定年おじさん畑を借りる その1

定年おじさんが田舎に来た目的の一つ。畑について話そう。

どうやって畑が見つかったか

定年おじさんは、去年(2017年)から長野県の山小屋に住んでいる。
山小屋に住むにあたって、日ごろの足として軽トラを買おうと、隣町のモータースに飛び込んだ。

そこの社長が面倒見のいいひとで、移住者のおじさんに対し、畑はやらないのか?と聞いた。
我が意を得たりと答えたところ、後日、見つけてもらったのが現在通っている畑。

約50坪の面積で、耕運機と草刈り機は自由に使ってよく、賃料などはいらないとの条件。
社長からは、畑とその大家の自宅の2枚の住宅地図コピーをもらい、現地へ向かったものだった。

畑の大家さんに会う

大家さんの家に挨拶に向かい、畑に案内された。
この時、もう一か所畑があるので使ってほしいと言われ驚く。

もともと、おばあさんが畑を作っていたが、できなくなったとのこと。大家本人は畑をする気はないとのことだった。畑は去年の草でボーボーだった。

大家本人にあったのはこの時1回だけ。時々訪問する本人は、職業上、不在であることが多く、奥さんか子供が時々いた。

大家が取引しているモータースの紹介とはいえ、見ず知らずの人間に無条件で畑って貸すものなのか?と思った。
これがご縁というものなのか、それとも、こういう大家さんだったからなのか。今もってわからない。

その後、大家さん宅には、年2回、東京土産を持って挨拶に行っている。
また、収穫した初物などを玄関先に置いてくるようにしている。

山小屋から畑に通う

定年おじさんの住む山小屋は、長野県小県郡というところにある。
山小屋は高度1500メートルにあるが、そんなところで野菜はできない。
借りた畑も高度700メートルくらいのところにある。
山小屋から畑まで軽トラで30分かかる。毎日は通えない。

畑に行く日は、ある程度まとまった作業をするようにしなきゃならない。
JAやホームセンターやスーパーに寄る用事に合わせて、行くことが多い。

畑の様子

50坪の畑は、中山道の道沿いの傾斜地にある。
フェンスに囲まれたの中の一画。近所の数軒が集まって、それぞれ50坪から200坪ほどの畑を隣り合わせている。
我が畑の端っこには、大家さんの秋の食用に、タラの芽の木が植えてある。
借り始めたころは、枯れた雑草が生い茂り、刈りはらってから山にして燃やしたものだ。
今年は、ナス、トマト、キューリ、インゲンなどの夏野菜を中心に植えた。

その当時、もう一か所あると言われた畑は、大家さんの家の裏側にある。
昨年は定年おじさんの体力が一杯いっぱいで、そこの畑のことまで考える余力はなかった。

今年から頑張って、そこの畑も耕し始めた。
大家さんの耕運機を借りて、畑まで自走で行けるのが助かる。今年はジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、トウモロコシなどを植えた。実がなってから、トウモロコシが食害にあった。1株だけ植えたスイカも折角成った小さな球が皮だけ残して食べられてしまった。

田舎暮らし 「別荘」か「集落」か その2

その後の北海道の地震。
札幌の親せきによると、9月7日の夜8時には通電したとのこと。
この間、水道、ガスは通じていたものの、2日間の停電は、おそらく戦後初めての体験のはず。
親せきの家は、防災グッズなどの備えはなかったが、道内ではむしろ普通だったのではないか。
北海道出身者の定年おじさんの実感である。
同様な地震や停電が首都圏で起きたとしたらどうであろう。住民の防災意識と備えが頼みである。

さて、田舎暮らしをする上での「別荘」と「集落」の比較その2である。
その利点と欠点を、定年おじさんの経験上から述べる。

別荘地の光と影

1.光の部分

別荘住民はお客さん。つまり商売上の買い手そのもの。
別荘を建て、おとなしく暮らし、遅れなく代金を払ってくれれば、売り手に文句は言われない。

買い手を都市住民としているから、よそ者同士である住民同士の関係も都会的。新参者も入り込みやすく、おおむねお互いの生活レベルは近い。
近所付合いをしたくなければしなくても済む。
バーベキューや花火、ゴミ焚きなど敷地内での振る舞いも、別荘地管理規則などに明文化されたことを逸脱しなければ自由である。
ゴミの処理など住民サービスは公平にやってくれる。

買い手としての責務を果たす限りは、住民の権利は都会並みに保証され、生活上の義務は明文化された最小範囲にとどめられるのが、別荘住民に与えられた利点といえる。

2.影の部分

では別荘暮らしが完全に都会生活の延長か、というとそうでもない。

基本的にはイーブンな住民同士の関係だが、そこは人間社会なので、居住年数の長い住民がイニシアチブを握るのは仕方のないところ。
しかも、元都市市民とはいえ、別荘暮らしが長くなると、住民の生活範囲はだんだん狭くなる。「世界」が別荘地内とその周辺に限定されてくるのだ。
かつ、基本的に暇なので、狭い人間関係の間を、当該人間に限定した噂話が駆け巡ることになる。
都会的人間関係をイメージして移住したところが、狭い人間関係に閉じ込められることにもなりかねない。

なお、別荘住民のイメージはリタイヤした金持ちというところだが、実際はリタイヤ後の現金収入に汲々としなければならない人も多いし、つてを頼んで別荘地に流れ着いた人もいる。
性質が全員円満なわけでは、もちろんない。
別荘地とて現実社会の一面でしかないのは、当たり前だが忘れないでおきたい。

集落の現実

1.いいところ

では、別荘地ではなく、集落に移住する場合はどうだろう。

現実的な選択で、空き家に住むとして、リフォーム代はかかっても、新築の別荘暮らしより初期費用は少なくて済む。ランニングコストも別荘価格より安く済むかもしれない。
集落の立地は、別荘地より都市部に近いから、買い物や公的機関の利用にはより便利だ。中学校までは町村内で通える。

また、都市ガスや下水道などのインフラは別荘地より整っているのが通例。
畑も隣接しているから、せいぜい軽トラで数分もすれば通える。
一般的に、映画やショッピングなど都会的娯楽以外の生活は、自宅周辺で賄えるのが集落での生活だ。

そして、最大の利点は、住民同士の生活互助的な共同体が残っていることだろう。
暮らし全般に関して情報を共有し、防災に対しては共同して対応し、祭りなど文化的な伝統行事を伝承する、為の制度的、精神的な組織体のことだ。
例えば、災害が起こったとして、その後の避難生活を一番安心して暮らせるのは、田舎の共同体が残っている地域だろうと思われる。

2.集落特有の事情

あなたが田舎暮らしをしようと、気に入った集落に空き家を求めたとして、簡単に家や畑を買ったり借りたりできるだろうか。多分、人的な紹介がないと無理だろう。

最近は地元の自治体が、移住促進や空き家補助などの施策を行っているので、若い人は考えてもいいかもしれない。

基本的には、しかるべき人などの紹介があるなど、貸し手にとっての必然性がないと、新参者に家や畑を貸さないのが田舎の人である。
いわば縁がない人には貸さないのだ。

また、最大の問題点は、共同体の一員になれるかどうかである。

移住者について、地元の人に尋ねると、「最初はよく来てくれたと感謝するが、そのうちにこんなはずではなかったとなる例が多い」と聞いたことがある。

「こんなはずではなかった」とは、移住者が集落の共同体員として期待外れだったということだ。
今時、日本の田舎とて、表面的には排他的ではない。自分たちの高齢化、過疎化を十分認識し、本気で若い移住者を求めている。

それがしばらくすると、こんなはずではなかった、となる。共同体の暗黙の了解事項、義務を、移住者がないがしろにしたとしたら、共同体員としては期待外れであろう。移住者が、近所から届けられる野菜を負担に感じて邪険に扱えば近所はがっかりするかもしれない。

こじれれば、共同体からの排除、ひいては公平なはずの公的サービスからの排除という事態を招くかもしれない。そうなると移住者は居ずらくなって去ってゆく。

公平に見て、田舎の過疎化は待ったなしの状況で、移住者の選り好みなどしていられないのだから、贅沢言うなとも思う。
が一方、これまで受け継がれてきた価値観を最優先しなくなったとしたら、共同体ではなくなるだろうし、そうなると日本の集落の制度的、精神的な存続はどうなる?とも思う。
日本の集落は、その存続がある限り、共同体としての精神的な背景も併せて存続し続けるものなのかもしれない。

 

田舎暮らし 「別荘地」か「集落」か その1

田舎暮らしにあこがれる定年者へ

定年後のライフスタイルとして、「田舎暮らし」は一つの選択肢になっている。

テレビ番組の「人生の楽園」ではないが、退職後は夫婦で山麓にログハウスでも建て、悠々自適に趣味のバードウオッチングでも満喫、という第二の人生像が、今は一種のステータス化しているかのもしれない。

いかような第二の人生を選択しようが、はたまた「第一の人生」たる現役生活にできる限りしがみつこうが、当事者の自由ではある。

ここでは、定年後の第二の人生に「田舎暮らし」を志向するご同輩に、移住先として考えるときの「別荘地」と「集落」について考えてみたい。
定年おじさんのささやかな経験を紹介する。

「別荘地」とは

ここでいう「別荘地」とは文字通りの別荘地のこと。
立地は、たいてい、地方の限界集落のさらに先の、傾斜地を切り開いた場所にある。

地元の人にとっては、山菜取りにしか出かけなかったような場所で、標高が1000メートル以上で1500メートルのこともある。
観光地に隣接していることも多い。

都市部からは遠いが、高速道路からのアクセスや、主要街道筋へのアクセスは考慮されている。と言ってもインターまで1時間、は普通だが。

1区画の広さは100~200坪ほど。土地は自治体が所有していることが多いので、購入者が土地に設定できるのは借地権となる。

建物は、購入者が建て、購入者の所有権が設定できる。
簡易水道、電気などのライフラインは整備されているが、都市ガスや下水道までは通っていないことが多い。

別荘地内の道路等共有部分の整備や、ごみ収集場所の管理などは管理会社が行い、購入者は管理料金を払うのが通例。

なお、購入者は別荘に住む住まないにかかわらず、建物の固定資産税や住民税(住民票を置かなくても建物の所有者に課税される)の納税義務を負う。

地元の自治体は、いかに別荘購買者を開拓し、管理費を徴収し(管理会社は自治体の第三セクターであることが多い)、また税収など周辺利益を上げるかに関心がある。
いわば、別荘経営は地方自治体の数少ない「産業」となっている。

バブル期までは、売出し即完売、だったが、時代と世代が変わり、今はがらがら。その気さえあればすぐ買える。

今時の購買層は、イメージ通りの「夏だけ避暑にやってくる年配の金持ち」もいるにはいるが、定年後に定住している夫婦や、単身で暮らす高年齢者など様々。

夏の一時期以外は人気が少ないのは、昔から変わらず。
長野県内の別荘地なら、首都圏と中京、近畿圏からが多い。

「集落」とは

「集落」とは、ここでは地方の市町村の一地域のことをいい、長野県なら、○○町○○区、などと住居表示されるところの、○○区を指す。
「集落」への移住とは、その○○区の一員として住むことをいう。

地方の場合、住民の帰属意識は、合併の進んだ市町村ではなく、集落にある。
地元では、○○町在住というより、より小規模の○○区在住という方が通りがよく、実感がわく。

本州の集落は歴史が古く、狭い傾斜した街道にへばりつくように形成されること多い。
街道から家々に入る路地はさらに狭く、傾斜している。
家屋の敷地は案外狭く、畑は近隣に数件分がまとまっていることが多い。
現代の感覚からすれば、住宅地としての利便性に乏しい。

住民は代々その集落に住んでおり、少数なうえに平均年齢は高い。
働き手は職場に通っており、平日昼間はほとんど人気がない。
郡部の街道筋をドライブしていて、ほとんど歩行者を見かけないわけである。

なお、今時はかなりの郡部でも下水道が整備されており、奥地の別荘地よりライフラインは近代化しているが、都市部や、大規模商店へのアクセスは別荘地に次いでよくない。

自治体が予算を組んで移住者や子供への優遇策を行っていることもあるが、郡部で全くのIターン者が完全に定住したという話はあまり聞かない。
Uターンした人が、集落の古民家などを拠点にパン屋で定住している例はある。

以降、その2、「別荘地の現実」「集落の現実」へ続く。

定年おじさんチャツネを作る

昨日の北海道胆振東部地震のお見舞いを申し上げます。
定年おじさんの出身地(および本籍地)は北海道です。
幸い、札幌の親せきは無事でした。停電中(昨日9月6日の朝現在)とのことでしたが、ガス、水道は使える状態とのことでした。
現地は朝晩の冷え込みが始まる季節です。道民の皆さんが無事に過ごせますように。

おじさんとチャツネ

長野県にリンゴが出回る季節となった。
サンつがるという品種のリンゴが7個入りで420円だったので購入。

チャツネは、カレーや西洋料理の煮込みの隠し味に使う。市販のオリエンタルカレーにチューブ入りのチャツネがついているから知っている人も多かろう。
マンゴーやリンゴなどを、ニンニク、ショウガをベースに煮込み、砂糖や酢で味を調えて作る。
カレーに使うとコクが出る。

おじさん、今までは、カレーのベースに、リンゴのすりおろしなどを使うことが多かったが、チャツネを作っておくと便利だ。

参考レシピは「檀流クッキング」。いい意味でおおざっぱで、うまそうなレシピになっている。

おじさんチャツネを煮る

まず、リンゴをざっと洗って芯をとり、皮つきのまま薄切りする。
その間、鍋にニンニク、ショウガを炒めておく。
リンゴを鍋に入れ、火が通るまで炒め煮とする。
檀流レシピではここで唐辛子を入れる。お好みでどうぞ。

リンゴが煮崩れてきたら、レーズン、ザラメ、酢、レモン汁、塩少々を入れる。
照りが出てチャツネらしくなる。

殺菌した瓶に詰め、煮沸して蓋を閉める。
常温保存を前提とせず、冷蔵庫保管でももちろん良い。

チャツネについて雑感

檀流レシピ通りに作って何の問題もありません。

おじさんが昨年作った分は、東京の自宅にも常備して、カレーやミートソースを作るときに活躍しました。

なお、レシピを実践して自分なりの雑感を2、3点あげます。

①レーズンですが、粒をそのまま煮込んでも煮崩れません。みじん切りにしてから煮込むとよいかもしれません。

②ザラメの投入ですが、照りと保存性を考えると必要ですが、分量については真空瓶詰による常温保存であれば分量多めにするなどの工夫が必要かと思います。もちろん通常の砂糖を使っても構いません。

③市販のチャツネは完全にペースト状になってますが、写真程度の煮崩れ状態でも問題ありません。最終的にカレーになった時には煮込まれて苦になりません。

④チャツネの代用品として、果物のジャムを使うこともできます。自宅の息子が桃のジャム(定年おじさん製)をカレーの隠し味に使い、まろやかかになると言ってました。

定年おじさんと仕事

おじさんにとって仕事とは

定年退職後のおじさんは、退職金のほかには年金ぐらいしか収入がないのが通例だ。
株だの不動産収入だのという不労所得には縁がない。
隠居生活を送るにはまだ体力、気力が残っている。
定年退職しておきながら、おじさんにとって無職という状況は脊髄反射的に落ち着かない。
会社生活を終えて心底清々し、二度と会社には足を踏み入れたくない、と思っていてもだ。
かみさんや子供が働いている家庭で毎日過ごすのであれば、なおさらである。

これは、たとえ単身で田舎に暮らしていても同じだ。
アルバイトなどで報酬を得た時の達成感、充実感は、年金をもらった時の安心感とはまた違う。

改めて実感する。男は働いてナンボやと。
だったら、無理せず男のサガに逆らわず、定年退職後の時間を過ごそうではないか。60歳代よ。

おじさんの就業の現実

とはいえ、定年後のおじさんの仕事には何があるか。
ハローワークにでも行ってみるといい。
年齢不問の求人は数多くあるがそれは建前で、実際に特技のない60歳以上が採用される職種といえば、交通整理が関の山。

だから多くは可能な限り会社に残ろうとする。
今は65歳まで会社にいられる。
サラリーが3分の1になり、年下の社員に相手にされなくなるのを我慢すれば、通勤定期がもらえ、退社時間まで時間がつぶせる場所が用意されるのだ。
ほかにやることがなく、家庭に居場所がない多くの60歳代には願ってもないことなのである。

我がおじさんが住む、長野県の別荘地でも働き場所はある。別荘の管理会社が採用する作業バイトである。
別荘住人など60歳代以上が10人近く就業している。
主に別荘住人を採用対象としているので労務管理はゆるく、極端に言えば行きたいときに行けば働ける。
ただし丸1日もの落葉かきや雑草刈りの仕事は、慣れない60歳代にはきつく、例え週3回程の勤務でも続かなかったものだ。

働きたいが仕事がない。
かといって会社にはもう残りたくない。
いざ仕事があってももう無理はできない。
というのが定年おじさんの実情なのだ。
わがままかなあ?

おじさんの「仕事」は「生産」を目指す

定年おじさんは仕事に対してわがままだろうか?
家計を担う主力からは引退した。
男一匹程度は当面自活できる。
家族と喧嘩別れしたわけではない。それどころか、家族や知り合いに喜んでもらうのが生きがいである。

働けはするが体力的に無理はできない。いやなことまでしたくはない。
何らかの手段で報酬を得て達成感を味わいたい。

畑を借りている。
山小屋の周りは1500メートルの高地なのでトレーニングには向くが、野菜の栽培には向かない。
周りが傾斜地なのでそもそも耕地には適さない。

縁があって高度600メートルほどの地に耕地を借りることができた。
最初は1か所50坪ほどの畑だったが、同じ大家さんからもう1か所同程度広さのを使って欲しいとのことだった。耕運機も草刈機も使っていいとのこと。
ことしから2か所の畑を耕すこととなった。

素人にいきなり100坪規模の耕作は厳しいが、山小屋暮らしの「仕事」のひとつ。畑は長らくやってみたかったことのひとつである。

去年は収穫の全部は、自宅消費のほかは大家さん、別荘地の近所へのおすそ分けだった。
インゲンがとってもとってもできた。大根は短かった。白菜は途中で病気が出た。玉ねぎはピンポン玉程度の大きさだった。

今年は、トマトを昨年の倍の作付けとし、ジャガイモ,サツマイモ、とうもろこしなどに初挑戦。
ジャガイモはそれでも山小屋や自宅、おすそ分けでは処理できないほどの収穫となった。
ハックルベリーや食用ホオズキといった珍しい苗も植えてみた。

作物を別荘地内で7月中旬より開催される朝市に出品した。
毎日出品するほどの収量はなく、一日おきに出店した。

ハックルベリーのジャムの作り方を説明して買ってもらった奥さんが、うまくできたからと、また買いに来たことがあった。
食用ホオズキを食べたことがないというおばあさんが、試食をして買っていったことがあった。

「仕事」の成果である作物を介した会話のうれしさ。
作物が売れ、価値へと変換する瞬間の幸せ。
ここまで育った作物の健気さへの感謝。

生産という仕事が報酬に「昇華」した瞬間!

定年おじさんの生きがいが一つ見つかった。

 

 

 

定年おじさん山小屋に住む

山小屋の紹介

定年おじさんは現在単身で長野県の山小屋に住んでいる。
山小屋といっても別荘地に立つ古民家。茅野市の金沢宿にあった養蚕農家の建物を、先代オーナーが平成15年に移築したもの。移築後の延べ床面積は150平米。
太い柱や梁で組まれており、古い建具や、階段、道具類もそのまま持ってきている。
移築後、壁や床は新材で葺き直している。キッチン、洗面台、トイレ、風呂などは新しい機材を使っている。
なお、別荘地に下水はなく、排水は浸透、トイレは汲み取りである。暖房は薪ストーブ、炊事はプロパン。

山小屋の手入れ

定年おじさんが住む別荘地の標高が1500メートル。
風通しのよい日本家屋である山小屋は、冬の寒さ対策が切実。
窓を全部サッシとし、二階の梁の上に板を張るなどしてリフォーム。
また、古民家は障子・襖や欄間などの建具や、白壁がキャッチー。障子紙の張替えや白壁代わりの壁紙張りなどを行った。
天井板の張り付け、サッシの設置、板壁の補修、配線・配管などリフォームは大工さんに頼んだが、日本の木造家屋に付随する家の手入れを日々楽しんでいる。

山小屋のこれから

古民家山小屋の先代オーナーは妻の知り合いで、定年おじさんがタナボタで住まうことになった。
おじさんの夢は田舎暮らしだったが、自力での実現はあきらめていた。
山小屋に巡り合わなかったら、いやいやながら65歳まで会社に残っていたことだろう。
山小屋が古民家という日本家屋であることもラッキーだった。まだ2年目だが住んでて飽きないし、手入れも手間がかかるが楽しめる。
間取りに「余白」が多いこともおじさんのような旧世代は安心する。
今はとりあえず家族に気に入ってもらえるように手入れしてゆきたい。

定年おじさん ジャムを作る

おじさんとジャム

おじさんとジャムづくりの初遭遇は子供のころ。
家の表の路上で近所のお姉さんが七輪でイチゴを煮ていたのを眺めていたこと。当時は七輪を使った炊事を路上で行うこともあった。
60歳過ぎて自分で作るようになろうとは。

長野県のジャム素材

長野は食材の宝庫だが、ジャムの素材も豊富。
初夏のアンズに始まって、ルバーブ、スモモ、ブルーベリー、ネクタリン、モモ、洋ナシ、リンゴ、イチゴ。
モモとネクタリンのかけ合わせのワッサーというのや、珍しい素材ではハックルベリー、食用ほおずきもある。

おじさんジャム材料を探す

長野県は桃の産地でもある。長野市川中島が名産地だが、近隣のものがちょくちょく直売所に出る。
近くの直売所では、最盛期の果物が箱単位で売られ、加工用のB級品だと値段も安い。
モモ1箱を1980円で購入。地元産かと思ったら山梨産だったが。

モモのジャムを煮る

モモを煮る。
去年から本やネットを参考にいろんな果物のジャムを煮ている。
今では、季節の果物が安く売られているのを見ると思わず買って帰りたくなる。
旬の果物の香りと甘さはそれほど魅力的だ。

モモは皮を煮て色を出すのがポイント。その間、ビンと蓋を煮沸しておく。
皮から色が出たら、剥いた実を切って投入。砂糖を入れる。レモン汁も少々。               砂糖の分量はその後の保存を考えると材料の1/2が目途といわれるが、素材の香りなどを考えると1/3くらいか。                      実が煮崩れてツヤがでてきたらアツアツのうちに、これまた消毒済みのアツアツの瓶に入れ、軽く蓋をする。
瓶内の減圧のため、中身を入れた状態で再び煮沸。              数分ののち引き上げ、瓶を固く締めて出来上がり。

食べ方

パンやヨーグルトの友として食べるのが王道。すっぱみがなく子供向きの味である。
作ったジャムは、自宅へ送ったり持って帰るが、息子はカレーのチャツネとして使ってコクが出たとのこと。
蓋が固く締まりすぎるのが家族には不評で改善の余地ありと反省。

 

 

 

 

 

初めまして定年おじさんです

自己紹介

1956年北海道生まれ。大学卒業まで実家暮らし。1年浪人、2年留年ののち25歳で卒業。                                      就職試験に全部落ち、やむなく1年間の海外放浪。                 帰国後は、東京に出てバイト暮らし。農産物の産直を営む会社に入社。結婚。2児を設ける。                                      産直会社を退職。病気で入院したこともあり、いわゆる普通の会社に33歳で途中入社。3人目が生まれ、60歳の定年までサラリーマン生活。その間に3年半の単身赴任あり。2016年に定年。1年間の嘱託社員を経て2017年に退職。

現在の生活

妻の知り合いが、長野県に別荘を持っており、何度か妻に同伴で訪れていた。     別荘地内に付近の古民家を移築した建物で、柱や梁はしっかりしているが、空き家期間が長く、古色蒼然とした状態だった。ご縁があってその建物を譲り受けた。                                    退職後、単身にて居住。冬季間は東京の自宅に戻るものの、4月から11月くらいまで田舎暮らしを続けて2年目。                             自宅には妻と末の息子がそれぞれ仕事を持って居住中。長野には、娘一家も含め、時々遊びに来る。また、家族の行事に合わせ月1回程度はこちらも自宅に帰る。

現在の心境

東京でのサラリーマン暮らしを30年近く。出世とは縁がなかったものの、一人前に中年太りの身にはなった。もともと田舎暮らしにあこがれてはいたが、結婚後は現実的な生活に追われていた。                                   50歳代後半から、休日は家族に相手にされなくなってきて、もっぱら自転車で半日、近くの商店街などをさまようのを楽しみとした。同じ境遇と思われる中高年のサイクリストや散歩者を見かけた。                               山小屋(当該建物を家族はこう呼ぶ)暮らしのチャンスを得て、今時としては少々早めにリタイア。元気なうちに念願の田舎暮らしをと決断した。              わが身のとっても人生のテーマである、「定年後のおじさんとの居場所や生きがい」について、ささやかな実践の一例として発信したいと思う。