ママチャリ迷走記2025 野川を下って合流地点へ

国分寺市から世田谷区までの間を走る国分寺崖線と呼ばれる崖。
多摩川に並行して走っており、多摩川の河岸段丘なのか、はたまた本州の中央構造線を形作るホッサマグナのようなものなのか。
後者だとすれば、何百年に何センチかの地殻変動の真っ最中でもありましょう。

この国分寺崖線のがけ下に沿って流れる野川は、国分寺駅前の殿ヶ谷戸公園内の池を出発点に、世田谷の二子多摩川で多摩川に合流するまで、小金井、調布、世田谷区などを流域として流れる。

この日は、愛車のママチャリを駆って、調布の神代団地付近から二子多摩川の合流地点まで、野川沿線を走ってみることにしました。

調布大町付近の野川
神代団地を過ぎる

川の両サイドには散歩やサイクリングにちょうどいい舗道が整備されている野川。
この日は好天に恵まれ、歩道には望遠レンズ付きのカメラを持った高齢者の姿が何人か見られました。

舗道の脇には住宅が立ち並ぶ野川ですが、空き地にはベンチが置かれ日向ぼっこにちょうどいい公園になっている場所もあります。

住宅地の風景が続く野川沿いですが、世田谷区の成城に入るとビジターセンターがありました。
入場してみると、野川そのものや国分寺崖線の紹介のほかに、世田谷区が力を入れている空き家の活用に関する情報提供と呼びかけの掲示が目に入りました。

世田谷区成城にあるビジターセンター

昨今の国レベルでの課題にもなっている空き家の活用を具体例の紹介を通して情報共有し、また新たな参加を呼び掛けているのです。
さすが世田谷区だと思いました。
テーマの設定が最先端です。

ビジターセンターではあ木遣り用の実例報告
地域共生の呼びかけも

世田谷区の取り組みに感心しながら先を進みます。
そこに現われたのが次太夫掘公園というところ。
江戸時代に野川の水を用水として利用すべく掘割を作った場所とのことです。

次太夫堀公園入り口の案内図

広い敷地が公園として保存されており、水田や畑が作られています。
昔の農家が数軒保存されており、かまどや機織り機、いろり、農機具などが現役で使用されながら保存されています。

田圃として使われている土地
小学生が遠足に来ていた

ここを舞台にして、木挽き会、藍染め会、機織り会、稲作会などが活動しており、ボランテイアの区民がリーダーとなっているとのこと。
現役感に満ちた空間となっています。

公園内に保存されている古民家の一つ
木挽き会が行っている玉切り

古民家の入り口に貼られたオオカミの魔除けは、青梅の御岳山からもらってくるとのこと。
軒先には鏡開きで割った餅が干してあります。
いずれにせよ本格的な古民家の活用です。
ボランテイアのプロフェッショナルな活動実績はもちろん、区の財政的にも十分な援助がなければできません。
感心しました。

農家の入り口の魔除け
軒先の鏡開き
畑の葉物

野川に戻り走っていると工場のような建物が川の両サイドにありました。
外環道の東名高速との合流工事現場のようでした。
外環道が練馬の大泉でストップして早何十年。
中央道、東名道とつながるのはいつなのか、地上が無理なら地下でつなぐのか。
この先どう完成するのかはわかりませんが、工事は行われているようです。

外環道工事

そうこうするうちに前方に二子多摩川の高層ビル群が見えてきました。
やがて多摩川の土手に到着。
対岸は川崎の溝の口です。

工事のため実際の合流地点を見ることはできませんでしたが、二子多摩川を目的地として今日のママチャリ迷走を終えました。

二子多摩川の高層ビル
野川の合流点近く

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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