諏訪大社下社の御柱

令和4年の御柱の現在を見ようと諏訪大社下社へ行った。

下社秋宮の御柱

下諏訪町にある諏訪大社下社秋宮。
立派な神社である。

下社秋宮の鳥居

社内の雰囲気が素朴で気高さを感じる上社に比べて、権威と荘厳さを感じる下社。

歴史は下社の方が新しい。

祀る神様は下社と同じタケミナカタの尊、というが長い歴史に翻弄され、神仏習合→廃仏毀釈→国家神道、の歴史を経てきた古い社に表面的な解釈は通じない。
上社が祀る神様が、鹿の首を祀る肉食の文化を祀る神様だったように、下社にも独自の深い歴史があるに違いない。

鳥居をくぐったところのご神木
狛犬に守られた神楽殿
拝殿

諏訪の神様の依り代が、山、石、木。

下社におけるそれは、背後の霧ヶ峰に連なる山々、木にも不自由しない。
では石は?

境内にあったのはさざれ石。
君が代に謳われる、天皇の枕詞ともいうべきもの。

関東は茨城県にある鹿島神宮にも立派なさざれ石があった。
でも諏訪大社は違うんでないかい?
下社は諏訪本来の神様というより、縄文以降の中央集権的な神様を祀っているのだろうか?

境内のさざれ石

拝殿の四隅には御柱が立っていた。
真新しくはなく、ひと夏を経過した貫禄が漂っていた。

拝殿の周りに立つ御柱

下社春宮の御柱

春宮から中山道下諏訪宿を抜けたところにある下社春宮。

春宮の鳥居

権威を感じる堂々たる秋宮に比べ、狭く、ひっそりと素朴なたたずまい。
半面粗削りな凄味も感じる。

神楽殿

近くに万治の石仏があるのでも有名。

境内に至る急坂は、御柱祭の時に二度目の木落しが行われるという。

拝殿は四隅に御柱を携えてたたずんでいた。

御柱

御柱館よいさ

春宮からほど近く、御柱館よいさ、がある。
7年に一度の御柱祭が開かれた今年、2度目の訪問をした。

御柱館よいさの玄関

前回もそうだったが、入場後はボランテイアさんがつききりで解説してくれる。

館内は、御柱祭の映像、山出し、里引きのルートのパノラマ、里引きに使われる高島藩の長持ちなど、が主な展示内容。
何より、御柱祭の里に生まれ育ったボランテイアさんの熱い案内ぶりがいい。

館内の展示

一通り見た後、ボランテイアさんを捕まえて日頃の疑問をぶつけてみた。
「どこから来たの?」とこちらのアイデンテイテイを最低限確かめた後、地元のボランテイアさんは答えてくれた。

木落の模様

  Q、かつては女人禁制だった御柱祭が女性の木遣りもいるが?

「かつては引き綱を女性が跨ぐなどもってのほかだったが、今では木遣りや引き綱もやる。里引きの花笠踊りなども」

  Q、下社と上社では木落しなどもかなり違うが?

「上社の木落坂は土を盛ったもの。下社の木落坂は斜度35度。危険だが今は死者は出ない。」

  Q、里曳きが賑やかで、奴さんや花笠踊りなど出し物が多いが大名行列の影響か?また下社独特か?

「高島藩の大名行列を取り入れたもの。上社も同様な里曳きをしているはず。」

  Q、旧軍の進軍ラッパを里引きなどで吹いているが、明治以降に取り入れたものと思う。終戦後にGHQによく禁     止されなかった?

「あはははは。景気づけにやっている。かつて批判されたようなこともあったが。」

  Q、下社はなぜあんなに立派?

「秋宮はね。春宮はかつては寂しくて観光客も来ない時期もあった」

  Q、下諏訪町は諏訪市と仲が悪い?

「かつては岡谷も含めて合併の話があったがいつのまにか立ち消えになった」

話が尽きませんでしたが、次のお客さんが来たので館を後にしました。
ボランテイアのご婦人たち、訳も分からないおじさんのお相手いただきありがとうございました。

里引きで使われる道具類

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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