DVD名画劇場 ビリー・ワイルダーの闇 「深夜の告白」「第十七捕虜収容所」「情婦」

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロをしていたワイルダーは、戦前にアメリカに亡命し、ハリウッドに潜り込んでシナリオライターから身を起こした。
今回は初期の作品に特徴的なワイルダーの暗黒な作風を追ってみた。

「深夜の告白」 1944年 

ワイルダーの監督第一作。
破滅する主人公にフレッド・マクマレー。
破滅を誘うファムファタルにバーバラ・スタンウイック。

瀕死のマクマレーが己の罪を独白するシーンから始まるのは「サンセット大通り」が、警察の死体置き場に置かれた死体となった主人公の回想シーンから始まるのと同じ趣向。

この作品からファムファタルがしばらく当たり役となったバーバラ・スタンウイは、埃とたばこのにおいがこもる部屋にバスタオル姿で登場し、アンクレット(娼婦が足首につける装飾品)を巻いた足首を組んでマクマレーを挑発。

金髪(のカツラ)、スリット入りのスカート、サングラス、など様々な意匠を凝らし、ファムファタルの役柄に応えようとするスタンウイックだが、あくまで芸として役柄に徹しており、存在が悪女そのものであるラナ・ターナーのように根っからの悪女に見えないのが、この救いのない作品の数少ない救いでもある。

かび臭い部屋での両者の邂逅。女は足首にアンクレットをつけて足を組みなおす

スケベでいい加減な保険セールスマンのマクマレーは、何度か後戻りのチャンスがあったものの、スタンウイックと知り合った瞬間から、自ら破滅の道へと進んでゆく。
マクマレーは何度か戻ろうとしたが、スタンウイックと組んだ悪事から引き戻れなくなった時点から、映画そのものも主人公が見る悪夢となっていった。

保険会社調査員のE・G・ロビンソン以外のキャラは、全員がイカれており、悪意と欲望に満ちている。

マクマレーは死に臨んでから、スタンウイックはマクマレーに撃たれる前の告白(本心かどうかは疑問だが)で正気に戻るが時すでに遅し。

DVDパッケージ裏面

ワイルダーとしては「失われた週末」の前に作ったサスペンスで、亡命ユダヤ人である本人が戦中に感じたであろう不安、不条理を隠れたテーマにした作品。

調子よく生きてきた独身のフレッド・マクマレーが、自らはまっていったた白昼の悪夢を好演。
マクマレーを悪夢にはめたファムファタルを、あくまでも自己の女優のキャリアの一環として演じたバーバラ・スタンウイック。
ラスト以外徹頭徹尾、救いのないストーリーはワイルダーが見てきた己の前半生を反映したものなのだろう。

1950年ころRKOのスタジオで淀長さんと歓談。バーバラ・スタンウイックの気さくな性格がうかがえる

「第十七捕虜収容所」 1953年 パラマウント

第二次大戦中のドイツ軍捕虜収容所。
撃墜された米軍パイロットなど下士官クラスが収容される捕虜収容所の物語。

ドイツ軍に金品などの供与を行い、たばこ、ワインなどをため込み、望遠鏡を自作してロシア軍女捕虜ののぞき見させ捕虜仲間から金品を集めるイヤなヤツがウイリアム・ホールデン。
ホールデンとしては、「サンセット大通り」がヒットしたものの後年のようなヒーロー役一辺倒となる前の作品だ。

戦闘ノイローゼとなった米兵、配給のスープで靴下を洗う米兵、などの多彩で苦渋と諧謔に満ちたキャラクターの数々。
金髪のカツラで捕虜同士ダンスをし相手がその気になるとカツラを脱ぎ捨てる(「お熱いのがお好き」のラストに自ら援用)シーンもある。
辛辣だったり、微苦笑を誘うワイルダーらしいエピソードが繰り返される。

収容所長を演じるのが映画監督のオットー・プレミンジャー。
ドイツ人っぽい風貌だがユダヤ人のこの人。
ぬかるんだ泥道にいちいち板を敷いて歩いたり、宿舎の中で軍靴を脱ぎ、まるで日本人親父のステテコ姿のような格好で部下に命令したり、と、ドイツの軍人を盛んに揶揄した演技を繰り広げる。

収容所内のスパイとして、ホールデンが疑われ、リンチにも遭うが、実はアメリカ育ちのドイツ人が捕虜に扮して紛れ込んでいた。

そのスパイを炙りだし、ホールデンらが脱走に成功する。
暗闇の中、スパイは自軍(ドイツ側)の銃弾に倒れる。
爽快感ゼロの結末は、のちの収容所脱走ものの映画とは大きく異なる。

DVDパッケージ裏面

主人公のホールデンも収容所内のイヤなヤツ。
イカれた捕虜と、いけ好かないドイツ軍。
コメディーでもなくシリアスでもなく、後味に苦渋の残るワイルダー印の捕虜収容所物語。

「情婦」 1957年 ユナイト

裕福な未亡人が殺される。
当時のボーイフレンド(タイロン・パワー)が逮捕される。
仕事にドクターストップがかかっている弁護士(チャールズ・ロートン)に弁護の依頼が来る。
アガサ・クリステイーの原作。

MGMはDVDの版権を持っているだけ。映画オリジナルの製作はパラマウント

前半はロートンと看護婦のやり取り、未亡人殺し容疑のパワーの弁護シーンが続く。
ロートンの演技はいつもながらうまいが、ワイルダーらしい苦さ、暗さ、皮肉はまだ画面に出てこない。

パワーが米兵としてハンブルグに駐留時代に結婚したドイツ女性役の、マレーネ・デートリッヒが登場してから映画は動き、ワイルダーらしさが出てくる。

占領下のハンブルグのバー。
男装したデートリッヒがアコーディオンを弾きながら歌う。
脚を見せろ、とヤジが飛びズボンを片足引き裂かれる。
そのまま酒場は大乱闘。
デートリッヒの楽屋で、パワーはコーヒーひと缶でデートリッヒのこころに付け入る。

回想シーン。終戦直後のハンブルグのバーで歌う、男装のデートリッヒ

ワイルダー作品中では「異国の出来事」(1946年)でもデートリッヒが戦後の瓦解したベルリンのバーの歌姫として登場し、また米軍士官をパトロンとして廃墟のビルの自室に迎え入れていた。

「異国の出来事」。デートリッヒとジーン・アーサー

ワイルダーとデートリッヒ。
片やユダヤ人系映画人として戦前のベルリンでジゴロなどしながらナチスにおびえ、片やウーファのスター女優として嘱望されながらナチスを嫌ってアメリカへ亡命、戦中は危険を冒して連合軍兵士を前線に慰問した。

デートリッヒを起用した2作品では、ワイルダーとしては珍しく出演者に対するリスペクトをデートリッヒに捧げている。
さすがのワイルダーも、戦争当時、亡命ユダヤ人組織に財政支援をしたという、デートリッヒへの恩は忘れない、ということか。

DVDパッケージ裏面

「情婦」はメインテーマとしては対独戦争は描かれていないものの、ワイルダーの関心の的だったであろう、戦後のドイツ人の苦しさ、と反面の矜持みたいなものはデートリッヒのキャステイングによって暗喩されていた。

「情婦」での男装のデートリッヒと、「異国の出来事」でのドレスアップしたデートリッヒの酒場のステージは、いささか映画の主題とは異なるかもしれないが、両作品中の白眉だった。

不安な時代、世相への強烈な恐れ、おののき。
滑稽な行動をとりながらも暗い絶望感に打ちひしがれる登場人物たち。
ドイツとドイツ人に対する他人事ならぬ関心。

これらはワイルダーの初期作品に共通してはいないだろうか。

50年代に入り、オードリー・ヘップバーンなどをキャステイングしての「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」などではワイルダーのこういった闇の部分はどう描かれているのだろう?

DVD名画劇場 ハリウッドの異邦人 ルネ・クレールとマックス・オフュルス

今回はルネ・クレールの「奥様は魔女」とマックス・オフュルスの「忘れじの面影」。
第二次大戦時にドイツ、フランスからアメリカに渡った両監督がハリウッドで作った名作です。

「奥様は魔女」 1942年 ルネ・クレール監督 ユナイト

クレジットにはルネ・クレールプロダクション製作、とある。
さすがは戦前のフランス映画界において、ジャック・フェデー、ジャン・ルノアールと並んで三巨匠と呼ばれた名監督だけある。
ドイツから逃れてきたユダヤ人監督たち(フリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、マックス・オフュルスら)とは待遇が違ったようだ。

クレールがハリウッドで選んだ題材は「奥様は魔女」。

山小舎おじさんの世代だと、「旦那様の名前はダーリン、奥様の名前はサマンサ。二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をし・・・ただ一つ違うのは、奥様は魔女だったのです」のナレーションで始まるアメリカ製テレビドラマの「奥様は魔女」の方が馴染みがあるが、ルネ・クレールの本作がオリジナルである。

とにかく魔女役のヴェロニカ・レイクが可愛い。
40年代が全盛のハリウッド女優で、アラン・ラッドとの共演でフィルムノワールっぽい犯罪映画に出ていた。

現代のおとぎ話である本作では、浮世離れした魔女のキャラクターにぴたりとあてはまり、天然にコケテッシュな振る舞いと豊かな金髪で、現世の人々をきりきり舞いさせる。

きりきり舞いさせられる、現代の人々にフレデリック・マーチとスーザン・ヘイワード。

特にヘイワードはマーチと結婚寸前の花嫁(田舎議員であるマーチの後援者の有力新聞社社長の娘。ワガママで鼻持ちならず、婚約者のマーチをバカにしている)役で、結婚式の段取りの悪さにかんしゃくを起こしたり、観客の前でだけ無理な笑顔を作る演技がケッサク。

ヴェロニカ・レイクとフレデリック・マーチ

クレールの演出は、正攻法で奇をてらわず、しかもユーモアを欠かさない。
全編を覆う、いい意味での緊張感のなさは大監督の悠々迫らぬ余裕のなせる業か。

エピローグのシーン。
結婚したマーチとレイク。
子供が4人ほどいる。
女の子がホーキに乗って遊びたがるのをマーチ扮する父親が注意するが、レイク扮する母親は、さすが魔女の子孫と気にもしない。

この場面を見て、のちにテレビ版「奥様は魔女」が作られたわけがわかるような気がした。
典型的な中流階級の家庭に潜む秘密をベースにしたコメデイというコンセプトこそ、無限のエピソードの源泉だろうからだ。

「忘れじの面影」 1948年 マックス・オフュルス監督 ランバート・プロ

メロドラマかな?と思って見た。
その体裁を取ってはいるが、一人の女性の魂の遍歴を描いた、忘れられない場面の数々に彩られた映画だった。

主人公を、その少女時代からジョーン・フォンテイーンが演じる。
周りになびかず、自分の世界に閉じこもりがちな少女が、自分が住むアパートに越してきたハンサムな音楽家に惹かれる。
それが一生続く。

主人公にとって、音楽家との関係が唯一の〈現実〉だった。

母親が継父とともに引っ越す列車に同乗せず、音楽家の住むアパートへ戻る。

音楽家が住むウイーンで洋服店のモデルの仕事(お客に気に入られると指名同伴?するような仕事)をして一人の時間を過ごす。

雪の日の夜に偶然、音楽家に出会う。
かつての少女のことなど忘れている音楽家との再会。
主人公は音楽家と遊園地や、ダンスホールでデートする。

たった一度のデートで音楽家の子供を妊娠し一人で産む。

資産家に見染められ、連れ子ともども何不住なく暮らすが、オペラハウスで落ちぶれた音楽家の姿を見た瞬間、ぜいたくな暮らしと誠実な夫を捨てて音楽家のもとへ走る・・・。

主人公の世界は一貫して変わらず、行動も一貫している。
たとえ音楽家が己の存在を記憶していようがいまいが。

この主人公の心理は、彼女個人にのみ特有なものなのだろうか、それとも女性に、人間に、普遍的なものなのだろうか。

DVDパッケージ裏面

雪の日の街角での出会いの幻想的で映画的記憶に満ち満ちた場面。
世界旅行の書割をバックに尽きることない時間を過ごす遊園地のシーンの不思議な懐かしさ。

オーストリアからの亡命者でユダヤ人のオフュルス監督は、アパートの中庭や、お屋敷のセットには階段を用い、出演者に階段を上り下りさせて、立体的な画面作りを試みる。

移動、パン、クレーンを多用した流麗なカメラワークのは、夢の中を生き切った主人公の心理を表しているかのよう。

ジョーン・フォンテイーンは、持ち味の普通ッポさ、オドオドした感じを前面に出し、この特異で一途だが、普遍的でもあるキャラクターを好演。
忘れられないこの作品の象徴となった。

1943年「永遠の処女」のジョーン・フォンテイーン

番外) 「レベッカ」1940年 アルフレッド・ヒッチコック監督 セルズニックプロ

「忘れじの面影」を見て、ジョーン・フォンテイーンが気になり、彼女の出演作を探した。

ヒッチコックの渡米第二作の「レベッカ」は、フォンテイーンにとって、製作者セルズニックに見いだされてのメジャーデビュー作だった。

レベッカという名の前妻の影が色濃く残るお屋敷に後妻となって移り住んだ主人公のフォンテイーン。
彼女の持ち味の、普通さ、オドオドした自信なさげなキャラクターにより、まがまがしいレベッカの恐怖が強調されるミステリー。

途中までは、フォンテイーンを後妻にめとったローレンス・オリビエの正体が不明で、死んだレベッカにかしずく屋敷の女執事長の正体やいかに、というミステリーに満ち満ちていた。
が結末では合理的な説明がなされ、レベッカという稀代の魅力的な美女にして悪女に振り回されてのまがまがしさだったことがわかる。

DVDパッケージ裏面

ジョーン・フォンテイーンは確信的悪女そのものだったレベッカとは対極にある、平凡で常識的なキャラクターを好演し、変質者(女執事)や神経衰弱(ローレンス・オリビエ)が跋扈するこのミステリアスな物語の被害者を演じつつ、安心感に満ち満ちた結末をもたらすべく、夫を励ます健気な新妻を演じきった。

DVD名画劇場 1940年代最高の美人女優ジーン・ティアニー

ジーン・ティアニーという女優がいました。
1920年ニューヨーク生まれのアイルランド系。
旅行でハリウッドのスタジオを訪れたときにスカウトされ、1940年代に活躍した。

叩き上げ女優のような強烈な存在感に訴える女優ではなく、気品ある美しさが持ち味だった。

ジョン・フォードの「タバコロード」(1941年)やエルンスト・ルビッチの「天国は待ってくれる」(1943年)などに出演した。

映画評論家の山田宏一や蓮見重彦がジーン・ティアニーのファンで、彼らの著作や対談集には彼女に一章が割かれていることが多い。

今回はジーン・テイアニーの出演作から2作を選んで見てみた。

「砂丘の敵」 1941年 ヘンリー・ハサウエイ監督

ジーン・ティアニー21歳の時の作品。

製作はウオルター・ウエンジャー。
第一次大戦後のパリ講和会議で大統領補佐官の任についたという、数か国語を操る人物で、パラマウントに入社後、プロデユーサーとして独立し、数々の作品を制作した。

主に1930年代から40年代にかけて活躍し、ドイツからの亡命ユダヤ人監督フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」(1937年)、「入り江の向こう側の家」(1940年)のほか、ジョン・フォードの「駅馬車」(1939年)やアルフレッド・ヒッチコックの「海外特派員」(1940年)をプロデユースしている。

本作「砂丘の敵」は英領東アフリカが舞台の冒険活劇。

世界大戦時の不安定な情勢下で、英国から派遣された軍人、鉱物学者らが、現地人に不正に武器を供与する勢力の暗躍に立ち向かうストーリーで、クレジットのトップを飾るジーン・テイアニーは現地で生まれ育ち、父が築き上げた現地の隊商による交易利権を継承しているという白人娘で登場する。

敵対勢力(ドイツを暗喩)に立ち向かう連合国白人チームの冒険活劇、という点ではのちの「インデイジョーンズ」をほうふつとさせる。

ユダヤ人でもある製作者のウエンジャーが、反ナチの意味を込めた本作の設定は、この後アメリカ映画のいわば定番の設定ともなり、ナチス勢力はわかりやすい悪役として登場し続けることとなる。
「砂丘の敵」はその原点の1本なのだろう。

DVDパッケージ裏面より

ジーン・テイアニーはスカーフを被り、おなかを出したハーレム風衣装で活躍する。
当時のオリエンタルな女性スタイル(とおもわれるもの)である。

当時のアメリカ映画「アラビアンナイト」(1942年 ジョン・ローリンズ監督)や「アリババと四十人の盗賊」(1944年 アーサー・ルービン監督)でも、シエラザードやお姫様を演じたドミニカ出身の美人女優マリア・モンテスも、スカーフとおなか出し、はお約束だった。

東アフリカと中東では、風景も人種も服装も異なるとは思うのだが、西欧(とアメリカ)にとっては、自分たちの世界以外は〈東〉としてひとくくりにしていた世界観(今も?)なのだろう。

「砂丘の敵」のジーン・テイアニー

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
現地人の隊商を統括するベールを被った美しき白人娘。
〈民主的〉にあーだこーだと、仲間内では揉めながらも、最終的にはテキパキと敵対勢力を打ち破る連合国チームのスリリングな活躍。

大戦下の不安に満ちた雰囲気漂う作品ながら、かつ、のちの冒険活劇の原点ともいえる要素に満ちた「砂丘の敵」でした。

文庫版「傷だらけの映画史」の表紙を飾るジーン・テイアニー

ここで余談

砂漠を駆け抜ける馬に乗った一団。
「アラビアンナイト」でもそうだったが、ラクダはともかく、中東やアフリカでこのようにたくさんの馬が運用できたのは史実なのだろうか?

スピード感があって映画的にはこれでいいとは思うのだが。

マリア・モンテスが出演するアラビアもの2作品

「風とライオン」(1975年 ジョン・ミリアス監督)でも、現地人首領に扮したショーン・コネリーは集団を馬で運用していた。
ショーン・コネリーが誘拐したアメリカ領事?夫人役のキャンディス・バーゲンを自らの乗馬に抱え上げて立ち去る場面は、映画のハイライトとしてヒロイックに演出されていたが、果たして。

「ローラ殺人事件」1944年 オットー・プレミンジャー監督 20世紀FOX

ジーン・テイアニーの代表作で、オットー・プレミンジャーの出世作。
美人で華やかな活躍をする主人公ローラを巡る男たちの悪夢の物語。

殺されたはずのローラが現れて、刑事や真犯人らが驚く。
ローラを巡る、パトロン、婚約者、刑事らの心理が謎めいて描かれる。

高慢で滑稽なくらい個性的なパトロン、女にだらしないクズっぽさ全開の婚約者。
一匹狼風の敏腕刑事にしても、一人で殺人現場のローラ宅に泊まり込む、という異様さ。

まともな人が出てこない。
刑事でさえも途中からローラの陰に取り込まれ、夢中になってしまう。
もともと彼らがまともではないのか?それともローラが彼らを虜にしているのか?

ジーン・テイアニーは本作当時24歳。
貫禄もつき、美しさに磨きがかかっている。
まさに適役。

様々な髪形、ファッション、帽子で登場し、いちいちキュートだ。

ラストで謎は解明され、真犯人が射殺され、ローラは刑事の胸に飛び込む。
それまでの間、何より観客はローラの魅力に惑わされ、迷宮のストーリーにさ迷う。
悪夢のようなその展開がこの作品の狙いだったのだろう。

DVD名画劇場 クララ・ボウとシルビア・シドニー

映画プロデユーサーの息子で、作家のバッド・シュルバーグの自伝的回顧録「ハリウッド・メモワール」には、1920年代から30年代のハリウッドが活写されており、様々な映画人が登場する。
この書で、子供時代の筆者の視点で印象的に描写されているのが、女優のクララ・ボウとシルビア・シドニーだった。

バッド・シュルバーグ著「ハリウッド・メモワール」。表紙はシルビア・シドニー

クララ・ボウは、バッド・シュルバーグの父のB・P・シュルバーグがスカウトしてきた新人女優だった。

子供だったバッドから見ても、〈クララは演技ができなかった。それに覚えがいい方ともいえなかった〉(「ハリウッドメモワール」P160)が、同時に〈彼女の全身から電流のような活発さ、うきうきする感じが発散していた〉(同161P)存在だった。

1920年代のセックスシンボルとしてクララ・ボウの評価は現在定まっている。

クララ・ボウ

シルビア・シドニーはニューヨークの芝居に出ていたところをB・Pにスカウトされた、東欧ロシア系のユダヤ人で、1933年に結成されたのちのHANL(ハリウッド反ナチ同盟)の創立メンバーの一人だった。

映画はトーキーとなり、セリフがちゃんと喋れるタイプの女優が重宝された。

まもなく彼女とB・Pは共に暮らすようになり、B・Pはバッドらが暮らす自宅には帰ってこなくなった。

〈私の目には、シルビア・シドニーが自分の女優としての立場を守るために父の血を吸うきれいな吸血鬼のうちの最新の女だと決めつけている考えを変えることはできないと思えた。〉(同書353P)

シルビア・シドニー
蜜月時代

今回は彼女らの代表作を見てみようと思った。

「つばさ」 1927年 ウイリアム・A・ウエルマン監督  クララ・ボウ主演 パラマウント

第一次大戦時の複葉機による空中戦を再現した戦争ドラマ。
クララは若き戦闘機乗りの恋人に思いを寄せ、従軍女性ドライバーとして戦地に赴き、また必要とあらばフラッパーな格好でパリのカフェに現れ恋人に迫る、健気で可愛げのあるアメリカンガールを演じる。

「つばさ」より

監督はこれが出世作となったウエルマン。
無名の存在だったが、空軍の従軍経験をアピールし、当時で製作費100万ドルを超える大作のメガホンをとることを必死に製作者のB・Pに売り込み。パラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーはB・Pの連帯責任を条件にOKした。

ウエルマン監督

とにかく空中戦のシーンが多い。
それもロングショットで撃墜シーンなどが繰り返される。

基本、実写だった時代の空中戦の撮影は、出演する方も演出の方も大変だったろうと想像がつく。
地上戦の再現シーンも大掛かりで、とにかく戦闘シーンの再現に力が入った作品。

戦闘場面

一方で、パリのカフェで酔っ払って正体不明の恋人に、フラッパーなクララが迫る場面では、シャンパングラスから泡が出てくる特撮を演出。
ロマンチックなムードを醸し出してもいた。

DVDパッケージ

サイレント時代の作品だが、実写の空戦シーンを中心に今でも目を見張るところのある作品だった。

「暗黒街の弾痕」 1937年 フリッツ・ラング監督 シルビア・シドニー主演

若い主人公たちが社会の無理解から追い込まれ、犯罪に手を染めた挙句に自滅してゆく姿を描く、いわゆる〈ボニーとクライド〉ものの原点といわれる作品。

シルビア・シドニーは主人公の弁護人事務所の秘書だったが、ヘンリー・フォンダ扮する主人公と恋に落ち、犯罪を犯して自滅するまでの行動を共にする。

「暗黒街の弾痕」の一場面

雨の中、バックミラーに映る目線だけで犯人側を表現した銀行強盗シーン。

人気のない操車場の貨車に隠れるシーン。

恋人が差し入れた拳銃でヘンリー・フォンダが死刑当日に脱獄する一連のシーン。

いずれも〈この世のものとも思えない〉緊張感に満ちた悪夢のような場面が続く。

DVDパッケージ

制作者:W・ウエンジャー、監督:F・ラング、主演:S・シドニーらメインスタッフ、キャストがユダヤ人である事が、開戦前夜の世相と相まっての不安感、悪夢感に満ちた画面を起因せしめているのだろうか?

ドイツからの亡命者、フリッツ・ラングのアメリカ映画の第2作目。

本作でのラングの視点は、登場人物を冷徹に見つめるもの。

本作は、〈ボニーとクライド〉ものの原点と呼ばれてはいるものの、のちの「ハイシエラ」(1941年 ラウール・ウオルシュ監督)でのハンフリー・ボガートとアイダ・ルピノ、「夜の人々」(1949年 ニコラス・レイ監督)のファーリー・グレンジャーと.キャシー・オドンネル、「拳銃魔」(1950年 ジョセフ・H・ルイス監督)のジョン・ドールとペギー・カミングス、「明日に処刑を」(1972年 マーチン・スコセッシ監督)のデビッド・キャラダインとバーバラ・ハーシーが演じた〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉作品で濃厚に漂う、若い犯罪者への同情というか共感の視点はほぼない。

ヘンリー・フォンダのキャラに同情の余地は少ないし、シルビア・シドニーがフォンダに惹かれる必然性の描写はない。
むしろ、二人の逢瀬の場面で池のガマガエルを執拗に映して、若き犯罪者を突き放すようなラングの視点がある。
もともとが真人間とは異なる世界の人間の物語だといわんばかりに。

DVDパッケージ裏面

冷徹で表現主義的なラングの描写は、銀行強盗のシーンがのちのギャング映画にそっくり使われたり、安モーテルで公証人?から結婚証明書をもらう場面が、のちの〈ラヴ・オン・ザ・ラン〉映画の数々で繰り返されたり、貨車の場面が「明日の処刑を」に援用されたり、と、映画的記憶の原典の数々を生み出した。

「明日に処刑を」貨車のシーン

シルビア・シドニーの清純な演技も一見の価値がある。

DVD名画劇場 太平洋戦争の分岐点「ガダルカナルダイアリー」と「シン・レッド・ライン」

1942年のソロモン諸島をめぐる陸海空戦は、日米両軍の戦力が拮抗していた時期のことだった。

そもそも日本軍がなぜ、今にして思えば無謀な、かつ1943年の御前会議で決定された〈絶対防衛圏〉(千島、マリアナ諸島、ニューギニア西部を結ぶエリアを太平洋戦争における日本の最終防衛圏としたもの)においてすらその圏外とされたソロモン諸島に兵を進め、あまつさえ貴重な戦力を漸次低減消耗させていったのだろうか?

日米両軍が死闘を繰り広げたヘンダーソン飛行場の現在

その契機となったのが、飛行場建設のために、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸した日本軍守備隊と、その後ガダルカナル島に反抗上陸した米海兵隊との一連の戦いだった。

当時の写真。表情の必死さ

1942年7月の米軍反抗上陸から、1943年2月の日本軍撤収まで、ガダルカナル島内の陸戦のほか、幾多の海戦、空戦が行われ、日米両軍ともに相当数の軍艦、輸送船、航空機、兵員を周辺海域で失った。

米軍の目的は、西太平洋の日本軍に対する反抗の拠点としての飛行場占領確保で、日本軍の目的は米豪分断の拠点としての飛行場建設と確保だったが、日本軍の飛行場再占領の作戦はすべて失敗に終わり、ガダルカナル島に残された陸軍兵の兵站は分断され、駆逐艦、潜水艦による細々とした物資輸送を余儀なくされた。
飢餓とマラリアに苦しめられた日本軍は駆逐艦により残存兵を撤収し、ガダルカナルでの戦いは終わった。

映画の一場面ではない。実戦だ

「ガダルカナル・ダイアリー」1943年 ルイス・セイラー監督

同島米軍上陸の1年後に製作された劇映画。
従軍記者による原作の映画化。

太平洋戦争真っ盛りの時期の劇映画ながら、単純な戦意高揚映画ではなく、また一方的に米軍の活躍を賛美してもいない。
戦争を知る人々が作った冷静さ、シリアスさを感じられる作品。

この戦争では、ジョン・フォード、フランク・キャプラ等そうそうたるハリウッド巨匠が招集され、戦争記録映画を撮っている。
本作は有名ではない監督と出演者によるものだが、その独立性がリアルな映画作りに貢献したのだろうか?
デビュー間もないアンソニー・クインが海兵隊役で出ている。

輸送船内での新兵の不安、上陸直前の恐怖感が描かれている。
一方で、日本軍の刀を土産に持って帰りたい、などと話す明るく陽気なアメリカ兵の姿は、のちのハリウッド映画のアメリカ兵の姿と同様だ。

上陸直後は戦闘機が7機しかなかった米軍。
おっかなびっくり上陸し、日本軍を追ってゆく。
ジャングルには入りたがらない様子なども描かれる。
指揮官は「日本軍を甘く見るな」を連発する。

DVDパッケージ裏面

ガダルカナルを巡る一連の戦闘の記録としても貴重な作品。
劇中のセリフに、〈サボ島沖海戦〉が出て来たり、日本海軍の戦艦、金剛と榛名によるガダルカナル島飛行場への夜間艦砲射撃の描写も出てくる。

飛行場を占領した米軍への反撃として、ガダルカナル島沖に日本海軍の高速戦艦が夜間出撃し、焼夷弾による艦砲射撃を行い、飛行場と周辺の物資を火の海としたもの。
防空壕で艦砲射撃におびえる海兵隊員の姿が描かれていた。

交代要員が到着し、ボロボロになった先任の海兵隊とすれ違う。
ピカピカで張り切っている交代要員と、黙々と行進する前任の海兵隊員との対比が描かれる。

そこには戦争の賛美も、米国の全能感もない。
主役の一人、アンソニー・クインも作品の途中、戦闘で狙撃されてあっけなく戦死する海兵隊員を演じている。

「シン・レッド・ライン」1998年 テレンス・マリック監督 20世紀フォックス

ガダルカナルのジャングルを進む米米兵

「ガダルカナル・ダイアリー」から55年後に描かれたガダルカナルの戦闘。

55年前の映画では上陸前の輸送船内の米兵は、ジャズで踊っていたが、本作では物悲しいバイオリンがむさ苦しい輸送船内の蚕だなベッドに流れる。

上陸後の戦闘では、日本軍の迫撃砲に負傷する米兵の叫び、苦痛の声がやまない。

突撃前に胃がつって動けなくなる米兵。
丈の高い草の中を恐る恐る前進する米兵。

ニック・ノルテイ扮する中佐は叩き上げの指揮官で、やたら部下を叱咤し、酷使して成果を焦る。
昔の劇映画なら、小心で狡猾な卑怯者の指揮官として描かれるだろうキャラクターも、この作品では組織としての軍隊で屈辱にまみれながら年下の上官に仕えてきた中間管理職の、無能ではあるが悪意のない姿として描かれる。

ショーン・ペン(右)

故郷に残してきた最愛の妻がいる米兵。
美しい妻との魅惑的な回想シーンがカットインされる。
最前線で妻からの待望の手紙を受け取った米兵が、その手紙で妻から離婚を懇願される絶望感。
妻は別の男に〈恋〉をしたという。

白兵戦で日本兵を蹂躙する。
降伏した日本兵を銃座で殴り蹴飛ばす。
死体から金歯を集める。
死臭を避けるために鼻の穴にたばこを詰める。

交代要員を迎えた米兵の姿は敗残兵のように疲れ切っている。

パッケージ裏面

主人公は脱走して原住民の村に入り浸っていたところを哨戒艇につかまってガダルカナル戦に連れていかれた。

水木しげるさんも兵隊時代にソロモン諸島での戦闘を経験。
脱走こそしなかったが、原住民の村に自由に出入りし、村長の娘と仲良かったと自伝の漫画にあった。

「シン・レッド・ライン」の天国のような原住民村と米兵の描写も嘘ではないのだろう。

一時的なパラダイスに憩う兵隊たち。現実か幻想か

戦闘シーンでは日本軍の激しい砲弾の中を米兵が進む。
当時、兵站は途切れ、ただでさえ弾薬が乏しかった日本軍が、平地を散開して進む米兵に対し、果たしてあんなに景気よく砲弾を消費したものだろうか?という疑問もわく。

ジョン・キューザック

ショーン・ペン、エイドリアン・ブロデイ、ジョージ・クルーニー、ジョン・トラボルタなどの新旧俳優が挙って出演を希望したという作品。
寡作のテレンス・マリックは本作品で第49回のベルリン映画祭金熊賞を受賞している。

(おまけ)「太平洋航空作戦」1951年 ニコラス・レイ監督 RKO

日米が雌雄を決したガダルカナル戦には米空軍も参加した。
この作品はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に展開した米空軍戦闘機隊の物語。

ロバート・ライアン大尉の元、腕利きの戦闘機隊に出動命令が下る。
指揮官はライアンが昇進して当たるのではなく、新任の少佐のジョン・ウエインが赴任してきた。
命令が絶対で、作戦のためには部下を容赦なく使い倒す少佐。
この少佐と大尉(および隊員)の間に軋轢が生まれる。

部下思いのヒューマニストがライアン、作戦遂行のためには統制第一のウエイン。
両者のキャラクターは、ただし画一的ではない。
ウエインが戦死した部下の両親に手紙を書いたり、家族の声をソノシートで聞いてしんみりしたり、と人間性も見せる。
ライアンは部下のためにはウエインと衝突もするが、それは指揮官を上司に持つ〈気楽な〉立場のなせる業でもあると最後に示唆される。

戦争当時の、グラマン、コルセアなどの実機が編隊で飛ぶ飛行シーン。
当時の機体がほとんど残っていない現在ではこんな画面は二度と撮ることができない。

負傷したパイロットが、プロペラを曲げながら何とか着陸するが機体は壊れるシーン、日本軍の空襲でグラマンが燃えるシーンなど、実機をバンバン壊したり燃やしたりして、ぜいたくな撮影を敢行。

空戦シーンは実写フィルムをモンタージュしており、主に日本機が撃墜される映像が続く。
金剛、榛名の艦砲射撃でヘンダーソン飛行場が炎上し、ウエインらが掩体壕に飛び込むシーンもあり、史実に忠実たらんとする姿勢は見える。

それでもあれっ?と思ったことがあった。

たとえばウエインが日本の輸送船談を空襲する際に、無線電話で列機に「トウキョウエキスプレスを攻撃する!」というシーンがあったが、東京エキスプレスとは、速度が遅い輸送船では兵站を維持できない日本軍が、やむなく駆逐艦や潜水艦を使って夜間細々とガダルカナルの残存兵に食料弾薬を運んでいたことを米軍が揶揄したコトバなはず。
日本の輸送船がガダルカナル近海でさんざん沈められたのは事実だが、輸送船団は〈エキスプレス〉ではない。

日本軍の呼称についてはこの映画、ニップスとジャップが使われていた。
「ガダルカナルダイアリー」や「シンレッドライン」ではジャップ一辺倒だったが、ここら辺何か意味があるのか?

また、一時本土に戻り帰宅するウエインの土産は日本刀。
それを幼い息子に与え、息子は重いはずの真剣を片手ですらッと抜刀する場面があった。
特に意味のないシーンではあろうが、日本人としては不自然極まりない思い。

更に言えば、ガダルカナル戦のはずが、いつの間にか時間経過し、機種がグラマンから戦争後期に使われたコルセアに代わり、日本のカミカゼ攻撃が現れたが、これは単なる尺のカットで、説明不足のなせる業か?

さはさりながら1951年のこの作品。
世の中は大戦の経験を鮮明に残した人々が現存し、また新たな朝鮮戦争が起こっている。
単純な米国賛美、軍隊賛美では嘘くささが喝破されかねない風潮でもあったろう。
スポーテイな戦争映画ではなく、銃後も含めて人間の痛みが伝わるような作りとなっている。

DVDパッケージ裏面

監督のニコラス・レイはRKOの「夜の人々」(1949年)でデヴュー。
社会に疎外された若い男女が、惹かれ合うも社会に受け入れられず、犯罪に手を染めて自滅してゆく、いわゆる〈ラヴ・アンド・ザ・ラン〉の佳作だった。
このデヴュー作は、のちに「カイエデュシネマ」の評論家に「B級映画だが精神においては上等」と評価された。

ニコラス・レイは、その後も「暗黒への転落」(1949年)や「危険な場所で」(1951年)などで、旧来の権威に対する疑問と弱い立場の者に対する同情的な視点を崩さなかった。
「太平洋航空作戦」はレイ初のカラー大作ではあるが、人間を見つめる視点は変わっていなかった。

ニコラス・レイの左翼的姿勢は、デヴュー当時にハリウッドを席巻していた〈赤狩り〉の犠牲になってもおかしくなかった。
本人が非ユダヤ人だからということもあるが、所属する映画会社のRKOのオーナー、ハワード・ヒューズの庇護により、非米活動委員会への召喚を免れたといわれる。

DVD名画劇場 ジーン・セバーグの「悲しみよこんにちは」

ジーン・アーサーに続いてはジーン・セバーグが登場するDVD名画劇場。
セバーグの映画デビュー第2作目の「悲しみよこんにちは」です。

「悲しみよこんにちは」1957年 コロンビア オットー・プレミンジャー監督

同作DVDパッケージの表紙

原作は18歳でこの小説を発表したフランソワーズ・サガン。

南仏リビエラでの父と娘と愛人の楽しい日々。
そこにかつて父と縁があったデザイナーが現れ、父と婚約。
とたんに娘にとって婚約者は、父を奪った異性でかつ、口やかましい新しい母的存在となる。
婚約者に反抗し、父の浮気の現場を見せつけるなどして婚約者を追い出す娘・・・。

DVDパッケージ裏面

原作者の分身ともいえる娘に当時19歳のジーン・セバーグ。
事業があたりブルジョワ暮らしをしながら、いつまでも若い女を渡り歩く父にデビッド・ニブン。
婚約者にデボラ・カー。
娘とも仲の良い父の若い愛人にミレーヌ・ドモンジョ。

リビエラの別荘地での過去の楽しい日々。
カラーで描かれ、セバーグは最初は赤、次に青、最後は黄色の水着で現れる。

水着でないときには活動的なショートパンツ姿。
ベリーショートカットに細身のシルエット。
父とキスし、動き回り、海に飛び込み、ボーイフレンドと戯れる。
若さとエネルギーが発散する。

オフショット。赤い水着姿ということは前半部分の撮影時のものか

劇中、19歳のセバーグが、主人公の若い衝動、婚約者への反発心、日常の倦怠、父へのアンビバレントな感情、などを一生懸命表現しようとする。
時に輝きを伴い、時に達者な演技力で、また時に痛々しくも。

デビッド・ニブンは適役過ぎて、製作者サイドはこの父親というキャラクターを軽視し(戯画化し)ているんじゃないか、と思うほど。
デボラ・カーもしかり。
わざわざ名のある彼らを持ってこなくとも、あるいは無名の実力は俳優を持ってくれば、戯画化を避けてよりシリアスなものになっていたのに、と思いもするが、監督のプレミンジャーには商業的な意図もあったのだろう。
というかそれが第一なのだろう。

父(デビッド・ニブン)とはとても仲良しだが・・・

19歳のセバーグは商業目的のこの作品で唯一、与えられたキャラクターの自分なりの表現に取り組み、作り物ではない存在感を得た。

映画の冒頭と最後に描かれる、父と娘の現在のシーン。
モノクロで描かれるそこには、倦怠にまみれ、底知れぬ絶望感にさいなまれる〈その後〉の主人公の姿が描かれる。

カラーで描かれたリビエラでのはつらつとした水着姿のセバーグと同一人物か?と思わせる黒のドレス姿。
これを演じ分けたセバーグを称賛したい。

この作品により、「カイエ・デュ・シネマ」誌の表紙を飾ったセバーグはフランソワ・トリュフォーにこう評された。
「ジーンがスクリーンに映っているときはいつでもスクリーンから目を離すことはできない。彼女の動きすべてが優雅で、まなざしは的確。頭の形、シルエット、歩く姿、すべてが完璧だ。スクリーンでこのような魅せ方をする女優ははじめてである。」(ギャリ・マッギー著、石崎一樹訳「ジーン・セバーグ」83P)と。

ジャン=リュック・ゴダールは長編第一作の「勝手にしやがれ」を作るにあたり、主人公のパトリシアを「悲しみよこんにちは」の主人公セシルの3年後の姿と想定して形作った。
パトリシア役には、「悲しみよこんにちは」でセシルを演じたジーン・セバーグをキャステイングした。

番外) 「大空港」 1970年 ジョージ・シートン監督 ユニバーサル

70年代らしいミニスカートの制服姿で、当時30代に入ったばかりのジーン・セバーグが登場する。

ベストセラーの原作をバート・ランカスター、デイーン・マーチンらのオールスターで映画化した大作。
ジーン・セバーグは三番目にクレジットされ、ギャラは15万ドルだったという。

ジーンの役柄は空港に駐在する航空会社の現場責任者。
空港長のランカスターと歩調を合わせ、日常的に起こる様々な出来事に対応してゆく。

ハリウッドが斜陽を迎えてからしばらくたち、過去のタイクーンたちはとっくに去り、映画はオフハリウッドや低予算の独立プロ作品などに多様化していた時代。
70ミリ、トッドAO方式、2時間尺の「大空港」はハリウッドが事態の打開を模索していた中での(おそらくもっともイージーな)トライアルの一つだったと思われる。

多様な登場人物を手際よく、テンポよく描く。
古い技法である画面のワイプも、スピード感に寄与している。
ヘレン・ヘイズのキセルばあさんや、モーリン・ステープルトンの爆弾犯の妻など、わき役も芸達者。
ここら辺にハリウッドメジャーの職人芸が受け継がれている。

ストーリーの味付けには70年代らしく、夫婦間の問題だったり、空港の騒音問題に対する市民運動だったりも加味されているが、全編を通して描かれるのは、仕事に取り組む人々の姿。
社会への疑問や、心理的不安などなく、目の前の障害に取り組み、解決してゆく職業人の姿に、まだまだ社会が健全だった(健全であろうとした?)時代性を感じることができる。

もっとも、オールスターといいながら、ランカスター、マーチンの主演は、微妙に弱くもあり、とっくに全盛期を過ぎたハリウッドの衰退感も漂う。
二人ともさすがの演技ではあったが。

キャストで勢いを感じたのは、マーチンに不倫相手のCAを演じたジャクリーン・ビセットで、ミニ丈の制服姿が似合っていた。
彼女はこの作品の後、キャリアを積み重ねてゆく。

キャビンアテンダント役のジャクリーン・ビセット。この作品で一番旬の配役だった

ジーン・セバーグは当時フランスに住んでおり、夫のロマン・ギャリーとの問題、ブラックパンサーの支援者としてFBIにマークされていたことからのストレスに苦しんでいたころ。
「大空港」の役は、彼女じゃなくてもいい役柄にも思えたし、劇中、彼女らしい繊細でかつ豊かな感情表現を要する場面もなかったが、演技者としての確かな成長ぶりがみられる。
彼女が出演した70年代の数少ないメジャー作品としても貴重だった。

DVDパッケージ裏面

DVD名画劇場 30年代アメリカ映画の女神、ジーン・アーサー

山小舎暮らしで映画に飢えている昨今。
古本屋で見かけた100円のDVD。
こんなに安く映画が見られるんだと思った。

ブックオフに行って見るとDVDのコーナーがある。
よく見ると500円以下の廉価コーナーもあり、古の名作が安く販売されている。
山小舎でも映画が見られると気が付き、廉価版を中心に集めてみた。
山小舎版名画劇場という塩梅だ。

ジーン・アーサーは1930年代に活躍したアメリカ女優。
セシル・B・デミルやフランク・キャプラといった巨匠作品で、ゲーリー・クーパーやジェームス・スチュアートらと共演した。
彼女の30年代の出演作4本プラスアルファを続けて見た。

ジーン・アーサー

1,「平原児」1936年 パラマウント映画 セシル・B・デミル監督

パラマウント映画のタイクーン、アドルフ・ズーカーを先頭に、製作、監督、出演者名が画面下から上に、斜め後方に流れてゆくクレジットタイトルで始まるこの映画。
このタイトル方法は「スターウオーズ」がのちにマネをした。

西部の大立者、ワイルド・ビル・ヒコックとバッファロー・ビルの友情に、カラミテイ・ジェーンが絡むという、日本でいえば、〈ご存じ次郎長三国志〉のような物語。

大向う受けを狙ってハリウッドのタイクーンが企画し、国民的巨匠のデミルがタイクーンの意を受けて現場を仕切って作り上げた作品であり、また、正攻法で作られた大作の楽しさに満ち満ちた作品である。

ジーン・アーサー扮するカラミテイ・ジェーンは男勝りの西部の女。
ゲーリー・クーパー扮するワールド・ビル・ヒコックを見かけるなり、抱きついていきなりキスする登場シーン。

男勝りながら純情なカラミテイは、ビル・ヒコックへの追慕を隠さない。
健気でガラッパチながらも、かわいらしいカラミテイのキャラクターは、ジーン・アーサーのイメージに重なっており、愛らしい。

「平原児」のジーン・アーサー

南北戦争が終わり、ガンマンだのバッファロー狩りだのの時代は終わりつつあり、インデアンとの戦いにも先が見えてきている。
遅れてきたガンマン二人のストイックな時代遅れの友情と、彼らを追慕する独立心にあふれてはいるが純情な女性像。
古き良きアメリカへの賛歌であり挽歌でもある。

ロケの群衆シーン、騎兵隊とインデアンの戦闘シーン、その全部がエキストラを使って再現されている。
今の時代では不可能なぜいたくさであった。

DVDパッケージ裏面

2,「オペラハット」1936年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督

西部の男勝りから一転して、ニューヨークのマスコミのキャリアウーマンを演じるのがこの作品のジーンさん。
都会的でスレていて、てきぱきと事を進める役もジーン・アーサーには似合っている。

新聞社の上司役の男優とジーン・アーサー

相手役は、まだ若さが残り、イノセントな田舎者の役が似合っていた頃のゲーリー・クーパー。
イノセントな田舎者のクーパーが、遺産相続で都会に出てきて、狡猾な都会人に騙されようとするが、クーパーは信念の人でもあり、自らの人間性を頼りに、悪漢たちを退け、女性の愛も獲得する、という物語。

田舎で、〈妖精つき〉ともいわれた純朴、マイペースの変人ぶりをクーパーが好演。
すれっからしのジーン・アーサーが、この田舎者をネタにマスコミではやし立てるが次第にクーパーの本質に惹かれるというシンデレラストーリー。
クーパーの田舎では全員が〈妖精つき〉だというオチもつく。
ジーン・アーサー全盛期の美貌を堪能できる。

DVDパッケージ裏面

3,「我が家の楽園」1938年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督

続いてもキャプラ監督作品で、ジーンさんの相手役は若々しいジェームス・スチュアート。

「我が家の楽園」。ジェームス・スチュアートとジーン・アーサー

スチュアートは大企業の御曹司で副社長だが、買収を繰り返す企業戦士の親父社長とは正反対の性格。
都会に生まれた〈妖精つき〉。
ジーン・アーサーは副社長の秘書で仕事はできるがスレてはいないキャラクター。

DVDパッケージ

この二人が惹かれ合って、ジーンさんの実家へ挨拶することとなった。
ところがこの実家、企業戦士を退職してから自分に正直に生きている祖父を中心に、自分に正直すぎる人々が集まっているシェアハウスのような場所。
スチュアート自身は、通じるものを感じるが、ゴリゴリの現役企業家である父親を連れての再訪では、お約束通りの大混乱と相成る。

DVDパッケージ裏面より

この作品でのジーンさんは、都会人ながら純情一方のキャラで、だからこそ役柄に屈折がなく、印象が薄いものの、〈妖精つき〉の相手役に惹かれる役柄という点では、ほかのキャプラ作品同様であり、彼女一流のイメージに合っている。

まさに現代のおとぎ話。
これがキャプラタッチというものなのだろうか?
ジーン・アーサーのおとぎ話のヒロインぶりも一興。

4,「スミス都へ行く」1939年 コロンビア映画 フランク・キャプラ監督

キャプラ作品が続きます。

ジーン・アーサーが出演したキャプラ監督の上記3作品。
コンセプトは共通していて、〈妖精付き〉のヒーローを、実は純真な心を持つヒロインが支える、という設定です。

封切り当時のプレスシート

この作品は、まだおどおどした演技が似つかわしかった頃のジェームス・スチュアートが田舎から補選の上院議員としてワシントンに上京し、政治の現実に夢破れるものの、最後に上院で自らの思いのたけを延々とぶちまけて信念を通すというお話です。

ジーン・アーサーは上院議員秘書を演じて、当初は田舎者のスチュアートに失望するものの、その信念を通す姿に味方となって助けます。
政治の世界の裏も表も知って、仕事はできるが疲れも出始めている、議員秘書の感じをよく演じています。

DVDパッケージ

〈妖精つき〉で最後は己の信念を貫き通す主人公と、彼を陥れようとする〈私利私欲の〉勢力の対決、という構図は「オペラハット」と同じですが、この作品の方が、〈私利私欲の〉勢力の描き方がより強烈でリアルになっています。
したがって、陥れられる〈妖精つき〉主人公の追いつめられ方もより深刻で、切羽詰まっています。

とはいえ、ベースにはユーモアがあり、例えば上院議長役のハリー・ケリーの、世の中の正義もインチキもわかっているかのような議事進行ぶりと、馬鹿正直な主人公に一服の清涼剤をもたらすかのような仕草など、観客にとってもユーモラスな息抜きとなる演出です。

また、「我が家の楽園」ではジーンさんとスチュアートのデートシーンに流しの子供楽隊が急に現れ、見るものを驚かせ、喜ばせますが、本作では本格的な子供のマーチングバンドが要所で登場し、大々的に主人公たちを〈応援〉し、またまた見るものを驚かせます。
キャプラ監督一流のユーモアに満ちた前向きな場面転換のテクニックの炸裂です。

ジーン・アーサーは「オペラハット」同様、ラストの議会(この作品では法廷)での主人公の懸命な自己発露を女神のように見守り、励まします。

パッケージ裏面

番外、「シェーン」1953年 パラマウント映画 ジョージ・ステイーブンス監督

ジーン・アーサーの存在感については、全盛期の30年代の上記作品より、この作品において一番重く感じるのは邪道だろうか。
最後の映画出演、彼女50歳前後の作品である。

この作品のジーンさんは、表立って主張しない。

30年代の懐かしい彼女の横顔。
微笑んで、目をキラキラさせる。
がみられるのは、独立記念日のお祭りに切るドレスを選んで、長持ちの底からウエデイングドレスを見つけるときのシーンくらい。

後は、ひたすら自分の夫と、息子と、特にシェーンを見守り、料理し、喧嘩の手当てをし、ひそかに思いを寄せる。

自分の意志を表示したのは、息子に「シェーンを好きになったらだめよ。いつかいなくなるのだから」といったときと、最後に夫がガンをもって対立する悪徳牧場主に殴り込みに行こうとするときに「私のために行かないで」という時くらい。

シェーンとの別れの場面でも、「もう会えないのね」「死なないで」と言って万感の握手をするだけだった。

パッケージ裏面。ウエデイングドレス姿でシェーンと踊るジーン・アーサーの姿も

ガンマンがもう流行らなくなり、そのことを自分が一番理解しているシェーンもまた、ひたすら堅気(開拓民)の一宿一飯の恩義に感謝しつつ、自分を殺している。
感情を発露したのは、悪漢の牧場主に「(開拓民の家で働く目的は)女房か?」とある意味図星の指摘を受けたときに「黙れおいぼれ」と悪態をついた時だけ。

男として、時代遅れのガンマンとしての矜持を貫いたのは、前半で悪徳牧場主一味に挑発され、一度は引き下がったものの、再び酒場でまみえたときにウイスキーを浴びせ返して殴り合いになった時と、最後に殴り込みに行こうとするヴァン・ヘフリン(ジーン・アーサーの夫)を力づくでひきとめたとき。

力ではもう、ヘフリンに敵わなくて、ガンで殴って気絶させ、彼の馬を追い放ち、拳銃をジーン・アーサーに隠すように託す。

40年代にスターとなり、素早い動きでギャング映画で一時代を築いたアラン・ラッドも俳優としては晩年。
低い身長を隠すこともなく、ラブシーンもなく、正体不明の中年ガンマンとして流れ着き、去っていく役を寡黙に演じきった。

時代遅れではあっても、己の信念と人間としての矜持を貫く役柄は、現実のラッドの俳優人生ともオーバーラップし、思い残すことはないだろう。

左からアラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリン

ジーン・アーサーも中年となり、母親役を演じた。
往年のこぼれ出るような色気は封印しても、控えめに大事な存在を見守り、平和を説き、バックアップする女性像を、彼女の女優人生の集大成として演じた。

映画人生最後の役柄は、心ひそかに愛するヒーローを見守る以上のことはせず、最後までキスもしないヒロイン役だった。
監督のジョージ・ステイーブンスは十分なリスペクトをもって彼女を演出した。

余談

ラストのジャック・パランスとの決闘シーン。
酒場のカウンターに寄りかかったシェーンとパランスは2,3のやり取りをする。
シェーンはパランスを挑発して応える。
「うそつきの卑怯者」と。
パランスは「抜け」と応じる。

この時のシェーンの言葉。
山小舎おじさんが中学生の時にリバイバルで観た版では「南部の豚野郎」だったと記憶している?!

今回見たDVDで原語を確かめると「なんとか・ヤンキー・ライヤー」と言ってる。

ライヤーはうそつき、最も相手を否定する言い方だ。
ヤンキーとは、アメリカで南部の住民が、北部の住民を軽蔑して呼んだ言葉だそう。

とすれば「北部の嘘つき野郎」が直訳である。
では山小舎おじさんの記憶にある「南部の豚野郎」とはいったい?

山小舎おじさん得意の記憶違い、なのか?
やっぱりそうなのか。

南部と北部の対立は歴史的にも根深い宿命的なものがありそうだ。
この作品の制作当時にあっては、南北戦争勝者の北部(北軍)に対する批判はタブーだったろう。
ということは、このシーン、ぎりぎりの北軍批判だったのか?

ちなみに、インデイアンなどに対する北軍のふるまいや、北軍そのものの程度の悪さなどは、のちの「ソルジャーブルー」(1970年 ラルフ・ネルソン監督)や「ダンスウイズウルブズ」(1990年 ケビン・コスナー監督)に描かれた通りなのだろう。

「シェーン」にとって南北対立はどのような意味を持つのか?

ジーン・セバーグと「勝手にしやがれ」

先日、塩尻東座で観た「勝手にしやがれ」。

改めて、俳優が輝いているし、作り手が自由に作っているし、古びていないし・・・〈ヌーベルバーグ〉という60年当初の〈フランス文化の新人台頭の現象〉の枠内にとらわれない画期的な映画だと思いました。

中でもヒロイン、ジーン・セバーグの魅力。
彼女の代表作であり、彼女と、監督:ゴダールと、相手役:ベルモンドとの化学反応が、この作品で歴史的輝きを発していたことを痛感しました。

有名なシャンゼリゼでの再会シーン

手元にあるセバーグの伝記、「ジーン・セバーグ」ギャリー・マッギー著、石崎一樹訳、2011年水声社刊。
彼女の女優生活の転機となった「勝手にしやがれ」出演時の前後で一章が割かれています。
そこには貴重な証言が記録されています。
映画の女神に祝福された奇跡的な1本であるこの作品を主演女優の観点から追ってみましょう。

伝記の目次

ゴダールが「勝手にしやがれ」が映画にできるかどうかを彼女に賭けている(P101)

ゴダールはプレミンジャー作品(「聖女ジャンヌダルク」「悲しみよこんにちわ」)のセバーグを気に入っており、自分の長編第一作への起用のために会いたがった。
ゴダールは自分の短編「シャルロットとジュール」をセバーグに見せた。
主演予定のベルモンドも彼女に会って出演を要請した。
セバーグは好意的に反応した。(伝記P101要旨)

セバーグはコロンビア映画の専属女優だった。
ゴダールはコロンビア映画にセバーグの出演を求め、出演権を12,000ドルで購入するか、興行収入の半分を渡すかの条件を提示した。
当時のセバーグの夫であったフランス人弁護士・フランソワ・モレイユがコロンビア映画と交渉し、セバーグの出演権を12,000ドルで買取った。(P103)

ゴダールとセバーグ

コロンビア映画の首脳陣はもちろん、セバーグ自身もゴダールの存在は認知していなかった当初。
ゴダールが(ベルモンドも)ジーン・セバーグの出演を映画の生命線と考えていたことがわかります。

「勝手にしやがれ」撮影中も脚本の決定稿は存在しなかった(P104)

撮影の初日は1959年8月17日。
ジーンにはまだ不安が残っていた。
その日の撮影が終わらないうちに帰りかけたほどだ。
「(前略)意見の相違をお互いに認め、握手をし私はその場を離れようとした。でも彼が私を追いかけてきたから仲直りしたってわけ」(P103)

「ジャン=リュックは毎朝、学生が持っているようなノートをちぎった束をポケット一杯に詰めて現場に来るのよ。そこに書かれているのは前の晩に彼が考えたことなの。
彼は恐れていたわ。
自分が作っている映画が、長編とい呼ばれている尺にはならないっじゃないかって」(P104)

「即興の演技ばかりだったわ。
ベルモンドも私も、私たちが思った以上のいい演技ができた、と思うことが何度もあった。
(でも)そこはゴダールよ。きっちりコントロールしていたわね。」(P104)

ハリウッドの制作環境とのあまりの違い、ゴダールの〈即興演出〉への戸惑い、反発。
一方でそのやり方を楽しんでいるセバーグ。
その輝きが完成作品の端々から窺えます。
セバーグにとって奇跡的に幸運な出会いがこの作品だったのではないでしょうか。

つまり、プロのアメリカ人女優なんだ(P105)

カメラマン、ラウル・クタールはジーン・セバーグに初めて間近で会ったとき、「いったいどうやって彼女を撮影すればいいんだ」と思った。
肌の状態が良くなかったのだ。
しかしひとたびメイクした彼女は豹変した。画面に映える。
照明が足りない時でもジーンのカメら映りは抜群だった」
クタールは語る「彼女の仕事ぶりはまじめだったよ。まわりにも協力的だった。つまり、プロのアメリカ人女優なんだ」(P105)

「撮影の時以外、部屋(セーヌ左岸にあるホテル・ド・スエード12号室)にはほとんどだれもいなかったわ。
照明を調節しに時々入ってくる技師と、セリフを思えようと必死になっている女の子(セバーグ自身)。
それだけね」(P106)

9万ドルという予算はあまりにも少なすぎた。
彼女の衣装はフランスのデイスカウントスーパー、プリズニックで調達された。
シャンゼリゼでの撮影時、カメラマンのクタールが歩行者から見えないようにするために、郵便配達用の箱をゴダールは自分で押して運んだ。
最後のシーンはゴダール自身が車椅子で押されながらの移動撮影となった。(P106)

撮影はくだけた雰囲気の中で行われた。
気分が乗らない日には、ジーンはそういった。
同じくゴダールも気分が乗らなければその日の撮影は休みになった。(P106)

映画のラストシーンで、パトリシア(セバーグの役名)が恋人を売った後、彼の財布を盗むことにしないかとゴダールがもちかける、とジーンは反対した。
彼女にしてみれば、自分が演じる役の女はそこまで徹底的にやらなくてもすでに充分みすぼらしかったのだ。
議論の末、パトリシアは財布を盗まないことに決まった。(P103)

画面をよく見ると、セバーグのメイクが濃いことに気が付きます。
シーンによってはつけまつげとアイシャドウがばっちり目立ってもいました。

同時にメイキングフィルムのように自然な彼女の笑顔が映るシーンも。

撮影は照明を気にしない移動撮影(レールを敷いた撮影所方式ではなく、車椅子にカメラマンが乗っかる方式)や、ベルモンドとセバーグが意味のないやり取りを延々と行う場面では、二人の間をカメラがさ迷うようにパンします。

技法的束縛から解放されたスタッフが発揮した技量と、自由な精神下で発揮された旬の俳優たちの演技が幸運な出会いを果たしています。
とはいってもベースにはプロの女優としてのセバーグの、セルフプロデースの技量、演技の技量があります。

ゴダールが心配した、尺の足りなさは、作家役でインタビューを受ける、映画監督ジャン=ピエール・メルビルの長時間のアップや、主人公や刑事たちの動きを俯瞰でとらえたつなぎうのカットの使用などで何とか埋めています。
ジャズ音楽の使用も良い感じです。

20歳のセバーグと26歳のベルモンド

60年代の新しい映画の女神(フランソワ・トリュフォー談)ジーン・セバーグの起用に成功し、相手役に将来のフランス人間国宝・ベルモンドを擁した、プロデユーサーとしてのゴダールの時代性。
結果として自由な撮影空間が生んだ、撮影技術と即興演技の化学反応。

かくして「勝手にしやがれ」は映画史にとってのターニングポイントとなり、ジーン・セバーグは「ヨーロッパ最高の女優」(トリュフォー談)となったのでした。

上田トラムライゼで「湖のランスロ」

トラムライゼ(旧上田電気館)へ行きました。
ロベール・ブレッソンンが1974年に製作した「湖のランスロ」という映画を観るためです。

モダンな外観のトラムライゼ(旧上田電気館)

トラムライゼは、上田映劇を復活させたNPO法人の運営で2館の距離は歩いて3、4分です。
上映プログラムは、ミニシアター系作品が中心です。
その中に、旧作をデジタルで再輸入した作品も含まれており、ブレッソンの「たぶん悪魔が」(1977年)と「湖のランスロ」(1974年)もその流れで輸入公開され、東京公開を経て上田にも来たものです。

この日は10時5分開映。
ロビーでモギリを済ませてトイレへ急ぐと、開いた入り口から場内が見えました。

スクリーンには次回上映の「勝手にしやがれ」(1960年 ジャン=リュック・ゴダール監督)の予告編がかかっており、思わず見入ってしまいました。

〈ジーン・セバーグ20歳!〉〈ジャン=ポール・ベルモンド26歳!〉〈ゴダール28歳!〉の文字が躍るスクリーン。
画面には、トリュフォーが絶賛した〈新しい映画の女神〉ジーン・セバーグの若さが輝いています。
「勝手にしやがれ」でのジーン・セバーグの登場は、映画史上で最も輝かしい瞬間の一つです。

これは何度でも見に来なければなりません。

「気狂いピエロ」予告編の一場面。(映画泥棒にならないよね)

さて「湖のランスロ」。
アーサー王と円卓の騎士伝説の英雄・ランスロが、キリストの血を受けたといわれる聖杯探しに失敗しての帰還後、王妃との不義密通、ライバル騎士との確執に揺れる挙句に死ぬまでを描いています。

例によって素人俳優、特に女優の静謐で理知的な美しさに心ひかれます。
ランスロとの不義密通を、単なる肉欲にまみれたものだけではなく、二人の宿命的なものとしての表現に説得力をもたらすこの素人女優さんは魅力的です。

パンフレットより、王妃役

西洋鎧の重さと剣の重さの表現、打撃を受けた人体の損傷の表現にはリアリテイが見られます。
騎士が乗る馬はサラブレッドではなく、農耕馬のような丈夫な馬。
騎士の野営地にはテントが張られ、黒い衣装と帽子を被った従者が騎士たちの世話をします。
ブレッソンは、ヒーローものとしてではなく、中世ヨーロッパの現実としての騎士団を描いています。

木と土壁で作られた当時のヨーロッパの家屋。
内部はクッションと防寒材を兼ねた藁のくずが散乱しています。
一歩、野営地を出ると、かつてヨーロッパ中を覆っていた暗く湿った森が広がっています。

馬に乗って槍でぶつかり合う騎士の試合に使う槍は、木を削って作り、壊れると従者が代わりの槍と交換する、という描写も、ブレッソンが史実に忠実に再現したものなのでしょう。

山小舎おじさんに、アーサー王伝説や、聖杯伝説、中世ヨーロッパの実情などの知識があればもっと楽しめたことでしょう。

パンフによると騎士道精神の崩壊過程を描いてもいるとのことでした。
ランスロは王妃と不義密通するなど、最大限の背信行為をしつつも、王への忠誠心、神への信仰心は厚く、その人間らしい矛盾と苦悩が主題の一つだったのかもしれません。

パンフより、左ランスロ、右王様

トラムライゼを出ると11時半。
上田の街で食事をと、中心部のはずれにある相生食堂へ。
850円のとんかつ定食を堪能。

熱いお茶を何度も注いで回ってくれるおかみさんのサービスにも感激し勘定へ。
1,050円出すとおつりを500円出してきました。
850円だよと言って200円のおつりをもらいなおしました。
大丈夫かなおかみさん。

相生食堂全景

今年最初の上田映劇

上田映劇は、大正6年開業の上田劇場をルーツとする映画館。
現在はNPO法人が運営するミニシアターとなっている。

映画好きの山小屋おじさんとしては、上映情報のチェックが欠かせない。
上映作品は、いわゆる内外のミニシアター系の新作が中心だが、時に「フィルム上映大会」として寺山修司の「田園に死す」などを取り上げたり、地元上田出身の映画監督・成沢昌茂の追悼上映として、「花札渡世」など4作品を上映するなどの企画にも取り組む。

今回はロベール・ブレッソンというフランスの映画監督の旧作「たぶん悪魔が」(1977年)が上映されたので駆け付けた。

この日、劇場に駆け付けると、支配人がラックにチラシなどをセットしていた

この日の上映開始は16時20分。
14時半ころまで畑で苗の植付作業などを行い上田を目指す。

上映開始までに近くの商店街で今川焼のあんことクリームを購入、上田映劇に併設しているカフェでコーヒーテイクアウトしてから場内へ。

いつものように広々とした場内。
観客は自分を入れて5人ほど。
まるで大スクリーンを個人で独占しているかのような鑑賞条件に感謝、満足。

ロベール・ブレッソンは映画史上で評価が定まった巨匠だが、山小舎おじさん的には、リアルタイムで見た「白夜」(1971年)という作品が唯一の鑑賞体験。

ここ最近になって、「少女ムシェット」(1967年)、「やさしい女」(1969年)などがデジタル素材で再輸入されてミニシアターなどで上映されており、本作「たぶん悪魔が」と「湖のランスロ」(1974年)も同様にデジタル素材での輸入公開(日本では初公開)となったもの。

作品チラシより、ブレッソン紹介の部分

今川焼を食べ、コーヒーを飲みながら(上田映劇は場内での飲食可能)ほぼ初めてのブレッソン作品を見た山小舎おじさん。
芸術作品にありがちな、観念的、象徴的、形而上的な映画なのかと思っていました。
もしそうだったら無理して理解しようとはせず、画面のあるがままを受け入れ、力を抜いて見ていようと思いました。
退屈しないか、だけが心配でした。

作品チラシより

心配は当たりませんでした。
登場人物は他のブレッソン作品同様、職業俳優ではないようでしたが、静謐で知的な美男美女でそれだけで画面が締まります。

素人俳優の演技は個性を排した動きで、まるで小津作品における俳優たちのセリフ回しのようですが、それが映画そのものをスポイルするということはありませんでした。

登場人物たち

ストーリーは、1970年代のパリの学生である青年が、あらゆる事象に救いを得ることができず、自殺するといいものです。
政治運動、宗教、ヒッピー、麻薬、恋愛、学問などの事象が出てきますがそれらは青年の救いにはなりません。
反対に当時の環境汚染などの映像が青年の絶望の象徴としてカットインされます。

映画を貫くテーマは、ブレッソン監督の感性〈そのもの〉です。
もっというと、ブレッソンの感性〈それだけ〉です。

俳優に自由な演技を許さず、むしろロボット的な動きを求めるなど、ブレッソンの感性を逸脱する動きを排した映像が続く作品です。
そういった作品が緊張感を維持し、退屈ではないのは、ブレッソンの感性の完成度が高く、また普遍性を持っているからだと思います。

映画作家には、〈この作品を撮らなければ前へ進めない〉と思って作った作品があるように思います。
それは大島渚の「日本の夜と霧」(1960年)だったり、ビリー・ワイルダーの「異国の出来事」(1946年)だったりします。
両作品に共通するのは興行的にヒットしなかったこと(「異国の出来事」は日本に輸入すらされなかった)。
作家の個人的感慨を唯一のテーマにしたり、濃厚に反映させた作品の宿命でもありましょう。

おそらくはブレッソンのフィルモグラフイーはほとんど全部が、ほかのだれかが企画したものではなく、ブレッソン自身が〈この作品を撮らなければ前へ進めない〉と思って撮った作品なのではないでしょうか。
その結果が、興行成績はともかく、各作品が映画祭等で受賞し、現在に至るまでファンを獲得しているところがロベール・ブレッソンのすごいところだと思います。