出版社から声がかかり本にした、とのことだった。

hほほnほんほんcほんcyほんちょ本著本

諏訪大社のおひざ元である諏訪地方。
諏訪大明神、お諏訪様、と呼ばれる存在は身近なものであると同時に、正体不明、謎の存在でもある。
諏訪大社の主宰神がタケミナカタの尊であることは知られているが、古事記のカミであるタケミナカタが本来の科野の神様なのか?
また、諏訪大社の古い古い歴史の中での信仰上の神秘的な流れ、武力勢力との迎合・反発という現実的な流れは一地方の歴史というにはあまりに大河ドラマ的ダイナミズムに満ち満ちており、深い闇にも閉ざされている。

諏訪大明神、お諏訪様、に関心は持っていても原典である「諏訪大明神絵詞」は難しすぎて訳が分からない。
そんな山小舎おじさんにとって、研究者によるマンガ読み下し本は格好の入門書になりそうだ。

テレビのニュースもそこそこに、おじさんは諏訪市にある本屋へ行きました。
郷土本コーナーへ意気揚々と向かうが何度探してもその本はありません。
レジのお姉さんに聞いてみました。

お姉さんもすぐにはわかりません。
ネットを叩いて検索してもらうと、どうやら当該本は書店には流通しておらず、諏訪大社本宮や神宮寺、地域の文化センターでのみ売られているとのことでした。

お姉さんに感謝し、その足で諏訪大社上社本宮へ向かいました。
拝殿近くにあるおみくじ売り場で巫女さんから購入できました。

目次

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」は五味夏希さんという女性研究者による本。
原著のエピソードを女性らしいやさしいマンガで読み下している。
本著で取り上げたエピソードは数編。
マンガからは著者の人柄や、原著に対するリスペクトが伝わってくる。

本著エピソードより

山小舎おじさんが「諏訪大明神絵詞」という存在を知ったのは、こちらも女性著者による「諏訪の神様が気になるの」(2020年信濃毎日新聞社刊)という本でのこと。
その本で繰り広げられていたのは、古事記や絵詞からの、国譲りなどの神話の世界や、諏訪大社を巡る大祝、神長官、ミシャクジといった神官の世界。
とても神秘的でおどろおどろしくもあり、また一方で血なまぐさくもあるものでした。

「マンガでよむ諏訪大明神絵詞」では本来の絵詞が持っているであろう、血なまぐさい権力争いの歴史は採録されてはいません。
一方で、ほのぼのしたエピソード、ありがたい仏様やお坊さんのエピソードが採録されています。

著者のやさしいマンガからほのぼの感が伝わってくるのですが、よく内容を読めば、厳しい信仰の世界や、カミの厳しさが読み取れるのかもしれません。

長野市立博物館春の企画展「皆神山をとりまく世界」

塩尻の平出博物館に行ったときに、長野市立博物館のチラシがあったのでもらってきた。
「皆神山をとりまく世界・パワースポットの源流を探る」企画展という大変興味を引くチラシだった。

企画展のちらし

今は長野市と合併した旧松代町。
上田側の真田地区から地蔵峠を越えて下りてゆくと、右手に低い独立峰の皆神山が見える。
道路の分岐点には「日本ピラミッド」という標識が立っている。

ピラミッド?
そう、オカルト方面でも有名な山。
昭和時代の松代群発地震の震源地?ともいわれた。

車道があり短時間で行ける皆神山山頂には、古くからの神社が建ち、近年のオカルト一派のものも含めた様々な記念碑も見られる。
パワースポットとして全国的に有名な場所となっているようだった。

長野市博物館での企画展。
とうとう博物館というアカデミズムもスピリチュアルの世界は無視できなくなったのか?と一人合点した山小舎おじさん。
はるばる長野市まで出かけました。

長野市博物館常設展示物

川中島合戦場にほど近い公園内にある長野市博物館。
善光寺平東方に広がる山塊をバックにした池のほとりに建っています。

三々五々散歩する市民。
絵画のようなこういった風景に接するたびに「地方っていいなあ」と思う山小舎おじさんです。

川中島古戦場公園

モダンな建物の博物館内へ入ります。
入場料300円は良心的。
今はマスクも強要されません。

博物館の入り口

常設展示室では写真撮影可能。

善光寺平のジオラマに迎えられた入場者は、松代地区に近い博物館ならではの地震観測コーナーを経て、石器時代から以降の歴史をレイアウトするコーナーへと導かれます。

善光寺平のジオラマ
石器時代の幕開け
竪穴住居の模型

県内の博物館へはよく行きますが、都市部の博物館をのぞき人気がないのが普通です。
が、さすが長野市、日曜ということもあり家族連れの気配がするところもうれしく感じられます。

竪穴住居や古墳を復元した模型を大掛かりに展示したり、古代の生物や石器人の模型をレイアウトしたり。
メリハリの利いたポイントを強調した構成が目を引きます。

善行寺周辺の仏像
川中島合戦コーナーの展示

長野ならではの善光寺と仏教文化のコーナー、川中島の合戦のコーナーもあります。
信州の都の博物館として、アピールすべきところをよくわきまえています。
展示された仏像にも迫力を感じます。

順を追って展示物を見てゆくと、信州という場所が石器時代、古墳時代から東日本の一つの中心地であり、その歴史の必然として、仏教の中心地たる善行寺や、諏訪大社の信仰が興て近世に至る流れがあることがわかります。

藁で作った道祖神
花火と大筒

企画展「皆神山をとりまく世界」

この日の企画展は、皆神山と川中島合戦に関するふたつ。
それぞれ一室にレイアウトされていました。
撮影禁止です。

企画店入り口。これより先は撮影禁止

皆神山に関する展示は、山を取り巻く地域の寺社の仏像など。
昔から皆神山は修験者の山。
オカルトの下地はあったようです。
展示物にオカルトの匂いは全くありませんでしたが。

松代は、戦国時代に上杉が信州攻略の前進基地としての松代城を築城した場所で、徳川になってからは明治まで真田氏が領主を務めた場所。
戦時中に大本営の移転場所が作られたり、特別な場所だったようです。

いろいろと勉強になった長野市博物館への旅でした。

塩尻市立 平出博物館

切通しの中ごろに博物館はあった。
縄文の世界が残っていた。

塩尻市郊外の平出博物館に行ってきた。
5000年の時を奏でる縄文遺跡の中にそれはあった。

博物館へのルートは塩尻市街地を抜け、住宅地から田畑の広がる低地を走ると、道は山すそへと至りやがて切通しを通る。
右手に岩をくりぬいたような奇景があったと思うと、緑滴る木立に博物館が建っている。

周りは縄文遺跡。
竪穴住居が復元され、古墳が発掘保存された公園になっている。

縄文時代から平安時代にかけての大集落跡があるという平出地区。
今では塩尻郊外の農村風景が広がっている。
土器や遺物が畑から出土したという。

係の人が一人しかいない博物館。
出土したという五重の塔に驚かされる。

館内を見てゆくと立派な銅鐸や鳥型の硯の出土品がさりげなく展示されている。
これって国宝に近い出土品なのではないか?状態もいい。

ゆっくり館内を見て外へ出る。
折からの雨模様。
係の人は雨だったら傘を貸しますよ、と言ってくれる。

竪穴住居の復元。
古墳の保存。
人気のない公園内を歩く。
保存状態の良さがうかがえる。

茅野の尖石遺跡もいいが、塩尻の平出遺跡も地元が力を入れて保存しているのがわかる。

手書きのマップをもらう。
今度はこのマップを片手に半日ゆっくり歩いてみたいと思った。

絢爛!県内ローカル新聞 「市民タイムス」

県内を歩いていてコンビニに入り、新聞ラックを見たとき、そこにあるのは全国紙だったり、スポーツ新聞だったり、あるいは県最大の信濃毎日新聞だったりします。
が、地域によっては見たこともないローカル新聞が売られています。

塩尻のコンビニで売られていたのは「市民タイムス」という新聞。
買ってみました。

「市民タイムス」令和5年5月14日。第一面

松本に本社がある市民タイムス社は、安曇野、塩尻に支社があります。
松本安曇野地域をカバーする新聞のようです。
月ぎめ2130円、1部売り100円です。

地域別のニュース欄。朝日地区のトップニュース。

トップ記事の早乙女姿の娘さんによる田植え姿の写真がインパクト大です。
安曇野市の神社の式年遷宮祭の記念行事とのことです。

神仏が息づき、神事が行われ続ける信州らしさを感じます。
年配の方は田植えのことを「お田植絵」と言ったりする土地柄です。

ほかのニュースでは、AC長野と松本山雅のサッカー信州ダービー対決をのぞき、ほとんど地域のローカルニュース。
全国で話題になっている事件が一切出ていないのが心地よいです。

子供向けのページもあります

「口差点」という読者投稿欄には94歳になる神奈川県在住のご婦人による、松本蟻ケ崎高校(女子高)時代の思い出がつづられていました。
当時女子学生のあこがれだった、旧制松本高校生。
その松本高校には、のちの小説家・辻邦生が在学しており、演劇祭でスターだった由。
辻に憧れた演劇女子高生だったご自身の思い出を記されています。

松本高校の青春については、北杜夫「ドクトルマンボウ青春記」に印象的に描かれていたことを思い出しつつ、このご婦人の投稿を興味深く読ませていただきました。

投稿欄「口差点」

地域の市民向けに発行されている「市民タイムス」。
これからも貴重なニュースを発信し続けてほしいものです。

この日の広告より

諏訪湖の浮城 高島城

桜の季節が終わった頃の雨の日、諏訪市にある高島城へ行ってきた。

秀吉の家臣が築城。
のちに関ケ原の戦いで戦功を得た地元諏訪氏がの居城となったお城。

かつては諏訪湖に面し、湖畔に浮くように建っていたという。
明治維新で廃城となり、天守閣なども壊されたが、昭和40年代に地元の募金によって天守閣が復元されたという。

高島城

お濠には名残の桜の花びらが残っていた。
門をくぐり城内へ。

普段は市民が三々五々集まる城址公園には人の姿はなく、八重桜と枝垂桜が花見シーズンのラストを飾っていた。

市内中心部に立派なお濠がめぐらされている
お濠に浮かぶ名残の桜
お濠を渡って城内へ、冠木門をくぐる
場内は公園になっている。八重桜が咲いている

天守閣へ登ってみる。
3階建ての閣内。1階と2階は高島氏の歴史、郷土史などを展示する博物館になっている。

3階が展望室。
この日は雨で諏訪湖方面は展望が効かず、もちろん富士山なども霧の彼方。
晴れた日の展望は絶景であったろう。

高島城天守閣
城内には諏訪市の遺物などが展示されている
3階の展望室から望む。諏訪湖方面は霧にむせぶ

1、2階の展示室には、甲州街道の錦絵のレプリカがあり、当時の凍った諏訪湖の湖面を歩く旅人の姿等が描かれていて興味を誘った。

歴史を感じるお濠。
諏訪湖方面をバックにそそり立つ天守。
落ち着いた城内公園。
諏訪の歴史と分化を味わえる場所だった。

お濠岸に見る天守閣
城内にある諏訪護国神社。もちろん御柱が立っている