冬ばれの一日。
今日もおじさんは自転車にまたがって散歩しました。
調布飛行場は今も昔も調布のメルクマール
ユーミンこと荒井由実の楽曲に「中央フリーウエイ」という曲がある。
「高輪ゲートウエイ」より40年も昔に、「フリーウエイ」のネーミングだから、ユーミンは時代を40年進んでいたことになる。
歌詞に「調布基地を追い越し・・・」とあるが、ここで歌われる「調布基地」とは、現在の調布飛行場一帯のこと。
もともとは旧日本陸軍の飛行場だったのが始まり。
飛行場は終戦後の一時期、米軍に接収された。
ユーミンが歌うのは、米軍接収期に調布基地と呼ばれたこの一帯のこと。
今も残る「調布基地跡」の看板。
ユーミンは当時、調布基地を超えて実家のある八王子まで、彼氏に車で送ってもらっていたのだ。
ちなみに「右に見える競馬場」とは府中にある東京競馬場、「左はビール工場」とはビールを製造していた時代のサントリー工場のこと。ご存知か。
ご存知ついでに「中央フリーウエイ」とうたわれている高速道路は、フリーどころか「中央自動車道」と呼ばれるれっきとした「有料」の自動車専用道路である。蛇足。
調布飛行場を訪れる。
陸軍時代の門扉が残っている。

空襲に飛来するB29迎撃のために戦闘機飛燕が展開していた基地だった。撃墜の成果は思いのほかあったらしい。
ちなみに、30年ほど前には、「調布在住です」というと、年配の人などから「軍人さんのご家庭だった?」といわれることがあった。

今の飛行場は伊豆七島へのセスナ便のターミナルであり、個人所有の小型飛行機の発着場である。

ターミナルビルに入ってみる。
二階は展望室になっている。
伊豆七島の観光ポスターや物産がディスプレイされている。
旧陸軍飛行場の敷地に隣接した駐車場に、クラシックカーの廃車が残っていた。
それこそ米軍「調布基地」時代の名残であろう。
米軍が持ち込んだ挙句捨てていったのを保管しているのか。
旧陸軍飛行場の敷地の3/4程度は、飛行場以外の敷地となっている。
南端、国道20号線と接する場所には、味の素スタジアムが建っている。
その付近には東京オリンピックマラソン折り返し地点の石碑がある。
マラソンといっても1964年の東京オリンピックのマラソンのことだ。
「森元」こと森喜朗元総理や、「緑の狸」こと小池都知事が仕切る、東京2020はこのコースは走らないそうだ。
ちなみに都内有数の設備を誇る味の素スタジアムだが、先年開催の日韓サッカーワールドカップでは、会場とならなかった。
その理由は付近の道路を封鎖できなかったからとのこと。
確かに短時間にせよ、国道20号線を封鎖されては、近隣の住民は生活できないわな。
近藤勇の生家と墓
新選組の近藤勇は現調布の農家出身だ。

生家跡と、養子に入った近藤家が調布市野水というところにある。


そこから100メートルほど行ったところには菩提寺がある。
明治維新の際、逆賊として処刑された、三多摩出身の百姓の小せがれの一生であった。

勝てば官軍。
明治維新を機に権力は、今に至っても薩長、特に長州の側にある。

戊辰戦争以降の権力側の戦死者が靖国神社に祀られているとすれば、逆賊たちは民衆たちによって祀られる。
会津の白虎隊のように、調布の近藤勇のように。
南無阿弥陀仏。
















古い建物はどんどんなくなり、区画整理されてゆきます。

中央線沿線では、吉祥寺から西ではこういった飲み屋小路の存在は珍しい。
もっと西の立川、八王子には大規模な飲み屋街があるけど。
江戸時代、玉川上水路沿いの土手は桜の名所だったとのこと。


女性がプレーできないとか、会員になれないとか言われていた。
平日にもかかわらず品川ナンバーの高級車が何台か駐車していた。

新小金井街道沿いの古書店、はてなクラブ。



ゆったりとしたキャンパス内には農園などもある。
農学を学ぶのではなく(農学部はない)、教育学部の範囲で、自然を通してエコや共生を学ぶフィールドとして存在しているのがユニークだ。
おじさんも小学校時代の学級農園で、率先して働く先生方を見て畑が好きになったことを思い出す。
学内のサークル会館からは楽器の音が聞こえていた。






食堂のおばちゃんの対応はやさしかった。
席は満席に近い。

















注文対応のおばさん、レジのおばさんも一般客にやさしく接してくれて安心した。





















初詣の賑わいもとうに過ぎ、ゆったりした境内。








そのころには王子製紙や国土開発などをといったチームとリーグ戦をやっていたことでしょう。





帰りには駅前のマックで休みました。









シネコン方式の映画館や食べ物屋さんを有する棟がひとつ。

























この一角の古本屋も、団子屋も、八百屋も、飲み屋も、おじさんが知っている20年前から残っているのがすごいと思います。
昼食はその一角にある食堂で食べました。
客層はビールと一緒に食事するおやじたちが中心でした。
かつての大映株式会社は破産手続きにより法的に整理され、スタジオ、映画フィルムなどの資産は、徳間書店に譲渡されたのち、角川書店に譲渡されて現在に至っています。




門構えは大映より大きく、構内も広そうです。
外注の制服姿の守衛さんが顔を出し「どちらへ行かれます?」とのこと。
かつての日活の映像遺産に対するフィーチャーは外部には全くありませんでした。












向かいにはかつてキューピーの工場があり、調布市内の小学生は見学に行って、マスコットサイズのマヨネーズをもらって帰ってきていました。
今は、キューピーのPR施設になっています。




事件の傷の大きさがうかがえます。
ここは前からこんなさびれた感じです。

アーケード街はほぼシャッター街となっています。















「光は新宿より」。
これらの土地は、終戦後のどさくさによって本来の地権者から、やくざや第三国人などが勝手に占拠し現在に至っているものが多いといわれます。
















東急デパート南隣の建物2階の、百年という古書店。