ベランダ塗装でDIY! 床編

ベランダの床を防水・防腐塗装しました。

デッキブラシを使って水洗いし、乾かしたベランダの床。
日頃通ることが多い箇所は塗装が剥がれたり、床板がへこみ気味になっています。
洗浄すると、床板の傷みなども浮き上がります。

水洗い完了後のベランダ。よく見ると経年劣化している

塗料はナフタデコール。
外壁、デッキなどの塗装は、ドイツ製のキシラテコールという塗料が使われることが多く、例えば役場の発注工事などでは、使用塗料として指定されることが多いそうです。
しみ込み型の油性塗料で高性能ですが高いのが難点。
一斗缶(16リットル)で2万円以上します。

ナフタデコールは山小舎おじさんのバイト仲間から教えてもらったもので、現在、通販でしか手に入らないようですが「キシラテコール同様性能品」をうたう日本製品です。
くだんのバイト仲間が使ってみて「問題ない」というので山小舎おじさんも取り寄せていたものです。

取り寄せたナフタデコール。一斗缶で1万4千円ほど。

当時は山小舎全体を焦げ茶色(材木の自然経過による古民家風の色)で塗ろうかと思っていたので、焦げ茶色のナフタデコールを注文しました。

実際、台所側の外壁を焦げ茶色で塗装していました。
ところが山小舎の外壁は洗えば洗うほど、ピカピカした材質が現れるのです。
そこで、台所側以外の外壁は本来の材質に寄せた色(ビニーと呼ばれる黄土色)に変更し、塗料を再発注しました。入手済みの焦げ茶色の缶はベランダ床や、柵、柱の上塗りに使うことにしました。

ということである晴れた日に塗装開始です。

ナフタデコールは適度に粘りがあり、伸びもよく、使い勝手が良い塗料でした。

ベランダ床は、20年前とはいえ塗装済みの場所ですので、さらさらとしみ込むだけの塗料でははじかれるだけとなりかねませんが、適度な粘り気により、はじかれることもありませんでした。
むしろたっぷりと色が乗ってしまって、乾くのが遅くなりはしないかと心配するほどでした。

塗り始める。塗料のノリとノビは良い
ベランダ半分ほどの塗装を完了。光っている部分は塗り方が下手だから・・・

重ね塗りするかどうかは乾いた後に様子を見て決めますが、オリジナルの塗装が剥がれた部分以外は必要なさそうです。
手元に余ったと料はベランダの柵や柱の重ね塗りに使いました。

ベランダ柵や柱はケミソールを何度も塗っていますがこの通り。今後、ナフタデコールで重ね塗りします

ベランダ側の外壁を洗う

山小舎を塗りなおしています。
雨に当たるベランダ部分、外壁など。
材木にしみ込んで防水、防腐に役立つ油性塗料を塗っています。

今回はベランダ側の外壁の塗装準備として、外壁の洗浄を行いました。

まず、ベランダに置いてあるものをどけます。
全部はどけきれないので、まず面積にして半分程度の片付けを行いました。

空いた部分の外壁とベランダ床を洗浄します。

片づけ終わった該当部分。新築以来の埃が付着しています

ホースを伸ばします。
どうにか届きました。

ホースから水を出して該当部分の外壁と床に水をかけます。
いったん水を止めてたわしでこすります。

雨水などが直接はかからない外壁ですが、築何十年の汚れはありました。
たわしでこすると埃などの汚れが浮いてきます。

外壁に水をかけます
たわしでこすり汚れを浮かします

汚れが浮いたところで、ホースの水で洗い流します。

新築時のような材質が浮かび上がりました。
くすんだ茶色ではなく、キシラテコール塗料の色柄でいえば「ビニー」と呼ばれる切りたての材木のような色です。

浮いた汚れを洗い流します。
ついでに床もホースで水洗いします。

2,3日乾かしてから塗装します。新築時の木材の色が再現できるでしょうか、楽しみです。

床はホースで水だけかけたのですが、翌日見ると汚れが縞になって残っていました。
翌日デッキブラシを使ってやり直しました。
ベランダ部分は、柵に合わせて床も焦げ茶色に塗ることにします。

玄関脇はと二度目の塗装をしました
台所側の外壁です。防水性の高いケミソールを塗ったので焦げ茶色になってしまいました。高いところもほぼ塗り終わりました。

また丸太が来た

業者さんが丸太を持ってきてくれました。
今年は、カラマツを中心に少々のナラなどを2,3回持ってきてくれました。

今年の丸太はもう終わりかな?と思っていた10月初旬。
畑から戻ってみると、シラカバの丸太が山のように放り出されていました。

久しぶりのシラカバです。
シラカバはカラマツよりは割りやすく、ナラなどの広葉樹よりは乾きやすいので山小舎おじさん的には大歓迎です。

森林業者的には、シラカバはカラマツと並んで利用価値のない木材のようです。
家具や建築材、土木用の丸太として一部利用されているカラマツの方が価値があるのかもしれません。
いずれにしても、捨てる場所に困り、廃棄するには金がかかる丸太だからこそ山小舎にやって来るのではありますが。

ある日山小舎に帰ってみるとシラカバがどっさり

とりあえず、道路のはみ出さんばかりの部分を切り落とします。
といっても丸太の数が多いので、1時間(チェーンソーのオイルと燃料を満タンにして2回分)かかってこれくらいの仕事量です。

玉切り仕事の効率にはチェーンソーの刃の切れ味がものをいいます。
切れなくなるとほんとに仕事が進みませんので、事前の棒やすりによる刃の研ぎや、チェーンのテンションの調整が大切です。
全部を玉切りし終わるにはどれくらい時間がかかるか?
冬までに終わるか?

一時間ほど、道路際に突き出た丸太を玉切り

さて、この冬の薪は十分にあるのですが、乾かすために積んである場所から利用しやすい場所への移動をしなければなりません。
新しく割った薪を積む場所を空けなければなりません。
また、今年はベランダやベランダ側の外壁の塗装を考えています。

というわけで、
①ベランダの塗装予定部分を片付けて塗装前の洗浄、塗装をの準備をする
②ベランダの片付けものを一時保管する場所を確保する
③乾いた薪を手元に移動するとともに、新しく割った薪の積み込み場所を確保する、
の3命題を関連して履行することになりました。

そのための片付けをスタートします。

ベランダのものを軒下に移動します。
そのために軒下の薪を撤去します。

軒下の薪を撤去。空いた場所にベランダのものを移動

焚き付けなどの置き場に使っていた木製のケースですが、取り去ってみるとベランダの床は埃まみれです。
このをきれいに洗浄して、防水・防腐塗装を施すことにします。

一度に全部のベランダを洗浄・塗装するのは難しいので、2,3回に分けて行うことにします。
同時に外壁を洗浄・塗装します。
この部分の塗装が終わったら、次の部分のものをどけて塗装しようと思います。

片付け後のベランダと外壁

ベランダには薪、焚き付けのほか、コメ袋に入ったもみ殻、ぬか、燻炭など。
刈払機、オーガなどの機械類。
塗料類。
収穫した芋類、などが置いてあります。

雨がかからず、日陰で、活動ヤードに近いこの場所は納屋代わりに使うのに便利な場所なのです。
が、とりちらっていますし、埃、落ち葉などが溜まりやすくなっています。
今後は、米袋類はベランダ下に置くなどし、ベランダの整頓と保全に努めたいと思います。

整理整頓を待つベランダ

シラカバの丸太がやってきたことに関連して、いろんなことが起こる山小舎でした。

グロリア・スワンソンと「舞姫ザザ」

ここのところ「失われた週末」「サンセット大通り」とビリー・ワイルダー監督作品づいていた山小舎おじさん、「サンセット大通り」でグロリア・スワンソンを「発見」し、大いに気になっていたところ、渋谷シネマヴェーラのサイレント映画特集で、スワンソン主演の作品をやっていたので、自宅帰還の折に観た。

シネマヴェーラのパンフレットより。ピンボケですみません

「サンセット大通り」(1950年)では、自身がモチーフともいわれる、サイレント時代の大女優を演じた当時50歳のスワンソン。
作品は監督ワイルダーの屈折した皮肉を絡めた、ある意味「ハリウッドの暴露もの」であったが、そこで自分自身をカリカチュアライズした人物を演じながらも、決して役柄に埋没せず、むしろ存在感を発揮したのがスワンソンだった。

50歳にしてかつての美貌と輝きを十分に残しつつ、軽やかな動きもこなし、華美な装飾を着こなす姿は、おそらくはワイルダーの演出意図を越えたものとなっていた。
そこにあったのは「没落した妄執の老女優」ではなく「かつての栄華の残り香をしっかり残したベテランスターの余裕と貫禄の姿」だった。
スワンソン全盛期のサイレント映画を観たいと思った。

「舞姫ザザ」は1923年の作品。
タイトルにはアドルフ・ズーカーの名前がクレジットされている。
のちのパラマウント映画の配給である。
パラマウントはスワンソンのキャリアの舞台となる。
制作はアラン・ドワン プロダクション。

パリの場末の舞台のスターだったザザ(スワンソン)が身分違いの外交官と道ならぬ恋に落ちるストーリー。
チャームポイントのあごのほくろに星のマークを付け、過剰な舞台衣装をまとったスワンソンが、鼻持ちならない売れっ子女優として、ライバルとキャットファイトし、止める男を蹴っ飛ばし、足を踏ん張り、万歳し、顎を上げてミエを切る!
23歳の颯爽としたスワンソンがスクリーンを駆け巡る!

サービス精神旺盛で、アクションシーンをいとわず、プライド高く、派手好きだが、お茶目でかわいげのあるキャラクターがすでにそこにはあった。

クジャクの羽飾りの帽子を被った場面では「サンセット大通り」でセシル・B・デミルに会いにパラマウントのスタジオを訪問するシーンを思い出した。
「舞姫ザザ」ではたくさんの羽で帽子を飾っていたが、「サンセット大通り」では帽子の羽は1本だった。
クジャクの羽の数が、スワンソンに関しては「ザザ」の時代がオリジナルで、「サンセット」はそのパロデイであることを物語る。

ストリーは波乱万丈、金のかかったセット。

サイレント映画といえばグリフィスの「国民の創生」やヴァレンチノの「血と砂」、チャップリン、キートン、マルクス兄弟、くらいしか見たことはなかった。
そこにあったのは途方もなく金と人数をかけた場面だったり、スターのとびぬけた存在感だった。

「舞姫ザザ」をみて、サイレント時代すでに映画は完成され、スターの個人的な才能のみに寄らない総合的な文化となっていることを確認できた。

サイレント時代のスワンソン
宝塚風とでもいうのでしょうか、ヴァンプ風を意識した孤高のメイクのスワンソン
デミル好みというのでしょうか、サロメ風メイクのスワンソン

淀川長治さん日曜洋画劇場25周年記念として出版した「MyBest37」という本があり、スワンソンについても1章が割かれている。

1952年にアカデミー協会の招きで渡米した淀長さんが、協会長のチャールズ・ブランケットと立ち話をした際、スワンソンの話となった。
ブランケットは当時ワイルダーと組んでおり。「サンセット大通り」の製作者でもあった。

「スワンソンの生き字引」を自任する淀長さんが話を盛り上げると、ブランケットが「スワンソンと会いたいか」と聞いた。
「会えたら死んでもいい」と淀長さんが答え、その場でブランケットはスワンソンに電話した。

後日、ハリウッドの豪邸で4時間会見し、ニューヨークのホテルでも会った。
豪邸での会見で財布を忘れてきた淀長さんにスワンソンから電話がかかり、ポーターがホテルまで届けてきたそうだ。
淀長さんを生涯魅了した女優の一人がグロリア・スワンソンだった。

トーキー世代のスワンソンファンにとってはこの写真になってしまう。「サンセット大通り」より

リンゴの季節

信州の果物の1年は、初夏のアンズに始まり、夏の桃(ネクタリン、ワッサーを含む)、プルーンと来て、秋のイチヂク、ブドウ、柿、リンゴで終わります。
リンゴのわせの品種は9月から出回り、11月のフジまで続きます。

今日は南箕輪村というところの直売所で仕入れてあった紅玉を加工してみました。
5玉入って400円でした。
例年ならもうちょっと安かったような・・・。

原料の紅玉を取り出します
四つ割りにして芯をとります。ここで再び水洗い
皮付きのまま鍋に移して砂糖をかけます。ザラメを加えました
ストーブに乗せて煮ます。焦げ付き防止に水を少し入れておきます。同時に瓶の煮沸もします
煮えてきました。好みでレモンを加えても
煮えたら舞台をガスレンジのある台所へ移します。煮沸した瓶と蓋を布巾に乗せておきます
瓶にジャムを入れ、蓋をした後減圧してから蓋をきつく締めます

又々・諏訪の神様が気になるの 守屋山

諏訪大社上社の奥宮にしてご神体、依り代ともいわれる守屋山に上ってきました。

この絵地図を参考に登ってきました

雨上りの翌日。
茅野へ下りて杖突街道を上がります。
杖突峠の展望台を過ぎ、伊那市に入ってすぐ、守屋山への登山口があります。

この日、登山口の駐車場にダンプが集まって道路工事の準備をしていました。
軽トラで乗り付けた山小舎おじさんがおろおろしていると、あとから来た電設会社の車が山道を上り始めました。
登山道の途中のキャンプ場までは車道があることを聞いていた山小舎おじさんは、電設会社の車の後をついてゆくことにしました。

杖突峠を伊那側に越えたあたりに登山口があります
奥の駐車場には登山客の車が止まっています。平日ながら人気の山であることがわかります

雨水に掘られた後も生々しい砂利道を時速10キロくらいで登ってゆくと、メガソーラーというのでしょうか、斜面一面にソーラーパネルが張り巡らされ、送電施設が併設された場所で、電設会社の車は止まりました。
登山道は続いています。

登山道を軽トラで登ってゆくと・・・・
途中にメガソーラー基地がありました

山すその気配も濃厚になった頃、キャンプ場に着きました。
車が通行できる林道はここまで。

軽トラを止めてキャンプ場経由、登山道へ入ってゆきます。
駐車場から歩いてきたという中高年の男女3人組が小休止していました。

キャンプ場から徒歩でスタートです
手作り感あふれるキャンプ場を象徴する看板です

ここから約1時間。
雨に濡れた粘土質の道を上ってゆきました。

いつも思うのですが長野県の山道(登山道、車道を問はず)は、少々の斜度であれば直線的に上ってゆく傾向があるのです。
蓼科山もそうでした。
山を巻いてゆっくり上るよりは、脚力を頼みに駆け上ることを信条としているのかもしれません。
さすが山に囲まれた歴史を持つ信州の土地柄です。

湿っている道は、粘土の地面より木の根に注意します。
湿った木の根を踏ん張るとツルっと滑ってしまうのです。

登山ルートは急な場所もありますが、案内板が整備され間違えようはありません

肌寒い気温でしたが汗だくになります。
久しぶりの山歩きは全身運動で非常に体に良いのですが、体内が一巡してスッキリするまではひたすら汗と熱気が放出されてゆきます。
呼吸も荒くなります。
山頂の奥宮への参拝を楽しみに上ります。

東峰の山頂が見えてきました

守屋山東峰は標高1631メートル。
360度のパノラマで、八ヶ岳から諏訪湖、南アルプスまでが一望できます。
山頂は今までの湿気と肌寒さが嘘のように晴れ渡っていました。

山頂から南側の高遠方面を望みます
東南方面、八ヶ岳を望みます
諏訪湖上空の雲が晴れ渡りました

奥宮は西峰方面へ少し下がったところにありました。
守屋神社とあります。
氏子総代として守屋姓の名前が記されています。

かつて雨乞いのために山頂からけり落されていたという祠と、現在の石の祠は違うもののようです。
付近にはやはりというか、諏訪のご神体である「石」の一団が配置されていました。

山頂には平日にもかかわらず、登山客が入れ替わり現れていました。
いくつものルートがある守屋山は地元のハイカーにとって親しみやすい山のようでした。

登山道は特色もないのですが、頂上に立った時のすがすがしさと、信州中部の山々を一望できる眺めは素晴らしいものがありました。
諏訪大社の奥宮としてこれ以上のない立地だと思いました。

山を下り、伊那方面へ下りました。
いつもの杖突街道ルートではなく、千代田湖畔を通るルートを走ってみました。

守屋山の東方向、金沢峠のふもとにある千代田湖という人知れぬ湖
湖畔の旅館は休業中だった

伊那市へ下りてから車を置いて久しぶりに街中を歩いてみました。
いつも思うのですが、伊那市はどこかとぼけたような、明るさのある、味のある街だなと思いました。

歩く場所は毎回同じようなところになってしまいます。
街角には、1年や2年では変わらないような歴史のしぶとさがにじみ出ていますが、それでも昨今の「緊急事態」にダメージを被った感も少し見えたような気がします。
変わらずに頑張ってほしいのですが。

天竜川を渡り伊那市中心部に入ると・・・
旅のお客に対する「ローメン」からのお出迎え
ローメンの碑が建っている
脱力系ギャグでも旅人たちをウエルカム
居酒屋の張り紙にもご時世柄が・・・
改めて飯田線と伊那の街の親和性を感じる景色
そういえば町の景色もアバンギャルドな気が・・・
上田映劇、塩尻東座と並ぶ県内3大シアター(おじさん談)伊那旭座は健在
旭座2はささらに渋い

南箕輪村を通って帰ります。
南箕輪村ではいつも直売所によります。
ブドウ、リンゴの季節です。
今年はマツタケが豊作で値段も安いとのことでたくさん出ていました。
自宅のお土産にたくさん仕入れました。

イチヂク、ブドウ、マツタケ、紅玉、地粉などを仕入れる。マツタケの安さは記録的?

第三次・護岸工事で DIY!

山小舎の裏の土手に、3つ目の護岸用の丸太積みをしました。

そもそも山小舎の立地は斜面です。
斜面にある程度の盛り土をして家を建てています。

さらに山小舎の場合、斜面下に小川が流れています。
普段の水流はないのですが、大雨の後は1週間ほども水が流れつづけ、マックス時には轟々と音を立てて流れます。

水が引いた後行ってみると、川底には石がごろごろと転がっており、川岸が削れていたりもしています。
川岸の盛り土には、山小舎の前オーナーが設置したであろう、苔むした丸太が転がっています。
前オーナーも盛り土の護岸を意識していたのです。

不肖山小舎おじさんも先達に習い護岸工事のための土留めを設置してきました。
今までに2基の土留めを作りました。

この8月の大雨でも急流が発生し、川底には大きめの石が新たにゴロゴロしていました。
幸い2基の土留めは倒れたりしてはいませんが、補強のための石などが水流により散らばっていました。

そこで、2基の土留めのメンテナンスをすると同時に、3基目の土留めを設置することにしました。
なお、新たな土留めの工事は今期の活動予定にも入れていましたが、丸太が重かったりで腰も重い状況でした。
丸太運びは息子が来小屋した際にヘルプを頼もうと、思ったりしていました。

意を決して現場へ行ってみます。
散乱した石を土留めの足元や裏側に積みなおします。

水流は土留めの足元を洗っており、このままだと次回の水流で土留めの杭が揺るぎかねません。
特に1基目の土留めは、石だらけの河原に杭を立てているため、杭が深く打てていなかったり、また杭そのものがホームセンターにあるちゃんとしたものではなく、そこら辺の細めの丸太を使っているため強度に不安があるのです。

一度バラバラになった石を土留めの足元に集めなおします

ついでに丸太と杭を針金で縛って補強するなどしました。

3基目の土留めを、既存の二つの土留めの間に打つことにしました。

杭はホームセンターで購入し、焼いた後コールタールを塗ってあります。
杭を打つのは、河原ではなく土手ですので基本的にハンマーでたたくと入ってゆきます。
強度を確かめながら杭を3本打ちます。

新たな土留めを設置する場所に杭を打ちます

杭に渡す丸太を長さに合わせて切ります。
土留めに使う丸太はカラマツ材です。
まっすぐで広葉樹より軽くて「安い」のです。

今回は短めの3本を用意します。
おじさんの自力でも運べました。

このカラマツは燃料用に丸太を持ってきてくれる業者さんに「細めのやつも一緒にお願いします」と言っておいて入手しました。
燃料用には中途半端な直径の丸太ですが土留め用にはちょうどよいのです。

土留め用の丸太を選別しておきます。サイズに合わせて切り、でこぼこもなるべくカットしておきます

丸太を運び、杭に合わせて積んでゆきます。
2段目3段目は杭に針金で結びます。

1本目の丸太を運びます
2本目の丸太を運びます
3段目を積んで針金で固定します。背後の苔むした丸太は前オーナーが置いたものです。

この土留め、これで完成ではありません。
大雨や急流が来たとき、土留めだけが残って土手が崩れたり、土手が泥となって土留めの間から流れ去ってはどうしょうもありません。
土留めが土手の最終ラインとならなければいけないのです。

そこで次の作業として、現在の土手と土留めの間を、土嚢や石などで埋めなければなりません。
護岸工事はまだまだ続きます。

現状の護岸。補強と、4基目の設置。土嚢の設置が次の目標です

小豆の脱穀、選別

収穫した小豆を脱穀しました。

小豆の収穫自体初めての経験です。
鞘に入った豆は手で一つ一つ外して脱穀できます。
とはいえ、ある程度の量の鞘をいちいち手で脱穀することはできません。

豆の鞘を棒でたたいて脱穀する風景を思い出しました。
伝統的農家は回し棒という、鞘にぶつける部分がくるりと回って、スナップが効いた打撃を与えることができる農機具で脱穀するようですが、素人の山小舎おじさんは棒なら何でもいいでしょう、とホーキの柄を使うことにしました。

畑でハザ掛した小豆を持ってきました
鞘だけを切り外しました。本職は行わない作業です

収穫後干してあった小豆の樹から鞘だけを切り取ります。
農家では樹そのものをシートに積んで、回し棒をでぶったたいているようですが、切り取るひと手間を加えてみました。

鞘が乾いていると棒の打撃で鞘が開き、豆が飛び出してきます。
なるほどこれは効率的だ。

シートの上で周り棒ならぬホーキの柄で鞘ごとたたきます
豆が飛び出してきます

豆の姿を見た山小舎おじさん。
早くも豆の収穫が終わったような気になりましたが、小豆を処理する作業はこれからが本番でした。

シートの上には空の鞘と豆だけが残っている、はずなのですが・・・。
そこには大量のゴミ(枯草、枯れ枝、砕けた鞘など)と規格外(かびていたり、壊れていたり、黒くなっている)豆が混じっていたのです。

脱穀の後は選別という作業を行わなければなりません。
伝統的農家では、送風によるごみの選別の後、豆の大きさに合わせたフルイを通して選別しているようです。
山小舎にはそんな道具はもちろんありません。

シートの上のものをザルに集めました。豆のほかにゴミが相当あります

ゴミ取りと選別は手で行います。
時間がなければできない仕事ですので当然後回しの仕事になります。

100円ショップで選別に手ごろなザルを探してみたりしましたが、ぴったりのが見つかりません。
最終的には、農協で専用のフルイを買うしかないのかもしれません。

時間を見つけて、秋の日差しに当たりながらの選別です。
ごみと食べられない豆を捨てます。
大きさにはこだわらず食べられる豆は食べてみようと思います。

秋の陽だまり、ときどきハチやトンボが来て様子を見てゆきます。
選別するおじさんの手にトンボが止まろうとしました。
うれしかったのですが、忙しいのでトンボを追い払ってしまいました。

陽だまりでの選別作業その1
かなり選別できました。。

暑さ寒さも(令和3年の)彼岸まで

令和3年も無事、秋のお彼岸を迎えることができました。
いつ何が起こるかわからないこの時代。
既に「起こっている」じゃないか、といわれればその通りなのですが・・・。

9月の収穫と畑

9月の畑の収穫です。
8月以降、大雨があったり、低温があったり。
ここ最近は30度に近い夏日もあったりします。

畑ではキューリ、ズッキーニが終わりました。
トマトもミニトマト以外は着菓もなくなり、青い実も赤くなる時には傷んでしまうことが多くなっています。

ナス、ピーマンは案外しぶとく、樹自体が元気に生き残っているうえに、ぼちぼちと実もつけています。

この日の収穫。1週間ぶりの収穫です。右上はハックルベリー

ハーブ類も植えていますが放任状態です。
それでも何の気なしに東京に送った、花が咲いたペパーミントや、バジル、エゴマなどに反響があります。
都会の人に新鮮なハーブがアピールするのであれば今後とも栽培を続けようと思います。

穂ジソも収穫してみました。案外東京では人気です

これから収穫期を迎える作物も無事育っています。里芋、ヤーコンは背丈が低いのが気になりますが収穫量と味が肝心です。
菊芋はきれいな花が咲きました。

今年の里芋。夏の間にもっと猛々しく茂ってほしかったが。
今年のヤーコンは丈が低い。問題は収穫量だ
菊芋の鮮やかな花に癒される

カマキリが二匹

野菜の収穫ケースで虫が羽ばたいているので見たらカマキリでした。
ケースをどけてみると2匹います。
交尾の時期なのでしょうか。
とすれば最終的にオスはメスに食べられて子孫のための栄養となるのでしょうか。

かごの底でカマキリが羽ばたく・・
かごをどけてみると2匹いた・・・.
逆さになった・・・

畑の氏神様

畑の最寄りの神社は松尾神社といいます。
畑と大家さんが所属する長久保地区の氏神様です。

ときどき畑の無事と豊作を願ってお参りしています。
この日は夏の収穫が一段落したことのお礼にお参りしました。

すると今まで見過ごしていた岩が見えました。
これって諏訪の神様の依り代にあたる岩なのか。

境内には信州の神社では定番の御柱もたっています。
里山を背に立地している神社です。

諏訪の神様のご神体は、山と岩と木、といわれています。
松尾神社にはその3つが備わっているのです。
松尾神社も諏訪の神様を祀る神社であることがわかります。

畑の氏神、松尾神社
今までは見過ごしていたが立派な岩が鎮座する
御柱も屹立。背後には里山がそびえる

今後とも末永く平和なお彼岸を迎えることができますように。

又・諏訪の神様が気になるの 「諏訪の神・封印された縄文の血祭り」

諏訪の神様が気になって目についた本を読んだり、ついでに関連する場所をさ迷っている山小舎おじさんです。
「諏訪の神・封印された縄文の血祭り」という本が目についたので読んでみました。

この本を手に取ったのは、おじさんのような諏訪の神初心者でミーハー者にとって読みやすいものに思えたからです。
諏訪の神様の世界の始原は、その開闢を特定できないほど古く、文献など記録のない世界。
古事記などの文献に記録されてから以降の諏訪の神様は、果たしてオリジナルの姿を現したものなのか?それともその時代の体制にとって都合のいい姿を現したものなのか?その検証にも決定打となる傍証が乏しいのが実情。

諏訪の神様がカテゴライズされる神道の世界すらが、神仏習合→廃仏毀釈→国家神道と変遷しまくってきています、時代時代における諏訪の神様の位置づけも同様です。

学術的であればあるほど、著者が公平で客観的であればあるほど、その本が著す諏訪の神様の姿は混とんとしており、おじさんのようなミーハーな読者には、かゆいところに手が届かない、のココロ!となってしまいます。

河出書房新社刊の「諏訪の神様」は著者の想像と推察によるものとはいえ、諏訪の神様の歴史以前の姿を具体的に表し、また歴史以後のその姿については古文書に記録された背景にまで踏み込んで独自の解釈を施しつつ、その真の姿に迫ろうとしています。

本書の結論はこうだと思います。

①もともとの諏訪の神はミシャグジと呼ばれるものであり、当時信州から越後にかけての住民にとって、大地溝帯の形成にかかわる大地震を鎮めるべく生贄を供えて祈る対象だった。

②諏訪地方に蘇我馬子に追われた物部守屋一行(冤罪により逆賊とされた)が逃れ、住民に祟り神として畏怖され、タケミナカタの尊としてミシャグジ神と同じ場所で祀られるようになった。
「諏訪大明神絵詞」によるタケミナカタの尊の諏訪入り(地元のモリヤ神を破って諏訪入りした)は鎌倉時代の創作で、タケミナカタの尊とモリヤ神は同一(どちらも物部守屋だから)。

③ミシャグジ神は山、木、石を依り代(神社の本殿にあたる)とした。
諏訪大社本宮でいえば、ご神体(依り代)は境内の硯石であり、背景の守屋山になる。
そこに向かって左90度に座す拝殿とタケミナカタの尊を祭る神居は後になって祀られたことを表す。
御柱を引きずってから立てるのは生贄を供えたことの名残。

④諏訪大社下社2社の設立理由は、ミシャグジ神及び逆賊のタケミナカタの尊を祀る下社を監視、けん制するため。

どうでしょう。
①から④はおじさんの勝手な要約ですが、諏訪の神様のミーハーファンが疑問に思っていたことが明快に解説されています。
全部が著者の独自の理論ではなく、すでにオーソライズされているおなじみの内容もありますが、①のミシャグジ神の根源に切り込んだ部分は著者のオリジナルだと思います。

本宮のご神体といわれる守屋山の山頂

読後の感想は、この本が古文書に基づいたアカデミックな種類のものと、例えば小説家が自分の好みに基づいて自由に発想した時代考証ものとの中間に位置する読み物なのかなあ、です。
著者独自の世界観が展開される本とはいえ、そうだからこそのすっきり感!があります。
誰かが断言してくれるからこそ、一般の読者にとってそこの部分の歴史認識に一定の基準が築けるのです。
仮の基準とはいえ、その後の興味や理解には役立ちます。

縄文時代から続く石棒。ミシャグジ神の依り代の一つか

八切止夫という忘れられた作家がいます。
歴史大衆小説家という後年の評価でしょうが、独自の歴史観から一部に信奉者がいます。
「野史辞典」という著作は古書店で高額で売られています。

古代から中世に至る日本庶民の歴史を、八切史観と呼ばれる、アカデミックな歴史観とは180度異なる解釈で描いています。
例えば、大化の改新とは百済・唐連合軍の進駐によるクーデターで、以来、日本の権力は百済・唐由来の藤原氏が担い、原住民系の純日本人は被差別部落に閉じ込められた、というのが八切史観の根底にあったりします(山小舎おじさんの理解)。
これって、アカデミズムや権力側があえてか無意識にか、残してこなかった歴史観ですが、独断的なその表現といい、権力に忖度しない庶民目線の視界といい、おじさんのような全き庶民からすると誠に心地いいのです。

一時期は八切止夫のファンであった山小舎おじさんからすると、本書の著者・戸板学さんの姿勢にも心地よさを感じてしまうのです。