おじさんの青春の町、西荻窪

西荻はおじさん青春の町だった。
中央線沿線のこの町に住んでいたのは今から30年以上前の独身時代。
駅南口を出て徒歩5分のアパートは、大家さん宅の敷地内に建てられた別棟で、トイレ、炊事場共同の4畳半。大家さんは警察未亡人のおばさんで、電話があると呼んでくれた。
火器と女性連れ込みは禁止で家賃1万7千円。
おじさんは住み始めた当事は無職だったが、飛び込んだ駅前の不動産屋が紹介してくれた。
今は、マンションか何かが建っている。

西荻、かつての町のランドマークは今?

当時よく通った駅前の焼き鳥屋、戎。
居酒屋ブームで有名な店になり、昼間から客が飲んでいる。
おじさんが通っていた30年前、焼き鳥1本と焼酎で競馬新聞に見入るジャンパー姿の中年や、家に帰る前に1杯ひっかけるきちんとした身なりの定年前?のサラリーマンの姿に人間というものを学んだような気がする。
西荻のランドマークとして有名になった今の戎は、ファッションとしての居酒屋を楽しむ都会人の場にでもなってしまったようである。

30年前ははるばる亭という店だった。
若い美人のママがいて、ヒノキ製?の徳利で燗を出してくれた。

登亭という定食屋があった。
今は焼き鳥屋になっている。
登亭のマスターは、太い指を揚げ衣に突っ込みながら、いつも何か揚げていて、ついでにその太い指で、大鍋から汁がお椀からこぼれんばかりに味噌汁をよそってくれていた。

マスターお任せの「フライ盛り合わせ」を注文すると早く出たが、「とんかつ定食」などと特定のメニューを注文すると待たされた。
揚げたてのフライはうまくて量もたっぷり。いつも満員だった。

中央線カルチャーのかつての発信源、ホビット村は健在。
全共闘世代のカウンターカルチャーのタイムカプセルのような場所。

1階は無農薬八百屋の長本兄弟商会。2階はかつて満月胴という酒も飲ませる自然食屋だった。
今は別の店が入っている。

3階のプラサード書店は今も変わらず営業中。
精神世界の分野に強い本屋で、かつてはオウム神仙の会の会報なども置かれていた。

いまでもかつてのヒッピー文化の発信源となっているとは頼もしい。

西荻書店巡り

盛林堂という古書店。若い店主が始めた比較的新しい店。
サブカルチャー系と文庫の品揃えがいい。
店頭の廉価本にも掘り出し物あり。

中央線沿いで有数の品揃えを誇る古書店、音羽館。商品の回転がよく、新しい本の品揃えも良い。

旅の本の専門店、のまど。
国内外の旅行記、旅情報があふれている。
旅系、野宿系の自家出版の冊子や、タイで邦人向けに発行されている現地雑誌などがあるのは頼もしいが、「中央線カルチャー脱力系」の店番がやる気なさ過ぎて、残念。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

「おじさんの青春の町、西荻窪」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    突然の訪問をお許しください。
    私も1956年生まれで北海道に住んでるいるトクと申します。
    西荻窪&登亭で検索していて、このブログに辿り着きました。

    1974年から5年ほど西荻窪に住んでいた時に
    登亭にはよく通っていました。
    よく食べていたのはトンカツ定食か何かの盛り合わせ定食でしたが
    盛り合わせは何の盛り合わせでも同じに見えましたね。(笑)

    またチキンサラダがメチャ美味しくて、今でも思い出す時があります。

    千切りキャベツを刻み、
    残った芯などを味噌汁に放り込んでいているのが
    圧倒的なパフォーマンスでした。
    そしてお客さんに出すときは、お約束の親指突っ込み!

    巨人が逆転したときなどは
    トンカツにビーフシチューをかけてくれたこともあり
    ビックリして有難くいただいていました。

    10年ほどして東京に行った時にお邪魔したら覚えていてくれて
    「そうか~、社会人になって立派になったな~」
    などと言ってくれて、非常にうれしかったのですが
    次に行った時には店が無くなっていてガッカリしました。

    その後ネットでいろいろな情報を見て
    親父さんが亡くなったことを知りました。

    「青春の思い出の店と親父さんに幸あれ!」
    なんて気分です。

    懐かしい思い出の記事を有難うございました。
    昭和31年生まれ同士。
    いつまでも元気で、しぶとく生きましょう!

    1. ひょんな経緯からのご訪問、ようこそです。
      登亭は一度行ったら忘れられない食堂でしたね。

      私にとっては、「フライ盛り合わせ」なら早く出てきて、「トンカツ定食」などと注文すると
      後回しにされること。
      常に何かを揚げているおやじさんの腕の太い腕毛、の印象が強かったですね。

      当時の西荻は、プラサード書店、ナモ商家なども元気で、戎のある横丁はいつも混んでいました。
      現在でも横丁は混んでいるよですが、何か観光的な賑わいのような気がしますね。

      トクさんは現在、北海道でお住まいとのこと。
      北海道生まれの当方にとって、故郷はいつまでも「憧れ」の地でもあり、毎年墓参りに帰るのが
      この年になっても楽しみです。

      当地の現状、トクさんの御心境など、お気が向いたらば、コメント欄にてご連絡くださればうれしいです。
      若いころ「三無主義」といわれた昭和31年生まれ。まだまだ「しぶとく」行きましょう。

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