扶桑社新書「60歳のトリセツ」

題名が気になって手に取ってみました。
内容に接して気に入りました。

著者は1959年生まれの女性脳科学者。
学究の道だけでなく、コンピューターメーカー勤務の後、(株)感性リサーチなる法人の社長を務める。
男の子の母親でもあります。

本書は60歳を超えた我々にとって、目からうろこであり、前途に希望が持てるような内容なのです。
それも脳科学者が具体例に基づき説いているのですから、我々素人の読者にとっては、バッサリと、世事の禍事、悩み事を快刀乱麻を断つが如く一刀両断してくれるのです。

例えば老いについて、『脳は世界をうんと狭くして、外のことがわからなくなるのである』、『ボケたというけれど、見方を変えたら、脳が優しい魔法をかけてくれたのに他ならない』(p33)と、体の機能の低下にい伴う脳の活動低下は必然なことだと解明する。

反面、60代の頭脳の秀逸さについて、『56歳以上のベテランから見たら、35歳以下なんてみんな半人前に見える。気が利かない、勘が働かない、言ってもわからない、発想力が乏しい指示待ち人間』(p40)と、最高潮に達した60代の頭脳と、その域に達していない若い頭脳を比較する。
答えは『60になったら(気が付かない)周りを大目に見よう』(p41)のが著者が60代に伝える人生のコツなのだ。

著者は60歳になった読者に高らかに宣言する、『(より美しく、より強く、より賢くというより良い生殖のための闘いという)呪縛から解放されて、自分自身の人生を生きるターンがやってきた。闘いに駆り出される前の、14歳の脳に戻っていいのである』P104)と。
著者は14歳の時に心を震わせた、ビートルズとダンスとラジオの世界に60歳を過ぎて再会し、その当事者となってラジオのパーソナリテイとなったりする。

女性である著者はさらっと説く、『60歳といえども、女ごころは永遠なので、自分がお花畑でひらりひらりと飛んでいる女の子くらいにしか思っていないのである』。
わかった!自分の周りの婆さんや、奥さんや、いいトシした娘さんが勘違いしている理由が!
60代だけではなく、女ごころも解明してくれる著者なのである。

60代の物忘れについてのアドバイスもあります。
『脳が忘れるのは、人生に必要がない、と脳が判断したから。脳に従ってのんびり生きてゆこう』(p135)、と。

著者の著作は「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」「息子のトリセツ」「母のトリセツ」と続きます。

ヤン・ハヴラサ著「アイヌの秋・日本の先住民族を訪ねて」

1988年未来社刊の本著を国分寺の古書店で見かけて購読した。
未来社はほかにもアイヌや蝦夷地関係の出版がある。

表紙

「アイヌの秋・日本の先住民族を訪ねて」は1930年にプラハで出版された「日本の秋・わが生涯の断片」から北海道紀行に関する部分を翻訳したもの。
著者は1912年に夫人とともに来日し1年間滞在。
その間に各地を旅行した。
その時の様子が本著にまとめられている。

奥付

何より著者によって撮影されたスナップが多数掲載されており、1912年(大正元年)当時の長万部、平取、登別で、暮らすアイヌ人の姿が残された。
彼等は伝統的なアッシ織りの着物に荷を包み、女性たちは口の周りに入れ墨をしている。

山小舎おじさんの生まれ故郷・旭川には、昭和30年代当時、すでに観光化され切った上川アイヌ部落があったが、当時は入れ墨を掘った老齢の女性がまだいた。
純粋なアイヌ人も多かった。

本著作に掲載された写真は、記憶に残るアイヌ人の古の姿が甦るようで貴重なものである。

平取のアイヌ婦人

文筆家として祖国で名を成した著者にとっては、日本およびアイヌ人の運命を予告しまた評価することは自明の理であるかのような表現が目につく。
曰く『ここでは暴力を用いない民族性喪失のプロセスが進行中なのである』(p72)と、長万部のアイヌ部落と日本人集落の本質的な差異のなさ(アイヌ人のアイデンテイテイの喪失)を見抜き、『アイヌをこれまで知りえたすべての民族の中で最良なものとみなす』(p77)というロシア提督の言葉を引用して、彼等の素朴で柔和な人格を評価している。

長万部にて

著者の慧眼は、サハリンと蝦夷のアイヌ人について、琉球人と同じく日本人と同化した存在と断じたうえで、『朝鮮人については固有の文化を持った大民族であり、白人に対する抵抗の覚醒と同時に日本の支配に対しても抵抗しており、日本としては、海外進出よりも北海道開拓へ集中した方が賢明だと思われる』(p91要旨)、とまで見抜いている。

長万部の貧しい婦人

この時代の日本滞在記として、慧眼に満ち、諧謔にも彩られた読み物であるが、アイヌに対する紀行文的な関心という意味で貴重な文献だと思われる。

平取にて

軽トラで東京へ

8月の蓼科山登山の準備に、東京の孫一家と高尾山で足慣らしをするというので、自宅に帰りました。
軽トラで。

軽トラに物資を積んで

軽トラのいいところは物資を大量に積めるところ。
家族のリクエストの福味鶏やアルプス牛、さらに長野産の卵や高原野菜類、山小舎で採ったわらび、さらに集めたりんごや桃などのジュース類、地元産のチーズや生ハム、5月の連休に忘れて行った孫親のシャンプー類まで、冷蔵品からそれ以外まで荷台に積んでいけるのです。

5月の最後とはいえ、夏のような日照りが心配なので、保冷ボックスに保冷剤をしこたま仕込んでいきます。
途中のAコープで肉類を買い込みます。
既に日差しは夏のようです。

初夏の八ヶ岳に見送られる

富士見から国道20号線に出ます。
沿線には道の駅白州があるので寄ります。
地元産の山塩と山塩チップスがお目当てです。
甲州街道の台ケ原宿には、元祖信玄餅の金精軒があります。
生信玄餅などを求めます。

甲州街道下道の道中は続きます。
雪の跡が幾筋か残る富士山がかすみの空にぼんやりと見えます。
韮崎からは甲州街道を避けて、甲府の街中から国際色豊かな山梨学院大の前の道を、塩山まで行きます。

葡萄や桃の果樹園が続く塩山を過ぎ、勝沼で甲州街道に合流し、笹子トンネルを抜けると大月のエリアです。
道の駅都留に寄ってみます。
思いのほか地域色が豊かで、物資が豊富な道の駅です。
リニアの見学センターが近くにあるようです。

初めての道の駅都留

大月からは交通量が増え、信号も増えます。
この先の下道は、大垂水峠越です。
相模湖インターから中央道に進みます。
高速は小仏トンネルで東京への峠越です。

8時半に出て15時近くに自宅に到着しました。
Aコープのほか、道の駅や食堂など数か所の寄り道をしました。
暑かったものの、軽トラは冷房も効き快適でした。

目的の高尾山ハイキングは孫たちが参加して行われました。
6合路と3号路?を進み山頂まで。
山頂は外国人も含めた混雑ぶりでした。
たっぷり汗をかいての登山で全員リフレッシュ。
夕食は自宅にて炭火焼きで打ち上げました。
同行して孫たちの相手をし、炭火焼きの準備と焼き手の我が次男には感謝です。

日曜日の高尾山
山頂の孫たち

霧と寒さの長門牧場祭

5月下旬の土日、長門牧場で牧場祭がありました。

この日の長門牧場

寒々しい日、山小舎ではストーブを炊いています。
長袖の上にジャンパーを羽織り出かけました。

牧場の駐車場はほぼ満車。
人出は広い敷地内にチラホラ。
テントの出店の前には人がいません。
人気のソフトクリーム売り場にも人が並んでいません。
人はどこに?

霧の中に出店が浮かび上がる
いつもは列ができるソフトクリーム売り場

トラクターが乗りあい貨車を引っ張って牧場を一周する、その乗り場に長い列がありました。
売店とカフェのある建物内部にも人がいるのでしょうか。

テントの下で寒さに耐えている、ボスケソチーズ工房と、アトリエフロマージュでチーズを購入。
アトリエで売り子を務めるお兄さんは元気に愛想を振りまいていました。

ボスケソチーズ工房とアトリエフロマージュの出店

乳しぼり体験コーナーやクラフトの出店にもほとんど人がいません。
何せ寒いのです。
目的のチーズ購入を済ませるとそそくさと長門牧場を後にしました。
その後も続々と車の来場がありました。

乳しぼり体験コーナー