巨峰で作るぶどうジャム

山小舎では季節の果物でジャムやコンポートを作っています。
毎年ブドウの季節にはジャムを作りますが、ブドウのジャムづくりで難しいのは種の扱いです。

ジャムに向くブドウは、ベリーAなど種有の品種なのですが、その種の扱いに困るのです。
ある年は種ごと煮込んでからザルなどで種を漉そうとしました。
ザルでは皮や実が詰まってしまい種だけを取り出すことができなかったので、しょうがなくお玉で種だけを掬ったことでした。
いずれにしても種有ブドウでジャムを作ることは大変なのだ、という記憶だけが残りました。

今年の秋の一日、八ヶ岳周辺のドライブに出かけ、野辺山の直売所で種なしの巨峰が格安で売られているのを見ました。
ばらばらの実だけをパックしたものが1パック200円で売られています。
ジャムづくりのチャンスだ!と5パック仕入れました。

種なし巨峰4パックと種有を1パックゲット。種有は事前に種を取り除きました!

例年は、イチゴに始まってアンズ、プラム、桃、ワッサー、ネクタリン、プルーン、洋ナシ、ブドウ、リンゴと続く信州の果物ラインナップ。
今年はアンズ、プラムくらいしか加工に手を出していませんでした。
いいところで加工向きのブドウに巡り合いました!

まずは材料を水洗いします。
同時に瓶と蓋を洗ってから煮沸します。
煮沸にはストーブが便利です。
瓶を入れた鍋に薬缶からお湯を張ってストーブの乗っけておきます。

ブドウの実を砂糖を入れて煮るのですが、このまま煮ても皮が残ったジャムになりそれはそれでいい感じなのですが、せっかくミキサーがあるので皮ごと実を攪拌します。

何回かに分けてミキサーにかけます。粒のまま煮てもいいと思います

スムージーになったブドウに砂糖を加えて煮てゆきます。
今回は白砂糖にザラメを加えてみました。
コクが出るのでは?と思ったからです。
砂糖の割合は果実の3分の1から半分程度。
少なすぎなければお好みでいいと思います。

今回は砂糖を2種類、あとでレモン汁も加えました

ジャムは煮てゆくとトロッとなる瞬間があり、そこまで煮るのがジャムづくりといわれます。
一方でかつて「暮らしの手帳」の記事で読んだのは、ジャムはトロトロ煮込むのではなく、さっさと煮て材料の香りを残す、というもの。
どちらの方法を選ぶかはこれもお好みです。

ブドウからは結構アクが出ます

いつものように、煮沸した瓶と蓋を布巾にあげて蒸気を飛ばし、熱々のジャムを詰めてゆきます。
今回は割とさらっと煮てみました。
冷めるととろみも出ますし。

詰めるときにも一工夫。
瓶の中になるべく空気を残さないでおくのは保存性を高めるポイントなのですが、ジャムを詰めすぎると後々蓋がくっついて開けずらくなるのです。

瓶の空気は5ミリ程度残し、瓶の口の周りに着いたジャムはペーパーで拭きとっておいてから蓋をします。
軽く蓋をした瓶を再び熱湯で減圧してから蓋を締めます。

軽く蓋をしてから再び煮沸と減圧します

中瓶と小瓶が1本ずつできました。
材料のブドウ代が小売価格とはいえ1000円かかっているのですからなるほど(ブドウ)ジャムの売値は高いはずです。

9月の八ヶ岳一周

令和3年9月中旬になりました。
毎月恒例の家族来小屋の一行を中央道諏訪南インターまで送りがてら、八ヶ岳山麓を一周してみました。

山小舎を下りインターへ向かいます。
途中の茅野、原村方面から望む八ヶ岳がこれ以上ないほどの景色です。
いつ見てもありがたい山の姿です。

原村から望む八ヶ岳

家族を送ってから、八ヶ岳エコーライン、八ヶ岳高原道路を通って、清里方面へ抜けます。
八ヶ岳の中腹を巻いて走る、標高1300メートルほどのルートです。
休日ということもあり、交通量がありました。

清里方面に来ると寄ってしまうのが、学校寮エリアにある調布市八ヶ岳少年自然の家。
子供たちが小学校のころには、毎年の冬に何度もスキーに来て泊った場所です。
この日は閉館中の様子でした。
早く、市内の学校の研修場所だったり、市民のスキー旅行の宿泊場所として活用再開となってほしいものです。

清里の学校寮エリアにある調布市自然の家
自然の家から望む八ヶ岳

清里から野辺山方面へ下りて国道へ出ます。

鉄道標高最高地点のあたりには何軒かの直売所があります。
今はブドウの季節。
バラの種なし巨峰が1パック200円で売っていたので、ジャム用に5パック購入しました。

この辺りは南牧村になります。
村の中心部にはSL公園がありました。
かつて小海線を走ったというSLが展示されていました。
保存状態が良いのは屋根付きの場所に置かれていることと、普段の手入れのせいなのでしょう。

野辺山の直売所から望む八ヶ岳
加工用巨峰が全部で1000円
南牧村のSL公園から望む八ヶ岳
コスモスの背後には高原のキャベツ畑が広がる八ヶ岳山麓風景

野辺山から八ヶ岳の東側を北上し、小海町へ進みます。
ここら辺、八ヶ岳の姿は望めず、千曲川上流の谷の地形に沿ってのルートです。

さらに北上し佐久市のエリアへ。
周辺の人口も増え、通行量も頻繁です。

佐久市の野沢地区にあるピンコロ地蔵にお参りしました。
立派なお寺の山門脇に立つピンコロ地蔵。
参道両脇には屋台がいつでも出店できるような状態ですが、この日は1店も出店していませんでした。
年末年始には屋台が出るのでしょうか。
門前のたい焼き屋さんで記念のたい焼きを買って帰りました。

ピンコロ地蔵ヘ向かう参道風景
ピンコロ地蔵もマスク姿
門前のたい焼き屋さん
皮が美味しいたい焼き1匹160円

佐久から八ヶ岳の北側を白樺湖に向かって峠を越えて山小舎への帰路につきます。
雨境峠から望む蓼科山は頂上に雲をいただいていました。
平地では暑いくらいの一日。
秋の日の気持ちのいい軽トラドライブでした。

八ヶ岳連峰北端の蓼科山

玄関内を DIY!

山小舎の玄関は来客の入り口ではありますが、同時に靴・スリッパなどの置き場所として、さらには納屋として、また野菜の貯蔵庫としても使われているのが現状です。

刈払機、鉞、大ハンマーさらにはガソリン携行タンクの置き場所として使われています。
収穫した野菜はかごに入れたまま、新聞紙で覆って一義的にここに置かれています。
位置的に便利なのと気温が室内と室外の中間で野菜にちょうどいいこともありますが、ちょうどいい納屋がないのが原因です。

そういった使い方をしている玄関ですが、仮にも民家の入り口として見たときに、その埃臭さと、たたきの泥汚れが気になっていました。
ホーキでささっとやるだけでは払いきれない泥埃です。
また、ガソリンタンクや刈払機の下には、段ボールが敷いてあるとはいえ、燃料漏れのシミもあります・・・。

この玄関、たたきの部分も板で葺かれています。
さすがにそれでは土足に対応できないとのことで、ベニヤが板のたたきの上に敷かれ固定されています。
たたき代わりのベニヤは汚れ放題で、またベニヤとたたきの境目には泥埃が溜まってしまっています。

そこで秋晴れの日に思い切ってDIYすることにしました!

先ず、敷いてあるベニヤを取り外します。
数か所ねじでとめてあるベニヤを力ずくで剥ぎ取ります。
ついで玄関内に置いてあるものすべてを戸外に出して虫干し。
玄関内をホーキで掃きます。
元のたたきの板の溝に入り込んだ泥埃は掃除機で吸い取ります。
そのあとで何度も雑巾で水拭きします。

晴天時に玄関を開け放ってここまでやっただけでかなりすっきりします。

ベニヤを撤去して拭き掃除をした玄関その1
おなじくその2

新しいベニヤをサイズに合わせてカットします。
今回は玄関内すべての部分をベニヤで覆うこととし、大小3枚のベニヤをカットします。

カットしたベニヤにケミソートで塗装します。
ケミソートを塗る理由は防水・防腐性を高めるのと塗料のにおいで誇り臭さを抑えるためです。

たたき用のベニヤをカットする
カットしたベニヤに防水防腐塗装する

塗装の用意をしたついでに、玄関外の踏み板を日光に当てて乾かし、ケミソートを重ね塗りしました。

ベニヤ3枚を玄関内にはめ込みます。
中央の1枚だけを釘で固定し、残りは敷くだけにしました。
その方が今後の掃除がしやすくなると思ったからです。

これを機に、刈払機の置き場はベランダの奥としました。

玄関内がすっきりときれいになりました。

山小舎のような木造家屋は、手入れを行うとともに、使いやすいようにアレンジしてゆくことが大事だと思いました。

新しいベニヤをセッテイングした玄関

ハックルベリー、ほおずき、小豆を収穫

畑も秋に入りました。
夏野菜の盛りは終わりました。

キューリの樹は枯れ、トマトは収穫が遅れると実が傷むようになりました。
ズッキーニも終わっています。
トウモロコシ、かぼちゃは全量収穫しました。
ナスとピーマンはしばらく続きそうです。

代わって秋の作物の収穫が始まりました。

ガーデンハックルベリーの実が旺盛になっています。
ガッテン農法で立てた畝に植えたからでしょうか。
去年とは別の作物のような生育ぶりです。
実の重さで枝がたわむほどの鈴なりです。

彩ステーションへの出荷に合わせて初収穫してみました。
実をつける小枝が枯れ始めていないので、ちょっと早目かもしれません。
まだまだ収穫できます。

たわわに実るガーデンハックルベリーの実

食用ほおずきも初収穫しました。
東京方面ではファンもいる作物です。
去年暮れには山小舎おじさん帰宅の折に直々に「来年も作ってください」とのリクエストを受けて驚きました。
今年は樹の生育がいつもほど旺盛ではないのですが、初収穫としてはまあまあの量でしょうか。

食用ほおずきが実ってきた
初収穫!

気になっていた小豆を収穫しました。
鞘が枯れ始めているのは知っていたのですが、いつ収穫すればよいのかわからず、そのままになっていました。

調べると、鞘が枯れ始めたら収穫してよいそうなので根っこごと引き抜きました。
支柱で簡単なハザを組み立て、稲のように樹ごとハザにかけました。
頃合いを見て収納し、鞘から豆を取り出すことにします。

一部の樹は持ち帰って、翌日鞘をとりました。
鞘がかびてしまっているものは中の豆もダメになっているようです。
小粒ながら食べられそうな実もあります。
こちらも実を外して保存しようと思います。

収穫を前に小豆畑に簡易なハザを立てる
ああzあずあずkあずきあずきwあずきをあずきをnあずきをぬあずきをぬいあずきをぬいtあずきをぬいて小豆を抜いて小豆を抜い小豆を抜小豆を小豆小
家に持って帰った小豆の鞘を外す。この中に豆が入っている

外壁塗装で DIY!

畑の繁忙期も過ぎ、別荘地管理事務所のバイトもしばらく休んで、ひたすら命の洗濯にいそしんでいる山小舎おじさん。
夏の疲れをいやしつつ、山小舎周りを散見すると、そこにはDIY関係の懸案事項が山積しています。

この日は外壁塗装に取り掛かることにしました。
山小舎の外壁は築後20年ほどは手入れされていません。
特に雨のかかる場所は防腐の意味からも塗装による手入れが急務でした。

ベランダの雨ざらしの個所は、コールタール系の塗料を重ね塗りしました。
その後、外壁に取り掛かろうと、まず台所側の外壁を塗ることにしました。

そこは秋になると薪を軒下に積む場所にもなるので、その前に塗ってしまおうと薪をどけておきました。
そしてたわしで壁をこすって汚れを落としました。
煤のような、泥のような汚れが取れ、木の肌が現れました。
良く乾燥させた後に塗装しようと思っているうちに夏が過ぎ、秋になっていました。

なお、壁の上部などたわしが届かない場所は、高圧洗浄しようと、自宅からケルヒャーを持ってこさせました。
しかしながらケルヒャー、水圧でホースが外れやすく、さらにジェット噴射のノズルが用意できていなかったため、山小舎の実用的には使用却下となりました。

洗浄した部分と残った部分がくっきりと対比をなす外壁。左にどけてあるのは薪積に使うラック。

夏が過ぎ、秋風が吹きわたっています。
天気の良い日を狙っていよいよ塗装です。
使用する塗料は、ケミソールというコールタール性の塗料。
ベランダと同様に、雨にさらされる場所の塗装にはこれを使おうと思います。

脚立を用意します。
脚立を使っての塗装も一苦労です。
上った先で、塗料缶と刷毛を使いながらの作業が思ったより大変なのです。
脚立の脚をしっかり安定させることも安全上重要です。

ケミソールはサラサラの塗料なので、乾いた壁板にどんどんしみてゆきます。
被膜を作って防水するタイプの塗料ではなく、材質にしみ込んで防水、防腐するというタイプの塗料です。
一度塗っただけで色がつくような塗料ではありません。

ケミソートを一斗缶から手持ちの缶へ移し入れ、刷毛を用意する

何とか洗浄した部分のほとんどを塗装できました。
まだまだ染み込み具合が足りないので、毎年、重ね塗りしていこうと思います。

次回は残った部分の洗浄と塗装です。

半分塗り終わった外壁。塗り残した部分を見ると当初明るい色で塗装されていたことがわかる
翌日重ね塗りしました。まだ乾いていないので色が濃く乗っていますが、この後しみ込みます。

山小舎に小さな秋

山小舎に秋到来です。

お盆を過ぎれば秋風が吹く標高1400メートル暮らし。
9月中旬ともなれば、吹く風の涼しさ(肌寒さ)はもちろん、木々の緑は勢いを失い、トンボが飛び、花々は種を結ぶ準備に入ります。

庭に蒔いたキセワタは成長の花が咲きました。鹿の食害除けのためネットをかけています
庭のルピナスは種をつけています

山小舎暮らしも、夏までの忙しさに一段落、時間に追われることもなくなります。
冬の準備に入りつつ、家の外や中の手入れを行う時期となります。

暑さはなくなり、しかし水が冷たくなる頃まではもうしばらく、のこの時期が家の外回りの作業には最適です。
外壁塗装や、土留め工事、護岸工事を再開しなければなりません。

台所側の外壁をたわしでこすって汚れを落とし、塗装の準備をします
丸太を薪割りして、去年の薪と積み替えます

また、秋の乾いた風は、家そのものや備品の保全に向いています。
窓を開けて室内に風を通すとともに、備品の乾燥、虫干しを行います。

今日は食事テーブルの椅子の乗っけているクッションのカバーを外して洗濯、中のクッションを干しました。

椅子のクッションカバーを洗濯しました
晴れた日は二階の窓を開け風を通します

青春18きっぷ 緊急事態下・飯田線の旅

世の中は緊急事態下です。
一方、わが青春18きっぷの有効期限は9月10日までです。
有効期限切れ当日、満を持して飯田線の旅を決行しました。

茅野から伊那新町まで 飯田線不通区間を突破

07:33茅野発の普通列車で岡谷まで行きます。
茅野にこんなに高校生がいたんだ!というほどの人がホームを埋め尽くします。

地元の高校生たちの距離感は微妙です。
混んだ車内とはいえ、リュックは背中にしょったままで、SUICAをカバンにぶら下げたままの姿の彼らは、だからこそ他人との距離感には敏感であるようです。
決して都会の満員電車のように互いに密着しません。
それがヒトとしての本来の感覚のなせるものか、混雑になれない地方人の臆病がなせる業なのかはわかりません。あっ、ソーシャルデイスタンスだったのか!?そうか。

朝7時半前の茅野駅ホーム。この後乗客が集まりだす

中央西線に乗り換えのために岡谷で下車。
岡谷は中央東線と西線の分岐点。
人の流れの主流は東線で、岡谷から塩尻へ最短距離で向かいます。
特急あずさもこちらを通ります。

一方、中央西線は辰野で飯田線と結んでから塩尻へ向かいます。
中央西線の辰野・塩尻間は峠越えの路線ですが、昨今の大雨で線路が土砂に覆われ、一時不通になっていました。
同時に辰野町内の飯田線が、天竜川にかかる鉄橋が雨で痛み、辰野駅と伊那新町駅の間が、現在も不通になっています。

岡谷駅ホーム。川岸駅は西線でみどり湖駅は東線方面。
朝の岡谷駅には高校生たちが大勢降り立つ

中央西線は初めて乗りましたが、天竜川沿いの絶景があったり、純農村風景が見られたり味のある路線でした。
本来のダイヤでは岡谷発がそのまま飯田線に乗り入れることが多いのですが、しばらくは飯田線方面は辰野で代行バスに乗り換えて伊那新町まで行かなければなりません。

18きっぷの遊興客が代行バスに乗り込んでいいものか?とも思いましたが、ラッシュ時間も過ぎたバスの乗客は少なく、JR職員の手慣れた誘導に身をゆだねてバスに乗車。
2駅間、約10分で代行バスは伊那新町駅近くの停留所に到着しました。

中央西線・辰野駅から代行バスに乗る

ここでもJR職員のきびきびとした仕切りで問題なく乗り換えができます。
伊那新町駅は田んぼとそば畑の風景の中にありました。
無人駅です。
残暑の日差しが照り付けています。

ホームで乗務する列車を待つ車掌さんに聞くと、不通箇所の鉄橋はくの字に曲がっており年単位の復旧時間が必要ではないか?とのこと。
伊那新町からの飯田線はダイヤ通りに運行している、とのことです。

毎年のように復旧まで年単位の時間がかかる災害に見舞われる国内の状況には不安を感じざるを得ませんでした。

飯田線・伊那新町駅ホームで飯田行列車を待つ

飯田線 中央アルプスに抱かれた風景を行く

初めて乗る飯田線は、辰野と愛知県豊橋の間を結ぶ単線です。
伊那谷を天竜川に沿って南下します。
長野県内でいうと伊那、駒ケ根、飯田、天竜峡などの主要駅を結んでいます。

今回乗車したのは伊那新町から飯田まで。
2時間15分ほどかかりました。

平地の直線路ではスピードを出すものの、天竜川の段丘上の地形を進むときには時速が40キロ出ていなのでは?と思うほどゆっくり進みます。
駅の数も多く、町や集落を拾いながら、蛇行して走ってゆきます。

飯田線というと、伊那市街地を通る線路を思い出します。
飲み屋などの建物のすぐ脇を通る線路を見て、街と線路の関係が路面電車のようだ、と思っていました。
飯田線の低速は、街との距離感の近さと関係があるのでしょうか?

飯田線・駒ケ根駅ホーム。彼方に中央アルプスが望める
飯田線社内のつり広告は、愛知県のレジャー施設のもの。沿線は名古屋の商圏。車内は天然のソーシャルデイスタンス。

駒ヶ根を過ぎたあたりから車窓の右手に中央アルプスが顔をのぞかせます。
里山、といってもそこそこの高峰ですが、の背後に見え隠れする中央アルプスの峰の姿は、人里の山とは一線を画す別世界の光景のようです。

車窓から中央アルプスの頂が見える(右端の雲の背後)
車窓左手には天竜川沿いに広がる田んぼと集落の風景

飯田の街を歩く

飯田駅に着きました。
飯田は人口数でいえば長野、松本、上田に次ぐ第四の都市です。
駅前から街を歩いて中心街の規模が上田より大きいと思いました。

飯田駅に着きました
飯田駅前の風景

着いたら、駅前の観光案内所へ行き、市内のマップをもらって、レンタサイクルを借りるつもりでした。
ところが観光案内所は閉鎖、レンタサイクルは貸出中止でした。
緊急事態下(長野県は宣言しておりません。人口比のコロナ感染率でも下から数えて数番目という低さです)での旅行がそもそも非常識だったのでしょうか。

観光案内所には臨時休業の張り紙が・・・

自転車がないので、隣村にある椋鳩十記念館へ行くのはあきらめました。
椋鳩十は飯田の隣の喬木村出身の作家で、サンカを題材にした小説を読んだことで興味があり、飯田に行ったときは寄ってみようと思っていたのです。

次に飯田城址に博物館と柳田国男記念館があるので歩いて行ってみましたが、臨時休館中でした。
非常事態だったのですね飯田。
というか県内が。

柳田国男と飯田(伊那・南信州地方)の関係は、柳田が民俗学のフィールドの一つとして紹介したことにあるようで、世田谷にあった柳田の書斎を飯田に移築したとのことでした。

博物館、記念館にも臨時休館の張り紙です
喫茶店の入り口にも・・・

緊急事態レベル5下でも人間、腹は減ります。
飯田は焼き肉の街として有名ですが、暑いので軽くラーメンでも、と地元の人気店へ行ってみました。

ネット情報通り昼時には人が並ぶ上海楼という店には実際に人が並んでいました。
並んで待って入り、中華そば並盛を注文。
どんぶりにナミナミ盛られたラーメンは、東京の今どきのこじゃれた風のラーメン屋の麺の3倍ほどの量があったでしょうか、満腹になりました。
地方の人気食堂の条件の一つが「量」であることを再認識しました。

昼食時人が並ぶ上海楼

飯田信用金庫の建物がそびえたつ中心街。
商店が多数入居する真新しい雑居ビルが並んだあたりは、最近の中心街の再開発の様子がうかがえます。
一方で古めのアーケード街も残っています。
映画館も2館残っていました。

銀座アーケード街
古くからあるといわれるトキワ劇場
映画館・千劇もあったが人気はない。
焼き肉の街・飯田を天下にアピールする堂々たる看板!
駅近くの焼き肉屋が並ぶ小路

飯田といえば人形劇フェスタという催しが毎年行われ、世界からパフォーマーが集まる場所としても有名です。

中心街にリンゴ並木といわれる並木通りがあり、リンゴの実が成っているのも素敵です。
自然環境のすばらしさを感じます。

お土産には地元の和菓子店でどら焼きときんつばを購入。
また、無人販売していたなしを2個買いました。

飯田人形フェスタの毎年のワッペンが並ぶ街角
中心街のリンゴ並木にはリンゴが実っていた

帰りの飯田線で大失態

3時間ほどの滞在で飯田を後にし、駒ケ根行きの飯田線に乗りました。

爆睡の後、乗っていた列車が駒ヶ根から引き続き伊那新町行き(本来は辰野行き)になるというので停車時間の間、改札口を出て駒ケ根駅前を歩きました。
中央アルプスの玄関口・駒ケ根の街の雰囲気を感じたかったのです。

戻ろうとすると列車が発車してゆきました。
私物のリュックを乗せたまま!

車内アナウンスで聞いたつもりの時間より早いのに!と思いましたが、確認すると時刻どおりでした。
思い込みによる失敗です。

自戒の念にさいなまれながらも、駅員に相談し、JRの遺失物センターへ電話で届け出。
次の列車で伊那新町に向かいました。

リュックには、時刻表、地図のほかお土産の和菓子やナシが入っています!
財布と携帯は身に着けていたのが幸いでしたが・・・。
軽トラや家の鍵もズボンのポケットに入っています。

約30分後の列車に乗り伊那新町に到着しました。
先行の列車がホームに停車し折り返しの出発を待っています。

その列車の車掌さんにリュックがなかったか聞こう、と最後列を歩いていると、わがリュックを持った車掌さんが降車客にそれを掲げながらホームの出口で待っているではありませんか。

リュックにお薬手帳が入っており、名前を確認したとのこと。
山小舎おじさんが名乗っただけで、持ち主確認できたとてリュックを渡してくれました。
持ち主が現れなかったら飯田駅で保管することになったそうです。

機転の利く、良心的な車掌さんに感謝しました。
辰野や岡谷など大きい駅に着く列車だったら、複雑な乗客の流れや車両の回送があったりして、手渡ししようにも困難だったでしょう。
伊那新町で折り返しだったので良かった、と車掌さんも言ってました。

飯田線が不通で代行バスにまで割り込んで地元に「迷惑」をかけ、目的地の飯田では緊急事態の連発で「締め出され」ても、最後に幸運があった!と思いました。
自分のボケが引き起こした、本来なくてもいいトラブルが原因とはいえ、急転直下の解決を幸運と感じ、最後にいい思いで帰途に就いた山小舎おじさんでした。

勝手な「思い込み」には気を付けなければなりません!

甲州トウモロコシ

トウモロコシの在来種を作りたくて、ネットで甲州トウモロコシの種を購入、育ててみた。

この品種、山梨の在来種とのこと。
昔の農家の縁側には、軒下にトウモロコシが吊り下げられていた。

干して保存し、粉にして使ったようだ。
もちろん来年の種にもなる。

近年、食用で出回っているトウモロコシはハニーバンタムなど軟らかい品種ばかりだが、F1種なので自家採種はできない。

トウモロコシの在来種を作ってみたくて、地元の人にも聞いてみたがはかばかしい返事はなかった。
当然、軒先にトウモロコシをぶら下げる風景も近隣ではとんと見かけない。

昔は実の硬いトウモロコシが出回っていて、風味のある味覚を味わうことができた。
山小舎おじさんは北海道育ちなので、地元では「ドン」といったが、ポン菓子というのか、コメなどを原料にした煎り菓子の実演が子供のころの楽しみだった。
利用客はコメを持ち込んで「ドン」を依頼するのだが、時々トウモロコシの実を持ち込む人もいた。
当然ながら在来種の実を乾燥させたものであったろう。

甲州トウモロコシは育てやすいことこの上なかった。
発芽率がものすごくよく、苗がよく育った。
定植後もどんどん伸び、背丈が2メートルを超えた。

ぐんぐん伸びる夏の日の甲州トウモロコシ

収穫後、ゆでて食べてみるが、とても食べられるものではなかった。
硬すぎるのだ。

奥さんはゆでた実をミキサーで砕いてコーンスープにして食べていた。
とてもおいしかったそうだ。

今回収穫した数本。
皮をはいでみると実がピカピカ光っている。
乾かして保存することにした。

乾いた後は粉にして食べようか。
鶏でもいたら餌にしたのに。

今回収穫した数本
軒先につるしました
実りの秋の風景に見えるでしょうか

ビリー・ワイルダーと「サンセット大通り」

山小舎おじさん、9月初旬にも自宅に帰りました。
その際、渋谷シネマヴェーラで「サンセット大通り」をやっていたので見てきました。
ここのところ気になっているビリー・ワイルダー監督の1950年作品です。

シネマヴェーラの作品紹介文

アメリカ映画は暴露ものが好きなのか?

「サンセット大通り」は名監督ワイルダーの代表作の一つ。
40年代から活躍し始めたワイルダーが評価を不動のものした記念碑的な作品でもあります。

ストーリーはサイレント時代の大女優が、時代がかった執事(往時の名監督で最初の夫でもあった、という設定)とハリウッド近郊の古い邸宅の中で暮らしているところへ、ひょんなことから売れないシナリオライターが迷い込み、大女優の妄執に翻弄された挙句、悲劇の結末を迎えるというものです。

大女優役は実際にサイレント時代のスターだったグロリア・スワンソンが扮し、執事役には実際にサイレント時代の名監督だったエリッヒ・フォン・シュトロハイムが扮しています。

左から、ウイリアム・ホールデン、グロリア・スワンソン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム

これって、いわゆる「暴露もの」ではないでしょうか。
そうじゃなかったら「あの人は今」的な「のぞき見」もの。

アメリカ映画には「市民ケーン」(1941年 オーソン・ウエルズ監督)で当時の新聞王ハーストを批判的に描き、「独裁者」(1940年 チャールズ・チャップリン監督)で当時の対立世界の覇者ヒトラーをカリカチュアライズした、という「実績」があります。

当時のハーストを扱うということは、現代でいえは、ステイーブ・ジョブスだったりビル・ゲイツといった億万長者兼実業界のカリスマの裏面を暴くようなものでしょう。
また当時、勃発中の第二次大戦の主役の一人だったヒトラーを馬鹿にすることは現在でいえば習近平やプーチンにケンカを売るようなものでしょう。

その点、ワイルダーの「サンセット大通り」はすでに名声時代が過ぎ去った主人公たちを扱っています。
本人たちが納得ずくで没落した人物を演じるのですから、名誉棄損の批判を受ける心配もありません。
ワイルダーの狡さというか意地悪さが見て取れるのは私だけでしょうか。

主人公二人のほかに、セシル・B・デミル、バスター・キートン、ヘッダ・ホッパーなどの映画人を実名で登場させ、ヴァレンチノ、グリフィスなどの実名をセリフで言わせていますが、そこでは抑えた演出をしています。

ワイルダーにとっての暴露すべき悪とは

ワイルダーの演出は、主人公二人(スワンソン、シュトロハイム)については、暴露もの的な意味で、デミル、キートンについてはあの人は今的ない意味で使っています。

スワンソンとシュトロハイムに関しては思いっきりイジワルな演出をしています。
が、ワイルダー自身にはほとんど危害が及ばないところがミソです。

後で述べますが、結果としてスワンソン、シュトロハイムに関しては悲惨さよりはアイコンとしての貫禄が画面から漂い、ワイルダーの毒というか本心は露骨に表れない、という結果になっています。

表面には現れませんが、ワイルダーがケンカを売りたかったのは、ハリウッドシステムの尊大な滑稽さで、大女優と執事はその犠牲者という位置づけだったのかもしれません。

ワイルダーにとって本当の敵とは何だったのか?
祖国からの亡命を余儀なくさせたナチスドイツか?ユダヤ人という宿痾か?尊大で欺瞞に満ちたハリウッドシステムか?
それぞれのテーマをある程度は匂わせながら決して肉薄しないのがワイルダーです、隠しきれない毒は画面のそこかしこに現れてはいますが・・・。

ワイルダーは正義派でも社会派でもありません。
良い作品ができる題材と、多少は自分の毒が満足できる演出ができればそれでいいのでしょう。
自分に危害が及ばないのなら、他人の尊厳、プライバシーを犯すことに良心の呵責はありません。

1950年制作の「サンセット大通り」まではそれでも際物的な要素のも取り入れながら作品を作っていましたが、名声を得た50年代以降は際物的な要素は少なくなってゆきます。
「サンセット大通り」は転換期に当たる作品なのではないでしょうか。

グロリア・スワンソン

なお、暴露ものというジャンルはアメリカ映画の専売特許ではありません。
日本映画には権力者を批判的に描く骨のある暴露ものの作品はあまり思い浮かびませんが、実録もの、事件の再現ものなどのジャンルがあります。

事件の再現ということでは、あの阿部定がのちに座長として巡業したとか、アナタハン事件の後で事件の女主人公が再現劇で巡業したなどの話を聞きます。
暴露ものがあらゆるメデイアにとって親和性のあるジャンルということがわかります。

「サンセット大通り」の表面上のモチーフの「年増女が若い燕に狂って破滅する」は、2時間サスペンスや、ワイドショーのネタ、ドリフのコントのネタ、などとして綿々と受け継がれてもいます。
事実この作品を見ていて、コントみたいだと思った瞬間がありました。

それを防いだのはグロリア・スワンソンの存在そのものでした。
老醜、妄執がコンセプトの大女優役に於いて、当時50歳のスワンソンが実に魅力的だったのです。
まだまだきれいで、いわゆる怪奇派としての老嬢役に収まりきらない魅力が垣間見れるのです。

自分が所属していたマック・セネットの水着ガールやチャップリンの物まねまで再現、披露します。
ワイルダー演出は老嬢の若作り、悲惨さを狙ったのかもしれませんが、さすが往年のスター。
演技がしっかりしており、ポーズも決まるので単なるカリカチュアにとどまらないスワンソンの演技に、山小舎おじさん、魅入ってしまいました。

ストーリーの間に挟まる、若い燕・ホールデンと若い女性の逢引のシーンの方が70年前のアメリカ映画の古臭さを隠しきれないのに対し、スワンソンが出てくるシーンは時間が超越されているようでした。
本物は、類似品がのちにテレビのコントになって消費される時代が来ても古典として残るのだなあと思いました。

スワンソンの演技は、暴露ものという映画の設定を突き破り、自身のキャリアの尊厳を逆説的に主張しているかのようでした。
その点が作品に深みと救いをもたらしてもいます。

それがワイルダーが最初から意図したものだったかどうかはわかりません。

まだまだ魅力十分なグロリア・スワンソン

青春18きっぷ  飯山線の旅

今年の夏の青春18きっぷ、2回目を使っての旅です。
茅野→松本→長野→飯山のルートで往復の小旅行です。

07:33~08:23 茅野→松本 中央線

朝の茅野駅から出発です。
2学期が始まった高校生たちでホームがいっぱいです。
たくさんの高校生たちが乗車しましたが、彼らはなぜか座ろうとしないのでベンチシートの座席はところどころ空いています。

座って松本まで行けました。
高校生たちは上諏訪、岡谷と順繰りに下車してゆきます。
岡谷を過ぎると時間的にも車内は勤め人、学生風の乗客ばかりとなりました。
早くも予報通りの夏の日差しが照り付けます。

朝の茅野駅ホーム。この後人が増え続けホームは満員状態に

08:40~09:58 松本→長野 篠ノ井線

松本からは篠ノ井線普通列車のみすず号で長野を目指します。
普通列車ながら愛称付きの列車です。

しばらくは犀川に沿って低地を北上します。
安曇野市の明科という駅でかなり人が下りました。
篠ノ井線は松本と安曇野を結ぶ路線でもあるのです。

運転手は女性です。
運転見習い中の男性を指導しながら運転しています。

松本駅で普通列車みすず号の出発を待つ。左は特急あずさ
この日の運転は女性が。見習いさんを乗せている

明科を過ぎるといよいよ長野方面に向け線路は山越えに入ります。
しばらくは山間の田園風景の中を進みます。

聖高原を過ぎ、姨捨にかかるあたりが峠です。
姨捨の駅をスイッチバックで越えた列車は、善光寺平に広がる長野市を眼下に見ながら山を巻くように下ってゆきます。

峠に向かわんとして小休止の篠ノ井線。冠着駅で
姨捨から眼下に善光寺平を望む

県内最大の都市長野に到着。
飯山線の発車までの間、改札を出て近代的な駅ビルの中を散策します。
いつもながら長野駅の駅ビルの県内土産の取り揃えはぴかイチです。
地酒、ワインや発酵食品など県内の名産品を見ると欲しくなります。
帰りに寄ることにします。

近代的な長野駅で途中下車

10:29~11:14  長野→飯山  飯山線

2両編成の飯山線、越後川口行きの列車に乗ります。
長野から信越線の新潟県・越後川口までを結ぶ路線が飯山線です。
初めての乗車です。
今日は新潟県境の町でもある飯山で下車することにします。

長野駅での再入場時に間違って今日2度目のスタンプが押されてしまった!
ホームでは越後川口行きの2両編成が待つ
車内風景。さあこれからが旅の始まりだ!

飯山は古くから越後と結ぶ物資の流通ルート上に位置し、信州の北の玄関口と呼ばれていました。
現在ではウインタースポーツで有名な野沢温泉村、木島平村、斑尾高原などの玄関口としても有名です。

途中から千曲川に沿って飯山線は進みます。
長野を出ると県内には大都市もなく、乗客数は少ない車内ですが、沿線の集落は家々の数も多く、なんとなく昔からの富の集積を感じさせます。

千曲川に沿って飯山線は進む
旺盛な夏草の茂りが車窓を打ち叩かんばかりの一瞬!

飯山をさ迷う

飯山駅に到着しました。
北陸新幹線が止まるようになって新築されたのでしょう、立派な駅舎です。
さっそく観光案内所で市内のマップを入手します。
ついでレンタサイクルを調達します。

新幹線開通で威容を誇る飯山駅

駅ビル内のレンタサイクルショップ。
自転車に限らず広くアウトドア関連のグッズが展開するショップになっています。

ここのお姉さんが親しみやすい人で、市内の見どころから雑談に至るまで、おじさんのお話相手をしていただきました。
初めての土地でのざっくばらんな人との出会いに不安も解け、親しみがいや増す山小舎おじさんです。

お姉さんありがとう!
(レンタサイクルの返却時に、地元で人気のパテスリーヒラノで買った洋菓子2つを、貴重な情報のお礼にお渡ししました。)

駅ビル内のアウトドアショップで自転車をレンタル
マップを片手にお姉さんから情報収集

昼飯はレンタサイクルショップのお姉さんも御用達のイナリ食堂へ。
限定のかつ丼を頼んでみました・・・。

結論を言うと後悔するほどの大盛でした。
道理で体育会系の若者がどんどん入ってくるわけだ・・・。
それでも飯を完食、食べきれなかったカツ3切れをテイクアウトしてもらって這う這うの体で店から出ました。

(レンタサイクルショップのお姉さんに「食べきれなかった…」と報告すると「やっぱり…」と言ってました。)

地元で有名なイナリ食堂へ
見よこのボリューム

カンカン照りの陽気に苦しい腹。
自転車でマップを頼りに、ふるさと館、雁木通り、飯山城址、商店街と市内を回ります。
合間に神社仏閣にもチョイスして寄ってみます。

ふるさと館の近くに神社があったので寄ってみました。
稲荷神社です。

片山稲荷神社
階段を上ってお参りした

雪国独特の雁木という昔のアーケードが残る商店街がありました。
レンタサイクルショップのおねえさんの情報で知った雁木通りです。
情報は地元で仕入れるに限ります。

通りの両側に仏壇屋が並んでいます。
通りの山側にはお寺がずらりと並んでいます。
まるで仏壇屋がお寺の出店として並んでいるような塩梅です。
案外そういうことだったりして。

雁木通りのはずれからはジャンプ台が見えます、さすが雪国です。

雁木通の標識
雪国ならではの雁木が続く
雁木通りの山手にはお寺が続く。大聖寺のお地蔵さん

飯山城址公園にもゆきました。
上杉謙信が信州侵攻の出城として築いたという飯山城。
千曲川と街道を見下ろす地勢上の要衝にありました。

天守付近に立つ城跡の標識
城址公園内の風景

商店街は地方都市の例にもれず閑散としています。
その中にガイドブックに載るような店がポツンぽつんと営業しています。
目抜き通りの土地は廃業したものの旧オーナーたちの支配が続き、それ以外の場所で若い事業者たちが商売を始めている・・・ということなのでしょうか。

洋菓子、ウナギ、笹寿司など元気そうな店が点在してはいました。
本屋も残っていました。
飲み屋は点在していましたが、いわゆる飲み屋街らしきものは見当たりませんでした。

市内本町付近の商店街
駅近くの公園に置かれたC56蒸気機関車が雑草に覆われていた。かつては飯山線で活躍していたことであろう

かつては越後とのルート上の町として数多くの料亭が軒を連ねたといわれる飯山。
その時代を知る名残は、たくさんのお寺と雁木通の仏壇屋だけになっているようです。

現在の飯山は、新幹線の開通と、アウトドアレジャーで巻き返しを図っていますが、頼みは野沢温泉村に定着し、斑尾高原などに進出しつつあるという(レンタサイクルショップのお姉さん情報)外国人、ということになるのでしょうか。

自転車の返却時、情報のお礼に洋菓子を渡すと、お姉さんはとても喜んでくれました。
アンケートに答えると「信州IIYAMA」のネーム入りペンをくれました。

15:58分の長野行列車で飯山を離れ、長野駅でお土産を仕入れて帰りました。

お土産。甘酒(飯田)、日本酒(佐久)、みそ(岡谷)、ラーメン(長野)