軽トラ流れ旅 高遠歴史博物館

12月初旬はシーズン最後の旅の時期、降雪と厳寒の季節を前に軽トラで旅に出ました。

目指すは杖突街道を高遠から伊那に向かうお気に入りのルート。
路面凍結を注意しながら、杖突峠へ向かいます。
幸い、杖突峠は雪もなく、路面は乾いていました。

杖突峠から望む茅野市街と蓼科山

杖突街道藤沢地区

杖突街道を高遠に向かって下る道にはひなびた里の景色が続いています。
藤沢という地区には、温泉施設やカフェなどが集まっています。

この地区の街道沿いの一軒が、天気の良い日などに、道具類を軒先に出しています。
通るたびに気になっていたので、軽トラを路駐して寄ってみました。

この家は古道具屋兼カフェをやっているようでした。
この日は道具類の軒先への蔵出しはやっていませんでした。
いつか改めて寄ってみたいところです。

藤沢地区にある古道具屋さん
古道具屋さんの蔵

高遠歴史博物館

高遠歴史博物館へ寄ってみました。
前回酔ったときは、ここで杖突街道の手づくりマップを買いました。

改めて歴史博物館の立地が絶妙なことに気づきました。
川をせき止めてダム湖とした景観のほとりに立地し、その川は高遠城が立つ山の崖を削っています。
城山と川の間を削った道をたどって博物館にたどりつきます。

博物館からは川をせき止めた高遠湖が見える
右手が城山から続く崖

博物館の1階には、杖突街道の沿道に建立されている、貴船神社で行われていたお祭りの舟形の山車が展示されています。
京都の貴船神社から勧進された神社が杖突街道にあるのです。

2階には、高遠城の最後の城主が家臣たちに下賜した鎧兜や刀剣などが展示されています。
下賜されたものが大事に保管されてきたからこその展示です。
城主は廃藩に当たって、藩の所有物を散逸させるのではなく、家臣たちに下賜したうえで、それらを記録に残したとのことです。
藩の宝物が当時の記録とともに今に残されたわけです。

また、高遠藩では射程変更できる大砲を自力で作ったとのこと。
家臣の子弟教育の水準の高さといい、当地の文化水準の高さがうかがえます。

高遠藩が開発した大砲
花火を放つ大筒

武田信玄が信濃侵攻の前進基地とした高遠城。
織田信長に攻められた武田軍が総崩れとなる中で、高遠城は武田軍が壮絶に抵抗したことでも知られます。

ローメンとソースカツ丼

伊那はローメンとソースカツ丼が名物。
高遠の食堂でそれらを同時に味わえる定食をいただきました。

高遠の食堂華蔵

ローメンは汁あり焼きそば。
汁はウスターソースの味です。

ここの食堂のウリは手作りの味です。
個人営業の食堂の何がいいかって、手作りの味が味わえること。
満足感があって、胃もたれしないこと。

ご当地定食Aを注文

伊那ではいつもの酒屋に行く

高遠まで来たら伊那に下りるのがお約束。
天竜川のほとり、伊那谷の北部の中心地、12月の伊那市は底冷えがします。

駅前アーケード街にある酒屋さんに寄ってみます。
この酒屋さんは手作りの看板が名物。

前回は「秘酒」の大文字に思わず入店し、買い求めた真澄、これがうまかったのです。
今回の看板には「夜明け前誕生50周年記念酒」とありました。

酒屋名物の大看板

看板の品を求めると、おかみさんが冷蔵棚から出してくれます。
ついでにこれも看板にある、無添加生ワインというのも買い求めました。

隣のスーパーで正月飾りを買う

更にアーケード街を歩いていると、地元出身の音楽家に名前をずらりと並べた看板がありました。
おお、そうそうたるメンバー。

その下には年寄りの心得を歌詞にした歌が書かれています。
ツボを得た歌詞に思わず深く納得させられました。

年末にふさわしい流れ旅でした。

畑のゴミ燃やし

畑作業もいよいよ今年は終わりです。
作業をしようにも寒いし、雪が降ってきます。
既に来年の準備も終え、残るは畑に残るゴミの処理だけとなりました。

畑でいう、ゴミとは、野菜の残滓だったり、雑草の枯れたものだったり、剥がした後のマルチだったり、のことです。
秋になると畑のあちこちからゴミを燃やす煙が立ち上ります。

山小舎おじさんの畑にも、菊芋の残滓が残っています。
これを燃やすことにして消防署に届け出ました。

当日は山小舎周辺は雪。
姫木別荘地内の道路も真っ白です。

とりあえず畑に向かうと、途中でボタン雪がやんできました。
畑は雪がちらつきながらも、ゴミ焚きには差し支えない程度でした。

畑のゴミ焚きには、火力が重要です。
よほど乾燥でもしていない限り、野菜の残滓はそれ自体がなかなか燃えません。
枯れ草等を燃やすためには、燃料用の枯れ枝や焚付などを用い、それらの火力によって燃やします。
残滓だけを燃やしても、火がつきづらく、また時間がかかりすぎるのです。

新聞紙、段ボール、シラカバの皮、焚き付けを十分持って畑に向かいました。
それらに火をつけ十分に炎を立てたところに枯れ枝を並べます。
裏山の枯れ枝が十分にあったので利用しました。

ぱちぱちと枯れ枝に火が移るのを確認してから、菊芋の枯れた茎を被せます。
煙が盛大に立ちます。

枯れ茎と残滓が燃えつきるように、レーキで均してゆきます。

1時間半ほどで大体燃えました。
炎が収まると、レーキで均し、土をかぶせて煙が出ないようにして終了です。

ことしの畑作業が終了しいました。

菊芋の味噌漬け

菊芋がたくさん採れました。
体に良い食べ物ですが、食味はよくありません。
食べ方もあまり知りません。

収穫の一部を味噌漬けにすることにしました。

調べると下漬けした後に、味噌で本漬けするとのこと。

まず菊芋の泥を落としました。

菊芋はショウガをさらに複雑にしたような形をしています。
泥が溜まりやすく、また落としにくい形状です。

まずは菊芋を水につけてしばらく置きます。
水を取り替えると泥が流れ去ります。
そのうえで、球根の間に残った泥を掻き出します。

この後、塩水につけて下漬けします。
塩をふってつけてもいいのですが、それだと1か月以上かかるので塩水にします。
重しを乗せて1週間ほど置きます。

1週間後の菊芋です。
心なしかしぼんだ感じがしますが、思ったよりしゃっきりしています。

塩水から上げ、軽く水洗いしてザルにあげます。

漬物用味噌を用意します。

これを甕の底に塗り、菊芋を敷き詰めてゆきます。
3段ほど菊芋と味噌のサンドイッチを甕に仕込みました。

クッキングシートで密閉し、重しを乗せて保存します。
1か月後、どんな味になって入でしょうか。

DVD名画劇場 ハリウッドが描く日本人の戦争「太陽の帝国」

文春新書「スクリーンの中の戦争」

坂本多加雄という著者が描いた文春新書を読んだ。
目次にある通り、日本およびアジアに関係する戦争を描いた、外国映画、日本映画について述べた内容。

著者は「新しい歴史教科書をつくる会」理事を務めた政治思想家。
本書の背景には、欧米の一方的な勝者目線の歴史観とアジア蔑視の歴史観を排し、日本は正当な歴史観に基づくふるまいをせよ、との著者の思いがある。
この新書には、その観点から見た、「トラトラトラ」(1970年 リチャード・フライシャー他監督)と「パールハーバー」(2001年 マイケル・ベイ監督)の違いなどが分かりやすく述べられている。

本書第二章は「ハリウッドが描く日本人の戦争」と題して、「太陽の帝国」について詳しく述べられている。
これを読んで、当該作品に興味を持った山小舎おじさんは、DVDを探し興味津々で見てみた。

そこには日本映画が負の歴史として描くことを避けてきた大局的観点からの日中戦争を巡る4か国(英、日、中、米)の実像が描かれていた。

植民地中国からみじめに撤退していった大英帝国と、宗主国がいなくなってますます混乱する眠れる獅子中国と、颯爽と登場して中國大陸の覇者となりながら幻と消える日本と、戦後世界の覇者として現れる物質世界の王者アメリカとが、ある時は主人公の少年の目を通して幻想的に、ある時は冷酷なほど客観的に描かれていた。

「太陽の帝国」 1987年 スチーブン・スピルバーグ監督 ワーナーブラザース

旭日旗がアップでとらえられるファーストシーン。
この作品では日の丸と太陽がことあるごとにアップでとらえられる。

大空に銀翼を連ねて飛ぶ飛行機は日の丸をつけた日本機ばかり。
主人公の少年が遊ぶ、ゴム動力の模型飛行機の翼には日の丸。
収容所生活中、彼が肌身離さず持って歩いた模型飛行機も、日の丸が付いた日本の戦闘機だった。

植民地支配の終焉におののきを隠せない少年の親たちをよそに、少年のあこがれは日本のゼロ戦であり、また、日本軍の武器の性能と規律正しさを評価する彼は、日本空軍のパイロットになることを夢見る。

開戦前夜の上海からイギリス人が脱出を図る。
脱出前日まで、大邸宅で仮装パーテイーにうつつを抜かすイギリス人たち。
映画は宗主国イギリスが植民地中国で100年間「何もしてこなかった」空虚さを描く。

脱出するイギリス人の高級車を取り囲む中国人たちの描写にも救いがない。
右往左往する群集は宗主国を失って、その遺産を略奪する以外になすべきこともないようでさえある。

整然と進軍してくる日本軍に立ちはだかって主人公は言う。
「アイ サレンダー」(降伏します)と。
主人公の少年にとって日本軍がその時代の覇者となることは憧れであり、自明の理であった。

日本の敵性国民として、英米人の収容所生活が始まる。

主人公が収容所の作業から離れ、隣り合わせの飛行場のゼロ戦に近寄る。
溶接バーナーの火花に彩られ浮かび上がる戦闘機。
憧れの機体をなでる少年。
日本軍パイロットが談笑しながら近づく。
思わず敬礼する少年。
敬礼を返すパイロットの姿がバックライトで浮かび上がる。
この場面をスピルバーグは感動的に演出する。

終戦間際。
飛行場から特攻隊が出撃する。
水杯を交わし「海ゆかば」を歌う特攻隊員。
主人公の少年はこれを見て敬礼しつつ、賛美歌を歌う。

ハリウッド映画で(外国映画で)こんなに日本軍を(日本を)、好意的に描いたことがあったろうか。

特攻機が飛び立った直後、アメリカ空軍のP51が現れ飛行場を襲う。
圧倒的戦闘能力で日本軍をせん滅する。
「空のキャデラックだ!」と熱狂する主人公。
アメリカ風のマーチが鳴り響くかのような場面の造りだ。

主人公とて盲目的な日本軍信者ではない。
強いものに憧れる少年らしい少年なのだ。

収容所生活も末期となり、徒歩で蘇州へ移動する英米人たち。
主人公と同部屋だったイギリス人夫人が死んでゆく。
背景に白っぽい鮮烈な太陽が昇ってゆく。
日本に原爆が落とされ、降伏したとのニュース音声がかぶさる。

少年は白っぽい太陽を目にして「夫人の魂が昇天してゆく」と思う。
白っぽい太陽は、日本帝国が主人公の憧れからも、世界の覇者からも永遠に没落したことの表現だった。

映画は、列強白人の収容所生活も時間をかけて描く。
主人公が付きまとう正体不明のアメリカ人は物質性と生活力の象徴。
逆境に適応できないイギリス人は死んでゆく。
大英帝国の没落だが、主人公の関心はすでにそこにはない。

アメリカ軍が降下した食料に驚喜し、アメリカ軍に向かって「アイ サレンダー」と敬礼する主人公には、すでにアメリカによる戦後世界を生きる準備が整っている。

イギリス人小説家、J・G・バラードの半自伝的小説が原作。

戦後初めてアメリカ映画として大陸中国でのロケを敢行。
5000人の中国人エキストラを動員して戦前の上海を再現。
ワンカットもゆるがせにしない金のかけ方にスピルバーグの本気を感じる。

戦前の上海の街角の「風と共に去りぬ」の大看板。
日本軍の進駐とともに撤去される蒋介石の大看板。
揚子江に浮かぶ実物大のサンパン(帆掛け船)の再現。
大作仕様のハリウッド映画そのもののがそこにある。

蘇州の収容所に立つ壊れかけの城門は、スピルバーグによる黒澤明の「羅生門」へのオマージュであろう。

「太陽の帝国」という日本そのものを表す題名。
繰り返し登場する太陽、日の丸、ゼロ戦。
あからさまにそれらを信奉する主人公の存在。
戦後の日本映画(日本そのものも)が忌避してきたそれらを、なぜにハリウッドのそれも大作映画が描くのか?

単なる少年の憧れの表現にしては念がいっている。

少年のあこがれとしての日本(軍)を、今までのハリウッド映画のようにカリカチュアせず、後年の価値観で矮小化せず、全否定もせず、正面から捕らえようとしているのではないか。

この作業を、敗戦国としての勝手な忖度から忌避し、怠けてきた日本(映画)は、日本人としての常識的な価値観でさえ、外国映画によって代弁される事態に甘んじているのではないだろうか。

(おまけ)「二世部隊」 1951年 ロバート・ピロシュ監督 MGM

手許にこの作品のDVDがあった。
日系人部隊の欧州戦線での活躍を描く内容。
広い意味で、「ハリウッドが描く日本人の戦争」に含まれるのではないかと思い、見た。

1944年、収容所から志願した日系人二世の若者が集められ訓練を受けていた。
彼らは442部隊という日系人で構成された兵団でイタリア戦線に投入されることになる。

訓練中の442部隊に赴任してきた少尉(ヴァン・ジョンソン)はあからさまに不満を漏らす。
日系人をジャップと呼び上官に警告される。
「ジャパニーズアメリカン(日系アメリカ人)と呼べ。日系人をバカにするな」と。

映画の巻頭のルーズベルトの宣言(日系人をアメリカ軍に加える。アメリカは人種によって差別しない)といい、新任士官に対する上官のセリフといい、進歩主義的なタテマエが前面に示される。

キャンプでの訓練中から、日系人俳優たちの描写は丁寧で、温かい目線だ。
ヒヨコの雌雄判別の技術で月500ドル稼いでいたという男、日系人女性の恋人の写真とラブレター、ハワイ出身の日系人たちのウクレレとフラダンス。
そこには白人の米兵に対するのと同じく、人間性を前面に押し出した演出がなされる。

製作のドーリ・シャリーという人物。
MGMを皮切りにセルズニックプロ、RKOなどを渡り歩いてきた。
「少年の町」(1938年 スペンサー・トレーシー主演)、「らせん階段」(1946年 ロバート・シオドマク監督)などを製作した。

シャリーは、1955年に「日本人の勲章」というスペンサー・トレーシー主演の映画を製作している。
日系人部隊で活躍し戦死した日系人に授与された勲章を、遺族に届けに来た元軍人が、その遺族は地元のボスにより殺されていた、ということを知って・・・という内容。
「二世部隊」でも随所に暗示される人種差別をテーマにしている。

「二世部隊」でも、ジャップと呼ぶ米兵が出て来たりするなど、人種差別を隠さず描いている。
進駐先のイタリアで、米軍の格好をした日系人が地元民にびっくりされたりもする。

戦闘シーンでは、勇敢な二世兵士の活躍場面はあるが、二世部隊の名を一躍有名にした、ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出では、補助的な役割として描写される。
白人の上級将校の立てた作戦の元、現場でとにかくがむしゃらに肉弾として戦った日系兵士、という扱いで、あまつさえ最後の突破の場面には、白人の少尉たちが一緒にいたりさえする。

戦争映画のキモの戦闘シーンでは日系人に主役はさせない、というアメリカ映画的な約束事なのか。
また、442部隊の消耗率がアメリカ軍全体の中で異様に高い事実にも触れていない。
そもそも、ノーノーボーイと呼ばれた、アメリカへの忠誠も、徴兵も拒否した日系人二世が米本土の強制収容所に、それなりに存在していたことも。

この映画、タテマエとしての民主主義に基づく、少数民族への配慮を示した点では、当時のもっとも進歩的な作品であろう。
のちの「日本人の勲章」につながる差別問題を示唆してもいる(日系兵士が手紙で弟が収容所を出て働く先でリンチに遭ったなど)。

ところが、肝心な部分で白人に主役の座を譲っていたりするのを見ても、あくまでもアメリカ人としての日系人の物語なのである。
太平洋戦線に派遣されたとしても、日本人相手に戦闘することをためらわないような。

ナショナリズムに関する部分は避けられ、ましてや日本そのものに対する興味も、リスペクトもない。
日本人の、ではなくい日系アメリカ人にとっての戦争をテーマにしたドラマなのである、しかも巧みに情報操作された。
その点では「太陽の帝国」とは根本的に異なる作品だった。

初雪

令和4年の初雪は12月5日の夕方からでした。

ここ数日は、外に出ると身を切るような寒さで、体を動かしていればともかく、短時間でも外で作業するのがつらくなっていました。

5日の夕方は、風に交じって粉雪がちらついたかと思うと、日が暮れたころには雪が地面を覆い、ベランダにまで積もり始めていました。
まだ気温が高く、湿ったような雪でしたが、雨でいえば本降りに近い降水量でした。

朝起きて二階からあたりを眺めると、一面が白くなっていました。
冬の景色がやってきました。

初雪の翌朝
国有林のカラマツも雪模様

ストーブを焚きながら外を見るとベランダの雪が溶けていました。
外へ出てみると、道はすでに雪が溶け、日陰と空き地の斜面にのみ雪が残っていました。

朝9時ころの山小舎前の道路
9時ころの山小舎前

この後、畑へ向かいましたが、あたりには雪がないばかりではなく、道路も乾いていました。
標高差による気候の違いを改めて感じます。

畑では、日差しが強く感じるほどでした。
本格的な冬の到来にはまだ間があるようです。

かりんのはちみつ漬け

かりんを入手しました。
正確にはマルメロ(西洋かりん)ですが。

この季節になると直売所にはかりんが出荷されます。
おそらくは栽培されたものではなく(栽培には違いないのだが)、農家が自家用に植えてあるかりんの実を収穫したものではないかと思われます。

凸凹して表面があれているのが日本かりん。
別名本かりんともいいます。

小粒で表面が滑らかなのがマルメロです。

出荷量では6対4から、7対3でマルメロを多く見かけます。

買っておいたマルメロをはちみつ漬けにしました。

まずはマルメロを洗います。
表面に糖がしみだしてべたべたしています。
特有のいい香りもします。

丸のまま輪切りにします。
硬いのですが構わず切ります。
種も構わず切ります。

切ったマルメロを煮沸消毒した瓶に詰めます。

上からはちみつを注ぎます。
1リットル500円ほどの輸入はちみつです。

やがてマルメロの果汁がしみだしてきます。

上澄みの液を熱湯で割って飲むと咳止めになります。
常温保存で大丈夫です。

DVD名画劇場 フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース

アメリカ映画にはミュージカルという伝統分野がある。
主演の俳優が相手役の女優と、劇の合間に歌い踊る映画である。
同時にバックコーラスやダンサーたちが豪華な舞台でレビューを繰り広げる。

1940年代になって、MGM映画社が、ジュデイ・ガーランド、ジーン・ケリー、フレッド・アステアらを擁して、豪華な舞台装置と人海戦術的なバックダンサーたちの動員により、ミュージカル映画の頂点を極めることになる。

トーキー黎明期から、1950年代まで映画の主要ジャンルとして間断なく作り続けられてきたミュージカル映画。
戦前戦中は、いわゆるエスケープムービーとして、不安な世界情勢や戦争の現実から、一般大衆を逃避せしめる役割もあった。
一般大衆にしても、悲惨な現実はいやというほど味わっており、せめてスクリーンでは甘い夢を見せてくれることを望んだこともあろう。

フレッド・アステアは父がドイツ系ユダヤ人の移民だった。
若くしてダンサーとして活躍。
映画界入り後は不遇時代が続いたが、1933年にRKO社と契約し、ジンジャー・ロジャースとのコンビで売り出す。1940年からはフリーとなってMGMほかでミュージカル映画を中心に息長く活躍。
1999年全米映画協会選出のスターベスト100では男優部門第5位にランクされる歴代のスターとなった。

ジンジャー・ロジャースとのコンビは7年間続き、RKOの屋台骨を支えた。

今回、アステア&ロジャースのミュージカルを2本見ることができた。

「コンチネンタル」 1934年     マーク・サンドリッチ監督 RKO

アステア&ロジャースコンビの第2作。

ロジャースに一目ぼれしたアステアがひたすら追いかける、最初は誤解していたロジャースも最期は打ち解けて・・・というストーリーを軸に、アステアが一人で歌い、踊りるシーンで始まり、二人で踊りまくるクライマックスへと向かう。

アステアのリズム感と間。
その音感と、タメのある動きが、すでにアステアの「間」そのものになっている。
歌もうまい。

相手役のジンジャー・ロジャース。
ブロンドヘアーにバリバリのハリウッドメイクの姿は一見するとジーン・ハーロー。
でもアップで見ると親しみのあるアメリカ娘。
気が強くて、直情径行だが裏表がなく、明るいキャラクター。

こちらもリズム感抜群で、踊り慣れた感じは、ダンスに自己流のアレンジも一瞬感じさせるが、次の瞬間には、音楽との正確でスピーデイーなマッチアップに感心させられる。
アステアとのコンビネーションでは、決して相手に対抗してテクニックを発揮しようとはせず、だからといってひたすら合わせることに専念もせず。
自分なりのリズム感を持ち、華やかで明るく元気がある。

ジンジャー・ロジャース

アステアにとって、彼女以上のパートナーはいないであろう、と思わせる存在が、ジンジャー・ロジャースだと思う。

「コンチネンタル」より

作品中のナンバーではラストの大団円を彩る「コンチネンタル」が圧巻。
200名のバックダンサーを従えて二人が踊る。
元気に踊るのだが、踊りまくる、というよりは優雅に踊っていいところをかっさらう感じ。

レビューシーンはミュージカル映画の楽しみの一つ。
出てくるダンサーの一人一人が飛び切りの美人なのはハリウッドのお約束だが、バックダンサーたちの振り付けだったり、大人数の振り付けだったりが、50年代のMGMミュージカル全盛期を待つまでもなく、原形がすでにここに完成していたのは発見だった。

「トップ・ハット」 1935年 マーク・サンドリッチ監督 RKO

コンビの第4作目。
「コンチネンタル」のヒットを受け、同様の配役と同様のプロットで作られた。

乗馬ズボンスタイルで踊るジンジャー・ロジャースの姿が見られる。

踊るジンジャー・ロジャース。このポーズと表情が彼女らしい!

ドラマ部分のわき役が「コンチネンタル」と被り、それぞれのキャラもまた似通っている。
さらにドラマの演出が、無理にコメデイー仕立てにこだわっている。

MGMなどと違い、後発の撮影所でスターのいないRKOが、ブルジョワ階級のコメデイーをやっても、手際が悪くチープな感じが漂うだけなのだが。

歴史を越えて輝く、アステア&ロジャースのダンスシーンがあるのだから、ドラマ部分は思いっきり簡潔に、ミュージカル風のぶっ飛んだ演出でもいいのだ。

「トップハット」より
「トップハット」より

映画後半の舞台はベネチア風のゴンドラが浮かぶヨーロッパリゾート。
画面一杯にセットを組んでの撮影だったが、憧れのヨーロッパのおとぎの国の再現のようなピカピカのセットが、ベニヤ張り丸出しの安普請に見えてしょうがなかった。

「トップハット」を歌い踊るアステア(左)。この前傾ポーズがアステアのタメの姿勢。.

ミュージカル映画の成熟と完成は40年代以降のMGM作品を待たなければならなかったのかもしれない。

大根干し

大根をたくあん用に干しました。
正確には、干し大根を買ってきて「追い干し」しました。

たくあん漬けは山小舎で過去2度ほどトライして失敗したことがあります。
この時は、生の大根から干しましたが、乾燥が甘かったのか、あるいは漬けたときの重しが足りなかったのか。
水が上がってこず、たくあんになりませんでした。

再びたくあんにトライしてみようと思った今年、時期になると売り出される干した大根を使おうと思いました。

11月下旬頃から干し大根を探し始めましたが、一時よく見かけていた干し大根は、すでにスーパーや直売所から姿を消していました。

上田の市場の場外にある、やおふくという八百屋へ行って見たところ5本800円ほどで干し大根が売っていました。
干しが甘いのと、泥付きのまま干されているのが気になりましたが、10本購入しました。

上田の市場場外にあるやおふく

山小舎仕舞の時までに漬け込みますから、「追い干し」の時間は2週間もありません。
買って帰ったその日のうちに準備します。

まずは洗って泥を落とします。

干し大根を10本購入

次いで5本ずつひもで結びます。

洗ってひもで結ぶ

翌日、軒下につるしました。

軒下に吊り下げる

半乾燥状態とはいえ、大根5本の重さはそこそこあります。
吊り下げるまでが大変でした。

零下に届かんばかりの気温の中では、短時間とはいえ、戸外での作業は手先のみならず、足先までが冷たくなります。
吊り下げる際に、重さをかけずに結ぶ方法を事前に調べておくべきでした。

トウモロコシに代わって大根が吊り下げられた山小舎のベランダ

まずは来年以降の課題として、大根の結び方と、スムースな吊り下げ方を考えたいと思いました。

薪台と薪仕事

今年の薪仕事はほぼ終わりました。

今年割った薪の乾燥台です。
斜面に数基の乾燥台があります。
カラマツとミズナラを分けて積みました。
カラマツはこのまま露天で干し、ミズナラは後でシートをかぶせようと思います。
カラマツは来年から燃料にできます。

今年割ったミズナラの乾燥台(左)
斜面にはカラマツの乾燥台

枝は別に積んであります。
伐採したような場合は枝も大量に出るのです。

去年の乾燥した枝は軒下に移しました。

枝は別にして乾燥
軒下には去年の枝などが

玄関横にも積んであります。

春先には温室として、夏には農業用具の置き場として使っているビニールで囲ったスペースにも積み込みました。どちらも短いサイズの薪を選んでおいています。

玄関横の短めの薪
ビニール囲いも利用

台所下の薪台は日当たりがよくて乾いています。
そろそろ利用可能です。

台所下は日当たりがいい

台所側のお隣さんとの境界に近い場所には、ミズナラ、シラカバを思いっきり積みました。
ミズナラは乾燥が遅いので、再来年の燃料用にできればいいです。

台所側、お隣さんとの境目にも

軽トラの置き場で、薪割りなどの作業スペースの周りにもびっしり積んであります。
乾いたものは今冬から利用可能です。
ここは主にミズナラとシラカバの置き場にします。

駐車スペース脇

今年の薪仕事が終わりました。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 アフリカンアドベンチャーの世界

MGMの得意ジャンルの一つにアフリカを舞台にした冒険活劇がある。
伝奇な舞台設定と、猛獣や原住民のエキゾチシズムを前面に出した物語で、多くは原作ものの映画化であった。

今回は記念すべきターザンものの第一作と、現代でも続編が作られ続けているキングソロモンもののMGM第一作を見ることができた。

「類猿人ターザン」 1932年 W・J・ヴァンダイク監督 MGM

この作品からターザンの物語が始まった。
MGMでの初代ターザン役はジョニー・ワイズミュラー。

アフリカにいる父を訪ねて娘のジェーンがやってくる。
活発で冒険好きのジェーンは、止めるのも聞かず、父らと一緒に象牙を求めてアフリカ内部へ旅立つ。

ワイズミュラーとのコンビでターザンものの人気を不動のものにしたジェーン役のモーリン・オサリバンが、現代娘を元気に演じる。
冒険活劇には少々無鉄砲で破天荒な若い娘が似合う。
モーリン・オサリバンは冒険アドベンチャーのヒロイン役の原点として申し分ない。

象牙を求めての冒険旅行の過程で、猛獣が現れ人間と戦う。
今は動物保護の観点からできないのだろうが、昔は人間と動物が取っ組み合って戦うシーンはアフリカものの映画によくあった。

原住民の猟奇的(よく言えば民俗学的)な描写にも驚かされる。

終盤に大人数のピグミー族が出てきて主人公らと争うシーンがあってびっくりする。
あんなにたくさんのピグミーをどうやって集めたのか、現地ロケなのか。
それとも、白人の小人を黒く塗ったり、または子供を使ったのか?

MGMは、「オズの魔法使い」でも多数の小人俳優(子供も混じっていたが)を使っていたし、なにより「フリークス」(1932年 トッド・ブラウニング監督)で奇形者を多数使った「実績」がある映画会社だから。

MGM映画「オズの魔法使い」。小人の国のシーン

何より一番センセーショナルで伝奇的なのはターザンの存在そのもの。
その登場シーンは,モンスター映画で怪物がチラリとでてくるシーンのドキドキ感もあるし、ジェーンとの邂逅から打ち解けるまでは、キングコングと美女のそれと同様に、異人種間交流のタブー感に満ち満ちていた。

「類猿人ターザン」より。ターザンとジェーン

ジェーンがターザンとジャングルに残ることを宣言して第一作は終わる。
ジェーンがターザンの妻として、お馴染みのコスチュームで登場するのは第二作「ターザンの猛襲」から。
第二作目も見たくなる出来の第一作だった。

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「キングソロモン」 1950年 コンプトン・ベネット、アンドリュー・マートン監督 MGM

ハリウッドの一ジャンルとなった秘宝アドベンチャーものの源流となった作品。
大掛かりなアフリカロケが行われ、映画の巻頭にMGMからウガンダ、ケニヤ、タンザニアなどの政府に対する賛辞がクレジットされる。

テクニカラーで撮影されたアフリカの風景、猛獣、原住民の生態が当時の観客にはセンセーショナルだったのだろう。
アカデミー撮影賞を受賞している。

行方不明になった夫を探しにイギリスからやってきた富豪の夫人(デボラ・カー)が現地のスペシャリスト(スチュアート・グレンジャー)の案内で未知の領域へ探検旅行を行うという物語。

夫人の夫はソロモン王の秘宝が眠る魔の山に消え、夫人ら一行は魔の山にたどりつき、秘宝を目にするのだが、本作はそういった伝奇的な要素よりも、道中の動物たちの描写に重きを置いている。
当時はたくさんいたサイやカバなどの生態、山火事に驚いて暴走するシマウマの群れなどは現在では貴重な映像だ。

「レイダース」や「ロマンシングストーン」のように、転がってくる岩から逃げたり、崩れ落ちる崖を走るようなハラハラシーンの連続を期待すると、これは違う。
ヒロインは落ち着いたイギリス夫人であり、無鉄砲な娘の冒険旅行ではない点も他作と異なる。
お約束通り、主人公二人は最後に結ばれはするが。

共同監督のアンドリュー・マートンはアクション・アドベンチャー場面を担当。
おそらくロケ担当かと思われる。
「ベンハー」「史上最大の作戦」の第二班監督を務めたというマートン家督は現場で頼りになる人なのかと思う。

(追加)「キングソロモン」 1937年 ロバート・スティーブンソン監督 イギリス

「キングソロモン」の初映画化は、1937年にイギリスによって行われていた。

1937年版のこの映画は、行方不明の父親を捜しにアフリカに娘がやってくることから始まる。

キャラバンを組み、砂漠を越えて、ソロモン王の秘宝が眠る魔の山のふもとの村にたどりつく。
途中からキャラバンに合流した不思議な黒人がこの村の王子だとわかり、王位をめぐる争いに巻き込まれる。
歌を歌いながらキャラバンを先導するこの黒人のキャラが奇妙である。

やがて魔の山山中の洞くつで行方不明の父親と再会し、秘宝を残しつつ崩れ落ちる洞くつから命からがら脱出し・・。

おそらくハリウッド版より原作に忠実なのではないか?
キャラバン途中の苦難、特に砂漠での乾きなどがより深刻に描写されている。

現住民の描き方なども、ロケによる当時の原住民の様子なども交えて、より興味深い。
ハリウッド版の原住民は、顔の描き方などもハリウッド流であり、アバンギャルドなその顔をアップで強調する撮り方だったが。

秘宝発見後の洞くつ脱出場面はハリウッド版よりスリリングに描かれていた。
伝奇的なおドロドロしさもあり、アクション的にもサービス満点な作品だった。