渋谷シネマヴェーラの『マックス・オフュルス特集』より「歴史は女で作られる」



「歴史は女で作られる」  1956年  マックス・オフュルス監督  仏・西独合作 シネマヴェーラ・デジタル上映


マックス・オフュルス

映画監督マックス・オフュルスは、1902年ドイツ生まれのユダヤ人。

同じく戦前のドイツ帝国もしくはオーストリア=ハンガリー帝国(あるいは周辺国)出身のユダヤ人映画監督には、大御所のフリッツ・ラングのほか、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、マイケル・カーテイス、アナトール・リトヴァク、ロバート・シオドマーク、ビリー・ワイルダー、ダグラス・サーク、フレッド・ジンネマン、オットー・プレミンジャーらがおり、いずれもハリウッドで一家を成した名監督である。
戦前のドイツやオーストリアなどでキャリアをスタートさせ、戦時中にアメリカに亡命した経歴も共通している。
彼らの成功の背景にはその豊かな才能はもちろん、不屈の執念と自己演出力があった。

「魅せられて」(49年)演出中のオフュルス(右)

オフュルスは、戦前のドイツやフランスで数々の作品を監督したあと、ハリウッドに移り、「忘れじの面影」(48年)で成功した。
その後ヨーロッパに戻り、フランスを根拠として「輪舞」(50年)、「快楽」(52年)、「たそがれの女心」(53年)を発表、オフュルス映画の頂点を示した。
「歴史は女で作られる」は初のカラー作品にして遺作でもある。

今回のシネマヴェーラのオフュルス特集には敬意を表したい。
戦前の作品から遺作までを網羅しており、こうした機会は日本ではおそらく初めてである。
未輸入だったり、日本での版権がとうに消失した作品でも、著作権が切れた70年以上前の作品については積極的に取りあげ映画ファンに鑑賞の機会を設けているシネマヴェーラの功績は大きい。
古典映画のデジタル素材に自前で字幕を付けるラボを設置しているシネマヴェーラの、面目躍如だ。

シネマヴェーラの特集パンフより

未見だった「歴史は女で作られる」を見ることのできたこの機会に合わせ、オフュルス映画の代表作を振り返ってみたい。

アメリカ、フランス時代のオフュルス

「忘れじの面影」。ルイ・ジュールダンと

オフュルスのハリウッド時代の代表作「忘れじの面影」は忘れられない映画の一つである。

少女時代から人生を閉じるまでを演じるジョーン・フォンテイーンの懸命な演技と魅力が作品の基調をなしている。この主人公が甲斐性のない初恋の相手に一途な愛をささげて一生を暮らす。
最後まで気持ちが交わらない二人の関係性が”非予定調和”でもあり不条理でもあるが、映画はこの関係性に解釈を加えずに進む。

報われない愛をささげ続ける主人公と、だらしない女たらしのピアニストで、その場その場で気まぐれにふるまうだけの男(ルイ・ジュールダン)の、たまさかの邂逅と別れに、却って真実の男女の関係、あるいは人生そのものが映し出される。
そういった”不幸な結末”を最初から漂わせる人間関係を、オフュルスはメロドラマを基調としつつ最大限の映画的効果を駆使して演出する。
雪の街角での二人の再会シーンの静寂の中のときめく心。
閉園間近な遊園地でのデートし、遊具に二人で乗り『世界旅行』(背景の書割を係員が人力で取り替えるだけの仕掛け)を何度も繰り返すシーンの幸福感。
観客である自分が経験したわけでもないのに既視感に溢れてたまらなく懐かしく感じる場面が続く。

オフュルス演出の真骨頂である『縦の構図』に基づき画面に置いた階段を主人公たちが登り、降りる。
停車場に駆け付ける主人公の感情を映すように、切々と走る彼女を延々とカメラが追う移動撮影。
こういったシーンを目にしたときの観客の高揚感。
”映画的記憶”に満ち満ちた観客体験としかいいようがない。

オーストリア出身のユダヤ人シュテファン・ツヴァイクの原作を、同じくドイツ出身のユダヤ人オフュルスが演出。
主人公が一生をかけて恋する、だらしないだけに見えるピアニストの描き方にも、オーストリアの歴史・文化に象徴される旧文化の没落とデカダンが象徴されているようにも見え、いずれにせよオフルスが監督に選ばれたことの必然を感じざるを得ない。

「忘れじの面影」。遊園地の場面

1950年、オフュルスがハリウッドを去りフランスに戻ってからの「快楽」。

3話からなるオムニバスの第1話は、老いてなお舞踏会での恍惚が忘れられない老境の主人公。
仮面をかぶって老境が侵入するその舞踏会が描かれる。

オフュルスのカメラは、馬車で屋敷に詰めかける貴婦人たちを追って門前の賑わいをひとなめした後、窓を越えて貴婦人たちが舞うホールのただなかにワンショットで侵入し、絢爛豪華な渦の中に、踊り手たちの歓喜に共感するようにさ迷い続ける。
ヨーロッパの旧文化の芳醇だった残滓に酔い続けるが如く。

第2話はモーパッサン原作の「テリエ館」。
カメラは、旅行に来た娼婦たちが歌いながら田園風景の中ではしゃぐ姿をテーマ音楽と相乗効果を上げるように延々と緑の中を移動し続ける。
娼婦役のダニエル・ダリューも、農夫役のジャン・ギャバンも風景の一つの如く自然で等身大に描かれている。
娼館の女主人マドレーヌ・ルノーが、田園風景の中で楽しそうに歌う場面が忘れられない。

演技派マドレーヌ・ルノーの「快楽」第2話での演技も忘れられない

戦前のドイツ映画、オーストリア映画には、音楽映画というジャンルがあり、「会議は踊る」(31年 エリック・シャレル監督)などの名作があった。
皇太子とヒロインが馬車に乗り、田舎の別宅に向かう場面がある。
馬車は彼らを乗せて丘を越え橋を渡る、川では洗濯する娘らが手を振って馬車を見送る。
テーマ音楽が流れるなか、延々とワンショットで道行く馬車を捉える。

同じく「会議は踊る」での、大掛かりな宮殿のセットでの舞踏会。
数十名の貴族の衣装をまとった俳優たちによる舞踏会の、その豪華さ、あでやかさ、また、儚さ。
とうに失われた、戦前の貴族の世界が感傷に彩られ華々しく再現される。

オフュルスの特にフランスに戻ってからの作品、「快楽」の第1話と「たそがれの女心」には、「会議は踊る」に代表される戦前のオーストリア映画の記憶がくっきりと刻印されている。
オーストリアの歴史とドイツ・オーストリア映画への憧憬と、それを再現することへの執念がオフュルス映画からは感じられる。

「歴史は女で作られる」

以上のようなオフュルス体験を経て見たのが今回の特集で見た「歴史は女で作られる」。

シネマヴェーラの特集パンフ表紙

マリア・モンテスという19世紀に実在した踊り子にして高級娼婦の一代を題材にしたこの作品は、サーカスの客寄せとして晩年(まだ若いが)を迎えた主人公がサーカスでの”見世物”となっている場面から始まる。

上級民の末席に連なる出身で、美貌を武器に、音楽家や皇帝の愛人として表部隊を渡り歩いてきたマリアにとって、残酷極まりないその人生の最終章から映画は始まる。
オフュルスにとって、残酷極まりない人生の真実は、「快楽」第1話、第3話などを見てもわかる通り彼の作品のテーマでもあるのだが、「歴史は女で作られる」はその色彩が濃く、全編に隠しようもなくにじみ出ている

マルチーヌ・キャロル

ヒロイン役のマルチーヌ・キャロルは「浮気なカロリーヌ」(51年 ジャン・ドヴェーヴェル監督)、「女優ナナ」(55年 クリスチャン・ジャック監督)などでセックスシンボルとして売り出された女優。
「歴史は女で作られる」では、少女時代から晩年のサーカス時代までほぼ同じメイクで登場する。

少女時代をそのまま演じさせることは、オフュルス作品では「忘れじの面影」でのジョーン・フォンテイーンの場合と同じだが、スカートを翻しながら階段を走って登る少女の動きを懸命に再現しようとしたフォンテイーンに比べ、大人と同じメイクのまま少女服に身を包んで登場したマルチーヌ・キャロルと、それを隠すことなく捉えるカメラ。
これはオフュルスの、この作品での”残酷”な演出の一つなのか?

もっともジョーン・フォンテイーンが自らのプロダクションを立ち上げての第一作「忘れじの面影」では彼女が自らをメロドラマのヒロインとして演技したのは必然で、オフュルスの”残酷な真実味”は抑えられていたのだが、他のオフュルス作品においては、女優たちは抑えた演技を求められており、”残酷な人生の真実味”が否応なく表面に現れてくる。
それは「快楽」第二話のダニエル・ダリュー、第三話のシモーヌ・シモン、「輪舞」のシモーヌ・シニョレの扱いに顕著である。

オフュルスが押さえた演技を求めている点では「歴史は女で作られる」のマルチーヌ・キャロルでも同様だが、一方で、彼女の体と顔からあふれだす成熟した色気と気概が、カラー画面と相まって作品のテーマに一方でマッチしている。

ダニエル・ダリューは「快楽」、「たそがれの女心」に出演した

豪華で金のかかった映画で、サーカステントにせよ、各挿話のセットにせよ、出演者の時代的衣装にせよ、見ごたえがあるのだ、十分に効果が上がっているとは思われないのはどうしてか。

カラーによって映画の”底が”見えてしまったのか?
作品の根底にある残酷な暗さに豪華なセットや衣装が引きずられてしまったからか?
歴史ロマンの映画化が時代的にズレてきたからか?

サーカステントのセットの奥深さの表現と斬新なカメラワークはさすがだったが。

シネマヴェーラの特集パンフより

この作品については、興業収入が製作費を回収するに至らず、製作者によって再編集されたとのこと。
オフュルスにとって、また彼のファンにとっては不本意な事態であろう、が、たとえ再編集されたとはいえその素材はオフュルスがその演出によって撮影されたものであり、本質的なところは変わりようがないのも事実である。

その意味ではこの作品は、「会議は踊る」などの戦前のドイツ・オーストリア映画への単純なオマージュでもなく、また女優のプロダクションに呼ばれて作ったノスタルジックなメロドラマ(「忘れじの面影」)でもなく(そういった仕事でも見事な職人芸を披露するのではあるが)、”暗く残酷な人生の真実の追求”が狙いであり、オフュルスの本質が現れた作品だと思われる。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち④ 岡田茉莉子

岡田茉莉子

岡田茉莉子、1933年東京生まれ。
サイレント時代の美男スター岡田時彦と宝塚の男役スターの間に生まれる。
時彦の死後、母子家庭で育つ。
戦時中は新潟に疎開し女学校を卒業。
母方の叔父が東宝の文芸部におり、その紹介で51年、東宝にニューフェース扱いで入社する。

岡田茉莉子にも自伝がある。
「女優 岡田茉莉子」(2009年 文芸春秋社刊)。
出版社といい、ページ数といい一流だ。
聞き書きや新聞連載の再録ではなく、本人の書き下ろしだ。

自伝「女優 岡田茉莉子」文庫版表紙

本ブログ・ラピュタ阿佐ヶ谷の『松竹女性映画珠玉選より①高千穂ひづる』、『同②有馬稲子』で紹介した、高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦」や有馬稲子の「バラと痛恨の日々」「のど元過ぎれば」と、この「女優 岡田茉莉子」を読み比べると、ほぼ同年の3人の女優さんの個性の違いが浮き上がる。

東宝の新人女優らと。左から有馬稲子、杉良子、青山京子

高千穂さんは、両親が揃った円満なご家庭の出身。
宝塚からの映画入りと女優の王道を歩んできたくらいだから、凡人の数倍の自己顕示欲とスター性があるのだが、あとの二人に比べると自我の強さ、自己顕示欲の強さがかすんでしまう。
自伝には、宝塚時代、映画時代で知り合った俳優・女優がまんべんなく紹介されており、高千穂さんの常識的で人格円満な性格がうかがえる。
様々な監督、スタッフ、俳優らへの辛口のエピソードもあるが、あくまで常識的な範囲である。

有馬稲子は、少女漫画の主人公のような波乱万丈の生い立ちと、実父との良好ではない関係からも見える通り、出発点から凡人とは異なる星のもとに生まれている。
宝塚も映画女優もそれが目的ではなくて、彼女の人生で強烈に希求し続ける”何か”に到達するための手段である。
惹かれる相手は超一流の文化人か、才気あふれる映画監督。
場合によっては不倫も辞さない。
彼女の自伝から読みとれるキーワードは、『母親』『不倫相手(市川崑監督)』『岸恵子』そして舞台公演で全国を回った『はなれ瞽女おりん』ということになろうか。

一方、岡田茉莉子の自伝で頻発される名前は『岡田時彦』『小津安二郎』『吉田喜重』。
高千穂、有馬と比べると一番表舞台向きではない性格なのだが、内面では自己顕示欲がめらめらと燃えている。
大スターであった父・時彦の名が間断なく自伝に出てくるし、映画界に入れば、文豪谷崎潤一郎から芸名をもらう。
巨匠小津安二郎がサイレント時代に父時彦と数本の映画で組んでいたことから、巨匠には現場で”お嬢さん”と呼ばれる。
岡田茉莉子こそ、全盛期の日本映画界に必然として舞い降りた、生まれるべくして生まれたスターだったとしかいいようがない。


東宝に入ってからは会社の売り出しで人気が出るが、現代的なアプレ娘や芸者の役ばかりに不満が募る。
松竹に移って、渋谷実、中村登、などの名匠に登用され、最終的には小津組の”一番バッター”として可愛がられ、映画女優としての頂点を迎える。
その頃に出会ったのが結婚相手となる吉田喜重監督。
出演100本記念作品として、岡田自らのプロデユースで製作された「秋津温泉」(62年 吉田喜重監督)以降の映画人生は、吉田との二人三脚というか文化人・吉田の国際的な活動を追うようにして進められる。

デヴュー作「舞姫」(51年)。成瀬巳喜男監督、高峰三枝子と

吉田との独立プロ・現代映画社での諸作品、とくに「エロス+虐殺」(70年 吉田喜重監督)以降の、フランスなど海外でのグローバルな展開、夫・吉田のオペラ演出などについての記述が自伝の後半を占める。
間隙を埋めるのは、映画衰退後の自身の活動としての舞台公演の模様。
岡田はその後も舞台女優として、商業演劇のトップに立ち続けていたのだ。

自伝中には、映画で共演した高峰秀子、森雅之らの演技について、”役を演じるのではなくて高峰さんご自身を演じて居る”と分析している。
撮影現場で実感した真実であり、岡田茉莉子の慧眼でもある。

松竹ヌーベルバーグと称された3人の若手監督、大島渚が小山明子と結婚し、篠田正浩は岩下志麻をめとった。
吉田喜重が岡田茉莉子を射止めたのだが、結婚後、夫君の独立プロを共同経営者として支えたのは岡田であった。
小山は内助の功として、岩下はトップ女優としての道を進み、それぞれ添い遂げるなかで。

「山鳩」(57年 丸山誠治監督)

筆者にとっての”岡田茉莉子体験”は、松竹時代の「集金旅行」(57年 中村登監督)、「モダン道中 その恋待ったなし」(58年 野村芳太郎監督)での洋装の似合う、日本人離れしたモデルのような美人。
「秋日和」(60年 小津安二郎監督)で、おじさま方相手にやりこめる気の強い寿司屋の娘。
そして「秋津温泉」での、時代と心中したような、象徴としての昭和の女性像。
東宝時代の「浮雲」(55年 成瀬巳喜男監督)で、森雅之に横恋慕した挙句、扉をピシャッと締める伊香保の田舎芸者の元気の良さにもびっくりしたが。

「浮雲」(55年)。森雅之と

ある年の『小津安二郎記念・蓼科高原映画祭』のゲストに登壇した岡田茉莉子本人のトークを、茅野の新星劇場で見たことがある。
既に高齢となり動作や口調にぎこちなさが現れていたが、前年(だったか)の同映画祭のゲスト司葉子のトークが亡くなった原節子とのエピソードに終始していたのに対し(司葉子なりの時流に配慮したファンサービスだったのだが)、老いた中にも毅然とした態度の岡田茉莉子が印象的だった。

「秋日和」でのチャキチャキとした演技のことも、小津監督や周りのオジさん俳優たちとの現場でのやり取りも含めて、分析的に話していた印象がある。
高齢になっても華やかさを失わない司葉子に比して、底光りするオーラを有しながらも、”華やさ”はすでに超越したかのような其のたたずまいであった。
映画全盛期の現場が作り上げた映画女優の”生きたキャリア”と、吉田喜重とともに歩んだ文化的な経験の数々がそこにはあった。

思い出深い「秋津温泉」。オリジナルポスター



「悪女の季節」  1958年  渋谷実監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

松竹の大御所監督の一人、渋谷実初のカラー作品。
菊島隆三のオリジナル脚本。
山田五十鈴、東野英二郎、伊藤竜之介、杉浦直樹(松竹入社第1回)、九条映子(のちの寺山修司夫人)らの出演。
軽井沢・浅間山ロケ。

オリジナルポスター

巨匠初のカラー作品で名優・山田五十)と今を時めく美人女優・岡田茉莉子の共演となれば番線番組であっても尺はタップリ使えるのか。
100分余りの上映時間は長かった。

前半の山田五十鈴の腹に一物ある後妻(籍は入っていない?)が実業家の因業ジジイ(東野英次郎)を殺害しようと、間男(伊藤雄之助)と共謀してあれこれする時間がまず長い。
熟女とはいえ、まだまだ入浴シーンも悩ましい五十鈴姐さんの色気があって退屈はしなかったものの。
ジジイ宅のばあや(三好英子)の存在がたまらなくオカシく、絶妙のアクセントだったりしたが。

後半は五十鈴姐さんの娘で、今風に言えば不思議ちゃん的なキャラの岡田茉莉子が中心となる。
この時期の岡田さんは、「集金旅行」、「モダン道中 その恋待ったなし」など、登場するだけでフィルム越しに強烈なビームを発射するほどの美人女優で、カラフルなファッションが似合う人だった。

プレスシート

岡田茉莉子は珍しく、ベッドで生足を大胆に披露。
松竹入社第一作の杉浦直樹とのキスシーンやダンスシーンもある。
何より、自らの悩まし気な仕草をパロデイ化するような演技を見せたりして芸の幅広さを披露する。
この人って、中村登監督作品でのはかなげなヒロインや、小津作品でのちゃきちゃき・ハキハキの現代っ子ばかりではなかったんだ。

岡田と杉浦がメインとなる後半では、軽井沢の山道(車道は細い砂利道だった)でオートバイの集団が事故死したカップルをハレルヤで葬送していたり、砂利道を次々と自転車が走り抜けたりと不可解な場面が続く。
オートバイ集団の若者(岡田と杉浦もその仲間らしいが)は、山小舎に着くと雨の中をカップルで踊り狂ったりする。
巨匠渋谷監督の目に移った若者像なのか批判的パロデイなのか。

一癖もふた癖もある母親とその娘が、因業ジジイと財産を巡って騙し合うが、双方ともに思うようにはならない。
ラストは浅間山の噴火口にまで、気球に括り付けられた宝石箱を巡って全員が火口に転げ落ちてゆく。
最後まで生き残ったのはジジイ宅の婆やだけだった。
メデタシ。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

自伝でこの作品について岡田茉莉子は、『そうした嘘の演技を二人(山田五十鈴と)で楽しみながら演じることができたのも、渋谷さんの演出力のおかげなのだろう』(文庫版自伝 P159)と述べている

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち③ 嵯峨三智子

嵯峨三智子

1935年、女優山田五十鈴の一人娘として誕生。
山田の離婚後、父親に引き取られるが死別し、父方の祖父母に育てられる。

52年、東映に入社し時代劇のお姫様役として売り出す。
56年、松竹移籍、妖艶な色気と演技力で本領を発揮し人気を得た。

嵯峨三智子

私生活では岡田真澄との婚約と婚約破棄、金銭トラブルや薬物中毒、芸能界復帰と失踪などを何度も繰り返した。
ガス自殺した松竹時代劇のホープ・森美樹との実らぬロマンスなどもあった。

92年、滞在先のバンコクでクモ膜下出血のため死亡、57歳だった。

市川雷蔵と

代表作は「こつまなんきん」のほか、「裸体」(62年 成沢昌成監督)、「恋や恋なすな恋」(62年 内田吐夢監督)。
松竹移籍後の主演諸作のほか、大映の名物シリーズ「悪名」、「眠狂四郎」、「若親分」、「兵隊やくざ」などにもゲスト出演している。

実母・山田五十鈴と



「こつまなんきん」 1962年 酒井辰雄監督 松竹京都 ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立映画アーカイブ所蔵作品)

嵯峨三智子が時代劇のお姫様役から脱皮し、「裸体」で生々しい汚れ役に挑んだ時期(製作年度は「こつまなんきん」が先)の作品。
若さに加え、持って生まれたと美貌と色気が画面から横溢している。

同時期には、内田吐夢監督が歌舞伎とアニメを劇中に取り入れた意欲作「恋や恋なすな恋」でもキツネの化身の姫を演じ、ただならぬ妖艶さで、作品の伝奇性に貢献していたことが思い出される。

オリジナルポスター

本作は今東光原作の『河内もの』の映画化。
大映の「悪名」シリーズや日活の「河内ぞろ・どけち虫」(64年 舛田利雄監督)、「河内カルメン」(66年 鈴木清順監督)などの系列に属する。

大坂南部の河内に生まれた名もない娘が器量だけを武器に、男社会を生き抜こうとするが、所詮は無学の女。
最後は男に利用され、捨てられる。
が、この主人公の凄いところは、『失敗したかて、うちはこれで生きるしかおまへんのや』と、己の器量でのみ勝負し続けてゆくところ。
例えそれがインチキ教祖を演じたり、街角の易者に身をやつしたり、場末の演芸場で漫才をやることであっても。

前記の「裸体」の主人公が、千葉の漁村を舞台に周辺の男を渡り歩いて世の中に伍してゆく雑草のような女だったとしたら、本作の主人公は、より『社会的』であり、頭と芸を使って社会と伍してゆこうとするより高度な存在である。
その分「裸体」でのなまなましい生命力の表現は見られないが。

本作でのインチキ教祖に扮した際のすさまじいまでの、妖艶、凄絶は、嵯峨三智子の美の頂点として邦画史上に刻印された。
安井昌司ならずとも、薄物一枚で滝行する嵯峨にふるいつきたくもなろうものだ。
教祖時代のシークエンスの酒井監督のおどろおどろしい演出も浮世離れしていて、いい。

ただしこの作品、絡む男が、株屋(曽我廼家明蝶:好演)、実業家(河津清三郎)と、後になるにつれて、卑近な現実めいた展開となり、嵯峨の魅力表現も薄まってくるのが残念。
スケベジジイたちと嵯峨の俗っぽさの限りを尽くした絡みには何とも味があるのだが、この作品では教祖姿の嵯峨がよすぎてほかのエピソードがかすむ。

結局、俗っぽい強欲ジジイたちは嵯峨の毒気に当てられて自滅してゆき、かつて嵯峨をもてあそんだアチャコと寛美のほのぼの親子は改心して辛うじて命をつないだり、つつましい幸せを手に入れる。

嵯峨はひたすら己の修羅の道を行く。
あとにジジイたちの死骸を累々と残しながら。

プレスシート

東映時代劇のお姫様女優から脱皮し、松竹で現代劇と出会った60年代前半の嵯峨の稀有な存在感を堪能できる作品。大女優山田五十鈴の一人娘ながら母親とは別の人生を歩むという数奇さと、天性の美貌と妖艶さが醸し出す破滅的な美がシンクロして日本映画史上、おそらく唯一無二の妖しさを漂わせた嵯峨三智子の全盛期がカラー画面一杯に繰り広げられることの眼福。

66年の日活「新遊侠伝」(斎藤武市監督)では、小林旭と高橋英樹を子分に従えた姐さんを貫禄たっぷりに演じて居たが、整形のし過ぎからか、唇が腫れてしまってかつての整った美しさが失われていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち② 有馬稲子

有馬稲子

ここに女優・有馬稲子の2冊の自叙伝がある。
「バラと痛恨の日々 有馬稲子自伝」(1995年 中央公論社刊)と、「のど元過ぎれば 有馬稲子」(2012年 日本経済新聞社刊)である。
前者は本人の書き下ろし、後者は日本経済新聞の有名人コラム「私の履歴書・有馬稲子」をもとにしたものである。

「バラと痛恨の日々」表紙
同・目次

有馬稲子は1932年大坂生まれ。
戦前の朝鮮釜山で叔父夫婦と暮らし、戦後、密航船で引揚げ、実父の元で暮らす。
女学校を経て宝塚入団、娘役で活躍。
54年宝塚を退団して東宝と専属契約を結び映画女優として歩み始める。

自伝には宝塚入団まで、戦前戦後の混乱した生活の様子がうかがえる。
叔父夫婦に預けられての外地生活からの決死の引揚。
実父からのいじめともいえる境遇と、もと宝塚ガールの実母との暮らし。
『将来へのどんな夢も抱かずにいた。』(バラと痛恨の日々」P24)女学校卒業時点の心境だったが、導かれるように自らも宝塚へ進むことになる。

自伝には、少女漫画もハダシで逃げ出すような筋書きがドラマチックに綴られる。
自らを演じることが女優としての性だといわんばかりの筆致であり、まさにこれが有馬稲子の真骨頂である。
逆境を受け入れつつ果敢に立ち向かい、太陽のような輝きを振りまきながらスターの道を歩む。
周りの人に何と思われようと、選ばれた人間だけが進むことを許される道が彼女の人生だ。

俳優プロダクション・にんじんくらぶの仲間。岸恵子(左)、久我美子(右)と

自伝に登場する人物は、映画女優時代に『にんじんくらぶ』という俳優プロダクションを組んだ岸恵子だったり、川端康成、大江健三郎などの有名人ばかり。
最初の結婚相手は国民的人気を誇った中村錦之助で、彼女の上昇志向、一流好みが鮮烈だ。

痛恨の出来事として、妻子ある映画監督との不倫と堕胎に触れているが、ここまでの自虐的暴露は女性有名人の自伝には珍しい。
あざとさと上昇志向ばかりではない、彼女の男性っぽい生きざまがうかがえる。(この映画監督は市川崑)。

宝塚の1期先輩で、その後も馴染みがあった高千穂ひづるの自伝(「胡蝶奮戦」)には有馬稲子が何度も登場するのに対し、有馬稲子の自伝に高千穂の名前は一度も出てこない。
自分の上昇志向にマッチしない人物は、自伝に登場する価値なし!というところも彼女らしい。

「東京暮色」のセットで。小津安二郎の指導を受ける

番匠義彰監督の「抱かれた花嫁」(57年) 、「空駆ける花嫁」(59年)を見ると、輝くばかりに美しく、はつらつとして、周りのだれにも明るく世話を焼く、下町のしっかり娘を演じる有馬稲子を見ることができる。
「白い魔魚」(56年 中村登監督)では、女子大生がピンチの家業の経営を救う、という『社会化』した彼女の姿を見ることができる。
「東京暮色」(57年 小津安二郎監督)では暗くすねた演技も見られ、「彼岸花」(58年 小津安二郎監督)ではオールスター女優出演の中で、美しさでは決して引けを取らぬ、結婚間近の娘の姿を見せる。

映画ファンにとって有馬稲子の姿をスクリーンで見られるそのことは、これ以上ない幸福な瞬間の一つでもあるのだ。

「のど元過ぎれば」表紙



「女のあしあと」  1956年  渋谷実監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ(国立アーカイブ所蔵作品)  

国立アーカイブ所蔵プリントでの上映。
ということは、貸出用のプリントが松竹にはないということだ、巨匠といわれる渋谷実の作品なのに。

ともかく上映が始まる。
暗い画面が続く。
明るさは窓やカーテンを通して縞状に登場人物にかかる。
まるでスリラーかフィルムノワールのような画調。
おまけに主人公の有馬稲子はほとんどのセリフをつぶやくようにしゃべり、彼女の看板シリーズ「抱かれた花嫁」(57年 番匠義彰監督)などでの明るく朗々たる声量が封印されている。

といってもこの作品は、スリラーではない。
市井の庶民たちの個人的な感情を描くホームドラマである。
ブラックユーモアと辛辣な客観的視点を加味した・・・。

プレスシートより

住宅地に住む家族(佐田啓二、杉村春子、石浜朗)のもとに信州から見知らぬ娘(有馬稲子)が訪ねてくる。
佐田の転勤案内はがきの切れ端をもって。
さあ、憤った戦後派サラリーマンの佐田は自分を騙り、田舎娘をだました犯人を探し始める。
弟の石浜は娘が不憫で家に連れてくる、母親の杉村は迎え入れる。
佐田は嫌がる。

娘には信州時代の幼馴染(淡路恵子)がいて、デザイナーを目指すと上京したが、勤め先の王子のおもちゃ工場を脱走して、三国人の妾(2号ではなく3号)をしており、屈託なく娘に会い、相談に乗る(3号生活を勧める)。

娘は佐田の一家に感謝しつつも、自分の心情を明かそうとはしない。
彼女は信州で、佐田を騙り、自分をだまして捨てた男が忘れられないのだった。

プレスシート

捨てた男は佐田の友人の大木実。時代の被害者でもある大木はしっかり者の姉と二人暮らし。
姉の前では甘えるだけの大木だが、夜の酒場には情婦(小林トシ子)がいるし、出張先の信州で無垢な娘を犯すなどやることはやっている。
過保護な姉と甘える弟。
いい大人の二人の関係がキモチワルイ。

半面、常識的な小市民たる佐田一家の人物描写のワンパターンぶりも徹底している。
佐田と石浜はもともとワンパターン演技だからいいとして、杉村春子にまで余計な個性や達者ぶりを出すことを許さず、学芸会的な演技をさせる澁谷監督とはいったい?そしてその狙いは?

有馬は思い続けた大木とも再会し、この間好意を寄せることになった佐田のことは一顧だにしない。
が、ラストで交通事故に遭い、泣き言を言いつつ、謝って死んでいった大木に対し、一挙に醒める。
女は自分をだました男は許すが、自分に泣きついた男は決して許さないのだ。

かつて自分の体と心を奪い去った男に醒め、親切に言い寄る男には一瞥もくれず、背を向けて都会の寒風に中を去ってゆく信州出身の田舎娘。
彼女の近い将来が決して一般常識的価値観に則ったものにはならないだろうことは容易に想像がつく。

以上の通り、小娘の心をかすめもしなかった都会の常識的な小市民一家との物語がブラックにクールに語られるのであった。

一方で、現実の世界を割り切って泳ぐ若い女たち(淡路恵子、小林トシ子)が生き生きと描写されている。
彼女らはワンパターンな演技も強制されず、ボソボソとしゃべることもなく、ハキハキ堂々としていて好ましい。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

澁谷監督のイジワル風な演出には惑わされるが、信州の山の旅館のエピソードの時に、旅館内を表現するのに必ず、昔風の木の浴槽に溢れる効きそうな温泉を手前に配しているのが可笑しかった。
そうしないと『信州の山奥の温泉旅館』という『記号』が表現できなかったんだろうが、ストーリーや人物描写のほかに画面の構図にあってもワンパターンが好きな監督なのだろうなあと思ったものでした。

有馬稲子については、「東京暮色」とともに抑えた演技で暗い女性を演じた作品。
その明るい個性をあえて発揮しない貴重な作品といえるのでは。
彼女らしさを楽しむのなら「花嫁シリーズ」や「白い魔魚」がいいと思いますが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフ表紙

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映 番外編 木下恵介の「永遠の人」



「永遠の人」  1961年  木下恵介監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

阿蘇の麓の農村を舞台に、日中戦争がはじまった昭和7年(1932年)から戦中、戦後、昭和35年(1960年)までを5つの章に分けて描いたドラマ。

登場人物は庄屋の跡取り・仲代達矢、庄屋の作男の娘・高峰秀子を中心に、高峰と相思相愛の小作人の息子・佐田啓二、その妻になる・乙羽信子、仲代に高峰が犯された時に身ごもった長男・田村正和らが、2世代3世代にわたってお互いの確執、愛情、憎悪、そして許しを描く人間大河ドラマ。
すべてを見守る阿蘇の雄大な自然が舞台設定。

オリジナルポスター

上海事変から足に戦傷を負って庄屋の息子・仲代が帰ってきた。
馬車で凱旋し、盛大な歓迎会が繰り広げられる。
そこで下働きをする小作人の娘・高峰を見染める仲代。
娘は出征中の佐田と恋仲だったことを知りつつ仲代は高峰を襲う。
ひねくれた性格の仲代には、少年時代から優秀だった佐田への嫉妬もあった。
犯された後、身投げしようとして佐田の兄に滝つぼから救出される高峰。

無事帰ってきた佐田が真っ先に高峰のもとに向かい、事情を知る。
内心軽蔑していた仲代に恋人が犯されたわけだが相手は庄屋の息子。
ならばと駆け落ちしようと高峰を誘うが、約束の場所に佐田は現れず、一人で出奔する。
高峰は乞われて庄屋に嫁ぎ仲代と夫婦となる。

夫婦には長男の田村正和のほかに弟と妹ができ、不自由なく生活している。
長男に何かと冷たく当たる高峰と、長男を可愛がる仲代といういびつな家族関係が家庭に影を落とす。
夫婦の不仲と長男の不遇を見て育つ弟と妹。
学校で問題行動を起こしてばかりの長男だったが、高校になり自分の出生の秘密を知る。
人生に絶望した長男は阿蘇の火口に身を投げる。

村に戻った佐田は妻・乙羽信子と暮らしてるが、佐田は妻に心を開こうとはしない。
庄屋に手伝いで通い始めた乙羽は、夫の心が高峰にあると嫉妬する。
高峰の心も佐田にあると思っている仲代は、突然、乙羽に迫るが高峰に気づかれ「けだもの」とののしられる。
乙羽は追い出される。

プレスシート

時がたち、高峰の娘が佐田の息子(石浜朗)と駆け落ちする。
駆け落ちを独断で黙認した高峰。
激怒する仲代。
既に次男は東京での学生運動で逮捕状が出ている。
唯一の希望であった娘の出奔で、仲代と高峰の仲は決定的な崩壊を迎えるが、高峰はこの期に及んでも仲代を決して許さず、仲代も自分を許さない妻へのゆがんだ征服欲を解こうとしない。
田圃の中に建つかやぶき屋根の大きな屋敷とそれを見守る阿蘇の自然が変わらないように。

追われる身となった次男が阿蘇にバスでやって来る。
逃亡資金を渡し乍ら高峰が会いにゆく。
次男は「昔、村に一揆があった時に、うちの先祖は一揆衆を裏切っり、虐殺された大勢の死体を埋めた場所に住んできた」と庄屋の一族の業を説く。
また「お母さんがお父さんを許さない限り、僕もお母さんを許しませんからね」と言って去る。

駆け落ちした娘らが赤ん坊を連れて、死の床に就いている佐田に会いに来た。
高峰も駆け付ける。
佐田が仲代に謝りたいというのを聞いて高峰は田んぼの中を仲代のもとに駆け付ける。
彼女は生まれて初めて仲代に謝り、佐田の元へ同行してほしいと頼むが、仲代はかたくなに心を開こうとはしない。
「もういい」と一人で飛び出す高峰に仲代の声がかかる、二人で田んぼの中を佐田の元へ急ぐ姿にエンドマークがかかる。

プレスシート

ラストこそハッピーエンドに近いが、それまでは人間同士の不寛容と憎悪に塗りこめられたような筋立て。
そこにフラメンコギターで熊本弁の歌詞をフィーチャーした木下忠司(恵介監督の甥)の音楽がかぶさる。
異化効果を狙ったのか、人間の心理をドキュメンタルに描くことだけを第一義としない木下映画のカラーなのか。

人間同士の不寛容と憎悪を、仲代と高峰の夫婦関係に限定せず、それこそ歴史上の業から、子供たちへの影響が輪廻となって一族に繰り返されるまで、時間軸、空間軸を広げて描く、木下脚本の筆力は本作でも本領を発揮。

高峰は単なる弱者、被害者ではなく、金持ちの庄屋の奥様として居座る姿にいびつな復讐心と功利的な心理が現れている。
映画の途中から、何十年も心を開こうとしない妻を持つ仲代が可哀そうに見えてくるほどだ。

かつて駆け落ちをしようとして土壇場で逃げる佐田についても単なる被害者ではない弱さが付加されている。
彼も満たされぬ自分の思いを妻の乙羽にぶつけ彼女を傷つける弱い男なのだ。
ただ佐田は死の床で、孫の訪問を受け入れ、高峰に感謝し、仲代にわびようとする。
主な登場人物で初めて自分から心を解放したのが死の床の佐田ではあった。

映画は全く幸せそうな若夫婦(石浜朗ら)を描写し、一族とその人間関係からの解放を謳っている。
後には、老境に差し掛かり、人生の残滓を迎えている戦前世代の直接融和と心の解放が課題として残されるが、それについてもハッピーエンドを示して終わる。

木下恵介としては畢竟の実験的大作「笛吹川」が期待ほどヒットせず、9か月のブランクを経て制作したのが本作。
本作は幸いヒットして面目を保ったようだ。
残酷なほどの冷徹で執拗な視点、実験的で斬新な手法(フラメンコの使用など)は木下映画そのものだった。

特集パンフの作品解説より

ラピュタ阿佐ヶ谷の「松竹女性映画珠玉編」の1本として上映された本作でした。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 松竹映画のヒロインたち①高千穂ひづる

高千穂ひづる

手許に高千穂ひづるの「胡蝶奮戦・スター達と過ごした日々」という自伝がある。

1931年(昭和5年)兵庫県生まれ。
実父は巨人軍からパリーグ審判部長を経て野球殿堂入りした二出川延明。
宝塚娘役時代の同期に寿美花代、1期後に有馬稲子。

1954年宝塚を退団し松竹入社。
主に京都撮影所で時代劇に出演。
翌年東映に移籍するがここでも時代劇娘役が多かった。
東千代之介、中村錦之助ら同世代との共演の「笛吹童子」「紅孔雀」が大ヒット。
親しみのある日本的な丸顔で人気を博し、初代東映城の三人娘といわれた(あと二人は千原しのぶと田代百合子)。

三人娘の千原忍、田代百合子と。後ろは東千代介、中村錦之助

1956年、山本富士子、大木実とともに俳優集団『すがおグループ』を立ち上げ、「女だけの街」(57年 内川清一郎監督)を製作するが、東映所属の身での行動が反発を招き(『五社協定』の時代だった)半年間干される。
東映の大川社長に詫びを入れて映画界に復帰、同時に松竹に移籍となる。

松竹復帰の第1作は有馬稲子と共演の「抱かれた花嫁」(57年 番匠義彰監督)。
以降、野村芳太郎、中村登ら中堅監督と組んでの作品などで、松竹メロドラマのヒロイン、助演での起用が多くなる。

1961年、「ゼロの焦点」、「背徳のメス」(両作品とも61年 野村芳太郎監督)の演技でブルーリボン助演女優賞受賞。

1962年、松竹と本数契約になり、翌年フリーに。
フリー後は東映での「監獄博徒」(64年 小沢茂弘監督)で入れ墨片肌脱ぎの女ヤクザを演じたり、大映の「座頭市血笑旅」(64年 三隅研次監督)で勝新の相手役を務めるなどする。

生涯149本の映画出演。
宝塚から映画界入りという芸能エリートコースを歩んで、映画観客数のピークを迎えた1950年代の松竹、東映で活躍。
『五社協定』時代には俳優集団を立ち上げ壁にぶち当たったことも。
映画界が斜陽を迎えてからは、フリーの映画女優として、またテレビのホームドラマのママ役として長く活躍。
出演した作品は「旗本退屈男」から「新諸国物語」、内田吐夢監督作品。
さらには松竹ヌーベルバーグ、東映任侠映画、「女賭博師」、クレージーものまでと幅広い。

自伝目次
自伝奥付



「ろまん化粧」  1958年  穂積利昌監督  松竹大船  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

高千穂ひづる、松竹復帰して2年目の作品。
彼女が主題歌も歌っている。

高千穂のフィルモグラフィを見ると、松竹復帰前後に『すがおグループ』の製作で「女だけの街」、「淑女夜河を渡る」(57年 内川清一郎監督)や独立プロの「異母兄弟」(57年 家城巳代治監督)に出演している。
また、57年から58年にかけの出演作は、時代劇が多いなか、「張り込み」(58年)で野村芳太郎監督と出会ったことが特筆される。

ラピュタ阿佐ヶ谷・の特集パンフ表紙

昭和30年代前半の松竹映画には珍しく、同時代の都会で働く女性を主人公にしている。
その場合、下町の老舗蕎麦屋の看板娘の働きぶりを描くのであれば松竹映画らしいのだが、本作は都会の最先端というか虚業ともいうべき美容産業の社報編集長が主人公である。
果たしてこの役が、宝塚から東映城のお姫様へとトラバーユしてきた日本人形のような高千穂ひづるにフィットしているのかどうか。

オリジナルポスター

カラースタンダード画面に記録された昭和30年代初期の東京の風景が懐かしい。
東京に住んでいなくとも、テレビで見たり、たまさかの上京時に感じる、東京の輝き、エネルギー、豊かさが蘇ってくる。
北海道には蒸気機関車が現役だった時代。
東海道線には新幹線こそなかったが、肌色の車体のジーゼル特急こだまのメジャー感は本州に渡ってから目にすることのできるもの。
田舎者が東京に感じるドキドキ感が画面から放射されている。

東京そのものの記録に歴史的意味があったとすれば、ドラマ部分で現れる、当時最先端の美容室や、土足で上がるアパート、ロック風の流しがいる馴染みのバー、などには、古さしか感じられない。
松竹映画らしくもなく、無理があった。

プレスシート

美容会社の社報編集長役の高千穂は、キャリアウーマン風の最新ファッションに身を包み、社長(宮城千賀子)の秘書的役割をも果たしつつ、てきぱきと動く。

同じく都会に働く虚業のキャリアウーマンを描く東宝映画に「その場所に女ありて」(62年 鈴木英夫監督)があったが、主人公の司葉子は、同僚とくわえたばこで麻雀も辞さず、同性の先輩同僚は自分のことを『オレ』と言っていた。
ライバル会社の社員・宝田明とのワンナイトラブも本気なのか、枕営業の一環なのか、気まぐれなのか、クールなものだった。

一方で、松竹の描くキャリアウーマンの世界と高千穂ひづるの個性は、東宝作品のそれとはまったく別ものだった。
それは、あくまで品行方正で古風な女性像だった。
彼女の周りには、モデル崩れからパパ活をする女性(泉京子)などもいるが、あくまでも『例外』的な存在として描かれ、また現実感に乏しい。
社内不倫から身を持ち崩してゆく女性(杉田弘子)も描かれるが昼メロの主人公のように類型的である。

高千穂はワンナイトの過ちも犯すが、相手は年下の弟のような存在(石浜朗)であり、これまた必然性に乏しくも唐突である。
ならばと、彼女に内心好意を持つ新聞記者(南原浩治)からのプロポーズで大団円を迎えるかというと、彼女が一夜の過ちを理由にそれを断るのだからなにをかいわんや。
この人間描写のリアル感のなさ、生活感ゼロ、の展開は松竹映画の限界を示すものなのか、穂積監督の個性なのかは判断に苦しむところ。

50年代の「ろまん化粧」と60年代に入ってからの「その場所に女ありて」では時代の相違もあるのだろうがそれだけではないような気がする。

やもめの新聞記者と主人公のロマンスも、うまくはまればグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンの時のような、立場の違う者同士の出会い、になったのだろうが、そこまで描く意図もなかったようだった。

収穫は、木下恵介作品などで、絵にかいたような坊ちゃんを演じる石浜朗のアプレな人格崩壊ぶり。
東大仏文中退の役柄だが、女にだらしがなく、もともとまじめに働く気がない青年の役で、突然感情をあらわにするところなどに、就職難の時代背景と人格の壊れっぷりが出ている。
石浜がこういった役柄を広げてゆけば、強面の役者などより数段怖い狂気に満ちたヤクザを中年になって演じられたかもしれないと思ったりした。

高千穂ひづるは好感が持てる個性を発揮しているし、宝塚時代の大先輩で会社の上司役の(大年増として化ける前の)宮城千賀子もいい感じだったが、見どころは昭和30年代の東京の情景と宝塚OG二人の存在、石浜朗の怪演だけだったか?
いや、一番に30年代を感じさせた、高千穂ひづるという女優そのものの存在を見るにふさわしい作品ではあったかも。

特集パンフの作紛紹介



からたち日記」  1959年  五所平之助監督  松竹配給・歌舞伎座製作  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

黒白ワイド。
120分の上映時間は、二本立て番組のメイン作品だったということ。
併映は60分ほどのシスター映画と呼ばれる添え物作品だったのだろう。

監督の五所平之助は、大店の旦那の妾腹の子として誕生、母は新富町の芸者だった。
松竹鎌田撮影所に入所し、島津保次郎に師事。
1925年監督デヴュー。
日本初のトーキー「マダムと女房」(31年)を監督した大御所。

撮影は、東宝をレッドパージされたのち、「人間の条件」などで手腕を発揮し『天皇』と呼ばれていた宮島義勇。
脚本は、溝口健二に弟子入りしたのち自らの独立プロダクションで監督作品も発表していた新藤兼人。
松竹映画の製作では実現しようもない、根性の入ったスタッフによる、歌舞伎座プロ作品。

題名は当時の人気歌手・島倉千代子のヒット曲から頂き、本人も2場面ながら主人公に絡む役で出演しているものの、島倉千代子とのそれ以上の関係性はない。
原作は「芸者」(増田小夜著)といい、信州の寒村の子守から諏訪の置屋に売られ、戦前戦後の時代を、自分の愛情は報われないまま過ごした女の自叙伝であった。

オリジナルポスター

主演は高千穂ひづる。
彼女の映画人生前半の集大成であり、代表作ともいえる作品だった。

主人公のツルは、信州塩尻近くで子守時代を過ごし、諏訪の置屋に買われて下働き時代を経て半玉となる。
芸妓としての男遍歴とはかない恋、そして身近な愛情さえも失ってゆく半生を、戦中戦後の時代背景とともに描く、女版大河ドラマ。
舞台は女の人肉市場:花街であり、交錯するのは殺伐とした世間のつかの間に花咲く真情でもあった。

プレスシート

戦前のツルの極貧だが、つつましくも健気な生活が描かれる。
あばら屋を訪ねて実母に会うも、再婚して子だくさんの母(菅井きん)からは声もかけられない。
置屋に買われてからは、家のおかみさんと先輩の芸者たちに次々と用事を言いつけられてはクルクルとこなす日々。
先輩芸者(田代百合子)に誘われて裏庭の木に登り、諏訪湖を眺めてはつかの間の安息を得る。

水揚げされた顔役(山形勲)の妾になり、軍需工場に動員されたときに、ハンサムな監督員(田村高広)に女工たちが熱を上げるのを見て、ツルも退屈まぎれに彼を誘惑する。
雨の日に傘を忘れるふりをして彼が通りかかるのを待つが、自分の傘をツルに与えて去る男。
半玉上がりのプロとして面白半分に素人男性を誘惑したツルだったが段々本気になってゆく。

男が出征してゆく当日。
汽車の出る時間にロンパリが現れ、ツルを相手に酒を飲み始める。
気が気でないツルは時間になると我を忘れて駅へ駆けつけようとする。
察していたロンパリはツルを引きずり回す。
必死ではねのけて外へ出たツルだが、踏切で出てゆく汽車を見送るしかなかった。

プレスシート

故郷に残った唯一の身内である弟を連れ二人で暮らす。
戦後には、朝鮮人(殿山泰司)が闇で作る石鹸を仕入れ、闇市で売って糊口をしのぐ。
闇市を縄張りにするヤクザには『弟のためにパンパンをしないで稼いでいる、見逃がしてくれ』と話しをつける。
弟は病気になり、姉には迷惑かけられないと病院の屋上から飛び降りる。
もぬけの殻になったツルは信州に戻って、一族の貧しい墓の並びの土を手で掘って弟の骨箱を埋める。

こう書くと悲惨なエピソードばかりだが、五所平之助が作り出すムードは殺伐とはしていない。
どこかしらユーモワが漂うような、ひょうひょうとしたタッチは同監督の「煙突の見える町」(53年)を思い出す。
あの映画も貧しい下町暮らしの中、田中絹代が夫との同衾の予定日をカレンダーに記して嬉しそうにしたり、襖一つ隔てた貸間の若い下宿人たち(高峰秀子と芥川比呂氏)が何となく仲良くなるところなど、不思議なゆとり感のある作品だった。

ラピュタの特集パンフより

戦前の花街の風景描写にも味があった。
人力車が芸者を迎えるだけの画面に横溢する時代感。
明治時代の錦絵を見ているかのようなタッチは、花街を描いた戦後の諸作品にあったろうか。
病気で死んでゆく先輩芸者、置屋の女将と芸者のど突き合いなどの定番の場面はあったが、殺伐とした悲惨さだけが残らないのは、戦前からの花柳界を知っているであろう五所監督が持っている感覚なのか。

田村高広との場面の五所監督

高千穂ひづるの自伝「胡蝶奮戦」では、179Pから196Pに渡って「からたち日記」の思い出が綴られている。

・書いたのが新藤兼人さんで、監督が五所平之助先生、キャメラが宮島義勇さん。こりゃすごいなあって思って。これを私がやるんだと思ったら、俄然やる気が湧いてきちゃって。
・(場面場面のヘアースタイルについて)先生と打ち合わせをして、美容師さんに頼んでやっていました。でも先生に見せに行くと、『そんなこと僕は言ってない』って返事が返って来るのね。五所先生が不思議な監督で理解しにくい方だなあって思ったけれど、大監督程そういうところがあるんじゃないかしら。
・(撮影現場では)でもやり始めは、宮島さんの絵コンテを(先生は)待っているのね。で、あれ?って思いまして。これ、宮島さんがいないとどうなるのかなあ、と。五所先生と宮島さんの関係はそれほど大切でした。
・東映時代に仲良しだった田代百合子さんが松竹に移っていたので、私、五所先生にお願いして田代さんに出演してもらったんです。夜、大きな木の上の方に上って二人並んで諏訪の街の夜景を眺めるシーンがあるんだけど、あれが危なかったの。(以下、枝が折れそうだったので、スタッフに念を押し、手直しさせたエピソードが続く)
・映画って、俳優がとんでもない芸をしなくちゃならないときがありましてね、「からたち日記」では、「金のシャチホコ」って芸を私がやる場面があってこれが大変でした。(以下、お座敷で、着物の裾を足に絡めて逆立ちする場面があり、逆立ちの練習をし、開き直って臨んだ撮影では、一発オーケーになったエピソードが続く)
・半玉になって水揚げされるっていうところ。明け方になって一人で家に帰ってゆくシーンがありました。ここも随分テストしましたね。先生が私の横にいらして小さな声で、『あのね、足と足の間に紙を1枚はさんで落とさないように歩いてごらん』だって。この時思いましたね。演技っていうのは、心も大事だけれど、技とか技術なのよ。
・田村さんとの思い出はたくさんあります。なんといっても松竹時代、私の恋人役を一番多くやっていただいたのは田村さんでしたから。田村さんと高橋貞二さんと私で、苗字のイニシャルをとってTクラブというグループを作らないかって話があって誘われたんだけど入りませんでした。あの頃は私、映画会社にいろいろ抵抗してやっと松竹へ復帰して、与えられた作品を一所懸命やろうって考えていたんだろうと思います。

五所監督と高千穂

長々と引用したが、庶民的で飾らず女性的な、といっても宝塚時代から表舞台で活躍してきた女性の芯の強さとプロフェッショナルな気風を感じさせる自伝である。

神保町シアター『俳優・渥美清』特集より 「拝啓天皇陛下様」

「拝啓天皇陛下様」  1963年  野村芳太郎監督  松竹  神保町シアター・35ミリフィルム上映

開巻、メインキャストとスタッフのみのクレジットが流れる。
一芝居あってから、その他スタッフとキャストが紹介される。

同じく野村監督の「張り込み」(58年)では、開巻から30分ほどに渡り、宮口精二と大木実の刑事たちが、夜行列車に乗り込み(宮口精二は座席に座るや否やズボンを脱いでステテコ姿になり)、名古屋、大阪と一晩二晩をかけて、各地の警察署に挨拶をし、佐賀に到着するまでを描写した後に、ようやくメインタイトルとキャスト、スタッフの紹介画面となったものだった。
本作のタイトル場面でも野村監督らしさが出ている。

神保町シアターロビーのレイアウトより。オリジナルポスター

主人公・ヤマショウ(渥美清)が入隊する軍隊の営舎での消灯ラッパ、起床ラッパ、野戦訓練での突撃ラッパのシーンでは、それらの歌詞(変え歌なのか、当て字のようなものか)が画面いっぱいに文字で表される。
消灯ラッパの替え歌?は、軍隊経験のある筆者の父親も時々口ずさんでいたから一般的なものだったのだろうし、軍隊経験者には忘れられないものなのだろう。
戦友と呼ばれる人との関係とともに。

読み書きが不自由で、まともな家庭環境や職場環境を経ていなかったヤマショウは軍隊に入り、三食付きの環境に感謝、感動する。
同日入隊のムネさん(長門裕之)を何かと頼りにし、手助けを惜しまない。
何かとビンタをくれた二年兵(西村晃)が除隊の時に、仕返しをしようと計画するが、ヤマショウの心ねの優しさが邪魔をして果たせず、相撲を取ってしまう。

ヤマショウの人間性に、中隊長(加藤嘉)は何かと目にかけ、規則違反の営倉入りをした際には、その独房で正座してさむさに鼻をすすりながら相対する。
また、中隊長はヤマショウが二年兵になった時に、代用教員上がりの初年兵(藤山寛美)に字の読み書きを教えることを命じる。

二年兵となると威張りくさり、外出許可持にはムネさんとともに兵隊さん半額の遊郭に入り浸り、女郎さんに一丁前の文句を言うヤマショウだが、天皇陛下への忠誠は断固揺るがない。

中支戦線では、戦死した兵隊が『天皇陛下万歳』といわずに死んだことに憤慨し、戦争が終わりそうになると自分の居場所である軍隊がなくなることを心配して天皇陛下あてにかな釘流の手紙を書こうとしてムネさんに止められる。

戦後もヤマショウは逞しく生き続ける。
開拓団や工事現場で働き、自力で食材を調達して生きてゆく。
たまにムネさんに出会えば、生き別れの兄弟の如く喜び合う。
ムネさんは作家として戦中・戦後を生き、結婚してバラックのアパートに妻(左幸子)と住んでいる。

ヤマショウはムネさんと同じアパートの子連れの未亡人(高千穂ひづる)と結婚したがるが、闇買出しを率いる三国人の妾になっている未亡人は歯牙にもかけない。

やがて縁あって別の未亡人(中村メイコ)と結婚が決まったヤマショウだが、泥酔した挙句トラックにひかれて死ぬ。
字幕には『拝啓天皇陛下様 最後の赤子が戦死しました』と映し出される。

戦後の引揚者住宅で、憧れの未亡人(高千穂ひづる)と

この作品を見ていて思い出す映画がある。
一つは「兵隊やくざ」シリーズ。
無鉄砲で軍隊が天国の主人公・大宮貴三郎と、彼が唯一いうことを聞く上等兵の関係が、ヤマショウとムネさんと同じである。
また、どちらも光文社文庫から原作(「貴三郎一代」:「兵隊やくざ」の原作、「拝啓天皇陛下様」:原作と映画化は同名)が出版されていることも共通点の一つだ。

もう一つ思い出すのは「裸の大将」(58年 堀川弘通監督)。
知的障碍者の人間性と彼を通して見える社会、という共通点がある。
「拝啓天皇陛下様」には実際の山下清がワンカットだけ登場している。
セリフもある。

陣暴行シアターロビーのレイアウトより

神保町シアターで終映後、前列の杖を持ったご高齢がこちらに向き直って『続編の方がよかった』とつぶやくように語りかけてきた。
続編は渥美清が軍馬の厩舎員となる別ストーリーの話で、久我美子、宮城まり子などが出るらしい。
『宮城まり子が知恵遅れのこの役で、渥美清と似通ってっますよね』とのこと。
『兵隊やくざとも似てますよね。田村マサカズの言うところだけは聞くような』と合づちを打つと、『田村タカヒロね。(主人公との関係性は)似てますね。』との返答。
ロビーへ出るまで話が途切れなかった。

同好の士が集いながらお互いに『話しかけるなオーラ』でバリアを掛け合っていることが多い映画館ロビー。
10年以上も前に渋谷シネマヴェーラのロビーで、ファンと思しきご同輩に話しかけて怪訝な顔をされたことを思い出す。
その時の特集は「東宝青春映画の輝き」(だったっけ?)。
恩地日出夫監督の「あこがれ」(66年)、「めぐりあい」(68年)が見られることに勝手に舞い上がってしまった自分がいた。

別の日のラピュタ阿佐ヶ谷の上映前のロビーでは、中村錦之助のファンクラブだという中年男子と雑談となり、自費で錦之助作品のニュープリントして上映した話などをうかがったこともあった。

この日、終映後に振り向きざまに話しかけてきた『先輩』は、かつての自分のように映画作品に触発され、どうしても発したかったパッションがあったのだろう。
『先輩』より同好の士と目されて光栄至極である。

特集パンフ
作品解説

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ⑥ 松原智恵子

松原智恵子は1945年岐阜県池田町生まれ。
実家は名古屋で銭湯を経営するが1959年の伊勢湾台風で父親を失う。

高校時代に日活の『ミス16歳コンテスト』に中部代表で出場したのをきっかけに日活入社。
1961年に映画デヴュー。吉永小百合、和泉雅子とともに『日活3人娘』と呼ばれた。
舟木一夫や西郷輝彦の歌謡映画のヒロインを務め、日活がニューアクションと呼ばれる路線に企画変更すると、渡哲也主演の「無頼シリーズ」などで相手役を務めた。

日活時代の松原智恵子

1971年、日活の一般映画製作中止を機に退社。
主にテレビに活動の場を移す。
その後も、ヴァンプやおばさん役に崩れることなく正統派の熟年役として現役続行中。


「昭和残侠伝 吼ろ唐獅子」  1971年  佐伯清監督  東映東京作品  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリフィルム上映

「昭和残侠伝」シリーズ全8作の7番目の作品。
全共闘世代に支持を受け、東映の任侠映画で最も収益を上げたシリーズだといわれる。

このシリーズのコンセプトは、ヤクザの仁義、筋、男のプライド、そういった精神に対する礼賛であり、企画を推進しているのは、東映に出入りしていた俊藤浩滋であった。

おそらく上映当時も、観客のほとんどはヤクザのプライドなど、絵に描いた餅であると信じてはいなかった。
ヤクザが、必要悪としての側面は持ちつつも、どんなに世事に汚く、道理に反した、世の中のクズであるかは万人にとって自明の理だった。

オリジナルポスターその1

東映の任侠映画が一時的とはいえ、日本映画史に残るエポックメーキング足りえたのは、高倉健というスターが存在したからだった。
時代劇映画全盛時代に東映が全国トップの興行収入を上げたのは、千恵蔵・右太衛門という歌舞伎出身の2大スターが豪華絢爛なチャンバラ絵巻を繰り広げ、全国津々浦々の日本人に夢を与えたからであり、任侠映画がつかの間の全盛を迎えたのは、1970年前後の大学紛争後の虚無感漂う大衆のルサンチマンをしばし解放せしめる象徴・高倉健(藤純子も?)がいたからだった。

ただし時代劇映画全盛時代の東映が、千恵蔵・右太衛門ありきだったのに対し、任侠映画の出発点は俊藤浩滋という企画者だった(彼をホイホイと持ち上げる、岡田茂という『不良性感度の高い』映画が好きな、製作責任者がいたこともある)。
俊藤(藤純子の実父)がヤクザの実物たちとともに東映撮影所に持ち込んだものは、仁義、義理、筋などの任侠道といわれる価値観だったが、それらは彼らの自己正当化には役に立っても、世間的には通じるものではなかった。
世間は、ヤクザが、強きになびき弱きをくじくゲスの感性の持ち主であること、勝手きわまる心持と即物的価値観の礼賛者であることは知りすぎるほど知っていた。

たまたま任侠映画の主役高倉健の10年に1人のスター性があったことから任侠映画は観客に迎え入れられた。
そして「昭和残侠伝」シリーズも8作目を迎えることとなった。
あと1作でシリーズ終焉となることを知ってか知らずか・・・。

プレスシート

ということで「昭和残侠伝 吼ろ唐獅子」を見る。
高倉健扮する渡世人が、ヤクザの正義感たる『仁義を通す』『筋を通す』『落とし前をつける』を連発して、腐った親分と、親分の妻と駆け落ちした子分の間を右往左往する、という筋立て。

さすがに無理筋だろう、健さん。
男女間の駆け落ちに人情をかけるためにやくざの価値観は使えないだろう、と思いつつ画面を追う。
ところが、というか、やはりというか、健さんは硬直的に『仁義』『筋』『落とし前』を繰り返すばかり。

シリーズの重要なわき役、池辺良が最後は健さんに同行して殴り込みというお馴染みの筋立て。
そこに鶴田浩二が出てきて訳知り顔で正義のヤクザを演じる。
正義のヤクザは健さん一人でいいのではないか。
池辺良だって堅気だったのをやむにやまれずドスを握った段階で、健さんの味方の戦力となったのだし・・・。

シリーズのコンセプト、任侠映画の精神的支柱の虚構が、硬直化したその姿を露わにしている。
わずかに残った映画的説得性が健さんの醸し出すスターのオーラとスポーツのような殺陣の爽快感だが、そこにも繰り返されたであろう疲れとマンネリがにじみ出ている。

プレスシート

ヒロインは松原智恵子。

日活時代の「東京流れ者」(66年 鈴木清順監督)では、『流れ者には女はいらねえんだ』『女と一緒じゃ歩けねえんだ』と、棒読みのセリフを繰り出す若き渡哲也の向こうを張って、まるで相手の心情には頓着しないかのようにアイドル的表情を崩さなかった松原智恵子の東映初出演(クレジットには(日活)とあったから日活在籍時代の最後の出演作であろうか)。
同じく日活の「無頼」シリーズでは、堅気のお嬢さん役ながら渡の殺陣の現場にウロチョロし、『大丈夫?』と傷の具合を勝手に心配するヒロイン役が妙に似合っていた。

日活時代はどんな状況下にあっても、清純派としての構えを崩さなかった松原智恵子の本作の役は、健さんのかつての思い人にして、その8年後に鶴田浩二の奥さんとなっていた姐さん。
着物姿には凛とした気風が漂っていたが、任侠映画末期の硬直した雰囲気の中では、持ち前の”天然なかわいらしさ”の出しようがなかった。

『親にもらった大事な肌を墨で汚して(中略)つもり重ねた不幸の数をなんと詫びよかお袋に、背中(せな)で哭いてる唐獅子牡丹』。
殴り込みの前の池辺良との道行のシーンにかぶさる主題歌を詠うのはもちろん健さん。
仁義でがんじがらめのはずのヤクザが、人情にほだされまくりの、自虐ネタ満載の、おまけにマザコン丸出しの歌詞(これが本音か?)。
ほかの役者が歌っていれば、”なに甘えてんじゃあワレ”と逆切れしたくなる内容だが、高倉健だから許された。

池袋文芸坐のマキノ雅弘特集でのこと。
「侠骨一代」(67年)のラストの殴り込みシーン。
背中を切り付けられた健さんの着流しから、汗にまみれた入れ墨が現れる。
殴り込みが終って、荒い呼吸の中、右手から離れないドスを自らの左手で振りほどく。
高倉健の凄絶な迫力と色気。
映画が終って場内が明るくなる中、椅子から立ち上がれない女性客がいた。
マキノ演出も見事だったが、高倉健の類まれなるスター性に観客は魅了された。

シリーズ第1作からの監督佐伯清は、伊丹万作に師事した戦前からの職人派。
ヤクザ礼賛などに同調するはずもないが、このシリーズでは、ココロ入らぬ様式だけの作画がかえって受けたのか。
その虚構の再現ぶりは監督とヤクザの距離感を表すとともに、高倉健という虚構の異様ぶりも際立たせ、映画という”仮初の刹那”を求める観客を引き付けたのだった。

オリジナルポスターその2

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ⑤ 工藤明子

工藤明子

1944年生まれ。
劇団を経て71年に東映と専属契約。
72年まで、主に鶴田浩二主演の任侠映画の相手役として、東映作品14本に出演する。
本編「札付つき博徒」は、東映4本目の出演。
若き大型美人女優として重要なわき役を務める。

70年前後の東映映画の女優陣は、佐久間良子、三田佳子などかつてのホープはすでに去り、『不良性感度』の高い作品が製作された。
人気企画、任侠映画にあっては、緋牡丹博徒シリーズで主役を務める藤純子を別格として、時代劇全盛時代からのキャリアを誇る桜町弘子、宮園純子などのほか、浜木綿子、松尾嘉代などが、男優たちの相手役を務めていた。

やがて頼みの藤純子も映画界を去り、後に日活からやってきた梶芽衣子が「さそり」シリーズで狂い咲くまで、東映映画にヒロインらしいヒロインは不在だった(スケバンシリーズなどでの池玲子、杉本美樹を除く)。

工藤明子

この間、東映でも新人女優発掘の試みは続けられ、多岐川裕美や中村英子、中島ゆたか等有望株がデヴューはしていった。
工藤明子も東映が発掘した自前の女優の一人であり、その大型の美貌は、朝ドラ女優(74年 「鳩子の海」)の藤田美保子にも、後輩の中島ゆたかにも似た華のあるものだった。
70年代の「キネマ旬報」では、工藤明子の名前が散見され、一部のファンに支持されたもいたことがうかがえた。
東映らしい、水商売的なテイストの薄幸型美人女優で、東映を離れた後はテレビの時代劇やアクションもので活躍した。

今では忘れられたヒロインともいえる工藤明子の出演作に駆け付けた。


「札つき博徒」  1970年  小沢茂弘監督  東映京都  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

鶴田浩二主演の東映京都作品、監督小沢茂弘。
このメンツを見て、どんな旧態依然とした任侠映画を見せられるのだろう?と、昔、浅草名画座で見た同じメンツの作品「三池監獄 凶悪犯」(73年)を思い出しながら、期待せずに開映を待った。
始まった映画は、意表を突く素早いカッテイングのテンポの速い展開と意外な登場人物のキャラクターとその配役だった。

意外な配役とは。
すでに御大的存在だった鶴田に謙虚なムショ帰り役を割り当てる。
それに絡むのが万年悪役の小池朝雄で、珍しく根が正直な曲者役、その連れに山本麟一。
戦前の北九州戸畑の祇園山笠前夜が舞台という時代設定も、現実感皆無な大時代的なものでいい。

オリジナルポスター。左に工藤明子の女賭博師

鶴田に合わせたかのように、セミ大御所の大木実に盲目の堅気を演じさせる。
その連れ合いの桜町弘子は終盤までセリフがない役で、持ち前の勝気な姐さんぶりが封印されている。
待田京介までが弱気な堅気役だ。

旧態依然とした配役と、ワンパターンな勧善懲悪劇を良くも悪くも期待していた、鶴田=小沢コンビが、見事に予定調和を外して始まったこの映画。
主役は祇園山笠の祭そのもので、祭りを運営する堅気衆が前面にフィーチャーされた構成なのだった。
ときどき東映で企画される、ハンデイキャップを背負った集団や個人が悪に対峙するという変則パターンのやくざものの一種なのだ(脚本:笠原和夫)。

いつもは、墨を背負ってドスを利かせる連中(大木、待田、小池、山本ら)が、一歩引いて悪役やくざの恫喝のを前に、右往左往する堅気衆を演じるという新鮮味ある筋立て。
待望の工藤明子は身寄りのない女壺振り師として登場する。

一場面。後姿が工藤明子

素人離れしたクールな美貌にキレのある啖呵。
殺陣のシーンでの動きもいい。
工藤明子の魅力が炸裂する。

藤純子の緋牡丹博徒と異なり、凄惨な殺陣演出の後、傷を負い、やられてゆくのもいい。
耐え忍ぶ設定から、正義感に駆られての殴り込み、そしてやられるまで、鶴田のお株を奪う出来だったのではないか。
惜しむらくは、藤純子や江波京子らの二番煎じ、メインストーリーである主人公らのうっぷん晴らしに花を添えるための補助的役柄だが、魅力は十分発揮した。

堅気衆側の唯一の暴力装置であるムショ帰りの鶴田浩二も死んでゆく。

ヤクザは死に絶え、堅気衆が残って祇園山座差は無事挙行される。
ヤクザ礼賛に堕ちてはいないストーリー。
半端者で調子はいいが、良心は失わなかった小池朝雄も生き残った、珍しく。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ④ 野川由美子

野川由美子

1944年京都生まれ。
高校生の時に、ミス着物コンクール準ミスに選ばれて念願の女優デヴュー。
代表作は「肉体の門」(64年)、「春婦伝」(65年)、「河内カルメン」(66年)といずれも日活での鈴木清順演出作品。
筆者が未見なのは不徳の致す限り。

野川由美子

その後は、達者な演技力と親しみやすい関西弁で、テレビ・映画を問わず幅広く活躍。
「仁義なき戦い・完結編」(74年)、「北陸代理戦争」(77年)、「沖縄10年戦争」(78年)など東映実録路線にも、重要な役で登場した。
東映のやくざ映画では、若手女優ががむしゃらに主人公たちにむしゃぶりつく演技が印象に残るが、野川由美子の場合はその個性が突出しており、実録映画の混濁に、良くも悪くも飲み込まれることはなかった。

彼女が日活時代に、清順映画のヒロインを務めていた頃の作品では、東映の「四畳半物語・娼婦しの」(66年 成沢昌成監督)を見たことがある。
東映の若手女優のホープ(の一人)だった三田佳子が娼婦役に取り組んだ作品で、時代背景の再現的にも演技的にも情感のこもったものだったが、コケテイッシュな”泥棒猫のような”野川の演技が印象的だった(この作品は、小林千登勢の性悪演技も忘れられない)。

本作は、野川が東映任侠映画のヒロインとして出演したものである。


「現代やくざ 盃返します」  1971年  佐伯清監督  東映東京  ラピュタ阿佐ヶ谷・35ミリ上映

東映東京撮影所で製作された、69年に始まる「現代やくざ」と銘打たれたシリーズの3作目。
シリーズ作品につながりはないが、菅原文太が主演を務めている。

いわゆる任侠映画の衰退を受け、時代設定をリアルタイムとし、登場人物を高倉健や鶴田浩二、藤純子といった完全無欠のヒーローとはせず、やくざ者の悲しみや不条理を背景としている。

新東宝で『ハンサムタワー』なる美男スター3人組の一人として売り出され、松竹を経て東映に移った菅原文太。
松竹では、半端なやくざ者が役どころで、「夜の片鱗」(64年 中村登監督)では喧嘩で股間を蹴られて寝込んだ末に死んでゆくチンピラを演じており、そのしみったれぶりが印象的だったが、俳優として開花するまでのことはなかった。

東映が任侠映画の非人間的なヒーロー像を描き続けた末に観客に飽きられ、やくざ者の哀れさ、人間味を描き始めたことは文太にとってチャンスだった。
70年前後の世相の中、人間の弱みを見せながら親分子分の軋轢に悩む主人公を描いた「現代やくざ」シリーズは、最終作「人斬り与太」(72年 深作欣二監督)で、最初から組織内のしがらみに頓着せず、無茶苦茶に暴れまくって孤立・自滅してゆくやくざ者を描き、続いての「人斬り与太・狂犬三兄弟」(72年 深作欣二監督)とともに、「仁義なき戦い」で爆発する実録やくざ映画への序章となった。

オリジナルポスター

本作「盃返します」は戦前に伊丹万作監督に弟子入りした正統派・佐伯清監督の手になる作品で、大阪万博の利権を争う”現代やくざ”の渡世を、その最底辺で体を張らざるを得ない人間の悲しみをきっちり描いている。
監督の主題は、鉄砲玉となり都合よく使い潰されてゆくやくざ者(菅原文太)の弱さ、哀れさであり、彼の幼馴染(野川由美子)との淡いつながりとその自滅である。

幼いころから文太を見守り、堅気になることを願ってきて、場末で小料理屋を営む野川由美子。
若さが一段落し、芸達者とともに落ち着いた情感が出てきた野川の持ち味を十分生かした演出。
精神的に未熟で、さんざん野川の金銭的、精神的援助を受けながらうじうじ悩む文太は、松竹時代からの持ち味。
観客の同情は誘っても憧憬とはならない主人公像だ。

プレスシート

ラストの殴り込み。
同行を願い出る助っ人をパンチで倒し、単身殴りこんでゆく文太の姿がのちの実録やくざへとつながってゆく。

野川との約束を果たせず、堅気とならぬまま死んだ文太の骨箱を抱えた野川が故郷のバス停に降り立つ。
野川のような女性ならこの後も逞しく生きてゆくだろうという余韻を残しつつ。