film gris特集より② ジョセフ・ロージー初期作

ジョセフ・ロージーは舞台演出家出身のアメリカ人映画監督。
ユダヤ人ではない。
左翼系演劇時代にはドイツから亡命中のベルナルド・ブレヒトとも協働したという。

制作者ドーリ・シャリーの引きでハリウッドに渡り、「緑色の髪の少年」で映画デヴュー。

シャリーはMGMを皮切りに、セルズニックプロ、RKO、ふたたびMGMと渡り歩いたプロデユーサーで、「少年の町」(1938年)、「らせん階段」(1946年)、「十字砲火」(1947年)、「二世部隊」(1951年)、「日本人の勲章」(1955年)などを手掛けた。
中でも、当時(今でも)マイナーな存在の日系人とその差別問題をさりげなく取り上げた「二世部隊」「日本人の勲章」はユニークなテーマ性を持っており、シャリーの特性を表している。
進歩的映画人に寛容なシャリーが、左翼のジョセフ・ロージーにデヴュー作を撮らせることになる。

ジョセフ・ロージー

ロージーは、ハリウッドで5本ほど監督(「緑色の髪の少年」(48年)、「暴力の街」(50年)、「M」(50年)、「不審者」(51年)、「大いなる夜」(51年))するが、1951年非米活動調査委員会の影響によりブラックリストに載り、アメリカを脱出。
以降イギリスを本拠にヨーロッパで活動し、最後までハリウッドには戻らなかった。
代表作に「エヴァの匂い」(1962年)、「できごと」(1967年)、「恋」(1970年)など。

ビスコンテイやベルイマンと同じく舞台演出家としても高名なロージー作品には、ジュリー・クリステイー(「恋」)やアラン・ドロン(「暗殺者のメロデイ」(72年)、「パリの灯は遠く」(76年))、ジェーン・フォンダ(「人形の家」(73年))などのスターが出演することでも知られた。

シネマヴェーラ渋谷のilm gris特集では、ロージーの貴重なハリウッド時代の作品が取り上げられた。

「緑色の髪の少年」 1948年  ジョセフ・ロージー監督  RKO

戦争孤児で親戚のおじさんと暮らす少年の髪の毛が緑色に変わった。
少年は仲間にいじめられて家出する。
緑色の髪は戦争の悲惨さに対し人々に注意を向けさせるための象徴だと気づいた少年は町に戻り、人々に説くが、人々は受け入れない。

戦後すぐに起こった核実験や反共の嵐。
時代に流されて疑問を感じない人々。
これらへの警鐘をテーマとした反戦寓話。
緑色の髪の毛を表現する意味もあり、カラーで撮られた。

おじさん役のパット・オブライエンと少年

ナイーブなテーマと平板な造りに初々しさを感じるジョセフ・ロージーのデヴュー作。

少年のおじさん役のパット・オブライエンが味のある演技を見せる。
髪の色が変わった少年を精神医学的に分析する博士にロバート・ライアンだが、性格上特色のない役でロバート・ライアンを使うのはもったいない感じもした。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

映画的興奮と過度なテクニックの使用を避け、淡々とした描写に徹するロージーの持ち味がデヴュー作で早くも発揮されているのが興味を引く。

シネマヴェーラの特集パンフより

「不審者」 1951年 ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

ロージーの長編4作目。
力のこもった一編に仕上がっている。

サイコパス気味の警官(ヴァン・ヘフリン)が、夜を一人で過ごす人妻(イヴリン・キース)にほれ込み、パトロールがてらの訪問を繰り返す。
偶然二人が同郷だったことなどから打ち解け、警官の手練手管もあって二人は恋人関係に。

警官はパトロール中の事故を装い、人妻の亭主を射殺。
裁判で無罪を勝ち取り、人妻と結婚する。

ここら辺から二人の力関係が変わってゆき、予定外の妊娠から完全犯罪がばれるのを防ぐために、砂漠の廃墟に逃げ込んむ頃には、開き直って堂々とする女と、嘘にうそを重ねようとあたふたとする男と、二人の心理的状況が逆転する。

「不審者」の一場面。砂漠の廃墟で出産を待つイヴリン・キースとヴァン・ヘフリン

全体を通して芸達者なヴァン・ヘフリンの一人芝居ともいうべき演技力に支えられている。
好人物役が多いヘフリンだが、サイコパス気味の役も上手に演じ、悪徳警官の小悪党ぶりから、自滅に向かうあたふたぶりまで大車輪の演技を見せる。

監督であるロージーの関心は、サイコパスによる犯罪映画にあるわけではないので、途中からヘフリンの異常ぶりは薄められ、「ひょっとして人妻に横恋慕しただけの小心な小悪党」だったのか、と思わせる。
むしろ土壇場での「開き直った強い女心」の潔さ、あるいは「不正は正直な正義の前には所詮無力」であることを描きたかったのか。

夜のシーンが多く、光と影を塩梅した撮影が秀逸で、一見サイコサスペンス調の映画でありながら、平凡な人物の奥底に潜む異常性と小心さとその破滅を描いた作品。
力がこもるのは演じる役者であり、作る側は淡々としてクールに人間性を描くというのがロージーらしい。

シネマヴェーラの特集パンフより

「大いなる夜」 1951年  ジョセフ・ロージー監督  ユナイト

この作品を最後にハリウッドのブラックリストに載ったロージーがアメリカを離れることになる、上映時間73分の中編。

都会の下町のバー。
17歳の主人公が尊敬する父がマスター。
父は離婚している。

主人公の17歳の誕生日。
父はバースデーケーキを作ってくれた。
その夜に新聞記者をやっている街のボスがバーにやってきて、父をステッキで殴り倒す。
黙って耐える父。
主人公は耐えきれず、ボスへの復讐を誓って夜の街をさ迷う。
バーの引き出しにあった拳銃をもって。

夜の歓楽街で見知らぬ大人と仲良くなったり、女性と初めてのキスをしたり、ボスに詰め寄って拳銃が暴発したり。悪夢で始まった少年の一夜は、迷宮のような大人の世界に翻弄される。

突然降りかかった不条理な悪夢は、当時の反共の世相の恐怖感を反映したものか。

権力の象徴としてのボスの存在。
少年が交わる大人の世界の猥雑さ、権力者へのスリより、手のひら返しは、世間一般の頼りなさ、ご都合主義を表しているのか。

キネマ旬報社刊「世界の映画作家17カザン、ロージーと赤狩り時代の作家たち」より

主人公の少年のナイーブさ、頼りなさ、解決能力のなさは、現実的なロージーの世界観を反映しているのか。
ショッキングな設定ながら、地味に淡々とした描写に終始するところがロージーらしい。
彼が求めるのは映画的テクニックによる興奮ではなく、役者の演技を通しての熱量なのだろうから。

シネマヴェーラの特集パンフより

film gris特集より① 赤狩りとジョン・ガーフィルド

ジョン・ガーフィルドは1940年代に活躍した映画俳優。
ロシア系ユダヤ人としてニューヨークに生まれ、幼くして母を失い、一家離散のまま貧民街で育った。
10代の時、のちのアクターズスタジオとなるシアターグループに参加し演劇への道に入る。

舞台で人気が出た後、ワーナーブラザースにスカウトされ、1938年に映画デビュー。
ヒット作がなくこの間の代表作は、デビュー作の「四人の姉妹」(1938年)を除けば、MGMにレンタル出演となった「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)などにとどまる。

1946年、独立して自身のプロダクション、ロバーツプロ(ガーフィールドのマネージャーであるボブ・ロバーツをプロデユーサーとする)を立ち上げ、独立プロのエンタープライズと提携。
すでにハリウッド入りしていた共産党系映画人たち、エイブラハム・ポロンスキー、ロバート・ロッセンらと組んで作った「ボデイアンドソウル」(1947年)や次回作の「悪の力」(1948年)が生涯の代表作となる。

1951年の「その男を逃すな」が遺作となり39歳で没。
心臓発作が死因といわれるが、1951年の非米活動調査委員会(通称:ハリウッド赤狩り)に証人喚問されたことなどによる心労が遠因だった。

1951年、非米活動調査委員会にて証言するガーフィールド

シネマヴェーラ渋谷で2023年末から新年にかけて上映された「film gris」特集は、1947年から51年にかけて製作された「アメリカ社会に対する左翼的な批判を特徴とするフィルム・ノワール作品」を集めてのもので、エイブラハム・ポロンスキー、ジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、ジョン・ベリー、サイ・エンドフィールド、ジュールス・ダッシンなどの監督作品がピックアップされた。
いずれの作家も、赤狩りの証人喚問を受けたり、ブラックリストに載って干されたり、海外へ脱出するなど、非米活動調査委員会による迫害を受けた人物である。

この特集で、ジョン・ガーフィールドの出演作品も4本ほど上映されており、当該作品の監督、脚本は多くが喚問を受け、ブラックリストに載り、のちに亡命するなどした映画人たちである。

ガーフィールド自身は、非米活動委員会における証人喚問において、自身の共産党入党の事実や共産党に対するシンパシーを全面否定し、また仲間の活動歴について全く知らないと証言はしたものの、当時別居状態ではあった妻が共産党員であるなど、演劇時代からハリウッド時代に至るまで、共産党員やそのシンパとの深いつながりがあったのは事実だった。

赤狩り時代に、証人喚問され、またブラックリストに載った映画人が実名で仕事をし続けるためには、共産党員もしくはシンパの仲間を告発するしかなかった(エドワード・ドミトリく、エリア・カザン、ロバート・ロッセンらのちの有名監督が仲間を告発し「転向」した)。

ジョン・ガーフィールドは仲間を売らずに、永遠に自らの実名(芸名)を映画史に残すことができた。
自らの死によって。

シネマヴェーラ渋谷でのfilm gris特集ポスター

「ボデイアンドソウル」 1947年  ロバート・ロッセン監督  ユナイト

エンタープライズプロ製作(ユナイト配給)によるボクシング映画のレジェンドにして金字塔。

本作の監督はロシア系ユダヤ人としてニューヨークに生まれ演劇人として活躍。
演出した舞台を映画監督のマービン・ル・ロイに認められてハリウッドにスカウトされた、ロバート・ロッセン。

原案・脚本は同じくロシア系ユダヤ人として薬剤師の親の元、ニューヨークに生まれ、小説家志望ながら弁護士の資格も持つ共産党員のエイブラハム・ポロンスキー。
彼は戦時中に書いた小説を読んだパラマウントからスカウトされハリウッドにいた。

ハリウッドで寄寓を得た才能ある左翼のユダヤ人たちが、結果としての転向(ロッセン)、追放(ポロンスキー)、自死(ガーフィールド)を迎えるまでのつかの間に産んだ貴重な傑作「ボデイアンドソウル」。
それは、チャップリンにとっての「独裁者」、オーソン・ウエルズにとっての「市民ケーン」のように、稀有な才能が千載一遇のチャンスに遭遇し、奇蹟によって生みだし、そして歴史上に残った映画だった。

開巻からエンドまで、緊張感と映画的興奮に満ち、作り手と演じ手の高揚が伝わってくるかのような映像が続く。

都会の貧民街で菓子屋を営むユダヤ移民の家庭に生まれ育ち、ボクシングしか知らない主人公チャーリー(ガーフィールド)が、金のためにプロで売り出し、やがて世界戦を組まれるまでになるが、待ち受けていたのはボクシング界を仕切る賭けと八百長の世界だった。

それまでは差別や貧困に苦しみながらも力で状況を切り開いてきた主人公。
勤勉を旨とし、力を信奉する息子に忸怩たる思いの母親(「緑園の天使」の母親役で忘れられぬ印象を残し、赤狩りでハリウッドを去ったアン・リヴェアが扮する)。
菓子屋のレジから「ボクシングの道具代に」となけなしの10ドルを主人公に渡してくれた父親は、暴走車が店に突っ込んで下敷きになって死んでゆく。

学生チャンピオンになり、民主党議員のパーテイに呼ばれ、壇上に現れたミス民主党の女性ペグ(リリー・パルマー)の部屋に押し掛けるチャーリー。
画学生のペグはバイトでモデルをしており、たまたま民主党議員のパーテイーにミス役で雇われていたのだった。
ペグが話す英語の発音に注目するチャーリー。
ペグも移民だとわかる(リーリー・パルマー自身がドイツ人)。
移民の子孫の若者同士に芽生えるシンパシー。

親しくなったペグがチャーリーに実家を訪ね、夕食を共にしている時に民生調査員がやってくる。
母親がチャーリーの奨学資金にと申し込んだ融資に対する役所の調査だった。
「ユダヤ系白人ですね・・・」に始まる調査員の身元調査。
チャーリーの両親が東欧・ロシア系のユダヤ人であることがわかる。
ボクシングで身を立てる決心をしているチャーリーは夕食の最中にやってきたこの調査員を追い出す。

別の場面。
チャーリーの実家の台所。
たまたま寄った近所の住人(聖書由来のバリバリのユダヤ人ネーム)がブドウを食べながら「エデンのようだね」と喜ぶ。
何気ない近所の移民同士の交流。
会話に加わり、ブドウを口にしたチャーリーだが、旧態依然とした同胞の傷をなめ合うような慣れあいにブドウをたたきつけて苛立ちをあらわにする。

映画の各所にちらちら現れるチャーリーらのユダヤ人としての苦い思い出。
ただし、ポロンスキー脚本のユダヤ人に関する描写には、差別に対する被虐趣味や懐古趣味にとどまらない。
主人公に決然とした態度を取らせることにより、尊厳と現状打破とを志向する姿勢がある。

この姿勢は映画の最後まで貫かれ、チャーリーは八百長を仕組んだプロモーターに抗して掟破りの真剣勝負に出る。圧倒的興奮の中、チャーリーに駆け寄るペグ。
抱き止めたチャーリーは、にらみを利かせる八百長プロモーターの前で「最高の気分だ」と叫ぶ。

ボクシングシーンの撮影風景

「ロッキー」で劣勢の強敵を打ち破り「エイドリアン!」と叫ぶスタローンの名場面の原典でもあろう名シーン。
そういえば「ボデイアンドソウル」のヒロイン・ペグは最後まで主人公を信じて陰ながら支えるという点では、「ロッキー」のエイドリアンの原典ともいうべきヒロイン像ではないのか。

筆者が見た版では「最高の気分」のチャーリーが、悪徳プロモーターの意味深な祝福を受けながら、ペグと抱き合うところで終わる。
監督のロッセンは、掟を破ったチャーリーがプロモーターに殺されるカットで終わらせたかったが、ポロンスキーが脚本の改訂を許さなかったという。

八百長を操りながら、自らの利益のみを追求するプロモーターを執拗に描写するなど、ポロンスキーの脚本は世の悪=権力をリアルに表現するが、自らの力を信じて突き進む主人公や、一筋に主人公を信じるヒロインを通して、世の中への希望のような感性も大切にしている。

映画的興奮の中に「現実」と「希望」を描き切った本作は映画史上の傑作だった。

エイブラハム・ポロンスキー

監督のロッセンは、この作品の後「オールザキングスメン」(1949年)を演出し、アカデミー賞の候補となるが、同時にハリウッド赤狩りの餌食となり、結局、党員を密告して転向。
のちに名作「ハスラー」(1961年)でハリウッドにカムバックするが、作品を覆うのは苦渋に満ちたムードだった。
彼も赤狩りによる犠牲者だった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「悪の力」 1948年  エイブラハム・ポロンスキー監督  MGM

「ボデイアンドソウル」はヒットした。
エンタープライズプロは、ガーフィールドの主演で次作を企画。
「ボデイアンドソウル」の脚本家ポロンスキーを監督、脚本に迎えて制作したのが「悪の力」だった。

そこには、ポロンスキーのテーマともいえる、個人と権力の対決、権力の怖さ・悪辣さ、悪に染まらない個人の心情のピュアさ、が、あえて映画的興奮を排した画面でよりシンプルに描かれている。

「悪の力」の一場面

この作品のガーフィールドの役柄は移民ユダヤ人家庭から成り上がった弁護士で、ナンバーくじを非合法に扱う組合の顧問を務めているというもの。
いわば悪徳弁護士の役だ。

ガーフィールドの兄は弁護士の夢をあきらめて弟を援助し、今では貧民街の個人業者として非合法ナンバーくじに関わっている。
じり貧の兄を救おうと、自らのネットワークを逆手にとって巨大な非合法くじの組合を出し抜こうとしたガーフィールドだが、悪の世界では1枚も2枚も上手の相手に逆襲され、兄を殺されたうえに、自身も社会的に抹殺される。
川岸に無残に捨てられた兄の死体を残し、すべてを失った主人公が悪の世界を白日の下に晒して戦おうと歩きだすのがラストシーン。

「ボデイアンドソウル」と異なり、主人公は知力と計略を武器に悪=権力と戦う。
といっても貧民出身の主人公は、すでに悪の世界の使い走りの身でもある。
最後に残ったわずかな正義感と、家族への恩返しの気持ちから、兄を救済しつつ悪の世界を裏切ろうとする。

最初は弟の申し出に兄が猛反発する。
そこには貧しいながらも己の才覚で底辺を生き抜いたプライド(おそらく民族的プライドも)がある。

主人公は兄を説得し、悪の組織の足元をすくおうと知力を尽くすが、一筋縄ではいかない。
悪知恵の世界も奥が深く、図式は単純ではない。
ここら辺のポロンスキー脚本のち密さはすごい。

主人公を巡る女性達。
しっかり者の母親。
兄の事務所で出会う無垢な女性(ビクトリア・ピアソン)。
彼女らは最後まで主人公を信じ、陰乍ら応援する。
「ボデイアンドソウル」の母親とペグと同じ図式で、ポロンスキーの母性や女性に対する心情には、純粋なものへのあこがれがある。

本作はエンタープライズプロ作品でありながら、つながりのあるユナイトに脚本段階で配給を断られ、MGMに持ち込まれて実現した。
作品はヒットせず、エンタープライズプロ倒壊の一因となる。
万が一ヒットしたとしても、ガーフィールドをはじめ、ポロンスキー、ロッセンら主要メンバーはこの後の赤狩りとブラックリストによって活動を制限されたのが歴史上の事実であり、いずれにせよ同プロの命運はここまでだったろう。

テーマの人間性、作劇の巧みさ、人物像の描写など、稀有な才能の持ち主、エイブラハム・ポロンスキーをたっぷり堪能できる作品は、「ボデイアンドソウル」と「悪の力」の2本のみを残し、赤狩りの嵐とともに歴史から過ぎ去った。

ブラックリストに載ったポロンスキーはハリウッドを離れ、仕事の場をニューヨークのテレビに移した。
映画監督への復帰は、実に「夕陽に向かって走れ」(1969年)まで待たなければならなかった。

シネマヴェーラの特集パンフより

「その男を逃がすな」 1951年  ジョン・ベリー監督  ユナイト     

ジョン・ガーフィールドの遺作。
39歳だった。

彼の持ち味だった下層階級出身の小悪党役。
今回は粗暴で無知なチンピラ強盗に扮し、逃亡中に成り行きである家庭に立てこもることに。

逃亡中にプールで出会った若い女(シェリー・ウインタース)の家庭に潜り込む。
父親が新聞社の職工、娘(ウインタース)はパン屋のウエイトレスという、堅実だが中流以下の家庭。

「異物」としての侵入者(ガーフィールド)を迎えて、恐怖というよりは戸惑いを隠せない家族たち。
だんだん侵入者のガーフィールドが「迷惑者」「被差別者」に見えてくる。

このあたりの映画的建付けは、家庭への侵入者をひたすら恐怖の対象とした「必死の逃亡者」やサイコパスな侵入者の恐怖を描く「恐怖の岬」などと異なる。
余分な恐怖感を排した分、侵入者と一般家庭との、下層階級者同士ではあるが、根本的な「違和感」「ズレ」を際立てている。

ガーフィールドと女(ウインタース)の関係も微妙で、女はガーフィールドに、ときに同情的でときに救済的な態度を示す。
表面上は粗暴な犯罪者でありながら、実態は社会的弱者でもあるガーフィールドは、彼女の心情が理解できず破滅してゆく。
「無知や粗暴さの故だけではなく、民族差別や貧困を故とする社会的弱者」は所詮救われないのだ、というのがこの作品のテーマであろうか。

シネマヴェーラの特集パンフより

左翼でもあった監督のジョン・ベリーは、非米活動調査委員会の召喚を待たずにヨーロッパに渡り、ハリウッドの戻ったのは60年代後半になってからの経歴を持つ。
製作は「ボデイアンドソウル」「悪の力」のビル・ロバーツ。

重要なヒロイン役を演じるのはシェリー・ウインタース。
薄幸な女性だったり(「陽の当たる場所」(1951年))、豪快な鉄火女だったり(「フレンチー」(1950年))、母親役だったり(「アンネの日記」(1959年))と広い役柄を誇る。
本作「その男を逃がすな」では、彼女の若いころの当たり役「薄幸だが母性的な女性」を存在感をもって演じており、作品に深みをもたらせていた。

「豹は走った」と西村潔

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集「ニュープリント大作戦」で「豹は走った」が上映された。

当日のラピュタ阿佐ヶ谷の上映案内より

「豹は走った」 1970年  西村潔監督  東宝

東宝ニューアクションと呼ばれた作品群のエース監督だった西村潔監督のデヴュー第3作。
主演は加山雄三と田宮二郎、ヒロインに加賀まりこを起用した、1970年の作品。
前年に「死ぬにはまだ早い」で監督デヴューしたばかりの西村がメガホンを取り、脚本には長野洋と石松愛弘。

「若大将」を卒業し、今後を模索中の加山と、大映で育った田宮、松竹育ちの加賀というキャステイングが異色ならば、脚本の石松も大映育ちで、東宝には珍しい混合チームによる作品。
折から、大映が倒産し、日活もロマンポルノ路線に移行直前の、いわば映画界の斜陽化が待ったなしの時代。
阪急資本をバックとし、保有する劇場群の上りが堅調とはいえ、ヒット作に乏しかった映画会社東宝の試行錯誤がうかがえる企画。

ラピュタ阿佐ヶ谷のホールに貼られたポスター

形式上刑事職を辞職して某国大統領の護衛を命じられる加山(:シェパード)。
必要なら事前に発砲することも許される秘密任務だ。
片や正体不明の殺し屋・田宮(:ジャガー)が大統領を狙う。
二人が死力を尽くしてやり合う。
バンバン発砲し合う「乾いた」銃撃シーンが、洋画のアクション映画のよう。

動機や理由の説明描写を省いて、純粋なアクションに徹した西村演出が新感覚。
これぞ東宝ニューアクション。
加山が武器を選ぶ時の警察署内の武器庫に並んだ特殊な拳銃たちと、それを専門的に説明する武器係のオタクっぽさも映画的に、いい。

大統領暗殺のためにジャガーを雇ったのは総合商社の会長(中村伸郎)。
大統領が死んだら現地の革命勢力と結託し、万が一生き残っても現勢力と「ソデノシタ」関係を継続、と「金がすべて」の資本主義の権化・日本商社が黒幕だった、という意外性。
小津作品のエリート紳士が定番だった中村が演じる商社マンは、いつもの飄々とした演技で「商社の怖さ」を表現する。
大手商社に象徴される営利活動はその極限に於いて、道徳性なり信義性とは無関係に、人命ですら尊重されずに、社会にの裏の機能を駆使して行われるものだ、という怖さ。

この作品が日本映画らしさを越えて「ハードボイルド」なのは、クールな脚本だけではなく、加山をそれらしく(秘密任務の刑事役は適役)演出し、スピーデイーなカッテイングでまとめた西村監督の手腕によるもの。

田宮二郎は、大映時代の「悪名シリーズ」モートルの貞、や「犬シリーズ」の勢いと調子のいいチンピラ役、があまりにはまり役だったこともあり、出てくるだけで大映カラー(背後に永田雅一と勝新太郎と大阪新世界の匂い)が立ち込めてしまうが、それも田宮のカラー。

加賀まりこはデヴュー当時の「妖精系不思議ちゃん」キャラから脱皮し、商社の裏活動にタッチする大人の秘書役をこなし、存在感をみせていた。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集パンフより

ほかの西村潔監督作品について

「白昼の襲撃」(1970年)

西村監督の第2作目。
主演の黒沢敏男のチンピラぶりがよかった。

相手役の高橋紀子は東宝青春スター候補の一人だったが、この作品では盛り場で黒沢にナンパされ、転落の道に落ちる「軽い」が最後まで黒沢を信じ、ついてゆくヒロインを演じる。
アメリカ映画のフィルムノワールのヒロインのように、汚れながらも懸命に、自滅する主人公についてゆく姿が泣かせた。
彼らが絡むやくざの代貸し役で岸田森が怪演。
テンポよくクールな西村演出がますます冴える。

「ヘアピンサーカス」(1972年)

首都高を突っ走るスポーツカーの主観映像がタイトルバック。
映画はその後も、まるで16ミリカメラで撮ったドキュメンタリーのような映像でひたすらカーアクションを追求する。
CGではなく、全部が実写。

主役は現役カーレーサーの見崎清志という人。
ヒロインの江夏夕子くらいが名の知れた俳優の、若い走り屋たちのクールでドライな青春物語。

ドラマ性に乏しく、まったく東宝映画らしくないこの作品の制作動機は、五木寛之原作だからなのか。
ジャズを取り入れたところも西村監督らしい。  

「薔薇の標的」(1972年)

もみあげを長くした加山雄三がスナイパーを演じる。
トビー門口をガンアクション監修に起用、ガンとガンアクションへの西村監督のこだわりがうかがえる。
ほかはあまり記憶にない。

「黄金のパートナー」(1979年)

2本立ての添え物として作られた作品。

西村監督は極めてリラックスして撮っている。
監督のリラックスは役者にも伝わり、三浦友和、藤竜也の主演二人のリラックスぶりはすごい。

揺れる手持ちカメラの前で、雑談のようにセリフを交わす主演二人。
三浦友和ってこんなに自然な演技ができるのか、と見直したほど。

警察官役の藤竜也が白バイで、ヨットに暮らす三浦友和のところへやってきて軽いノリで延々とだべる場面が続く。
そのうちに「映画はこんな風に自由に作っていいものなんだ」と、見ている観客は心地よくなる。

途中でサスペンスが少々混じるが、「冒険者たち」のように、男二人にヒロイン(紺野美沙子)を交えた海洋ロマン。
西村監督の得意分野が、車、ジャズ、ガンのほかにダイビングだということがわかる。
この作品を見て西村監督が強烈に印象付けられた。

女優パトリシア・ニール その3 演技派時代

パトリシア・ニールは舞台女優としてその女優生涯を終えた(2010年84歳で没)。

21歳の時、ワーナーブラザースと契約してハリウッドデヴューもヒット作がなく、また当時のハリウッドが望む女優像に沿ってはパトリシアの特質を生かせず、評論家には受けても、大衆とハリウッドプロデューサー達に爆発的人気がなかった。
契約から4年後、パトリシアはワーナーとの契約を解除された。

それでもパトリシアにハリウッドでの需要はあった。
エイジェントが20世紀フォックスでの3本の出演契約を取った。

「地球の静止する日」(1951年)、「ステキなパパの作り方」(1951年 フォックスから他社への貸出出演)、「国務省の密使」(1952年)がフォックス時代の作品となる。
同時にホームグラウンドであるブロードウエイでの舞台出演も続けていた。

パトリシア・ニールの自伝「真実」によると、1951年には愛人ゲーリー・クーパーとの間で妊娠し、堕胎する結果となった。

クーパーとの恋愛は公然の事実化し「さすがに面と向かって批判されることはなかったものの、パーテイでそれとなく無視されるぐらいでは済まなくなった」(自伝「真実」より)

また、ハリウッドを襲った「赤狩り」では、クーパーもマッカーシー上院議員の聴聞会に召喚された。
クーパー主演の「真昼の決闘」(1951年)の脚本家カール・フォアマンの反米的姿勢を糾弾するために、クーパーから「友好的な」証言を得るのが聴聞会の目的だった。
自伝では、パトリシアは事前にクーパーに対し、フォアマンを擁護するように懇願したという。
クーパーはパトリシアとの約束を守り、ためにその後、ヘッダ・ホッパーら反動ゴシップ家から筆誅を加えられた。

「地球の静止する日」 1951年  ロバート・ワイズ監督  20世紀フォックス  DVD

パトリシア・ニールはこの作品について、自伝でいう「少しも気乗りがしなかったけれど、せっかくフォックス入りしたのに仕事がないというのでは格好がつかない。監督はロバート・ワイズ、これまでも私には親切な人だった。彼はこの映画に自信を持っていて、私の出演を希望したのだった。承知してよかったと、私は今思っている。」と。

「しかし白状すれば、撮影中、まじめくさった顔をしているのが難しい時もあった。くすくす笑い出しそうになるのをわたしが唇をかんでこらえていると、マイケル(・レニー:宇宙人役)も同じように我慢していて、やがて、いかにもイギリス人らしい慎み深い口調で、あなたはそういう風に演じたいというわけですか、と言ったものだった。」とも。

知り合いだったヒュー・マーロー(愛人役)や、新しく友達になったマイケル・レニー(UFOから降り立った宇宙人役)らとフレンドリーな撮影期間を楽しんでいたパトリシアの様子が生き生きと伝わってくる。

作品はロバート・ワイズ初期の意欲作。
突如ワシントンに降り立ったUFOから宇宙人とロボットが降り立ち、地球人に警告する「地球人同士の争いには不干渉だが、核をもてあそぶことには、宇宙に影響するので強く反対する」と。
地球人はこの警告に対し、「政治」は対処できず、「英知」の象徴である科学者は世界規模で集まったものの、「政治」に干渉され、結局、警告を残したまま宇宙人は去る。

映画の一場面。ロボットに円盤内部に連れ込まれる

SFに仮託した「政治」の狭量ぶりが描かれる。
群集は着陸したUFOの間近に集まり、見物し、宇宙人に親しみさえ感じる。
が、いったん軍隊との間に暴力的接触があると途端に手のひらを返し、むやみに宇宙人を恐怖の対象として排除する。
ポピュリズムと群集心理の恐怖だ。

DVDパッケージ。写真はラスト近く円盤からロボット、宇宙人とともに出てくる場面

映画のタッチは、スリラーを強調したものではなく、当時のアメリカ社会のおおらかなのんびりムードを基調にしたもので、ロバート・ワイズ監督の個性が表れている。
何よりパトリシア・ニールが、彼女のそれまでの映画出演の堅苦しさが嘘のように、生き生きと動いている。

髪の毛の色はワーナー時代後期に染めたブルネットで短髪のまま。
戦争未亡人で10歳ほどの息子を持つ活発な婦人役がよく似合う。
宇宙人の、正論で高邁な考えに同調し、世俗的な反応の愛人と訣別して行動する役柄でもある。

パトリシア・ニールにはハリウッド映画の「架空のお姫様」役より、子供の世話をしたりオフィスでテキパキと働く、行動的で現実的な女性の方がずっと似合う。

この後の「ステキなパパの作り方」(1951年 ダグラス・サーク監督)はウイキペデイアのフィルモグラフィーにも載っていない作品。
少し前にシネマヴェーラで見ることができた。

自伝には「フォックスからの他社出演で、ユニバーサルの軽いコメデイーに出演した。どうということもない映画だったが、ヴァン・ヘフリンと仕事をするのは楽しかった。私は彼が大好きだった。」とある。

「地球の静止する日」に続くコブ付き未亡人役のパトリシアは、この作品でも男の児2人の面倒を見ながらクルクルよく動きしゃべる母親役を気持ちよさそうに演じており、その芸達者ぶりは見ている方も楽しくなる。

以前に本ブログでも書いたが、一人の子供の役名が「ゲーリー」。
ハリウッド得意の楽屋落ちというか、脚本家の遊びというか、自虐ネタである。
渦中の愛人の名前を、たびたび大声で叫ばなければならない彼女の心中やいかに。
「プロ」だから平気なのか。

撮影中、セットにゲーリー・クーパーがたびたびパトリシアを訪ねてきたという。

このころ、セルズニックとジェニファー・ジョーンズ主宰の大パーテイに二人別々に招待された。
ゲーリーとパトリシアが連れ立って入ってゆくと、女達はさっと目をそらしたという。

二人はやがてすれ違い、別れることになるのだった。

「ハッド」 1963年  マーテイン・リット監督  パラマウント  DVD

ゲーリー・クーパーと別れたパトリシア・ニールは、イギリス人の児童文学者、ロアルド・ダールと結婚した。
最後まで「愛したことのない」(自伝「真実」より)人との結婚だった。

映画界とも離れたパトリシアはブロードウエイの舞台に復帰した。
「自分でも誇りに思える仕事がしたかった。家庭が欲しかった。自尊心も欲しかった。」(自伝「真実」より)。

結婚し、長女が生まれ、映画にも「群衆の中の一つの顔」(1956年 エリア・カザン監督)で本格復帰した。
「ハリウッドに見切りをつけ、ハリウッドは私に見切りをつけていると思っていた」(自伝「真実」より)矢先のこと。
ニューヨークアクターズスタジオ時代からの盟友カザンからのオファーだった。
二人目の子供(次女)がおなかにいるときの撮影だったが、「また映画の仕事ができたことは満足だった」(自伝「真実」より)。
「群衆の中の一つの顔」は彼女の代表作の一つになる。

「群衆の中の一つの顔」より。「ガッジ」とはエリア・カザンの愛称

「ハッド」もまた、アクターズスタジオ時代の仲間、マーテイン・リットからのオファーで始まった。
パトリシアには次女、長男が生まれ、不幸にも長女を風疹で.亡くし、長男もまた自動車事故で頭に重傷を負い手術を繰り返している頃だった。

「ハッド」について、パトリシアは、「マーティーと仕事ができるのがうれしかった。監督の要求には何でも応えればいいのだと思ったのは、エリア・カザンと組んで以来のことだった」と自伝で述べている。

最初のラッシュを見たリット監督がパトリシアに「君が鍋を扱っているのを見た瞬間にだね、これはいい、君は台所の勝手がわかっている女だと思ったね」と言ったという。

このエピソードを読んで、戦前生まれの日本女優の茶碗を洗うシーンを思い出した。
「須崎パラダイス赤信号」(1956年)の新珠三千代(1930年生まれ)は、流れ着いた飲み屋に住みこもうと、店の洗い場で茶碗を洗い始めるシーンでその手ばやさを見せた。
「いかなる星のもとに」(1962年)の山本富士子(1931年生まれ)は、出かける前にさっさとお茶漬けを食べた後、一連の動作のように茶碗を洗って片づけていた。
二人とも普段から茶碗洗いなど台所仕事に慣れており、また当時の日本女性には当たり前の動作であることをうかがわせる仕草だった。
パトリシア・ニールも、国は違うとはいえほぼ同年代に生まれ育った女性だった。

「ハッド」の一場面

牧場主(メルビン・ダグラス)と、不肖の次男ハッド(ポール・ニューマン)、死んだ長男の息子ロン(ブランドン・デ・ワイルド)、住み込みの家政婦アルマ(パトリシア・ニール)が暮らす西部の田舎町。
口蹄疫が広まり、牧場経営が音を立てて崩れてゆく。

親からは疎まれているハッドだが、甥っ子のロンはハッドに憧れている。
仕事ができ、女に手が早く、親に愛情を持つハッドは、要領がいいというか現代的考えの持ち主。
口蹄疫が発表される前に州外に牛を売れとか、牧場をやめて油田を掘れとか、未亡人との情事に夫が出てくるとロンのせいにして切り抜けるとか、そのたびに昔気質の親にがっかりされる。
21世紀の企業なら当然の倫理志向でもある「新自由主義」的な考えの持ち主のハッド。
一方で、父親からの愛情を求めてすねている。

住民たちの楽しみといえば、バーにたむろし、こっそり他人の女房を寝取ることを除けば、年に何回かやってくるロデオを見たり、住民参加のツイスト大会や豚を捕まえる競争に参加するくらいしかない田舎町。
開拓時代と異なるのは、鉄道が走り、モータリゼーションが普及し、テレビが映り、インデイアン(先住民と呼ばねばなるまい)がいなくなったくらい。

ハッドと正直一本やりの旧世代との断絶。
34歳独身で田舎町に暮らすハッドの、投げやりな性的放縦と年頃のロンにも忍び寄る性的な疼き。
男三人の所帯を切り回す離婚を経験した中年女のアルマが、男たちにとって全女性を代表するかのような存在であること。

やがて解体する家族。
親父は死に、ロンは出てゆき、アルマもまた。
それらを映画は淡々と描写してゆく。

「ハッド」のパトリシア・ニール

薄手のブラウスで下着をすかせながら、あるいは夜のベランダで裸足になりながら。
台所で鍋を扱い、料理をサーブし、朝寝坊のロンのシーツを剥ぎ取りながら、実年齢36歳になったパトリシア・ニールが田舎の男所帯の家政婦を演じる。

牧場の閉鎖とともに夜の長距離バスで町から去ってゆくアルマ。
過去ある女、名もなき女、ながら居場所と尊厳を求めてさ迷うが、実はプライドを秘めた女を見事に演じる。
パトリシア・ニールは、映画で人間の尊厳を表現できる人なのだ。

ポール・ニューマンの「ハスラー」(1961年)という映画があった。
ニューマンが場末のバーで一人の女に声をかける。
女を演じるのはかつてのお姫様役で、この時実齢29歳のパイパー・ローリー。
ニューマンに声をかけられたときの、無理に苦笑いを作るかのような表情。
小児まひで世をすねながら、酒がないと寝られない若くはない女を演じて、忘れられない印象を残す。
パイパーは、お姫様役からのイメチェンのためにアクターズスタジオで演技の勉強をし直して、この役に挑んだという。
彼女の演技への精進は「キャリー」(1976年)での狂信的な母親役での怪(快)演につながってゆく。

「ハッド」のパトリシア・ニールは、ブロードウエイとアクターズスタジオ仕込みの演技力ばかりではなく、実生活の重みがもたらす人間性の深さをにじませながら、アルマという役を演じた。
アルマには、単に人生に疲れ男への期待も失せた中年女の姿だけではなく、それでもなお湧き上がる性的匂いと母性の偉大さ、が立ち込めていた。
インテリでもあるパトリシアの演技は「中年女の汚れ役」とはこういう風に演じるのだよ、と具体的に示してくているかのようだった。

パトリシア・ニールはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞。

その後、第5子の妊娠中に脳卒中を発症。
奇蹟的に回復し、4女も無事誕生。
50歳台になって亡きクーパーの妻、娘と和解。
30年連れ添ったロアルド・ダークと離婚。
の生涯を送ることになる。

女優パトリシア・ニール その2 ワーナー時代

1926年生まれのアメリカ人女優パトリシア・ニールは、ブロードウエイで新人賞、トニー賞などを受賞し、ハリウッドからスカウトされた。

自伝「真実」によると、サミュエル・ゴールドウインやデヴィッド・O・セルズニックなどに食事に呼ばれたとあるが(セルズニックには食事の後にベッドに連れ込まれそうになった、とも)、契約したのはワーナーブラザーズ。
契約料は週給1250ドル(最高で3750ドルにアップ)、舞台出演の際はニューヨークへ戻ってよいとの内容の7年契約だった。

この7年契約は満期を迎えることなく解約となったが、1947年から51年途中までのワーナー専属時代、パトリシア・ニールは8本ほどの映画に出演している。

8本の内訳をみると、ロナルド・レーガンとの共演が2本、ゲーリー・クーパーとが2本。
ジョン・ガーフィールド、ジョン・ウエイン、リチャード・トッドとが各1本。
監督ではキング・ヴィドア(「摩天楼」)、マイケル・カーティス(「破局」)の作品に起用されている。
パトリシア・ニールがA級作品に起用されていることがわかる。

ワーナー時代には後世に残るような作品は少ない(「摩天楼」くらいか)。
というか大ヒット作品はなかったし、大衆に訴えるような作品はなかった。

世界の古典映画をデータ素材で仕入れ、新しくスーパーインポーズをいれて公開している、シネマヴェーラ渋谷の特集で、「摩天楼」と「破局」の上映があった。
DVDで見た「太平洋機動作戦」と併せて、パトリシア・ニールのワーナー時代を振り返りたい。

「摩天楼」「破局」が上映中の渋谷シネマヴェーラ

「摩天楼」 1949年 キング・ヴィドア監督  ワーナーブラザーズ   シネマヴェーラ渋谷

ハリウッドに身を投じ、ワーナーと専属契約を結んだパトリシア、2本目の作品。

自伝「真実」によると、1本目の「恋の乱戦」の時の映画撮影現場が好意的に述べられている。

スタジオのセットが夢の国のようで、共演のロナルド・レーガンは陽気でフレンドリーだったこと。
映画俳優としてのプロ意識にたけた俳優たちに感銘を受けたこと、など。

「摩天楼」ゲーリー・クーパーと

第二作目の「摩天楼」は、1940年代のアメリカのベストセラー小説の映画化で、ワーナーの大監督、キング・ヴィドアに声をかけられてヒロイン役に挑んだという。
自伝では、ヴィドア、クーパーとの顔合わせやスクリーンテストのことが、昨日のことのように生き生きと語られている。
パトリシアが生涯で唯一愛した男クーパーとの邂逅だ。

二人は撮影中に急接近した。
自伝には、毎日撮影後にクーパーの部屋に電話して翌日のスケジュールなどを確認するパトリシアとそれに喜んで答える48歳のクーパーの描写がある。
二人のスタンドインがいたものの、パトリシアとクーパーはリハーサルやセッテイングの最中も二人で身じろぎもせずにその場にとどまっていて、スタンドインに仕事をさせなかったことも。

撮影終了の打ち上げパーテイーの夜、二人は結ばれる。
長い恋愛の始まりだった。

「摩天楼」パトリシア・ニール

「摩天楼」のスクリーン上の世界よりも、自伝に語られているパトリシアとクーパーの出会いと恋愛の方が数倍もフレッシュで輝いている。

170センチを超える長身とすらっとしたスタイル、流れるような金髪のパトリシアは、ロングドレスや乗馬服に身を包みカメラ映りがいい。
バリバリのハリウッド式メイクにもなじんでいる。
「(40年代ハリウッドの)映画俳優とはこういうものだ」と自覚し、場に溶け込もうとするパトリシアの素直で積極的な姿勢がうかがえる。
低い嗄れ声のセリフ回しは今となってはわざとらしいが、パトリシアのハリウッドへの順応の一環でもある。

「摩天楼」は己の信念を曲げない建築家の主人公が、石切り場の工夫に身をやつしながらも這い上がり、認められるというストーリー。
ヒロインとの間の性的葛藤の味付けをしながら(パトリシアがクーパーを鞭打つシーンもある!)。

パトリシア・ニールは演技力もさることながら、輝くような若さに加え、セックスアピールがあり、まさにハリウッド女優の誕生!の瞬間を見るようである。
が、彼女の本質を生かした配役でないこともまた窺える。

それよりもその長身とややしゃくれた顔は、ディズニーの「101匹わんちゃん」の悪漢の女ボスを思い出してしょうがなかった。
あれは確実にパトリシア・ニールを盗んだ(カリカチュアした)アニメキャラだ。
アニメキャラとなるくらいの影響力をパトリシアは若くして持っていたのだ。

シネマヴェーラの特集チラシより

「破局」 1950年  マイケル・カーテイス監督  ワーナーブラザーズ  シネマヴェーラ渋谷

パトリシア・ニールのワーナー5本目の作品。
監督に「カサブランカ」のカーテイス、主演に舞台出身の実力者で映画でも人気のあったジョン・ガーフィールドを起用したA級作品。
原作はヘミングウエイの「持つと持たぬと」。

ヘミングウエイの原作は44年に「脱出」として映画化されているが、「脱出」はウイリム・フォークナーのオリジナル脚本とハワード・ホークスの演出による冒険活劇ともいうべき作品とのことで、この「破局」のほうが原作に忠実だという。

ガーフィールドとパトリシア・ニール

腕が確かで真面目なことから信頼を得ている船頭(ガーフィールド)が、日銭に不自由する健気な妻とかわいい子供のため、キューバとの間の密輸に手を染める。

長年の相棒は黒人の船乗りで主人公とは絶妙のコンビ。
金のためにギャングの強盗の手助けを請け負うが、相棒を殺され、自力でギャングと対決する主人公。
その戦いは、孤独で陰惨で残酷。
主人公は自力で窮地を脱する、全幅の信頼を置く相棒と己の腕1本を失って。

やむを得ないとはいえ、人の道に背いた行いを、犠牲を払いつつ自力で落とし前をつける姿が、身を切るような描写で描かれる。

まじめで妻一筋の男の苦悩をガーフィールドが演じる。
ユダヤ人でストリートキッズ上がり、演劇で出世した後もハリウッド赤狩りのターゲットとなったガーフィールドが死ぬ直前に出演した作品。
主人公に絡む身持ちの悪い女にパトリシアが扮する。
柄の悪い役もちゃんとこなす演技が見られる。

「破局」の撮影シーン。

第二次大戦は終わったが、朝鮮戦争を目前にして、国内では反共ヒステリーが吹き荒れたアメリカ。
オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、マイケル・カーテイス監督のタッチもひたすら暗い。
救いは「持たざる者」ガーフィールド一家の健気な妻(フィリス・サックスター)への視線のやさしさ。
そして主人公の危機脱出の後、父親が殺されたことを知らぬ黒人の少年(主人公の相棒の息子)が港に一人取り残されるラストシーン。

最後まで女(パトリシア)の誘惑になびかず、家で待つ妻に操を立てる主人公もいい。
女と敵はなぎ倒してゆくのがアメリカ映画の「タフな男」というお約束の中、真に勇気ある男の姿を描いたのは、ユダヤ人カーテイスの真骨頂か。

マイケル・カーテイスにとって「破局」は「カサブランカ」に次ぐ「アメリカンヒーローもの」なのかもしれない。
「カサブランカ」のボギーがかっこよい表のヒーローだとすれば、「破局」のガーフィールドは、持たざる者の陰のヒーローとしての。
自らまいた種とはいえ、窮地に陥った時は自ら実力をもって解決に当たり、愛するものを決して裏切らず、の陰のヒーロー方が真の勇者なのかもしれない。

パトリシアの「自伝」ではこの作品について、「ガーフィールドはいつも強烈な動物の雄のエネルギーを放射していた。女には抜け目なく手が早かった。彼は私の手を取ると俺の気持ちわかるだろ、といった。彼の気持ちはよく分かったが、彼を相手にそんなつもりはなかった。私はゲーリーの女だった。」と述べている。

「わたしはゲーリーの女だった」。

決まった!

シネマヴェーラの特集チラシより

「太平洋機動作戦」 1951年  ジョージ・ワグナー監督  ワーナーブラザーズ  DVD

パトリシア・ニールのワーナー7本目の映画、この後の「草原のウインチェスター」を最後にワーナーブラザーズを離れることになる。

ジョン・ウエイン主演の第二次大戦を舞台とする潜水艦もの。
共演にワード・ボンド、ジャック・ペニックを配してのバリバリ男性路線。
パトリシアはわけあってウエインと別れたが、まだ愛し合っている看護婦を演じる。

「自伝」でパトリシアはいう。
「ジョン・ウエインは大衆には大変な人気者だったが、私にはまったく訴えてくるものがなかった。彼が相手では私の魅力も発揮できなかったと思っている」。

また、「私はこの撮影所(ワーナー)にとって金食い虫になりつつあった。映画評論家たちは思いやりがあったが、興行的に大成功を収めたことはなかった。私は新しいガルボになってはいなかった。」とも。

すでに7作目にしてパトリシアが自覚している状況が影のようにこの作品を覆っている。
髪をブラウンに染め、看護婦のコスチュームに身を包むパトリシアだが、背の高さとスタイルの良さが生かされておらず、長身を持て余した猫背の女性に見えてしまう。
ジョン・ウエインとの共演も水と油。

作品そのものも、アメリカ海軍の潜水艦乗りに敬意を表するのはわかるのだが、たとえば急速潜行中に艦長らがタバコを吸ったり、日本海軍駆逐艦の爆雷攻撃中に艦内の食堂でまったりコーヒーを飲んだり、と、どうなの?という表現が横行している。
だいたい潜水艦内の描写に緊張感がない。

ドイツや日本の潜水艦ものに比べ、悲壮感がないのは半分は事実だろうが、艦内の食堂がロードサイドのダイナーのように居住性良く描かれるのは違和感がある。
日本軍が登場するシーンの背景に中国風の音楽が流れるに至っては、がっかり。

ジョン・ウエインを見に来た観客は満足するのだろうが、史実に忠実な戦争映画も数多いハリウッドにあって、この作品は旧態依然というか、大衆におもねた作品に見える。
パトリシア・ニールを生かしきれなかった典型的な作品だと思う。

この時期、実生活でのパトリシアはクーパーとの間の子を妊娠したことに気づいていた。

女優パトリシア・ニール その1 「真実」

パトリシア・ニールというアメリカ人女優がいる。
1926年生まれ、南部のテネシー州出身。
年代的には戦中派(日本でいう昭和元年生まれ)。

地元の大学を中退して舞台女優を目指す。
1946年にブロードウエイデヴュー後、新人賞、トニー賞を受賞。
1947年にワーナーブラザーズと7年契約を結びハリウッド入りした。

ハリウッド入りしたパトリシア・ニールは第二のグレタ・ガルボとして売り出されたが、ヒット作に恵まれず、むしろ「摩天楼」(1949年)で共演したゲーリー・クーパーとの恋愛ゴシップを最大の話題としてハリウッドを去った。

パトリシア・ニールが再び映画で脚光を浴びるのは、「群衆の中の一つの顔」(57年 エリア・カザン監督)、「ティファニーで朝食を」(61年 ブレイク・エドワーズ監督)、「ハッド」(62年 マーテイン・リット監督)などに出演してからのことになる。

この度、渋谷のシネマヴェーラの特集で「摩天楼」と「破局」(50年)が上映された。
いずれもパトリシア・ニールがワーナーブラザーズと専属契約を結んだ期間中の作品である。
また、筆者の手元には今までに集めたパトリシアの出演作のDVD(「太平洋機動作戦」「地球の静止する日」そして「ハッド」)がある。

ここは「早すぎた演技派女優」パトリシア・ニールを集中して見ようではないか。
まずは買ったまま積読していた彼女の自伝「真実」を紐解いてみよう。

「パトリシア・ニール自伝 真実」 1990年 新潮社刊

仮にもハリウッド女優と呼ばれたスターがこんな赤裸々で正直で自省的な伝記を書くものなのか。
というのが読んでいる間の感想。

キャサリン・ヘプバーンの自伝「Me」も、かなりざっくばらんで、あけすけだったが、映画界入りから引退まで「勝ち組」で通した、ワスプ出身の医者の娘ケイト(キャサリンの愛称)と違い、南部出身で何の後ろ盾もないパット(パトリシアの愛称)が、決して順風満帆とはいえなかった半生を、ここまでさらけ出すには勇気がいったことだろう。

クーパーとの恋に破れ、作品のヒットもなく、契約半ばにしてワーナーを去り、その後しばらく映画界を離れていたパトリシア。
夢である結婚をし、待望の出産、舞台活動再開、映画界カムバック、子供を亡くし、妊娠中に脳溢血、奇跡の回復と離婚、クーパー亡き後の妻・娘との和解、修道院・・。
劇的な人生の変遷なくして到達しえない境地がこの自伝にはある。

自伝はまた、ブロードウエイ時代、ハリウッド時代の活躍と栄光にも触れてはいるが、パトリシアの人生の目的の一つでもあった「家族を生む」ために、愛してはいないロアルド・ダールと結婚し、5人の子供を産み育てる間の記述がボリューム、内容共に圧倒的だ。

そこには、女優を目指す目立ちたがりでわがままな、一人の南部出身の女性の叫びとともに、一般的な女性の幸せを願い自らの人生でそれを実現させようともがく「戦中派世代」の伝統的なアメリカ人女性の偽らざる姿がある。

ゲーリー・クーパーとパトリシア・ニール

脳溢血で倒れ、回復する中でゲーリー・クーパーの娘マリアと文通をし、会う。
マリアからクーパーとの間に子供ができたのは本当か?と聞かれ、本当だと答えると「すごく楽しかったでしょうね、あなたが私の新しいお母さんになっていたら」とマリアが言う。
パトリシアとクーパーの哀しい愛が成就した瞬間だった。

人生で唯一愛した男、ゲーリー・クーパーとの愛を、紆余曲折がありながらも全うできたパトリシアは、やはり選ばれた人間なのだろう。

この自伝の根底を貫いているのは、自分が自分らしくありたいとの一念。
そしてたどりついたのが、個人の執念や願望を越えたところに「神のみ心」とでもいった普遍的な愛の世界が広がっているだろうことへの素朴な信仰心とでもいうべき境地。
彼女は多くを求めず、しかし自分の信ずるところは徹底してこだわり、結果すべてを得た、のかもしれない。

なお、映画時代についての記述が少ないとはいえ、ウィキぺデアのフィルモグラフィーには載っていない映画作品(「ステキなパパの作り方」1951年 ダグラス・サーク監督)についての記述もあり、パトリシア自身の活動の記録という意味でもこの自伝は貴重である。

自伝「真実」裏表紙

「映画の友」 1951年5月号

筆者が神保町の古本屋で見つけて購入。
パトリシア・ニールが日本の映画雑誌の表紙になっているのが珍しかったので。

「映画の友」1951年5月号

51年といえばパトリシアが鳴り物入りでワーナーと専属契約を結んでいた頃。
デヴュー2作目の「摩天楼」は日本での評判が良かった。
またパトリシア自身が朝鮮戦争兵士の慰問の際に日本に立ち寄ったこともあり、売り出し中の新進女優として注目されていたことがうかがえる。

雑誌の本文中にパトリシアに関する記事はないが、読者や編集室に送られてきた(ファンレターの返信に同封された?)サイン入りブロマイドの紹介コーナーに、パトリシアのものが載っている。
表紙ともども今では貴重なものだと思う。

当時のパトリシア・ニールのサイン入りブロマイド

「マイベスト37」 淀川長治著 1991年 テレビ朝日

テレビ朝日の「日曜洋画劇場」放送25周年記念出版。
淀長さん映画人生80年の書き下ろし。
なんとその37人の中にパトリシア・ニールが含まれている。

淀川長春「マイベスト37」より

淀長さんとパトリシアの最初の出会いは、49年の日本でのインタヴュー。
第一ホテルに逗留中のパトリシアに「映画の友」編集人の淀長さんが取材に行ったもの。
「高飛車な生意気なところが爪の垢ほどもなかった」というのが、この時の淀長さんのパトリシアに対する印象だった。

あけて1951年、わが淀長さんは「映画の友」特派員としてハリウッドを訪問。
なんと淀長さんのハリウッド来訪を知ったパトリシアから、20世紀フォックスのスタジオに呼び出しがあって淀長さんはびっくり仰天。

宣伝部長に案内された淀長さんが、フォックスの食堂で待つと、現れたパトリシアは厚手のぱさぱさしたスカートにサンダル履き。
スパニッシュオムレツとミルクを注文した。

同じものを注文した淀長さんが、いつもの習慣でミルクに砂糖を入れると、「あんたケーキでも作るの!」とパトリシアが叫んだ。

タイロン・パワーと共演の「外交特使」を撮影中だったパトリシアは、三つ隣のテーブルにパワーがいるにもかかわらず「(パワーは)大根よ」といったので淀長さんが慌てて、そんなことここで言ったら首になりますよ、と言ったら。
パトリシアは声をたてて笑いながら「そうなったら舞台に戻るわ」とウインク。

淀長さんが思い切ってクーパーとのことを聞くと、パトリシアは顔を赤くして椅子からずり落ちそうな格好をしたが、「ノー」とは言わなかったと。
淀長さんさすがのナイスクエスチョン。

「群衆の中の一つの顔」より

なんと幸福な淀長さんと若き日のパトリシアの会話だろう。
淀長さん一流のだれにでも可愛がられるオープンな性格もさることながら、二人の波長が合うというのか。
二人ともこれ以上ないイノセントというべきなのか。

ざっくばらんでチャーミングなパトリシア・ニールの人となりが会話に表れていて、貴重な記録というほかはない。

ロバート・アルトマン傑作選より「雨にぬれた舗道」

長野相生座での「アルトマン傑作選」に駆け付けた。
アルトマンといえば70年代アメリカ映画のアイコンの一人。
「マッシュ」(70年)と「ロンググッドバイ」(73年)しか見ていない筆者だが、作品とともにアルトマンの名前に印象は深い。
当時は次々と新作が発表され話題になっていた監督だった。

この度の傑作選は、コピアボアフィルムの配給。
セレクトは「雨にぬれた舗道」(69年)、「イメージズ」(72年)、「ロンググッドバイ」の3本。
アルトマン初期の、今では上映機会がほとんどない作品たち。
配給のコピアボフィルムは、相生座の支配人によると「旧作の再輸入を積極的に行っている会社」とのこと。

相生座の上映案内板より

「雨の中の舗道」 1969年  ロバート・アルトマン監督 パラマウント

レアな作品を見た。
懐かしくもマイナー感漂う、70年代のアメリカ映画の匂いがした。

70年代前後、ベトナム戦争の疲弊感もあり、時代に敏感な当時の新進作家たちが、アメリカに代表される現代社会を批判的に描くようになった。
それまでのハリウッド映画では企画にも上らなかった社会の現実や人間の孤独、女性や障碍者、少数民族などの立場に立った作品が発表された。
「イージーライダー」を先頭に「泳ぐ人」、「愛はひとり」、「ジョンとメリー」、「ナタリーの朝」などが次々と発表された。
描かれたのは排除されるヒッピー、ひとかどの社会人の孤独、都会の女性の孤独、若者同士の虚無なつながり、底辺の若者の自立、だった。

ロバート・アルトマンはテレビでデビューし、「雨にぬれた舗道」は長編劇映画の3作目。
テーマは女性の心理、それも経済的にも身分的にも何不自由ない、まだ若い女性の精神的、性的な葛藤。
アルトマンは、この作品の後「マッシュ」で大ヒットを飛ばし、人気作家となる。
その後、女性心理を描いた「イメージズ」(封切り時は日本未配給)、「三人の女」(77年)という作品を撮っており、こういったテーマに重大な関心があることがわかる。

主演はサンデイ・デニス。
舞台出身の実力派だが、筆者には「愛のふれあい」(1969年。小さな恋のメロデイ」のワリス・フセイン監督作品ということで注目した)、「おかしな夫婦」(1970年。愛川欽也の吹替で忘れられない?ジャック・レモンとの共演)でリアルタイムに接しており、コメデイもできる愛らしい女優との好印象を今に至るまでもっていた。

サンデイ・デニスというこの女優さん、愛らしいコメデイエンヌというよりは、例えば「結婚式のメンバー」(52年 フレッド・ジンネマン監督)で実年齢26歳で12歳の少女を演じ、舞台演劇そのままにしゃべりまくって観客を置き去り?にしたジュリー・ハリスが、商業映画「エデンの東」(55年 エリア・カザン監督)では全観客を味方につけるヒロインに化けたように、いかようにもヒロイン像を演じ分けられる、舞台出身の実力派女優なのだった。

サンデイ・デニス

映画は、サンデイ扮する主人公が雨の日、マンションの窓から、公園のベンチで濡れそぼる若者を見掛けたときに始まる。
マンションに連れ込み世話をし始め、食べさせ、泊まらせる主人公。
身は固く、自分に言い寄る初老の医師のことは生理的に拒否している主人公は、初老の金持ち階級とのパーテイくらいしかやることがなく、心底退屈しており、モノを言わない若者相手に嬉しそうに独白状態でしゃべり続ける。

若者は低層階級の長男で、姉との待ち合わせのために公園のベンチに座っていただけだということがわかる。
自問自答のような独白が続いた後、いよいよ若者に迫ろうとする主人公だが若者には全くその気はない。
やがて残酷な幕切れを迎える。

「雨にぬれた舗道」よりサンデイと若者

ほぼサンデイ・デニスの独演(連れ込んだ若者そのものが彼女の幻影だったという解釈も成り立つ。映画はそうは描いていないが)による女性の内面の世界が描かれる。
性的な葛藤がテーマの一つだが、アルトマンは即物的な描写はしない。
映画のシチュエーションが、独身女性が名前も知らない若い男を連れ込んで、飼い続けるというとてつもなくインモラルなものにもかかわらず。

サンデイがさんざん独りよがりの挙句、若者に葛藤をぶつけた瞬間に、彼が言葉を発するシーンがある。
後半の場面の急転であるが、アルトマンは映画的な盛り上げを否定し、あっさりとした撮り方をする。
ショッキングではあるが観客の期待には応えていない。

サンデイの演技力と存在感が辛うじて画面を支えてはいるが、アルトマンの狭量な世界観が映画のふくらみを狭めていた。

70年代前後は価値観の転換期。
「女性の孤独」「性的な葛藤」を描くブームの中で企画が通り、パラマウントが配給することになった作品だが、意あって言葉足らず、公開後はほぼお蔵入りの扱いとなったのもしょうがない。

アルトマンを研究するについては貴重な作品だが、筆者にとっては見るつもりだった「イメージズ」の見る気をうせさせた作品。
同じようなテーマで、手法がより複雑奇怪に進化している作品を見るのはしんどいから。

アルトマン傑作のチラシより

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代③ ジャック・フェデーとフランソワーズ・ロゼエ(補遺)

ジャック・フェデーはトーキー以降、戦前にフランス映画を3本撮っています。
本ブログでは、そのうち「外人部隊」と「女だけの都」を紹介しましたが、残り1本「ミモザ館」を見る機会がありました。

「ミモザ館」 1934年  ジャック・フェデー監督  フランス

フェデーがハリウッドから帰って「外人部隊」を撮った後の作品。
この後に「女だけの都」を撮ってパリを離れる。
「ミモザ館」を含めた戦前のトーキー3本は、いずれも夫人のフランソワーズ・ロゼエを主演クラスで起用している。

死に瀕した息子と母(フランソワーズ・ロゼエ)

ミモザ館という安宿をニースで営む夫婦がいる。
夫は公営ギャンブル場の管理職で、ギャンブルデイーラーの養成学校の講師も務める。
夫婦には養子がいて特に母親(ロゼエ)は息子を可愛がっている。

時がたちパリに巣立った息子(ポール・ベルナール)は、詐欺師や売春婦がたむろする安宿を根城に、盗難車を転売している。
賭け事には眼がない。
母親が心配してパリにやってきて、折からギャングのボスに焼きを入れられた息子を看病する。
息子はボスの情婦(リズ・ドラマール)に手を出したのだった。

息子は母の説得でニースのミモザ館に帰り、車販売の仕事に就く、が、ボスの情婦が忘れられない。
やがて情婦もミモザ館で息子と暮らすが、庶民の暮らしで我慢できる女ではなく、母とも全く合わない。

母は息子を取り戻すため情婦の居所をボスに伝え、やってきたボスが女を連れ去る。
息子は落胆し、また会社の金を使って賭博で穴をあける。
息子は自死して母の見守る中、その生涯を終える。

母と息子の葛藤

「外人部隊」は社会人としてダメダメの男が、パリで別れた女を生涯忘れられない、という作品だった。
「ミモザ館」の息子も、ぜいたくで浮気性で華美なパリの女を忘れられず人生が破滅する。

どうやら、浮気性の女へのダメな男の片思い、というのがフェデー好みのシチュエーションのようだ。
ぜいたくで、華美で、浮世離れして、だからこそ魅力的な女性と、何度も同じ失敗を繰り返すが人間味はある男の出会いこそが、フェデー劇のパターンの一つのようだ。

フェデーの狙いは、弱い人間同士がどうしょうもない己の業に振り回される様を、ある時は同感を込めてある時は淡々と見つめること。
そこでは倫理観や宗教観に基づく価値判断はない。
フランス映画らしい「人間主義」が貫かれる。

さらにこの作品では、ロゼエ扮する母親の息子への愛という禁断のシチュエーションが加わる。
これこそ無償のといおうか禁断のといおうか、周りが何といっても突き進むタイプの愛情だ。
この作品でも破滅に瀕する息子に妄信的な愛をささげる母親をロゼエが演じる。
一方息子は息子で、出て行った女を死ぬ間際でも忘れられないのが、フェデー流人間描写の粋なのだが。

フェデーとシャルル・スパークによるダイアローグの名調子を、舞台出身の名優たちが名演技で応える。
フランス映画のまさに黄金時代の作品。

フェデーについての文献は手元にないが「天井桟敷の人々」の名女優、アルレッテイの聞き書きがある。
この中にフェデーと「ミモザ館」についてのアルレッテイの言葉がある。
「ミモザ館」での、詐欺師と売春婦が集うパリのカフェ兼安宿のシーンで、息子を待つフランソワーズ・ロゼエの隣で食事をしつつ会話を交わす夜の女の役でアルレッテイが出演しているのだ。

アルレッテイ曰く「フェデーは天性のプレイボーイなの。頼りがいがあってエレガントで、それはもう魅力いっぱいなわけ。(中略)完全主義者で厳格この上ないけれど、常にエレガンスをまとっている人。(中略)フランソワーズ・ロゼエは優しい人で、いつも役者たちの面倒を見ていたわ。」。

フランス映画黄金時代の巨匠、の歴史的位置づけには異論がなかろうが、今では忘れられてしまった感のあるジャック・フェデー作品。
ヒリヒリとした人間の描写に重みとフランス映画の歴史が感じられる。

家城巳代治と「弾丸大将」

家城巳代治は筆者が敬愛する映画監督です。

戦前に松竹に入社、渋谷実に師事し、1944年に監督デヴュー。
以降、松竹で4本を監督。
戦後は松竹の組合委員長を務め、1950年にレッド・パージの対象となり松竹を退社。
その後は、主に独立プロで「雲流るる果てに」(1953年)、「異母兄弟」(1957年)など社会派の力作を発表した。1976年死去。
妻は女優でエッセイストでもあった家城久子。

筆者は家城監督作品のうち「雲流るる果てに」、「ともしび」(1954年)、「姉妹」(1955年)、「胸より胸へ」(1955年)の4本を見ていた。
いずれも松竹レッド・パージの直後の独立プロ作品だ。

独立プロ作品とはいいながら「雲流るる果てに」の主演は鶴田浩二、「ともしび」には香川京子、「姉妹」には中原ひとみと野添ひとみ、「胸より胸へ」には有馬稲子が出ている。
いずれも邦画メジャー所属の俳優、女優だったりする。
これらの作品、「ともしび」を除けば配給が松竹、東映などメジャーによるもの。
パージされたとはいえ、家城は松竹で監督昇進した実力者であり、配給、配役の結果を見るにつけ、メジャー作品並みの扱いである。

妻の久子によるエッセイ「エンドマークはつけないで」が手元にある。
内容は家城と久子の出会いと結婚から死別までの間、久子自身の生き方(俳優学校への入学と女優活動、脚本執筆、子供が生まれた後の地域活動、家城プロの設立)を中心に、夫家城の松竹退社後の映画製作の苦労や文化人としての活動ぶりを愛情豊かにつづったもの。
家城監督については、その知識旺盛で誠実な生き方と映画撮影時の厳しさが活写されている。

家城監督と久子夫人

「雲流るる果てに」は特攻に没した学徒兵の手記をもとにした作品。
鶴田浩二が願っての主演。

作品は、特攻に臨む学徒兵の苦悩を中心に、毎日女郎屋に入り浸る仲間、脱走を誘った学徒兵が出撃した後は抜け殻のようになる女教師(若き日の山岡久乃)などの人物像を描写。

当時の教条的左翼史観からすると「好戦的映画」とも評されたと聞く。
しかしながら、鶴田がいつものヨタった演技が嘘のように熱演し、また滑走するゼロ戦を原寸大で再現しての力作。

戦時下を知る映画人の制作による淡々とした造りは、見る者の心にしみた。

「雲流るる果てに」より鶴田浩二と山岡久乃

「ともしび」は子役らを集めて地方に長期ロケした作品。
東北の戦後直後の中学生の生活ぶりが描かれる。

乳飲み子の末妹を背負い、学校に通う中学生は、妹が圧迫されないように立って授業を受ける。
囲炉裏端のランプの光を頼りにミカン箱で勉強する中学生のもとに補習に通ってくる先生(内藤武敏)を中心に陽気に笑い合う中学生たち。

作品のタッチは生活の厳しさのみを描くのではなく、子供たちの底抜けの明るさ、そこはかとないユーモアを欠かさない。

「ともしび」より香川京子

「姉妹」は忘れられない作品。
ダムの管理で山奥の社宅を転々とする一家の姉妹の物語。

妹役の中原ひとみがいい。
東映の番線番組では準主役の町娘が定番だった彼女がこの作品では芯のある娘を演じる(今井正の「純愛物語」の彼女も良かった)。

社宅の前の道は雨が降ったり雪解けの時は泥んこ。
その道を下駄で歩く姉妹。

河原で牛を飼う訳ありの夫婦(殿山泰司ら)がいる。
近所の嫌われ者の夫婦を「でも私は好きだよ」と何事もないように擁護する妹。

姉は結婚する、嫁入りはバスで。
花嫁姿の姉がバスの後部座席から手を振る。

なんということはない地方の庶民の生活が淡々と描かれる。
その貴重さ、強さ、楽しさ、美しさ。

「姉妹」より中原ひとみと野添ひとみ
姉の嫁入りの場面
「姉妹」演出中の家城監督。左から二番目は久子夫人。

家城監督の遺作は、妻の久子の脚本による「恋は緑の風の中」(1974年)。
家城プロの第一回作品で原田美枝子の映画デヴュー作でもある。

製作中に東宝の配給が決まったという。
やはり腐っても松竹の監督出身者、家城監督は何か持っている。

一人息子を育てた経験を持つ久子が脚本を書き、青春ものはと渋る家城監督を説得し、配給が決まらないままにスタートした作品だという。
筆者は未見。

「恋は緑の風の中」のノベライズ本。原田美枝子と佐藤佑介

家城監督は、1954年から7年間、東映と専属契約を結び9本の作品を作った。
「異母兄弟」という家城監督の代表作を独立プロで発表した後のことで、監督後期のフィルモグラフィーを成す作品群を東映で撮っていたのだ。

これには、時代劇で観客動員を続け、勢い余ってニュー東映なる配給ルートを作り、東映東京撮影所の現代劇で新配給ルートを埋めようという東映大川社長の思惑があった。
そこで監督として信用のある家城に話があったことがうかがえる。

東映で家城は、のちの東映のエース監督となる佐藤純也、降旗康夫を助監督に起用した「東映家城組」をなし、佐藤らとは後々まで師弟関係であった。
映画史に残ったり、賞を取るような作品は作らなかったが(「裸の太陽」のベルリン映画祭青少年向き映画賞受賞を除く)、当時の若手女優のホープ、佐久間良子や三田佳子を起用した興味深い作品群を撮っている。

今回、ラピュタ阿佐ヶ谷で「ニュープリント大作戦」と題した特集があった。
これまで数々の特集上映に際し、新しくプリントを焼いて(多くはラピュタ持ち出のことと思われる)上映した作品を集めた特集だ。
その1本に家城監督東映時代の「弾丸大将」(1960年)があったので駆け付けた。

「弾丸大将」 1960年  家城巳代治監督  東映

家城監督が東映専属になって3本目の作品。
テーマは米軍演習場で身の危険を冒して不発弾や薬きょうを回収する日本人の姿を通して、静かに反戦を訴えるもので、家城監督の信条から逸脱するものではない。

ラピュタ阿佐ヶ谷のロビーに掲示されたポスター

手法的にはますます教条的左翼主義を排した自由なものとなっている作品。
主演の南廣扮する「不発の善ちゃん」は米軍演習場で不発弾を掘り出し、信管を抜き、火薬を抜いて売るのが得意。周りには、暴発により夫を亡くした未亡人(淡島千景)や、未亡人と両思いになった挙句暴発で死ぬ男(木村功)など、周辺の部落民が跋扈する。

善ちゃんは女(春丘典子)がいるものの、未亡人に惚れて通い詰めるが、未亡人は木村功が死んでから心ここにあらずとなり、偶然近づきになった米軍人と結婚を約束する。
渡米前の準備金にと不発弾を掘る未亡人だが善ちゃんの目前で爆死する。

映画はひたすら演習場で着弾地点へ「突撃」する善ちゃんたちを活写する。
善ちゃんたちは、戦争が終わっても自ら危険を顧みず、まっしぐらに行動する日本人そのものだ。
部落の飲み屋の描き方、善ちゃんと女の描き方、善ちゃんの未亡人への迫り方も描かれるが、家城監督らしくその描写に良識は失われない。

淡島千景と南廣

川島雄三ならハチャメチャに破廉恥に、今村昌平ならねちっこくいやらしく撮るであろう、田舎の無学な衆の居酒屋におけるふるまい、男の女への迫り方、は淡々と演出される。
人間の生態描写がこの映画のテーマではないということだ。

善ちゃんはまた教条的左翼ではないので、生活のためには米軍基地反対はせず、代わりにやってきた自衛隊に対しても弾拾いを敢行する。
実践的で生活力が旺盛なのだ。
それが善ちゃんの限界でもあるのだが。
善ちゃんは戦後のわれわれ日本人の姿なのだ。

特集パンフより

あまり効果的ではなかった(というか、もったいないキャステイング)が、都会から開拓部落にやってきた場違いな美人未亡人役の淡島千景。
こういったメジャーなキャステイングも、家城監督の実力と人脈がなせる業なのだろうか。

貴重な東映専属時代の家城作品に接することができた。

「弾丸大将」演出中の家城監督

DVD名画劇場 フランス映画黄金時代② ジャック・フェデーとフランソワーズ・ロゼエ

トーキー移行で、アメリカやドイツに後れを取ったフランス映画は、1930年になってトーキー時代を迎えた。
そのころにフランス映画界は、サイレント時代にデビューを果たしていた、ルネ・クレール、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエらが監督の中心におり、その一人にジャック・フェデーがいた。

フェデーはベルギーの生まれ。
サイレント時代のフランス映画界で頭角を現し、ハリウッドのMGMと契約して渡米。
何作か発表したものの評判に至らず、フランスに戻っていた。
夫人はフランス演劇界の大女優、フランソワーズ・ロゼエである。

ジャック・フェデー

1930年代のフランス映画は、歴史的名作、「巴里の屋根の下」(1930年ルネ・クレール)、「望郷」「舞踏会の手帖」(いずれも1937年ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)、「どん底」(1936年 ジャン・ルノワール)などなど、を生みだし続けていた。

フェデーはこの時期に「外人部隊」「ミモザ館」「女だけの都」を発表する。
いずれも夫人フランソワーズを主演ないし重要なわき役に配した堂々たる規模の大作である。
この3作品によりフェデーはフランス映画界に永遠の名を残した。(フェデーはこの後、製作者のアレクサンダー・コルダに招かれてイギリスへ渡り、1948年に没)。

「フランス映画の歩み」表紙

では、世に言われるフランス映画の特色とはどういったものか。
ここに1冊の研究書がある。
題して「フランス映画のあゆみ」(岡田真吉著 1964年刊)。
著者はフランス映画(とフランス語)に資するところがあり、ジャン・エプスタン、ルネ・クレール、ロベール・ブレッソンらと文通して、彼らに質問したり、自らの映画批評を仏訳して送ったり、彼らから撮影台本を譲り受けたりしたという人物。
のちにフランス映画人たちの理解を得、何度もカンヌ映画祭に招待されたという(健康問題で渡仏は実現せず)。

ここでは、本著の第一章の要旨をもってフランス映画の特質、優秀性の引用としたい。
まずフランスの深い歴史的伝統に裏打ちされた文学的精神があること。
またフランスの文化的伝統たる演劇性に深く裏打ちされていること。
演劇的伝統はフランス映画に修辞作家の独立をもたらしたこと。
演ずる俳優たちが演技者として優秀であること。等々。

そして、フォトジェニイという映画的手法を確立したこと。
フォトジェニイとは「カメラに捉えられて一つの映像となるとその精神的価値を増加させる一つの資質」(同著P13)とある。
フランス映画が事実を追うだけでなく、人物の心理の陰影や性格を描いたり、一つのシチュエーションをそれが持つ情緒を浮かび上がらせるように描くことを志向するときの一つの映画的手法であり、モンタージュという概念と並ぶ映画芸術の本質を規定する要素、だという。

「フランス映画の歩み」目次

ヌーベルバーグの時代、雑誌「カイエ・デュ・シネマ」のフランソワ・トリュフォーらにより、全否定されたこの時代の作家と作品(クレールを除く。ルノワールは別格)。
しかしながらDVDで見たフェデーの作品は、作品の規模、俳優の演技力、脚本の完成度ともに一流のもので簡単に否定し去るものではなく、むしろフランス映画文化の伝統と奥深さを感じさせるに十分なものだった。

「外人部隊」 1934年  ジャック・フェデー監督  フランス

名花マリー・ベル扮する薄幸流転の場末の歌姫。
ピエール・リシャール=ウイルム扮する、無責任の挙句親族に国外追放されモロッコの外人部隊に流れ着く主人公。フランソワーズ・ロゼエ扮する場末の宿兼バーのいわくありげな女主人。
フランソワーズの宿六には「恐怖の報酬」が忘れられないシャルル・バネルが扮する。

役者がそろったところで観客はモロッコの場末で繰り広げられる「半端者」たちのグダグダの世界へ案内される。

フランソワーズ・ロゼエ(右)

主人公は悪気はないが苦労なく育った坊ちゃん。
パリで女に入れあげた挙句、親族の会社の金を使い果たして追放される。
金だけでくっついていたぜいたく好きの女フローレンス(マリー・ベル二役)は去る。
主人公は流れてモロッコの外人部隊へ。

外人部隊で友を得る主人公。
友は何くれとなく主人公の世話を焼いてくれる。
そう、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年 ルキノ・ヴィスコンテイ)で無賃乗車の主人公を救ってしばらく面倒を見た放浪の香具師のように。

友はその過去を問うた時だけは激高した。
「お互い過去は詮索しない約束ではないか!」と。

主人公は、定宿の女主人(フランソワーズ・ロゼエ)に気に入られている。
必ず当たるので、女主人はやりたがらないトランプ占いでは、「かつての女と再会し、人を殺すが巨額を得る」と出る。
その占いは、流れ者同士の寄る辺ない一夜の暇つぶしであったはずだ。

宿の女将が主人公を占う。フランソワーズ・ロゼエ18番のシーン

友と訪れたバーで、忘れられないフローレンスとそっくりのイルマ(マリー・ベルニ役)を見る。
イルマは歌っても華がなく、席に着けば素人っぽくぎこちない酒場の女である。

どこから流れてきたのか本人も覚えていないこの女を主人公は見染める。
フローレンスが自分を追いかけてきてとぼけているたのだろう、と思う。
外人部隊で苦労しようとどうしようと、お坊ちゃんはどこまでも自分本位なのである、悪気はないが・・・。

場末のキャバレーに流れてきた女。マリー・ベル二役

過去に翻弄され、汚濁にまみれて流れてきた場末女イルマに扮し、やっとのことで主人公に心を開いてゆく、女ごころのいじらしさを演じるマリー・ベルが素晴らしい。

のちの世から見れば、お涙頂戴の不自然極まりない芝居なのかもしれないが、いいものはいい。

ラスト近く、アラブの王族とオープンカーでカサブランカを行く、本物のフローレンスと邂逅した主人公は一も二もなくなびいてゆく。
フローレンスが己を愛しているというついぞ捨てきれぬ己の幻想を信じ、またマルセイユ行きの切符2枚まで買ったイルマを船上に捨てて。

まるでサイレント時代のグロリア・スワンソンのような白一色のファッションで、王族のオープンカーから降り立つフローレンスに扮するマリー・ベルも光り輝いているが、人を信じるという経験すらない場末の女が、純粋だけは取り柄の主人公に触れて人間の心を取り戻してゆくイルマを演じ分ける、別人のようなマリー・ベルが忘れられない。

主人公の「身代わり」で激戦地に出陣し、戦死して帰ってくる友。
遺品を宿の暖炉にくべながら、ロシア語新聞に芸術家として紹介される友の記事を見るやるせなさ。

戦友の遺品を燃す。ロゼエと主人公

外人部隊が楽隊を先頭に街に入ってくる、子供らが行進に付きまとう。
モロッコの酒場での、カンカン踊りのようなベリーダンスのような、煽情だけをむき出しにした女たちのふるまい。これらをドキュメンタルというか、感傷なしに描写するジャック・フェデーの視線は乾いている。

「女だけの都」 1935年  ジャック・フェデー監督  フランス

パリ郊外に組まれたという16世紀フランドル地方都市の大オープンセット。
城内はお祭りの準備で市民が天手古舞。

市長一家のおっかさん、フランソワーズ・ロゼエも大忙し。
家では末っ子を風呂に入れ、女中のおしゃべりをぴしゃりと制して指図し、恋多き愛娘の訴えには親身にアドバイスをくれる。
そこには、モロッコの果てで占いトランプを前に斜に構える憂いに満ちたロゼエの姿はない。
庶民的で男勝りの肝っ玉おっかあの役も彼女に似合う。

フランソワーズ・ロゼエは娘にとっては頼もしいおっかさん

ロゼエの達者な演技に見とれるだけで本作を見る意味は十分あるのだが、フェデーと脚本のシャルル・スパークは寓意に満ちた本筋と練られたデイテイルを駆使して観客をぐいぐい引っ張る。

時はスペインの治世、公爵一行が城壁都市にやってくる。
思わず最悪の事態が頭をよぎる。
略奪、凌辱、拷問、殲滅の幻影。

市長ら男たちは肖像画のモデルを早々にやめて、死んだふりを行うことにする。
ここで立ち上がったのがロゼエおっかさんを中心にした女性達。
日頃から男どもの優柔不断にはあきれており、野生的なスペイン軍を思うと心ときめく、とともに体を張って外敵を迎えることを決議する。

城壁都市にスペイン兵が進駐

女達がスペイン兵たちをエスコートして街に入場する。
さっそく、男らしいスペイン将校たちに取り入るおかみさんたち。
市長夫人のロゼエは公爵にべったり。
年甲斐もなくよろめきかかる。
ここではさすがに踏みとどまり、愛娘の結婚保証人を公爵に願い出るが。

公爵一行の随行者に生臭坊主と小人がいる。
坊主にはルイ・ジューベが扮して笑わせる。
フェデー堂々の宗教権威批判だ。

幻影のスペイン軍の乱暴狼藉シーンは当時としては衝撃的でリアルな描写。
スペイン兵たちと市民たちが入り乱れる飲み屋のシーンも猥雑。
ここら辺は「外人部隊」にも共通するフェデーのリアルで乾いた描写ぶり。

中世市民のおおらかさを寓話的に描き、フランソワーズ・ロゼエの演技力という力技を加えた勢いで突っ走った快作。
古さは感じない。