中山道シリーズ第七弾 笠取峠の松並木

中山道六十九次中、二十六次・芦田宿と二十七次・長久保宿の間に笠取峠があります。
笠取峠には江戸時代に植樹・整備されたという松並木が残っています。

広重・木曽街道六十九次より望月宿。描かれているのは笠取峠松並木

現在の国道142号線は、ほぼ旧中山道をトレースし、高崎から軽井沢へと碓氷峠を越え、佐久平を貫通して諏訪へと峠を越えてゆく幹線道路です。
関東から諏訪、松本方面へつなぐ物流ルートとしてトラックなどの交通がひっきりなしに行きかっています。
山小舎おじさんも、別荘地の周りの人たちも、佐久、軽井沢方面への行くときによく利用する道です。

国道142号線のルート上で、佐久平から諏訪方面へと越えるときの最初の峠が笠取峠です。
峠は、現・北佐久郡立科町と小県郡長和町の境に位置しています。

この日は、長和町から立科町に向かって国道142号線を走りました。
笠取峠を越えたあたりに右手に斜めに折れる旧道があります。
そこが、旧中山道の景勝地として、安藤広重の浮世絵にも絵が画れた松並木への入り口です。

国道142号線から松並木へ折れる分岐点

斜めに折れた道に入ってゆきます。
いわゆる松並木の景色を残したところもありますが、現在では松がところどころ残っている並木跡、といった風情です。

今に残る松並木

旧道は国道142号線を越えて続いています。
国道を逆落としに突っ込んでくるトラックたちに気を付けながら渡ると、常夜灯が建つ公園のような場所になっています。
峠の茶屋があった場所だそうです。
現在では、駐車場とトイレを備えた広場として整備されています。
地元の人々により中山道の歴史が大事に保存されている様子がわかります。

峠の茶屋跡

街道を芦田宿方面(軽井沢宿方面)へと下ってゆく眼前には佐久平が広がり、遠く浅間連峰が望まれます。
今よ変わらなかったであろう昔日の景色を想像できるかのような一瞬です。

松並木より佐久平方面を望む

山の初雪

山小舎周辺に初雪が積もりました。

11月下旬。
例年に比べ、いつまでも変に暖かかった今年の11月。
勤労感謝の日のあたりから季節が進み、初冬らしい寒さがやってきました。

山小舎もスリーシーズンの採光用に開けた天井を防ぎ、朝晩は和室の襖を締めて暖房効率を上げようとしていたある朝、屋根の上が白くなっていました。

毎年のことながら雪が降り始める頃に本格的な寒さがやってきます。
また、雪が降ったり溶けたりする初冬の頃が体感的には一番寒く感じるものです。
明け方頃、布団越しに寒さを感じて目が覚めることもあります。

木々の葉はすっかりなくなっています。
これからは外の作業にも気を付けなければなりません。
寒さと滑りやすくなることです。

外や玄関先に置いてある野菜の凍結にも用心しましょう。
外の水道管はすでに落として(水抜きして)あります。

鹿の足跡。雪の日でも寒さに強い鹿です。

今日は標高1400メートルの山小舎周辺に雪が積もりましたが、標高が下がる長和町の中心部では雪どころか、道が乾いた状態だと思います。
長和町の天気予報は晴れです。
それほど山の天気は寒いのです。

信州ソウルフード放浪記VOL.11 新そば

道の駅・信州新町に出店している「そば信」という店で今年の新そばを食べました。

11月中旬のある日、長野の相生座に、ベルモンド傑作選「リオの男」を観に行きました。

その帰り、ほんの出来心からいつものコースを避けて帰ろうと思い立ちました。
いつもは千曲川沿いのコースを上田に向けて南下して帰るのですが、この日は長野から西方へ向かう、大町街道と呼ばれる山越えの道を進み、国道19号線で松本をかすめて帰るルートを選択しました。

国道19号線は犀川沿いに進む山間の国道で、位置的には東の千曲川流域と西の糸魚川構造線の間を南下します。
信州新町、生坂村、安曇野市といったあたりを進みます。

長野市を離れて割とすぐに、ダムが現れこの先の厳しそうな山越えルートを予感させます。
ダムとダム湖の風景を右に左に見つつ、国道19号線を進むと道の駅が現れました。
道の駅・信州新町です。
地場産品には興味津々の山小舎おじさんは一も二もなく寄ってみます。

平日の雨天の割には混雑した駐車場に軽トラを止め、建物に入ります。
道の駅は直売所と食堂の二部構成になっています。
来客で混んでいます。
直売所を一渡りします。
リンゴ、長芋など季節の産品のほか、「しょうゆ豆」という大豆製品、地酒、地味噌などが並んでいます。
地ワインというものもありました。

食堂の方ものぞいてみます。
食券販売機の前に列ができています。
よく見るとそばの専門店のようです。
お客さんはここのそば目当てに来ているような感じもします。
長野で昼食を摂ってきたおじさんですが、この食堂の様子を見て、そばを試したくなりました。

ざるそば1枚を頼みます。
新そばというには季節を逸しつつありますが、そばには疎い山小舎おじさんにとって細かいことは関係ありません。

そば信のメニュー

二度目の昼食ながらあっという間に平らげました。
そばの香りとかはよくわからないのですが、噛み応えと食べ応えがありました。
東北で手打ちそばを食べたときに、通常の量のそばながら、満腹になったことを思い出しました。

周りを見ると皆さん、アクリル板越しに音を立てずに食べているように見えました。
山小舎おじさんはいつも通りに盛大にすすって食べました。
その方がよりおいしく感じました。

ざるそば530円

食堂にはおやきのコーナーもあり、ここにも人が並んでいました。
試しに2個ほど買ってみました。
これがうまくてびっくり。

おやきの皮というと、パン生地のようにふわっとしたタイプが多く、モッチリしたものは少ない印象です。
ここのおやきの皮はモッチリした生地を焼いて香ばしくしたようなタイプでした。
灰の中で焼いたというオリジナルのおやきの皮におそらく近いのでは?と思いました。
具も野菜がゴロゴロ入っていて味付けもはっきりしていて満点の味でした。

信州新町は「かあさんの歌」発祥の地だった

道の駅・信州新町のそばとおやき。
次回は家族を案内して来たいと思える味でした。

なお、国道19号線の信州新町・安曇野間の山間ルートは、険しい山越えもなく、集落を結ぶ昔ながらのひなびた道筋で気に入りました。

ビリー・ワイルダーと映画「異国の出来事」

渋谷シネマヴェーラの「神話的女優」特集で、ワイルダーの日本未公開作「異国の出来事」を観ることができた。1948年の作品で、マレーネ・デートリッヒとジーン・アーサーの競演。
終戦後のベルリンにロケして、瓦礫の山となった当時の風景を写し取っている。

ワイルダーの監督作品としては7本目。
「深夜の告白」「失われた週末」の後、「サンセット大通り」以前の作品である。

オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ系で、戦前のベルリンでダンサー兼ジゴロまでしたワイルダーが、アメリカに亡命したのは1934年。
ドイツ時代に脚本家としてデビューしていたワイルダーは渡米後、ハリウッドに脚本を売り込み、チャールズ・ブランケットと共同で「ニノチカ」(1939年 エルンスト・ルビッチ監督)などの脚本作品を発表。
1942年の「少佐と少女」で本格的監督デビューしている。

シネマヴェーラ「神話的女優特集」

1948年「異国の出来事」発表当時のワイルダー周辺の状況は、「失われた週末」がアカデミー作品賞を受賞しており、ハリウッド主流の監督として売り出し中であったこと。
また何より重要なのは、亡命を余儀なくされたとはいえ、故国ドイツ(旧オーストリア=ハンガリー帝国を含む)が戦争に敗れ、若き日を過ごしたベルリンが瓦礫と化したことであったはずだ。

自身は戦勝国の売り出し中の映画監督として安全な地位にはあるものの、自らのアイデンティティをなす場所や価値観の崩壊する時代を迎えたときに、たとえそれが反語的な意味であっても、個人的な感情、感慨は抑えきれないものがあるだろう。

シネマヴェーラのチラシより

ということで、何よりワイルダー自身の興味と郷愁と慚愧の念(ワイルダーがアメリカ亡命後、一度ウイーンに戻って母親をアメリカに連れてゆこうとするが母は断りその後行方不明となっている)を乗せて、アメリカの輸送機が戦後のベルリンに降り立ってゆくファーストシンから映画が始まる。

輸送機の乗っているのは、占領軍の軍紀を調査に来たアメリカ議員団。
唯一の女性議員がアイオワ州選出のジーン・アーサー。

山小舎おじさん的には「シェーン」(1953年)のお母さん役で忘れられない女優だが、全盛期は1930年代。
「異国の出来事」の時はすでに40歳台だが、いかにも親しみやすい顔つきと、ひっつめのヘアースタイルと動きやすいスーツに身を固めた、快活で単純なアメリカ女性像の典型を演じて全く違和感がない。

「平原児」(1936年)のジーン・アーサー
「シェーン」(1953年)のジーン・アーサー

ジーン・アーサーが単純明快なアメリカ民主主義の象徴を演じるならば、待ち受けるアメリカ進駐軍の大尉を演じるのがジョン・ランドというヤニさがった男優。

クラーク・ゲーブルを思わせるちょび髭と女性に関してはマメすぎる態度。
戦闘行為以外にはやる気たっぷりで、占領先ではいかにして現地女性を誑し込むかを最優先に考える典型的アメリカ軍人の役で、キャバレーの歌姫で過去にナチス高官との関係が疑われるドイツ女性(デートリッヒが演じる)を瓦礫の一室に囲って毎夜通ってもいる。
彼は議員団の案内役を務める。

堅物の女性議員が、アメリカ兵と元ナチスの愛人との関係をかぎつけ、その相手がジョン・ランド扮する大尉とは気づかないまま、大尉本人とともに調査を行うことから巻き起こるドタバタ劇。

デートリッヒとアーサーの邂逅は、瓦礫の中のキャバレーで行われる。
堂々とした登場ぶり、歌とふるまいで場をさらうデートリッヒのステージシーンが映画全体で2回見られる。
デートリッヒがアーサーに面と向かい、その田舎臭い(アメリカ臭い)髪型とファッションを独特の表現で揶揄するときの貫禄。

単純明快なジーン・アーサーは、ドイツ女性との関係を隠そうとして色仕掛けを仕掛ける大尉の手練手管にころりと参り、キャバレーで泥酔してアイオワ州の歌を歌う。
瓦礫のベルリンでは全く場違いなアメリカの田舎の歌にシラケる米軍ロシア軍混合の酔客たち。
さすがに困惑するアーサー。
挙句は酔客の兵隊たちに胴上げされたアーサーは、そのまま天井の梁にぶら下がってバタバタする。

ある意味「米国の良心」を具現したかのような女優にこういった演出を行う、ワイルダーの底意地の悪さが全開する場面だ。

映画は、女性議員とスケベ大尉の占領地の恋を感傷的に扱ったフィナーレを迎える。
ナチス協力者でアメリカ兵ともうまくやっていたデートリッヒもナチ協力者として捕まって終わる。
当時のアメリカ映画の価値観に沿った結論となる。

では、「異国の出来事」が単によくできたコメデイか?というとそれだけではない。
全体を通してのトーンは暗さ、である。
背景が瓦礫のベルリンとそこに暮らす困窮した人々、ということもある、が、ワイルダーが描くベルリンは、ネオレアリスモの監督たち(ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカなど)が描くローマとは全く異なり、敗戦国の悲哀を全世界に訴えるといった視点は全くない。
闇市でごった返すドイツ国民に対するワイルダーの視線は冷ややかで諧謔的でさえある。

作品にあるのは、アメリカ軍のいい加減なスケベぶりであり、アメリカ民主主義の単純明快な押し付けぶりであり、デートリッヒの役柄に託された、敗れたとはいえ毅然と生きるドイツ人の矜持であった。

マレーネ・デートリッヒ

ベトナム戦争の後では、「マッシュ」(1970年 ロバート・アルトマン監督)や「キャッチ22」(1970年 マイク・ニコルズ監督)などで徹底的におちょくられまくることになったアメリカの軍隊を、「正義」の第二次世界大戦直後の1948年の時点で、コメディーの体裁をとってのこととはいえ、相当程度にここまで風刺を効かせて描いた作品があったろうか?

定型的アメリカ女性の髪形やファッションを、敵役のセリフに託してとはいえここまではっきりと揶揄したことはあったのか?

反面、デートリッヒのベルリンのキャバレーでのステージを演出するときのリスペクトぶりはどうだ?
まるで、敗れたりとはいえ故国に殉じて戦った同志を誇らしくも労わるかのような視線に満ち満ちているではないか。

そこにあったのは、自分自身の問題として、ワイルダーが素通りできなかった祖国への複雑な思いだ。

「異国の出来事」はワイルダーにとっては、「この作品を撮らなければ前に進めない」ものだったのだ。

その個人的なテーマ性から、ヒットもせず、日本に輸入もされなかったのかもしれないが。

シラカバを割る

山小舎の暖房は薪です。
雪が降るまではオールシーズンにわたって丸太を切り、薪割りして積み上げて干しておきます。

丸太の主なものはカラマツです。
その次にシラカバ。
どれも資源としては価値のないものです。
たまにミズナラなどの広葉樹の丸太も入手できます。
薪として売られているのは、これらの広葉樹です。

今年の秋にシラカバの丸太がどっさり来ました。
久しぶりにシラカバと格闘の日々です。

集まったシラカバの丸太を手当たり次第に玉切りする

木材によって、切りやすさ、割りやすさが違います。
丸太を玉切りするときに、切りやすい順にカラマツ、シラカバ、ミズナラとなります。
材質の密度に関係あるのでしょうか。

割りやすいのは、ミズナラ、シラカバ、カラマツの順になります。
これは木材の繊維がまっすぐかどうかによります。

玉切りしたシラカバを台に乗せて薪割りの準備

玉切りしたシラカバを割ります。
シラカバは巨木が少ないので、四つ割りか二つ割りにします。

玉の直径と丈の長さにもよりますが、鉞で一刀両断は困難な場合が多いので、くさびを使って割ります。
くさびを打ち込むと大体素直に割れてゆきます。
断面もきれいです。
最後まで繊維がもつれて、割りずらいカラマツとは違います。

たいていのものはくさび一つで割れる
大きなものはくさびを二つ使う
細いものは鉞で割れる
シラカバの薪は断面がきれい

よほど節が多かったり、直径が大きく丈が長い玉は、チェーンソーで切り込みを入れてから割ってゆきます。

シラカバは、広葉樹などに比べて早く乾きます。
早く乾くということは重さが減り扱いやすいということです。

火持ちは広葉樹に比べてよくありませんが、量があればカバーできます。
また皮に油分が含まれており、皮だけを集めておくと焚付として使えるのも重宝します。

景色としては風情がありますが、資源として価値がなく、数十年で腐って倒れるシラカバは実は山の嫌われ者です。が、山小舎おじさんにとっては十分価値のある資源です。

積んでおいて来シーズンの燃料に使用

長野相生座と「カトマンズの男」

権堂通商店街

長野市の中心部、善光寺表参道と交差して一筋のアーケード街がある。
権堂通商店街といい、その昔は善行寺参りの精進落としの場として、遊女を置くような店があった場所らしい。

今では洋品、雑貨、食堂などが並ぶ商店街で、1本裏にはいると風情を感じるバー、料亭なども見える。
中心部からそれるにつれ、アーケードの覆いがなくなり、居酒屋などが並ぶ飲み屋街へと姿を変える。

ここ権堂通商店街の一角に相生座がある。

当日朝の権堂通り商店街

相生座

明治25年に芝居小屋として開設し、国内最古級の歴史を誇る相生座。

県内には、上田映劇、伊那旭座、塩尻東座、茅野新星劇場などのが歴史を誇る映画館が現存する。
映画館らしい外観はもちろん、大スクリーンを擁し天井が高く2階席がある場内、現役のフィルム映写機もあったりする。

その中で、歴史、上映作品の質量で県内トップの映画館が相生座である。
長野市は遠いのだが、山小舎おじさんも相生座の、小津4K特集やルイス・ブニュエル特集には駆け付けた。

相生座前景。3スクリーンを持つ

支配人は女性で、時には入場者にほうじ茶をふるまうなどアットホームに対応してくれ、山小舎おじさんとの雑談にもよく応じてくれる。
支配人の心配りはホールの展示や、枕の貸し出しなどにもうかがえる。
何より上映作品のセレクトに映画への愛と営業への熱意がにじみ出ている。

商店街から映画館へのアプローチに掲示されるポスター

上映作品はいわゆるミニシアター系の新作が中心だが、時には地元テレビ局製作のドキュメンタリーを上映したり、関係者の舞台挨拶もよく行われる。

何よりオールドファンにうれしいのは、過去の名作特集。
最近では、小津、ブニュエルのほか、デジタル版の「天井桟敷の人々」が特別料金で上映されたりした。
こういった点にも、県内最高レベルの映画館の自負がうかがえる。

映画館前のポスターには独特のワクワク感がある

ベルモンド傑作選「カトマンズの男」

相生座でこの秋に上映されたのがベルモンド傑作選。
ジャン=ポール・ベルモンドの主要作品をデジタルで上映するもの。
この日は名コンビ、フィリップ・ド・ブロカ監督の1965年作品「カトマンズの男」。

10時の上映時間に合わせて、7時に山小舎を出発したおじさん。
交通量の多い朝方の道をかき分け、9時半過ぎに相生座に到着しました。

入場者受付で忙しそうな支配人の暇を見て雑談。
作品の輸入元のキングレコードの英断で実現した企画だが、版権先との交渉が大変で値段も高かった。
ベルモンドはフランスでは国宝級の人物ですからね。とのこと。

日本ではヌーベルバーグの主演者の一人として映画史に残っていますが、娯楽アクションスターの位置づけだったベルモンドは単独では回顧上映は組みづらかったことでしょう。
ベルモンド88歳での逝去をきっかけにしたとはいえ、企画してくれたキングレコードと、上映してくれた相生座には感謝です。

当日10人ほど駆け付けた観客。
年代的にも中高年。
リアルタイムではベルモンドもすっかり落ち着いていたころの世代となります(山小舎おじさん的には「ラ・スクムーン」(1972年 ジョゼ・ジョバンニ監督)、「薔薇のスタビスキー」(1974年 アラン・レネ監督)がリアルタイムのベルモンド)。
リオやカトマンズを駆け回る「男」シリーズはテレビ洋画劇場で見るイメージでしたね。

で、この「カトマンズの男」。
邦題ではカトマンズとは銘打ちながらも、ほとんどが香港を舞台とするアジア冒険活劇物で、カトマンズは王宮やボダナートと思われる巨大仏舎利でロケされており、インドから到着する空港は、マチャプチャレがバックに見えるポカラ空港である。

ロビーにはアメリカ公開時のポスターも展示

が、そんなことはどうでもいいほど画面に活力と魅力を漲らせるのが若いベルモンドのアクション。
スタントマンを使わないといわれるだけあって、ほとんど全部のシーンに体を張って、香港ではクレーンに追り上げられ、竹で組んだ足場を走り回り、市場の野菜や卵に飛び込む。

上映開始を待つ場内

ヒマラヤでは、気球から吊り下げられたロープをよじ登り、山脈の崖をよじ登り、雪山を転げ落ちる。

南国ランカウイ島では、ヒロイン(ウルスラ・アンドレス当時29歳)とのつかの間のロマンスに興じ、像に乗って悪漢を撃退したりする。

とにかくサービス精神旺盛で、アクション満載。
観たままを楽しめばいい造りながら思ったよりはるかに大作。
全編に近い場面がアジアの現地ロケであるところもいい。
ド・ブロカとベルモンドの若さと明るさを感じる。

相手役のアンドレスが、世界を放浪しながら社会学をフィールドワークしているという女子大生役で、かわいらしく演出されているのも貴重。

大富豪の2世として何不自由なく暮らしているものの、いったん命の危機に瀕すると途端に生き生きと冒険に邁進するというヒーローを演じるベルモンド。
彼が当時、フランス映画界においていかに大事に育てられているか!がわかる。

育ちよく、影のない、若いヒーローの冒険。
これこそがフランス映画の希望と未来だった!
「カトマンズの男」はそういった時代の快作だった。

これは「リオの男」も観ざるを得まい。

相生座の歴史の展示
近日上映のレトロスぺクテイブは、ジャン・コクトーとジム・ジャーウイッシュ

11月の山小舎周辺

11月は山の景色が一変する季節です。

ミズナラの落葉が始まります。
11月初旬には落葉の真っ盛りとなり、中旬には落葉が終わって山の木々は丸裸となります。

落ち葉が玄関わきや、軒下に吹き寄せられて山となります。

11月初旬、紅葉真っ盛りで落葉の始まった山小舎周辺 その1
11月初旬の山小舎周辺 その2

初霜が下ります。
もちろん室内は暖房ガンガンです。

日中になると日の光で霜が解け、洗濯物も乾きます。
日が陰ってくるとぐんぐん寒さが下りてきます。

野菜のくずや、木々の緑などは冬を前にした鹿に食べ尽くされます。

11月中旬、落葉が終わったミズナラとシラカバの林
霜が降りた朝

いつの間にか紅葉も終わりかけています。

外の水道の通水を落としておかなければなりません。
母屋の水道は通しておきますが、水道管に巻いたの電熱線のサーモスタットは入れておきます。

これからは山小舎を離れる時には母屋の水道も落とさなければなりません。

裏の国有林。カラマツも裸の状態に

干しもの三題

秋は保存食を加工する季節です。

例年ながら、切り干し大根、干芋、芋がらを作ってみました。

切り干し大根は大根を短冊に切って干すだけです。
切ってザルに広げ、日中は日光に当て、夜間はストーブのそばで乾かします。

乾いてきたら材料を裏返しにするなどして乾燥を促進させます。

カラカラになり、ざるを滑るようになったら完成です。
戻してニンジンや油揚げと一緒に煮ると、大根の風味豊かな切り干し大根の煮物になります。

ほぼ完成した切り干し大根

サツマイモの干芋も作りました。

サツマイモを蒸かすかゆでるかして、皮をむきます。
傷や痛みは皮と一緒に除きます。

熱いうちにスライスしてザルに乗せて乾かします。
スライスの厚さは5ミリから1センチ程度。

少し乾いてくると、素材の糖化の状態がわかってきます。
半透明のあめ色になったら、素材がよく糖化している表れで、ねっとりしたよい干芋になります。
白く粉を吹いたようになれば素材の糖化が進んでいない状態で、売り物でいえばB品の状態となります。
B品でも十分食べれらます。

蒸かしたサツマイモ
皮をむきます
スライスして干します。ときどき裏返します

この干芋、自宅で大評判で「また作ってほしい」と催促されています。
直売所でも巡って地元産のサツマイモを集めて、また作ってみようと思います。

最後は芋がらです。
里芋の茎を干したものです。

里芋収穫後の茎が立派なので持って帰って干してみたところ、自宅で煮て好評とのことでした。
茎の太いところを選び、皮をむき干すだけです。

里芋を収穫し、茎も持って帰ります
皮をむいて干します

上高地

長野県と岐阜県の県境をなす穂高連峰。
そのふもとの上高地は穂高連峰へ、北アルプスへの登山口として、また風光明媚な観光地として有名だ。
11月中旬の山じまいを前に、長野在住5年目にして初めて上高地へ行った。

国道158号線を松本方面から西へ向かう。
谷沿いを縫って走る山道だ。
道路標識は岐阜県の飛騨高山までの距離を示し続ける。
峠を越えれば岐阜県につながる国道なのだ。

沢渡という場所が上高地への入り口に当たる。
上高地はマイカー乗り入れができないため、バスターミナルのある沢渡からバスまたはタクシーに乗り換えて向かうのだ。

沢渡大橋バスターミナルから上高地バスターミナル行きのバスに乗る

バスは上高地のバスターミナルまで運んでくれる。
河童橋が梓川にかかる、上高地の中心部だ。

われわれ(山小舎おじさん夫婦)は2つ前のバス停で下りて、大正池から河童橋まで約1時間のコースを歩くことにした。

大正池前で下りる

道路から大正池の湖畔に下りると、彼方に穂高連峰の威容が見え、さっそく上高地の世界に取り込まれるようだった。

しばらく梓川沿いに原生林と湿原が織りなす風景の中を進む。
このコース、この日は人出も少なく気持ちよい散策ができた。

時に木々の間から垣間見える穂高の山々がだんだん大きく迫ってくる。

絵葉書にあらず!大正池から望む穂高連峰を実写
湿地を流れる水がとことん透明だ
遊歩道は整備されている
原生林の間から穂高連峰の姿が迫ってくる

途中の上高地帝国ホテルで昼食を摂ることにした。
ホテルのランチなので、味、サービスともに満足でした。

上高地帝国ホテルでランチ
カレーはうまかった。サラダの野菜も絶品

少し歩いてバスターミナルに到着。

梓川沿いに出れば、観光客でごった返す河童橋があった。

東京が緊急事態を解除した後の時期とはいえ、思った以上の人出。
通常の年ならもっとすごいのだろうな、と思わざるを得なかった。

外国人、関西人の姿、声も目立った。
上高地は軽井沢と並ぶ県内有数の観光地だった。

上高地バスターミナルに到着
梓川に河童橋がかかる
河童橋からもと来た方を見る。逆光に焼岳のシルエット

かえりに白骨温泉に寄ってみた。

立ち寄りの露天風呂はややぬるめの湯ながら、山に囲まれた景色ともども旅の風来坊たちの心身を慰めてくれた。

帰りは白骨温泉の公共露天風呂でひとっ風呂

「美濃戸」へ行ってみた

「美濃戸」と聞いてわかる人は、山歩きの愛好家か八ヶ岳に詳しい人だろうと思います。

美濃戸は南八ヶ岳の主峰・赤岳の登山口の地名です。

八ヶ岳連峰では北端にある蓼科山にしか登ったことがない山小舎おじさん。
せっかく近くにいるのだから、年に一回くらい八ヶ岳の各ピークにでも登りたいな?と思いつつ腰が重く今に至っています。

11月のある日、偵察がてら美濃戸まで軽トラで行ってみました。

南八ヶ岳山麓には縦横に走る道路が続いています。
連峰と並行に、茅野から原村、富士見と走りぬける、八ヶ岳エコーライン。
原村の高原野菜畑を赤岳方面に駆け上る八ヶ岳ズームラインなど。

山麓の道路を駆け抜け、まずは美濃戸口へ向かう分岐点へと向かいます。
美濃戸口は美濃戸への入り口です。

美濃戸口への分岐点

分岐点を過ぎ、美濃戸口へ向かう道路わきには別荘が点在しています。

美濃戸口に着きました。
どんな山の中か?と想像していた眼前に、小ぎれいな山荘とこじゃれたカフェが現れました。
ここまでは路線バスも、毎日2~4本運行しています。

美濃戸口へ着いた、バスの転回場の向こうに山荘
路線バスの停留場
美濃戸口のしゃれたカフェ

美濃戸口から美濃戸まで、歩いて1時間の行程ですが、車道が続いてみるので行ってみることにします。

大変な悪路でした。
乗用車では行かない方がいいでしょう。
軽トラでも1速か2速でヒヤヒヤしながら行きました。
凸凹のガードレールのない砂利道で、対向車があれば行きかうのが大変な道です。

美濃戸へ向かう道

いつまで走ればいいのか?本当に美濃戸に着くのか?と思っていたころ、山小舎が見えました。

美濃戸へ着きました。迎えるのはやまのこ村山荘

とりあえず駐車場に軽トラを止め降り立ちます。
美濃戸口とは異なり本格的な山の気配が支配的です。

美濃戸には3軒の山小舎があり、それぞれ駐車場を持ています。
11月とはいえ休日のこの日、満車とはいえなくとも思ったより多くに車が駐車しています。
山から下ってくる登山者もちらほらいます。

美濃戸から望む赤岳山頂

赤岳山荘のおばさんと話をしました。

ここからだと往復8時間で赤岳山頂までいってこれるとのこと。
本来であれば朝7時までに駐車場に来てスタートするのが望ましいこと。
自信がないのであれば途中の行者小屋まで行ってみるのもいい。
この先にもう1軒山小舎があり、登山ルートの分岐点があるから行って見てみなさい。

おばさんが話してくれた赤岳山荘

おばさんの言う通り、.北沢コースと南沢コースの分岐点まで行ってみました。

カップルの登山者が下りてくるところでした。
山小舎前の湧水を汲みながら休んでいるところを話しかけました。

登山ルートの表示

赤岳に登ってきた。
山頂までは3時間だった。
雪があるので滑り止めをつけないと死にますよ、夏でも登山靴を履いた方がいいでしょう。
赤岳は何回か登ったが年配者も単独者も多いよ。
夏は前泊で乗り込む人が多いから駐車場も満杯になる。とのこと。

登山ルート分岐点に近い美濃戸山荘

すでに深山の気配が色濃い美濃戸。
三々五々下りてくる登山客と赤岳山荘のおばさんがいなければ、一刻も早く下界に退散したくなる、寂しくも厳しい「山の領域」です。

来年の夏。
混雑する休日を避けて、朝7時着で駐車場を目指し、登山靴を用意したうえで、とりあえず途中の行者小屋あたりを目指して登ってみましょうか。