神保町シアター『俳優・佐田啓二』特集より「日本の悲劇」

久しぶりに神保町シアターに行った。
午前10時50分に着くと入場待ちの高齢者たちが並んでいた。
さすが東京、さすが都心の映画館である、文化度が高い!(暇な高齢者が多いのか?)。

この日の神保町シアター入口

この日は、「生誕100年 俳優・佐田啓二」特集の最終日。
木下恵介監督の「日本の悲劇」の上映日である。

木下恵介の映画は、見るたびに驚かされる。
その作品からは、先ずは技法の斬新さが目につくが、ついで、女性映画的な雰囲気の中に、人間の心、運命のいたずらを、残酷なまでに突き放す視点を感じるのだ。

特集チラシ

松竹大船調と呼ばれる作品群を作り上げてきた、邦画メジャーの撮影所にあって、その本流を担いながらも異色・独自の作品群を輩出した木下恵介の、辛口の異色作といわれる「日本の悲劇」を見ることができた。

「日本の悲劇」  1953年  木下恵介監督  松竹  神保町シアター(35ミリ上映)

暗い画面が続く。
年齢から目の解析度が落ちたのかと思っていたら、木下恵介の画面作りが、”レフをかけずにわざと汚くして撮る”方法をとったためだった。

暗い画面での長回し撮影が続く。
例えば、宿屋の厨房をフルサイズで、移動撮影を交えつつ、延々とワンショットで撮る場面があるが、そこには主要登場人物を紹介する狙いとともに、彼等を突き放し、彼等が行き来する空間を醒めた目で見ている、木下恵介の視点が感じられる。

特集チラシの解説より

望月優子扮する戦争未亡人が、子供二人を抱え、地べたをはいずり回るようにして戦後を生きてゆくストーリー。

闇米の買出し時の、警察による狩りこみの記憶がフラッシュバックする。
買出しの汽車で知り合った景気のいい闇屋の男に誘惑され、その囲い者となったこともあった。
旅館の仲居として住み込みで勤め始めてからは、酔客たちの宴席にはべり、彼等と湯河原・東京間の列車に同席しては機嫌を取る日々。
小金をためたころに調子よく近づいてくる株屋の口車に乗せられ有り金をはたく・・・。
逞しくも、はしたなく、目先のことに一喜一憂して、社会の底辺を金銭のみを唯一の価値判断材料として生きてゆく主人公。
すべては子供らのため、と自分に言い聞かせながら・・・。

そういう母親を見て育った肝心の子供たちはどうなったか。
客にしなだれかかる母親を見て子供たちは自らの尊厳を傷つけられる気持ちになる。
息子は、母からの離脱を決め、猛勉強のすえ東京の医学生となり、金持ちの医者の養子となることを決める。
娘は、下宿してミシンと英会話を習い、自活を目指すが、自分と同根の女としての母との心理的葛藤に悩み、また従兄に犯された故の男全般に対する復讐心から、近づいてきた好きでもない英語講師の中年男との関係をもてあそぶようになる。

宴席で親父の隣にはべる望月優子

田中絹代がオファーを断ったという母親役を、望月優子が持ち前のバイタリテイに満ちた演技力でこなしてゆく。
闇物資を抱え田舎道を逃げる回想シーンが度々、現実の場面にカットバックされる。
子供らの幼少時代の、子供心を傷つけられるような数々の場面も。

用事がある時だけ湯河原に帰ってくる、成績優秀な学生に育った息子にしなだれかかって甘えて、嫌がられる。
帰京する息子を駅に送りに行くが、逃げられて会えない。
戦死した夫が残した土地と酒屋の権利を義弟に貸して資産活用しようとするが、自分の子供たちはいじめられ(のちに娘は義弟の息子に犯され)、かつ居座られる。
母親の苦悩は続く。

戦後の混乱期に闇買いをしたり、焼け野原でバラック生活した日本人は、普通にいたでしょう。
が、一般的な日本女性なら、闇買い人や小金持ちの囲い者になったり、仕事とはいえ酔客にしなだれかかるような仲居にはまずならなかったでしょう。
そんなことができるのは、プロの素質を持つごく少数の女性であり、平時にあっても機会があればそうしていたでしょうし。

戦後の日本の混乱をを描くのであれば、主人公は望月優子が演じた母のような極端なキャラではなく、平凡なつつましい女性を通して描く方が、むしろ戦後の混乱の異様さがリアルに映ったことでしょう。
木下恵介がこの映画で描きたかったのは、戦後の混乱そのものでも、翻弄される人間の悲惨さそのものでもなく、逆境にあって露わになる人間の本質と、その末路であったものと思われます。

息子に甘えるが拒否される母親

この作品の母親の本質は、最後まで物質的な価値観に固執する近視眼的な人格であり、それに接し子供たちは自らの尊厳をも傷つけられ、社会をではなく母を憎んで見限る。
母を捨てた息子はまた、必要以上に女としての母を嫌悪する。
息子はその後、金持ちの養子になり、母の呪縛からは脱するが、さりとて彼の人生も、社会的・経済的地位と利益に呪縛されたもので(その意味で母親の価値観を踏襲しており)、その将来の明るい展望の予感はない。

娘は女としてさらに複雑な人生を歩むことになる。
下宿して母の元を離れ、ミシンで身をたてるといいながら英会話を習い(下宿代を含めて母親に頼りながら)、挙句に、英語講師の中年男(上原謙)とその家庭をもてあそび、好きでもないその男と衝動的に出奔してゆく。
相当な尺を取って娘(桂木洋子)の、この救いのないシチュエーションが語られる。
男全般に対する嫌悪があり、人生に悲観的な境遇とはいえ、どこに彼女に対する人生の祝福があるのだろう。

子供二人はしっかりと母親の本質的な不幸を継承しているのである。

姉(桂木洋子)は冷たく母と弟を見据える

こういった作品にあって、望月優子がたまさか宴席に呼ぶのが流しの演歌歌手(佐田啓二)であり、彼もまた望月には心を開き、復員した長男のいる農家の次男坊だという自分の境遇を打ち明ける。

もう一人、小学校の級長だったという旅館の板前(高橋貞二)は、父親の戦死で進学をあきらめ板前の道に入ったが、口うるさいうえに女に手を出し失敗する。
望月は何かとこの男にも気をかける。

望月の死後、この二人は『いい人だった』と彼女を悼む。
ここにだけ、人間としての尊厳を踏みにじられ、女としての性を酔客たちに弄ばれ、息子には嫌悪された、この作品の母親という人間に対する救いがある。

石原郁子の気鋭の評論

女流映画評論家石原郁子による「異才の人木下恵介 弱い男たちの美しさを中心に」(1999年 株式会社パンドラ刊)を読んでみる。
著者は、木下映画のおける男性とその母親の関係を、『〈母〉は限りなく甘美に優しく(中略)無垢の愛としてこの世ならぬ高みに達し、ほとんど信仰の対象だった』(同書P181)と定義する。

また「日本の悲劇」では、母親が過剰な女性性を発するとき、息子はすさまじい嫌悪を示し絶望に凝り固まるのであるが、同様の描写は木下作品に基調をなす母と息子の関係性でもある、と著者は論じている。

木下恵介の実母に対する思い入れが、生涯の傾向となったようである。

同書目次

また、同書では、娘の出奔についてはも述べる。
『母を捨てるという痛ましい形でしか、自立した大人になることができない』(P187)と。

著者は、彼女の行動に理解とエールを示すとともに、彼女と半端な中年男との”被害者同志”の結合という”ひ弱な優しさ”を描く木下恵介の、娘に対する同情的な視線を評価している。

「日本の悲劇」に限らず、木下恵介の映画全般には、マザコンで弱々しい男と、傷つきながらも自立を目指す女が描かれている、と石原郁子は論じている。

同奥付

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ③ 本間千代子

筆者と本間千代子とのスクリーンでの出会いは、過年のラピュタ阿佐ヶ谷での「君たちがいて僕がいる」(64年 野田幸男監督)だった。
何の特集だったかは忘れたが、舟木一夫の同名歌謡曲の映画化で、本間千代子は相手役。
地方の町の高校生たちが、家庭の貧困や進学の悩みを友情で乗り越えるという内容だった。

この映画で本間は、舟木と同級生の役。
町の名士である父親の元、クラスのリーダー役として明るく振舞うその制服姿がまぶしかった。
このころは、岡崎友紀や岡田可愛など、ハイテーンの溌溂ぶりが炸裂するテレビドラマに出演する女優がいたが、本間千代子はその中でも日本的で清純な印象があった。

制服姿の本間千代子。舟木一夫とともに

本間千代子は童謡歌手の出身で、東映撮影所に出入りするうちにスカウトされて契約。
ギャング物などの助演をこなしつつ、歌手としても活躍し人気を博した。
東映は、いわゆる不良性感度の高い映画製作を方針としており、佐久間良子が数少ないチャンスを生かした例(「五番町夕霧楼」など)を除き女優が主演の映画は製作されなかった。
歌手としても人気を誇り、また本人の意向もあり、不良性感度の高い映画を好まない本間は、代表作がないまま、日本映画の時流に取り残されていった。

本間の映画出演最後となる本作「やくざ非情史 刑務所兄弟」では、果たして吹っ切れたその姿が見られるのか?
それとも殻を破らない昔の儘の姿なのか?
ラピュタに駆け付けた。

東映若手女優の水木撮影会より。本間の2人後ろは三田佳子

「やくざ非情史 刑務所兄弟」  1969年  松尾昭典監督  日活  ラピュタ阿佐ヶ谷(35ミリ上映)

安藤昇が日活で出演した3本のうちの1本。
相変わらず冷たい凄味のある風体。
人情味とユーモアを持ち合わせているところも、その持ち味だ。

傍役は、善玉が長門裕之、川地民夫、大坂志郎ら。
悪役陣が、ご存じ安部徹、玉川伊佐男らで、そのほかにフリーの美味しい役どころのに丹波哲郎。

対立組との抗争事件で下獄した安藤が出獄して、組の再興に駆けずり回るが、安部徹扮する対立組は全国制覇の組織の威光を着て利権掌握を図り、ことあるごとに妨害する。
孤立奮闘する安藤にはムショ仲間の川地が片腕として助力するが各個撃破されてゆく。
そこへ全国制覇の組織の代貸として丹波哲郎が現れる。
丹波もまた安藤とはムショ仲間だった・・・。

オリジナルポスター

リアルなやくざが撮影所に出入りする東映京都と異なり、日活が製作するやくざ映画は、それらしい俳優に乏しく、細部のリアリテイもない。
東映映画では得意げに描写される花札賭博のシーンは、この作品では最初から描かれないし、東映大部屋のピラニア軍団のような連中が関西弁ですごむシーンもない。
東映に比べて”堅気の役者で作ったやくざ映画”という趣である。
ただ一人、”ホンモノ”安藤昇を除いては。

安藤の妹役で、ムショ暮らしの間、スナック喫茶をやっていたまっとうな娘が本間千代子の役。
”怖い”兄貴の威光からか、その留守中も無事過ごしてきた。
すなわち、非情なやくざ社会の犠牲になり、酒やクスリに手を出すこともなく、ヒモに貢ぐこともなく、ましてや女を抱えたやり手婆的なポジションにいることもないまま過ごしていた。
その存在感は、かすかに現実社会の苦労がにじむ”幸薄い”感は匂ったものの、裏街道の人間特有の”玄人感”に染まることのない、まったくの堅気のものだった。

例えば、彼女を巡るシチュエーションが『まじめに店を守ろうとしたが、流れ者に犯され、女の悲しみからその男と切れずにいる。一方で、その男が敵対組に囲われ、出所してきた兄が、かわいい妹とその男の関係に苦悩する』といった、ありがちな筋立てならどうだろう。
”女の悲しみと、義理だての間で悩み、愛する兄に歯向かう”という、ノワール的な役柄ならば、この時期の本間千代子の演技に、色合いが感じられたかもしれない。
逆に彼女の良さが打ち消されたかもしれない。
そこで決して冒険しないのが本間千代子という女優なのだった。

愛する兄貴(安藤昇)と本間千代子

本間に好意を寄せていた川地が敵対組に殺された時の悲しみの表現が、本間のこの映画での数少ない見せ場だった。

本間千代子24歳、守屋博との結婚と離婚を経てなお、スマートな体躯から発する清新な色気は”スター”のものだったが。

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ② 小山明子

ラピュタの「血沸き肉躍る任侠映画・其の弐」の特集上映。
この日は小山明子がゲスト出演する「戦後最大の賭場」に駆け付けました。

1969年の東映京都作品のこの映画は、ラピュタの特集で初めて知りました。

「関の弥太っぺ」(63年)で渡世人と小娘のつかの間の交流を中村錦之助の好演で描き、「博奕打ち総長賭博」(68年)では三島由紀夫に”ギリシャ悲劇にも通じる”と評せしめ、極めつけは東映と山口組の昵懇ぶりを象徴する「山口組三代目」(73年)を任されるに至った山下耕作の監督作品です。

主演は鶴田浩二。
高倉健と山本麟一が助演、悪役は安部徹、金子信雄、名和宏のお馴染みメンバーに、新東宝出身の沼田曜一が抜擢です。

小山明子は鶴田浩二の女房役。
作品の時代背景は昭和37年(1962年)ですから、明治時代のヤクザの女房的な大時代的な味付けはないものの、昭和のヤクザの女房としてのふるまい、男尊女卑、家制度の尊重に徹した女性像を演じます

松竹時代の小山明子

この時、プライベートでは、小山明子は大島渚の女房。
松竹を、勢い(自らの結婚式で新郎・大島らが松竹首脳を糾弾したため)で退社した後、主婦としてまた二児の母として一家を支え、フリーの女優としても活躍中でした。
フリー後の出演作「続・兵隊やくざ」(65年)では、従軍看護婦役のきりりとした黒い制服姿で、弾避けにと“毛”をねだる勝新をあしらっていました。

本作撮影時は、伴侶・大島作品でいえば「少年」(69年)のメガネの母親役のころ。
赤ん坊をおぶりながら少年に当たり屋行為を強いる役でした。

いずれも彼女のイメージに近い、クールで冷たさのある役処。
1969年当時の実年齢36歳、女優として最盛期のころだったのではないでしょうか。

「戦後最大の賭場」  1969年  山下耕作監督  東映京都  ラピュタ阿佐ヶ谷(35ミリ上映)

この日のラピュタの上映技師は確か女性。
客席から見えるラピュタの映写室内ではテキパキと準備する技師の働きぶりがうかがえる。
プリントの貸出条件が厳しいといわれる、国立映画アーカイブ所蔵作品も、映写技術の高いラピュタではたびたび上映される。

本作は、東映京都のエース監督・山下耕作の最盛期の作品。
「仁義なき戦い」(73年)の出現による実録やくざ映画の台頭を目前にして、さしもの任侠映画の人気も下火になりかかっていたころ。
世の中は、東大安田講堂の陥落が前年で、70年安保闘争も決着がついていた。
本作は、1962年のヤクザの抗争事件を伝える新聞紙面のショットから始まる。

すわ、実録ものの先取りか?
「仁義なき戦い」だったら、センセーショナルな音楽を新聞記事のショットにヒステリックに被せて、物々しいナレーションが社会情勢をドキュメンタルに語りながら物語に入ってゆく導入部となるところ。

ところが山下の作風は全く違う。
新聞紙面のショットによる社会情勢の説明が終ると、何事もなく作り物めいた映画の世界に戻ってゆくのだ。

のちの実録映画では、野外の場面はロケに拘り、例えば警察の手入れのシーンなどでは、急停車したパトカーから警官がバラバラと飛び出す緊迫感のある撮り方をし、何ならストップモーションで切ったその後に騒動場面のスチールショットをつなげるくらいのセンセーショナルな演出が行われるところだ。

ラピュタのロビーに飾られたオリジナルポスター

山下は、そういった場面でもスタジオ内で、ライトを明るく当てた作り物めいた雰囲気の中で撮っている。
緊迫感やドキュメンタルに拘らず説明に徹した演出だ。

これは山下の特質でもあるのか、東映が右太衛門、千恵蔵ら両御大の”ご存じ”な時代劇が終焉を迎え業績低下。
苦肉の策のアイデア”集団時代劇”が、つかの間流行った頃の作品「大喧嘩」(64年)の田圃の中の決闘シーンの山下演出を思い出す。
様式的な殺陣が飽きられ、殺伐とした抗争場面に活路を求めた集団時代劇にあって、主演の大川橋蔵が必死に田んぼの中を走り回り、ドスを振り回していた、山場の殺陣。
望遠レンズを多用し、ピーカンの田んぼの新緑がフォトジェニックに切り取られた「大殺陣」のハイライト場面。
そこに青春の徒労感は感じられても、殺伐としたヒリヒリ感はなかった。
これが山下の特質かと思った。

同じくプレスシート

本作「戦後最大の賭場」での配役は、いつもの時代遅れで義理堅い鶴田浩二と、義理との板挟みながら正義を通す高倉健というワンパターン。
悪役はわかりやすいほどの安部徹と、「仁義なき戦い」で吹っ切れる前の中途半端な金子信雄。
最初誰だか分らなかった不気味なキャラ(田代まさしに似ていた)作りの沼田曜一には新味があったが。

一方で、小山明子には映画女優として場数を踏んできた存在感がたっぷり。
これが貫禄というものだろう。
典型的な”よくできたヤクザの女房”的な振る舞いでにこやかに登場し、後半になると組織と個人の板挟みとなって苦労する鶴田に『私は嫁いできたこの家の人間です』と冷静に覚悟を伝え、鶴田に殉じる。

これは、任侠映画に必須の、男尊女卑、家制度尊重、旧道徳観念そもののの女性像であるが、力のない女優が演じると、必死さのみが伝わる(若い女優によるそういったエモーションの発露もいいのだが)演技となる所、凄味さえ伝わってきて納得感がある。
一人仏壇に手を合わせる場面も、何やら妖気すら漂いかねないショットであった。

プレスシート

一方で、主人公鶴田の死にざまの描き方には山下監督の新機軸があった。
『仁義なんて知らねえ、俺はただの殺し屋だ』といって親分を殺す主人公を描いた「博奕打ち 総長賭博」と同様に、ヤクザの暴力を単純なカタルシスとせず、背景にある寂寥感を描くのが山下流とするならば、本作で親分の安部徹を賭場会場で刺し殺した後、鏡に映る、血まみれで尾羽根打ち枯らし、死人のような己の姿に、思わず愕然とする鶴田の描写がそれであった。

また山下作品にあっては、こまかな情念の交流を描くのがその真骨頂でもある。
本作では小山明子の存在が、夫役の鶴田との交流場面でその役割を果たしていた。
彼女がフリーとなった後に各社のやくざ物にたびたび呼ばれてゲスト出演していたものむべなるかなである。

ラピュタ作成のチラシより

ラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映より 任侠映画のヒロインたち ① 藤純子

2026年最初のラピュタ阿佐ヶ谷では、「血沸き肉躍る任侠映画・其の弐」が特集上映されている。
久しぶりの東京の映画館で35ミリプリントによる上映を楽しみました。

「血沸き肉躍る任侠映画」特集チラシ(ラピュタのガラス越しに撮る)

任侠映画というと、東映京都作品のイメージですが、東映東京作品をはじめ、日活、大映、松竹と各社作品を取りそろえたラインナップは相変わらず意欲的なラピュタです。
今回はそのラインナップから、任侠映画の脇を務める女優たちにフォーカスして鑑賞しました。
最初は藤純子です。

藤純子

「緋牡丹博徒・花札勝負」  1969年  加藤泰監督  東映京都   ラピュタ阿佐ヶ谷  35ミリプリント

「緋牡丹博徒」シリーズは7作品作られた。
ご存じ、藤純子の人気シリーズにして、東映任侠映画の最後の仇花でもある。
加藤泰監督はうち3作品を手掛ける。

最後には藤に「加藤が監督では出ない」とごねられたとのこと。
助監督として、「羅生門」で大映に来た黒澤明に付いたが、喧嘩して下りたというエピソードや、後の自身の監督作品「丹下左膳・乾雲しん竜の巻」(62年)での左膳の隠れ家のセットの念の入りすぎた作り込みを見ても、加藤の性格のこだわりの強さや映画製作時の粘りと入れ込みようがうかがえる。
加藤の諸作品を見ると、そのこだわりぶりが印象的で、そのこだわりは、しばしば映画的な流れや心地よさよりも優先される傾向にある。

修行の旅の途中、義理堅い親分(嵐勘十郎)一家にわらじを脱ぐ、緋牡丹のお竜(藤純子)。
若頭(山本麟一)が何くれとなく面倒を見てくれる。
親分に対抗するあくどい組長(小池朝雄)がいて何かと言いがかりをつける。
緋牡丹のお竜を騙るイカサマ女博徒(沢俶子)がいる。
あくどい組にわらじを脱ぐ旅人(高倉健)がいる。

組同士の抗争、にせお竜の始末、旅人との義理と人情の絡み。
修業の渡世で、義理に縛られつつ、弱者に味方するお竜の意地は貫き通すことができるのか・・・。

緋牡丹のお竜

本作では、主演の藤の渡世人としてのスーパーヒロインぶりは描かれない。
また藤を取り巻く味方の男たち、高倉健や山本麟一、待田京介そして若山富三郎までもが、人間的な個性の発揮を許されず、ひたすら類型的な”背景”としてワンパターンな演技に終始する。
加藤監督が型通りの任侠の世界を描くことに関心を持っていないことがわかる。
必然的に、緋牡丹のお竜の渡世人としての活躍は、この映画の主題とはなっていない。

では、この作品の影の主人公たちとはだれなのか。
緋牡丹のお竜を騙り、盲目の幼女を抱えながらイカサマ博奕で日陰の人生を凌いでいる中年女と盲目の娘、そしてその娘の別れた父親の、これまたヤクザに便利として使い潰される、アザを持つ博打打ち(汐路章)の3人なのだ。
監督の思い入れはこの3人についてだけなされる。

名もなく、金もなく、虐げられ、おまけにハンデキャップを持ちながら社会の底辺で生きる3人は、人間としての最後のプライド(他人からの良心に対する義理)をもって死んでゆく。
娘だけは生き残る。
3人に情けをかけ、守ることで、藤が映画の主人公として存在する。

ご存じ、任侠映画の様式美

この作品の藤純子は、アクションよりも人間としての誇りと苦悩を表現して心に残る。
若さの残る横顔のクローズアップのあごのあたりに女ざかりを迎える色気と情念がある。
その情念は、底辺をはい回る3人の同情と救済に向けられており、高倉や待田に対する、様式上の任侠美学よりよほど見るものに訴える。

加藤泰の映画的様式には、ローアングルに対するこだわりや、必要以上のセットの作り込み、あるいは極端な描写(「車夫遊侠伝・喧嘩辰」でのコミカルさや、「明治侠客伝・三代目襲名」での鶴田浩二の空中飛翔など)があるが、この作品ではそれが目立たなかった。
東映の看板シリーズとしての制約や、すでに東映の看板監督となっていた加藤自身の成熟もあったのだろうか。

繰り返し出てくる、ガード下の場面。
通り過ぎてゆく蒸気機関車の煙が線路からガード下に湧き下がるシーン。
さらりとこだわったセットの作り込みがよかった。

特集チラシより

DVD名画劇場 児玉数夫「やぶにらみ世界娯楽映画史」傑作選その2

児玉数夫という映画評論家は、戦後直後の外国映画輸入会社に在籍し、送られてくる洋画を、公開するかしないか、邦題はどうするか、宣伝方法は、の仕事に携わっていた。
ほかの日本人が先に見て評価が定まった作品を、あとで論じる意味での評論家ではなかった。
映画雑誌記者の淀川長治さんより、一段階前で海外作品に接していた。

そのせいかどうか、後年国内外で名高い作品ばかりではなく、輸入当時の世相や製作背景にリアルタイムで接し、作品には偏見・先入観なく独自の評価を下している。
その記録は様々な著作に残されている。

現代教養文庫の1冊「やぶにらみ世界娯楽映画史戦後編」をめくってみる。
戦後の洋画輸入の最前線で児玉数夫が接した洋画の中から選んだ作品が網羅されている。
娯楽映画史と銘打ってはいるが、芸術派が評価するいわゆる名画も、児玉氏が好む作品ならば選定されているところが氏の映画に対する偏見のなさ。
裏表紙では、日本映画評論界のレジェンドになった淀長さんも推薦文を寄せている。

1年ぶりの傑作選に、3本を選んでみた。

「私は殺される」   1948年   アナトール・リトヴァク監督  パラマウント

ハル・ウオリスという、東欧系の本名を持ち、30年代から活躍していた製作者が興したプロダクション作品。
製作はウオリスと監督のアナトール・リトヴァクが共同。

リトヴァクはロシア(ウクライナ)生まれのユダヤ系。
ドイツで映画監督になった後、フランスを経て37年にアメリカに渡り、以降ハリウッドで活躍した。
代表作に「うたかたの恋」(36年)、「凡てこの世も天国も」(40年)、「追想」(56年)など。

戦前戦後のハリウッドが、ユダヤ系のタイクーンやプロデユーサーが支配し(本当の支配者はニューヨークの銀行だが)、ドイツ経由で逃れてきたユダヤ人作家たち(ラング、シオドマーク、カーテイス、オフュルス、プレミンジャー、ワイルダー、ジンネマン、そしてリトヴァク等々)に担われてきたかがわかるスタッフ陣だ。

主演はバーバラ・スタンウイックとバート・ランカスター。
スタンウイックは、ニューヨークのレヴュー劇団・ジーグフェルドの”ガールズ”としてこの世界に入り、ブロードウエイを経てハリウッド入り。
フランク・キャプラの作品に多数出演。
「ステラ・ダラス」(37年)、「大平原」(39年)、「レディ・イヴ」(41年)などの代表作が、この時すでにあった。
44年にはフィルムノワール「深夜の告白」でファムファタルを演じて役柄を広げてもいた。

バーバラ・スタンウイック

バート・ランカスターは大学を中退し、サーカスのブランコのりなどを経て、46年「殺人者」で映画デヴュー。
そのきっかけはハル・ウオリスと知り合ったからだった。
2作目の「真昼の暴動」(47年)が出世作だが、40年代は、タフな訳ありの前科者などを演じることが多かった。

「私は殺される」はスタンウイックとランカスターが同列でトップにクレジットされる。
映画出演5作目のランカスターが、ハリウッドトップ女優のスタンウイックと早くも同列の扱いだ(ウオリスの引きもあるか)。

ヒットしたラジオドラマの映画化。
主に室内を舞台に展開されるサスペンスドラマ。
主演を託されたスタンウイックが、一見複雑で実は純情な令嬢という役柄に期待通りの演技で応えた。
ランカスターは、逆境の好青年から自立に悩む婿養子という、売り物のタフさを発揮できない役柄。

殺人打ち合わせの混線電話を聞いてしまうレオナ

大手製薬会社の令嬢でわがまま放題のレオナ役にスタンウイック。
わがまま放題ではあるが、根は純情で夫に依存し、父親にコンプレックスがあって、それが心臓疾患の原因となっている。

貧民窟育ちで、大学のダンスパーテイでレオナに見染められ結婚、大会社の副社長に迎えられるが実権はなく、義父からの自立に焦り墓穴を掘るヘンリー役にランカスター。
こちらも根は純情でレオナに憎しみはないものの、現状を打破しようと道を踏み外し破滅してゆく。

リトヴァクの演出(あるいはハリウッドスタジオの技量なのか)は、室内場面で暗さや影を生かし、カメラを自在に操ってサスペンスムードを高める。
導入部分のテンポ、場面転換のスピード感とそれを盛り上げるBGM。
これぞハリウッド映画、これぞサスペンス。

話が若干複雑で、それをアメリカ映画らしくマシンガントークのセリフで説明しようとするのでついてゆけない部分もあった。
事件の解明に向けての筋立てに無理感もある。

心臓疾患を抱える主人公レオナが、夫の不在や混線電話に、恐れおののき、焦る。
警察やお抱え医師、会社の秘書、電話交換手に矢継ぎ早に電話するが、警察署に迷子がいたり、医者は不倫相手とデートしていたりと事態が解決せず。
こらえ性がなく、心臓疾患で歩けないレオナは焦りまくり、観客はスリリング。
前半の出来は完璧だった。

さりげなく、大会社社長の娘への過干渉と、娘の性格への影響、飼い殺し状態の娘婿の心理などが背景として描かれている。

ヘンリーの最初のガールフレンドで、8年後に夫(検察官)の動きから、ヘンリーの怪しい動きを知り、本人に面会を求める、地味で家庭的なサリー(アン・リチャーズ)がこの映画の良心であり、一服の清涼剤だった。



「ミズーリ横断」  1951年   ウイリアム・A・ウエルマン監督   MGM

クラーク・ゲーブル晩年の西部劇。
監督には男性映画の第一人者・ウエルマンを起用。
ロケを多用、合衆国成立前の西部で暮らす山男たちを描く。

ゲーブル扮する主人公の山男、その息子の回想で語られる山男の半生は、前人未到の西部の山々に、ビーバーやヘラジカを獲物としながら旅団を組んで分け入っての冒険譚だった。
土地の先住民インデアンたちとは、やむを得ぬ戦い以外は、友好をベースとして共存しての暮らし。
共存というより、彼等の領土を通らせてもらい、土地の情報を教えてもらう関係だった。

愛妻を抱く山男

各地の山男たちが年に一回、7月に集うベースには、インデアンたちも集まり、店が立つ。
山男仲間にはフランス語を話す白人や、スコットランドのバグパイプを吹き鳴らす白人もいる。
インデアンと行動を共にする白人も。

このベースで山男たちは、飲み、踊り、射撃の腕を争い、喧嘩をし、女にうつつを抜かす。
といっても踊る相手は山男同士だし、射撃では的当てよりも火薬と弾丸をいかに早く詰めるか(当時は連発銃はなかった)だし、女はインデアンしかいなかった。

妻は子供を馬に乗せて運ぶ

この作品の出だしには、年に一度の山男たちの集いの楽しさが描かれる。
そこからいろんなことがわかってくる。
ごく初期の西部の山男の目的、出身国が多様な山男の構成、先住民との関係、などなど。

カウボーイも定住入植者も、ならず者が仕切り酒場女がうろつくタウンなども、西部にはまだない時代。
西部は自然の中で生活する能力を持つ、雑多な山男たちの生きる場だった。
その”場末のユートピア”的雰囲気に早速画面に引き込まれる。

敵対するインデアンとの対決

テクニカラー、87分のこの作品には、劇的なヒロイズムも宗教的背景も国家主義的価値観もない。
圧倒的な自然と、そこに溶け込むような人間の営みが描かれている。

狩猟の場を目指し30人と78匹の旅団を率い、美しいインデアン娘を金目のもので買取り、利害関係があるインデアンの襲撃を自力でかわし、目的地では柵で砦を作り、インデアン妻との間に愛息を設けた山男(クラーク・ゲーブル)の自立した行動の一つ一つが、この映画のテーマだ。

妻との遺児を抱き妻の墓前にたたずむ

本作には、フランス出身でインデアン語を喋るピエールというゲーブルの相棒が出てくるが、これが何と「巴里の女性」のきざ紳士アドルフ・マンジュー。
まるでウオルター・ブレナンのような役どころだが、その役柄の幅の広さとうまさに驚く。

最初は拒否されたインデアン妻(メキシコ人女優:マリア・エリーナ・マーケス)との関係も、山男の飾らぬ真心で仲良く改善する。
雪だまりの道を率先して進み、祖父の部族が近くに来れば馬を飛ばして会いにゆくインデアン妻だったが、子をなした後、一行をつけ狙うインデイアンの勢力に真っ先に撃たれあっけなく死んでゆく。
それが大自然の摂理の一部だといわんばかりに。

妻の前で、ゆったりと、アイヌのムックリのような楽器を、にやにやしながらかき鳴らすゲーブルの姿が山男そのものでよい。

この時代の、しかもウエルマン作品に、現代のようなエコ思想も、自然回帰思想も、何だったら人種平等思想もないだろうが、原作の持つ力なのか、圧倒的存在感のロケ先の自然の力なのか、人知を超えた世界観が感じられる作品。



「美女と闘牛士」  1951年   バッド・ベテイカー監督   リパブリック

製作は何とジョン・ウエインの独立プロ(第一作)。
配給は「勝手にしやがれ」でジャン=リュック・ゴダールがオマージュをささげた、ハリウッド非メジャースタジオ、モノグラムピクチュアーズを傘下に持つリパブリック社。
この”逆境”の中で堂々たる大作が生まれた。
監督のベテイカーは、「血と砂」(22年)で闘牛士に扮するヴァレンチノの演技指導もしたという。

アニタに迫るジョー

欧米の映画作家が外国を舞台にした映画はたくさんあったろう。
自らが闘牛士だったというベテイカーが舞台に選んだのはメキシコ。
ベテイカーとしては”当然の選択”であり、また”メキシコを描かずして、映画人として先には進めない”心境だったのだか。

ベテイカーのメキシコに対する視線には、彼のメキシコに対する興味と理解とリスペクトがある。
闘牛そのものにも、闘牛士にも、メキシコ人女性にも、文化にも。
映画の各エピソードに共通するのは、ベテイカーが体験したであろうリアルさだ。
それは、劇的な切れ味はなくとも、見るものの心に鉈のようにグサリと突き刺さる。

最終戦のプラザメヒコに入場するジョー

日本に対する戦後直後の占領軍よろしく、50年代のメキシコを旅行するもったいぶったアメリカ人一行に、若いジョー(ロバート・スタック)がいた。
メキシコの上流階級が集うレストランで、有名な闘牛士マノロ(ギルバート・ローランド:メキシコ人俳優)一行になれなれしく近づき、若い美人アニタ(ジョイ・ペイジ)に声をかける。
ジョーは闘牛を教えてくれとマノロのもとに通う。

アメリカ帰りのアニタは一見、おとなしく洗練されたレデイだが、彼女の田舎でシエンタと呼ばれる子牛相手の闘牛会にジョーを誘ったときにその本質を表す。
自信なさそうなドレス姿から、カウガールよろしくハットとポンチョの仕事着に変貌、そのスタイルが決まる!
それは芯が強く、己の信じた道に命を懸ける、熱きメキシコ女の姿だった。

雑誌「スクリーン」54年12月号より

名闘牛士マノロの妻チェロ(ケテイ・フラッド:メキシコ人女優、リンダ・ダーネルに似ている)の強さも描かれる。
田舎の闘牛会場でジョーがデヴューした際に付き添いで同行したマノロの姿に観客が騒ぐ。
泥酔した観客の挑発に引っ込みがつかなくなったマノロが急遽出場して無事牛を裁く。
夫人の懐妊を知りその年での引退を決めていたマノロの気持ちを知りながら、危険な闘牛への出場を認めたチェロ。
無事終わった時に剣を抜いたチェロは、酔客に剣を突き付けながら「もしマノロに何かあったら、お前を殺すつもりだった」と告げる。
メキシコ女の命を張った情熱と覚悟がここでも描かれる。

男たちは、闘牛の何に惹かれるのか。
金か名誉か歓声か。
メキシコで闘牛の写真を撮りつつそれを探るアメリカ人写真家に語らせる「20年たってもまだわからない」と。
その部屋には、数々の名闘牛士たちの写真、特に事故の時の、が飾られる。

ジョーは田舎の大会でデヴューした後、見守るマノロに向かって「興奮して、怖さを忘れた」と語る。

そのマノロが、ジョーの危機に、我を忘れて飛び出し、人生で初めて牛につき上げられ命を落とす。
自分の行動に迷いはなく、後悔はなかったろう、闘牛士として。
これもメキシコの男。

マノロを死なせたと、全メキシコの非難がグリンゴ(白人に対する蔑称)のジョーに集中する中、最後の大舞台に現れたジョーに対し、チェロは亡き夫の肩掛けを託し、その幸運を祈る。
これもメキシコ女。

ケガをした闘牛士の見舞いの場面がある。
またマノロの事故と死、その妻の喪服姿など、闘牛にまつわる死の影が強調される。

死を賭けて牛に挑む闘牛士の姿と歓喜する群集。
闘牛士に与えられるこの上ない名誉。

闘牛向きの勇敢な牛を選ぶ目利きの文化も描かれる。

メキシコの闘牛を巡る男、女、そして牛までも、そのただなかにいたベテイカーの視点を堪能するドラマ。
全体のムードが悠々迫らない。
メキシコの風土のように。

ハリウッド映画としてはとてつもない異色作にして、アメリカ以外を舞台にした傑作でもある。

バッド・ベテイカー

DVD名画劇場 チャールズ・チャップリンの”到達点”

「巴里の女性」  1923年  チャールズ・チャップリン監督  ユナイト

チャップリンが自作の配給会社として、D・W・グリフィス、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードとともに設立したユナイテッドアーテイスツの第一回作品。
チャップリンが監督に専念した初めての作品。
また、1915年以来チャップリン映画のヒロインを務め、私的にもチャップリンと恋愛関係にあったこともあるエドナ・バーヴィアンスが初めて主演を務めた作品でもある。
チャップリンはすでに「キッド」(21年)などで人気の頂点を極めており、のちの代表作の「黄金狂時代」(25年)、「サーカス」(28年)、「街の灯」(31年)、「モダンタイムス」(36年)の製作を控える時代だった。

ユナイテッドアーテイスツを設立したグリフィスら

長年のパートナーであったエドナの女優としての1本立ちを製作の動機にしたというこの作品。
主題はチャップリンらしいヒューマニズム。

貧しい村の若い男女が、親の理解を得られず駆け落ちしようとするが、男の父親が急死し、女だけがパリに旅立つ。
1年後、女は金持ちの愛人(高級娼婦?)として贅沢に暮らしている。
男も老母とともに画家としてパリに移り住み、偶然に女と再会する。
女は男をまだ愛しつつも、金持ちの愛人の誘惑も断ちがたく、また純愛をささげる男との関係も間の悪さが連発して進まない。
そのうち事態は悲劇的に進み・・・。

チャールズ・チャップリン

チャップリンの劇作は、貧しい時代の男女の機微を表現する際にも冴えわたる。
女との結婚をかたくなに否定する父親が、出奔しようとする息子を心配して母親を介してお金を渡すシーンなど、日本映画のような細やかな描写で親の心のを描き切っている。

パリで金持ちの愛人(金持ちにとっては多数の女のうちの一人にすぎない)を捕まえ、虚構の栄華の中で暮らす女にまつわる描写もすごい。
ハリウッドスターのようないでたちの女のスタイル。
出入りするパーテイでは、包帯を巻いたストリッパーを男が巻き取る余興の描写。
愛人業界隈の女たちの嫉妬と足の引っ張り合いを聞かされる側の反応を、当人を写すのではなく、施術中のエステイシャンの反応を写すことで表現する。

人情をわかっているだけではなく、卓越した作劇術を操るチャップリンが凄い。

エドナとマンジュー

そして極め付きがパトロン役のアドルフ・マンジューの起用だろう。
好きなように女を扱い、特権階級を謳歌する1920年代の独身中年男の、悪気のない独善ぶり、自己中ぶり、無責任ぶりをこれ以上ない適役ぶりで演じきる。
その悪気のなさがすでに犯罪的なのだが、本人は無自覚なのか意識的なのか。
周りにするとナチュラルな育ちの良さに見えてしまう。

同じく鼻持ちならない精神の低俗性を体現したエリッヒ・フォン・シュトロハイムの演技に比して、低俗性が下品にならずかえって上品に映るのがマンジューの罪なところだ。
こののちハリウッドのよろめきものでマンジューの起用が続いたという。

20年代のマンジューの活躍を伝える「写真映画100年史第2巻」

上流社会の乱痴気ぶりや、独善紳士マンジューの洗練されたふるまいの描写に力が入りすぎたのか?
これまでチャップリン喜劇のヒロインだったエドナに主演としての力がなかったのか?
チャップリンが否定すべき虚構の乱痴気文化の描写が真に迫りすぎ、本来の、庶民のささやかな幸福追求という主題が途中まで霞んでしまったほどだ。

ラスト、田舎に戻り、亡き彼の母と4人の孤児と幸せそうに暮らす女の姿は、チャップリンのエドナ・バーヴァイアンスに対する祝福に見える。

「巴里の女性」のあとは、ほとんど映画女優としての足跡を残せなかった彼女に対し、チャップリンは生涯週給150ドルの給与を送り、また「巴里の女性」の権利も譲渡したという。

1952年「ライムライト」撮影中のチャップリンを訪ねて、淀川長治がハリウッドを訪問した際、リトルトーキョーでチャップリンの執事をしていた高野寅市に偶然会った淀長さんが、高野を介してエドナと会った。
「私はあの人(チャップリン)の映画以外は出ない、一生。あの人と出会ったことは私の一生の思い出として心に思っていたい。」(1999年 中央公論新社刊 淀川長治、山田宏一著「映画は語る」P261)と淀長さんに話したとのことである。



「独裁者」   1940年  チャールズ・チャップリン監督   ユナイト

有名なラストシーン。
ユダヤ人の床屋がひょんなことから国の独裁者 にすり替わって演説する。
最初はしゃべることないとおどおどしていたが、やがて己の信念を喋り始める。
独裁者に立ち向かえ、自分たちの自由と人権と民主主義を守るのだ。
自分の理想は誰もが幸せになれる社会だ。恋人のハンナよ顔を上げろ、と。

床屋が独裁者に入れ替わって演説に向かう。その表情に注目

全世界の民衆に向かって宣言したのは、チャップリンの信念。
これまでの監督・出演作品でも貫いてきた心情だ。
ただ、これまでの喜劇作品では、この心情を放浪者の主人公に自虐的に仮託してきたり、せいぜい権力者に対する風刺に止めたりしてきた。
正面から、ひょっとしたら一般民衆の嫌う言葉で己の心情を飾らず表明したのは、映画人チャップリンとして初めてだったのではないか。
製作当時.、チャップリンが一番心配したのもこの点だったといわれている。

ヒトラーをカリカチュアしたチャップリンのハナゲモラ語が炸裂する

第二次世界大戦がはじまったばかりの1940年の公開。
当時のドイツとヒトラーは飛ぶ鳥を落とす勢い。
第一次大戦の敗戦国とはいえ、ヨーロッパの大国ドイツの、選挙によって選出されたナチス党と党首ヒトラーを徹底的にオチョクリ、批判したのだから、チャップリンはもちろん周りもこの点をまず懸念した。
現在でいえば中国の習近平を大作映画で有名俳優が正面からカリカチュアライズし非難したようなものか。
こんな主題は、日本ではもちろん欧米でも企画にさえ上がらないだろう。

事実、企画段階の1939年当時、チャップリンは、ユナイトやイギリス当局からヒトラーを揶揄する映画製作について警告されたという。
ドイツのポーランド侵攻後はその心配はなくなったが、敵国とはいえ独裁者を描く喜劇に観客がどう反応するか心配したという。

風船の地球儀と踊る有名なシーン

いつもの喜劇よりじっくりした調子のこの作品で、チャップリンはヒトラーをモデルにした独裁者を徹底的にカリカチュアライズする。
ドイツ語を模した過激な言葉を吐きまくり、吐きまくりすぎて咳き込んだりする。
ジェスチャーも研究していて手の動きがそっくりだ。
過激なセリフでマイクに迫ると、マイクが独裁者を避けるように曲がるギャグもある。
ゲーリングを模した側近のケツに押されて階段を転げ落ち、ゲーリングの過剰な勲章をむしり取る。
タモリのハナゲモラ語や中川家礼二の中国人同士の喧嘩の物まねも真っ青だ。
これを当時イケイケのヨーロッパ大国の指導者に対して行ったのだから、その行動や命がけだ。
敵はヒトラーのみならず、背後から撃たれかねなかったろう。

独裁者の日ごろの多忙な日常を笑いのめす場面では、美人秘書に迫ったり、時間が1分でもあくと肖像画家と彫刻家の前でポーズを取ったりする。
ペンを取り出そうとしてペン立てからペンが抜けないギャグも。
これらのエピソード、ヒトラーというよりハリウッドのタイクーンたちの生態をヒントにしてはいないか?
特に秘書に迫る場面など。

作品中に現れるゲットーでのユダヤ人描写も直截的。
ユダヤ人商店にJEWとペンキで書いて歩く突撃隊員。
勇敢な娘ハンナ(ポーレット・ゴダード)は突撃隊に口答えし、フライパンで殴りつけたりするが、大人たちはひたすら耐え続ける。
ユダヤ人の床屋として突撃隊の迫害におびえるチャップリン。
これまで、貧困や飢餓など恐怖とスリルに対しても、ギャグでやり過ごしたり、権力者をおちょくったりしていたチャップリンが、政治体制の恐怖におびえる演技をしている。

ポーレット・ゴダート。デートを前に床屋に髪をセットしてもらう。うれしそうな床屋の表情

独裁者の圧政に対して庶民は何もできないのはチャップリンが一番良く知っている。
この作品でのチャップリンは、ピンチを自己流で超越するヒーロではなく、無力ぶりを晒して、数人の中に埋もれる凡人を演じて、現実の恐怖を表現している。

また、ヒトラーばかりではなく、その盟友ムソリーニへの風刺ぶりも強烈だ。
威張って歩くその姿や、独裁者同士のマウントの取り合いを持ち前のジャグで笑いのめす。
ムソリーニに扮したジャック・オーキーの演技も傑作で、持ち味のギャグを思いっきり表現している。

ムソリーニ?に扮するジャック・オーキー(左)の演技は傑作。対するヒトラー?の無表情

実在の独裁者たちへの風刺は、メジャーの映画作品としてギリギリの表現だったが、なんといってもラストの演説に込めた、チャップリン人生初の本音の呼びかけと、恋人ハンナへの庶民同士の幸福を祈る気持ちがこの作品の総てだ。

チャップリンはこの作品で”映画人として言うべきことを言った”あと、「殺人狂時代」を経てアメリカ当局からにらまれ、非米活動調査委員会(赤狩り)への召喚を前にヨーロッパへと脱出せざるを得なかった。
大戦当時、ソ連への支援を呼びかける集会で演説したことも原因だったが、ヒトラーへの批判がアメリカなどの現体制への批判に通じることを権力者が感じ取ったが故のチャップリン排除だったのではないか。

チャップリンの宣言は、それがヒトラーに対してのものならば、世の中から容認されたのかもしれないが、権力者一般に対してのものならそれを許せない勢力があったのだろう。
だからこその映画史に燦然と輝く有意義な一作となった。



「殺人狂時代」     1947年   チャールズ・チャップリン監督   ユナイト

「独裁者」の後にチャップリンが訴えたかったのは、大戦の後の無力感、大衆の痛みと疲弊、大衆の犠牲によって経済的な興隆を謳歌する存在への告発だった。

当初は『青髭』をモチーフとした殺人劇の主演にチャップリンをオファーした、オーソン・ウエルズの企画だったという。
出演を断ったチャップリンだったが、後に自分の企画として、200万ドルをかけ「殺人狂時代」の製作を決める。
映画の冒頭には、原案:オーソン・ウエルズとクレジットされている。

『いうまでもなく、ルイス・B・メイヤー、ダリル・F・ザナック、あるいは彼らの神経質な補佐役たちにアイデアを提出するよう依頼されていたとしたら、チャップリンの偉業はなかった』(「ハリウッド帝国の興亡」P393)。

タイクーンたちの帝国(ハリウッド映画工場)からは、当然ながらこの作品は生まれようがなかった。

舞台は世界恐慌前夜のフランス。
実直、凡庸な銀行出納係のヴェルドウ(チャップリン)が、30年間務めた銀行を不況で首になった後の、虚妄と狂乱の犯罪生活と破滅の物語。

ヴェルドウは、車いすの妻と彼を慕う息子がいながら、生活のために、一人暮らしのオールドミスばかりに取り入って小金をせしめて回る。
パリに置いたペーパーカンパニーを拠点とし、ある時は船長、ある時はインドシナ帰りのビジネスマンを装って、町々に住む一度はコマしたオールドミスたちの間を渡り歩いては、手練手管で株の投資資金を引き出してゆく。
金を引き出した後は、オールドミスたちを殺害し、自宅の焼却炉などで”処分”する。
庭の毛虫を踏まないように気を付け、野良猫に憐れみをかける小市民性がその本性なのだが。

凡庸な小市民のヴェルドウには、列車を乗り継いで町々を綱渡りで移動し、口八丁手八丁のコスプレと出まかせのマシンガントークの才能があるはずはないのだが、そこはチャップリンの演技を楽しむことにする。

対するオールドミス役の女優たち。
ガラッパチで水商売上がり風のガメツイ中年小金持ち女、を演じるマーシャ・レイという女優がすごい。
ワニ口で鳥ガラのような体つき、ガラガラ声という申し分のない下衆なスペックで、ヴェルドウの”偽善”に”オールドミスの世俗性”で対抗し、余りある。

マーシャ・レイ

チャップリン映画に恒例の”センチ”な要素としては、街角にたたずむ若い訳あり美人(マリリン・ナッシュ)のエピソードがある。
ヴェルドウは、毒薬を試す相手として彼女をひっかけるが、彼女の身の上話を聞いているうちに感心して、毒入りのワインをひっこめた上に、金を恵んでしまう。
彼女はのちに、成り上がって高級車に乗り、株の暴落で一文無しとなったヴェルデイを見掛け、拾ってごちそうし、名刺を渡すのだが、オールドミス連続殺人で逮捕寸前のヴェルドウはその名刺を破いて、彼女への類を避ける。

この若い女、映画ではベルギー難民で夫を戦病死で失った上に窃盗で刑務所から出てきたばかり、ということになっているが、どう見ても貧窮を背景とした”夜の女”であり、この時代に欧州やアジアではままあったこと。
チャップリンの脚本でもその設定だったが、当時の検閲がそれを許さず、”夜の女”を示唆する表現が避けられたという。
彼女が”成り上がった”あとのエピソードでも、彼女を軍需産業家の愛人と表現することに検閲が入ったという。
観客(筆者など)は成り上がった彼女を見てシンデレラストーリーを夢見てしまったが、オリジナルでは、”夜の女が、その若さと美貌を、気まぐれな財界のおっさんに、愛人の一人としてもてあそばれている”わけなのだ。
そこには”どこまで行っても、庶民は金持ちに踏みにじられる存在”というチャップリン映画の哲学があったのだ。

マリリン・ナッシュ

株も家族も(もちろんオールドミスたちも)失ったヴェルドウは、すべてを達観し、運命を受け入れる。
犯した罪を受け入れるのはもちろん。
銀行失職後の綱渡りの人生には結局何もなかったこと。
その経験から得られたことは、”庶民には届かない大きな世界の動きはすべてビジネス”だったという世のカラクリ。
戦争による被害もビジネスの結果であり、かつ損害(戦死者)の数は勲章の対象となる不条理。
反面、庶民のやむにやまれぬ殺人は犯罪とされ、処罰されること。

「モダンタイムス」で資本主義の非人間性を告発し、「独裁者」で全体主義を告発したチャップリンは、「殺人狂時代」で、資本主義と全体主義をつかさどる権力体制を告発するに至った。
チャップリンの映画人生での到達点であり、映画でここまで直接的に表現したメジャー作品を見たことがない。

「モダンタイムス」と「独裁者」は映画がヒットしたこともあり、アメリカ国内に潜む権力構造は静観していたが、「殺人狂時代」では、在郷軍人会などが上映妨害運動を起こし、国内での上映機会そのものが激減した。
戦時のチャップリンのソ連支援の活動などが、国内の反動勢力の気に食わなかったのだろう。
もっといえば、チャップリンの2度にわたる未成年女性に手を出した末の結婚と離婚、裁判での泥仕合が格好の非難材料を彼らに提供したこともある。

悪名高い(ヨーロッパでは悪い冗談と嘲笑された後、マジの事態だとわかってあきれ果てられた)、赤狩り(非米活動委員会)の召喚を受け、事態が最悪を迎えていることを知り、家族とともにアメリカを脱出することになる。

『チャップリンがいかに見栄っ張りで単純でおセンチで、その他さまざまな知的罪を担っていると批判されようと、それでも彼は、ハリウッドのどの映画作家にもまして、時代の核となる問題を把握し、自分の映画でそれに論評を加え、しかも正しい論評を行うということを、どうにかやってのけたのだ。』(「ハリウッド帝国の工房・夢工場の1940年代」1994年 文芸春秋社刊 P393)。

40年代のハリウッド映画を要覧し、各々の作品のみならず、スタッフ、俳優に正当な論評を加えた同書の著者:オットー・フリードリクの的確にして最上級の評価だろう。

チャップリン自身もまた「殺人狂時代」についてこう語る、『私がこれまで作ったなかで、最も才気あるすぐれた映画』(同書 P399)だと。

上田映劇で「ミシェル・ルグラン&ジャック・ドゥミ レトロスペクテイブ」

祝・NPO法人上田映劇 信毎文化事業賞受賞

2025年11月20日の信濃毎日新聞一面より

第30回信毎文化事業賞を上田映劇が受賞した。

33歳の支配人が東京からUターンして、閉館中だった現存木造映画館の上田映劇(フィルム上映可能)を再オープンし、細々と、しかしつぶれずに営業し、文化事業に貢献してきたことが評価された。

映画を愛し、映画館を懐かしみ、ミニシアターに親近感を抱き、地方映画館に愛着を感じ、現存木造映画館を尊重し、フィルム上映を懐かしむ者にとってまことに喜ばしいことだ。
上田映劇が受賞した記事が信濃毎日新聞一面に掲載された。

写真左から2人目が映劇の支配人

「ロシュフォールの恋人たち」を見に、上田映劇の姉妹館トラムライゼを訪れた際、支配人がいたのでおめでとうございますと声をかけた。
ありがとうございますと丁寧な返答があった。


「ロシュフォールの恋人たち」  1966年  ジャック・ドゥミ監督  フランス   トウラムライゼにて上映

ジャック・ドゥミが「シャルブールの雨傘」(63年)に続いて送るミュージカル。
音楽はミシェル・ルグラン、主演は「シェルブール」に続いてのカトリーヌ・ドヌーブと実姉のフランソワーズ・ドルレアック。
共演者も豪華だ。

レトロスペクテイブのちらし

フランスの港町ロシュフォールの金曜の朝、祭りのアトラクションを彩るダンサー一行がトラック2台でやって来る。トラックの運転席から出てくるダンサーたち(ジョージ・チャキリスら)が、軽く映画のテーマソング(ドルレアックとドヌーブの双子姉妹のテーマ)の乗って踊り始めるオープニング。
これから始まる映画の胎動を感じさせるようなオープニングのワクワク感。
さあ楽しいミュージカルが始まるぞ。

英が館前。左のコメントがうれしい

ダンサー一行が踊る。
背景を行く町の人々がリズムを取る。
クレーンカメラが町の広場に面したアパートの一室に移動してゆき、ドルレアックとドヌーブの双子姉妹が子供たちにバレエを教えている場面を捉える。
町の美人双子姉妹は、音楽とダンスの才能に溢れていて、まだ見ぬ恋人とパリに憧れる乙女だ。

2人のテーマソングは、何度か聞いたことがあるナンバーでおそらくこの映画最大のヒットソング。
リズム感に溢れるこのナンバーを、ドルレアックとドヌーブが楽しそうに歌い踊る。
キュートな衣装のすそを翻し、若々しい脚を見映えよく躍動させながら。

町の美人双子姉妹を演じるドルレアック(右)とドヌーブ

「天使の入江」(63年)のコートダジュールからシェルブールへ。
82年の「都会の一部屋」ではナント。
ドゥミの”ご当地港町もの”映画の今回の舞台はロシュフォールだ。

夢のようなミュージカルの世界を描きながら、軍隊の行進場面が再三出て来たり、登場人物の一人が恋人を惨殺した新聞記事のシーンがあるなど、唐突な人生の暗黒面の点描は、ヌーベルバーグ左岸派・ドゥミのこだわりか、フランス映画のエスプリか。

ピアノの前で「双子のテーマ」を歌い踊る

旅芸人のジョージ・チャキリスは「ブーベの恋人」(63年 ルイジ・コメンチーニ監督)のパルチザン役の大根ぶりが嘘のようにイキイキしている。
ダンスの脚の上げ方もキレている。

ドルレアックを一目ぼれさせるハリウッドミュージカルのレジェンド、ジーン・ケリーは、踊りこそ衰えてはいないが、まったく旬を過ぎた存在であり、躍動する若手とのズレ感があった。
ケリーの起用は、ハリウッド・ミュージカルへの、オマージュとも批判ともつかぬドゥミならではのこだわりの結果なのだろうが、効果的だったといえるかどうか。
むしろ金髪が若々しい、ジャック・ペランがフランス製のおとぎ話風ミュージカルにふさわしかった。

双子の母親で広場の一角にあるカフェのマダム役のダニエル・ダリューは、若い時はドヌーブのような存在だったが、ここではすっかり落ち着いたマダムを演じて印象深い。
フランスの女優は中年になって更に一花咲かせる、これは好例だ。

ドヌーブの実姉のフランソワーズ・ドルレアックは「リオの男」(63年)でベルモンドを困らせた、活動的でおしゃまなじゃじゃ馬ぶりが忘れられないが、本作でも恋を夢見る妙齢の若い女性を好演。
171センチの長身を感じさせぬ、ドヌーブとの息の合った足の運びを見せるダンスもよかった。
実生活では、本作の後1本に出演した1967年に、25歳で惜しくも交通事故死する。

お祭りの舞台で踊る姉妹

後の大女優カトリーヌ・ドヌーブを生かしきった二人の監督がいる。
「昼顔」(67年)、「哀しみのトリスターナ」(70年)のルイス・ブニュエルと、彼女のキャリアの転機となった「シェルブールの雨傘」を監督したジャック・ドゥミだ。
ドヌーブ自身は、女優としての自らのキャリアで最大のできごとは?との問いにこう語っている。
『ジャック・ドゥミ監督と出会って「シェルブールも雨傘」に出演したこと。この作品で初めて私自身に目覚めた』(1971年 芳賀書店 山田宏一責任編集 シネアルバム①カトリーヌ・ドヌーブ P104より)。

ドルレアックとドヌーブは、俳優だった両親のもとに生まれた三姉妹の長女と次女で、ドルレアックが父親の、ドヌーブが母親の姓を芸名にした。
ドヌーブがのちに男児を生むことになる、ロジェ・バデイム監督(代表作「素直な悪女」)とパリのディスコで出会ったとき、彼女は17歳で両親姉とともにアパルトマン暮らし、寝室では2段ベッドを姉と共有していた。
当時すでに姉のドルレアックは『フランスのキャサリン・ヘプバーン』と呼ばれる売れっ子、ドヌーブは姉の仕事場についてゆくほど仲が良く、また両親からは姉と同行する場合のみ夜遅くまでの外出を許されていた。
だが、一晩の出会いでドヌーブはバディムと恋に落ち、未婚のまま出産する道を選んだ(出産後、バデイムは自身3度目の結婚をジェーン・フォンダと行っている)。

港の広場、街角、カフェなどでのロケ撮影が生きている。
ロシュフォールの街々で歌い踊る人々をクレーンを駆使し、俯瞰で捉えるカメラ。
ハリウッド・ミュージカルならばスタジオの大掛かりなセットで撮影されたであろう。
ドゥミのフランス製のミュージカルは、何よりロケがもたらす港町の空気感、街角を行く通行人たちの土地の臭いがいい。
双子姉妹の衣装もおしゃれ。
多すぎる登場人物のエピソードが散漫で、中だるみがあったが、巻頭シーンの高揚感、結末に向かってのフランス映画らしい人間性(男女の恋愛)の謳歌ぶり(現実的な結末も予感させながら)はよかった。

ミシェル・ルグランのスコアは、双子のテーマのほかに、後半を盛り上げるピアノ曲がルグランらしくてよかった。

平日の12:45分の回。
上田映劇の姉妹館トラムライゼの観客は筆者を除き4人。
全員女性だった。

映画館前のウインドウより



「ロバと王女」  1970年  ジャック・ドゥミ監督   フランス      上田映劇にて

ジャック・ドゥミ作品中、本国で最大のヒットとなった作品。
ペロー原作の童話の映画化。
カトリーヌ・ドヌーブ27歳、「シェルブールの雨傘」でスターとなり、「反撥」「昼顔」「哀しみのトリスターナ」でその評価を定着させ、美貌の盛りを迎えていた。

カトリーヌ・ドヌーブ

ドゥミにとっては、「ロシュフォールの恋人たち」などの”ご当地港町シリーズ”から離れ、完全な童話の世界を舞台としたミュージカルに挑んでいる。
童話とはいえ、ロケ撮影を多用する”手作り感”はドゥミらしい。

王様にジャン・マレーを起用。
「美女と野獣」(46年)とジャン・コクトーへのオマージュをささげている。
王子様の母の王妃にミシュリーヌ・プレールを起用しているのも、「ロシュフォールの恋人たち」でのダニエル・ダリューと同様に、古き良きフランス映画へのドゥミからの憧憬が感じられる。

「肉体の悪魔」(46年 クロード・オータン=ララ監督)のミシュリーヌ・プレール

ドヌーブが白馬の馬車でお城を脱出する場面。
扉が開き、白馬が王女を運んで行く。
王女のスローモーションや、フィルムの逆回しは「美女と野獣」の再現だ。
ドゥミのコクトーへの尊敬がある。
何よりジャン・マレーの起用そのものが。

デルフィーヌ・セーリグを重要な妖精役で起用。
このキャステイングはノスタルジックなものではなく、主人公の王女のアドバイス役として”現役感”が必要なもの。「去年マリエンバートで」(61年 アラン・レネ)の”硬派”セーリグは嬉々として演じて居る。
妖精の衣装のスリットから美脚がちらちら見えるのだが、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(72年)でブニュエル必須の”ストッキングを脱ぐ”シーンをセーリグが演じることになる、これはその先駆けなのか?

デルフィーヌ・セーリグ

王様と王女の近親相姦的な愛情と、そこからの脱出、自己の発現をテーマにしている。
王女は高貴な生活を捨て、ロバの皮を被って下女の生活に甘んじる。
嬉々として。
王女の魅力を見抜く王子にも母親の王妃(ミシュリーヌ・プレール)が近親的な愛情を注ぐ。
王女の脱出と自立をサポートするのが森にすむリラの妖精(デルフィーヌ・セーリグ)だ。
この二人、なんとエレガントなキャステイングか、フランス映画の大いなる楽しみだ。

『ロバの皮を頭からかぶって、ネグリジェみたいな長い服を着て、森の中や村の広場をすたすた歩いてゆく、よごれたときのドヌーブの萌芽、王女としての盛装したドヌーブよりも、ずっとかわいらしく私には好ましかった。』(シネアルバム①カトリーヌ・ドヌーブ P83 澁澤龍彦「カトリーヌ・ドヌーブその不思議な魅力」より)。

同じく澁澤龍彦は書く、『ロバの皮を身にまとって城を逃げ出さねばならなくなっても、村中の男女に馬鹿にされても、ちっとも悲しそうな顔を見せないドヌーブは、隣国の王子様とめでたく結ばれるようになっても、別段それほどうれしそうな顔を見せないのであるる。いつも、どうでもいいような顔をしている。』(同書P83)

ロバの皮を被ったドヌーブ

ドヌーブの特性を見抜いた澁澤龍彦は更に書く。

『王女様の盛装は美形のドヌーブによく似合うが、それを魅力的に感じるのは、見ているものが、その美しさが剥がされるだろうという予感に慄えているのを感じるからであり、ドヌーブの顔は表面的な冷たさ(美しさ)とは裏腹に瞳の奥の不安定な本質が露呈されてしまう。
それは欲望に目を曇らされて倫理観念を見失い、妄想の海の中を泳ぎ出そうとしている、マゾヒステイックな気質の女を表現するのにまことにふさわしい』(同書P82より抜粋)

ドヌーブは退屈な王女の生活を脱し、自らの欲望を満足させるために、身分を隠した汚い女の生活を送った、嬉々として。
結末は王子様との結婚だが、それは本来の歓びではなかった。
娘に結婚を迫っていた王様は、訳アリだった妖精と結婚していた。
めでたしめでたし。

これはドヌーブそのものを描いたストーリーなのか、ペロー童話の趣旨なのか。

ジャン・マレーとドヌーブ

ミシェル・ルグランのスコアでは、森の家で王子のためにケーキを焼く場面のナンバーが楽しい。
「ロシュフォールの恋人たち」の「双子のテーマ」のような傑作はこの作品にはなかったが。

ジャック・ドゥミはこの後、ドヌーブとマストロヤンニで「モンパリ」(73年)、日本の少女漫画を原作とする「ベルサイユのばら」(78年)などを作ったが、生涯の代表作は「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」だったのではないか。

ドヌーブは、「リスボン特急」(72年 ジャン=ピエール・メルビル監督)、「終電車」(80年 フランソワ・トリュフォー監督)などフランスを代表する監督作品に出演、「ハッスル」(75年 ロバート・アルドリッチ監督)などハリウッド作品でも活躍し、最晩年まで映画出演を続けている。

この日の観客は筆者を入れて二人だった
寒かったこの日の上田市内

DVD名画劇場 ”ゲルニカ・モナムール” アラン・レネと戦争の記憶

アラン・レネ

1922年フランス生まれ。
幼少から映画に興味を持つ。
俳優を目指しパリに向かうがのちに映画編集を学ぶために高等映画学院に入学、ジャン・グレミヨンに影響を受ける。
短編映画を撮りはじめ、「ゲルニカ」(50年)、「夜と霧」(55年)などに結実。

59年には『フランス人である我々が、日本人が体験した原爆被害をどこまで知ることができるのか』をテーマに、ヌーヴォー・ロマン派の作家マルグリッド・デユラスに脚本(テクスト)執筆を依頼し、長編第一作「二十四時間の情事」を日仏合作で製作。

ヌーベルバーグの潮流に乗っての長編デヴューでもあったが、ゴダール、トリュフォーらの「カイエ・デユ・シネマ派」とは異なり、テクスト(脚本=文学性)を重要視し、『社会参加の意識が強く、自分たちの左翼的意見を隠そうとはしないし(後略)』(マルセル・マルタン著「フランス映画1943ー現代」1978年合同出版刊 P94)と称される「セーヌ左岸派」に属した。

代表作に「去年マリエンバートで」(61年)、「戦争は終わった」(66年)。
70年代以降も2014年の遺作発表まで旺盛な制作意欲を見せる。

アラン・レネの初期作から、反ファシズム・反戦を製作動機とした「夜と霧」「二十四時間の情事」を見る。
レネの原点は、スペイン市民戦争のファシズムによる弾圧を糾弾したピカソの力作「ゲルニカ」をモチーフにした初期の短編作品にあった。

アラン・レネ

「夜と霧」  1955年  アラン・レネ監督   フランス(アルゴスフィルム)

戦後10年、アウシュビッツ収容所解放から10年後に作られた作品。
ドイツによるユダヤ人絶滅収容所の全貌を初めてまとめた映画とされる。

10年後のアウシュビッツ(現地名:オシビエンチム)の夏草に覆われた風景のカラー画面から始まる。

ドイツ国内のナチス党の政権樹立から、ユダヤ人の排斥・強制収容、そして収容所の実像へと時系列に時代を追ってゆく。
家を追われ、貨物列車で移送されてゆくユダヤ人たちの姿は、北米で資産放棄の上、僻地のキャンプに強制収容された日系人を思い起こさせる。

ドイツの戦時収容所にはユダヤ人だけでなく、ドイツ人の政治犯、刑事犯も収容されていたこと。
所内には楽隊や動物園、保育園などがあったこと。
粗暴な看守に対抗する抵抗組織があったこと。
看守用の売春施設(女囚が売春婦)や監獄まであったこと、が語られる。
この時点までは収容所が、刑務所だったり捕虜収容所的な色彩を持っていたということだ。

1942年に親衛隊長ヒムラーがアウシュビッツを視察し『生産的に処分せよ』と指示してから、アウシュビッツが絶滅収容所になった。
ガス室と大規模な火葬施設が作られた。
のちに火葬施設が不足し、死体はバーナーで焼かれたり、野焼きされた。
死体の毛髪は毛布に、遺灰は肥料に転用された。

1945年には収容人数を10万人規模に拡大するとともに、囚人を労働力として活用すべく、ジーメンスなどの国内企業が進出した。
そして連合軍の進出により解放された。

映画は『この責任はだれにあるのか。今も戦争は終わっていない。』と語って終わる。
連合軍の解放場面に問題の解決感は漂わない。
『900万人の霊がさ迷う』とのナレーションも。
この数字は事実誤認とはいえ、フランス映画らしい真実追及の客観性に満ちた作品である。

製作はアナトール・ドーマン。
独立プロ:アルゴスフィルムを立ち上げ、後に「男性・女性」(66年 ジャン=リュック・ゴダール監督)、「バルタザールどこへ行く」(66年 ロベール・ブレッソン監督)などの意欲作をプロヂュースし、「愛のコリーダ」(76年 大島渚監督)「パリ・テキサス」(84年 ヴィム・ベンダース監督)までを作った。

テクストを書いたジャン・ケロールは収容所から生還した作家。
その言葉は作品のナレーションとして語られる。



「二十四時間の情事」  1959年  アラン・レネ監督  日仏合作(大映=アルゴスフィルム)

この作品はいくつもの切り口を持っている。

・監督アラン・レネの「ゲルニカ」「夜と霧」から続く『戦争の傷跡を告発する』作品の系統から。
・大映とアルゴスフィルム(永田雅一!とアナトール・ドーマン!)のダイナミックこの上ない邂逅と企画実現の経緯から。
・欧州戦争の癒えぬ残像にヒロシマを重ねた脚本のマルグリッド・デュラスの着眼点から。
・欧州と広島という難しい二つの悲劇を奇蹟的に結合させた主演のエマニュエル・リヴァの存在から。

それらの切り口のいずれもが化学反応を起こしたハレーションゆえに、この奇蹟的な映画が誕生したことがわかる。

映画はケロイドの腕が自らの体を撫でまわすシーンと、汗にまみれた男女の腕がお互いの体を撫でまわすシーンのモンタージュから始まる。
短編映画「ゲルニカ」でピカソの絵画を撫でまわすように撮ったアラン・レネの真骨頂だ。
病院の廊下や、原爆資料館の展示物を撫でるようにとらえる移動撮影がモンタージュされる。

反戦映画のロケで広島を訪れているフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)と日本人建築家(岡田英次)が出合う。
いや出会いは描写されない。
二人が汗みどろになって抱き合っている場面が二人の出会いのスタートだ。
翌朝、ベッドでコーヒーを飲んだり、一緒にシャワーを浴びるシーンもあり、デユラスの脚本は男女関係の描写が生々しい。

ホテルの部屋で、翌日の朝

男女の出会いに理屈も何もない、出会った以上は生々しい関係こそ不可欠。
これはフランス映画らしさであり、脚本のマルグリッド・デュラスらしさでもある。
のちに自伝的小説「愛人ラマン」を発表する、仏印サイゴン生まれのデユラスらしく、フランス女性がアジア人の現地人と性愛関係を結ぶ設定はこなれている。

エマニュエル・リヴァのナレーションでデユラスの脚本が語られてゆくことのこの上ない心地よさ。
デユラスのセリフを忠実に、まじめに再現してゆくエマニュエル・リヴァ(と岡田英次)の信頼感というにふさわしい演技。

ロケ地まで女を追った男

東洋人と相対する白人女優ということで、心配があったが、岡田英次と対するときのエマニュエル・リヴァには、若干の戸惑いはあったものの、時には好奇心に彩られた信頼感にあふれ、上から目線の蔑みなどはなく、自らの演技に徹しているのがよくわかる。

妻のいない自室に女を招く男

二人は二度の逢瀬(彼女の宿泊先と彼の自室)を経て、離日の時を迎えるが、それまでの空き時間、広島の町を愛する彼女とともに過ごす、繁華街の「テイールーム・どーむ」という名のカフェで。

このカフェ(バーというか洋酒居酒屋というか)での二人のやり取り(リヴァのほとんど独演)がこの映画のハイライトだ。
広島にとどまれと迫る男。
男に惹かれながらも、戦争中の心の傷が癒されない女。
彼女にとってその身がパリにあろうとも、広島に在ろうとも安らぎとはならないのだ。

テイールーム・どーむにて

女は18歳の時、ヌヴェールという地方都市でドイツ兵と恋に落ちた。
生まれて初めての恋に『死んでもいい』と思った。
ヌヴェールに解放軍がやって来るその日に恋人は、待ち合わせのローヌ河畔で狙撃され、彼女の腕の中で死んでいった。
彼女はドイツ兵と通じたことで髪の毛を刈られ、また家族によって地下室に閉じ込められた。
現在のパリの家族にもあかしていない傷だった。

ヌヴェールで初めての恋に喜びを隠せない女

ヌヴェールでの傷を告白し、目の前の男との愛に悩む女。
テイールーム・どーむで女の苦悩が語られる。
その顔に照明は当たらない。
女が男の腕に崩れ落ちたとき、男の腕に当たっていた照明が女の顔を捉える。

まさにこの映画の核心を表すような、暗さを基調にした照明は大映スタッフのなせる業なのか。
「夜の河」(56年 吉村公三郎監督)で山本富士子の京都のお茶屋でのラブシーンを徹底したバックライトで表現した、大映京都の職人・岡本健一の照明を思い出す。

テイールーム・どーむにて、自らの傷を打ち明ける女

また、テイールーム・どーむでのシーンに、日本の歌謡曲や盆踊りの音がかぶさる。
特に歌謡曲が流れ、女のヨーロッパでの忘れられない傷が語られる場面は、時空を超えた異化効果に満ちた場面となった。
まったく異なる文化、地域が画面で融合する。
背景にはアラン・レネの『撮影地日本に対する前向きな好奇心』があったのだろう。
これがデユラスの脚本にあったのだとしたらその創作力に感服する

ヒロシマとヌヴェールを対比させ、融合させる試みを持った作品。
ヒロシマに対する表面的な理解(これについては、女に向けて『君は広島で何も見ていない』と男に語らせている)に対して、ヌヴェールで女が生涯の傷を追う描写の数々の深刻さ、残酷さが格段にリアルで、そこにフランスと日本の認識の断絶が表れてもいるが。

女と男は語り合ううちに、忘れることに恐怖しつつも、ヌヴェールを忘れてゆき、男に対し『あなたの名はヒロシマね』という。
男は『君の名はヌヴェール』と言って映画は終わる。
戦争と、恋と、故郷に傷ついた女性にとってこれは救いの言葉なのだろうか。

広島駅の待合室にて

長編第一作が日仏合作映画というアラン・レネ。
己のスタイルを崩さず、かといって脚本のデュラスへのリスペクトも維持し、またロケ地日本への好奇心と尊重もある作品を作った。
山場のテイールーム・どーむでの男女の芝居の演出も上手かった。
これにはスタッフの協力もあるが、スタッフの協力を引き出すのも才能だろう。

エマニュエル・リヴァはロケで広島に滞在中に自らのカメラで広島の町をスナップしていた。
のち(2008年)にその写真集が日仏で出版された。
当時の広島の街角や市井の人の日常が写っている内容だったが、彼女の被写体に向けての親しみと好奇心にあふれたものだった。

また、はるか昔に見た本作は、大映マークで始まる日本配給版で、大映マークの後にはお馴染みの『製作 永田雅一』と縦書きのクレジットがあった。
アラン・レネ作品にしては、と激しい違和感を感じた事を思い出すが、今にして思うのは、大映スタッフの全面協力がなければなしえなかった企画であったろうということである。


(おまけ) 1982年3月のアウシュビッツ

山小舎おじさんがアウシュビッツを訪れたのは、バックパッカー旅も1周年を迎えたころ、今から43年前のことでした。

西ベルリンのポーランド大使館(領事館?)で50マルク(5000円ほど)でポーランドの10日間だったか1週間だった加のビザを入手。
西ベルリンから列車でポーランドのポズニナへ入りました。

アウシュビッツ(現地名:オシビエンチム)はローカル列車しか止まらないため、最寄りのカトビツェという中都市まで行きました。
カトビツェの町は、石炭ストーブを燃やしたススの臭いが漂っており、かつての北海道の冬を思い出させました。

当時のポーランドはバックパッカーには塩対応でした。
まず安宿(国営旅行会社直営の宿、ユースホステルなど)が見つかりずらい上に、たどりついても宿泊を断られることがありました。
また、街行く人はうつむいて早足に通り過ぎてゆくイメージです。
話しかけてくるのは、ドルと現地通貨を交換したがる闇両替の男くらいでした。
当時のポーランド・ズロチの闇レートはドルと交換すると使えきれないくらいズロチをもらえました。
また、観光案内所以外に英語が通じる場所がない印象です。
レストランではメニューはあるものの、あれはないこれはないで、出てくるのはビーツの真っ赤なスープ(そこに餃子が浮かんでいることも)だけのことが多くありました。

カトビツエから、窓が汚れ、なんだったら割れたままの普通列車でオシビエンチムの駅へ。
そこから路線バスで収容所跡へ行きました。
下りる停留所がわからずキョロキョロしていると、乗客の女性がここだよと教えてくれました。

収容所跡は整備させれた博物館のようになっており、観光客がチラホラいました。
卒業旅行で来ている、富山県滑川出身の慶応大学生と知り合いました。

”アルバイト・マハト・フライ”という、囚人に労働を喚起する収容所の標語が、よくみる写真そのままにゲートに掲げられていました。

靴やメガネなど囚人の遺品がほこりにまみれてガラス越しに積み重ねられていましたが、女性から刈られたであろう遺髪の山の金髪が記憶に残っています。

2段ベッドが連なる収容室の中央には、むき出しの水洗トイレがありました。
収容室の床はタイル張りだったと思います。
囚人の尊厳は否定しつつも、清潔に留意し、尊厳以外の部分は合理的に運営しようとするところにドイツ人らしさを感じました。
「夜と霧」に出てくるトイレは穴が開いただけのものが並んでいましたが、そういった場所もあったのでしょう。

ガス室と火葬施設ですが、レンガ造りのガス室はともかく、同じくレンガ造りで一人ずつ焼くスタイルの火葬施設が2基だけ並んでおりました。
これじゃ大量に焼けないな、と思ったものでした。
「夜と霧」では大規模な火葬施設と野焼きの場面がありました。

広大な収容所跡を巡っているとたった一人になることが多くありました。
既に戦後37年を経過し、地元のポーランドにはほぼ縁がなく、しかし膨大な保存費用が掛かる(費用負担はだれが?)であろう収容所の背景はいったい?

マルグリッド・デュラスが「二十四時間の情事」のテクストで冒頭に喝破したように『アウシュビッツの何も知らず、何も見ていない』のです。
ましてや戦争を知らない世代の東洋からの旅人にあっては。

茫漠たる思いに駆られながら売店で、”アルバイト・マハト・フライ”を掲げた門の絵葉書を買って送った記憶があります。
ここへ来た記念としてのみの意味として。

アウシュビッツを見た後、クラコフ、ワルシャワと移動しました。
ワルシャワでは、ユダヤ人ゲットー跡とされる場所に行ってみました。
そこには巨大な壁のようなモニュメントが建っており、周辺は数階建てのアパートが整然と並ぶ団地になっておりました。
ソ連軍の到着を目前にしたワルシャワ市民が占領軍に対して立ち上がった、ワルシャワ蜂起の記録フィルムが見たくて旧市街にある博物館にも行きましたが、英語が通じないうえに休館でした。

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第5集) テリー・サザーン、ラス・メイヤーの世界

「カジノロワイヤル」  1967年  ジョン・ヒューストン他監督  コロムビア

ハリウッドで長年、ジョーン・ベネットなどスターの代理人や「赤い河」(1948年)、「七年目の浮気」(1955年)などの製作を行ってきたチャールズ・フェルドマンが、そのキャリアの最後に、ユナイト製「007」シリーズ(1962年「ドクター・ノオ」でスタート)とは別系統で作った、イアン・フレミング原作のジェームス・ボンドものの一作。

ショーン・コネリー主演のユナイト製「007」シリーズのパロデイやら、映画史の楽屋落ち、東西冷戦の冷やかしまでがてんこ盛りで、ボンドを誘惑する女性陣のお色気衣装も楽しめる。
ピーター・セラーズの「ピンクパンサー」的なオトボケ演技や、今を時めく(もう終わったか)ウッデイ・アレンのお笑い芸人時代の自虐ネタも存分にちりばめられている。

引退して悠々自適のジェームス・ボンド(デヴィッド・ニブン)が世界征服を企む悪の組織スメルシュの首領ドクター・ノアをせん滅すべく立ち上がる。
ボンドの前には様々な美女(デボラ・カー、新人ジャクリーン・ビセットら)が立ちはだかる。
一方、ボンドを助ける美女たち(「007は二度死ぬ」から連続出演?のウルスラ・アンドレス、ジョアンア・ブテイット、バーバラ・ブーシェら)も百花繚乱。

マタ・ボンドが西ベルリンに潜入する。ジョアンナ・プテイット
ボンド役のデヴィッド・ニブンとバーバラ・ブーシェ

ゲストスターのもったいなさも、この作品のてんこ盛り的な荒唐無稽の表れ。
カジノ王役で出演し、賭博場でなぜかマジックを見せてご満悦なオーソン・ウエルズ。
チョイ役で、ウイリアム・ホールデン、ジョン・ヒューストン、ジョージ・ラフト、ジャン・ポール・ベルモンドが使い捨て風のキャステイング。
これらの配役に全く必然性と関連性がないのもいい。
スターらに手当たり次第に出演打診し、OKの返答の順番に、1日か2日で撮ったのか?

エピソードごとの関連性もなく、ストーリーの展開に必然性もない。
5人ほどの監督(ヒューストンのほか、ロバート・パリッシュ、ヴァル・ゲスト、ケン・ヒューズ、ジョセフ・マグラス、と監督の選出にも一貫性なし)に各パートを任せ、全体の責任を持つ演出者は置かなかったのだろう。
結果として、個々のエピソード、場面に見るべき点はあったものの、それらに統一感はなく、”混沌”と”支離滅裂”に貫かれた作品が出来上がった。
デヴィッド・ニブンを狂言回しに、セラーズとアレンの芸、女優陣のお色気、パロデイで場をつないでゆく。

ピーター・セラーズを誘惑する若きジャクリーン・ビセット

冷戦下のベルリン。
東西の壁を挟んで”、片や”ブルーエンジェル(「嘆きの天使」)”名のキャバレーネオンが怪しく輝き、その足元で売春婦が蠢く西側。
カメラがパンすると、壁際に兵士と鉄条網、全体を覆う赤いライテイングに重苦しいBGMが流れる東側が映しだされる。
鉄のカーテンの硬直ぶりと資本主義の堕落ぶりを揶揄するハリウッド”鉄板”の東西冷戦描写だが、そのあからさまぶりが、わかりやすくて面白い。
ロンドンからタクシーでやってきた、女スパイのマタ・ボンドが潜入する西ベルリンのキャバレーの建物内部は「カリガリ博士」をカリカチュアした(オマージュではない)アヴァンギャルド風書割セットという徹底ぶり。
当時の東側体制とドイツ文化は、ハリウッド映画にとって風刺の対象だったことがわかる。

往年のスター、デボラ・カーとオーソン・ウエルズはそれぞれ自らのパロデイを演じている。
スコットランド出身のカーは、ボンドを誘惑しつつもその魅力に陥落して修道院に隠居する貴族役。
映画の末尾で、清楚な修道女姿で登場し、ボンドに寄付を乞う。
「白い砂」などで、その代表的イメージにもなった修道女姿のパロデイを自ら演じる。

オーソンは巨魁の黒幕役という、近年の自らの役柄に沿った姿で登場。
唐突にマジックを披露するが、マジックはオーソン、プライベートでの趣味だった。

こうしてかつての主演スターが自らのパロデイもしくはプライベートな芸を披露。
ここまでくると彼らにとっての最後の売り物は、過去の名作で着た衣装くらいではなかろうか。

カジノでのオーソン・ウエルズ。ウルスラ・アンドレスも見える

60年代の終わりに当たって、映画はかつてのように人気スターの主演で商売できる時代を終えていた。
で、次の時代の売り物は何か?
悲惨な現実社会を等身大に描くことか、ナンセンス・パロデイに逃げることか、ヒッピー・ドラッグなど別の価値観に向かうことか。

ナンセンスとパロデイの線を目指した本作だが、どうしたことかそのズレ感が痛々しい。
だが本作に価値があるとしたら、堂々とズレに徹したその鈍感ぶりにある。
大スターのありがたみをぶち壊した功罪もあるが、時代の流れか。

バート・バカラックのテーマ音楽がゴキゲンにタイトルバックから流れ、脚本のテリー・サザーンのブラック感覚は60年代のサブカルチャームードにマッチした。

本作の後、映画は吹っ切れたように徹底した現実描写や、徹底した戯画化や、徹底したサブカルチャーに向かうことができたのではないか。



「キャンディ」  1969年  クリスチャン・マルカン監督   米・仏・伊合作

監督のマルカンはフランスの俳優で監督は2作目。
テリー・サザーン原作の映画化権を買取り、友人のマーロン・ブランドに出演を依頼、その影響でリチャード・バートンらビックネームの出演を実現、ABCフィルムズから資金を引く出すことに成功した。

原作者のテリー・サザーンは、「博士の異常な愛情」(64年)、「カジノロワイヤル」(67年)、「イージーライダー」(69年)、「マジッククリスチャン」(70年)などの脚本で知られるブラックユーモア感あふれる作家である。
「キャンディ」は、だれよりもサザーン印あふれる作品だった。
主演のスエーデンの若手女優エヴァ・オーリンのふわふわムード溢れる存在感が何より際立ってはいたが。

インチキ詩人の講演を聞く高校でのキャンデイ

ミニスカート全盛時代のアメリカのハイスクール。
その他の女子高校生に交じって登場するエヴァ・オーリンのマシュマロのようなキュートさ。
講演に招かれたインチキ俗物詩人のリチャード・バートンならずとも、魂を吸い取られてしまいそうだ。

キャンデイ・クリスチャン(オーリン)の家には庭師(リンゴ・スター)がいる。
家に入ってはいけないと命じられているが、地下のビリヤード台の上でキャンデイを犯してしまう。
かねてより惹かれていたようだ。

ニューヨークへ向かう飛行場で、空てい部隊の飛行機に助けられたキャンデイ一行。
彼女の愛くるしい姿を見て、部隊長のゴリゴリの国粋軍人ウオルター・マッソーが色気づいて(里心がついたというのか)しまう。

ニューヨークに着いたキャンデイは、けがをした父親をヒスパニック系の名医(ジェームス・コバーン)に診せる。名医には看護婦の愛人軍団がついている。
名医に口説かれたキャンデイは愛人にひがまれ、妨害される。

シャルル・アズナブール扮するせむしの浮浪者に犯されそうになり、ヒッチハイクで逃げ込んだトレーラーには、ラスボス、マーロン・ブランドのヨガのグルがいる。
もちろんインチキ修行者だ。

キャンデイことエヴァ・オーリン

60年代アメリカを象徴する、芸術家、軍人、医療者、ホームレス、スピ系のインチキぶりを暴くのは原作者テリー・サザーンの得意とするところ。
その暴き方も、毒が効いている。

軍人は『アカとヒッピーたちを叩き潰す』と念仏のように唱え続け、名医はその手術を観客の前でエンターテイメントの如くショーアップするが、肝心な部分は助手に任せる。
ヨガのグルは魂のレベルアップを説きながら腹が減るとジャンクフードを貪り食う。

全部に共通するのは、一皮めくるとただのスケベなおっさんという、その一点だ。

教祖・ブランドとキャンデイ

社会の権威者らに毒づく一方で、さりげなくアメリカ社会の現状も揶揄する。
名医がヒスパニック系で差別を逃れるため名前を変えており、かつ病院の掃除婦をしている実母を邪険にしていたり。
メキシコ人や日本人を差別するアメリカ人をからかったり。
ニューヨークのギャング社会の女に対する凶暴さを生々しく表現したり。

それにしても、マルカン監督と親しいというブランドの怪演はいいとして、リンゴやアズナブールはどういう経緯で出演したのか。
ギャラは歩合制だったらしいが出演して後悔はなかったのか。
気になる所だ。

キャンデイは、まさに現代の生き地獄をさ迷うイノセントな聖女の如く、完璧なプロポーションで迷える男たちに施しを与える。
エヴァ・オーリンはキャンデイを具現化した存在だった。

テリー・サザーンは18世紀の小説「カンディード」をモチーフに「キャンデイ」を書いたといわれる。
青年カンデイードの”地獄巡り”とその果ての悟りを描いた18世紀の物語は、美少女キャンデイに置き換えられて20世紀に蘇った。

「カンデイード」は、モンド映画を世に広めたイタリアのグァルティエロ・ヤコペッテイにより映画化もされている。
「ヤコペッテイの大残酷」(1974年 原題:MONDO CANDIDO)として。

こういった共通点をたどると、「キャンデイ」はアメリカ版モンド映画なのかもしれない。


「ワイルド・パーテイ」   1970年   ラス・メイヤー監督 20世紀FOX

ドラッグカルチャー世代感満載の70年代ムービー。
製作監督はインデイペンデント界の雄ラス・メイヤー。
巨乳好みのエロムービーの巨匠で、初のメジャー配給作品だ。
製作にはFOXの支配者ダリル・F・ザナックが当然一枚かんでいる。

「哀愁の花びら」(67年 マーク・ロブスン監督)の続編ではない、とのコメントが流れて映画は始まる。
芸能界の舞台裏を描いた同作の続編として企画された「ワイルド・パーテイ」だが女性の原作者から、原作との関連を拒否されたといういわくつきの作品。
原題は「BEYOND THE VALLY OF THE DOLLS」で、「哀愁の花びら」の原題「VALLY OF THE DOLLS」をモロに意識しているのだが。

安っぽいガールズバンド(白人二人は巨乳)がマネージャーとともに、西海岸に流れてくる。
ドラッグとセックスとヒッピーの西海岸に。

メンバーの一人が叔母さんの遺産を継ぐとか継がないとか。
黒人のメンバーに同じく黒人のボーイフレンドができたとか。
エッジが効いているバイセクシャルなプロデユーサーの推しでメジャーデヴューし、テレビ出演するほどの売れっ子になるとか。
パーテイにたむろするジゴロとねんごろになったメンバーが、ボーイフレンドだったマネージャーを振ったとか。
振られたマネージャーがポルノ女優とデキるとか。
どうでもいいエピソードが展開する。

毎晩繰り広げられるパーテイ

エピソードをつなぐカッテイングの早さ、ところどころに光る構図の鋭さ。
大戦中の記録映画からのキャリアを誇るメイヤー監督の感覚が随所にみられる。
カッテイングの合間合間に、巨乳やヌードを挟むところも抜け目ない。
ポルノ女優がバンドのマネージャーに仁王立ちして別れを宣言する堂々たる仰角の構図は、監督の女性に対する憧憬、信仰が表れているようで感慨深い。

芸能界の虚構をテーマとしながら、だらだら続くエピソードの羅列が一変するのがラストの残劇描写。
両刀使いのプロデユーサーが、自身のセキュシュアリテイーか、アイデンテイテイかをジゴロに侮辱されてから一変し、狂気のバイセクシャル女装マンと化す。

女装マンは、”伝説の剣”でジゴロの首を刎ね、眠っている女性の口にピストルを突っ込み引き金を引く。
同年に起こったシャロン・テート邸での惨殺事件に影響されたともいわれるこのシークエンスは、のちのバイオレンス描写に影響を与えたらしい。
シャロン・テートが「哀愁の花びら」の主演の一人だったことも不吉な縁だ。

楽屋落ち、スターのプライバシーへのからかいが”芸”の一つでもあるハリウッド文化が、実際の惨殺事件ですらパロデイの材料とし始めたということか。

ヒッピーに顔をしかめる大人がいる、黒人が付き合うのは黒人だけ、ヒスパニックや東洋人の影はほとんどない時代の西海岸。
ドラッグとセックスは欠かせない業界人の世界。
ついでにドイツ人とナチスに対するからかいも欠かさない。

出演者全員が無名で、この作品を出世作として世に出ているわけでもない。
これぞラス・メイヤーのインデイペンデント魂か。
安っぽい描写の中にも時々ぴかっと光る映画人魂があった。

ラス・メイヤー

DVD名画劇場 特集「妄執、異形の人々」 (第4集) 蝋人形館の”旧と新”

「肉の蝋人形」(MYSTERY OF THE WAX MUSEUM) 1933年  マイケル・カーテイス監督  ワーナー

1921年のロンドン。
蝋人形館に命を懸ける男がいた。
生命を賭けた傑作人形マリー・アントワネットの出来栄えは男の自慢だった。
ところが客の入りがよくなく、興業主は火災保険の保険金で、赤字を取り戻そうと蝋人形館に放火する。
男は最愛のアントワネットとともに業火に沈んだのだったが・・・。

ロンドン時代のイゴール。入魂のマリー・アントワネット像と

昔の雑誌のカラーグラビアのような発色の、二色式テクニカラーで撮られたこの作品。
蝋人形の製作・展示というマニアックな世界を舞台にした、猟奇がかった怪奇譚は12年後のニューヨークへと飛ぶ。

かの地で新たに蝋人形館を開館するというイゴール(ライオネル・アトウイル)。
弟子からは先生と呼ばれる蝋人形の権威だ。
一方、30年代のニューヨークの新聞記者は、生き馬の目を抜くというか、セクハラパワハラ全開でワークライフバランスなどという言葉と無縁の世界。
女優の不審死と死体の紛失、蝋人形館を巡る怪しさに気づく女流記者(グレンダ・ファレル)がいた。

イゴールは弟子のフィアンセ(フェイ・レイ)を一目見てから、マリー・アントワネットの再来と勇み立つ。
イゴールは先般の女優に続き、彼女の体をベースにして蝋人形を作ろうとしていた!
抵抗する彼女の手がイゴールの顔面を叩くと、蝋のマスクが割れ、12年前にロンドンで大やけどを負った姿が現れる・・・。
そこへ女流記者に導かれた警官隊が駆け付ける・・・。

フェイ・レイに迫る車椅子のイゴール

冒頭のプロローグで早くも炎に包まれ溶けてゆく蝋人形の描写が見られる。
ニューヨークに場所を移しては、ミステリアスでマニアックな老先生が、美女に迫る猟奇性が展開!
地下室に展開する蝋人形制作の大規模なラボの釜には常に沸き立った蝋が満たされている!
鬼気迫る美女の絶叫!

併せて新聞記者の生態のスピーデイさ、身分の危うさ、ハラスメント三昧、特ダネ探し、などが、女流記者と編集長の間のマシンガントークで繰り返し描写される。
映画は、新聞記者の実態を、コミカルさにかまけて描くことに力を入れている。

炎に包まれるアントワネット像

絶叫要員のフェイ・レイは初代「キングコング」でコングの恋人役に抜擢されたあの女優さん。
よく見れば整った美人で、本作では生きたまま蝋人形にされる寸前の役で絶叫。

絶叫のフェイ・レイ。「キングコング」より

監督のマイケル・カーテイスは、オーストリア=ハンガリー帝国ブダペスト出身のユダヤ人。
同じくユダヤ人のタイクーン、ジャック・ワーナーに誘われて1927年にハリウッドに渡り、以降中堅職人監督として定着。
「カサブランカ」(43年)が有名だが、監督としての守備範囲はエロール・フリンの剣劇ものなどの手堅い娯楽作。
本作では33年乍らカラー作品を任されるなど、タイクーンからの信頼の厚さがうかがえる。



「肉の蝋人形」(HOUSE OF WAX)  1953年  アンドレ・ド・トス監督  ワーナー

今回見たDVDは、A面が53年版の、B面が33年版の「肉の蝋人形」で、A面には特典映像として、オリジナル予告編とニュース映画が収められている。

このオリジナル予告編が凄い。
文字が飛び出てくるだけの(映像なし)予告編は、繰り返し”スリー・デイメンション”とアピールされるという、センセーショナルなもの?
53年版は3D映像で劇場公開された作品なのだ。
また公開時の劇場前の模様を収めたニュース映画では、詰めかけたスター達(ロナルド・レーガンやシェリー・ウインタース)の姿が見られる。

3D作品はカラーセロファンが貼られたメガネをかけて見ると、映像が飛び出すというもの。
本作では、蝋人形が燃えて首が落ちる場面や、蝋人形にされた死体がこちらに向かって倒れ掛かる場面などがスクリーンから飛び出たのであろう。
あるいは夜のニューヨークの街角をさ迷う怪人の姿が、立体的に浮かび上がったのかもしれない。

筋立ては33年版を踏襲。
蝋人形の炎上場面のショック、死体置き場などで暗躍する怪人(蝋人形師)のスリラー、死体が紛失した美女が蝋人形となった恐怖、蝋人形師の地下のラボ(蝋が煮えたぎった風呂釜のような装置)のマッドぶり、などなど映画の見せ場も前作と同様。
マリー・アントワネットの蝋人形に擬すべく、蝋人形師がほれ込んだ美女の危機一髪が最大の山場であることも共通している。
死体置き場で死体が起き上がるなど、細かなシーンを前作から頂いていることが多い。

復讐の鬼となる蝋人形師にビンセント・プライス、その弟子にチャールズ・ブチンスキー(のちのブロンソン)、蝋人形にされかかった美女にフィリス・カーク。
若き日のブロンソンは不気味な聾唖者の役で出演時間も多く活躍している。

監督のド・トスはハンガリー生まれ。
33年版のマイケル・カーテイス同様、ヨーロッパでキヤリアをスタートさせた後のハリウッド入り。
フィルモグラフィを見ると本作「肉の蝋人形」が最も有名な作品のようだ。
ハリウッドに見込まれ、”仕事”に徹した職人中の職人監督だと思われる。
本作は3D映画ということもあり、予算を賭けたA級作品として製作されており、夜のニューヨークの街角の大掛かりなセットや、街を駆け巡る当時の消防馬車の再現などに監督の手腕が見られたものと思いたい。



(もう1本!)「妖婆 死棺の呪い」 1967年 コンスタンチン・エルシュフ、ゲオルギー・クロバチョフ ソビエト

「肉の蝋人形」とはコンセプト的にも関係はないが、ホラー共通ということでソビエト初のホラー映画を見た。

ゴーゴリの短編が原作、総監督にソ連初のカラー作品でカンヌ映画祭色彩賞受賞の「石の花」(46年)を監督したアレクサンドル・プトゥシコが付いた。

舞台は19世紀のウクライナ。
キエフの神学校の哲学生ホマーが体験する怪異譚をソビエト映画独特の悠久のムードで描いたもの。
怪異譚ではあるが全編を貫くのはウクライナの大地が醸し出す、その大陸的なおおらかさ。
ウクライナそのものが主人公のフォークロアともいえる作品。

神学校の学生たちの若さ溢れる逸脱ぶりが描かれる。
校長ら聖職者の型にはまった硬直ぶりも。
大地に根を生やす百姓はもっとどうしょうもなく、普段はただただ飲んだくれている。

村の中庭には、牛や馬や豚やガチョウが歩き回り、家の近くの大木にはコウノトリが巣を作っている。
中世の西洋絵画のような風景。
これが19世紀のウクライナの農村風景なのだろう。

神学校の夏季休暇で帰省途中のホマー等は道に迷い、村の一軒に宿を求める。
納屋で寝ようとするホマーに家の老婆が迫る!
老婆はホマーの背にまたがり空を飛ぶ。
地上に降りた老婆をさんざん殴打するホマー、ダメージを食らった老婆はうら若い美女に姿を変える。

神学校に戻ったホマーは、遠くの村に呼ばれる、村の有力者の娘の臨終の立ち合いをしてほしいと。
村に着くと娘は死んでいる。
父親は三日三晩、娘に祈祷することを命じ、夜になると教会に娘の棺とともに閉じ込める。
ホマーと娘の運命やいかに、そして娘の正体は?

若き魔女が血の涙を流す。演ずるはナターリヤ・ヴァルレイ

ホマーにまたがって空を飛ぶ老婆。
棺の中で魔女となって蘇る娘と、チョークで丸く結界を描いて身を守るホマー。
その攻防が教会で毎晩繰り広げられる。
三日目になると魔女の攻撃はさらに増し、棺ごと飛びまわって結界に体当たりする・・・。

いわゆるホラー映画のショッキングなシーンと異なり、これらの幻想シーンのなんとほのぼのとしていることよ。昔々の魔女と聖職者の対決のおとぎ話のテイストさえ漂う。

悠々迫らざるウクライナの大地から現れれる魔女や怪物のホラー度は、切羽詰まった近代的文明社会におけるそれらとは、切迫度、強迫観念度に於いて全然違う。
歴史と宗教に彩られた中世社会の安心感と、それらが失われた現代社会の不安感の違いとでもいうのか。

突拍子もないフォークロアでありながら、不安感のない作品。
ソ連、ロシアの映画史にあっても異色の作品なのだろう。

DVDに封印されていた解説書