定年おじさん渋谷を行く

渋谷へ行ってきました。寒々しい師走の日でした。

シネマヴェーラ渋谷

という名画座があります。
2006年開館の新しい映画館です。
映画好きの弁護士さんが作って、今は奥さんが支配人とのこと。

巨匠からカルトまで、映画好きなら心が動くプログラムをやっています。
当初は2本立て入れ替えなしでしたが、現在は1本立ての入れ替え制となりました。

おじさんは、開館後初期の「内田吐夢特集」で「飢餓海峡」(64年)に駆け付け、再見。改めて感動しました。
また、毎年夏には「妄執、異形の人々」という、カルト作品、お蔵入り作品などの特集が行われ、「獣人雪男」(55年)「暗号名黒猫を追え」(87年)などを観たのが思い出です。

今回は、「滅びの美学・仁侠映画特集」ということで、その中の「花札渡世」という作品を観に行きました。1967年の東映映画。
監督は成澤昌成。
この人は東映たたき上げの監督ではなく、大監督の溝口健二に師事し、共同脚本などを書いたひと。

そこで思い出すのは、東映という会社のカラー。
チャンバラ、任侠やくざ、実録もの、と時々の路線で稼いできた会社ですが、一方でカラーに染まらぬ意外性も持つ会社なのです。

設立当初は、レッドパージにあっっていた今井正監督を迎えて「ひめゆりの塔」(53年)を制作。大ヒットさせました。

その後も、中国から引き揚げた内田吐夢を迎え入れ、巨匠待遇。「宮本武蔵五部作」(61年~65年)など映画史に残る名作を作らせました。

松竹を追われた大島渚に「天草四郎時貞」(62年)を作らせたり、前衛詩人の寺山修司に「ボクサー」(77年)という映画を撮らせたこともありました。

40年ほど前の実録路線最盛期のころは「実録共産党」という企画が実現寸前までいったというエピソードもあります。

東映の創始者のひとり、マキノ光男が「映画に右も左もあるかい、わしらは映画党や」といったそうですが、活動屋の面目躍如にして、東映カラーを一言で表した名言、といったところでしょうか。

さて、「花札渡世」。
主役の梅宮辰夫は、「ひも」「ダニ」(いずれも65年)などの軟派ものに主役を張り始めていたが、決定打の「不良番長シリーズ」は始まっていない時期。
この作品では正義派をやっています。

相手役の鰐淵春子は子役出身のハーフ美人。
松竹でアイドル路線をやった後の方向転換の時期でしょうか、いかさまばくち打ちの娘役です。

低予算の白黒撮影ですが、溝口監督への師事で鍛えたからでしょうか、成澤監督(脚本も)の女性の描き方が一筋縄ではありません。
きっちりと心の闇、腹黒さも描いて、年季が入ってました。

画面構成でも前景、背景に凝った撮影で、けれんみたっぷり。
テーマとしても花札とばくのシーンに凝ったように見せかけて、やくざ世界の価値観には一顧だにしないところが正統派やくざ映画とは正反対でした。

任侠路線が真っ盛りのころでもこういったアンチ任侠の映画が現れるところが東映という会社の面白いところでしょうか。
映画は本来こうありたいものですね。

東電OL殺人事件

渋谷駅から京王井の頭線でひとつとなりの神泉駅。

そのわきの古びたアパートが事件現場。
地下に居酒屋が入ってます。

隣の粕谷ビルなるアパートが冤罪ネパール人が住んでいたところ。
どちらもいつまでも残されている。
これは、世田谷一家殺人事件の現場建物が残されているのと同じ理由なのだろうか?

おじさんがシネマヴェーラに行くときは、神泉で降りて、このアパートの脇を通って行く。

渋谷でのおすすめ居酒屋

井の頭線ガード下のあたり。
30年前はひっそりとした街に居酒屋が並んでいた。
今はギラギラした渋谷の裏通りになっている。

ここは細雪という飲み屋。常連がとぐろを巻いていたが、入りやすくつまみもうまかった。今でもやってるのだろうか。

焼き鳥のうまい、鳥竹。いつも混んでいた。ホッピーとつまみ、2000円で満足する庶民の味方、山家。昼間でもやっている。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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