調布上ノ原小学校夏祭り

令和6年7月13日と14日、自宅近所の上ノ原小学校で夏祭りがありました。

上ノ原小学校夏祭り本部席

例年6月中頃を過ぎると、体育館で練習する太鼓の音が聞こえてきます。
夏まつりに盆踊りの櫓の上で叩く太鼓の練習が小学校の体育館で行われるのです。

毎年7月の中旬、夏祭りは行われます。
山小舎おじさんも、子供が小さかった頃は屋台の手伝いをしたことがありました。
当時の屋台は、地区の青少年対策委員会や、地区のおじさんソフトボールチームなどが思い思いに出店して、焼きそば、トウモロコシ、ビールなどを売っていました。

近隣の柏野地区の夏祭りが、地域の婦人会や青年会の助力を得た地域色の残ったものだとしたら、上ノ原地区のそれは当時から、地主や自治会、婦人会などの参加がなく(それらの地域組織はすでに無力化していた)、PTAなど小学生の親たちが中心になって行われていました。

開始を待つ夏祭り屋台

それからかれこれ20年以上たちました。
孫たちがお祭りを見たいと調布までやって来るというので、久しぶりに夏祭りの下見に出かけました。

焼きそばの屋台ではすでに出来上がったおじさんがいた

午後4時過ぎの小学校グラウンドは、焼きそばの準備をしたり、櫓に太鼓を運び込んだりと大わらわでした。
既にビールで出来上がっている出店者などもいました。
20年前より規模が大きくなり、またカオス化している印象です。
また出店者たちは若返っているというか、小学生の親世代が中心メンバーであることがうかがえ、祭りの世代交代が進んできたことがうかがえました。

盆踊りの櫓

小学校周辺は浴衣姿で友達と待ち合わせる小中学生や、会場へ向かう家族連れなどが続々と集まっています。

孫たちは7時過ぎにやってきました。
会場では、主な食べ物は売切れており、かろうじてお好み焼きを食べられたとのことでした。
会場に流れる音響は20年前の「東京音頭」「炭坑節」ではなく、流行りの現代音楽だったとのことです。

浴衣姿で参加する子も

23区内ではこのようなお祭りがすでに行われていないことが多く、お祭りや盆踊りを知らない小学生がいるとのこと。
賑やかに行われている調布上野原地区の夏祭りは貴重なのかもしれません。

また、時代は変われどお祭りに象徴される、参加型レジャー、発散の場、人間同士の接触の場、といったお祭りの持つ機能がまだまだ現代人に渇望されているのだとも思いました。

東京都知事選挙

小池都知事の任期満了に伴う都知事選挙がスタートしています。

6月下旬に山小屋へやってきた家族とともに一時帰宅した山小屋おじさんは、東京でたくさんの都知事選ポスター掲示板を見ました。

史上最大の50人を超える候補者が乱立したという令和6年の都知事選。
投票日は7月7日です。

マスコミでは現職の小池百合子のほか、対立候補の蓮舫などを盛んに取り上げています。
また、ポスター掲示板が、無秩序に混とんとしていることもニュースネタになっていました。

ほとんどが正規に使用されていたポスター掲示板

都内、といっても調布の自宅から自転車で行ける範囲ですが、の掲示板を覗いてみました。
ほとんどが正しく、候補者のポスターを貼っていました。

2件ほど「これかあ」と思える掲示板がありました。
一つは同じ候補者、というか政党党首、のポスターが何枚も貼られているもの、もう一つは正規の候補者ポスターの下、掲示板の枠外、に何者かのポスターがぶら下がっているもの。

中にはこういった掲示板も。数多く顔出しした方が勝ちということか
「小林弘」には笑った。なんでもありか

かつては選挙というもの、国民の権利にして義務のような位置づけで、犯しがたい権威に満ちたものだと思っておりましたが、いよいよ令和ともなった日本国の首都では、ポスター掲示板の無秩序に象徴されるごとく、かつての常識の遥か斜め上を行く事態に見舞われているようでした。

この破廉恥さが、既成の権力構造だったり、欺瞞に満ちた利権構造へのアンチテーゼから発せられたものであったら、方法的には疑問があるものの一定の意味があるのでしょう。

また、今の若者が普通に選挙制度に無関心であることと、今回の掲示板の現象が、選挙制度の欺瞞を隠し切れなくなったという意味で共通しているとしたら、問題をはらんでいるのはアンチテーゼをする側ではなく、体制側(および体制に追従することによって利益にあずかっている側)にあるのかもしれません。

いろんな意味で転換期にあるのでしょう、社会が。

調布市役所で期日前投票を行って東京を後にした山小舎おじさんでした。

掲示板の裏側

狭山境緑道全線走破

2月27日付の本ブログで狭山境緑道のことを書きました。

狭山境緑道は武蔵野市関町から東大和市の多摩湖まで、全長10.5キロメートルの緑道です。
大正時代に東京への上水道供給事業として掘削開始され、多摩川を水源とする人造湖の多摩湖(下村山貯水池)から、武蔵野市の境浄水場までをほぼ直線で結んだ取水路が完成しました。
取水路はのちに取水管が地下に埋められ、その上が遊歩道として開放され、現在に至っています。

春真っ盛りとなったこの日、武蔵野市関町から東大和市多摩湖までの緑道全行程を自転車で往復してきました。

自宅から関町5丁目の緑道出発点に向かいます。
途中、緑道が多摩湖の水を届けている境浄水場の脇を通ります。
境浄水場は井之頭通りに沿って広がる広大な施設です。

武蔵野市の境浄水場を井之頭通りから見る

浄水場が途切れてから少々ゆくと、井之頭通りが五日市街道に合流する関町5丁目交差点に着きます。
ここから狭山境緑道が出発します。

関町5丁目交差点。緑道の出発点

関町から花小金井まで

桜が散った4月中旬の緑道は、つつじ、ヤマブキ、ハナミズキなどの天国です。
ウオーキングの人々が、花々に囲まれながら気持ちよさそうに歩いています。

つつじ
ハナミズキ

関町から花小金井駅のあたりまでは、人通りも多く桜並木が整備された道です。
沿道の民家は、緑道に沿って花を植えたり、庭木を手入れするなどして緑道の維持管理に協力しています。
サイクリングロードのようにスポーツ自転車が高速で突っ走るようなシーンも少なく、とにかくのんびり散歩する人、駅などへの生活道路として使用する人の姿が見られます。

沿線の農家のプレゼンテーション
沿道には桜の巨木が残る
桜並木が続く花小金井近く

春を迎えた農地が耕されています。
都市農業がまだまだ元気です。

花小金井から小平まで

花小金井駅周辺を過ぎると緑道の人出が収まってきます。

沿線には、民家に交じって広々とした公園が多くみられるようになってきます。

桜吹雪の名残

小平の古民家などを集めたふるさと村という施設があります。
この日は休館日でしたが、空いている日は古民家の庭先で羽根つきなどで遊ぶファミリーの姿などが見られます。

小平ふるさと村は本日休館

西武新宿線の小平駅はこのあたりの中心の駅で南口にはロータリーが広がり、商店が集まっています。

小平から多摩湖まで

小金井市、小平市と通過してきた緑道が、東村山市、東大和市へと向かいます。

東村甘市内の緑緑道
八重桜

人通りはますます少なくなってきます。
西武線の踏切を渡ったり、線路と並んで進みます。

八坂という駅を過ぎてからは、西武多摩湖線と並行して進みます。

東村山市内の西武線踏切
八坂駅

線路の向こうに広々とした東村山中央公園の景色が広がります。

東村山中央公園方面を遠望

まもなく緑道の終点、東大和市の武蔵大和交差点です。
この先は丘陵となっており、多摩湖を抱える公園が広がっています。

多摩湖は大正時代に作られた人造湖で、下村山貯水池というのが正式名称のようです。
公園に入ってゆくと、広い湖面に建つ取水塔が見えます。
湖の反対側は埼玉県所沢市で、西武ドームの銀屋根が遠望されます。

多摩湖に建つ取水塔
湖面の向こう側は埼玉県

帰りに緑道わきのうどん屋へ寄ってみました。
元気のいいおばちゃんが仕切る繁盛店でした。
手打ちのゴツイうどんを汁につけてすする食べ方は、武蔵野地方から埼玉にかけての伝統的食文化です。
東村山のきくやといううどん屋はまた来たくなるうまさでした。

東村山のうどん店・きくや
3Lうどん、肉汁てんぷら付き

春の花々に囲まれ、湖の絶景に接し、思わぬ地元の美味に舌鼓。
感激の狭山境緑道の輪行でした。

東村山の小学校にて

玉川上水緑道の散りゆく桜

桜が散り始めました。
玉川上水沿いの緑道に、散りゆく桜を眺めてきました。

杉並区内の玉川上水緑道

玉川上水は江戸時代に開かれた上水道で、多摩川の羽村から四谷までの43キロほどを流れています。

現在でも都内を流れる川(水路?掘割?)として管理保存されており、上水道に沿って遊歩道が整備されています。また、小金井市内では沿道の桜並木が花見の名所となっています。
三鷹市内で太宰治が愛人と入水自殺をしたのも玉川上水です。

上水の流れは今も

玉川上水が三鷹市内で人見街道と交差し、東八道路に沿って流れるあたりに桜の並木があります。

桜吹雪も終わった沿道の桜

この日、すでに桜吹雪も終わりかけたころ、自転車で見に行ってきました。

桜の巨木が上水道の歴史を物語っています。
既に季節は桜からヤマブキなどに移っています。

桜の巨木が残る
ヤマブキが満開

三鷹から杉並区に入るこのあたり、平日は人通りも少なくのんびりしています。
来年は満開の時期に来ようと思った多摩川上水の桜でした。

緑道には桜吹雪の名残が

千鳥ヶ淵の葉桜

ソメイヨシノが満開となった数日後、千鳥ヶ淵に行ってみました。

九段坂下から靖国通りを上り、武道館のある北の丸公園を左手に見て進みます。
夏には蓮の葉で水面が隠されるお濠を桜越しに眺めます。

靖国通り沿いの昭和館から見た皇居のお濠
北の丸公園方面の人々

人波が多くなってきましたが想像以上ではありません。
自分のペースで歩けます。

千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵に浮かぶボート
千鳥ヶ淵の対岸の桜

千鳥ヶ淵に着くと桜並木に沿ってお祭りの時のように見物人の列が続いています。

近くで見るとソメイヨシノは葉が出ており、花はかなり散ってしまっています。

桜はかなり散っていた

外国人が多数います。
中国、韓国のほかラテン系、南アジア系と思しきグループの姿が目につきます。
白人は大体カップルで歩いています。

目の前に裸足で槍を持ち、民族衣装を着たカップルが歩いています。
付いて行ってみると、同じく民族衣装を着た女性の一群に合流していました。
この一団はリーダーと思しき男性が率いており、アマチュアが自然発生的に集まったものではないようでした。

目の前を歩く民族衣装のカップル。男性は裸足
集まった民族衣装の一団

歩いているうちに戦没者墓苑の入り口に着きました。
Uターンして靖国通りに戻り、市谷駅まで歩いて帰りました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑は等しく戦没者が祀れた国立霊園
靖国神社の大鳥居が覗く

府中競馬場、競馬博物館

自転車での散歩の途中、府中競馬場(正式には東京競馬場)の前を通りました。
周辺には制服を着た交通整理のおじさんたちが多数出動しており、競馬場で何か開催されているようでした。

府中競馬場東門

東門の前を通ると、人々が三々五々門から入場してゆくのが見えました。
駐輪場に立っている係員さんに聞くと「今日は場外馬券売り場が営業しており無料で入場できる」とのこと。
開催日には200円で入場できるとのことでした。
時間があったので入ってみました。

広い広い競馬場に初めて入りました。
学生時代、札幌の競馬場の関係者駐車場でバイトしたことがありました。
制服、ヘルメットを着用し駐車場内を巡回するだけのバイトでした。
入ってくる車のほとんどが黒塗りのベンツだったような記憶があります。
サングラスをかけた人が運転しているような印象がありました。

この日の府中競馬場には幼い子供連れのファミリーがたくさんいました。
子供らは、簡単な遊具が設置してある公園で元気に走り回っています。
芝生にシートを広げるグループもいます。
ベンチで一人黙する男性は馬券を買いに来た人でしょうか。

この日は無料の入場ゲートをくぐる
城内の案内

中世より武蔵野の中心であった府中は現代にあっても三多摩地区の中心です。
刑務所、税務署、法務局、ハローワークなどの行政施設が置かれています。

ギャンブル施設においても、競馬場のほかなぜか競艇場まであるのは戦後政策のせいでしょうか。
ちなみに競輪場は戦前に京王線終点の遊興施設として作られ、戦後には米軍のダンスホールに接収された歴史を持つ京王閣がその会場となっています。
京王閣は府中の隣、調布市にあります。

府中競馬場の話に戻ります。
小高い丘に登ると馬場が遥かに見渡せます。
馬場は、芝生と土の二つのタイプがあります。
馬場が取り囲むフィールドも見渡せないほど広いのですが、開催日にはここに移動販売車などが集まるとのことです。

全部は探訪できないのでせめて競馬博物館に入ってみることにしました。
デパートのエレベーターガールのような制服姿のお姉さんが一方ならぬ丁寧さで迎えてくれます。
ここも金をかけた施設であることがわかります。

城内の競馬博物館入り口

場内は全国の公立博物館のような手狭さ、そっけなさとは対照的です。
吹き抜けの階上階へは広々としたエスカレーターが常時動いています。
白塗りの壁は明るく広がる空間を演出しています。
学芸的な香りの施設というよりは、場にそぐわない百科事典を陳列した金満経営者の社長室のような居心地の悪さも若干漂っています。

1階に展示されている馬の種類の模型
新人騎手紹介。女性騎手もいた

肝心の展示内容ですが、歴代の名馬や名騎手のモニュメントばかりではなく、競馬の歴史も丁寧にされていました。

競馬の歴史コーナー。競馬の始まりは戦車競走

馬を使った競争は紀元前の戦車競走から始まり、特にヨーロッパで発達したこと。
日本では中世に始まったことがわかります。
中世の日本では武者を乗せた馬の競争があったようです。
流鏑馬や野馬追のような文化遺産が現代でも残っており、馬を使った多分に儀式的、お祭り的な行事が競馬だったのでしょう。

19世紀のイギリスの競馬場のジオラマ模型

西洋式競馬の始まりは幕末の外国人居留地がその始まり。
日本でも賭け事としての競馬がたちまち広がったとあります。
戦前の日本では優秀な軍馬の生産が競馬の興隆の目的の一つだったともあります。

明治時代の日本の競馬馬券。この時代、既に不正はあったとのこと
全国各地に点在する競馬場

外国では、競馬のほかにドッグレース、闘牛などが発達し、日本では競輪、競艇がなぜか公営ギャンブルとなって今日にいたっています。
日本における公営ギャンブルの発生と内実は不透明そのものですが、国公認の各胴元には莫大な金員が集まることだけは確かです。
その周辺にはなけなしの金をはたいて賭けにいそしむ、よれよれのジャンパーを着た多数の浮かない顔の人々が群れていることも。

場外に立ち飲み屋が残っている。この日は4軒が営業していた

調布市ミニバスに乗ってみた

桜の満開直前の花冷えの一日。
調布駅近辺に用事があったのですがあいにくの雨。
歩いてゆくことにしました。
家から国分寺崖線の坂を下り歩いてゆきました。
少々歩くと疲れたのでバスに乗ることにしました。

調布市ミニバスというコミュニテイバスが1時間に2本ほど運行しています。
上野原循環というルートで運航されているミニバスに乗ると、調布駅北口まで行くことができます。

調布市ミニバスの雄姿

柏野小学校前という停留所から乗車しました。
運賃は230円。
つつじヶ丘駅と深大寺を結ぶ路線バスや、三鷹駅行きの路線バスが210円ですからなぜか割高です。

柏野小学校停留所でミニバスを待つ
柏野小学校近辺は国分寺崖線に向けて谷戸の地形を形成し、農地が広がっている
地元の少年野球チームの募集の垂れ幕

雨の平日、午前11時ころの車内は、座席がほぼ埋まっていました。
11席ほどのバスで、ほとんどの席が優先席となっている席構成。
客層は高年齢のご婦人が多いものの、若めの人も混じっています。

コミュニテイバスは、既存の路線バスの減少化に対処するため、自治体がバス会社と提携して運行しているのでしょうが、今では地方ばかりではなく都市部でも普通になっています。

各自治体ではコミュニテイバスに愛称をつけています。
知っているだけでも、杉並区の「すぎ丸」、府中市の「Cyuバス」、小平市の「Cocoバス」、国分寺市の「Bunバス」などがあります。

調布市の場合は愛称をもうけず、割と直球の名称となっています。
理由はわかりません。

調布駅北口に着いたミニバス

調布のシンボルの鬼太郎のラッピングに彩られた調布市ミニバス。
快適な運行を楽しみつつ、雨の調布駅前まで運んでくれました。

小金井笠森稲荷神社の山桜

小金井市の連雀通りに面して笠森稲荷神社があります。
最寄り駅は西武多摩川線の新小金井駅になるでしょうか。
JR中央線の東小金井駅からも近いといえば近いかもしれません。

連雀通り側からみる笠森稲荷

国際基督教大学の広大なキャンパスの北側の住宅地が連雀通りに面するあたり、赤い鳥居が並んでいるのが見えます。
自転車で散歩していて思わず立ち寄ってしまいました。

赤い鳥居が続く

笠森稲荷神社というお宮です。
赤い鳥居が建ち並ぶトンネルをくぐるとかわいらしい本殿があります。

境内の山桜が満開だというニュースが本殿前に掲示されていました。
狐の人形が奉納されています。
近所から愛されているお宮であることがうかがえます。

ご神木と本殿
賑やかに飾り付けられた本殿
ユニークな「お知らせ」の掲示

幹の太い桜の木が満開の花をつけていました。
これが山桜の木なのでしょう。
桜の花が春の晴天に映えています。

山桜が咲いていた
境内には忠魂碑も

小金井には八重垣稲荷神社というユニークなお宮もあります。
農工大通りに面していて、思わず立ち寄りたくなる雰囲気を持っている神社です。
宮司さんが掲示した案内板に沿って参拝すれば幸福な気持ちになれます。

小金井の稲荷神社、畏るべしです。

多摩川から見える富士山

3月も上旬から中旬にかかるころの休日。
自転車で多摩川サイクリングロードを散歩しました。

調布市内の多摩川の土手から雲をまとった富士山の姿が見えました。

多摩川の土手から雲を従えた富士山が見えました
人出が多い調布市内の多摩川土手

小春日和の多摩川では入り江で釣りをする人、河川敷のグラウンドではソフトボールやサッカーに興じる人が集まっています。
少年野球の試合も行われていました。

多摩川本流から引き込んだ入り江で釣りをする人たち
河川敷での少年野球の試合

調布市内を過ぎ、府中に入ります。

少し前まではスポーツバイクの集団が高速で走り回り、事故も散見されたサイクリングロードですが、近年は落ち着いてきたようです。
集団の走りが少なくなり、個人や少数のグループが歩行者やママチャリをケアしながら走っている姿が大半となりました。
ママチャリ側も前方後方を注意しながら端っこを走るようにしています。

府中市内に入って。多摩川の青い流れ
サイクリングロード上に描かれた「標識」

府中の是政橋付近には、是政の渡し船があったところです。
是政村と対岸の大丸村を結ぶ渡し船があったそうです。

ここを過ぎると府中郷土の森のバーべキュー場が河川敷に現れます。
絶好のバーベキュー日和、テントが並びコンロから煙が上がっています。
春本番も近い風景です。

是政渡しの碑
府中郷土の森近くのバーべキュー場

本日のママチャリツアーon多摩川サイクリングロードはここまで。
郷土の森で下道に下り、府中市内を通って帰りました。

府中郷土の森の梅まつり

3月上旬の休日、サイクリングついでに府中郷土の森を訪れました。

府中は中世の律令時代から武蔵国の中心で国府が置かれていました。
いまでも武蔵地方の中心部であることは、地方の神社神道の総本山たる大國魂神社の存在や、行政機関である税務署、法務局、ハローワーク、刑務所などが所在することに表れています。

府中で、郷土博物館や古民家、古い建築などを集めた公園が多摩川近くにある郷土の森です。
この日は梅まつりが行われていました。

府中郷土の森入園ゲート

天気も良く、家族連れが三々五々入園してゆきます。
入園料300円を払って久しぶりに中に入ってみます。

チケットを購入して入園

中心部の広場では猿回しが行われていました。
その隣では地元の太鼓の演奏がスタンバっています。

若い女性による猿回し。撮影禁止でした!
武蔵国府太鼓のスタンバイ

梅が咲きそろい、屋台も出ています。

梅林で咲く梅
園内には屋台も出ていた

古民家では古いひな人形が飾られていました。

古民家で飾られていたひな人形

博物館本館が改装のため休館だったのが残念です。

帰りに園の外にある直売所でミモザの花を買って帰りました。

売店でミモザを購入