深大寺周辺を歩く

調布市は、調布町と神代村が合併して誕生しました。

甲州街道の宿場に端を発し、多摩川の川筋に位置し、戦時中には陸軍飛行場を擁していた調布町とは異なり、多摩川の河岸段丘を何段か上った場所に位置する神代村は、武蔵野台地の南端に位置する純畑作地帯でした。

神代村が有する数少ない歴史的遺産が深大寺です。
今回は深大寺周辺を歩きました。

青渭神社

深大寺の北東に位置する古社です。
旧武蔵国多摩郡にある3つの青渭神社のうちの一つで、延喜式に記載されており、設立年は不明です。

地元では青浪様と呼ばれる水の神様です。
バス通りを挟んだ向かい側には都立農業高校の農園が谷戸の地形に沿って広がっており、園内にはワサビ田もあります。
神社は、鮮烈な湧水が滾々と湧く場所を守る神様だったのでしょう。

現在、人々は青渭神社ではなく深大寺に初詣に向かうので、忘れられた神様になりかかっているのが残念です。

深大寺境内

山門をくぐると深大寺境内です。
平安時代の733年に開基と伝えられる天台宗の別格本山です。

武蔵野台地南端のハケの地形を利用して開山しており湧水にも恵まれています。

本堂には毎年たくさんの人が初詣に訪れます。
普段の日も観光客が多く、路線バスが京王線つつじが丘駅から運行されています。

本堂とは別のお堂ではこの日も檀家衆などを集めてお経が詠まれていました。

国宝の釈迦如来像を祀るお堂です。
白鳳時代の仏像が安置されています。

大みそかには周辺の檀家衆が鐘を突きます。

深大寺周辺の参道

参道は、蕎麦や団子を出す茶店でにぎわっています。

鬼太郎茶屋はかつては時雨茶屋という屋号の店でした。
店の二階の座敷で、門前の池を見下ろして蕎麦を食うのもおつでした。

大みそかの夜から三が日はこのあたり人でごった返します。
地元の子供たちは中学生くらいになると友達同士で大みそかの夜に深大寺へ集まります。

神大寺城跡

古い本には神代城ともあります。
成立は不明で、歴史上に現れるのは16世紀になってからとのこと。
現水生植物公園を見下ろす高台に位置します。

江戸城をにらむ前進基地として場所の利があったのかもしれません。
徳川時代が万全になってからは廃城となったのでしょう。

現在どれくらい発掘が進んでいるのか?
現在はテニスクラブ(松岡修造が通っていた)と住宅地に占められています。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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