DVD名画劇場 イタリアンネオ・レアリスモの作家たち その2 ロベルト・ロッセリーニ

イタリアンネオレアリスモと呼ばれる映画群の作家にロベルト・ロッセリーニがいる。
戦争直後に主に街頭ロケで製作した「無謀部都市」と「戦火のかなた」が世界的な評判を呼んだ。

どちらも戦時中の占領下のイタリアでのエピソードを映画化したもので、そのドキュメンタルな手法のみならず、実際に戦争を経験したばかりのイタリア人俳優らによる演技が劇映画を越えたリアリテイを持っていた。
彼等の存在は雄弁に歴史的事実を物語っていた。
そのタイミングを逃さず、劇映画に記録したのがイタリアンネオレアリスモと呼ばれる作品群を撮った映画監督たちだった。

ヴィットリオ・デ・シーカと並ぶネオレアリスモの巨匠、ロッセリーニの作品を見てみる。

「無防備都市」  1945年  ロベルト・ロッセリーニ監督  イタリア

1943年の連合軍のシチリア上陸とイタリア政権の降伏の後、9か月に及ぶドイツ軍のローマ占領の時期があった。
その時の抵抗のエピソードを素材にした作品。
戦争終了直後の45年に製作された。
巻頭にはフィクションであるとのコメントがあるが、実際をもとにしたフィクションである。

当時のイタリアは、ドイツ軍とイタリアファシスト政権とパルチザンが三つ巴で勢力を競っていた。
占領者のドイツとファシストが一緒になってパルチザン及びその協力者を追いつめていた。

映画に出てくる主な人物は、パルチザンの細胞とその婚約者(アンナ・マニヤーニ)、パルチザンに協力する神父(アルド・ファブリッツイ)、ゲシュタポの将校など。

パルチザン細胞には愛人がいるが、愛人はゲシュタポのスパイとなり、パルチザンを密告する。
連行されるパルチザンに追いすがる婚約者は路上で射殺される。
捕まったパルチザンは拷問の末殺され、神父は銃殺される。

占領者に抵抗するパルチザンの意志の強さ、助ける神父の気高さ、パルチザンに協力する庶民等の虐げられながらも志に殉ずる頑強さがストレートに描かれる。

アンナ・マニヤーニ(左)とアルド・ファブリッツイ

戦争に荒廃した風景と、実際に戦争を経験したばかりのイタリア人俳優の眼差し、ふるまいはその時代のその場所でなくては再現不能なリアリテイに満ちている。

パルチザンを追いつめるゲシュタポとファシストの緊迫感。
連行された婚約者を追い、ドイツ兵をぶったたき、振り切って路上に飛び出すアンナ・マニヤーニの、手を振りかざしてトラックに追いすがり、射殺されて路上に昏倒する姿。
俳優たちのストレートな動きによる切迫感とリアリテイーは、見る者に強烈に訴える。

劇映画としての説明不足、登場人物の整理不足が感じられるが、映画はそれよりも事実をもとにしたエピソードの記録に徹している。
セミドキュメンタリー方式でニューヨークを捉えたアメリカ映画「裸の町」(1948年 ジュールス・ダッシン監督)を思わせる迫力だ。

アンナ・マニヤーニ

パルチザンを密告させるべく、その愛人をスパイに仕立て上げるエピソードもすごい。
ゲシュタポが、レズビアンでモルヒネを駆使する女を使ってパルチザンの愛人を篭絡するのだが、のちにイタリア映画などで描かれるナチスドイツの退廃性、背徳性がもはやこの時期に喝破され、表現されていたていたことになる。

「戦争は嫌だ」という庶民のアンナ・マニヤーニの問いかけに、「来るべき理想の社会のために戦っている」と答えるパルチザンの婚約者の言葉が、この映画のストレートさを物語っている。

「戦火のかなた」  1946年  ロベルト・ロッセリーニ監督  イタリア(MGM配給)

「無防備都市」の翌年に作られたイタリアンネオレアリスモの決定版。

シチリアに連合軍が上陸した1943年7月から、終戦を翌年に控えた1944年の冬までのイタリアにおける戦下の陰の名もなき事実を描いている。
「無防備都市」に比べて手際よく各エピソードをまとめており、映画としてわかりやすく、またスピーデイに仕上がっている。

第一話は1944年7月のシチリアでの連合軍上陸直後のエピソード。
上陸した米軍の一小隊が避難民が集まる教会へ向かう。
任務はドイツ軍の動向を探ること。
どこへも逃げ場がなく教会に集まった避難民と米軍が全く成立しない意思疎通を試みる。

米軍は一人の少女を道案内に哨戒に出動する。
イタリア語は全く喋れない、牛乳配達から徴兵された若い米兵と少女が哨戒先で留守番をすることになる。
あくまで英語で意志を伝えようとする米兵と、イタリア語で応える少女のたどたどしくもかわいらしいすれ違いのコミュニケーション。
すっかり話に夢中になり、たばこの火をつけたばっかりにドイツ兵に狙撃される米兵。
残された少女はライフルを手にドイツ兵に向かうが・・・。
駆け付けた米軍小隊が発見したのは、殺された米兵と崖下に突き落とされた少女の死体だった。

第二話。
1943年9月のナポリ近郊。
連合軍に解放されたナポリでは戦災孤児が吸殻を拾って吸いながら「黒人狩り」を行っていた。

酔った黒人兵を連れまわしながら軍靴を盗む子供。
MPの黒人兵は英語のみをしゃべって、孤児らを従わせようとする。
一方、孤児らはわかったふりをしながら、関心があるのは米兵が持っている物資だけ。

ここでも米兵と現地人のコミュニケーションが成立しない現実がある。
黒人兵は孤児が暮らす廃墟の様子を目の当たりにして盗まれた軍靴を捨てて去ってゆく。

この挿話で、ロッセリーニは戦後の廃墟で暮らすイタリア庶民の実写カットを使っていた。
アパートの中庭なのかビルの廃墟なのか、20人くらいの女子供が集まってカメラの方を見ている、ひとりの女は鍋をドラム缶のようなコンロにかけてしゃもじを廻している。
ほんの数秒のワンカットだが、明らかに戦後のイタリア庶民の生活を捉えた実写のカットが、孤児が黒人兵を住処に案内する場面で挿入されていて効果をあげていた。

第二話。黒人兵と少年

第三話には、「無防備都市」でゲシュタポのスパイ役を演じたマリア・ミーキが登場し、イタリア女性の哀しさを演じて忘れられない余韻をもたらした。

1944年2月に連合軍がイタリア本土のアンツイオに上陸し、その後ローマに入城した。
連合軍を迎えるローマ市民の歓びを実写フィルムで伝える場面から第三話は始まる。

ローマ入城時に、歓迎する市民に水を所望した米兵のフレッドは、断水しているアパートに案内されてフランチェスカ(マリア・ミーキ)という娘から接待を受けた。
輝かしく明るいフランチェスカとのつかの間の邂逅はフレッドにとって忘れられない思い出となった。

9か月後、ローマにもどったフレッドは、街の女につかまり部屋に連れ込まれた。
酔ったフレッドは、街の女には全く関心をみせず、フランチェスカとの思い出を語った。
街の女はフランチェスカの6か月後の姿だった。

フランチェスカは彼女の住所を書いたメモを渡し、明日必ず会おうと部屋を出たのだが、翌日素面に戻ったフレッドはポケットのメモを「売春婦の住所だ」と丸めて捨てて任務地へ向かった。
部屋の前ではフレッドを待ち続けるフランチェスカの姿があった。

第四話は、イタリア留学時代の恋人でパルチザンのリーダーになっているルーポに再会せんと、友人とともにドイツ軍の占領地域に潜入する米従軍看護婦のハリエットを描く。

薄いワンピース姿で、壁をよじ登り、頭を下げて狙撃を避け、瓦礫の山を駆け抜けるハリエット役の若い女優が素晴らしい。
若い娘らしいほほ笑む場面もラブシーンもなく、戦火の緊張の中を厳しい顔をして走り回る姿にリアリテイがあった。

第四話。ハリエット役の女優(中央)

フィレンツエが舞台の第四話だが、ドイツ軍の占領地域を目の前にして敢えて手を出さないイギリス軍の様子が描かれる。
大戦末期のワルシャワで蜂起したポーランド軍に対し、川の対岸まで来ていたソビエト軍が静観していたことを思い出した。
連合軍にとって、ポーランド同様イタリアのパルチザンは所詮捨て駒だったということなのだろう。

第五話は、ドイツ軍の防衛ラインだったゴシックライン突破後のエピソード。
ゴシックライン周辺の修道院が舞台。

米軍の従軍宣教師が修道院を訪ねる。
物資が極度に不足し、また旧来のカソリックの価値観に愚直にとらわれる修道士たち。
訪問団の一人が、プロテスタント中最悪の異端ルター派であり、もう一人がユダヤ教徒だと知ってこの世の終わりのように驚き、忌避する修道士たちが可笑しいというか可愛いというか。

ロッセリーニは挿話のラストで訪問団長に規則(食事の時は無言)を破って夕食前の挨拶をさせる。
団長はイタリアの教会、修道院の敬虔さ素朴さを称賛する。
「神の道化師フランチェスコ」(1950年)、「火刑台のジャンヌ・ダルク」(1954年)など宗教をテーマにした作品も多いロッセリーニの姿勢が示される。

第六話は、終戦を翌年に控えた1944年冬。
ポー川の流域で戦い続けるパルチザンの姿。

ドイツ軍に包囲され補給もない。
夜間の投下で補給するからのろしを上げろとの米軍の指示により、かえってシンパの農家が襲撃され皆殺しにあう。

戦闘で降伏したパルチザンはポー川に投げ込まれて処刑される。
ここでも米軍の都合に振り回され消耗してゆく名もなき愛国者たちの姿が描かれる。

ロッセリーニの主題は「無防備都市」での占領者ドイツへの敵意から深化し、「解放者」連合軍との関係性へと向かっている。
英語しか話そうとしない米兵との間の表面的な意思疎通の困難さから、敗戦国女性のやむに已まれぬ哀しさへの無理解、愛国者たちの抵抗運動が連合国軍の都合に振り回される事実。
これらが「戦火のかなた」の主題になっている。
唯一、希望が持てるエピソードとして、新旧のキリスト教徒の融合の可能性を謳った第五話のエピソードがある。

「ドイツ零年」  1948年  ロベルト・ロッセリーニ監督  イタリア

戦後間もないベルリンが舞台。
ドイツ人俳優を起用しオールドイツ語ですすむ。
爆撃と市街戦で瓦礫の山となったベルリンの街でのオールロケーション。

主人公は12歳の少年エドモンド。
アパートに病弱の父、戦争犯罪者の追求を恐れて家に潜む兄カール、父の面倒を見ながらキャバレーで外国兵から煙草をもらって金に換えて生計を支える姉エヴァの4人で暮らす。

アパートの住人は、避難民や没落家族などの戦争弱者であり、さらに電力やガスの供給統制によって生活苦を強いられている。
インフレ、配給制度、闇市経済、タケノコ生活は日本の戦後同様。
また、カールのように「登録」していない国民は配給を受けられず、働くこともできない。

エヴァが毎晩外国兵にもらうたばこ数本が20マルクになり、ジャガイモが2キロほど買える。
全くわずかな稼ぎだが、エヴァは外国の捕虜収容所にいる恋人のためにもそれ以上のことはしない。

エドモンドは労働許可がないのに墓堀りの仕事に行って追い出される。
路上では行き倒れの馬に人が群がり、馬の肉を切り取ろうとする。
路面電車と地下鉄こそ走ってはいるが、街は壊れた建物と瓦礫だらけ。
親を失った子供は群れて生きるしかない。

ロッセリーニのカメラはベルリンの街頭で俳優たちを動かし、通行人たちは何事かとカメラに目を向ける。
「戦火のかなた」で実写カットを使い、現実の緊張感を表現した手法と同じ発想である。
また、一つの芝居をカットを切らずにカメラは追う。
俳優の動きを追い、時には行ったり来たりするカメラは、場の緊張感を途切れさせない。

エドモンドの周りにはかつての恩師なども現れる。
かつての国家社会主義者(ナチス)で今は失業者の恩師は、残党と思われる老人に忠誠を誓いつつ、子供たちを使って怪しげな商売をしている。
ヒトラーが自殺した総統官邸を見物にやって来る外国兵たちに、その場でヒトラーの演説のレコードをかけて金を得るというもので、エドモンドもそれで200マルクを稼ぎ、恩師から10マルク貰う。

恩師の周りの孤児たちは、地下鉄で夫人にインチキ石鹸を売りつけ、石鹸の香りを嗅がせるだけで金を奪って逃げる少年とか、その少年とくっついている大人びようとする少女などがいて、演技なのか実態なのか、少年少女たちの存在感が、痛々しくもま、生生ましい。

映画はエドモンドの苦悩を通して戦後ドイツの庶民レベルの生活苦の不条理さを告発するとともに、思春期の少年の自立へ向けての苦悩も描く。
非常時の逆風だらけの中での自立だから、まったく大人や世間の関心も理解もなく、少年の人生そのものが破滅してゆくのだが。

まずは戦後ドイツの壊滅的な状況の記録として貴重な作品だということ。
その時期に少年期を迎えることはまさに悲劇であったということ。

「靴みがき」「自転車泥棒」のイタリア人子役もそうだったが、本作のエドモンドを演じる少年の演技は特筆されていい。

DVD名画劇場 イタリアンネオ・レアリスモの作家たち その1 ヴィットリオ・デ・シーカ

イタリア映画の歴史を見るとき、世界的にその名を残すのは第二次大戦の戦中戦後にかけてのネオ・レアリスモと呼ばれる作品群の登場を待たねばならない。

戦前には全盛期を迎え、歴史に残る名匠・鬼才が様々なジャンルで腕を振るったドイツ、オーストリアやフランス、あるいはロンドンフィルムという制作会社によって国際化していたイギリスには、イタリア映画は後れを取ったようだった。

しかしながらイタリアには、1930年代にチネチッタという映画都市が作られ、映画製作、教育の中心として今に至るまでイタリア映画に多大な貢献をしている。
チネチッタは戦前のドイツにおけるウーファ、そしてハリウッドのスタジオ群と並び称される映画製作の本拠地だが、ウーファが営利に準じた会社組織であるのに対し、イタリア政府肝いりの施設として、国立映画大学が併設されてもいた。

1939年に始まった第二次世界大戦に、ドイツ、日本と軍事同盟を結んでいたイタリアが参戦したのが1940年。
北アフリカや東部戦線にも派兵していたイタリアだが、1943年に連合軍のシチリア上陸を許すと、ムッソリーニに代わる政権が連合軍に降伏し、連合軍側での参戦を表明する。
ただしイタリア国内での戦いは、45年の第二次大戦終結まで、ドイツ軍が連合軍との間で繰り広げられていた。

当初はファシスト党を率いるムッソリーニが華々しく登場したイタリアだったが、旗色が悪くなると政権が交代し、また反ファシストのパルチザンが国内群居するなど混とんとした状況。
戦時中のイタリア庶民の生活は、例えば「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年 ルキノ・ヴィスコンテイ監督)に描かれたように、素人の娘が街で生活費のために体を売ったり、「二世部隊物語」(1951年 ロバート・ピロシュ監督)に描かれたように、上陸した日系アメリカ兵のもたらす食料と交換に家の娘を差し出すような状況だった。

このような敗戦国イタリアの現状を、ドキュメンタルな手法でとらえたのがネオ・レアリスモと呼ばれる、文学、映画の作品群。
映画では「靴みがき」(1946年)、「自転車泥棒」(1948年)、「無防備都市」(1945年)、「戦火のかなた」(1946年)などが世界的に有名。
作ったのはヴィットリオ・デ・シーカ、ロベルト・ロッセリーニなどで、ヴィスコンテイの初期作品もその範疇とされる。

今回の名画劇場では、デ・シーカの戦中戦後の作品から4本を選んだ。

「金曜日のテレーザ」 1941年  ヴィットリオ・デ・シーカ監督  イタリア

イタリアが枢軸国側で第二次世界大戦に参戦しているときの1941年の作品。
チネチッタ撮影所で撮られている。
戦争の直接、間接の描写はなく、ハッピーエンドの人情コメデイ作品である。

主人公は小児科医(ヴィットリオ・デ・シーカ自作自演)。
患者は少なくお手伝いさんにも愛想をつかされる人物。
借金だらけで、医院を兼ねる建物は差し押え寸前。
レヴューの踊子の愛人(アンナ・マニヤーニ)がいて、やかましい。

金持ちの親父は直接の援助はしてくれないが、孤児院の嘱託医の職を紹介してくれる。
孤児院は18歳までの女子ばかりが暮らす。
そこで医務室の助手をするテレーザ(アドリアーナ・ベネッテイ)という18歳の女の子と主人公が親しくなるのだが・・・。

戦時中の映画とは思えない軽いタッチとテンポの良さで始まる作品。
最後までもの調子は変わらない。
女性とみれば気安くタッチし、愛想を振りまく主人公。
気はいいのだが最後まで金には縁がなく、医院はいよいよ差し押さえ。

主人公を取り巻く人物がオカシイ。
まずマイペースですっとぼけた執事。
天然で惚れっぽい娘を溺愛する金持ち一家。
主人公は金持ちの娘とあいさつ代わりのキスを下ばかりに婚約者にされる。

孤児院のオールドミスの教師群もイタリア式。
厳格すぎず、どこか人間性を漂わせるのは国民性か。
孤児の女の子たちのわんぱくぶりも楽しい。
すれ違いと、お互いの誤解をテンポよく挟みながら人間関係をハピーエンドに収束させてゆくシナリオも、古さを感じさせない。

アンナ・マニヤーニは数シーンのみの登場。
レヴューのリハーサルのシーンでのやる気のない演技がケッサク。
マニヤーニの背後には足のきれいな踊り子をずらりと並べるというサービスカットでもある。
テレーザは真面目な乙女だが、雨に濡れて主人公宅を訪問した後に、ガウンを着て肩を出したり、ストッキングを履くなど、大人しめだがお色気カットは、これもデ・シーカのサービス精神か。

テレーザの身の上ははっきりしないが、貴族の種か、大俳優の子女かをうかがわせる。
身分の高さにも関わらぬ苦労という設定であれば、戦争という非常時を象徴するエピソードとなる。
まだまだ街は廃墟もなく、金持ちは存在している。
この時期の作品は、大戦緒戦ののんびりムードが支配的な時期のイタリア映画として貴重。

ヒロインのアドリアーナ・ベネッテイは、イタリア女優の一つのタイプである正統派美人。
シルバーナ・マンガーノのような。

「子供たちは見ている」  1944年  ヴィットリオ・デ・シーカ監督  イタリア

ヴィスコンテイが「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年)で描いた男女の情欲のどうしようもない世界。
イタリアの片田舎のドライブインを舞台に、流れ者の男と人生で安食堂にたどりついた女との身もふたもない愛情を描いたヴィスコンテイ。

1944年、戦争真っただ中のイタリアで同じく男女のどうしようもない情欲を描いたデ・シーカ。
デ・シーカの手法は子供の目を通したことと、舞台をローマの中流階級が暮らす高層アパートとしたこと。
「子供たちは見ている」の舞台は、家政婦がいる中流家庭。
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の片田舎のカフェとは舞台が違う。
しかしながら、庶民が主人公の場末のカフェであろうが、ローマの高層アパートに住む中流階級だろうと本質は全く変わりはないのが男女の情欲だということがよくわかる。

会計士の夫(エミリオ・チゴリ)と5歳くらいの一人息子(ルチアノ・デ・アンブロジオ)と暮らす一見貞淑な主婦ニーナ(イザ・ポーラ)。
彼女には年下の愛人(アンドリアーノ・リモルデイ)がいて、そいつが現れると一人息子のことなどどうでもよくなり、再三家出を繰り返す。
いったんは帰ってきて、息子のためにやり直すことを許される。

家族でやり直すためのリゾート地で男と出会い、またまた出奔。
絶望した夫は自殺する。
寄宿舎に預けられた息子に喪服で面会に行くニーナだが、幼い息子はニーナに背を向けて去ってゆく。

ニーナと愛人

時代背景としての戦争は、例えば高層アパートのエレベーターが下りの場合に使用自粛になるということで表される。
そのほかでは辻の人形劇の観衆に水兵や兵隊の姿があるくらいか。

高層アパートが建ち並ぶ一角や、ヨットが浮かび、水着姿の金持ちたちがはしゃぐリゾート地に戦争の陰はない。
時代描写をあえて避けたのだろうデ・シーカはひたすら子供の目で、大人の勝手な行動を描く。

母親の出奔後、息子を預けようと訪れた母の姉の元。
姉はお針子数人を抱えるブテイックの仕事をしているが、お針子は男の噂ばかりだし姉にもパトロンのような親父がいたりする。
それならばと息子の祖母の家へ行けば、子守の少女は夜中に部屋を抜け出し男とランデブーの末、頭に植木鉢がぶつかっての大騒ぎ。

人間らしすぎる人々のふるまいに翻弄されるのは、父親と息子。

父と息子

子供の目線で描くことが目新しいし、デ・シーカはまずまずうまくやっている。
全編を通して軽いムードはさらさらなく、重苦しい人間の業のようなものが画面を覆い、緊張感を漂わせる。

戦時中とはいえ、戦争の影が感じられないイタリア国民の生活の記録としても貴重だし、ネオ・レアリスモへ向かうデ・シーカのキャリアの一環としても貴重な作品。

「靴みがき」  1946年  ヴィットリオ・デ・シーカ監督   イタリア

デ・シーカの戦後第一作にして、イタリアンネオ・レアリスモの代表作の一つといわれる作品。
戦後のローマで靴磨きをしながら生活する少年二人の運命に翻弄される姿を描く。

子供を使ってその視線で社会や大人たちを描くという手法は、デ・シーカ前作の「子供たちは見ている」と同じで、デ・シーカ得意の手法なのかもしれない。

主人公の少年たち

イタリア国内で戦争が終わったのは、ドイツ軍が連合軍に降伏した1945年で、第二次大戦の終戦と同じ年。
イタリアでは43年の連合軍シチリア上陸からほぼ2年間、国内で地上戦が行われていたことになる。
といっても沖縄やサイパンなどでの地上戦とは異なり、連合軍の相手は主に山岳地帯に防御線を敷いたドイツ軍であり、対日本の戦闘のように連合軍が住民を巻き込んだ、殲滅戦ではなかった。
また、ローマなどの主な都市は、歴史遺産の保存の観点からも市街戦の舞台にはならなかった。
さらに、イタリアは43年の時点で政権が交代して連合国側に立っており、また国内のパルチザンが連合軍と協力してドイツ軍に抵抗するなど、日本のように最後まで全国民が一致して鬼畜米英でまとまっていたわけではなかった。

とはいっても国内で戦闘が行われ、また国外にも自国軍を派兵していたのは事実であり、多くのイタリア人戦死傷者が出ており、結果、国内に未亡人や戦争孤児が多く、町や村も荒廃していたのは事実だった。

本作「靴みがき」では、街頭ロケのシーンは多くはなく、街の荒廃や人々の困窮が記録として残されることは少なかったものの、出演している俳優や子供たちから醸し出される、戦後の開放感だったり、戦争で受けた癒しようのない傷がこの映画の重要なファクターとなっていた。

馬に乗るのが好きで、馬を買うことが夢の仲良し二人は街頭の靴磨きで稼ぐ少年だ。
一人は孤児、もう一人には母と兄がいる、がその兄は米軍物資の闇売買などで稼ぐグループの下っ端にいる。

二人は稼いだ金で夢と希望の象徴である馬を買うことができたが、兄の指図で米軍の毛布の密売を手伝ったことから警察に連行され、背景を探られる。
兄につながる事件の背景については黙秘を誓い合う二人。
ここら辺から映画は単なる靴磨きの少年たちの悲惨な現状と社会の荒廃を直接描くことから、逆境にも関わらない少年たちの友情とその友情を引き裂くかのように次々と訪れる試練を描き始める。

少年たちが収監される未決の少年刑務所でのエピソードが延々と続く。
所内のスパイのような少年に騙され、事件の背景を白状させようと策を弄する大人たちに騙され、翻弄されつつも二人の友情と硬い心情は保たれる。

ドキュメンタルなイタリア国内の荒廃と国民生活の悲惨さについては直接的な描写は少ない。
が、たとえば裁判所で実刑を食らう少年たちを見守る少女や母親たちの表情は、単なる芝居ではなく、まさに1年前まで国内の戦争に苦しんできた庶民の忘れられない痛みに裏打ちされた表情になっている。
デ・シーカの狙いはあくまで劇映画を通しての社会の現状を訴えるものだが、出ている俳優たちの1946年当時の表情を記録しただけでもこの映画の意味がある。

デ・シーカらしいユーモアもあった。
刑務所に監査人がやってきて給食の味見をする、スープを掬い、パンをかじってOKを出す監査人に炊事係の老人がムッソリーニ式の敬礼をする、おもわずムッソリーニ式の敬礼を返す監査人。
お互い去年まではイタリア国軍の軍人だったりしたのだ、というデ・シーカの自虐描写でもあった。

いつも思うのはイタリア人の演技の自然なうまさ。
主演の二人をはじめ素人俳優をたくさん使ったであろう本作で、演技上の違和感をほとんど感じなかった。
イタリア映画の素人俳優(エキストラも)は芸達者だ。

「自転車泥棒」  1948年  ヴィットリオ・デ・シーカ監督  イタリア

主人公は妻子を持ち、公営住宅(5階建てアパート)に住む失業者。
職安で何とか市役所のビラ張りの職を見つけて帰ってくる。

妻は広場の水くみ場からバケツ2杯の水を汲んで部屋へ運ぶ。
1948年当時のイタリア都市部。
郊外にはすでに5階建てのアパートが並んでいる。
部屋数は多く、一所帯分の広さは日本の2LDKに比べると倍ほどもありそうだ。
このアパートは、戦後の復興住宅的なものなのかもしれない、水道すら完備されていないのだから。

希望溢れる初出勤の朝の主人公親子

デ・シーカの戦後レアリスモ第1作「靴みがき」と同じく、素人を主役(主人公夫婦と息子)に配している。
タイトルバックの暗いテーマ音楽、終始一貫して汗じみた一張羅姿の主人公、とデ・シーカは意識してイタリア戦後社会の混乱と、貧しいものの不運を強調する。
脚本は「子供たちは見ている」「靴みがき」のチェザーレ・ザヴァッテイーニ。

自転車を持っていることを条件に得た仕事の間に自転車を盗まれる主人公。
そこからの追跡はイタリア人らしく徹底している。
友人とともに街の泥棒市に行き、分解されて売られているかもしれない自転車を探す。
山のように売られている盗難自転車とその部品。
ここは日本でいうと闇市のようなものなのか。

次いで主人公は犯人と接触していた老人の後をつけ、教会の救護活動に入り込み、ミサを混乱させる。
老人には逃げられる。

とうとう犯人の若者を見つけ、スラム街に入り込む。
若者が逃げ込んだ売春宿を叩きだされ、スラムの住人に囲まれる。
警察を呼ぶが証拠がなく、住人の罵声を浴びながら退散する。

自転車を探す親子

主人公が自転車を追う中で巡り合うエピソードには、イタリアの戦後の混乱、不平等、そして庶民たちの意識のズレ(主人公の妻らは街のインチキ占いおばさんのご神託を求めて列を作るなど)までも描き込まれている。

主人公の、そして映画そのものの数少ない救いが主人公の息子の存在。
「子供たちは見ている」以来のデ・シーカ得意の子供の演出が冴える。
何せ、健気で頑張り屋なのだ、主人公の息子役の子は。
映画を通して、楽天的な人間味を感じることができるのは、イタリアの国民性だけではなく、この子役の存在が大きかった。

子役のエンツオ・スタヨーラ。この作品の後は20歳まで俳優を務めた
主人公の妻を演じるリアネッラ・カレル

デ・シーカは「靴みがき」と同じく、現実社会の悲惨さをドキュメンタルに撮るのではなく、悲惨な中の人間性をドラマを通して描こうとしている。
街頭ロケや街頭の実写シーンの割合は「靴みがき」より多く、戦後イタリア社会の記録としても貴重な作品。
満員のボンネットバスに群がって通勤する人々などの混乱状況の活写とともに、サッカー場に自転車で集まる人々など復興に向けての社会の活気が映し出されていた。

  

DVD名画劇場 歴史スペクタクル一代 セシル・B・デミル

セシル・B・デミルはサイレント時代からハリウッドに君臨する大監督であった。
20年代には当時の風俗をキャッチアップしたセンセーショナルな現代劇で名を上げ、パラマウントスタジオの大御所となってからは、歴史ものをスペクタクル大作に撮り上げてヒット作を連発した。

代表作にサイレント時代の「スコオマン」(1914年)、「チート」(1915年)、「男性と女性」(1919年)、「十誡」(1923年)。
トーキーになってから「クレオパトラ」(1934年)、「平原児」(1937年)、「サムソンとでリラ」(1949年)、「史上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)などがある。

「クレオパトラ」(1934年)のセットで指揮を執るデミル

手許の「世界の映画作家40大ヒット映画の巨匠たち」(1980年 キネマ旬報社刊)でデミルが取り上げられている。監督別の研究書などでまず取り上げられることのないデミルだけに、貴重な文献である。

この本のデミルに関する章で、映画評論家の筈見有弘、彼の来歴とともに、監督作品の系統別分析などを行っている。

キネマ旬報社「世界の映画作家40大ヒット映画の巨匠たち」目次

先ずデミルの来歴だが、17世紀のオランダ系移民を祖先とし、移住後は製粉業で栄えた。
祖父は南北戦争に南軍の少佐として従軍し、父は演劇を志向して女優と結婚した。
その影響もあってセシルと兄は演劇界に身を投じ、セシルは若手女優(ドイツ系ユダヤ人)と結婚、劇作を行いつつ役者として舞台にも立った。
1910年代、映画製作者のジェシー・ラスキーとサミュエル・ゴールドマンが、インデイアン娘と白人の恋をテーマとする舞台劇の「スコウマン」を、制作会社の第1回作品として映画化するにあたって、ブロードウエイから監督をスカウトしようと考え、デミルに白羽の矢が立った。
ロサンゼルスの地で「スコウマン」を完成させ、ヒットさせたデミルはそのまま映画界に生涯身を投じることとなった。
デミルが撮影場所として使用した馬小屋は、そのままのちのパラマウントのスタジオとなった。

以降、1950年代まで70本ほどのデミル作品を系統別に分けると、1)第一次大戦後から20年代にかけて『ローリングトゥエンティーズ』と呼ばれた時代を背景にした風俗劇。2)スペクタクル歴史劇。3)開拓時代を背景にした西部劇、の3系統にわかれるという。

本ブログでは、デミルをデミルたらしめたスペクタクル歴史劇から「十誡」「クレオパトラ」「十字軍」を選んで見た。
おまけにデミル処女作の三度目のセルフリメイク作1931年版「スコオマン」をみてみる。

デミルといえば思い出されるのは「サンセット大通り」(1950年 ビリー・ワイルダー監督)に本人役で出演した場面である。
かつての大女優ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)が自らのシナリオをもってパラマウント撮影所を訪れる。
正門を顔パスで通過し、デミルが撮影中のスタジオへ入ってゆく。
戸惑うデミルだが適当にかつて組んだ大女優、実際のデミルとスワンソンもサイレント時代の数々のヒット映画の名コンビだった、をいなして、やれやれという体で撮影を再開する。
その姿は、一般名詞化されたというべきハリウッドの映画監督そのままであった。
デミルの撮影風景は(それが演出とはいえ)マイクでスタジオ全体に『ジェントルマン、レデイ、アクション』と声掛けするというシステマテックなものだった。
デミルのマイクの後、ブザーで演技が始まる撮影風景は、ハリウッドという夢の『工場』の、良くも悪くもオートメーションのような流れ作業を連想させた。
その風景の中で、事務的にといおうか、淡々とといおうか、機械的に仕事を流す、ビジネスマン(工場の現場監督)に見えるデミルがいたのだった。

また、50年代初頭にハリウッドを襲ったいわゆる赤狩り騒動にあって、1950年10月、監督協会が集りを持った。
保守派のデミルが国家に忠誠を誓う署名を全員に課すという提案を行い、それに反対した理事長ジョセフ・L・マンキーウイッツが、デミル一派により解任動議されたことがあった。
深夜に及びそうな会議にジョン・フォードが立ち上がって、デミルに敬意を表するとともに『明日も撮影がある。帰って寝ようではないか』と場を収めたのだったが、赤狩りという政治運動を機に、監督協会が反共の姿勢をとるように、会議で長々と提案演説をしたのもデミルであった。

「十誡」  1923年  セシル・B・デミル監督   パラマウント

デミルにとって再映画化された1956年版「十戒」が有名であるが、本作はサイレント時代の映画化であり、記念すべきデミルスペクタクル歴史劇の第1作であった。

デミルとしてはそれまでスキャンダラスな風俗劇でヒットを稼いでいた。
日本人の金貸し(早川雪舟)が金を返せない白人女性の肩に焼き鏝を当てるなど、黄禍論を助長するような煽情的、差別的シーンで有名な「チート」(1915年)に見られるような作風がハリウッドのコードに引っかかるとみたデミルは、聖書や歴史ものを素材に伝統的宗教感、道徳感に帰依することに方針を改めたのだった。

「十誡」のデミル

「十誡」の舞台は中東、時は紀元前48年。
エジプトに捕囚されたユダヤの民が奴隷としての過酷な扱いに耐えかねて、モーゼをリーダーにエジプトを脱出してシナイの地に逃れ、そこでモーゼは神から十の戒めが刻まれた石板を授かり、民を導くという新約聖書の物語を映画化だ。

映画は二部構成となっており、後半は現代を舞台にしたドラマとなっている。
内容は、信心深い母親に育てられた兄弟が、一人は十戒を守って生き、もう一人は十戒に背いて自分の利益だけを追求した結果の物語である。

モーセがユダヤの民を導く

前半の新約聖書の場面。
エジプトのファラオが住む宮殿の巨大な城門の再現、ファラオの玉座の背後のアブシンベル宮殿の巨象のようなセット、スフィンクス仕様の像が列をなすセット。
史実はさておいて、米国の一般的な観客の想像の範囲で、もっともエジプトらしいエキゾチシズムの効果を得られるであろう映画装置が恥ずかしげもなく展開する。

2頭立て馬車に一人乗りのカーゴを付けた当時の戦車が数十台現れ、疾走するシーンは迫力がある。

ファラオの軍勢が城門を出る

新約聖書・出エジプト記の一節がそのまま字幕として使われているようだ。
だが、いわゆる宗教劇の持つ荘厳さは映画から感じられない。
深みを持たない画面は、宗教画ではなく俗っぽい説話画に見える。
デミルの解釈に本人の哲学がなく、単なる聖書の映像再現に終始しているからなのではないか。
カメラは全体を説明するときの引きの画面と、演技者のやり取りをとらえるときのバストショットの、どちらかだけである。

後半の現代劇は必要性を感じない。
勧善懲悪、保守的道徳感のためだけの挿話だから。

むしろ、十戒を信じず己の利益だけに生きる弟が愛人を射殺する場面。
殺された愛人がカーテンをつかんで倒れ、カーテンレールが一つずつ外れてゆく場面などに場違いなサスペンスがあり、その映画的効果に感心した。
主人公に射殺された中国とフランスの混血の謎の愛人が『あんたもすぐ来るって悪魔に言っとくわ』と言ってこと切れる場面なども、その魔女的キャラと相まって本筋とは関係のない独特のサスペンスにあふれていた。

デミルの「十誡」は、サイレント時代の「ベンハー」(1925年 フレッド・ニブロ監督)と比べても、ましてやD・W・グリフィスの『狂気』に全編が彩られた「イントレランス」とは比べものにならないほど印象が薄い歴史スペクタクルと言わざるを得ない。

「クレオパトラ」  1934年  セシル・B・デミル監督   パラマウント

デミルの哲学のない、歴史と民族の尊厳に関心のない姿勢は「十誡」から変わりないが、主演のクローデット・コルベールの魅力を生かすためのメロドラマとして見ればそれなりに意味のある作品。

クレオパトラに扮するクローデット・コルベール

ローマがエジプトに侵攻し、シーザー、アントニーとローマの将軍たちがエジプトにやって来る。
エジプトの女王クレオパトラは自らがファラオの代わりに、侵略者ローマの前面に立ち、自らの魅力を武器に、ある時はシーザーに従ってローマに赴き、またある時はエジプトでアントニーを迎えて酒池肉林の罠で敵を取り込む。

薄物をまとって小柄な体で武将たちに立ち向かうコルベール版クレオパトラは、当初は口だけ達者なヤンキー娘に見えるが、手段を選ばず強国に対して策略で対抗する姿に、華奢な体に祖国を背負って立つ健気な女王に見えてくる。

クレオパトラの魅力と策略を表現するためのデミル演出は、例のスフィンクス仕様のセットと、薄物をまとった多数のダンサー(時には豹の毛皮をまとい、鞭を振るわれ絡み合う)、孔雀や豹などの動物、などを取りそろえる。
何よりクレオパトラの衣装にマントを用い、階段一杯に広げて侍女たちにすそを持たせるなどの場面を繰り返して豪華さを演出する。

また、シーザーとクレオパトラがローマに凱旋する場面で、軍楽隊の後に踊る少女たちの一団を加えた場面には、古代の軍隊を表す演出として目新しかった。

しかし、それらデミル流ゼイタクさ、歴史に対する解釈、はあっても、何よりクローデット・コルベールのキュートで謎めきつつも明るい魅力がいい。
コルベールにとっては出世作「或る夜の出来事」(フランク・キャプラ監督)と同じ年に撮った作品で、全盛期を迎える彼女の魅力に触れることができる。

クレオパトラが秘かに毒殺を狙っていたアントニーが、ローマ軍の襲来に際して軍人として身構える。
『戦の神が降りてきた』ようなりりしさに、クレオパトラが目を輝かせ、自ら仕掛けた毒杯を払い落とすとともに、政敵アントニーに縋りつく。
強い女、クレオパトラが恋に落ちた瞬間を演じたコルベールの女性性が光る。

「ある夜の出来事」のクローデット・コルベール

作品全体としては、陰影も含みもなく、平板な説明的画面が続くという意味では残念。
繰り返すが要因はデミル本人の『哲学』のなさである。

「十字軍」  1935年   セシル・B・デミル監督   パラマウント

12世紀ヨーロッパでの第三回十字軍遠征を題材にした歴史スペクタクル。
イングランドの獅子王リチャードを主人公に、腹に一物を持つフランス王フィリップとその妹、マルセイユで困窮した十字軍に食糧援助と引き換えに、娘とリチャードの結婚を画策する地元領主の娘・ベレンガリア姫が主な登場人物。

山場はパレスチナに上陸してからのサラセン軍との砦の攻防戦、ベンガリア姫を交えてのリチャードとサラセンの駆け引き、そしてエルサレム入城である。

リチャード役には「クレオパトラ」でアントニーを演じた、ヘンリー・ウイルコクソンという俳優が扮している。
ほかにも何人か「クレオパトラ」に出演した、デミル組ともいうべき俳優が出ている。

ベレンガリア姫に扮したロレッタ・ヤングは、出てくるだけで場が明るくなるキャラクター。
気が強く、はつらつとしており、いったん惚れた相手には自分を犠牲にしてまでもとことん尽くす。
デミルにとっても理想の女性像なのだろう。

ロレッタ・ヤング

山場のスペクタクルシーンで武器として登場するのは、塔と呼ばれる砦攻略用の装置。
木製で三階建てくらいの櫓で車輪で移動し、攻撃用のトーチカ的役割を果たしつつ、敵の砦に兵を送り込むもの。
「イントレランス」(1616年 D・W・グリフィス監督)ではバビロンの砦を攻略するシーンで出てきたこの塔。
敵の砦を攻略するとともに、塔が自らも火を受けてゆっくり倒壊する場面の、狂気をまとった悪夢のようなシーンが忘れられない。

「十字軍」に登場する塔も実物大に再現されたセットだが、グリフィスとデミルの素質の違いか、演出力の差か、武器の持つ、非日常的な殺気のようなものが全く不足しており、セットとしての塔の巨大さのみが印象に残った。

ここまでデミル作品を3本見てきて、肝心のスペクタクルシーンにスピード感がなく、盛り上がらないことに気が付く。
あんなにたくさんのエキストラを動員しているのに。

半面、ヒーローとヒロインのやり取りは、わが意を得たかのように、ねっとり、じっくりと描かれる。
デミルがそれまで築いてきた風俗劇の巨匠としてのキャリアがここに出ているのか。

十字軍をパレスチナで待ち受ける、イスラム軍の将軍サラセン。
妙に物分かりのいいヒーローっぽく描かれる。
何せ、リチャードとベレンガリア姫の恋路を理解して身を引くのだから、設定はリチャードの恋敵といった役どころ。

これでは、近世にかけて世界の半分を制した勇猛果敢なイスラム軍の将軍の姿からは程遠かろう!と思うが、デミルの頭にあるのは1935年当時のアメリカの映画観客のこと。
歴史の事実や文化の多様さは、デミルにとってそれほど関心はなかったことだろう。

まるで西部劇のように(デミルは本作の後、1936年制作の「平原児」から西部劇に進出する)、各地の力自慢が集まりながらワイワイと悪者退治に出かけるかのような十字軍の描き方は、当時の白人の価値観と常識に基づいたものなのだろう。

その道中での、リチャードとベレンガリア姫の出会い、結婚式に出てこないリチャードの身代わりの剣と結婚式を挙げるベレンガリア姫のエピソードには、中世ヨーロッパの辺境性、精神性が表れてもいるようで面白い。

それにしても十字軍なる社会現象。
本当にヨーロッパ人がパレスチナに求めたものは聖書に基づく信仰だけだったのか、実利的な目的はなかったのか。

無信心だった獅子王リチャードは、十字軍遠征とベレンガリア姫との結婚などにより、エルサレムの手前で信心に目覚める。
宗教的テーマを追求したわけでもなく、十字軍の歴史的意義にも無関心の本作にとって、観客の保守性に迎合しただけのご都合的結末に見える。
それもこれもデミル自身に『哲学』がないからだと思う。

おまけ  「スコウマン」  1932年  セシル・B・デミル監督  MGM

ここで、デミルが歴史スペクタクルの巨匠となる前の風俗劇時代の作品を1本鑑賞します。
出典はブロードウエイ、デミルの処女作であり、自身3度目の映画化である。

MGM配給だが、経緯は不明。
サミュエル・ゴールドウインつながりかもしれない。

全体を通しての古色蒼然たるスタイル。
19世紀を舞台にしているのかと思いきや、制作当時の1930年が舞台の現代劇なのだが、その映画的説明がない。
また、アメリカに舞台を移した後の、まるで西部開拓期時代のような登場人物にも驚く。

主人公の牧場略奪を狙う悪漢がガンベルトを下げて西部の町を歩いてくる。
部屋に押し入って主人公を撃とうとする。
捜査に当たる保安官。

果たしてアリゾナの開拓地とはいえ、第一次大戦も終わった1930年代のアメリカで、駅馬車が走っていたワイアットアープ時代のような無法なふるまいが行われていたのか。

後に主人公の妻となるインデアン娘と酋長の親子は居留地に暮らす。
部族としての抵抗はとっくに終わっていたインデアンの現状については史実通りの描き方だと思われる。
酒を餌に不利な契約を白人から迫られたり、酒に酔いつぶれる酋長も史実に沿った描き方だ。

インデアンと白人のコミュニケーションの不成立も描かれる。
白人は英語でインデアンに何度も繰り返し説明し、インデアンは了解を示すがまるっきり伝わっていないというギャグ。
これはその後の映画でもおなじみのシーンだが、この作品で早々に見られるなど、西部劇の原典ともいえる面もある。

しかしながら作品の根底に流れるのは、時代背景にも異文化への尊重もない、デミルの、ハリウッド全体の無神経さと大雑把さ。
このことが、作品をアメリカの一般大衆には受けるのだろうが、全世界の映画ファンにはまるで訴えないものとしている。

作品そのものの説明が遅れた。
イギリスの愛する人のもとを離れ、アリゾナへやってきて悪漢にも屈せず牧場を経営する貴族出身の主人公がいる。ある日悪漢に絡まれていたインデアン親子を救い、その娘に惚れられる。
イギリスには愛する人がいる主人公は娘を諭すが、恩人への感謝なのか娘は雨にずぶぬれになっても離れない。
7年たち、イギリスの愛する人が主人公を探し当て、船と列車と自動車でアリゾナまで来てみると、主人公には息子とインデアンの妻がいた・・・。
ブロードウエイのヒット劇だったという。

インデアン娘を演じる女優は可愛い。
インデイアンというよりはメキシコ系か南洋系のタイプで、いずれにせよ白人男の被支配民族女性への憐れみに基づく愛着を具現化したような存在。
娘は、白人男へ憧れ、庇護を得、悲劇(息子がイギリスでの教育を受けるためアリゾナを去ってゆく)に際しては自ら身を引く。
異人に供された一時の日本人女性のようだ。

こういった作品を見ると、デミルのほかの史劇も適当に都合よく、観客受けを狙って史実を改ざんしたものなのではないか、との感慨も出てくる。
それも含めてデミル映画なのだろうが。
デミル作品が映画史的にも評価されない原因の一つである。

  

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その4

フランス映画の黄金時代に君臨したジュリアン・デュヴィヴィエ監督。
その初期作品、代表作、戦時中の作品、と三回にわたって鑑賞したシリーズの、今回は第4弾(最終回の予定)です。

さて、戦後を亡命先のアメリカで無事迎えたデュヴィヴィエはフランスに帰ってきます。
1946年に帰国第1作の「パニック」を撮り、翌1947年にはロンドンフィルムに招かれて「アンナ・カレーニナ」を撮ります。
それ以降は1967年の遺作「悪魔のようなあなた」までフランスで撮り続けています。

ジュリアン・デュヴィヴィエ

デユヴィヴィエのDVDシリーズ最終回(予定)は、「パニック」、「アンナ・カレーニナ」、「巴里の空の下セーヌは流れる」(1951年)の3本です。

「パニック」  1946年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   フランス

フランスに帰ってきたデュヴィヴィエ。
ホームグランドに戻っての第一作です。

原作は1933年に撮った「モンパルナスの夜」から2回目のジョルジュ・シムノン。
俳優は「旅路の果て」(1938年)のミシェル・シモン、「我らの仲間」(1936年)のヴィヴィアンヌ・ロマンス。
この作品は、〈大作ではない〉ものの、フランス映画への復帰を記念した習作でもなく、そこにはしたたかなデユヴィヴィエのペースがありました。

〈大作でない〉、というのは予算をたっぷりとかけた作品ではないというだけでなく、例えばデュヴィヴィエが「望郷」(1936年)で見せた、あの手この手の舞台装置を駆使して観客に訴えた、けれんみたっぷりの空想劇でもなく、また「旅路の果て」のように、人間の極限のエゴを名優たちの熱演で再現した、デュヴィヴィエの譲れない信念を追求したものでもなく、さらに「ゴルゴダの丘」(1935年)や「幻の馬車」(1939年)のように、宗教性に満ち、善なる人間性を信じ切るかのような崇高さ、に彩られた作品ではないということです。

全盛期のデュヴィヴィエ作品は大上段に振りかぶり、力の入ったものでした。
そこでは、プロデユーサーとしてのデュヴィヴィエが、ファンに向けてあの手この手で映画的サービスにこれ務めたり、そうでなければ己の信条を最優先して人間というものを突き詰めていました。

戦争と亡命、己の流儀が通用しないハリウッドでの映画撮影という経験を経て、戦後を迎えたデュヴィヴィエが作ったこの第1作(「パニック」)は、戦後の開放感、フランスで映画を撮れる喜び、を通底としながらも、力が抜け、淡々と人間達を見つめるかのような作品となりました。
もちろん昨今の映画的流行や、ハリウッドで学んだ映画的刺激を、上手く取り入れるのを忘れたわけではないのがデュヴィヴィエ一流の映画作法ではありますが。

ミシェル・シモンとヴィヴィアンヌ・ロマンス

「パニック」は風変わりな中年男の、風変わりな振る舞いを淡々と描写して始まる。
中年男イール(ミシェル・シモン)は町のホテルに3年間も逗留している。
肉屋でいつものステーキ肉を買い、ホテルの廊下では近所の幼女にリンゴを与える。
このあたり、「ぼくの伯父さん」(1958年 ジャック・タチ監督主演)を連想させる淡々とした人間描写ぶりである。
ジャック・タチ扮するユロ氏が風変わりながら周りにも受け入れられるキャラであるのに対し、本作のイール氏は受け入れられないままである点が違うのだが。

イール氏が好意を寄せるギャングの情婦アリス(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)の妖艶さもいい。
フランス映画としては悪女キャラに振り切った感もある、美貌のヴィヴィアンヌの登場は一気に画面を、アメリカ映画のギャング風に一変させる。

アリスの着替えをイールが窓越しに覗く場面も画期的だ。
ヴィヴィアンヌ・ロマンスの直接的で挑発的な色気と、そこに吸い寄せられる孤独の訳あり中年男。
設定がノワールだし、変態チックな描写にも戦後を感じる。

デュヴィヴィエは古き良きフランス映画のタッチをただ踏襲しているのではなく、アメリカ映画的なスリルとサスペンスを志向していることがわかる。
そして〈スリルとサスペンス〉が特に1940年代からの世界的流行であり、デユヴィヴィエがその流行をキャッチアップしていることも。

ヴィヴィアンヌ・ロマンス

1940年代の世相を反映し、様々な映画的記憶、記号に満ちた「パニック」の、結論は周りに受け入れられないイール氏を追いつめる社会のポピュリズムへの批判であった。

誤解をもとに追いつめられ死んでしまうイール氏だが、彼を色仕掛けではめて行ったアリスの後悔の表情も盛んに描写される。
アリスとて根っからの悪女ではなく、良心が残っていたとの演出は、人間性への信義を旨とするデユヴィヴィエ映画の根本であろう。

アリスの情人の小悪人に扮するポール・ベルナールは「ミモザ館」(1934年 ジャック・フェデー監督)でフランソワーズ・ロゼエのダメな義理息子を演じた人。
今回は出世作のダメ男ぶりがますます進化。
改心することなく最後まで悪に浸かり切り、情婦アリスを都合よく振り回す、フランス式クズ男を快調に演じている。

「アンナ・カレーニナ」  1948年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  イギリス、ロンドンフィルム

戦後の帰国第一作「パニック」を撮った後、デュヴィヴィエがイギリスのロンドンフィルムに招かれて撮った作品。

ここでロンドンフィルムに関して、ひとくさりお許し願おう。

ロンドンフィルムという映画製作会社は、戦前から戦後にかけてイギリス映画をけん引したスタジオです。
主宰者のアレクザンダー・コルダは、1893年にオーストリア=ハンガリー帝国に生まれたユダヤ人で、ハンガリーでジャーナリストとして活躍後、映画監督としてブダペスト、ウイーン、ベルリン、パリ、ハリウッドを遍歴。
ロンドンにたどりついて映画製作者として芽を出します。

ハリウッド資本・パラマウントのロンドン支社に身を置き、戦前のイギリス映画界保護の政策(1927年に制定された、外国映画の比率を最大95%、イギリス映画を最低5%とするいわゆるスクリーンクオーター制)を背景に、ハリウッド資本を利用してのイギリス映画製作に乗り出し、ロンドンフィルムを設立しました。

コルダが製作あるいは監督した戦前の代表作には、「ヘンリー八世の私生活」(1933年 アレクザンダー・コルダ監督)、「ドンファン」(1934年 ダグラス・フェアバンクス主演)があります。
またフランスから名監督を招き「幽霊西へ行く」(1935年 ルネ・クレール監督)、「鎧なき騎士」(1937年 ジャック・フェデー監督)を製作しました。
国際色豊かな監督、出演者を招聘しての話題作りと、ハリウッド資本の配給ルートによるマーケットの世界的拡大を行い、一躍ロンドンフィルムを世界的映画会社としました。

第二次大戦中にはハリウッドに亡命し、自らのプロダクションを興して「ジャングルブック」(1942年 ゾルダン・コルダ監督=アレクザンダーの末弟)などを製作。
この期間にジュリアン・デュヴィヴィエを起用して撮った「リディアと四人の恋人」(1941年)がコルダとデュヴィヴィエの出会いとなり、のちの「アンナ・カレーニナ」につながります。

アレクザンダー・コルダ

戦後ロンドンに戻ってロンドンフィルムを再興したコルダは、デヴィッド・リーン、キャロル・リード、ローレンス・オリビエら国内の才能を積極登用し、またハリウッドのデヴィッド・O・セルズニックらと提携し、「落ちた偶像」(1948年 キャロル・リード監督)、「第三の男」(1949年 同監督)、「ホフマン物語」(1951年マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー共同監督)などの名作を発表します。

国際人としてのコルダは、国内外に広く才能を求め、世界に通用する映画を製作し、ハリウッド資本の配給網を利用して世界配給を行うなど、戦前戦後のイギリス映画の興隆に貢献し、サーの称号を得ました。

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人にあっては、ビリー・ワイルダー、フレッド・ジンネマン、マイケル・カーテイズなどがハリウッドで活躍したが、コルダの映画界への貢献度も負けてはいないのでした。

延々とロンドンフォルムとアレクザンダー・コルダについて述べました。
コルダがハリウッドでデュヴィヴィエと出会い「リデイアと四人の恋人」を当時のコルダ夫人のマール・オベロン主演で撮りました。
戦後になり両者はそれぞれ本境地であるロンドンとパリに戻りました。
1948年にコルダがデユヴィヴィエをロンドンに呼んで撮ったのが「アンナ・カレーニナ」です。

ヴィヴィアン・リー

トルストイの原作は現在まで10回以上映画化されている。
ヴィヴィアン・リーを主役に迎え、2時間にまとめた本作は、フランス人の監督、脚本家、撮影監督、ロシア出身の美術監督など厳選されたスタッフをロンドンフィルムに迎えて制作された。

スタッフの選択にはデュヴィヴィエの意向のみならず、コルダの積極的な制作姿勢が表れている。
プロデユーサーとしてのコルダは、セルズニックに代表されるハリウッドの製作者にみられる、細部にわたる口出し、スタッフ・キャストから最終編集権に至る権限の専制的支配、とは異なり、スタッフ招集とキャステイングをサービス精神全開で行た後は現場にすべて任せるといった意向を感じさせる。
そんなコルダが、専制権者セルズニックと渡り合い、共同制作で傑作「第三の男」を作ったのも面白いが。

さて本作の物語は、アンナという帝政ロシア期の上流階級女性が、己の欲望に忠実に行動し、己の責任において結末を迎えることを描く。
どうも旧癖に囚われない強い女の人間性の尊重を主題にしているようだ。
といっても新大陸で女性として尊重されわがまま一杯にふるまった強い女性への賛歌でもある「風と共に去りぬ」のヒロインのようではない。
背景にロシア正教的倫理観、ロシアの大地の悠久、が厳然としてある。
それらを背景とした女性の人間性の尊重である。

己に忠実なゆえに現実との葛藤に苦しみ、徐々に壊れてゆくヒロインを演じるヴィヴィアン・リーは「欲望という名の電車」のブランチを予感させるような狂気をも時として匂わせる。

「アンナ・カレーニナ」の各場面

雪の中の列車。
ホームで車輪を叩きながら点検する老人。
アンナがおびえる死神。
上流婦人たちによる降霊会。

デュヴィヴィエ映画の神秘描写だ。
ヴィヴィアン・リーの存在がそれら神秘描写とよくマッチする。

デュヴィヴィエとしても決して手を抜かず、己の美学にも原作にも忠実に撮った作品。
であればあるほど原作以上の広がりがない作品になってしまったような気がする。

ロシア上流社会の夜会やダンスパーテイの描写は、予算の限度があったのか、フランス人のデュヴィヴィエにはその感性がなかったのか、室内のセットにしても俳優たちの動きにしても、カメラワークにしても、定型的でチープにさえ見えたのが気になった。

煎じ詰めれば、上流婦人の不倫騒ぎのドラマである本作に、膨らみを持たせる要素としては、ロシアの大地の悠久とキリスト教倫理観のほかに、目くるめく絢爛豪華なぜいたくさによる陶酔感、があってもよかった。

オペラ劇場の描写には醸し出ていた、過剰なぜいたく、耽美、腐臭といったものが、お屋敷で繰り広げられる肝心のダンス場面には見られ無かったのが惜しかった。

「巴里の空の下セーヌは流れる」  1951年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

戦争が終わった。
ハリウッドに亡命していたデュヴィヴィエはパリに戻って、ジョルジュ・シムノン原作の「パニック」を撮った。
デユヴィヴィエにとっても、パリにとっても相性のいいシムノンの世界だった。
その後、「アンナ・カレーニナ」「神々の王国」「ブラックジャック」と撮って50年代を迎えた。

折からパリ市2000年祭の年だった。
パリ市当局はデュヴィヴィエに記念映画の制作を委嘱した。
今に残るシャンソンの名曲「巴里の空の下」を主題歌とし、ある土曜日の夜明けから日曜日の夜明けまでの24時間の、セーヌ川のほとりで繰り広げられるパリ市民の物語をデユヴィヴィエは撮った。

ブリジット・オーベール(左)

田舎からパリに出てくる美人のドニーズ(ブリジット・オーベール)がいる。
工場のストライキに加わり自身の銀婚式パーテイに参加できそうもない工員がいる。
腕のいい医者ながら研修医試験に落ち続ける医者がいる。
モンマルトルの彫刻家で孤独にさいなまれ、発作が起こると女性を刺殺し続ける芸術家がいる。
猫だけが生きがいだがミルク代に事欠く老女がいる。
成績が悪いから親に怒られるからと、少年の誘いに乗ってセーヌ川をボートでさ迷う少女がいる。

一見無関係なパリ市民のエピソードが同時進行でつづられ、思わぬところで交差する。
デユヴィヴィエお得意のオムニバス方式の進化形ドラマであり、同時進行する各エピソードが交差してゆくのが新しい。

パリを主人公とするオムニバスは歴代のフランス人監督のお気に入りの素材で、ヌーベルバーグ系の監督による「パリところどころ」(1962年 ジャン=リュックゴダール、クロード・シャブロル、エリック・ロメール他監督)がある。

本作は、ロケを多用したパリの街頭風景がベースである。
パリとパリ市民が主人公である。

田舎から上京した若いドニーズ(ブリジット・オーベール)は、ペンフレンドの甘い言葉を頼りにパリへやって来る。幼馴染の求婚を断り、ペンフレンドに会ってみると車椅子の男だった。
ドニーズは甘い期待を都会に求めるが最後は孤独な芸術家の餌食となって夜のパリの裏町に散る。

工場のストライキで銀婚式の宴会に参加できそうもなかった工員は、工場前のセーヌ河岸にやってきた親戚一同と宴会を楽しむ。
工場前にピケを張っていた警官は「河岸でなら」と工員も参加しての宴会を認める。

電気も止められた年金暮らしの老女は、猫のミルク代65フランを得ようと方々乞うて歩くが恵んでくれる人もいない。
疲れ果てて部屋に帰ってくると、大家の八百屋のおかみさんがミルクをもってやって来る。
老女は成績が悪くプチ家出をしていた八百屋の娘を助たお礼だった。

街頭ロケと力の抜けたエピソードを淡々とつづるデユヴィヴィエのスタイルは、来るべきヌーベルバーグを予見したかのようなフリー感に満ちてさえもいた。

そこには説教じみた価値観の押し付け、過去への郷愁もない。
今現在の若者や子供の行動を黙って見つめる鷹揚さがある。
何より、背徳と暗黒に彩られながらも、のんびりと人間性に満ちたパリの市井の雰囲気への尊重がある。

主題歌の「パリの屋根の下」をへたなピアノで聞かせ、隣の部屋の芸術家の卵に「うるさい」といわせたり、河岸での宴会を警察に中止させられ、工場の鉄格子越しに一同を見送る工員の構図に「望郷」のパロデイを自ら演出したり、デユヴィヴィエもノッている。
エッフェル塔をバックにしたモデルの撮影風景にも、戦後数年たったパリの文化の復活が謳われている。

貧困、労働争議、孤独、子供の反抗、若者のまだ見ぬ夢など、社会の暗さを正面から取り上げるところは芸術至上主義のフランス映画らしいが、そこにささやかな幸せを感じさせるところはデユヴィヴィエ流か。
何より、各エピソードの主人公同士が良くも悪くもつながっているという連帯感がある。
それこそがパリだ、パリ市民だというデュヴィヴィエの肯定感がいい。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その3

引き続き手許のDVDで、デュヴィヴィエ作品の歴史を追ってみようと思う。

1930年代にその頂点を迎えたデュヴィヴェ。
戦前の1938年にはハリウッドに呼ばれてMGM作品「グレートワルツ」を撮っている。
その後、フランスに戻って「幻の馬車」(39年)、「わが父わが子」(40年)を戦争開始前に撮ってから、今度は自らアメリカに亡命して「リデイアと四人の恋人」(40年)、「運命の饗宴」(42年)、「肉体と幻想」(43年)、「逃亡者」(44年)の4本をハリウッドで撮った。

デュヴィヴィエシリーズの第3弾はこの時期の作品から「グレーとワルツ」「幻の馬車」「逃亡者」を選んだ。

「グレート・ワルツ」 1938年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   MGM

19世紀中ごろのウイーンで作曲家としてデヴューしたヨハン・シュトラウスの半生を、妻ボルデイと歌姫カーラとの関係を中心に、「ウイーンの森の物語」「美しき青木ドナウ」などの名曲とともに描く。

MGMの招きに応じてハリウッドに渡ったデュヴィヴィエは、渡米の理由を『ハリウッドの法則にしたがい、その映画製作の能力を利用して、フランスでは行いえないテストをするため』と語ったという。

1920年代にはジャック・フェデーがハリウッドに渡り、作品を発表しており、また大戦中にはルネ・クレール、ジャン・ルノワールの両巨頭も亡命するなどしてハリウッドで撮ることになる時代だった。

「フレート・ワルツ」は、ウイーンで銀行に務めていたヨハン・シュトラウス(フェルナン・グラヴェ)が、音楽のことが頭を離れずクビになる場面から始まる。
幼馴染でパン屋の娘のボルデイ(ルイーゼ・ライナー!)が親公認の許嫁。
やがてヨハンが音楽家として売り出すきっかけとなったオペラ歌手カーラ(ミリッツァ・コリウス)が現れてヨハンの心をとらえる。
妻となり献身的に夫を支えるボルデイ。
ヨハンはワルツの名曲を次々に作曲し人気を得るのだが・・・。

ボルデイ役にオーストリア出身のルイーゼ・ライナーを配役。
カーラ役で見事なソプラノを披露するミリッツア・コリウスは、ウイーンから招かれたオペラ歌手だという。

しかしこここはハリウッドのそれも総本山MGMスタジオ。
映画全体を覆う雰囲気は紛れもなくアメリカ風。

ヨハンが仲間を集めて即席のオーケストラを組織し張り切ってオーバーアクション気味に指揮を執る、その元気な姿は、グレン・ミラーが楽団で「チャタヌガチューチュー」を演奏するときと同じスイング感が味わえる。

歌姫カーラの、こぼれるような笑顔で愛嬌たっぷりに歌い歩くその姿は、ウイーンのオペラ歌手というよりは、ジンジャー・ロジャースが親しみやすい笑顔とともに歌い踊るその姿を思い出させる。

そこにはドイツ、オーストリア映画の高邁にして素朴かつ瑞々しい芸術の謳歌はなく、わかりやすく大衆的だが卑近な喜びにカスタマイズされている。
このタッチはMGMによる〈押し付け〉はもちろんあるだろうが、フランス人監督のデュヴィヴィエが〈敢えて迎合〉した面もあるのではないか、と思う。

アメリカへ来た以上、純粋なヨーロッパ映画の再現は不可能だし、といって完全なアメリカ映画を作るのもフランス人の自分(デュヴィヴィエ)にとっては無理なこと。
ここは、ヨーロッパテイストでアメリカ人受けもする映画を作るしかない。
と、プロデユーサー的センスを持つデュヴィヴィエが考えたのではないか。

まるで西部の酒場のバンドマスターのように、元気に満ちて攻撃的でさえあるヨハン・シュトラウス。
愛嬌と親しみがありすぎるオペラの歌姫。
これらはアメリカナイズされたキャラであり、デュヴィヴィエのアメリカ映画に対する妥協を見る。

一方、ひたすらヨハンに愛情を尽くし、ヨハンの心がカーラに向いても泣きながら許す妻ボルデイの悲しみはヨーロッパ人デュヴィヴィエの感性に近い。

ラストのシークエンス。
ドナウ川の船着き場で妻への愛に気づき、そこまで一緒に来た歌姫と別れ、一晩を船着き場で過ごすヨハン。
朝になって川で洗濯するために賑やかにやって来た乙女たちが川面に降り立つ。
この見事な場面は紛れもなくデュヴィヴィエのスタイル。
アメリカに迎合もせず、ヨーロッパを押し付けもしない、フランス人が撮ったアメリカ映画の名場面の一つなのではないか。

ルイーゼ・ライナーは「巨星ジーグフェルド」「大地」に次ぐMGM出演。
前作とは打って変わって若々しい娘役に徹している。
セリフがたどたどしく聞こえるのは役作りによるだけではなく、ドイツ語訛りが激しかったせいのようだ。
ヨハンの妻という忘れられないキャラを作り上げた彼女の演技力を特記したい。

「幻の馬車」  1939年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

「グレート・ワルツ」をMGMで撮ったデュヴィヴィエが本国へ帰って作った作品。
このあともう一本をフランスで撮ったデュヴィヴィエはアメリカに亡命することになる。

本作の原作は女性初のノーベル文学賞を受賞したスエーデンの作家ラゲルレフの幻想小説「死者の御者」。
1921年には同国のヴィクトル・シェーストレムが「霊魂の不滅」と題して映画化している。
本作は舞台をフランスのブルゴーニュ地方に移してのリメイクである。

除夜の鐘が鳴る時に死んだ者はその後一年間、死者の馬車の御者となるという伝説をモチーフに、迷える浮浪者と救世軍での貧者救済に己をささげる女性とのかかわりをとおして、霊魂の不滅とその救済を描く。
デユヴィヴィエ映画の系統にあっては〈宗教もの〉と〈幻想もの〉両方の要素を持つ。

雪が舞う街角に群れる浮浪者たち。
救世軍の女性士官が湯気の立つスープを給食する。
悪態をつきながら空腹に耐えかねて施しを受ける浮浪者。
自らの活動に崇高な喜びを感じながら活動する女性達。

「ああ無情」のパリか、産業革命まえのロンドンの貧民街を描写するかのように、ブルゴーニュの救いのない貧困を容赦なく再現するデュヴィヴィエのカメラ。
そこには「望郷」のエキゾチシズムも、「舞踏会の手帖」のロマンチシズムも、「旅路の果て」の高踏的ペシミズムさえも、そのかけらもない。

一方で映画は、死期を迎える者にだけ聞こえる幻の馬車の音、それにおびえる老人、幻の馬車と御者が死者の魂を幽体離脱よろしく肉体から救い出す様子を、二重写しの撮影で描写する。
リアルから幻想への映画的飛躍である。

悪に染まった浮浪者たちが幻の馬車に恐れおののくのに対し、救世軍で貧者救済に己をささげる女性士官エデイット(ミシュリーヌ・フランセ)は神を信じるがゆえに、リアルと幻想の垣根を容易に超え得る。

救世軍に敵意さえ覚え、妻子を顧みない元職人ダヴィッド(ピエール・フレネー)はエデイットから寄せられる愛にも背を向けひたすら無頼を貫く。

ルイ・ジューベ(左)とピエール・フレネー

大みそかには必ず救世軍を再訪するとダヴィッドに約束させたエデイットは、彼の来訪を待ちながら結核で死んでゆく。
ダヴィッドもまた自らの悪行の報いで幻の馬車の迎えを受ける。
御者は元職人のダヴィッドを悪の道に導いたジョルジュ(ルイ・ジューヴェ)だ。
霊体となったでダヴィッドは、ジョルジュに案内されて死にゆくエデイットを見、また一家心中しようとする妻子を見て改心する。
ジョルジュはダヴィッドの霊魂を体に戻して妻子のもとへ向かわせる。
その様子を眺めてほほ笑むエデイットの霊魂。

リアルな現実を背景にしたゴシックロマン風の出だし。
悪の道に入ってはいるが実はきれいな魂の持ち主と、それを救わんとする聖女のキリスト教寓話的な物語。
魂の救いのチャンスは幻の馬車とその御者によって行われるという神秘。
それぞれの物語がデュヴィヴィエ熟練のタッチによって語られる。
根底には宗教的で人間性への信頼に基づくデュヴィヴィエの精神がある。

浮浪者を演じるピエール・フレネー、ルイ・ジューヴェは憎たらしく、おどろおどろしい悪に染まった人間像を再現。
救世軍の士官服に身を包んだミシュリーヌ・フランセの総てを許し慈しむかのような表情も素晴らしい。
浮浪者の破れた服を繕ったり、酒場で酔っ払いに顔に酒をかけられたりの汚れ役に挑んでいた。

エデイットを演じるミシュリーヌ・フランセ(右)

「逃亡者」  1944年   ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   ユニバーサル

大戦中アメリカに亡命したデュヴィヴィエはハリウッドで4本の映画を撮っている。
「逃亡者」はハリウッドで最後の作品。

この作品のためにジャン・ギャバンをフランスから呼び寄せた。
アフリカを舞台に祖国のために戦う無名のフランス人たちの物語。
祖国への愛、何者でもないただの人間の行為そのものへの尊敬、許しの心、などをテーマにしている。

大戦中ならではの愛国心に訴える映画である点は、例えば「カサブランカ」と同じ趣旨ではあるが、前科のある人間でもその後の行いによって評価されるべきだ、といういわば人間主義的なところ、またキリスト教的な許す心を強調しているところなどがデュヴィヴィエの味付けで、明快に正義と不正義を描き分けるハリウッド流との違いがここにある。

1940年、ドイツ軍侵攻中のフランスで死刑執行寸前に爆撃で壊れた刑務所から逃亡した男(ジャン・ギャバン)が、逃亡中に偶然乗り合わせたトラックが攻撃に遭って死亡した軍曹から身分証と軍服を奪い別人に成りすます。
アフリカ行きの船に紛れ込み、フランス領赤道アフリカで前金につられて自由フランス軍に入隊した男。
ジャングルに送られ飛行場建設の任務に就く。
仲間たちとの友情と祖国愛に目覚め、上官と戦友たちの信頼を得た男は昇進し、勲章を得るまでになる。
そこに死んだ軍曹の婚約者や軍曹を良く知る戦友が現れる。
男は婚約者に対し、自分は偽物だと告白するが、同時に名前を得たことで、アフリカで初めて人に相手にされ役に立つことができた、と答える。
軍法会議では上官が弁護を務め、二等兵への降格と勲章はく奪だけの罰となる。
最後まで本名を白状しなかった男は最前線で死んでゆく。
名前が記していない墓前にアフリカで苦楽を共にした戦友がぬかずく。

死んだ軍曹から身分証を奪う主人公

主人公は匿名のフランス人男性、無信心で無頼そのものだったが人と信頼関係で結ばれることを知り、愛国心にも目覚める。
恋人はフランスという国そのもの。
舞台は過酷そのもののブラックアフリカ。

前科者がエキゾチックな北アフリカに逃亡し、女の尻を追いかける、といったセンチメンタリズム(「望郷」のこと)はここにはなく、ぎりぎりで切羽詰まった状況に時代性が強く反映されている。

アフリカで自由フランス軍に参加し愛国心に目覚める主人公

逃亡したばかりのころは、男がカフェでペタン首相の降伏宣言を聞いても無関心だったのが、アフリカで戦友たちと苦労する中で、フランス臨時政府のロンドン放送からの国家を聞いて陶然となり、また叙勲に際しては儀礼を尽くすようになる。

名前を聞きつけてアフリカまで追いかけてくる死んだ軍曹の婚約者は、謝罪もせず、かえってアフリカで自分に目覚めたという男の告白を聞き、最初は怒るがやがて告発をあきらめる。
男を許すというより、婚約者の死を受け入れ、男と婚約者の死は別物だという事実を許容するのだ。

この作品、デヴィヴィエ作品鑑賞の手引「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」(1968年 フィルムライブラリー助成協議会編)によると、『デュヴィヴィエ作品としてはひどく精彩を欠いた』とある。

フランス人全男性を代表して大戦下における愛国心と連合国への忠節を表すべきジャン・ギャバンが、例のもっさりした風采で気勢が上がらないきらいはあったが、デュヴィヴィエ作品として精彩を欠いたとは思えない。
むしろ舞台設定は純化し、デュヴィヴィエの精神として欠かせない部分はきっちり描かれている、シンプルだがテーマ性の強い作品なのではないか。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その2

ジュリアン・デュヴィヴィエを集中的に見るシリーズの第二弾です。

1930年代の中盤、デユヴィヴィエはその代表作を続けて発表します。
お気に入りのジャン・ギャバンを主役に据えての三部作や、脚本家シャルル・スパークと組んでのオリジナル作品などがこの時期の代表作です。

手許のDVDから、「望郷」(36年)、「舞踏家の手帖」(37年)、「旅路の果て」(38年)を鑑賞します。

精悍な表情のデユヴィヴィエ(右)

「望郷」  1936年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

1939年キネマ旬報ベストテン第1位。
デユヴィヴィエとジャン・ギャバンの代表作とされ、パリの美女を演じたミレーユ・ダルクのイメージを決定づけた作品で、ハリウッドで2度リメークされた。
『いつ、どこで、何度上映されても、大入り間違いなし』といわれるくらい日本でも人気だった作品。

「望郷」公開時の日本版ポスター

パリで銀行強盗を起こし、アルジェリアのカスバに逃げ込んだペペルモコという男がいる。
カスバに隠れて2年、情婦のジプシー女イネスと暮らしながら、男前と気前の良さからカスバの顔役となっている。カスバに自由に出入りし、ペペに付きまといながら捕まえるチャンスを狙っている刑事スリマンがいる。
ある時パリの女ギャツビーがペペの前に現れた。
宝石に包まれ、パリの香りをまとったギャツビーに一瞬で惹かれるペペ。
ギャツビーにとってもワルの気配を身にまとったペペは魅力的で、二人は恋に落ちる。
その結末は・・・。

『・・・ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く・・・』。
1955年に発売された「カスバの女」という日本の曲が流行った。
「望郷」にインスパイアされたであろう無国籍歌謡で、そのやるせなく、捨て鉢なムードが印象的だった「カスバの女」は発売後もしばらくテレビなどで流れていた。

ミレーユ・バラン

さて、映画「望郷」を、プロデューサーのアキム兄弟と監督のデユヴィヴィエの視点から読み込んでみる。

エジプト出身の映画プロデユーサー、アキム兄弟の初ヒット作である「望郷」。
アラブという異邦を舞台にしたエキゾチックなドラマを、というコンセプトが作品のスタートであろう。
監督には当代一流で、決して観客を(そしてプロデユーサーを)裏切らない(であろう)ジュリアン・デュヴィヴィエを起用し、現場の一切を任せる。

アキム兄弟のその後のプロデユース作品を見ると、ジャック・ベッケル(「肉体の冠」51年)、マルセル・カルネ(「嘆きのテレーズ」52年)、ルネ・クレマン(「太陽がいっぱい」60年)、ミケランジャロ・アントニオーニ(「太陽はひとりぼっち」62年)、ジョセフ・ロージー(「エヴァの匂い」62年)、そしてルイス・ブニュエル(「昼顔」67年)など、芸術派監督の代表作が並んでいる。

起用された監督はそうそうたるメンバーなのだが、よく見ると主役に旬のスターが起用されていたり、有名な原作の映画化であったり、映画音楽がヒットしたりしていて、アキム兄弟の商売の確かさがうかがえる。
また、監督との契約条項に「作品の最終編集権はプロデユーサーにある」とするのがアキム兄弟流だった。

「望郷」にもアキム流の映画製作のやり方が濃厚に現れている。
カスバを舞台にしたエキゾチックでペシミステックなメロドラマという作品の骨格。
アキムが最終編集権を握っていることも、作品の通俗性に帰結しているのだろう。

では、デュヴィヴィエはアキム流のメロドラマをどう料理しているのか。

『メトロの香りがするぜ…』

先ず舞台のカスバを前面に押し出した。
パリジャンのペペが不本意にも流れ着き、同化している迷路のような街は、屋上のテラスを通っても行き来でき、情報は瞬時に伝わる魔宮だ。
情婦のジプシー女、トルコ帽を被った正体不明の刑事などは異国情緒たっぷりだ。

カスバの顔役としてふるまうペペだが本心はパリが恋しくてたまらない。
フランス男の、それもワルにふるまう粋筋のどうしょうもない性。
それがギャツビーという着飾ったパリジェンヌを見た瞬間に制御が外れる。
ギャツビーとてパトロンの愛人としてアルジェを訪れただけ、堅気の女ではない。

ペペと現地人の刑事スリマン

粋で寛大にふるまう伊達男のペペの、実は脆弱な存在が哀しい。
彼は一歩カスバの外に出ると逮捕されるのだ。

ペペの懐に入り込むように付きまとい探りを入れるスリマン刑事の不気味さ。
このキャラはヤクザに同化する刑事のようでもあり、コロンボ警部の馴れ馴れしさのようでもあり。
そういった刑事キャラの元祖なのかもしれない。

ペペの情婦イネスのひたすらペペを思う土臭い土着性。
これらのキャラをわかりやすく色分するデユヴィヴィエの腕の確かさ。
デユヴィヴィエにとっては登場人物をはっきり描けばいいのだからやりやすかったのではないか。
演技を要求するのはペペ、イネス、スリマンらで、ギャツビー役のモデル出身のミレーユ・バランにはパリのあでやかさの象徴であり、細かな演技の要求はない。

ペペとジプシー女の情婦イネス

ペペとギャツビーの二人だけのシーン。
アップで二人をこれでもかととらえ、名セリフを繰り返す。
デユヴィヴィエがこの作品のために用意した最大の「売り物」だ。

ペペと巴里女のはかない恋

映画は後半になって急速に馬力を増す。
ペペがいよいよギャツビーに狂い、いてもたってもいられなくなり、それに乗じてスリマン刑事がペペをカスバの外におびき出す策略を練り、イネスがペペを思って止めに入る。
ここら辺の場面転換、入り混じった登場人物の整理、デユヴィヴィエの独壇場だ。

登場人物はよく描き分けれているが、裏の意味というか含蓄はない。
ラストが比較的あっさりしていることも含めて、プロデユーサーアキム兄弟の「最終編集権」のせいなのだろうか。

マルセイユ行きの船を見送るペペ

ペペにジャン・ギャバン、ギャツビーにミレーユ・ダルク、イネスにリーヌ・ノロ、スリマン刑事にリカ・グリドゥ。

「舞踏会の手帖」  1937年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

デユヴィヴィエ全盛期の代表作。
130分の長尺映画を7話のオムニバスで構成。

各挿話にはフランスワーズ・ロゼエ、ルイ・ジューヴェ、アンリ・ボール、フェルナンデルなど当時の名優らが出演しているが、なんといってもオムニバス方式による最初の作品(デユヴィヴィエの発案)というところに歴史的価値がある(註)。

 註)オムニバス方式には本作の5年ほど前のアメリカ映画「百万円貰ったら」という作品があったとのことだが、〈オムニバス映画〉の本格的な始まりは本作からとのこと(「ジュリアン・デュヴィヴィエをしのぶ」1968年フィルムライブラリー助成協議会編 P36より)

さて本作全7話の統一ヒロインはマリー・ベル。
「外人部隊」(1934年 ジャック・フェデー監督)のヒロイン二役を務めた実力派美人女優だ。
絢爛たる衣装に身を包めば画面映えし、シックなドレスとふるまいで品格を漂わせ、場末の酒場の歌姫に扮すればこれ以上ない薄幸美人ぶりを演ずることができる女優さんだ。
本作ではお城の王女様然とした彼女の気品と、帽子にもこだわったファッションが当時37歳のフランス演劇史上の美人女優の存在感を際立たせる。

マリー・ベル

霧に閉ざされた湖畔のお城に20年前に嫁入りし、夫を亡くしたばかりの若き未亡人クリステイーヌ(マリー・ベル)。
夫婦思い出の品を燃やしていたが、自らの舞踏会の手帖を燃やし忘れる。
16歳で純白のドレスに身を包み舞踏会にデヴューしたころのダンス相手の名前を記した手帖だった。

クリステイーネは湖畔のお城に住む

クリステイーヌが16歳の時を回想する舞踏会の幻想的なシーンが素晴らしい。
純白のドレスに身を包んだ淑女が並び、紳士たちが手を取ってダンスが始まる。
スローモーションで揺れるドレス。
主人公クリスティーヌの原点にして忘れられない思い出だ。

映画のおけるダンスシーンといえば、マックス・オフュルス監督の諸作品(「輪舞」「快楽」「たそがれの女心」)が忘れられない。
豪華絢爛たるお屋敷でのダンスシーンでは、次々と馬車で集まってくる招待客と、くるくると踊る何十何百というカップルがこれでもかと描かれる。
カメラは映画の主役二人を窓越しに延々と追いかけ、窓越しに室内に入って主役二人の周りを延々と回り始める(カップルにクルクル回らせて、まるでカメラがカップルの周りをまわっているように見せる撮影技法)。
延々と続く移動撮影による、目くるめくような夢のような舞踏会シーンが続く。

オーストリア生まれのオフュルスといい、フランス生まれのデユヴィヴィエといい、欧州生まれの芸術家にとっての舞踏会というものの大切さ、憧れを感じることができる。

さて、夫に死別したクリステイーヌ。
お城の奥様とはいえ、満ち足りた結婚生活ではなかった。
偶然再見した手帖に記された名前を順に追ってみることにした。
16歳で社交界にデヴューした当時の自分に再会するためとも、その当時の自分に愛を告白した男たちに再会するためとも理由はいくらでもあった。

手帖の最初の名前はジョルジュ。
訪ねると母親が出てきた。
ジョルジュは20年前クリステイーヌの婚約を知り拳銃自殺していた。
母親は息子の死を認めることができず、部屋のトランプもそのまま、カレンダーも20年前のままで息子の帰りを待っているのだった。
現実を記憶はしつつ、息子の死についてはかたくなに認めることができない母親をフランソワーズ・ロゼエがほぼ独演で演じる。
戸惑うクリステーヌことマリー・ベルの表情は時として「外人部隊」の薄幸の歌姫のように頼りなかった。

第1話。フランソワーズ・ロゼエ(左)と

手帖の次の名前は弁護士志望の19歳の学生だった男。
今では弁護士資格をはく奪され、夜の帝王と呼ばれる存在になっていた。
トップレスダンサー(酔客の指名が可能)が踊るナイトクラブのオーナーにして、詐欺的強盗団を操る悪徳元弁護士をルイ・ジューベが演じて、ぎょろ目をむく。
訪ねてきたクリステイーヌに売春の相手を紹介しようと早とちりするジューヴェは、やがて彼女を思い出し、20年前のヴェルレーヌの死を愛する青年に戻って自身の思い出を美化したのち、警察に連行されてゆく。
ポマードで固めた黒髪でにらみを利かせるジューヴェの悪役演技が見もの。

第2話の暗黒街の連中。右端ルイ・ジューヴェ

デュヴィヴィエ一家の座付き俳優で、太っちょ中年アリ・ボールが神父を演じるのが第3話。
20年前に16歳のクリステイーヌに恋敗れて、さらに義理の息子を失ったショックで信仰の道へ入る元新進の音楽家という設定にリアリテイはないが、ここは、アリ・ボールの独演と見守るマリー・ベルの黒のつば広帽子の下の美貌を愛でよう。

仏印のサイゴンからの引揚者、今では港町の闇堕胎医にまで落ちぶれた元医学生の第6話は暗く、切迫感に満ちていた。
片眼を失い、神経症の発作に見舞われる元医学生の姿にはかつてのエリートの面影はない。
訪ねたクリステイーヌの前で内縁の妻とDV騒ぎ。
食事を用意してもワインのボトルを持つ手が震える。
斜めのカメラでこの挿話を捕らえるデユヴィヴィエの、サスペンスに満ちた演出が冷徹。

第6話。闇の堕胎医に落ちぶれたかつてのダンスパートナー(ピエール・ブランシャール)

ある時は流れるようなドレス姿、ある時は帽子を目深にかぶって相手を見つめ、ある時はスキーヤー姿でアルプスの山小舎を訪ねるマリー・ベルの過去巡り、否、現実という地獄・極楽めぐり。

巡った先はペシミズムに彩られた悲劇的世界もあれば、微苦笑を誘うような現実世界もあった。
いずれにせよ自由になったクリステイーヌが憧れる世界ではない。
その胸に去来する16歳の時の舞踏会の夢のような幻影。

第7話でフェルナンデル(左)と。

ラストでクリステイーヌが現実の舞踏会へ誘うのは、湖の対岸に住む手帖に記された唯一の行方不明者・ジェラールの息子だった。

その青年を演ずるのはデュヴィヴィエ出世作「にんじん」(1932年)の主演少年ロベール・リナンで、かれはのちに占領下のフランスでレジスタンスに加わり、つかまって処刑されたという。

ジャックを舞踏会に送り出すクリステイーヌ

マリー・ベルが嫁いだ湖畔のお城の幻想的な風景は、デユヴィヴィエ後年の「わが青春のマリアンヌ」(1955年)を思い出させる北方的なムードが漂よう。
また、第1話の霊魂が復活するかのような神秘性、第2話のギャング映画のようなノワール性、第5話の庶民的な喜劇、第6話のヒリヒリとしたサスペンスは、いずれも多才なデユヴィヴィエが得意とする分野だ。

第1話と7話に出てくる小道具としてのトランプにも注目。
第1話でのそれはフランソワーズ・ロゼエが出てくる挿話のこともあり、「外人部隊」へのオマージュなのかもしれない。

第2話と第5話では、いずれの主人公(クリステイーヌが訪ねる相手)にも義理の息子がいる設定になっている。
片や死別し、片や実家に戻っては金をせびる不肖の息子と、それぞれ幸福な設定ではない。

エピローグに登場するジャックはクリステイーヌの養子となり、第2話、5話に続く三度目の〈義理の息子〉となる。
果たしてその結末はハッピーエンドを迎えることができるのだろうか。

「旅路の果て」  1938年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督   フランス

デュヴィヴィエ最盛期の末尾を飾る作品。
「地の果てを行く」「我等の仲間」「望郷」「舞踏会の手帖」などの代表作を30年代に発表したデュヴィヴィエは、1938年にハリウッドに招かれ、MGMで「グレート・ワルツ」を撮り、帰国後フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受けた。

「旅路の果て」は叙勲後初の作品であり、また、こののちデュヴィヴィエは「幻の馬車」「わが父我が子」の2作品を撮った後、アメリカに亡命することになる。
デュヴィヴィエがフランスで帰国後の第一作を撮るのは1946年の「パニック」だった。

座っているのがマルニ(ヴィクトル・フランサン)。なお(48)は(38)の誤り

「旅路の果て」はデュヴィヴィエ映画の総決算にして集大成でもある。
これまでの作品では、文芸作品や推理小説、宗教ものなどの原作を素材に、エキゾチシズムやロマンチシズム、ノワールなど野味付けに趣向を凝らして観客にアピールしてきたデュヴィヴィエが、〈素材〉から離れ、〈装飾〉をかなぐり捨て、〈自分の作りたいものを、作りたいように〉作った、おそらく初めての作品なのではないか。

芳紀花盛りの美人女優も出てこなく、出てくるのは老人ばかり、それも筋金入りの頑固で自意識に凝り固まった老人たち。
活気ある世間とはかけ離れた加齢臭漂う老人ホームと、隣の貧乏くさい田舎カフェが舞台。
主題は老いてなお、自我と妄執から離れられない人間そのものの業だ。

マルニと田舎カフェの女給ジャネット(マドレーヌ・オズレ)

主役は3人の老人。
ホームの主役よろしく、集団生活を取り仕切ったつもりになっているカプリサード(ミシェル・シモン)は終生代役で終わった才能のない役者。
主役さえ病気になれば自分も舞台で輝けた、との思いだけが生きる支え。
息子は死に、肉親からの連絡はなく(ここでデユヴィヴィエ作品のモチーフの一つである〈息子との死別〉が出てくる)、毎年付近でキャンプを張るボーイスカウトから歓迎されることだけが励みとなっている。

才能はあるが売れなかった元主役俳優のマルニ(ヴィクトル・フランサン)は見るからに謹厳実直。
自らの才能をひけらかさないこと岩のごとし。
妻が浮気し、死んだことが生涯の心の傷となっている。

そこに現れたサンクレール(ルイ・ジューヴェ)。
昨日まで現役の主役だったがお払い箱になりホームに騒々しくやって来る。
ざわつく元女優の老女たち。
サンクレールはとんでもないドンファンで、入所中の老女シャベール夫人(ガブリエル・ドルジア)の死んだ息子(ここでも息子が死んでいる)の婚外父であり、またマルニの妻を寝取った後自殺に導いてもいる。

カプリサード(ミシェル・シモン)

自らの老いを認めず、女とみれば粉をかけ、金銭に執着し、過去の傷に拘泥し、と、人に嫌われる個性ばかりを思いっきり発揮しまくる3人の老人。
見返りは肉親からの拒絶だったりするがその現実はきれいにスルーする。
彼等の姿は単に老醜の醜さを表すだけにとどまらず、人生そのもの人間そのものの無残を表しているといえよう。

こういった人生の醜さについてはビリー・ワイルダーが作るアメリカ映画では、落ちぶれた元スターを実名で登場させるなどしてセンセーションをあおる手法をとるなどするが、そこは大人のフランス映画、露悪的な手法は取らない。
あくまでも劇中の出来事として、演出と演技で本質を突き詰め、より厳しく現実に迫る。

ジャネットにもちょっかいを出すサンクレール(ルイ・ジューヴェ)

事件らしい事件も起きずに進む映画を、ヒリヒリとした緊張感と、無残な現実描写で描き切ったデュヴィヴィエの手腕と、主演3人を中心とした演劇人の個性に引きずり回された110分だった。

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジュリアン・デュヴィヴィエ その1

「望郷」、ぺぺルモコ、カスバ、ジャン・ギャバン。
1930年代に製作された「望郷」は、日本にとって、あるいは世界にとって、わすれられない名画であった。

「望郷」を監督したのがジュリアン・デュヴィヴィエ。
「地の果てを行く」(35年)、「我等の仲間」(36年)、「舞踏会の手帖」(37年)、「旅路の果て」(39年)など、ペシミズムに彩られた人生の機微を描いた1930年代の名作群を作り、また戦後に「わが青春のマリアンヌ」(55年)で忘れられない幻想的ロマンチシズムを描いたフランスの名匠である。

1930年代はフランス映画界に、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジャン・ルノワール、マルセル・カルネなど名匠が現れ、その代表作を発表した、フランス映画の黄金時代だった。
それらの映画作家の中で、世界的にも人気があり、芸術性と大衆受けを兼ね備えた名作を連発したのがデユヴィヴィエだった。

のちに映画史家によって「詩的レアリズム」と呼ばれたこの時代の作風は、『ペシミステックな暗さの美学化であり、滅びゆく人間の運命が、あいまいな文学的抒情性、高尚な哲学性の衣をまとって、深遠な人生観として賛美されて』いる(集英社新書「フランス映画史の誘惑」87Pより引用)と定義される。

「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」表紙

手許に「ジュリアン・デユヴィヴィエをしのぶ」という冊子がある。
1968年フィルム・ライブラリー助成協議会(現フィルムアーカイブ)の発行。
67年に亡くなったデユヴィヴィエ監督を偲んで、東京国立近代美術館で行われた連続上映会のプログラムである。

「同」目次。そうそうたるメンバーの執筆陣

巻頭に「ジュリアン・ヂュヴィヴィエ」と題する映画評論家飯島正の文があるので、下記に太字にて要旨を紹介したい。

デユヴィヴィエは1896年に北フランスのリール生まれ。
舞台俳優、監督を経て映画界へ。
1919年よりサイレント映画約20本を監督する。
1930年「資本家ゴルダー」がトーキー第1作。
1932年の「にんじん」の映画化がデユヴィヴィエの名を世に広めた。

「にんじん」は当時珍しかった文学作品の映画化で、その企画・発想は、デユヴィヴィエのプロデユーサー的素質によるものであり、その自然描写と心理描写が一体化した雰囲気づくりのうまさは、デユヴィヴィエの映画監督としての技術の確かさによるものだった。

デユヴィヴィエの特質として、純粋に芸術を志向するのではなく、大衆受けを意識した作品作りにあり、シムノンなど、一般受けする探偵小説を原作とするとその親和性が高い。

「望郷」は世界的な人気を誇るが、異国的ロマンチシズム、情緒的センチメンタリズムを大衆受けの要素として意識的に取り込んだデヴィヴィエのプロデユーサー的才能の表れだ。

「旅路の果て」のオムニバス構成はデユヴィヴィエの創意によるもので、その後の映画で流行した。

また、デユヴィヴィエはフランスとベルギーに渡るフランドル地方の出身であり、その北方的な資質が「わが青春のマリアンヌ」での幽玄たるドイツロマンチシズムの再現に結びついた。

岡田真吉著「フランス映画の歩み」より、デユヴィヴィエからのアンケート回答

また、ここにフランス映画研究者岡田真吉の「フランス映画のあゆみ」(1964年 七曜社刊)という映画本があり、岡田氏がデヴィヴィウエ本人に送った興味深いアンケートの回答が掲載されているので転載してみたい。

アンケートは1933年に岡田氏がフランスの映画監督らに送り、ジャン・ルノワール、ジャン・エプスタンら6人から回答をもらったものである。

アンケート3問のうち「トーキーの芸術的可能性」という問いについてデユヴィヴィエは、
『偉大な可能性を開く大きな進歩であると考える。しかし私は音響的要素に、映像以上の重要性を与えること、殊に映画中の台辞の地位を誇張することは怠りであると信じている。』と回答した。

セリフの重要性を最大に考えることは誤りだと信じるデユヴィヴィエの信念はサイレント時代に映画修業をした経歴がもたらすものなのか、あるいは、セリフは音楽やセットや照明、撮影などと同列の映画手法の一つであり、それら手法が総合的に合致して効果を表すのが映画である、セリフのみが重要性を持つのではない、との信念からだろうか。
いずれにせよ、デユヴィヴィエの映画製作に関する根本姿勢の一つを表す発言ではある。

ジュリアン・デュヴィヴィ

飯島正による紹介、岡田真吉によるアンケートを読むにつれてもデユヴィヴィエという映画作家の全体像はつかみきれない。
大衆性、サービス精神に満ちた映画作家であることは間違いない。
多様なジャンルを題材とし、いずれの作品でも己の作家性よりも大衆受けを計算し、手練手管の技巧をもって実現することができる。
が、「作家」としての「こだわり」や「純粋性」(偏狭さといってもいい)は、残された作品の印象からは見えてこない。

日本では評価が高いデユヴィヴィエだが、フランス本国では(今では)それほどでもないとのことである。
なぜ日本では大衆的にも、高尚な批評家的にも受けて、フランスではそうではないのか。
デュヴィヴィエの作家性、手法の特徴、時代とのかかわり、プロデユーサー的特質、などとはその作品においてどう発揮されているのか。

まずは、デユヴィヴィエの初期作というべき「モンパルナスの夜」(33年)と「ゴルゴダの丘」(35年)からDVDで見てみよう。

「モンパルナスの夜」  1933年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

デュヴィヴィエのトーキー第6作。
この作品が作られた1933年には、オーストリアでシューベルトの伝記映画「未完成交響楽」が名曲に彩られた牧歌的人間賛歌を謳っていた。
折から第二次大戦勃発まで5年の時代だった。

一方、フランスでは悠々とジョルジュ・シムノン原作の犯罪映画「モンパルナスの夜」が、デユヴィヴィエによって作られていた。

主役のメグレ警部に扮するのはアリ・ボール。
中年の太っちょ体形。
捜査の腕はいいが、迅速な動きなどは望むべきもないように見える。

フランス映画では、中年の太っちょがヒーロー、という伝統でもあるのか、アリ・ボールは「モリナール船長」(1938年 ロバート・シオドマーク監督)でも、初老の太っちょを演じていたし、近年の俳優では「追想」(1975年 ロベール・アンリコ監督)の逆襲のヒーロー、フィリップ・ノワレの中年体形が思い出される。

センセーショナルな斜めの書体によるクレジットタイトルと、タイトルバックのシャンソン歌手ダミアの錆びの効いた歌声で始まる「モンパルナスの夜」。
ノワール風活劇の体裁を取ってはいるが、フランス映画好みの酸いも甘いもかみ分けた大人の世界が、すでに濃厚に匂うオープニング。
フレンチノワールの元祖(ということはフィルムノワールといわれるジャンルの草分け)ともいわれるデュヴィヴィエの堂々たるノワールジャンル第1作の幕開けだ。

場面転換は斜めに上下する画面ワイプが使われる。
クレジットタイトルの斜め文字といい、この作品の一つのコンセプトは「斜め」なのかもしれない。
『さあこれから映画ならではの、背徳的な世界に案内するよ』と、デユヴィヴィエのしたり顔が場面の背後に透けて見えるようだ。

アリ・ボール(右)とワレリー・インキジノフ

「プロデユーサー」デユヴィヴィエの本領発揮という面では、犯人役の容貌魁偉な異邦人ラデイックにワレリー・インキジノフをキャステイングした点にとどめを刺す。
自身が中央アジア出身で、東洋人のような風貌(設定はチェコ出身の医学生)のインキジノフの異様な存在感にまずは驚かされる。
誰だ!この役者は?

フランス人から見れば、人外の地から出現し、パリの巷で享楽に現を抜かす有閑階級にルサンチマンを漲らした、何をするかわからない異邦人ラデイックという存在は、得体のしれぬ物の怪に見えるのであろう。
当時のフランス人観客の排外性、差別性を刺激するかの如く、東洋人の外見を持つワレリー・インキジノフの犯人役へのキャステイングはこの作品の見世物として重要である。

見世物とは、文字通り目を引くもの、存在するだけで注目されるものである。
見世物は映画発祥の昔から、映画における「売り物」の重要な一項目である。
その「売り物」の重要性を熟知しているのがデユヴィヴィエ一流の経験と知恵である。

ワレリー・インキジノフ(右)の怪演。アリ・ボール(中央)と

インキジノフ扮する異邦人が、完全犯罪を企む殺人者としてメグレ警部と対峙するのだが、作品はその過程で共犯の有閑階級の遊び人たちの堕落を批判もしており、単にラデイックの犯罪を憎み、異邦人を排除するだけではない。
ここら辺の作品の重層性もデユヴィヴィエは抜かりなく描く。

完全犯罪者ラデイックに犯人に仕立て上げられた青年

独自のパリ中心の世界観を貫くフランス映画でありつつ、暗く退廃的なムードが支配する作品。
その暗さはノワール劇だからというだけではなく、大戦前の時代性を反映してはいないか。

クレジットタイトル、斜めワイプのほかにも、猥雑なカフェ内部の長い移動撮影、雑音とたばこの煙にまみれた刑事詰所の同じく長い移動撮影、などデユヴィヴィエの意欲的な技法が冴える。

何よりフランス的なあいまいさ、いい加減さ、ずるさ、が俳優の動きに現れている。
きびきびとしたゲルマン系の動きとの違いがこれでもかとにじみ出る。
フランス映画はあくまでフランス映画なのだ。

太っちょの中年男にヒーロー性を見出し、異邦人を普通に差別し、猥雑な場末の巷に安住するのが好きなフランス映画の世界なのだ。

「ゴルゴダの丘」 1935年  ジュリアン・デュヴィヴィエ監督  フランス

何と堂々とした作品なのか。
題材は新約聖書の福音書。

ガリラヤで弟子らとともに予言や癒しを行っていたイエスが、ユダヤの祭礼である過ぎ越しの日にエルサレムにやって来る。
エルサレムの民にもセンセーショナルな人気のイエスに、自らの地位が脅かされるのを過度に懸念するユダヤ教の祭司たち。
折からエルサレムを統治していたローマ軍のピラトにイエスの排除を訴えるが、ピラトはユダヤのことはユダヤ自身で処置せよと取り合わない。
祭司たちは、イエスの弟子のユダを買収しイエスを捕らえる。
ローマ皇帝への訴えを示唆してピラトに迫る祭司たち。
とうとうピラトはイエスの磔を命じる。

イエス役のロネール・ル・ヴィガン

エルサレムの城門、城壁や円柱を再現した大セット。
一部にスクリーンプロセスを用いたほかは実写による撮影が圧巻。
巨大な城壁をバックにした何百人ものエルサレムの民らを引きの画面でとらえるシーンが延々と続く。
古代エルサレムの歴史的光景を物量で再現する歴史スペクタクルはこの作品の「売り物」の一つである。
スペクタクル志向はハリウッドの「イントレランス」(16年)、「ベン・ハー」(25年)と共通する。

エルサレム城内のユダヤ議会には祭司たちが右往左往し、街には羊を連れた民があふれるように続く。
土と埃と住民たちの汗のにおいが伝わってくるような画面作り。
単に福音書を再現しただけの作品ではない、歴史的な地誌的な事実へのドキュメンタルな姿勢がみられる。
宗教的な神秘性や荘厳さの強調は全くない。
この点はハリウッドの諸作品と異なっており、デユヴィヴィエの作家性が感じられる。

ピラト役のジャン・ギャバン

イエスとその弟子たちの関係やその集団的性格は、キリスト教の本質にも関係あろうが、レギオン(軍隊)とも呼ばれるその集団性が描かれる。
イエスがユダを「裏切る者」と呼び、鋭いまなざしを向ける。
すべてを許容するわけでもなく、集団に厳格な規律を求める集団の軍隊的な性格が表れている。
既存の組織にとっては、現代の反体制新興宗教のように脅威以外の何物でもないだろう。

作品のテーマは、卓越した天才が世の中に理解されることの困難だったり、教祖と弟子の信頼関係のあやふやさだったり、既存の権力構造の反動的強固さだったり、扇動に簡単に騙される群衆のポピュリズムだったり、なのだろう。
そのテーマを画面に表す手法としてデユヴィヴィエの方法はわかりやすい。

例えばイエスを裁判にかける場面では、城内の舞台のようなところで被告のイエスと裁判長のピラトが立つ。
検察官よろしくユダヤ祭司たちが舞台のそでで騒ぐ、傍聴人の民らは舞台下の観客席のポジションにいる。
裁判の偏向性、群集のポピュリズム、被告の恥辱などが、位置的にもわかりやすいよう表現されている。

ギャバンと妻役のエドウージュ・フィエール

ここで「ジャン・ギャバンと呼ばれた男」(鈴木明著 1983年大和書房刊)という映画本を紐解く。
「ゴルゴダの丘」の前作「白き処女地」(1937年)でカナダに移住した素朴で逞しいフランス青年を演じスターの仲間入りしたギャバンは、デユヴィヴィエのお気に入りでピラト役をオファーされてたのだという。

ギャバンのピラトはローマ風の権力者の髪形と服装が思ったよりも似合い、すっかり役にはまっていた。
悪人ではないがあやふやな態度を撮り続ける支配者に役が適役だった。
ギャバンはこの作品の後、「地の果てをゆく」(35年)、「我等の仲間」(36年)、「望郷」(36年)でデュヴィヴィエ映画のヒーローを務めることになる。

ガリラヤの支配者のヘロデ王役で、デユヴィヴィエ組のアリ・ボールも出演。
思いっきり俗っぽくも、一癖もふた癖もありそうな王の怪物性をそのまま顔面に滲み出しての演技を披露していた。

イエス役はロネール・ル・ヴィガン。
宗教画のイエス像を再現したような風貌。
ユダヤ祭司たち、エルサレムの民らを、パレスチナ風の風貌の役者をキャステイングしていたのに比して、白人そのものの俳優をイエスに起用したデユヴィヴィエ。
この端正なイエス像は映画の「売り物」の一つで、「プロデューサー」デュヴィヴィエにとっては妥協できなかったのだろう(あるいは妥協してのことだったのか)。

コスチュームプレイではないし、スター映画でもない。
無声映画時代に2本の宗教素材を撮っているというデユヴィヴィエ本来のテーマの一つを真摯に撮った作品である。

DVD名画劇場 戦前オーストリア映画のパッション

戦前のドイツとオーストリアは映画の都だった。
ドイツにはウーファ撮影所があったし、オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウイーンにはサッシャという映画会社があった。

1930年代、(33年に)ナチス党が政権を取ったドイツ本国に比べ、同盟国とはいえオーストリアでは芸術の自由が幾分か残っていた。

この時代を知る日本の映画評論家に筈見恒夫、南部圭之介がいる。

南部圭之介著の「続・欧米映画史」と、筈見恒夫が監修した「写真 映画百年史全5巻」が手許にある。
どちらも戦前のドイツ映画、オーストリア映画の豊饒な世界についてたくさんの稿を割いている。

戦後になり、現代になって映画の世界はアメリカの独り勝ち。
一部のマニアにフランス映画などが志向されているような状況となっている。
否、映画に国籍はすでになく、資本、スタッフ、キャスト、撮影地が各国を複層して製作されるようになっている。

が、戦前にドイツ、オーストリアに於いて、当時のハリウッドに比す内容、規模の映画を巡るワールドが展開されていたことは歴史上の事実だった。
後年の各国の諸作品へのジャンル的、手法的な影響を多く残した点でも特筆される。
筈見恒夫、南部圭之介らの著作には当時の日本の映画評論家がいかにドイツ、オーストリア映画に注目し、関心を持ち、評価していたかが表れている。

「続・欧米映画史」。表紙の写真は「未完成交響楽」の名場面
「同」奥付
「写真映画百年史第3巻」表紙
「同」38,39Pには、1930年代のオーストリア映画を解説

1930年代のオーストリア映画から代表作3本を見てみよう。

「未完成交響楽」  1933年  ウイリー・フォルスト監督  オーストリア

南部圭之介の「続・欧米映画史」(全213ページ)では、本作について6ページ以上を割いて紹介評論している。

本作品についての著者の気持ちは、『「会議は踊る」とともにこの時代に夢多い青春を送った男や女にとっては「会議は踊る」と同じように忘れえない名画であった』(同著49P)という一文に表れている。

また、『ハンス・ヤーライのシューベルトは、私共のような遠い東洋の果ての人間に、シューベルトのイメージを固定してしまうほどの強烈な印象であったし、マルタ・エゲルトのカロリーネ姫は、茶目っ気の明るさの中に忘れがたい女の情念と貴族の娘としての品位を持ち合わせていた』(同49P)と主演のハンス・ヤーライとマルタ・エゲルトを称賛している。

カロリーネがシューベルトから音楽レッスンを受ける

シューベルトを主人公に、貴族の令嬢との悲恋を描いた本作は、シューベルトの伝記をゆがめたと、本国のオーストリアとドイツでは不評だったとのこと。

DVDで見ると、第二次大戦まで5年の製作時代ではありながら、全体を覆うおおらかでのびやかな空気感、折々に見られるユーモラスな表現、たっぷり流れるシューベルトの名曲たち、に彩られた幸福そのものの映画だった。

ハンガリーの田舎の酒場で、村娘の姿のカロリーネ

シューベルトの世間ずれしていない朴念仁ぶりは、小学教師として算数を教えながら頭に浮かぶメロデイーを黒板に書いてしまったり、大事な公爵邸の演奏会に着ていく服がなく親切な質屋の娘に質流れの礼服を借りてゆくが質札をつけたままで公爵邸の塑像に引っ掛けたり、などの描写に描かれる。
それらのエピソードを悠々と描く、スタッフたちのすばらしさ。

麦畑でのラブシーン

貧乏時代のシューベルトを助ける質屋の娘(ルイーゼ・ウルリッヒ)の庶民的で明るいお転婆ぶりも全く古びていない。

ヒロイン、カロリーネを演ずるマルタ・エゲルトは、ハンガリーの令嬢として夜会服を着こなし滑るように登場し(カメラは遠めの移動ショットであでやかなその姿を捉える)、シューベルトを家庭教師として迎えた場面では「夜曲」を歌いこなし、屋敷の外の酒場に忍んでは村娘の格好でジプシーの演奏をバックに民俗舞踊を踊りまくる。
見かけのあでやかさにとどまらない芸達者ぶりに感嘆する。

酒場を抜け出し薄暮の麦畑を走るカロリーネ。
カメラは目線の高さの移動ショットでカロリーネを追う。
やがて忘れ物のスカーフをもって追いついた朴念仁のシューベルトにキスを誘うカロリーネ。
美しいラブシーン。

小学校でシューベルトに算数を教わりながら、気が付いたら黒板に書き写された「野ばら」を歌う少年たちに.ウイーン少年合唱団を配役。
BGMの演奏は世界のウイーンフィルハーモニー。
流れる名曲は「菩提樹」「未完成」「夜曲」「アヴェ・マリア」など。

貴族たちの音楽会の描写はきらびやかに、ハンガリーの田舎の居酒屋の描写は土臭く、ウイーンの都会の描写は庶民の困窮した生活感を、それぞれ的確に描き出したフォルスト監督とウイーンのサッシャ撮影所の力量は見事。
どの時代の観客も好感を持つであろう作品。

「たそがれの維納」  1934年 ウイリー・フォルスト監督  オーストリア

「未完成交響楽」のフォルスト監督作品。
前作のようなのびのびした開放感や、裏表のない人間賛歌はここにはない。
ドイツではナチス党が政権を握り、大戦まで4年ほどとなった世相を反映しているのか、ウイーンの上流社会の暗黒面が反映しているのか、重苦しく苦々しい雰囲気が映画を覆っている。

ところどころ監督の特性かオーストリア文化のなせる業か、独特のユーモアが見られるのは「未完成交響楽」と同様で、ヒロインのボルデイ(パウラ・ヴェゼリー)のキャラクターに濃厚に醸し出される。

プレイボーイの画家(アドルフ・ウオールブリュック)との初デートでは、「こんなはずないわ」「うそだわ」「思ってもいないくせに」と画家の口説き文句をはぐらかし、酒をぐいぐい飲むボルデイ嬢。
そのおおらかで、男慣れしていない素人娘のふるまいをパウラ・ヴェゼリーが熱演。
「未完成交響楽」でシューベルトに心を寄せる質屋の娘のおてんばキャラと共通するキャラクターである。

ボルデイ嬢はまた、画家にアトリエに呼び付けられ、勝手に「サモワールが湧き、チャイコフスキーが流れるアトリエ・・・」と妄想するが、行ってみると現実は全く違っており、勝手に唖然とするくだりも、彼女のキャラの個性が現れていておかしい。

プレイボーイの画家(アドルフ・ウオールブリュック)が純真な小娘・ボルデイ(パウラ・ヴェゼリー)に惹かれてゆく

実直なボルデイと違って、画家が出入りする上流社会は裏表ばかりの世界。
舞踏会はそれは豪華でにっぎやか。

画家とボルデイが流れるようにダンスし、壁越しにカメラが移動撮影で追うカットがあった。
マックス・オュフルスの「輪舞」(50年)、「たそがれの女心」(53年)での、カメラが延々と移動し、主人公たちの周りをくるくると回る(ように見える)流麗なダンスシーンを思い出した。

撮影のフランツ・プラナーは「未完成交響楽」も手掛け、戦前にハリウッド入りし、のちに「ローマの休日」(52年)、「ティファニーで朝食を」(61年)の撮影を担当したというから、さもありなん。

流麗な撮影手法に、のちのマックス・オュユルスへの深い影響を感じる本作だが、その影響は配役にも及んでいる。
画家役のアドルフ・ウオールブリュックが「輪舞」、「歴史は女で作られる」(56年)と、のちのオフュルス作品に続けて出ているのだ。
うーん。
歴史は女で作られるというけれど、オフュルス映画の歴史はオーストリアで作られていた!のか。

ラストに向かってボルデイ嬢の逞しさ、実直さ、一さが存分に発揮される。
プレイボーイの画家を本気にさせ、その命を救ったオーストリア女性の真心、根性とでもいうべきものが描かれる。

ボルデイは愛する画家の命の危機に、教授に手当てを頼み込む

上流社会の愛欲にまみれた人間関係を背景に、急転回に翻弄される人間たちの様子は、ハリウッド映画のよくできたドラマのよう。
舞踏会の目くるめく描写はマックス・オフュルスに影響を与え、その作品で完成を見た。

邦題のみのこととはいえ、「たそがれの女心」と、『たそがれ』という言葉でつながっている本作は、戦前のオーストリア映画である本作と、後年の名監督マックス・オユュルスのつながりを偶然とはいえ象徴しているかのようだ。

「ブルグ劇場」  1937年  ウイリー・フォルスト監督  オーストリア

伝統あるオーストリア王立のブルグ劇場の座付き役者ミッテラー(ウエルナー・クラウス)は、公演が終わると出待ちのファンを巻いて一人帰るのが日課。
殺風景な部屋でプロンプター(舞台のそででセリフを伝える役)の中年男と猫と暮らす味気ない日々。
女性と社交界には興味を示さず、キャバレー通いもとうの昔にやめた。

ある日、珍しく春の光に誘われてプロンプターと散歩していると教会があり、気まぐれに中に入ると敬虔に祈りをささげる乙女レニ(ホルテンセ・ラキー)に遭遇し、何十年ぶりかの恋に落ちる。
レニはミッテラー御用達の仕立屋の娘で、仕立屋に下宿している演劇志望の若者を愛している。

一方、王立劇場は、役者にとってコネがなければ専属契約はままならず、また上流社会のパトロンがガッチリ食い込んでいる世界である。
連日のようにボックス席に現れ、ミッテラーのファンを公言する男爵夫人(オルガ・チェーホワ)が、ミッテラーのお忍びの馬車で待ち伏せたり、男爵邸のパーテイに招待したりするがミッテラーは関心を持たない。

ミッテラーはレニにアプローチし続けるが、レニの頭にあるのは愛する演劇青年のこと。
ある日、レニはミッテラーの部屋で男爵夫人の招待状を見つけ、盗んで、青年あてに送付する。
有頂天でパーテイに参加する青年。
ミッテラーならぬ見知らぬ青年が現れるも、その場のトークで切り抜ける男爵夫人。
なんやかんやで劇場の重鎮たちに認知された青年は劇場と専属契約を交わすが、背景には男爵夫人のコネがあると噂になり・・・。

ウエルナー・クラウス(右)とホルテンセ・ラキー

歴史ある劇場の裏側の硬直したコネと権威の世界。
劇場の一枚看板とはいえ、乾ききった老俳優の私生活。
愛する若者を一途に思うだけで突っ走る乙女。
野心の塊で、利用できるものは利用して出世を望む演劇青年。
劇場と俳優たちの背後にいて付かず離れず、艶然と陰で采配を振るう男爵夫人。

これらの登場人物たちが交錯するドラマ。
単に老人が乙女に恋するだけの話ではない。

主人公ミッテラーの描写は「嘆きの天使」のギムナジウム教授の四角四面の生活ぶりを思わせる。
ゲルマン民族の几帳面さ、融通のなさそのものだ。

「嘆きの天使」では謹厳実直なゲルマン紳士が零落し、みじめな様子が強調される。
一方本作では、同じく勘違いした老人が若い女性に振られる物語でありながら、老人への尊厳を忘れていない。
老人が勘違いするエピソードは深刻というよりほのぼのとしたタッチで描かれる。

このあたり、ほかの作品にも共通するフォルスト監督のユーモアというか、オーストリア映画の余裕というか。
俳優たちの動きはきびきびしており、そこにユーモアが加わると何かコントのようにも見えるが、これがフランス映画でもハリウッド映画でもない、ゲルマン流の味なのだろう。

名優ウエルナー・クラウスの本領は終盤も終盤に発揮される。
身の丈に合わない栄達から、男爵夫人とのスキャンダルの責任を取っての失墜となり、自殺を考えた若者を、幕が下りた劇場の舞台でさとし、叱咤し、激励する場面の力感あふれる独演。

この作品の主題は単に老人の零落ぶりを描くだけではなく、必然的な世代交代への前向きな姿勢、それも老人が持てる力を振り絞って若い世代にげきを飛ばす、その老年のパッションを描くことにあった。

また、硬直し、権威と虚構にまみれ、上流社会の玩具と化した演劇世界への批判的姿勢を描くことも忘れていない。上流社会の化身でいながら、抗いようのない魅力を漂わせる男爵夫人の描き方も、貴族社会が残っていた当時のウイーンならでは。

主演格の両女優については。
レニ役のホルテンセ・ラキーは金髪、丸顔、口紅ばっちりと、ハリウッド女優を意識したかのようなメイク。
ゲルマン女性の逞しさより、ダニエル・ダリューのような愛らしさを意識している。
役の幅が限定的なので可愛い(だけの)役作りとなったものか。

男爵夫人役のオルガ・チェーホフは名が示すようにスラブ系の出身(一説には文豪チェーホフの一門)。
貴族の貫禄を気品をもって美しく演じた。
ポーレット・ゴダードかモーリン・オサリバン(「類猿人ターザン」のジェーン役)に似ていたが、比べものないほどの気品があった。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 アービング・サルバーグのスピリット

アービング・サルバーグは、創世記ハリウッドの第二世代の製作者で、ユニバーサルを経てMGMで活躍し、デヴィッド・O・セルズニック、ダリル・F・ザナックとともに、当時のハリウッドで「奇蹟の若者たち」と呼ばれた。

映画は『ショーマン特有の勘とドラマツルギーに精通し、激しく飛び交う言葉と音とを見事に統一する能力を要求される』製作者がいなければ生まれない、といわれたその製作者の一人がサルバーグだった。

サルバーグは、その存在がのちに伝説となり、スコット・フィッツジェラルドの小説「ラスト・タイクーン」のモデルとなった。

アービング・サルバーグ。妻のノーマ・シアラーと

ニューヨークのユダヤ人移民の中流家庭に生まれたサルバーグは、第一世代のタイクーンたちとは違っていた。

第一世代のタイクーンたちが、『(くず拾い時代に身に着いた癖で)撮影所内を歩き回っては釘が落ちていると口に含ん』だり、『ムッソリーニに憧れて、かの制服を模倣して着用し、部屋にかの肖像を掲げ』たり、『威張り、口汚くののしり、半可通を振りまわすばかり』という、有名なエピソードに見える、育ちの悪さを隠せない、映画館主上がりのユダヤ人たちだったのだとしたら、サルバーグは『手際よく、きわめて説得的で、品がよかった』(1972年みすず書房刊「映画のタイクーン」P80)とされる存在だった。

1972年みすず書房刊「映画のタイクーン」。フィリップ・フレンチ著。表紙はワーナー兄弟

英国人著者による「映画のタイクーン」ではサルバークについて、『看板作品なる、あまりもうけは期待できないが、撮影所に名誉と活気をもたらし、優れたタレントの出演を容易にした作品を制作した。』(同著P80)と評価している。
さらに『芸術的要求と本社営業部に固有な現実的要求との調整をものの見事に果たす能力を持っていた』(同P80)、また『事故の意見をはっきりと正確に表現することができ、絶対に自分が恥じ入る類の映画を作らなかった』(同P80)と述べている。

『サルバーグの存在とその影響力のおかげで、MGMはハリウッド随一の最も華々しい撮影所となり、その体裁の良いスタイルときちんと整った作品、きら星のごとく並ぶスターたちで有名だった』(同P82)とも。

「映画のタイクーン」より

また、パラマウントの制作部長B・P・シュルバーグを父に持つのちの小説家バット・シュルバーグによる「ハリウッド・メモワール」ではサルバーグについて、ハリウッドで最高の教養人の一人だとしたうえで『サルバーグは酒をたしなまず、一日二十時間働き、美人の妻ノーマ・シアラーと結婚後も一緒に住み続けた彼の母親に尽くした病弱な聖人であった』(「ハリウッド・メモワール」P307)と述べている。

あるフランスの映画人もサルバーグについて称賛している。
ピエール・ブロンベルュジェという映画人はのちにジャン・ルノワールからヌーベルバーグまでの映画製作者として名を残したが、若き日、戦前のハリウッドのMGMスタジオでサルバーグとともに、製作中の作品のラッシュフィルムを見て意見を言い合うという経験をした。

ここに山田宏一著の「わがフランス映画誌」(1990年 平凡社刊)があり、著者が1987年の第二回東京国際映画祭に来日したブロンベルジェにインタビューした記事が載っている。

ブロンベルジェは「ほぼ一年間、MGMで彼(サルバーグ)と一緒に仕事をすることができたことが、私のキャリアの真の出発点となったといってもいいでしょう。素晴らしい冒険でした。サルバーグは私にとって映画の学校でした。プロデユーサーは一つのことだけに拘らずにできるだけ広い視野を持たねばならないこと、監督が常に最後まで作品の精神を見失わずに仕事を続けていくことができるようにしてやらなければならないことを学んだのも、サルバーグとの付き合いからでした。」(同著109P)と述べたという。

ブロンベルジェの回想から浮かび上がるのは、効率と興行力のみを追求する製作者像ではなく、映画という文化の創造性をも尊重することができた、ハリウッドプロデューサーの姿だった。

ピエール・ブロンベルジェによるサルバーグについての回想が載っている「わがフランス映画誌」

サルバーグはしかし、1936年37歳の若さで肺炎で死んだ。
彼は製作者としての自分の名前を映画にクレジットしない主義だった。
今回、サルバーグがMGM時代に製作した4本を鑑賞した。

「ベン・ハー」  1925年  フレッド・ニブロ監督  MGM

サルバーグがMGMのタイクーン、ルイス・B・メイヤーと共同制作したサイレント映画の巨編。
1907年に15分のサイレント作品で映画化され、本作が2度目の映画化。
有名なチャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」(1959年 ウイリアム・ワイラー監督)は、3度目の映画化で本作品のほとんど忠実なリメイク作品。

エルサレムに登場するメッサラ

原題は「Ben-Hur:A Tale of the Christ」。
ローマ時代のエルサレムに住むユダヤ人のベン・ハーが友人でローマ軍人のメッサラの奸計で奴隷にされ、苦辱を味わうが、やがては戦車競走でメッサラを破り、追放されていた母妹との再会を果たすというストーリーに、イエスの誕生から磔までを並行して描くもので、どちらかというとイエスの生涯の描写の方に力点が置かれているんじゃないか?と思わせるほどの作品となっている。
イエスは(かつての日本映画に於ける天皇の描写のように)顔出しはもちろんなく、腕から先しか画面に出てこないが、「誕生」「マグダラのマリアへの許し」「最後の晩餐」「ゴルゴダの丘」などの新約聖書のエピソードはテクニカラーで表現されるという力の入れようだ。

ベンハーに扮するラモン・ナヴァロ(右)

1880年に発表されたという原作をもとにしている。
宗教色が濃い内容で、キリスト教原理主義的な興味を満足させるとともに、ユダヤ人を英雄的に描くというハリウッド的主張を反映した作品となっている。

気になったのは、イエスの誕生を予言して「東方の三賢人」が供物をもって祝った、とわれわれが記憶していることが、本作では「南方の三賢人」としてアフリカからやって来る内容になっていたこと。
また、布教をするイエスを取り巻く信徒が「軍隊」(Rhegion)と表現されていたこと。
史実はどうなのか、日本人とアメリカ人の宗教感の違いから、映画はアメリカ人に迎合した内容としたのか。

キリスト教には1800年代にイギリスで設立された「救世軍(Salvation Army)」という組織がある。
アメリカ人あるいは西洋人にとって、キリスト教と「軍隊」とは親和性があるのだろうか。

ベン・ハーの性格描写も実利的で、上記のRhgion発言のほか、戦車競走に勝ち怨敵メッサラを屠った後「目的を喪失したこれからどうしよう」と悩み「そうだイエスに帰依してRhgionに参加しよう」というが、まるで実利名誉に満足した金持ちが宗教に寄付し布教にいそしもうとするように見える。
そうか、それがアメリカ人の価値観だもんな。

何より目を見張るのはそのスケール。
20年代にはD・W・グリフィスが超大作「イントレランス」を作り、実写では今に至るも空前絶後の大セットと群衆を使って戦闘シーンを再現したが、本作でもエルサレムの城壁のセットの巨大さ、戦車競走の実物大の競技場とフィールドに立つ巨象、実物大と思われる奴隷船などが用意された目を見張る大作である(これらをほとんど実写で再現した、1959年ベン・ハー」もまたすごいが)。

戦車競走の競技場

いずれにせよ正々堂々、何の迷いもない価値観の映画化は、現代の迷いに満ちてヒネくれた映画にはない、王道感と幸福感に満ちたものだった。

迫力ある戦車競走シーン

「戦艦バウンテイ号の叛乱」  1935年  フランク・ロイド監督  MGM

「ベン・ハー」でキリスト教原理主義的満足を観客にもたらしたサルバーグは、本作で権威主義的強権や非人間的な規則などに対して人間性尊重の観点からの批判を試みた。
現実世界の救いのなさをせめて映画館の中でだけでも観客に忘れさせんとするかのように。

史実に基づく映画化だという。
1800年代、西インド諸島の植民地経営のため、奴隷の食料用にパンの木の苗を、タヒチから挑発して運べ、との命令でバウンテイ号がイギリスポーツマスを出港する。

強権的で私利私欲の塊の艦長にイギリス人名優チャールズ・ロートン。
彼に反発し反乱の首謀者となる士官にひげをそったクラーク・ゲーブル。
希望に燃えて乗船するが、艦長にいじめられ抜く青年士官にフランチョット・トーンという若い男優。

嵐などの困難、士官同士の子供じみたいさかい、そして艦長による水夫たちへのサデイステックな仕打ちなどが繰り返されながら、バウンテイ号はアフリカ喜望峰を回り、インド洋を越え、太平洋のタヒチ島に到着する。

チャールズ・ロートンとクラーク・ゲーブル

タヒチでは若者たちが船をこいでバウンテイ号に殺到し、娘たちは船員を歓待する。
タヒチ島民の無垢な歓待ぶりはおそらく史実だったのだろう。

それよりも驚くのは、バウンテイ号乗組員の航海に対する執念だ。
艦長の必要以上の強権ぶりも、行き過ぎとはいえ当時の帆船による長期航海を規律あるものにし、目的を達成するための手段として見ればある意味納得できる。
映画では嵐の夜、自ら舵を握ってずぶぬれになって指揮を執る艦長の姿を描写する。
腕利きで、目的達成のためには強力なリーダーシップを発揮する艦長の姿は、のちの反乱によってボートで追放された後、仲間を叱咤激励して貴重な食料を公平に分配する姿としても描かれる。

たっぷり盛り込まれた海洋シーンはきれいごとだけではない海と公開の厳しさに満ちたものとなっている。

タヒチに着いたバウンテイ号に漕ぎ出す島民

一方、ゲーブルとトーンの両士官ら反乱組は艦長を追放しタヒチの南洋美人をパートナーとして楽園のような暮らしぶりである。
悪鬼のように復讐に再来する執念の艦長を見て、ゲーブルが逃げ出し、トーンは無実を信じ艦長に同行して帰国する。
それぞれの結果や如何。

フランチョット・トーンとタヒチの恋人

カタリナ諸島での長期ロケ。
当時珍しかったであろう南洋風俗をたっぷり盛り込んだドキュメンタルな楽しみにも満ちた作品。
島民には現地語?をしゃべらせ、ゲーブルらを現地娘をくっつかせる(ゲーブルの相手はメキシコ人女優だという)。
当時としては、差別感の少ない視野の広い作品だったのではないか。
人間性の勝利を謳う主題も製作者サルバーグの主張に沿っているものと思われる。

アカデミー作品賞を受賞した本作は、のちにハリウッド映画の1ジャンルとして定着した、南洋ものの走り?の作品で、たっぷりとロケされた南洋情緒に、悪意や差別感がなく品の良い作品となっている。

「桑港」  1936年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

この作品に描かれたものは製作者サルバーグの理想なのかもしれない。
人間性への共感、精神の気高さへの尊重、スペクタクルを越えて貫かれる愛。
それらが明るく、格調高いトーンで謳いあげられている。

舞台はサンフランシスコ。
歴史上の大地震がシスコを襲う1906年の新年が明けた。
西海岸の新興都市で享楽と悪がはびこるこの町の歓楽街でパラダイスという名のレヴュー付きバーのオーナーのブラッキー(クラーク・ゲイブル)のもとに火事で焼け出された歌姫メリー(ジャネット・マクドナルド)が職を乞いにやってきた。
マリーのオペラ仕込みの本格的な歌声に驚くも高給で雇い入れるブラッキー。

パラダイスにてゲーブルとジャネット・マクドナルド(右端)

ブラッキーは地元育ち。
若くして悪の道に入るが根は人間性に満ちた男。
ポーカーに負けた相手に「コーヒー代だ」と100ドル渡したり、店のお祝いには従業員全員シャンペンを奢り掃除係のおばさんも誘う。

ブラッキーには幼馴染で神父になっている親友(スペンサー・トレイシー)がいる。
一方、メリーに一目ぼれしてオペラにスカウトしようとするライバルのバーレーという町の顔役がいて最後まで二人の邪魔をする。

乱暴だが人間性に満ちた男ブラッキーが、純真な歌姫マリーに惹かれる。
マリーは己の打算や幸せ(ブラッキーへの愛)よりも魂の救いを優先する女性だった。
二人の心を見抜き、見守る神父。

マクドナルドとゲーブル

すったもんだの挙句ブラッキーのもとに戻り、黒いストッキング姿のミニスカートで舞台に出ようとするマリーを、パラダイスの楽屋で止める神父。
親友の反抗に殴って応えるブラッキーだが、マリーは楽屋を去る、本来の自分の役割に改めて気づいたかのように。

そうは言いながらも心ではブラッキーを愛しているマリーは、カフェ組合の出し物コンテストに勝手にパラダイス代表で出場し優勝する。
そこへ駆けつけたブラッキーは、マリーが去った腹いせもあり優勝トロフィーを投げ捨てる。
その時突如として起こる大地震。
ブラッキーは「マリー!」と叫ぶ。

ジャネット・マクドナルド

マリー役のジャネット・マクドナルドは、ブロードウエイのミュージカルスターからハリウッド入り。
吹き替えなしのソプラノを劇中の数々の舞台シーンで披露する。
彼女の持つ品の良さと純真さがマリーの役柄にあっている。
淀長さん解説のシネアルバム「ハリウッド黄金期の女優たち」では、『顔がきれいで、歌もソプラノですごくうまかったからね、凄い女優でした。品もあって、みごとでした』(同書P123)とある。

また終盤の大地震のシーンが大掛かり。
大火災シーンや延焼防止のための建物爆破シーンなどは精巧なミニチュアで再現。
大掛かりな地割れのシーンも再現された。
実写で被害を再現するシーンの数々は、スペクタクルとしても、ブラッキーとマリーの「再生」「再開」への序章としても生きている。

悪の道に染まった人間の救い、愛する人を魂の目覚めへ導く純な心。
それぞれをブラッキーとマリーに託して描く。
理想の高さはサルバーグの信条だろう。
理想が高すぎて、甘く、先が読めるところはこの作品の印象をぼやけさせたが。

「大地」 1937年  シドニー・フランクリン監督  MGM

映画の冒頭、アービング・サルバーグに捧げるとの文言が入る。
公開を待たずに37歳で死亡したサルバーグの遺作にして、サルバーグ映画の完成形といえる作品。

サルバーグの理想像が主役の一人、ルイーズ・ライナーの演技によってもたらされた。

1965年の日本再公開時のパンフレット

原作はパール・バック。
中国で育ったアメリカ人女性である。
彼女によるリアルな中国人の描写とともに、当時のアメリカの世論が中国寄り(ルーズベルトが親中、反日だった)だったためもあり、「大地」は、脚本化され舞台でヒットし映画化された。

ルイーゼ・ライナー

主役の中国人夫婦を演じるのは、ポール・ムニとルイーズ・ライナー。
どちらもオーストリア系のユダヤ人で、ムニは幼少期にアメリカに移住し、ライナーは現地で舞台女優として活躍ののちハリウッド入りした。
日本人から見ると西洋人が中国人を演じるのは、顔の造作、ふるまい方を見ても無理がある。
英語を喋って中国人を演じるのだからなおさら。
特にポール・ムニの大げさなジェスチャーと尖った鼻。
無理やり作った辮髪姿が似合わない。

村民を指揮するワンルン

ハリウッド映画である以上、主役は英語でしゃべらなければならないし、本作品はドキュメンタリーではない。
むしろ、ルイーズ・ライナー扮する農婦オーランの表情、体の傾け方、ふるまいに、製作陣による中国にむけての(それ以上にアジア全体に向けての)精一杯の関心と尊重を感じることができる。

ワンルンとオーランに扮した、ライナーとムニ

オーランは実家が飢餓で流浪中に売られ豪農の下女として生活していた。
劇中では奴隷(Slave)と表現されている。
貧農のワンルンといわれるがままに結婚し一家を支えて働き続ける。
口数はごく少なく、いつもうつむき加減、夫への愛情や恥ずかしさは体を傾けて表現する。
すべてを受け入れ、寛容で、感情を主張しない、アジアの女性の生き方であり、ふるまいである。

オーランはまた耐えるだけではなく肝心な時には体を張って主張もする。
彼女によって飢餓にあっても農民の命である土地は残り、都市部へ出稼ぎに出て命をつなぐことができた。

映画の製作陣(サルバーグと監督のフランクリン)は、演技者として力のあるルーズ・ライナーに、メイクを施し、この映画の製作意図を伝えて、西洋人としてはこれ以上ないほどの中国人農婦オーランを作り出した。

オーランに扮するライナーと子供たち

雹が降り出す嵐の中の麦の刈り入れ、辛亥革命間近の都市部での暴動と鎮圧、ラストのイナゴの襲来と闘う人々。
これらのスペクタクルシーンは群衆の数、舞台の広大さなどによって迫力あるシーンになっている。
映画の終盤にスペクタクルシーンを加えてドラマの転換点とするのもサルバーグ流か。

農婦オーランの生涯はまさに大地そのものだ、という本作の主題がルイーズ・ライナーの演技によって見事に現れていた点を称賛したい。

  

DVD名画劇場 ハリウッドカップルズ③ マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル

「ザッツ・エンターテインメント」というMGM映画の過去の名場面を集めたアンソロジィーがヒットしたのが1974年。
MGM映画50周年を記念しての作品で、当時の「キネマ旬報」(なぜか分厚い号だった)でも表紙を飾る話題でもあった。

山小舎おじさんなどの世代にとっては、同作品中の「雨に唄えば」や「世紀の女王」でのジーン・ケリーの踊りやエスター・ウイリアムズと美女スイマー達のプールを使ったレヴュー場面の、しつこい踊りだったり大掛かりなセットは初見参で大いに目を見張ったものだった。
何より場面場面が持つ、ぜいたくさ、明るさ、世界の不変を信じ込んだような楽天性が楽しかった。
同作に登場する作品のオリジナルを見ようとすればテレビ放送を待つしかなかった時代でもあった。

私は実は「ザッツ・エンターテインメント」を見てはいない。
見てはいなくても、テレビなどで紹介された名場面や「キネマ旬報」掲載のグラビアを見るだけで、今でも記憶に残るほどで、また未知の映画の世界が広がるようだった。

「ザッツ・エンターテインメント」パブリシテイ

「ザッツ・エンターテインメント」はフレッド・アステア、ミッキー・ルーニーらをプレゼンターとして起用し、歴史上の数々のMGM作品を紹介したのだが、その中で誰が歌ったのか、MGMのスターたちを順に紹介する曲があった。
ラジオで聞いたのだろう、その一節が今でも耳に残っている。
『ローデイ・マクドォール、マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル・・・』という一節で、軽快なメロデイに乗って名前が紹介されていた。

歌に登場するロデイ・マクドウオールは「名犬ラッシー・家路」の子役だった人。
エリザベス・テイラー扮する令嬢に譲られたラッシーを心配する少年を演じていた。
彼は長じてからも役者を続けたが次第に役が付かなくなり、「クレオパトラ」撮影に当たり子役時代から親しかったエリザベス・テイラーが呼んでくれたという(エリザベス・テーラーの当時の権力や恐るべし)。

そしてマーナ・ロイとウイリアム・パウエルは、「影なき男」シリーズで名コンビの夫婦を演じて当たり役としたハリウッドカップルだった。
「ザッツ・エンターテインメント」できっちり紹介されているあたり、このコンビがMGMのドル箱だったことがわかる。

ここで、例によって1998年キネマ旬報社刊「ハリウッド・カップルズ」の一項「スクリーンのなかで暮らす夢の夫婦 マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエル」を紐解いてみる。

同書によると、マーナとパウエルの共演作は14本あるという。
このうち「影なき男」シリーズは6本。
シリーズのヒットにより『パウエルはMGMと長期契約を結び、マーナはヴァンプ女優のイメージを拭い去り、ハリウッドきっての〈完全なる妻〉といわれるようになっていく。』(「ハリウッド・カップルズ」P128より)

1998年キネマ旬報社刊「ハリウッドカップルズ」
同著、マーナ・ロイ&ウイリアム・パウエルの項

またマーナ・ロイについては我が淀長さんが、芳賀書店刊の「シネアルバム71 ハリウッド黄金期の女優たち」で、『だけどはじめはエキゾチックな裸が売り物の女優だったんだからね。そういうわけで、おもしろい人ですね。いいよね、マーナ・ロイっていう女優。ほんとにいい女優さんです。天下一品の奥様女優。いかにもアメリカ的なね。』(同書P108)と評している。

マーナ・ロイ
中国娘を演じる若き日のマーナ
「映画の友」1950年2月号の表紙を飾ったマーナ・ロイ

マーナ・ロイにとって(ウイリアム・パウエルにとっても)映画史上の評価は定まっている、そのきっかけとなったのが「影なき男」だった。

「影なき男」 1934年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

「影なき男」封切り時の日本版ポスター

記念すべきシリーズ第一作。

監督のヴァンダイクは当時のMGMのエース監督の一人。
原作は戦前から50年代にかけて、ハリウッドに集まって映画の原作や脚本を書いていた小説家たち(スコット・フィッツジェラルド、グレアム・グリーン、レイモンド・チャンドラーら)の一人ダシール・ハメット。

主役のウイリアム・パウエルはブロードウエイからハリウッド入りした芸達者。
20年代後半に演じた私立探偵役に定評があり、MGMのボス、ルイス・B・メイヤーは、本作での起用には賛成だった、がマーナ・ロイをパウエルの妻役に起用するのに反対だったという。

それまでの中国人役やヴァンプ役ばかりの彼女のキャリアからして、無理もなかったが、監督のヴァンダイクが強固にマーナの起用を主張し、三週間以内に撮影を終了するという条件でメイヤーのOKが出たという。
彼女は監督の起用に応え、名(迷)探偵ニックの妻ノラを好演、夫婦役の二人の息もぴったりで作品をヒットさせるとともに、自身の新たなキャラクターを開拓した。

名コンビ、ニックとノラ

この作品、ストーリーを引っ張る主役はあくまでニック探偵で、妻のノラはシルクのナイトガウンや大胆な柄のサマードレス、大きく背中の空いたイブニングドレスに身を包んで彩を添えながら、事件となるやニック探偵に付きまとい、首を突っ込みたがりつつ、ちょっと夫の邪魔をしながら結局は力になる程度の存在・・・

が当初の設定だったのだろう。
が、この作品が描き出したものは、謎解きだけではなく、探偵夫婦の生き生きとした愛情や、ちょっとした互いへのからかいなど、ほほえましくもくすぐったい関係が大きなウエイトを占めていた。
ニックの突っ込みにふくれっ面で返したり、夫の指示を無視して事件に首を突っ込みたがる妻をかわいらしく演じるノラの存在が重要だった。
ノラを演じたマーナ・ロイの魅力が作品を膨らませた。

ニックは退屈のあまり部屋で空気銃を撃つ。心配するノラ

常にアルコールをたしなみながら、妻をからかい、愛し、うっちゃりながら軽やかに身をこなす芸達者なウイリアム・パウエルは、詐欺師のようにも大道芸人のように見え、つまりは古典的芸人の顔とふるまいが身に着いた役者ぶりで、調子よく事件を解決してゆく。
事件の周りの人物は、作品の性格上マイルドに味付けされてはいるが、浮気妻やマザコン息子、牛乳メガネの精神科医など怪しい人物ばかり。
唯一まともな若い女を「ターザンシリーズ」のジェーン役のモーリン・オサリバンが演じている。

ニックが最愛のウイスキーをかける真似。夫婦の戯れのワンシーン

原題は「The Thin Man」。
直訳すると「薄い男」「軽い男」だが・・・。
日本映画で流行っている「シン(ゴジラななど)」とはなにか関係あるのだろうか?

「夕陽特急」  1936年  W・S・ヴァンダイク監督  MGM

シリーズ第二弾。
話も前作の「影なき男」から続いている。

「夕陽特急」オリジナルポスター

休暇先のニューヨーク(第一作の舞台)からサンセットエキスプレスでサンフランシスコに帰ってきた、ニックとノラ、愛犬アスタ(テリア種)も一緒。

地元に帰ったとたん人気者のニックは歓迎を受ける。
かつて事件を解決しニックが監獄に送ることになったっ元犯人は、逆恨みするどころか親し気に寄ってくる。
怪しい人たちや庶民により人気があるのがニック。
内心は感心しないと思いながらも悠然と構える妻ノラが控えているのがこの夫婦らしいところ。

怪しげな中華レストランにて、オーナーをおちょくるニック

留守中に愛犬アスタの連れ合いに子犬が産まれており、よその犬が夜這いに通っていたなどのエピソード。
自宅に帰ってくるなり、知らない人達が自宅でパーテイしているところに出くして台所に対比するニックとノラ。

事件の舞台になる怪しげな中華レストラン・ライチの怪しげなオーナーと蓮っ葉な歌姫のショー。
若き日のジェームス・スチュアートはすでにスターで、クレジットは主役二人に次ぐ三番目、重要なわき役を務める

愛犬アスタが先頭になって事件解決!

あらゆるユーモアと欲望渦巻く世の中を、常にアルコールを求めながらすいすいと泳いでゆくニック探偵。
妻ノラとの仲は常によく、ふいに顔が近づけばニックがノラにキス、好奇心旺盛なノラが事件解決の邪魔になれば叫ぶ妻を閉じ込め鍵をかけるニック(いつの間にか出てきて事件解決に協力しているのがノラのノラたる所以)。

1936年という戦前の微妙な時期にこういったある意味ノー天気な作品を作る所はアメリカの「大国」たるゆえんか。アメリカ風の雰囲気に疑いを持たずに自信たっぷりに描いている。

監督のヴァンダイクは、探偵映画でもスリラーでもなく、健全でちょっと色っぽくかわいい夫婦の機微の描写に重点を置いていてそれがこのシリーズの成功の要因。
良くも悪くも古き良きアメリカの時代がここにある。
主演二人にとっては代表作ともいえる適役ぶり。

DVD版の解説より