ミズナラを割る

薪割の話です。
連日の夏日は薪割の季節。
来年の冬の燃料となるべく、薪の乾燥には絶好の気候です。
畑帰り、バイト帰りの夕方、ちょくちょく薪割をしています。

今日は、薪割にすべき玉(長さ40から45センチ程度に切った丸太)が少なくなってきたので、貯木スペースから玉を運び上げました。

貯木スペースには、玉に切る前の丸太や玉に切った材木が転がっています。
軽トラで貯木スペースへと下りました。
そこにあったのは、春先に伐採したミズナラ。
既に玉に切って転がっています。
それを運び上げることにしました。

伐採し、玉に切り、長雨に打たれ、紫外線にさらされた原木です。
広葉樹らしくずっしり重く、水分をたっぷり含んでいます。
薪にすると商品価値が出る木材です。

ひさしぶりにミズナラを割ってみました。
ここのところ、カラマツなど針葉樹ばかりを割っています。
斧でパカーンと割れることはまずない針葉樹です。
松脂が詰まったような材質で、節が絡まっている印象です。

ところがミズナラはその重さにもかかわらず、斧を振り下ろすと手ごたえがあるのです。
材質が繊維質っぽいというか、素直な木材というか・・・。
久しぶりにパカーンと割れる手ごたえを感じました。
そうだよ、これが薪割でしょ・・・。

繊維に沿って4つに割れるミズナラ。これぞ薪割です

斧の刃先が食い込む感じ、繊維に沿ってまっすぐ割れる感じ・・・。
広葉樹と日本人の親和性を感じる、といったら大げさでしょうか?

太古の時代からこの日本列島に於いて、人類との共存の歴史を担ってきた広葉樹。
戦後になって商業目的から植林された針葉樹とはその歴史が違います。

針葉樹を切ったり割ったりしていて、その木材との親和性を感じることは少ないのです。
「自分は何のために植えられて、育ち、切られて、何の役に立とうとしているの?」と針葉樹の丸太が語っているような気がします。

広葉樹の場合は、夏は昆虫を養い、人間の日陰となり、冬は落葉が土の養分となり、倒木は炭や薪の材料として利用されることを、木自身が自覚しているような気がするのです。
そして、植林しなくても種や株から再生してくるのが広葉樹です。

春先に伐採した玉を蒔き割場に引き上げます
斧の一撃に手ごたえがあります。第二撃を加えます
繊維に沿って割れた薪。薪らしい薪ができます。

薪割を通しての木との語らい。
これは広葉樹をに於いてのみ可能なことではないでしょうか。
日本列島の大先輩、広葉樹から木と人間との関係を教えられた夏の一日でした。

ミズナラとてすべて斧で割れるわけではありません。節がある玉は楔をつかます

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

「ミズナラを割る」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    当方、そろそろ50歳のおじさん界の中堅気持ち若手です。
    木との語らい素敵ですね。
    建設業のため廃材が多く、無垢材を選んで河原やキャンプ場でのBBQの際に薪にしたりしていましたが、長さをそろえるくらいしかせず燃料以外に何も感じていませんでした。
    自然の中での田舎暮らしは憧れなので参考にしていきたいと思っています。
    お体に気を付け頑張ってください。

    1. shuzou様
      コメントありがとうございます。
      またブログを読んでいただきありがとうございます。
      木の世界は奥が深いものと最近になって思っています。
      乾燥した廃材も焚き付けなどには必要な木材ですよね。
      今後とも情報、ご連絡等よろしくお願いします。
      まだまだお若いですが、おじさん人生のご同輩としてお付き合いよろしくお願いいたします。

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