おじさんの自転車散歩VOL.2 大映、日活、東宝撮影所へ

おじさんの自宅から自転車での行動範囲内に、映画撮影所が3か所あります。
一般人は内には入れませんが、入り口だけでも見学に回ってみました。

大映撮影所の守衛さんは話し好きでした

調布市多摩川にある大映撮影所。
現在の名称は角川大映スタジオといいます。かつての大映株式会社は破産手続きにより法的に整理され、スタジオ、映画フィルムなどの資産は、徳間書店に譲渡されたのち、角川書店に譲渡されて現在に至っています。

貸しスタジオ状態となって久しい現在の撮影所の存在は、地元住民にとっても「都立調布南高校の隣の場所」くらいの認識なのかもしれません。

守衛さんがいたので声をかけてみました。外注の警備員ではなくて、スタジオの関係者のようです。

おじさん「もう、映画は撮ってませんか?」
守衛「いやいや。大映の作品は少ないですが、製作委員会方式でいろんな作品を撮ってますよ。」
おじさん「大映株式会社はもうなくなったんですか?」
守衛「もうありません。徳間時代を経て今は角川大映となりました。1800本の作品も含めて角川に譲渡されました。大映作品の上映は新宿の角川シネマなどで定期的にやってます。」
おじさん「フィルムはここで保管している?ネガは?」
守衛「昔は門脇にフィルム保管倉庫があって、定期的にフィルムのクリーニングもやりましたが、いまではフィルムセンターの相模原倉庫に預けているはずです。ネガはどうなんでしょうねえ?現像はいろんな会社に頼んでましたが」とのこと。

愛想のいい守衛さんで話題も豊富そうですが、来訪者が多いのでゆっくり話すわけにもいきませんでした。
フィルムが国立のフィルムセンターに保管されている?というのは初耳でした。

注)大映作品のプリントの貸し出し元がフィルムセンターというのは守衛さんの勘違い。
2004年から2008年にかけて、角川文化振興財団が、1600本の大映作品のプリントをクリーニングし、フィルムセンターに寄贈したことを言ったものと思われる。フィルムセンターが商業映画館にプリントを貸し出すことはあるが、通常の場合、上映用プリントの貸出元は、映画会社各社がプリントの保管、貸出業務を委託した倉庫運営会社であることが多い。例えばおじさんが都内の映画館に送られてきたプリントの入っているバックに貼ってある、宅配伝票を実見したところ、大映作品は江戸川区内の住所の倉庫より送られてきていた。

門脇のショップを見学しました。
ガメラと大魔神が会社の遺産としてフィーチャーされていました。

昭和30年代に建てられたというステージ2棟です。隣の高校のグランド越しに撮影。

日活撮影所では敷地内侵入で追い返される

続いて日活撮影所に向かいます。
大映から自転車で10分もかかりません。
多摩川沿いの道に沿った場所にあります。門構えは大映より大きく、構内も広そうです。
門のあたりを撮影して、守衛のいる受付に歩いてゆきました。外注の制服姿の守衛さんが顔を出し「どちらへ行かれます?」とのこと。
おじさんが「一般です。もう帰ります。写真撮ったらだめですか?」と答えると。
「敷地内です」との返事。

一般人は勝手に敷地に入ってはダメとのことなので踵を返しました。
大映と違い、撮影所人の雰囲気さえ感じられない、日活撮影所の入り口でした。かつての日活の映像遺産に対するフィーチャーは外部には全くありませんでした。
内部の食堂にはかつてのスターなどの手形が飾られているようですが。

狛江市役所で昼食のかつライス

ついでに東宝撮影所に行きました。
日活から自転車では30分ほどでしょうか。

昼時なので経路の途中にある、狛江市の市役所で昼食をとることにしました。
直営方式の社員食堂ではなくて、完全外注スタイルの食堂でした。
一般客が半分以上でしょうか。
650円のかつ定食にしました。
プラス100円でドリンクバー付きです。満腹。

ゴジラと七人の侍がお出迎え!東宝撮影所

狛江市から世田谷区に入り、東宝撮影所を目指します。世田谷区成城。世田谷通りから少し上ったところに東宝撮影所があります。
ゴジラと七人の侍がフィーチャーされています。
交通整理の警備員が常駐し、受付には女性職員の姿も見えます。
大映、日活に比して一番大規模で金もかかっています。仙川という川を挟んで建つステージ群も大規模です。
ここで、ゴジラも黒沢作品も若大将シリーズも作られたのです。
敷地の一部にホームセンターが建っているのが今は昔の風情です。

映画産業自体が60年ほど前に最盛期を過ぎました。
撮影所が残っているのは、設備と技能が代替の利かぬ専門的なものだったからと、残された幾多の作品の文化的にも大きい資産価値の故でしょう。

終戦直後の組合運動全盛期、ストを行った東宝撮影所労働組合に対し、当時のGHQが戦車まで繰り出してスト破りを行ったという伝説の東宝撮影所です。
70年を経て設備は近代化しましたが、映画をほとんど自社制作することもなく、技術職社員を抱えることも少なく、映画製作は今の時代は、斜陽産業を経て、無形文化財のレベルに後退しています。
撮影所も映画産業も、権力に弾圧されるほどの興隆を迎えることは二度とないでしょう。

よそよそしいまでの近代的な東宝撮影所のゲートを後に家路につきました。

このほかの都内の映画撮影所には、東映大泉撮影所があります。
無理すれば自転車でも行ける距離なので今度、行こうと思っています。

 

 

 

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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