ネクタリンの季節

さあ、夏の果物が最盛期になってきました。

近隣の直売所の棚を見るまでもなく、プルーン、ブルーベリー、スモモ、桃、ワッサー、ネクタリンなどが花盛りです。

この時期の果物にネクタリンがあります。
皮に毛のない桃のような形状。
つやのある赤い表皮が盛りをアピールしています。
この時期になると食べたくなります。

大粒の完熟ネクタリン

桃の変種とのことで、長野県が全国の70%を生産しているとか。

直売所でひと箱買ってきました。
大型の完熟が8個くらい入って1200円でした。

御盆にやってくる娘一家のデザート用に、と思いましたが、生食用には多すぎます。
ほかにプルーンやワッサーなども食べさせたいし。
また、熟しが進んでいるようなので硬めの2個を残し、ジャムにすることにしました。

皮と一緒に煮込みます。
実が柔らかい割には煮崩れがしません。

ジャムにするとカサが減ります。
風味とともに信州の夏を閉じ込めます。

今年はあんずから始まって、プルーン、ブルーベリー、スモモ、桃と季節の果実の加工が順調です。

独特の色合いに仕上がりました

チェーンソー始動!

今年もチェーンソーが始動しました。

運ばれてきた雑木の丸太。
手が空き次第、玉切りして、薪割りして、乾燥台に載せておかなければなりません。

草苅バイトがあり、畑が忙しいこの時期、なかなかその時間が採れませんでした。

連日の強烈な夏の日差しに心が折れ、予定の畑仕事に出かけるのを午後過ぎにしようと思っていたある日、少しでも玉切りをしておこうとチェーンソーを始動させました。

今年もチェーンソーの出番

チェーンソーの稼働音は案外やかましいので、土日と昼の1時間、早朝夕方はしないようにしており、それ以外の空き時間は貴重だったこともあります。

玉切りのために新しい、ソウチェーン(刃)を用意しており、その試運転のタイミングでもありました。
刃を付け替え、エンジンを始動させます。
今年も変わらぬエンジン音。
頼もしいチェーンソーです。

購入した替え刃に付け替える

刃が切れると仕事がはかどります。
はかどると仕事が楽しくなります。
昼休みを挟んで、2クールの玉切りをしました。
オイルと混合燃料満タンを2回分の稼働です。

この日の玉切りを終える

小規模とはいえ丸太の山での仕事、チェーンソーでの仕事には十分な注意が必要です。
疲れてまでする仕事ではありません。
足元が不如意になりつつある山小舎おじさんではなおさらです。

この日の玉切を終え、滴る汗をぬぐい、長靴にたまったおがくずを払いながら今シーズンの薪仕事の無事を祈りました。

DVD名画劇場 MGMアメリカ映画黄金時代 ザッツMGMミュージカル③ 40年代ジーン・ケリーとフランク・シナトラ

MGMミュージカルシリーズの第三弾です。
50年代に絶頂期を迎えるMGMミュージカルが、盛隆を誇った40年代。
今に残る名作群が生まれています。

戦中から戦後の時代、アメリカの明るさ、豊かさが爆発しそうな時代。
ブロードウエイの舞台出身のジーン・ケリーと、イタリア移民の子孫で楽団コーラス上がりのフランク・シナトラがMGMのスクリーンで共演していました。

「錨を上げて」 1945年  ジョージ・シドニー監督  MGM

製作はジョン・パスターナク。
クレジットはシナトラ、キャスリン・グレイン、ジーン・ケリーが1枚の画面に上から順で。

製作がアーサー・フリードではないせいか、全体に地味な作りの印象。
地味というのは、レビューシーンに美人ダンサーがずらりと出てくるような場面がないこと、色っぽくなまめかしい色付けがなく、むしろ男の子とその叔母さんを出すなどアットホームな場面を強調していること。

フリード製作ならば子供は女の子だったろうし、豪華絢爛のレビューシーンでは腕によりをかけた美人たちをギラギラにデコレーションして総動員したであろうから。

若いシナトラがケリーの踊りについてゆく

サンデイエゴに停泊する航空母艦上での「錨を上げて」のマーチングで始まるこの作品。
4日間の休暇をもらった水兵たちがハリウッドで体験する心温まる物語。

奥手でぎこちない水兵を演ずるシナトラと、その保護者よろしく万事やり手の水兵を演ずるジーン・ケリーのコンビ。
8か月ぶりの休暇を酒池肉林で過ごすのではなく、子供の夢をはぐくみ、それぞれ運命の相手に巡り合うというハリウッドストーリー。

劇中アニメのジェリーと踊るジーン・ケリー

シナトラが出合う運命の相手は、ブルックリン出身のウエイトレス。
移民のるつぼニューヨーク・ブルックリンの出身者同士の無理のない交際が、移民出身のシナトラには良く似合う。
若いシナトラは細身の体をしならせて、精一杯の踊りでケリーについてゆく。

ジーン・ケリーの相手に収まるのは、ソプラノ歌手としてMGM入りしたというキャスリン・グレイン。
黒髪豊かなラテン風の容貌で、メキシコレストランで歌ったりする。

この映画、ヒロインが二人とも移民系のキャラクター。
金髪美人がレビューシーンで媚を売りまくるようなミュージカルに比べると、毛色が変わってはいないか。

ジーン・ケリーが達者な演技で、シナトラの面倒を見続けるという、男の友情の物語であることもこの作品のカラーとなっている。

「踊る大紐育」 1949年 ジーン・ケリー/スタンリー・ドーネン監督  MGM

主演のケリーと振付師出身のスタンリー・ドーネンの共同監督。
製作は、まってました!アーサー・フリード。

コンセプトは「錨を上げて」同様の水兵の休暇の物語。
期間を24時間と短縮したせいもあろうか、テンポよく、まとまりよく出来上がっている。

休暇でニューヨークに上陸した3人。まずは歌で喜びを表現

今回の水兵チームは、シナトラ、ケリーにジュールス・マンシンの3人組。
ニューヨークで次々と巡り合うお相手が、ベテイ・ギャレット、ヴェラ=エレン、アン・ミラー。

女タクシードライバー(ギャレット)がシナトラに一目ぼれして迫りまくったり、博物学者(ミラー)が原始人に似ているマンシンに興味をしめしたリ。
出会いの場面は唐突でぶっ飛んでいるが無駄がない展開。

ヴェラ=エレンの若々しいスポーテイなダンスシーンもグッド。
アン・ミラーがタップダンスが特別にうまく、独特の色っぽい雰囲気も「イースターパレード」でお馴染み。

男の友情を基本線にしているのは「錨を上げて」同様だが、前作よりその色合いは薄い。
その分女性陣のパフォーマンスが前面に出ており、ホームドラマではなくコメデイとなっている。
彼らがさ迷う夜のクラブの場面では(待ってました!)派手なダンサーたちが次々登場し夜のムードも色濃く描かれる。

エンパイアーステートビルで、右からヴェラ=エレン、一人置いてアン・ミラー

ジーン・ケリーがやり手で達者なキャラ、シナトラが不器用で奥手なキャラなことは「錨を上げて」を踏襲。
育ちは悪いが歌が上手いあんちゃん、というこの時期のシナトラの存在感がわかる。

「私を野球に連れてって」 1949年 バスピー・バークレイ監督  MGM

大リーグの試合は7回の攻撃前になると球場に「私を野球に連れてって」の曲が流れる。
その曲をモチーフにした映画である。
製作はアーサー・フリード。

監督は振付師としてブロードウエイから招かれ一世を風靡したバスビ-・バークレイ。
バークレイはその名前が〈凝った作りのミュージカルナンバー〉という意味の一般名詞として辞書に載る有名人。

〈バズの暴力志向と、女性に対する倒錯的な態度は(彼が振り付ける)ダンスナンバーにもはっきりと表れている〉とは、ケネス・アンガーによる「ハリウッド・バビロンⅡ」でのバークレイの人物評。

幾多の女優を紹介、抜擢し、私生活では3人死亡の自動車事故を無罪で切り抜けたりもしたバークレイ。
ハリウッドに来てからは一般映画の演出もこなしたが、この作品が監督としての最終作になった。

ミッキー・ルーニーに振り付けするバズビー・バークレイ(左)

またもや主演はシナトラとケリー。
今度は野球選手の役。
シーズンオフには二人して旅劇団で歌って踊る、というおまけつき。

開巻の二人の舞台「私を野球に連れてって」の歌と踊りでかっさらい、あとは怒涛の展開だ。

球団の新オーナーとしてキャンプ地にやってきたのは若い美人のエスター・ウイリアムス。
エスターは水泳選手から水中レビューをしていたところをスカウトされてMGM入り。
本作では、なぜかは知らぬがキャンプ地から遠征先まで、ずーっつと球団について回り、監督にも口を出す球団のオーナー役。

ホテルの夜のプールで、エスターが黄金色の水着で泳ぐシーンの夢のような美しさ。
その動きの良さと、長身のスタイル、可愛げのある顔立ちは一瞬にしてみるものの心をつかむ。

野球のシーズンオフに芸に精を出す二人

同じように心をつかまれた球団のスター遊撃手・ケリーが彼女を追いかける。
片やぶきっちょで奥手なシナトラには「踊る大紐育」でシナトラに迫りまくった達者な女優ベテイ・ギャレットが再び登場して名コンビよろしくカップリング。

エスターのキャラが明るいので昼のムードに覆われた家庭向きの作品となっている。

ぶっ飛んだギャグが連発される中、ケリーが口八丁手八丁のやり手のキャラ、シナトラが不器用で奥手のキャラを演じるのは、今回の3作品に共通していた。
作品を貫く能天気なムードは東宝の「若大将シリーズ」をちょっと思い出したりして。

かんぴょう干し

山小舎おじさんの畑では夕顔の実がぶら下がっています。
一つ収穫してきました。
例年なら冬瓜代わりに煮て食べるか、それともズッキーニ代わりに炒めるか。

今年は新規開拓でかんぴょうにしてみようと思いました。

ネットで調べます。
1センチ幅に輪切りして皮を厚めに剥き、中身を桂剥きにしていました。

早速、巨大夕顔に立ち向かうことにします。

夕顔、今年の一番果

1センチ幅の輪切り。
これは問題なくできます。

1センチ幅に輪切り

皮を厚めに剥く。
これもできました。

皮を厚めに剥く

中味の桂剥き。
これが難しい。

夕顔の輪切りというのは、芯がふわふわなので、大根と異なり、1センチ幅の輪切りにはそもそも強度がないのです。
桂剥きしようにも非常にやりずらい!
仕方なく厚めに桂剥きするのですが、それでもぼつぼつに切れてしまう。
ピラーでやってみましたが、輪切りそのものに強度がないうえに、手元のピラーでは薄くなりすぎてしまいます。

桂剥きの成果?
残った芯の部分はやむなく廃棄

ぼつぼつでもいいから、と作業を続行。
大きな夕顔からは少なすぎるかんぴょう素材が採れました。

ネットの通りに一晩冷蔵庫で乾燥。
翌日天日干しにしました。

果たしてどうなるやら。

天日干し。辛うじてぶら下げられる部分
天日干し。ブツブツに切れた部分

薪の乾燥台再生

令和5年も8月になりました。
お盆過ぎには秋風が吹き始めるであろう山小舎です。
既にトンボが飛び始めています。

7月に乾燥済みの薪をベランダに移動しておきました。
空いた場所に新たに乾燥台を設置しました。

乾燥台を設置する前の状況

基本的には乾燥台は例年同じ場所に設置します。
風通しがよく、日当たりの良い場所です(比較的)。

土台は高さ15センチ以上高くします。
台とするパレットを水平に設置するのはもちろん、パレットを支える土台がしっかりしており、強度があることも必要となります。

土台には大きめの石、ブロック、大きめの柱材などを使います。
スコップで掘るなどして土台を安定させます。
土台とパレットの間には鉄材、角材などを用います。

目見当での作業なので、土台にパレットを乗せてみて、ぐらぐらしたり、水平が取れていなかったりします。
その場合は平べったい石などを挟んで調整します。

崖側の土台の強度には十分注意します。
崖側が心持高くなっているくらいでOKです。

土台を組みなおし、3枚ほど設置

今回は去年の土台より一段高くしました。
廃品の鉄材やベッドの部品なども利用して土台を作りました。

パレット4枚を設置完了

5枚ほどのパレットを敷きました。
うち2枚はJA茅野の廃品をもらってきたもので、重さのある良品です。

端っこにベッドの部品を土台に5枚目を設置

出来上がった乾燥台。
水平取りは厳密ではありませんが、薪の積み方で調整することにしましょう。
全体的に強度は十分だと思います。

一番端っこのパレットの土台のバランスには不安がありますが、乗せる薪の重さで調整しましょう。

新規の乾燥台設置完了

次回の作業は、空き地の丸太の玉切りと、薪割りです。

軽トラ流れ旅 道の駅南アルプスむら長谷

真夏の土曜日、軽トラに乗って旅に出た。

目指すは杖突街道を通り高遠へ。
そこからは、いつもの伊那方面ではなく、高遠から南下して分杭峠付近の立寄り湯へ、さらに駒ヶ根まで下って、伊那、南箕輪を通って帰るというもの。

軽い1日コースではあるが、心配なのは真夏の暑さ。

まずは茅野へ下りて杖突峠を目指す。
順調に軽トラは走るが、夏休みの他県ナンバー車に追われるようでゆっくり走れない。

暑い中、途中下車して杖突街道沿いの古道具屋に寄ってみる。

2階から髭を生やした店主が下りてきて色々説明してくれる。
7年前に古民家を買って移住したという70がらみの店主は、かつて料理人の仕事で住んだ、イギリス、フランス、ロシアなどの話題が豊富。
趣味の古着は高級そうだった。

古道具屋を辞し、高遠の街へ。
ここを通過して152号線・秋葉街道を南下。
途中にダムが見えたので一時停車。
暑くてダム見物もしんどい。

秋葉街道をゆくとダムの風景が現れた
美和ダムという場所だった

まずはその先の道の駅を目指す。
広い駐車場には他県ナンバー車両で一杯の道の駅・南アルプスむら長谷。
食堂、直売所、ベーカリーの棟のほかに、一帯のビジターセンターの建物も隣接している。
芝生の緑が目に染みる。

道の駅南アルプスむら長谷に到着
中庭に芝生が広がるロケーション

ここでは、地物のトマトなどを買う。
ついでに安くて並んでいるパンも少々。

館内では熊のはく製がお出迎え
直売所入り口には生産者紹介とカブトムシが

昼飯もここで食べる。
ソースカツ丼。
地元飯らしく小鉢が多い。
味付けもばっちり。
食堂のおばちゃんたちも愛想よく頑張っていた。

食堂では意欲的にメニューを紹介
この日はソースカツ丼をチョイス。品数がたっぷりだ

この先の情報を得ようとビジターセンターへ。
おっとりしたお姉さんに目指す立寄り湯の情報を聞く。
なんと、ネットで調べていた分杭峠近くの立寄り湯は店じまいしてやっていないとのこと。
分杭峠から駒ヶ根に下る道も通行止めとのこと。

ビジターセンターで情報収集
ゼロ地場で有名な分杭峠のプレゼンテーションが

やはり地元で聞いてみるものだと納得。
これ以上の南下を断念して、高遠へ戻りいつもの道を伊那へ。

伊那の街中の酒屋でこの季節のおすすめの日本酒を買い、南箕輪町の直売所で桃を買って帰りました。

暑かった!
念願の杖突街道沿いの古道具屋を訪問でき、道の駅で美味しいランチを食べ、珍しい日本酒を手に入れ、季節の果物を格安で買えたので満足の旅でした。

1年分の桃を煮る

高遠、伊那方面へ行った帰り、いつものように南箕輪町の直売所・あじーなへ寄りました。
初夏を迎えた南箕輪町の直売所ではさぞかし夏野菜や果実で花盛りだろうと思ったからです。

特に、あじーなは地域の産物の出荷量がよく、値段も手ごろな印象があります。

この日もありました。
季節の桃が。

あまり知られてはいませんが、長野県は桃の生産量が全国トップクラスです。
桃に限らず、ネクタリン、ワッサーなど関連品種も多く出回ります。

白桃は、山梨県産ほどの大きさや甘さはないかもしれませんが、普段食べる分あるいは加工用には十分です。
また、直売所にはよく、自家用のB品が売られており、加工用の品を探すことができます。

この日あじーなで見つけたのは、中型の桃がひと箱(22から24個入り)で1400円ほどのもの。
大型の贈答用なら4000円でしたから、これはお買い得です。

あじーなで購入した桃

勝った翌日、さっそく加工をしました。

まずは砂糖を煮溶かしてシロップを作ります。
そして桃をむいてカットしてゆきます。
選ぶのは硬めの桃。
コンポートをつくるのです。

シロップで桃を煮る

箱の半分くらいの桃を使ってコンポートにします。
カットした桃をシロップに入れて、煮崩れないように加熱。
消毒した瓶に詰めて煮沸して出来上がりです。

コンポートが3本完成

残りの柔らかめの桃はジャムにします。
コンポートで使ったシロップの残りに桃の乱切りを投入。
しばらくストーブにかけておきます。

なかなか煮崩れしなかった桃ですが、果肉が残ったジャムになりました。
余りを試食すると、思ったより風味が残るジャムでした。

今年も夏の恵みを保存できました。

左からジャム3本、コンポート3本

今夏は山小舎もギラギラ

例年、山小舎周辺の夏日は幾日あったでしょうか?

例年なら、姫木が30度予想になったら驚いたはずです。
夏の直射日光は、紫外線十分で厳しいものがありますが、空気は湿っておらず、木陰に入るとすーっつとしました。

ある夏日の山小舎前庭

今年は鮮烈な日光に加えて、蒸し暑い日が続くのが特徴です。

その日に管理事務所の草苅バイトだったとしたら、つなぎの長袖が上から下まで汗でびっしょりとなるほどです。
日に当たり続けると暑さにグッタリし、またヘルメットや帽子の中の熱が去りません。
木陰が涼しいのは例年通りなのですが、蒸し暑い日が多いような気がします。

山小舎の前の道もギラギラ

直射日光の下では洗濯物もすぐ乾きます。
いつまでたってもパリッと乾かない山小舎周辺の湿気が嘘のようです。

厳しい暑さの日には、表の直射日光に当たるのがダメージなので、山小舎室内のひんやりした中で過ごします。
そういった日は山小舎の窓という窓を夕方まで全開にして風を通します。

夏の空は抜けるように青い

東京のことを思うと、熱帯夜のない山小舎は天国なのですが、日中の外仕事は大変なこの季節です。

紫外線に照らされる山小舎。室内はヒンヤリ

ある日の野菜出荷

畑は夏野菜の出荷最盛期を迎えました。

畑では週1~2回の出荷日に向けてせっせと野菜たちが準備しています。

畑に訪れるたびに真っ赤なトマトが出迎えてくれます。
収穫の前に、伸びすぎた枝を誘引し、脇芽を掻き、根元の雑草を引き抜き、枯れてきた根元に近い葉をカットします。
自然発芽したトマトも各所でぐんぐん伸び、実をつけ始めました。

この日の収穫。黄色トマトや白ナスは今年から作り始めた品種
万願寺トウガラシ、ピーマンは初出荷。荷物がいっぱいになり、ミニトマトは出荷できず

この日はキューリとナスも収穫。
収穫後はなるべく日に当てないようにします。
軽トラの荷台に運び、野菜の保存用のビニール袋に入れて荷造りし、宅配業者の営業所に持ち込みます。

トマトを植えに保存用ビニールに入れて梱包

カンカン照りの信州高原より、さらに焦げ付いているであろう東京のお客さんに生命力をお届けです。

八島湿原

標高1400メートルに位置する山小舎。
今年は山小舎周辺も猛暑が続いています。

山小舎から大門峠に出て左折。
ビーナスラインを通って、車山高原から霧ヶ峰へ。
直進すると諏訪へと降りる道、霧ヶ峰を右折すると美ヶ原へと続く道となります。
霧ヶ峰を右折し、美ヶ原までの間に八島湿原があります。

諏訪からの帰り道、八島湿原に寄ってみました。
平日とはいえ、夏休みの八島湿原駐車場はほぼ満車。
無料の駐車場に止めて、まずはビジターセンターを訪れてみます。

八島ビジターセンター
八島湿原駐車場

ビジターセンターには湿原に暮らす動物、昆虫のはく製、標本などのほか、霧ヶ峰高原や八島湿原の成り立ちなどが解説展示されています。

ビジターセンターに展示されているはく製

霧ヶ峰高原がなぜ草原になっているのか?観光用に木を伐採したのか?疑問に思っていた山小舎おじさんでした。ビジターセンターの展示を見て、ここが江戸時代からの草刈り場で、毎年草を刈り、火入れしてきた結果、木が生えずに創元が維持されていたのだとわかりました。
霧ヶ峰とて、ほおっておくと灌木が生え、やがて森林になるのだそうです。

ビジターセンターで昔の山小舎の写真を見る

八島湿原の周りを歩いてみます。
一周90分の遊歩道コースが整備されているとのこと。
ハイカーたちとすれ違いながら右回りで木道を進みます。

八島湿原への入り口
湿原と池
湿原の周りの木道

左側に湿原を見て進みます。
湿原には3つか4つほどの池があります。

コースの最深部にはヒュッテが建っています。

御射山神社がありました。
諏訪信仰の一部をなす御射山(の一つ)がここだったのです。

湿原最深部にあるヒュッテ
御射山神社がある

木道はすでになくコース取りに迷いながら最深部を進みます。
このあたりは歩く人とてほとんどいません。
やがて砂利道に出ました。
標識に従い、駐車場方面に向かいます。

トイレのある休憩所ではたくさんのハイカーが休んでいました。
そこから再び木道が整備されています。

夏の入道雲
高山植物

左手に湿原と池を見ながら出発点へと戻りました。
日を遮るものがなく、厳しいハイキングでした。
木道も少々痛み始めていました。

高山植物や野鳥に詳しい人にとっては天国でしょう。
できれば湿原のただなかを歩いてみたかった気がします。

八島湿原

太鼓の自然林の中を歩くのなら、御泉水公園の方がいいです。
霧ヶ峰高原の成り立ちがわかったのは収穫でした。