軽トラ流れ旅’26 高山村、須坂の旅

信州に居住し10年目の山小舎おじさん。
これまでに、野沢温泉、渋温泉、奥蓼科温泉、松代温泉など個性派温泉を訪れました。
ふと思ったのは、『高山村の山田温泉の古民家風の立折り湯には、まだ入ってないなア』でした。

或る木曜日、朝8時前に山小舎を軽トラで出発して高山村を目指しました。

高山村 山田温泉

夏を迎えた信州の景色を菅平まで飛ばします。
菅平はスポーツ合宿の真っ盛りでした。
そこから須坂を目指して長い坂を下ります。
そこから高山村への標識に従って、田んぼや果樹園の中を北上します。

高山村の集落を過ぎ、秋川渓谷に沿って登ってゆくと山田温泉です。
旅館と土産物店が静かに並ぶ温泉街の県道112号線沿いに大湯があります。
野沢温泉の大湯、渋温泉の大湯、別所温泉の石湯などと同じく、大湯の建物は歴史を感じさせる外湯です。

山田温泉の外湯・大湯

大湯の前に、秋川渓谷の最深部に湧く七味温泉の無人の立寄り湯を見に行きます。
紅葉館という湯質抜群の旅館が管理する「野天風呂」という湯小屋です。
『休業中』の看板がぶら下がていました。
帰ろうとすると軽トラがやってきて関係者と思しき男性が降り立ちました。
聞いてみると『入れますよ』との返事でした。
この日の目的は大湯なので、深謝して立ち退きました。
ここのお湯もいいお湯です。

七味温泉の外湯。野天風呂。無人、投げ銭方式

元来た道を山田温泉まで戻ります。
夏の日差しの中、観光客がチラホラ見えます。
大湯の建物に入ると、番台には30代とおぼしき女性が座っています。

400円を支払い入湯。
ヒノキ造りの浴室と浴槽は期待通りです。
無人の湯殿でゆったり過ごします。
湯温は熱くもなく、ぬるくもなく。

洗い場のカランは、樋と堰が木製という前代未聞のものでびっくりしました。
椅子と桶を除き、オール木製の浴室でした。

大湯の正面玄関

上がってからロッカーに納めた貴重品を出そうとして鍵を入れますが、鍵が回りません。
先客が取り忘れた硬貨が、開錠を邪魔していたのでした。

拾得物の100円を番台に届けがてら高山村の情報を聞きます。
この日の目的の一つは、高山村の農協で売っている紅玉シードルだったのですが、この日は農協の選果場が休みだったのです。
『村内の藤田屋酒店というところは品ぞろえがいいですよ。村内のカフェには地元の野菜を置いているところもあります。』とのお姉さんの返答。

また山田温泉の旅館についての問いかけにはの問いかけには『宿泊料が高いが、リピーターの多い山田館と、将棋の藤井聡太が対局した藤井荘という旅館が人気ですね』とのことでした。
また高山村はインバウンド客が少なく(混雑していない)とのことでした。
ほかにも子安温泉が建物の改築で休業中など、聞けば聞くほど様々な情報があふれ出てくる方でした。

天田温泉の温泉街

高山村 子安神社、藤田屋酒店

大湯の番台のお姉さんに教えられた酒屋に向かう途中に子安神社がありました。
帰りに寄ってみようと思っていた雰囲気のある神社でした。

高山村、子安神社

軽トラを下りて人気のない境内をうかがうと、全国にある子安神社の中でも最も風格のある神社との由緒書があります。
現在もなお、日々の手入れと信仰がうかがえる神社です。
鳥居を潜って本殿にお参りしますが、賽銭箱がありません。
鍵のかかった本殿内部にあるようです。

本殿

お参りの後、境内で周囲を見渡すと、狛犬の背後に夏の青空と秋川渓谷の山々が広がっていました。
やはり民間信仰の場所はいい立地に建つのだなあ、と風景に見入りました。

風景を境内から望む

番台のお姉さんに教えられた酒店へ寄ります。
この店は県道を走っていても目立ちます。

店内は、地元のワインなどを前面にフィーチャーしたレイアウト。
聞けばいくらでも情報提供してくれる若店主がいます。
選果場で売っている紅玉のシードルのことを聞くと、「農協で作って売っているシードルかな。ほかでは売っていません」といって別の地元産のシードルを出してきます。
紅玉、フジなどの混合とのこと。

『山田温泉から来られた方ですよね?』というので聞くと、酒屋さんに山田温泉から連絡があったとのこと、あのお姉さんが電話したのでしょうか、『紅玉のシードルを探している高齢のおじいさんが行くかもしれない』と。

大湯の番台のお姉さんの地元愛の強さとともに、地域のネットワークの深さというか、強さを感じました。
結局農協さんのシードルは手に入らなかったのですが、此方にあったシードルのほか、地元産で限定流通の白ワインの2024年産と2025年産をいただきました。

購入した村内限定ワイン

須坂市役所食堂

テレビのローカル放送は貴重な情報源です。
日々のローカルニュースのほか県内の食や名産品に関する情報番組を見ていると『これは!』と思う情報にぶち当たります。
それらをノートにメモしておき、行きたい場所や食べたいものをチェックしておきます。
今年になってからのノートに、『須坂市役所食堂』のメモがありました。

テレビ番組の内容は忘れてしまいましたが、今時珍しい市役所食堂の繁盛と工夫がフィーチャーされた番組だったと記憶しています。
今回の旅のランチは須坂市役所食堂にしました。

炎天下の須坂市役所駐車場に軽トラを乗り入れます。
案内を乞い地下の食堂へ。

気になったのは道順を答えてくれた昼休み中の女性職員が、『予約がないと食べられませんよ。メニューはお弁当しかありませんよ。』といったことでした。
どうも雰囲気が違います。

須坂市役所全景

地下一階に下りて食堂を探します。
市役所の地下というと、コンクリートがむき出しの無愛想な作りなのは須坂市役所も同様です。
キョロキョロしていると、立っていた女性が『食堂ですか。予約は?』と聞いてくれます。
予約なしだというと、テーブルで食べている男性グループに『これは予約なしの分?』と確認し、残っている弁当を指さしました。
自販機で食券を買い、所定のケースに入れるとのこと。

地下一階の食堂入口

どうやら食堂は無人化し、メニューは550円の弁当一種類だけ。
それも事前予約した分が主で、一般のフリーな客向けの個数を若干あるだけ。
お茶は自販機のペットボトルを購入、というもの。

食券販売機

窓のない地下の食堂には若い職員のグループが数組と一般の高校生などが三々五々。
かつて食べたことがあった塩尻市役所の食堂を思い出しました。
あそこもメニューは弁当一種類だけ、ただしおじさんが一人立っていて、ご飯を詰めてくれましたっけ。

この日のお弁当

6月15日から現行の体制になったとの張り紙がありました。
来るのが遅かったようです。
もう日本では、役所の食堂に『安かろう、うまくはなくても、だれでも便利に利用できる』スタイルはなくなったようです。
地元調布の市役所食堂もだいぶ前に撤退したのです。
もう須坂市役所に来ることもないでしょう。

断り書き

須坂鈴木養蜂店

これも高山村つながりなのですが、かつて家族で七味温泉の紅葉館に一泊したときに、朝食で出てきたはちみつ(ヨーグルトにかけられていた)の味に感激したことがあります。
入手先は須坂市内の鈴木養蜂店とのこと。
それ以来鈴木養蜂店のはちみつのファンです。

須坂市内の店舗

もう新密が出回った頃か?と須坂市内の同店に寄りました。
店は開いていました、はちみつの新物も並んでいます。
ですがいくら声をかけても反応がありません、いつもいる女性の店番もいません。
仕方なく不在時の電話番号に電話すると主人が『あと5分で戻る』と返事がありました。

如何に人気の少ない須坂の商店街とはいえ、開けっ放しで留守にするとは不用心です。
不良外国人に知れたら一網打尽にされかねません。
この地方では果物の被害はすでに毎年の例でしょうし。

百花と蓮華の新物を買い求めつつ、採蜜が本職の御主人とトークです。
『日本ミツバチはどんな花からも蜜を集めるので味が混ざって美味しくない』
『熊は昔から巣箱を食べにくる、ラジオが一番防ぐ効果がある。毎年の被害は想定内』
『一時期ハチが少なくなって、農家の作物の授粉用に貸し出しができなかったこともあった』
『ズッキーニの授粉は朝早い。ハチがいないと自然受粉は困難』などなど楽しい話が聞けました。

養蜂店前の看板

はちみつ2瓶と湯の花を購入。
いつものようにかりんとうを一袋おまけに入れてくれました。

2026年産の百花はちみつ、菜の花はちみつなど

県内の弘法山古墳が日本最古級か?

7月4日の信濃毎日新聞の記事です。
たまたま買った同紙に気になる記事が載っていました。

松本市の国史跡「弘法山古墳」が発掘調査の結果、日本最古の古墳の一つであることがわかった、とのことです。

2026年7月4日付信濃毎日新聞より

これまでは3世紀末から4世紀初頭にかけての構築で、東日本最古級とされてきたのが、50年程さかのぼるというのです。
大和朝廷設立以前の構築といい、大和朝廷の影響下にあるものではなく、東海地方の影響下に増築されたものだといいます。

信州が石器時代の列島の中心地のひとつであり、黒曜石が発掘され、列島の隅々はおろか、大陸まで流布していたことは歴史上にオーソライズされています。

また、古墳の現存数が全国のトップクラスであることも事実であす。
千曲市にある森将軍塚などは、巨大な前方後円墳できれいに整備公開されており、見てびっくりしたことがあります。
ただし、この古墳の主は特定されておらず、地域名である「森」を、便宜的にその名に冠している状況です。
このように現在の所在地域名を冠した古墳は県内にいくつもあるようです。
全国有数の古墳数を誇りながら、あまりに歴史的解明が進んでいないではありませんか。
日本史における「東国」の、解明の遅れというか蔑視ぶりがうかがえます。

諏訪大社の起源や縄文時代の遺跡を見ても、県内に大和朝廷以前の、また日本書紀神話以前の文化文明があったことは事実です。
そのことが3世紀後半以降の中央集権勢力にとって都合が悪かったのでしょうか。
その流れをくむ、現在の日本の権力構造にとって、日本書紀神話を覆す歴史的事実はオーソライズしたくないのでしょうか。

今回の弘法山古墳の記事もおそらく全国に広まらないままとなる気がしてなりません。

軽トラ流れ旅’26 あゝ野麦峠

7月に入っての流れ旅。
岐阜との県境にある野麦峠へ行ってきました。

野麦峠はかつて、松本や諏訪と飛騨を結ぶ主な峠道でした。
小説と映画の「あゝ野麦峠」の舞台です。
飛騨地方の娘たちが岡谷の製糸工場へ雇われていったときの通り道です。

深い山を分け入るルートで、現在では車道が開通していますが、通行量はほとんどありません。
長野と岐阜の行き来は、ここより北にある安房峠と安房トンネルが一手に引き受けているようです。

工女たちが通った古の峠道を見たくて、朝の時前、野麦峠に向けて出発しました。

中山道・奈良井宿

山小舎から野麦峠へは、まず、塩尻へ下りて国道19号線を南下します。
塩尻の町を過ぎ、郊外の葡萄畑が広がる景色を過ぎると、道は山へ分け入ってゆきます。

国道19号線を行く

中山道(国道19号線)の宿場の一つに奈良井宿に通りかかります。
明治以前の景観が保存されている宿場です。

中山道奈良井宿

狭い間口の家が、つながるように並んでいます。
格子戸や窓を持った家々です。
その景観は時代劇映画のセットのようです。
現在は、住居のほか、宿だったり蕎麦屋カフェだったり、漆器を売るお土産屋などとして利用されています。

奈良井宿の景観

見事な景観ですが、江戸時代から変わらず保全されていたわけではなく、昭和の末期に、景観保全の補助金が出るようになってから、外観を改築・整備したとのことです。
各戸の申請を国が審査して補助金が下りるまで2年くらいかかったそうですが。

営業している建物が多い

田圃が作れず、木材など山の産物があるだけの土地なので、たまたま近年まで多くの景観が残っていたこともあったのでしょう。
今ではインバウンドも含む観光地となっています。

店の前で立ち止まるインバウンド

木祖村、松本奈川を通って野麦峠へ

奈良井宿の観光を終え、駐車場のおじさんに野麦峠までのルートを聞きます。
「野麦峠?お助け小屋に行くの?」と言って詳しいルートを教えてくれます。
「今日はどこまで行くの?岐阜の方へ下りちゃったら?乗鞍に行くの?スーパー林道通るんだね?」と地元情報満載の受け答えです。

ここから先は、道路標識があまりないルートです。
おじさんに教わった通り、国道から県道に入ります。

木曽川の源流の村をキャッチフレーズにしている木祖村を通ります。
地元のスーパーがあったので寄ります。

スーパーで買った助六寿司
葉っぱに包んだあんこ餅。4つで230円ほど

海苔巻きとお稲荷さんのパックとタケノコに煮物を買います。
木の葉でくるんだ珍しいお餅があったので買ってみます。

ぐっと交通量の減った県道を行くと、境峠というなだらかな峠道を越えて松本市奈川地区に入ります。
山に囲まれたひっそりとした地区です。
奈川からは野麦峠までの1本道に入ります。
両側から山が迫り、対向車もなくひっそりと湿った山道が続きます。

やがてロードサイドに、石をアーチ形に組んだトンネルのようなものが見えました。
軽トラを止めて案内板を見ると、冬の野麦峠越えの旅人を凍死から守る室とのこと。
かつての峠越えの厳しさがうかがえます。

峠道の石室

帰りはこの道を引き返すのか?と暗い気持ちになっていると峠に到着しました。
ここからは岐阜県です。
広めの駐車場とトイレがあります。
あゝ野麦峠のモチーフを模した像が建っています。
少し離れたところに「お助け小屋」があります。

峠に建つ像
お助け小屋全景

古民家のような造りのお助け小屋は、広い座敷と食堂、展示室を持った木造の建物です。
展示室には映画「あゝ野麦峠」の資料、出演者の色紙などが展示されています。
野麦峠を行き来して黎明期の日本資本主義を支えた工女たちを題材にした絵画も展示されています。

展示室
山本監督らのサインも
展示室の絵画とマネキン

折角なのでほかに誰もいない食堂で蕎麦を注文。
食堂に展示されている映画のロケ風景を模した水彩画などを見乍らいただきました。

食堂の正面に明治時代の女性の写真が飾っているので食堂のおばさんに聞きました。
彼女こそが「ああ野麦峠」のモデルとなり、映画では大竹しのぶが演じた政井みねという工女さんなのでした。

食堂にかかる、政井みねさんの写真
お助け小屋のそば。具には地元の漬物が乗っている

お助け小屋から10分程度で登れる展望台へ行きました。
政井みねさんが故郷の飛騨を、亡くなる前に一目遠望したという場所だそうです。
観音像が立っています。

展望台の観音像
展望台から望む飛騨の山々

乗用車とバイクが常に数台入れ代わり立ち代わり停車している駐車場を出て元来た道をたどりました。
来た時の登りよりはずっと楽に行けました。

乗鞍高原温泉の濁り湯

野麦峠からの帰り道は松本経由のルートにしました。
奈川に下りてから北上し、松本郊外に出て山形村、塩尻を経て帰るのです。
その前にまだ行ったことのない乗鞍高原に、少し遠回りして寄ることにします。

奈川地区から乗鞍高原へ

ダム湖を見てトンネルをくぐると乗鞍への分岐点に出ます。
山に分け入る道ですが、野麦峠への道よりはずいぶん開けています。

上高地へ向かう沢渡や、駒ケ岳登山口のように、マイカー乗り入れを禁止しシャトルバスで登山客を運ぶスタイルの乗鞍高原。
広い駐車場に軽トラを止めます。
県外ナンバーの自家用車や自転車で遠乗りした人などの姿が見えます。

観光センターで情報入手
雪が残る乗鞍岳

湯けむり館という立寄り湯に寄ります。
白濁したお湯の硫黄臭さがいつまでも体に残りました。
ぬるくていつまでも入っていられるお湯でした。
白骨温泉に似ていました。

立寄り湯へ



映画「あゝ野麦峠」

手許に1979年制作の映画「あゝ野麦峠」のパンフレットがある。
山本薩夫監督、大竹しのぶ主演の東宝配給作品だ。

映画のパンフレット。裏表紙には当時の若い大竹しのぶの姿

クランクインを野麦峠ロケで行い、東宝撮影所内に岡谷の製糸工場を再現したとのこと。

糸とり作業を演じる、手前から大竹しのぶ、原田美枝子、友里千賀子

冬の峠越のシーンでは岐阜県側の地元の中学生も参加したとのことである。

峠越のロケシーン

北信濃新聞 全国高校野球長野県大会・北信濃2チーム特集号

栄村へ軽トラ旅をした帰りにコンビニで「北信濃新聞」を見掛けました。
買ってみると夏の甲子園の県大会増刊号でした。

北信濃新聞6月27日号 280円

県大会のトーナメント表の裏には、北信濃地区から出場する2校の選手と監督、主将、注目選手、マネージャーが紹介されています。
飯山高校と、下高井農林高校のメンバーです。

トーナメント表

飯山高校は春の甲子園に二十一世紀枠で出たことがありましたね。
千曲川と並行して走る国道117号線から見える場所にある県立高校です。

初戦はしんきん諏訪湖スタジアムで、対諏訪青陵戦です。
ベンチ入りメンバー選手の出身中学名も紹介されているところが、地元向け新聞の良さですね。

飯山高校の紹介
マネージャーさんから
下高井農林の紹介
マネージャーさんから

他にはこんな記事がありました。

地元の人物紹介
地元の風物詩

地元色豊かな広告もあります。

とら食堂は須坂で人気の食堂
自動車修理工場の広告も地元ドライバーの心配をフォローしたもの

軽トラ流れ旅’26 新潟県境の栄村へ

新しい軽トラがきてから、快調なエンジンと、パワーステアリングのおかげで行動範囲が広がっています。
この日はかねてから行きたかった栄村を訪れました。
野沢温泉村の北隣り、新潟県津南町と境を接する村です。

秘境ブームの一端を支えた、秋山郷を抱える村でもあります。
今回は行きませんが。

移動時間節約のため高速道路を大胆に使います。
山小舎からは坂城町に下りて、上信越道に乗ります。
朝7時の出発は思いのほか効率がよく、2時間程度で栄村最寄りの豊田飯山インターに到達しました。
もう一つ先の信濃町インターまで行き野尻湖を見ることにしました。

野尻湖

野尻湖は、山小舎おばさん由来のYWCAの施設があった場所で、かねてから話を聞いていました。
俗化していない景色を期待して湖畔まで行きました。

野尻湖畔の船着き場

周遊の遊覧船が2隻浮かんでいて、湖畔から土産物屋、宿泊施設が並んでいます。

奥まった神秘的な場所というよりは、人気のない寂しい雰囲気です。
30年ほど前には秘境ブームで栄えたのが、若い人が去り寂れてしまったような景色です。

それでも湖水は透明でした。
沖合には多数のボートが浮かび、釣り人が糸を垂れています。
ブームが去った後に作られたような宿泊施設には、それなりの観光客が来ているようでした。

対岸の神社と釣り人

飯山・花の駅千曲川

高速道路で1区間戻り、豊田飯山インターへ戻って下道へ出ます。
国道117号線を千曲川とJR飯山線に沿って新潟方面へ走ります。
混みあうこともなく、新緑が目に優しいドライブです。

飯山の国道

飯山市に入り、道の駅・花の駅千曲川に寄ります。
10時前ながら賑やかな人出です。

直売所には地元の野菜が並んでいます。
お客さんたちの目は地場野菜に注がれてります。

道の駅から千曲川方面を
道の駅構内の直場所

魅力的な笹寿司とまだ温かいおやきをひとパック。
ブルーベリーと加工用プラムなどを買いこみます。

この道の駅にはおしゃれなカフェと、アウトドアグッズ・モンベルのブランドショップが併設されています。
道の駅全体の運営はモンベルが行っているのかもしれません。

お買い物

栄村・道の駅信越さかえ

再び117号線を進みます。
それまでは人家で開けた千曲川沿いの風景が、だんだん山間に入ってゆきます。
次の集落が栄村でした。

飯山から栄村に向かう千曲川

道の駅・信越さかえに寄ります。
駐車している車は長岡ナンバーが半分くらいの感じです。

蕎麦を出す店が3か所くらいもある道の駅で買い物です。
地元産のお米が美味しそうです。
値段も5キロで3000円台に下がりました。
人気ナンバーワンだという地元産のトマトジュースを2缶買いました。

道の駅信越さかえの物産館

昼ごはんは、先ほど買った笹寿司をベンチで食べます。
手づくりの味です。
せっかくなのでテント張りの出店でキノコそばを注文。
キノコタップリでアサリまでのっている具だくさんの蕎麦は、思いのほか食べ応えがあり満腹となりました。

本日の昼食
そば一杯を追加

栄村歴史文化館・おらっせ

道の駅を出て1分も走らないうちに新潟との県境です。
県を隔てる千曲川が濁流となっています。

いったん新潟へ出てから、右折して千曲川を再びわたると長野側の集落が続いています。
小学校の分校跡を利用した、栄村歴史文化館・こらっせがありました。

川の向こうは新潟県

入ってみると学芸員の男性が出てきて、付きっ切りで説明してくれます。

  ・展示品は東日本震災の時に、つぶれかかった土蔵の収納物と遺跡からの出土物など。
旧家の土蔵から古文書や家材などを搬出し、記録し、この場所に収納したのは、千葉の大学教授とその関係者のボランテイアだった。
また村内の秋山郷には鎌倉時代から伝わる聖徳太子を描いた巻物が伝わっていてそれらも収納されている。

廃校した分校の歴史

  ・117号線は善行寺街道として越後との通商路だったが、近年千曲川の対岸に道路を移してから便利になった。
言葉や風習には新潟の影響が強い。

  ・秘境ブームで人気だった秋山郷は、117号線からだけが出入り口だったが、今では志賀高原への抜け道ができて群馬方面からもはいれる。などなど。

地元出身という学芸員さんが熱心に郷土の歴史を語ってくれました。

こうした熱心な方との出会いは、地方の郷土資料館を訪問する際の楽しみでもあるのです。
ついつい聞き入ってしまいます。

蔵から移動させた民具

栄村の資料館で、思わぬ滞在を1時間ほどもしてしまいましたが、まだ13時半。
帰路には野沢温泉村でひとっぷろ浴びましょう。
まだまだ山小舎までは遠い道のりです。

野沢温泉

数年以上も前に山小舎おばさんと訪れたことのある野沢温泉に寄ってみます。
その当時でも、蕎麦屋の客の半数以上が外国人だったり、スノーモンキーをフィーチャーしたツーリストビューローが英語の看板を掲げていたりする国際色豊かな温泉街でした。
立寄り湯に入った山小舎おばさんは、相客が中国人の女性グループだったと申しておりました。

野沢温泉観光案内所。ここで携帯の電池が切れた

その時の記憶をたどって温泉街を一周します。
部外者は立入禁止の麻釜という、野菜をゆでたりする生活の場、を通り、大湯へ。
大湯は古い建物で有名な立寄り湯です。
ここの立寄り湯は管理人がいなく、料金箱にいくらかを投げ入れて入ります。

麻釜の様子(パンフレットより)

入るとすぐ浴室です。
浴槽の脇に脱衣棚があります。
浴室に桶はありますが腰掛はありません。
シャンプーなどはもちろんなく、蛇口からは水道は出ますが温水の配管はありません。
それよりなにより、浴槽のお湯が熱いのです。

大湯に場内(パンフレットより)

渋温泉の立寄り湯、下諏訪温泉の立寄り湯、蓼科温泉の立寄り湯など、入るのに覚悟がいるほどの温度の温泉はありますが、その中でも最大級です。
水道を出しっぱなしにして、すぐそのわきに浸かっている男性が見かねて「ここに入るといいよ」と言ってくれました。
今日は野沢温泉に一泊し、立ち寄り湯めぐりをしているという方でした。

浸かっている内に、眠気が飛んで気分が復活してゆくのは、いい温泉の特徴です。
1~2分の入湯で活性化します。

野沢温泉の湯のすばらしさを改めて痛感してこの日の軽トラ旅を終えました。

山小舎帰還まで2時間以上の下道旅でしたが、日の長い季節故まだ明るいうちに帰着できました。
出発してからほぼ12時間たっていました。

佐久市立近代美術館「暮らしとともに」展

ある日、実術館の企画展のちらしを見掛けました。

少女が二人、ゴザの上に座っている景色でした。
雰囲気は戦前の日本の田舎。
少女の服装から南国の漁村の風景にも見えました。

ある日見掛けた美術間のチラシ

佐久市の近代美術館は、岩村田と中込という市内の中心部を形作るJR駅の中ほどにある、駒場公園にありました。
図書館なども立地する静かな公園の駐車場に軽トラを止めて美術館を目指します。

佐久市の駒場公園内
近代美術館エントランス

受付には3人ほどの関係者がいました。
何となく美術関係に詳しい人たちのように見えました。

天井が高い、近代的な作りの館内。
博物館と同様な建物にカーペットを敷き詰めたような静寂があります。
館内は1階に平山郁夫のシルクロードを題材にした絵画が展示されており、2階と3階が「暮らしとともに」の展示でした。

2階の展示室では陶器やガラス器の展示が目に飛び込んできました。
非日常的な陶器類がフロアに広がっています。
その周りの壁には、長野出身の芸術家の絵画が並んでいます。

2階はガラス器などの展示

中には撮影OKの表示の作品もあります。
抽象的な作品ではなく、目玉焼きだったり、身の回りの物をテーマにした作品群です。

近衛の主題は目玉焼き
こういった絵画も
有島生馬(有島武郎の実弟)作「夏の少女」。

3階にはお目立ての作品がありました。
撮影OKでした。
縦横1.5メートルほどの大作です。
舞台が漁村ではなく、農村でした。
とっくに日本から失われた風景です。
当時は当たり前の景色だったのでしょうが、それを題材とし、芸術作品に昇華させた作家の慧眼は貴重です。

全作品が佐久美術館の所蔵作品とのこと。
今後も気になる企画展をチェックしたいと思いました。

彫像もあった

「ちくま未来新聞」

千曲市屋代の駅でこの新聞を入手した。
駅の無人スタンドに観光パンフとともに無料で刺さっていた。

6月1日号表紙

てっきり店の広告の間に地域情報が挟まっただけの無料ペーパーかと思って開いてみた。
ところが12面からなる、周辺情報満載の明るさに満ちたミニコミ新聞だった。

千曲市内の郵便局、金融機関、JA、駅などが主な設置先の月刊新聞で、年間3000円で全国に配送サービスも行っている。
何より紙面がにぎやかで明るいのがいい。
編集者はまだ若く、地域情報の発信に意欲的なのだろう。

1面のニュースは、千曲市と(株)アクテイオの連携による防災訓練実施の記事だ。
千曲とアクテイオは防災時に向けて協定しているとのこと。
レンタル自動車の大手である同社を巻き込んでいるのがいい。
県内有数の産業地帯である千曲市の面目躍如だ。

同じく1面には市内の高校2校と、長野市の松代高校の計3校が合併して新たな高校が誕生するという地元の一大ニュースについて。
千曲といえども地方の過疎化が現れたニュースだ。

第一面

2面の市内小学校の新任校長先生の紹介記事が地元密着で嬉しい。
ケーブルネット千曲というローカル有線テレビの番組予定も小学校の運動会の模様で埋まっている。

2面の新任校長の紹介

8面、9面へ飛ぶと、市内の上山田温泉の二次元キャラ「温泉むすめ」が誕生し、その声優が決まったという明るいニュース。
初夏の千曲の風物詩・あんずの季節を前に小学生や屋代南高生の摘果体験のニュースなども続く。
忘れてはならないのが、漫談家で千曲の頭領と呼ばれる御仁の出し物の案内。
行きはしないが心惹かれる出し物の広告だ。

上山田温泉キャラと千曲の頭領

10、11面にゆくと定期コラムらしき特色溢れる記事が並ぶ。
「Z世代が行くちくま散歩」は若い世代らしい軽くておしゃれなグルメ情報。
「北国街道・歴史こぼれ話」はローカル紙定番の地域歴史コラム。
ありがちな専門性に特化したものではなく住民が日々接している千曲川を挟んだ奇岩・岩鼻を題材にした親しみやすさがいい。
千曲市と包括連携締結先の信州プロレスの記事もある。

コラムの数々

12面は千曲市民が誇るプロスポーツにしてローカルニュースのお約束でもある、ブレイブウオリアーズとパルセイロレデイースが堂々の全面を占める。
プロバスケットのウオリアーズは成績もよかったようだ。
パルセイロ©レデイースは最下位だったとのこと。

ちくま未来新聞、毎月が楽しみだ。

県立歴史館「長野県民の戦後再出発」展

千曲市にある県立歴史館で「長野県民の戦後再出発」展があり、展示の一環として「おらうちの嫁」という映画が上映されているというので見てきました。

「おらうちの嫁」  1959年  荒井栄郎監督  長野県連合青年団製作 16ミリ・モノクロ・34分(デジタル上映)

この映画の上映を知ったのは、6月5日付の信濃毎日新聞の文化欄に載った記事から。
昭和30年代の長野県の風景だったり人物だったりを見たくて、歴史館に駆け付けました。

映画は館内の小会議室のようなところでエンドレスに上映されており、入室時には3人ほどがいました。
企画展そのものの入場者が、その時にはほぼ0人でしたから、映画そのものを見に来た人が多かったことがうかがえます。

出演者はのちに商業映画などで見る俳優も含まれており、プロのスタッフ、キャストによる劇映画として作れられ邸ます。
ロケ地は飯山、たばこ農家の親夫婦、嫁を迎えた長男、それに長女と次男がメインキャストです。
俳優たちの演技を、時にはクローズアップを用いて演出・撮影されています。

6月5日の信濃毎日新聞より

農家に嫁いだ嫁が出産までの間、古い習慣との軋轢に対し、夫婦間の平等な愛情で乗り越えてゆくのが映画の骨子です。
モチーフは県連合青年団によるものでしょうが、それを脚本家の大内田圭弥が劇映画に落とし込んでいます。
プロの俳優たちの演技は、いってみればパターン化されたものではありますが、そのレベルは商業映画同様に低くありません。

時間の制限もあることから、今では貴重な30年代の空気感に記録を最優先した、いわゆる記録映画的な匂いはありません。

身重となった妻を労う夫が、他者にその様子を見られまいとする様子とか、当時は里帰り出産が当たり前だったが妻の願いで嫁ぎ先で出産することになり、夫が親の意向に反して受け入れることなどが脚本のツボとなっています。

このあたり、松竹映画「この広い空のどこかに」(1954年 小林正樹監督)を思い出します。
町の酒屋に嫁いだ久我美子の戸惑いとそれを見守る夫の佐田啓二が主人公で、最初は量り売りの醤油樽の栓を上手く開け閉めできない久我を佐田が指導するシーンが印象的でした。
夕食後、6畳一間の夫婦の部屋で不安にくれる久我と、それを慰める佐田のシーンも。

映画のワンシーン

「この広い空のどこかに」と本作に共通するのは、戦後になって夫婦として出発した二人が、古い家庭(農家や商家など)に嫁ぎ、古いやり方に戸惑いつつも二人の愛情を前途の希望として前を向く、というもの。
二つの作品とも、旧体制である儀実家が、決して無理解ではなく、いじめたりするわけではないという点が共通している。
生活の困難や壁は己の中にあり、その解決は夫婦の愛情によってなされる、という点でも共通している。

小会議室では1955年制作の岩波映画で、県南の遠山郷に伝わる霜月祭というお祭りの記録映画も同時上映されていました。
南アルプスに連なる山々に囲まれた村からの道を何キロも歩いて通学する小学生の姿で始まる、記録映画らしい記録映画で、貴重な「民俗学的」な映像が楽しめました。

小会議室内には収集した記録フィルムの実物も展示されていました。
「おらうちの嫁」の16ミリフィルムそのものや、このほかの35ミリネガやプリントの一部が展示され、デジタル化による保存の必要性を訴えてもいます。
全国には、地方の団体などが版権を持つフィルムがたくさんあるのでしょうから、それらを掘起し、保存することは大事なことです。
この点でもあいまいにせず、現状をオーオプンにして、きちんと対処しているのがは、長野県らしいことだと感心しました。

「おらうちの嫁」原版フィルム
収蔵品の16ミリフィルム
「長野県民の戦後再出発」展より、戦闘機疾風のタイヤ

歴史館常設展示

歴史館には常設展示コーナーもあります。
先史時代の展示コーナーには巨大なナウマンゾウの模型があり、それが動くのです。
また石器時代のコーナーには実物大の竪穴住居が再現されています。
さらに時代が進んで鎌倉時代になると善光寺に花開いた仏教文化の栄華が映像でレイアウトされています。

金がかかっています。
そしてこの展示、どこかで見たような?
そうです、長野市川中島にある長野市立博物館の展示に似ているのです。

常設展より、ナウマンゾウ
防人と馬

歴史館の展示内容が、長野や松本の博物館とダブっているのは当たり前ですが、ダブった部分の展示が似通った気がするのです。

東山道と古代信濃国

先史時代から石器時代、古墳時代、律令時代、武家時代、江戸時代、明治時代と時を追って県内の歴史を俯瞰した展示内容。
また、その時々に花開いた仏教文化や街道・河川による物資・文化の流通、生糸による近代産業の勃興までをかくコーナーで解説しています。
丁寧に詳しく、郷土への誇りと愛着が根底に窺える、見ごたえのある施設です。

カイコを飼う様子
近代製糸工場の女工

軽トラ流れ旅’26 姥捨棚田とスイッチバック

長野県は東信から北信にかけての千曲川沿いに人家と町が広がっています。
日本一の長流・千曲川は、小海、佐久といった東信地方の水田地帯を潤し、上田、千曲、長野といった人口集中の産業地帯を抜け、中野、飯山から新潟県に入ります。
千曲川流域全体が長野県の動脈となっています。

特に上田から千曲、長野と続くあたりは、千曲川と並行して走る国道18号線沿いに町が途切れず、商業、工業、物流の中心地となっています。

千曲市は、温泉のある戸倉、高校などがある屋代、長野市と接する更埴などの地区から成り立っており、かつての北国街道筋に面した歴史を持っています。
旧国鉄の信越線(現在のしなの鉄道)の沿線でもあります。

千曲市の屋代地区から国道18号線を横切り、千曲川を渡ると稲荷山地区があります。
古の日には生糸で栄え、蔵が立ち並ぶ街でもあったようです。
稲荷山を過ぎると18号線バイパスが走る農村地帯となります。
バイパスを折れて登ってゆくと昔話で有名な姥捨地区があります。

姥捨地区から望む善光寺平(長野市)
名勝「田毎の月」の看板

「楢山節考」のモチーフである姥捨伝説の舞台となった地名が残っているのです。
松本から長野まで山地を越えてやって来るJR篠ノ井線が、スイッチバックで急坂を上る駅が姥捨駅です。

篠ノ井線に乗って松本から来ると、長野市が広がる善光寺平を遠望する姥捨駅で停車した列車が、一度戻って再び上り直すスイッチバックを体験することができます。
駅はいわゆる無人駅のようですが、管理をするおばさんがおり、付近の集落からの通学生徒などが乗降客のようです。

駅構内のスイッチバック用の線路

姥捨駅から下ったところに姥捨棚田と呼ばれる千枚田があります。
浮世絵で「田毎の月」として描かれた場所です。
条件が整えば千枚ごとの田の水面に月が映ったこともあったのでしょうか、それとも浮世絵師の遊び心でしょうか。

「田毎の月」を題材にした浮世絵

駐車場に軽トラを止め棚田の間を歩きます。
田圃ごとに番号が付けられ、管理する法人や個人の名前が書かれた札が立っています。
本当に小さな田圃は耕作されていませんでしたが、それでもこれだけの棚田が残っているのは保存活動のたまものだろうと思います。
棚田のほかの土地も農地が多く、姥捨地区全体の景観保存がなされていることがわかりました。
県内にはこのほかにも上田市郊外などに、観光地化された棚田が残っています。

姥捨の棚田
姥捨の棚田

千曲市中心部から姥捨に至る途中の集落には佐野川温泉・竹林の湯という日帰り入浴施設がありました。
初めての温泉場でしたが、入浴料が400円と安く、シャンプー類は置いてなかったものの泉質は十分よく、効きました。
地元の人しか立寄らない穴場の温泉でした。

竹林の湯エントランス
温泉土産は山小舎ではく草履

坂城町 鉄の展示館とふるさと歴史館

坂城町へ行ってきました。
坂城は千曲川沿いにあり、上田市と千曲市の間に位置します。
かつては北国街道の宿場でもありました。
坂城の前身である坂木宿は、中山道と追分宿(軽井沢宿の西)で別れた北国街道が、小諸宿、上田宿をへて善光寺、越後方面へと北上する途上にあり、当時の有力武将の本拠地でもありました。

坂城町は、長野市へ行く道すがらに、またびんぐし温泉への立寄りに、よく通ります。
この日は、坂城にある鉄の展示館を見たくて訪れました。

鉄の展示館全景

鉄の展示館は、この地に生まれた人間国宝の刀鍛冶を記念して、集まった日本刀を展示するための建物です。
展示室の一つは地元が生んだ名匠の肖像や作品などを展示して功績をたたえています。

坂木が生んだ人間国宝の刀匠
刀匠の部屋を再現

残る二つの展示室はこの展示館に集まった名刀を展示しています。
中には俳優・高倉健から寄贈されたものもあります。
坂城が鉄鋼の産地だったわけではなく、村の代々の鍛冶屋に生まれたのちの名匠の影響から、各地から数々の名刀が集まったためのようでした。

展示品
郷土の英雄・御嶽海

鉄の展示館の近くには、坂木宿ふるさと歴史館があります。
坂木宿の本陣だった建物を博物館にリユースした施設です。
明治天皇が巡幸した際に休んだところでもあります。
門構え、庭園などに風格があります。

ふるさと歴史館
上り口の部屋に展示された五月人形

室内には坂木宿と領主の村上氏の歴史が展示されています。
村上氏のことはほとんど知りませんでした。
群雄割拠していた信濃の豪族の一つで、武田、上杉、織田、豊臣という全国クラスの勢力の影に隠れ、翻弄され、敵対したり庇護されたりの末、歴史に消えていった勢力です。
瀬戸内海で海賊といわれた村上水軍とも関係があったようです。

展示品・関ヶ原屏風絵

館内に残された古文書の数々。
文書の最後にサインのように記される花王のデザインが鮮烈で、当時の文化の洗練された様子と、戦国時代の武将の殺気ある覚悟のようなものがうかがえました。

展示品・村上氏書状

歴史館を出て、北国街道沿いの商店街を歩きます。
かつての国鉄信越線(現・第三セクターしなの鉄道)坂城駅近くは、町の中心部です。
そこには、上田から善光寺に至る千曲川沿いの人の息づきが残っています。
忘れられ気味ではありますが。

坂城の街、北国街道沿い
看板が立つ横丁も

小諸、上田、坂城から善光寺へ延びる北国街道の旅も面白そうです。