渋谷シネマヴェーラの『マックス・オフュルス特集』より「歴史は女で作られる」



「歴史は女で作られる」  1956年  マックス・オフュルス監督  仏・西独合作 シネマヴェーラ・デジタル上映


マックス・オフュルス

映画監督マックス・オフュルスは、1902年ドイツ生まれのユダヤ人。

同じく戦前のドイツ帝国もしくはオーストリア=ハンガリー帝国(あるいは周辺国)出身のユダヤ人映画監督には、大御所のフリッツ・ラングのほか、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、マイケル・カーテイス、アナトール・リトヴァク、ロバート・シオドマーク、ビリー・ワイルダー、ダグラス・サーク、フレッド・ジンネマン、オットー・プレミンジャーらがおり、いずれもハリウッドで一家を成した名監督である。
戦前のドイツやオーストリアなどでキャリアをスタートさせ、戦時中にアメリカに亡命した経歴も共通している。
彼らの成功の背景にはその豊かな才能はもちろん、不屈の執念と自己演出力があった。

「魅せられて」(49年)演出中のオフュルス(右)

オフュルスは、戦前のドイツやフランスで数々の作品を監督したあと、ハリウッドに移り、「忘れじの面影」(48年)で成功した。
その後ヨーロッパに戻り、フランスを根拠として「輪舞」(50年)、「快楽」(52年)、「たそがれの女心」(53年)を発表、オフュルス映画の頂点を示した。
「歴史は女で作られる」は初のカラー作品にして遺作でもある。

今回のシネマヴェーラのオフュルス特集には敬意を表したい。
戦前の作品から遺作までを網羅しており、こうした機会は日本ではおそらく初めてである。
未輸入だったり、日本での版権がとうに消失した作品でも、著作権が切れた70年以上前の作品については積極的に取りあげ映画ファンに鑑賞の機会を設けているシネマヴェーラの功績は大きい。
古典映画のデジタル素材に自前で字幕を付けるラボを設置しているシネマヴェーラの、面目躍如だ。

シネマヴェーラの特集パンフより

未見だった「歴史は女で作られる」を見ることのできたこの機会に合わせ、オフュルス映画の代表作を振り返ってみたい。

アメリカ、フランス時代のオフュルス

「忘れじの面影」。ルイ・ジュールダンと

オフュルスのハリウッド時代の代表作「忘れじの面影」は忘れられない映画の一つである。

少女時代から人生を閉じるまでを演じるジョーン・フォンテイーンの懸命な演技と魅力が作品の基調をなしている。この主人公が甲斐性のない初恋の相手に一途な愛をささげて一生を暮らす。
最後まで気持ちが交わらない二人の関係性が”非予定調和”でもあり不条理でもあるが、映画はこの関係性に解釈を加えずに進む。

報われない愛をささげ続ける主人公と、だらしない女たらしのピアニストで、その場その場で気まぐれにふるまうだけの男(ルイ・ジュールダン)の、たまさかの邂逅と別れに、却って真実の男女の関係、あるいは人生そのものが映し出される。
そういった”不幸な結末”を最初から漂わせる人間関係を、オフュルスはメロドラマを基調としつつ最大限の映画的効果を駆使して演出する。
雪の街角での二人の再会シーンの静寂の中のときめく心。
閉園間近な遊園地でのデートし、遊具に二人で乗り『世界旅行』(背景の書割を係員が人力で取り替えるだけの仕掛け)を何度も繰り返すシーンの幸福感。
観客である自分が経験したわけでもないのに既視感に溢れてたまらなく懐かしく感じる場面が続く。

オフュルス演出の真骨頂である『縦の構図』に基づき画面に置いた階段を主人公たちが登り、降りる。
停車場に駆け付ける主人公の感情を映すように、切々と走る彼女を延々とカメラが追う移動撮影。
こういったシーンを目にしたときの観客の高揚感。
”映画的記憶”に満ち満ちた観客体験としかいいようがない。

オーストリア出身のユダヤ人シュテファン・ツヴァイクの原作を、同じくドイツ出身のユダヤ人オフュルスが演出。
主人公が一生をかけて恋する、だらしないだけに見えるピアニストの描き方にも、オーストリアの歴史・文化に象徴される旧文化の没落とデカダンが象徴されているようにも見え、いずれにせよオフルスが監督に選ばれたことの必然を感じざるを得ない。

「忘れじの面影」。遊園地の場面

1950年、オフュルスがハリウッドを去りフランスに戻ってからの「快楽」。

3話からなるオムニバスの第1話は、老いてなお舞踏会での恍惚が忘れられない老境の主人公。
仮面をかぶって老境が侵入するその舞踏会が描かれる。

オフュルスのカメラは、馬車で屋敷に詰めかける貴婦人たちを追って門前の賑わいをひとなめした後、窓を越えて貴婦人たちが舞うホールのただなかにワンショットで侵入し、絢爛豪華な渦の中に、踊り手たちの歓喜に共感するようにさ迷い続ける。
ヨーロッパの旧文化の芳醇だった残滓に酔い続けるが如く。

第2話はモーパッサン原作の「テリエ館」。
カメラは、旅行に来た娼婦たちが歌いながら田園風景の中ではしゃぐ姿をテーマ音楽と相乗効果を上げるように延々と緑の中を移動し続ける。
娼婦役のダニエル・ダリューも、農夫役のジャン・ギャバンも風景の一つの如く自然で等身大に描かれている。
娼館の女主人マドレーヌ・ルノーが、田園風景の中で楽しそうに歌う場面が忘れられない。

演技派マドレーヌ・ルノーの「快楽」第2話での演技も忘れられない

戦前のドイツ映画、オーストリア映画には、音楽映画というジャンルがあり、「会議は踊る」(31年 エリック・シャレル監督)などの名作があった。
皇太子とヒロインが馬車に乗り、田舎の別宅に向かう場面がある。
馬車は彼らを乗せて丘を越え橋を渡る、川では洗濯する娘らが手を振って馬車を見送る。
テーマ音楽が流れるなか、延々とワンショットで道行く馬車を捉える。

同じく「会議は踊る」での、大掛かりな宮殿のセットでの舞踏会。
数十名の貴族の衣装をまとった俳優たちによる舞踏会の、その豪華さ、あでやかさ、また、儚さ。
とうに失われた、戦前の貴族の世界が感傷に彩られ華々しく再現される。

オフュルスの特にフランスに戻ってからの作品、「快楽」の第1話と「たそがれの女心」には、「会議は踊る」に代表される戦前のオーストリア映画の記憶がくっきりと刻印されている。
オーストリアの歴史とドイツ・オーストリア映画への憧憬と、それを再現することへの執念がオフュルス映画からは感じられる。

「歴史は女で作られる」

以上のようなオフュルス体験を経て見たのが今回の特集で見た「歴史は女で作られる」。

シネマヴェーラの特集パンフ表紙

マリア・モンテスという19世紀に実在した踊り子にして高級娼婦の一代を題材にしたこの作品は、サーカスの客寄せとして晩年(まだ若いが)を迎えた主人公がサーカスでの”見世物”となっている場面から始まる。

上級民の末席に連なる出身で、美貌を武器に、音楽家や皇帝の愛人として表部隊を渡り歩いてきたマリアにとって、残酷極まりないその人生の最終章から映画は始まる。
オフュルスにとって、残酷極まりない人生の真実は、「快楽」第1話、第3話などを見てもわかる通り彼の作品のテーマでもあるのだが、「歴史は女で作られる」はその色彩が濃く、全編に隠しようもなくにじみ出ている

マルチーヌ・キャロル

ヒロイン役のマルチーヌ・キャロルは「浮気なカロリーヌ」(51年 ジャン・ドヴェーヴェル監督)、「女優ナナ」(55年 クリスチャン・ジャック監督)などでセックスシンボルとして売り出された女優。
「歴史は女で作られる」では、少女時代から晩年のサーカス時代までほぼ同じメイクで登場する。

少女時代をそのまま演じさせることは、オフュルス作品では「忘れじの面影」でのジョーン・フォンテイーンの場合と同じだが、スカートを翻しながら階段を走って登る少女の動きを懸命に再現しようとしたフォンテイーンに比べ、大人と同じメイクのまま少女服に身を包んで登場したマルチーヌ・キャロルと、それを隠すことなく捉えるカメラ。
これはオフュルスの、この作品での”残酷”な演出の一つなのか?

もっともジョーン・フォンテイーンが自らのプロダクションを立ち上げての第一作「忘れじの面影」では彼女が自らをメロドラマのヒロインとして演技したのは必然で、オフュルスの”残酷な真実味”は抑えられていたのだが、他のオフュルス作品においては、女優たちは抑えた演技を求められており、”残酷な人生の真実味”が否応なく表面に現れてくる。
それは「快楽」第二話のダニエル・ダリュー、第三話のシモーヌ・シモン、「輪舞」のシモーヌ・シニョレの扱いに顕著である。

オフュルスが押さえた演技を求めている点では「歴史は女で作られる」のマルチーヌ・キャロルでも同様だが、一方で、彼女の体と顔からあふれだす成熟した色気と気概が、カラー画面と相まって作品のテーマに一方でマッチしている。

ダニエル・ダリューは「快楽」、「たそがれの女心」に出演した

豪華で金のかかった映画で、サーカステントにせよ、各挿話のセットにせよ、出演者の時代的衣装にせよ、見ごたえがあるのだ、十分に効果が上がっているとは思われないのはどうしてか。

カラーによって映画の”底が”見えてしまったのか?
作品の根底にある残酷な暗さに豪華なセットや衣装が引きずられてしまったからか?
歴史ロマンの映画化が時代的にズレてきたからか?

サーカステントのセットの奥深さの表現と斬新なカメラワークはさすがだったが。

シネマヴェーラの特集パンフより

この作品については、興業収入が製作費を回収するに至らず、製作者によって再編集されたとのこと。
オフュルスにとって、また彼のファンにとっては不本意な事態であろう、が、たとえ再編集されたとはいえその素材はオフュルスがその演出によって撮影されたものであり、本質的なところは変わりようがないのも事実である。

その意味ではこの作品は、「会議は踊る」などの戦前のドイツ・オーストリア映画への単純なオマージュでもなく、また女優のプロダクションに呼ばれて作ったノスタルジックなメロドラマ(「忘れじの面影」)でもなく(そういった仕事でも見事な職人芸を披露するのではあるが)、”暗く残酷な人生の真実の追求”が狙いであり、オフュルスの本質が現れた作品だと思われる。

調布飛行場掩体壕

3月下旬、ママチャリで自宅付近をぶらつきました。

東八道路の野川公園付近からの帰路、いつもと違うコースを選択。
アメリカンスクールの脇を通り、近藤勇の生誕地の横を抜け、調布飛行場へ向かう道に出ました。

飛行場を遠望

散り始めた桜並木が続く道。
右に飛行場が見え始めたところに掩体壕がありました。

保存されている掩体壕

陸軍調布飛行場は太平洋戦争を前にして旧調布町の広大な農地、住宅を収用して作られた基地です。
2本の滑走をを持ち、海軍の木更津航空隊とともに、帝都防衛の要の基地として運用されました。
展開した陸軍航空隊の主な機材は飛燕。
ドイツの戦闘機の設計図を援用した液冷エンジンを持ち、戦争末期の陸軍の主力戦闘機でした。

掩体壕前の案内板

飛燕はおもにB29の東京空襲に対する迎撃に出動しました。
B29は下町に対する夜間の無差別爆撃のほかに、東京西部の中島飛行機工場などの軍需工場に対する昼間の高高度爆撃も繰り返しており、それに対する迎撃を、調布飛行場から出撃する飛燕が行っていたのです。

掩体壕は当時の爆撃から戦闘機を守るために作られたコンクリート製の防空壕で、現在でも調布飛行場付近に2基残っています。
今見ると雑な作りの手狭なもので、やっと1機の戦闘機が収納できたかな、というものです。
戦争末期の資材不足になかで急場の手作り感がうかがえます。

掩体壕前の案内板

飛行場へと続く桜並木の入り口付近には、陸軍時代の門扉が残されています。
かつて、軍都とも呼ばれた調布の姿がここに残っています。

入口の残る門扉

現在の調布飛行場は、陸軍時代の何分の一かのスペースに滑走をを残し、伊豆七島への小型機の就航のほか、民間のパイロットの飛行基地ともなっています。
ほかのスペースには、老人施設、サッカースタジアム、子供用野球コート・サッカー場コート、東京外語大学キャンバスなどが建ち並んでいます。

現在の飛行場ターミナル
島嶼部へ向かう小型飛行機が待機する
出発ロビー

自宅から自転車で来れる場所に飛行場があり、伊豆七島まで行けるのですから夢は旅路を駆け巡ります。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち④ 岡田茉莉子

岡田茉莉子

岡田茉莉子、1933年東京生まれ。
サイレント時代の美男スター岡田時彦と宝塚の男役スターの間に生まれる。
時彦の死後、母子家庭で育つ。
戦時中は新潟に疎開し女学校を卒業。
母方の叔父が東宝の文芸部におり、その紹介で51年、東宝にニューフェース扱いで入社する。

岡田茉莉子にも自伝がある。
「女優 岡田茉莉子」(2009年 文芸春秋社刊)。
出版社といい、ページ数といい一流だ。
聞き書きや新聞連載の再録ではなく、本人の書き下ろしだ。

自伝「女優 岡田茉莉子」文庫版表紙

本ブログ・ラピュタ阿佐ヶ谷の『松竹女性映画珠玉選より①高千穂ひづる』、『同②有馬稲子』で紹介した、高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦」や有馬稲子の「バラと痛恨の日々」「のど元過ぎれば」と、この「女優 岡田茉莉子」を読み比べると、ほぼ同年の3人の女優さんの個性の違いが浮き上がる。

東宝の新人女優らと。左から有馬稲子、杉良子、青山京子

高千穂さんは、両親が揃った円満なご家庭の出身。
宝塚からの映画入りと女優の王道を歩んできたくらいだから、凡人の数倍の自己顕示欲とスター性があるのだが、あとの二人に比べると自我の強さ、自己顕示欲の強さがかすんでしまう。
自伝には、宝塚時代、映画時代で知り合った俳優・女優がまんべんなく紹介されており、高千穂さんの常識的で人格円満な性格がうかがえる。
様々な監督、スタッフ、俳優らへの辛口のエピソードもあるが、あくまで常識的な範囲である。

有馬稲子は、少女漫画の主人公のような波乱万丈の生い立ちと、実父との良好ではない関係からも見える通り、出発点から凡人とは異なる星のもとに生まれている。
宝塚も映画女優もそれが目的ではなくて、彼女の人生で強烈に希求し続ける”何か”に到達するための手段である。
惹かれる相手は超一流の文化人か、才気あふれる映画監督。
場合によっては不倫も辞さない。
彼女の自伝から読みとれるキーワードは、『母親』『不倫相手(市川崑監督)』『岸恵子』そして舞台公演で全国を回った『はなれ瞽女おりん』ということになろうか。

一方、岡田茉莉子の自伝で頻発される名前は『岡田時彦』『小津安二郎』『吉田喜重』。
高千穂、有馬と比べると一番表舞台向きではない性格なのだが、内面では自己顕示欲がめらめらと燃えている。
大スターであった父・時彦の名が間断なく自伝に出てくるし、映画界に入れば、文豪谷崎潤一郎から芸名をもらう。
巨匠小津安二郎がサイレント時代に父時彦と数本の映画で組んでいたことから、巨匠には現場で”お嬢さん”と呼ばれる。
岡田茉莉子こそ、全盛期の日本映画界に必然として舞い降りた、生まれるべくして生まれたスターだったとしかいいようがない。


東宝に入ってからは会社の売り出しで人気が出るが、現代的なアプレ娘や芸者の役ばかりに不満が募る。
松竹に移って、渋谷実、中村登、などの名匠に登用され、最終的には小津組の”一番バッター”として可愛がられ、映画女優としての頂点を迎える。
その頃に出会ったのが結婚相手となる吉田喜重監督。
出演100本記念作品として、岡田自らのプロデユースで製作された「秋津温泉」(62年 吉田喜重監督)以降の映画人生は、吉田との二人三脚というか文化人・吉田の国際的な活動を追うようにして進められる。

デヴュー作「舞姫」(51年)。成瀬巳喜男監督、高峰三枝子と

吉田との独立プロ・現代映画社での諸作品、とくに「エロス+虐殺」(70年 吉田喜重監督)以降の、フランスなど海外でのグローバルな展開、夫・吉田のオペラ演出などについての記述が自伝の後半を占める。
間隙を埋めるのは、映画衰退後の自身の活動としての舞台公演の模様。
岡田はその後も舞台女優として、商業演劇のトップに立ち続けていたのだ。

自伝中には、映画で共演した高峰秀子、森雅之らの演技について、”役を演じるのではなくて高峰さんご自身を演じて居る”と分析している。
撮影現場で実感した真実であり、岡田茉莉子の慧眼でもある。

松竹ヌーベルバーグと称された3人の若手監督、大島渚が小山明子と結婚し、篠田正浩は岩下志麻をめとった。
吉田喜重が岡田茉莉子を射止めたのだが、結婚後、夫君の独立プロを共同経営者として支えたのは岡田であった。
小山は内助の功として、岩下はトップ女優としての道を進み、それぞれ添い遂げるなかで。

「山鳩」(57年 丸山誠治監督)

筆者にとっての”岡田茉莉子体験”は、松竹時代の「集金旅行」(57年 中村登監督)、「モダン道中 その恋待ったなし」(58年 野村芳太郎監督)での洋装の似合う、日本人離れしたモデルのような美人。
「秋日和」(60年 小津安二郎監督)で、おじさま方相手にやりこめる気の強い寿司屋の娘。
そして「秋津温泉」での、時代と心中したような、象徴としての昭和の女性像。
東宝時代の「浮雲」(55年 成瀬巳喜男監督)で、森雅之に横恋慕した挙句、扉をピシャッと締める伊香保の田舎芸者の元気の良さにもびっくりしたが。

「浮雲」(55年)。森雅之と

ある年の『小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』のゲストに登壇した岡田茉莉子本人のトークを、茅野の新星劇場で見たことがある。
既に高齢となり動作や口調にぎこちなさが現れていたが、前年(だったか)の同映画祭のゲスト司葉子のトークが亡くなった原節子とのエピソードに終始していたのに対し(司葉子なりの時流に配慮したファンサービスだったのだが)、老いた中にも毅然とした態度の岡田茉莉子が印象的だった。

「秋日和」でのチャキチャキとした演技のことも、小津監督や周りのオジさん俳優たちとの現場でのやり取りも含めて、分析的に話していた印象がある。
高齢になっても華やかさを失わない司葉子に比して、底光りするオーラを有しながらも、”華やさ”はすでに超越したかのような其のたたずまいであった。
映画全盛期の現場が作り上げた映画女優の”生きたキャリア”と、吉田喜重とともに歩んだ文化的な経験の数々がそこにはあった。

思い出深い「秋津温泉」。オリジナルポスター



「悪女の季節」  1958年  渋谷実監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

松竹の大御所監督の一人、渋谷実初のカラー作品。
菊島隆三のオリジナル脚本。
山田五十鈴、東野英二郎、伊藤竜之介、杉浦直樹(松竹入社第1回)、九条映子(のちの寺山修司夫人)らの出演。
軽井沢・浅間山ロケ。

オリジナルポスター

巨匠初のカラー作品で名優・山田五十)と今を時めく美人女優・岡田茉莉子の共演となれば番線番組であっても尺はタップリ使えるのか。
100分余りの上映時間は長かった。

前半の山田五十鈴の腹に一物ある後妻(籍は入っていない?)が実業家の因業ジジイ(東野英次郎)を殺害しようと、間男(伊藤雄之助)と共謀してあれこれする時間がまず長い。
熟女とはいえ、まだまだ入浴シーンも悩ましい五十鈴姐さんの色気があって退屈はしなかったものの。
ジジイ宅のばあや(三好英子)の存在がたまらなくオカシく、絶妙のアクセントだったりしたが。

後半は五十鈴姐さんの娘で、今風に言えば不思議ちゃん的なキャラの岡田茉莉子が中心となる。
この時期の岡田さんは、「集金旅行」、「モダン道中 その恋待ったなし」など、登場するだけでフィルム越しに強烈なビームを発射するほどの美人女優で、カラフルなファッションが似合う人だった。

プレスシート

岡田茉莉子は珍しく、ベッドで生足を大胆に披露。
松竹入社第一作の杉浦直樹とのキスシーンやダンスシーンもある。
何より、自らの悩まし気な仕草をパロデイ化するような演技を見せたりして芸の幅広さを披露する。
この人って、中村登監督作品でのはかなげなヒロインや、小津作品でのちゃきちゃき・ハキハキの現代っ子ばかりではなかったんだ。

岡田と杉浦がメインとなる後半では、軽井沢の山道(車道は細い砂利道だった)でオートバイの集団が事故死したカップルをハレルヤで葬送していたり、砂利道を次々と自転車が走り抜けたりと不可解な場面が続く。
オートバイ集団の若者(岡田と杉浦もその仲間らしいが)は、山小舎に着くと雨の中をカップルで踊り狂ったりする。
巨匠渋谷監督の目に移った若者像なのか批判的パロデイなのか。

一癖もふた癖もある母親とその娘が、因業ジジイと財産を巡って騙し合うが、双方ともに思うようにはならない。
ラストは浅間山の噴火口にまで、気球に括り付けられた宝石箱を巡って全員が火口に転げ落ちてゆく。
最後まで生き残ったのはジジイ宅の婆やだけだった。
メデタシ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

自伝でこの作品について岡田茉莉子は、『そうした嘘の演技を二人(山田五十鈴と)で楽しみながら演じることができたのも、渋谷さんの演出力のおかげなのだろう』(文庫版自伝 P159)と述べている

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち③ 嵯峨三智子

嵯峨三智子

1935年、女優山田五十鈴の一人娘として誕生。
山田の離婚後、父親に引き取られるが死別し、父方の祖父母に育てられる。

52年、東映に入社し時代劇のお姫様役として売り出す。
56年、松竹移籍、妖艶な色気と演技力で本領を発揮し人気を得た。

嵯峨三智子

私生活では岡田真澄との婚約と婚約破棄、金銭トラブルや薬物中毒、芸能界復帰と失踪などを何度も繰り返した。
ガス自殺した松竹時代劇のホープ・森美樹との実らぬロマンスなどもあった。

92年、滞在先のバンコクでクモ膜下出血のため死亡、57歳だった。

市川雷蔵と

代表作は「こつまなんきん」のほか、「裸体」(62年 成沢昌成監督)、「恋や恋なすな恋」(62年 内田吐夢監督)。
松竹移籍後の主演諸作のほか、大映の名物シリーズ「悪名」、「眠狂四郎」、「若親分」、「兵隊やくざ」などにもゲスト出演している。

実母・山田五十鈴と



「こつまなんきん」 1962年 酒井辰雄監督 松竹京都 ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立映画アーカイブ所蔵作品)

嵯峨三智子が時代劇のお姫様役から脱皮し、「裸体」で生々しい汚れ役に挑んだ時期(製作年度は「こつまなんきん」が先)の作品。
若さに加え、持って生まれたと美貌と色気が画面から横溢している。

同時期には、内田吐夢監督が歌舞伎とアニメを劇中に取り入れた意欲作「恋や恋なすな恋」でもキツネの化身の姫を演じ、ただならぬ妖艶さで、作品の伝奇性に貢献していたことが思い出される。

オリジナルポスター

本作は今東光原作の『河内もの』の映画化。
大映の「悪名」シリーズや日活の「河内ぞろ・どけち虫」(64年 舛田利雄監督)、「河内カルメン」(66年 鈴木清順監督)などの系列に属する。

大坂南部の河内に生まれた名もない娘が器量だけを武器に、男社会を生き抜こうとするが、所詮は無学の女。
最後は男に利用され、捨てられる。
が、この主人公の凄いところは、『失敗したかて、うちはこれで生きるしかおまへんのや』と、己の器量でのみ勝負し続けてゆくところ。
例えそれがインチキ教祖を演じたり、街角の易者に身をやつしたり、場末の演芸場で漫才をやることであっても。

前記の「裸体」の主人公が、千葉の漁村を舞台に周辺の男を渡り歩いて世の中に伍してゆく雑草のような女だったとしたら、本作の主人公は、より『社会的』であり、頭と芸を使って社会と伍してゆこうとするより高度な存在である。
その分「裸体」でのなまなましい生命力の表現は見られないが。

本作でのインチキ教祖に扮した際のすさまじいまでの、妖艶、凄絶は、嵯峨三智子の美の頂点として邦画史上に刻印された。
安井昌司ならずとも、薄物一枚で滝行する嵯峨にふるいつきたくもなろうものだ。
教祖時代のシークエンスの酒井監督のおどろおどろしい演出も浮世離れしていて、いい。

ただしこの作品、絡む男が、株屋(曽我廼家明蝶:好演)、実業家(河津清三郎)と、後になるにつれて、卑近な現実めいた展開となり、嵯峨の魅力表現も薄まってくるのが残念。
スケベジジイたちと嵯峨の俗っぽさの限りを尽くした絡みには何とも味があるのだが、この作品では教祖姿の嵯峨がよすぎてほかのエピソードがかすむ。

結局、俗っぽい強欲ジジイたちは嵯峨の毒気に当てられて自滅してゆき、かつて嵯峨をもてあそんだアチャコと寛美のほのぼの親子は改心して辛うじて命をつないだり、つつましい幸せを手に入れる。

嵯峨はひたすら己の修羅の道を行く。
あとにジジイたちの死骸を累々と残しながら。

プレスシート

東映時代劇のお姫様女優から脱皮し、松竹で現代劇と出会った60年代前半の嵯峨の稀有な存在感を堪能できる作品。大女優山田五十鈴の一人娘ながら母親とは別の人生を歩むという数奇さと、天性の美貌と妖艶さが醸し出す破滅的な美がシンクロして日本映画史上、おそらく唯一無二の妖しさを漂わせた嵯峨三智子の全盛期がカラー画面一杯に繰り広げられることの眼福。

66年の日活「新遊侠伝」(斎藤武市監督)では、小林旭と高橋英樹を子分に従えた姐さんを貫禄たっぷりに演じて居たが、整形のし過ぎからか、唇が腫れてしまってかつての整った美しさが失われていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち② 有馬稲子

有馬稲子

ここに女優・有馬稲子の2冊の自叙伝がある。
「バラと痛恨の日々 有馬稲子自伝」(1995年 中央公論社刊)と、「のど元過ぎれば 有馬稲子」(2012年 日本経済新聞社刊)である。
前者は本人の書き下ろし、後者は日本経済新聞の有名人コラム「私の履歴書・有馬稲子」をもとにしたものである。

「バラと痛恨の日々」表紙
同・目次

有馬稲子は1932年大坂生まれ。
戦前の朝鮮釜山で叔父夫婦と暮らし、戦後、密航船で引揚げ、実父の元で暮らす。
女学校を経て宝塚入団、娘役で活躍。
54年宝塚を退団して東宝と専属契約を結び映画女優として歩み始める。

自伝には宝塚入団まで、戦前戦後の混乱した生活の様子がうかがえる。
叔父夫婦に預けられての外地生活からの決死の引揚。
実父からのいじめともいえる境遇と、もと宝塚ガールの実母との暮らし。
『将来へのどんな夢も抱かずにいた。』(バラと痛恨の日々」P24)女学校卒業時点の心境だったが、導かれるように自らも宝塚へ進むことになる。

自伝には、少女漫画もハダシで逃げ出すような筋書きがドラマチックに綴られる。
自らを演じることが女優としての性だといわんばかりの筆致であり、まさにこれが有馬稲子の真骨頂である。
逆境を受け入れつつ果敢に立ち向かい、太陽のような輝きを振りまきながらスターの道を歩む。
周りの人に何と思われようと、選ばれた人間だけが進むことを許される道が彼女の人生だ。

俳優プロダクション・にんじんくらぶの仲間。岸恵子(左)、久我美子(右)と

自伝に登場する人物は、映画女優時代に『にんじんくらぶ』という俳優プロダクションを組んだ岸恵子だったり、川端康成、大江健三郎などの有名人ばかり。
最初の結婚相手は国民的人気を誇った中村錦之助で、彼女の上昇志向、一流好みが鮮烈だ。

痛恨の出来事として、妻子ある映画監督との不倫と堕胎に触れているが、ここまでの自虐的暴露は女性有名人の自伝には珍しい。
あざとさと上昇志向ばかりではない、彼女の男性っぽい生きざまがうかがえる。(この映画監督は市川崑)。

宝塚の1期先輩で、その後も馴染みがあった高千穂ひづるの自伝(「胡蝶奮戦」)には有馬稲子が何度も登場するのに対し、有馬稲子の自伝に高千穂の名前は一度も出てこない。
自分の上昇志向にマッチしない人物は、自伝に登場する価値なし!というところも彼女らしい。

「東京暮色」のセットで。小津安二郎の指導を受ける

番匠義彰監督の「抱かれた花嫁」(57年) 、「空駆ける花嫁」(59年)を見ると、輝くばかりに美しく、はつらつとして、周りのだれにも明るく世話を焼く、下町のしっかり娘を演じる有馬稲子を見ることができる。
「白い魔魚」(56年 中村登監督)では、女子大生がピンチの家業の経営を救う、という『社会化』した彼女の姿を見ることができる。
「東京暮色」(57年 小津安二郎監督)では暗くすねた演技も見られ、「彼岸花」(58年 小津安二郎監督)ではオールスター女優出演の中で、美しさでは決して引けを取らぬ、結婚間近の娘の姿を見せる。

映画ファンにとって有馬稲子の姿をスクリーンで見られるそのことは、これ以上ない幸福な瞬間の一つでもあるのだ。

「のど元過ぎれば」表紙



「女のあしあと」  1956年  渋谷実監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立アーカイブ所蔵作品)  

国立アーカイブ所蔵プリントでの上映。
ということは、貸出用のプリントが松竹にはないということだ、巨匠といわれる渋谷実の作品なのに。

ともかく上映が始まる。
暗い画面が続く。
明るさは窓やカーテンを通して縞状に登場人物にかかる。
まるでスリラーかフィルムノワールのような画調。
おまけに主人公の有馬稲子はほとんどのセリフをつぶやくようにしゃべり、彼女の看板シリーズ「抱かれた花嫁」(57年 番匠義彰監督)などでの明るく朗々たる声量が封印されている。

といってもこの作品は、スリラーではない。
市井の庶民たちの個人的な感情を描くホームドラマである。
ブラックユーモアと辛辣な客観的視点を加味した・・・。

プレスシートより

住宅地に住む家族(佐田啓二、杉村春子、石浜朗)のもとに信州から見知らぬ娘(有馬稲子)が訪ねてくる。
佐田の転勤案内はがきの切れ端をもって。
さあ、憤った戦後派サラリーマンの佐田は自分を騙り、田舎娘をだました犯人を探し始める。
弟の石浜は娘が不憫で家に連れてくる、母親の杉村は迎え入れる。
佐田は嫌がる。

娘には信州時代の幼馴染(淡路恵子)がいて、デザイナーを目指すと上京したが、勤め先の王子のおもちゃ工場を脱走して、三国人の妾(2号ではなく3号)をしており、屈託なく娘に会い、相談に乗る(3号生活を勧める)。

娘は佐田の一家に感謝しつつも、自分の心情を明かそうとはしない。
彼女は信州で、佐田を騙り、自分をだまして捨てた男が忘れられないのだった。

プレスシート

捨てた男は佐田の友人の大木実。時代の被害者でもある大木はしっかり者の姉と二人暮らし。
姉の前では甘えるだけの大木だが、夜の酒場には情婦(小林トシ子)がいるし、出張先の信州で無垢な娘を犯すなどやることはやっている。
過保護な姉と甘える弟。
いい大人の二人の関係がキモチワルイ。

半面、常識的な小市民たる佐田一家の人物描写のワンパターンぶりも徹底している。
佐田と石浜はもともとワンパターン演技だからいいとして、杉村春子にまで余計な個性や達者ぶりを出すことを許さず、学芸会的な演技をさせる澁谷監督とはいったい?そしてその狙いは?

有馬は思い続けた大木とも再会し、この間好意を寄せることになった佐田のことは一顧だにしない。
が、ラストで交通事故に遭い、泣き言を言いつつ、謝って死んでいった大木に対し、一挙に醒める。
女は自分をだました男は許すが、自分に泣きついた男は決して許さないのだ。

かつて自分の体と心を奪い去った男に醒め、親切に言い寄る男には一瞥もくれず、背を向けて都会の寒風に中を去ってゆく信州出身の田舎娘。
彼女の近い将来が決して一般常識的価値観に則ったものにはならないだろうことは容易に想像がつく。

以上の通り、小娘の心をかすめもしなかった都会の常識的な小市民一家との物語がブラックにクールに語られるのであった。

一方で、現実の世界を割り切って泳ぐ若い女たち(淡路恵子、小林トシ子)が生き生きと描写されている。
彼女らはワンパターンな演技も強制されず、ボソボソとしゃべることもなく、ハキハキ堂々としていて好ましい。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

澁谷監督のイジワル風な演出には惑わされるが、信州の山の旅館のエピソードの時に、旅館内を表現するのに必ず、昔風の木の浴槽に溢れる効きそうな温泉を手前に配しているのが可笑しかった。
そうしないと『信州の山奥の温泉旅館』という『記号』が表現できなかったんだろうが、ストーリーや人物描写のほかに画面の構図にあってもワンパターンが好きな監督なのだろうなあと思ったものでした。

有馬稲子については、「東京暮色」とともに抑えた演技で暗い女性を演じた作品。
その明るい個性をあえて発揮しない貴重な作品といえるのでは。
彼女らしさを楽しむのなら「花嫁シリーズ」や「白い魔魚」がいいと思いますが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

山小舎アルバム作成

しばらく作成していなかった山小舎のアルバム。
スマホで写真を撮るようになり、紙の写真をアルバムに貼ることもなくなりました。
が、初代オーナーの写真や新聞記事などを記録保存したくて、2017年に初めてのアルバムを作りました。
その後、何度か作成していました。

来客が多くなった去年、その姿を残したくてアルバム作りを再開しました。
2023年分から3年分です。

作り方はスマホで撮った写真データをUSBに移し、コンビニでプリントアウトしてアルバムにすることです。
プリント代がかかりますので、アルバム自体は100均で、A4サイズのホルダーを買い、写真台紙には同じく100均で画用紙を買って済ませました。
フエルアルバムのようなものを買うと1500円から2000円しますのでかなりの節約です。
またアルバム自体がかなり軽くなったので便利です。

100均でホルダーを
100均で画用紙を

先ず写真を選びます。
写真データはブログ優先で使っており、ブログ側に移行したデータは私の技術ではUSBに落とせないので、いい写真は使えないのが残念です。

写真を紙に出力したら、トピックごとにレイアウトし、写真そのものをカットするなどして、台紙に貼り付けます。

写真データを紙に出力
写真をカットするなどして台紙に貼る
エピソードごとにページを作成

2023年のアルバムは人物写真がなく、畑作業や県内旅行のものばかりとなりました。
2024年と25年はゲスト全員分の写真を載せました。
ブログと異なり個人情報関係の制約はなしです。

表題
目次
写真へのキャプション

目次を作り、各ページの写真ごとにキャプションを書いて完成です。

来客に見せたり、何より山小舎自体の記録になります。
今後はスマホの写真も、アルバム用にいいものをブログに全部は使わず残しておくようにします。

柿酢、完成

去年山小舎で仕込み、一時は漬け込んだ柿が爆発したこともある柿酢が完成しました。

2月に訪れた山小舎の貯蔵庫で寒仕込みで冬を越した柿酢。
無事発酵を終え、静かに熟成していました。

年を越した柿酢を開封

匂いを嗅ぐと酸っぱい酢の香りがします。
味見をするとまろやかで、ツーンとしない味がします。
しばらくぶりの自家製柿酢です。

ざるで漉し、固形部分を除く
残った柿酢

仕込み瓶の中の黒く変色した部分を捨て、澄んだ液体をキッチンペーパーで漉します。
漉した酢は滅菌した瓶に入れて常温保存です。
加熱して発酵を止めて保存するやり方もあるようです。

これをペーパーで漉す

すでにドレッシングや醤油と混ぜてポン酢として、また料理の隠し味に使っています。

柿酢の出来上がり

3月の彩ステーション

山小舎おばさんが、調布市柴崎の商店街の空事務所で主宰してから7年目の彩ステーション。
『みんなの居場所』をモットーに日々活動しています。

この日のトークイベント風景

定例の活動内容は、健康マージャン、十筋体操、ピアノでハモろう会、ギターで歌おう会、談論風発の会、ランチの会など近所の主にご老人たちを対象にしたものから、月一回の子ども食堂、お結びカフェ、寺子屋の会など。

不定期で落語、アクロバットなどの公演。
認知症などを対象とした専門家の集まりや、介護学生の実習場所、施設の子供たちの作品展覧会などなどしての活動も。

集まってくるのは近所のご老人から、専門家、学生、子供たちとママさんなど。
催し物をリードするのは、アクロバットのプロや、ピアノの先生、落語の真打、有志の方々など。
裏方にはベテランの主婦らがキッチンで大車輪。
子ども食堂は小学校PTAのパパとママが主催。

ときどきは日本人の夫と暮らす外国人女性(グアテマラ、パラグアイ、イランなど)が出身国の話題と料理で夕べの会を開いたり、仲間を集めてパーテイしたり。

コロナで中断する前には『カフェ彩』として持ち込み自由、ワンプレーと500円のアルコールOKのカフェ(18時から21時)が開かれたこともありました。

中には、ドイツに住むピアニストやアメリカに住む織物の専門家なども。
この日はグアテマラ織りの専門家が講演会を開くというので聞きに行きました。

トークイベント開催のちらし。3月は落語も開かれる

この方は上野原小学校と神代中学卒のバリバリの地元出身。
海外放浪の末、中米グアテマラに魅せられ通うことしばし。
織りのもなどを日本に紹介したり、即売したり、講演したりしています。

小林愛子さんの自己紹介パンフ

集まった近所のご高齢を前に、グアテマラで出会った織物のすばらしさ、その文化的、技術的意味などを解説していました。
話題は世界情勢を地理的にも時間的にも縦横無尽に飛び回り、特に今のアメリカの国際的政治情勢の危うさを肌身実感として訴えていました。

小林愛子さん
グアテマラ織りのバック

こういった突拍子もない活動に出会えるのが彩ステーションに凄いところです。

ママチャリ迷走記2026 三多摩の桜を満喫

3月下旬の東京三多摩地区。
桜が満開になりました。
ママチャリで出発します。

神代植物公園北側のバス通りを通ります。
かつてこの通りは、バスの屋根に触れそうなくらいに桜の枝が垂れ下がっていました。

深大寺五差路付近のお花見
神代植物公園北側の桜並木

三鷹の深大寺地区の畑の間を通り、天文台通りに出て北上、東八道路に出ます。

三鷹市深大寺の農家の桜古木

東八道路に分断された野川公園は人々が三々五々散歩しています。
ここから、桜の名所である小金井の上水路沿いの土手と小金井公園を目指します。

野川公園
小金井の御寺の境内も満開
中学のグラウンド

小金井の、玉川上水付近に来ると、どんどん公園を目指している人々がいます。

玉川上水土手に建つ小金井桜の碑
玉川上水上から見る桜並木

小金井公園では桜祭りという催しが行われていました。
桜も見事ですが、屋台の列と人の熱気、そして伝統のお花見の光景に圧倒されます。

伝統の花見風景。この熱気を見よ

令和8年の東京のお花見も無事行われました。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映 番外編 木下恵介の「永遠の人」



「永遠の人」  1961年  木下恵介監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

阿蘇の麓の農村を舞台に、日中戦争がはじまった昭和7年(1932年)から戦中、戦後、昭和35年(1960年)までを5つの章に分けて描いたドラマ。

登場人物は庄屋の跡取り・仲代達矢、庄屋の作男の娘・高峰秀子を中心に、高峰と相思相愛の小作人の息子・佐田啓二、その妻になる・乙羽信子、仲代に高峰が犯された時に身ごもった長男・田村正和らが、2世代3世代にわたってお互いの確執、愛情、憎悪、そして許しを描く人間大河ドラマ。
すべてを見守る阿蘇の雄大な自然が舞台設定。

オリジナルポスター

上海事変から足に戦傷を負って庄屋の息子・仲代が帰ってきた。
馬車で凱旋し、盛大な歓迎会が繰り広げられる。
そこで下働きをする小作人の娘・高峰を見染める仲代。
娘は出征中の佐田と恋仲だったことを知りつつ仲代は高峰を襲う。
ひねくれた性格の仲代には、少年時代から優秀だった佐田への嫉妬もあった。
犯された後、身投げしようとして佐田の兄に滝つぼから救出される高峰。

無事帰ってきた佐田が真っ先に高峰のもとに向かい、事情を知る。
内心軽蔑していた仲代に恋人が犯されたわけだが相手は庄屋の息子。
ならばと駆け落ちしようと高峰を誘うが、約束の場所に佐田は現れず、一人で出奔する。
高峰は乞われて庄屋に嫁ぎ仲代と夫婦となる。

夫婦には長男の田村正和のほかに弟と妹ができ、不自由なく生活している。
長男に何かと冷たく当たる高峰と、長男を可愛がる仲代といういびつな家族関係が家庭に影を落とす。
夫婦の不仲と長男の不遇を見て育つ弟と妹。
学校で問題行動を起こしてばかりの長男だったが、高校になり自分の出生の秘密を知る。
人生に絶望した長男は阿蘇の火口に身を投げる。

村に戻った佐田は妻・乙羽信子と暮らしてるが、佐田は妻に心を開こうとはしない。
庄屋に手伝いで通い始めた乙羽は、夫の心が高峰にあると嫉妬する。
高峰の心も佐田にあると思っている仲代は、突然、乙羽に迫るが高峰に気づかれ「けだもの」とののしられる。
乙羽は追い出される。

プレスシート

時がたち、高峰の娘が佐田の息子(石浜朗)と駆け落ちする。
駆け落ちを独断で黙認した高峰。
激怒する仲代。
既に次男は東京での学生運動で逮捕状が出ている。
唯一の希望であった娘の出奔で、仲代と高峰の仲は決定的な崩壊を迎えるが、高峰はこの期に及んでも仲代を決して許さず、仲代も自分を許さない妻へのゆがんだ征服欲を解こうとしない。
田圃の中に建つかやぶき屋根の大きな屋敷とそれを見守る阿蘇の自然が変わらないように。

追われる身となった次男が阿蘇にバスでやって来る。
逃亡資金を渡し乍ら高峰が会いにゆく。
次男は「昔、村に一揆があった時に、うちの先祖は一揆衆を裏切っり、虐殺された大勢の死体を埋めた場所に住んできた」と庄屋の一族の業を説く。
また「お母さんがお父さんを許さない限り、僕もお母さんを許しませんからね」と言って去る。

駆け落ちした娘らが赤ん坊を連れて、死の床に就いている佐田に会いに来た。
高峰も駆け付ける。
佐田が仲代に謝りたいというのを聞いて高峰は田んぼの中を仲代のもとに駆け付ける。
彼女は生まれて初めて仲代に謝り、佐田の元へ同行してほしいと頼むが、仲代はかたくなに心を開こうとはしない。
「もういい」と一人で飛び出す高峰に仲代の声がかかる、二人で田んぼの中を佐田の元へ急ぐ姿にエンドマークがかかる。

プレスシート

ラストこそハッピーエンドに近いが、それまでは人間同士の不寛容と憎悪に塗りこめられたような筋立て。
そこにフラメンコギターで熊本弁の歌詞をフィーチャーした木下忠司(恵介監督の甥)の音楽がかぶさる。
異化効果を狙ったのか、人間の心理をドキュメンタルに描くことだけを第一義としない木下映画のカラーなのか。

人間同士の不寛容と憎悪を、仲代と高峰の夫婦関係に限定せず、それこそ歴史上の業から、子供たちへの影響が輪廻となって一族に繰り返されるまで、時間軸、空間軸を広げて描く、木下脚本の筆力は本作でも本領を発揮。

高峰は単なる弱者、被害者ではなく、金持ちの庄屋の奥様として居座る姿にいびつな復讐心と功利的な心理が現れている。
映画の途中から、何十年も心を開こうとしない妻を持つ仲代が可哀そうに見えてくるほどだ。

かつて駆け落ちをしようとして土壇場で逃げる佐田についても単なる被害者ではない弱さが付加されている。
彼も満たされぬ自分の思いを妻の乙羽にぶつけ彼女を傷つける弱い男なのだ。
ただ佐田は死の床で、孫の訪問を受け入れ、高峰に感謝し、仲代にわびようとする。
主な登場人物で初めて自分から心を解放したのが死の床の佐田ではあった。

映画は全く幸せそうな若夫婦(石浜朗ら)を描写し、一族とその人間関係からの解放を謳っている。
後には、老境に差し掛かり、人生の残滓を迎えている戦前世代の直接融和と心の解放が課題として残されるが、それについてもハッピーエンドを示して終わる。

木下恵介としては畢竟の実験的大作「笛吹川」が期待ほどヒットせず、9か月のブランクを経て制作したのが本作。
本作は幸いヒットして面目を保ったようだ。
残酷なほどの冷徹で執拗な視点、実験的で斬新な手法(フラメンコの使用など)は木下映画そのものだった。

特集パンフの作品解説より

ラピュタ阿佐ヶ谷の「松竹女性映画珠玉編」の1本として上映された本作でした。