神代中学の桜

近所の神代中学の校庭に沿って桜並木があります。
東京に桜開花宣言が出た後、神代中学の校庭付近を通ってみました。

山小舎おじさんの子供たちがこの中学に通っていた頃は、桜の満開は入学式が終わった頃で、グランドに花びらが散っていたのを覚えています。
現在は、温暖化の影響なのか、入学式を待たずに咲き始めています。

桜の季節とはいえ、三寒四温。
ポカポカ陽気の間には肌寒い曇り空が混じる季節です。

三鷹を流れる仙川の河川敷が菜の花真っ盛りです。

近所の庭のミモザが咲き乱れています。

3月の東京

春を探して家の近くを散歩しました。

家の庭にいつの間にか沈丁花が咲いています。

家の横の遊歩道沿いにはボケの花が開花しつつあります。

梅が散っています。

畑は植え付けの準備完了です。また、菜の花が真っ盛りです。

歩道沿いの花壇には、水仙などが満開です。

木蓮が咲き誇るグランドでは少年サッカーの試合が行われていました。

冬から春にかけて、かんきつ類が実るのも関東ならでは。
夏ミカンやキンカンが鮮やかな黄色の実をつけています。

高田馬場から九段下まで

ある春爛漫の日、早稲田通りを散歩しました。

高田馬場駅で降りて早稲田通りを歩きます。
賑やかな高田馬場駅周辺を抜け、明治通りを超えると、学生街の雰囲気が漂います。

ここら辺、20年前は古本屋が軒を連ねていたのですが、今では数軒から10件未満が残るばかり。
代わって飲食店の出店が目立ちます。

早稲田界隈の古本屋には、左翼思想や沖縄問題などの専門店があったり、値段が安かったりして、覗くのが楽しみです。
この日も映画関係の本や戦後の対米慰安婦関係の本を買ってしまいました。

更に早稲田通りを下り、穴八幡神社のある交差点を過ぎると、キッチンオトボケがありました。
ここで昼食です。カツカレーは720円に値上がりしていましたが、ボリュームとルーの味は変わりありませんでした。
店内のスタッフは、変わらず元気なビルマ?人の若者たちでした。

この日もにぎわっていたキッチンオトボケ
カツカレーは変わらぬ味

神楽坂方面へ歩きます。

ここからは主に和菓子屋、お茶屋、パン屋を覗き、適当なお土産を探しますが、値段が高い!ので断念。
名画座とピンク映画館があった路地へと進みました。

名画座(今ではミニシアターといわれる)のギンレイホールが閉館になっていました。
場所を移して再開するとのことですが、また一つ昔ながらの映画館がなくなりました。
ピンク映画館は数年前に閉館しています。

閉館していたギンレイホール

この後は飯田橋駅を横に過ぎて、青森県会館にあるアンテナショップを覗いてから九段下まで歩きました。

靖国神社の鉄製の大鳥居(必要以上に大きくないかい?)を見ながらベンチで休憩。
都営新宿線で帰りました。

節分の日の田無神社

令和5年節分の日は日曜日でした。
たまたま自転車散歩で立寄った田無神社では、節分の例大祭が行われていました。

新青梅街道を新宿から武蔵野市を越え、西東京市に入り、所沢街道への追分の手前に鎮座する田無神社。
鎌倉時代の創建と伝えられ、青梅街道旧田無宿の付近に位置する。
現在でも地域住民の参拝で賑わう。

通りかかると外からでもうかがえるほどの賑やかさに思わず自転車を止める。
鳥居をくぐると、移動カフェや屋台も出店し、家族連れが三々五々集まっている。
賑わいに誘われるように境内へ進む。

神楽殿も開かれ、獅子舞も出ている。
本殿には参拝を待つ人の列。

開かれた神楽殿
獅子舞と一緒に記念撮影をする親子

ひっそりとした神社仏閣の風情もいいが、縁日で賑わう境内はさらにいい。

本殿に並ぶ参拝客
本殿

都心の神社のメジャー感や、にぎやかさはないが、地域独特のまったり感がいい。

女性宮司が本殿で神事を行っていた
鯛がここの名物なのか

ここまで自転車に乗ってきて、立春を迎える喜びを味わわせてもらった思いで、田無神社を後にしました。

新春の神田明神

令和5年の1月下旬。
神保町からお茶の水へと歩いたついでに神田明神に参拝しました。

神田明神は江戸総鎮守の神社で、江戸城の鬼門に位置します。
主宰神の一人が平将門で、その時代に関東で反朝廷の武力蜂起を起こした人です。

将門は捕らえられて処刑されましたが、この場所に神と祀って、その祟りを抑えるとともに、江戸の鬼門を封じたのです。

久しぶりに訪れた神田明神。
都心の由緒ある神社としての格調、品格があります。
主宰神の荒々しい主張は極々薄められ、代わりに長い間庶民が集い祈った場所の、穏やかさ、賑わいを感じます。

正月ではないので、お参りに並ぶ人の数もわずか。
おみくじが結ばれた木が、真っ白に待っているのが目を引きます。

都内のみならず、全国から人が集まっているようです。
山小舎おばさんの仕事の繁盛を祈願して、お札をもらって帰りました。

浅草寺と浅草界隈

令和5年1月。
遅い初詣を兼ねて浅草へ行ってきました。

平日の金曜日ながら、都営浅草線のホームにはアジア系の観光客の姿が見られ、気分はコロナ前に戻った浅草界隈です。

浅草へ行くのなら、と家族からリクエストのあったどら焼きの亀十。
店へはいってゆくと「並んでください」とのこと。
外へ出てみると中国人らしき観光客などが三々五々並んでいる。
どこが最後尾かと聞けば、次のブロックあたりだという。
どれくらい並ぶ?といえば4、50分との返答。
速攻で並ぶのをやめる。

見れば隣にも和菓子屋があり、店内には全く客がいない。
値段も亀十が350円とすれば、どら焼き1個が240円と適正価格。
こちらの店でお土産のどら焼き購入とする。

亀十前に並ぶ人の列

雷門の前へ。
内外の観光客であふれている。

ここから浅草寺への参道沿いの仲見世は浅草随一の人出が集まる。
折角なので浅草寺へお参りする。

仲見世を行く人出を見ると、中国人やらスペイン語?をしゃべる外国人やらに交じって、修学旅行?の中学生グループの姿が目立つ。

浅草寺仲見世

浅草寺の山門をくぐり、煙を浴びて本堂で御参り。
振り返ってみる五重塔と山門の姿がいい景色だった。

諏訪大社本宮にあった神宮寺の五重塔も現存していれば国宝級、という話を思い出した。

浅草寺の山門
本堂から山門方面を見下ろす

浅草寺の後は、法善寺通りを通り、ホッピー横丁から、六区興行街へ。

和装で人力車の乗る内外の観光客やら、目指す店に並ぶ人の姿が目に付く。

人力車で浅草を回る観光客
天丼の大黒屋にも人が並ぶ

六区興行街のはずれにあった浅草名画座やピンク劇場の跡地にはホテルが建っていた。
向かいの場外馬券売り場は今日は休業日だ。

六区の浅草名画座跡地に建つホテル。突き当りは関東大震災で倒れた「十二階」が建っていた場所になる

ひさご通り入り口にある、350円のラーメンで昼食。

千束通りへ抜け、土手から旧あしたのジョー商店街、山谷、泪橋から三ノ輪へ行ってこの日の行程を終えました。

教のランチは350円ラーメン。東京風のあっさり味
ひさご通りから望むスカイツリー
土手の伊勢屋(天丼)も営業中だった
アーケードを取っ払い、ドヤ街とは訣別した?旧あしたのジョー商店街
山谷の労働者福祉会館。稼働しているのだろうか?
泪橋交差点にあるその名も泪橋ホールという映画喫茶。次回訪問してみたい

令和5年初詣 その2

田端神社

新年早々自転車でほっつき歩いていると、杉並区に気になる神社がありました。
荻窪のはずれにある神社で、表道路から参道が長く続いており、その奥を覗いてみたくなります。

田端神社といい、昔この地区にあった村の田んぼのはずれに立っていた氏神様のようです。
1月早々ですが、境内に梅が咲いておりました。

本殿わきには梅が咲いていた

住宅街に取り囲まれた小さな敷地の神社ですが、よく手入れされたこぎれいな場所でした。

神明宮

阿佐ヶ谷にある神社です。
古くから有名で、ヤマトタケルが東征の帰途に休憩したとか、近世では甲州街道の旅人が内藤新宿から寄り道して参拝したという記録もあるそうです。

去年、山小舎おじさんが立寄った際には、神楽殿で晴れ着姿の娘さんたちによるかるた大会が開かれており、大変華やかでした。
また、その時に初もうで客がずらりと並んでおり、参拝をあきらめたことでした。

神楽殿はこの日は閉鎖

この日はほどほどの人出。
ゆっくり参拝することができました。

拝殿の奥の本殿の造りと配置を見ると、伊勢神宮を連想しました。
伊勢系、天孫系の神社なのでしょう。

東京の神社らしく、敷地も広く、きれいに整備され、華やかな雰囲気が漂う神社です。

拝殿にて参拝
拝殿の奥に鎮座する本殿

布田天神

調布住民はこの神社への挨拶は欠かせません。
古くから調布地区の氏神様です。

布田天神境内に作られた鬼太郎のサンドアート

3が日もとうに過ぎているので参拝客はまばら。
サクサクとお参りを済ませます。
調布地区の守り神なので、家族の安泰と併せ、調布地区の安寧もお祈りします。

本殿

参拝を終わって境内を見渡すと、神楽殿、社務所の造りや配置が堂々としており、都下の氏神とはいえやはり首都東京の神社の堂々たる様を感じます。

社務所の立派な造りに改めて気が付く

令和5年初詣 その1

令和も5年となりました。
新年を東京の自宅で迎えた山小舎おじさん。

自宅の切り盛りは、今やすっかり現役で働く山小舎おばさんこと、奥さんの主導のもととなっております。
一方、自宅ではお邪魔むしとなりかかっている山小舎おじさん、今年も自の行動で自らの生活を切り開かんと気分一新、頑張っています。

年末年始のかなりの期間、風邪で調子の出なかったおじさんですが、体調の合間を見ては初詣に出かけました。

小金井 金蔵院

小金井には自転車でよくゆきます。
野川が形作る国分寺崖線の上段と下段に広がっている小金井市。
崖下の道に沿って走ると、突き当たりに金蔵院というこぎれいなお寺があります。

金蔵院正面

通りかかると初詣の参拝客がチラホラ見えたので寄ってみました。

山門から本堂を望む

きれいに整備されたお寺で、初もうで参拝客を迎える準備も整っていました。

金蔵院本堂

青謂神社

深大寺に隣接するようにこの神社があります。
お寺と神社が等分されたように隣接しているのはたまに見ますが、お寺の深大寺が栄え、神社が付属するように残るというのは珍しいのかもしれません。

鳥居をくぐる

無人のおみくじ売り場でおみくじを引きました。
上がり目が残る中吉でした。
この後は深大寺へ向かいました。

本殿にお参り

深大寺

この地域の古の中心部だったのでしょうか。
神代城なる幻のお城もあったという場所で今も栄えるのが深大寺です。

門前の団子屋に並ぶ参拝客

三多摩地域の観光地として定着した深大寺。
初詣の地として、大みそかから三が日は参拝客で長蛇の列。
調布をはじめ地域の住民は大体ここに初詣します。

山門を上がる人々

この日もほどほどの参拝客でにぎわっていました。

本堂で初もうで

お寺としての深大寺は、大規模なものであることがわかります。
住民として1年の家族の健勝を祈願しました。

立派な常香炉もある
回向柱、なのでしょうか
お札お守りに交じって土鈴が売られているのも深大寺らしい
山門から門前市を眺めます

水木しげるが見た光景

調布の文化会館たづくりで、水木しげるの展覧会があったので見てきました。
生誕100周年を記念しての展覧会です。

水木しげるさんは生前、調布市名誉市民でした。
現在でも市内に水木プロダクションが現存し、出版物などの管理を行っています。

ゲゲゲの鬼太郎ほかのキャラクターが有名ですが、出征したニューギニアでの体験を描いた戦記物が忘れられません。

今回の展示内容は、地元調布を描いた絵、鬼太郎や悪魔くんなどのキャラを描いた絵、戦記物の絵、などを中心にレイアウトされていました。

作者が描いた、戦時中ニューギニアでの戦時体験には何度見ても粛然とさせられます。
ビンタに始まり、命令絶対の非人間的な軍隊。
自らの左手を失った戦傷体験。
現住民との交流経験、などは作者ならではの貴重なものです。

これらの作品は、生き残って帰国した作者に死んだ戦友たちが描かせたものでしょう。
作品には作者ならではのユーモア、人間性も感じさせます。

作者が描いたアマビエの大きな絵が展示されていました。
水木さんにより描かれたアマビエならたいがいの災いは撃退されるような気がしました。

彩ステーションで eスポーツ大会

3月中旬に調布の彩ステーションを会場にある催し物が行われました。

eスポーツ大会です。

主宰は調布市とNTT。
市役所から場所提供と動員の依頼があり、彩ステーションで行われることのなったもの。

NTTによる通信環境の設定準備を経て開催。
市役所の担当係長が仕切り、プロの司会者を起用して行われました。

種目は太鼓たたき。ゲームセンターなどでよくやっているアレです。

動員された年配者の皆さん

出場者は彩ステーションに出入りしている年配者や子供たち。
さあ、開催時刻です。

ところが、当日になって同時開催場所の調布市文化会館「たづくり」との通信がつながらなかったりして、スタート時刻がのびのびに。
その間、市役所の係長さんのお話が続き、座っている年配者や子供たちが疲れてきて・・・。

司会者(左)と市役所係長(中)

色々なことがありましたが、大会は遅れて無事スタート。
いざゲーム開始となると、子供たちはさすがの対応力を発揮して活躍していました。

大会スタートし活躍する子供たち

彩ステーションとしては従来の活動内容との乖離がありましたが、守備範囲を広げ、多彩な人事交流という面ではいい経験だったのではないでしょうか。
何より、市役所から依頼があったというのがすごいと思いました。

見守る関係者たち