DVD名画劇場 追悼、ブリジット・バルドー(その1)



バルドーとロジェ・ヴァデイム

去年(2025年)ブリジット・バルドーが亡くなった。
同時代の名女優、クラウデイア・カルデイナーレが亡くなったのも去年だった。

26歳の時、パリの名画座でバルドーの出世作「素直な悪女」を見たことがある。
洗濯物の背後にヌードで横たわり、これでもかと黒人たちとチャチャチャを踊りまくる22歳のバルドーは、ピカピカとした光を放っていた。
スターというものは、何年たってもフィルムを通して輝いていることを知った。
古今東西の名作が真新しいプリントで上映され続けているパリという街での貴重な体験だった。

ブリジット・バルドー

「素直な悪女」でスターダムに躍り出たバルドーだったが、本人はスターの生活に興味はなく、男と快い生活と動物のみに生きがいを感じていたようだ。
プチブルジョアの家庭に生まれ、幼少期よりバレエを習うお嬢様だったが、15歳の時に雑誌の表紙に出始めた。
それが縁で、映画のスクリーンテストを受け、監督マレク・アレグレの助手だったロジェ・ヴァデイムと恋に落ちた。
バルドー記念すべき愛の旅立ちの第一章である。

バルドーとヴァデイム

両親の目を盗んでの交際期間を経てヴァデイムと結婚。
アレグレの助手を経てシナリオライターとなったヴァデイムは、戦争を経験した戦後世代で、パリの若者文化の渦中で過ごし、俳優のクリスチャン・マルカンや無名時代のマーロン・ブランドなどとも交友があった。
その時代の先端的をゆく世俗性と、異国情緒たっぷりの男性性が箱入り娘のバルドーをメロメロにさせたのだった。

生まれたままで15年たっただけの愛すべきバルドーは、奔放のようでいて貞淑、一途な寂しがり屋な素質が全開。
良くも悪くも他人のための社会性など一切持たずに、本能のままにふるまい、それを受け入れてくれる信頼のおける人間で身の回りを固めた。
長年の付き合いのメイクアップアーテイストや女性プロデユーサー、ゲイの秘書、それに犬かロバを加えた信頼のおけるメンバーを自らチーム・バルドーと呼んだ。

「素直な悪女」の後は、夢のような金銭条件で契約を迫るハリウッドをかわしながら、ミシャル・ボワロン、ヴァデイムなど若手の作品に出演。
一方で、クロード・オータン=ララ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾなどのベテラン監督の作品に出演するようになる。
名匠の作品にあってもバルドーは自己流を貫いた。

バルドー自伝表紙

1996年、バルドーは自伝を出版した。
「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」(1997年 早川書房邦訳刊)である。

ヴァデイムとの出会いや、「素直な悪女」撮影のころを中心に読んでみた。
どこを切ってもバルドー印。
女の子っぽさ、繊細さ、育ちの良さ、わがまま、耐性のなさ、社会性のなさ、がどのページからもその新鮮な切り口を露呈している。

図々しさもあり、特に男に惚れる瞬間の早さと、その後の一途な依存性は天下一品のバルドーの世界。
ヴァデイムに飽きた後(彼は終生の理解者であり庇護者だったが)、「素直な悪女」で共演したジャ=ンルイ・トランテイニャンにぞっこんの2年間を過ごし、ある日一瞬で歌手のジルベール・ベコーに乗り換えるのが彼女20台前半の男性遍歴として人生のサイドストーリーを飾るのである。

自伝カバーの宣伝文より

57年の「月夜の宝石」(ヴァデイム監督)で長期スペインロケに出かけたときの、バルドーとそのチームのエピソードを自伝より引いてみたい。

経緯はこうである。
『マドリードから汽車で20時間もかかる海岸沿いの村に一行が到着した。
ブーゲンビリアが咲き乱れ、オレンジの花の匂いのする寝室ふたつのバンガローに、ジャニーヌ(バルドーの照明代役)と泊まるバルドーは幸福そのものだった。
ジャニーヌはスペイン人のハンサムなこれまた代役(バルドーの相手役:ステイーブン・ボイトの)に一目ぼれし、むさぼるように見つめ合う。
その晩、男はジャニーヌのベッドにに忍んで来る。
ロケ隊が引き上げるときに二人は(スペインに残るため)さよならを言いに来たのだった。』

『二人は幸せそうで、心ここにあらずという風情だった(中略)愉快な話である。その日からジャニーヌとは会っていない』(自伝P188)。

夢のような南国の漁村でのロケ合宿。
恋人たちは自然に惹かれ都会生活に関係なくほどけて行った・・・。

バルドーとは楽園で幸福を味わうために生まれてきた女神なのであろう。
それは彼女が愛し、信頼するチーム全員にも同じようにいえることだったようだ。

自伝奥付



「恋するレオタード」  1954年  マレク・アレグレ監督  フランス(コロムビア映画配給)

バルドー20歳、ヴァデイムと結婚して2年たっていた。
10本目の映画出演作、といっても主演はまだなし、の時期だった。

マレク・アレグレはフランスの中堅監督。
ブリジットが15歳の時に、彼女の両親を説得してカメラテストしたことがあった。
この時のアレグレの助手は当時17歳のロジェ・ヴァデイムだった。
ブリジットはテストに落ち、また予定されていたこの作品は無期延期となった。

アレグレは「素直な悪女」の1本前にブリジットの主演で「裸でごめんなさい」(56年)という作品を撮っている。
1956年は、ブリジットとヴァデイムはすでに結婚しており、ブリジットの主演で監督デヴュー作を準備していた年になる。

マレク・アレグレ監督を中心にバルドーとヴァデイム

本作「恋するレオタード」は、ジャン・マレーがウイーンの音楽教室のカリスマ校長に扮し颯爽と登場。
40年代のフランス映画界にあって、詩人ジャン・コクトーによる「美女と野獣」(46年)の王子様役で登場し、その後も名女優たちと共演した、あのジャン・マレーである。
登場場面が、神々しく引き締まろうというものだ。

なるほど、美形ぶりと颯爽とした振る舞いはジャン・マレーそのものだが、本作は音楽学校の女学生たちが主役の、ほろ苦い成長ドラマである。
マレーは、彼女たちのあこがれの的の大人の男性役。
離れて住むプリマドンナの夫人との愛に悩みつつ、身の回りの若い女学生にちょっかいを出す俗っぽいオヤジでもあった。

マレー校長に憧れる女学生に、金髪の悩める美形、イザベル・ピア。
彼女と校長を競い合い、校長宅に押し掛ける女学生にブリジット・バルドー。
レオタードから伸びた長いまっすぐな脚が若々しいブリジットと、北方系の金髪美少女の影を演じるイザベルが対照的なキャラとなる。

DVD表面

学院の生徒たちの描写が生き生きしている。
生徒同士のカップルが生まれ、校長を巡る女の子同士の噂話が駆け巡る。
校長の個人レッスンを巡る抜け駆けなどもありそうだ。
このあたりの生き生きしたエピソードの積み重ねはアレグレ監督の職人技か。

学友を出し抜いて校長と個人レッスンの上、弄ばれて初恋を信じてしまうイザベルとブリジットの夢が破れる結末は、校長の心が夫人のもとにあるからといういつものストーリー。

DVD裏面

冬のウイーンの街角。
コートの襟を寄せ、アパートへ急ぐる女優の姿。
フランス映画らしい何気ないカットにアレグレ監督の感性が漂う。

助手のヴァデイムと練ったというシナリオには、様々なエピソードがちりばめられ、若い学生たちの輝きと挫折とが工夫して表現されている。
少女漫画のような筋回しと、エピソードの数々に見られる通俗性が、後のヴァデイム映画の通底しているところが面白いが

日本非公開。原題名「未来のスターたち」。

バルドーのフィルモグラフィ。本作は「未来のスターたち」とある



「素直な悪女」   1956年   ロジェ・ヴァデイム監督    フランス

カラーのシネマスコープ画面が南仏の漁村風景を映し出す。
カラフルな洗濯物が翻るその背後には裸のバルドーが寝そべっている。

サントロペの漁村に造船所を大規模に経営しようと、実業家のエリック(クルト・ユルゲンス)がやって来る。
洗濯物の背後で立ち上がってエリックに応えるジュリエット(ブリジット・バルドー)。

ジュリエットは孤児院からサントロペの里親に引き取られている18歳。
村の書店の店番をする以外はブラブラしている。
前開きのスカートで自転車を漕ぎ、港の青年たちにはやし立てられる。
それが大人には気に食わないがジュリエットは平気だ。

封切り時のポスター(左半面)
同(右半面)

村の造船所にはアントワーヌ(クリスチャン・マルカン)とミシェル(ジャン=ルイ・トランテイニャン)と末弟の三兄弟がいて、アントワーヌはジュリエットにかまい続けている。
魅力満開だが誰にでもオープンというわけではないジュリエットは、漁村から脱出できるのならアントワーヌについても行こうとするが、遊びで捨てられることは嫌がる。
自分の裸を見て興味津々のエリックの金と贅沢にも興味はある。

クルト・ユルゲンスと

バルドーが世界に向けて自分を売り出したこの作品。
当時の夫ロジェ・ヴァデイムの監督デヴュー作にして世界的大ヒット作となった。
主人公・ジュリエットは、三兄弟全員を愛人にした少女が、そのうちの一人を殺害したという事件をモチーフにしたヴァデイムのオリジナル脚本が生んだヒロインだった。
そのヒロイン像は、妻バルドーの嘘偽りのない人間そのものだった。
また映画で描かれるエピソードは、ヴァデイムがバルドーと知り合ってからの実体験に基づく事柄ばかりだった。

15歳でヴァデイムと知り合い、恋に落ちたバルドーは、交際が許されるまでの間、また結婚が許されるまでの間、ロミオとジュリエットのような気持で過ごしており、ヴァデイムは処女作のヒロインにその名を付けた。
サントロペを舞台にしたのも、ブリジットの両親がこの地に別荘を持っていたからだった。

ジュリエットが大人の不興を買い、孤児院に戻されようとして、自分に一途に愛をささげるミシェルと結婚して急場をしのぐ。
教会での式が終わったとたん、披露宴を待たずに寝室にしけこんだ挙句、ジュリエットがごちそうを一皿とワインだけをもって、「お休み」と寝室にリターンするエピソードは、バルドーとヴァデイムの結婚当日の様子と同じだ。

ジャン=ルイ・トランテイニャンと

ジュリエットはミシェルの愛を受け入れて幸福な生活を望むのだが、一方でその幸福を実現するのが怖いとつぶやく。
ヴァデイムはこの作品で、バルドーに『自分の魂をさらけ出すこと』(ヴァデイム著「我が妻バルドー、ドヌーブ、フォンダ」p132より)を求めた。
そのつぶやきはバルドーの魂のつぶやきそのものだった。

映画のラストシーン。
偶然にもアントワーヌとデキてしまい、ミシェルの心も千々乱れるなか、黒人のボンゴにのってチャチャチャを踊りまくるジュリエット。
己の煩悩を鎮めようとするが如く、否、人並みの幸福を希求することの怖さを忘れようとするが如く、スカートの間から細く長い脚をむき出しにして激しく踊るジュリエット。
ヴァデイムがかつてのバルドーに見た姿だったという。

チャチャチャを踊るジュリエット

この作品、様々な男女にまつわるエピソードは、芸能新聞のように通俗性に溢れているところがヴァデイムらしいが、ジュリエットというキャラクターの本質性と、演じるバルドーの資質との不可分性は、まさに映画史におけるのエポックメーキングであった。
だからこそ世界中の観客はそれを目撃しに映画館に押し掛けたのだった。

DVD表面

バルドー本人は自伝に曰く『撮影があれほど楽しかったことはない。私は演じてなどはいなかった。ありのままの私を見せればいいだけだったのだ。』(「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」p126より)

DVD裏面



「戦士の休息」    1962年   ロジェ・ヴァデイム監督     フランス

60年代に入ったバルドーは、この作品で映画界を引退しようと考えていた。

チームバルドーの働きでここまで女優として生活してきたバルドーだったが、パパラッチや記者、野次馬たちに脅かされるスターとしての生活に疲れ切っていた。
彼女はバルドーチームのマネージャーやメイク係、代役のために、映画を介してやっと生きているのだった。
チームのメンバーたちはそれぞれ夫や家族と各々の生活を楽しんでいるのに。

また、アルジェリア独立を巡って、バルドーの父親が反独立組織から脅迫を受け、彼女も巻き込まれて警察の護衛を受けてもいた。
さらに彼女の生活の中心となったのは、生涯のテーマともなる動物愛護への関心だった。

牛のと殺方法を巡って、特殊ピストルによると殺をと、内務大臣と面会して提案したりした。
彼女自身はヴィーガンとして、例えば撮影所の食堂でステーキを注文した人にヒステリックな反応をするようなこともあった。

私生活では、「真実」(60年 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)で共演したサミー・フレーと生活を共にしていた。
心はフレーに締められていた。

「戦士の休息」より

「戦士の休息」は、莫大な遺産を相続した若い女(バルドー)が、旅先で自殺未遂をしていたボヘミアン(ロベール・オッセン)を拾って、腐れ縁のような関係に巻き込まれてゆくというストーリー。
気ままに生きてきたボヘミアンは当然定職も社会的地位もなく、ついでに人間としての誠意も夢も希望もない。
女の金で酒を飲み、戯言を喋り散らし、抱き寄せるだけだ。
小説を書くというが出だしの1ページだけだった。
フィレンツエで、ボヘミアンが女を捨てて娼婦に走ったことから現実に覚醒する女だった・・・が・・・。

育ちのいい常識的な女性が、遺産相続という人生の転機で、本来巡り合うはずのないボヘミアン的な男の「自由人の魅力」に惹かれてさ迷う現代の迷宮巡りの物語。

DVD表面

遺産となる屋敷の暖炉の火にバルドーのネグリジェを投げ込み、抱き寄せるボヘミアン。
パリの女の部屋で、ガウン一つでベッドのボヘミアンに倒れ込むバルドー。
掃除する彼女に「裸で掃除しろよ」と命じ、従うバルドー。
ヴァデイムはバルドーの堂々たる体と色気だけを描いているが、撮り方によってはアブノーマルな趣向が色濃く出たであろう場面の数々が本作の見どころか。

女が自分に固執し始めたことに気づいたボヘミアンが、本能的に女から逃げようとつぶやく「愛なんてくだらない」。
それでも愛し続ける女に最後に応える「君を愛してるみたいだ。でも怖いんだ」。

結局、女の愛にほだされて、所在なきボヘミアンの心も女のもとに定まれり、の結論。
ということは、男の変態性に刺激されて女の異常性が目覚める話でも、ボヘミアンが自由と引き換えに崩壊する生活と精神を描くものでもなかったようだ。

『「戦士の休息」はあまり好きになれなかった。ルノー(ロベール・オッセン)の美しい目にうっとりして、愚かな行動に走る若い娘は私の柄に合わなかったのである。(中略)カップルの取り合わせが悪く、脚本にもメリハリがなくて、全体的に生き生きした躍動感がなく、パンチにも欠け、人を陶然とさせるところがなかった。まるでフリーズドライの映画だった。』(「ブリジットバルドー自伝」p381より)
主体性がないようで、自我が確立しており、無軌道な快楽主義とは一線を画す男気の持ち主、バルドーらしい言葉である。

DVD裏面

60年代に入ったバルドーは、かつての『野性味ある育ちのいいお嬢様』から、『落ち着いた若奥様風』へと変貌を遂げていた。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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