ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち④ 岡田茉莉子

岡田茉莉子

岡田茉莉子、1933年東京生まれ。
サイレント時代の美男スター岡田時彦と宝塚の男役スターの間に生まれる。
時彦の死後、母子家庭で育つ。
戦時中は新潟に疎開し女学校を卒業。
母方の叔父が東宝の文芸部におり、その紹介で51年、東宝にニューフェース扱いで入社する。

岡田茉莉子にも自伝がある。
「女優 岡田茉莉子」(2009年 文芸春秋社刊)。
出版社といい、ページ数といい一流の扱いだ。
聞き書きや新聞連載の再録ではなく、本人の書き下ろしであるようだ。

自伝「女優 岡田茉莉子」文庫版表紙

ラピュタ阿佐ヶ谷の『松竹女性映画珠玉選より①高千穂ひづる』『同②有馬稲子』で紹介した、高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦」や有馬稲子の「バラと痛恨の日々」「のど元過ぎれば」と、「女優 岡田茉莉子」を読み比べると、ほぼ同年の3人の女優さんの個性の違いが浮き上がる。

東宝の新人女優らと。左から有馬稲子、杉良子、青山京子

高千穂さんは、両親が揃った円満なご家庭の出身。
宝塚からの映画入りと女優の王道を歩んできたくらいだから、凡人の数倍の自己顕示欲とスター性があるのだが、あとの二人に比べると自我の強さ、自己顕示欲の強さがかすんでしまう。
自伝には、宝塚時代、映画時代で知り合った俳優・女優がまんべんなく紹介されており、高千穂さんの常識的で人格円満な性格がうかがえる。
様々な監督、スタッフ、俳優らへの辛口のエピソードもあるがあくまで常識的な範囲である。の場合

有馬稲子の場合は、少女漫画の主人公のような波乱万丈の生い立ちと、実父との良好ではない関係からも、出発点から凡人とは異なる星のもとに生まれている。
宝塚も映画女優もそれが目的ではなくて、彼女の人生で強烈に希求し続ける”何か”に到達するための手段であり行程。
惹かれる相手は超一流の文化人か、不倫相手。
中庸、常識といったものに関心はない。
彼女の自伝から読みとれるキーワードは、『母親』『不倫相手の映画監督(市川崑)』『岸恵子』そして舞台公演で全国を回った『はなれ瞽女おりん』ということになろうか。

一方、岡田茉莉子の自伝からはキーワードとして『岡田時彦』『小津安二郎』『吉田喜重』があげられる。
3人の中では一番表舞台向きではない性格なのだが、内面では自己顕示欲がめらめらと燃えている。
大スターであった父・時彦の名が間断なく自伝に出てくる。
映画界に入れば、文豪谷崎潤一郎から芸名をもらう。
巨匠小津安二郎がサイレント時代に父時彦と組んで数本の映画を撮ったことから、巨匠には現場で”お嬢さん”と呼ばれる。
岡田茉莉子こそ、全盛期の日本映画界に米必然として舞い降りた生まれながらのスターだったことがわかる。


東宝に入ってからは会社の売り出しで人気が出るが、現代的なアプレ娘や芸者の役ばかりに不満が募る。
松竹に移って、渋谷実、中村登、などの名匠に登用され、最終的には小津組の”一番バッター”として可愛がられ、映画女優としての頂点を迎える。
その頃に出会ったのが結婚相手となる吉田喜重監督。
100本記念作品として岡田自らのプロデユースで製作された「秋津温泉」(62年 吉田喜重監督)以降の映画人生は、吉田との二人三脚というか吉田の文化人としての活動を追うようにして進められる。

デヴュー作「舞姫」(51年)。成瀬巳喜男監督、高峰三枝子と

吉田との独立プロ・現代映画社での諸作品、とくに「エロス+虐殺」(70年 吉田喜重監督)以降の、フランスなど海外でのグローバルな展開、夫君吉田のオペラ演出などについての記述が自伝の後半を占める。
間隙を占めるのは、映画衰退後の自身の活動としての舞台公演の模様。
岡田はその後も舞台女優として、商業演劇のトップに立ち続けていたのだ。

自伝中の記述には、映画で共演した高峰秀子らの演技について、”役を演じるのではなくて高峰さんご自身を演じて居る”と分析している。
撮影現場で実感した真実であり、岡田茉莉子の慧眼でもある。

「山鳩」(57年 丸山誠治監督)

筆者にとっての岡田茉莉子は、松竹時代の「集金旅行」(57年 中村登監督)、「モダン道中 その恋待ったなし」(58年 野村芳太郎監督)での洋装の似合う、素人離れした神秘的美人。
「秋日和」(60年 小津安二郎監督)でおじさま方相手にやりこめる気の強いすし屋の娘。
そして「秋津温泉」での、時代と心中したような、象徴としての昭和の女性像。
東宝時代の「浮雲」(55年 成瀬巳喜男監督)で、森雅之に横恋慕して破れ、扉をピシャッと締める伊香保の田舎芸者の元気の良さにもびっくりしたが。

「浮雲」(55年)。森雅之と

ある年の『小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』のゲストに登壇した岡田茉莉子本人のトークを、茅野の新星劇場で見たことがある。
既に高齢となり動作や口調にぎこちなさが現れていたが、前年(だったか)の同映画祭のゲスト司葉子のトークが亡くなった原節子とのエピソードに終始していたのに対し(司葉子なりの時流に配慮したファンサービスだったのだが)、老いた中にも毅然とした態度の岡田茉莉子が印象的だった。
「秋日和」でのチャキチャキとした演技のことも、小津監督や周りのオジさん俳優たちとの現場でのやり取りも含めて、分析的に話していた印象がある。
高齢になっても華やかさを失わない司葉子に比して、底光りするオーラを有しながらも華やかさとは縁を切ったような其のたたずまいであった。

思い出深い「秋津温泉」。オリジナルポスター



「悪女の季節」  1958年  渋谷実監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

松竹の大御所監督の一人、渋谷実初のカラー作品。
菊島隆三のオリジナル脚本。
山田五十鈴、東野英二郎、伊藤竜之介、杉浦直樹(松竹入社第1回作品)、九条映子(のちの寺山修司夫人)らの出演。軽井沢・浅間山ロケ。

オリジナルポスター

巨匠初のカラー作品で名優・山田(五十鈴)いすゞと今を時めく美人女優・岡田(茉莉子)の共演となれば番線番組であっても尺は長いのか。
100分余りの上映時間は長かった。
前半の山田五十鈴の腹に一物ある後妻(籍は入っていない?)が実業家の因業ジジイ(東野英次郎)を殺害しようと、間男(伊藤雄之助)と共謀してあれこれする時間がまず長い。
熟女とはいえ、まだまだ入浴シーンも悩ましい五十鈴姐さんの色気があって退屈はしなかったものの。
さらにはジジイ宅のばあや(三好英子)の存在がたまらなくオカシかったりする。

後半は五十鈴姐さんの娘で、今風に言えば不思議ちゃん的なキャラの岡田茉莉子が中心の場面となる。
この時期の岡田さんは、「集金旅行」、「モダン道中 その恋待ったなし」など、登場するだけでフィルム越しに強烈なビームを発射するほどの美人女優で、カラフルなファッションが似合う人だった。

プレスシート

岡田茉莉子は珍しく、ベッドで生足を大胆に披露。
松竹入社第一作の杉浦直樹とのキスシーンやダンスシーンもある。
何より、自らの悩まし気な仕草をパロデイ化するような演技を見せたりして芸の幅広さを披露する。
この人って、中村登監督作品でのはかなげなヒロインや、小津作品でのちゃきちゃき・ハキハキの現代っ子ばかりではなかったんだ。

岡田と杉浦がメインとなる後半では、軽井沢の山道(車道は細い砂利道だった)でオートバイの集団が事故死したカップルをハレルヤで葬送していたり、砂利道を次々と自転車が走り抜けたりと不可解な場面が続く。
オートバイ集団の若者(岡田と杉浦もその仲間らしいが)は、山小舎に着くと雨の中をカップルで踊り狂ったりする。
巨匠渋谷監督の目に移った若者像なのか批判的パロデイなのか。

一癖もふた癖もある母親とその娘が、因業ジジイと財産を巡って騙し合うが、双方ともに思うようにはならない。
ラストは浅間山の噴火口にまで、気球に括り付けられた宝石箱を巡って全員が火口に転げ落ちてゆく。
最後まで生き残ったのはジジイ宅の婆やだけだった。
メデタシ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

自伝では『そうした嘘の演技を二人(山田五十鈴と)で楽しみながら演じることができたのも、渋谷さんの演出力のおかげなのだろう』(文庫版自伝 P159)と述べている

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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